はてなキーワード: コピーバンドとは
友人としての贔屓目はあるが、それでも良いMVに仕上がっていると思う。
もし将来そのバンドが売れたら俺が100%出資者だったんだぜと自慢ができる、楽しみだ。
友人であるAとは中学の頃からの付き合いで、そろそろ15年くらいになる。
正直、俺とAは中学ではパッとしない人間で、同じ野球部に入っていたが大して活躍することはなく、顔もそこまで良くはなく、当然モテるなんてこともなくて、まぁスクールカースト最底辺一歩手前ってところの立ち位置だった。
中学3年の夏を都大会2回戦敗退とかで特に感慨もなく終わり、さぁ高校はどこに行こうかと考えていたところ、Aが高校でバンドやろうぜと俺を誘ってくれた。
Aがバンドに興味を持っていたなんてことを全く知らなかった俺は、なんでバンドやるんだ?とAに聞いたところ、Aは「バンドやってたら格好いいから。俺は格好よくなりたいんだ」と答えてきた。
よくある話だが、あの時俺は、Aを格好良いやつだなと思った。
当時、格好良く・可愛くなるための努力をするやつはダサい、という風潮があった。高校デビューは馬鹿にされていて、最初からダサいやつはずっとダサいままでいることが求められていたと思う。そんな中でAは臆面もなく自分の理想を俺に語っていて、主人公みたいで、Aに付いていったら面白くなるかもと期待して付いていくことを決めた。
高校では俺がベースでAがギターボーカル、他にドラムとキーボードを捕まえてフジファブリックのコピーバンドを始めた。狭いが安いスタジオに男4人でこもり、脳に直に響くようなAのギターソロを聴く瞬間が俺は大好きだった。男臭い3年間だったが良い青春を過ごせたと思う。
結局俺は高校卒業とともに軽音をやめてしまい、Aとも大学を別れてしまったが、Aが告知するライブを時折見に行き、一年に一度飲みに行く付き合いを続けた。俺が大学院に進学してもAはバンドを続けていて、時折オリジナル曲のサンプルを聞いて感想を伝える、なんてことを続けていた。これまでは言葉と態度で応援するだけだった。正直今までのバンドでお金を出す気になることは一度もなかった。
去年の春にAから新しいバンドを組んだと聞かされ、送られてきたサンプルを聴いてみたところ、かなり出来がよかった。どこで見つけてきたのか、Aは華のある女子ボーカルを捕まえてきた。キーボードもセンスを感じる。曲も良い。Aのギターリフも相変わらず格好良くて耳に残る。中毒性がある。これはもしかしたら売れるかもしれない。
俺にクリエイティブなセンスは一切なかったが、自分の好きなものを見る目には結構自信があった。これが外に出るならお金を出してみたい。秋に送られてきたMVのクオリティも高く、人のふんどしでバズってみたい欲求に駆られた俺はAに出資したい旨を伝えた。
正直10万円なんて広告費用としてはたかが知れているだろうということは想像に難くなかったが、Aはとても有難がってくれた。俺が本気であることを真摯に受け取ってくれたことが嬉しかった。Aと相談してYouTubeの広告費用に充てることに決まった。
10万は貧乏学生の自分には少し高いが、これからの数年間でAの夢を一緒に楽しませてもらえると思うと安いと感じる良い買い物だったと思う。売れるといいな。頑張ってほしい。
【1/9 16:00 追記】
はてなの皆が優しくて嬉しい
何名かの人がリンクを貼ったら良いのにと仰ってくれたので貼らせていただきます
PompadollS - 日の東、月の西
https://www.youtube.com/watch?v=v6Bd19sNiWc
もし聴いてみて良かったらTwitterも拡散してくれたら嬉しい、俺はTwitterバズの力を信じたい
https://x.com/pompadolls/status/1744209877092995103?s=46&t=fd_CP2JE1EzFet__41Mjlg
(結構伸び始めてそろそろ怖くなったので実名は消しました、でもバンドメンバーの中の人じゃないよ!)
【1/9 19:00 追記】
この記事のコメント欄とかも全部見て喜んでくれてる、本当にありがとう
現代でビートルズのコピーバンドやってた4人組が1960年くらいにタイムスリップして、
ビートルズが曲だすまえに出してかわりにヒットするって話
俺TUEEというかもろチートやって成り上がってくとこ、起承転結の承くらいまではおもろいけど、転結がいまいち よわくてつまらない
結局ビートルズの曲がない世界でビートルズの曲つかって名を上げるってだけで、
それを利用したオリジナリティ部分が弱すぎてつまらなくてインパクトにかける
もtっとビートルズの曲を利用した意味だとか必然性とかに意外性とか面白さがあればいいのに
ビートルズの曲で約束されたヒットを飛ばすだけでほぼ終わってしまってるのがほんまあかん
言うなればバックトゥザフューチャー1のマーティのギターとチャックベリーのほのめかしだけを取り出してふくらませまくって1本つくっちゃいましたみてーなもんだしなあ
ほのめかし程度でにやりとさせる程度だからこそよかたものをメインにしようとしたらそらそうなるよっていうね
ドラマ部分もほんま・・・ジョンポジのキャラがタイムスリップした後にバンドに入るのをずっとしぶってるけど結局普通に入ってそのあと何もないしさ・・・
ススキノの頭部切断事件が、家族ぐるみの猟奇事件の様相を呈してきたので、さらに野次馬的に解釈して味わうための怪文書です。
共犯の父親が初期ジェネシスのコピーバンドをやっていたのはすでに報道されている。
この時期のジェネシスの楽曲やステージは、悪趣味なアングラ演劇の要素や奇妙な伝承物語の要素が盛り込まれている。
代表作は1971年のアルバム「Nursery Cryme」だ。
装飾的な白い服を着た女性が無表情でクロッケーの木槌を掲げるジャケットで、その足元には切断された男の首が転がる。
アルバム名のナーサリークライムは童謡(ナーサリーライム)と叫び(クライ)と犯罪(クライム)をかけた造語。子供部屋犯罪とも訳せる。
1曲目のMusical Boxの歌詞カードには、次のような短いストーリーが添えられている。
8歳の少年ヘンリーがクロッケーを遊んでいるとき、9歳の少女シンシアは優しい笑顔でクロッケーの木槌を優雅に振り上げてヘンリーの首を跳ね飛ばした。
2週間後、シンシアがヘンリーの子供部屋で彼が大切にしていたオルゴールを見つけた。
オルゴールを開けると「オールド・キング・コール」の曲とともに小さなヘンリーの精霊が現れた。
(「オールド・キング・コール」はマザーグースのひとつで、音楽好きで陽気なおじいさんであるコール王の歌)
ヘンリーの精霊は、心は子供のまま、みるみる年を取り老人になっていった。
彼は一生分の欲求を抱えた性欲モンスターであり、シンシアにこの欲を満たしてくれと迫る。
騒ぎに駆け付けた乳母がオルゴールを投げつけてヘンリーの霊を退治した。
ライブで老人の仮面をかぶって、タッチミー、タッチミー、ナウ、ナウとしつこく迫るさまを叫ぶように歌うのが曲のクライマックス。
ススキノの事件がこの物語に沿っているとは言わないが、仮面を自作してコピーバンドをやるくらいの人なら、このストーリーを知らないわけはないし、
犯罪に手をかけるとき脳裏に浮かんだであろうことも想像に難くない。
ついでに言うと、ルナの名前もよくある日本名ではあるが、この手の趣味の人がルナティックが狂気を表すことを知らないはずはないので、ぎりぎり悪趣味にならない範囲でそういう嗜好の名前をつけたのだろうと想像する。
まず自分はサタデーソングブックからの山下達郎ファンで、自分の音楽の嗜好に大きな影響を受けているし、コピーバンドも多くやってきた。
ただ聴くのは最近再評価されているシティポップ文脈上にあるシュガーベイブ時代やRCA時代が主で、特にここ10年位は新譜やリマスターを出る度全部買いするほどではない。
達郎の存在を大きく感じているが、胸張ってファンを名乗るほどでもない、微妙なファンである。
そんな自分が例のサンソンを聞いた後、整理し切れないお気持ちをつらつら書いてみる。
自分は正直今回のサンデーソングブックを聴くまでは、少々達郎氏に同情すらしていた。
ジャニーズの下請けみたいなもんだし、まぁ多少の忖度も致し方ないよねと。
松尾氏がSCと業務委託関係にあるのは知らなかったけど、氏との親交は様々なメディアで見聞きしていたので
バッサリ解除はだいぶ物々しいけど、達郎も板挟みで苦労してるのかなと。
だからサンソンでは忖度は否定しつつ、ジャニー喜多川氏の一連の疑惑についてはひとまず調査チームの報告を待つ程度の当たり障りない報告をして、場合によっては今後の対応決めるまでの時間稼ぎにサンソン休止もあるかも、位に思っていた。
ところがいざ蓋を開けてみたら、松尾氏との今までの親交は全否定。
松尾氏の提言を根拠のない憶測による批判と斬り捨て、それが解除の一因と認める(そもそも社長に一任なのに達郎が「認める」っておかしいが。そして色々他にも論理矛盾があるが)。
(この辺りの達郎の言い回しは是非Radikoで聴いて欲しい。文面以上の怖さ、冷たさがある)
事実、音楽系メディアは腰が引けた報道しかしていないし、業界人も多くはダンマリ。
実際は達郎こそが忖度を要求し、少しでも異を唱える者を切り捨てる側だった。
ショックだった。
日々理不尽な忖度根回しを要求され、少しでも異を唱えれば切り捨てられる。
そんな日々の辛さを癒してくれるのが音楽であり、達郎の言う「市井の人に届ける」はそんな自分のような者に寄り添う音楽を届けてくれるものだと勝手に思っていた。
そんな自分が一番見たくないもの、聴きたくないものを聴かされた。
今まで抱いていた勝手な期待が裏切られた。
その後達郎は延々とジャニーズ愛を語った後で「これを忖度と感じる人は私の音楽を不要とする人だ」と言い放つ。
信者なら「自分こそが選ばれしファンだ」と狂喜しただろうけど、自分はもうだめだ。ついていけない。
そもそも達郎はサブスク拒否し、物理のみでやっていくと宣言しているから、新作を逐一追わなくなった自分のようなファンはもはや邪魔なノイズでしかないのだろう。
これを聴いてしまった以上、今後はどんな気持ちで達郎の音楽に接すればいいのか。
「作品と作者の人格は別だ」と力説した達郎が、その舌の根が乾かぬうちに「俺の言うことが分からない奴は俺の音楽も聴くな(意訳)」と言っている。
「ああわかったよ。もう聴かねえよ」と吐き捨てたい一方で、達郎の音楽は達郎の思う形ではないにせよ自分の中で大きな位置を占めているのも事実だ。
サンソンで知って聴くようになった数々の音楽も、達郎と紐づいてしまっている。
新興宗教の元信者のようなといえば大袈裟だが、それの縮小版のような複雑で空しい気持ちを抱えている。
唯一今回の騒動の中でほっこりしたのが七尾旅人のツイートだった。
https://twitter.com/tavito_net/status/1678010883971366913?s=61&t=4yrPjfd_pvJEGuUfn5NXxw
斉藤和義氏が政治的発言をして炎上した時も、事務所社長の浜田省吾がのらりくらりと庇ったりしていたよなぁ。
というか、SCというか達郎もこういうミュージシャンの多様性を認める懐の深い奴だって勝手に思っていたんだよな。
松尾氏の契約はマネージメントと違うし、バックグラウンドも違うから一概には比較できないけど、もう少し血の通った解決はできなかったのか。
できないんだろうな。達郎はそういう奴じゃなかったんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230628091536
文句を言うたら自分で作れ言うてじゃあ料理本立ち読みしたりネットで色々調べて弁当作ったろ思ったら食材勝手に使うな言われてだったら食材買う金くれやって言うたら無駄遣いするな言われて結局詰むやつを私も経験者したからわかるし小6のとき家庭科の授業でエプロン縫う課題出されたときうちにミシンなんかないからお前が針で手縫いしい私は縫い物なんかわからんから教えられんし最近お前が米を大量に食うせいで家計が逼迫してるんや的なことを言われて肩身の狭い思いをしながら家のばっちいタオルとか古着渡されて丈が足りひんもんだから同級生に笑われながら魚屋の前掛けみたいなクソダサい汚いエプロン作る羽目になって担任が焦って前掛けに筆と白い絵の具で魚の文字を書いてくれてこういうのも世の中にはあるからなって守ってくれたけど結局クラス中の笑い者にされたしもちろんそんな親だからお使いさせるために携帯は渡されてたけど当時流行ってたDSとかの娯楽品なんか一切買ってもらえんし私が学校で浮いてるとかでハブられて笑い者にされててもそんなん誰でも同じや大人になったらわかるとか言うて一切意に介さず親戚を呼んで酒盛りをするときには人生で唯一縁日で買ってもらって私も馬鹿だからそんなのでも親に買ってもらったものだからって大切にしてたんやけどスポンジ製の鹿の角を被ってピーナッツとか投げられながら親戚のキモおじとか母親の友人の息子に服脱いだりお尻を見せて卑猥な芸をすることを強制されたりして結局母親の友人の息子には犯されてそのことを親に訴えても相手にされんから自傷してホンマなんや信じてや言うたら世の中誰でもつらいんや甘えるな言うてビンタされて流されたし中学になると身長が170cm超になってお前そんな立派な体してるやんから運動しろやプロアスリートになって稼げや言われて無理やり陸上部に入れられたり美容院も行けなかったから前髪パッツンロング維持やったけど自分でハサミで切ってたし私が使ってええ言われてる家のシャンプーがかなりケミカルなやつで肌が真っ赤に腫れてボロボロになるしフケも大量に出るから変えてって必死に訴えても相手にされず真っ赤に腫れた頭皮を親に見せるために自分で一部を丸坊主にして頭皮がこんなに真っ赤に腫れてるのに何もしてくれないのって訴えてもやっぱり相手にされなかったとか本当に酷い扱いをされすぎた結果楽しみといえばお小遣いゼロの中欲しい物とか好きなものの絵をノートに描くことくらいだったけど友人関係には恵まれたので長期休みには家出みたいな感じで友達の家に長期に渡って泊まり込んだり高校のときには家に放置されてたベースを学校に持ち込んで同じ意味軽音部の子に直してもらって夜中にこっそり見てたけいおんの話題で意気投合してコピーバンドやったりその時だけは幸せやったけどマジで親ガチャミスると10代を棒に振るしうちは肉は体に悪いし贅沢品や日本人なら米で腹を膨らませろや味噌汁は最後の一滴まで飲めとかホンマヒドい食育で結局中学のとき栄養失調で陸上部の練習中にぶっ倒れて救急車呼ばれて病院行きになったけど親は意にも介さずお前体力ないなとか揶揄してきて結局親は両方とも塩分糖分摂りすぎで後年糖尿病になってるんやけどもう絶縁したしどうでもええんやけどあいつらどんな教育受けて育ったんや思うし今や学校クラス内での格差で自殺する事例もあるちゅうのに子供の訴えに耳も貸さずひろゆきみたいに論破して気持ちよくなってる辺り件の馬鹿女は本当に幼稚なんやろうな思うし親の役目は子供を保護することでもトロフィーライクなペット扱いすることでもなく子供を一人の人間として自立させることや的な話をそこかしこで聞いたが全くその通りやと思うしイライラしてるときに自分の子供につらく当たってスカっとしようとか子供の自立に必要な家事全般のスキルを一切習得させず子供と同レベルに立ってマウント取って何も成長させず一定期間が来たら人間不信を植え付けたまま勝手に社会に放逐するその風潮こそが少子化の原因やないんと思う次第だしトー横とかドン横オア下池公の子たちに聞いても同じような生い立ちやからやっぱり私やあの子達の親に当たる氷河期世代は碌に勉強せんとアニメゲームファミコンサブカルに代表されるキモオタコンテンツに夢中になって欠陥品に育って発達障害拗らせた結果大人になれんクズに成り下がってそれを見透かされて仕事貰えへんのを社会のせいや政府のせいやと責任転嫁してるだけちゃうかとホンマ思いますわ
音楽ってマジで合法的なパクリの嵐というか、ある世代のあるタイプの人たちは皆その世代のヒーローをパクっていてそれを誰も悪びれないし、彼ら的には本気でインスパイアだと信じてるっていう業界すぎるんだよなあ。
日本人バンドの曲がどっかの洋楽とそっくりすぎるパターンくそほど多くて、日本語歌詞つけただけのコピーバンドじゃないのって状態が結構あったり。
最近はそれを皮肉って「っぽい」を沢山作ることを売りにしてるバンドとかも居たりするカオス。
ぶっちゃけそういうのってもうAIにやらせりゃいいじゃんって所はあるし、人間ごときにやれてるんだからAIならラクショーでガンガンやるんだろうなと感じる。
そしてこれが始まったらそれしか出来ない奴は消えるんだけど、ぶっちゃけ多くのバンドって最初はコピーバンドから始めたりカバーで火がついたりしてるわけで、入り口が消滅するんだよね。
今成長し終わった人は平気だろうけど、新陳代謝しようとしたときにバンドを新たに始めてからメジャーまで行くまで耐えきれる人の数が大幅に減って人口減少問題みたいなことになるんだろうね。
フッツーにコピーバンドがカバー曲だけを演奏したりとかしてんのな。
これまで、メジャーかインディーズでオリ曲やってるようなバンドのライブしか行ったことなかったから知らんかった。
で、そのバンドの身内が10人くらい最前列でわーわーやって終わったら次のバンドの身内と交代。
バンドの身内以外はその辺で酒飲みながらだらだらくっちゃべってる。
全然触れてきたことのない世界だったからちょっと面白かったわ。
みんな音ガバガバで草。これはPAさんの責任なんやろか、知らんけど。
飲食スペースが併設されてて、ライブ終了後はバンドマンと観客が一緒に酒飲んで飯食っててワロタ。
めちゃくちゃ縦に長い実験室のビーカーみたいなグラスで酒を一気飲みするパリピ脳。
誰が考えたんだよあれ草。
こんなところからメジャーデビューするバンドはないんだろうなぁと思いながら思いのほか楽しませてもらった。
ライブハウスのオーナーのおっちゃんにまたおいでよ、今度はうちの一押しのバンドが来るときに連絡するわって言われたのでまた時間が合ったら行ってみようと思う。
それから数十年、会社員をしながら趣味でバンド活動をしていた。
幸い良いバンド仲間にも恵まれていたので1~2ヶ月に一度のペースで都内のライブハウスでコピーバンドだけどライブもやっていた。
他に得意なことも無かった私には、まあそれでも「弾けない人よりは多少マシに弾ける」というレベルだったけど、自己表現をして対面で認めて貰えるというのはとても嬉しかった。
私はIT系の仕事をしているので、2020年5月の時点で完全にテレワークへ移行した。
幸い収入が減ることはなく、通勤時間がゼロになったことで睡眠時間が増えてむしろ健康になったくらいだ。
テレワークが開始されてから今まで、会社へ出勤したのは3回程度。
行きつけのラーメン屋の店主とちょっとした挨拶するのが他人と対面で会話する唯一の機会になった。
このような生活を始めてからちょっと落ち着いた頃に「無観客の配信ライブをやらないか」とか「限られたメンバーのみでスタジオでセッションやらないか」など誘われたことがあったが、この状況下で「人が移動すること自体に様々なリスクがある」と思っていたので、すべてお断りした。
また、コロナ禍の出始めのころ「ライブハウスでクラスター」といった話が広がったこともあって、ギターを背負って外に出る事自体に後ろめたい気持ちが少しあった。
余計なことをするとライブハウスに迷惑がかかってしまうのでは?とも思っていた。
そんな中、オリンピックが延期になった。
当然のことだと思った。
結果、オリンピックは2021年に開催して無事(?)に閉会となった。
個人的には今も、やるべきじゃかなったではないかと思っているが、私のような凡人には正解は分からない。
そして先日、2021年8月にフジロックフェスティバルが有観客で開催となった。
「政府批判の場になっている」
などといった色んな考えが見られる。
※上記は私がネット上をなんとなく見ててのイメージなので正確な発言ではなく個人的な印象が含まれています。
なので、動けるうちに一度は行ってみたいなぁ、と以前から思っていた。
仮にもギターをちょっと弾いている端くれだし、自称「音楽好き」なので。
もっぱら洋楽ばかりを聴いていたので最近の日本の音楽は良く分からないのだけど。
・基本無観客
・選手やスタッフは定期的にPCR検査を受けて陽性の場合は隔離等の処置
・今のところ日本国内への感染拡大に繋がったという事実は確認できていない(のかな?)
・各国の選手やスタッフからオリンピック開催について感謝の言葉がちょいちょい聞かれる
・例年より人数を減らしての有観客
・出演者やスタッフは主催が決めた感染対策に応じた行動をしているはず
・観客も決められた感染対策にほとんどが応じているはず(?と思いたい)
・今のところ日本国内への感染拡大に繋がったという事実は確認できていない(まだ終了して日が浅いし)
・一部の出演者が現政府を批判する発言が聞かれ、分断は本意じゃない、とか言っているらしい
オリンピックとフジロック(とGOTOトラベル)の共通点だと思った事
・一定数の割合にたいして「人の移動って大丈夫なんだ」「他がいいならうちらもOK」という雰囲気を作り出してしまったこと
現政府にも色々問題点があると思っているけど、まあ、がんばっているようにも思える。
見えないところで色々と利権やら利害があったりするのも昔からであって、今に始まった話ではないけど。
政府の明確な失策はこの「自粛しなくても大丈夫という雰囲気作りを制御できなかった」ことだろうし、私達側からすると一定数の割合で「もう大丈夫なんだ」「あっちがやってるから私達も我慢しない」といった自制をすることができない「雰囲気に流されてしまった人たち」が結構いることが残念なところだと思う。
そろそろ表題に戻るが、オリンピックもフジロックフェスティバルも世間への雰囲気作りがコントロールできない時点で、開催をしない、あるいは開催の仕方をもう少し考えるべきだったと今も思う。
ギターが好き、音楽が好き、を自称する私もフジロックの人の密度をSNSで見てしまうと、ちょっと怖くなってしまった。
また、SNS上ではバンド仲間が、無観客とはいえ人の流れを止めることは考慮していないのか、ライブのお知らせやセッション開催を普通に告知していたりする。
ここで2つの考えがよぎった。
・私は自称音楽好きを名乗っていたが命をかけてまで(あるいは他人に迷惑をかけてまで)フェス参加やライブ開催を良しとしないので、実は音楽は好きじゃないのではないか。
・人の流れを抑制しなければならないという考え自体が実は世間とズレており、心配しすぎなんじゃないか。
どちらも正解かもしれない。
特にフジロック騒動を見て思ったことは、自分が信じていて助けられていたと思っていた「音楽のチカラ」って実はそれほど大きなチカラじゃなかった、あるいは存在すらしなかったのではないか、と。
もし音楽に絶大なチカラがあれば、私程度の人間なんてコロっと引っ張られて「そうはいってもフジロック開催できてよかったよな!」と思っていたかもしれない。
少なくとも結構な人数の人が「そうはいってもフジロック開催できてよかったよな!」と心に刺さっているからだ。
私には刺さらなかった。
ということは、やっぱり自分はたしいて音楽好きじゃなかったし、ギターも自己アピールの方法のひとつというだけで、自分の人生でそれほど大切なものじゃなかった、と思うようになった。
「この程度」のことは人の命には替えられないし、何より感染拡大が進んでいて病床がパンパンの状況であってもひたすら懸命に命を繋ごうと奮闘していただいている医療従事者の方に必要以上にご負担をかけられない、という意味で人の流れを減らして感染を少しでも広がらないようにする、という考えが今は最優先であるべき、と改めて思うようになった。
こんな考えに至ったのはおそらくフジロックフェスティバルが開催されたからだと思う。
フジロックフェスティバルのおかげで、フジロック騒動のおかげで、出演者の行動や様々な発言を見ることができて、「私の「音楽好き」は音楽が好きと思っている自分が好きだっただけ」「音楽のチカラはほどほど」という事に気付くことができた。
命を最優先にしたい気持ちは変わらないが、私は音楽好きを自称しないし、もうギターを弾くことも無いと思う。
私の音楽への価値観を見直すきっかけを作り、「音楽のチカラ」の程度を示してくれたフジロックフェスティバルには改めて感謝したいと思う。
あとづけ:
というわけで今は家に引き篭もって淡々と FF14 をプレイ中。
オンラインゲームとYouTubeはコロナ禍において最高にマッチしているエンタメだし、感染拡大を抑制するチカラを持っているなぁと実感。
追記1:
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
学生時代にくるりのコピーバンドを組んでいて、いい曲だよね、と話には挙がるけど結局コピーしなかった曲。
くるりって歌詞読んでそのまま理解できるなんてことはなくて、メロディが沁みてきて共感すると言うか。ふとした時に「あ、これ俺だわ」って思うこともしばしば。
当時メンバーに借りたベストアルバムを今買い直して、通勤中に聴いて何故だか涙ぐむ。歌詞の意味わからないのに。あの日の懐かしさ?
いつかは想像を超える日が待っているのだろうか。ほとんど想像通りかそれを下回る毎日で、けれどもいつかは、いつかは。
過ぎていく毎日の中で、味方でいてくれるひとはいるのだろうか。難解な性分で、敵ばかり使って。でも自分はいつでも誰かの味方でいたいな。とか。