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はてなキーワード: 詩人とは

2021-05-28

カタカナファンタジーが苦手である

 昔から個人的に、日本語カタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説映画漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくま個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝りますすみません

 日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。

 海外SF周辺の作家作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きであるものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編魔法を売る店』も好きであるSF作家視点から魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバートシェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である

 日本を含めて世界的に『ハリー・ポッターシリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズ劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画ジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズシリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。

 「剣と魔法系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビビデオで観た『アルゴ探検隊冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである

 『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才モテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長あんな依怙贔屓をするような人間からスリリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえギリシア神話英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。

 LoTRが苦手なのは正義の側のキャラクター白人ベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種イメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。

 こんな感じでカタカナファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルクである

 外形的には、人知を超越する異形の存在怪物魔法などが存在する世界舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語ファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」であるハリー・ポッターLoTRファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。

 ゴットハンド名前(スラン、ユービックヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将名前(ボスコーン)からは、作者の原体験SF作品が有ったことは想像に難くない。だからベルセルク物語世界では「魔法のような人知を超えた事象存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家SF視点から魔法存在する世界舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。

 少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンコントスーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから不思議世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである

 話を戻すと、『ベルセルク』の物語魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公ガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンド召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルク物語における魔法人知を超えた異形の怪物ほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドー養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである

 それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンド召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラドリーム状態を実現した、ハンサム野比のび太である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である

 こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロファルネーゼセルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士魔女による魔法サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。

 長い長い時を経てキャスカ正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太物語を、作者は描いてくれる。長期間休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。

 私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身ペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。

 このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。

 人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズ引用するぐらいしか出来ない。

 「風が、旅の終わりを告げていた」と。

2021-05-23

せっかく虎になったのに藪に隠れてんなよ

李徴、精神性が雑魚すぎる

俺は虎になったら、可能な限り暴れ回るぞ

ヒトの賢さをもった虎として、殺せるだけ殺すぞ

頑張れば10人くらいはいけるやろ

しかもその10人っていうのは現代の話だ

科挙とかやってた雑魚時代だったら絶対もっともっといける

槍とかしかないんだし、恐るるに足らずですわ

街道を通る人間をチマチマ襲うっていうのはあまりにヘボすぎる ケ・マリコナーダ

一流人間が集ってそうなところにいって、バンバン食い殺して、暴力詩才ねじ伏せろよな

虎にならそれができるんだ

しかもあの虎、たしかかなりデカかったはずだ

人間の知能をもったデカい虎×銃すらない中国 そんなん虎の勝ちやろ

喋れるしな

喋りながら人をぶち殺しまくってたら、絶対そのうち崇められるようになるはずだ

詩人よりも虎の神のほうがすげえじゃん普通に考えて

虎の神になれよなあ

2021-05-20

教皇イノセント」、皇帝フレデリック」、老水「天」行

 『ユダヤ人歴史』(河出文庫)という本がある。文庫サイズで千円ちょっと古代から現代に至るユダヤ人歴史概要を、中東欧州西欧東欧北米地域に分けて学べる、比較コストパフォーマンスが高い本である

 元々、原著ユダヤ教思想的な部分(これらの神学論争神秘主義思想は、初心者である一般人には分かりにくく混乱する元でしかない)をほとんど省略して書かれていることから一般人にとっては取っ付き易く、ユダヤ人歴史を学ぶための入門書としてお勧めしたい……ところなのであるが、一つ我慢ならない欠点がある。

 この本の中では「イノセント」や「フレデリック」という人名普通に出てくるが、なんとこれらは「教皇インノケンティウス」や「皇帝フリードリヒ」のことを指すのである高校生時代世界史赤点スレスレだった私でも気づくような、凡ミスである。何故、こんな事になったのか。

 原著者は、レイモンド P. シェインドリンというアメリカ人から、当然、原著人名英語で書かれている。おそらく、下訳の段階で翻訳者は、それらの人名を取り敢えず英語読みからカタカナ表記にして日本語翻訳原稿を書き、その後、日本国内歴史書籍一般的通用している表記に直す作業を怠ったのだろうと思われる。「怠った」と判断する理由は、英語読みで人名統一されているわけでもないかである

 翻訳者もひどいと思うが、編集者は何も思わなかったのだろうか?最初日本語翻訳版が出てからそこそこ年月も経過し、河出文庫から再刊されてからも年月が経過して何度か増刷もされているのに、ずっと「イノセント」と「フレデリック」のままである翻訳文学作品も多数出している、河出文庫にあるまじき凡ミスだ。

 翻訳文学を多数出しているといえば、つい最近、手元に有る創元推理文庫版『フランケンシュタイン』を読み返したら、最初ウォルトンが書いた手紙パート言及される、英国詩人コウルリッジの有名な詩「老水夫行」に関する注釈が「老水『天』行」と誤植されているのにも気づいた。

 こんな感じで、素人一般人でも気づくような凡ミスが、訂正されることもなく、増刷された書籍として世の中に出回り続けている例は意外と多いのだろう。

2021-05-15

同じ夢をずっと30年間見続けるという悪夢

高校男子校入学して以来、女性と付き合うきっかけを完全に失ってしまった。

中学時代学校で塾でそこそこの接点はあったと思う。

接点があっても積極的はいかなかった。

それは前述したように、学校での同級生が同性で遊ぶ方が楽しいという雰囲気に包まれていたため、あえて積極的女子と仲良くなろうという気にさせなかったのだ。

ただ、女子と仲良くならなくともそのときは気にならなかった。

あれから30年たつが、いまだに中学時代の夢を見る。

自分友達中学時代のままの状態で夢に出てくる。

その夢は毎日である

高校時代はそういう夢を見るのがとても楽しみだった。

なぜなら現実世界では絶対にかかわることのできない女子が夢の中に出てくるのだ。

寝るのが楽しみで、起きている間はとても苦痛だった。

その時はとても楽しい夢だった。

だが、30年間続くとさすがにうんざりする。

夢によく出てくる同じクラスだった田口さんや豊島さんは、自分と同じ44歳である

夢の中では自分と恥ずかしそうに喋っているが、そんな恥じらいはもうないだろう。

44歳といえば、夢の中にでてきた彼女らの母親の年齢である

もう田口でも豊島でもなく、別の苗字を名乗って、それぞれの人生を着実に歩んでいるだろう。

自分だけ14歳ときで止まっている。

14歳人生ピークだったとつくづく感じる。

その時は全く楽しいもつまらないとも思っていなかったその時期が人生ピークだったのだ。

毎日楽しいというわけでもなかったが、後から振り返れば、それが楽しい毎日だったのだ。

青春というのは残酷で過ごしている間は青春と感じさせず、あとから気づくものらしい。

でも、自分人生ピークがあのときで終わりなんてとても悲しい。

あの程度が自分人生ピークだったのだ。

普通中学生なら当然に過ごせた1年間が自分にとってのピークだったのだ。

ちなみに高校時代以降の夢は一切見ない。

見る夢はすべて中学3年生の時の夢である

昨晩も体育館で馬跳びをしている女子筋トレながら見とれる夢だった。

馬跳びをしている女子鉢巻きにブルマだった。

自分中学生の時は体育の時はブルマだったが、今はもう違う。

時代錯誤も甚だしい。

そしてさっき昼寝をしたときに見た夢は、中学校の裏で同じクラス女子と胸をドキドキさせながら喋っていた夢だった。

教室掃除のあと、同じクラス女子と一緒に学校の裏のゴミ捨て場ゴミを捨てに行くのである

ゴミを捨てに行く間、なぜか自分積極的に話しかける。

現実ではこんなことは一度もなかったが、夢の中の自分は、半ばこれが夢であることがわかっていたのだろう。

から醒める前にせめて積極的に話しかけて幸せ気持ちを味わいたいのである

しかけた相手は、少し恥ずかしそうだけど、楽しそうに話を聞いてくれた。

夢の中は幸せである

ただ、起きて現実を知ると、その夢は幸せな夢ではなく、むしろ悪夢である

悪夢を見た人が現実に戻って、「ああ、夢でよかった」と感じるらしいが、自分は違う。

「ああ、夢が現実ならよかった」と思うのである

ネット山月記の李徴がよく話題に出る。

李徴は役人という身分まで手に入れたのに、詩人としての名声を手に入れるため、官職を手放し、放浪し、遁世し、人食い虎に変身してしまう。

李徴の気持ちがわからなくもないが、それでも彼は役人になる過程で、嫁や子どもも手に入れ、最後に名声を貪欲に手に入れようとしたため、失敗した。

自分は、嫁や子どももおらず、ましてや彼女や気軽に話せる友人もいない。

虎になる前からなのだ

2021-03-24

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男女の過激な主張を同じ土俵では議論できない。

そもそも男性強者女性弱者という現実があるからこそ元の作者である女性活動家も抑圧され、男性への抵抗として過激作品を発表せざるをえないところまで追い込まれた。

senbuuさんもこのように言っている。

差別マイノリティが標的の場合しか成り立たないよ。男女だと女性マイノリティ。だから男性お断り」でも男性差別にはならない。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4666961341665668706/comment/senbuu

男性研究者女性を標的にした場合差別になるが、女性活動家女性研究者男性を標的にした場合差別になりえない。

これは、仮に女性男性差別を行おうと意図して発言した場合ですらも、自動的差別認定要件から外れるということだ。

また、女性活動家作品は同じ女性でなければ翻訳できない。

このような例もある。

黒人詩人作品でまた騒動、「属性理由白人翻訳者の契約解除

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3336122

オビオルスさんによると、米国から「ふさわしくない」と連絡があった。翻訳者としての能力問題視されたわけではなく、23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。

マイノリティ作品は同じ属性マイノリティしか微妙意図が伝わらないからだ。

話題のSCUM Manifestoという作品も、日本語で広めるには同じ属性の誰かが翻訳担当するしかなかった。

納得していただけたでしょうか。

2021-03-19

会いましょう

他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未いまだ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇ぺん、固もとより、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早もはや判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚なお記誦きしょうせるものが数十ある。これを我が為ために伝録して戴いただきたいのだ。何も、これに仍よって一人前の詩人面づらをしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯しょうがいそれに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

 袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随したがって書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりであるしかし、袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は感嘆しながらも漠然ばくぜんと次のように感じていた。成程なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがあるのではないか、と。

 旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲あざけるか如ごとくに言った。

 羞はずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己おれは、己の詩集長安ちょうあん風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟がんくつの中に横たわって見る夢にだよ。嗤わらってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は昔の青年李徴の自嘲癖じちょうへきを思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐おもいを即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。

 袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

   偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃

   今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高

   我為異物蓬茅下 君已乗※(「車+召」、第3水準1-92-44)気勢豪

   此夕渓山対明月 不成長嘯但成※(「口+皐」の「白」に代えて「自」、第4水準2-4-33)

 時に、残月、光冷ひややかに白露は地に滋しげく、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖はっこうを嘆じた。李徴の声は再び続ける。

 何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依よれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己おれは努めて人との交まじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それが殆ほとんど羞恥心しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大羞恥心との所為いである。己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった。己おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもんと慙恚ざんいとによって益々ますます己おのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己おれの場合、この尊大羞恥心猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有もっていた僅わずかばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄ろうしながら、事実は、才能の不足を暴露ばくろするかも知れないとの卑怯ひきょうな危惧きぐと、刻苦を厭いとう怠惰とが己の凡すべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸ようやくそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼やかれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎ひごとに虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪たまらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖いわに上り、空谷くうこくに向って吼ほえる。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処あそこで月に向って咆ほえた。誰かにこの苦しみが分って貰もらえないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯ただ、懼おそれ、ひれ伏すばかり。山も樹きも月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮たけっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易やすい内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡ぬれたのは、夜露のためばかりではない。

 漸く四辺あたりの暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処どこからか、暁角ぎょうかくが哀しげに響き始めた。

2021-03-14

anond:20210314224455

最近は逆に白人差別されるようになってきてるんじゃないかと思う

白人詩人が、黒人の詩の翻訳を降ろされたりだとか

白人減ってるしそのうち、力関係もひっくり返るんじゃないか

2021-03-11

翻訳分野でもアメリカの本気度合いがうかがえる

黒人詩人作品でまた騒動、「属性理由白人翻訳者契約解除

https://www.afpbb.com/articles/-/3336122

 【3月11日 AFP米国ジョー・バイデンJoe Biden)大統領就任式で詩を朗読したアマンダ・ゴーマン(Amanda Gorman)さん(23)の作品めぐりカタルーニャ語版の翻訳者10日、性別、年齢、人種などの「属性」が合致していないとして契約を解除されたと明らかにした。

 この翻訳者は、スペイン北東部カタルーニャ(Catalonia)自治州州都バルセロナ(Barcelona)出身ビクトル・オビオルス(Victor Obiols)さん。英劇作家ウィリアムシェークスピアWilliam Shakespeare)や英作家オスカー・ワイルドOscar Wilde)らの作品翻訳実績がある。

 オビオルスさんによると、米国から「ふさわしくない」と連絡があった。翻訳者としての能力問題視されたわけではなく、23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。

 オビオルスさんは、「非常に複雑な問題なので、軽々しく扱うことはできない」と前置きした上で、「21世紀若い黒人女性でないという理由で詩の翻訳ができないなら、紀元前8世紀ギリシャ人でないかホメロス(Homer)だって訳せない。16世紀英国人でないかシェークスピアも訳せなかったはずだ」と述べた。

 ゴーマンさんの作品をめぐっては、オランダ人作家マリエケ・ルーカス・ライネベルト(Marieke Lucas Rijneveld)さんも、白人ではなく黒人翻訳すべきとの批判を受けて、翻訳を辞退していた。(c)AFP

オビオルスさんはカタルーニャ出身ということでアメリカ差別問題に詳しくないのかもしれないけど、もはやカタルーニャ語を使える翻訳者なら誰でもいいという時代ではないんだよね。

それほどまでにアメリカは本気で差別撤廃しようと取り組んでいる。

オビオルスさんにもグローバルな視点を持って欲しいよね。

23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。

この指針に従うため、7000以上の言語対応できる若い活動家黒人女性専門家アメリカ養成されることになる。

若者の、活動家の、黒人の、女性社会進出さらに推進される。

ゾンカ語もタジク語も、ロマンシュ語もイ語もガガウズ語もカタウィシ語も、若い黒人女性活動家責任と誇りをもってゴーマンさんの作品翻訳する。

2021-03-02

女性詩人セックスについて詩で書き過ぎ問題男性詩人セックスについて書かな過ぎ問題という面白い対比がある

女性詩人はすぐにベットの中の話をしやがる

精液を作品に出すのも女性が多い

なんならお前事後に書いたろみたいな作品も多い

反面男性詩人セックスについてほとんど作品にしない

男性にとってセックスはなんでもない日常に過ぎなくて

女性にとってセックスは何か象徴的な意味を持っている

的に思うがどうだろう

2021-02-13

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第3,4場

anond:20210213164926

ネタバレ

第3場実況

A アン・デア・ウィーン劇場 楽屋

あー、《英雄》初演(1805)だったか

いつからいた?!やはり人外存在なのね。

グイチャルディきましたか1802年ピアノソナタ14番月光》を献呈された女性ベートーヴェン死後遺言書に書かれた有価証券と共に見つかったミニチュアの細密画に描かれていた人物。1803年に結婚してベートーヴェンとの関係は切れたと思うけど、ここも少しずらしたか

運命》の動機

ふむ話の流れからしてやはり初演だったっぽいけど、初演時点ではもうナポレオンへの献呈はやめてたはず。これは、ベートーヴェンナポレオン終始尊敬説を取ってるのか、時間軸を変えてるのか。

そしてウィーン王侯貴族との会話の中でナポレオンを礼讃するアグレッシブ自由主義者ベートーヴェン(第3番はナポレオンへの献呈をやめるまえの題名は『ボナパルト』だったけどこれは『英雄』になってる。ボナパルト英雄だよ、という表現か)。

B ナポレオン戦争

ナポレオンて、いい人?ナポレオン掘り下げの予習はやや足りなかったか

C アン・デア・ウィーン劇場

ベートーヴェンサリエリモーツァルトみたいに、王侯貴族使用人として曲を書くことはしない」

かつらをかぶらない"芸術家"爆誕宮廷教会に雇われずに自立して生きた最初作曲家ベートーヴェン

難聴クララ・シューマン映画『愛の調べ』(『翼ある人びと』きっかけで鑑賞)でのシューマン病気表現もこんな感じだった。実際にベートーヴェン難聴が始まったのは1796年ごろ、かな。

ベートーヴェンゲーテのウェルテルに、俺が曲をつけた」

ほうほうほうそうきたか

第3場まとめ

第4場実況

A アン・デア・ウィーン劇場

きましたな。

ゲーテ 「不幸な人間たちが、重荷を背負って喘ぎ喘ぎ世間を渡っていき、それでも例外なく、この世の太陽の光を1分でも長く見たいと願っている」

ああ!月光がウェルテルにつけた音楽になっとる。ピアノソナタ8番《悲愴》は出てこないんか、望海氏2楽章練習してたし弾くと思ってたんだけども。

きた、なんか美しい、構図、なんたってBGMが美しいのもある。

ゲーテ 「ということを見て取ることのできる人間けが、いつも胸の中に甘美な自由感情を持ち続けている」

うつく、し、おんがく。幻想的シーン。でもこれむつかしそうだ。ごめんウェルテルたち全然見てなかった。

ゲーテ自分の望む時に、現世という苦しみの牢獄を去ることができる、という自由を」

シュトゥルム・ウント・ドラング疾風怒濤)。感情自由人間性の解放ロマン主義の先触れ。小説出版は1774年ベートーヴェン4歳)。フランス革命より前。

謎の女=死

B アン・デア・ウィーン劇場 ロビー

第2楽章もきたー、はぁ、好き。美しすぎる。

  • ロールヘン登場

レオノーレソナタの子きた。ベートーヴェン初恋のひと。

ロールヘン「美しい曲、月の光みたい」

月光ソナタ呼称ベートーヴェンの死後、ドイツ評論家詩人コメントに由来。

ベートーヴェンジュリエッタに、捧げるつもりだったんだ」

実際は先に触れたとおりちゃんと献呈している。

映画『不滅の恋/ベートーヴェン』には、難聴のベートーヴェンがピアノに耳をつけて《月光》を弾く非常に美しいシーンがある。グイチャルディとその父親がその姿を覗き見て、その後グイチャルディはベートーヴェンに近づき肩に手を置く。気が付いたベートーヴェンは怒り狂って飛び出す。ベートーヴェンの耳が聞こえていないことがわかったグイチャルディは、翌日ガレベルク家に嫁ぐ(実際は本作で描かれた通り身分違いのためとされている)。

手塚治虫ルードウィヒ・B』は、グイチャルディに捧げるために月光ソナタ作曲しているところで、手塚氏が絶筆(実際は曲は先にあり、献呈は後付けだったとのこと)。

ふむ。ハイゲンシュタットの遺書(1802)くるか。でももう《英雄》の初演終わってるけど。

ハイゲンシュタットの遺書難聴とグイチャルディとの恋愛破綻に苦しんでる時期に書かれたらしいけど、青木やよひ氏の著書では、失恋しても特にそんなに凹んでなかったとも書かれていた。

グイチャルデイ母「娘には平民など相手にしない分別がございますわ」

王侯貴族使用人にはならない、と言いつつ貴族の娘ばかり好きになるベートーヴェンね。出会いがないのか、ジュリアン・ソレル的な感じなのか、障害があると燃えるタイプなのか、潜在的結婚すると創作の妨げになると思っていたのか。

耳が聞こえないって、この静寂か、恐ろしい、と思ったのはここだったかなあ。

【回想】

青年ベートーヴェン「ロールヘン、一緒に(ウィーンに)来てくれないか

昔のロールヘン「私、ゲルハルトと婚約したのよ」

ベートーヴェンウィーンへ出るのは1792年。ヴェーゲラーとロールヘンが結婚するのは1802年、ロールヘン30歳のころ。この時代にしては晩婚のロールヘン、実はベートーヴェンが帰ってくるのを待っていたのではないか青木やよひ氏は推測しているらしい。

謎の女(歌)「あなた自由、ウェルテルのように。望むときに、現世という苦しみの牢獄を飛び立てる」

ああー、ウェルテルがピックアップされてたのは、、自殺キーワードだったか…。

ウェルテルと同じ。

第4場まとめ

2021-02-12

必読書コピペマジレスのやつのパクリ海外文学

パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317

だって楽しそうだったから...(自分文学的教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)

ネタバレありだけど、ちゃん確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。

ホメロスオデュッセイア

オデュッセウストロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通おっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチ理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?

旧約聖書創世記

途中で読むのをやめた記憶がある。

ソポクレスオイディプス王

エディプスコンプレックス父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対シェイクスピア悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね

唐詩選』

タイトルすら知らないやつ、その1

ハイヤーム『ルバイヤート

いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。

ダンテ神曲

地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代詩人だか哲学者かに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャララブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。

シェイクスピアハムレット

シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットシェイクスピア戯曲の中でも登場人物精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。

セルバンテスドン・キホーテ

パルケエスパーニャにいた。

スウィフトガリヴァー旅行記

巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセス存在しないので無限無為を繰り返してた。

スターントリストラム・シャンディ』

タイトルすら知らないやつ、その2。

サド悪徳の栄え

「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。

ゲーテファウスト

最強天才ファウスト博士悪魔契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士普通精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。

スタンダールパルムの僧院

面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人若者恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。

ゴーゴリ外套

うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気ナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。

ポー盗まれた手紙

タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。

エミリー・ブロンテ嵐が丘

主人公女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン主人公)やヒースクリフ主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリック意味不明言動キャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。

メルヴィル白鯨

クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船物語体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーン映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。

フローベールボヴァリー夫人

間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...

キャロル不思議の国のアリス

ディズニー映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニー子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。

ドストエフスキー悪霊

ドストエフスキーノイローゼ死語患者独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。

チェーホフ桜の園

由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄り使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分チェーホフ戯曲より小説のほうが好き。

チェスタトンブラウン神父童心

タイトルすら知らないやつ、その3。作者名も知らない。

プルースト失われた時を求めて

5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。

カフカ審判

読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカ基本的キャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話自分には楽しめないのだな、と思った。

魯迅『阿Q正伝』

読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。

ジョイスユリシーズ

読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。

トーマス・マン魔の山

結核患者の療養施設であるところのサナトリウム生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物精神性についてバリエーション豊かで不思議リアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。

ザミャーミン『われら』

タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。

ムージル特性のない男』

タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。

セリーヌ『夜の果ての旅』

このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手自分定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分感情もっとわかりやす説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。

フォークナーアブサロム、アブサロム!

このお話はすごい好き。南北戦争前の南部黒人バリバリ奴隷として使われてる時代地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさん人生全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ短編から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレから後に回すのがおすすめ

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4

サルトル嘔吐

そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。

ジュネ『泥棒日記

読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。

ベケットゴドーを待ちながら

なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。

ロブ=グリエ嫉妬

タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5

デュラス『モデラートカンタービレ

読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹小説登場人物の行動を感情的にしたような感じ。

レム『ソラリスの陽のもとに』

タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学研究者なのにSF全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラテンアメリカ文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議リアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人感性日本人ヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリー意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないか個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。

残り全部

詩はたしなまいから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。

終わり

ちなみに、「哲学思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。

2021-02-10

友達クラシック音楽を教えた時を思い出して書いてみる

https://anond.hatelabo.jp/20210210062305

なんかクラシック音楽話題に上ってるので、ちょい前に居酒屋で飲みながら、クラシックピアノやってみたいって友達(元軽音楽部のギター)にクラシック音楽作曲家について適当に教えた時を思い出して書いてみる。主にピアノに絡んでる人しかおらん。その他ジャンル知識に乏しいし必要ないのであんま触れなかった。しか雑談の極みなのですべてにおいて雑、いろんな音楽家に失礼だけど天国で俺の事なんか見てないだろうしへーきへーき

 

バロック以前・・これは好事家しか知らんから今は覚えんでええわ

 

バロック

なんかRPG教会宮殿流れるBGMか、メタル前奏で仰々しく鳴ってるオルガン想像してくれ。そんな感じの曲調。

 

バッハ

 めっちゃ有名。結構お堅い宗教曲なんかが多い。メロディが何層にもなってて弾くのは脳が大変。奇人変人が多いクラシック作曲界で貴重な真面目枠や。立派な社会人。息子がみんな音楽家

オススメ曲:主よ、人の望みよ喜びよ》

 

ヘンデル

 そこそこ有名。バッハより親しみやすくてちょっと陽キャ寄りな作風イメージ。実際当時の人気投票ではヘンデルのが人気あったらしいで。世の中そんなもんやね。

オススメ曲:調子の良い鍛冶屋

 

古典

優雅クラシック」って聞いて大体想像するのがこのへんちゃうかな。そういう曲ばっかでもないけど、まぁある意味クラシック音楽っぽさ」の完成系がここ。

 

ハイドン

 めっちゃ有名なはずなんだけど俺ぜんぜん知らん。何をオススメしたらいいのかもわからん。「クラシック音楽はこういう構造ですよ」ってのを考えて確立した人らしい。

 Aメロ→Bメロ→サビみたいな概念を考案したと思うと確かにすごい気がするな!

オススメ曲:ソナタ集のなにか(適当)》

 

モーツァルト

 これはさすがに有名。メロディ可愛い作曲家というイメージ。あとすごい譜面が読みやすい。音が脳にスイスイ入ってきて、次に来てほしいトコに音が来てくれるみたいな感覚がある。

 ストレス効果があるとかは眉唾だけど、フラストレーションや負荷がかかるような音楽じゃないのは確か。色々破天荒な人だけど、子供が凄い技術獲得したまんま大人になったんだろうなあって感じ。

オススメ曲:キラキラ星変奏曲》

 

 ちなみに当時のきらきら星って今と歌詞が違って娘が自分初恋母親に伝えるみたいな歌詞らしいで

 

ベートーベン

 それまでの優雅~な感じのクラシック像を破壊しにいった人。思想メタルとかハードロックなんよ。静と動、強弱を思いっきりつけてドラマティックな展開を作りまくる。当時の人は驚いたやろなあ。

 この人現代ロックやったら絶対5弦ベースとか入れてくるわ。ギターも歪みかけまくりそう。あと性格作風の通りだったらしいで。

オススメ曲:ピアノソナタ8番 悲愴

 

ロマン派

ロマン派音楽ってなんやねんってよく言うけど、ちょうどそのころヨーロッパでは革命とか起こりまくって一般人貴族とかやっつけてたわけ。そうなると「そんなお高くとまった音楽聴いてられっか」みたいな感じになってドラマティックで人間的な曲が好まれるようになるやん。つまりロマン派って現代におけるロックポップスみたいなもんやねんな。だからそのノリと近い触れ方で良いと思うよこの時代

 

シューベルト

 歌で有名。「魔王」とか「ます」とかやね。実際メロディメーカー代表曲歌曲なんだけど、本人はオケとかピアノ曲をもっとやりたかったらしい。ベートーベンに憧れてたんだって。ただベートーベンほど派手な曲展開をしないのは性格からかもね。メロディが奇麗でちょっとおしとやか。弱気そうな肖像画貧困で若くして死んだ印象が強いけど死因は手出した女から貰った梅毒らしいからアイツもやる事やっとるで(無粋)

オススメ曲:即興曲作品90 第2曲、第3曲》

 

ショパン

 かの有名なピアノ詩人ノクターンとか別れの曲とか。激しい曲もたくさん書くけど、どんな曲でもとにかくメロディにフックがあってまるで歌謡曲を歌ってるみたいなんよ。ピアノなのにね。

 大体の作曲家オーケストラ曲書いて、バイオリンの曲書いて、歌も書いて・・・って色々なジャンル書くもんなんだけど、ショパンさんマジでピアノしか書かん。これって割と珍しいんよ。ただ、弾く方の視点から言うと、すごく楽譜が指の理にかなってるんよね。だから初心者でもワルツプレリュードのいくつかの曲は全然ちゃんと形になるで。これホント

オススメ曲:なんでもいいけど、いろいろな曲調あるからエチュード作品10

 

リスト

 超絶技巧イケメンピアニストべらぼうにピアノが上手くてコンサートを各地で開いて絶大な人気を誇り、そしてめちゃくちゃモテた。楽屋女性ファン乱入して私物がよく盗まれたらしいで。怖。ジャニ系かV系の狂ファンやん(偏見)。曲は華やかで派手な曲か、甘くてロマンティックな曲かで二極化してて、ライブ映えする。そして演奏が難しいね

 あとこういう奴に限って性格イケメン陽キャで、チャリティーコンサート主催とかしてた。世の中そういうもんよね。

オススメ曲:ラ・カンパネラ》

 

シューマン

 有名な人のはずなんだけど、なんか地味な人。上の世代だとウルトラセブン最終回BGMがこの人の曲だったからそれで有名だけど、他の世代だと『トロイメライ』とかかなあ。

この人のピアノ曲は小説短編集みたいに各曲に小さいタイトルがあったり、数曲またいでストーリー性のある流れを作ったり、コンセプトアルバムぽいんよね。そういう作りが好きなら気に入るかも。

躁鬱のケがあって曲のテンション上下動が激しいのも特徴。

オススメ曲:子供の情景》

 

ブラームス

 『この人、悪い人ではないんだけど、ちょっと近寄りづらいな』的なイメージの人。とにかく重厚で厳ついんよ。こう内にこもるエネルギーが凄い。綿密に曲作りこんでるなって。軽い気持ちで流し聴くような感じじゃないんよ。ものすごい準備して作った曲だろうからこっちも心して聴かねば・・ってなりそう。モーツァルト真逆

 てかこの人見た目もそんな感じなんよ。性格も当たり前のように陰の者。その中で接しやすい曲でピアノと言ったらワルツ集とかになるんちゃうかな。でもちょっとだけハードル超えて接してみるといい人なのよ。曲もそんな感じ。

オススメ曲:間奏曲作品118-2》

 

印象派

印象派ってもともとは美術用語らしい。まあクラシックっぽいお堅い和音から逸脱し始めた人をまとめてこう呼んでるんちゃうか?たぶんここらへんのカテゴライズ適当だと思う。ぶっちゃけロマン派終盤のフランス人作曲家をこう呼ぶ。

 

ドビュッシー

 作曲家下ネタ使用頻度をマーラーと常に争っている人。ちょいちょいオーギュメントをわざとつかって宙に浮かぶような感触を聴き手に与える。この辺が輪郭がボヤっとしてる美術界の印象派と被ったのかもね。複雑な曲展開やストーリー性よりも、「ある一瞬の風景をとらえました」みたいなテーマの曲が多い。クラシックぽさあんま無いなと思う。

 本人の性格下ネタ使用頻度高い名前に同情心が全くわかなくなるほどアレ。自分不倫旅行ネタに曲を書く畜生

オススメ曲:ベルマスク組曲より月の光》

 

ラヴェル

 ドビュッシーと同じようにちょいちょいそれまでのクラシックでは使わんかったコードを使うけど、ドビュッシーよりも上品だと思う。というかクラシックっぽさをきちんと残しているというか。きちんとクラシックの道の先に居る感じはする。輪郭線がぼやけているという感じもなくて、ところどころにジャズみたいなオシャレ和音も入る。

 ビル・エヴァンスとか好きな人結構好きかもしれん。オシャレ感すごいけどやっぱり本人もオシャレだったらしいで。ちなみに楽譜簡単そうに見えても死ぬほど弾きにくいから気を付けろ。

オススメ曲:ソナチネ 第2楽章

 

サティ

 この人は「音楽大学なんかやってられねえ」って退学してカフェピアノ弾きとして働きながら音楽活動してた異端な人や。その経験からヒーリングミュージックBGMというコンセプトの音楽の始祖みたいな感じや。聴き流す音楽極致やね。たまに意味の分からないタイトルの曲を作る事でも有名だけど、まぁ最初聴く分にはそういうの抜きに分かりやすい曲を聴くのがいいんちゃうかな。性格変人のものや。変な人じゃないとこんなことやらんかったんやろなあ。

 坂本龍一映画CMの曲が好きならサティのたまに作る真面目な曲がハマるかもしれん。弾くのは初心者でも挑戦可能やで。

オススメ曲:ジムノペディ第1番、もしくはジュ・トゥ・ヴ》

 

国民楽派

クラシック音楽もいきつくとこまで洗練されると、逆に民族音楽とかから素材を取ってくるみたいな音楽家が増えて、まぁ大体そこら辺をこう呼ぶようになったけど、たぶんここら辺のカテゴライズ適当だと思うし、もめごとの発端になるで。メタルジャンル分けみたいになってしまう。

 

ドヴォルザーク

 チェコ作曲家やね。基本オーケストラの人だけどピアノなら一番有名なのはユーモレスクちゃうかな。とにかくクサメロをいかんなく繰り出してくる人。ちなみにえげつないほど鉄ヲタだったらしい。

オススメ曲:ユーモレスク第7番》

 

アルベニス

 スペイン作曲家やね。この人はかなりの割合ピアノ曲が多くて、本人も上手いピアニストだったみたい。スペインと聴いて思い浮かぶ熱情的なノリ、裏でカスタネット鳴ってそうなリズムがどの曲にもある。一部はギターソロ編曲されてたり。確かにスペインならそっちのが風情ある。スパニッシュギターっぽくね。

オススメ曲:タンゴ ニ長調

 

ムソルグスキー

 ロシア作曲家やね。豪傑っぽい見た目からイメージ通りの曲調が繰り出されるぞ。まぁピアノやってると話題に上がるのは主に展覧会の絵なんだけども。軍人上がりのアル中で、酒の飲みすぎが原因で入院した際に友人に差し入れされたウォッカを飲んで死亡したらしい。ロシア人どないなってんねん。

オススメ曲:展覧会の絵 より キエフ大門

  

まぁ他にもいるけどキリないからこれでいいや。

 

近代

まぁこれもなんか第二次世界大戦前後くらいに活躍してた人を適当にまとめた感ある。正解がないと思う。

 

ラフマニノフ

 ロシア作曲家やね。一番有名なのはのだめ」のピアノ協奏曲2番とかになるんかな。とにかく体が大きな人で手もめちゃくちゃデカピアニストだったので、それを生かしたスケールの大きな曲を作るのが得意。譜面見ると「コレどうやって弾くねん」ってツッコミいれたくなるわ。同時に鳴るわけない距離なんよ。凡人には。

 ときおり演歌のように懐が深いメロディを繰り出してくるので、かなり日本人好みなんじゃないかなって思ったりする。

オススメ曲:前奏作品23-5》

 

バルトーク

 ハンガリー作曲家やね。一番有名なのは、これも「のだめ」のアレグロバルバロかな。のだめ便利やな。

 民族音楽由来のクセのあるメロディ変拍子が特徴だと思うで。プログレッシブロックとか聴ける人はここら辺の方がむしろハマるかもしれん。現代っぽい不協和音も多いけど、メロディリズムがきちんとあるから、開き直れば割と聴きやすいと思う。弾くのは、難しいかなあ。あえていうなら、ルーマニア民俗舞曲とか異国情緒たっぷりで弾きやすいかもしれんの。

オススメ曲:ルーマニア民俗舞曲、もしくはピアノソナタ

 

スクリャービン

 ロシア作曲家やね。なんか最近ロシアが多いのは俺の趣味や。すまんの。生きてる間にコロコロ作風を変えたことで有名な作曲家で、初期はメロディロシア風にエモくなったショパンのような曲を量産していたが、中期は印象派風の曲も作り出して後期は不協和音バリバリ現代チックな作風に転化していった。バンドなら3回くらいは音楽性の違いで解散しとる。

 なのでどれが気に入るかはわからんが、どの時期でもエチュードを書いているのでそれつらーっと聴けばええんちゃうか。

オススメ曲:エチュード集》

 

現代・・これも好事家しか知らんから今は覚えんでええわ。50年後残ってたやつを聞けばええと思う。

 

後半酔ってて早口オタクになってしまったのは間違いない

youtubeイヤホンつなげて都度オススメ曲を聴きながらこんなこと喋ってた

次にその友達と会ったときショパンバッハ練習してたからお手本になるおすすめCD貸した。

没後100周年のサン=サーンス10曲聴こう

anond:20210210062305

・どういう人?

フランスまれ(1835-1921。七月王政第一次大戦後)。小さいころ神童で、ピアノオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラバレエ合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年時代遅れ扱いを受けた。

普通に有名な5曲

交響曲第3番「オルガン付」

代表作。交響曲かいドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度大事フランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。

www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k

ピアノ協奏曲第2番

サン=サーンスといえば協奏曲ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的雰囲気が一度に楽しめる。

https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8

交響詩「死の舞踏

若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典大事にもするけれど、形式の堅苦しさから脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神ヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ

www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc

動物の謝肉祭

本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト

www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM

オペラサムソンとデリラ

サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)からオリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色王女」も面白い

www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk

・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲

ヴァイオリン協奏曲第1番

20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンス最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。

https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU

チェロソナタ第1番

ドイツっぽいド根性ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争ドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章かにある。

https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY

スケルツォ 作品87

ピアノ名人だったかピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅ワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い

www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA

詩人ミューズ 作品132

オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。

www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ

オーボエソナタ

そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタファゴットソナタと合わせて三部作からそっちもぜひ聴いてほしい。

www.youtube.com/watch?v=xudGml9nOO4

2021-02-03

anond:20210203165501

おーいお茶の「おーい」は漢の詩人の「王維」からきてると聞いたことがあるよ

からペットボトルにも俳句かいてあるんじゃないの?

女性にたいして「おーいお茶いれてくれ」って呼び掛けてるなんてのはただの云いがかりだよ

2021-02-02

骨、家へかえる

今年度触れた小説の中で最高のもの三角みず紀という詩人の「骨、家へかえる」だった。

十年以上前作品で、小説としての出来もいいとは言えないし、彼女が書いた小説はこの一作のみで、テーマ不明瞭で、賞なんて掠ってもいなく、一切売れていない、彼女からし詩人としても(処女作のオウバアキル所収の私を底辺としてこそ界隈では少し有名だが)派手さはなく、いくらでもいる食えていない芸術家しかない。

けれど私は彼女作品が好きで、彼女視点が好きで、彼女の詩が好きで、小説も好きだ。

レースや売上レースにグチグチと言うのはいつも自分の好きなものを好きであると言い切る意気地のない者だ。芥川賞直木賞ノミネート作品が何であろうと、売上順位がどうであろと、「私はその作品が好きではない」それだけでいいではないか

小説も詩も終わってなんていない。文化継続することと商業の成立は必ずしも両立すべきものでもない。書き続けるものがいる限り、その文化は終わらない。それでいいだろう。

ネット文化の奔流によって確かに商業誌は青色吐息である。ただ文化としての執筆文化としての活字がこれほどまでに溢れた時代が今まであっただろうか。同人活動がここまで爆発的になされた時代過去あっただろうか。

今、現代において、小説も詩も音楽絶頂にある。

女に詩人は居ない

と言ったのは誰だったか

ウーマン川柳殺伐とした詩を見て思う。

2021-01-23

なんで詩人世界を終わらせたがるのかな

2021-01-15

自慢したい

宇宙ヤバいコピペってあるじゃないですか

この前、詩人のびとがあのコピペを凄い誉めてるのを見たんですけど、その中で現代の詠み人知らずっていってたんですけど、あれ作ったの俺なんです。

まあ誰に自慢も出来ないのでここにかきました。

2021-01-14

anond:20210114202600

三菱樹脂みたいなのには文句しか言わないんだから詩人観光力とやらなんてただの党派性でしょうよ

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