はてなキーワード: リハビリとは
実家の母(60代)が自営業(昔の喫茶店経営、最近は殆ど客が来ない)の傍ら、8年前から犬を飼っている。プードルでとても肥満の犬だった。
自分は実家になかなか帰省しなかったので、数年ぶりに出会った犬を見たら病気になっていたので心が痛んだ。
心臓が悪いらしい。
そしていつも母に叩かれて怯えている。
背中やお尻が腫れてて血色が悪い。
なぜなら、その子はいつも糞便を店の端っこや廊下でしてしまうからだった。勿論、家の中のどこにもトイレはない。新聞紙のあまりを餌置き場の横に置かれているのみだった。
母がしいた新聞紙の上でしないから母は彼が排尿するたびに怒鳴って叩いて、新聞紙のうえに連れて行ってここでしろってヒステリーを起こしている。
1階が店なのだが、1階の床は犬臭い。糞尿の匂いが漂ってきて、とてもこれでは客など訪れないだろう。
正月休みに立ち寄った実家で、(仕事で半日しかいられなかったけど)犬は暖房のない冷たい台所で毛布の上で縮こまっていた。
片目は緑内障か白内障の進行で失明しており、呼吸器を悪くしていつもぜいぜいしている。
年末に一度具合を悪くして何も食べなくなって、慌てて母は病院に連れて行ったらしい。
そこで対象療法として運動不足、肥満(多分、人間の残飯を与えられ続けたこと)による心臓疾患やその他もろもろの症状と言われ、服薬でしのいでいる。
(毎日朝晩昼と数種類の薬を飲ませないといけなく、月6000円かかるとぼやいていた)
いっさいのワクチン未接種、狂犬病(これは毎年受けるのか知らないけど)も飼い始めた1回目のころしか受けていない?、健康診断はいかせない、人間の残り物を食べさせ続ける(焼肉定食の残りとかスーパーの惣菜残りとか)、
散歩にろくにつれていかない(母は足腰が悪いのでリハビリ通院もやめたため運動が大嫌い、でも店ではいそいそと走って働く)、一人で運転するの寂しいから夜にカラオケいくため、車に犬をいれて連れて行く(駐車場でずっと車の中に犬を置きっぱなしにするだけ)、「おしっこしといで」と言って夜の11時ごろに犬を放し飼いにする(呼んで戻ってこなかったらそのまま朝まで帰ってくるまで放置)
この件で近所から匿名で犬を放し飼いにするなと手紙を投函されたと不満を母は言っていた。
俺は、あの子のそんな状態を知って帰省した時に、泣いてしまった。
俺も病気は放置されて理不尽な毒親の対応をたくさんされて育ったので、見てて辛かった。
聞けば去年、母が飼っていた猫(俺が実家をでた年に生まれ、飼われ始めたらしい(14歳くらい))は去年、物置の中で行方不明の末病死していたのが発見されたとか。
獣医じゃないのでわからないが、ネットで検索する限りフィラリアの注射とか受けてないからあの犬の心臓は寄生虫で悪くなってしまったんじゃないのかとか・・。
色々調べたけど、調べるだけで、あの犬を救う行動が移せない。
今、住んでる自分のアパートはペット不可で賃金も生活費でいっぱいで、帰宅が遅く残業続き。
病気を抱えて通院していく生活は無理・・・とても俺には犬を飼える余裕がない。
犬のネグレクトを実家で知ってからどうしたらいいか・・・救いたいのに犬を引き取る経済的余裕がない。
すごく心残りで、通院する薬代だけでもと正月に母に渡した。
それで、電話で最近の犬の状態を聞いたが、薬代にそれが使われていなくて、母は自分の新しいスーツを買ったと聞いてもう絶望した。
あと未払いのカード代にも渡した犬の医療費が宛がわれていて、病院に連れて行くのを母は渋っていた。
だったら俺が犬を病院に連れて行けばいいんだと思うが、先月、腰痛を発症して運転ができず、実家に頻繁にいけそうにもない。
犬を、どう救ったらいいのかわからない。
週末期に近い犬をどう扱えばいいんだろうか・・・
わたしの職場に、自他ともに認めるクラシック・マニアがいる。近・現代の作曲家は一通り聴いているというが、中でもお気に入りはスクリャービンで、携帯の着信音とアラームには「神秘和音」が設定してあるくらいだ。
その彼が、最近、急にジャズに興味を持つようになった。なんでも娘さんが部活でサックスを始めたのがきっかけらしい。彼の机には娘さんの小さいころの写真が立てかけてあるが、父親と血がつながっているとは思えないかわいらしさだ。パパだってジャズくらい分かるんだぞ、ということにしたいのかもしれない。
彼はわたしがジャズ・ギターを弾くことを知っている。音楽に関して(だけ)は寛容なので、各種イヴェントの際には有給を消化しても嫌な顔ひとつしない。
「ちょっと私用なんだが」と彼は言った。「こんどの休みは空いてるか? お前の好きなジャズのCDを10枚くらい持ってきてくれ。うちのオーディオで聴こう」
「CDならお貸ししますよ」とわたしは答えた。特に予定はないが、できれば休日はゆっくり寝ていたい。
「まあそう言うなよ」と彼はつづけた。「プレゼンの訓練だと思えばいい。ジャズの聴きどころを存分に語ってくれ。昼はうなぎを食わせてやるぞ。それとも――」
「それとも?」
「もう有給は当分いらないということか?」
こうして、わたしは休日をつぶして彼の家を訪ねることになった。どのCDを持っていくかはなかなか決められなかったが、一日でジャズの百年の歴史を追いかけるのは無理だと割り切って、わたし自身がジャズを聴き始めた高校生のころ――もう15年も前の話だ――に感銘を受けたものを選ぶことにした。マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』、ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』、ジョン・コルトレーン『ジャイアント・ステップス』はもうコレクション済みだということだったので、それら以外で。
手土産の菓子と20枚ほどのCDを抱えて最寄駅に着くと――結局10枚には絞り込めなかった――彼の車が目に留まった。
「きょうは夕方まで家に誰もいないからな。気兼ねしなくていい」
「そうでしたか」
「いるのは猫だけだ」
「猫? 以前お邪魔したときには見かけませんでしたが」
「公園で拾ってきたんだ」
「娘さんが?」
「いや俺が。子供のころに飼っていた猫とよく似ていたものだから」
ノラ猫を拾う人間と、ショスタコーヴィチの交響曲全集を部下に聴かせて感想を求める人間が、ひとりの男の中に同居している。この世界は分からないことだらけだ。
「ちーちゃん、お客様にご挨拶だ」と彼は居間の扉を開けながら言った。ちーちゃんと呼ばれた白い猫は、こちらを一瞬だけ見るとソファのかげに隠れてしまった。そそくさと。
「ご機嫌ななめだな。まあいい。そっちに掛けてくれ。座ったままでディスクを交換できるから。いまコーヒーを淹れてくる」
――これ以降は対話形式で進めていきます。
( ・3・) さっそく始めよう。
――マイルスについてはご存じだと思いますが、次々に作風を変化させながらジャズを牽引していった、アメリカの文化的ヒーローです。デューク・エリントンはマイルスについて「ジャズのピカソだ」と述べました。
――はい。その作品の後に注目したいんですが、60年代の半ばに、ウェイン・ショーターというサックス奏者がマイルスのバンドに加わります。この時期の録音はひときわ優れた内容で、ジャズのリスナーやプレイヤーからはヒマラヤ山脈のように見なされています。
Prince of Darkness (1967) http://youtu.be/-wckZlb-KYY
( ・3・) ヒマラヤ山脈か。空気が薄いというか、調性の感覚が希薄だな。テーマの部分だけでも不思議なところに臨時記号のフラットがついている。
――主音を軸にして、ひとつのフレーズごとに旋法を変えています。コードが「進行」するというよりは、コードが「変化」するといったほうが近いかもしれません。
( ・3・) ピアノがコードを弾かないから、なおさら調性が見えにくいのかもしれないな。
――はい。余計な音をそぎ落とした、ストイックな演奏です。
( ・3・) 体脂肪率ゼロ。
――マイルスのバンドには一流のプレイヤーでなければ居られませんから、各々が緊張の張りつめた演奏をしています。
Nefertiti (1967) http://youtu.be/JtQLolwNByw
――これはとても有名な曲。ウェイン・ショーターの作曲です。
( ・3・) テーマで12音をぜんぶ使ってるな。
――覚めそうで覚めない夢のような旋律です。このテーマがずっと反復される。
――ボレロではスネア・ドラムが単一のリズムを繰り返しますが、こちらはもっと自由奔放ですよ。ドラムが主役に躍り出ます。
( ・3・) おお、加速していく。
――テンポ自体は速くなるわけではありません。ドラムは元のテンポを体で保ったまま、「そこだけ時間の流れ方がちがう」ような叩き方をしています。
( ・3・) ドラムが暴れている間も管楽器は淡々としたものだな。
――はい。超然とした態度で、高度なことを難なくやってみせるのが、このクインテットの魅力ではないかと思います。
Emphasis (1961) http://youtu.be/QRyNUxMJ18s
( ・3・) また調性があるような無いような曲を持って来よって。
――はい。この曲は基本的にはブルースだと思うのですが、テーマでは12音が使われています。ジミー・ジューフリーというクラリネット奏者のバンドです。アメリカのルーツ音楽と、クラシックとの両方が背景にあって、実際に演奏するのはジャズという一風変わった人です。
――ドラム抜きの三人のアンサンブルというアイディアは、ドビュッシーの「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」に由来するそうです。
( ・3・) いいのかそれで。ジャズといえば「スウィングしなけりゃ意味がない」んじゃなかったのか?
――スウィングしたくない人だっているんですよ。といっても、ベースはフォー・ビートで弾いていますが。
( ・3・) これが録音されたのは……ええと、1961年か。ジャズもずいぶん進んでいたんだな。
――いえ、この人たちが異常なだけで、当時の主流というわけではありません。さっぱり売れませんでした。表現自体は抑制・洗練されていて、いかにも前衛というわけではないのに。同じ年のライヴ録音も聴いてみましょうか。
Stretching Out (1961) http://youtu.be/2bZy3amAZkE
( ・3・) おい、ピアノの中に手を突っ込んでるぞ。(3分16秒にて)
――まあ、それくらいはするでしょう。
( ・3・) おい、トーン・クラスターが出てきたぞ。(4分16秒にて)
――それでも全体としては熱くならない、ひんやりした演奏です。
――さて、次はエリック・ドルフィー。作曲の才能だったり、バンドを統率する才能だったり、音楽の才能にもいろいろありますが、この人はひとりの即興プレイヤーとして群を抜いていました。同じコード進行を与えられても、ほかのプレイヤーとは出てくる音の幅がちがう。さらに楽器の持ち替えもできるという万能ぶり。順番に聴いていきましょう。まずアルト・サックスから。
Miss Ann (1960) http://youtu.be/7adgnSKgZ7Q
( ・3・) なんだか迷子になりそうな曲だな。
――14小節で1コーラスだと思います。きちんとしたフォームはあるのですが、ドルフィーはフォームに収まらないようなフレーズの区切り方でソロをとっています。1小節ずつ意識して数えながらソロを追ってみてください。ああ、いま一巡してコーラスの最初に戻ったな、とついていけたら、耳の良さを誇ってもいいと思いますよ。
Left Alone (1960) http://youtu.be/S1JIcn5W_9o
――次はフルート。
( ・3・) ソロに入ると、コード進行に対して付かず離れず、絶妙なラインを狙っていくな。鳥の鳴き声というか、メシアンの「クロウタドリ」に似ている。
――鳥の歌に合わせて練習していたといいますから、まさにメシアンです。あるいはアッシジのフランチェスコか。ほかにもヴァレーズの「密度21.5」を演奏したり、イタリアのフルートの名手であるガッゼローニの名前を自作曲のタイトルにしたり、意外なところで現代音楽とのつながりがあります。
参考 Le Merle Noir (Messiaen, 1952) https://youtu.be/IhEHsGrRfyY
It’s Magic (1960) http://youtu.be/QxKVa8kTYPI
――最後にバスクラ。吹奏楽でバスクラ担当だったけど、主旋律で活躍する場面がなくて泣いてばかりいた方々に朗報です。
――いえ、当時、長いソロを吹いた人はあまりいませんでした。
( ・3・) バスクラ自体がめずらしいという点を措いても、独特な音色だな。
――村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にこんなくだりがあります。「死の床にあるダライ・ラマに向かって、エリック・ドルフィーがバス・クラリネットの音色の変化によって、自動車のエンジン・オイルの選択の重要性を説いている……」
( ・3・) どういう意味?
――楽器の音が肉声のようにきこえる。でも何をしゃべっているのかはよく分からないという意味だと思います。あと、ミニマリズムの作曲家のスティーヴ・ライヒはバスクラを効果的に使いますが……
( ・3・) 「18人の音楽家のための音楽」とか、「ニューヨーク・カウンターポイント」とか。
――はい。彼はドルフィーの演奏を聴いてバスクラに開眼したと語っています。 [1]
――真打登場です。サックス奏者のオーネット・コールマン。50年代の末に現れて、前衛ジャズの象徴的な存在になった人です。といっても、難しい音楽ではありません。子供が笑いだすような音楽です。ちょっと変化球で、70年代の録音から聴いてみましょう。
Theme from Captain Black (1978) http://youtu.be/0P39dklV76o
――ギターのリフで始まります。
( ・3・) あれ、ベースがおかしなことやってるな。キーがずれていくぞ。
――はい、各パートが同時に異なるキーで演奏してもいいというアイディアです。イントロのギターが床に立っている状態だとすると、ベースは重力を無視して、ふらふらと壁や天井を歩きだす。
( ・3・) 複調を即興でやるのか?
――どのていど即興なのかはわかりません。コンサートに行ったことがあるのですが、譜面を立てて演奏していましたよ。でも、別にダリウス・ミヨーに作曲を教わったというわけではなくて、アイディアを得たきっかけは些細なことだったんじゃないでしょうか。たとえばサックスが移調楽器であることを知らなかったとか。「なんかずれてるな、でもまあいいか」みたいな。
( ・3・) それはいくらなんでも。もし本当だったら天才だな。
Peace (1959) http://youtu.be/bJULMOw69EI
――これは初期の歴史的名盤から。当時、レナード・バーンスタインがオーネットを絶賛して、自分がいちばんでなければ気のすまないマイルス・デイヴィスがたいそう機嫌を損ねました。
( ・3・) さっきのに比べると普通にきこえるが……
――1分40秒あたりからサックスのソロが始まります。集中してください。
( ・3・) (4分12秒にて)ん? いま、俺の辞書には載っていないことが起きた気がするな。
――ここはいつ聴いても笑ってしまいます。そのタイミングで転調するのか、脈絡なさすぎだろうって。ソロをとりながら、いつでも自分の好きな調に転調していいというアイディアです。
( ・3・) 言うは易しだが、真似できそうにはないな。
――どの調に跳んだら気持ちよく響くか、という個人的な経験則はあるはずです。突飛な転調でも、「これでいいのだ」といわれれば、たしかにその通り、すばらしい歌ですと認めざるを得ません。
――お昼はうなぎだと聞いておりましたが。
( ・3・) そのつもりだったんだが、いつの間にか値段が高騰していてな。「梅」のうなぎよりも、うまい天ぷら蕎麦のほうがいいじゃないか。
――この人も、オーネット・コールマンと同じくらい重要なミュージシャンです。テキサス出身のオーネットに対して、セシル・テイラーはニューヨーク出身。都市と芸術の世界の住人です。ピアノを弾くだけではなくて、舞踊や詩の朗読もします。これは1973年に来日したときの録音。
Cecil Taylor Solo (1973) http://youtu.be/X7evuMwqjQQ
( ・3・) バルトークとシュトックハウゼンの楽譜を細かく切って、よくかき混ぜて、コンタルスキーが弾きましたという感じだな。70年代にはずいぶん手ごわいジャズも出てきたんだ。
――いえ、テイラーは50年代から活動しています。チャック・ベリーやリトル・リチャードと同じ世代。この人が異常なだけで、当時の主流ではありませんが。さっきも似たようなことを言いましたね。
( ・3・) このスタイルでよく続けてこられたな。
――継続は力なり。2013年には京都賞を受賞して、東京でもコンサートがありました。
( ・3・) どうだった?
――会場で野菜を売っていたので、買って切って食った。
――文字通りの意味なのですが、それについては別の機会にしましょう。演奏の話に戻ると、混沌と一定の秩序とがせめぎあって、台風のさなかに家を建てている大工のような趣があります。「壊す人」というよりは「組み立てる人」です。また、あるフレーズを弾いて、復唱するようにもういちど同じフレーズを弾く箇所が多いのも特徴です。
( ・3・) いちどしか起こらないことは偶然に過ぎないが、もういちど起こるなら、そこには何らかの構造が見えてくるということか。
参考 Klavierstücke (Stockhausen, rec. 1965) http://youtu.be/mmimSOOry7s
――きょう紹介するのは北米の人ばかりなのですが、デレク・ベイリーは唯一の例外で、イギリス人です。さっそく聴いてみましょう。これも日本に来たときの録音。
New Sights, Old Sounds (1978) http://youtu.be/nQEGQT5VPFE
( ・3・) とりつくしまがない……。
――そうですか? クラシック好きな方には思い当たる文脈があるはずですが。
( ・3・) 無調で点描的なところはヴェーベルン。でも対位法的に作曲されたものではないみたいだ。あと、初期の電子音楽。ミルトン・バビットとか……。
――模範解答です。
( ・3・) でも即興でヴェーベルンをやるというのは正気の沙汰とは思えんな。
――即興の12音技法ではありません。それは千年後の人類に任せましょう。ベイリーがやっているのは、調性的な旋律や和音を避けながら演奏することです。最初に聴いたマイルス・デイヴィスも緊張の張りつめた音楽でしたが、こちらも負けず劣らずです。文法に則った言葉を発してはいけないわけですから。
( ・3・) 「どてどてとてたてててたてた/たてとて/てれてれたとことこと/ららんぴぴぴぴ ぴ/とつてんととのぷ/ん/んんんん ん」
――ちょっと意味が分かりませんが。
( ・3・) 尾形亀之助の詩だ。お前も少しは本を読んだらどうだ。それはともかく、こういう人が観念的な作曲に向かわずに、即興の道に進んだのは不思議な気がするな。
――いちプレイヤーとして生涯を全うしたというのは重要で、ベイリーの音楽はベイリーの体から切り離せないと思います。彼の遺作は、病気で手が動かなくなってからのリハビリを記録したものでした。
( ・3・) プレイヤーとしての凄みが音楽の凄みに直結しているということか?
――はい。技術的にも高い水準のギタリストでした。無駄な動きのない、きれいなフォームで弾いています。気が向いたら動画を探してみてください。
( ・3・) まあ、ギター弾きのお前がそう言うなら上手いんだろうな。
――楽器の経験の有無で受け止め方は変わってくるかもしれません。ジャズ一般について言えることですが、鑑賞者としてではなく、その演奏に参加するような気持ちで聴くと楽しみも増すと思いますよ。
ベイリーの即興演奏(動画) http://youtu.be/H5EMuO5P174
参考 Ensembles for Synthesizer (Babbitt, 1964) http://youtu.be/W5n1pZn4izI
――セロニアス・モンクは、存在自体が貴重なピアニストです。生まれてきてくれてありがとう、とお母さんみたいなことを言いたくなる。
( ・3・) 初めて聴く者にとっては何のこっちゃの説明だな。
――とてもユニークなスタイルで、代わりになる人が思いつかない、くらいの意味です。まあ聴いてみましょう。
Everything Happens to Me (Monk, 1959) http://youtu.be/YW4gTg3MrrQ
( ・3・) これは彼の代表曲?
――いえ、そういうわけではありません。モンクの場合、どの演奏にも見逃しようのない「モンクの署名」が刻まれているようなものなので、わたしの好きな曲を選びました。有名なスタンダードです。最初に歌ったのは若いころのフランク・シナトラ。
Everything Happens to Me (Sinatra, 1941) http://youtu.be/ZWw-b6peFAU
――1941年の録音ですが、信じがたい音質の良さ。さすがスター。さすが大資本。これがヒットして、多くのジャズ・ミュージシャンのレパートリーになりました。ちなみに曲名は「僕には悪いことばかり降りかかる」というニュアンスです。恋人に手紙を送ったらさよならの返事が返ってきた。しかも郵便料金はこちらもちで、みたいな。もうひとつだけ聴いてみましょう。
Everything Happens to Me (Baker, 1955) http://youtu.be/UI61fb4C9Sw
( ・3・) このいけすかないイケメンは?
――チェット・ベイカー。50年代の西海岸を代表するジャンキーです。シナトラに比べると、ショウビズっぽさがなくなって、一気に退廃の世界に引きずりこまれる。で、モンクの話に戻りますが――
( ・3・) ショウビズではないし、退廃でもない。
――もっと抽象的な次元で音楽を考えている人だと思います。
( ・3・) 素材はポピュラー・チューンなのに、ずいぶん鋭い和音が出てくるな。
――調性の枠内で本来なら聴こえないはずの音が聴こえてくると、デレク・ベイリーのような無重力の音楽とはまた別種の怖さがあります。幻聴の怖さとでもいうべきか。さいごにぽつんと置かれる減5度の音には、「聴いてはいけないものを聴いてしまった」という感じがよく出ています。
( ・3・) 減5度はジャズでは珍しくないんじゃないのか?
――はい。でも、その音をどう響かせるか、その音にどういう意味を持たせるかというのは全く別の問題です。そういう音の配置に関してモンクは天才的でした。
( ・3・) カキーン、コキーンと石に楔を打ちこむようなタッチで、ピアノの先生が卒倒しそうだが。
――意図的に選択されたスタイルだと思います。プライヴェートではショパンを弾いたりもしていたそうですよ。 [2]
( ・3・) 見かけによらないものだな。
――小さいころから必死に練習すれば、いつかはマウリツィオ・ポリーニの水準に達するかもしれません。しかし、ピアニストとしてモンクを超えるというのは、端的に不可能です。それがどういう事態を意味するのか想像できませんから。
( ・3・) 四角い三角形を想像できないように、か。
――アンドリュー・ヒルは作曲・編曲に秀でたピアニストです。『ポイント・オブ・ディパーチャー』というアルバムが有名ですが、録音から半世紀を経たいまでも新鮮にきこえます。ペンギンブックスのジャズ・ガイド(なぜか翻訳されない)では、初版からずっと王冠の印が与えられていました。
( ・3・) 英語圏では別格扱いということか。
――ヒルは若いころ、ヒンデミットの下で学んだという話もあるのですが……
――誇張も混ざっているかもしれません。ヒルの経歴は、生年や出身地も事実とは異なる情報が流れていたので。
Refuge (1964) http://youtu.be/zquk2Tb-D6I
( ・3・) 何かひっかかるような弾き方のピアノだな。
――ヒルには吃音がありました。 [3] 言いたいことの手前でつっかえて、解決を先延ばしにするような演奏は、しばしばそのことに結びつけられます。
――ヒテーシンガク?
( ・3・) ほら、メルヴィルの『モービー・ディック』で、神秘的な白鯨の本質については語れないから、迂回してクジラにまつわる雑学的な記述が延々とつづくだろ?
――どうでしょう。アナロジーとしては分からなくもないですが。
( ・3・) 形而下の世界に戻るか。あれ、このサックス奏者、さっきも出てきたんじゃないか? (2分58秒にて)
――エリック・ドルフィー。共演者の共演者を辿っていくと、きょう紹介する人たちはみんなつながっています。
( ・3・) デレク・ベイリーも?
――はい。セシル・テイラーと共演していますし、この次に紹介する人ともアルバムを出しています。
( ・3・) なんだかドルフィーに耳を持っていかれてしまうな。
――圧倒的です。ねずみ花火のような軌道と瞬発力。数か月後に死ぬ人間の演奏とは思えません。
( ・3・) すぐ死んでしまうん?
――はい。ドラッグでもアルコールでもなく、ハチミツのオーバードーズで。正式な診断ではありませんが、糖尿病だったといいます。 [4][5]
( ・3・) ハチミツって、くまのプーさんみたいなやつだな。――ん? いまミスしなかったか? (6分36秒にて)
( ・3・) やり直しになるんじゃないの?
――ジャズは減点方式ではなく加点方式ですから。ミスがあっても、総合的にはこのテイクが最良という判断だと思います。
昔の俺を見てるみたいだから、もし当時の俺に会えたら言いたいことを書く。
俺は男だが本当に似たような境遇だ。
中学でいじめにあって不登校になり、低偏差値高校行ってヤンキーにいじめられて1年持たずに退学した。
その後大検取って、ダラダラ多浪しながらなんとか偏差値50ぐらいの大学行った。
だが、周りよりも年上という後ろめたさと元来の怠け癖が祟って、まったく何もしない大学生活を送り、
で、そんな俺から言っておきたいことがある。
1.やっぱり一番がんばっとけば得だったのは大学受験だ。
良い大学に入れば高校までの経歴などチャラだし、将来の幸福に繋がりやすい最大の分岐点だと思う。
そして良い大学に来る人たちは基本的に幸福な人生を送ってきた善良な人が多いので、コミュ障とかネクラ相手でも優しく接してくれる確率が高い。
更に良い大学に来る人は人生の目標とかやりたい事とかはっきりしてる人が多い。
そうした人々に囲まれれば良い影響を受けて、自分の人生の目標や生き甲斐も見つけやすいと思う。
なので、受験がんばれ。苦しいのは今だけだ。もう時間がないというならもう一浪も考えたらどうだ?
まずそれを一番に言いたい。
2.残念ながら君が受験で満足のいく結果が残せず、不本意な大学に行く事になったとしよう。
それでもその大学出腐らずがんばった方が良い。
多浪とか過去の経歴とかで、他の大学生に後ろめたさを感じると思う。
でも、そこで友達作って、勉強したり、やりたいことがあったらそれを一生懸命やった方が良い。
なんだかんだで、どの大学でも本人のやる気次第で未来を良い方向に変えることは可能だ。
大学時代にバイトでもサークルでもボランティアでも、自分なりに全力でやりきったという体験があるのとないのとでは全然違う。
俺はこんな低偏差値大学なんて、、、と腐った大学生活を過ごして卒業し、今、あんときもっと頑張れば受験の失敗も挽回できたな。と後悔しているので、
受験が上手くいかなくても腐らない方が良い。
○朝食:納豆卵掛けご飯(+おかか)
○昼食:なし
○夕食:焼うどん(おかか、炒り卵)
○調子
普通。
昨日「保留」となった、就職活動の返事はまだない。
就職活動をする! と言ったが、よく考えると、
このまま働いてもうまく働ける自信がない。
というわけで、来年からは図書館へ通勤する練習を初めてみようと思う。
(忘れないようにこの日記にも書いておく)
○ポケモンOR-悪ポケ縛り-
なぜかORを買ったのに、XYでダブルのレートを20戦ほどプレイ。
シナリオクリアはさくっと終わらせて、ゆっくり厳選しようかなあ。
○キラーインスティンクト
http://anond.hatelabo.jp/20131012170647
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
退学しましたが、文転して、別の大学で文系の学問を初歩からやっています。
今は精神面から身体もバランスを崩してしまい、休学中ですけれど、奨学金は仕方がないので親がその親(祖母)が無くなった時に受け取った遺産から一括で返済してくれました。
ずっと、心に整理がつきませんでした。
最近になって、やっと給食に携わる仕事に就けないという現実を受け入れられるようになり、また筆をとりました。
そして、こんな記事を見ました。
http://orcinusorca.hatenablog.com/entry/2013/10/13/214117
高校から推薦で大学を受けられるくらい欠席日数が少なかった時点で、もう寛解でした。
大学でも、100単位以上履修している時点で、もう健常者と同程度の学力や作業能力があると、自分で過信していました。
臨床栄養学などの座学での成績もよく、講義を行う教員からも「石田については国家試験のことは一切心配していない」などといわれ、喜んでいました。
給食経営管理実習という大学内の給食室の機能を持つ教室で行う授業がありました。
それに関しても、予算内の金額で、予定時間内に調理を終える上に、美味しくて季節感のある献立作成、実際の調理の実務を担当するときの連携、週替わりで巡ってくるパートごとのリーダーを担当した時のアクシデントへの対処など、実務については問題なくできると学内実習の担当教員も言ってくれました。
別の必修授業でのことですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)をする実験の授業もありました。
前日の夕食後から何も食べずに1時間目の授業にきて、ぶどう糖溶液を急いで飲み、30分ごとに自分で指先に針を刺して血糖をはかりました。
その実験のときに、私が一日三食毎食後の服薬を医師から指示されているが、朝の薬が食後に飲めないと直訴したら、ほかにも朝食後の服薬が指示されている学生がいました。
パキシルを飲んでいた方の学生は、学外実習に参加していました。
退学することを決めたあとも、ショックで、何にも集中できなくなり、今ではなぜ栄養学を勉強するためには自分でできていたこともできなくなり、不思議なくらいに病気は悪化しました。
幻聴は無いので、再発ではなく、うつ病の発症だと思いましたが、医師の診断名は統合失調症のままで、抗うつ薬が増えたり減ったりしています。
パキシルという薬は、うつ病に代表される不安や神経の過敏なときに用いる攻撃的な衝動との因果関係のある薬です。
その生徒は、授業も時々欠席する方でした。
それを服薬する学生が実習を受けれて、統合失調症が寛解で薬の副作用はあるものの、病気の症状がない私が受けれないのには、憤りを感じたものです。
退学してから、すっかり引きこもりになり、これからはリハビリしながら、長い目で社会復帰を目指します。
高校も、栄養学科時代も、週に5日(高校は土曜含め6日)学校に行けていたのに、今では自宅のゴミ出しだけでも、辛くて、心因性の別の病気でも発症したのではないかと思うほどです。
夜になると不安と虚しさで鬱になってきて、誰かに話を聞いてもらいたいけど、
親しい人間がおらず誰も話を聞いてくれないので、せめてここで吐き出すことにする。
高校中退→引きこもりから大検取って偏差値50代の四年制大学に入ったが、
一人暮らしをきっかけに引きこもりが再発して、単位ギリギリでなんとか卒業。新卒資格は棒に振った。
人生に何の目標ももてないし、社会に出て色んな人と関わるのも怖かったので、大卒後は引きこもりに戻った。
が、特にきっかけもないのだが、27歳の誕生日頃に社会復帰を決意。
とりあえず人付き合いのリハビリと、就職活動の軍資金を稼ぐためにアルバイトで働き始めた。
状況として良くはないが、最悪の状態からの改善は日々少しづつでも続いてると考えるべきなんだろう。
友達申請なんてする勇気もないのでこっそり見るだけのFacebookでは、友達3桁は当たり前、
遊びに仕事に、精力的に人生を楽しんでいて、動く死体みたいな俺とはまったく別の生き物だ。
バイトの同僚は若い女の子が多くて、普通の男なら喜ぶところなんだろうが、
コミュ力0で、若い女の子相手ではキョドってまともに口も聞けない俺には、うつ要因以外の何物でもない。
3ヶ月も経つけど、雑談などできない。事務的な会話にこっちはイエスノー返すので精一杯だ。
この年になって、やっと社会に片足を突っ込んでみて、俺の人生には何にも無いということに気がついた。
普通の人から見たら気楽なもんだと思うだろうが、自分からすれば歯を食いしばってがんばってる。
昔はあんなに楽しかったゲームも気が焦るばかりでのめり込めないし、映画を見てもストーリーが頭に入ってこない。
本なんかしんどくて読んでいられない。
出かけたくても行く場所がないし、付き合ってくれる人は誰もいない。
一人家にいて、夜中になってくるとがんばったところで何になるの?っていつも思う。
就職しても一緒だよ。
今みたいな生活がずっと続いて、そのうちに病気にでもなって終わりだよ。
お前なんて子どもの頃から友達のいないネクラの嫌われものなんだから、この先もずっと一人だよ。
女の子もお前みたいなつまんなくて気持ち悪い人間のこと好きになんかならないよ。
何が楽しくてお前生きてんの?
妻に乳がんが発見された。早期発見だが、片方の乳房全摘出することになり、かなり気落ちしている。
妻とは共通の趣味である音楽で知り合った。音楽と言っても演奏する方で、それも固定のバンドではなく、同じ音楽が好きな人たちがスタジオに集まって演奏する、という形のサークルのようなもので知り合った。結婚したのがちょうど1年程前。
妻をサークルに連れてきた友人含めてサークル内で知り合った人たちでバンドを組んだりして、これまでごく普通の生活をしていたので青天の霹靂だ。
手術は半日、その後一週間入院。摘出した側の腕はリハビリが必要ということで仕事はしばらく休職することになった。
手術は入院先の病院と執刀医のスケジュールの都合で1か月後となり、それまでは自宅療養。がんといっても胸のしこり以外に症状があるわけでもなく、手術するまでは特に生活に支障はないが、精神的に不安定かつ、診断結果を聞いた日から熱が出て、入院までは自宅で寝て過ごすことが多かった。起きている間は気持ちが落ちるような環境を一切排除したいとのことで、録りためたバラエティ番組をひたすら見ている。録画を見尽くすと、ツタヤでバラエティ番組のDVDを借りて来て見る、という生活。
番組を見て笑ってる時はいいのだが、ふと気が付くと横で泣いてことが多々あり、家にいる時はテレビを見るか、妻の涙を拭くのが専らの仕事となり、バンドも休止したため、自分がギターを弾いたり、音楽を聴く時間はほとんどなくなった。俺は結婚してから職場で異動があった関係で土祝も出勤になってしまったため、今の妻の精神状態で家に独り残しておくのは心苦しかったが、なるべく仕事も早く上がるようにしたし、仕事以外の時間は全て妻との時間に費やした。
手術2週間前くらいにようやく気持ち的に落ち着いてきたのか、俺の晩飯や昼の弁当を作ってくれるようになった。医者からは特に制限されていることもないので、宣告前と同じように夜はビールも飲むようになったし、週末は病気を打ち明けた友人と会って飲んで、見舞いの品をもらって帰ってきたり。
手術1週間前あたりで、妻が欲しがっていたLINEのスタンプを購入してやろうと、妻が寝ている間に妻のiPhoneを開いた。妻はクレジットカードを所有しておらず、iPhoneも私が支払いをしており、apple IDもクレジットカードを登録していないため、コンビニでiTunesカードを買ってきたのでそれで購入してやろうと思ったのだ。だが、これが良くなかった。
LINEのトークには妻とある男のやりとりがあった。その男はバンドメンバーの一人だった。以降その男を間男と呼ぶ(体の関係があるかどうかわからないけれど)。バンド内で既婚者は俺と妻のみだが、間男以外は全員彼氏、彼女持ちで、間男は寡黙だが顔はイケメンの部類に入る顔立ちで、40手前で日々音楽中心の生活で絵に書いたような独身貴族といった感じ。
俺はバンドのリハであまりにも練習をして来ないそいつを気に入っていなかったし、妻も寡黙というよりも暗い間男のせいでバンド内の士気が上がらない、とかアイドル好きの面食い(実際女優やアイドルの写真集やDVDを購入するツイートをしている)などと揶揄して嫌っている様子だったので、LINE内で1対1でやりとりしていること自体が信じられなかったが、トークの内容からは前々から二人で会っているような感じだった。それも俺が仕事の土祝の日に朝から間男の家に行っているようだった。
「週末会える?」とか「明日起こしに行っていい?」とか。手術直前には間男にも乳がんを告白しており、その文面には「退院後には違う体になって帰ってきます」とあり、なんとなく体の関係を匂わせるものも。
入院の日と、翌日(手術当日)は俺も仕事を休むと職場に告げていたので、入院前々日は仕事のやり残しを減らすため、仕事をして帰りが遅くなってしまった。その日は妻が音楽のサークルのみんなに「みんなに会いたいなー」とLINEしていたのでその日の晩に「明日の夜はみんなと飲む?」と聞いたがうつむいたまま「いい」と言ったので特に会合は開かず。その後妻が風呂に行っている間にLINEを見ると、俺が遅くまで仕事をしている間に間男と会っていたようだ。
入院前日。妻は昼間に昔からの友人(女性)と会う約束をしていた。帰りが何時になるかは聞いていたなかったが俺は前日に仕事を大方やってけていたので早く帰れそうだった。夕方妻から「晩ごはん食べてくる」とメールが来た。友人となのか、間男となのか分からなかったが俺は早く帰って独りで晩飯を食べながら妻の帰りを待った。
待ってる間iPhoneを探す機能で妻の居場所を探すと、友人と飯を食べに行ける距離でもあったし、間男が家から徒歩で行ける距離でもあった。
妻が帰って来ると俺が食べてたコンビニ弁当をやたらつまんで来るので「晩ごはんあんまり食べなかったの?」とか「何食べたの?」とか聞いてみたが生返事しか帰ってこず。風呂の間にまたLINEを覗くとやはり間男と会っていた。
入院前日の晩飯に俺でもなく、サークルのみんなでもなく、間男を選んだのだ。体の関係があるのかは未だに分からなかったがこれは悲しい事実だった。
そんなLINEを見てしまって、心の中がモヤモヤしたまま手術の日を迎えてしまった。手術は予定時間を90分ほど延長したものの、手術自体は無事成功し、妻がベッドごと病室に帰ってきた。これまでに医師から受けていた説明では、麻酔が切れた後は多少ボーっとしているかもしれませんというくらいだったが、帰ってきた妻の状態はそんなものではなく、息は荒く「苦しい、苦しい」とうめき、呼吸が上手くできない上に酸素マスクが口元にあるのも嫌がるといった状態でとても見ていられなかった。手をつないだり、頭をなでてやったり、そんなことも嫌がるためしばらくは看護師に任せ病室から出ることにした。昼過ぎに妻が病室から帰ってから俺は数時間を病室と同じ階の待合室で過ごし、晩飯を済ませてからまた病室に戻った。
部屋に入ると妻は眠っているように見えたが、しばらくするとまた「苦しい」と言い出し、ナースコールを押しては喉が乾いた、腕が痛い、枕が高い、氷枕が欲しいと伝えて、まだ体が自分では動かせないようだった。何をしてやったらいいか分からなかったが看護師の作業を見てからは、ベッドを起こすだとか、飲み物を飲ませるとか自分でできそうな事は妻にしてやった。その日の晩は俺も病室に泊めてもらえることになった。その後数日は他の手術の予定がないとかで、結局俺も病院に4泊した。
入院中、少しずつ元気を取り戻して、後半には一人でトイレに行けたり、半身を自分でシャワーしたり、看護師に髪を洗ったりしてもらったりできるようになった。それ以外は自宅から持ってきたノートPCで借りてきたDVDでまたバラエティ番組を見ながら比較的穏やかに過ごした。看護師に髪を洗ってもらっている間、またLINEを覗く。「退院したらまた会ってね」だって。このモヤモヤは退院後も続きそうだ。
入院1週間で大分元気を取り戻し、無事退院。病院を後にして本人の意思で徒歩で自宅まで帰った。子供と歩くような速度で手をつなぎながらゆっくり歩いて帰ったが退院後2日もすると歩く速度も入院前に近づき、コンビニまでなら一人で歩いたりできるようになった。退院3日目には二人で居酒屋で酒も呑んだ。まだ一人で遠出はしないだろうと思っていた退院4日後にまた間男と会った。また俺が出勤している祝日の日にだ。午後一にiPhoneを探すを起動すると、ちょうど自宅の最寄り駅にいる。きっとツタヤのある駅にでも行くのだろうと思ったが、ツタヤがある駅とは反対側に進んでいる。そして間男の住む駅へ。iPhoneのGPS機能の精度の良さには驚く。間男の家に妻のiPhoneがある(バンドのミーティングで部屋には俺も妻も行ったことがある)。結局午後1時から3時まで2時間滞在していた。
きっと部屋で一人でいるのも滅入るし、寂しいんだろうな。でも会うのはそいつじゃなくてもいいだろ。
今後の事を考える。
1案)現状の情報だけを妻にぶつける。LINEを覗いたことやiPhoneを探すで居場所を調べた事は怒るだろうな。
2案)現状維持。バンドも続ける。ただし、間男とは一言も話さない。妻も間男も何かしら感づくかもしれない。
3案)バンドは続けない。間男とも会わない(間男が別でやってるバンドのライブにも行かない)。間男の他のバンドのメンバーとか、対バンとも夫婦で繋がりがあるので、交流の取捨選択に不自然な所が出てくるので妻は何か感づくかも。
4案)体の関係を突き止める。入院前については調べようがないので今後の証拠を掴むにも妻のリハビリがしばらく続くのでこれはしばらく後になりそう。そもそも体の関係があるかどうかも分からない。逆に体の関係が前も今後もないなら問い詰める機会すらないのでモヤモヤを抱えたまま生活を続けることになる。突き止めるにしても興信所を頼るほかないので費用がかかる。興信所から体の関係を否定された場合1~3案をまた考えなければならない。関係が発覚した場合は即刻離婚だろうな、問い詰め方はまた考えるとしても。
ども、ブクマでは散々突っ込みかましてる本業個人店経営チャレンジなう(死語)な、整体師のオバサンです。
なんだか、
乳幼児の頚椎カイロの死亡事故
首ひねる独自マッサージ後乳児死亡 NPO代表任意聴取:朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASG9631WYG96PTIL003.html
から、
国家資格(あはき法免許)取得者による整体師やリラクゼーションのお店への批判論
なぜ整体やカイロ、無免許マッサージは放置されているか。 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/716729
へと発展していったのを見て、
なんだかいろいろ考えてたことぶちまけたいなー、
と思ったので、
今までこの「リラクゼーション」と「整体」に身を置いてきた私から見た、いろいろなよしなし事を、まとめてみたいと思います。
とはいっても、反論とか言うんじゃなくて、自分が今まで知ってきた事見てきた事聞いてきた事感じてきた事をつらつらとまとめてみたものです。
あくまで参考に、という感じでとらえて頂けたらなぁ、と思います。
いやぁ書いてるうちにめっちゃ長文になってもた。ごめんなさい。
2013年の暮れ頃から?アメリカで始まった「ALSアイスバケツチャレンジ」がついに日本にまで押し寄せて、ご覧の通り大流行になっている。
Ice Bucket Challenge - The ALS Association http://www.alsa.org/fight-als/ice-bucket-challenge.html
アイス・バケツ・チャレンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/アイス・バケツ・チャレンジ
マー君も氷水かぶるチャリティー参加 次に「ももクロ全員」ら指名 http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/21/kiji/K20140821008788720.html
「氷水チャレンジ」大流行に冷ややかな声 「意味がわからん」「強制性が嫌な感じ」… http://www.j-cast.com/2014/08/21213686.html
氷水をかぶるALS支援運動にモヤモヤしている人が少しスッキリするための図 http://topisyu.hatenablog.com/entry/icebucketchallenge
ネットの記事を見ていると、有名企業家やスポーツ選手、タレントなんかが次々と参加して大盛り上がりな一方で、批判的な意見も結構目立っている。「売名だ」「氷水をかぶる意味が分からない」「強制的にやらせるのがおかしい」「悪ふざけしているだけでALSの理解は深まらない」というのが主なものだろうか。「飽きちゃった」というのもある。それに対しては、↑の4つ目のブログでも書かれているようにかなりの額の寄付金が集まったようで、「どんな形でも寄付金が集まったのはいいことだ」という反論がなされている。
ひとまず、仕掛けたALS Associationとしては大成功ということになるだろう。ALS、日本語で筋萎縮性側索硬化症のことを単に「体が動かなくなる病気」くらいにしか思っていない人も多いかもしれないが、少なくとも今回のキャンペーンで知名度が上がったことは確かだろう。
有名人の患者では↑のブログに挙げられたホーキング博士、日本人では徳州会病院の理事長の徳田虎雄氏が有名だろうか。簡単に説明すると、ALSは神経領域の疾患で、有病率は10人弱/10万人。患者の約90%は孤発性で残りは常染色体優性遺伝が指摘されている。症状は、まず指先を使う作業がしにくくなり、躓いたり物の重さを感じることが多くなってきて、発症から1〜2年で筋肉も落ちて腕や脚も使いづらくなり、さらに2年程度で嚥下障害、構音障害(うまく離せない)が出てくる。発症から3〜5年で呼吸筋も動かなくなり、人工呼吸器なしで生きられなくなる。根治療法は今のところ存在せず、進行を遅らせる薬物がある程度で他はリハビリくらいしか手立てがない。人工呼吸器を付けずに死を選ぶ患者さんも多い。先に述べた徳田虎雄氏は、眼の筋肉を使ってだろうか、文字盤を使ってコミュニケーションをとりながら業務を遂行しているという。(Wikipedia「徳田虎雄」)
このような難病はもちろん研究に金がかかるわけで、ALS Association も日本ALS協会も寄付金集めに必死になっている。そこで今回の「アイス・バケツ・チャレンジ」を仕掛けて今のところ大成功を収めつつあるわけだが、ネットで言われているような批判もあるし、どうも周りを見てもすっきりしていない人が多いようだ。もやもやと思ったこと、この運動の問題点を挙げてみたいと思う。
まず断っておきたい。この記事は「アイス・バケツ・チャレンジ」に参加して氷水をかぶったり、少なくない額を寄付に回したりした個々人の善意を非難する意図は全くない。その寄付金は、ALS Association に寄付されようと日本ALS協会に寄付されようと、ALSの患者やALS研究に携わる医療者に役立てられるはずである。その勇気ある善意と善行に感謝の意を示しておきたい。ありがとうございます。
それを差し置いても、今回のキャンペーンにはシステムの上でも、関わった人の心情面でも、そして今後の募金活動に関わる点でも、問題があるように思えてならない。それを述べてみたい。
・チェーンメール性を帯びていること
インターネット上からこの運動を眺める人の持つ最大の違和感はこれではないだろうか? チェーンメールが(特にインターネット利用者の間で)忌み嫌われてきた歴史を考えると、「指名されたら氷水をかぶって3人を指名」という増殖のさせ方が、ネット民に歓迎されることは考えづらい。寄付や氷水といった内容に関係なく、このチェーンメール性だけで違和感を持つ人も少なくないのではないか。
「頭から氷水」は「飽きちゃったので」 「100ドル寄附」を選んだサイバーエージェント藤田社長 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1408/20/news117.html
サイバーエージェントの社長は上記のように「指名」をせずに寄附を選んでいるが、インターネットに関わる人間としてチェーンメールのようなものに荷担するのに抵抗があったのではないか、と個人的に感じている。
もとから募金活動や寄付活動に積極的に関わってきた人からすれば、この点は面白くないのではないか。指名された瞬間、その人は「寄附する」か「氷水をかぶった動画を公開する」ことを求められる。いくら強制的でないとはいえ、前の人に動画で指名された以上、何もアクションを起こさなければ「寄附をしない冷酷な人間」か「ギャグに乗れないツマラナイ人」というレッテルが貼られるかもしれない。そうした不安を感じない人はいないだろう。つまるところどちらかの選択肢に決めるしかないのだが、そこに「善意からの寄附」という自由意志ではないものが紛れ込んでしまうことは確かである。
また寄附というのは、特に日本では、パブリックに行うものではないという風潮があった。赤い羽根共同募金をはじめとした募金活動に、こっそりとお金を投じた経験を持つ人も少なくないだろうし、Wikipediaのジミー・ウェールズの熱意に押されて無名で1000円を払った人もいるだろう。これもあくまで心理的な問題だが、「寄附をして善行を積んでいます/運動の手助けとして氷水をかぶります」ということを自分から公開することに、そしてそういった人に抵抗を感じているのではないか。
最も大きな問題として考えられているのは、この「公開善行」キャンペーンは、関係者の善意を枯渇させるのではないか、ということである。氷水動画を公開して、少なくない金額を寄附に回せば「善行を積んだ」という気持ちは満たされるし、「善行を積んだ人間」という表示をすることができる。今回の運動で、世界中に「氷水をかぶって多額の寄附をした善人」が大量発生した。それはいいのだが、そう言う人は、そして「少しばかり強制性を感じながらも運動に乗って寄附をした」人は、次に善意からの寄附を求められた時、同じように寄附をするだろうか?私は、個人的には、しないのではないかと思う。「この前寄附したから」でもいいし、「強制的にやらされて不愉快だったから」でもいい、理由はどうあれ、今回の「公開寄附」に参加した人は、これまでのような匿名の募金には参加する見込みが下がるのではないか、と思うのである。↑のブログ記事で赤い羽根共同募金の募金額について触れられているが、今年度、これ以降の他の募金活動がどのような実績を出すか、かなり気になっている。もし今回の運動の結果、日本全体でのその他の活動も合わせた寄付金の額が変わらなかったら、そしてもしくは下がりでもしたら、今回の運動は成功だったと言えるだろうか。少なくともALS Association 関係者にとってはそうだろう。しかし、もし「善意の総量はかわらず、使いすぎれば枯渇する」のが正しいとすれば、今回の運動は限りあるパイの配分を変えただけで、無意味である。
もちろん病気だから休んだりするのは、別に会社が許せばいいと思うんです
ただなるべく迷惑かけないようにするのは社会人として当たり前ですよね
鬱病以外のケガだったり病気の人はこの辺しっかりやって休んだりしてます
鬱病の人って医者に止められてるのでー、とか全く悪びれなく言うよね
診断書を持ってきてそれを印籠のように使って、休んだりリハビリとか言って特に仕事もせずに帰られると誰だって感情的になります
ネットの書き込みを見ても仕事休んで迷惑をかけてる意識が全くないように見えます
鬱病を理解してないだの、自分が鬱病になったらどうなんですかねー?とか言うひとりよがりの意見
一週間前、『虐待と幸福と経験の空白とhttp://anond.hatelabo.jp/20140628152439』を書いた者です。
反応をくださった皆様、ありがとうございました。
母親なんだからちゃんとやれ、というお叱りを頂いて原動力にしようと思ってました。そしたらご意見が全体に暖かすぎて鋭すぎて、感情も理性も幸せになりました。こういう良質な感情や知的刺激を、家族にフィードバックしていきたいです。日本社会の良識ってありがたいです。長文投下本当に申し訳ないですが、ちょうど社会での割合くらいで関係者がいると思われる、フラットな感情でお読みいただける匿名の場が心底ありがたいです。
夫は宗教事情を含め知って結婚してくれた、ありがたい人です。私は現在正社員専門職ですが、結婚してから資格を取ったので、それまで非正規雇用で、預金もありませんでした。核家族三十代夫婦、子ども二人保育園、共働きですが、まだまだ実態はそれに追いついていません。平日はあまり夫婦の会話の時間が取れません。夫は高学歴で、30代に入り質量ともに仕事で求められるものが上がって来ています。そのプレッシャーは大変なものに違いありませんが、たしかに羨ましくもあります。自分の仕事をして、日々の母親役まではまあなんとか本能でこなせるのですが、夫も私も正直お互い先に自分に気を遣ってほしい状態で、ほんと最近いい妻だったとは思えません。誰にでもある当たり前の大変さなんだろうと考えていて、深く考えていませんでしたが、危機は意外と深刻だったんだなと書いてみて思えました。立場の弱い子どもに、しわ寄せを来させていたんですね。家族がだいたい形成されて新たな状況に直面していて、新たな解決能力が必要とされている段階なんだな、恋人だった昔は良かったなんて思ってたのが馬鹿みたいです。今、ほんとこの今日一日ですね。一歳の下の子が産まれてから、毎月のように子どもの前で親が怒鳴り合って、ほんとすまないことをする状況になってました。私自身、3歳のころの親の泣かせ合いを覚えているというのに。
夫に読んでもらいました。夫も思うところがあったみたいで、すごく子どもと私にゆったり接してくれるようになりました。
いま自分たちは、生活ステージの中で大変な時期なんだ、と自覚するだけでも変わるんですね。
組織にいた事についての経験の空白については、数年前、学校の精神科の先生に相談した事もありましたが、この葛藤や深い矛盾から来る苦しさは正常な生理的な人間の反応だそうで(おそらく妊娠の時のつわりみたいな?)、
とくに薬とかは出されずに終わりました。眠るのを助ける薬はあっても、後ろ向きな自分を変える薬はないんですね。理想の自分になれる薬もない。眠りすぎてしまうのを短くする薬もない。
薬ってのは、日本において成人の義務とされる仕事など、やるべき決まった状況で、眠れないなどの辛さを、出来るだけ楽に乗り切るために使うんでしょうね。風邪をひいたかもなって時のパブ○ンと同じなのかもしれませんね。
トラックバックの中にあまりに共感しすぎてくださって、まさに夫にキレた時の自分を見ているようなご意見もありましたが、なんかいろいろ申し訳なくなりました。危ういのはほんとその通りです。危うい状況でした。子どもの前で親が喧嘩しちゃいけないし、建前じゃなくて、子どもの幸せを心から願える状況にならないといけない。みんなで幸せにならなくちゃいけない。そうやって、本質と本心と行動を合わせていくととても楽になる事が最近分かってきました。それってまあ、もうそもそも幸福なんですけれども。
答えのようなブログの記事もありがとうございました。このひたすら細部をえぐっていくような、こちらもえぐられるような、原因を突き詰めて言葉に練り直す作業。それをなさっている間、ご本人はとても大変に違いなく、その労力をこちらに向けていただいて、本当にありがとうございます。どうか、平穏がありますように。
http://anond.hatelabo.jp/20140628152439
トラックバックの中に私と同じ生い立ちの方で、一人で生きていける方がおられるようで、敬意を覚えます。なぜ自分のためにちゃんと仕事して生きられるんだろう。私からすると、とても強い孤高の生き物に見えます。よっぽど人間の根っこがしっかりしているんだろうなって。私もその能力が欲しいです。
私は子どもっぽくって、宗教の中にいるときに奪われたものを全部宗教と親のせいにしていました。でもそうじゃなかったし、とくに出てからの責任は全部自分にあるって、あるときガーンとわかりました。
今ももうどうしようもなく落ち込んで、ただただ落ち込んで、身体が動かない日が正直あります。誰かになんとかしてほしい、とか、そんなことすら浮かばずに、ただただすべてが鈍って滞ってしまう日もあります。社会の人は今日もちゃんと働いている、波なんてあったら迷惑なだけだ、そもそも人の何倍も頑張っていかないと、老いが来てしまう、大卒資格を取って大学院に行って起業する、もう行く大学は決まっているし起業分野も決めている、ほんとうのほんとうに40歳までになんとかしないと、と分かっていても、暗いタールの中でヅケになっている日がどうしても来ます。こういうのをなんとかするために病院に行って、気分の酷い落ち込みをどうにかする薬がないかを聞いてみるのはいいかもしれませんね。
今、産休のときに得たママ友の子ども、近所の中学生一年生の勉強を見ています。そのママ友は専業主婦なので、何かあったらファミサポの他に有償で頼るために、先に交換条件というか、ギブが出来たらと思いました。人を呼べば平日も家も最低限綺麗になりますし。
その子どもは、持っている頭は『年相応、平均よりはいいほう』くらいだと思います。でも運動部に入りながら勉強を一日30分とか1時間とかやった。土日はもっとやった。そうしたら中間で200人中30番くらい取ってくるわけです。
もちろん結果は伴うように教えましたが、やったから伸びる。そしたら、期末も頑張って、私は中間ほどは教えられませんでしたが、かなりいい点を取ってきた。まだ、順位はでていませんが。
へとへとになってあくびしながらでも少なくとも頑張る。完璧に頑張らなければやらない、ではない。でも、きっちりワークとか、求められている事は期日までにこなす。それで、これくらいはいく。
なんというか、そうやって子どもが頑張るのを見ると、深いところで、『ああ、こういうふうにすればいいのか』と私も勉強になります。原動力になります。お金で買えない人間からの勉強をさせてもらっています。ありがたいですね。ほんと、『お前に何か出来ると思っているのか』『全部無駄だ。お前は母親の期待一つ応えられなかったんだ』『なぜあれを信じられた。日本に生きる恩恵を受けながら』と深いところで暗いところに引き戻そうとする恐ろしい引力がありますが。
記憶は塗り替えていくしかないんですよね。たぶん認知の方のリハビリと一緒で。骨折が直っても痛みとか歩行不安や独歩の怖さを覚えている人は結構いる。それを毎回毎週勇気づけて元気づけて一緒に明るく歩くと、忘れ去っていくと、一人で歩けるのを取り戻せたりする。痛みは記憶だったりするのはもう定説なわけで。
ちょっと整理が出来るまで、また書くかもしれません。また今日のこれからも、皆様の一日も、いい日になりますように。
未来を、取り戻したい。ほんといい言葉ですね。今日を、明日を取り返す、その積み重ね。でもね、理想的に動ける日なんて、一週間に一日くらいしかなくて、だいたい子どもと一緒に寝付いてしまうんですけども。睡眠時間が短くてすむ人たち、10代から努力すごかったんだろうなあ。
そうなるから、床オナとかダメなんだよ…強い刺激に慣れ過ぎると、いざという時、どうにもならない事になるぞ。
リハビリだと思って弱い刺激になれろ。開発だろ、それこそ。
お昼にニュースサイトで記事を読んだ。
http://blogos.com/article/86647/
下記引用
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チャゲ&飛鳥の飛鳥が、覚せい剤の所持疑惑で逮捕された。本人は、薬物疑惑を否定しているという。このニュースを見て、この人を警察が逮捕して裁判などを行う事に、何らかの意味があるのか疑問に思った。むしろ、薬物の使用で逮捕などしない仕組みの方が、世のためではないのか。
というのも、そもそも覚せい剤の使用が、他の殺人や詐欺などの犯罪と同じ様な種類の物に思えないからだ。どちらかというと、アルコール依存症や、うつ病などの”病気”に近いものだと思える。その場合、必要なのは、なぜ病気になったかというのを裁判で解明していき、刑務所で反省させる事より、一刻も早い専門医による治療という事になるだろう。
それにも関わらず、現在の法律で、薬物使用が明らかになれば即刻逮捕となってしまう。つまり、「自分は、ひょっとすると薬物中毒かもしれない!」と自覚した人も、結局、一人ではどうする事も出来ない。そして、行き着く所まで行ってしまうしかないのだろう。(ひょっとしたら、何らかの制度はあるのかもしれないが、一般的な認知度はない。)
飛鳥の場合も、数カ月前に薬物使用疑惑が雑誌に出ていた。もし、その地点で飛鳥がリハビリ施設にでもはいっていたらどうだろうか。飛鳥本人の体だって、早期の治療を受けられた方が良いに決まっているし、薬物の入手先(暴力団?)の飛鳥購入分の売上だって施設にリハビリをしていれば、その間はゼロだった可能性もある。つまり、早くに治療したいと手を挙げられる環境を整える方が、薬物中毒者の体にもメリットがあり、薬物業界全体の売上を減らす事ができるはずだ。
なので、薬物に関しては、密輸を試みるなど、流通させようとした人のみを逮捕し罰するだけで十分に思える。そして、個人で使用してしまった人は、病人として扱い、なるべく薬物を購入させないようにサポートしていくという形の方が良いのではないだろうか。
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この件において、飛鳥個人のみにスポットを当てれば罰則は必要ないという気持ちは湧くのは1万歩譲ってわかるとしよう。(個人的には全然わからないが)
だが、購入者に対する罰則を完全になくしたらどうなるだろうか。
刑罰により少なからず抑制されていたであろう需要が跳ね上がり、ドラッグ市場の流通が活気を帯び、薬物中毒者が増え無害な方に対する様々な犯罪を呼び起こすだろう。
人様に何かを主張するのであれば最低限それくらいの想像力はあってしかるべきだろうと感じたが、まあネットの記事だしこんなものかと思いなおした。
そして、コンテンツの品質が低いから業界がなかなか浮上しきれないんだよ、テレビとか紙媒体の校正とかすごいよな、なんて同じ業界で働くものとして案じていたが、
ライターがフェイスブックのアカウント晒していたので確認してあんぐりした。
要はたまたま受け入れられなかっただけだよ。
認められたり、受け入れられたりする事って、
とんでもなく嬉しい事だけれど、
そうはいつもうまくいきはしないよ。
今は認められなかった事を悔やんでもいいよ。
ずっと憶えててもいいけれど、
すこしずつリハビリしながらでも、
とにかくあなた自身がそんな現実をまず受け入れなくっちゃね(自省含め)。
そんでもって、
うまくいかなかった事なんて乗り越えよーぜ。
今はすべてにジボージキかも知んないけれど、
今は何言ってもやっても自棄かも知んないけれど、
ここで腐らなければ、きっと次はうまくいくんじゃないかな。
そこまでがんばったのに、それこそくやしーじゃん、
そうでなきゃ嘘だよ、いやだよ。
次でダメでもまたその次の次の次くらいで、
きっとうまくいくし、
たとえうまくいかなくても、
チキショー、今はやけになってもいいよ。
ワンカップのもーぜ、とりあえずオナニーでもしよーぜ。
ねみーわ。