今年度触れた小説の中で最高のものは三角みず紀という詩人の「骨、家へかえる」だった。
十年以上前の作品で、小説としての出来もいいとは言えないし、彼女が書いた小説はこの一作のみで、テーマも不明瞭で、賞なんて掠ってもいなく、一切売れていない、彼女からして詩人としても(処女作のオウバアキル所収の私を底辺としてこそ界隈では少し有名だが)派手さはなく、いくらでもいる食えていない芸術家でしかない。
けれど私は彼女の作品が好きで、彼女の視点が好きで、彼女の詩が好きで、小説も好きだ。
賞レースや売上レースにグチグチと言うのはいつも自分の好きなものを好きであると言い切る意気地のない者だ。芥川賞や直木賞のノミネート作品が何であろうと、売上順位がどうであろと、「私はその作品が好きではない」それだけでいいではないか。
小説も詩も終わってなんていない。文化が継続することと商業の成立は必ずしも両立すべきものでもない。書き続けるものがいる限り、その文化は終わらない。それでいいだろう。
ネット文化の奔流によって確かに商業誌は青色吐息である。ただ文化としての執筆。文化としての活字がこれほどまでに溢れた時代が今まであっただろうか。同人活動がここまで爆発的になされた時代が過去あっただろうか。
骨、家に帰るというが 俺が今までに食ったケンタッキーフライドチキンや手羽先や丸焼きの骨は、すべてゴミに出してしまった。 あれは今思えば遺骨なのでもう少し配慮すべきだった。
ええんやで・・・