はてなキーワード: 道化とは
思春期である。普通のプールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに、教科書や参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。
だいたい、カーニバル衣装のビキニのパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャの踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。
カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭りが起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター、復活祭に当たる。
ウィキペディアによれば、黒人と白人の音楽の混交から生まれた音楽・ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。
音楽としてのサンバはダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部の港町、バイーア(現:サルバドール)で生まれた音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代に確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人の生活や人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。
ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ人奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興である。ポルトガルの文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽を演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバの進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジルの文化的なアイデンティティとなっている。
現在のサンバショーでは現代の欧米のダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバは基本的に即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。
なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいか、キューバのマンボと混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。
Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像はリンク切れ)
The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events
カーニバルの仮装はイタリアにその起源を持ち、その伝統はポルトガルにまで広まった。それが植民地のブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。
1930年まではブラジルの社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装や仮面を見せびらかして歩いていた。仮面は動物や悪魔の形をかたどったものや、イタリアに起源をもつ道化の顔もあった。
1930年以降、庶民もカーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月のブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルのパレードは1932年に端を発する。
そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性は上半身裸、女性はビキニ姿になっていたことが確認される。水着のビキニが1946年に誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命的である。
1970年代になるとサンバ・スクールが組織化され、現代のように洗練され始める。この産業が衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバーの極彩色の衣装は露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバ・スクール(エスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏や衣装のスタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。
また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバを披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバ・スクールのパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロのサンボードロモの場合、中央のパレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコス、カーニバルのブロックもまた作られた。
現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国のタブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。
今のところ、全裸は許容されていない。とはいえ、ルールを守らない人もおり、そのせいでサンバ・スクールが時折資格を剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。
Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent
ここで記者は、カーニバルのビキニの女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまり、パレードで疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバの女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニの女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気で強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。
自分は、よその文化だから評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性が芸能界で活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージが社会全体に広がることで、あなたはあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたをあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。
過度に性的な空気は似たようなイベント、ニューオーリンズ・マルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。
Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター
https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]
あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子どもの権利を保護する団体が、彼女が性的に搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールにビキニの大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供の身体に有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生のビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。
ちょっと前まで子どもがすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真や動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分の身体を性的だと意識せざるを得ないし、子どもが自分の身体を守るための性教育の必要性は高まっている。何も幼稚園児からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体の特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックスの知識だけではないのだ。
2月の祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外の祭りを積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパシティは少ないのではないか。2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピがホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月の浅草サンバカーニバルや5月の神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。
私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンやイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンやイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。
それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。
商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか。2月には豆まきとバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか。
今回はテカテカビキニが50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出の自由、野外全裸、性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。
あるジャンルに20年以上もの間、没頭していた。青春を捧げたと断言できる。
どのジャンルか詳細はボカすが、90年代末のポケモンブーム真っただ中に登場した、漫画・ゲーム・アニメのメディアミックス作品だ。
比較的マイナーだが作品名を聞けば、30歳前後なら誰もが口にすることだろう。「あー懐かしい」「そんなのあったね」「まだやってたんだ」と。
まさにそのような、最新の情報を調べようともせず、調べても「昔の方がよかった」などと抜かし、そのくせ恥ずかしげもなくファンを自称しては雑語りをするような連中を啓蒙する活動を何年も続けてきた。
確かに一度「死んだ」ジャンルではあることに違いないのだが、10年も前にゲームの新作を出して復活して以来何作も続編を出し、web漫画も連載中で、新しいグッズもたくさん発売されている。
今ではれっきとした、「生きた」ジャンルなのだ。出戻りや懐古厨どもに好き勝手言われる筋合いなど微塵もないのだ。
健やかなる時も病める時も、自分はジャンルに人一倍貢献してきた自負がある。
復活前の空白期間からwikiを運営していたし、希少な資料から情報を得るために国会図書館にも足を運んだ。
イベントには公式・非公式問わず顔を出した。ジャンル最大級の合同誌に寄稿したこともある。
ゲームが出れば毎回現物を複数とDL版も購入したし、ブログやツイッターで考察だってした。
そして暇さえあれば作品名で検索し、雑語りを見つけてはツイッターのフォロワーたちと一緒にRTした。
東に懐かしいと言うニワカあれば 行って 現行作品を認知しろと言ってやり
西に昔の方がいいと言う懐古厨あれば 行って 思い出補正だろと言ってやり
南に低迷期の不人気作品disあれば 行って お前の感性は浅薄だと言ってやり
そうしてあらゆる方面から、20年以上という気の遠くなるような歳月を、ジャンルを支えることに費やしてきたのだ。
アニメが終わったとか主人公が変わったとか雑誌連載が終わったとか、そんなくだらない理由で脱落したお前らに代わって、ずっとずっと。
そんなジャンルを、なぜ離れたのか。早い話が、疲れてしまったのだ。
自分やフォロワーたちがどれだけ半可通を見つけ出して正しい知識を啓蒙しようとも、思い出に憑りつかれて過去を美化し続けるゾンビのようなオタクたちが毎日毎日無数に湧いてくる。
更には自らの無知や不見識、無礼を棚に上げて我々をブロックする者やレスバを仕掛ける者、過激派のレッテル張りをする者など、反感を隠そうともしない者も少なからず現れた。
自分が、否、我々がこれだけ作品への認知や売り上げに貢献してきたにもかかわらず、こともあろうに今年始まったスマホアプリで懐古厨に媚びた。
ボイスに、戦闘システムに、デザインに……随所に「みなさんご存じのあの頃」の要素をちりばめたのだ。
システムやキャラやシナリオが気に食わないとか、バグが多いとか、展開がへたくそだとか、そういった点はいくらでも庇ってきた。
せっかくシリーズ再始動に伴って一新した部分もあったのに、間違いなくそれを支持していた人もいたはずなのに、ノスタルジーのためだけにそれらを否定して退行する姿勢にうんざりしてしまった。
そうして公式から錦の御旗を下賜された懐古厨どもは出戻りと合流して急速に勢力を増し、ギルドの様相を呈している。
いかに我々が精鋭といえど、もはや手に負えないほどの規模に膨れ上がった。
ブログは放棄した。ツイッターもジャンル者の99%をブロックした。
必死に守り抜いた結果がこれでは殉教者か、はたまた道化か。どちらにせよ自分の戦いは終わった。
今後は他ジャンルでひっそりとやっていく。もしどこかで見かけても、そっとしておいてほしい。
体育会系というと今や前時代的人間の屑みたいな扱いであり、時間はかかるだろうがこれからゆっくりと消えていく風習だろう。
ただ、生粋のコミュ障である自分にとって、要求事項、こうしてほしいこうあるべきという指針が明確な体育会系集団は頭を空っぽにしても生きていける貴重な場であったことを白状する。
ひたすらガッツを見せて先輩を立てて、言うことは何でも聞く、規律は絶対、これで大抵のことを乗り切れる体育会系のノリが実は嫌いではなく、ありがたかった。むしろ馴染んでいたとさえいえる。
高校を卒業しそこそこ知られた大学に入った。するとそういう集団を見つけることができなくなった。体育会系みたいな関係が嫌いな人が多いように見えた。
新しい集団に入って自分がまず無意識に考えることは、「誰がこの中で一番強いのか」である(複数の派閥があると面倒だが)。権力者に命じられれば道化だって何だってやる。そうすれば大体生きていける。
しかしそんなものはなかった。後輩も先輩も過度に忖度せず自分の意見を言う。もはや別世界で、これまで他人に合わせることしかせず自分の意見を持たなかった自分は微妙に浮いている(優しい人たちなのでハブられはしないが)。
ともあれ意見をはっきり表明する人の存在はありがたかった。それに合わせればいい。そういう態度をとっていると「いやお前はどうなん?」…?
何を間違えただろうか。
自分の要求や意志がわかりやすく、それを支持すると機嫌が良くなる人はつきあいやすかった。しかしこの大学にいる人は、自分の意志ははっきりしているものの他人から賛同されてもあまり上機嫌にならない。何なら反論されたい、合わせてほしくないとすら思っているようにさえ見える。
しかし本当に、自分が意見を言って良いのだろうか?誰かの機嫌を損ねるのではないか?経験と現実がせめぎ合う。
研究室に配属された。自分の意見を言わず指導教員の意見に合わせていたら、「あなた何も考えてないよね?議論にならないよ」と言われる。
例えば、知り合いから相談を受けるとき。悩みを聞かされるとき。この人はなぜ他人に対してここまで自己を開陳できるのだろうと疑問に思う。
話を聞かせた相手が本当に親身になってくれると思っているのか。今話している相手が他言無用の内容をべらべらと吹聴したり、ネットで放言しないと確信できているのか。それとも、最初から開陳している自己などなくすべてペルソナなのか。
私は、誰かを信用できたことなど一度もない。信用して裏切られるのが怖いのか?そんなことはない。そもそもに信用したことがないのだから他人に裏切られたと感じることもない。美容室でハサミを持った美容師が殺意を持っていれば私は死ぬだろうし、かかりつけの医者が嘘を言って薬を飲ませてもあっけなく死ぬだろう。そんな唐突な裏切りなんて馬鹿なことを考えるわけじゃない。私はただシンプルに、他人の自身の内面を知られることが嫌なのだ。
親兄弟や親戚。大切な恋人。旧来からの友人。診断する医者、カウンセラー。彼らは誰も、いや、この世界にひとりとて私の内面を知るものはいない。思ってもいないことを話し、生きていく上で必要な人間関係に必要以上に身を預けることはなく。道化を演じて、自己を偽る。誰かに己の内面を見せることなど恐ろしすぎる。誰にも私を知られていない。それが安心であり、私の心を支えている。しかし、それと同時に苦しさを感じている。
誰にも相談できない悩みがどんどん溜まっていき私の心を圧迫している。生きているだけで日々不安は募るし、解決できない悩みはいつまでも心の内をさまよっている。信頼できる誰かに心を打ち明けられたら、悩みを相談できたらどれほど楽だろうかと考える。「信頼できる誰かを作りましょう」なんて簡単に言えるが誰かを信頼する方法なんてどこにも載っていない。逆に世の人々はなぜそうも簡単に人を信頼できるのか。
みんな自身の心を誤魔化すために嘘の信頼をしているのか。最低限の暮らしのためにペルソナをかぶっているのか。本心に蓋をして生活しているのか。あるいは、何の理由も根拠もなく、自分以外の他人を本当に信頼できるのか。だとしたら、私には恐ろしい。私には困難な行いを、みんな平気で何の不自由もなく行なっているということだ。はたして私と彼らは同じ人間なのか?
私は誰かに本心を曝すことない。親には親、友人には友人、恋人には恋人、医者には医者、それぞれに対する仮面をかぶってそれらしい自分を演じている。君に対する相談事もこういうことを言えばそれらしい関係が築けることを知っての打算であり、人間関係をうまく保つためのパフォーマンスであり、適当に切り抜けるための計算なのだ。そうして、誰にも何も言えないままの苦しみを一生背負い続けていくのだろう。
わざわざこの文章を書いたのは、ネットの誰かに悩みを聞いてもらいたかったというわけではなく。誰かの共感やアドバイスを求めているわけでもない。この文章は呪詛である。
私は、今この文章を読んでいるあなたの親であり、兄弟であり、友人であり、恋人であり、仕事仲間であり、クラスメイトであり、同じ電車に乗っている一人であり、あなたの尊敬する人物であり、あなたがこの社会で日々接する誰かだ。私はあなたを信用しているように振る舞っているが、一度も信用したことなどないし、これからすることもないだろう。もし、あなたが無条件に人を信頼できる人だと言うのならば、偽りの存在を信じるのは可能だろうか?
この恐ろしい人の世をせめて呪って生きるのを許して欲しい。
両氏は気付いていないようだね。
あるいは匿名で言及する卑怯者が回答したらidを晒すって約束を守るとは、到底信じられないのかもしれない。そんなザマで信頼も敬意も得られるわけないじゃん。
さて質問の「環境型セクハラとは何か」だけど、これはアンチフェミがイチャモンのために掲げている藁人形だ。
くだんの togetterの全てのコメントに目を通したが、anan が環境型セクハラであるとかないとか言っているフェミニストは一人もいなかった。献血ポスターのときにフェミニストが言っていたのは「環境型セクハラのようなもの」。細かい違いに見えるかもしれないが、その差は重要だ。もはや物凄く強い言葉ではないのだ。
とりあえず無言で全スルーの期待を裏切れたと思う。次からは適当だとかスッカスカだとか信頼や敬意を得られないとかいう前に、それを自分にも適用して、道化になってしまってないかを確認したほうがいいだろう。さもなくば純粋なかたちでの時間の無駄だから。ただ、ストレートに聞きたい内容を質問するムーブはマル。立ち位置の違いこそあれ、誰もが皆、目の前にあるなにかを"わからない"。それぞれが理解に向けて、手探りで少しずつ、暗い階段を降りていくんだ。
横だが、堀江のIT企業社長としての評価はその動画のとおりだと思うよ
オンザエッジ→ライブドア時代にたまたまITバブルの後押しもあって成り上がったが、
ライブドア時代も企業転がし以外に目立った事業を育てられてないのが何よりの証拠だし、
外部向けの広告塔としてはともかくとして、企業の技術力を伸ばしていく能力はまったくない
内心堀江も自分のセンスの無さ、伸びるIT技術を見分ける能力は2流以下であることを自覚してると思う
やろうと思えば出所後にもう一回ITの世界で挑戦もできたけど、やらなかったからな
やっても勝てないということが自覚していたんだろう
以上の理由から俺は堀江の未来予測や技術評はまったく参考にならない、道化の戯言と思ってるが、
世の中には、堀江には先見の明があり、堀江の提言が社会に膾炙することが、日本のITレベルを向上させると思ってる人たちが
たくさんいるんだよな。全員バカだと思う。
恥ずかしながら先日まで定職につけていなかった身なので、初めて定職について思ったがみんな生きるの上手すぎないか??
フリーターで週5で働いてた時は全然しんどくなかったけど定職についてからめちゃくちゃしんどい、自分はオタクなんだが全くオタクする元気すら出ない
仕事は楽しいしやり甲斐があるけど毎日毎日上司や先輩に嫌われないよう細心の注意払って、人の話をよく聞いて持ち上げつつ自分の失敗談とかを面白おかしく話して道化をやりつつそこそこの仕事の出来を見せて気に入られるように頑張って、1日2日の休みでその分を全部回復してるの???凄すぎないか???
こんな延々と毎日同じこと繰り返してキリがないの疲れない?終わりがないループ毎日繰り返すのしんどくない?
普段は目を逸らしてるけど、偶にいきなり目が覚めるように昨日も今日も一昨日も明後日も明明後日も同じ日々が続く事実に突然草臥れて何も出来なくなってしまう……………
全く回復出来なくて休み丸一日寝て潰してしまう……………出かけること全てが億劫で買い物や映画を観に行くっていう以前まで積極的に行えていた事が何も出来ない……………通勤時間とか隙間にゲームやる元気もない……………
こんなんどうしたらオタク活動と両立出来るんだよ……………TLからどんどん人が消えてく理由がよくわかったよ……………続ける元気が無いんだ……………
逆に言えばオタクしつつ毎日社会生活してる人たち凄すぎないか????体力アスリートか????やっぱり体鍛えたりしてるんですか????未だ嘗て無いほど原稿落としそうでやばい限界オタクに秘訣教えてください
童貞のまま先日22歳を迎えた。自分を振り返ってみてその理由について考えてみた。
感情とは外部の状況に対する人間の心の動きであると僕は知っている。周りの人を見ていると喜んだり悲しんだり怒ったりごく自然に感情が動いていることがわかる。
しかし僕はそうやって外界に対して素直に反応することができない。もちろん笑ったり泣いたりするけどそれは他の人の目があるからである。
例えば女の子に振られた時
「これは悲しい気持ちになるべきだ、一旦泣こう。」と考えて泣くし、
「一通り泣いて見せたからあとは彼女が気まずくならないようにしよう。」と考えて30%くらいの笑顔で別れる。
小さい頃から少し勉強ができ、少し運動ができ、少し反抗的だった。
「存在しているだけで鼻につくからせめて表面だけでもちゃんとしてくれ」と中学校の先生に言われたことを覚えている。今考えてみるとなかなか大人気ない発言だ。
常に他人から見て適切だと思われる自分が取るべき感情と行動を選択してきた人生であったしそれに違和感を感じてこなかった。
他人が僕に求めている感情の変化を見せて相手を納得させる。自分が人間的な心を持っていることを示す。行動も表情もそのために選択してきた。
怒られている時は神妙そうな顔をする。デートの時は楽しそうな顔をする。進路選択の相談の時は真剣そうな顔をする。
いろんな顔をしていろんな感情があるように振る舞っているけどいつも心の中では
「このシチュエーションではこんな感じで振る舞えばいいんだよね?」って自分で確認しながら生活している。
みんなは本当に自然に怒ったり泣いたりしているのか。その感情を動かすエネルギーはどこからやってくるのか。僕にはわからない。
恋愛とはそれ自体が感情の塊である。好きだって気持ちはもちろん感情であるし恋人になれば喧嘩することもある。喧嘩も感情表現の一つである。
そうやって感情をぶつけ合ってお互いを理解していく。それが恋愛だ。頭ではわかっている。
おそらく今彼女は自分の独占欲を求めていると感じたら僕は自分が嫉妬しているというメッセージを発する。
弱みを見せた方が良さそうな場面だと判断したときには辛そうな顔と泣きそうな声で彼女に縋る。たとえ困っていることがなくてもとりあえず自分の不幸そうな話を嘘にならない範囲ですることもあった。こうして自分の弱みを共有することで絆が深まっているかのように感じて貰うことが恋愛において有利だと考えたからだ。
彼女の悲しい話は同情に満ちた顔で聞くし真剣に考えている顔をする。
これらはこうすることで丸く収まるものだと計算して行動しているからであって自分の心に素直に表情や行動を変えているわけではない。
僕は童貞である。これまでそんな機会がなかったことはない。いい感じの女の子と同じベッドで寝たこともあるし、キスをしたこともある。それ以上のことも。
でもそれに幸福感や快感を感じたことはなかった。一歩手前のような状況までは何度かなったが、最後までしたことがない。
性行為の時も自分の行動で相手がどう思っているのかを計算して動いてしまう。
我を忘れて2人だけの世界に没頭できない。どこか第三者的な目線で考えてしまう。
裏を返せば女の子の求めることは大体できてしまうわけだが自分の気持ちがそれで盛り上がるわけではない。
そうして性行為が大して楽しくないと感じてしまい、ここ2年ほどはたとえ一緒に寝ようともキス以上のことをする気になれない。
世の男はいつも女を抱きたがり、多くの人は体の関係で結ばれている。多分ほとんど事実だ。女性もそれを求めていることが多いことも。
僕はそれがとてもめんどくさい。めんどくさいと感じているからこそあまり価値のあるものだとも思えない。
不貞行為に腹を立てる必要性を感じたこともないし、不特定多数との性的接触を穢らわしいと感じることもない。
ただその連関の中のどこにも自分が入っていないことには少しだけ孤独を感じる。
自分は人間として、生物として劣等個体であるように思えてくる。
大学生ももうすぐ終わり、来年から新しい生活が始まると思う。新しい環境でも孤独以外の感情を感じないまま道化を演じ続けることになるのかな。
ADHDグレーゾーン(医者に傾向があるねとは言われているが薬は出ていない)だけど、虚言癖は一時期あった。
虚言癖には色々なパターンがあると思うけれど、自分の場合を分析すると、出来ない自分を自分で認めたくない、自分は出来るんだと思っていたいという気持ちによるものだったと思う。
自尊心、プライドが高いとそのようなことが起こりやすい気がする。自分は、自尊心というものを諦めて道化に徹することが出来るようになってくるうちに治っていったが、真剣に反省するだとか、ちゃんと謝るということを態度で表すのは今でも苦手だ。
普通の人が真剣に反省するようなミスを一日に何度もやっていたとして、その度に本当に真剣に反省していたらどうなるだろうか。心が死ぬ。すでに反省しすぎて憔悴しきっている。というのがこちらの言い分になる。
もちろん、こちらの言い分を聞いてそうだねと同情する必要はない。こちらも給料を貰って働いているわけだし。出来ないなら出来ないと言われるのが当たり前だし、自分が少しでも役に立てるように努力するのも当たり前だ。
適職という面については、学生時代にアルバイトでやっていた牛丼屋の接客業よりも、現職のプログラマの方が圧倒的に合っている。
接客業では作業を途中で中断したり、マルチタスクをこなしたり、全体を俯瞰して必要なことをする、みたいな能力が求められて、自分は全然足りなかったので、自分でも本当につらかったし、周りからも使えないという扱いをされていた。
プログラマは、大きめな所で下っ端をしてる限りは自分でマネジメントする必要も無いし、目の前のタスクをやっつけていくだけなので自分に向いている。また、ミスによってバグを出しても、自分でテストをして見つけて修正すればよく、責められることも無いという文化があることもかなり助かっている。オペミス(動いているシステムの操作ミス)は怖いけれど。
件名のような風潮があるらしい。又聞きだけど。
そしてそんな風潮に対して「異性愛すると叩かれるのにレズビアンは叩かれないのはレスビアンに対する差別では?」という声を見かけ、
素朴にいろいろ思うところがあったので書き置いておきます。想像に想像を重ねていく文章ですが。
実際の自分の気持ち。前提、自分は身体は男で性自認はその他って感じ。
まず、男と付き合っているだとか女の子のアイドルが公言したらたぶん応援しなくなると思う。推しだったとしても。
いや、うーん、推しだったら……許せないけど通ってしまうかもしれない……わからない。でも嫌悪感は持つと思う。
それはともかく、アイドルという言葉が生まれた頃とは状況が異なっていて、結婚してもアイドル続ける人も出てきたけれど、自分は青春を火に焚べて輝こうとしてる人の方に惹かれる。
実際のところ彼氏いるんでしょ?みたいなうっすらとした諦念を抱えつつ、アイドルでいる間は最後まで騙し通してくれたら良いなと思う。道化でいさせてくれたらいい。手の届かないところで輝く存在として。
で、女子アイドルが女の子と付き合ってること、同性愛者であることを公言されたらどう思うか、想像でしかないけれど、考えてみる。多分そこに嫌悪感はない。素直で素朴な気持ち。
アイドルをしている一人の人間が、人として誰かを愛している、そこに変わりはないのに、どうして受け止め方は違うのだろう、と考えてみた。
ひとつの仮説。今の日本では同性愛は規範となっていないこと。家族制度のなかに同性婚は含まれていない。
個人的に規範・家族制度が苦手で、人の結婚ニュースが入ってくるたびにまあ人って結局そういうもんだよねと感じてしまう。
だから、アイドルが(今のところ)規範を外れた同性愛をアピールするのは疎ましい規範への反抗に見えるのでは?というもの。
でもこれは多分違う。同性愛がいつか規範になって、当たり前に同性婚が行われる世の中になったとしても、
男と付き合う女の子のアイドルには嫌悪感があるし、女と付き合う女の子のアイドルには嫌悪感を抱かないとおもう。
実際なってみないとわからない部分は大いにあると思うけど、今の想像では。
そこでもう一つの仮説。女の子のアイドルが同性愛者である、と公言されること。
すなわちそれは、身体が男の自分にとって追いかけてるアイドルは、
本当に手が届かない存在なんだと実感できるのではないか?ということ。
手の届かない星のような存在が、ハナから手の届かない存在であったと心から実感できる。
もともとオタクなんて相手にされてないって?そんなことはわかってるの、こっちの気持ちの整理の問題なの。
これもレズビアンの方に対する差別になるのかなあ。無学なので…わからん。
それで気になるのは、いわゆる女オタがどんな受け止め方をするのだろう?ということ。とりわけ、ガチ恋に至っている人はどう思うんだろう、と。
グループ・ユニット名は「仮面舞踏会」とか「笑わないからスマイル(ペコ)」とか「マスク・ド・アイドル」とか、命名センス無いから考えるのやめた
コスは基本はクール系・ゴシック系とか、そんなかんじ、笑わないからそういうのが似合うかなって、これもセンス無いのでスキップ
「笑わないアイドル」なので、とにかく人前で笑顔を見せないことが絶対、ユニット内の鉄の掟
10代前半の女の子を模した人形(という謎設定)がクールな無表情を貫き歌って踊る様はまさに偶像、畏敬すら覚えるその姿にファンは夢中になるのは必定
しかし、その人形の中身とて実際はどこにでもいる箸がローリングで爆笑な(おおよそ)10代の女子達ですから、絶対に笑わないという保証はない
というか絶対どっかで笑う、確実に笑う、俺ですら笑う
だからといって彼女たちが「笑ってはいけない」という鉄の掟を破ってアウトーでいちいち罰としてお尻を棒で叩くわけにもいかない
なので次のルールを追加
彼女たちに「仮面」を常時持たせ、その仮面を被っているときだけは笑っても良いとする
初期案は仮面ではなくて目の部分だけ開けた麻袋を考えて、ギャップ萌えにしようかと思ったが「流石にダサい」と思い泣く泣く変更
仮面を被ることで逆に、クールな無表情アイドルとしての「仮面を脱ぐ」という意味を持つ
仮面被ったら、爆笑良し、大声良し、下ネタもまあ良し、節度を持って
あくまで「笑わない」というのは「仮面を脱いだ」姿の場合でのみ、仮面をかぶればそこには普通の可愛いカッコした女の子、まさに一度で二度美味しい()
仮面を脱いでいるのに笑顔を許されない、つまり「仮面を被って」本性を隠しているという、本末転倒的な矛盾性もまた一興
バラエティ番組に呼ばれても大丈夫、芸人さんが笑かしに来ても対応できる
でも「仮面」はあくまでも緊急事態における救済であり、なるべく仮面を脱いだ状態をメインにしないと顔商売として流石にマズいわな
仮面の使用は節度を持って、過度な乱用を防ぐため、メンバーは基本笑わない子をメインに据える
普段笑わない子が笑いに耐えてるその姿がギャップ刺さるんじゃない?
できる限り笑うな、笑い顔を見せるな、メディアに見せるな、という強い掟の建前、週刊誌で「激写!未成年飲酒!笑わないアイドルが衝撃の笑顔!」と報じられることも期待しつつ…
上記の仮面をMCに被せればええやん、っておもったが、あくまで緊急事態、なるべくかぶせたくないなあ
ということでグループ内に「ある役職」を作ることで、それが解消されることが期待される
「道化」は他のメンバーとは一線を画し、いつ何時も笑って構わない、明るく振る舞う、という役職である
別にバカを振る舞う必要はないとおもう。スポークスマンや紙芝居師みたいな感じを考えてる
そうやって無口でダウナーで落ち着いてしまいそうなグループを掻き回す役目を担うことで、アイドルとしてのバランスを維持できるのではないか
「道化」はちゃんとアイドルの一員の女の子ではあるのだが、衣装が他のメンバーと異なる、ダンスの振付も他と違う、
(大所帯なら10人につき1人の割合で充てるが、同じ舞台には1人までとかの制約)
サッカーのキーパーやバレーのリベロ的な役割みたいなのをアイドルに、という考えなのだが
この役職、頭良くないとできない、目立ちすぎるとファンから反発食らう、メンバー内からも一目置かれ、「道化推し禁止」ルールできるかかもしれない
その分目立つ。流石にセンターはグループの顔になるので笑わない子のうちから選出したいが、そのグループの裏の顔となるだろう
というか他のアイドルグループも「メインの子」と「裏メインの子」っていうのがおおよそいるような気がする
それを公式にやるってのが、今回提案した新規性なのかもしれない
「笑わないアイドル」というメインストリームの歴史を紡いでいった際に、
「唯一笑うことの許されたアイドル」としての歴史にとても貴重な価値観と重要性が結びつき
語彙がなんかそろそろやばくなったので、妄想はここで終了した。
岡村隆史の発言もそうだけど、炎上した人らって謝って終わらせるか、とにかく開き直って無視し続けて逃げまくって終わらせようとするけど、全然良くないと思う。
ミスをやらかしたのであれば、何が良くなかったのかをしっかりと学んで、それを糧に啓蒙したり支援したりするのが本当の意味の反省でしょ。
女性の風俗落ちを喜ぶみたいな失言で失敗したのであれば、女性の貧困について学んで支援すべきだし、脱税でやらかしたのであれば、税の仕組みをわかりやすく伝える仕事をすれば良いと思う。
そういう意味では田代まさしは偉いと思うよ。何回も何回も薬物を繰り返して悲惨だと思うけど、覚醒剤の恐ろしさを体現する道化の役割を担ってでも覚醒剤撲滅運動をやってるわけだしね。
ニコニコ動画の時代で止まってそうな古臭いオタク要素、陽キャな業界人がよくわからず「オタクってこんなもんっしょw」で作ったことが丸わかり
吐き出させて下さい。
私は産まれて30余年、常に独りでした。
別に孤児でもなければ、天涯孤独でもありません。話し相手は少ないながらもどの年齢でもいたし、いじめを受けたわけではありません。
それでも私は、どうしようもなく孤独でした。どこで誰と何をしていても、自分が何物とも繋がっていないような感覚ばかりがありました。
理由は何とでもこじつけられる気がします。望まれて産まれたとは到底信じられない家庭環境。遺伝的、精神的欠陥。それらを覆せなかった自分の弱さ。
…思い出せる昔の記憶は、階下から響く両親の罵り合い、私が男でありながら腰を振る兄。視線ひとつくれず、仏頂面で鬱陶しそうな顔で過ごす母。家事をろくにしない母への憎しみを私にぶつける父。
記憶にある唯一の母の声は、休日の朝に朝食をせがんだときに聞いた、「風邪ひいたから」という子供でも分かるような嘘。塩ごはんや牛乳ごはんなどという手料理も、それが普通だと信じたかった。
両親は自分の問題だけで手一杯で、明らかに私を愛していなかったが、それでも奇妙なバランスの上で形を保っていた。だから消極的にも期待していた。いつか両親が真っ直ぐな愛情と関心を私に向けてくれることに。だから耐えるように、道化を演じてみたり問題を起こさないよう強く自分を抑え込む術を自然と身に付けていった。
同級生達とは、関わる度に違和感を感じていた。彼らから発せられる、家族からの温かい愛情やそれに基づく自信めいたものを感じるのが辛く、眩しく、何より悔しかった。私もそうありたいと願い同じように振る舞うのだが、自分を偽った罰なのか、常に自分の中にヘドロのような憎しみが募り、それがときに漏れだしては、私の人間関係を破綻させていった。
…ある日、母が消えた。言葉ひとつも、書き置きも無く、突然と。だが何の感情も湧かず、涙も流れなかった。幼心に予想と覚悟はしていたのだろう。そうして、孤独と共に生きるというテーマが課せられた気がした。…それからは、忍耐から麻痺が生きる手段だった。
家はまるで会社のように感じた。父という経営者の下、勉強という仕事の対価に衣食住という報酬を得るような環境。己を律しきれず感情を顕にすれば、待っているのはクビ、つまり死ぬこと。逃げ出す勇気も、自分で環境を変える強さも無かった。経を淡々と読み上げるような修験者のように、無痛のうちに日々が流れていった。
不幸にも中途半端に事務処理能力が高かったのか、大学に入学できた。大学は理系で、物理を専攻する学部だった。今にして思えば私はそれそのものには興味は無く、ただただ盲信できる唯一無二の真実を、家族や自己の内面ではなく、外側の世界に求めていたのかも知れない。
契機はすぐに訪れた。その頃の私は誰の、何の助けも無く生きることに歪んだプライドを懸けており、独りの力で講義をこなそうとしていた。しかし当然のように挫折した。当然のように孤立した。
ある朝、いつもと同じように無痛のまま大学へ向かおうとしたが、体が動かず、講義をサボった。その日からぷっつりと糸が切れたように、大学に行けなくなった。
そしてそのまま2年間引きこもった。無痛という手段も通じないと分かってしまった私には、生きるために何をすればいいのか分からなくなってしまった。しかし罪悪感以上に、解放感と、呪縛から逃れたような安心感があった。そして同時に、いよいよプライドも生きる理由も意欲も自負も、全て失った。
兆候はあったがその頃から急激に死に惹かれるようになった。自分が事故や病気でいきなり死ぬ妄想をしたり、楽に死ねるという情報から練炭と七輪を買い、日常的に自傷をし、着々と死に近付いていった。流れる血と生々しい傷に、不気味なほど安堵と溜飲が下がる思いを感じた。堆積した恨みの攻撃性の解消と、自罰感情と、ボロボロの精神の投影先を見出せる行為だった。それゆえ日々エスカレートし、あるとき刃が大きな血管を切った。噴水のように噴き出す血を眺めながら、まだ死ぬ準備が整っていなかったため、止血の処置をした。特に感慨は無かった。ああ…あのまま放っておけば死ねるんだ…と、妙に冷静になっていた。
そこから、少し何かが変わった。本当に死の一歩手前にまで陥っても、やっぱり私に救いの手は差し伸べられず、また自分の力で生き残ってしまった、と思うと、諦めを通り越した何かが芽生えた。自分は生きることも死ぬこともできない、苦しみ抜いて幽鬼のように漂うのだろう。歪んだ悟りのような暗い閃きを覚え、そこから自傷は少なくなっていった。そこからの記憶はほとんど無い。大学へ行かず引きこもっていることがばれ、地元へ戻った。また無痛から忍耐の日々へ逆戻りした。挫折を経験したが再起を図る息子を演じつつも、心の底では誰かが殺してくれることを願うばかりだった。
そしてまた不幸にも、さほど時間は掛からず定職に就いた。待っていたのは、学生時代より遥かに開いていた周囲との差。普通の人々が青春や友情や愛情を経験している間に自分がしたことといえば、暗闇の中でもがき蠢いていただけ。真の孤独は人と人の間にあるという言葉通り、人に近付く度に遠く感じた。
…しかしそんな生活もそれなりの期間が経てば慣れていった。相変わらず人間の振りをするような不自然な過ごし方であったが、歳を重ねた恩恵なのか、排斥に対するヒリヒリとした警戒心、切迫感は和らいでいった。多様性を容認する組織だったからかも知れない。孤独は続いていたが、別種の孤独を抱えた年上の人々との関わりが、私の乾いた傷口を薄く濡らした。
そんな積み重ねから、ようやく初めて「人間」というもの形の一端に触れられた気がした。同時に、自分の家系の歪さを思い知らされた。そして、ようやく家系が受け継いできた負の連鎖に気が付いた。
狡猾さと傲慢さ。口では愛を語り、家族を意のままに操作し、自分の理想を叶えるための道具としようとする悪辣さ。その邪悪な気質を、互いに感じ取っているからこそ罵り合い、また山彦のように帰ってゆき、自分をも傷付ける。そんな不毛なやり取りをしながらも、本当は誰よりも自分が得をしたい、愛されたいと思っているからこそ離れられない。その矛盾と混沌の中で、私の家系は奇妙な内臓のようにぐぎゅるぐぎゅると腐って混ざりあっていた。
私は先月、家族と絶縁した。帰省しない私に業を煮やし職場に押し掛けてきたとき、従わぬ者に実力行使をする傲慢さに、どうやらこの人達とは一生分かり合えないらしいと確信した。
いよいよ社会的にも孤独になったが、さしたる感慨も無かった。きっとこれもどこかで予想と覚悟を済ませていたのだろう。私の手元には、いつの間にか独りで生きるには充分な資金があったのも、このことを予見していたからのような気さえする。
今になって思う。私は無意識のうちに、生きるための最善を選択していた。代償や失ったものは多いが、今では孤独も不幸も憎しみも、その先にある役割、天命のようなものを果たすためだと感じるようになった。両親や神の寵愛を受けて産まれた者と、孤独に魅入れられように産まれる者もいる。そうしてその中間が中庸となり、人々の生き方の基準が出来上がる。そういう仕組みなのかも知れないと、ぼんやりと考える。
相変わらず生きる理由も意欲も無いが、自分が生き続けることには何らかの意味があるから、こうして結果的に死んでいないのだと思う。人生のどの段階でも、死のイメージといつか自分は人を殺すだろうという直感があった。人生のどの段階でも、自分を解放して周囲を巻き込んで破滅することはできた。だがその度にそれを踏み留ませてきた何かを知ることが、目下の関心だ。天寿を全うする気はさらさら無いが、何らかの答えを得るまでは生きてみようと思う。それをもし得られたとき、孤独の意味と真の栄光を手に入れられると信じて。
…長くなりました。ここまで見ていただいてありがとうございます。