はてなキーワード: 公立学校とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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02 | 39 | 4745 | 121.7 | 55 |
03 | 21 | 1601 | 76.2 | 49 |
04 | 18 | 2977 | 165.4 | 55 |
05 | 12 | 4607 | 383.9 | 52.5 |
06 | 51 | 5439 | 106.6 | 59 |
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08 | 67 | 6089 | 90.9 | 40 |
09 | 94 | 8905 | 94.7 | 61.5 |
10 | 130 | 13895 | 106.9 | 59.5 |
11 | 154 | 16348 | 106.2 | 51.5 |
12 | 252 | 20923 | 83.0 | 38 |
13 | 206 | 17368 | 84.3 | 36 |
14 | 117 | 13722 | 117.3 | 55 |
15 | 129 | 9956 | 77.2 | 40 |
16 | 106 | 20223 | 190.8 | 47 |
17 | 151 | 19401 | 128.5 | 51 |
18 | 182 | 16350 | 89.8 | 30 |
19 | 218 | 14455 | 66.3 | 36.5 |
20 | 215 | 23843 | 110.9 | 29 |
21 | 221 | 29478 | 133.4 | 82 |
22 | 216 | 18119 | 83.9 | 29 |
23 | 497 | 35994 | 72.4 | 46 |
1日 | 3506 | 338374 | 96.5 | 41 |
学歴偏重(3), アイスブレイク(3), ぱり(3), サンデル(5), 翌々月(3), のけもの(3), ユイ(3), ahamo(8), 学歴差別(10), インターナショナルスクール(3), 町議(8), 行頭(4), 動物園(90), 公立(98), 私立(59), 多様性(91), 中学(65), 低学歴(25), 不良(17), 中学校(22), 生徒(32), コンプ(10), 荒れ(22), 多様(19), 5ch(24), 動物(40), リベラル(51), 差別(153), 出身(27), 学歴(29), 学校(80), はて(27), いじめ(32)
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私の通っていた学校は動物園だたので、動物園って言葉になんの感情も抱かなかったんだよね
だから動物園に通ってない人たちがキレてるの意味わからなかった
でよく考えたら、あれって要するに「僕ちゃんの通っていた公立学校を、動物園みたいなクズ学校とおなじに扱うなんて!」
っていう怒りでしょ
自分は神奈川県の小中公立、バカ私立高校、Fラン大卒という絵に描いたような量産型の落ちこぼれなんだけど
Twitterやはてなで言われるような「動物園」だった記憶がない。みんなそんなにひどい学校生活だった?
80年代ならいざ知らず今の時代でそこまでひどい公立の学校あるのか疑問すぎるんだけど。
確かに不良や貧乏もいたし、イジメもある時点ではあった。悪いことして絵に描いたようなマッチョ体育教師に頭叩かれたこともあった。
公立の学校は教師が価値観を押しつける?そんなことある?悪いことは悪いぐらいしか言われなかったと思うよ。
大学以降の人脈についてはよくわからん。たまにマンモス大学は共通の話題があって羨ましいなと思うことはある。
卒業後の仕事や給料は自分の同僚として高学歴な人がいるぐらいだから学歴はほぼ無関係だと思われる。
「あっちの攻撃性が高いんだからしょうがないだろ」っていうのをKKOや田舎や公立学校には適用できても、黒人や被差別部落にはぜってえやんねえんだもんなあ
単にはてなーの中には「雑に扱っていい属性」と「そうでない属性」が存在するというだけであり
彼らはそのリストを棒暗記してるだけっていう、もう毎度おなじみの話
中学受験の是非の議論の喧々諤々を見ていて、自分は学生時代恵まれていたんだなと思った。のでぼんやりのろけてみる。
小学校から中学校までは地元の公立学校に通った(お世辞にもあまり治安の良い地域ではなく、勉強もできる地域でもない)。
成績は優秀(当社比)だったので、先生たちからは可愛がられたほうだと思う。
友達にも恵まれたほうだと思う。幼馴染にヤンキーやギャルが多かったから積極的にいじめられることは多くなかったし、いじめられても友達が守ってくれた。
勉強は家でやっていたので授業の質は低くても高くても問題なかったし、受験も問題なく志望校に合格した。
楽しかった。
公立とはいえ家柄のいい友達も多く、いわゆるハイソな世界を垣間見ることができた。
色々自由にやらせてくれる校風だったので、部活にイベントに好き放題打ち込み、楽しい思い出が忘れられないほどたくさんできた。
授業も面白くて、好きな科目が明確になり、大学を勉強したいことベースで選べたのは特に恵まれているなと感じる。
地元にずっといたらあの先生には出会えてなくて、勉強の楽しさを感じることはなかったかもしれない。
自分自身は遊び呆けてたとはいえ授業のレベルは進学校の名に恥じぬもので、予備校とか行かなくても特に苦労なく目標の大学に入れた。
楽しかった。
学びたいことも期待以上に学べたし、密かにいだき続けていた小さい頃の夢まで叶えられた。
友達もやりたいことを選んで同じ場所にたどり着いているので、趣味も似通っているところが多く、自然と会話がはずんだ。
高校までとは違って全国から人が集まるのでいろんな地域の話を聞いて、いろんな地域に行って、自分の世界が地理的に広がった。
公立学校でこじんまりしていたころは、北海道から沖縄まで友達が全国にできるなんて思わなかった。
楽しかった。
人生の節々を思い返すに、どこでも楽しい思い出があるし、どこでも学びがあった。
こうやって書き出すとよく分かるが、自分がなにか頑張っているというより周りの人や環境が人生を豊かにしてくれているようだ。
昔の都合の悪いことを忘れているだけかもしれないが、細かいことを忘れた上でいい思い出が残るのならやはり恵まれて生きてきたのだと思う。
私立中学に行ってたら、地元の高校に行ってたら、色々違う未来があって、その中にはもっといい未来もあったかもしれない。
でも少なくとも自分の歩いてきた道は悪くない道だったと思う。それはとても貴重なことだと思う。
はてなーはこんな釣り気味の記事に引っかかってないでちゃんとソースをチェックしような。
はてなブックマーク - 「わいせつ教員の免許再取得を5年に延長」案に異論…文科省は一体何を守ろうとしているのか(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
この記事によると、教員による児童生徒への性暴力が深刻化している事態を受けて文科省が、わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法を改正し、制限期間を5年に延長する”規制強化案”を検討しているという。
はい、ずいぶんと持って回った書き方ですね。どういうことかっていうと、教免法には「わいせつ行為」の規定なんてないんですよ、元から。
第十条 免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、その免許状はその効力を失う。
三 公立学校の教員(地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第二十九条の二第一項各号に掲げる者に該当する者を除く。)であつて同法第二十八条第一項第一号又は第三号に該当するとして分限免職の処分を受けたとき。
2 前項の規定により免許状が失効した者は、速やかに、その免許状を免許管理者に返納しなければならない。
第十一条 国立学校、公立学校(公立大学法人が設置するものに限る。次項第一号において同じ。)又は私立学校の教員が、前条第一項第二号に規定する者の場合における懲戒免職の事由に相当する事由により解雇されたと認められるときは、免許管理者は、その免許状を取り上げなければならない。
2 免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、免許管理者は、その免許状を取り上げなければならない。
一 国立学校、公立学校又は私立学校の教員(地方公務員法第二十九条の二第一項各号に掲げる者に相当する者を含む。)であつて、前条第一項第三号に規定する者の場合における同法第二十八条第一項第一号又は第三号に掲げる分限免職の事由に相当する事由により解雇されたと認められるとき。
二 地方公務員法第二十九条の二第一項各号に掲げる者に該当する公立学校の教員であつて、前条第一項第三号に規定する者の場合における同法第二十八条第一項第一号又は第三号に掲げる分限免職の事由に相当する事由により免職の処分を受けたと認められるとき。
3 免許状を有する者(教育職員以外の者に限る。)が、法令の規定に故意に違反し、又は教育職員たるにふさわしくない非行があつて、その情状が重いと認められるときは、免許管理者は、その免許状を取り上げることができる。
4 前三項の規定により免許状取上げの処分を行つたときは、免許管理者は、その旨を直ちにその者に通知しなければならない。この場合において、当該免許状は、その通知を受けた日に効力を失うものとする。
わかる? 具体的に「子供へのわいせつ行為」を罰する規定なんてどこにもないの。
抽象的に「教員がとんでもない不祥事をしたとき」には免許を取り上げることができ、その「教員のとんでもない不祥事」には飲酒運転とか万引とか部活で児童を殴って負傷させたとか学外で痴漢したとかと並んで学内で児童に性暴力を振るったというのが含まれますよ、という話。
子供に乱暴したのに5年で済むのか! と言って再取得可能な年限を引き上げたら、別に子供を傷つけたわけではない飲酒運転教師や万引教師とかにも差し支えが出ることになるけど。
飲酒運転や万引の場合でも永遠に免許取れないようにしろ、とはまさか言わんよね? 再犯率とか被害者の安全とか関係ないもんね。
ちなみに、これって小学校とかだけの話じゃないからね。高校教員も含まれる法だから。
つまり、既婚者の教員が17歳の高校生と合意の上で性行為を行い、結果として懲戒免職処分を受けて失効した場合もこの規定が適用される。
これを、10歳の子供をトイレに連れ込んでわいせつ行為をはたらいた場合と同じように永遠に免許を再取得できないようにしろ、というのは不合理極まりないでしょ。
やるべきことは、今の大雑把な免許失効規定の見直しなんじゃない? 職務を利用して子供に対して性的暴行を行った場合、みたいな条文を新設して、そこだけ再取得を不可能にするか再取得までの年限を長くするみたいな解決策はありえると思う。
逆にそこを切り分けられないやつが議論している限りは現行の3年を堅持すべきって主張するね。万引やら不倫やらの社会復帰に3年というのは妥当な期間だと思うもの。チャイルドマレスターのとばっちりでそんなホイホイ引き上げられてたまるかよ。
教員以外にも仕事はあるんだから、理由はなんであれ免許取り上げられた人は学校戻ってこなくていいよ。性犯罪だろうと万引きだろうと。
いや最終的に不祥事の大小関係なしに一律汚れた教員は永遠に追放したいってのが世の要求では……? なんやかんや最終的にみんなが目指してるのそれでしょ。
「不祥事の大小はどうあれ教職に復帰させるな」というなら最初からそう言うべきで、「わいせつ行為の再犯率が高い」とか「小児性愛者を子供と接触させるな」とかそんな理屈は微塵も関係ないやんけ。
ここで問題にしてるのは、まるでわいせつ行為をピンポイントで罰する規定があるかのごときミスリーディングな書き方と、それにホイホイ釣られるはてな民であって、つまり教免法でどんな規定がなされているか理解せずに論を立てていることなわけ。
「5年は短すぎる」って言ってた人たち、どう考えても元々の規定が性犯罪以外も含むものであるって把握してないでしょ。そこが問題なんだよ。「性犯罪を起こして免許が失効した場合の再取得までの期間が5年と規定されている」と「不祥事を起こして免許が失効した場合の再取得までの期間が5年と規定されていて、そこには性犯罪者も含まれる」はまるっきり別の話でしょ。実際は後者なのに前者と勘違いして叩いていた人たちは恥を知るべきって話。
量刑と言われても、犯罪じゃない行為でも懲戒免職の対象になるんだけどそういう場合はどうすればいいの? 失効の翌日から再取得を認めるべき?
たとえば、「児童の母親と何度もセックスしていた校長」が懲戒免職処分になってるけど、当たり前だけど大人同士が双方合意してセックスする行為自体はなんら刑事罰の対象にはならないからね。
教員の不祥事といっても、そこには犯罪であるものと犯罪ではないが教員の品位を損なうものが混在していて、現行の教免法はそれをまとめて処分する規定になっているわけ。「犯罪とそれ以外は分けろ」というならわかるけど、ひとまとめに「量刑と連動させろ」と言われても「無理です」としか言えない。
スマートでエレガントな解決策を提案してくださるのは実にけっこうなんだが、頼むから現在どんな条文になっているか把握した上で語ってくれ……
??? 「万引やら不倫」も含む条文になるかは、立法のテクニカルな話で、そこは現時点では関係ないよね。よっぽど切り離せない理由があるか(ある?)、馬鹿が条文を書かない限り、そんなことにならないじゃん。
だからさ、元のFNNの記事ではどういう改正案が検討されているかわからないじゃん。「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法を改正し、制限期間を5年に延長する”規制強化案”を検討している」っていう文章それ自体がミスリーディングなんだから。これ、どういう意味の文章だと思う?
「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な」という部分は、FNNがくっつけた形容詞なの? それとも文科省が本当にそこをピンポイントで問題にしているの?
文科省のねらいは、「教免法を改正して免許再取得の制限期間を(現行の失効規定を維持したままで)5年に延ばそうとしている」ということ? それとも、「教免法を改正してわいせつ行為で教員免許を失った場合は制限期間を5年に延ばそうとしている」ということ?
「そもそも児童へのわいせつ行為を処分するための独立した規定が存在しない」状況で、「わいせつ行為で教員免許を失っても3年経てば再取得可能な教免法」なんて書くのは、間違いではないけどどう考えても誤解を招く書き方でしょ。これは誤解を誘発することを狙って(つまり単純な制限期間の延長問題を性犯罪の問題とすり替えて読者に理解させようとして)やってるの? それとも言葉足らずでこういう表現になっちゃっただけで本当に文科省はわいせつ行為に的を絞って5年に延長しようとしているの? そこがわからなければ是非を論じる以前の問題じゃん……
条文がないので推測でしかないですが、免職事由によって処置を分けるような立法が困難な理由があるのかもしれませんね。例えば学校側による恣意的運用がなされた場合の検知が困難とか
逆でしょ。事前に細かく「こういう場合はこういう処分」と決めてたら、「どう考えても大問題なんだけど規則に書いてないから処分できない」という事例が発生し得る。それを防ぐために、つまりある程度恣意的に免許を失効させられるようにするために処分を分けてないんだと思うよ。
第一条
この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。
第二条
1 学校は、国(国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第二条第一項に規定する国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む。以下同じ。)、地方公共団体(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項に規定する公立大学法人(以下「公立大学法人」という。)を含む。次項及び第百二十七条において同じ。)及び私立学校法(昭和二十四年法律第二百七十号)第三条に規定する学校法人(以下「学校法人」という。)のみが、これを設置することができる。
2 この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。
第二条第1項では「国」「地方公共団体」「学校法人」という3つの用語が新たに定義されている。
同第2項では「国立学校」「公立学校」「私立学校」が定義されているが、この時点で既に前の定義が使われている。単体ではこの条文は読めず、ここまでの4つの定義を持ってこなければならない。
VBで言うところのDim a = ~。JSで言うところのvar a = ~。
法律によっては第二条あたりに、以降で使う全ての用語を定義しまくるものすごく長い定義セクションがあったりする(例:所得税法)。初っ端にDimが何十行も続くコードのよう。
第二条
一 生活保護法(昭和二十五年法律第百四十四号)に規定する救護施設、更生施設その他生計困難者を無料又は低額な料金で入所させて生活の扶助を行うことを目的とする施設を経営する事業及び生計困難者に対して助葬を行う事業
二 児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)に規定する乳児院、母子生活支援施設、児童養護施設、障害児入所施設、児童心理治療施設又は児童自立支援施設を経営する事業
三 老人福祉法(昭和三十八年法律第百三十三号)に規定する養護老人ホーム、特別養護老人ホーム又は軽費老人ホームを経営する事業
四 障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成十七年法律第百二十三号)に規定する障害者支援施設を経営する事業
五 削除
ほとんど既に制定されている法律を引用しただけで、第一種社会福祉事業の定義を構成している。
Cで言うところの#include。Pythonで言うところのimport。require派でもusing派でもなんでもどうぞ。
第四条
1 次の各号のいずれかに該当する者は、所持しようとする銃砲又は刀剣類ごとに、その所持について、住所地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならない。
四 国際的な規模で開催される政令で定める運動競技会のけん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技に参加する選手又はその候補者として適当であるとして政令で定める者から推薦された者で、当該けん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技の用途に供するため、けん銃又は空気けん銃を所持しようとするもの
1 法第四条第一項第四号の政令で定める運動競技会は、次の各号のいずれかに掲げるものとする。
二 アジア競技大会
2 法第四条第一項第四号の政令で定める者は、公益財団法人日本スポーツ協会(昭和二年八月八日に財団法人大日本体育協会という名称で設立された法人をいう。以下「日本スポーツ協会」という。)とする。
銃刀法では、銃砲刀剣を持つ許可をする相手を「政令で定める」とぼかしておいて、許可を与える仕組みだけを制定している。
つまり、枠を作ってあとからそれに当てはめるコードを書いているわけだ。
法律に定めるべき具体的な内容は、時代や情勢によっていくらでも変わっていくものだが、法律の改正は国会でいちいち可決しなければならないから手間がかかる。
それに対して政令であれば内閣が制定できるし、さらに下位の省令となれば省庁だけで完結できる。より偉い法律の立場からより小回りの利く政省令に委任することによってコードの柔軟性を保っている。
これは大規模開発にて分担してコーディングすることにずいぶんと似ている。
第八十九条
第九十四条
先に定義された条を、後に書かれた条が覆すことができるし、なんなら後から制定された全く別の法律が、急に他の法律を覆しにくることもよくある。
これはプログラミングにおいて、変数の値や状態を後から書き換えられることに似ている。あるいは、クラスのオーバーライド。
法令解釈では、ある条文を読むとき、その条文に書かれている全ての定義を参照先まで確認しに行き、他の条文に委任されている事項も全て調べ、その上、他の条文で覆されていないかも調べる。
プログラマーがデバッグしている時の動きに一致しているといっても過言ではないだろう。
酒税法(昭和二十八年法律第六号)の一部を次のように改正する。
第十条第一号中「若しくは第二号の」を「から第三号までの」に改め、同条第二号中「若しくは第二号」を「から第三号まで」に、「ついては、」を「ついては」に改める。
第十四条の見出し中「取消」を「取消し」に改め、同条中「左の各号の一」を「次の各号のいずれか」に改め、同条第三号を同条第四号とし、同条第二号の次に次の一号を加える。
法律は基本的に「~を改正する法律」を施行することで、このように改正を繰り返している。
単体の「新法」が新たに発生するのではなく、元の法律と差分を組み合わせて結果的に新法になるという仕組みだ。
かくいう自分は、小中高と地方の公立学校から国立大に進学して上京したので、
自己認識としては自分は優秀なつもりだったし、事実としても、自分の通う中学から自分の通う高校に行けるのは一握りだったし、
自分の通っていた高校から自分の大学に合格するのは何年かに一人だった。
東京にきて、優秀な同級生と接するたびに、特に東京の私立で良い環境を受けてきている人と自分の境遇を比べるといっそ惨めな気分になる事はよくあったが、それは今まで通りの惨めさでもあった。
お金持ちでなかった自分は、集合団地に住んでいてもゲーム機を買ってもらえる友達が羨ましかったし、中学からは多くの一軒家に住んでいる同級生が増えて、遊びに行かせて貰うたびに自分の家との違いに悔しい思いをしていた。
運動が得意ではなくて、本ばかり読んでいたので、よくいじめられたり無視されたりもした。だからこそ勉強や読書によく逃げ出していた。
しかし、大学で机を並べる同級生たちとの格差の水準はそのレベルではなかった。国立だったから、地方から出てきた公立上がりは他にもいたので、だいぶんマシな方だろう。私立だったらもっとすごかったかもしれない。
同級生たちは決して僕をあからさまに無視したり嘲ったりしなかった。もちろん年齢の成長に伴う社会性の向上はあるが、価値観を尊重してもらえるという点で変化は劇的だった。最近都会のリベラルな価値観が進んだものとして振る舞う若造に対して反感を覚える人がいるという意見も見かけたが、自分はあの地方の社会から出て行く決断をして本当によかったと思っている。たとえ格差自体は都会の方が激しかったとしても、だ。
勉強しろ、国立大へいけ、と言ってくる親が疎ましく思った時もあったが、今ではそれこそが親がくれた最も大きな財産だったと実感している。
それがあったから、自分はここまで来ることができた。これもまた格差だ。
大きくなるにつれて頑張れば頑張るほど格差は残酷なまでに見えてくる。
日本人の学生の一部が就活には研究なんて要らない自己分析が大事だと自己流の攻略法を語るのは珍しくない光景だったが、
一方で、有名大学を目指す中国人やアメリカ人は、下手をすれば高校生の時からpulication(論文投稿実績)を作るべく活動し、大学で色々な企業へインターンに行って職務履歴を作っている。
別に日本の学生はダメだと言う訳ではないが、グローバルで実績を作ろうと検討した時に、自分が今まで競争の土台に乗らないでいた間にずっと先に進んでいる同世代の人間たちがたくさんいるという事を思い知らされる。the 格差。
アメリカのコンピュータサイエンス系の大学院を出た学生は年収1000万なんて最低ライン2000万は狙わないと、という感覚でいる。普通に。
日本でもG社やM社に行けば数年で1000万は超える。業務が激烈だとか成果が物凄いとかではなく、ベースラインがそれくらいあって、実績を残せばそこから更に上がる。
自分も年収1000万は簡単に超えたが、周囲への劣等感で泣きたくなる事は日常茶飯事だ。こんな記事を書いて自分を慰めている時点で察して欲しい。
振り返るとお山の大将というやつに憧れていたけど、いつも気づくとずっと大きな山の下で土を噛んでいる。
中学まで一切勉強しなくても地方の地元の公立学校ならトップクラスの成績が取れて、調子づいて県下一、二を争う進学校に入ったらみるみるうちに落ちぶれ、それまで地頭でどうにでもなった経験に加えて学習習慣など一切確立していなかったことから一向に勉強せず、高3のあるとき学校へ行くのがたまらなく億劫になり欠席を重ねた結果中退して母親を泣かせ、通信制高校へ編入してどうにか高卒にはなるものの大学受験は散々な結果で浪人、しかしやはりろくに勉強せず、それでも模試では稀にまぐれ当たりの良い成績が出るので予備校の担任と親への最低限の面目は保ち、一浪の末どうにか中堅公立大学に滑り込みで合格、ところが一人暮らしを始めた大学では今まで以上に怠けるので1年次で修得できた単位は30にも満たず、2年前期の期末試験を明日に控えながら半年以上片付けられていないゴミ溜めのような部屋でこれを書いている。人生間違えた。死にたい。死ぬのは怖いので死にたくないけど今の部屋を引き払って学歴も労働も一切求められない全く別な環境で全く別な人間として生きたい。
「身の程を弁えた受験」と口にし、大炎上したどこぞの馬鹿がいたが、この国で子供の身の程は親の収入によって決定すると言うのだろうか?
現に、優秀な教育者が私立に引き抜かれ、公立学校の質が低下するという直接的なダメージもある
塾や英会話などといった、抜け駆け的な教育機会は、貧しい子供にはアクセスが不可能だ。
高校、大学のカリキュラムは働きながら通うことを前提にしていないし、基本的に親からの援助を前提とする。
義務教育以上を受けるのに、親の不在が大きな困難となるのは、明らかな格差である。
貧しい子は借金して学業に励め、その機会は平等だと唱え、未成年に莫大なリスクを負わせる一方で、富める子は当たり前のように親から学費や生活費を受け取る。これは欺瞞以外の何ものでもない。
日本で、結果の平等やアファーマティブな受験を支持する人間は少ない。にもかかわらず、教育の機会にも依然として収入の多寡による差別が蔓延っている。
機会の平等も、結果の平等も保障されないとなっては、この学歴社会は事実の上の身分制度ではなかろうか?
教育機会の平等を徹底することこそ、真に格差を是正することではなかろうか?
極度なメリトクラシー社会、結構結構。それが資本主義における合理的な平等ではないか?それが、かの人々が我々に唱える合理的な差別社会ではないか?あるべき姿に正そうではないか?
自身の生まれ持った資質を行使して、より良い暮らしを手に入れるのは良い。我が子だけを不当に特別扱いし、教育資源を占有させるのは格差の支持だ。この格差の存在が、貧しい庶民にとっての出産の壁となり少子化を加速させている。
生まれが良いだけで地位ある職に就き迷惑をかけまくるボンクラは、障害者雇用でパンでも作らせてろ。
知能と才能を持つものだけが上に立つべきだ。それに欠けた人間は、「身の程に合った」人生を歩むべきだ。
学習塾や予備校、通信教育等については、教育格差を強化するとして禁止、教育税等をかけての実質的な潰し、子供を無理矢理通わせることを奴隷的拘束行為であり虐待であると認定する、子供毎に利用状況を調査し入試の素点から減点などの様々な対策が考えられるが、どれも今なところ現実的でないため、はてなー諸君のアイディアが求められる。
日本が抱えている問題は『教育の質』と『教育の質の平等』の問題であって
日本は各国の25歳~64歳人口における学位取得者の割合は第3位だよ、アメリカやヨーロッパよりも高いよ
つーかヨーロッパでは真面目にお勉強してないと小学校卒業/中学校卒業時点で、就労コースに振り分けられて高等教育に進むことそのものを許されない国が多い
日本の高認に相当する資格さえとれば許される国でも、日本の東大とは毛色の違うエリート選別をやっている
だから豊かな社会主義国家のはずの国でネオナチやら極右翼が暴れる土壌が出来る
田舎から阪大に入った。もう30年近く前だけれど、当時感じたことなどを。
まずはどのくらい田舎の出身かということで、住所は○○郡△△町(現在は市町村合併で市になった)。新聞は夕刊が存在せず朝刊のみ。テレビの民放は2局。自転車を片道10 km こいで県庁所在地の進学校に通っていた。高校以前は地元の公立学校に通っていたけれど、ちょうどヤンキー漫画等がブームの頃で、自衛するのも一苦労だった。
阪大を選んだのは、当時まだ珍しかった「学際」と呼ばれる複数領域について学べる学部があったため。そんな学部の中には変わり者も一定比率いて、高校時代よりも格段に居心地はよかった。クラブ活動などで他学部の学生と交流する機会はあったため、その経験をベースに大学全体に話を広げてみると、記憶する限り、育ちや環境に起因して粗暴なふるまいをするような人間はいなかったと思う。むしろ、同じ地域圏内にある京大には学力の点で行けなかったから阪大に進学した、と思しき学生も多く(*)、そのためだろうか、おっとりとした善人が多かったような印象がある。あるいはその幾分かは、自分に対する無意識の諦めだったのかもしれないが。
*余談:現在は知らないが、当時は東大と京大は受験で求められるものが異なり、東大に受かるのはオールラウンドの秀才型、京大に進むのは野人型という印象があった。ちなみにこの分類だと、阪大は東大の下位互換に相当する。とはいえ、偏差値的に京大に行けるのに阪大を選択する人というのは、昔も今も多くないのではないかと……
入学からしばらくの間は、議論が下手で攻撃的な物言いに終始する人間も散見されたけれど、それなりにたいへんな受験勉強がようやく終わり、開放感と多少の達成感の中にいたのだと考えればしかたがないのでは。そういった人たちも、学年が上がるにつれて人との接し方を覚え、多少なりとも角が取れていったような。
なお、旧帝国大学(いわゆる七帝)の間では定期戦が行われていて、他の6大学のキャンパスを訪れる機会も何度かあったが、いずれも都会の中に広めのキャンパスを確保しており、丘陵を切り拓いた万博の跡地に建てられた阪大の吹田キャンパス(主に理系学部が入っていた。書き手の所属学部もこちら)とは何から何まで違った。阪大の学生が世情に疎かったり、アグレッシブさを欠いた理由としては、学ぶ場所による影響も確実にあったのではないかと思う。
……まとまらぬがこのあたりで。ちなみに書き手は紆余曲折を経た末に、現在は首都圏に住んで家族を持ち、仕事の面では会社員としての生活を送っている。