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はてなキーワード: 公立学校とは

2020-05-14

anond:20200514154041

その通りだろ 公立学校アスリートを育てる場ではない

ただ、「アスリートを育てる場ではない」=「勉強以外やっちゃだめ」とはならないだろ

だったら文化部はどうなるんだ

教育の偉い人が「公立学校アスリートを育てる場ではない」とか

学校勉強以外やっちゃダメなところらしい

いよいよディストピアだな

2020-04-30

anond:20200429141921

おっしゃる通りだと思うけど、本当にそれだと教員の人数が多すぎかつ給料をもらいすぎって結論になるよね。

元増田は十分そのことを自覚して書いてるからいいけど、「楽はしたいが給料は欲しい」って人種もいるわけで、それが休校前はそれなりにブラック労働に耐えていたなら簡単に切り捨てるのもあれな気がする。

誰でも見られる動画サービスを使うんじゃなくて「その学校の子しか見られない」パスワードとかかけられるのを使えば良いのにと思う。

オープンサービスを使うなら教員同士でアクセス数を競うとか、子どもレベル別に動画を作るとかした方が良い気がする。これに関しては今までの公立学校アナログすぎて、当面は学習塾とか海外学校に追いつけない気がする。

2020-04-20

学校は冷暖房工事しろ

今のうちに、小学校中学校高校は冷暖房工事をして設置率を100%しろ

家より学校の方が快適な環境にして長期休みをできるだけ短くしろ

現実問題としてオンライン学習公立学校に普及させるなんて夢のまた夢。

2020-04-13

ベトナム在住者から

https://himaginary.hatenablog.com/entry/20200412/vietnam_low_cost_success_against_covid19

こちらの記事について、在住者のkitamatiからレポート

ベトナム政府対応はとても素早かった。以下ざっくり時系列

■初動

1月末の時点で中国人への観光ビザは発給停止、同時に在越中国人観光客の国外退去を(強力に)促す措置

これにより街中から中国人中国人の乗る観光バスが徐々に減っていき、2月半ばにはほぼ消えた。

小学生大学生については、1/29に明けるテト休みがそのまま延長となり、4月13日現在もその措置が続いている。当初2月半ばまでとされていた(夏休みをその分削る※)のが2末、3月中旬...と延期されていった。現在オンライン授業が始まっている。

ベトナムバイク通勤デフォなので、集団感染学校会社組織のいずれかが原因になり得るためだろう。

ベトナム公立学校夏休みが3ヶ月ある他は長期休みはテトだけ

恐らく民主国家では真似できないであろう、メッセンジャーSMS強制一斉配信もでかいと思う。

日本におけるLineと同等の地位を持っているのがZaloというアプリFBのMessanger。

曲りなりにも共産党国家であるから、この会社の持っている情報政府の持っている情報に等しく、強制的に一斉配信が届くようになった。これも1/28からなので、政府はテト明けと同時に動き出した。

※参考(俺のZaloに届いた政府(Bo Y Te=ベトナム保健省)のメッセージで一番古いもの): https://imgur.com/a/u9DlKcN

スマホ世代は皆Facebookをやっているのがデフォなので、Messangerの方にも数日に1回メッセージが届く。

■その他の取り組み

デマを流した芸能人は即逮捕。この見せしめが効いたのか、凡そデマらしい情報が回ってくることはなかった。

3月からカフェクラブレストランカラオケマッサージなどを強制閉鎖するお触れが出た。当初4/5までだったのが伸びて4/15までとなったが延長されるかもしれない・・・

モグリでやってる飯屋に入るか、持ち帰り専門店を探すしかなくなってしまった。

このお触れにより、会社に出社する必要のある人間リスト化し、明示的に保健当局へ届け出る措置も発令。

なお、感染者は14日隔離されるが、その際の治療費、食費は国籍わず無償

3月にはベトナムを訪れる全外国人に14日の強制隔離措置在越外国人出国後30日を経過しないと再入国不可。

休業補償給付などは出ないかわりに、ガソリン代を全国一律50%オフとし、リッター55円程度となった。

あとはなんだろうな・・・俺の会社国有企業ビルテナントなんだが、入館にはマスク着用が必須となった。

■思い出したので追記

3月半ばに同僚が咳と熱をだし、心配になって病院に連絡したところ「外国人との接触があったか」をしつこく聞かれ、そうでなければ検査費用隔離有償だぞと言われて引き下がったと。

実際軽い風邪だったようだが、この時点で感染経路は外国人との接触判断していたことが伺える。

・幸いコンビニのような小売店は閉鎖されていないので、買い物で不自由することはない。200円の「チャーハンチキンレッグ甘酢ピリ辛ソースがけ」(https://imgur.com/a/3r2Nwoo)をGrabが100円で持ってきてくれる。

芸能人逮捕について

勘違いしてた。逮捕されてはいなかった。フェイクニュース拡散した芸能人に出頭命令が出て罰金処分だった。

4/15からフェイクニュース拡散すると罰金刑ということで、いずれにしても見せしめ効果を狙ってる。

元々言論の自由はないので、政府は○○とか共産党は✗✗とかFBでやっちゃうとお縄なことは皆わかっているというのが共産国にある特殊雰囲気

とはいえ、ちょいちょいデモが行われることもあって… 政府中国弱腰を取ったりするとデモ注意報大使館情報に載ったりする。

レスとか

id: kunitaka

ベトナム戦争の後すぐカンボジアに乗り込んでいってポルポトを追い込みに行ってますね。その4年後には越境してきた中国軍を縦深陣地戦で引き込んでフルボッコに。そもそも宗主国だったフランスボコボコにして追い出してます

id:tokage3 2/3時点で感染者が8人と発表され、首相流行宣言しました。保健当局はほぼ毎日感染者が何人増えたと発表していました。

・元記事予算に優しいと言われているものの、観光業界は死にかけています特に中国人観光客の多かったニャチャンは被害が甚大です。いくつかのホテルは休業で真っ暗、措置前、外壁が一面LEDでギンギラだったホテルもひっそり。hotels.comで Nha Trangを検索してみるとその影響がよくわかると思います

ダナン韓国人観光客が多かったけど、ダメージは大きいでしょう。

写真とか

・夜市

さっきの帰り道で定番観光スポットの夜市を見てきた(ニャチャン在住)。ここは365日営業してて、コロナ前なら肩がぶつかるくらいごったがえすところ。→http://tabiichigo.livedoor.biz/archives/51907052.html

20分くらい前に撮ってきたら… https://imgur.com/a/DXsPzZ8

ビーチも立ち入り禁止だ(よく見るとテープが引いてあるのが見えるだろう)。 https://imgur.com/a/tLxSm5Y

でもバインミースタンド営業していた。1個100円。https://imgur.com/a/PrXItu0

トイレットペーパーはいつでも買える。https://imgur.com/a/dUg8vBX

2020-04-06

新型コロナウイルスを受けた学校対応の記録

この物語フィクションです。


前提として、以下の「会議」というのは職員全員による職員会議ではない。

平成12年の学教法施規則改正により、職員会議意思決定の場ではなく決定事項の連絡・伝達の場とすることになっていて、通常その前段階で分掌主任管理職など一部によって構成される会議が設定されており、そこが様々な事項の調整・決定の場となる。自分はその会議の一員。

また、公立学校は通常「中央から通達・通知文を受けて動く。小中だったらその自治体教育委員会高校だったら県庁、都なら教育庁

記憶に頼ってるところもあることも了承されたい。飽きなければ追記していこうと思う。

1月

中国での感染流行。まだまだ対岸の火事

授業しながら生徒と「新型コロナウイルスやばいねー」なんて話してた。

2月上旬中旬

2月頭のダイヤモンドプリンセス号を皮切りに国内流行し始める。

この頃から職員同士でも「潜伏期間2週間だなんてもう我々ももらっててもおかしくないよね」とか言ってた。

2月26日

時期としては3月から学年末テスト、成績処理に向けて動いてる時期。

お上から通知が来て、昼休み臨時会招集

内容は「当面通学時間ラッシュと重ならないよう配慮する。具体的には10時登校、短縮授業して早めに返す。部活禁止学年末テストはやっていい。明日からよろしく。」

それを受けて午後の授業時間中に明日以降の時程を細かく決めて、保護者宛のお手紙を全校生徒分印刷して、明日からに備えてる。

2月27日

生徒は10時登校。生徒にもテストはやる旨を伝えて6時間こなして放課

さぁテスト作らなきゃねと残業していたところに、安倍首相による一斉休校要請報道

内容は「来週3月2日から春休み一杯まで、私立公立に関わらず休校にすることを各自治体に要請

しか19時くらいだったかな。管理職もいないし、皆で「え、テストやれるの?成績どうやって決めるの?」「要請って何?どんなレベル?」なんてなりながら、その日は一旦退勤。

2月28日

USJディズニーなどが休園を発表。

朝イチから校長職員室に来ていて、会議メンバーのいる人だけで簡単に打ち合わせ。

「要はお上の決定を翌日さらに上から国がひっくりかえした形。国の要請には従うしかない。中央はいま通知文を整えてるところだけど、大まかな方針は各校長に既に届いてるからそれに従って今日中に対応して欲しい。」

その内容は

こんなのが来た以上今日も授業どころじゃないので連絡文を急いで作って、授業潰して生徒たちにその旨を伝えて帰らせる。

お昼をまたいで臨時会議。正式な通知文を受けて校長が当面の対応レジュメにまとめたので皆で確認する。

通知文には上記の他にも

などの事項があった。

この辺で課題になったのが、次年度用の教科書販売とかどうしようか、とか。学校によっては代引き郵送の学校もあるらしい。

この日の報道安倍首相が「ああは言ったけどあれは基本方針であってまぁ地域の現状に合わせて柔軟に判断を」って発言して「なんやねーん」ってなったのを覚えてる。

3月2日〜

成績決定までのスケジュールは変更しないことを全職員に連絡。

それを受けて教科毎に成績をどうつけるか確認あい、成績会議に向けて仮成績をつける。

その上で、このままだと単位未修得の恐れのある生徒は個別に呼び出して、課題を課すなどの対応を行った。

個別対応に関しては、登校させる時間帯等に配慮すればいいよ、とのこと。

成績も教科内で決まっていよいよやれることがなくなると、一部の職員が時差通勤や自宅勤務をし始める。

3月7日

卒業式

卒業生が入場します。盛大な拍手でお迎えください。」なんつって教員数十人しかいないのでもの寂しい。

けどまぁ保護者来賓がいなくてかたっ苦しくない、アットホーム雰囲気卒業式も、それはそれで良かった。

3月中旬

成績会議。実際単位未修得、場合によっては進級の可否に関わる、というような生徒は毎年いて、そういう生徒には学年末テストやその前後で頑張らせるんだけど、それもできないし、こんな状況だし、で最低限の課題クリアで認める雰囲気があった。

東日本大震災ときに似てる。あのときも「こんなときから」という空気があった。

3月20日

五輪聖火が日本到着。

お上から通知文。来年度の入学式について、参列者は「保護者1名に限る」と。

新入生の入学説明会(今回の対応資料の配布と教科書販売のみに変更)を控えていたので、急いでその案内を作成し、準備していた配布資料に詰め込む。

3月下旬

東京五輪延期発表。

修了式、離任式。

生徒は久しぶりの登校。こちら側も生徒の顔が久しぶりに見られて嬉しかった。

生徒は教室から動かないまま放送で式を実施、今回の新型コロナウイルスを受けた春休み中の過ごし方に関する注意を行い、今年度修了。

3月27日

中央から学校再開に向けたガイドラインが示される。内容は


3月29日

志村けん逝去

3月31日

中央から通知文。

5月GW明けまでを目処に休校延長。

この日は休暇の教員も多く会議はなかったけど、校長は「もうこれでいくしかいからねぇ」って言ってた。

4月1日

新年度。今年度新しく着任する先生が新しく来て挨拶

新規採用者は通常中央での集まり、初任者研修があるため初日からしばらくはこないんだけど、今回はそれも中止になったので学校に来てた。

教科でも顔合わせ。にしても休校になった以上今後の予定も立てられないので、分掌毎に今年度の役割分担を確認して終了。

また入学式無観客試合にすることが決まったので、提出書類から急いでデータを打ち込んで住所録を作り、その旨のお手紙を新入生家庭に送る。

4月3日

臨時会議。また通知が来たらしく、その内容を受けた対応

6日午前中って6日始業式で終わったら生徒帰るんですけどどうせえっちゅうねんという感じでこの日はお開き。

あとは高体連関係6月までの大会や講習、総会なども全て中止する旨のお手紙も届いた。

4月5日

日曜。夜に緊急事態宣言の準備にと報道発表。

4月6日

始業式。うちでは2年と3年を午前午後で分ける形となった。

昼過ぎ管理職職員室に慌てて入ってくる。「正式な通知文はまだだけど明日入学式は延期」と。

WebサイトTwitterアカウントでその旨告知して、あとは電話連絡もできるかという話になったけど新入生家庭全てに今から半日電話連絡は無理という結論になり今日やれることはそこまで。

TwitterWebサイトをみた保護者数名から問い合わせがあった。

それと前後して報道では「明日にも緊急事態宣言を発表する見通し」とのこと。

4月7日

入学式は延期としますが本日付で皆さんの入学します」、「しばらくは登校日も設定できそうにないので以下の課題やっておいてください」という内容の送付物を新入生全員分作成郵便局へ。

文書作成している間に入学式実施されると思った新入生が数名来たので謝って帰ってもらう。

夕方安倍首相が7都県の緊急事態宣言を発表。

4月8日

すでに教職員の一部にも在宅勤務や時差通勤実施しているが、校務に差し支えない範囲で全員原則在宅勤務とするようにとお達し。

部署ごとに会議を開き、今後の見通し(見通しなんて立ってない)を確認し、ToDoを洗い出し、必要な人数やスケジュールを共有して、翌日からの自宅勤務体制を整える。

ここから週1,2くらいで出勤する生活が始まる。

4月9日

国内感染者が5000人を超える。

4月10

HIKAKIN小池都知事コラボ動画

郵便物が届かない」「学校からの連絡受信に使うWebサービスアプリの使い方がわからない」と数件問い合わせ。

自分は自宅だったので(家で出来る事なんて本当にほとんどない)週末明けに出勤して対応しますと学校に伝える。

4月12日

安倍首相星野源コラボ動画

4月13日

出勤。

保護者から連絡サービスアプリが使えない・繋がらないという問い合わせに答えているところに報道。まさに使っているその教育プラットフォームサービス提供する会社不正アクセスによるデータ流出があったと発表。そこから学校としての対応を問う電話もかかってくるようになる。

会議メンバーのうち出勤している人数名で集まって方針決めて、当分利用を見合わせる旨をWebサイト掲載

4月16日

緊急事態宣言、全国に拡大へ。

2020-03-15

子供ときゲーム制限された反動が云々ってはてブに「公立学校なのに図書室がない」旨のコメントがあったけど、そんなことあるの?

2020-03-02

英検準1級に合格するような小学生には飛び級を / 義務教育費用1・5

"大人でも難しいのに小6で「TOEIC 980点」" を YouTube で見る

あと、小学校英検準1級合格の人もいるので、飛び級は認めた方がいいと思うんですよね

大学英文科で英検二級〜準1級が多いとか

私は高校時代英検準1級に合格しました

小学生英検準1級に合格するような優秀な人には、公立中学校1年で「This is a pen.」とか習わせるのは時間の空費で苦痛だろうね

小学校6年間で足踏みさせられる学童が多い現実を考えると、飛び級必要だろうね

義務教育費用1・5兆円 教育制度6・3・3制の改正必要性(飛び級も含め 提案)→義務教育は12歳まで

編集

 知り合いで英国大学に16歳で入学した人がいたので、日本飛び級制度について考えてみました。

 ちなみに麻生太郎大臣は「義務教育12歳まで」を提唱したことがあります

(2002年11月17日).

教員働き方改革推進=義務教育費1.5兆円-文科省時事ドットコム

文部科学省は、公立中学校教員人件費に充てる義務教育国庫負担金として1兆5200億円を2019年度予算案に盛り込む方向で調整に入った。教員働き方改革を推進するため、小学校英語正式教科に位置付ける新学習指導要領対応、専科指導教員の確保などに重点を置く。児童生徒の減少に伴う自然減や教員の若返りによる給与減などを背景に、同負担金は前年度比27億円減となる。

 19年度予算案では、教員働き方改革の一環として、外部人材活用も強化する。部活動指導員を4500人増の9000人、教員の授業準備を手伝うスクールサポートスタッフを600人増の3600人それぞれ配置するため、135億円を盛り込む。

 新規施策では、高校地方創生の核とするモデル事業と、学校教育先端技術を取り入れる実証研究にそれぞれ3億円を計上する。

 一方、学校施設耐震化や老朽化対策などをめぐり柴山昌彦文科相は17日、麻生太郎財務相と折衝する。19年度予算概算要求では、公立学校危険ブロック対策をはじめとする施設整備費2432億円を要求。今年度補正予算を含め、概算要求を上回る額を確保できるかが焦点だ。

 

 現行の6・3・3制は、進駐軍GHQ)のうち教育制度担当した兵士出身州が6・3・3制だったということに起因しま

 米国ではK12と呼び、高校卒業までが12年間教育であることは固定しているのですが、中学高校などの修学期間が異なります

 日本公立小学校6年で習得している内容は、優秀な生徒であれば4年間で習得できる内容です

 日本公立中学校3年間で習得している内容は、一般的中高一貫校であれば2年間で習得できる内容です

 また高校3年間の学習内容を2年間で習得できる生徒もいると思います

 小学校4年生の終わり(または小学5年生の終わり)に「学力テスト」を行い、小学6年生までの内容(小学6年間の学習内容)を理解できているか否かの試験を行い、合格した生徒は、飛び級する学生けがあつまる新設公立中学校に進学できるようにするべきと考えます

 学年と年齢の違いに関しては、

 (1)小学年末合格した学生(10歳)が進学する公立中学校

 (2)小学年末合格した学生(11歳)が進学する公立中学校

 (3)小学校に6年間在籍した学生(12歳)が進学する公立中学校

の3通りに分ければいいと思います

 現行の制度だと(3)の公立中学校しかないのが現実です

 

 また、小学校6年修了時に、卒業試験小学校6年までの国語算数学力試験)を課し、小学校卒業学力に満たない小学6年生は再び小学校留年するという制度採用すれば、読み書きもできないのに公立中学校に進学してくるような事態回避できます

 現在の「公立中学校」で正常な授業が行われていないのは自明であり、公立中学校の荒廃を回避するためにも、読み書きもできないのに公立中学校に進学してくるような生徒を卒業試験ブロックすることは非常に有益です。

 ちなみに大阪府などでは高校の学区制はなくされています

 中学受験で進学した12歳は電車通学で異なる都道府県学校に進学するということが日常的に行われています

 (もちろん私立小学校に通学する小学生も7歳から電車通学をしています

 

 学力テストによる「飛び級」を採用した結果

 10歳で入学できる公立中学小学年末合格した場合

 11歳で入学できる公立中学小学年末合格した場合

 12歳で入学できる公立中学小学年末合格した場合

公立高校入学年齢4種類>

① 12歳で入学できる公立高校小学校を4年間で修了し中学も2年間で修了した場合:要は小中で6年間かかった場合

② 13歳で入学できる公立高校小学校を5年間で修了し中学も2年間で修了した場合、および小学校を4年間で修了し中学は3年間で修了した場合:要は小中で7年間かかった場合

③ 14歳で入学できる公立高校小学校を6年間で修了し中学も2年間で修了した場合、および小学校を5年間で修了し中学は3年間で修了した場合:要は小中で8年間かかった場合

④ 15歳で入学できる公立高校小学校を6年間で修了し中学も3年間で修了した場合:要は小中で9年間かかった場合

 

 もちろん中学3年時には学力テストを課し、合格できない場合留年中学3年をやり直す制度)も必要です。

上記公立高校形態から考えると、高校(や中学)を2年で修了できる場合もあると考えて

大学1年に進学できる年齢は

14歳(4・2・2と小中高を8年で修了することに成功した場合

15歳(4・2・3)または(4・3・2)と小中高を9年間で終了することに成功した場合

16歳(4・3・3)または(5・2・3)または(5・3・2)または(6・2・2)と小中高を10年間で修了することに成功した場合

17歳(5・3・3)または(6・2・3)または(6・3・2)と小中高を11年間で修了することに成功した場合

18歳(6・3・3)と小中高に12年間を費やした場合

となります

ちなみに現在大学受験制度では、千葉大学京都大学医学部のみ)など6大学飛び級受験生を受け入れています

参考:

先進科学プログラム | 飛び入学 | 国立大学法人 千葉大学 先進科学センター

先進科学プログラム ― 高2から大学へ ―「先進科学プログラム」は、高校2年修了後、通常より1年早く大学入学できる制度です。入学後は、所属する各学部学科の授業科目と並行して、本プログラム生専用カリキュラムに基づいた少人数教育を受けることができます

5. 海外語学研修海外留学

1年次または2年次の夏休みに、英語学習目的とした約1ヶ月の海外研修実施。3年次以上の学生には研究目的海外短期留学支援するなど、大学費用負担による研修制度を設けています

8. 経済面サポート

入学料は免除されます。また、授業料選考のうえ全額または半額が免除される制度があります海外研修の際も個人的に使う経費以外の負担必要ないため、経済的心配をすることなチャレンジできます

参考:

京大飛び入学制 16年春から医学部に高2生 :日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG26054_W4A320C1CR8000/

京都大は26日、2016年入学試験から医学部医学科に高校2年からの「飛び入学」制を設けると発表した。高校3年次を履修せずに大学1年になれる。国際科学オリンピック数学物理化学生物)の日本代表として世界大会に出場した生徒が出願の対象英語力や小論文面接の成績を総合判定する。募集人員は最大5人。医学部飛び入学制は全国で初めてという。

しかし、上記の現行制度だと高卒資格が得られないことになっており、また京都大学医学部)では飛び級合格者がでていません

しかも上限5名しか合格できないのであれば、米国英国における飛び級と同一視することが出来ません

国民生命に関わる福祉予算は3兆円、国防費4兆円という重要な出費がありながら

義務教育費になんと1・5兆円が浪費されており、警察官給与より公立学校教員給与が高いという逆転現象放置されています

麻生太郎氏が提言したように12歳から賃金労働できるようにして、義務教育を12歳までにすれば、いわゆる単純労働分野での外国人受け入れをする必要がありません。

教育への支出を増やしたところで教育の質は改善しませんしむしろ劣化しま

しかし、飛び級を導入することで、教育の質は改善されます

公立高校教員公立中学校教員学力が低く、むしろ学力が低いゆえにその職業を選んでいるという現実もあるわけですが、毎年学力テストを課して基準に満たない教員は会食する制度は最低限必要だと思います

私は私立中学校高校一環だったのでわかりませんが、公立中学校教員内申書高校受験に必要書類)に際して保護者金銭要求する行為が横行しているとよく伺います

そもそも田中角栄時代に設定された(公立学校教員給与が1クラス50人を前提とした給与水準なので、1クラス30人となった現在では、給与は6割に言及するのが正鵠を射ていると思われます

しがたい、飛び級制度の導入により短期間で高校卒業できる制度の導入が必要だと考えます

2020-02-22

親が学校同窓会に行ってさ、小学校友達が一番愛着があるみたいに言うんだけど、俺にはそれがわからんのよな。

小学校って基本的に学区で決まるから住んでる場所が近いというだけじゃん?

(俺や俺の親は普通公立学校へ行ってる。)

高校以上の学校での人間関係感性が近い者が集まってるから何の意味もなかった小学校同級生よりも深い付き合いになると思うんだよ。

逆に言えば何の共通点もないのに仲良くなれる人間というのはずっと仲良くいられる可能性もあるけど、期待値で言えば俺は高校以上の友達の方が愛着を持てると思う。

2020-01-21

anond:20200121124155

人数決まっているし仕入れ量も作る量も一般総菜屋より遥かに多いだろうし昼食だから夜よりは少なくて済む学校給食ですら

原価ではなく人件費等も含めたら一食1000円くらいかかるそうだが。

保育園給食も自園調理公立学校給食に準ずる質なら、量が少ないかもっと安く済むだろうが

大人が食べる量確保するならそれくらいかかるだろうよ

仕出し使ってる園なら別だけど)

別に豪華なもん出るわけでもないのに。

最近食材高騰で栄養賄えないってんで値上げする自治体も多いよな。

2020-01-17

チラシ裏レベルだが書き起こしておきたくなった。

私は25歳、都内で働く普通会社員。日々の仕事がつまらない以外はこれと言って問題なく暮らしている。

私は、私の家族に少しばかり問題を抱えている。父と母が数年前に離婚した。超のつく田舎自営業をする父と公務員の母は私が幼い頃から仲が悪かった。父方の祖父母実家のすぐそばに住んでいて、私がいえを出るまでは半ば二世住宅状態だった。両親がもめたときには祖母が父の肩ばかり持っていた。母は理解のない祖母にいびられ続け、父にないがしろにされながらも、家事を一手に引き受けて、働きながら私たち兄弟を育ててくれた。子供が皆進学を期に実家を出た時に、両親はその時を待っていたかのように、呆気なく離婚した。母は夜逃げ同然に実家を飛び出し、今はボロの木造アパートで独り暮らしをしている。

問題は、父親だ。彼は酷く独善的で、理詰めでは話ができない。彼が生まれから祖母の贔屓がもう60年も続いているせいか自営業社長をし続けたせいか、あるいはこの両方か、彼は子供の言うことなど聞き届けることはない。

もちろん、大学院を出るまでの資金を出してくれたことには感謝している。だがそれ以上のものはない。

父は、母を実家から追い出し、祖母に甘えて生きている。それでいてなお、「休みには実家に帰ってきて、家族を大切にしろ」と臆面なく私たち兄弟にのたまう。

イカれてんのか、と私は思う。

前述の通り、私の現状は父と全く異なる。生まれから60年間、家に帰れば両親がいた父。もう二度と、実家に両親が揃うことの無い25歳の私。私の育った家を、家事などひとつもできない父は完全に持て余していて、常にホコリだらけの状態だ。私の育った家は今や実家と名のついた空き家なのだ

父はこの空き家に"帰って"きて、父と祖父母を大切にしろという。それが私の「大切にしなければならない家族なのだという。

実家とは、家族とは、そういうものなのか?

私にはわからない。

私は父に従わなかった。実家に帰ることを避け、父の家族に関する要求をできるだけ感情的にならずにすむように、否定した。

その結果、私は勘当された。

葬式の便りも私には出さないというから、もうどうにもならないだろう。

私は子供として、十分に良い姿をしていたはずだ。公立学校へ通い、浪人もせず国立大へ進み、大企業で働いている。友人に囲まれ、私を悪人だと呼ぶものには出会たことがない。父を除いては。

私は家族などという下らない共同体が心底嫌いだ。

2019-12-20

1年単位の変形労働時間制を導入し、2年めに突入した私立学校の現状

公立学校教員労働時間についての詳細な話等は記しません。「教職調整額」という名の搾取システムについては、このあたりの記事が分かりやすいかと思います

教師残業代が出ない理由理解するために知っておきたい2つの事実

https://education-career.jp/magazine/career/2019/kyouin-zangyoudai/

残業代ゼロ 教員長時間労働を生む法制度(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20171211-00079169/

今回は、公立学校や他の私立学校に先んじて「変形労働時間制を導入した私立学校」の実態レポートをお送りします。「何かの足し」になれば良かれと思いまして。

以下、時系列に沿って記します。

------2017年9月------

突然、理事から就業規則改定の話が来る。

それまで、私の勤務先については「残業代」についての規則存在しておらず、36協定も締結していなかった。

そもそも私立学校の勤務時間管理は「一般企業」と同じ扱いであったらしい。そのことを私は知らなかった。なお、私は職場組合の「代表者」を務めている。

酷い話だ。酷いのは自分だ。

私の勤務先は、様々な点において「公立学校に準ずる」という点が多かった。それは、学校法人税金を受け取って運営されているという面もあろう。勤務についても、公立学校と同じく「残業青天井」だと思い込んでいた、それまでは。

そもそも、この話は何故始まったのか。

理事側が言うには、その夏に労働基準監督署からの指摘があったということだった。「36協定を締結せよ」「協定が無いままに、職員残業させてはならぬ」と。嘘か本当か分からぬが、その夏休み都内私立学校の幾つかにに対して、同様の査察(?)が行われたという話も理事から聞いた。

私はそれまでの20数年間、残業代支給されないのは当然のことであると考えていた。

タイムカードがあるわけでも無く、管理職は各教員の詳細な勤務時間を把握しているわけでも無く。

また、部活動指導に費やす時間についても、その状況は教員によって様々であった。「部活動指導」というパンドラの箱は、本校内においても「開きかけたり、閉じたり」している。本格的に開けてしまうと、カオスが増すからである

2017年度においては、「各専任教諭は、何かしらの部活動顧問を務めるように」というお達しがあった。

2019年度現在、「なるべく、部活動顧問をやってくれ」という風に、理事(校長等)側は「言うだけは言って」いる。理論上は部活動顧問を持たないことも、可能にはなっているようだ。

しかし、実際は「公立学校部活動顧問の状況」と大差ないと言えよう。「やりたい人間」は放っておいても、年中ほぼ無休(かつ、ほぼ無給)で部活動指導に勤しむ。「やりたくない人間」も当然居る。また、「やりたくないけど、仕方なく」という者も。

公立学校部活動顧問の状況に詳しいサイトこちら。

公立中学校 部活動顧問制度絶対違法だ!!

http://bukatsu1234.blog.jp/

話は2017年9月に戻る。

理事側の希望としては、2017年10月(年度の真ん中)より、36協定を発効させたいとのことだった。そのため、理事側は36協定の素案を提示してきた。

その素案は、全体として「現状の勤務・賃金形態を変更せずに、法に沿うように規則を再構築した」と言えるものだった。

給料等は一切変わらないが、現行の「調整手当」を「残業代の定額払い」として再定義するという話だった。

この「調整手当」とは、公立学校(等の地方)公務員場合、「東京都(区部等)の物価が高いので、それを調整するため」に支給されているものである。従って、そもそも残業代に相当するもの」ではない。

勤め先は私学であるが、この「調整手当」も「公務員に準じる」ということで、支給されていたのだ。

この解釈は、理事側が社労士(?)あたりに相談し、法的に問題ないことも確認済みだという話だった。

私を含めた組合側の代表も、「給料手取りが変わらないのであれば、拒否する必要もないだろう」という見解を伝え、後に組合員全体に諮ったのであった。

その話し合いに付随し、理事などが言っていたことは、おおよそ以下の通りだった。

来年度(2018年度)からは変形労働時間制を導入する予定。

・「週1日の『研修日』」を廃止し、「完全週休2日制」とする。

・調整手当の定義を変更(残業代扱い)する。

・調整手当はおおよそ40時間分の残業代であるといえる。

・40時間を超えた部分については、新規に「超過勤務手当」を支給する。

残業時間は、最大でも月に45時間。それ以上は働かせない。

研修日」とは、公立私立を問わず中学高校ではよく見られるシステムだ。

週の1日程度、「担当する授業を持たない日」を設定しておき、その日は「出勤せずとも済む」のである

数年前の又聞きではあるが、都立高校」の教諭について記す。休日である日曜日(と土曜日?)の労働(だいたい部活動絡み)が「所定の数(詳細は不明)」を超えると、翌年度は研修日が設定可能になる、とのことだった。

私の勤務先の仲間である組合員(残念ながら、過半数は超えていない。しかし、私の職場はその意見尊重してくれている)からも、「36協定」について、特に異論はなかった。

2017年10月に「遅すぎた36協定」は締結されることとなった。

------2017年10月------

36協定が発効する。

------2018年3月------

変形労働時間制の年間の案が示される。

その「年間計画」が妥当なのかについては、理事側と組合側で意見を摺り合わせる機会も無かった。

基本的ルールは以下の通りだった。作成したのは、基本的に人事担当職員だった様子。

・それぞれの教員(および事務職)について、平日1日を「法定外休日」として設定する。

基本的週休2日となる。

行事(各種式典・保護者会・入試等)で「頭数」が必要な日は、全員出勤となる。

・法定外休日がどの曜日にあっても、総勤務日数(250日強)と総勤務時間(2000時間強)が変わらないように設定する。(←この点に非常に苦労したはずである)

・所定労働時間数は年間を通して平均週40時間以内。

基本的に8時間勤務となり、途中に1時間の休憩を挟む。

会議が設定されている曜日などについては、10時間勤務で途中に1時間の休憩を挟む。

・育短、産休、育休、介護休業等に入っている者は、前述の「8時間勤務で間に1時間の休憩」。

「ご意見があれば、直接立案者まで」という話であった。

個人としては「カレンダーを作るのが大変だったろうなぁ」と考えた。また、その人事担当職員に対しても、普段仕事ぶりには敬意を持っていた。そのため、特に異論」を申し入れることはしなかった。

------2018年4月------

変形労働時間制の運用開始。

36協定も改めて締結。

2017年度と比較し、勤務時間等を含めた「働き方」自体は、概ね変わらなかった。良い点も悪い点も。

『出勤簿上の勤務時間と実際の勤務時間には齟齬がある』ということだ。ただし、結果的には「拘束される時間」は若干の増加を見た気がする。

この『齟齬』が労働基準監督署などに改めて見出された場合指導が入ることになるのだろう。

------2019年4月------

変形労働時間制が2年目に突入

36協定も改めて締結。

明らかな変更は、先に述べた「部活動顧問強制では無いが、なるべく何らかの顧問担当して欲しい」という指示があったこである

------現在問題------

どこの学校であっても「あまり文句を言わず仕事をコツコツと進める人物に、仕事が集中しがちになる」という面はあるのでは無かろうか。

私の勤める学校理事も、それを改善するつもりはあるようで、「仕事分担は公平に」という意図メッセージを随時発してはいる。

しかし、年度当初あるいは年度途中、各分掌(教務とか生活指導とか進路とか)や各学年、各教科内で様々な仕事を割り振る段階で、1人あたりの仕事量の軽重が発生してしまうのである。加えて学校幹部は「何らかのプロジェクト」を(勝手に)立ち上げ、その責任者に「忙しい人」を指名したりする。

なお、教科の違いについては、私の勤務先ではあまり考慮されていない。週当たりの「担当授業コマ数」については、概ね一定となっている。このあたりは、学校によって異なるはずである

授業準備という「重要仕事」をする際に、最も関わってくるのが「担当科目の種類数」でもあろう。このあたりも、私の勤務先では明文化されていない。

個人的には「教えることが一番楽な教科」は数学だろうと感じている。なお、私が担当している教科は数学ではない。「楽」イコール楽しい」というわけでは無いだろうとも思う。私は、学生時代に最も好きだった、楽しかった教科の教員をやっている。それなりのやりがいを感じながら。

2019-12-10

社会学者ってやはりただの思想家だよねー

小宮友根准教授記事非難轟々。「初手から飛躍した議論」「ジェンダーフェミニズム屁理屈は本当に害悪」「根本的に誤り」

https://togetter.com/li/1440806

ハンガリーだとジェンダー自体学問ではなく、単なる思想と切り捨てられて大学での教育廃止された代物だしね(苦笑)

しか社会学に関しても根底自体自分お気持ちと言うふわふわしたものだし、学問と言うよりもただの思想に過ぎないよなと思う。

この人達学者と言うより単なる思想家と言っても問題ない程度にはお気持ち表明しかしていないしね。

この様に社会学に関しては日本のこの手の連中のみならず、アメリカでも数学社会正義を教えるべきだとかまるで宗教関係が言い出しそうなご迷惑をかけているようだし、役に立たない所か害悪と化しているので、いい加減見直すべきだと思うよ。

役に立たない学問ならまだいいんだよ、文学しろ芸術しろ、何時かは役に立つ可能性があるからね。

役に立たないと言い出したら、理系ですら、成果が出るまではただの金食い虫でしかいからな。

ただ他分野にご迷惑をおかけするのだけはダメ

別件だけど、環境分野もあの手の思想家が絡んでから本当におかしくなったからなー。

自然科学生態学研究者等はさぞかしご迷惑しているだろうと思う。

それと一度セミ研究でもクマゼミの一件で温暖化北上とかとある人が平然と嘘をついて、あっち方面にもご迷惑をかけた結果、真面目に研究していた人が怒った事もあったのも事実だしねぇ…。

2019-12-08

なぜ公立高校保護者負担情報端末を購入させるのか?

https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20191206/4000006188.html

なぜBYODでやらないのか?

その理由は、こんな話がある。

県立学校への携帯電話持ち込みを全面的禁止を打ち出した、先々代の県教育長面子が潰れないようにしようという教育委員会内の思惑があるらしい。

端末が導入されてやることと言えば、スマホでできることと大差ない。なぜ保護者負担にしてまで導入するか?理由中国新聞記事にもあったように文科省が「キーボード付き」を推奨しているかであるスマホでも、Bluetoothキーボードを用意させれば可能なのだが「電話機能」は、例の思惑でダメなのだろう。

同じ保護者負担なら、低額の負担をお願いしてWi-Fi環境を整えた方がよいと思う。まぁこれとて公立学校である以上は県が設置&保守費用負担するのが筋だろう。

これは県議会で取り上げてもらって県教委に再考してもらいたいものだ。

2019-08-28

anond:20190828172540

それなあ、内申点記載された内申書をどの学校評価するかによって話が変わるのよ。

内申書判断するのが公立学校場合学校間の格差に関してはないものとして扱うことが多い。何故かって、地域格差がないことが建前で、自分達で格差を認めるわけにはいかないから。

それに対して、内申書判断するのが私立学校場合は、学校間の格差でゲタをはかせるケースが多いらしい。俺の住んでる地域なんて、たとえば9科目45点満点の内申点に対して、学校間の格差是正のために最大で10点位ゲタをはかせるらしいからな。

2019-08-13

anond:20180404140258

KoshianX 夏休み弁当禁止で朝から夕方まで2週間登校日があるので昼休み時間内に学校迎えに行ってごはん食べさせて午後また送るとかい地獄みたいなことした公立学校も見たことあるぞ。

・授業日数は決まっているはずなのに夏休みに2週間も登校日がある理由が分からない。

 何でそんなに授業日数足りなくなってんだ。ってか盆期間除いたら夏休み殆どなくならないか

・何故保護者が迎えに行く必要があるのか分からない。登下校は自力でやるもんだろ普通

ってんで意味不明なんだがどういう状況なんだこれ

2019-06-20

高知県人口減と脱藩マインド

高知県人口が70万人を切ったニュースで思い出した話がある。

少子高齢化人口減と都市地方格差が進んだ結果、進学への情熱が薄れてきているという話。

昔は「良いところに就職するために、いい大学に入る。

そのためには私立進学校に行く。」というのがエリートセオリーみたいなものだった。

だが今は、そんなセオリーが崩れている。

いや正確には「無理してまで良い大学に入らせようとは思わない」「そのために私立進学校に行く必要はない」

という認識小学生中学生の親世代にあるのではないか

高知県高校大学

その前に、高知県大学高校(及び中高一貫校)の事情説明しておく。

まずは高校

進学実績の点で私立公立かで言えば、私立2校が秀でる。

土佐と学芸のことだが、但し中学受験クリアした者に限る。

1990年代当時の感覚では、

  土佐>=学芸>土佐塾(ここまで私立中高一貫)>追手前(県立)>その他県立高校とか明徳とか

であった。

それが今はどうだろう。

県立西高校と県立南高校が統合され、南西高校になるかと思いきや公立中高一貫高知国際中学高校になった。

老舗の中高一貫校である土佐や学芸にとっては脅威である

しか母体西高校の色もあり、英語教育に力を入れているスーパーなんとかハイスクール指定されている。

昔ながらのThe私立進学校は、特色ある公立校に押されつつあるとみられる。

次に大学

高知県にある4年制大学国立大学法人高知大学と、高知県大学、そして高知工科大学の3つしかない。

かつては高知医科大学があったが、高知大学合併して高知大学医学部になっている。

たった3校しかない高知県内の大学で、理工系に限ると、

もはや高知大学高知工科大学の2択だ。

更に機械電気情報といった工学系となると高知工科大学しかない。

理系の進学先

受験難易度の点で見れば偏差値46程度の高知工科大学であればわざわざ難関私立進学校に入らなくても良い。

しろ公立学校の方が家計財政的に助かる。

筆者は土佐高校卒業だが、当時人気だった進学先のひとつ岡山大学であった。

遠すぎず、近すぎない大都会岡山である

あるいは首都圏関西の様々な大学であった。

同級生や年の近い先輩後輩の進学先ら帯広畜産大学から琉球大まであったし、海外留学していったのもいた。

ほぼ100%が進学志望なのは今も昔も変わらないと思うが、志望大学バラエティに富んでいた。しかし今や地元志向が強すぎる。

もちろん地元高知大学の人気も高かったが、今はそれ以上に高知大学志望が増えているという。

「もうちょっと頑張れば、もっと良い大学に行けるのに」と先生が勧めても、

生徒や親が浪人を嫌がり、より確実性の高いところで落ち着こうとするのだ。

あるいは、「もうちょっと頑張れば」というなら理学部から医学部進路変更する。

でも本当に医者になりたいのか?安定した職業を求めているのではないか

まり冒険しなくなった。脱藩マインドが薄れているのだ。

言っておくが国立高知大学高知工科大学も、決してチンケなFラン大学ではない。

だが、やれハーバードMITスタンフォードだ、東大京大だ、早慶阪大だ、

MARCH関関同立だと比べると田舎大学感は否めない。

そして環境。圧倒的に人が少な過ぎて、異なる価値観に触れる機会が都会とは雲泥の差なのだ

月とトイレの方のスッポン。多感な学生時代を、世田谷区人口にも満たない県人口田舎で、刺激の少ない学生時代を送ることになる。

高知から出るだけで消耗する

どこかのうん○こトマトブロガーのせいではない。

たとえば高知から東京大学に進学するとなると、それだけで大変だ。

平均世帯収入の低い高知から物価の高い東京一人暮らしとなれば、不景気ないまおいそれと出せない。

筆者なんか6年も通ってしまったのだ、どれほど親に金を使わせたか

まり金が無い

余裕がないのだ。

一年浪人させて県外の良い大学にいくよりは、現役で高知大か工科大に行き、

県庁市役所に勤めることこそが、堅実な将来であることに疑いはない。

でもそれで新しい時代が切り開けるか?

消耗しないように高知に残り、消化試合人生は「負け」ではないが

そもそも勝負をしていないのではないか

高知県私立進学校に告ぐ

少子高齢化と取り返しのつかない人口減に対応するため、私立進学校も変革の時を迎えている。

ちなみに、土佐高校昭和半ばからずっと1クラス50人×6クラスである

どう考えても多すぎる。

学費を上げてでも人数を減らし、きめ細かい教育ができるようにすべきだ。

脱藩マインドが低い者は公立校に任せ、県外や海外へ送り込める少数精鋭の人材育成校に転換した方がいい。

脱藩マインドを持つ者に磨きをかけろ。世界は広い。

冠する土佐藩の名に叶って欲しい。

でもそうすると、優秀な人材はどんどん高知から離れ、高知県ますます衰退の一途を辿ることになるジレンマがある。

2019-05-29

anond:20190517192432

元増田が生徒に対してまともな先生だったなら、むしろ泣きをみるのは学校管理職教育委員会だろう。今は教員志望者が減って教員採用試験の倍率1.1倍とかになってるという話なので、元増田が主張するような労働条件改善されないと教員の質がどんどん下がっていくはず。

1.1倍だとよっぽど問題のある受験しか不合格にできないだろう。勉強を教えるのが得意なら塾講師とか仕事はあると思うけど、そうやって公立学校自分自分の首を締めて回らなくなる姿を見て笑ってやれ。

2019-05-15

anond:20180317220106

公立学校教員左翼でなければ生きていけないので、金儲けとは対極にある人たちです。

金儲けを教えてほしければ、金持ちが通う私立学校に行かなければなりません。

貧乏人に金儲けを教えてくれる奇特な人はいないのです。

2019-05-08

発達障害でもない奴にプログラミングなんてできるの?

定型発達って猿と同じじゃん。日本公立学校で覚えてきたような体育会系メソッド、学級会メソッドプログラミングに持ち込むの?マジで

おっと、それがエクセルスクショなのか。あーおもしれ。

2019-05-05

anond:20190505131241

そうとは限らないよ。移民が来てスラム形成すると治安が悪くなって、下町で買い物できないとかになる。

下町公立学校レベルが下がってお金持ちは私立に流れて格差が拡大する。貧富の差固定化する。

いまだとそれほど住むところで生活レベル市民サービス格差はすくないけど。

田舎だと自治体が維持できなくなって村が竹林に埋もれてしまう。山里に夜盗が住んでいた戦国時代に逆戻りする。

数が出なくなるといままで売ってたものが「もうからいからやめる」となってなくなったりする。

みんなから広く薄くお金を集めて維持していた仕組みが成り立たなくなって、

お金持ちは自前でやり始めて、貧乏人はそこからはじかれるようになる。

2019-05-01

anond:20190501050500

東大京大は、才能のある人間をできるだけ漏らさず発掘できればそれでいいのだ。

才能は貧富の差にかかわらず分布していると考えられており、学習指導要領にしたがった公立学校勉強をしっかりやれば、才能があれば東大京大くらいは普通に受かるようになっている。授業料無償化くらいのセーフティーネットもある。

雑魚中高一貫私立などで受験対策をやって合格しても、東大までの人になってしまうが、そういうひとは民間就職するので、それはどうでもいい。

それによって有利な就職をしたとしても、それは単純な階層再生産であって、財産相続とあまり変わりがない。

貧乏人が慶応に行けないからといって文句を言っても意味がない。

増田が才能があって東大に行ったにも関わらず、コネがないことによって就職がうまくいかなかったのなら憂慮すべきだが。

2019-03-24

公立学校講師不足らしいが月収60万貰えても二度と働かない

中学校理科教師講師)をしていた。子どもは好きだし教える事も嫌いじゃない。教師は意義のある仕事だし頑張ってる先生も多い。

だけど、何が一番嫌だったかと言うと『公権力への忖度』なんだよな。おれの勤めてた学校では『社会科』『国語科』『音楽家』の先生が優秀だった。

あるとき1人の社会科先生業務効率化の提案をしたのだけど、管理職のせいで全く受け入れられなかった。

教頭校長も『体育科』上がりのワンマンで、頭も悪くてクズ教育委員会人間も似たような感じだった。本当に保守的であれじゃあ何も変わらない。

そんなクズ忖度し続ける人生は嫌なので、教員採用試験受験するのを辞めて、都内外資系IT企業転職した。

転職してから4年、今は教員給料も遥かに超えているし、教員に比べて業務量も少ない。年収で言うと800万円くらい。

とはいえ金に困ってる訳でもないし、教育は意義のある仕事。たとえ給料が安かろうが「働いてもいい」という気持ちになる事もある。もともと教育が好きなのかもしれん。

だけど、それにしても講師給料は安すぎだし(月収30万ちょいで頭打ち)、何より保守的な上に忖度を求められるから気持ち悪くてやってられない。

あれじゃあ教師という仕事に魅力を感じている若者も、講師でさえもしなくなると思うよ。

学校少子化にも関わらず教師不足で、その原因は体力的にも精神的にもキツイからだと思ってる。教員は「全ての業務アナログ過ぎる」ので、業務量も非常に多い。

毎日部活動出血確認、配布物、行事などは効率化できる部分は多くある。

たとえば、部活動外注すればいいし、出血確認オンライン自動で行う。配布物は全デジタルにすれば良いし、行事運動会体育祭)なども手軽にできる簡素ものにする。

精神的な部分はモンスターペアレンツに対しては、モンスターティーチャーになって対応。親に細かい事はギャアギャア言わないようにする。教育委員会教師そ守るバックアップをする。

※但し「いじめ」等の隠蔽体質絶対ダメ

そんな風にして極限まで教師負担を減らせるように環境セットアップ

これなら俺も「また教職に戻ってもいいかな」なんて検討できる。まあ何処の自治体であれ、こんな改革できるところなんてないだろうが。

変なコダワリを捨てて抜本的ば改革をしないと、日本教育は終わってしまうぞ!

[]浪人から大学受験勝戦

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

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