はてなキーワード: 介護ベッドとは
リビングに介護ベッドがあるので、親は2人ともリビングで寝ている。
自分はその隣の部屋で寝てる。
母はモルヒネのせいか、寝ぼけたときや、インフルにかかったときに言うようなうわ言を言うようになった。
もともと心配性なのもあって、最近は呼吸器を外して、構造を確認して(は?)、装置を再起動させて、付け直したい、などの要求をするようになった。理由は特にない。
外したら外したで、苦しい、なんで今外したんだっけ、などと言う感じのうわごと。
今隣でそのやりとりが行われているが、父の対応が最悪。
父は合理的に動きたい人で、母の心配性を真に理解しないし、受け入れられない。
口では心配性だから…などと言うが、心配性ゆえの言動を自分の思う合理的な道へ修正しようとする癖がある。
元気な頃は、それが原因で母はよくヒステリーを起こしていた。
今は、外して構造が見たいという母に、ちゃんと付いてるからいいよ、大丈夫だよ、と言う。
そうじゃなくて、見たいっってんだから見せろよ、と思う。
自分は眠くて付き合ってたら寝れなくなるので起きません。
じゃ
40半ばでようやく家を建てる目途がついたので、知り合いの家を見学に行った。
年を取ったら2階は億劫なので、出来るだけ1階を広くして2階を小さくしてる。
子供を2階まで起こしに行くのは嫌なので、子供部屋は1階のリビングに隣接して大人の部屋は2階。
1階に18畳のリビングと二人分14畳の子ども部屋。壁は必要になったら付けて子供が出て行けば壊す。
夫婦二人が年を取ったら、介護ベッドを置いてもゆったり出来る個室になる。
1階を広くしたせいで、庭は無い。
バルコニーは耐久性が低いから、洗濯物が干せるだけの小さいインナーバルコニーがあるだけ。
既に嫁と俺は別室で寝てるので、2階に個室が二つある。
そんな話をしてたら、知り合いの家は真逆の設計だったので、なんだか相容れない感じになってしまった。
今覚えば利点だけ話せばよかったのだが、説得力を出そうとするとマイナス思考が出てくる。
せっかく家を建てるのに全然夢が無いな
・我が家で要介護3(80代女性)の家族の介護を手伝っていて、ちょっと便利だったことをまとめる。
<トイレ編>
夜寝る前は紙パンツorおむつに10回分対応のパッドをする(要介護者が女性の場合、パッドは限界まで後ろにつける)
防水シーツはハーフサイズでよい。ベッドの腰の部分にくるよう配置し、ずれないよう安全ピンなどで四隅をマットに固定する。
寝た時お尻が乗る場所に、ワイドサイズのペットシーツを引いておく
→これでかなり違う。朝漏れてても、ペットシーツを交換すれば大概ベッドはノーダメージ。
尿が出終わっても、丸めたトイレットペーパーを陰部に当てたまま紙パンツをギリギリまで引き上げる。それからトイレットペーパーを取り、紙パンツを最後まで引き上げる。
→紙パンツを上げる瞬間に失禁して、床を汚すことが少なくなる。
「驚異の防臭素材BOS」という袋のLサイズを使う。使用後の紙パンツやパッドを入れたら袋の口をねじねじして、100均の袋とじ用ワンタッチクリップ(長方形のもの)で止める。袋が8割がたいっぱいになったら袋の口をねじって縛り、捨てる。この素材はすごく高性能で、袋の口さえしっかり縛れば全然臭わない。
<食事編>
食事エプロンはダイソーのテーブルクロス(薄手で表面が少しツルッとしているもの)を適当なサイズにカットし、そこに子供用のマルチクリップ(ダイソーかCanDoに売ってる)を付けて首にかけ、使用する
→好みの丈で作れる上、水で流せばすぐ汚れが取れる。テーブルクロスの面積が広いので、使い捨てしても1枚数十円で済む。
<床ずれ予防編>
・薄手のドーナツクッション(または低反発ウレタンの中央を丸くくり抜いたもの)を用意し、尾てい骨がその穴に来るように寝てもらう。
・日中座りっぱなしになりすぎないよう留意する(できれば。我が家は無理だった)
<足の浮腫み編>
100均で紳士用靴下の幅の広いものをいくつか買ってきて試す(くるぶしソックスは足首を締めるので△)。ベストなサイズが見つかったら、その靴下を持って衣料品店の靴下コーナーに行き、近いサイズのものを買う。
・ハイソックスはきついが、足が冷える時
100均のふわふわ素材の腹巻を買い、縦半分に切り、切り口をミシン等でまっすぐ縫う。しめつけの少ないレッグウォーマーが出来上がる。
※追記 パッドについて説明が不足していたので補足した。
私は祖父が嫌いだった。
祖父は他人のいうことを聞かず、自分の意見を通すような人だった。
良く言えば自分の信念を貫く人なのだが、悪く言えばわがまま、傍若無人。
祖父は自宅で死ぬことを望んだ。
しかし、介護認定される前、というかその診断された次の日に祖父は勝手に退院してしまった。
つまり、家で介護する人間は私の他におらず、当時同居していた私が介護をするしかなかった。
アルバイトであったが、それなりに楽しく続けていた仕事であった。
なので、初めは拒否した。
しかし、祖父は
と言われ、10年続けたアルバイトをその日で辞めることになった。
祖父の電話1本で。
まともにやったことのない、しかも嫌いな祖父の介護をすることになった。
非常に憤ったし、他の家族にも相談したが、私が介護せざるを得なかった。
祖父が亡くなる1週間前まで、私は介護をした。
なんとか介護ベッドを取り付け、尿をとったり、洗濯したり、料理を作ったり、床擦れにならないよう体位を変えたりした。
しかし、私には介護の専門知識はなかったし、非常に苦痛であった。
祖父が恥ずかしがるあまりに尿をこぼしてしまったり、料理はほぼ食べなかったし、体位交換は重いし、
肉体的にも精神的にも疲れていた。
そんなある日、祖父は風邪をひいた。
私はお医者さんに診察することを祖父に勧めたが、祖父は病院に入院させられると勘違いしたのか、激しく拒絶した。
それでも私は祖父に対し、丁寧に説明したが、わかってもらえず、言い争いに発展した。
「お前はおれを見捨てるのか!お前なんか家族じゃない!」
と私は激昂された。私はすでに泣いていたが、もうどうしようもないと思った。
祖父は在宅診療されることになったが、日が進むにつれ風邪は酷くなり、結局、救急車で病院に運ばれてった。
祖父の再入院が決まったその日、私は熱を出した。
インフルエンザだった。
死に目に会うことは出来なかったどころか、病院で入院手続きをした時に熱が出たのでお見舞いに行くことも出来なかった。
告別式のとき、悲しいなと思ったが、そこまで深く考えなかった。
祖父が死んでから2ヶ月たった今、ある配信で配信者のご家族が亡くなったことが知らされ、
そういえば、祖父が死んでから2ヶ月たったのだなと振り返ることとなった。
しかし、今、猛烈に後悔している。
仲直りしたかったなんて全く思ってない。
清々した。
だが、この激しい後悔はいったいなんなんだ?
死は誰にでも必ず訪れる。
死んだ人間とは二度と会うことはない。
そして、死んだ人間を憎しんでも何も変わらないのだ。