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2013-09-19

マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論

マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論


マスダ女性アイドルシリーズですが、今回で一応の区切りとなりますが、あともう一回、総論とお知らせを書く予定です。


人生山あり谷ありと申しますが、浮き沈みの激しい芸能界、これまで取り上げたトップアイドル5人ですが、プレミアム感を維持しながら、それぞれに生き残っているのはさすがです。80年代に小話のネタで「ミナミヨウコミナミヨウコ、一字違いで大違い」というのがありました。南田洋子さんは若い時は大変な美人女優で、当時も上品美しい人ですから、この言い方はずいぶん失礼だったのですが、まあ若いからすればおばさんには違いない、敢えて南野陽子比較すれば、それは南野陽子の方が当時としては全然いいわけです。でも考えてみれば当時の南田洋子の年齢と、今の南野陽子の年齢はそうものすごく違うというわけでもない。それでいて、今でもテレビバラエティに出てくれば、「あのアイドルナンノちゃんが来てくれました!」みたいなハレの日感を維持していますね。

これは80年代女性アイドルに限った話ではなく、80年代に登場した/有力になった人物、フォーマットは未だに影響力があります。例えばお笑い界で言えば、60年代クレイジーキャッツ70年代ドリフターズ萩本欽一はそれぞれ続く10年では息切れしていましたが、お笑いBIG3は未だにお笑いBIG3です。これと似たような現象が、80年代についてはありとあらゆる分野について見られます

もちろんそうは言っても、人そのものは年齢を重ねてゆくわけですから80年代トップアイドルたちもそれぞれ見せ方を変えてきています。一貫してアイドルである松田聖子でさえ、もう聖子ちゃんカットにはしてくれません。デビュー当初の松田聖子はとてもキュートでしたが、映画野菊の墓』で前髪を上げた時、キュートさがびっくりするくらい無かった、彼女にとって前髪がものすごく重要であることを多くの人が認識したのですが、結婚以後、どういうわけか彼女はかたくなに前髪をオールバックにしていますね。

そういう小さなことから歌唱スタイルをまったく変えてきた中森明菜に至るまで、プレミアム感を維持したトップ芸能人という立場は同じでもその内容は違う、そういう変遷をそれぞれに辿っています

しかほとんどアプローチの仕方が変わっていない人もいて、斉藤由貴がそうです。

彼女場合路線変更や、あれこれ小ネタを仕込む必要もないほど、順調だった、彼女人生行事に合わせて、芸能界仕事がいいように流れて行った、だから流れに身を任せれば良かった、そういう特に恵まれた境遇にあるのが見てとれます

アイドルとしてはもちろん、芸能人として斉藤由貴ほど恵まれた立場にある人はそうはいません。もちろん、アイドルとして彼女よりも成功した人たちはいるのですが、その人たちから見てさえ、斉藤由貴境遇は出来れば替わって欲しいものでしょう。これまで取り上げてきた5人のアイドル斉藤由貴のうち、事務所を移ったことがないことがないのは小泉今日子斉藤由貴だけです。聖子明菜も、薬師丸も南野も、それぞれに苦闘と逆境がありました。小泉は天下のバーニングプロダクションの、郷ひろみと並ぶ最古参タレントのひとりとして安定した立場にありますが、その立場は結果であって、トップアイドル上り詰めて維持するためには試行錯誤セルフプロデュースを試みなければなりませんでした。斉藤由貴のみ、ただ流れに乗っているだけで、他の人が垂涎するような仕事に恵まれて、その流れがずっと維持されています

自分人間関係では子供の時からずっと不器用で苦労しているけれども、こと仕事に関しては順調だった。運動神経もあんまりよくないので『スケバン刑事』の仕事の時はあんまり乗り気じゃなかったけれど、その仕事好調視聴率もよかった。あんまりこの仕事はしたくないというのがないので、来る仕事をそのままこなしていたら、思う以上にいい結果が出て、それがずっと続いている感じです」

斉藤由貴は述べています

ただし、単に流れに身を任せているだけではなくて、彼女場合は結果を出しています。来る仕事来る仕事ホームランで打ち返している、だから次につながっているのです。こと彼女に関しては、東宝芸能と言う事務所マネージメントが的確だったのは確かでしょうが、無理やり事務所ねじこんだタレントではなくて、確実に結果を残してきたから順調であったのです。結果として彼女タレントとしての個性と、東宝芸能と言う事務所芸能界での立ち位置マッチしたとは言えますが、彼女以外のアイドル東宝芸能マネージメントを受けても同じような結果を残せたはずがありません。一方で、やはり他の芸能事務所では斉藤由貴と言う才能を活用しきれなかったでしょう。


斉藤由貴が恵まれたアイドルであるのは間違いありません。恵まれていると言うのは、女優としていい流れで仕事サジェストされてきた、歌手として楽曲の水準が高かったという点においてです。そして最初からずっと順調でした。斉藤由貴デビューが遅いアイドルで、高校三年生の時から芸能活動を開始していますが、1984年春に東宝シンデレラオーディション準グランプリに選出されたのが芸能界入りのきっかけです。よく、ミズマガジンコンテストグランプリから彼女の経歴が書かれることが多いのですが、ミスマガジン東宝シンデレラオーディションの後です。そういう経緯から彼女東宝タレントであるわけです。

東宝は言うまでもなく、大手映画会社の一画を占め、現在は業績においては圧倒的に日本トップ映画会社です(ただしそれはTOHOシネマズなどの映画館チェーンが好調からですが)。それだけではなく阪急東宝財閥中核企業であり、宝塚歌劇団グループ内に抱えていますマネージメント業務を担当する東宝芸能は、数ある芸能事務所の中でも、一番安定していると言えるでしょう。

東宝シンデレラオーディションは、東宝が久しぶりにスター発掘のために開催したオーディションで、第一回のグランプリ沢口靖子準グランプリ斉藤由貴でした。彼女たちは今では東宝の顔になっています東宝マネージメントある意味タレントの自主性を重んじる傾向もあるのですが、東宝シンデレラオーディション出身者、特に第一回の出身である沢口と斉藤については社運をかけているという面もあって、脇をがっちりとサポートして、手塩にかけて育てた、本格派を目指させた、ありとあらゆるチャンスを与えた、そういう感じです。

沢口はデビュー作が、当時、東宝看板映画だった『刑事物語』の三作目、続く二作目がやはり東宝看板作品であるゴジラ』です。沢口は『ゴジラビオランテ』にも出演していますから堂々たるゴジラ女優ですが、こういう売り出し方がアイドル売りの王道とはかけ離れていることは言うまでもないでしょう。沢口や斉藤は、学生、もしくはついこのあいだまで学生だったのですから、学園ものを演じさせればそれなりにはまったはずですが、「身近な経験から演技を構築してゆく」のではない、物語のものからキャラクターを構築してゆく演技を最初から要求されています。そういう演技が難しいのかどうなのか、演技の資質がある人にとってはかえってやりやすいのではないかと思いますが、そうではない人にとっては真夜中に霧の中を進むようなものでしょう。とにかく、日常の「女の子から演技を積み重ねてゆくような、私小説的なアプローチを封じたわけで、これは斉藤由貴についても同様です。

斉藤由貴ドラマ初出演作は『野球狂の詩』で、その次が『スケバン刑事』です。いずれも東宝制作ではありませんが、非日常的と言う点では、十分に非日常的なお話から斉藤は演技をスタートさせています


斉藤芸能活動の開始は1984年からですが、高校三年生であったこの年、彼女神奈川の県立高校に在学していたので、大きな活動はありませんでした。ミスマガジンマガジンの表紙を飾ったのと、伝説的なCM『青春という名のラーメン』に出演したくらいです。続く1985年1月月曜ドラマランド枠で『野球狂の詩』が放送され、2月にファーストシングル『卒業』が発売されました。

『卒業』が発売された時には、斉藤由貴はもうかなり話題になっていたので、『卒業』はいきなりベストテン入りして、最高6位までチャート順位を上げていますデビュー曲ベストテン入りしたアイドルは既に映画女優として実績のあった薬師丸ひろ子原田知世おニャン子の流れでデビューした工藤静香を除けば、「80年代女性アイドル格付 」ベストテンの中では斉藤由貴だけです。

そして1985年4月からスケバン刑事』の放送が始まります


ここで彼女異端性について触れておきましょう。ご存じのとおり、彼女信仰心がある人です。現代日本では信仰信心があること自体が異端で、それも仏教系・神道系ではなく、外来キリスト教信仰しているのは異端の中の異端、更にキリスト教の中でも、末日聖徒イエス・キリスト教会モルモン教)の信者であることは異端です。キリスト教新宗教派の中でも、その教義戒律おい異端性が特に濃厚なセクトです。エホバの証人統一教会比較しても、特に異端性が強いと私は見ているのですが、最近はあたりが緩やかになっているのでしょうか。2012年アメリカ大統領選挙で、共和党の候補にモルモン教であるロムニー氏が選ばれたのは意外でした。現在キリスト教おいては、全体がリベラル色を強める中、保守回帰宗派転向する人も増えていますイギリスカトリック転向する人、中南米カトリックから更に原理主義的な新教系原理主義転向する人、そういう例もかなり見られます教皇フランシスコが先日、同性愛を容認する方向についに踏み込みましたが、カトリックからキリスト教原理主義転向する人も増えるかも知れません。

そういう中でモルモン教異端であるがゆえに、より濃厚な保守主義を維持したい人たちの受け皿として浮かび上がっているのかも知れません。

斉藤由貴宗教おいても特に異端性が強いセクト信者であるわけですから、どうしても異端性を自覚して生きてこなければならなかったはずです。それが彼女に他の少女とはまるで違う、ゆらぎのような魅力を与えています。それは純粋さ、純潔さであるように見えますが、要は世界観のずれ、であるわけです。西洋人ジャポニズムに感じたような世界観のずれから生じる「発見」「新感覚の体験」、斉藤由貴はそうした未知の体験を触れる者に与えるのです。

彼女社会おい異端であることを踏まえれば、彼女ある意味おいて「生きづらい」のも当然なのですが、それでいて彼女信仰のものを相対化するようなゆらぎをも抱えています彼女が単純に敬虔信者というならば、二度に及んだ不倫など出来るはずがないのです。彼女自身はその不倫正当化はしていません。そういう意味では信仰を維持しているのは確かですし、その行為があったからと言って「魔性の女」扱いするのは不適当ですが、それほど信仰する宗教の中にあってさえ、時にやむにやまれぬ衝動に突き動かされる、異端性を彼女は持っているということなのです。

そのセクト信者であることによって社会生活おい彼女異端なのですが、彼女自身のキャラクターによって信仰仲間の中にあっても異端なのです。それが彼女の「生きづらさ」になっていますが、事が彼女信条性格に由来するために、それこそ生まれ落ちた時点から彼女はこの異端性を抱えています。だからそれが当たり前なので、ある意味、「もはや問題ではない」のです。空が青いのと同じく、生きづらいのがデフォルトなので、もちろんそれに伴う苦労はあるにしてもそれで悩むことはもはや意味がない、だから悩まない。彼女には異端でありながら底抜け楽天主義があるとしたらその根っこは諦めの境地です。


斉藤由貴特に楽曲に恵まれたアイドルです。シングルはいずれの曲も神曲レベルにあります

作詞では松本隆森雪之丞谷山浩子作曲では筒美京平玉置浩二亀井登志夫原由子らが担当していますが、いずれも彼らのキャリアの中でも一二を争う水準の作品を提供しています。これはおそらく斉藤由貴創作意欲を掻き立てる何かがある、ジャポニズムに触れたゴッホのように、斉藤由貴によって創作トリガーを引かれる何かがあったということなのですが、デビュー曲『卒業』を例に、見てみましょう。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20130919170745

2013-08-31

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子

これまでの記事。

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論


こんにちは80年代女性アイドル格付のマスダです。

さて、今日小泉今日子の話です。と言いながらいきなり関係のない話をしますが、松田聖子聖子中森明菜明菜と呼ぶのに何ら抵抗もなく違和感もないのに対し、それと同じニュアンス小泉今日子今日子、薬師丸ひろ子をひろ子とは呼べません。私は聖子明菜は別格だと述べましたが、これもその一例です。聖子明菜は、略称として聖子明菜と呼ぶことが定着している、それくらい広範囲にわたって言及されてきたんだということが分かります

小泉今日子愛称キョンキョン自称コイズミでした。愛称で呼ぶのも距離が近すぎるので、これ以降のアイドルについては姓で呼びます


小泉のことを書こうとして数日、多分、私の人生で初めて彼女について深く考えてみました。その結果、分かったことがひとつあります。それは小泉のことは分からない、ということです。試しに考えてみてください。小泉今日子ってどういう人?って聞かれた時に、こういう人って答えられますか?

小泉今日子は三人姉妹末っ子です。これが男の兄弟が混ざっているとかならまた少し事情が違うのでしょうが小泉末っ子気質が極端に出ている感じがあります。実は私も末っ子なので、自分に引き寄せて考えてみれば、甘えん坊、世話を焼かれるのが好きというのは確かにそうなんです。そうなんですが、末っ子は単に我がままというわけでもないんですよね。末っ子同士の話ではよくあることなんですが、親とかからペットの犬などと間違われたことがある、だいたいそういう経験末っ子は持っています。犬がジョンという名前だったら、末っ子を呼ぶ時に間違ってジョンと呼んでしまったり。犬って夫婦喧嘩していると仲裁に入ってくるんですよね。末っ子にもそういうところがあります。親や他の兄弟の気分や機嫌をいつもそれとなく気にしている、我儘ではあるんですが、要求を出すタイミングをしっかりと見計らっている。そんな喧嘩なんかしないで、もっと僕に構ってよ!と思っているふしがあります

小泉は誰とでも上手くやれる人です。誰からも嫌われないし、誰も嫌わない。「ザ・ベストテン」の楽屋割などでは小泉がいると重宝したそうです。「ザ・ベストテン」に限らず、他の歌番組でも聖子明菜は絶対に接触することが無いように、番組進行は細心の注意が払われていたことを「夜のヒットスタジオ」の司会を務めた古舘伊知郎後に明かしています。これに対して明菜は、聖子とは確執なんてない、自分聖子のファンだと答えていますが、ともあれ当時はそういう注意を払わなければならない空気があったのは確かです。こういうのは美空ひばり島倉千代子のように、当人同士は好意を抱いていても「二大巨頭」みたいな立場に立たされることで周囲がそういう関係を作ってしまうことはありますので、聖子明菜場合もそういう面があったのでしょうがライバル意識のようなものが全く無かったとも思えません。

聖子明菜だけではなく、あの人は苦手、あの人は嫌という要望はそれぞれにあったのでしょうから、誰と組まされてもクレームが出ない小泉は、有難い存在だったのでしょう。

これはしらっと言っていますものすごい才能ですよ。

マツコ・デラックス小泉と対談した時に、彼女(?)は明菜ファンなのですが、

明菜が唯一心を許していたのがキョンキョンだって聞いていた」

と述べ、小泉も「まあ、そうね」みたいな受け止め方をしています。82年、デビューの年に、アイドルコント番組パリンコ学園№1」に小泉レギュラー出演しています共演者松本伊代堀ちえみ男性陣がジャニーズ少年隊(後の少年隊レコードデビュー前です)、それに山田邦子コント赤信号が絡むというそういうノリの番組でした。この番組の前の番組は「ピンキーパンチ大逆転」で、柏原芳恵松本伊代レギュラーで、ダーティーペアみたいな恰好をして悪を懲らしめる、みたいな話でした。「ピンキーパンチ大逆転」では松本伊代は80年組の柏原芳恵と組んで、「パリンコ学園№1」では82年組の堀ちえみ小泉今日子と組んでいるのですが、松本伊代が82年組と言いながら実際には両者の橋渡し的な、81年組の性格を持っていたことを物語っています。そういう番組にも出ていたので、小泉今日子松本伊代堀ちえみとの関係を悪化させるわけにはいかなかったのですが、松本伊代に友好的でありながら、果たして明菜のような人の懐に入り込むことが可能でしょうか。明菜対伊代の構図に落とし込んで、明菜側につくというなら分かるのですが、どちらとも仲良くやって、それでいて浅薄さを感じさせない、明菜から信頼される、明菜は裏表のある性格には敏感でしょうから、その明菜から受け入れられるというのは至難の業のように思えます

その難事をさも当たり前のようにやってのける、ここに小泉非凡さがあります

誰にでも合わせられるということは自分が無いということです。これは意外かもしれません。一般には、小泉は主張のあるアイドルとして認識されているからです。しかし考えてみてください。主張、すなわち強いキャラクターのある人が、多種多様企業イメージキャラクターを同時に務めることが出来るでしょうか。

アイドルの中で、リアルヤンキー経験があるアイドルと言えば小泉酒井法子ですが、酒井法子過去が徹底的に封印されていたのに対し、小泉は「それも私」と隠すことはしませんでした。紅白が終わって、そのまま地元友達と一緒にバイク初日の出を見に行って、警察に捕まったのはアイドル時代の話でしたし、それを自ら話したのもアイドル時代でした。ただ、そこには演技はありません。地元に戻ればヤンキーなのも小泉だし、アイドルなのも小泉だし、知的ハイブロウな人たちとお付き合いをしているのも小泉です。全部そこには嘘はないんです。嘘はないんですが、その部分ごとの小泉が部分でしかないために、全体の小泉ではないのも確かです。

ヤンキー一言で言いますが、小泉地元人脈の中には少年院に入った人もいるでしょうし、ヤクザになった人もいるでしょう。そういうクラスタと付き合っていて、しか公言していて、大企業CMに起用するというのも辻褄があわない話だとは思いませんか。そんな話を公言していてなお、アイドルとしては不良少女路線ではない、スキャンダルにもならない、そんなことってあり得るでしょうか。

小泉が分からないというのはそういうことです。どこにでも属していながらどこにも属していない感じ、目の前の人の話を熱心に聴きながら本質的には影響を受けない感じ、キャラクターはないのに説得力はある、そう言う人は小泉今日子以外にはちょっと見当たりません。


小泉今日子デビュー曲、「私の16才」は1979年デビュー森まどかが歌った「ねぇ・ねぇ・ねぇ」が原曲標題が違うだけ)のカバーです。

「当時、他のアイドルはポップな可愛らしい曲を歌っていたけれども、この曲は地味だった。今になって歌った方がしっくりとくる」

小泉最近そう述べています。続く「素敵なラブリーボーイ」は林寛子の唯一のヒット曲カバーでしたが、こちらは80年代当時でも古い感じはしましたが、一応はポップな路線です。林寛子小泉カバーで歌うに際して「一言も断りが無かった」と言っていますが、おそらく楽曲著作権バーニングプロダクションが所有していたのではないでしょうか。バーニングプロダクション音楽著作権事業に早くから進出した芸能プロダクションで、それが急成長の原動力になりました。他社のアーティスト楽曲著作権も保有していますから、「素敵なラブリーボーイ」の権利を持っていたとしても不思議はありません。

三作目の「ひとり街角」、四作目の「春風の誘惑」も地味な曲で、チャート順位もそう伸びなかったのですが、当時は「8時だよ!全員集合!」や「スーパージョッキー」のようなバラエティ番組でも歌のコーナーがあるのが普通でしたから、アイドルはそういうコーナーに出ていましたので、チャート順位が低くても、小泉名前は浸透していきました。「私の16才」なんかは最高順位が22位でしたが、当時の中高生ならほとんどが知っているのはそういう事情があったからです。

ついでに当時の背景をかいつまんで説明しておけば、当時はほぼ、学校を出て数年すれば所帯を持つ、女性は家庭に入るのが普通でしたから、社会人趣味にかける可処分所得ものすごく少ないのが普通でした。今は30歳、40歳まで独身がたくさんいて、AKB48はそういう中年独身男性層の可処分所得に支えられていますが、当時はそういう層自体が存在しなかったのです。ですから勢い市場に占める中高生のウェイトは非常に高く、ボリューム自体もあったので今よりははるか重要でした。

次の「真っ赤な女の子から路線を一新してここから火がつきます

コミックソングと言うか、ネタの要素が強い楽曲アイドルは実は親和性があって、シブがき隊の「スシいねェ!」は一番典型的ですが、あそこまで行かなくてもアイドルネタ性が強い楽曲を歌うことはしばしばありました。「真っ赤な女の子からヤマトナデシコ七変化」まで、小泉はそういう路線を主に担いました。

聖子さんと明菜ちゃんがいたから今の自分がある。二人がいたから、そうじゃない路線を探してやって来れた」

小泉は述べていますが、少女漫画で例えるなら、聖子が「キャンディ・キャンディ」で、中森明菜が「NANA」ならば、小泉は「桜蘭高校ホスト部」です。少女漫画の中に常にコミカル路があるように、アイドルにもその路線はあって、一般的苦肉の策として用いられることが多いのですが、小泉意識的にその路線に身を投じた人です。歌唱力などどうでもいいように言われがちなアイドルですが、やはり歌手歌手であって、長くやっていくためには歌唱力は非常に重要ですし、そういう人でないとトップにはなれません。そのため歌唱力に難がある、少なくとも当初そう思われていた人ほど、歌唱表現意外の要素で補強しようとしてネタ路線に走りがちな傾向があります

小泉歌唱で人を感動させるレベル歌い手ではないのですが、ここでも小泉ニュートラルな感じで、上手いとか下手とかそういうことがそもそも気にならないタイプですね。中山美穂器楽としてそもそも声量が無いので、彼女は当初はネタ路線で売り出されていました。

歌手として特に上手い方ではなかった小泉中山90年代メガヒットを連発するのは、別の考察必要です。本道の歌手としては弱みがあった二人はキャラクター性を強化することでセールスポイントを強めましたが、それが結果的に90年代に支持される基盤となった、ということでしょうか。

上沼恵美子中山美穂を評して、「デビューの時からずっと売れている。普通は浮き沈みがあるのに、彼女にはない」と言っていますが、同じことは小泉にも当てはまります

続く

http://anond.hatelabo.jp/20130831065335

2013-08-27

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜

80年代女性アイドル格付

http://anond.hatelabo.jp/20130821065806

を書いたマスダです。

今日中森明菜について。

(追記)

こちらを見落とされている方が結構いらっしゃるようなので。

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子

http://anond.hatelabo.jp/20130825215309

今回は松田聖子論に続く「第2回目」です。「80年代女性アイドル格付」の順位順に書いています。次回は小泉今日子です。


松田聖子もずいぶん批判されましたが、今になってみれば、いったい何が批判されたのか、よく分からないところがあります恋多き女性という印象もありますが、婚約結婚を含めて彼女は4人の男性と法的なパートナー関係を結んだ経験がありますが、いちいち結婚という形をとりたがるのは彼女価値観の基盤が実は案外保守的からです。パートナーに対して彼女が求めるのは第一に学歴を含む社会的な地位で、判断基準は「父親が認めてくれそうな男性」というところにあります郷ひろみ芸能人の中ではインテリ志向であるし、大学中退英語も話せるので、聖子は父親の眼鏡にかなうと思ったのでしょうが、結果的には無理で、それで両者の関係は破綻したのでした。聖子はそういう時には、しょせんは他人である恋人よりは父親を選ぶ女性です。

久留米に在住していた高校時代彼女久留米付属高校男子生徒と交際していたという説と、暴走族男性と交際していたという説がありますが、後者はまず考えられません。父親が許すはずがないからです。

聖子に対する批判は「女性が主体的に取捨選択をする」という生き方に対する批判で、そういう生き方一般的になった現在松田聖子批判は一体何だったんだろう、という思いがします。人格や対人関係において聖子が批判されることは少なく、あるのは分かりやす嫉妬、あるいは批判者の自分価値観において相容れない部分があるからでしょう。聖子に対する批判者として有名だったのは(後に和解していますが)和田アキ子で、基本構造スケバンぶりっ子を毛嫌いするという分かりやすい形をしているのですが、和田アキ子は実はそんなに単純な人ではなく、ホリプロ代表するタレントとしてホリプロ経営者的な視点で批判を強めたり弱めたり、批判しなかったりしています。かつてホリプロに所属し、後に独立した石川さゆりに対して、独立後ににわかに批判を繰り返したのもその例です。大手芸能事務所タレントを批判することは基本的にはしない人なのですが、サンミュージック所属タレント例外で、サンミュージック創業者相澤秀禎氏がホリプロとたもとを分かって、ホリプロをいわば「裏切って」独立したことからホリプロサンミュージックの間には静かな確執関係があります和田アキ子による聖子批判は基本的にはその文脈で理解されるべきでしょう。

研ナオコパーティー聖子挨拶をしなかったことについて、「私はあんたたちとは格が違うとでも思っているのかしら」と揶揄していますが、実際に格が違うのですから、これは現実を受け入れられない研ナオコの側の問題です。研ナオコは悪口しか言っていないと言っていいほど、この種のレベルの批判を全方位的に繰り広げていますが、そういう人なんだというしかないですね。

聖子時代象徴になってしまったため、時代に対する批判までをも彼女は引き受けざるを得なかったのですが、他の女性アイドルで批判されることが多かった人と言えば、第一に中森明菜で、第二に南野陽子です。ふたりとも弱小事務所に所属していたというところに共通点があります

けれども、南野陽子はともかく、明菜への批判は、単に事務所が小さかったからでは済まされない、執拗で熱意のこもったものでした。中森明菜はそんなに問題がある人なのでしょうか。

先日、松本伊代堀ちえみバラエティ番組で、82年組は仲が良かった、中森明菜はそうでもなかったけれど、という話をしていました。明菜とは仲が悪かったんですかと話を振られて、堀ちえみフォローしようとして、「仲がいいも悪いも、あんまり接点が無かっただけなんですよ。だから好きも嫌いもないんですよ」と言ったのに対して、松本伊代は「私は嫌いなの」と明言しました。30年以上前のこと、しかも相手は現在病気療養中の人に対してああまで悪意をむき出しにして言うほどのことが果たしてあったのでしょうか。

82年組の中で中森明菜孤立していたのは事実です。明菜と親しかったのは小泉今日子くらいで、初年度の賞レースが終われば、82年組の中で歌番組常連として生き残ったのは明菜小泉今日子くらいでしたから、明菜としては松本伊代に嫌われても何の実害もなかったでしょうが松本伊代がかなり執拗に激しく明菜を嫌っていたのは数々の証言があります

松居直美は、彼女スタッフに対する暴言などで評判があんまりいい方ではなかったのですが、「明菜とは親しくするな」と松本伊代から言われたことを明言しています。そうは言っても明菜普通にいい子だったので、そんな助言は無視した、と言っていましたが。松居直美欽ちゃんファミリーだったので、松本伊代意向など無視できたのです。

松本伊代は区切りでは82年組で、実際のデビューは81年の10月であり、82年組の他のアイドルにとっては既にスターであり、先輩格であったので、82年組の中では自然リーダーシップをとる存在になっていました。明菜孤立したのは松本伊代意向によるところが大きかったのは確かですが、明菜が自ら壁を作るような面があったのも確かでしょう。同じく批判されがちなアイドルであった南野陽子は、後から事情を聞けばもっともな事情もあり、それが彼女パーソナリティの問題ではない傍証としては友人も非常に多いことが挙げられるのですが、明菜には誰とでもうまくつきあえる小泉今日子以外には友人と言うような人はいませんでした。

新田恵利歌番組明菜と一緒になった時、挨拶に行ったら無視されたのだけれど、別のパーティー会場であった時、やたらなれなれしく親しく接してきたのでその豹変ぶりが怖かったと言っています社会人一般の社交として明菜の態度が独自基準で動いている、少なくとも一般的ではないのは確かでしょう。

ただし彼女仕事上のことは別として誰かを攻撃したり、悪口を言ったりするようなことはしていません。仮に「性格に難がある」のだとしても、彼女が関心があるのは自分生き方に限られていて、他人にどうこう干渉することは一切ありません。明菜を見ていると、果たして性格がいい」とか「性格が悪い」とは一体何なのだろうと考えさせられます。他人のことにあれこれ指図するような真似もまた性格がいいに含まれてしまうのか。ひとつだけ言えるのは、明菜のことが嫌いなら嫌いで放っておけば、何の害ももたらさない人だと言うことです。誰かを攻撃するような真似はしないのですから

ザ・ベストテンプロデューサーはこの番組を心から愛して、リハーサルから熱意を以て付き合い、他の歌手が歌っている時も熱心に聴いていたアイドルとして、中森明菜南野陽子の二人の名を挙げています80年代アイドル黄金時代を心から愛していたふたりアイドル、私は単に視聴者として二人を見ていただけでしたが、確かにこの二人にはアイドルとしての「生真面目さ」が際立っていたように思います


中森家のルーツはどこにあるのでしょうか。今一つそこに触れた文章は無く、今のところ不明ですが、中森家のありようを見ていれば、社会からやや孤立している印象を受けます中森明菜東京都清瀬市出身ですが、土着の家系なのかどうか、それが気になります。と言うのは、田舎から出てきて、転職を繰り返したような人の場合地縁血縁会社縁が切れている人が多く、創価学会はそういう人たちを対象にして成長してきたのですが、宗教によるつながりもなければ、家族でこじんまりとまとまっているケースが多いからです。「亡命者家族風景」であり、コルシカ島と言う故郷を失ったボナパルト家排他的家族的結束を強めたように、中森家にはどこか亡命者マインドがあります

明菜には友人が出来ないのではなく、作らない、通り一遍の社交以上の価値を見出さないのは、家族という単位が直接世界と向き合っている、そういう世界観を持っているからです。明菜は適性に合った役ならば、天才的と言うほどの演技を見せる、そういう才能もあります1998年テレビドラマ「冷たい月」ではかつて自分の夫を結果的におとしめた専業主婦に友人のふりをして近づき、その主婦の家庭を乗っ取って崩壊させる女を演じていましたが、おそろしいほどのはまり役で、役と役者が同一視されてしま危険すら感じさせるものでした。その後、明菜役者からは遠ざかったので、結果的にその懸念は杞憂に終わりましたが。1992年に放送された「素顔のままで」では安田成美演じる女性親友になる女性を演じていましたが、最終的には安田成美演じる女性の子を、自分の家庭的幸福を捨てて引き取って育てるという結末でした。「素顔のままで」は友情を描いた作品ですが、友人を必要としない明菜には一見合わない役のようですが、「非常に親しい人は友人と言う中間的な領域ではなく家族に組み込まれる」という中間的な領域の欠如した明菜世界観に沿った役でした。

90年代の終わりにトーク番組に出場した時、明菜は許せない相手として「共演者にはそういう人はいないんですが、スタッフはいますね」と述べています松本伊代からどれほど冷たくあしらわれようとも、松本伊代の側がどれほど強く明菜意識していようとも、明菜には伊代は視界にも入っていないことが伺えます家族ではないからどうでもいい存在なのです。スタッフある意味家族の周縁部にある存在で、ここに対して仕事をしてゆくうえで中森明菜は無条件の理解を当然のこととして要求したのではないでしょうか。それが軋轢になったのでしょう。


中森明菜は「スター誕生」末期に出てきた人で、小泉今日子もほぼ同時期にその番組から輩出されています。両者とも圧倒的な高得点合格したので、複数の選択肢の中から所属事務所を選べる立場にありました。小泉今日子は最大手バーニングプロダクションを選びましたが、明菜は弱小事務所研音を選んでいます研音はいまでは大手大手、最有力の一画を占める芸能事務所ですが、当時はめぼしいタレントがいなくて明菜に社運をかけていました。明菜研音を選んだ理由は定かではありませんが、おそらく収入等の条件が他よりも良かった、それで親がそこを選んだのではないかと思います

アイドル収入ですが、驚くほど少ないのが実態です。南野陽子は、「ベストテンで1位をとっていた頃でも月収が3万円だった。あんまりだろうと直談判したらケタが二つ上がった(100万円台になった)」と述べていますし、堀ちえみは「自分もしばらくは3万円くらいで親から仕送りをしてもらっていた。スチュワーデス物語がヒットしてようやく月収30万円に上げて貰った」と述べています

明菜は早い段階で親兄弟に店舗を持たせるなどの経済的支援をしていますから経済的な条件が他のアイドルよりは恵まれていたのは確かでしょう。ただし弱小事務所に所属したハンデはあって、賞レースでは明菜は初年度はほぼ無視されていますデビューの年にはすでに「少女A」をリリースして、メガヒットもあり、82年組の中でもトップの実績を示していたのですが、その年のレコード大賞では優秀新人賞も得ていません。最優秀新人賞を獲得したのはシブがき隊で、優秀新人賞を得たのは、松本伊代堀ちえみ石川秀美早見優でした。今から見れば冗談みたいな結果でしたが、このことは相当な物議をかもし、いくら賞が事務所の力関係が反映されると言っても、中森明菜無視しているようなら上辺だけの公平さすらないではないかと言って、作詞家阿久悠審査員を辞任しています


明菜は不良少女路線で売り出されたと思っている人は多いのですが、実際にはそうでもありません。明菜本質は「非」であって「反」ではないからです。独立しているということは何か支配的なコミュニティアンチであることを意味しません。アンチコミュニティにおいても明菜は非であることによって孤立するでしょうから明菜聖子を芸能として愛でていますが、ただ彼女とは同じことは出来ないのでした。

デビュー作「スローモーション」は来生姉弟の作詞作曲ですが、この「非」の部分を上手く捉えています明菜には主張はないのです。しかし主張がないというのは非常に分かりにくいので、「少女A」では流通やすい不良少女の側に寄り添った装飾がほどこされています

このことは、明菜には楽曲世界観彼女キャラクターにはあまり関係が無いことを示しています。もちろん聖子的な世界観を歌えば、無理があるのですが、それは聖子楽曲世界観ニュートラルではなく、それなりの主張をはらんでいるからです(何を「可愛い」とするかはそれ自体が価値判断の表明です)。

聖子の曲、に対して明菜の歌、とも言えます。これは聖子に「歌う」能力がなく、明菜楽曲楽曲としての質が担保されていないということを意味しませんが、極端に言えばそういうことになります聖子彼女歌唱力で以て楽曲表現するのです。明菜楽曲世界観に拘泥せずに自身の歌唱自体を表現するのです。ですから明菜楽曲はむしろ世界観は薄い方がいい、ステレオタイプな理解され易さがあればそれでいい、ということになります。極論をすれば架空言語で歌った方がむしろいい、ということです。明菜には異国風楽曲が多いのですが、実際、意味が分からない歌詞がしばしばサビで出てきています

明菜歌唱本質は強弱にあります。そのコントラストが激しすぎて、音割れを防ぐために強の部分に合わせると弱の部分では何を言っているかさっぱり聞こえないということもしばしば発生しています。強弱はむろん、歌詞の流れに沿っていた方がいいわけで、おおむねそういう構成の作詞になっています。逆にそれをやり過ぎると、「聞こえない」が発生してしまうわけです(「難破船」がその例です)。「DESIRE」が明菜にとって代表曲であり、一番資質にあっているのは、尖った表現が全編にちりばめられていて、弱の強調をやり過ぎていないからです。彼女の力強いロングトーンが、弱が強調されていないために強の中の強として印象付けられる構造になっています

スローモーション」でも声は幼いのですが、「やはりあなたと一緒にいたい 一言 書きあぐね」の部分で、既に彼女歌唱本質を見せています。(失礼しました。これは「トワイライト」の一節でした)

中森明菜楽曲には歌唱を見せる工夫は必要なのですが、それはプロ作詞家作曲家ならば心得ていることです。統一的な世界観のようなもの必要が無い、むしろあってはならないのですから松田聖子プロジェクト匹敵するようなサポート体制を明菜必要しませんでした。

様々な作家彼女楽曲提供していますが、聖子における財津和夫細野晴臣松本隆大瀧詠一佐野元春松任谷由実のような「企画者」はいませんでした(それにしてもちょっとあり得ないような豪華な面子です)。

ある評論家は、松田聖子プロデュースにおいては基本的に松本隆がひとりで担当した、だからいろんな面を出そうとして聖子楽曲には多様性がある、しか中森明菜は複数の人がそれぞれ別個に担当したため、マスイメージ中森明菜に沿った同系統楽曲ばかりになった、と述べています。私も基本的にはそういうことなんだろうなと思います


成功者家族で平常心を維持できない人は結構ます。大きなマネーが動くだけに、親と子は別人格、別世帯、別会計ということが分かっていない、仮に頭で分かっていても「これくらいしてくれてもいいのに」となってしまう人は多数いますアイドル歌手に限った話ではありません。子供への影響力が自分経済力イコールになるのですから子供結婚独立を嫌う人もいます名前は出しませんが、そういう例はたくさんありますよね。浪費型には娘に対する母親が陥ることが多く、管理型には父親が陥ることが多いようです。男性芸能人場合は、結婚は「嫁を取る」という形にまだまだなりやすいので、結婚を機に別世帯であることをはっきりさせるのもやりやすいのですが、女性芸能人場合は、私のものである娘、うちの財産である娘を結果的に婚家と争って取り合う形になりやすく、娘は夫をとるか実家をとるかの選択を迫られることになります

http://anond.hatelabo.jp/20130827181234

(続き)

2013-08-21

80年代女性アイドル格付

ブログ開設しました。

http://hanabusatokiichi.hatenablog.com/

あまちゃん」見ていた甥っ子が、キョンキョン薬師丸ひろ子を見て、「この人たち、松田聖子より人気があったの?」と聞いてきた。

そんなゆとりな彼のために、80年代女性アイドルの当時的な感覚での格付けをやってみる。

第1位 松田聖子

代表作品:「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「赤いスイートピー」/『野菊の墓』など。

言わずと知れたアイドルの中のアイドル。絶対正義。高度経済成長から、安定成長へ、そしてバブルへと向かう世相の中で、松田聖子が時代を代表出来たのには彼女の生い立ちによるところも大きいと思う。一点の曇りもない地方の中産階級、そんな彼女には貧困も、学園闘争も、無縁だった。60年代加山雄三的なるものから70年代の四畳半フォーク時代を飛ばして直結していると言えるが、加山雄三が曇りが無いように見えても階級社会的な側面や敗戦国国民のてらいのようなものがあるのに対して、松田聖子徹頭徹尾能天気であった。彼女は日本が初めて獲得した、先進国アイドルであった。

第2位 中森明菜

代表作品:「少女A」「DESIRE」「難破船」/『素顔のままで』など。

80年代の曇りのない時代性に松田聖子シンクロしたのに対して、中森明菜は裏シンクロしていたと言えるだろう。彼女の性向が松田聖子的なるものにアンチであったわけではない。彼女自身、松田聖子シングルアルバムはすべて聞き込んでいることを公言しているように、彼女は松田聖子的なるものの渇望者であった。しかし彼女の生育環境が、松田聖子的なるものから遠い場所に彼女を置いてしまった。松田聖子は唯一の兄が普通に私立の進学校を経て早稲田大学を出ているが、中森明菜の家族の中には四年制大学を出た者はいない。松田聖子が家庭の教育方針も含めて「きちんとした家」の出であったのに対して中森明菜はそういう家の出ではなかった。山口百恵母子家庭で育ったゆえに貧しい環境の生い立ちであったが、後に彼女を利用しようとした父親を早い段階で義絶するなど、厳しい倫理観を持っていたのに対し、中森明菜の家庭は「四年制大学に行くのが当たり前の時代にあって、方法を求めれば大学に行けなくもないのに、大学に行くという選択を考慮しない家」であった。60年代、70年代における低学歴80年代における低学歴は意味が違う。中森明菜は貧困ではない、戦争でもない、家庭環境のキャラクターのせいで、80年代メインストリームから取り残された層を代表するアイドルであった。ヤンキー映画「ハインティーンブギ」に主演した近藤真彦に対して見せた彼女の執着も、中森明菜のそうしたキャラクターに由来している。

第3位 小泉今日子

代表作品:「真っ赤な女の子」「ヤマトナデシコ七変化」「なんてたってアイドル」/『生徒諸君!』『あんみつ姫』など。

彼女は「そこそこ」の人だった。演技力もそこそこ、歌唱力もそこそこ、下手ではない。デビュー曲カバー曲であったことからも分かるように、バーニングプロダクションは彼女が聖子に匹敵するようなアイドルになるとは期待していなかった。小泉今日子は結果的にセルフプロデュースで大きくなった人であるルックスは82年組の中でも特に可愛らしかったのだから、トップアイドルになったのは不思議ではなかったが、アイドルたちのひとり、から抜け出してきたのは、松田聖子が日本社会の経済面を担い、中森明菜が社会面を担ったとすれば、文化面を担うと言う決断をある時期に、彼女がなしたからであった。そういう意味では、オタクの愛玩的な性格を強めてゆくその後のアイドルの先駆けをなした人であるが、彼女が直接のターゲットにしたのはニューアカデミニズムであった。それが下世話にならない選択であり、それは社会にまだハイブロウ雰囲気があればこそ可能なのであった。それがバブル崩壊で日本経済が自信不信になり、社会世相が暗くなってから、むしろそれ以後に、ハイブロウライフスタイルを体現する生活アイドルとして彼女が支持された理由だった。

第4位 薬師丸ひろ子

代表作品:「セーラー服と機関銃」「メンテーマ」「woman~Wの悲劇より」/『野生の証明』『翔んだカップル』『ねらわれた学園』『セーラー服と機関銃』など。

薬師丸ひろ子アイドル歌手と言うよりは角川映画の女優であって、立ち位置的には他のアイドルとやや異なるが、彼女にとっては余技であったアイドル歌手としての実績も十分である。系譜的にはアイドル的な先駆者はおらず、むしろNHKの少年ドラマシリーズのようなジュブナイル的なものの延長に彼女はいた。小学生などからの支持は無かっただろうが、中高生の理系的な男性が支持層の中心にいた。2010年テレビドラマ『Q10』では彼女は化学教師を演じているが、教師を演じるなら彼女は理系だろうなと思わせる雰囲気があった。

第5位 中山美穂

代表作品:「生意気」「派手!!!」「You're My Only Shinin' Star」/『毎度お騒がせします』『BE BOP HIGHSCHOOL』『ママはアイドル』など。

中山美穂は路線的にはきつい顔立ちであることもあって当初は「不良少女路線」であり、『毎度お騒がせします』『BE BOP HIGHSCHOOL』もその路線に沿った出演作品だった。11作目のシングル「501/50」あたりからフェミニンな路線に入り、以後、5作連続してオリコン1位を獲得している。デビュー時と路線を変えて大きくブレイクしたというのは小泉今日子もそうだが、中山美穂の場合は、キャラクターまで変えてきたのが大きかった。

第6位 工藤静香

代表作品:「抱いてくれたらいいのに」「黄砂に吹かれて」「慟哭」など。

工藤静香おニャン子出身であり、うしろ髪ひかれ隊でも堅調なセールスを示していたが、ソロになってからは一躍トップアイドルになり、聖子、明菜、小泉今日子がそれぞれアイドルというステージを脱してゆく中で、アイドル四天王のひとりとして遇された。彼女の特徴はCDセールスが非常に高いことで、これは90年代にかかって、いわゆるカラオケブームに伴うCDがやたら売れると言う時代に差し掛かったことにもよる。シンガーの作品として楽曲が評価されていた、ということでもあるが、彼女には映像作品にはこれという代表作は無い。(南野陽子の最高売上シングルは「吐息でネット」で30万枚。工藤静香の最高売上シングルは「慟哭」で94万枚)。

第7位 南野陽子

代表作品:「楽園のDoor」「話しかけたかった」「はいからさんが通る」/『スケバン刑事(第2期)』『はいからさんが通る』『熱っぽいの』など。

勢い的には、第5位につけてもよかったし、個人的にはファンであったので、そうしても良かったのだが諸々を考慮すればこうなるのかなと思う。第6作のシングルから8作連続でオリコン1位を獲得という快挙を成し遂げているが、その記録の割には、記憶に残る楽曲が少ない。実際、彼女の歌は、中山美穂工藤静香と比較して、順位は高くまで行くが落ちるのが早い印象があり、セールス額もそれを裏付けている。中山美穂工藤静香には女性ファンも多かったが南野陽子には稀だった。そのファン層の狭さが素質的には抜群であるのに、ついに頂点を極められなかった理由だろうか。そういう意味ではアイドルらしいアイドルであり、彼女がアイドルの世界を心から愛し、自らを律していたことについては数多くの証言がある。事務所の不手際でふたつの事務所に属することになったため、ダブルブッキング等が頻繁に発生し、マネージャーを厳しく叱責していた姿も知られているが、アイドル的なものに対するプロ根性のあらわれだろう。

第8位 斉藤由貴

代表作品:「卒業」「初戀」「悲しみよこんにちは」/『スケバン刑事(第1期)』『はね駒』『はいすくーる落書』など。

東宝芸能の所属であり、アイドルと言うよりは女優のイメージが強い彼女だが、デビューから継続してシングルチャート上位に入れている。斉藤由貴が世間を騒がせた恋愛事件は二件とも不倫であったので、「魔性の女」とも言われたが、その言葉からほど遠いキャラクターである。やった行為で言えば、確かに二件の不倫の当事者なのだが、「魔性の女」という言葉を用いた人でも、その言葉から連想されるような女性とは彼女は異なることは分かっていただろう。宗教上の理由もあるのかもしれないが、彼女は世間ずれしていなくて、不必要なまでに一生懸命な印象であった。「悲しみよこんにちは」では紅白初出場で紅組キャプテンを務めたが、いつになく「由貴ちゃんのために」と紅組がまとまっていたように、芸能界特有の嫉妬や自己顕示欲とは無縁の人であった。

ブコメがたくさんついていて驚いた。とりあえず甥っ子には好評でした。

9位以下を書いていないのは疲れたからです。

個人的には、9位 菊池桃子、10位 原田知世、11位 柏原芳恵、12位 河合奈保子、あたりじゃないかと思います。浅香唯は実働が短かったので、柏原芳恵あたりと比較するとその下くらいなのかなと。

ちなみに、松田聖子中森明菜南野陽子斉藤由貴についてはファンクラブの会員でした。おニャン子からは14位くらいに河合その子が入るのかなあと思います。

9位以下を書いてみます。

そう言えばグループは書いていませんが、おニャン子クラブは全体としては、小泉今日子の下くらい、もしかしたら中森明菜の下くらい、でも明菜より上には絶対に行かないくらい(それくらい聖子と明菜は別格です。ケタが違います。聖子と明菜以外を全部足してもまだ聖子と明菜には及ばない感じです。聖子と明菜は日本芸能史全体を通しても突出しています)、WINKは実働が80年代末期に偏っているんでどっちかというと90年代の人という印象なんですが、斉藤由貴の下くらいなんじゃないかなと思います。ribbon とかは年代的に対象外です。おニャン子ユニットでは、後ろ髪ひかれ隊が斉藤由貴あたりと同格、そのすぐ下にうしろ指さされ組(高井麻巳子ゆうゆ)あたりが入る感じです。ニャンギラスは…ま、いいですよね。おニャン子ではなかじが好きでした。「じゃあね」は名曲っす。ただ今回はグループは除外と言う方向で。グループで言ったら、あと「わらべ」とかね。

第9位 菊池桃子

代表作品:「卒業」「もう逢えないかもしれない」「SAY YES!」/『パンツの穴』『アイドルを探せ』『君の瞳に恋してる』など。

彼女は東京出身なのだが、個人的にずっと北海道出身と誤解していた時期が長くて、なんでそう誤解してたんだろうと思うと、非常に素朴な、ピュアな感じがしたからだと思う。本当のところは知らないが、おっとりとした上品な感じがする女性で、『パンツの穴』なんていう映画に出ていても、下品な感じにはならない、でもちょっと男の子の側に寄り添ってくれるような、そういう雰囲気を持っていた。普通はそういう女性は女性からは嫌われるんだけれど、良くも悪くもあんまり印象に残らないというか嫌われないのはいいことだけれど、女性から見ても、妹キャラというか、強く女を感じさせる存在ではなかったのかも知れない。独特の、女性というよりは幼女のようなフェミニンな印象からか、彼女のアイドルとしての活動時期には「桃子」と言う名前が新生児の命名の上位を占めることがあった。何というかそういう親から見て良い娘的なそういうポジションに素直に入り込んだ人であった。彼女の代表曲としては、実は「アッイッはこころのーしごとよー」のアイマイミーマインなRA MU時代の楽曲が世間では一番強く印象に残っているのだろうが、それを代表曲に選ぶのはあんまりだと思った。RA MU で迷走した彼女だったが、90年代にはトレンディ女優の一画を占め、アイドル時代よりも大成功した。

第10位 原田知世

代表作品:「時をかける少女」「天国にいちばん近い島」「早春物語」/『時をかける少女』『天国にいちばん近い島』『早春物語』など。

松任谷由実薬師丸ひろ子にも原田知世にも楽曲を提供しているが、彼女が言うには、原田知世は鉛筆で例えるならば2Hで薬師丸ひろ子は2Bらしい。言い得て妙だと思う。原田知世には肉感の無い、サイバーパンクな感じがあるんですね。顔立ちもいわゆるアイドル顔ではなく、と言って和風と言い切れる顔でもなく、どこかメカニックな感じがする。たぶんここまでの人たちの中で一番、初音ミク的なフォルムがある。世俗的ではないんだけれども、宗教的な超越に向かうんじゃなくて、SFっぽい方向に行くような、そういう感じがあって、オタク的な性向のある人たちには熱狂的に支持されていた。サブカルクラスタ的には彼女がたぶん80年代を代表するアイドル。逆に言えばそこを越えては広がっていかない感じ。「時をかける少女」の頃はアイドルが歌が下手と言っても限度があるだろ的な下手さであったが、不思議なもので、シンガーとしてのキャリアは、二大歌姫(聖子と明菜)を除けば彼女が一番長いし、独自の境地を切り開いていると思う。彼女の歌には情感はかけらもないが、それがむしろユニークな歌唱になっている。

第11位 柏原芳恵

代表作品:「ハローグッバイ」「最愛」「あの場所から」「春なのに」/『ピンキーパンチ大逆転』『山河燃ゆ』など。

たぶん美人で言ったら、彼女はアイドルの中でもナンバーワンに美人なのだが、「かわいい」が受けるアイドルとはそもそも路線が違う顔立ちで、彼女のファンだと公言するのはやたら生々しい、女、に直結する印象があった。美人であるがゆえに、80年代の土壌ではトップにはなり難い顔立ちだったのだが、女性をめでる基準がアメリカ的というか、日本よりはむしろアメリカに近いアジア発展途上国アメコミが大人気、的な)では非常に強く支持されているアイドルだった。ただしアイドルとしてデビューして、数年たってから彼女はヒット曲を連発していて、みんな知っている代表曲がわりあい多いアイドルでもある。ただそれも、わりあい歌唱力が高いのと、楽曲の良さが相乗した結果であって、歌手としてのヒットであってアイドルとしてのヒットとは言い難い(歌手としてはそれは名誉なことだが)。ドラマでは早くに本格的なドラマに出演するようになったのは、彼女の素養がむしろそちらにあると考えたからだろう。大河ドラマ山河燃ゆ」では長男・自殺、三男・日本兵として戦って敗戦の傷を負う、三男・米兵としてヨーロッパで戦い失明、という天羽家にあって希望の光のような末の妹を好演していた。90年代以降は2時間ドラマの常連になる。

第12位 河合奈保子

代表作品:「大きな森の小さなお家」「ヤングボーイ」「けんかをやめて」など。

デビュー曲「大きな森の小さなお家」は女体を連想させる歌詞になっているが、ポスト百恵の時代、試行錯誤が行われていたことを示している。彼女は「秀樹の妹」コンテストから出てきたのだが、ロリコンチックな、吾妻ひでお的なオタクアイドル的な扱われ方であった。「ヤングボーイ」の振り付けは彼女の巨乳を強調するもので、あきらかにセックスアイコン的な意味が含められていたのだが、当人がそれに気づいていない風な育ちの良さのようなものがあった。「おかあさんといっしょ」のお姉さん的な素朴さというか。突っ込んでいけば、気づいてないわけねえだろ的な悪態は可能であったが、そこまで抑えて抑えて、加工して加工しなければ、女性に接することが出来ない、いわばそう言う層を彼女はメインターゲットにしていた。彼女の代表曲「けんかをやめて」はそういう路線を変更する、オタク層には逆鱗に触れるようなビッチ女性の態度を優しくオブラートに包んで提出したものだったが、なにぶん、当の河合奈保子キャラクター的に素でお嬢さんであったため、路線変更はうまくいかずいったんそこでフェイドアウトしている。後に、シンガーソングライターとして一時的に復活した。

第13位 浅香唯

代表作品:「C」「虹のDreamer」「セシル」/『スケバン刑事(第3期)』

うちのカミさんカラオケに行ったら、必ず「セシル」で締めるんだが…。浅香唯は『スケバン刑事』でブレイクしたのだが、オリコン1位をとったのは4作品と、アイドル四天王の中では実績が一番小さい。ブレイクが1988年、「ザ・ベストテン」が終わるのが翌年の9月だから、いわゆるアイドル黄金時代の末期に出た人である。その活動期間の短さが、結果的にスーパーアイドルとまではいかなかった理由か。

第14位 荻野目洋子

代表作品:「ダンシングヒーロー」「Dance Beat は夜明けまで」「六本木純情派」/『早春物語』

そうだろうよ。実績から言ったら、彼女は岡田有希子よりものりPよりもアイドルとしては上だろうよ。でも誰も「荻野目洋子の名前がない!」とは言わないんだよね。そういう感じなんですよ。そういう感じのアイドルなんですよ。そもそも彼女は低迷時代が長くて、ユーロビートを歌うようになってから、ダンスミュージック的なジャンルにかかって出てきた人なんで、ルート的には長山洋子とかと同じタイプなのだが、そのわりには顔立ちがアイドルアイドルをしていて、ブレイクしてからどんどんアイドル色を強めていったという、普通は逆にアイドルアーティスト色を強めていくのだが、彼女は逆だったという珍しいパターン

第15位 本田美奈子

代表作品:「Sosotte」「1986年のマリリン」「the Cross ~愛の十字架」/『ミス・サイゴン

シンガーとしては本物の天才であり、そのことはアイドル時代を脱してから、ミュージカルスターとなってから証明されたが、アイドル時代は「アイドルにしては歌が上手い子」程度の扱われ方だった。それは売り出し方が適切ではなかったからではないか。歌が上手いと言っても、情感があるとか、テクニックがあるとかいろんな意味合いがあるが、彼女の場合はフィジカルポテンシャルに負う部分があって、言い方は悪いが「歌う機械」としてはロングトーンの能力はたぶん人類史上最高の能力を持っていた。それを活かす楽曲ではなかった。本田美奈子は元は演歌歌手志望であったように、彼女の適性を活かせる楽曲を探し求め続けた半生であったと言えるかも知れない。なまじ顔立ちが愛らしかったため、小悪魔的なアイドルとして売られたのは彼女にとっては不幸なことだったかも知れない。『ミス・サイゴン』のオーディションではしょせんアイドルくずれと鼻で嗤っていた者たちも彼女の歌を聞いて圧倒されて身動きも出来なかったと言うが、あれほどの才能にして、アイドルと言うパッケージに入れられれば、そのパッケージしか見ない者がどれだけ多いのかということを示している。聖子や明菜についてさえ、「歌が下手」と言ってはばからない不見識の者が多かったが、あれから30年が過ぎて、何もわかっていないのはどちらだったのか、歴史が証明している。時が過ぎるのは悪いことばかりではない。

第16位 岡田有希子

代表作品:「ファーストデイト」「Love Fair」「くちびる Network」/『禁じられたマリコ』

彼女はこれからというところだった。徐々に売り上げを伸ばしていて、8作目のシングルくちびる Network」(事務所の先輩の松田聖子の作詞)でついにオリコン1位を獲得して、ようやくトップアイドルになったばかりだった。ポスト聖子を担う、サンミュージック大黒柱になるはずだった。おそらくアイドルの中では傑出して頭がいい子だっただろう。ノーベル賞受賞者を輩出している、愛知県でも有数の進学名門高校を彼女はアイドルになるために中退している(そして堀越学園に転校)。進学校にいる女子生徒は、もちろん頭もいいのだが、男子の場合は野心のようなものがあるのに対し、むしろ野心の欠如というか、従順性の結果として勉強をしている子も多い。岡田有希子も基本的にはそういうタイプの子で、彼女は望みさえすればキャリアウーマンにもなれるような道を選ぶことが出来たのだが、そちらの路線には価値を見出さずに、小さな女の子の時の夢のままに、アイドルになるという選択をした。ああいうことになって親御さんはどれほど悔んだだろうか。彼女は天然ボケというか、悪意があって周囲が彼女にセクシャルなことを言わせようとすると笑顔でなんにも気づかずに、それを言ってしまうようなところがあった。お笑い系のいじりでは「またー、変なことを言わせようとしてー」みたいなうっふきゃはは的なのりを期待していたのだろうが(そういうのが一番うまいのは松本伊代だった。天性のチーママである)、岡田有希子はうかつにいじれない、危険物っぽいところがあった。その純粋さが、衝撃に直面した時に、他人の何倍もの痛みになって彼女を殴打したのかも知れない。合掌。

というわけで、8の倍数ということでここまで。

15位が抜けていたので、入れました。本田美奈子です。河合その子や、82年組のその他の人たちが入っていないのは、「おニャン子を排する」「ママドルっぽい人たちを排する」とかそういう基準があるわけじゃなくて、評価としてこの下だということです。標題をつけました。

数字は敢えて重視していない

客観的な数字としてはレコード売上があるけれど、参照はしてもそれだけを基準にしていないのは、80年代、活動時期を90年代に延ばしても、それなりの時間幅があるからです。ちなみに筆者は1971年の生まれで、正確に言うならば、松田聖子ファンクラブの会員だったのは筆者の姉です。南野陽子の最初のアルバムレコードで買って、それ以後をCDで買ったという世代です。松田聖子はあれほど売れながらもミリオンは90年代の「あなたに逢いたくて」しか出していません。中森明菜はゼロです。一方、小泉今日子は90年代にミリオン2枚(合計すれば300万枚を越えます)、中山美穂ミリオンを2枚出していますから、シングルセールス的にはひょっとしたらキョンキョン中山美穂は二大歌姫を上回るのですが、時代が違うから同じ基準では較べられません。より客観的な基準でレコードセールスを示している人もいますが、それだとかえって評価が歪められるのです。レコードセールスなどの記録は後からも参照できますが、歴史的な要因を補正して提出できるのは同時代人の見方だけです。これは個人の主観ではありますが、そうであるがためにかえってセールス記録を見るよりも客観的だと思います。

自分としてはアイドル黄金時代の終わり=ザ・ベストテンの終焉だと思っています。ザ・ベストテンは、音楽の趣味が多角化して、バンドブームの時代に対応できなくなったから終わったわけですが、逆に言うと、それ以前は日本人全体がひとつの文化環境を共有していた、そういう最後の時代だったということです。ですから80年代を生きた人なら、特別その人のファンではなくても、ここに上げられている楽曲のほとんどを歌えるはずです。

 
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