はてなキーワード: コピーバンドとは
面接が終わって帰る時、その男は、ひとつ前の受験番号だから一緒に帰った。
俺は合格したけど、朝起きられなかった。
7月頃、学校の近くで、俺が受験した時、前にいた男と再会した。
奴は髪を立てて、ベースを持ってた。
「よう、あの時の奴だろ? 俺だいぶ前から気付いてたけど、
その時話してて、その男は俺の近所に住んでて、
クラスの奴とBUMPのコピーバンドをやってることがわかった。
そいつは俺にギターでBUMPのコピーバンドを手伝ってくれ、と言い出した。
俺は断り、俺が歌ってギター弾くからバンドやらねえかと誘った。
ベースと二人で「グリザイア」って言うクズバンドに入ろうとしたことがあった。
こっちから
「やっぱりやめるわ、お前んとこ潰したるわ」
そう言って電話を切った。
こちらの募集記事みて「ドラムやってます」と言ってきた男とベースも一緒に高円寺で会った。
安っぽいインドカレー屋だった。俺はキレて
お前何見て電話してきたんじゃ、
カス、俺達のメシ代も払っとけ!」
そう言って二人で帰った。
何の期待もしてなかった「ぴあ」の募集記事を見て電話してきた男と会った。
そいつは、やけに暗い目つきをしてて、一発で俺とは気が合わないと感じたけど、
ドラム歴8年と大きいことを言い、割とパンク、ハードコアも知ってたから採用した。
何か冴え無い奴と思ったけど、3人でスタジオに行った。
この面子でやってくことにみんな納得した。
当時、高円寺のスタジオで週2回練習し、だんだん曲も増えてきた。
後はコンサートをやるだけなんだけど、俺も含めて全員知り合いが居ない訳。
当時は誰も知り合いが居なかった。
新宿のJAMで消毒ギグってコンサートを企画してたシンって奴が居た。
俺は奴に「殺意」のデモテープを渡して何とかコンサートに出してくれって頼んだ。
ライブハウスもすぐには出してくれなくて、昼間 オーディションを行ったりしてた。
「次のコンサートも、もう決まってるし、しばらく出せない」
と言う返事だった。
俺は何かムカついて
「いいじゃねーか、Forwardみてーなバンド出すぐらいだったら、俺達の方を出せよ」
そう言ったが、奴は
「そんなこと言われる筋合いは無い」
確かそんなやりとりだった。
結局知り合いが居ないとコンサートにも苦労する。
俺は、自分ではやけに丁寧に書いたつもりの手紙も添えて送った。
「今度のバースピに出てもらえないかなぁ」と言われ、俺はすぐに了承した。
そのことを2人に言うとみんな喜んでた。
年が明けて、1月半ばが初ライブに決まった。
初めてのコンサートだからよく憶えている、下北沢SHELTERってとこだった。
それで、初ライブだけど、さっぱり受けなかった。
ステージの前だけガランとしてて客は後ろの方で観てるだけで。
俺の次に出たガバメントはやけに盛り上がって、結局メンバーは落ち込んでたな。
「Slangつまんないんだって?」
俺はその通りと言いたかったけどそんな状況じゃない。
適当なことを言ってその場を凌いだ。
確かシンに電話で話した時俺は、「Slangはつまんない」って言った。
それを、KOにチクッたんだと思う。
その数日後に新宿で
「今度の消毒ギグに出てほしい」と言われて、俺はすぐ了承した。
その頃こんな出来事もあった。
この前、「Slangつまんないんだって?」そう言われたからね。
それから、KOが来てやっぱり友好的で、
「いやまだ作ってない」そう言うと
「コピー代もばかにならないから、前に俺がバイトしてたとこでコピー機借りれるから、
用紙だけ買えよ」って言われた。その後KOの家に三人で行った。
結局俺はラッキーだったのか、その頃知り合ったハードコア関係の奴とは、
特に揉めたことは無い。まぁ、俺のことを嫌ってる奴もいるだろうけどね。
当時は、俺達にしても、せいぜい20分ぐらいの演奏時間だった。
それに客も今みたいに多くなかったからSlang、Gauze、Forwardと
まとまってライブをする方が得だった。
大体観に来る奴もいつも同じ様な感じだったしね。
その頃、一番面白かったライブは、東大でのオールナイトライブだ。
かなりたくさんバンドも出たし、東大の学生ともめて、ガラス壊したり、
俺がヴォーカルで、Poison Arts、Gism、Executeの曲をカバーしたりした。
その後、俺達も順調に活動してて、ある日、P-Vineからレコードの話が舞い込んだ。
1万円より安かったかもしれない。俺はそれを聞いて頭にきた。
そんなもん売れるに決まってる。
てめぇのとこで宣伝して費用はプレス代とジャケット代だけだから、
俺はP-Vineの儲けに加担したくない。
メンバーも俺の考えに納得した。
その頃はけっこう楽しかったね。
ベースと二人で高円寺の小さなロックバーで「腹減ったなあ」と話していたら、
知らない男が話しかけてきて、俺達の飲み大全部払ってくれて、
ビビりながらついてくと、荻窪のでっかい十字架のある小さな教会に連れて行かれた。
神父ってやつが出てきて、「この方は何百万も寄付してくれている」って笑いながら礼拝堂へ連れて行った。
そこで服を着替えさせられて、
「ハレルヤと早口でつぶやきなさい。うまく言えなくなるでしょう、
と言われ、「ふざけんな、そんなもん、早口で言えるわけねぇだろ」
そう思ったけど、メシおごってもらわないとどうにもならないからね。
なんか、RAPTとかそんな名前の宗教だったのかよくわからないけど。
そのことを、練習の時に話したらやけにドラムがぶつぶつ文句をいいだした。
俺も笑い話程度のつもりで言ったんだけど、だんだんムカついて練習やめて帰った。
その辺を境に俺とドラムは疎遠になっていった様に思う。
それと、あるライブでベースがドラムに蹴りを入れて、ドラムが演奏中に帰ったこともあった。
確かその日は、みんななぜか機嫌が悪くて
2曲目か3曲目の途中でベースが
気合いを入れる為にベースの背中を蹴った。ドラムはムカついてすぐ居なくなった。
ドラムが居ないんだったらもう演奏は出来ない。それで途中で中止となった。
俺もムカついたけどとりあえず、ベースと二人でドラムの家に行った。
多分その辺のこともあってドラムはバンドをやめようと決めたと思う。
その年の11月、1stシングル「悪魔のざわめき」のレコーディングを行った。
新宿JAMってスタジオで、各パートのバランスを決めて一発録り。
それから、どのテイクにするかみんなで決めて、
全部で300枚リリースした。
すぐにリリースしたかったけど、制作費はメンバーの持ち寄りだから、
1月にリリースした。
けど、俺にはひとつの考えがあった。
こっちで作ったレコードを店に置いてもらう場合販売価格の数十%を
手数料として店に取られる。
買えない奴は通販で直接売ればいい、そう思った。
本当に欲しかったらどうしても手に入れるだろ?
それにたった300枚プレスだし。
店に数十%パクられるのもムカつくしね。
そう質問されて、俺は、
「愛だよ」そう答えた。
俺はこのツアー中あんまりメンバーとしゃべってないように思う。
「俺、やめるわ」
俺は、引き止めることなく、「そうか、しょうがねぇよな」そんなふうに答えたと思う。
とりあえず、ドラムは脱退した。
ところで、俺は茨城出身だけど、地元でドラムをやってるやつがいた。
俺はそいつと話して「ドラムを一ヶ月手伝ってくれないか?」そう言った。
それで、スタジオで演ってみたら、まるで出来ない訳。
今さら帰れとは言えないしね。
一番大変だったのはドラム本人だ。
奴のプレッシャーは桁外れで、毎日ずっとドラムを練習していた。
そいつのおかげで、京大西部講堂、それと大阪で二回のライブを無事に演れた。
あと、書こうと思ってて忘れてたことがあるので書く。
それは写真について。
他のバンドと比べて雑誌での写真が少ないと思うかもしれないけど、理由がある。
music magazineが「日本のハードコアバンドの特集をするからインタヴューを受けて欲しい。」って。俺は了承した。
なおさら載せたくない。
連中は「それならコンサートの写真はどうですか?ちょうど、この後のライブで写真を撮ります。
俺はさらに態度を硬化させ、
ライブは観るもので、写真を撮ったり録音するもんじゃねぇーんだよ。」
そう書いてあった。俺にはそんなポリシーは無い。
それ以降、写真嫌いが定説となったけど、ライブでの撮影は見つけ次第やめさせた。
けど、まずはドラムを早く見つけることだ。
俺達にとって、初めての本格的なやつだ。
一発録りじゃないって意味でね。
初めてだったし、録音中はでかい音だし、
各パートのバランスまで、プレイバックの音が大きいから分からなかった。
けどこの失敗作から学んだこともある。
それはそれ以降のレコーディングに生かされたと思ってる。
それ以前は借りたギターだった。
ベースが辞めた後も壊れるまで使った。
これでニ代目のドラムが決まった。
是非参加してもらいたいんだけど。」
俺はすぐに了承した。
この時のレコーディングは前回の失敗もあったから、かなり考えた。
途中でハウリングが耳につくけど、ハウリングも好きだからそのままにした。
レコーディングが終わって、静岡でライブの話が来てその時、問題が起こった。
ライブの後、いたれりつくせりで俺達は上機嫌だった。
確かスナックに連れてってもらった時そこで俺とドラムがささいなことで喧嘩になった。
お互い酔ってたから殴り合いになった。
「てめぇが一番ムカつくんだよ!」俺はそう叫んだ。
帰りの車の中は最悪だった。
誰も口をきかないしシーンとしてた。
けど奴の目論みははずれた。
その結果ドラムは抜けざるを得なかった。まぁクビってことだ。
それと同時に色々メンバー募集もしてけど、ドラムは決まらなくてね。
だから、コンサートが決まると誰かヘルプを探して、けどへたな奴では無理だしね。
それでガーダシルのドラムにサポートを頼んだ。ちょっと、記憶が定かじゃないけど。
俺はそいつがガーダシルでドラムを演ってるのがもったいないと思ってたしね。
その次のライブは、年が明けて3月屋根裏でのハードコアのオールナイトライブだった。
話は変わるけど、「記憶の奥の悲哀情」って曲はかなり前からあった。
まぁ、ハードコアっぽく無いけど、
それは俺の音楽遍歴にも「記憶の奥の悲哀情」を作った理由がある。
俺と直接付合いのある奴ならよく分かってるだろう。
詳しく書くとかなり長くなるから省略するけど、
まず初めてショックだったのはSex Pistolsだ。
ウィンザー家とか、イルミナティの悪口を気軽に歌にしているのが衝撃的だった。
それは"反抗"だ。
これを読んでる奴も反抗することを忘れないで欲しいね。
イルミナティになぜか逆らいたくなる、それで充分じゃない?
俺は今でもそんなガキだ。
話がそれたけど、その次がDischarge。理由は分かるよね?
次に注目したのはグランジだ。
その中でも俺にとってDischarge並に衝撃的だったのは
RYOTA BAND、al.ni.co、亜矢、秋吉契里だった。
Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなんかのヴィジュアル系も好きだったし、
そっちの方にかなり傾いていったのは確かだ。
音楽に全く興味がなく、歌も教科書に乗っていた、滝廉太郎の「花」ぐらいしか知らず、その歌を、閉鎖的な学校世界から抜け出したくて、窓の外に向け、怒鳴ったりしていたくらいだった。
ああ、そうだ、忘れていた。遊戯王のエンディング曲「明日もし君が壊れても」が好きだったんだ。
そういうわけで俺は、全く音楽を聞いていなかった。音楽って「大人が聞くもの」ってイメージがあったし、なんか恥ずかしくて。だから聞こうとも思わなかった。
歌に音程があるということすらも理解できず、楽譜を見ても、歌詞の上に、なぜ音符が書かれているのか、全く意味不明だった。
音楽の授業中、教師に「旋律ってなんですか?」と聞いても「旋律は旋律だ」としか答えてもらえず、学ぶ気も、木っ端微塵に消え失せていた。
ある日俺は、授業をサボって、コンピュータ室に忍び込み、動画サイトを見ていた。
そして、訳も分からず、BUMP OF CHICKENの「ダンデライオン」の動画を見た。
その動画の内容は、歌に合わせてファイナルファンタジーの画像をコラージュした、紙芝居のようなチープでつまらない動画だった。
しかし、その曲の、今まで耳にしたことのない疾走感が、異様なまでに響いてきた。高速で演奏する音楽が存在するということ自体、知らなかったのだ。
その時、俺は確信した。
「俺は歌を歌うだろう。」
それ以来、BUMP OF CHICKENの歌をネットで探し、聞く日々が続いた。他の音楽を聞こうとは全く思わなかったのだ。
その後、BUMP OF CHICKENなどの共通の趣味のある、滅茶苦茶ヤンキーな奴と仲良くなった。
そしてある日、その友人のブログを見ると「元祖ハイブリットレインボウ」という記事があり、そこには動画が添付されていた。
訳も分からず見てみると、BUMP OF CHICKENとは比べ物にならない小さな会場で、BUMP OF CHICKENの「ハイブリットレインボウ」が演奏されていた。
それを見て「サラリーマンが休日に演奏しているコピーバンドか」と思っていた。
数日後に知ることとなるが、それがthe pillowsというバンドで「ハイブリットレインボウ」は、BUMP OF CHICKENの曲ではなく、the pillowsの曲で、BUMP OF CHICKENの「ハイブリットレインボウ」はthe pillowsのカバー曲だったのだ。
そして俺は、the pillowsの歌にのめり込み、学校の勉強やテストを無視し、音楽を聴き漁った。the pillowsにも飽き足らず、そのメンバーがやっていた他の音楽である、ペルシャ、SUPERBAD、コインロッカー・ベイビーズ、KENZI & THE TRIPS、Theピーズや、その流れで知った佐野元春、Roosters,noodles、Bugy Craxone、Blondie Plastic Wagon、フィッシュマンズ、Nirvanaなど、どれも気に入った。
そして、その中でも特に気に入ったのが、THE POGOだった。
THE POGOの「EAT IT」や「SUCH IS LIFE」などの暴力性、疾走感に痛く衝撃を受け「俺の求めていた音楽はこれだ」と思った。
そして、THE POGOの小河原良太の他の音楽、The305、RYOTA BAND、JIGHEADにも衝撃を受けた。
ここまで痛い歌詞、痛い声で歌っている歌手は、未だ、聞いたことがない。
その後俺は、パンクのルーツを知りたくなり、Sex pistols、The Clash、The Damned、Johnny Thunders、Iggy & The Stooges、MC5、The Velvet Undergroundなどを聞いた。もちろん、当時気に入ったのは、高速で演奏する、The Damnedだった。それに、もちろん、Minor Threat、Discharge、G.B.H、Exploited、Chaos U.K.、Disorderなどのハードコア・パンクも聞いた。Sex PistolsやCRASSといったパンクに関しては、音楽よりも、アートワーク面で影響を受けることとなる。ろくに学校も行かなかった俺は、絵もかけないし、字も書けない。俺は幼少期から、自由を求め、枠に収まることを魂が拒否していたのか、塗り絵を渡されても、ビリビリに破いて捨て、クレヨンは粉々に砕き、放棄していた。それに、コラージュのほうが、ただ絵を書くよりもより複雑でカッコいいものができると確信があった。よって、俺のレコードジャケットは、切って貼る、コラージュ形式となった。そして俺は思った。GISMやCarcassなど、「ただグロテスクなだけのコラージュ」を作ってもつまらない。かと言って、ありがちな「かわいいだけ」のレコードジャケットもつまらない。俺が納得行くものが良い。だから俺は、「グロテスク」と「かわいい」を両立したレコードジャケットの表現方法を作り上げ、コラージュ業界でもトップといえる才能を発揮することとなった。糊、カッターナイフ、Photoshopという発明に感謝する。
そして俺は、奇形児、The Comes、LSD、まつじ、臨終懺悔、白Kuro、tranquilizer、Poison Artsなどのハードコア・パンクにものめり込むこととなる。
授業を聞かないで、学校の机に、奇形児のシングルのジャケットの絵を書いたりしていた。
同時に、ロックバンドなどの名前が誰かの机に書いてあると、ムカついて消しゴムで消したり、給食の時間に強制的に流れるくだらない音楽も、消したりしていた。
その時もうすでに俺は「俺がハードコア・パンク・アーティスト」であることは自覚していた。
その後俺は、Gastunk、The Execute、Geizz、Asylum、G-Schmittなどの影響で、ヴィジュアル系にものめり込んだ。
だが、黒夢を聞いたとき、当時としてはあまりに衝撃的な歌詞の内容的に「聞かないほうが良いかな」と思い、黒夢からは離れた。
その後、たまたまレコードジャケットの美しさに惹かれ、Madeth gray'llの「血染めの喜劇」というカセットテープを聞いた。
一瞬しか聞かなかったが、「一瞬しか聞いたことのないはずの黒夢」の「影響下にある音楽」であるということが、「一瞬にして」わかった。
それ以上聞かなかったが、後日、また気になりだし、聞き返してみると、あまりのカッコよさに衝撃を受け、Madeth gray'llのその他の音源も全て聞き、中でも、デモテープ全曲と、デモテープ以前にリリースされた「廃人狂イ人形」と「Entith de Marge」も気に入った。
そして、ヴィジュアル系レコード店の店長に「他にもMadeth gray'llみたいな音楽ないか?」と聞くと、「Aliene Ma'riageはもう知ってるもんねぇ」と言われた。知らなかったので、Aliene Ma'riageの「傀儡人形」という曲を聞いてみた。最初、悲鳴だらけの音楽形式に、わけが分からず、理解できなかったが、他の曲も聞いて行くうちに好きになり、その後、Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなどの無数のヴィジュアル系アーティストに影響を与えたであろう黒夢も気になりだし、初期音源を聞き、最終的には全曲聞いた。
黒夢と双璧をなす90年代初期のヴィジュアル系アーティストである、Malice Mizerに関しては、「Malice Mizerってなんかすごいらしい、けど何が良いの?」と思っていたが、Gacktがボーカルになる前の初期の曲を聞いてみると、歌声や曲のカッコよさに衝撃を受けた。実は、それ以前にもそのレコードは一瞬だけ聞いたことがあった。その時、Madeth gray'llなどのようにノイズギターや叫びがあることを期待して聞いたので、即停止してしまっていて、良さに気づくことができなかったのだ。
俺が日々音楽にのめり込む中、学校の連中はくだらないロックバンドに燃え上がり、俺と世間との差は、日に日に乖離していった。その無限に開いた距離感は、どうにも埋めることはできなくなっていた。従うことや、自分を周りに合わせるだけのカメレオン的能力しか無い画一的ロボット連中にも、嫌気が差していた。
音楽をしようにも、楽器もなく、なにもできない日々が続いていた。
そして俺は、全くの闇の中にいた。すべての出口はふさがれてしまっているように思えた。
俺はごろっと横になって、見るともなくテレビを見ていた。テレビ番組は、どれもこれも面白くなかった。
つまらないお笑い番組だった。そこで、尾崎豊という歌手が紹介されていた。
訳も分からず、とりあえず一曲、新宿ルイードで演奏された「十七歳の地図」を聞いてみた。聞いた瞬間「佐野元春の影響下にある音楽」だとわかった。
その直後、古本屋に駆け込み、アルバム「十七歳の地図」を聞き、共鳴した。
「俺は何を馬鹿げた真似をしていたんだろう?」
俺は「訳も分からず高校へ推薦入学」していたが、無駄でしかないことを悟り、次の日、高校に退学届を出し、有害でしか無い高校生活に終止符を打った。
そして、自由な時間ができた俺は、ずっとやりたかった音楽活動に突入することとなる。
そうだ。俺は初め、軽音楽部に入ろうとしていた。しかし、そこで演奏されていたMONGOL800の「小さな恋のうた」に絶望し、入部を断念していたのだ。俺がやりたかったのは、芸術的で、反逆的な音楽だった。それは、俺が初めて大音量で演奏される音楽を聞いた経験となったがわけだが、非常に残念な気持ちになったのを覚えている。
そして、まず、曲を書くには楽器が必要だと思い、ギターを買おうと思った。だが、金は持っていなかった。華奢な俺は、楽器屋にあった一番軽いギターであるSGを盗んだ。しかし、SGの太い音だけじゃ物足りない、グランジやヴィジュアル系などの「繊細な部分」が表現できないので、軽くて細い音の出るムスタングを追加で盗んだ。それに、音楽にはベースも必要だ。どれが軽いベースなのか?考えている時間が勿体ない、なので、定番そうなジャズ・ベースを盗んだ。最初は調弦も、ドレミも、和音もわからず、ただただThe KinksやLink Wrayのように、楽器を破壊するだけだった。しかし、それでは音楽にならない。とりあえずThe Executeの「Answer」でドレミを覚え、いろいろと楽譜を調べたが、俺の演奏しようとしている、パンクやヴィジュアル系の楽譜はなかなか見つからなかったので、とりあえず、ヴィジュアル系に影響を与えたとされる、中森明菜や西城秀樹などの曲の和音を調べ、和音を抑える指の形や、構成する音や調という概念を覚えた。そして、カバーやコピーよりも、まず先に、曲を書いた。そうしなければ、その他大勢の、腑抜けたロックバンドオタクや、ギターオタクのような愚者へと成り下がってしまうからだ。そこで俺の書いた歌の演奏形式は、もちろん、パンクを軸とした、ハードコア・パンク、グランジ、ヴィジュアル系の形式だった。その頃に書いた歌は「狂人道化人形」「悪魔のざわめき」「血染めのマリア」「激情の狂言」「忘れかけた記憶」「記憶の奥の悲哀情」などの曲で、今でも俺の代表曲となっている。
だが、曲を書いても録音できなければ、意味がない。自分で聞くにも、人に聞かせるにも、録音する必要があるわけだ。今までにない音楽を自分でも聞きたい、今までにある音楽形式でも、もっといい曲で聞きたい。たとえば、ハードコア・パンクだったら、もっとメロディアスで洗礼されたものにしようとか、グランジだったら、もっと強弱を強調して、本当のグランジらしさを表現しようとか、明確なヴィジョンが合った。そんなわけで俺は、リサイクルショップに駆け込み、Tascamの8トラック・カセット・マルチトラック・レコーダーを盗んだ。
最後、必要なのはドラムだ。だが、ドラムなんて大きくて盗めないし、置く場所がない。というわけで、とりあえずリサイクルショップにあったドラムマシンの、Linn Drumを盗んだ。それに、Madeth gray'llやEcho & The Bunnymen、椎名林檎のデモテープ、The Sadist、Sly & The Family Stone、Big Black、佐野元春、Lolita℃、秋吉契里、トモコDEATHなど、ドラムマシンを使用したレコードも聞き好んでいた俺にとっては、むしろ「ドラムマシンの方がいいや」ぐらいの感じだった。
それから俺は、Arrested Developmentや、いとうせいこうなどのHip Hopも聞いていたし、効果音や演奏できない音はサンプリングということで、切って貼ることにした。俺の曲がサンプリングまみれなのは、そのためだ。聞いている人からするとそこまで耳を澄まして聞く人は少ないのが残念ではあるが。
そして俺はマルチトラック・レコーダーに唄を録音する日々が続く・・・
https://www.youtube.com/channel/UCO29z-HlfG0wB430EVsw92g/videos
音楽に全く興味がなく、歌も教科書に乗っていた、滝廉太郎の「花」ぐらいしか知らず、その歌を、閉鎖的な学校世界から抜け出したくて、窓の外に向け、怒鳴ったりしていたくらいだった。
ああ、そうだ、忘れていた。遊戯王のエンディング曲「明日もし君が壊れても」が好きだったんだ。
そういうわけで俺は、全く音楽を聞いていなかった。音楽って「大人が聞くもの」ってイメージがあったし、なんか恥ずかしくて。だから聞こうとも思わなかった。
歌に音程があるということすらも理解できず、楽譜を見ても、歌詞の上に、なぜ音符が書かれているのか、全く意味不明だった。
音楽の授業中、教師に「旋律ってなんですか?」と聞いても「旋律は旋律だ」としか答えてもらえず、学ぶ気も、木っ端微塵に消え失せていた。
ある日俺は、授業をサボって、コンピュータ室に忍び込み、動画サイトを見ていた。
そして、訳も分からず、BUMP OF CHICKENの「ダンデライオン」の動画を見た。
その動画の内容は、歌に合わせてファイナルファンタジーの画像をコラージュした、紙芝居のようなチープでつまらない動画だった。
しかし、その曲の、今まで耳にしたことのない疾走感が、異様なまでに響いてきたのだ。
その時、俺は思った。
「俺は歌を歌うだろう。」
それ依頼、BUMP OF CHICKENの歌をネットで探し、聞く日々が続いた。他の音楽を聞こうとは全く思わなかったのだ。
その後、BUMP OF CHICKENなどの共通の趣味のある、滅茶苦茶ヤンキーな奴と仲良くなった。
そしてある日、その友人のブログを見ると「元祖ハイブリットレインボウ」という記事があり、そこには動画が添付されていた。
訳も分からず見てみると、BUMP OF CHICKENとは比べ物にならない小さな会場で、BUMP OF CHICKENの「ハイブリットレインボウ」が演奏されていた。
それを見て「サラリーマンが休日に演奏しているコピーバンドか」と思っていた。
数日後に知ることとなるが、それがthe pillowsというバンドで「ハイブリットレインボウ」は、BUMP OF CHICKENの曲ではなく、the pillowsの曲で、BUMP OF CHICKENの「ハイブリットレインボウ」はthe pillowsのカバー曲だったのだ。
そして俺は、the pillowsの歌にのめり込み、学校の勉強やテストを無視し、音楽を聴き漁った。the pillowsにも飽き足らず、そのメンバーがやっていた他の音楽である、ペルシャ、SUPERBAD、コインロッカー・ベイビーズ、KENZI & THE TRIPS、Theピーズや、その流れで知った佐野元春、Roosters,noodles、Bugy Craxone、Blondie Plastic Wagon、フィッシュマンズ、Nirvanaなど、どれも気に入った。
そして、その中でも特に気に入ったのが、THE POGOだった。
THE POGOの「EAT IT」や「SUCH IS LIFE」などの暴力性、疾走感に痛く衝撃を受け「俺の求めていた音楽はこれだ」と思った。
そして、THE POGOの小河原良太の他の音楽、The305、RYOTA BAND、JIGHEADにも衝撃を受けた。
ここまで痛い歌詞、痛い声で歌っている歌手は、未だ、聞いたことがない。
その後俺は、パンクのルーツを知りたくなり、Sex pistols、The Clash、The Damned、Johnny Thunders、Iggy & The Stooges、MC5、The Velvet Undergroundなどを聞いた。もちろん、当時気に入ったのは、高速で演奏する、The Damnedだった。それに、もちろん、Minor Threat、Discharge、G.B.H、Exploited、Chaos U.K.、Disorderなどのハードコア・パンクも聞いた。Sex PistolsやCRASSといったパンクに関しては、音楽よりも、アートワーク面で影響を受けることとなる。ろくに学校も行かなかった俺は、絵もかけないし、字も書けない。俺は幼少期から、自由を求め、枠に収まることを魂が拒否していたのか、塗り絵を渡されても、ビリビリに破いて捨て、クレヨンは粉々に砕き、放棄していた。それに、コラージュのほうが、ただ絵を書くよりもより複雑でカッコいいものができると確信があった。よって、俺のレコードジャケットは、切って貼る、コラージュ形式となった。そして俺は思った。GISMやCarcassなど、「ただグロテスクなだけのコラージュ」を作ってもつまらない。かと言って、ありがちな「かわいいだけ」のレコードジャケットもつまらない。俺が納得行くものが良い。だから俺は、「グロテスク」と「かわいい」を両立したレコードジャケットの表現方法を作り上げ、コラージュ業界でもトップといえる才能を発揮することとなった。糊、カッターナイフ、Photoshopという発明に感謝する。
そして俺は、奇形児、The Comes、LSD、まつじ、臨終懺悔、白Kuro、tranquilizer、Poison Artsなどのハードコア・パンクにものめり込むこととなる。
授業を聞かないで、学校の机に、奇形児のシングルのジャケットの絵を書いたりしていた。
同時に、ロックバンドなどの名前が誰かの机に書いてあると、ムカついて消しゴムで消したり、給食の時間に強制的に流れるくだらない音楽も、消したりしていた。
その時もうすでに俺は「俺がハードコア・パンク・アーティスト」であることは自覚していた。
その後俺は、Gastunk、The Execute、Geizz、Asylum、G-Schmittなどの影響で、ヴィジュアル系にものめり込んだ。
だが、黒夢を聞いたとき、当時としてはあまりに衝撃的な歌詞の内容的に「聞かないほうが良いかな」と思い、黒夢からは離れた。
その後、たまたまレコードジャケットの美しさに惹かれ、Madeth gray'llの「血染めの喜劇」というカセットテープを聞いた。
一瞬しか聞かなかったが、「一瞬しか聞いたことのないはずの黒夢」の「影響下にある音楽」であるということが、「一瞬にして」わかった。
それ以上聞かなかったが、後日、また気になりだし、聞き返してみると、あまりのカッコよさに衝撃を受け、Madeth gray'llのその他の音源も全て聞き、中でも、デモテープ全曲と、デモテープ以前にリリースされた「廃人狂イ人形」と「Entith de Marge」も気に入った。
そして、ヴィジュアル系レコード店の店長に「他にもMadeth gray'llみたいな音楽ないか?」と聞くと、「Aliene Ma'riageはもう知ってるもんねぇ」と言われた。知らなかったので、Aliene Ma'riageの「傀儡人形」という曲を聞いてみた。最初、悲鳴だらけの音楽形式に、わけが分からず、理解できなかったが、他の曲も聞いて行くうちに好きになり、その後、Aliene Ma'riageやMadeth gray'llなどの無数のヴィジュアル系アーティストに影響を与えたであろう黒夢も気になりだし、初期音源を聞き、最終的には全曲聞いた。
黒夢と双璧をなす90年代初期のヴィジュアル系アーティストである、Malice Mizerに関しては、「Malice Mizerってなんかすごいらしい、けど何が良いの?」と思っていたが、Gacktがボーカルになる前の初期の曲を聞いてみると、歌声や曲のカッコよさに衝撃を受けた。実は、それ以前にもそのレコードは一瞬だけ聞いたことがあった。その時、Madeth gray'llなどのようにノイズギターや叫びがあることを期待して聞いたので、即停止してしまっていて、良さに気づくことができなかったのだ。
俺が日々音楽にのめり込む中、学校の連中はくだらないロックバンドに燃え上がり、俺と世間との差は、無限に乖離していった。従うことや、自分を周りに合わせるだけのカメレオン的能力しか無い画一的ロボット連中にも、嫌気が差していた。
音楽をしようにも、楽器もなく、なにもできない日々が続いていた。
そして俺は、全くの闇の中にいた。すべての出口はふさがれてしまっているように思えた。
俺はごろっと横になって、見るともなくテレビを見ていた。テレビ番組は、どれもこれも面白くなかった。
つまらないお笑い番組だった。そこで、尾崎豊という歌手が紹介されていた。
訳も分からず、とりあえず一曲、新宿ルイードで演奏された「十七歳の地図」を聞いてみた。聞いた瞬間「佐野元春の影響下にある音楽」だとわかった。
その直後、古本屋に駆け込み、アルバム「十七歳の地図」を聞き、共鳴した。
「俺は何を馬鹿げた真似をしていたんだろう?」
俺は「訳も分からず高校へ推薦入学」していたが、無駄でしかないことを悟り、高校に退学届を出し、有害でしか無い高校生活に終止符を打った。
そして、自由な時間ができた俺は、ずっとやりたかった音楽活動に突入することとなる。
そうだ。俺は初め、軽音楽部に入ろうとしていた。しかし、そこで演奏されていたMONGOL800の「小さな恋のうた」に絶望し、入部を断念していたのだ。俺がやりたかったのは、芸術的で、反逆的な音楽だった。それは、俺が初めて大音量で演奏される音楽を聞いた経験となったがわけだが、非常に残念な気持ちになったのを覚えている。
そして、まず、曲を書くには楽器が必要だと思い、ギターを買おうと思った。だが、金は持っていなかった。華奢な俺は、楽器屋にあった一番軽いギターであるSGを盗んだ。しかし、SGの太い音だけじゃ物足りない、グランジやヴィジュアル系などの「繊細な部分」が表現できないので、軽くて細い音の出るムスタングを追加で盗んだ。それに、音楽にはベースも必要だ。どれが軽いベースなのか?考えている時間が勿体ない、なので、定番そうなジャズ・ベースを盗んだ。最初は調弦も、ドレミも、和音もわからず、ただただThe KinksやLink Wrayのように、楽器を破壊するだけだった。しかし、それでは音楽にならない。とりあえずThe Executeの「Answer」でドレミを覚え、いろいろと楽譜を調べたが、俺の演奏しようとしている、パンクやヴィジュアル系の楽譜はなかなか見つからなかったので、とりあえず、ヴィジュアル系に影響を与えたとされる、中森明菜や西城秀樹などの曲の和音を調べ、和音を抑える指の形や、構成する音や調という概念を覚えた。そして、カバーやコピーよりも、まず先に、曲を書いた。そうしなければ、その他大勢の、腑抜けたロックバンドオタクや、ギターオタクのような愚者へと成り下がってしまうからだ。そこで俺の書いた歌の演奏形式は、もちろん、パンクを軸とした、ハードコア・パンク、グランジ、ヴィジュアル系の形式だった。その頃に書いた歌は「狂人道化人形」「悪魔のざわめき」「血染めのマリア」「激情の狂言」「忘れかけた記憶」「記憶の奥の悲哀情」などの曲で、今でも俺の代表曲となっている。
だが、曲を書いても録音できなければ、意味がない。自分で聞くにも、人に聞かせるにも、録音する必要があるわけだ。今までにない音楽を自分でも聞きたい、今までにある音楽形式でも、もっといい曲で聞きたい。たとえば、ハードコア・パンクだったら、もっとメロディアスで洗礼されたものにしようとか、グランジだったら、もっと強弱を強調して、本当のグランジらしさを表現しようとか、明確なヴィジョンが合った。そんなわけで俺は、リサイクルショップに駆け込み、Tascamの8トラック・カセット・マルチトラック・レコーダーを盗んだ。
最後、必要なのはドラムだ。だが、ドラムなんて大きくて盗めないし、置く場所がない。というわけで、とりあえずリサイクルショップにあったドラムマシンの、Linn Drumを盗んだ。それに、Madeth gray'llやEcho & The Bunnymen、椎名林檎のデモテープ、The Sadist、Sly & The Family Stone、Big Black、佐野元春、Lolita℃、秋吉契里、トモコDEATHなど、ドラムマシンを使用したレコードも聞き好んでいた俺にとっては、むしろ「ドラムマシンの方がいいや」ぐらいの感じだった。
それから俺は、Arrested Developmentや、いとうせいこうなどのHip Hopも聞いていたし、効果音や演奏できない音はサンプリングということで、切って貼ることにした。俺の曲がサンプリングまみれなのは、そのためだ。聞いている人からするとそこまで耳を澄まして聞く人は少ないのが残念ではあるが。
そして俺はデモテープをマルチトラック・レコーダー録音する日々が続く・・・
Bandcamp
https://nanjohshigure.bandcamp.com/releases
https://www.youtube.com/channel/UCO29z-HlfG0wB430EVsw92g/videos
フッツーにコピーバンドがカバー曲だけを演奏したりとかしてんのな。
これまで、メジャーかインディーズでオリ曲やってるようなバンドのライブしか行ったことなかったから知らんかった。
で、そのバンドの身内が10人くらい最前列でわーわーやって終わったら次のバンドの身内と交代。
バンドの身内以外はその辺で酒飲みながらだらだらくっちゃべってる。
全然触れてきたことのない世界だったからちょっと面白かったわ。
みんな音ガバガバで草。これはPAさんの責任なんやろか、知らんけど。
飲食スペースが併設されてて、ライブ終了後はバンドマンと観客が一緒に酒飲んで飯食っててワロタ。
めちゃくちゃ縦に長い実験室のビーカーみたいなグラスで酒を一気飲みするパリピ脳。
誰が考えたんだよあれ草。
こんなところからメジャーデビューするバンドはないんだろうなぁと思いながら思いのほか楽しませてもらった。
ライブハウスのオーナーのおっちゃんにまたおいでよ、今度はうちの一押しのバンドが来るときに連絡するわって言われたのでまた時間が合ったら行ってみようと思う。
それから数十年、会社員をしながら趣味でバンド活動をしていた。
幸い良いバンド仲間にも恵まれていたので1~2ヶ月に一度のペースで都内のライブハウスでコピーバンドだけどライブもやっていた。
他に得意なことも無かった私には、まあそれでも「弾けない人よりは多少マシに弾ける」というレベルだったけど、自己表現をして対面で認めて貰えるというのはとても嬉しかった。
私はIT系の仕事をしているので、2020年5月の時点で完全にテレワークへ移行した。
幸い収入が減ることはなく、通勤時間がゼロになったことで睡眠時間が増えてむしろ健康になったくらいだ。
テレワークが開始されてから今まで、会社へ出勤したのは3回程度。
行きつけのラーメン屋の店主とちょっとした挨拶するのが他人と対面で会話する唯一の機会になった。
このような生活を始めてからちょっと落ち着いた頃に「無観客の配信ライブをやらないか」とか「限られたメンバーのみでスタジオでセッションやらないか」など誘われたことがあったが、この状況下で「人が移動すること自体に様々なリスクがある」と思っていたので、すべてお断りした。
また、コロナ禍の出始めのころ「ライブハウスでクラスター」といった話が広がったこともあって、ギターを背負って外に出る事自体に後ろめたい気持ちが少しあった。
余計なことをするとライブハウスに迷惑がかかってしまうのでは?とも思っていた。
そんな中、オリンピックが延期になった。
当然のことだと思った。
結果、オリンピックは2021年に開催して無事(?)に閉会となった。
個人的には今も、やるべきじゃかなったではないかと思っているが、私のような凡人には正解は分からない。
そして先日、2021年8月にフジロックフェスティバルが有観客で開催となった。
「政府批判の場になっている」
などといった色んな考えが見られる。
※上記は私がネット上をなんとなく見ててのイメージなので正確な発言ではなく個人的な印象が含まれています。
なので、動けるうちに一度は行ってみたいなぁ、と以前から思っていた。
仮にもギターをちょっと弾いている端くれだし、自称「音楽好き」なので。
もっぱら洋楽ばかりを聴いていたので最近の日本の音楽は良く分からないのだけど。
・基本無観客
・選手やスタッフは定期的にPCR検査を受けて陽性の場合は隔離等の処置
・今のところ日本国内への感染拡大に繋がったという事実は確認できていない(のかな?)
・各国の選手やスタッフからオリンピック開催について感謝の言葉がちょいちょい聞かれる
・例年より人数を減らしての有観客
・出演者やスタッフは主催が決めた感染対策に応じた行動をしているはず
・観客も決められた感染対策にほとんどが応じているはず(?と思いたい)
・今のところ日本国内への感染拡大に繋がったという事実は確認できていない(まだ終了して日が浅いし)
・一部の出演者が現政府を批判する発言が聞かれ、分断は本意じゃない、とか言っているらしい
オリンピックとフジロック(とGOTOトラベル)の共通点だと思った事
・一定数の割合にたいして「人の移動って大丈夫なんだ」「他がいいならうちらもOK」という雰囲気を作り出してしまったこと
現政府にも色々問題点があると思っているけど、まあ、がんばっているようにも思える。
見えないところで色々と利権やら利害があったりするのも昔からであって、今に始まった話ではないけど。
政府の明確な失策はこの「自粛しなくても大丈夫という雰囲気作りを制御できなかった」ことだろうし、私達側からすると一定数の割合で「もう大丈夫なんだ」「あっちがやってるから私達も我慢しない」といった自制をすることができない「雰囲気に流されてしまった人たち」が結構いることが残念なところだと思う。
そろそろ表題に戻るが、オリンピックもフジロックフェスティバルも世間への雰囲気作りがコントロールできない時点で、開催をしない、あるいは開催の仕方をもう少し考えるべきだったと今も思う。
ギターが好き、音楽が好き、を自称する私もフジロックの人の密度をSNSで見てしまうと、ちょっと怖くなってしまった。
また、SNS上ではバンド仲間が、無観客とはいえ人の流れを止めることは考慮していないのか、ライブのお知らせやセッション開催を普通に告知していたりする。
ここで2つの考えがよぎった。
・私は自称音楽好きを名乗っていたが命をかけてまで(あるいは他人に迷惑をかけてまで)フェス参加やライブ開催を良しとしないので、実は音楽は好きじゃないのではないか。
・人の流れを抑制しなければならないという考え自体が実は世間とズレており、心配しすぎなんじゃないか。
どちらも正解かもしれない。
特にフジロック騒動を見て思ったことは、自分が信じていて助けられていたと思っていた「音楽のチカラ」って実はそれほど大きなチカラじゃなかった、あるいは存在すらしなかったのではないか、と。
もし音楽に絶大なチカラがあれば、私程度の人間なんてコロっと引っ張られて「そうはいってもフジロック開催できてよかったよな!」と思っていたかもしれない。
少なくとも結構な人数の人が「そうはいってもフジロック開催できてよかったよな!」と心に刺さっているからだ。
私には刺さらなかった。
ということは、やっぱり自分はたしいて音楽好きじゃなかったし、ギターも自己アピールの方法のひとつというだけで、自分の人生でそれほど大切なものじゃなかった、と思うようになった。
「この程度」のことは人の命には替えられないし、何より感染拡大が進んでいて病床がパンパンの状況であってもひたすら懸命に命を繋ごうと奮闘していただいている医療従事者の方に必要以上にご負担をかけられない、という意味で人の流れを減らして感染を少しでも広がらないようにする、という考えが今は最優先であるべき、と改めて思うようになった。
こんな考えに至ったのはおそらくフジロックフェスティバルが開催されたからだと思う。
フジロックフェスティバルのおかげで、フジロック騒動のおかげで、出演者の行動や様々な発言を見ることができて、「私の「音楽好き」は音楽が好きと思っている自分が好きだっただけ」「音楽のチカラはほどほど」という事に気付くことができた。
命を最優先にしたい気持ちは変わらないが、私は音楽好きを自称しないし、もうギターを弾くことも無いと思う。
私の音楽への価値観を見直すきっかけを作り、「音楽のチカラ」の程度を示してくれたフジロックフェスティバルには改めて感謝したいと思う。
あとづけ:
というわけで今は家に引き篭もって淡々と FF14 をプレイ中。
オンラインゲームとYouTubeはコロナ禍において最高にマッチしているエンタメだし、感染拡大を抑制するチカラを持っているなぁと実感。
追記1:
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
学生時代にくるりのコピーバンドを組んでいて、いい曲だよね、と話には挙がるけど結局コピーしなかった曲。
くるりって歌詞読んでそのまま理解できるなんてことはなくて、メロディが沁みてきて共感すると言うか。ふとした時に「あ、これ俺だわ」って思うこともしばしば。
当時メンバーに借りたベストアルバムを今買い直して、通勤中に聴いて何故だか涙ぐむ。歌詞の意味わからないのに。あの日の懐かしさ?
いつかは想像を超える日が待っているのだろうか。ほとんど想像通りかそれを下回る毎日で、けれどもいつかは、いつかは。
過ぎていく毎日の中で、味方でいてくれるひとはいるのだろうか。難解な性分で、敵ばかり使って。でも自分はいつでも誰かの味方でいたいな。とか。
バンドにキーボードってプログレやニューウェーブが勃発した50年前からポピュラーで
アジカン全盛期の00年代半ばにもフジファブリックとかGOING UNDER GROUNDとかいただろうが
まあコピーバンドだとシンセ用意するだけの経済力がないからギターロックに流れがちだったんだよな
80年代はシンセも技術的に伸びしろがあったから最新の機材を取り入れることがかっこいいっていう風潮があったぽい
でも90年代から機材が似たり寄ったりになってきて、そのうえクラブ文化が発達してシンセやシーケンサはDJとかトラックメイカーが使うもんってことになりバンドにあまり使われなくなったんじゃねえの
あとポップパンクっていう簡単なエイトビートの上にパワーコードと簡単なギターリフがのっかってるだけのシンプルなロックのスタイルが昔流行って
ハイスタが流行ったあたりからサカナクションが出てくるまではキーボーティスト冬の時代だったんだよ
サカナクションが出てきた頃にニューウェーブリバイバルっつって四つ打ちにシンセでうねうねした音を乗せるのが世界的に流行り出した。
telephonesとかドーピングパンダがそれでちょっとだけ売れかけたよね最終的にMステ出たりさ
10年代に入ってシンセも、microkorgみたいな安いモデルのさらに中古とかが出回るようになって
それいうと思ったわ
そんなんじゃなくてね
これは元増田みたいな人のプライドや私益と引き換えに後進の門戸を閉ざしファンコミュニティに冷や水をぶっかける側面が少なからずあるってことなんだよ
他に置き換えてみて、場末のライブハウスで友達相手にのんびりやってるコピーバンドに「俺の曲を下手な演奏で汚すな、しょーもないギターソロとか勝手なアレンジすんな」とか言ってたら
流石にそれはおかしいと思うだろ?
勝手にCDにしてうっさばいてたとかならまだしもチケットの利益もほとんどないような奴相手にいうことではないよね
結局法的措置とかにでたらファンが白けたり不快な思いすることは理解してるから元増田も何もしないんでしょ
業界内外で人気がなくなるのが一番怖いんだもん
それから元増田の言い分っていうのは文化資材としての公益を損なうって事例や、コンテンツの品格や設定・世界観を棄損させるような事例、金銭的な損害を被る事例、単に作者個人の情緒の問題がごちゃ混ぜにして語られてるから
(というかそこらへんどうにでも読み取れるように曖昧な表現になってしまっている)
ブクマカはいつもどおりカリカチュアされた弱者のお気持ちを汲んでさし上げるっつポージングで学級会めいたことやってるけど
元増田がそれがいいたかったのかそういう流れになることを意図していたのか将又そんなつもりは毛頭なくて真意は別のところにあるのか
ケムリクサでは悔しい思いをした。最終話の内容を推理することは十分可能だったはずだ。種が赤霧で成長しない。にもかかわらず離脱したあとニョキニョキ生えてくるミドリの木、「たぶん発芽まではうまくいく」。そして記憶の草にはロックが掛かっていた。このあたりを重く捉えていれば、メモを書き換えた「存在しない7人目の姉」を探して時間を浪費することもなかった(むしろ6人である証拠がたくさん集まってしまった)。2つの謎は有機的に絡み合い、シンプルだが残酷な起点に至るのだが、答えを観て「なるほど!」と思ったときに初めて、伏線が浮かび上がった。すべては目に留まっていたはずだったのにも関わらず、気が付かない。パズルのピースはすべて事前に提示されていた。アニメは小説ではないから、そういうもんかと軽く流しても気持ちよく観続けられるのが気楽だけれど、しかしそういう態度でいて失うものもある。りな達がブワッと消えて一人に戻るのはコミカルでまるで手品みたいだが、ここを見落とすと桃ちゃんを手放して覚醒する「りなむ」の含意をスルーしてしまう。ありとあらゆる表現に意味がありえるのだ。この意識でもって視聴しなければならなかった。
けものフレンズ2の最終話が目前だ。同じじゃないかでは済まない。次は全力で当てに行くぞ。
今期の監督はミスリードを狙ってくるということに気をつけなければならない。俺は伏線の管理はしっかりされていると判断している。前期の細かいところまでフォローされてる。かばんちゃんが「おうち」を知ってたのはスナネコが意味を教えたからだし、サーバルに与えた砂時計は図書館にあったものだろう。アライさんが命の恩人といったのは、掛けた橋で救われた経験を受けてのこと。今期はさらに異なるフレーバーが加わる。襲ってきたセルリアンをいきなり現れて一蹴して去っていった謎のフレンズはヒーローは味方でなく実は「ビースト」。誰彼構わず襲いかかり、フレンズに怖れられる強力なバーサーカーだった。アリツカゲラが再登場したと思ったら、サーバルとも初対面の反応でかばんちゃんとも面識が薄い、すなわち別個体だった。かばんちゃんから手渡された四角い筐体のラッキービーストは、「三人での旅、楽しかったよ」とつぶやいた後沈んでいった”あの”ラッキーさんか? そうかもしれないが、ひとつの端末に過ぎないって線が濃厚だ。居なくなったヒトを想いだして月を見上げるイエイヌのフレンズ… ならば人類は月に消えたのか? なんのことはない、ただの人工衛星だった。未発掘の伏線の絡み合いの中に、ミスリードが混ぜられている。注意して潜るとしよう。
今期最大の謎は「キュルルちゃんは何者か、どこから来たのか、どこへ行くのか」ということだ。ここに焦点を絞って推理する。
キュルルちゃん一行の旅路は「復路」だろうか。パークの廃墟の施設の中で目覚めたこども、キュルルちゃんは、カラカル・サーバルを連れて施設に戻る。「ボクは長い間ここで眠っていたみたいなんだ」。温かい「おうち」を思い浮かべ、「帰りたい」という。キュルルちゃんは自分が眠っていた岩の殻のようなものの中にあった自分の持ち物のスケッチブックを開く。最初の一ページ目には施設の前の池の様子が描かれていたーーただし、池のモニュメントは健在で周りには風景にない建物が建てられている。「ボクは獣じゃないよ、たぶん」というキュルルちゃんに対して、カラカルは「この子もヒトなんじゃない?」と言い切る。3人はモノレールの駅にたどり着く。キュルルちゃんは言う「ここ来たことあるような気がする、あの乗り物、多分ボクもあれに乗ってきたんだと思う」。ここまでの描写で、キュルルちゃんはパークに来た観光客で、何らかの理由で施設でコールドスリープし、いま目覚めた。そう読み取っていたが、よくよく考えると違和感がある。最初の1ページが池だったのはよく考えるとおかしい。
まっさらなスケッチブックを思い浮かべてみて。そこに旅の風景を絵に次々に描いていく。だけど突然に旅は中断してしまう。さてこのとき、最後に描いた絵はスケッチブックのどの位置にあるだろう? キュルルちゃんのスケッチブックには以前に描いてきたと示唆されるたくさんの絵があった(一連の絵の最後のページは破られていて、その先は白紙が続いている)。もしパーク内の施設に至る往路の過程で絵を描き連ねて来たというのなら、最後の絵の先は白紙のページが続くはずだ。最初のページにはならない。スケッチブックの表紙は裏表とも同じようなデザインだが、キュルルちゃんはページの片面にだけ絵を描いていたので逆さにめくっているという可能性はない。これにより、キュルルちゃん一行の今回の旅路は、実は、おうちに向かう復路ではなく、二度目の往路であるという推測が成り立つ。
最初の往路をなぞるように、旅をする。ケンキュウセンター(廃墟の施設をそう呼ぼう。モノレールの次の駅は「アズアエン」だが、列車の行き先表示が切り替わるときに表れた直前の駅の表示が「ケンキュウセンター」だった)を出て池を描き、花畑に囲まれた風車を描き、竹林の中で公園の施設を、海に浮かぶ観光施設、闇夜に輝く蟻塚、ジャングルの奥で玉座に座るゴリラのフレンズ、荒野をかけるなんだかよくわからない影、ステージでショーをする5人のアイドルたち。最後に、観覧車のある遊園地の風景。絵に描かれた風景を順に追う道のりで、キュルルちゃん一行は最後にジャパリホテルにたどりついた。ホテルの窓からは今は水没した観覧車が見えていた。ホテルの支配人によると、”うみのごきげん”が悪くなったときに、遊園地は水没してしまったらしい。ホテルも半分は水浸しである(ところでホテルの最上階にはヘリポートがある)。
つまりこういうことではないか。観光客だった女の子はケンキュウセンターの池を描くために新しいスケッチブックを開き、モノレールに乗ってパークを旅した。しかしセルリアンが止められなくなる流れで、観光客はまず退避しなくてはならなくなり、ホテルでヘリに乗り込む。セルリアンは宙に浮くものがいる。離陸時に襲われてヘリの飛行能力に障害が出て、荷を軽くするために物を捨てなければならなくなった、女の子はスケッチブックから最後に描いた家族の絵だけをちぎり、バッグもろとも泣く泣く海へ投げ捨てた。時がたって、防水のスケッチブック(今期の11話より。スケッチブックは海に落ちても平気だった)は海流に乗って海底火山へたどり着く。海底火山からは大量のセルリウムとサンドスターが流出している。サンドスターに包まれたスケッチブックは溶岩に飲み込まれ、そこで海底火山が大噴火する。噴石となった岩は遠くサバンナちほーのケンキュウセンターに落下し、廃墟となりかけていた施設にとどめを刺す。
この仮説を裏付ける証拠がある。一話のケンキュウセンターの描写でキュルルちゃんの居た岩の卵のようなものの周りには同じように前面が破壊された同じ大きさの卵のような物が並べてあった。これらをコールドスリープ装置と捉えてしまっていたが、これがミスリード。並べてある方はよくよく見ると表面がツルツルで、サンバイザーのような覆いがあり、中には椅子が備え付けてあった。いわゆるゴンドラのような見た目だ。キュルルちゃんの岩はそれと異なり、表面がゴツゴツしていて、中はサンドスターと思しきキューブで満たされていて、そして床が砕けている。ゴンドラの方は台座に載っている。この二種類はじつは違うものなのだ。暗い施設のなかで岩の卵は陽の光で照らされていた。つまり、天井は空いている。ケンキュウセンターは遊具の研究施設だった。コールドスリープではなく。噴石としてケンキュウセンターに落下した岩の卵は殻が崩れ落ちる時を待つ… なかでフレンズ化→飢えて死亡→フレンズ化→飢えて死亡… を繰り返しながら。まあそれは残酷だが、あるいはサンドスターは空気に触れて初めて機能する、のようなことがあるかもしれない。
以上が仮説「スケッチブックちゃん説」である。研究施設やスケッチブックのめくり方などを伏線としての帰結としてフィットしていて、破られた最後のページに説明がつけられた。キュルルちゃんは絵をフレンズに渡すとき、丁寧にページを切り取る。最後のページが破られていたのは火急の状況下で焦っていたからです。皆さん納得できましたか? ボクはできません。なぜなら「ペパプが5人いる」から。
一連の絵の中でライブステージで描かれたものを思い出してほしい。そこにはステージで歌う五人のペンギンアイドル、ペパプが描かれていた。しかし前期のペパプ復活祭ライブの話によると、初代ペパプは4人、二代目は3人、三代目が5人になった。三代目を結成したフレンズ、プリンセスは以前に居なかった五人目であることを気にしていたんだった。だからパークに来ていた観光客がペパプを見ていたとして、その人数が5人なのはおかしい。かつて観光客で賑わったジャパリパークは廃園し、パークガイドのミライさんも職員を引き連れパークを去った。時が流れ、彼女が遺した帽子にサンドスターが降り注ぎ、かばんちゃんが生まれた。そんな時代になって初めてペパプは5人になった。実はペパプはコピーバンドだという可能性はありうる。開演時代にはオリジナルたる5人のペンギンアイドルがいて、閉園後に彼女らをパクってペパプが結成された、でもコピーバンドを人数減らしてやる意味があるだろうか? あるいは初代ペパプは5人だったということもありうる。プリンセスがパークの異変の中で夭逝し、だがその後の4人で長い期間頑張っていたので後世の記録には4人として残った。期せずしてプリンセスが救われる結果になりましたね。でもこの仮説、理屈は通るが、当たっていたとしても些末すぎて、説明されないだろうことが予想される。
時代に幅のある絵の内容。これを説明するうまい理屈はないだろうか。キュルルちゃんは過去の世界から来たのではないか。前期でミライさんが説明した、山頂のサンドスターロウ・フィルタリング装置の「四神」は説明の感じからすると、パーク職員が作ったものではないらしい。四神を作った古代人がそのサンドスター制御技術を応用してタイムトリップ装置を作った。これがケンキュウセンターの岩塊である。キュルルちゃんはそれに乗って過去からやって来た。しかし… なんのために? かばんちゃん一行は四神の位置を直すことでフィルタの機能を正常化した。だが海底火山から漏出するセルリウムを制御する装置は、おそらくあったのだろうが機能をなくしてしまっている。もし四神的装置の修理のために過去からキュルルちゃんを派遣したとすると、かばんちゃんの奮闘のときに何もしなかったのはおかしいし、未来を幻視できるレベルの古代文明が、将来の位置のズレを考慮して装置を保全するつもりなら、修理要員を派遣する前にまず固定装置を充実させるべきだろう。というかキュルルちゃんはエンジニアには見えない。年齢が低いし、そも記憶を失ってしまっているではないか。ならばキュルルちゃんは未来から来た。しかし… なんのために? 考古学者にも見えないので、パンフなどの資料を読んで好奇心をそそられたキュルルちゃんがタイムトリップしてきた線は考えられるが、タイムマシンのセキュリティが気になる。強固に利用者が制限されているなら、キュルルちゃんはどうやってセキュリティを突破したのかということが引っかかるし、逆にガードがゆるいなら、なぜ一人しか来ないのかが疑問になる。並行世界から来た可能性はどうだ。しかし… なんのために? 絵に描かれていたペパプは楽しそうで、パークの様子には廃墟感はまったくない。なぜわざわざ廃墟の方の世界線に移動してくるのだ? 納得行く説明はつけられそうにない。
うまくいかないが、一連の絵は風景を実際に目で見たものではない、というアイデアはまだ活かせると思う。ジャパリパークの世界に、エリアを超えて通信する無線技術はなかった。そういうものがもしあったなら、かばんちゃんがキョウシュウエリアを出立するときに、ボスが先の情報を教えてくれただろう。イエイヌが見上げた月を背後に人工衛星が浮かんでいた。この衛星は最近に打ち上げられたものだとしたらどうだろう。これを使って、ある職員がパーク内のラッキービーストネットワークに侵入し、パーク内の写真を入手した。父のディスプレイの映る写真を見て、幼い娘はスケッチブックに絵を描いた。写真に今昔が入り混じっているのはそのためである。この想像は面白いが、写真があの道のり上に並んでいたことが解せない。ネットワークから引き上げたパークの風景写真を見ていたなら、それは時系列に並ぶか、ランダムになっているかするのではないか。なんでケンキュウセンターを起点とした特定のルートにそった並びになる? だめだ。わからない。
しかしわかることもある。けものフレンズ2はイエイヌの物語でもあった。探偵の二人、センちゃんとアルマーさんはイエイヌの命を受けてヒトを捜索していた。捜査が強引なところもあってイエイヌは悪の黒幕のように描写をされたことがあった。キュルルちゃんとイエイヌちゃんのストーリーラインは二人が邂逅することで交わり、しかし結局二人は別れてしまう。別れは両者の納得したものではあったがすれ違い感は強かった。これが「おうちにおかえり」回である。最終話のタイトルは「ただいま」だ。イエイヌはキュルルちゃんの元へ向かうかばんちゃん一行に加わってはいないが、ポッと出のゲストフレンズではない。
イエイヌはキュルルちゃんを見送ったあと、夜空を見上げ、ひとりドアを開けて自室に戻った。ドアには耳を模した飾りがついており、まごうことなきイエイヌのための部屋であることが明示される。このシーンは驚いた。これは一体全体、どういうわけだよ? 「イエイヌの自室にドアノブがある」だと?
(続く)→ anond:20190318002745
Make By Google 2018の冒頭はMake By Google 2018で発表されるであろうハードウェアのYoutubeリーク動画だった。
このスタートは今回のMake By Google 2018を象徴するものだったと言って良い。
「どうせバレてるんだったら面白おかしくやろうぜ!」というGoogleからのメッセージだ。
あまりにも忠実に再現されていて気付かなかった人も居るかも知れない。
冒頭で流れたThe BeatlesのHelp!はコピーバンドによる演奏だ。
パクりパクられのIT業界をネタしたのか、それとも米Appleと英Apple(レコードレーベル)の商標係争が過去にあったことを揶揄しているのか、それともその両方をアピールしたのか定かでない。
少なくとも判る人には判るネタを早速ぶち込むその姿勢に腹を抱えて笑わずにはいられない。
Youtubeリーク動画の次がコレって今回のMake By Google 2018に期待感が増す。
次のパートではGoogleによる自然言語処理の優秀性をアピール。
1400言語の機械翻訳を処理しているとの発言は単純にスゴいなと感じさせるものであった。
その自然言語処理の強力さの証拠に今回のMake By Google 2018では驚きのリアルタイム機械字幕が付いていた。しかもほぼ誤認識なし。
ただこんなものは始まりに過ぎない。次のパートの画像認識処理が本命だった。
そのスゴさは一発で理解が可能なもので、人間だけではなく犬の眼・鼻・耳すら認識し、Googleフォトからテキストで検索が可能だと言う。
Googleの企業としての取り組み、リーク通りなPixel 3やPixel Slate、Google Home Hubの発表がされ、あーハイハイと見続けて居たが「次はスマートフォンの番だ」との発言から会場は一気に盛り上がる。
13連射撮影によるHDR合成では直接的にiPhone XSを引き合いに出し、iPhone XSよりも明るく写ることをアピール。
Pixel 2の頃からカメラはウチだと言い切る大胆不敵なGoogleにPixel 3でも自信が溢れているようだった。
そしてシングルカメラによる被写界深度コンロトールも堂々と発表してしまうその姿に心が震えたギークも多いのではないか。
なぜならシングルカメラによる被写界深度コントロールはGoogleが先に実現していた技術であり、同じくシングルカメラで被写界深度コントロールができるiPhone XRをパクりだと揶揄したのだ!
今回のPixel 3ではQualcommのフラグシップSoCであるSnapdragon 845を搭載しているが、GoogleはこのSoC搭載によって向上した処理能力についてほとんど言及しなかった。
これは正しいと言えるだろう。もはや多くの人が察しているだろう、今回のMake By Google 2018のテーマの1つは明らかに「ギーク」だ。
AR技術であるARステッカーをリブランドした「Playground」によって投射されたアイアンマンが登場したとき、ついつい「MARVEL!!!」と叫んでしまった同好の士も多いかと思うが、これはもうGoogleは「Pixelの顧客はおまいらだ」と明言したと受け取って良い。
そう、顧客はおまいらなのだ。そうであるならば間違いなく数字はパワーだ!パワーはジャスティスだ!
ならばぶっちゃけ完成度が高すぎるA12 Bionicに対抗して処理能力の向上をアピールするのは得策じゃないだろう。
おまいらは知ってるんだ現状最強のSoCはA12 Bionicだと。わざわざ負ける部分をアピールする必要なんてない。
もうこの時点で馬鹿みたいに笑わざる得ないwww
Appleが去年発表した「AirPower」はiPhone XR/XS/XS Maxが出荷されても何故かユーザの手元には届かない。
でもAppleユーザは安心して欲しい。Googleの純正無接触充電スタンド「Pixel Stand」はQi対応の様々なスマートフォンで使えるらしいので。ゴメン笑うw
いやぁ便利ですよね無接触充電ってwww
すべての部分でAppleディスっても仕方がないので、Googleはその他様々なプロダクトを公開した。
その中でやはり注目すべきは「Google Home Hub」で、ホームIoTブランドの「Nest」を抱えている優位性はAppleが指をくわえて見ているしかない分野だ。
Appleもただ黙っているわけでなく「HomePod」などをリリースはしているがGoogleのGoogle Home miniの投げ売りのせいのあってか上手くはいってない。
Pixel SlateもCeleronからi7まで幅広いライナップを揃え、軽量なChrome OSと合わさり中々便利そうである。
そもそも北米のSTEM(教育)市場ではChrome OS無双と言って良いほどのシェアを獲得しており、AppleだけでなくMicrosoftもSTEM市場に興味を示してはいるが、Googleの牙城を崩せずにいる。
もっと細かく語っても良いのだろうけど、実際の製品などに関する情報はメディアサイトなどを読んでくれたほうが良いと思うので、そちらをどうぞ。
こういう「判る人にだけ判る」って部分を語れるのが増田の良い部分だと思う。
ホント最高に面白いMake By Google 2018でした。
バンド活動とかって本当にただただ時間の無駄でしかないのにね。
コピーバンドで譜面を丁寧になぞろうと必死になっても何にも残らんよ。残らなかったよ。
旗から見てどんなにレベルが低くても自分で何かを作っている人間と、必死になって延々と写経を繰り返しているだけで終わる人間なら、前者の方が絶対に優れている。
知りもしない下手くそな曲、その割にはどっかで聞いたようなコード進行でなんのオリジナリティも感じられない曲をいきなり聞かされるぐらいなら、知ってる曲のカラオケでも聞かされたほうがまだずっとマシだってのはよく分かるよ。
それを目の当たりにするだけの日々なんて虚しいだけだぞ。
(多数の暴言あり)
なんかもう各所で言われてる気がするけど、やっぱり最近の9mm Parabellum Bulletおかしいです。そろそろ限界です。
当方9mmは小学生から聞いていて、高校生で初めてライブに行き、そこで音楽への道に開かれました。9mmが自分の音楽にまみれた人生を開いてくれた訳です。要は開祖です。それくらい好き。今でもTermination聞いたら良すぎてゲロ吐きます。音が細胞に染み付いてる。
ライブ自体はそんなに数多く行っている訳ではありません正直。メンバー四人が揃っているライブは2、3回しか見たことないんじゃないかなと思います。
初めて滝がいないライブを見たのは確か太陽が欲しいだけツアーのアンコールです。サポードギターの武田さんを迎えた四人でTerminationをやったんですね。一音目が鳴った瞬間の、あの衝撃。後ろから膝カックンされたみたいな拍子抜け感。嘘だろと思いました、まさか滝がいないだけでこんなにうっすい音になるのかと。それが初めでした。
それからというものの、もうそのRevolutionary(薄口)がトラウマのようになってしまって、しばらく9mmのライブに行きませんでした。ツアーでも近場でも行かなかった。あんなのはもう聞きたくないと、すごく申し訳ないんですけど思ってしまったんです。コピーバンド聞きに行ってるんじゃねえんだぞと。思ってしまったんです。
で、時は流れ、BABELが発売されました。私は好きなバンドにお金を落とすの大好きマンなので買いましたが、多分一回も通して全部聞けてないんじゃないでしょうか。すごいメタルなところは最高だと思うんですけど、歌詞と音に味がない感じがするというか、歌詞に至ってはJPOP聞いてる気分になって何回も途中で耐えきれなくなって飛ばしてます。まあこの辺の話は好みの問題だと思うんで割愛しますけど。で、ライブやりますとなるわけです。そうしたら追加公演、東京、滝が出ますという情報が出ました。これは行こうと思って、即チケットを買いました(これがまた後から普通に買えちゃったのもショックでした。余ってたってことですからね)。あの日から結構な間9mmのライブ見てないけど、もしかしたら今のサポートありの9mm、別に悪くないんじゃないか、なんやかんやでうまくやってるんじゃないか、自分は食わず嫌いしてるだけなんじゃないか、という淡い期待を抱きながら夜行バスに飛び乗りました。
弁明しておきますが、サポートの方を叩く意図は一切ありません。9mmのピンチをスケジュールの合間を縫いながら助けてくれたことは確かにありがたいと思います。でもそういう話じゃないんですね、サポートの技術が高いとか低いとか、そういう話じゃないと思うんです。多分このサポートが超有名ギタリストだったとしても同じ感想が出たと思います。滝の代わりは誰にも務まらないんですよね。あの四人が揃って初めて9mmが9mmの音を出せるんだと思うんです。そこに足したり引いたりしたらもうそれは9mmじゃないんです。7mmとか1cmとかなんです。
BABEL東京公演、確かに良かったです。まず曲が良かったですよね、古参ファン垂涎もののセトリでしたからね。光の雨とか会場しばらくざわついてたもん。あとギター増やしてやたら爆音にしたり、石毛呼んだりね。石毛のサポートは本当に良かったです、だって電話の曲やっちゃったんだもん。もうそれで全部持ってっちゃったんで、代わりにならねえよとか言えないです。あれはずるい。
良かったんですけど、アンコール、滝が出たほんの数分を見た後は、本当に何も見えなくなりました。本編が全部まるごと前座でアンコールが本編だったんじゃないかと思いました。本編とかもうあれ学芸会?みたいな。それくらいの衝撃をもって吹っ飛ばされました。ギター3本?なにそれ?みたいな。明らかに滝一人入った時の音圧のほうが上なんですよね。音圧っていうか、なんでしょう、音の飛び?みたいなのが良すぎる。なんだあれ。私だけかなと思って同行者に聞いてみたら、「アンコールが本編だった」って言ってました。私の耳に滝フィルターかかってるわけじゃなかった。
そこで確信してしまったわけです、やっぱり滝のいない9mmのライブは観れたもんじゃないと。
そこからはずっと、な〜〜〜〜んでライブ活動休止しないのかと散々愚痴をいろんな知人に言って回りました。マキシマムザホルモンがナオ姉妊活の時活動全面休止したみたいにさあ全部休止でいいじゃんと。音沙汰のないところから滝復活・新譜発表・ツアー決定の三連攻撃を突然出してくれる方がよっぽどかっこいいと思うんですけど。なんで無理矢理にでもライブやろうとしてるのか本当にわからない。なんか、風邪ひいてるのに無理に出勤してくる奴を見てる気分。帰れよ。お前が来たら全員に感染の危険があるから。全員に迷惑かかるから。優しさとかじゃないから、帰って寝てろよと。そういう気持ちになる。
新しいレーベルを設立したばかりなのでお金がいるんだろうな、っていうのもなんとなく予想しました。分かる、分かるけど、でもやっぱりやめてほしい。これ以上惨めな姿をさらして欲しくないというのが正直なところです。メンバー全員リスペクトしてる海外バンドとの対バンとかなんで受けちゃうの?それこそ万全の体制で受けないと失礼なんじゃないの?と思ってしまうわけです。CDでもDVDでも出してくれたらなんでも買いますし、他のところで金策してほしいんですよ。
この金策の為説、日に日に信憑性が増していってて。もう段々アイドル商法みたいになっていってますもんね。BABELの時も、メンバーとの撮影会つきチケットを高額で販売したり。今やってるPOP UP SHOPでは、メンバーの秘密が聞けるボイスが流れたり。なんかもう、ハァ???という感じなんですね。アイドルかお前らは。撮影会ってなに?地下アイドルなの?ボイスってなに?声優なの?
そう、これなんです。9mm Parabellum Bullet、アイドル化してる。これに尽きると思います。もう音楽誰も聞いてないんじゃないかってくらい。サポート入りの9mmの音を聞いて「最高!」とか言ってるやつがいる。しかも昔からずっと9mm好きです!みたいな人。本当にちゃんと聞いてますか?顔ばっか見てるんじゃないですか?ちなみに私の周りの9mmを知っている人は全員「滝のいない9mmはじゃがいものないポテトサラダみたいなもんだ」って言ってました。
昔の9mmってこんなんでしたっけ?確かにラーメン作ったりろくろ回したりゲーセン行ったりしてましたけど、でもなんというか、もっとちゃんとバンドしてたような気がするんですけど。もっと音楽してた気がするんです。どうでしょうか。いい加減彼らをアイドルばりに持て囃すのやめませんか?ファンも、レーベルも。
私には今のところ9mm解散の未来しか見えていません。義務感でツアーを続けているのは本当によくない兆候だと思います、解散の兆候だと。メンバー四人が揃ってるところ、ライブ以外でいつから見てませんか?このままだと貴重なモンスターバンドがまた一つ消えてしまう気がしてならないんです。本当に。
あなたは昨年末「仮想通貨ビジネスに参入する」と発表してちょっとした話題を呼んだ某芸能人をご存知でしょうか。
ご存知でもご存知でなくてもこの後に続く話を読んでいただくのに特に支障はないかと思います。
私はそこそこ長い間、彼のファンでした。
ソロ活動始めてからしばらく経ってからだったので、古参とかそういう話をするなら
私より長く彼を応援している人だってそれはもうたくさんいるはずですが、
少なくとも15年以上は経ってるはずなのでまあそれなりに長い間と称していいんじゃないかなと思います。
けれどふとしたきっかけで彼の歌を聴いた時、一発で心をわしづかみにされたのです。
なんて綺麗な声で、なんて綺麗な曲を歌うんだろう!
なんて魅力的な歌を書くんだろう!
なんて素敵な世界観を生み出す人なんだろう!
音楽、映像、文章、美術、演劇といったありとあらゆるアプローチを行い、
本人のみならずバンドメンバーやスタッフまでその一部として役割を与えられるものでした。
一度、彼のファンでもなんでもない友人をライブに連れて行ったことがあるのですが
「演出や作り込みがすごいから特に事前情報を仕入れていなくても引き込まれたし楽しめた」
みたいな評価をしてもらえたので、本当に総合芸術としてよく出来ていたんだろうなあと思います。
そんな類いの作品に触れたことさえなかった私はもう夢中でした。
CDも雑誌もメディアもライブも、彼の発信するものは全て見聞きしたかった。
可能な限りそうしていたけれどまるで満足できなかった。
それがもどかしくも嬉しかった。
彼の語る言葉を読むたびに新しい価値観が自分の中に形成されていく気さえしていましたし、
この先どんなことが起ころうとも彼に憧れる自分のこの感情は決して変わることはないだろうと信じ込んでもいました。
そして、そんな彼のソロ活動20周年を間近に控えた2018年最初に齎されたイベント開催告知の内容は、
ファンクラブ会員向けの仮想通貨事業に関するトークイベントでした。
あっ、だめだ、と思ったのはその時でした。
なんか最近曲の系統が全部同じように聞こえるなとか、カバーアルバムとかコピーバンドとかが目立つなとか、
内輪向けイベント多いなとか、昔こういうことはやらないって言ってた内容の活動してるなとか。
だけど私は、彼には夢を見させる力があると知っていたしそれを信じていたかった。
今はたまたま私の好みではない展開を行っているだけで、彼が彼の世界観を表現していることは変わらないのだと。
いずれまた流れが変わって私が夢中になるような夢をまた見せてくれる日もきっと来ると信じていたかった。
事実、心が離れかけて今回で最後にしようかなと思いながら出向いたライブでまたドカンと衝撃受けて
魅了されて大泣きしてやっぱり私はこの人の作品が一生好きだ……と惚れ直させられたことだってありました。
惰性になっているのでは?と自問自答しながらもファンクラブの更新を切る気にもなれなかった。
でも、アーティストでなく実業家を名乗って、年齢も本名も公開して、そんな姿を見たら流石に
「ああ、きっと彼はもう夢を見せる仕事をするつもりがなくなってしまったんだな」
と理解せざるを得ませんでした。
ゼロから何かを創作するということには途方もない労力が必要でしょう。
それをエンターテイメントとして大衆に届けるためには、また更に大きなエネルギーや資本が必要になってくるでしょう。
それをずっと続けるというのはあまりに困難な道でしょう。
その道から逸れて違う歩き方を選ぶ人を責める権利は、この世の誰も持っていません。
まあ綺麗事ばっかり言っても仕方ないというかね。
ぶっちゃけその夢を見させるための土台のところでいろいろ大変なんだろうなあっていうのも
「やりたいのにやれない」みたいなことは絶対にあったと思うし
こっちも展開されたグッズとか毎回必ず買ってたかって言われるとゴメンナサイって感じなので
仮想通貨も私にはちょっと分からないけどある程度勝率とか将来の展開図とか見越したからこそ
あれだけ派手に打って出たんだろうし上手く軌道に乗るといいねえって思ってる。
間違っても彼に対して「裏切られた」みたいな感情を抱いているわけではないんです。
ただ私の神様はもういなくなってしまったんだなぁという実感を覚えてしまったことがひたすらにさみしくてかなしい。
アイドルを追いかけた経験はないけれど、推していたアイドルに「普通の女の子に戻りたい」って言われた時の
ショックや悲しさやそれらに交じる僅かな自責とこの感情は似ているのかもしれないと思う。
生きているあなたに偶像でいてくれなんて願うことがとんでもない傲慢だということは理解しているけれど、
それだけの話でした。ここまでお付き合いくださいましてどうもありがとうございました。
願わくば彼の進む道の先が彼にとって望ましいものでありますように。
でもあのファンミ案内はどこからどう見ても芸能人使った怪しい投資セミナー詐欺の勧誘にしか見えなかったからもうちょっとどうにかした方がいいと思う。
カープ優勝のツイッターを眺めてたらトレンドに「リンダリンダ」が上がって来た。どうやらMステでブルーハーツの過去映像が流れたらしく初見の人達のつぶやきが膨らんだらしい。曰く「ヤバイ」「この人クスリやってるだろ」「落ち着きなさ過ぎ」「障害者?」等々。まぁネガティブ。けどその衝撃を受け入れ切れない拒絶反応にも思える。
当時中学生、家族でテレビを観ていると件のリンダリンダ。広島の更に奥地の田舎といえでも既に友達の間ではダビングテープが回ってきてたし先輩はコピーバンドを始めてたし、誰かがパクった吉本バナナのブルーハーツ本は回し読みされてた。少なくとも自分の周りは皆パンクロックの熱に浮かされていた。で、リンダリンダ。母ちゃん「なんなん、この人、気色悪い」姉「狂っちょる」自分「キチガイじゃね」 いや、カッコよかった。ぶちカッコよかった。おしっこちびった。カッコよかったと言いたかった。けど家族の手前言えんかった。火照ったまま二階に上がって布団に包まって雄叫びあげてセンズリこいた。
大学生の頃にインターネットで知り合った人と会いまくっていて、ネットで知り合った人の家に入り浸ってごはん食べさせてもらったりPCゲーム借りて一日中やったり、そんなどうしようもなくてしょーもない日々を過ごしていたことがある。
その時期に出会った同じ大学の同級生がいた。まるで双子の半身のように思える人だった。
同じ大学とはいえ広い大学で、学部が違ったのでインターネット上で初めて知り合った。大学三年生で、Twitterが流行りだした頃だった。相互フォローだった。初めて会った彼は人好きのする顔をしていた。人によってはイケメンと言う。案の定地元に付き合って長い彼女がいた。
ちょうど大学の歓迎祭の時期で、彼が出るというバンド演奏を見に行った。知らなかったけれど、好きな系統のアーティストのコピーバンドだった。ドラムを叩く彼のことを少し好きになった。バンドはドラムが一番格好いいと思う。大物の武器を持ったキャラクターが好きなのと同じ気持ちかもしれない。
だらだらとTwitterでリプライを交わした。だめな大学生だったので時間は無限にあった。タイムラインにはりついて深夜まで過ごしているといつも彼もツイートをしていた。みんなが寝静まって人の少なくなったタイムラインで、彼とリプライをつけずに会話した。夜更かしが好きなんだと彼が言う理由が同じだと良いなと思った。
彼は悪く言えば女々しい、女の子みたいな中身の男だった。インターネット上でもちょいちょい性別を間違われていた。逆にこっちは男に間違われてまくっていた。まるで世界はうまく回っていない。逆だったらよかったね、って言い合った。
だめなところが同じだった。まるで自分のようにどこまでも同じだった。自分に甘くて、そんな自分が嫌いで、だけれどもそれもひっくるめた自分のことが少しだけ好きだった。精神性が似通っているものだから、このころ、互いのことを双子と呼びあった。自分自身を慈しむようだけれど、だめなところも全ていとおしく感じていた。半身のように大切だと思っていた。
夜中に彼の家の近くまで散歩して牛丼屋に行ってふたりで牛丼を食べた。前にバンドで聴いたアーティストのCDを借りるという口実。CDを受け取ってから、夜更けの人気のない大通りの交差点で、車止めに腰掛けてだらだらと喋り続けた。借りた3枚のアルバムの、そこに入っていた曲だけをいまだにずっと聴いている。あまり音楽を聞かない人間だから、そのとき久しぶりに好きなアーティストが増えた。夜ってだけで楽しい。二人でこのまま時を過ごせたなら。そんな曲が入っていて、なんとなく重ね合わせてみたりもした。
それとは別だけれど、特別に、彼のことを思い出す曲がある。あの日彼が叩くドラムで聴いた曲。彼にとっては好きなアーティストの、演奏するくらいだからわりと好きな方の曲なのかもしれない。だけれどもきっと、たぶん、それだけなのだろうと思う。こっちが勝手に彼のことを思い出す曲だと思っているだけで、彼にとってはそうでないことが少しだけ悔しかった。
あのままふたりで甘く腐っていくような時間を過ごしていく選択もできたと思う。もう少しだけ人生に諦めがついていたら、そうしたかもしれない。大学三年生、やれるとしたらあの頃しかなかった。その最後の選択肢を選ばなかった。まだ彼には、地元に残してきた彼女がいた。
数年後、Twitterのアカウントを消してから疎遠になって以来久しぶりに会った彼は地元の彼女とはとっくに別れていて、知らない女の子ともうじき結婚するのだとビールを片手に話していた。それが数ヶ月前の話、だから確か本当にもうすぐ結婚式をするのだと言っていた気がする。
ありがとう、さようなら、おめでとう。いろいろ言いたいけれど綺麗にまとめるのもなんだか違う気がして複雑だったので、こっそりここに置いておく。
彼とつるんでいた時期のことを思い出すとあまりに大学生らしくエモく退廃的な日々で、思い出すほどにこうしてポエムが無限に出てくる。ともあれ、徹夜明けの朝みたいに、ろくでもない日々だった。