はてなキーワード: 3月とは
俺がラブライブにはまってはや半年。正直アニメが好きなだけでそのほかのコンテンツにはあまり興味がないからラブライバーを名乗れないと思う。
1期は始まりから逆境に立ち向かっていって、どんどん仲間が集まり、誰かのためではなく自分のやりたいことのために頑張るようになる、というのがコンセプトだと思う。
2期は1期の続きで9人全員そろっており、1期で果たせなかったラブライブ出場、3年生組の卒業、μ’sというグループの意味、夢への前進というのがテーマになってきた。
そのなかで9人の成長、助け合い、青春、過去の払拭という1期から続くラブライブ的お決まり事というか水戸黄門や暴れん坊将軍のように組み込まれてきた。
1話でもういちどラブライブに出場、3年生組の卒業という2期のテーマが示された。OP、EDもなにかしらクライマックス感や終わりを感じさせるような曲調だった。
Snow halationというラブライブプロジェクト(?)発足当時の曲も再度アニメーションが作られ、無事ラブライブ出場決定、3年生の卒業と同時にμ’s解散と12話まで完璧な流れできたと思う。
12話終了時点においてラブライブでのライブも終わり、作中時期は3月、いよいよ残すは卒業式のみとなった。
そして今日、13話を見た感想。ああ、やはりラブライブは良くも悪くも俺の予想の斜め上をいくなあと思った。
1期の最終話も超展開といえる感じであり、それでも上手くまとまって大団円、ああ面白かったと思えた。
そして2期13話も大体同じ感想を抱いた。
にこの母役にエヴァンゲリオンでおなじみの三石琴乃さん、卒業式での「愛してるばんざーい」、EDテロップに「oh!love &piece」ラストに楽しい感じの新曲。
ストーリーの流れもしんみり系ではなく明るい感じだった。そして最後に劇場版決定。
ただ俺個人としてはちょっとなあと思った。いや面白いんだけど、泣けたし、すっきりしたけど。
俺が13話に予想していた展開、というより期待していた展開はまずOPをなくしてテロップを流しながらアニメを始める。
卒業式の前に3年生組がそれぞれ卒業直前の心情吐露みたいな感じで卒業式前の前戯、卒業式で穂乃果が送辞、絵里が答辞。μ’sは全員うるっと来てる。
卒業式を終えて学校を回りながら色々あったね的な会話をする。最後に屋上にいって1,2年生で3年生を送るために歌を歌う。皆号泣。校門、神田明神などおなじみのスポットに行きながらμ’sに会えてよかったみたいな会話。最後は皆すっきりした表情でサヨナラ。穂乃果が学校に走りながら登校してきてジャンプして終わり。1期ラストみたいにEDにこれまでのシーンを統括。
というのを期待していた。このいくつかはその通りになったし、アニメの展開に異論はない。本当に面白かったと思う。
ただ、これまで12話かけて色々準備してきた。
卒業を全面に押し出してきて、μ’sの解散宣言もしたし、ラストライブという話もあったし。
それをまた先延ばしにするというのはどうかと。12話までに少なからず泣いた話があった。それは作中において終わりが迫っているんだというのが明白に感じられていたから。
でもこうやって劇場版につなげて、今までの感動を置き去りにするのはなにか違うと思う。
まあでもラブライブが面白かったことは違いないし、劇場版も楽しみにしてる。
制作陣の皆さんまた俺の予想を裏切るような素晴らしい劇場版をよろしくお願いします。
そしてできれば今度こそμ’s終了でもこれまで楽しかったよありがとう前を向いて生きる的な展開を入れてくれればとてもうれしい
まず、『恋のから騒ぎ』がどのような番組だったかを伝えるために、13期ご卒業スペシャルのナレーションを紹介します。
「昨年3月、女たちはテレビでかわいらしい恋愛話をしようと、希望を胸に秘めオーディションに参加した。
しかし、晴れて出演切符を手にした彼女たちをスタジオで待っていたのは トークの鬼将軍。
そこで女たちははじめて気付く。自分たちがとんでもないトーク地獄の最前線に放り込まれたことを。
「戦場や言う話しとるやろ」
容赦なく加えられる砲撃。どこに仕掛けられているかわからない爆弾。
「出て来んなアホンダラ」
あるものは息絶え、あるものは重傷を負って戦場を去っていった。
「替りはいっぱいおんねん」
この13期は評価の低い期です。
17年間続いた恋からでピークは8期とする声が多く、後期の評価は低いのですが、13期はその中でも一二を争う評価の低い期です。
個人的には13期はそんなに嫌いではないですし、二番手三番手のキャラは豊富だったと思いますが、たしかに、メインを担える人が一人もいなかったのは致命的だったかもしれません。
ご卒業スペシャルのゲスト沢村一樹さんは「去年は、みんなバトルしてたイメージがあるんですけど、今年、仲いいじゃないですか」と述べています。
引用したナレーションの後には、さんま師匠の叱責シーンが特集されています。
翌年度の14期に番組を立て直した功労者の一人が塩村文夏さんです。
塩村さんは美人なのですが、『恋のから騒ぎ』では美人枠ではありません。
恋からでは、かわいい子は主に前列に並びます。前列はトーク力はそれほど期待されていません。前列で年間MVPを受賞したのは15期のラリカンさんぐらいです。
それに対し、塩村さんが座っていた三列目は、飛び道具的なネタキャラとトークの実力者が配される笑いの最前線です。14期において、塩村さんはミーアキャットさんとともにツートップの位置にありました。
14期ご卒業スペシャルでは塩村さんはゲスト三人とさんま師匠から総攻撃を受けます。特に当たりが強いのはウエンツ瑛士さんで、座る姿勢などどうでもいいことで塩村さんを攻撃します。
それらに対し強気で言い返す塩村さんに、東国原知事は、あの気の強さは政治向きと評します。
年間MVP発表を控えCM入りする前に、ウエンツさんは塩村さんに「ちょっと言わしてもらっていいですか。お前じゃないからな!」という言葉を投げつけます。ちなみに、年間MVPは、さんま師匠ではなくゲスト三人の協議で決まります。
そして塩村さんがMVPを受賞。
塩村「えーっ」
「いやな女っていうのを演じるっていうかそういうポジションををね、あのキープするって非常に勇気のいることだと思うんですよね」
「最後ちょっとグッと来ちゃいましたね(中略)ま、ホントの涙かどうかはわかりませんけど」
VTRとトークで叩いて叩いて叩いて、そして持ち上げて、最後にちょっと落とす。塩村さん側の反応も含め、とんだツンデレ合戦です。
当時の2ちゃんねる塩村スレッドでも、次のような感想が書かれています。
「ウエンツは明らかに塩が好みみたいだったがね。
でもあのやりとりは、息の合ったコントみたいでよくできてたな。」
昨年、塩村さんは、宝満さんをはじめとした歴代の大物卒業生とともに『明石家さんまの転職DE天職』の恋から同窓会企画に出演しました。またそういう機会があれば、ぜひ出演していただきたいと思います(しばらくは色々と大変でしょうけど)。
多くの論点は老人たちからの自分らが老後困るふざけんなガキどもOR男や女がなぜ結婚したがらなくなったかということだ。
それは「子供たちはこれからこの国で幸せに暮らせるのか?」ということだ。
残念ながら極めて懐疑的にならざるを得ないだろう。
現在安倍内閣の雇用政策とリンクする立場にあるパソナ会長の竹中平蔵氏が、
若者のホームレスが街にあふれるほどになる」と3月くらいにどっかのラジオ番組で言っていた。
(※まあ既にネトカフェ難民があふれてるという話もありますがね…)
そういう政策はどんどん進んでいるし実際そうなるだろう。
これからの子供たちは生まれてきたら既に金で金を洗う壮絶な経済競争、縮小するパイの取り合いに叩きこまれることになる。
その帰結は結局誰も得をしなかった郵政改革やタクシー規制緩和を見るだけでも明らかだ。
この国経済競争を激化させることには積極的なようだが一切そこに潜む問題を見ようとする気はない。
若者のホームレスがその辺にあふれると思われる状況をどんどん推奨されてるようですらある。
セーフティーネットを整備せず雇用の流動化だけ進めてどうして国民が将来に希望を持つと思うのか不思議でしょうがない。
最低でも国民が明るい見通し位持てなければ子どもなんか作りはしないって。出来婚DQNな人ぐらいしか作らないんじゃないか?
そうじゃないから子供に投資するより自分で金貯めて備えるという非婚が後を絶たないわけで。
(私だっていつ失業してもいいように4年は働かなくても何とかなる程度の貯金を確保している。とても10年20年先など見てられない。
平均レベル会社員に属する私でさえそうなんだからワープアに転落したらどうなるのか想像もつかない。)
どう見たって今以上に低賃金派遣だけが増えて見た目失業率が減ったとして安倍さんや竹中さんが自分の功績みたいに語る未来しか想像できない。
(※そもそもこの国の失業率欧米基準で見たらとっくに欧米並みかそれ以上だったと思うんだけどね…。なんで欧米より低いことになってんすかね。)
まあ、安倍さんや竹中さん(もっと言えば自民系の政治家ほぼすべて)にはどうでもいいことなんだろう。
あの人たち金持ちだしその気になりゃ海外で引退生活するだろうし。
はっきり言ってしまえば、おそらくこれから生まれてくる子供たちには経済地獄となるであろう日本で、
低賃金派遣みたいな仕事にセーフティーネットもなしに叩き落される悲惨な生活しか待ち受けていないだろう。
そこに自分の子供を叩きこむことに罪の意識を感じないのだとすればそれはもう子供を愛しているのだとは言えない。
この状況でどうしても子供を作るとしたらそこで子供を保護するだけの力量が親にあるか、
最低でも「経済戦争を戦えるだけの力」を子供たちに身につけさせて送り出すくらいのことはしてやらないと子供に対する罪に等しい。
金がないと教育すら受けられなくなってきてるこの国でそれが可能な親がどれだけいるか?
正直非常に現状は悲観的だ。
22年9月 | 22年12月 | 23年3月 | 23年6月 | 23年9月 | 23年12月 | 24年3月 | 24年6月 | 24年9月 | 24年12月 | 25年3月 | 25年6月 | 25年9月 | 25年12月 | 計 | |
萩野谷 勉 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 6 | ||||||||
大貫 道夫 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
柏 宏明 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
小森 敬太郎 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
吉川 美保 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 10 | ||||
小森 敏雄 | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||||||
田沢 祐男 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
川上 博 | 0 | ||||||||||||||
武石 寿長 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
高村 和郎 | ★ | ★ | 2 | ||||||||||||
内田 勝廣 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 12 | ||
野上 台一 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
岡崎 榮一 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 0 | ||||||||
淀川 茂樹 | 0 | ||||||||||||||
掛札 行雄 | ★ | 1 | |||||||||||||
木村 久美子 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 6 | ||||||||
秋山 信夫 | 0 | ||||||||||||||
木村 勝昭 | 0 | ||||||||||||||
小橋 輝夫 | 0 | ||||||||||||||
金子 卓 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 12 | ||
仲田 好一 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 0 | ||||||
堀江 鶴治 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 |
22年9月 | 22年12月 | 23年3月 | 23年6月 | 23年9月 | 23年12月 | 24年3月 | 24年6月 | 24年9月 | 24年12月 | 25年3月 | 25年6月 | 25年9月 | 25年12月 | 26年3月 | 26年6月 | 計 | |
井坂 孝行 | ─ | ─ | ─ | ─ | ─ | ─ | ─ | ─ | ─ | ─ | ─ | ★ | 1 | ||||
藤田 謙二 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 15 | |
赤堀 平二郎 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 14 | ||
木村 郁郎 | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||||||||
深谷 渉 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 16 |
鈴木 二郎 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 12 | ||||
平山 晶邦 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 16 |
益子 慎哉 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 9 | |||||||
菊池 伸也 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 12 | ||||
深谷 秀峰 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 10 | ||||||
高星 勝幸 | 0 | ||||||||||||||||
成井 小太郎 | 0 | ||||||||||||||||
茅根 猛 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | ★ | 1 | |||||||
片野 宗隆 | 0 | ||||||||||||||||
福地 正文 | 0 | ||||||||||||||||
山口 恒男 | 0 | ||||||||||||||||
川又 照雄 | 0 | ||||||||||||||||
後藤 守 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 0 | ||||||||
黒沢 義久 | ★ | 1 | |||||||||||||||
沢畠 亮 | 0 | ||||||||||||||||
高木 将 | 0 | ||||||||||||||||
宇野 隆子 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 16 |
24年3月 | 24年6月 | 24年9月 | 24年12月 | 25年3月 | 25年6月 | 25年9月 | 25年12月 | 26年1月 | 計 | |
筒井 かよ子 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 5 | ||||
寺門 厚 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 7 | ||
小宅 清史 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 5 | ||||
助川 則夫 | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | |||||
綿引 孝光 | ★ | 1 | ||||||||
木野 広宣 | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | |||||
古川 洋一 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 9 |
中庭 正一 | ★ | ★ | ★ | 3 | ||||||
萩谷 俊行 | ★ | ★ | 2 | |||||||
勝村 晃夫 | ★ | ★ | 2 | |||||||
中崎 政長 | ★ | ★ | ★ | 3 | ||||||
笹島 猛 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 5 | ||||
君嶋 寿男 | 0 | |||||||||
武藤 博光 | ★ | ★ | 2 | |||||||
遠藤 実 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 9 |
福田 耕四郎 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 0 |
須藤 博 | 0 | |||||||||
加藤 直行 | 0 | |||||||||
石川 利秋 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 9 |
木村 静枝 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 9 |
海野 進 | ★ | 1 | ||||||||
木内 良平 | 0 |
私は祖父が嫌いだった。
祖父は他人のいうことを聞かず、自分の意見を通すような人だった。
良く言えば自分の信念を貫く人なのだが、悪く言えばわがまま、傍若無人。
祖父は自宅で死ぬことを望んだ。
しかし、介護認定される前、というかその診断された次の日に祖父は勝手に退院してしまった。
つまり、家で介護する人間は私の他におらず、当時同居していた私が介護をするしかなかった。
アルバイトであったが、それなりに楽しく続けていた仕事であった。
なので、初めは拒否した。
しかし、祖父は
と言われ、10年続けたアルバイトをその日で辞めることになった。
祖父の電話1本で。
まともにやったことのない、しかも嫌いな祖父の介護をすることになった。
非常に憤ったし、他の家族にも相談したが、私が介護せざるを得なかった。
祖父が亡くなる1週間前まで、私は介護をした。
なんとか介護ベッドを取り付け、尿をとったり、洗濯したり、料理を作ったり、床擦れにならないよう体位を変えたりした。
しかし、私には介護の専門知識はなかったし、非常に苦痛であった。
祖父が恥ずかしがるあまりに尿をこぼしてしまったり、料理はほぼ食べなかったし、体位交換は重いし、
肉体的にも精神的にも疲れていた。
そんなある日、祖父は風邪をひいた。
私はお医者さんに診察することを祖父に勧めたが、祖父は病院に入院させられると勘違いしたのか、激しく拒絶した。
それでも私は祖父に対し、丁寧に説明したが、わかってもらえず、言い争いに発展した。
「お前はおれを見捨てるのか!お前なんか家族じゃない!」
と私は激昂された。私はすでに泣いていたが、もうどうしようもないと思った。
祖父は在宅診療されることになったが、日が進むにつれ風邪は酷くなり、結局、救急車で病院に運ばれてった。
祖父の再入院が決まったその日、私は熱を出した。
インフルエンザだった。
死に目に会うことは出来なかったどころか、病院で入院手続きをした時に熱が出たのでお見舞いに行くことも出来なかった。
告別式のとき、悲しいなと思ったが、そこまで深く考えなかった。
祖父が死んでから2ヶ月たった今、ある配信で配信者のご家族が亡くなったことが知らされ、
そういえば、祖父が死んでから2ヶ月たったのだなと振り返ることとなった。
しかし、今、猛烈に後悔している。
仲直りしたかったなんて全く思ってない。
清々した。
だが、この激しい後悔はいったいなんなんだ?
死は誰にでも必ず訪れる。
死んだ人間とは二度と会うことはない。
そして、死んだ人間を憎しんでも何も変わらないのだ。
女性の労働は増えるだろ その日暮らしでいい男性が増えるなら男性の就職率も上がる(これは期待薄だが)
非正規雇用比率 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3250.html は男女ともに増加
労働力調査(詳細集計) 平成26年(2014年)1~3月期平均(速報)結果
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/index.htm
リンク先にも書いてあるけど正社員じゃないとイヤなのって男性が相当数いて
応募を控えてる可能性は全く考えないのは何故だぜ?
夏休み直前に俺から告白して付き合った人生で二人目の彼女、高校に入ってからは初めての彼女だった。
当時俺は4月生まれだから17歳、彼女は3月生まれだから16歳。
見た目も超童顔で幼く背もかなりチビだったが胸だけはクラス一の巨乳だった。
ちなみにディズニーランドに閉園までいると彼女の住んでいる地域は田舎のため終電を逃すのでその日は俺の自宅に泊まる事になった。
親父は仕事でいないが母親と弟は家にいるからちょっと恥ずかしかった。
家に着いた時刻は0時を超えていた(ディズニーランドを22時に出たため)
とりあえず疲れてるのでお互い布団でゴロゴロした。
彼女は携帯でブログを更新するため1日の記事を書き込んでいたり俺の中学の頃の卒業アルバムや浦安鉄筋家族というマンガを見てゲラゲラ笑ってた。
お互い真夏だし汗をかいていたのでサッパリした。そして疲労から睡魔も襲ってきた。
お菓子を食べながらしばらくは話してたが結局寝る事になった。人生で初めて女性と寝る事に俺は興奮していた。
彼女は「寝顔見られたくないから見ないでよー!」と言ってきた。
俺はわざと寝顔を見ようとし彼女は照れながら抵抗した。
結局しばらく寝ないでじゃれあってた。
しばらくして彼女が手を握ってきた。
童貞である俺は「キスしていい?」とさりげなく聞いた。 次の瞬間彼女は俺にキスをしてきた。
ちなみに初デートの時にキスをしてるからこれはファーストキスではない。でもやはりドキドキはした。
しばらくして俺は異変に気づいた。なんと彼女は舌をいれてきたのだ!
「舌入ってるよ(笑)」俺は頭が真っ白になりこう言った。
彼女は「やだ?」と聞いてきた。とんでもない!!!と思い今度は俺から再びキスをした。勿論自ら舌を入れた。俺は17歳にして人生初のディープキスをした。
お互い夢中で抱き合いながら舌を絡ませてた。
キスだけで30分以上してた。勿論だが所々で無言の休憩を挟みつつね。
もうこの際言ってやった。「胸が当たってるよ(笑)つうか大きいし(笑)」と。
俺は彼女の背後に周りブラジャーの上からオッパイを揉んだ。 この時はフルボッキでチンコが爆発しそうだった、そうシコらなくても射精しそうなくらい。
途中で勝手にブラジャーを取り生でオッパイを触った。乳首もつまみまくった。
俺は背後から前に移動してついに彼女のオッパイを初めて生で見た。
乳首が薄ピンクではない事にやや萎えたが彼女の喘ぎ声に完全にやられて俺は半分壊れていた。
もうどうにでもなれと吹っ切れて乳首を吸ったり噛んだりもした。彼女の喘ぎ声はさらに大きくなった。
パンツの上から股間を触るとあり得ないくらいビショビショに濡れていて驚いた。
この時まであまり信じてはいなかったが女は興奮するとマンコが濡れるのだと改めて知った。
しばらくずっとディープキスをしながらオッパイを揉んだり乳首をつまんだりパンツの上からマンコを触ってた。
もういいだろうと思いパンツを脱がした。彼女も抵抗は全くなかった。
初めて同い年の女のマンコを見て驚いた。幼い顔をしてるがAVで見るのと変わらず普通にマン毛がボーボーに生えてるという事実に。
俺はついにマンコに指を入れる決意をして人差し指をいれてみた。
「温かい・・・・むしろ熱い」真っ先にこう思ったわ。グチャグチャしてて指にキュッと吸い付いてくる、そして温かい。
これがマンコなのか・・・と感動した。
その後は指マンをしばらく続けた。
エロ知識を生かして傷つけないようにとなるべく優しく長時間やった。
マンコを舐めてみたくなり初のクンニもやってみたたが口にマン毛が入ったり、しょっぱかったり、
夏だけあって匂いがキツく(尿と汗が混じり発酵したような匂い)萎えたのでほとんど指マンをメインに切り替えた。
俺も相当股間が熱くなった。
彼女に再び密着して熱くなった股間を彼女の尻の割れ目にグリグリ擦り付け
彼女に「俺のも舐めてよ」と思わずこう言った。ぶっちゃけかなり恥ずかしい。
彼女に笑顔で「いいよ~」と言われ俺はズボンとパンツを脱がされた。初めて女性に勃起してるチンコを見られたため正直死ぬほど恥ずかしかった。
彼女は最初舌を使いチンコの先端を舐めてた。次第にチンコ全体を口にくわえ始めた。
思った以上に口の中も温かく唾液がローションのように気持ち良くフェラに感動した。
想像より何倍も気持ち良い。フェラの「にゅるっ!」て感覚に気持ち良すぎて鳥肌がたった(笑)
もう今夜童貞を捨てるしかないと思い俺は彼女を押し倒して生のままチンコをマンコにいれた。
俺は念願の初セックスを楽しもうと正常位とバックを何度も吟味した。
ちなみにバックだとケツが覆い被さり穴が見えにくくマンコとアナルの位置を間違えそうになってしまい彼女から熱い指摘を受けた。
バックだと途中でチンコが抜けたり童貞の俺には難しいため正常位で彼女と抱き着きあいがらキスをしてずっと腰を振ってた。
彼女の喘ぎ声とマンコのグチャグチャ感と温かさ、チンコに吸い付く感覚がとにかく気持ちよくついにムズムズ感が我慢出来なくなり彼女の腹に射精した。
ティッシュで精液を拭き取り裸のまま抱き合い再びキスをした。
俺が「生だといつ出るか分からないからなんかプレッシャーがかかる、ゴムがあればな~」と言った。
それから話し合い俺達は俺が二回戦に向けて近所のコンビニにコンドームを買いに行く事になった。
そのまま部屋に戻り二回戦を始めた。俺が二回戦が終わった頃には4時を過ぎていたwwwww
母親も弟もまだ寝てるためこっそりと一階へ行き二人で風呂に入ってイチャイチャした。
一晩にして女の身体を物凄くしった一日だった。
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前回の続き
と言いたいところですが、事件です!
ついにxデー到来!
順位激さがり
僕激おこ
の3本立てでお送りします。
パンダアップデート恐ろしや(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
GoogleのMatt Cutts氏氏は今年3月に、次世代のパンダアップデートを予告。
その時には「小規模なサイトなどにポジティブな影響が出るはず」とコメントしていました。
ふざけんなあごらあああああああマスカッツぅぅぅぅ
なんで順位さがってんだよーーーーー| `Д´|ノД´|ノД´|ノД´|ノД´|ノД´|ノゴルァアアアアアア!!
なにか、このサイトの順位がさがる事が世間にとってポジティブってか
やかましいわ!
Googleはアップデート更新について、これまでアナウンスせずに実施してきました。
今回アナウンスしたのは、パンダアップデート4.0が従来のものとは違い、
ランキングアルゴリズムにも手を加えたことで、検索結果に対する影響が大きいためではないかと考えられます。
パンダアップデート4.0の発表の1時間後に同氏は、スパムが多いクエリに対処するアルゴリズムの更新を実施していたこともツイートしました。
パンダアップデート(旧:ファーマー・アップデート)とは、Googleが実施する 検索アルゴリズムのアップデートの名称ですが、
高品質なサイトをより上位に 表示し、検索結果の品質を高めるために実施されています。
ユーザーがより質の高い検索結果を得られるよう、検索エンジンの仕組をより良いものへ更新することです。別名を「ファーマーアップデート」といいます。
ちなみにパンダアップデートは、白黒はっきりさせるの意味をこめて、色が白黒のパンダと名前がついているそうです。
1.重複サイトやコピーサイトなどでオリジナルな内容のコンテンツが乏しい
1はコピーや重複ではない完全オリジナルなので、ひっかかるとすれば内容の薄さか。。
3は完全にOK!なぜなら今のところ広告を張っていないからです(-。-)y-゜゜゜
4は、4、4か、うん4だ。間違いない。
今までの人生で誰かに信頼された事なんてあったろうか・・・・・
いや、そんな事言ってる場合じゃない!とにかくサイトのの信頼性を上げる努力をするしかない!
マスカッツ氏あなたの言っていたポジティブな影響、見事、僕の中で燃え盛る炎となりましたよ!
そしてエロサイト王になった暁には、
サイト訪問者との交流で厚い信頼関係を築くのだあ!主にfacebookとかで!
つづく
※あくまで一個人の見解です。
大企業だとグループ企業などと合同で新卒研修を行っていたりする。
この頃は座学が多いので、定時帰りが当たり前。
「うちの入社式こんなすごいんだけどw」
「同期マジ最高だわ」
と言うポジティブな発言が見られる。
初任給の使い道で盛り上がる。
「先輩に助けてもらってばっかりで泣けてくる・・・早く戦力になりたい!」
といったモチベーションの高さが伺える。
社会人として働いていることを誇りに思う。企業によって夏季休暇の長さ、時期が異なったりするので、
友人より夏季休暇が長いと優越感を得ている者もいる。
「学生のうちに遊んでおいたほうがいいよww」
仕事らしきものを振られるようになる。後輩が就活のアドバイスを求めてきたらドヤ顔でアドバイスをしてあげる。
「え、まだ残業したことないの?ホワイトだわーw俺なんかもう10時間ついてるわーww」
残業したところで得られるお金より、好きに使える時間のほうが貴重だと気づき始める。
このあたりで多すぎる仕事量に疑問を持たない者は立派なソルジャーになれる。
同時に就職した友人と福利厚生やたかだか数十万の給与差を気にしたりする。
入社前は○○年でやめると言っておきながら、「今はこの仕事に誇りもってるから!」と悟りだすのもこの頃である。
「まあうちは休み少ないけどその分給料もらえるから!(残業代だけど)」
「仕事やめたい」
http://www.j-cast.com/2014/05/27205857.html
この記事がホッテントリに入ってブコメでもちらほら怒りの声が上がっていますが、いくつか突っ込みどころのある記事でもあります。
タイトルでどんなカラクリがあるのかと煽っていますが、まあそうたいしたものでもありません。
・欠損金の繰越控除
あたりでしょうか。ざっくりみてみましょう。
法人税の課税は基本的に単体決算に対して行われます。トヨタが連結でいくら利益を出していても、日本市場が不調で単体赤字なら日本で法人税を納めることはありません。
また海外子会社が海外で利益を上げたら海外で納税するのは当然のことです。
記事ではここのところが誤解されています。(意図的かもしれませんが)
とはいえ、基本的に利益があって、配当している上場企業は法人税を払っているはずだ。トヨタの2009年3月期の税引き前当期利益は5604億円の赤字だったので、このとき法人税が払えないのはわかる。しかし、10年3月期のそれは2914億円の黒字。以降、5632億円、4328億円、13年3月期には1兆4036億円もの黒字を計上してきた。法人税を納められないほど「体力」がないわけではない。
連結上いくら体力があっても日本で利益が出ていないならば法人税はとれません。
端的に言うと、これは二重課税回避のための規定です。配当金の支払原資は企業の内部留保で、これは法人税課税後の利益の蓄積です。
これを配当金を受け取った側で課税すると課税後利益にさらに課税することになり、これを是正するためにあります。
個人の所得税の配当控除も同じ理由で規定されています。つまり大企業優遇でもなんでもありません。
赤字となった年度は法人税がかかりません。しかしその赤字を切り捨てて黒字になった年度に即課税すると、毎期平均して利益をあげている企業と、赤字と黒字を繰り返している企業とで税額に差が出てしまいます。
例えば平均的な利益を上げるA社と、浮き沈みの激しいB社があったとして、欠損金の繰越控除がなかったとすると、
A社の各年度決算が(利益:税額)=(100:30)、(100:30)、(100:30)、(100:30)、(100:30)=(500:150)であったとして、
B社の各年度決算が(利益:税額)=(200:60)、(-300:0)、(200:60)、(-100:0)、(500:150)=(500:270)という場合、
5年間のトータルの利益が同じでも浮き沈みのある企業は税額が多くなってしまいます。
これを是正するのが欠損金の繰越控除で、期限を決めて黒字で過去の赤字を補てんした分には法人税がかからなくするものです。
B社の場合でこれを行うと(利益:税額)=(200:60)、(-300:0)、(200:0)、(-100:0)、(500:90)=(500:150)
となりA社と同じ課税関係となります。これも大企業優遇とかそういうものではありません。
となっています。リーマンショック以降ガクッと利益が落ちていますが、赤字額は22年と23年の1241億円ほど。
それなら25年には回収し終わって法人税がかかるはずだろと思うかもしれませんがそうではありません。
トヨタは海外子会社で利益を上げているので受取配当金額が巨額です。
先ほども説明したように、受取配当金には課税しないため、実際の課税所得を推定するためには、これを税引前利益から除く必要があります。
ただ、受取配当金ならすべてが益金不算入ということでもないので、便宜的に受取配当金の8割を税引前利益から除いてみるとこのような金額になります。
赤字額が大幅に拡大しました。22年と23年だけでなく21年と24年も赤字で、累計額は1兆円を超えます。これでは25年に数千億円の利益を出したところで賄いきれません。
今年になってようやく繰越欠損金の処理が終わり、単体で納税できるようになったというのが実際のところと見受けられます。
一方で、じつは法人税にはさまざまな「控除」項目がある。たとえば、欠損金の繰越控除額(期間7年、大手企業の場合は80%)。ただ、2010年以降利益を上げているので、これだけでは「ゼロ継続」の説明はつかない。
その点、記事ではこのように述べられていますが、欠損金の繰越控除だけでほぼ説明がついてしまうのではないか、というのが私の所感です。
ちなみにですが、記事で述べられている研究開発費の税額控除もある、ということですが、この税額控除は法人税額の30%までという規定があるため、法人税を納めていなかった期間に関してはまったく関係ありません。
この話題から「日本の法人税が高いなんて大ウソ」とか「大企業ばかり優遇して中小企業が~」という議論に持っていくのは無理筋に思います。
税制上は中小企業は大企業より優遇されている点も多いですし、なんとなくのイメージで大企業や国を叩いても相手には届きようもありません。
最近LINEがならなくなってきた。たくさんいた毎日LINEする女の子たちにぞんざいな態度を取り続けていたからだ。
もういい加減にしよう。別に結婚今すぐしたいと思ってないことを自覚しようと思った。
この間の3月に30歳になった。20代最後のクリスマス、お正月はかつてない気合の入り方だった。毎日いろんな女の子を取っ替え引っ換え。三が日なんて五回くらい初詣行った。
二月。バレンタインはそこそこに、誕生日を一緒に過ごすべき人がいないことに気がつく。
誰でもいいのか?誰でもよくない。どいつがいいんだ?どいつもよくない。今年もパートナーになりたい相手に巡り会えなかった。
そう思っていた3月。
四月五月遊ぶだけ遊んで、ようやく気がつく。別に結婚今すぐしたくない。いくら顔がかわいくても、乗っかかられるのは嫌だし、専業主婦希望なんか犬に噛まれて欲しいと思う。
8ケタ毎年稼いでるけど、掃除洗濯ゴミ出し自分でするし、料理もたまにする。そんくらいはできる。いらないって。
もう喉元すぎた。花粉症みたいなもんだ。結婚して幸せそうな人たちのことは羨ましいと思う。でもそれは素敵な出会いが羨ましいんであって、結婚というステータスがうらやましいんじゃないんだ。
30超えたし、もうおっぱいが大きいとか顔がかわいいとかじゃもう男は恋しないんだぜ。年々理想のタイプがよくわかんなくなってる。詰んだわ。
中学校にあがったとき、クラスに同じ小学校からきた子があまりいなかった。
入学してすぐ、座席は名簿順。仮名ではあるが、増田という名字の自分はクラスの後ろから二番目だった。
そして私の前は、西村さん(仮)という同じ小学校から上がってきた子だ。
西村さんとは、同じ小学校とはいっても、まともに会話をしたことがなかった。
6年生の頃同じクラスだったような気がするけど、今にして思えばそれもおぼろげだ。
私は小学生の頃、3,4年生のときに同じクラスだった子とずっと仲良くしていて、クラスが別々になった5,6年生の頃もその子達とばっかり遊んでいたからだ。
そして件の西村さんはいわゆる「いじめられっ子」だった。ような気がする。
多分、アトピーだったんだと思う。肌が荒れていて、膿んでいることもあり、多くの人達は西村さんを避けていた。
遠巻きに、ヒソヒソと「臭い」とか「気持ち悪い」とか、「あいつの頭、シラミいるぜ!」とかいってる男子もいた。
だから西村さんは、いつもオドオドしてビクビクして、決して自分から誰かに話しかけようとしなかった。
ペアを組む時だって絶対さいごひとりであぶれてた。
殴ったり蹴ったり、そういう肉体的ないじめはなかったけど、あれは確かにいじめだったと今にして思う。
私は西村さんとほとんど喋ったことがなかったけど、それは西村さんに限ったことじゃなく、あの6年生のクラス内では半分くらい喋ったことがない人がいたように思う。
それは多分、すでにできあがっていた友人関係に割って入るのが面倒くさかったからだ。
中学校1年生のそのクラスに、気心の知れた相手はひとりも居なかった。
3校程度の小学校から集まっているので、クラスの3分の1は同じ小学校から上がってきているはずなのだが、仲がよかった相手とはクラスが別れていた。
そんな中で唯一同じ小学校の同じ6年生のクラス出身だった西村さん。
違う小学校から上がってきたひとたちとイチからがんばって仲良くなってお友達がんがん作るぞ!というのはどうにも面倒くさくて、だから始業式の日に、西村さんに「また同じクラスになったね〜」と気安く声をかけた。
その時、ものすごいびっくりした顔をされたことを覚えている。
そりゃあ今までまともに話したことない相手から、そんなふうに話しかけられたら私だってびっくりすると思う。
でも当時、本当に面倒くさかったんだよ。「はじめまして!」からはじめるのが。
出席番号が後ろの方だから座席も窓際だから、教室のハジに追いやられてて、その場所から教室のなかほどに突入していくのも面倒だったし。
というわけで私は西村さんに物凄く気安く声をかけた。席順のおかげで班も一緒だったし。
私は母親が地域のママさんバレーをやっていたこともあって、中学校ではバレー部に入ろうと思ってた。
でもクラスの皆さんが「部活何はいる?」「私バスケ!」「えー、バドミントン部行こうよ〜」なんてワイワイキャッキャしてるのを横目に、ひとりでサッとバレー部に入りに行くのもなんとなく癪だった。
友達を作るのが面倒くさいなんていいつつ、私も友達とキャッキャしていたかったんだろうね、本当は。
その頃には私の後ろの座席の三田さん(仮)とも同じ班だから仲良くなってたけど、彼女は若干不良じみていて、部活なんか入んねーし、と言っていた。
西村さんに「部活きめた?」と聞くと、まだちょっとオドオドが抜けないものの「決めてない」と言う。
私はそんな西村さんを「じゃあ一緒にバレー部入ろうよ!」と言って、物凄く強引に一緒にバレー部に入部した。
運動神経があまり良くないことも、だからあまり運動好きじゃなさそうなのも知ってたけど、とにかく私はひとりでバレー部に入るのが嫌で、西村さんを道連れにした。
大人しい性格の西村さんは私に逆らうこともできず、嫌ともいえず、それでも「でも……」と言うから、「じゃあ仮入部でいいじゃん。とにかく一緒にいこうよ、一緒に部活やりたいよ」とズルいことを言ったのを覚えている。
あなたと一緒に部活をやりたい、という言葉は、小学生の頃ずっと独りぼっちだった西村さんにとって、どんな威力を持っていたんだろう。
とにかく西村さんは私に引きずられるようにバレー部に入って、結局3年生になって引退するまでずっとやめないでいた。
私たちの学年でバレー部に入ったのが、私と西村さんを含めて4人だけだったから、結束が強かったのも理由のひとつかも知れない。
私は西村さんのことを、1年生の5月くらいから「西村さん」ではなく下の名前をとって「なっちゃん」と呼ぶようになった。西村さん、と呼ぶのが面倒くさかったからだ。
西村さん改めなっちゃんは、徐々に性格が明るくなっていった。部活中に顧問に怒られたりすると、やっぱりオドオドした態度になるけど、そうじゃない限りはよく笑うし、冗談も言う。
小学生の頃にすごく汚かったような気がする肌も、そういえば中学生になってから(というか私が一方的に馴れ馴れしく話しかけた頃から?)気にならなかった。
授業中にくだらない手紙をまわしたり、同じ班の男子も含めて遊びにいったりした。
多分それらは全部、なっちゃんが小学生の頃にはやったことのないことだったんじゃないかと思う。
なっちゃんとは2年生でクラスが別れて、でも3年生でまた同じクラスになった。
高校は別の所に行ったけど、高校1年生の終わり頃、中学校のバレー部、後輩達の最後の試合(3年生は7月頃の大会が終ったら引退するけど、その後3月にある「3年生さよなら大会」的なものに出るのがならわしだった)に応援に行っては一緒になって後輩達を応援してハシャいだりしてた。
結局なっちゃんは、高校2年生の頃に病気をして1年休学し、ひとつ下の子達と同級生になったらしい。
けど、その頃すでにすっかり明るくなってたなっちゃんは、そんな境遇もまったく気にしてないようだった。
その時彼女は、幼稚園か保育園の先生になるんだ、といって専門学校に行っていると言っていた。
そんなふうにしてお互い近況を話しあって、「元気でよかったよ〜」「またね〜」なんて言い合って別れたのだけど、結局なっちゃんに会ったのはそれが最後だ。
それから数年後、なっちゃんは引っ越したらしい。だから地元で行われた成人式になっちゃんは来ていなかった。
中学校1年生の頃から成人するまで、私はたいして深くなっちゃんのことを考えたことがなかった。
最近、年をとったせいだろうか、昔仲良かったあの子は元気かな、と思うことがたまにある。
それは小学生の頃仲良かった子達であったり、中学生の頃一緒に部活に打ち込んだ仲間であったり。
そうやって思い出してみた時、小学生の頃、あんなにオドオドしてビクつきながら過ごしていた西村さんが、まるで人が変わったように明るくなったことにようやく気付いた。
まるで別人みたいだよねって。
私は別にいじめられてた彼女を可哀想に思ったから構いにいった訳じゃない。
ただただ、知らない人達の輪に入っていくのがひたすら面倒くさくて、ちょっとでも楽な手段で、それなりに楽しく過ごしたかっただけだ。
そんな自分本位な考えと行動だったけど、もしかしたらそれが彼女の人生を変えたのかもしれない。と、そんなことをふと考えた。
冤罪のヒーロー小野悦男も同じようにきわめて疑わしい点が多々見られたのにも拘らず市民団体や弁護団の尽力もあって
有罪100%の中で無罪放免を勝ち取りマスメディアから冤罪のヒーローと祭り上げられたものだ。
しかしながら、その最期はあまりにも呆気なく、後に同様ケースの殺人をし逮捕された時、担当弁護士には「陳述を聞いてる内に小野がシリアルキラーではないかと
疑わしく思うようになった」と証言するほどに小野には限りなく疑わしい誰もが真犯人であると見ながらも結局証拠が挙がらずに釈放されたパターンがあった。
恐らく今回のケースはこれではないかと思われるが、どうか。
一方、この3月に係争中ながら保釈された片山は、スマホを弄り、少なくとも先日16日の一斉メール事件におけるパソコンを遠隔操作のできる立場にあった事は明白だ。
今、無罪という可能性がきわめて高いにも拘らずこのような工作が行われれば片山に疑いが掛かるのは必至であり、その点では小野程慎重ではなかったといえるし、
あるいは第三者の疑いも捨てきれない。あくまで警察検察側の証言であるためである。
いずれにせよ、今回の事件も警察検察の落ち度により、またも真犯人の可能性の高い人物を野放しにしてしまったのである。
冤罪であれば、直ぐにでも連絡を取らないと疑いが晴れないのは被告側の立場であれば当然分かっているはずである。
なお、片山祐輔は現在行方不明とされている。逃亡か、あるいは第三者(警察関係者?)に軟禁されたか不明だ。
そして、これにより片山が明らかに真犯人であったという状況を作り出し、ミスリードを誘う狙いがあった可能性も否定できない。
もしも、これが警察検察側の罠であったとすれば、実に稚拙だと言えるだろうが、本当に真犯人だったという可能性も捨て切れない。
今後の動向に注目したい。
お稽古のあと、『GQ』の取材。「韓国への謝罪はいつになったら終わるんですか?」というご質問に「謝罪というのは相手が『謝罪された』と実感できないとしたことになりません」とお答えしました。「謝罪したからいいだろう、コノヤロ」というのはふつう誰も「謝罪」とは言いません。— 内田樹 (@levinassien) 2014, 3月 10
と内田樹が言っている。だから、韓国が謝ったと感じるまで謝りつづけないといけないのだろう。
しかし、今回のセウォル号の事故の件で、彼らが認める「謝罪」のハードルがいかに高いかはじめて知った人もいるだろう。
韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は18日、ソウルの明洞大聖堂で行われた旅客船沈没事故犠牲者と遺族のためのミサに出席した。1000人以上が出席したミサが開始された直後、朴大統領は「私のせいです。私のせいです。私の大きな過ちのせいです」と叫んだ。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/18/2014051801732.html
僕は内田樹に対してある面ではその知見に深い尊敬を抱いている。
しかしながら、彼をはじめとするリベラル派の的外れで非現実的な物言いに対する違和感や反発を持つ人が多いのは、これではしょうがないのではないか。
フランスの右傾化は「彼らの真意ではない」と言いつつ、日本の嫌韓を叩いて憂さ晴らししてる場合ではない。
リベラル派がこんな体たらくだから、今回の馬鹿みたいな解釈で進められている集団的自衛権の話でさえ、反対が盛り上がらない。
すべて、これまでのこのようなリベラルに対する不信感が蔓延してしまっているのが原因なのだ。
彼らは、日本の右派に対して向ける批評性を、中国や韓国に向けることはない。なぜか。おそらく「右派」に見られたくないからだ。右派と一緒になりたくないからだ。
それでは、他国に向ける厳しい目を自らに向けない糞みたいな右翼と表裏一体の存在ではないか。
同様に、慰安婦問題に関して日本を批判する人たちが、同じ熱量で韓国政府の慰安婦制度を批判し議題に上げる場面を見たことがない。
アメリカのリベラルにはC.Sarah Sohのような存在がいるから、これはリベラルそのものの問題ではなく、日本のリベラルの問題であると思う。
安倍の危険性を論じる熱量で、中国の人権侵害や危険性や韓国社会の歪みを論じなければ、リベラルに対する不信感が解消されることはない。
ここ最近の嫌韓化は注目され批判されても、ここ10年での台湾に対する関心度や好感度の上昇はリベラル側からそれと結び付け政治的に語られることはない。
下記は内田樹の鋭い論考であるが、彼はこの論点から日本やアメリカを批判することはあっても、韓国を対象にコラムを書くことはないのだ。
「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。
「強大な何か」によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、という文型で自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。
もし「私」がこの説明を足がかりにして、何らかの行動を起こし、自由を回復し、可能性を開花させ、「自分らしさ」を実現した場合、その「強大なる何か」は別にそれほど強大ではなかったということになる。
これは前件に背馳する。
それゆえ、一度この説明を採用した人間は、自分の「自己回復」のすべての努力がことごとく水泡に帰すほどに「強大なる何か」が強大であり、遍在的であり、全能であることを無意識のうちに願うようになる。
自分の不幸を説明する仮説の正しさを証明することに熱中しているうちに、その人は「自分がどのような手段によっても救済されることがないほどに不幸である」ことを願うようになる。
自分の不幸を代償にして、自分の仮説の正しさを購うというのは、私の眼にはあまり有利なバーゲンのようには思われないが、現実にはきわめて多くの人々がこの「悪魔の取り引き」に応じてしまう。
「被害者である私」という名乗りを一度行った人は、その名乗りの「正しさ」を証明するために、そのあとどのような救済措置によっても、あるいは自助努力によっても、「失ったもの」を回復できないほどに深く傷つき、損なわれたことを繰り返し証明する義務に「居着く」ことになる。
もし、すみやかな救済措置や、気分の切り換えで「被害」の傷跡が癒えるようであれば、それは「被害者」の名乗りに背馳するからである。
「私はどのような手だてによっても癒されることのない深い傷を負っている」という宣言は、たしかにまわりの人々を絶句させるし、「加害者」に対するさまざまな「権利回復要求」を正当化するだろう。
けれども、その相対的「優位性」は「私は永遠に苦しむであろう」という自己呪縛の代償として獲得されたものなのである。
小保方さんはコネ採用だった、は本当か? に関する参考資料(一部重複)
【笹井氏の会見詳報(2)】「ほとんど若山氏の…小保方氏をリーダー抜擢した理由は…京大に詫び、仲直り」(4/4ページ) - MSN産経west
笹井氏「2012年12月中旬、小保方さんの研究リーダー採用の審査は、他の研究リーダーの選考と同様に人事委員会において、本人の研究プロジェクトの計画と現在の研究のプレゼンテーションをお聞きし、さらに、委員が詳細な議論を行い、研究の独創性、挑戦性、研究の準備状況を中心に評価しました。これまでの小保方さんの指導者からの評価も参考にしました。通常の手続きと同様で一切偏りがなかったと考えています。私を始め多くの人事委員は、本人と会い、話をしたのは採用面接が初めてです」
【笹井氏の会見詳報(2)】「ほとんど若山氏の…小保方氏をリーダー抜擢した理由は…京大に詫び、仲直り」(2/4ページ) - MSN産経west
「具体的な参加時期は、2012年12月中旬の小保方ユニットリーダー選考面接のときに始まりました。この採用を決定した際に、それまでに小保方さんと、若山さんがまとめられた論文原稿について、研究の内容や発見の重要さに比して、論文原稿の文章の完成度が十分ではなく、単にデータの追加をしても採択されるのは難しいだろうという意見が、人事委員会でも出されました。そのため、竹市(雅俊)センター長が、この論文原稿についてネイチャー誌への投稿経験などが多い私が、若山さんと小保方さんの論文作成に協力するよう依頼を受けました。このSTAP現象という新しい原理はそのとき初めて聞きましたが、国際誌に発表するだけの科学的価値の大変高いものと認識し、私は協力を受けることにしました」
「具体的には2012年12月下旬より、論文原稿の書き直しの協力を開始し、約2カ月半後の3月に、小保方さんがユニットリーダーになりましたが、直後の3月10日に、ネイチャーに投稿しました。そのときまで書き上げの支援の協力を続けました。その間、若山さんは、山梨大への移転のため、忙殺されていました。そこで、若山さんの分も含めて積極的に協力しました。また投稿前の2月前後には、STAP現象の試験管内の評価に関する実験技術の指導も行いました。さらに論文の改訂作業、リバイスといいますが、2013年4月上旬から小保方ユニットリーダーを中心に行われましたが、追加実験や技術指導も参加しました」
1. How did the STAP stem cell collaboration begin between the Vacanti lab and your group? What made you decide to team up with them? Can you please tell us more about the beginnings of this research?
Teru: Dr. Kojima (Vacanti’s lab) contacted me by e-mail to help with chimera experiments. At that time, the project looks very much impossible. That’s why I accepted. I like such impossible experiments.
First time, Dr. Obokata brought strange cells, and there was no chimera after blastocyst injection. However, nearly 2 year later, Dr. Obokata found a very good method to generate STAP cell. Then, we could obtain good chimera.
http://connects.catalyst.harvard.edu/Profiles/display/Person/65733/Network/ResearchAreas]
神戸新聞NEXT|社会|小保方さん、理研入り転機は震災 STAP細胞作製
小保方(おぼかた)晴子さん(30)は2011年3月、不安を募らせていた。研究員として米ハーバード大に戻る予定が、東日本大震災の影響で米国での就労ビザがいつ手に入るか分からない。頼ったのは現在の所属先で、神戸市中央区にある再生医療の拠点、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターだった。
なお、研究のチェック機能が果たされなかったことについては、小保方氏が他 の機関で行った研究を若山研において客員研究員の身分で継続し、その後、自ら がリーダーを勤める研究室において発展させたという研究環境の変遷や、成果と りまとめに近づいた段階に入って笹井氏と丹羽氏というそれぞれ若山氏とは独立 した立場のシニア研究者がデータの補強や論文作成のために協力することになっ たなどの事情もあるのではないかとうかがえる面がある。
(中略)
Team Leader
(省略)
Research Scientist
(省略)
Visiting Scientist
(中略) Haruko OBOKATA (後略)
Visiting Scientist = 客員研究員
若手PIの積極採用
次世代の指導的研究者の育成に貢献するため、チームリーダー等の採用においては、広く国内外へ向けた公募を行い、積
Scientists at early to middle stages of their careers will be considered. The most important evaluation criteria in this recruitment are the novelty and creativity of the research plan; those seeking to undertake new research challenges are welcomed, irrespective of their scientific background or stage of career development.
【Application and required documents】
[Application Documents]
1) Curriculum vitae, including a brief summary of research experience
2) Proposal for a five-year research project
3) Name and contact information of three references
Please write all documents in English.
[Deadline]
Review of applications will begin December 1, 2012 and continue on a rolling basis until the positions are filled.
Handling of Personal Data: All private data sent to RIKEN in application for employment is handled in strict confidentiality, and such data is not utilized for any other purpose or disclosed to any third party.
【Selection process】
Screening of application documents, presentation seminar; interviews, etc
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/life/1396778578/111
111 :名無しゲノムのクローンさん:2014/04/20(日) 03:36:53.36
ソース要
2002年04月 早稲田大学理工学部応用化学科入学、AO入試
http://www.waseda-oukakai.gr.jp/gakusei/shougakukin/2007message.html
2007年 再生医療に転向、女子医大の研修生で大和・岡野指導
2008年04月 学振研究員DC1獲得。3年間「月20万円奨励金+年60万円研究費」
https://kaken.nii.ac.jp/d/p/08J05089.ja.html
2011年03月 ハーバードメディカルスクールVacanti lab研究員
http://connects.catalyst.harvard.edu/Profiles/display/Person/65733/Network/ResearchAreas
2011年03月 小島からの連絡でハーバードと共同研究で理研CDB入り。若山ラボ「ゲノム・リプログラミング研究」所属
http://www.ipscell.com/2014/02/interview-with-dr-teru-wakayama-on-stap-stem-cells/
2005年(東京湾の微生物等を研究 ) のソースだけ見つけられなかった。
笹井副センター長
STAP細胞・私の見方:まだ20点、本質的な研究を 笹井芳樹、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長
小保方さんの採用を審査する人事委員会は12年冬。プレゼン(研究計画の発表)から気合や真剣さが伝わり、質疑応答でも議論が深まっていく印象があった。この人なら積み上げ型の研究をきちっとやっていける、挑戦させたいと感じた。
http://science.slashdot.jp/story/14/04/16/0742236/STAP細胞問題、笹井CDB副センター長が会見
Q. どれだけの分量の書き直しをさせた?
A. natureから返されて半年ぐらいした後で、小保方氏が直したものを見て指導した。論旨がジャンプしている箇所があったので、どういうロジックで書くべきか彼女と議論しながら指導した。
Q. 小保方さんの資質
A. ゆたかな発想力がある。そして実験を進める集中力がある。ただ、同時にトレーニングが足りなかったものがある。未熟という言葉はあまり使いたくはないが、科学者として早くに身につけるべきものが足りなかった。両極端の能力があった。シニアとして自戒するのは、彼女が強いところを出すのは伸ばせたと思うが、弱いところを強化してあげることができなかった。背伸びだけでなく足下をしっかりとさせることができなかったのは自分として足りなかった。
Q. 笹井先生が囲い込んだという話があるが?
A. 所内での発表が2月だったが、ちょうどその時に不正の話になった。それまで彼女が所内で話す機会はなかった。笹井研ではプレゼン機会はあって、議論はしている。バカルディ先生の同意なしで情報を広めることが難しいことがあった。私達の判断で自由に情報を発信することは難しい状況。
Q. 人事について
竹市センター長
Q 小保方さんは未熟と言うが、そういう人がなぜユニットリーダーになったのか。
竹市 私たちの研究室のヘッドとなる人は公募だ。書類審査と、どんな研究をし、今後何をしようとしているかのプレゼンで決める。STAPにインパクトを感じて採用したが、過去の調査が不十分だったことを非常に強く反省している。
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なるべく元ソースにリンクを貼っている。 ソースの引用はこっちの記事に移動しました。
まとめは記事の最後。
以下本文。
ネット上では笹井氏が小保方氏をコネ採用したといわれているがこれは時系列的におかしい
【笹井氏の会見詳報(2)】「ほとんど若山氏の…小保方氏をリーダー抜擢した理由は…京大に詫び、仲直り」(2/4ページ) - MSN産経west
【笹井氏の会見詳報(2)】「ほとんど若山氏の…小保方氏をリーダー抜擢した理由は…京大に詫び、仲直り」(4/4ページ) - MSN産経west
小保方さんは 2011年03月 - 2013年3月まで 若山研(当時理研) の客員研究員である。
つまりユニットリーダー採用までの小保方さんの所属は理研ではない。
知らない人用に説明しておくと客員研究員とは共同研究のための仮の身分のことだ。
実質的にはIDカード(鍵のこと。身分証ではない)を作ったり、机を貸したりするためにある。
無所属では理研の客員研究員にはなれないので素直に考えるとハーバード大 バカンティ研所属だろう。
若山研の客員になるまでの経緯は以下のようだ
小保方さんのポジション(センター長戦略プログラム) の公募情報 を見るに3人分の人物評価書が必要である。
小保方さんの経歴からいうと (早稲田) 常田氏、(女子医大) 大和・岡野氏、(理研)若山氏 の中から残り2人か。
コネ採用がなかったという証拠はない。が、あったという証拠もない。
これは疑う側が根拠を示さねばならないだろう。
いったん小保方さんの採用の件を離れ、一般的な理研の採用基準について書く。
ただし、僕の私見なので注意していただきたい。
とりあえず、やまもといちろう氏の記事に少々ツッコミをいれさせてもらう
理研の人事を批判するなら、同じ口でシンガポールを目指せとか絶対に言うなよ: やまもといちろうBLOG(ブログ)
私自身はあんまり理研には詳しくないけど、周囲には現役もOBもいるのでニュアンス的にはコネ採用のクズが大量にいるんだろうという雰囲気は伝わってきます。
コネ採用のクズとは具体的に誰のことを言っているのかわからないが、
もしもPI、主任研究員クラスのことを指しているのなら言った人は相当な自信家だろう。
もしもセンター長、副センター長クラスを指して言っているならそれは単なる無知だ。
(副)センター長はノーベル賞クラス(比喩ではない)、少なくとも日本を代表する研究者である。
少なくとも僕の知るかぎりはそうだ。
最近はてなブックマークで理研の総合脳科学研究センターのPIの話が話題になっていた。
書き手は理研所属ではなさそうなのと、理研BSIは理研内でも特に厳しいと噂されている場所なので
その辺は差し引いて読んで欲しいが、こちらのほうが僕の知っている理研に近い。
理研はかなり徹底した成果主義、というか業績至上主義という印象を僕は持っている。コネ採用とは正反対だ。
(理研の名誉のため言っておくが、若手支援も力を入れている。基礎科学特別研究員とか、後述の小保方さんのポストとか。キャリアパス支援室とかもあったね)
誰かが「理研は読売ジャイアンツ」と呼んでいたのが一番しっくりくると思う。
他のPI、主任研究員と比べて小保方さんは異例の若さかつ業績も少ない。
(さらに実際、PIとして実力不足だったことがSTAP騒ぎで露呈した)
おそらくこの辺りがコネ採用と疑われた原因ではないだろうか。
小保方さんの採用された「センター長戦略プログラム」とは
業績に関わらず研究計画の斬新性・独創性を評価し、若手・女性を積極的に採用しているポジションのことである。
若手PIの積極採用
次世代の指導的研究者の育成に貢献するため、チームリーダー等の採用においては、広く国内外へ向けた公募を行い、積
業績リスト、5年分の研究計画書を提出。主要な業績と研究計画についてプレゼンで採用を審査する。
(知らない人は研究者の採用 (追記:小保方さんのポジション 公募情報)をどうぞ。)
理研の場合は各研究室のボスと外部から呼んできた教授たちが審査するかと思う。
ところで僕にとっては「理研でコネ採用」は「学振でコネ採用」くらい信じられない。信じられないというよりも想像付かない。
だって宇宙の人の審査に素粒子や原子核やら加速器やらの人達が加わるようなかんじですよ。
例えるなら長嶋茂雄と朝青龍とイチローが並んでいる前で「僕はピンポンについて才能ある選手です」というプレゼンを行うようなものです。ミスターに「それでキャッチャーはどこかね?」とか言われて頭を抱えながら質疑応答するわけです。
仮に僕が優秀な野球選手でミスターに気に入られ猛烈プッシュされたとしましょう。それでも朝青龍やイチローにとっては知ったこっちゃないわけで、僕はプレゼン(+業績リスト)で彼らを納得させなければならない。
(これが「コネ採用」も「学会の陰謀で云々」も胡散臭くかんじる理由。)
理研にかぎらず学振にしろ科研費にしろ「公平性を重視する審査」はだいたいこんなかんじで
「ある分野では大御所だけど僕の分野には詳しくない」人達が判定するわけです。
ピンポンの選手をピンポン選手達に評価させたらそれこそコネ採用とか、ライバル蹴落とすとかあるかもしれないでしょ?
だからこうなっている。
こんなわけで「公平性にきわめて配慮して」作られたのが現在のシステムなわけだけども
その反面、「 研究能力よりも、作文能力とプレゼン能力の高いやつばかり評価される」という批判は以前からあった。
(プレゼン能力も研究能力のうちだろ甘えんなよ!という意見もあるし、まぁ、研究能力のある人はだいたいプレゼン能力もあったりするので一概に批判もできないけど)
もしかしたら小保方さんのケースは驚異的なプレゼン能力で「若手育成枠」を次々と突破してきた人なのかもしれない。
この経歴すごいよね。STAPの件がなければ「さすが小保方さん」などと言っていたと思う。
しかも「STAP細胞」なんて一般人も大騒ぎしたほど「わかりやすくて」「斬新」かつ「独創的」だ。
ネット上では早稲田が叩かれているが小保方さんの実際の経歴はかなり複雑だ。
早稲田の一研究室だけならともかく、早稲田も女子医大もハーバードも腐っていたというのはなんだか変だ。
例えば、分野転向を繰り返すうちに基礎的な教育が抜け落ちてしまった可能性はあるだろうか?
早稲田を叩いておしまいにせずに冷静に見直してみるべきではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20140519175730
過去5年の年末時点と今年に入ってからの就業者、完全失業者、失業率
リーマン・ショックによる景気の大幅な落ち込みにより、失業者が増加して失業率は上昇。
その後、自律反発程度しか雇用環境が回復しなかったことや震災もあり、長期失業者が就職活動自体を諦めてしまって労働市場から退出し、就業者が増えないなかで失業率は低下。失業者が減ったといっても、仕事が見つかったのではなく探すのを諦めて労働力人口にさえカウントされなくなったことによる。
2012年末になって急激に景況感が改善し、失業者が職を見つけて就業者が増える中で失業率は低下を続けた。ただ、景況感の改善を受けて就職活動を諦めていた人が労働市場に帰ってきはじめているため、就業者の増加と比べると失業率の低下は相対的に緩やか。
NMBの人気メンバー、渡辺美優紀(みるきー)のスキャンダルが発覚したのは、3月中旬くらいなのに、俺がそのショックを未だに引きずっていて。
なんでかなーと思っていろいろ考えていて、タイトルのようなことに思い至った。ので書く。この導入は結論とあんま関係ない。
で、ショックを受けた最大の原因は、AKBグループ全体のスキャンダルへの対応方針が峯岸坊主事件を期に「厳罰」から「放置」へと180度変化したからなのかなと思ってる。
これって、AKBグループ全体が「アカウント指向」から「プロダクト指向」に移行している過渡期っていえるかなーって思った。
ここで、
「アカウント指向」とは、顧客の求めるものを提供するサービスの意で、
「プロダクト指向」とは、自分が良いと思ったものを提供するサービスの意、な。
地下アイドルとか、若手芸人とか、インディーズバンドとかが、自分が提供するサービスに対して決定権が持てなかったのが、人気や実力が伴ってくると自分のやりたいことが出来るようになるみたいなイメージ。まあよくあることよな。
これを芸能以外に置き換えると、いろんなサービスが質が向上して、コスパで選べば激安or無料でそこそこのものが選べて、金さえ積めば青天井に素晴らしいものが手に入って、という世の中だと、自分の仕事の決定権が持てるまでの時間がどんどん長くなるなって思った。「串打ち三年、割き八年、焼き一生」とか、そういう世界。で、良いものを提供する世界で生き残るのは片手で数えるほど、みたいな。
こんな短期間に日本の寺社が焼かれている。そして本堂からは仏像などが消えている。消失した形で
2013年01月04日 京都市 愛染院敷地内住宅から出火、住職が死亡
2013年01月06日 福井県美浜町 西誓寺本堂が全焼、仏像を抱きながら住職が焼死
2013年01月13日 富山県魚津市 火の宮神社の社殿が全焼
2013年01月26日 福島県白川市 天神神社、本殿などが全焼
2013年02月11日 東京都八王子市 千代田稲荷大明神の拝殿が全焼
2013年03月07日 神奈川県座間市 栗原神社の神楽殿・民家2棟が全焼 米国籍15歳少年が放火
2013年04月01日 福島県飯舘村 山津見神社が全焼、一人の遺体が発見
2013年04月10日 熊本県玉名郡 片峯菅原神社の本殿・物置が全焼
2013年04月10日 東京都高尾市 千代田稲荷大明神の拝殿全焼 賽銭箱が空で逆上し放火、逮捕
2013年05月01日 東京都三鷹市 井の頭公園内の親之井稲荷尊神社から出火 放火の疑い
2013年06月08日 新潟県魚沼市 四日町諏訪神社の本殿 全焼 雷が原因か
2013年06月08日 大阪府富田林市 正受寺と前住職の住宅が全焼
2013年07月22日 岩手県盛岡市 瀧源寺の本堂全焼、しだれカツラの葉が熱で変色
2013年08月10日 愛媛県松山市 宝厳寺が全焼、国指定重要文化財「木造一遍上人立像」が不明
2013年09月11日 茨城県ひたちなか市 湫尾神社の本殿拝殿 全焼
2013年09月14日 茨城県ひたちなか市 金砂神社の本殿拝殿 全焼
【社会】重要文化財が100点以上不明 いつの間にか中国でオークションにかけられていたケースも 文化庁緊急調査
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131102/edc13110207580000-n1.htm
韓国人観光客の間で神社に火を当てながら撮る記念写真が大流行、日本旅行者の3人に2人は ”経験ある”
http://livedoor.4.blogimg.jp/amosaic/imgs/5/8/58282b1e-s.jpg
ゆとり教育世代(1984年(昭和59年、現29歳)生まれ~2004年3月(平成16年、現10歳)生まれ)
★ゆとり教育世代=史上最高の高学歴世代。大学進学率過去最高、難関大卒者過去最多、大学院進率過去最高、
高等教育修了率過去最高、高校進学率過去最高、高校中退率過去最低。
★ゆとり世代が受けている大学教育は戦後最高水準に高度。20年前と比較して講義出席率も圧倒的に上。
★塾・予備校通学率はゆとり世代(過去最高)>氷河期世代>バブル世代>新人類世代>団塊世代の順。
★数学五輪歴代最高の2位、化学五輪歴代最高の4位、情報五輪歴代最高の6位。ゆとり世代が科学五輪の記録を塗り替える。
★大学生の内向き傾向は嘘。90年の留学者数は2万人、06年の留学者数は7万人。
★センター英語の難易度は過去最難(センター英語に登場する単語数93年2500語、09年5000語)
★TOEICの得点率は過去最高(私大バブル時の早稲田と比較して09年の広大のが上)
★PISAのテスト(国際学力テスト)でゆとり教育歴9年のサラブレット96年生まれが読解力科学リテラシーでOECD1位をたたき出す。
★成人の国際学力調査(PIAAC)によって氷河期世代>ゆとり世代>バブル世代>新人類世代>団塊世代という学力序列が証明される。
http://www.sankeibiz.jp/express/photos/131009/exc1310091059001-p3.htm
★ITIMSSの国際学力テストでは数学と理科でゆとり教育以降で学力の向上が証明されている。
◆ゆとり教育で「円周率は3」の話はウソ http://www.msng.info/archives/2007/03/3.php
◆ゆとり教育で「台形の面積を教えない」もウソだった http://www.msng.info/archives/2007/03/post_444.php
▲そもそもゆとり教育世代でも、私学や塾・予備校通いは指導要領の削減の影響など受けていない。
▲指導要領の簡易化自体は1980年から段階的に始まっていて、今の40代以下も上の世代と比較して400コマ減らされた指導要領だった。