はてなキーワード: 丹波哲郎とは
本文の最後を読めば分かるよな?
ここに書かれているように「上官殺しを行った本人の告白」なんだよ。
実際に上官を殺したことが公になった人間は軍法会議にかけられてぶっ殺されるとかそんな話は今は置いとけ。
重要なのは上官を殺した張本人がそれを名乗り出てるエピソードなんだって。
酔った帰還兵が中国人殺しを自慢した話はたくさんあるのに
この文章から増田が指定しているのは日本人だということが分かる。
初っ端の「戦争体験」というものが差しているのも、日本の学校教育で行われる第二次世界大戦の体験を当事者に聞く授業のことだろう。
先に上げた丹波哲郎も日本人であることからも、この推察はほぼ間違いないと言える。
増田の情報収集力がナメクジ並に低いか、「一番聞きたい」事に全くの無関心だとは分かった(一般論だが https://en.wikipedia.org/wiki/Fragging 上官殺しには軍秩序の崩壊が必須。経験者が語るためには生還が必須。両立は難しい。
先に述べたように増田が求めているのは「日本人兵士が、上官を殺した際の、本人による体験談」なんだけど、なんで海外WIKIの漠然とした味方殺しの記事をあげてきてドヤァって知てるんですかね?
これが単に一人のアホのアホ発言ならまだいいんですけど、これに入ってるスターって何割が晒し上げで、何割がガチの同意なんでしょうか?
少なくともこのコメントは完全に的外れだし、そんな的外れをやっておいて「お前の情報収集能力がクソザコナメクジ」は余りにも品がない。
品性下劣になる人間はそもそも想像力が欠如しているから、自分で自分を客観的に見る能力が劣っているとはよく聞きますけどここまで完璧にソレが起きちゃってる人も珍しいなってぐらいの可哀想な人。
晒し上げにしたって、こんな可哀想な人をあげつらって皆で馬鹿にするってのはちょっと良くないと思いますね。
私は違いますよ。
皆さん、こんなことは良くないですよというために仕方なく引用しただけです。
前々から気にはなってんだけど。
宗教団体がその教義を広めるために、信者の動員も期待して作る映画って言うと最近はハッピーをサイエンスする人たちのやつが有名だけど、どうもそんなんとは格が違うっぽいんだよね。
まあ古い日本映画のことを知らなければなんのこっちゃ?だろうが、かなりな組み合わせた。
舛田利雄がどれくらい凄いかというと、かつて『トラ・トラ・トラ』というハリウッド資本で真珠湾攻撃を映画化する企画があって、当初、日本側の監督だった黒澤明がトラブルで降板したあと、共同で日本側監督をやったくらいの人。(もう一人は、『仁義なき戦い』『バトルロイヤル』の深作欣二)。
橋本忍は、黒澤の『羅生門』の脚本書いて世にでた人で、その後の凄さはもうwikipediaでも見てくれ。
で、主演(創価学会第二代会長の戸田城聖の役)が丹波哲郎、日蓮大聖人役は仲代達矢。
“今度の新作には千眼美子が出てるらしい”とか言うのとはレベルが違う。
“東宝映像が制作を行っていることから、1作目での十界論のイメージや『続』での立正安国論の天変地異描写などに特撮が用いられている。当時は映画業界の斜陽化により特撮作品の制作も減少していたが、東宝は本作品でその存在感を知らしめ、以後キャラクター・パニックもの以外の映画やCMなどでの特撮制作の受注が増加していった”
のだそうだ。
なんかこれ、純粋に映画としても結構おもしろいんじゃなかろうか?
過去にシナノ企画という学会系の会社からDVDも発売されたようだが、今は中古しか出回っていないようで、Amazonでは1万円くらいで出ているのだが、さすがに1万だしてまで見たいか?と聞かれると
まあそこまでではない。
が、やはり気になる。
宗教二世と言う単語が俄に話題になっており、そう言えば私もそうだったなと思い、なんとなく当時の思い出を振り返りがてら
父親がはまっていた崇教真光について記そうと思う。今までROM専だったので、至らない所があったら申し訳ない。
細かい時期は覚えていないが、確か小学校にあがったあたりで父親が入信。
ある日いきなり家族を車に乗せて連れて行かれたのが西千葉にあった真光の道場(真光は支部を道場と呼ぶ)であった。
崇教真光と言うのは、神道系の流れを汲み、基本は教祖のもと真光大御神と言う神様を祀る新興宗教で、
一番の売りは、御神霊(おみたま)を言うものを装備して手を3回たたくと、手から目に見えない光が出て、
その光を当てると病気は治り食事は美味しくなり機械は治り悪霊は退治できると言う物であった。
この御神霊は初級中級上級などのランクがあり、初級はたしか5万円だか7万円だかを払い、
3日間泊まり込みの研修を受けたら誰でももらえるヒノキの棒のような物であった。
私も小学校2年か3年の時に受講させられてゲットした覚えがある。普段はネックレスのようにして首からさげ、
胸元に御神霊を入れるポケットがある専用のシャツを作ってそこにしまっていた。
体から外す時は、水に濡らすなとか心臓より低い位置においては行けないとかなんか細かいルールがあったけど忘れちゃった。
とにかくこれで御神霊をゲットした者同士でお互い手かざしをして、病気や煩悩などの悪いところを祓う修行をする場
と言うことで道場と呼ばれているようだった。
手かざしをする時の流れは、暇そうな人が集まる待機所に行き「すみません、○○をお願いしてもいいですか(なんて言ってたか忘れった)?」
と聞いて了承を得ると、二人で道場に行き、まずはお互い正座をして向き合って座り、
祝詞をパクったような呪文を唱えてから額に10分間照射するのが始まりだった。
その後は後ろをむいて肩首、うつ伏せに寝て背中、腎臓のあたり、足裏の順で指圧をして硬い所を見つけたらしばらく手かざしをすると言う流れで、
体が軽くなったと喜ぶ人も居たが、たぶん指圧の効果だったと思う。
たまに父親がなんだかんだ理由をつけて若い主婦の鼠径部あたりを執拗に施術?してたのは今思うと普通に痴漢やセクハラの類だったんだなとは思う。
■真光との付き合いや家族の事
宗教との出会いは上記の通り。典型的なモラハラDV親父だったため、母親を始めとして兄2人と妹を含めた4人兄弟は誰も逆らえずに入信。
定期的に道場に行っていたが、おそらく父親含めて誰1人信仰心から行っている者は居なかった。
逆らったり不満を漏らしたりすると、分厚いガラスの灰皿やゴルフクラブが飛んできたり、良いと言うまで正座もしくは町内をランニングなどさせられた。
母親は朝から晩まで会社で無給の事務員をやらされ、空いた時間で道場にいかされ、家事をやるものは居なく家の中は荒れ放題であった。
おそらくは父親自身のさびしさの穴埋めと承認欲求のために家族全員入信と信仰を強いられたのだと思う。
「○○さんのお家はご家族ですごいのね」
今思うと全てがこの一言をもらうためにやっていたように思える。
例えば真光では、体調を崩して熱が出るのは体の自然な状態なので、なるべく解熱剤などを使わないようにし、
手かざしと自然治癒で治そう。ただし本当にやばい時はちゃんと使わなきゃダメだよみたいな教えがあった。
これを先の一言をもらうために、熱が41度出ようが右足に古釘がささって切断寸前までいこうが家族に病院と薬の使用を禁止し、
無理やり病院に連れて行ってくれた先生を呼びつけ罵詈雑言を浴びせ殴るけるをし、自身が経営する会社の金を横領し
道場に高級車や多額の献金をし、子供は学校を休ませて道場にかよわせ、真光一家の子供が集まるキャンプに参加させ、
岐阜の総本山での大集会に参加させてってここまで書いて思ったのですが、宗教と言うか父親の話ですねこれ。
大体土日ともに朝6時ぐらいに起こされて父親の車に乗せられて道場に連れて行かれる。
この時献金用(なんかお金を紙につつんで2礼2拍手かなんかしながらうやうやしく神前に置いていた記憶が)の100円と
昼飯代などを渡され、妹と二人でおいて行かれる。
母親は会社につれていかれて無給で仕事の残務処理を、父親はゴルフなどをしにいっていた。
父親の目的は「○○さんのお子さんは熱心ですごいわね」と言われる事で、
信仰心を満たすためでは無かったためこれはすごく理にかなった行動だと思う。
そして私と妹は、道場内にある託児所のような場所で、布教用の新聞を折る内職をしたり、信者同士で手かざしをしたり、
マイッチングまちこ先生の絵の人が書いた布教用?の漫画を読んだり、道場長(支部長)が幹部候補生(無給で道場の雑務を処理する青年奴隷)に
パワハラしてるのに怯えたりしながら、ゴルフ帰りの父親が迎えに来るまで時間を潰していました。
当時の数少ない娯楽で楽しみにしていた事が2つあり、1つ目は手かざし中にたまに憑依した霊が手かざしの光を嫌がると言う設定で、
普通のおばさんが「ワシは武士だ!」とかいい始めたりする突発イベントだった。私は2回しか見たことが無かったが、
最初は「まぶしい!やめろ!」とか言って目をつぶったまま光を避けようと抵抗してたが、
最後は「あたたかい…」とか言いはじめて最終的にはなんかお礼とか言ってた。
もう1回はなんか頭揺れてうーうー言ってただけ。今思うと後者は寝不足な人が眠気に抗ってただけなのかもしれない。
もう1つは布教(?)に連れて行かれる事であった。これ自体は面白くもなんとも無かったが、外に出られるってだけで嬉しかった。
主婦が5人1組ぐらいのPTをいくつか組んで、ワゴン車で移動して死亡事故があったところを皆で手かざしをしたりしたのだが、
たまーに「手がピリピリする!」とか言う人が出てくると、そこにどうやら成仏できない霊がいるみたいな設定で皆で集中砲火をするのが面白かった。
その浄化作業の後は阿佐ヶ谷姉妹の玄関開けると居る人たちってネタそのままの行動をしてた。
これのために子供会の野球もやめさせられたし、友達と全然遊べなかったのが辛かった。
当時一番嫌だったのが、金曜日から日曜日にかけて行っていた総本山での大集会(なんか名前がついてた気がするが忘れた)。
金曜日の夜に背もたれを倒せない古いバス10台ほどに分乗して千葉の道場を出発し、皆で寅さんの映画などを見ながら金曜日の夜を過ごし
土曜日の早朝に岐阜の総本山へ到着。全国、というか外人さんのために通訳とかもあったからおそらく世界中から数ヶ月に一度ここへ集まり、
手かざしのおかげで病気が治った、事故にあわずにすんだ、なんかしらの災いから逃れられたなどの今で言う嘘松体験のような物を
泣きながらやる発表会や、ありがたいお話を聞いたり、青年会かなんかの歌や踊りを見たり、みんなでお祈りをささげたりしながら、
集会1番の売りである、教祖様手ずから信者に向けての一斉手かざし(※通常は1on1でやるものだが、教祖様は凄いので大ホールに集まっている
全員に一斉に、しかも両手で光を浴びせることができた)を受けて良かったねと言ってまたバスで1晩かけて帰る。
2夜連続で狭く揺れるバスでの宿泊は車に乗ると確実に酔う私には拷問に等しかった。マジで2晩中吐いてた。
またこの集会にはアントニオ猪木をはじめとした国会議員が数名来ていた。その他芸能人も何人か来ていたが、覚えているのは丹波哲郎のみ。
小学校低学年だったため、子供でも知ってる猪木と、映画を見させられた丹波哲郎以外は名前を知らなかったし覚えていない。
全国から岐阜に集まっちゃうぐらい言う事聞いちゃう信者に顔を売ると言うのは、政治家や人気商売の有名人にとって計り知れないメリットがあるんだろうね。
教団側も内外への広告塔として利用価値あるし、統一教会と政治家がずぶずぶなのも何を今更としか思えなかったし、
参加している芸能人はともかくとして、政治家がどこまで本気で信仰しているのかは怪しい所だと思う。
■その後というか話の締めくくり的な物
父親はその後、思春期を迎えた兄2人を暴力で支配できなくなり、母親には小学生だった私と妹を連れられて離婚され、
会社は銀行に没収され、すっかり存在を忘れられていたが、数年前に膵臓がんにかかり長男に会いに来た所、玄関の扉も開けずに追い返されたとの事。
とっぴんぱらりのぷう
■追記
読んでくれてありがとう。自分の中ではとっくに整理がついてたつもりだったけど、改めて文章にしてみると無視してただけで
100%飲み込んだわけじゃなかった感情とかが見つかって良かったと思う。
上には書いてなかったけど、私が小学2年生の時に母親に連れられて秋田に逃げた事があった。
その時は確か3ヶ月ほどで見つかり連れ戻されたんだけど、そこの児童館かなんかで聞いたフレーズでやけに記憶に残っていた。
当時は個人情報にそれほどうるさくなかったから、学校への問い合わせで見つかったっぽい。
その失敗を踏まえて数年後にまずは母親が単身で家出して、生活基盤を整えてから私達を迎えると言う計画に出たが
居場所や計画などがバレないように私達には内緒にして行った物だから、妹と2人でお母さんに捨てられたと絶望したのはまた別の話。
(※兄2人は知らされていた)
>崇教真光の勧誘には会ったことないけど、勧誘に連れてく子供が他人の子供だった(そういうケースもあった)というのは新鮮な驚きだったわ
勧誘は基本的に主婦を積極的に狙ってた。主婦を釣ればほぼ確実に子供がついてくるし、財布を握っているケースも今より多かったからだと思う。
結果として託児所みたいなところがあって、そこに子供を預けて行くシステムが千葉の道場にはあった。他の道場や宗教はわからないけど
どんな宗教でも主婦を狙うのは基本っぽいから、似たようなケースはあると思う。
>経営者の親父は親父で経営者同士の会合とか政治家もいる会合とかで出会った人間に言いくるめられて入ったんだろうな
これはわからないけど、私個人の見立てとしては、めちゃくちゃお金を稼いで社会的には成功したのに人に好かれない寂しさからはまったんだと思っている。
でもさ、反対意見を言った社員を角材でぶん殴ったり、泣き止まないからって理由で子供を3階のマドから吊り下げたり、雪の降る夜に裸で追い出したり
高速道路に捨てていったり、今だったら即懲役になるような事をやるような人が自分を変えないまま新たな居場所を見つけようとしても、嫌われたり避けられる体験が増えるだけなんだよね。
離婚以降は真光をやめて新興宗教を転々としてたって噂に聞いた。
>結局、信仰宗教って最強の弱者ビジネスに思える。経済的、身体的、精神的な弱みに漬け込み、お金と人を集め、それを目当てに寄ってくる人間を利用する。
これはめちゃめちゃ居た。ガンなどの医師からさじを投げられた人たち、今思うと自閉症だったんだなって人のご両親が熱心にお祈りしてた。あと家庭内不和あたりは本当に
石を投げたらあたるぐらい居た。上得意だったと思う。日常で解決できない問題の救いを求める場所って言う意味では良いと思うんだけど、
割りと強引な勧誘がね…。
たとえば、丹波哲郎さんとか?
丹波哲郎「死んだらみんなはたち」
オウムがウヨかサヨか、はたまたオタクかみたいなのは今とは時代が違いすぎるのであんまり意味がない。90年代の日本がどうだったかというと、インターネットはまだほとんど普及していなくて一部の人がパソコン通信を使っていたくらい。
国内情勢は、91年にバブルが崩壊したとはいえ、まだまだ好景気が下り坂になった程度の印象だった。頑張れば毎年給料上がるし、きつい仕事はその分手取りも高い。投資家とかだとバブルの見え方は違うかも。一般人は好景気のなごりで気持ちに余裕があって当時の政権にも今と比べて信頼があったように思う。GoogleもWikipediaもスマホもない時代、情報も集めにくいので右翼的な思想も先鋭化しづらかったというのもあるのかな。街宣車は見かけた。
一方で左翼的な思想は、昔学生運動をやっていたような人たちが労働組合や日教組にいて、どちらかというと近寄りがたい雰囲気を持っていた。
多くの人は(米軍基地とか個別のテーマはあったものの)政治の舵取り自体はあまり批判的な目では見ておらず、右でも左でもなかった。それより前の時代はノンポリと呼ばれていたけど、90年代くらいだとそれらはサブカルに飲み込まれていったように思う。これまで同じ人気ドラマを見て同じベストセラー小説を読んでみたいなライフスタイルから、他人がどうであれ自分が好きなものを選んで楽しむことが普通になった。インディーズバンドを聴いたり、カルト映画とか、もちろんアニメも含めマニアックな趣味が細分化していった。とはいえ、ネットで検索できるわけでもないので、当時の普通のアニメオタクよりも今の一般人の方が知識があるくらいで。まあ中には化け物みたいに知識をためこむ人もいたにはいたけど、知識の検証も難しいので不正確な部分もあったりね。
サブカルというひとつの趣味があるわけではなくて、いくつもの細分化した趣味の総体をサブカルと呼んでいた感じ。いまでは考えられないけどフジテレビもサブカルっぽかった。糸井重里もサブカル、景山民夫もサブカル、千葉麗子もサブカル、丹波哲郎もサブカル、そしてオウムもサブカルだった。五島勉のノストラダムスの本もサブカル。
そんな時代。
最近、オカルトブームを振り返る人が多いけど、あまりに言っていることがあやふやなので、とりあえず調べられるだけ調べてみた。
この増田の死ぬって肉体死(老衰死)だろうとおもうが、他にも死が有る。
犯罪などを犯して世間からクズ扱いされ愚痴や憎悪のはけ口にされる社会的死。
痛みがある肉体的死や病気。
脳死、
認知症による知性の死、
逆に知性があっても気力が失せて一時的に生きるのが辛くて死にたくてしょうがない鬱状態(気力の死)などある。
そうして考えていくと実は不幸だが肉体死が訪れなないまま生き続けなければならないのも
死ぬより怖い。
となると結局は「みんな元気で死なないのがいい」。
それは単なる半径5mの幸福で達成できる。
熱中症にかかると救急車で運ばれて5万円かかるし下手すると死ぬ。
じゃあ1人1人が工夫して自分や半径5m内の人が熱中症にかからないようにすることで、病院のベッドを1つ開けて、他人が生き残るチャンスをつくれる。
丹波哲郎さんの死後世界の説明が(宗教がない人にも)かなり受け入れやすいので調べてみよう。
追記
宗教でいえば、アイドルに全てを託して、アイドルに会えたり握手できたらその日死んでもいい、悩み苦しみもアイドルの一番好きな芝居してるときの写真にむかって告白してればなんか解消できちゃう。がキリスト教その他一神教。
逆に徹底的草食系になって、宇宙とか意識して好き嫌いの感情を常にフラットに保つことで死もこわくない。アカシックレコードの一部として生きるのが仏教。多神教というか、無神教。
どちらにもそれなりの救いはある。
どちらにもハマれず急に本当に辛くなったら、そのときはメンタルのお医者さんにかけこんだらいいよ。
尚、とりあげられたからといって彼らが本当に幸福の科学信者かどうかが分かるものでは無いのであしからず
尚、この記事を書いている人は守護霊とか霊験がどういったものなのか全くわかってないのであしからず
やべぇ見たくなってきた(だが踏みとどまる)
筆者は半分くらいしか観てないので間違いとかあったら指摘してください。
・庵野秀明『エヴァ(旧世紀版&新劇場版)』 : 同じBGMを使用している。ヤシオリ作戦の内容・名称の元ネタ。
・岡本喜八『日本のいちばん長い日』 : 激しいカット割りの元ネタ。日本が危機に直面した時の官僚・政治家の動向を描く点は同一。監督岡本喜八の写真が本作に登場する牧吾郎の写真として使われている。
・本多猪四郎『ゴジラ(初代)』 : 冒頭に映る古い「東宝」画面、第2形態時の咆哮音、冒頭に襲われる船の名前(「栄光丸」⇒「グローリー丸」)はこれが元ネタ。
・押井守『機動警察パトレイバー the Movie』 : 『シン・ゴジラ』に登場する牧吾郎のあり方が、『機動警察パトレイバー the Movie』に登場する帆場暎一と被る点が多い。①冒頭で海に消える、②事件解決の鍵を握るが、本人は既に死亡しているため、彼の思考の解明に主人公たちが翻弄される、③東京を破壊する動機が匂わされる、等。
・福島第一原発 : ①ラストシーンで凝固剤をクレーンで投入するシーンは、福島第一原発にコンクリートなどを流し込む姿を模しているとの指摘あり。②また、ラストにおいてゴジラは死亡せず凍結されるに留まるが、これは福島の原発事故の現状を表してるとの指摘あり。すなわち、冷温停止状態ではあるが、これからもきちんと処理を続けないと、また放射能汚染の惨禍を生むということ。
・長谷川和彦『太陽を盗んだ男』 : ラスト、石原さとみと長谷川博己が語り合う建物が、菅原文太とジュリーの決戦の場と同じ。ヱヴァ破でこれのサントラを使っていたため、意識して使用した可能性がある。また、制作中の仮題が『日本対俺』であり、これは『シン・ゴジラ』のキャッチコピーである『現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)』に類似する。
・庵野秀明『巨神兵東京に現る』 : 終盤、ゴジラの尻尾から出てくる人型が、『巨神兵東京に現る』に登場する巨神兵に酷似している。
・橋本幸治=中野昭慶『ゴジラ(84年)』 : 今回のシン・ゴジラと同じテーマ(危機に直面した日本がどう対応するか)を扱った作品。第4形態時の咆哮音の元ネタ。『シン・ゴジラ』のキーマンである牧吾郎の初出。
・本多猪四郎『宇宙大戦争(59年)』 : ヤシオリ作戦シーンのビーム作画、ビームSE、BGMの元ネタ。ただし、マーチについては、直接の元ネタは『怪獣大戦争』ではないかとの指摘あり。
・富野由悠季『イデオン』 : ゴジラが、背びれから全方位ミサイルを出し、尻尾からソードを出しているのは、これが元ネタではないかとの指摘あり。
・岡本喜八『沖縄決戦』 : 上述した『日本のいちばん長い日』と同じ理由。ただしこちらはシン・ゴジラと違って民間人の視点からも事件を描く/人の死亡シーンまで描く。また、『シン・ゴジラ』のラスト付近に登場する第32普通科連隊の丹波一佐は、『沖縄決戦』で第32軍長勇参謀長を演じる丹波哲郎が元ネタ。
・佐藤純彌『新幹線大爆破』 : 東京駅で作戦をするシーン、新幹線に爆弾を積んでぶつけるシーンの元ネタ。
・赤井孝美『八岐之大蛇の逆襲』 : 「ヤシオリ」という名称(ヤマタノオロチを酔わせた酒)からすると、ヤシオリ作戦の元ネタはエヴァではなくこちらを挙げるべきであるとの意見あり。また、血液凝固剤を注射ではなく経口投与にしたのは、ヤマタノオロチの伝承に倣ったものか。なお、これに登場する八岐之大蛇は第2形態に似ている。
・山崎豊子『白い巨塔』 : 財前正夫(國村準)、大河内清次(大杉漣)、里見祐介(平泉成)、花森麗子(余貴美子)、東竜太(柄本明)、柳原(矢島健一)、金井(中村育二)の”苗字”の元ネタ。たぶん探せばもっと出てくる。
・安野モヨコ作品 : 矢口蘭堂(長谷川博己)(⇒『ジェリービーンズ』)、カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)、尾頭ヒロミ(市川実日子)、花森麗子(余貴美子)(⇒『ハッピー・マニア』)の”名前”の元ネタ。たぶん探せばもっと出てくる。