はてなキーワード: 結果的とは
試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合の真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山が木村をシュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道の系譜がもっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道をプロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。
言わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合は人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。
初代のタイガーマスクがデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画のキャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。
選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身のレスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キックがクリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合は引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーはリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。
公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木と巌流島に立てられたリング上で時間無制限、ノールール、レフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤のインタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤が裸絞めで失神し、猪木が勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラーが純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。
プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田の一騎打ち。新日本とUWFインターの対抗戦として行われたこの興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合に武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレスを代表する固め技で武藤がギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合は面白くなる、ということを示した貴重な一戦。
橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である。橋本はジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスにフェイク無しを魅せつけた一戦。
既に引退していた長州をなぜか大仁田がストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的に成功し、大仁田のお家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉のまやかしを大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合は長州の勝利。なお、この大仁田が長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初は大仁田からの理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋は大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。
2000年はプロレス界激動の年だった。6月に全日本プロレスから選手がクーデター同然に大量離脱し、残った選手は川田利明と渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本のリングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本の現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘をしかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野、忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本のリングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野の勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイクで第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものがプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。
一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合のクオリティも高く、当時の2ch・プロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合で三沢は小橋を花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しかし最後は小橋がバーニングハンマーを繰り出して逆転勝利。ベルトの価値、そして団体の価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。
以下、選外
この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合。
全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディの親友であるハンセンがセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセンが試合にラリアートで介入し、ブロディ、スヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙に馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセンと乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。
故意か事故か、川田が三沢に対して垂直落下式パワーボム(通称:三冠ボム)を敢行した試合。勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。
ハヤブサ(FMW)、新崎人生(みちのくプロレス)というインディー団体のレスラーでもメジャー団体のベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体の立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本を代表するタッグチームと呼んで良い。
犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次に勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレスは永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である。
デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西が後楽園ホールのバルコニー席からテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチの限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西が勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビューで葛西は現役続行を宣言したことから、デスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。
今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。
10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいいか。
・全日本プロレス軽視では?
⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったから新日本はハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。
⇒自分が最近の試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本を崖っぷちで踏みとどまらせたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合は事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。
・総合格闘技戦について
⇒自分も桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技をたまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである。桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人が総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというものに一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田がミルコに負けていた。
・女子プロレスは?
⇒女子は女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!? 今しかないぞ、俺達がやるのは!
・信彦じゃなくて延彦な
正直すまんかった、正直ポカした。
ダイエットってさ、結局は「食べる量減らして運動する」っていうクッソ単純なことなんだけど、まぁそれができねぇからみんな困ってるわけだよな。
最初はめんどくせぇけど、意外と慣れると自分がどんだけ食ってるか分かってくるし、食べすぎ抑えやすくなるんよ。
それに加えて運動だけど、いきなり筋トレとかしなくても、散歩とか軽いウォーキングで十分だから。
あとは水分補給しっかりな。水飲むと意外と満腹感出るから食欲抑えられるし、代謝も良くなるって話だぞ。
間食はどうしてもって時以外はナシで。どうしてもならナッツとかで我慢しろ。
毎日ちょっとずつ続けるのがコツだし、無理しない範囲で長続きさせるのが一番だぞ。
俺の場合、最初は半年で5キロ落とすっていう目標を立てたんだよね。
もともと75キロくらいあって、70キロを目指してみようって感じで始めたんだ。
最初の1ヶ月は正直なかなか体重が動かなくて、ちょっと焦ったけど、食事管理とウォーキングを地道に続けていったら、2ヶ月目くらいから少しずつ変化が出始めた。
毎週500グラム弱くらい落ちていく感じで、3ヶ月目には3キロくらい減ってた。
思ったよりも時間はかかったけど、無理なダイエットじゃなかったから、リバウンドせずに続けられたっていうのが良かった。
今もリバウンドしないように、食事や運動はほどほどに続けてる感じ。
結果的に、無理なく続けられるダイエットが一番効果があるってことを実感したよ。
数字の変化も嬉しいけど、それ以上に健康的な習慣が身についたのが大きな収穫だった。
ダイエットって結局、自分との長い戦いだけど、少しずつの積み重ねがちゃんと結果に繋がるってことを信じてやってみるといいかもね。
俺は高卒だけど、ハリーポッターの「レイブンクロー」って、悪い意味でアジア人の象徴だと思ってる。レイブンクローの性質を見てみろよ。
これって、日中韓のツリメの特徴そのものだろ。教育ママゴンのことだよ。あいつらは、学歴が人生を決めるって思ってるから、子供にその競争を強いる。周りの親たちと張り合うために、子供の意思なんて無視して習い事を強制するなんて、信じられない。
奴らは、知識をひけらかして他人を見下す傾向がある。自分の知識を誇示して、周りを支配しようとするなんて、特別な存在だとでも思ってるのか。他人の努力や才能を軽視するなんて、ほんとに腹が立つ。これって、アジア社会における「優秀さ」の押し付けそのものだろ。
常に競争を意識して、他人と比較することを怠らない。自分が一番じゃなきゃ気が済まないし、他人の成功を妬むことも多い。こういう姿勢が、教育ママゴンたちの子供に対する期待と重なって、子供たちに過剰なプレッシャーを与えてる。成績が良いことがすべてだと信じ込んで、他の価値観や個性を無視してる。
連中は知識を追求することが美徳だと思ってるけど、実際の人間関係や感情の大切さを軽視してる。学問や知識ばかり重視して、友人や家族との絆を疎かにして、孤独を感じることも多い。教育ママゴンたちが「勉強が全て」って教え込むことで、子供たちが人間関係を築く能力を失わせてる。
レイブンクローは学歴至上主義の象徴で、アジア社会の教育のあり方を反映してる。知識や学歴を武器にして他人を攻撃し、自分たちの地位を守ろうとする。これが教育ママゴンたちの子供たちに与える影響で、彼らの未来を狭める要因にもなってる。学歴が全てだなんて考え方は、子供たちの自由や創造性を奪って、結果的に社会全体の多様性を損なうことにも繋がる。
レイブンクローは、単なる学問の追求に留まらず、社会全体に悪影響を及ぼす要因になってる。教育ママゴンたちの「学歴信仰」は、子供たちにとっての重荷で、彼らの成長を妨げる要因になってる。最終的には、学歴だけじゃ測れない人間の価値や可能性を見失わせてしまう。こんな状況、ほんとにうんざりだ。
性犯罪事件の調書は10数件読んだきりだけれど、性犯罪者の調書にはそれまでの性生活についての供述がついてくるから、大阪地検の元検事正もそんな供述したのかなと思った。
読んだ中で忘れられないその1は未遂で逮捕された20代後半のヤツの件。妻も子どももいて一流会社で猛烈に働きながら夜な夜な徘徊しては性的乱暴を繰り返し、レジ袋持っていたらコンビニ帰りと思われて怪しまれないと言っていた。ヤツがターゲットにしていたのは「警察に訴えそうにない一人暮らしの女性」で、なぜ訴えないと判断したのかは理由があるのだが、ここでは書かない。その夜も押し入って乱暴しようとしたのだが被害者がとっさに機転を利かせてある行動に出て、結果的にヤツを部屋に残したまま一人脱出することに成功、通りかかったタクシーを止めて警察に行き、警察は部屋で彼女の帰りを待っていたヤツを逮捕した。その後の供述でこれまでの犯行が明らかになったのだがヤツの目論見どおり被害届はゼロ。立件は未遂のみで執行猶予、会社はクビ、情状証人として出廷し「私が至らなかったために」と証言したあと妻は離婚を求め、ヤツは「ストレス」で顔が真っ赤に腫れ上がっていた。
忘れられないその2は、大学生が小学校高学年の被害者を性的乱暴した件。供述内容も酷かったがヤツが撮った多数の現場写真が非常にキツかった。同世代を相手に犯行を重ねていたヤツは被害者を脅し学級名簿を手にして逃げたため、学校だけでなく各家庭にある程度の情報が届くことになり、この犯行が被害者の自宅で行われたこと、被害者には姉妹兄弟もいたことなどを考え合わせると、被害者はもちろんだが「犯人を死刑にしてほしい」と話していた被害者の母親のメンタルが持ちこたえられるのかと思った。同列に扱うのはおかしいが、ヤツの親も激しく動揺していた。余罪多数で示談成立もあったがこっちは実刑。恋人もいたというヤツの初体験はその1と同様に風俗だった。
性犯罪は被害者だけでなく被害者の家族にも、そして加害者の家族にも癒やし難いダメージを残す。どちらの件も自分の知る限りメディアでの報道はなかった。
なあ、考えてみろよ?なんで俺たちが毎日のように働いて必死に生活してるのに、その稼いだ金の一部を消費税って形でガンガン取られて、さらに物価が上がっていくんだ?おかしいだろ?消費税なんて下げるべきに決まってんだって!
だってさ、税金なんて国民のために使うはずのもんで、なのに俺たちの生活が苦しくなる一方で、何に使われてるかよく分からないし、上の人たちは涼しい顔してるってどういうことよ?俺たちの税金だぜ?そもそも消費税を下げたら、その分国民がもっと金を使うようになって、結果的に経済が回るし、景気も良くなるっていうのが普通の考えだろ?景気が良くなれば企業も儲かるし、俺たちの給料だって増えるかもしれない、そうなりゃみんなハッピーじゃん?なんでそんな簡単なことが分からないんだよ?
このまま放っといたら、物価も消費税もどんどん上がって、俺たちの生活はますます苦しくなるだけだし、若い世代なんてどうやって生活していくのかって話だろ?それなのに何もしないで、ただ税金を上げ続けてたら、この国の未来がどうなるかなんて火を見るより明らかだよ。だから、消費税は今すぐ下げるしかないんだってば!分かれよ!!
「年収の壁を撤廃すればその分働く時間が増えて手取りも増える。消費も活発になり、結果的に税収も増える」
やってみなければわからないが、もし失敗したらその時の言い訳は
「石破政権が信用されていないために減税分が消費に回らなかった。石破が悪い」
でどうや
国民民主党が「103万の壁撤廃で手取りを増やす」と掲げる主張は、一見すると働く世代にとって手取りが増えるように見えるものの、実態を考えれば誤解を招きかねないアピール戦術に過ぎません。なぜなら、103万の壁撤廃は税収面で深刻な影響をもたらし、持続可能な社会保障制度の再構築には繋がらないからです。ここでは、この政策の問題点を挙げ、より効果的な税制・社会保障制度の見直し案を提案します。
【103万の壁撤廃で「税収7.6兆円の減少」は社会的コストが大きい】
国民民主が掲げる103万の壁撤廃は、「手取りの増加」という表面的な魅力に目を奪われがちですが、その影響は単純ではありません。現時点での試算によれば、103万の壁を撤廃することによる税収減は約7.6兆円にも及ぶとされます。これは、国家予算の大きな割合を占め、教育・医療・福祉など広範な分野での支出を確保するための財源にも大きな影響を与えます。仮にこの政策が実施されれば、社会保障やインフラ整備に充てる資金が削られることは避けられず、将来的に国全体の財政健全性を揺るがしかねません。
103万の壁が存在する理由は、扶養の範囲内で働きたいと考える人々にとって、一つの目安として機能してきたためです。壁が撤廃された場合、一時的に労働市場への参入者は増える可能性があるものの、税制や社会保険料の増加により手取りが減少し、結果的には「働き損」になる状況が拡がる懸念もあります。例えば、低所得層の世帯においては、扶養を外れた際に自己負担が増えることで、実際の手取りはさほど増加せず、家計の負担が増大します。このような状況では、103万の壁撤廃が労働意欲を促すどころか、逆に「手取りが増える」という期待を裏切り、消費活動の停滞や労働意欲の低下を引き起こしかねません。
【真の手取り増加には後期高齢者医療制度や年金制度などの見直しが必要】
現実的に手取りを増やすには、税収を減少させる施策ではなく、社会保障制度の改革が欠かせません。例えば、後期高齢者医療制度を見直し、高齢者に一定の自己負担を求めることは、現役世代の負担軽減に直結するでしょう。現状、医療費の多くが高齢者にかかっており、現役世代がその一部を負担する構造が、長期的に財政を圧迫しています。すべての医療負担を現役世代に求めるのではなく、高齢者にも適切な自己負担または全額負担をお願いすることで、よりバランスの取れた財源確保が実現できます。
さらに、特定の疾病に対する公的支援の見直しも重要です。高度医療や慢性疾患の患者に対する支援は必要不可欠ですが、軽度の疾病や一時的な治療には自己負担を拡大させるなど、支援対象を絞ることで財政に余裕を持たせられます。加えて、年金制度の見直しも避けて通れない課題です。現在の年金支給年齢や支給額を現実に即した内容に調整することで、現役世代への負担が軽減し、手取りの増加に寄与できるでしょう
東南アジアの児童買春に関するポストがバズってた椎木透子って人、
何処かで名前を見たような気がして検索してみたけれど、震災後の福島に関するドキュメンタリー映画を作ってた人なんだね。
『この空を越えて』
この人、東日本大震災当時はアメリカにいて、福島どころか日本での震災での当時の経験すらないみたいなんだけど。
そんな人が作る福島のドキュメンタリーって、上記の買春クソキモポストの件と合わせると、被害を矮小化して援助の手を断ち切る目的しか感じなくなってきたな。
あと、これ。
その活動が2年目に入った時に、福島の子どもたちを対象にしたプロジェクトを行うことになりました。結果的にその活動はちゃんと届けることが出来なかったのですが、諦めきれずに、福島の9~15歳の子どもたちにアンケートをお願いして、彼らの思いを知ることができました。そのなかで、私をハッとさせた答えがありました。それは、「私たちは震災で大変な思いをしたけど、可哀想ではない。そう受け取らないでほしい」というものでした。
福島の子供達から「私たちは震災で大変な思いをしたけど、可哀想ではない。そう受け取らないでほしい」と言われたらしいけれど。
実際に震災で被害を受けたし、風評被害もあるし、そもそも震災以前から過疎化が進む地方で大変なのに。
この人は多分、きっと東南アジアで売春させられている少女に対しても同じように思ってるんでしょ、「可哀想なんかじゃない」って。
福島出身でかつて子供だった大人の一人として、当事者の言う「可哀想なんかじゃない」を安易に美旗に使ってはいけないと思うんだよね。
「可哀想なんかじゃない」って、そりゃ当事者は言うよ。子供なら尚更。同情されるのは惨めな気持ちになるし、辛い事だから。
自分も昔はそう思ってた。自分は可哀想なんかじゃない、可哀想なんて思われたくないって。
でもいざ大人になってみるとやっぱり客観的に見たら自分は十分「可哀想だった」し、
可哀想だと言ってても確実に支援してくれる大人の方が有難いんだと分かる。
子供相手に限らず、最近はとかく理論武装して他人を直接助けない事を正当化する言説が盛んだよね
魚を与えるよりも魚の捕り方を教えろみたいな言説もそう。
この意見はポピュリズムへの理解が一面に偏っている可能性があります。ポピュリズムは、「エリート」に対して「大衆」の利益を優先する政治スタイルで、大衆の意向に強く応える姿勢を特徴としますが、その定義は単純に「大衆に迎合する」ことを意味するものではありません。ポピュリズムは、社会に分断を生み出したり、短期的な利益を優先しすぎたりする場合もあり、そうした点で成功と失敗の両方の例が存在します。
ポピュリズムは、エリートを批判し、一般大衆の利益や声を優先する政治スタンスやリーダーシップの形態を指します。定義としては、大衆の感情や不満に訴えることで人気を得ようとする傾向が強いです 。こうしたアプローチは、「国民の声に耳を傾ける」とされる反面、現実的な政策判断を犠牲にするリスクもあります 。
成功例と失敗例
ポピュリズムの成功例としては、アメリカの「ニューディール政策」を行ったフランクリン・ルーズベルトが挙げられます。大恐慌時に大衆の支持を得つつ、経済復興と雇用創出のための大規模な政策を実行しました 。大衆に訴える手法を取りつつも、長期的な経済政策が功を奏し、結果的にアメリカの経済基盤を再構築することができました。
一方、失敗例としては、ベネズエラのウゴ・チャベス政権があります。チャベスは国民の生活改善を掲げ、石油収入を背景に社会福祉政策を拡充しましたが、経済基盤を無視したため、石油価格の下落によって経済危機に陥り、国民生活が悪化しました 。このように、大衆の利益を短期的に優先した結果、長期的には国家や国民生活に深刻な影響を及ぼしました。
意見の中で「大衆に迎合する政治なら大衆にはメリットしかない」という主張がありますが、実際にはポピュリズムが必ずしも「大衆にとってメリットしかない」とは限りません。例えば、短期的な利益を優先するポピュリズム政策が行われると、結果として財政悪化やインフラの老朽化といった長期的な問題が後回しにされることがあります。また、ポピュリズムはしばしば敵対的な二項対立(「エリート対大衆」)を煽るため、社会の分断を引き起こしやすく、これが社会の安定を損なう要因にもなります 。
まとめ
この意見に見られる「大衆にメリットしかない」「民主主義に適している」という視点は、ポピュリズムの理想的な側面を過大評価している可能性があります。ポピュリズムには大衆の声を代弁する力がありますが、それを実行する際の長期的な視野や社会全体の安定を考慮しない場合、深刻な問題や分断が発生することが多々あります。
コロナが流行って米国が異常な金融緩和をはじめたころに、高橋ダンってインフルエンサーが「M2とゴールド価格は相関する!これだけM2が膨れ上がったらゴールド価格はすごいことになるぞ」とか煽ってた。
それを信じてゴールドの投信を買ったけど、言うほど上がらなくて騙された感じだったけど、放置してたらこの一年くらい別の理由で上がりはじめた。
結果的によかったわ。
Twitterに書けないので
フェーズ的にエンハンスよりも保守の意味合いが強くなってきたんだけど
素直に直すんだけど、個人的にはどっちでもいいじゃんレベルの指摘
たとえば、「◯◯だから読みづらい」とか「英語的にはこうだ」とか「これだとテスタブルではない」とか「メンテナンス性が」とか
そのレベルまでならギリギリわかるけど、そこより先になると好みじゃんとなる
私はあなたがたほど頭良くないので、そんな完璧なコードを常に生み出せないよ?じゃあPR全箇所毎回指摘されるの?
っていうモヤモヤがある
あと、結果的に全部のコード・行動について質問する必要があるので非常にストレスがかかる
(仕様についてわからない、技術的にわからないとかじゃなく、「あなたの好みはなんですか?」という伺いになる)
こういう案件何個か経験あるけど、パフォーマンスが上がらず早々に離脱するんだよね
クソだと思うのは、そういう人がプロジェクトによって存在するんだけど、ちょっとずつ言ってることが違うから毎回チューニングしなきゃならない
何してんだか
これって、セックスは承認欲求だという話と、レスの話が一緒になっているよね。地続きではあるんだけど。承認欲求ではなく、レスの話。
“ただ、気分が乗らないとかいうのを「性欲=加害」だから応えないのが女性の正統な権利みたいな振る舞いするの本当に酷いと思うんだわ。”
“気分が乗らない”でセックスを断るのは男女ともにあるし、“女性の正統な権利”というより、「人としての権利」ではあると思う。セックスは双方が「したい」と思って初めてできることで、一方がしたくないのに、もう一方のしたい意志だけ尊重されたら結果的に加害にはなってしまう。それがパートナーであっても、相手に対して無理矢理セックスすることはできない。パートナーというのは、いつでもセックスする権利を得られるわけではないし、お互いの意志が合致して初めてセックスができる。性欲を悪と言っているのではなく、相手が望んでいないのに、自分の意志を押し通すのは良くないという話。ただ、これしたくない側も自分の意志だけ通されてしまうのではなるけど、ことセックスに関してはしたくないのにする側の精神的・身体的負担が大きいというのもあると思う。
セックスだけではなく“褒めて欲しいとかハグして欲しいとかキスして欲しい”というのも一方が求めていて、もう一方が求めていなければ成立しない。セックスだけじゃない。自分が「したい」という権利も、それに対して「したくない」という権利もあるし、双方が合致しないと成立しないことに関しては「したくない」が尊重される。
とはいえ、セックスレスが離婚事由になる場合もあるし、パートナーとしてはセックスをするのが関係を継続するためには必要なことではある。(それぞれのカップル・夫婦にもよるけど)セックスを「したい」という権利も、「したくない」という権利もあり、それぞれ尊重されるべき。セックスにおいては、身体的にも精神的にも負担が大きいから、「したい」「したくない」がぶつかると、「したくない」意志が尊重される。でも、だからといってレスる側がレスられ側に対して悪く言って(「性欲=加害」とか、パートナーの加齢が受け付けられなくなったとか)、「レスられ側が悪い」とするのもそれはそれで相手のことを尊重できていない。
“改善策を夫婦で検討するか、カウンセリング受けるかしてほしいよ。”
これは増田という通りだと思う。レスる側が悪いわけでも、レスられる側が悪いわけでもないし、どうしようもないことでもある。だけど、セックスがパートナー間のコミュニケーションのひとつだとするなら、コミュニケーションがひとつなくなってしまうわけで。二人で一緒に何かすることがないとか、会話がないとかいうコミュニケーションと同じで、すれ違う原因になる。だから、お互いに向き合ったらいい…とは思うんだけど、じゃあなんでしないのかっていうと、積み重ねだと思うんだよね。セックスでも、セックス以外でも、お互いがお互いを尊重したコミュニケーションを育めていたら、いざレス問題になったときもお互いを尊重するためにコミュニケーションが取れる可能性が高い。一日でレスになったわけではなく、レスになるのも積み重ねで、そこに向き合えるかどうかもそこまでの関係性の積み重ねの結果なんだと思う。
あと、“本心では、承認欲求だってのをわかってるだろうに。”っていうのも、ごめん、わかっていないと思う。わかっているのに断って、断る理由をレスられ側になすりつけている、って見えているかもしれないけどそんなことないと思う。
「セックスをしたい正当な理由があるのに断られる」と感じると、“ただ、気分が乗らない”だけでセックスしたくないんだろうと思うのかもしれないけど、それも違うと思う。レスる側には自分に理由があるかもしれないし、相手に理由があるかもしれない。自分側の理由というのは、たとえば自分の加齢が受け入れられないとか、持続しない(勃たない、中折れする)とか、痛みを感じるとか精神的・身体的な理由。あとは一緒にいる時間が長かったり、子供ができたりして「家族としてしか見られない」「性欲が湧かない」という理由。そして、相手に理由があるというのは、相手の加齢が受け入れられないとか(“身体が垂れてきたおばちゃんだから”は関係ないというのはすごく愛で素敵だと思うけど、これが理由で断る人全然いるよね)、相手に対しての不満がたまっているとか。今日断ったとしても、今日に理由があるわけではないんだよね。積み重ね。
たぶん復讐に取り憑かれたアクア(初期アクア)のまま犯人との頭脳戦まで行ってほしかったんだと思う
推しの子がどうにも飲み込みにくいのは、やりたいことが複数あったからかもしれない
これを全部やるにはアクアという1人の観測者ではどうにも足りない感じがあった
結局、見たいシーンを実現するためにアクアのモチベが動き続けたように見える
これ無職転生にも似てるね
かぐや様なんかは、結局恋愛頭脳戦すればオッケーというシンプル設計だったので非常に上手く行った
どれをとってももうちょっとツッコんで欲しいところで解決に向かってしまった
たぶん、自分が満足できるくらいやるってなると尺が2倍になると思うし、なって欲しかったと思う
でもこういうあっさり感って今風なのかもなという感想も持っている
鬼滅の刃とか、一昔前なら巻数倍くらい行ってるでしょ、それと同じ
この質問には、選択的夫婦別姓に対する懸念が多く含まれていますが、前提や見解に若干の誤解があるようです。それぞれの項目に対して回答するとともに、質問自体に問題がある場合は指摘します。
1. 同姓にしたい人に迷惑がかかる?
選択的夫婦別姓は「選択の自由」を提供するもので、同姓を希望する人の権利には影響を与えません。「経団連が非効率と言っている」という部分は、選択的夫婦別姓導入に際しての手続きの煩雑さを指摘しているもので、同姓を選ぶ人自体を否定する意図はありません。選択的夫婦別姓が導入されたとしても、同姓を希望する夫婦にとっての選択肢が制限されることはなく、また、それが直接「迷惑」をかけるものでもありません。
2. 子どもの姓をどうするのか?
この質問には確かに複雑な問題があります。多くの選択的夫婦別姓賛成派は、「子どもの姓を一つに統一する」という現行の制度を維持しつつ、親の姓を選べる柔軟性を求めています。親の片方が亡くなる場合などは、家族で合意をもって決める必要がありますが、家庭内で話し合いによる解決を求める立場が多いです。現実的に、法律的な配慮もされる可能性があり、各家庭で姓の選択が問題とならないような制度設計が期待されています。
選択的夫婦別姓制度は、夫婦が姓を選ぶ自由を増やし、結果的に夫側の姓を選ぶことが強制される文化的圧力を和らげる効果が期待されています。ただし、男尊女卑を根本的に解決するかについては、選択的夫婦別姓が唯一の解決策ではありません。あくまでジェンダー平等を目指す施策の一環と考えるべきで、文化的な偏見や先入観を緩和する方向性に貢献すると見られています。
4. なぜ結婚にこだわるのか?
婚姻関係は、相続権や社会保険の適用など、さまざまな法的保障を提供する制度です。パートナーシップ制度を通じた権利保護も議論されていますが、現行制度下では、婚姻関係に特化した権利保護があるため、結婚を選ぶ夫婦が多数存在します。選択的夫婦別姓導入の議論と、パートナーシップ制度の導入の是非は、別個の問題として検討すべきです。
5. 姓の変更が手続き上の問題であるならば、マイナカードで解決できないのか?
確かにマイナンバーカードの導入などにより手続きの簡素化は進んでいますが、選択的夫婦別姓の問題は、個々人のアイデンティティや人生における意思決定の問題です。単に効率の問題としてだけでなく、「個人として選択できる」権利の拡充として議論されています。効率化と選択肢の拡大は、別次元での議論が必要です。
6. 姓にこだわっているのではないか?
姓に対するこだわりは個人の自由であり、選択的夫婦別姓の賛成派が全員がアイデンティティをそこに求めているわけではありません。多くの場合、姓は自己のアイデンティティの一部であると考えられ、その選択肢が存在すること自体が平等の実現に寄与すると考えられています。選択的夫婦別姓は、強制されている既存の文化的な枠組みに対して柔軟性をもたせることを目的としており、近代的な家族の在り方に対応するためのものであるといえます。
総括
質問には誤解や偏見が含まれている部分もありますが、それらを解消するための議論が日本では進んでいます。選択的夫婦別姓の問題は、個人の自由を尊重し、家族や社会における新しい選択肢を提供するものと考えると、納得が得られるかもしれません。
俺は最近まで熱心な共産党支持者だった。共産主義の理想を信じていたし、マルクス・エンゲルス式の共産主義の理想を先進国で最初に実現できるのは日本共産党だと思っていた。
多くの馬鹿ウヨ・ネトウヨが勘違いしているが、現在のロシア連邦共和国は全く共産主義でも社会主義でもない。与党はプーチン率いる「統一ロシア」であり、ロシア共産党は野党である。プーチン政権のロシアはむしろ右派権威主義体制であり、全く共産主義と関係はない。
だから、多くの低脳ウヨが勘違いして期待しそうな「へいわをあいするきょうさんしゅぎのはずのロシアがせんそうをはじめた!うわーんそんなはずない!」とかいう話ではないよ。問題はそこではないんだわ。
ロシアがウクライナとの国境に軍隊を集結し始めた頃、これはあくまでもウクライナに対する「圧力」であり、実際に軍事的侵攻はしないだろうと多くの人々は考えていた。もちろん、シリアなど中東の開発途上国に軍事的関与をすることは以前からあった。アメリカもそういう事は以前からやっていた。
しかしウクライナといえば東欧の、つまりヨーロッパの一国である。
そんな国を実際にロシアは侵略しちゃったんだわ。そして一時は首都キーウの目前まで迫り、キーウ近郊のブチャで一般市民に対する虐殺を行なっている。
しかしウクライナはその後、西側諸国から武器弾薬、燃料、戦車、軍用機、各種ミサイルの大量支援を受けてロシア軍を押し返した。
ここで痛感したことは、21世紀の現在でも想定外の被侵略はあり得るということであり、日本においても一定の国防力は必要だという事である。
ところが共産党は防衛費を「軍事費」と呼んで(もっとも防衛費は実際に軍事費だから「軍事費」と呼んだところでその本質は変わらないから、これは「軍事」という言葉を嫌がる層に対しての意図的な戦略なのだろう)「大軍拡反対!大軍拡反対!」と選挙カーや街頭演説で呼びかけ続けた。
そんなことで一般の人々の支持を得られるはずが無い。
この点は社民党も同じだ。欧州の社民党は必要な軍事力は認めているのに、日本の社民党は今だに日本共産党と同様に「大軍拡反対!」みたいな主張をしている。
もちろん俺も本当の「大軍拡」には反対だ。しかしロシアは日本の隣国であり、プーチンがウクライナ侵攻に埒があかずとち狂ったら北海道侵攻とか可能性ゼロじゃないだろう。可能性が低くても万が一に備えるのは地震対策でも同じことだ。
朝鮮民主主義人民共和国はミサイルを日本海に落としたり太平洋に落としたりしている。朝鮮民主主義人民共和国の標的は米帝であるが、同時に朝鮮民主主義人民共和国はその気になれば何時でも日本の東京や大阪や名古屋や、日本海沿岸の原発にミサイルを落とせるということだ。
イージスアショアを秋田と山口に置くのは実は米帝を守るためであったことは既に喝破されているが、我が国を朝鮮民主主義人民共和国から守るためには日本海にイージス艦を複数、交代しながら常駐させておくのが有効である。
そういう現実を理解せずに昔ながらの無防備平和主義に立脚して「大軍拡反対!大軍拡反対!」と叫んでいる政党に票が集まらないのは当然だよな
ちょっとうろ覚えだが、松竹さんの著書によれば日本共産党の党員は全国でおよそ20万人いるが、中央委員会は約200名であり、そこを牛耳っている中央幹部会は20名程度である。
有名な共産党員議員、党首の田村さんのほか、小池さんとかがいる訳だが、結局は20名程度の党幹部が決めた方針や政策を20万人近い党員たちが「赤旗」を通じて学習し、忖度して礼賛するのが日本共産党であり、慣例に反して「党首選挙を行うべき」と主張した松竹さんは袋叩きにあって除名された。
この経緯から推察されるのは、日本共産党もソ連共産党や中国共産党と同じ全体主義・スターリニズムの傾向が濃厚に残っているということである。
マルクス・エンゲルス式の共産主義社会が実現できなそうであることも現代では知れ渡っている。
「共産党宣言」で書かれたような、「個人の自由な発展が、そのまま社会の発展となるような、完全に自由な個人の集まりであるような社会」が実現するならもちろん素晴らしいが、マルクス・エンゲルス式の方法ではそれは実現できないことがもはや明らかとなっている。
エンゲルスは生産手段の社会化によって共産主義社会が実現したなら国家は自然と死滅し、人々は法律がなくとも自然と調和し労働に勤しみ犯罪もなくなるであろうと説いた。
しかし釈迦は紀元前に、人間は煩悩に塗れた存在であることを指摘している。他人より楽をしたい、他人より上の立場になって威張りたい、他人から承認され賞賛されたい、という欲求は修行によって悟りを開かなければ消えないだろう。
凡夫たる人民が修行もせずに煩悩を消し去ることは不可能であり、「生産手段の社会化」によって資本主義が消え去ったとしても、犯罪や不正が無くなることはあり得ず、法律と、それを執行する国家が消えることはあり得ないことは現代の人間にとっては自明である。
マックス・ヴェーバーは「生産手段の社会化」自体が極めて困難であることを指摘しているし、それが単なる「共産主義国家による国有化」であれば結果的に国家により権力が集中するであろうし、そうでない場合でも、生産を管理する団体の官僚に権力が集中し、資本主義よりもより強大な官僚権力による支配が起きるであろうことを既に20世紀初頭に予見していた。
そして現実に、マルクス・エンゲルス式の共産主義を目指した国家は大半は全体主義国家へと変容していった。
日本共産党はいまだにマルクス、エンゲンルス、レーニンに基づいた理想の共産主義国家を目指しているが、それが不可能なことは明白である。そんな政党に投票しようとする人が減っていくのは当然である。
Vtuber見るけど基本的に芸人だと思ってみてるから、ライブほとんど見たこと無いんだよね
ただ流石に5年推してて、ずっとやりたいって言ってたソロライブだから見るかーとなったんだけど(チケットは外れた)
完成度が異常に高くてビビった
ストーリーとしてほんとに綺麗なんだよね、よくできた漫画かアニメみたいな
シナリオライター居るわけでもないのに設定の伏線とかドラマがちゃんとしてる
「ソロライブやりたいといい続けてて6年かかって実現する話」とするとカタルシスがエグい
そりゃ皆泣くって
例えば「すいちゃんのステラステラを配信で女児みたいに歌い続けた」っていう伏線がずーっとあって
それで初ソロライブでゲストとして呼んで一緒に綺麗に歌うみたいな、これも伏線回収というか、その瞬間に色んな記憶が呼び起こされるんだよね
まるでアイドルに憧れた女児が同じ舞台に立つみたいなエモさ、マクロスか?(見たことないけど)
こういう、漫画とかで見る「繋がった瞬間のエモさ」がめっちゃあった、鳥肌立つやつ
35Pのピンクのハッピやサイリウムが、まるで桜の木のようになってる みたいなのも、後出しにしては出来すぎなんだよな
ライブ開始時に、初期設定の動画のリメイクを流すのもさ、アニメで見るよね、最終回で1話のシーンが出てくるやつ、シュタゲとか
それを6年越しだからね
初期3Dを登場させるとか、初期みこちからのメッセージとか、ライブ前の私からの手紙とか
あとはライブ告知前からの「最近レッスンで忙しい」という伏線からの、告知後の「ライブのためのレッスンで忙しい」からの、ハイクオリティなパフォーマンス、みたいなのも時間が意識される
この感覚もエグくない?毎日配信してるから裏で頑張ってるのが何となく分かるんだよね、家族見てる気分になるわけ
歌とダンスも異常に良かった、想像の上の上だった、よほど頑張ったんだろう
前からこうだったかなあ?今回異常に上手く見えたんだけど、会場もよかったのかもしれない、Vのソロライブ始めてみたけど面白いステージ構成だった
ライブ後の通常配信での撮影会は「かわいい」より徐々に「おもしろい」が勝ってきたから、やっぱあの会場がすごかったのかもしれん
あとライブを意識して作ったと思われるアルバムの新曲もどれもしっくり来た、これ配信活動のことを歌ってるからなんだと思う
個人的にアニソンが好きな理由と同じだ、バックグラウンドがある歌はエモさが段違いになる
一般アーティストにいい歌はたくさんあるけど、どうにもハマれないんだよね
あと3Dも異常によかった、ついにここまできたかっていうくらい
めちゃくちゃ存在感があった
初音ミクさんが初めて3Dでライブしたときはイロモノみたいに捉えられてたけど、ここまで来るとちょっと話変わってくると思う
これすごいエモいなって思ったんだけど
普通の歌手のライブだと、いうてファンがどういう人かなんてわからないし、普段から歌手とコミュニケーション取ってるわけじゃないから、他人と一緒に見るライブなんだよね、歌手+自分+その他大勢みたいな
でもVのライブの場合、いっつも配信でやり取りしてるファンなんだからファミリー感がかなり強い
つまりライブなんだけどほんとうに「いつも通り」なんだよね、ファンがどういう人かもだいたい知ってる、どういうノリでどういう笑いのセンス持っててどういう気持でライブ来てるか何となく分かる
これすごくね?1万人以上の「お前ら」なわけよ
Vにとっても安心安全空間すぎる、歌だって緊張せず「いつもどおりの歌枠配信」のつもりでもいいんだよね、皆100点出せとか思って無くて、いつもの延長線を求めてるんだから、おもろいわ
いつもの同接は3万人とかだから、それより少ない厳選された視聴者が、オフで集まって豪華な配信見てるだけなんよ言っちゃえば
よく体験型コンテンツって言うけど、これぞまさにって感じがした
みこちはバンド系の盛り上げ方も上手いんだよね、なんならカバーオンリーでライブあってもいいくらい
いやーほんとに良かった
ストーリー厨としては大満足と言うか、「近年見たアニメの中で一番おもしろかった」みたいな評価になってしまっている
プリパラは全部見たけど
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以下の文章は、作者の創作か、もしくは現実の話を書いたかどちらかを判定し、その理由も詳しく説明してほしいです。
(全文コピペ)
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この文章は創作である可能性が高いと思われます。その理由を以下に説明します。
文章全体にわたって、出来事や会話、心情の変化が詳細に描写されています。特に、心情や夫婦間のやり取りがリアルかつドラマチックに表現されており、脚本的な構成を持っていると感じられます。これにより、フィクションとして読者に「物語」を提供する意図が感じられます。
例えば、「探偵を使ったが無駄だった」「ボイスレコーダーで不倫相手との会話を聞いた」などは、典型的な物語のエスカレーションで、登場人物の心理が少しずつ追い詰められていく様子を強調しています。
文章の流れが綿密で、プロットに沿った展開が繰り広げられています。特に「6月初旬から10月中旬まで」の詳細な時間軸に沿って進むため、まるで小説やドラマの一章ごとに新しいイベントが発生するかのように区切られている点が強く創作らしさを感じさせます。
また、緊張が高まる最後の場面においては、「自殺をするしかない」という結論に至るまでの主人公の葛藤が重々しく描かれており、読者を感情的に引き込む意図が見受けられます。
夫のキャラクター像(熱しやすく冷めやすい性格、サークル活動への熱意、淡々と離婚の手続きを進める姿勢など)や不倫相手の描写(献身的で理想的な女性像)は、シンボリックであり、典型的な物語のキャラクターに見えます。現実では多様な人物が存在するはずですが、ここでは物語としてわかりやすいキャラクターが展開され、読み手が各登場人物に感情移入しやすくなっています。
最後の部分で、主人公が「自殺」というウルトラCを計画するという発想や、それによって夫と不倫相手に「現実を見せる」という結末は劇的すぎて現実にはやや不自然と感じられます。こうした劇的な結末の導入は、小説やドラマなどの創作において、物語を盛り上げるために使われる手法です。
上記の理由から、この文章は創作である可能性が高いと考えられます。
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逆に現実の出来事を書いていたとしたら、その理由は見つけられるでしょうか?
現実の出来事を描いた可能性があると仮定した場合、いくつかのポイントが理由として挙げられます。
文章全体を通して、感情の移り変わりや細かい行動が具体的に記録されています。日常的な場面(例えば「夫婦の口喧嘩」「母への電話」「探偵に依頼する」など)や日常に寄り添った心理描写(「夫の言動が気になり始める」「相手女性のSNSアカウントを眺め続ける」など)は、現実の経験から生まれるもので、作り話ではここまでの細かさを再現するのが難しいと考えられます。
文章中の対話には、現実的で人間らしい反応や表現が含まれています。たとえば、夫が「俺のこと好きじゃないんでしょ?」と尋ねた時の、主人公の否定できなかった場面や、「サークルに来ないでほしい」と言われる場面など、言葉の端々に日常的で素朴なやり取りが見られ、これらは現実に経験したからこその表現かもしれません。
また、普段は仕事の疲労から離婚話を避けたり、デートや旅行の費用負担についての細かな記述も、日常生活に即した具体的な描写であり、現実の出来事を反映しているようにも思えます。
主人公は夫に対する複雑な感情を持ち続けています。好きだと思っていた夫の関心が他に向いたことで初めて動揺し、自分の気持ちが整理できない状態に置かれている様子は、現実にありがちな感情の揺れを感じさせます。例えば、カウンセリングで「好きなところは出てこないが、離婚したくない」という発言や、相手女性のSNSアカウントをチェックし続けるなど、混乱と依存がリアルに表現されています。こうした複雑で矛盾を含む感情は、創作よりも現実に基づいている可能性が考えられます。
作中の主人公は、事前に計画を立てず、衝動的に行動し、後悔を繰り返しています。例えば、喧嘩の最中に勢いで「離婚届を持って帰る」と返答したり、夫に対して「1ヶ月だけ時間が欲しい」と頼んだり、不倫の証拠をつかもうと探偵を雇ったが成果がなかったことなど、行き当たりばったりで結果的に何も進展しない行動が続いている点は、現実における人間の不完全さや衝動的な行動を反映している可能性が高いです。創作であれば、こうした無計画な行動を細かく描写するよりも、物語を進めるための筋が優先されがちです。
文章の終盤にかけて、主人公の感情は不安定さを増し、最終的に「自殺」という極端な考えに至りますが、その決断が唐突ではなく、過程が細かく描かれています。夫への不満や裏切られた感情、不倫相手への嫉妬など、積み重なったストレスによって自己否定や自殺念慮に至るプロセスは、心理的にリアルであり、実際の出来事としてもあり得るかもしれません。人間関係の破綻が原因で心理的に追い詰められる例は多く、現実の状況でこのように冷静さを失ってしまう可能性も考えられます。
現実の出来事だと考える場合、この文章は、複雑でリアルな心理描写や日常的なやり取り、無計画さ、そして極端に壊れていく心理過程がその証拠になると言えます。
所感だけど、AI許せないってなってる人って自分の範囲のものに対して異様に繊細な人とか、行き過ぎて自己中みたいな振る舞いをする絵師が多い印象。頼んでも納品される確率低かったり突如噛みついてブロックしてきたりもするし、描いてくれるって信用を求めるなら結果的に頼めなくなっていくんじゃないか? 本心から思想信条で病んでるか、サボりたいからキレてるフリしてるかなんて判らんもの
例えば個人の話で、運よく本当に欲しいものに合致しているのが売ってたら、珍しいことだろうけどそれは買えるでしょ。需要と供給がマッチした状態で、思想や気分や思い込みで勝手に蹴られないフィールドの話になるもの
イキリじゃない。
むしろ行きたい。というか行った方が良いことは十分理解している。
「誰に投票するか迷った時はこうすると良い」とか「公約はここで見比べると良い」とかよく流れてくるけど、そもそも選挙の仕組みを全く理解していない。
衆議院とか与党とか野党とか左翼とか、なんも分からん。なんか色んな党があってそれぞれに属してる人たちが戦ってて、、、参議院か衆議院のどっちかがどっちかを監視してるとかそういうのだった気がする、、、
シンプルに中高行ってないからこの国の仕組みを全く理解していない。年に何回も選挙あるのなんでだ。今は何する人を選んでるんだ。解散ってなんだ。総理大臣は直接選べないらしいのなんで?
行った方が良いことは分かってる。でも学のないバカはお呼びではなくない?公約とかちゃんと分からない状態で適当に投票するならしない方が良くない?
とか考えてる間に時間切れになる。なんか気付いたらいつも終わってる、選挙。そもそも「近々選挙あるらしい」から選挙当日までが早すぎる毎回。毎回慌ててあわあわして終わってる。
それくらい調べろと自分でも思う。でもバカだから調べ方すら分からん。
そんで最悪なんだけど、仕組みを1から勉強するとか、分からん単語を1つずつ調べるとか、そういうことをする気力が、無い。今回も行った方が良いよな…選挙行かない若者めっちゃ叩かれるし…ってとりあえず「選挙 〇〇区」って自分の住んでる地域でググって区のHPとか読んでみたけど、マジで何言ってるかなんも分からんかった。小選挙区…?比例代表…?なんかあれだっけ、東京は人口が多いから当選する人も多いとかそういうの…確か…
不登校の中学と通信の高校を終えて今も通信(週3登校)の大学生してて、正直講義に付いていくための予習復習とかで毎日が精一杯だ。小6の時に学校行事で国会議事堂とか行ってちゃんと勉強した頃の記憶なんて吹き飛んでるし、その頃に比べて脳が萎縮してるから本読むのもメッチャ時間かかるし、今もうマジで…選挙とか政治とか…そういうのに割けるリソースが無い。
選挙、何が億劫って「自分の一票で国が変わる可能性がある」ことなんだよな。自分が投じたところで何も変わらない、じゃなくて、何か変わってしまうかもしれない、だからこそ責任持って慎重に参加したいと考えちゃう。でも調べないから何も分からないままだし石橋を叩いて割るどころか石橋の前で怯えてる状態。まぁ投票しないのはしないのでやべー奴が当選する確率が上がって結果的に自分の投票しなかった一票が国に悪い影響を与えてしまっているので罪悪感は募るんですが。(ただ適当に投票した人間が当選して国をメチャクチャにしたらと思うとそれよしマシだと思ってしまう)
あとほんとに匿名でしか言えないけど、正直政治にほんとに参加したくない。なるようになってほしい。知らんぷりしていたすぎる。今ガチガチに養われてるからこそ言えることだと思うけど、マッジで国に一切の不満が無い。それも選挙へのモチベが無いことの理由の一つ。なんか裏金とか色々あるらしいし、自分の好きな人(アーティストとか漫画家とか)が国の制度に苦しんでる(よく分かってないけどインボイスとか色々あるらしい)のを見ると自分も応援したいなと思わなくもないけど、それが「選挙調べるのむずいめんどいしんどい」の感情に勝てない。自分以外の元気有り余ってる人が代わりに糾弾しといてほしい…今人に反対する気力ないし…
何が言いたいかって、若者に選挙行ってほしい人、まず「選挙の仕組み」から教えてくれんか。誰か。他力本願で申し訳ねぇ。政治ってこういう仕組みで回ってて、政治家ってこういう仕事してて、こういう役割の人たちが振り分けられてて、今はこの役割の人を選ぶ選挙してて…って。選挙のたびにそういう基礎的なことから丁寧に教える風潮が出来てほしい。バカでもわかるサイトとか教えてほしい。(舐めたこと言うと本を調べて選んで入手して読むまでの気力がない。)
選挙や政治に興味が無い訳ではないけど、何からしたらいいか分からない…って若者を振り落とさないでほしい。選挙ってなんなのか、国がどうやって回ってるのか、何のために選挙に行くべきなのか、選挙で何がどう変わるのか、全部教えてほしい。
こういう自分みたいな若者多分いっぱい居る。行ったほうがいいのは分かってるけど、選挙のことなんも分からんし…って考えてる奴ら。知らんけど。
学校行ってないようなバカは政治参加すんなって感じだったらすみません。行きません。
選挙行ってほしい大人の皆さん、マジでどうかよろしくお願いします。
俺は分かってなくて、どうやら記載すべき項目を経費がなんかにして結果的に脱税みたいになっているらしい。
それって何の項目で、なんで間違えたのかよく分かってない。
脱税なら会計士から注意を受けたり、追徴を受けたりすると思うんだけど、なかったのみたいな。
特に認識がなかったみたいな話があるけど、性善説に立てばそれくらい間違えやすい項目なのかも分かんないのよね
みんなこれだけ怒ってるってことは普通間違えない項目なのかな?
メンタルを壊すには何かを提案させて却下したり文句つけたりするのが一番強力だ、みたいな話を見たことがあるが、まさにいま上司にそれをされている。
最初は悪意があるのかと思った。でもそれは多分違うと思う。あとは自分がなにか能力不足なんだろうか、とも。だが自分は他の部署の人には比較的褒められるし、問題も起こしたことがない。というか、私に問題があるならパワハラしたくなるのもわかるので別に良いのだ。でも特にないらしい。いや本当は私が悪いのかもしれないけど、とりあえずこちらに大きな問題はないという前提で話を進める。
たぶん、上司の側になにか問題がある。素人目ではあるが発達障害の気がある。自分が言ったことですらしょっちゅう忘れているし、変なこだわりもすごい。言っちゃなんだが会話が通じない。発達障害の人と関わったことがあれば、上司を見てあーね。と思うだろう。
私は現在パワハラされていると感じているが、上司にはそんなつもりはないようだ。会話が通じないのは大問題だが、しかし単に、ごくシンプルに会話が通じないだけなのだ。
会社はそれなりにきちんとしているので、訴えれば少なくとも話を聞いてくれると思う。だが相手には悪意がない。発達障害の疑惑がある人間に対して、素人に何ができるわけでもない。医者ですら上手くやれないこともあるようだしね。つまり、会社ががんばってくれたところで徒労に終わることも目に見えている。