私は祖父が嫌いだった。
祖父は他人のいうことを聞かず、自分の意見を通すような人だった。
良く言えば自分の信念を貫く人なのだが、悪く言えばわがまま、傍若無人。
祖父は自宅で死ぬことを望んだ。
しかし、介護認定される前、というかその診断された次の日に祖父は勝手に退院してしまった。
つまり、家で介護する人間は私の他におらず、当時同居していた私が介護をするしかなかった。
アルバイトであったが、それなりに楽しく続けていた仕事であった。
なので、初めは拒否した。
しかし、祖父は
と言われ、10年続けたアルバイトをその日で辞めることになった。
祖父の電話1本で。
まともにやったことのない、しかも嫌いな祖父の介護をすることになった。
非常に憤ったし、他の家族にも相談したが、私が介護せざるを得なかった。
祖父が亡くなる1週間前まで、私は介護をした。
なんとか介護ベッドを取り付け、尿をとったり、洗濯したり、料理を作ったり、床擦れにならないよう体位を変えたりした。
しかし、私には介護の専門知識はなかったし、非常に苦痛であった。
祖父が恥ずかしがるあまりに尿をこぼしてしまったり、料理はほぼ食べなかったし、体位交換は重いし、
肉体的にも精神的にも疲れていた。
そんなある日、祖父は風邪をひいた。
私はお医者さんに診察することを祖父に勧めたが、祖父は病院に入院させられると勘違いしたのか、激しく拒絶した。
それでも私は祖父に対し、丁寧に説明したが、わかってもらえず、言い争いに発展した。
「お前はおれを見捨てるのか!お前なんか家族じゃない!」
と私は激昂された。私はすでに泣いていたが、もうどうしようもないと思った。
祖父は在宅診療されることになったが、日が進むにつれ風邪は酷くなり、結局、救急車で病院に運ばれてった。
祖父の再入院が決まったその日、私は熱を出した。
インフルエンザだった。
死に目に会うことは出来なかったどころか、病院で入院手続きをした時に熱が出たのでお見舞いに行くことも出来なかった。
告別式のとき、悲しいなと思ったが、そこまで深く考えなかった。
祖父が死んでから2ヶ月たった今、ある配信で配信者のご家族が亡くなったことが知らされ、
そういえば、祖父が死んでから2ヶ月たったのだなと振り返ることとなった。
しかし、今、猛烈に後悔している。
仲直りしたかったなんて全く思ってない。
清々した。
だが、この激しい後悔はいったいなんなんだ?
死は誰にでも必ず訪れる。
死んだ人間とは二度と会うことはない。
そして、死んだ人間を憎しんでも何も変わらないのだ。
そこまで自分勝手なバカなんぞ放置して家を出りゃ良かったのに。 相手の都合も聞かずに孫に介護されて自宅で死ぬと勝手に決めて他人を振り回すような老害に情けをかける必要など無...
自分の周りで人が死んだときその死の理由を追い求めるのは人間の本能のようなものだと思う。 お祖父様がなくなったことの理由の中に「じぶんのせい」という思いが少なからずあ...