2017-05-14

恥の文化()

これは私の主観から来る見解にすぎないのだが、日本人の誇る「恥の文化」なるものは、日本人を苦しめる害悪に他ならないのではないだろうか。

人の善意に頼る文化ならばそこに人を信じる気持ちが生まれ清々しい。

人の道徳に頼る文化ならばそこに礼を重んじる思いが篭り恭しい。

だが、人の羞恥心、体面への執着に依存する文化というのは、どうにも陰湿で収まりが悪いものとして、私は感じてしまう。

何故ならば、羞恥心を感じずにすむように生きろというのは、何も語っていないかである

方針がないままに忖度を求めている。

命じる側は一切のリスク責任を負う事なく、朝三暮四を平気で行えるような指針を示している。

言ってしまえば、後知恵で幾らでも文句をつけつつ、自分立場はいくらでも守ることが出来るよう命じる、下衆の類である

恥の文化においては、誰もがこの、「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変対応を命じる下衆」に成り下がっていく。

本来理想は誰もが「己に恥じない高貴な人間」となるはずだったのが、方針の組み立てを誤りその場しのぎを繰り返した結果、正反対の所へとたどり着いたのだ。

もはや、「恥の文化」そのものが、日本にとっての「恥」でしかない。

我々は「恥」を重んじる文化から脱皮しなければならないのではないだろうか。

未だにこんな古臭い文化伝統として奉り守り抜こうとするなど、本当に恥ずかしい。

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