体育会系というと今や前時代的人間の屑みたいな扱いであり、時間はかかるだろうがこれからゆっくりと消えていく風習だろう。
ただ、生粋のコミュ障である自分にとって、要求事項、こうしてほしいこうあるべきという指針が明確な体育会系集団は頭を空っぽにしても生きていける貴重な場であったことを白状する。
ひたすらガッツを見せて先輩を立てて、言うことは何でも聞く、規律は絶対、これで大抵のことを乗り切れる体育会系のノリが実は嫌いではなく、ありがたかった。むしろ馴染んでいたとさえいえる。
高校を卒業しそこそこ知られた大学に入った。するとそういう集団を見つけることができなくなった。体育会系みたいな関係が嫌いな人が多いように見えた。
新しい集団に入って自分がまず無意識に考えることは、「誰がこの中で一番強いのか」である(複数の派閥があると面倒だが)。権力者に命じられれば道化だって何だってやる。そうすれば大体生きていける。
しかしそんなものはなかった。後輩も先輩も過度に忖度せず自分の意見を言う。もはや別世界で、これまで他人に合わせることしかせず自分の意見を持たなかった自分は微妙に浮いている(優しい人たちなのでハブられはしないが)。
ともあれ意見をはっきり表明する人の存在はありがたかった。それに合わせればいい。そういう態度をとっていると「いやお前はどうなん?」…?
何を間違えただろうか。
自分の要求や意志がわかりやすく、それを支持すると機嫌が良くなる人はつきあいやすかった。しかしこの大学にいる人は、自分の意志ははっきりしているものの他人から賛同されてもあまり上機嫌にならない。何なら反論されたい、合わせてほしくないとすら思っているようにさえ見える。
しかし本当に、自分が意見を言って良いのだろうか?誰かの機嫌を損ねるのではないか?経験と現実がせめぎ合う。
研究室に配属された。自分の意見を言わず指導教員の意見に合わせていたら、「あなた何も考えてないよね?議論にならないよ」と言われる。
うーんこの
国内でかなり良いとこの大学行ったけど、どんなとこでもサル山っぽいの出来てくるしよっぽど人間と環境に恵まれたようで羨ましいです。 サル山っぽい会社とかチームは世の中に無数...