「伝統」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 伝統とは

2017-05-19

右筆(ゆうひつ)は、中世近世に置かれた武家秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられた。

目次 [非表示]

1 概説

2 鎌倉幕府室町幕府

3 織豊政権

4 江戸幕府

5 関連項目

6 関連作

概説[編集]

初期の武士においては、その全てが文章の正しい様式(書札礼)について知悉しているとは限らず、文盲の者も珍しくは無かった。そこで武士の中には僧侶や家臣の中で、文字を知っている人間書状文書を代筆させることが行われた。やがて武士地位が高まってくると、公私にわたって文書を出す機会が増大するようになった。そこで専門職としての右筆誕生し、右筆文書作成執筆を行わせ、武家はそれに署名花押のみを行うのが一般的となった。これは伝統的に書式のあり方が引き継がれてきたために、自筆文書一般的であった公家とは大きく違うところである武家が発給した文書場合文書作成のもの右筆によるものでも署名花押が発給者当人のものであれば、自筆文書と同じ法的効力を持った。これを右筆書(ゆうひつがき)と呼ぶ(もっとも、足利尊氏のように署名花押まで右筆に任せてしま特殊例外もあった)。

なお、事務煩雑化すると、右筆正式手続を経て決定された事項について自らの職権の一環として文書作成署名を行い、これに主君発給文書と同一の効力を持たせる例も登場する。こうした例は院宣綸旨などに早くから見られ、後に武家の奉書や御教書などにも採用された。

現在では天皇皇后文章の代筆をする宮内庁文書専門員(中島司有、佐伯司朗といった書家が務める)は「祐筆」と呼ばれることがある。

鎌倉幕府室町幕府[編集]

源頼朝鎌倉幕府の原点である鎌倉政権を打ち立てた時に、京都から下級官人が招かれて事務的業務を行ったが、初期において右筆を務めていたのが大江広元である。後に、広元が公文所政所において行政に専念するようになると、平盛時(政所家事)・藤原広綱・藤原邦通らが右筆を務めた。

その後、将軍執権のみならず、引付などの幕府の各機関にも右筆が置かれ、太田氏や三善氏などの官人末裔がその任に当たるようになった。基本的室町幕府もこの制度を引き継いだが、次第に右筆の中から奉行人に任じられて発言力を増大させて、右筆方(奉行衆)と呼ばれる集団構成するようになった。

なお、室町幕府では、行政実務を担当する計方右筆公文書作成担当する外右筆(とのゆうひつ)・作事造営を担当する作事右筆などと言った区別があった。

織豊政権[編集]

戦国時代に入ると、戦時必要文書を発給するための右筆が戦にも同行するようになった。戦国大名から統一政権を打ち立てた織田・豊臣の両政権では右筆衆(ゆうひつしゅう)の制が定められ、右筆衆が行政文書作成するだけではなく、奉行・蔵入地代官などを兼務してその政策決定過程から関与する場合もあった。豊臣政権五奉行であった石田三成長束正家増田長盛は元々豊臣秀吉右筆出身であった。他に右筆衆として著名なもの織田政権の明院良政・武井夕庵・楠長諳・松井友閑・太田牛一、豊臣政権の和久宗是・山中長俊・木下吉隆・安威了佐などがいる。

なお、後述のように豊臣政権の没落後、右筆衆の中には徳川政権によって右筆に登用されたものもおり、右筆衆という言葉江戸幕府でも採用されている。

江戸幕府[編集]

戦国大名としての徳川氏にも右筆存在したと考えられるが、徳川家康三河時代右筆家康勢力拡大と天下掌握の過程奉行代官などの行政職や譜代大名などに採用されたために、江戸幕府成立時に採用されていた右筆は多くは旧室町幕府奉行の子弟(曾我尚祐)や関ヶ原の戦い東軍を支持した豊臣政権右筆衆(大橋重保)、関東地方平定時に家康に仕えた旧後北条氏右筆久保正俊)などであったと考えられている。

徳川将軍家のみならず、諸大名においても同じように家臣の中から右筆祐筆)を登用するのが一般的であったが、館林藩から将軍就任した徳川綱吉は、館林藩から自分右筆江戸城に入れて右筆業務を行わせた。このため一般行政文書作成管理を行う既存の表右筆将軍の側近として将軍文書作成管理を行う奥右筆に分離することとなった。当初は双方の右筆対立関係にあったが、後に表右筆から奥右筆を選定する人事が一般化すると両者の棲み分けが進んだ。奥右筆将軍以外の他者私的関係を結ぶことを禁じられていたが、将軍への文書の取次ぎは側用人奥右筆のみが出来る職務であった。奥右筆承認を得ないと、文書老中などの執政に廻されないこともあった。また奥右筆のために独立した御用部屋が設置され、老中若年寄などから上げられた政策上の問題将軍の指示によって調査・報告を行った。このために、大藩の大名江戸城を陰で仕切る大奥の首脳でも奥右筆との対立を招くことは自己地位を危うくする危険性を孕んでいた。このため、奥右筆の周辺には金品に絡む問題も生じたと言われている。一方、表右筆待遇奥右筆よりも一段下がり、機密には関わらず、判物・朱印状などの一般行政文書作成や諸大名の分限帳や旗本御家人などの名簿を管理した。

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517214943

靖国神社自体が全国の神社と比べてかなり歴史が浅い、戦争のために突貫的に作られたインチキ神社だしね。

そもそも神道じゃ死者は穢れを伴うもので、亡くなった人は「草葉の陰から」見守るささやかなもんだったのを、戦争で死んだ兵士神格化するためにわざわざ仏教的な「英霊」とかい概念勝手にぶち上げてる。

今の右翼どもはそうした戦争に勝つために戦術的に宗教利用された神道をあたか日本古来の伝統であるかのようにしているのが最高にキモイんだよね。

2017-05-15

ある新設学科とあるポストの話

最近の話ではなく、昔の話です。ある大学に新設学科をつくることになりました。多くの新設学科にやってくるような人というのはその大学の中から異動する場合も、外からやってくる場合でも、あまり保守的じゃない人が来ることが多いです。新しいものをつくるのだから当然といえば当然かもしれません。

その学科とある教授は当時の助教授現在准教授)のガチ公募を行い、東大出身の人を採用しました。そこから数年経ち、その准教授が別の大学教授となったため、再度ガチ公募を行い、京大出身の人を採用しました。そこから数年経ち、当時の教授は退官しました。そして、その1年後に准教授は別の大学教授となりました。

困ったのは学科に残った人たちです。とある研究室教授准教授もいなくなったのちに、その研究室公募をして新たな教授准教授採用する必要が出ました。これまで東大京大という順序で採っていたのでそれに倣って、教授東大から准教授京大から採用しました。そのあとはその繰り返しで京大東大から採用するルールが生まれました。

おそらく外から見ると初代教授の人が東大京大と交互に採用をしたように見えたのかもしれませんが、単にそのとき公募で最も優秀な人を採用しただけに過ぎないのでした。しかし、いつのまにか暗黙のルールが生まれました。これは学閥ではありませんが、あとから来た人には崩すことは難しい伝統です。そして、この伝統合理性はありません。私はどのようにすればよいのでしょうか?

2017-05-14

[] 橘餅

(きっぱん)

琉球伝統菓子の一つ。沖縄産のミカンであるクニブ(九年母)やカーブチーの果汁を絞り、種を除いた後の皮などをきざみ、

砂糖を加えてこね混ぜ、それを直径5cmほどに丸め砂糖衣でまぶしたもの。大変手間がかかるため、製造販売を行っているのは、

今では那覇市の「謝花(じゃはな)きっぱん店」ただ一軒のみである

http://www.weblio.jp/content/%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%82%93

物騒少女マキャベリズム

すごく面白いと思った(小学生並みの感想)。

アニメしか見てないか原作は知らないけど、アニメで満足してるので原作は読まないけど、すごい面白いと思った。

武装少女マキャヴェリズムを見ていない人にも分かるように武装少女マキャヴェリズム解説すると、美少女チャンバラしてキャッキャウフフな学園生活を送るバトル系美少女アニメ漫画)です。以上

何故ぼくがこのアニメ面白いと思ったかというと、このアニメは「キャラクターが立っている」からです。

銃刀法喧嘩を売るような学園生活を送る作品が何千何万と作られてしまった今の時代において、ストーリーにおいて優劣が付くことはほとんどないと私は思っています

余りにも段取りが悪いと目が滑り減点対象となる、程度でしょう。

特にこのアニメ場合段取りはとても普通四天王系のキャラクター(天下五剣)を次々に倒しては仲間にしていく、昨日の敵は今日の友って古い言葉もあるけど方式であり、プラス評価マイナス評価存在し得ないです。

まりは、この作品評価軸はほぼ1つ、キャラクターの立ちっぷりにあるわけです。

さて、みなさんは「キャラクターが立っている」と聞いて何を想像するでしょうか?

「そのキャラクターに人気がある」「そのキャラクターが遠目に見ても分かる」「そのキャラクターが独特である」「そのキャラクターかわいい(かっこいい)」「そのキャラクターが他のキャラクター区別できる」「そのキャラクターの作中での役割がはっきりしている」「そのキャラクター話題だけで何日も話せる人が存在する」「そのキャラクターが登場すると雰囲気が変わる」「そのキャラクター作品看板になる」「そのキャラクターコラ画像が作られる」

様々な物がありますよね。

どれも正しいと思います

私が今回使っている意味での「キャラが立つ」は「そのキャラクターの作中での役割がはっきりしている」という部分についてです。

ごめんなさいクイズじゃないのにクイズみたいになりました。段取りミスたかもです。

とにかく、私が武装少女マキャヴェリズム面白いと思うのは、それぞれのキャラクター役割がはっきりしているからです。


では一度、私の考える武装少女マキャヴェリズムキャラクター立ち位置を語ってみます

納村 不道  ー混沌/善 ー主人公   社会的束縛からの開放を望む視聴者気持ちの受け皿

鬼瓦 輪   ー秩序/善 ーヒロイン  社会自分たちを認めさせたい気持ちの受け皿

亀鶴城 メアリー秩序/中庸チョロイン チョロインを求める気持ちの受け皿

花酒 蕨   ー混沌中庸狂言回し  姉御肌のキャラクターを求める気持ちの受け皿

眼目 さとり ー混沌/悪 ー中ボス   世界に漂う正体不明な悪意の具現化を求める気持ちの受け皿

因幡 月夜  ー中立中庸雷電    解説担当キャラを求める気持ちの受け皿

マツコ    ー中立/善 ー相棒    男同士の熱い友情を求める気持ちの受け皿

天羽 斬々  ー中立/悪 ーラスボス  宿命的な戦いを求める気持ちの受け皿


大体こんな所でしょうか。

見ての通り、どのキャラがどのような役割なのかがとてもハッキリしています

微妙役割が被っている所も無いわけではないのですが、明確な役割被りはありません。

ストーリーの運びもそのキャラクター役割を崩すことなく進んでいます

まずヒロインを仲間にし、ヒロインを焚き付けるためにチョロインを用意し、ヒロインレースとは別枠で動けるキャラクターを味方につける、と、やり尽くされた伝統を崩すことなくとても丁寧になぞっています

まるで伝統芸能の如く、役割のハッキリとしたキャラクターがその役割の通りに動く、ただそれだけの作品です。

しかし、それが私にはとても心地よいのです。

どこか懐かしい気持ち安心してみていられます

昔の作品をまた見ればいいと思うかも知れませんが、それでは違うのです。

何が違うかと言えば作られた時代が違うのです。

昔の作品にはどうしても、当時の感性デザイン流行り、文化、そういった物があるのです。

もしもそれらを今見れば、「懐かしい」という気持ちが生まれしまうでしょう。

それを求めてみているのならばそれはとても素晴らしいですが、そうでないならば時としてノイズになります

なので私は、今風の絵柄や世界の中で、昔なじみの事をやっている作品を求めてしまう。

その気持ちにこの作品はとてもフィットしています

やり尽くされた伝統継承しつつ、あくま現代空気をまとわせて換骨奪胎させているのがとてもいい。

恥の文化()

これは私の主観から来る見解にすぎないのだが、日本人の誇る「恥の文化」なるものは、日本人を苦しめる害悪に他ならないのではないだろうか。

人の善意に頼る文化ならばそこに人を信じる気持ちが生まれ清々しい。

人の道徳に頼る文化ならばそこに礼を重んじる思いが篭り恭しい。

だが、人の羞恥心、体面への執着に依存する文化というのは、どうにも陰湿で収まりが悪いものとして、私は感じてしまう。

何故ならば、羞恥心を感じずにすむように生きろというのは、何も語っていないかである

方針がないままに忖度を求めている。

命じる側は一切のリスク責任を負う事なく、朝三暮四を平気で行えるような指針を示している。

言ってしまえば、後知恵で幾らでも文句をつけつつ、自分立場はいくらでも守ることが出来るよう命じる、下衆の類である

恥の文化においては、誰もがこの、「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変対応を命じる下衆」に成り下がっていく。

本来理想は誰もが「己に恥じない高貴な人間」となるはずだったのが、方針の組み立てを誤りその場しのぎを繰り返した結果、正反対の所へとたどり着いたのだ。

もはや、「恥の文化」そのものが、日本にとっての「恥」でしかない。

我々は「恥」を重んじる文化から脱皮しなければならないのではないだろうか。

未だにこんな古臭い文化伝統として奉り守り抜こうとするなど、本当に恥ずかしい。

2017-05-12

[] じゃんがら

伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」に由来し、伝統の味と技が光る「お菓子みよし」が製造する福島県いわき市代表する銘菓

水を使わず小麦粉と卵で焼き上げたサックリとした皮に大納言小豆を挟んだ独特の個性的な味わい。

じゃんがら念仏踊が描かれた包み紙は一枚一枚絵柄が違い、また3個入りの箱は、じゃんがらの太鼓イメージして作られリニューアル

http://kankou-iwaki.or.jp/souvenirs/sweets-of-iwaki/30426

旧制高校伝統を復活させよう!と言っている政治家をご存じの方はいませんか?

いたらいいなと思って探し始めましたが当方の探し方が悪いのか見つかりません

2017-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20170511111147

参考になるかと思って日本会議ホームページ見に行ったら、設立宣言の所に、

我が国は、古より多様な価値共存を認め、自然との共生のうちに、伝統尊重しながら海外文明摂取同化させて鋭意国づくりに努めてきた。

って書いてあったから、マジでそういうレベルの話かもしれんなw

しかし、アカをあれだけ忌み嫌って弾圧した歴史は完全に無かったことにされてるんだな、びっくりしたわ。

2017-05-10

同性婚はやってないだろ?

あと歴史伝統なら夫婦別姓に戻すべきとかじゃね

2017-05-09

日本都市より現代日本を読む

言語文化市場など基本的に「閉じた社会である日本において、お上承認されることにより連中の視野が広がったように見えているだけです。精神鎖国はむしろより強固になりますし、実際特に文化的側面において取り残されているのは、諸君もよく指摘されるとおり。

大衆の反発ごときでは微動だにしない強固な権威構造がこの国にはあって、原住民はそれに阿諛追従し、おこぼれを頂戴することによって生かされているということです。

近代的ではない自我原住民)が結合することによって、全体主義が出来上がるのは歴史が教えるところ。相互監視同調圧力といった悪しき伝統も剥き出しですから危機感持たないといかんでしょうね。

この国では公共交通公共性を捨ててしまい、東洋社会国民蔓延する我欲の増幅装置に堕してますからね。あん低俗ガス抜きに煽られる大衆相手なら、企業は楽に稼げますし、権力者もやりたい放題でしょう。その行き着く先が何かということなんですが。

そんなカタストロフィを予期して自分らの取り分を確保し、逃げる準備をしている連中が散見されますね。連中は昭和時代危機をそうやって乗り切った奴らの後裔ですから、やることは同じです。欧州各国のように軟着陸できればいいんですが、困難としか言いようがない。

大したことは言えませんが、個人が抱く企業権威に対する生々しい危機感当事者意識日本外国では段違いだなとは思っています日本大衆疲弊しているとかよく言われますが、それは言い訳にはなりません。例えば韓国なんか日本どころではないくら生活(たとえば通勤)は大変なので。

それはたぶん、自己や現状に対する肯定感の違いでしょう。何だかんだ言って日本人は今の日本都市が好きで、韓国人アメリカ人祖国があまり好きではない。日本人にとっての「日本」は社会臭の希薄共同体で、日本人はこれにぶら下がりますが、外国場合はかなり決定的に違います

機関民間共同体自国民を養育し、中心から片隅まで面倒を見ていた時代、あるいは国民一人一人がそう信じることができる時代がいつまで続くかでしょうね。おそらくそろそろ限界外国最初から(良くも悪くも)そういう国ではなかったんです。

私は最近特に顕著な「日本満員電車離れ」「日本鉄道離れ」に注目しました。あれは、これまで日本都市の信頼を約束してきた共同体裏切りに対する訣別宣言です。そんな彼ら彼女らの受け皿として道路交通機能するかが日本復権勝負の分かれ目でしょう。

とりあえず昔とは違い、日本国日本民間共同体ハードクラッシュしたら困る人達日本の外にもいるので、決定的な事件災害戦争などが起こらない限りは軟着陸するんじゃないかなとは思ってます(それが良いかは判りませんが)。

日本場合日本人の「日本的共同体幻想」と言語の壁のせいで精神鎖国が続いてますから、常に「まずい」状況なんだと思います日本私鉄社会車社会国鉄破滅させながら自分らの権益を確保した連中の残りカスですから卑怯なのは当然。そして同じように危険でしょうね。

韓国しろアメリカしろ日本ほど懐の深い国ではないですし、引き籠っていたら生きられなかったので外に目が向くんです。国際都市インフラガラパゴスではお話になりませんし、国内市場が完結したら大国になりませんしね。当然、資源流出しがちになるので、移民外資在外国民を受け入れたり、中国主要先進国に学ぶ方向に舵を切ったということです。

日本人日本未来中国韓国になぞらえるのはそのへんの文脈欧米やその既得権益支配によってもたらされた貧困で食い詰めて切羽詰った原住民が、革命を起こして、エスタブリッシュメントになりましたよね。さすがに日本人はそこまでになれるかわかりませんが。(笑)

2017-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20170505144121

うん?さらりと書いてるけど「寿司女」と言ってやり取りしていた動画なり本人の発信が見つかったの?それならそれでその内容をまず記述してください。

実際にはどうやら去年あたりに使っていたのが判明

 

twitterモーメントのブコメに貼られた「根拠」のリンクがあるけど、これ掲示板書き込みにすぎないよね? 配信ウォッチスレッドでないの?

bj 민성과 일본 여성들 - 인터넷방송 갤러리

http://gall.dcinside.com/board/view/?id=ib&no=4506334

'스시녀와의 전통'(寿司女との伝統)でググってもこのページしか出ないんだけど。果たしてこの「스시녀(寿司女)」がユ・ミンソンの配信で使われた事実は出てきてるの?動画恒例となってる日本人女性相手フリーハグ掲示板で「寿司女との伝統」と題しただけでないの?

 

この人のアップした動画タイトルでは「초미녀(超美女)(スミニョ)」ばかりで「초밥녀(寿司女)(スシニョ)」は見つからないみたいよ。

もしそういう動画が見つかったのなら教えてくれ。

https://www.youtube.com/channel/UCFBfY1hHGla-FpqQfp1KKEg/videos

韓国語分かる人なら見つけられるでしょ

2017-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20170502202439

テレビに映らない京都伝統ナニソレってなくらい街並みに統一感がない

まわりに無頓着でけっして何ものにも染まらないオタクっぽさがある

ヘイト言動が多いのは然もありなん

2017-04-30

発展途上国の方が発展不可能国よりもマシな気がする

発展途上国はこれから発展すればいい

一方日本みたいな、くだらない伝統前例主義自縄自縛でこれから発展することが不可能な国はもう駄目。

最新技術に対して、俺の若い頃にはそんなの無かった根性解決できると言い張っておきながら実際は自分マニュアルの読み方すらわからないのを知られたくないだけの老害発言権を持っている国に未来はないよ。

まずさ、発展途上国って人口ピラミッドが綺麗なんだよね。

若者が多くて老人は少ない。

俺が日本を発展不可能国だと言ったのはひとえに歪な人口ピラミッドとそれを解決しようとする意志のなさに根ざしてる。

未来なんて関係無くて後はもうダラダラ年金もらって死ぬだけの連中に発言権政治への参加権持たせるなよ。

年金受給者による投票は1/2人分として計算して、代わりに15歳~18歳が1/2人分の票として投票できるようにしろ

2017-04-27

江戸町人が楽しんだ流行の跡が残っていれば「日本の古き良き伝統だ」とか言ってありがたがるくせに、現代市民が楽しんだ流行の跡が残っていると「ゲェっ」と思ってしま日本人

http://anond.hatelabo.jp/20170427101937

一応真面目に答えておくが、まず、肉の缶詰はある。

コーンビーフとか、牛肉大和煮とか。

それから、缶詰の製造工程を考えてくれ。

伝統的には、缶の中に材料を詰め込んでから加圧・加熱して殺菌する。

当然、煮物みたいなものばっかりになる。

唐揚げを缶詰にしたければ、まず唐揚げをつくっておいて、それを缶の中に入れてから、殺菌工程となる。けど、ふつうに加熱したら唐揚げが煮崩れてしまうだろ?

唐揚げ煮物にしてしまいたくなければ空間をつくっておかなければいけないが、ふつう空気だとあっさり酸化する。

ということは窒素充填かなんかにしとかなきゃいけない。

コスト考えてみて、唐揚げを缶詰にするよりは、ニッパイ店頭に並べるほうがずっと合理的だとわかるだろ。

それで不満なら、自分で揚げて食えよ。

2017-04-25

このよしこは嫌いだ

櫻井よしこの講演料は150万! 講演で稼ぐ安倍応援団実態

 しかし、辛坊竹田はまるで冗談かのように茶化していたが、これは本当の話だ。ある在京テレビ局関係者が言う。

「いまのテレビ政権というか官邸の顔色ばかり伺っている。企画だって政府批判につながりそうなもの露骨に上の受けがよくないし、だいたい弾かれますよ。

スタジオでも言葉遣いひとつひとつに、偏向だとか言われないように細心の注意を払う。その意味では、やっぱり安倍政権好意的コメンテーターは使いやすいんです」

 しかも、こうして一度“安倍礼賛”の陣営はいれば、いみじくも『委員会』で辛抱が暴露したように、講演会によってガッポガッポと稼ぐことができる。

もちろん、そういう「講演会」というのは、書店トークショーなどでのこじんまりしたものではない。

JC青年会議所)やライオンズクラブ、有力企業保守系政治団体などが主催し、ホテルなどの大箱で催されるもので、目当ての“顧客”は、一般人ではなく企業経営者地元の実力者。

いきおい、講演料は大学市民団体などでの講演とはくらべものにならない高額になる。

 たとえば、講演会での講師派遣などを手がける株式会社エスエンタープライズHPによれば、“保守女神”こと櫻井よしこの講演料の「目安」は実に100万〜150万円と記載されている。

大阪市長橋下徹の講演料が「90分200万円」であることも有名な話だ。人によってピンキリではあるが、相場は50万〜200万円と言ってもいいだろう。

 ようするに、こうした文化人にとって数時間でこんな大金を得られる講演会ほどオイシイものはないのである。付け加えると、「『委員会』に出て、講演で稼ぐ」という構造も本当だ。

 その典型が、東京新聞長谷川幸洋長谷川はある時期から急速に安倍応援団色を強め、

いまではネトウヨ番組ニュース女子』(TOKYO MX)の司会者として沖縄ヘイトを垂れ流すまでになったが、その長谷川が夢中になっているのが「講演ビジネス」らしい。

長谷川テレビで共演したことのある評論家が苦笑しながらこう語る。

長谷川さんの方から、『あなた、何で稼いでるの?』と言ってきて、『講演やった方がいいよ、講演は儲かるよ』と力説していましたね。

なんでも、土日は講演で地方にいて、ほとんど東京にいない、と自慢していました。うれしくてしようがない様子でしたよ」

 しかも、講師派遣サイト「講演依頼.COM」の紹介ページを見てみると、長谷川は「実績」として堂々と『そこまで言って委員会NP』や『ニュース女子』 “売り”として記載している。

 そんな長谷川がどんな講演を行なっているのかといえば、昨年6月には新潟県内のホテルで、「安倍政権と今後の日本」と題した講演会を行なっている。

主催は、新潟県異業種交流センター県央支部で、後援は燕三条青年会議所燕三条JCの告知ページではこのように宣伝されていた。

読売テレビそこまで言って委員会NP」など、多数のメディアにご出演されている長谷川幸洋氏より、参院選前の官邸の様子、永田町の様子などホット話題提供していただきます

普段テレビでは言えないような発言も飛び出すかもしれません。お聞き逃しなく!〉

 こうした安倍政権応援団の“講演会ビジネス”の実態をまざまざと見せつけられると、ひょっとして、こうした小遣い稼ぎ(といっても大金だが)のために、

テレビ安倍首相を礼賛して沖縄米軍基地に関するヘイトデマを垂れ流しているのでは、という疑念が頭をもたげてくる。

 だが、こうしたビジネス長谷川だけの話ではないだろう。

毎日新聞伊藤智永氏は「サンデー毎日」(毎日新聞社4月2月号に寄せた「安倍首相を担いだ『保守ビジネス』」のなかで、近年の日本社会のなかで〈「保守」が思想ではなくビジネスになっている実態〉を指摘している。

 伊藤氏はそのなかで、東条英機元首相のひ孫である東條英利氏のエピソードを紹介している。

東條英利氏は現在一般社団法人国際教養振興協会」の創設理事長を務め、神社ライターとしての執筆活動や各地での講演会を行なっている。

伊藤氏の取材に対し東條氏は、竹田恒泰代表を務める「竹田研究会」に出入りしてノウハウを学んだという。

竹田研究会といえば、〈日本研究し、日本の文化芸術を振興し、かつ、青少年健全な育成をすることで、日本人が輝きを取り戻し〉などという触れ込みで全国に支部をおき、各地で竹田講演会を開催している団体

事実上竹田資金め組織のような役割を担っているが、昨年10月竹田の片腕としてその竹田研究会幹事長をしていた前山亜杜武氏が、詐欺容疑で逮捕されたことも記憶に新しい。

 伊藤氏は、東条氏のように、この竹田研究会で学んだノウハウ独立し「保守ビジネス」を起業した男性2人に取材。彼らの話を総合すると、その実態はこういうことだという。

セミナー屋だね。会費3000円で1回25人も集まれば成り立つ。あとはネット塾。私は月1000円で約1400人に歴史時事問題面白い言論配信している。

毎月定期的に140万円。売れっ子Kさんは月5000円、Mさんは月3000円で常時1000人以上。やめられないよ。運動なんかしない、商売もの

自己啓発とか異業種交流とか似たモデルは他にもあった。1990年代から保守が売り物として成立するようになった」

 この複合証言なかに出てくるK氏とM氏は〈ウィキペディアにも載っている業界の中堅どころ〉だという。

いずれにせよ、「日本研究し、歴史伝統継承する」などと大上段に構え、「保守」を自認する安倍政権を讃えることが、彼らにとって格好の金稼ぎの手立てとなる。

委員会』で辛坊治郎暴露した“講演会ビジネス”もそうだが、そうしたビジネス蔓延しているということなのだ。

 結局、彼らの言う「保守」というのは、金儲けのための“看板”みたいなものなのだろう。つくづくため息が止まらないが、

安倍政権がこうした“ビジネス保守”の連中を活用することで、世論をつくりあげていることも事実だ。圧力に屈して政権忖度するマスコミと、

その流れをフルに活用してマネタイズするカッコつきの保守人士たち、そして、それを養分政治体制を盤石にする安倍政権――。そのサイクルは、わたしたちが思っているよりもはるか構造化しているのかもしれない。

http://lite-ra.com/2017/04/post-3100_4.html

K=小池塾? 5000円

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

科学資本主義宗教ですよ。1+1=2とか、お金とか、信じてるんじゃないですか?日本人は周りの空気も信じてますよ。オウム地下鉄サリン事件で、実行犯だった広瀬さんの手記が参考になります。長く続いている伝統的な宗教には、世間と折り合っていく知恵があります。禅では、悟りを開いた後に里に戻る、という教えもあるそうです。新興宗教には、その知恵が欠けているんです。

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170419131231

それは由緒正しき伝統の姫騎士だけで最近の姫騎士ちょっとちんぽ突っ込んだだけですぐ堕ちるだろ

2017-04-15

不条理を教える異常(全部嘘)

 社会の苦しみというものを教える機会と言うもの実在するらしい。

 数少ないこのような機会を持つために、「伝統」「校風」を掲げることがある。某沿岸高校は長期の航海を通じて人格を育てたり、某県の多くの高校は新入生にバンカラ応援歌練習伝統に根ざした自己確立させたり、はたまた某都市進学校は新入生の合宿でその高校校風に染め上げるというように、「伝統」「校風」を盾にグレーゾーンを突っ走っていたりする。このようなある種の人間教育は、世界不条理さを伝える有用手段として存在するとは思うのだが、一方で宗教的性格自我崩壊危険性といった世間批判を浴びてもいる。それぞれの学校も、校風によって執り行われる祭事時代に合わせて少しづつ変化させているようだ。

 一方で、正式教育、すなわち行政機関が決定した教育方法では、人を教育する上で不条理さ・不便さを生徒に感じさせることを拒んでいる気がする。無駄が多い割に必要なことが省かれている「理系科目の教科書」や、出版社意志がそのまま内容を歪めかねない「文系科目の教科書」、著者の都合や時代の移り変わりによって無駄改定される「語学参考書」などの教育という観点から見たらあまり合理性に欠ける教材という不便さはある。しかしそういうものではなく、人間関係においてしばしば生ずる特定個人に対する「人格の完全否定」など精神的な問題出会うことはめったにない(ただしいじめを除く)。

 精神的な不条理さを解決して総て人間尊重できる社会を目指す礎を築かせるという点において、苦しみを体験することによる不条理世界理解というものは、地球規模化する社会リーダーとしての素質を育てるためには必要だ。ところが、その体験が、グローバルとはかけ離れた、「伝統」「校風」という宗教的性格を持ちかねないきわめて異常な手段しかなされない、という奇妙な問題があるように感じるのは、たぶん私だけだろう。

なんちゃって

2017-04-09

みんな気づいてくれ、ネットカウンターカルチャーから

 世間話をしよう。

 今日では、男性嫌悪なおばちゃんが何かと槍玉に挙げられる。こんなの↓(見なくてよい)

https://twitter.com/kobayashigiriko/status/826378866646081537

これは「女性嫌悪ネットにもいっぱいあるから、男が嫌いにもなる」と読める。なるほどワシも男じゃ。正直、スマンカッタ

しかネット上の伝統的な女性嫌悪は弁護することもできる。

ちょっと昔の、2000年代的なネットの負の側面は加藤智大象徴されると思われる。(※加藤智大2008年秋葉原通り魔事件犯人。この事件加藤17人を負傷させ、うち7名が死亡した)

彼の名言(?)とされるもの

最初からなにもしない奴なんていない

結果が出ないからなにもしなくなる

負け組は生まれながらにして負け組なのです

まずそれに気付きましょう

そして受け入れましょう

お前らには当たり前のように彼女いるからわからないだろうね

顔だよ顔

全て顔

とにかく顔

顔、顔、顔、顔、顔

……00年代ネットでは「非リア(友達が一人もいない人々)」がまだ目立っていて「リア充(話し相手が一人はいる恵まれたヤツラ)」への、どす黒い感情が渦巻いていた(※アンサイクロペディアの該当ページぐらいにしか名残がないけど本来、非リアは完全に孤立した人間の意)

ちょっと昔のネットの中には、こんなへんないきものが、どうもいたらしいのです。ブサイクで、ハゲで、チビで、デブで、ガリガリで、友達が一人もいなくて、家族からも疎まれている。おっさん? おっさんかも。

まり、みんな非リアのことを忘れちまったのです。

どうしてネット女性が「マンコ」「ま〜ん(笑)」と呼ばれたか友達が一人もいない男にとって、女性は全く接点がなくて人間ではなかった。人間以上のもの人間未満のもの幸福社会や抑圧や差別象徴だった。

ちょっと前までネット女性蔑視弱者の声だった。素直な感情だった。

今となってはネット人口が急増したことも気づかない。「リア充爆発しろ」「他人の不幸でメシがうまい」は死語で、非リアの原義も忘れ去られた。普通の人がネットをするようになった。

そうすると素直な感情論でおばちゃんが「女性蔑視はひどい! 男性嫌悪にもなるわ」と言う。男性保育士にザワザワして少年漫画にザワザワして巨乳とか童顔のオタクアートにザワザワしたりする。

言わせてくれ。2ちゃんねるが始まってから我々は全く進歩していない!

男性嫌悪女性嫌悪否定されるものじゃない。どれも弱者の声、どれも素直な感情かもしれない。

でもこれ、結局はカウンターカルチャーですよね? 正義ではないよね?

別に男女の話だけじゃなく。政治にしても。北方領土どうにもならないから反露親米になったり沖縄基地どうにもならないか反米親中親韓になったり。左翼にしても右翼にしても。ただの反発なのではなかろうか?

ネットやってると「四月入社の新社員アドバイス」とかいう、どうでもいい内容がアクセス数を稼ぐわけですよ。あたか会社絶対悪みたいな。みんなはヒラ社員から長時間労働ヤバいとか会社はキツいしか感想がないんだろうけど、経営陣もツラいからね? アレな社員いるからね?

育児話題になったら親を叩いとけば無難みたいな。毒親とか言ってる割にみんなみんな毒子じゃろ。きいつけや。「育児は大変」と「子供は最高」は両立できるんやで。子供テストで0点取ってきた時の正解なんてないからの。


最初の三行だけ読んで脊髄反射レスくれるんだろうなって分かってます。つまりそれなんだよ、ネット性格ってさ。

(※ネトウヨ2ちゃんねる発祥とか、アメリカトランプフランスルペンネット的な風潮から誕生したんではなかろうかとかは、あまりにも安直なのでカットしました)

(※昔のネットには負の側面ばかりじゃなくてアスキーアートのような、創造的な、人生楽しくなかろうがどんちゃん騒ぎで祭りじゃワショーイ的なムーブメントがあった。ヌクモリティガイドラインを読め。ネット出身漫画家作品死ぬほどアニメ化されてんだろ! ネットが好きだ! 俺の想いよネットへ届け!! ハルギニアネットへ届け)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん