はてなキーワード: 二重人格とは
って皆言ってるんすけど、そもそもなんでもウテナ言ってる奴もなんでもウテナ言ってる奴がいると言ってる奴も、どっちも少女革命ウテナ分かっとるんかい?って疑問があるんすよね。
ウテナって実はアンシーで、アンシーって実はウテナらしいじゃないっすか?
だってウテナとアンシーって一緒にもいるし別々にもいるじゃないっすか同じタイミングで。
そもそもウテナとアンシーってどっちが卵でどっちが鶏なのか分からなくないですか?
ウテナだったものがアンシーになったのか、アンシーだったものがウテナになったのかって話ですけど作中に答えどころかヒントがあったかさえ私は分かりませんよ。
でもウテナめっちゃ詳しい人に言わせれば「いやウテナ=アンシーでしょ」なんですよ。
は?
理解不能やろ
つうかそれだとどっちが偽物なんやねんってなりません?
アンシーという嘘なのか失われた可能性なのかも分からんものを卒業してウテナが学園を去ったってことなんすか?
それともウテナという二重人格だか集団幻覚だか分からんものが学園から追放されたってことなんすか?
少なくとも一人の人間が二人になれない以上はどっちかは偽物っすよね?
それとも一人の人間が選べる未来は一つしかないという世界のルールを叩き割ることによって運命に対しての革命が成就したってことなんすか?
は?
自分で言ってても何言ってるのかもう分かんねーよ
んでまあ改めて実質ウテナ言われてる作品見てくとどれも別に「ウテナ=アンシー」じゃないんすよね。
たとえば今一番ウテナ言われてるガンダムだって別にトロフィーワイフはたぬきじゃないしたぬきはガンダムじゃないしガンダムが女の子なわけでもないっすよね?
それともそうなんすか?
だとしてそれは物語の果てに分離をするんすか?
もしそうだったとしてもどうせ一体化して終わると思うんですよね。
分離して初めてそれはウテナなんじゃないっすかね?
あれそもそもウテナって分離してるんじゃなくて一体化したことを示すメタファーとして別れがあるんすか?
は?
分かる人います?
これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
仕事帰り、駅のホームに降り立つと、ガタガタと騒がしく走る反対車線の電車を横目に疲れた足取りを進める。やがて正面に見えるのはホームに雑然と建てられた小さな建物。『あんスタ』とだけ書かれたシンプルな看板を一瞥すると、横開きのドアをスライドさせて中に入る。入り口横に備えられている薄汚れた食券機で「ぶっかけひいあい」の食券を購入すると、カウンター向こうにいる店主へ無言で受け渡す。
注文品が出来るまでの少しの合間、半分閉じかけた瞼で店内を見渡すと、大方いつもいるような層ばかり。一人でなにかぶつぶつと呟いているくたびれたコートを着たらびおじ、イヤホンで何かの音楽を聴きながら涙を流している流星隊Pの女子大生、高いヒールをカツカツと不機嫌そうにならすOL風のUNDEAD担。
何かを考える気力もないまま立ち尽くしていると、ドン、とカウンターに丼が置かれる。その丼を手に取って、私も無気力な有象無象の一人になることにする。
ただ木の板が壁から張り出しているだけの席へ着くと、備え付けの割り箸から無造作に一本選ぶ。たいした力も入れなかったため、割り箸は綺麗に割れなかった。
ささくれた木の棒を手に、ひいあいの攻略を始めることとする。僕の行為を気に留める誰かもいない今、わざわざ食事の挨拶をする必要もない。
箸で一つまみひいあいをすくい上げると、湯気が出ているわけでもないのに、なんとなく食べるときのくせでふうふうと息を吹きかけてしまう。そして口元へ運ぶと、ずるりと音を立てながらすすり上げる。
しょっぱい、と感じる。おいしいおいしくない以前に、味付けが濃くて判別できない。こんなもの、きっと家でゆったり家族団欒を楽しみながら口にするものではない。
ただ、座る席もないような立ち食いの店で、時間をかけずに食べるにはちょうどいい。疲れた心、疲れた体ではきっと舌も麻痺していて、繊細な味付けなんかされたところでどうせ今の僕には理解できないだろう。
僕は無心でひたすらひいあいを口に運んだ。
ーーあんさんぶるスターズを一言で表すと何? と友人から聞かれたとき、僕の脳裏によぎったのはありもしない立ち食いそば屋での記憶だった。
ありもしないという通り、実際には立ち食いそば屋なんて一度も入ったことがない。すべて妄想であるため、立ち食いそばの実情と大分食い違う点があるだろうことをご留意いただきたい。
そもそもどうして友人があんさんぶるスターズについて僕に聞いてきたかというと、僕があんスタに沼ってるからとか、推しがいるからとか、そういう類の理由ではない。
むしろその逆で、仲間内では「あんスタアンチ」で通っているためである。
僕はことあるごとに「最近のオタクが軟弱なのはあんスタのせい」と口にしている。
友人は、逆にあんスタ沼へ落ちている人と話す機会ができたから、僕のあんスタに対する意見も聞かせて欲しいという塩梅だった。
その質問に対して僕はこう答えた。
一言で表すならあんスタは立ち食いそばだ、と。
僕があんさんぶるスターズを初プレイしたのはリリース当日だった。キャラクターデザインも美麗で見目が好みのキャラもいたため、プレイ前は期待を抱いていたように思う。
けれど実際にサービスが始まり、プレイして感じた違和感。
どいつもキャラが濃い。
奇抜な口調、過剰な趣味、人間味のない受け答え。
まあでも、多キャラものを通ってきた身としてはキャラが尖るのはよくあることだよなと思う。
そのときの僕は、まあ自分向けじゃないよな、程度に収めてプレイを止めた。
ただし、皆さんご存じの通りあんさんぶるスターズの勢いはすごいもので、周囲にあんスタ好きの人は多数いたし、積極的に摂取しなくとも副流煙でストーリーが理解できる程度には定期的に何かしらの情報が流れて来ていた。
また、同居人があんさんぶるスターズのとあるカプに沼ったことで、身近に触れることにもなった(当の同居人は現在あんスタと袂を分けている)。
僕もmusicが始まった際は再びインスコしてALKALOIDにうつつを抜かしたりもした(今でもたまにカプ検索はする)。
けれど人間関係と一緒で、一緒にいる時間が長くなればなるほど嫌いな側面というのは見えてくるもので、嫌な部分が過剰に見えてくると耐えられなくなってくるものだ。
やがてただの一ジャンルから嫌悪の対象へとあんスタを昇格させた僕は、自分があんスタを受け入れられない理由を求めて考察するようになった。
実際に以前よりあんスタに触れてみて、考察してみて分かったことは、濃いのはキャラクターだけではないということだった。
ストーリーは大味で、基本的に繊細さはない。
まずそもそも、改めて考えてみるとどうしてみんなアイドルを目指しているのかが分からないしストーリー上で明かされない。さらに、アイドル活動らしいことをストーリー中でほとんどしていない。
ライブステージが始まったかと思えば、急に時空が歪んだのかと思うくらいステージ上でめちゃくちゃ喋ってる。
女性向けゲームといえばキャラクター同士の人間関係も重視されるかと思うが、その人間関係においてもカレーにケーキを乗っけたみたいな料理が提供される。
あんスタ制作人はどうもカップリングを乱立させるのが好きなようで、いたるところで男同士を絡ませて地雷持ちカプ厨の息の根を止めていく。
新しく形成された二人の関係が精巧に描かれていればまだいいものの、実験を楽しむマッドサイエンティストみたいな気分でシナリオが提供されるため、キャラクターを元あるグループと別ユニットに所属させるなど、ファンを不安にさせることに余念がない。
また、新しく激重感情が交わされる人間関係が構築される場合、基本的に他の人間関係をすべて無視した上で行われるため、一人の人間が人によって仮面を使い分けているというよりは、パラレルワールドや二重人格の様相を呈する。
つまり、あんさんぶるスターズは細かな調味料の調整によってストーリーが作られているのではなく、砂糖と唐辛子と塩を混ぜ合わせて作った味付けの濃いコンテンツ、だと僕は認識している。
けれどその大味のコンテンツが、流行しているのも事実だ。
僕視点から見るとクソみたいなコンテンツだったとしても、見る人によってその価値は変わってくる。
例えば、あんさんぶるスターズを舞台上で演出される戯曲だと解釈する。<br<br>>ストーリーが大味なのも、会話がやたら長いのも、キャラクター設定が繊細でないのも、すべて舞台上から観客に届けるための演出である。
細かな仕草で伝えても見えない観客もいるかもしれないし、細々した心理描写を入れるのは舞台には適さないため必然と会話は多くなる。俳優の藤原竜也は演技が過剰でそれがネットミーム化することもあるが、あの演技は舞台で育ったからに他ならない。
我々は舞台上の彼らのやり取りを鑑賞しているのだ、と考えれば過剰な演出もおかしくはない。
ではどうして戯曲的な大味コンテンツが流行しているかという問題になってくる。
結論から言うと、あんさんぶるスターズは今の時代に適した形態で提供されているからこそ、人の心を捉えているといえる。
今の時代、世の中にアニメやゲームをはじめとしたサブカルチャーコンテンツなんていくらでも溢れていて、一つのコンテンツに多大な時間や集中力、意識を割けないと考えている人は多い。
他にも、ストレス社会と言われる現代、ジャンルに沼っていたとしても私生活の問題で時間が取れないこともある。
そもそも立ち食いそばの味付けが濃い理由は、立ち食いそばは舌の上に食材がのっている時間が短く、一瞬でも満足感を得られるようにするためだ、と記憶している。
あんスタも同様に、味付けが濃いので舌の上にのっている時間が短くても満足感が得られる。
深く味を吟味するには向いていないが、短時間で楽しめるアトラクションではあるといえる。
あんスタは基本的に、一人のキャラクターが他のキャラクターとフラグを建てているときに、他のフラグをすべて忘失する傾向にある。
例えば、真白友也は氷鷹北斗の前にいるとき日々樹渉の存在が消えるし、逆に日々樹渉の前にいるとき氷鷹北斗の存在は消失する。瀬名泉において、月永レオと遊木真をそれぞれ相手にしているときも同様である。
逆に捉えれば、例えば特定のカップリングを追っているだけであれば、他のキャラクターとの関係性を一切履修する必要がないのだ。
その分他のコンテンツに時間をさけるし、キャラ理解を深めるために地雷カプへ突入する必要がない(公式PV爆撃で地雷を踏むことはあるが)。
あんスタくんは公式が常に二次創作してるようなものなので、よく燃える。それゆえに、ファンが二次創作するにあたって公式以上に悪目立ちすることはあまりない。
また、キャラクター性は特に味付けが濃いため、二次創作する上で多少の改変が行われても紛れて悟られづらい。
要するに、公式のキャラクターに見た目や口調が相似していれば全部そのキャラクターっぽくなる、という二次創作における最大の強みを持っている。
極論、つまりあんさんぶるスターズは今の世間に向いたコンテンツではあっても、僕向きではないという話である。
以前、僕は運営会社を同じくするエリオスライジングヒーローズに片足突っ込んでいたこともあるのだけれど、ジャンルを離れた理由は「設定が雑」「運営が信じられない」「キャラが守られていない」だった。
あまり詳細に書くと長くなるので割愛すると、つまり自分が求めている作品には、世界観がしっかりしていて噛めば噛むほど味が出るようなキャラクターやシナリオが必須であると認識している。
カップリング前提で見ているのではなく、そのキャラクターや仲間、背景を知りたいと思うしさまざまな関係性によってその「推し」が形作られていく過程を吟味したいと思う。
自分のオタク志向的に、あんスタは合っていない、と感じた。
ただ、not for meなだけなら、ここまであんスタアンチに近い発言を繰り返すこともなかった。
あんさんぶるスターズは確かに現代に適した形態でコンテンツが提供されているだろう。一瞬舌に乗っただけでアトラクションが楽しめる大味なあんスタというジャンルは、簡単に「オタクしてる」感が味わえる。
ただしそれは同時に、「味音痴」を作り上げる結果になっているのだ、と僕は主張したい。
あんスタは一大ジャンルなわけで、あんスタを通ってきた人は非常に多い。
ただしあんスタに慣れてしまった人にとって、作品やキャラクターを吟味するという行為は推しを推すために必要な行為ではない。濃い味付けに慣れきってしまって、自分から味わいに行くことはしない。味わわなくても楽しめるし、そもそもよく噛んでも良い味がしないという学習をしてしまっている。むしろ、二次創作においてはセルフで醬油やわさびを足して自分好みに都合よく改変しても、元がカレーにケーキを乗っけてるようなものなので違和感を覚えない。
周囲を観測したり、色々なジャンルを渡り歩いていると、明らかに味音痴のオタクが増えてきたと感じる。繊細な味付けが分からないため、その作品やキャラクターに対して食レポができない。二次創作しても、キャラクターの見た目や名前や特徴的な口調だけが一緒の何かになりさがってしまっている。
他ジャンルでキャラ乖離が激しい・キャラ解釈がない人の過去ジャンルを見てあんさんぶるスターズがあったとき、何とも言えない気持ちになる。
そんな周囲の状況を見ていると、僕はどうしても「すべてあんスタのせい」と言いたくなってしまうのだ。
作品の推し方、作品との接し方というのは人それぞれだと思う。こうしろと強制するつもりはない。時代の移り変わりであり、この流れを受け入れるべきなのかもしれない。
ただ、一オタクとして小言を許してもらえるのなら、たまにはその作品をあなたなりに深く味わってみてほしいと思う。
そしてその料理がなにで構成されているのか、自分なりに考察してあなたの解釈を深めて欲しい。他人と同じ解釈にならなくて良い、正解なんてない。人の数だけ解釈があり性癖がある。
大多数のオタクが味音痴にならないで欲しいと、強く願う。
・能力者バトル
でも一巻の印象は違う
・表紙はドクロの横でキメ顔する公然わいせつカットじみた冴えない丸顔の男
・主人公は状況にビビりながらひたすらしょっぼい頭脳プレーで逃げるだけ
なにこれ?
「未来日記」の一巻としてジャンプで今やってる「すごいスマホ」をそのまま移植されてるようなもんだろ。
作品の軸は「特殊能力で活躍する俺がロリヒロイン2人に挟まれながら世紀末なデスゲームを戦い抜くんだが」なのになんで1巻だけ「冴えないボクが怖いゲームに巻き込まれてキモい着ぐるみからずっと逃げてるんだが」になるんだよ。
バイオで開始5時間装備なしでひたすら逃げてたのにナイフ拾った1時間後にはマグナムもショットガンも持ってるぐらいのジャンル急展開だから。
せめて一巻の表紙だけでも今から書き直したら?
あれさ、散々科学的根拠ないとか迷信だとか言われてるのに、未だに話題に出すやつが多くて謎だったんだよ。
正直、頭悪いなーってバカにしてた。
けどわかっちまったわ。
→定型発達
いわゆるO型:おおらか、ルーズ、時間を守れない、片付けられない
→ADHD(多動、注意欠陥)
友達に血液型きかれて答えた時、「あ~O型なんだ~やっぱりね~」っていわれる奴は周りからADHDだと思われてる。
自己紹介で「A型なんですけど、よくAB型っぽいっていわれます」といってるやつは自分がASDであることをさりげなく告白してる。
血液型当てゲームは定型の中から発達を見つけ出すゲームなんだ。
本当の血液型がなにであるかはどうでもよくて、初対面でインスタントに発達を見分けるための簡易チェッカーだったんだ。
「コイツ、まだそんな迷信信じてんのかよw」って内心バカにしながら、馬鹿正直に「O型ってよく言わます」とか答えてた俺がバカだったわ。
高校の時、隣のクラスに保健室登校してる子がいたわけ。結局、一度も喋ったことはないんだけどね
保健室では保健医に向かってすっげーうるせー鳥みたいにピーチクパーチク喋ってんのに、教室戻ると自分の席で下向いて机凝視したまんま少しも動かねえしもちろん喋らねえの。
え?二重人格?てかまあ、内弁慶みたいな気質だったんだろうな、とは思うけど。
んでさあその子、名前も知らないその子が、俺の部活をめっちゃくちゃこきおろしてんの。卓球部だったんだけど俺は。
オタクのあつまりだし、卓球とかだれでもできるし~みたいな卓球部が生涯で言われることベストテンをフルスロットルでずっと言ってんのね。その保健室のベッドで卓球部部員の俺が寝てることも知らずに。
自分で言うのもなんだけど、うちの高校の卓球部って結構強いわけよ。まあもれなく全員ダサメンではあっただろうけど。でも毎日必死に練習してるわけ。
それをさあ、同じように部活頑張ってる陽キャとか、めちゃ勉強に打ち込んでるガリ勉とかでもなく、毎日教室に通う勇気も根気もろくになくて保健室で女王様面してるその子に言われたのがクソムカついたわけ。
いやてか保健医なんか言えよって感じだったんだけど、俺らには厳しいそのオバハンは不登校予備軍の生徒には肯定しかしないわけ。腫れ物を扱うように「そうだね」しか言わないわけ。まあカウンセラーじゃないし仕方ないんだけど。
その日俺は水泳の授業上がりに冷えた牛乳飲みすぎて腹壊して保健室で寝てたんだけど、その子の話が不快すぎて顔色悪いまま教室戻ったわ。そのまま残った方が精神衛生上よくねーもん。
俺がカーテン開けた時、その子は初めて気付いたみたいであっヤベッって顔して一瞬で黙ったんだよ。さっきも言ったけどそこそこ強い部活だったから、名前も知られてたんかもしれない。でも俺はその子の顔しか知らない。
ここで俺がもっと性格が悪いか、もっと度胸があるか、もっと機嫌が悪かったら「喋る元気あるなら教室行けば?」って言ってたのかもしれないけど、そんなに優しい人間じゃなかったので普通に無視して保健室を出た。
すげーいじめられたのかもしれないし、勉強についていけなくなったのかもしれないし、ただ単にクラスにムカつくやつがいたのかもしれない。何も知らない。
何も知らないけど、守られてるのは今だけだよってくらい、教えてあげればよかったのかなあ。
(注)
こち亀の本田はバイクに乗ると人格が変わるが二重人格なので適合しない。
ピッコロは神と融合して人格に影響を受けているが、神の人格がもうひとりの人格として表出しないので適合しない。
進藤ヒカルは藤原佐為と人格が交換されることがないので適合しない。
(議論あり)
遊戯と闇遊戯が存在を互いに自覚しあったのはモンスターワールド編。
決闘者の王国編以降、遊戯は闇遊戯のことを「もう一人のボク」、闇遊戯も遊戯のことを「相棒」と呼ぶようになる。
翔は「ミコシサマ」というお守りを手放している時に優が危機に陥ると現れる。
どのような過程で優の人格となったかは一切不明だが、ファンの間では優の死んでしまった方の双子の兄(弟)という説がささやかれている (これは才堂家の習わしについて女子の双子と表記されているだけなので、優自身が男女の双子で生まれていた可能性もある為) 。
優は学校で翔の人格が表れ、同級生への傷害事件を起こし転校を余儀なくされる。
おじの鷹野の家へ向かうため弁天町に着いたところからゲーム本編は始まる。
テンジンとみずきは愛し合っていたが、地獄を裏切った代償としてジュリによって殺害されテンジンの体の中に封印されてしまう。
それからはテンジンとみずきは二心一体となり、「マンダラの笛」によって人格は交換することができるが、片方が表に出ている間はもう片方が体内に封印されてしまうため、愛し合いながらも二人は永遠に会うことが叶わなくなった。
ちなみに、第二志望は国公立の大学職員×2、第三志望は私立の大学職員だった。
私は地元の名門といわれる公立高校出身だが、高校の教員の大多数に嫌われたことが運の尽きで、学内の成績上位にも関わらず指定校推薦をもらえず、Fラン大学へと転がり込んだ。そのため、学歴コンプレックスは人一倍強いし、学歴フィルターが根強く残っていることも強く意識していたため、公務員試験に専念することにした。ちなみに、独学であった。
私は部屋の一番後ろの席に座っていて、前の人から適性検査の用紙が回ってきた。そして、私の分を含めて、3枚渡されたことに気がついた。すなわち、2枚多いのである。私は、「2枚余っています」と言って手を挙げ、試験官(自治体職員)に知らせた。すると、試験官は走ってきて、「どうして2枚持っているの!!!」と、私を怒鳴りつけ、二枚余った試験用紙を乱暴に抜き取った。私の席の周辺の人は、「?」という顔で私を見るし、私も「すみません・・・」と言うしかなかった。いかにも私が何か悪いことをしたかのような口調で言われてしまって、ただただ萎縮した。
ちなみに、他の学生のところでも紙が余ったことがあったが、怒鳴りつけられている様子はなかった。なぜ、私だけ・・・と思った。
「集団で行動した経験はありますか。エピソードを教えてください。」と言われた。
「はい。小中高、大学と色々と経験があるのですが、とりわけ印象的だったのは、中学での・・・・・・という経験です。」
「大学では無いのですか。」
「・・・無いです。でも、ゼミで数人で活動した経験ならお話しできます。」
「結構です。」
そう言って、試験官は私の面接評価シートに、私から見ても分かるくらいめちゃくちゃ大きく横線を引いた(評価「/」ということなのだろう)。
バッサリ切られてしまった。実は、私は、高校時代になかなか酷いレベルの嫌がらせを受けていたために人と関わるのが怖くなってしまい、大学時代にはサークルにも入らず、友達も作れずに、ずっと孤独でいた。そのため、「大学時代の集団行動経験」という質問への対策を入念に練った(就職支援課の方にもアドバイスを受けていた)。その結果としての、「たくさんあるけど~とりわけ~論法」であった。しかし、そんな論法は通用しなかった。とにかく焦った。焦りながらも、嘘をついたらその後を取り繕うのは無理だと思い、結局「無いです」と言ってしまった。「結構です」と言われたときには、体の芯から体温が奪われていくような感じがした。
話すら聴いてくれないし、なにより、大学での集団行動経験が無いがゆえに「評価マイナス」とは、なかなかの人格否定だなあと思った。
その女性の試験官に、「○○さんは、“大学では1人を好んで、というか、少人数で固まって”、コツコツ勉強するタイプなんですね」と言われたときには、私が言ってもない言葉を付け加えて、私の発言を悪いように変換してまとめたようだった。
私はただ、なんだかなぁと思うだけだったが、このことを親(公務員のきょうだいをもつため、公務員の実情を比較的よく知っている)に話したら、それは圧迫面接だし、公務員試験の面接なのに、民間の面接並に面接官が、面接官の主観で、学生が言ってもない言葉を付け加えてまで勝手に学生を悪く評価しているのか、と言った。
2回目の面接で、男性の面接官との冒頭のやりとりで怖くなった。
「このような面接は初めてですか。」
「はい。」
「先ほど1回目の面接がありましたので、これは2回目の面接になると思いますが、まだ緊張していますか。」
「あのね、緊張してるって言われるとこっちもやりにくいんだよね。」
「申し訳ございません、精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いします。」
就職試験の面接で、「緊張している」と言うと、相手から嫌みを言われるなんて想像もしていなかった。「緊張している」はNGワードなんだ、と不思議に思った。
そして、ガクチカ(学業)に関して、周りに指導者がいなかったこと、モチベーションを上げてくれる存在が居なかったから、自分で自分を鼓舞しながら頑張ったことを話した。
「つまり、もう一人の自分が自分を応援していたというか(失笑)、自分で自分をコーチングしていたということなんですね。」
と言われた。それはそうなんだけど、なんか二重人格者みたいな言われようだなぁ・・・とか、ここ笑うところなのか?とか色々思いながら、「仰るとおりです」と言った。
誘導尋問もなかなか多かった。
他者と接するときに気をつけていることを聞かれ、「相手の価値観を否定しない」とか、そんな感じで答えたら、
「では、○○さんがそう思うようになったきっかけというのは、あなたがそのようなことをされたことがあるからなんですか。」
と聞かれた。よく経験談とかエピソードとかを交えて答えるべきであると言われる。確かに、この場面でもエピソードを語る必要があるのだろう・・・たとえそれが"人に嫌なことをされた経験"であろうとも。
実際、先述の通り、高校では教員からも生徒からも完全なる人格否定を受けていて、普段から「キチガイ」「馬鹿」「アホ」呼ばわりされていたものだから、そのような意識(相手を否定しない)を持つようになった。結局、オブラートに包みながら、それとなく、そういうことがあったと述べた。
すると、その後の、"他者との関わり系質問"においては、「あなたがそういうことをされたから、逆にそうしないようにしようとしたということなんですよね?」と、まるで私がかつていじめに遭っていたことを見透かしていて、それを引き出そうとするかのような質問が続いた。さすがに面接官もやばいと思ったみたいで、
さらに別の男性の面接官から、「過去の辛い経験を深掘りして聞いてしまい、ごめんなさい。」と"謝られた"。"いじめられ経験を聞いている"という意識を持ったうえで、このような質問をしていたのだと悟った。確信犯だったのか。
細かく書くと長くなるので、トラウマになったポイントを簡単に挙げていく。
・ガクチカが学業で、特待生をとったという話を面接カードに書いたところ、「どれくらいの額をもらったんですか。学費の半分とか、全額とかありますよね。」と、野暮な質問をしてきた。
・マスクを外した上で本人確認をするのだが、顔写真と私の顔を"人差し指一本で指しながら"、目やら鼻やらを確認していたこと。
・面接で大学名を言ってはいけないと言われているところ、面接官は弊学に関して調べて知っているようだった(試験申込時には、大学名を入力している)。
・学業をガクチカにしたせいで、"優秀な学生であること"を鼻に掛けていると面接官に思われたようだった(女性の面接官「勉強がお得意なんですね~~」男性の面接官「特待生になることを狙ってたんでしょう?」と言われて、嫌みったらしいなと思ってしまった・・・)。
どこもESで落ちてしまい、第一志望の自治体での面接が人生初・本番面接だったからこそ、私は面接というものを甘く見ていたのだろう。自分が嫌だと思うことを聞かれたり、いわゆる「圧迫面接」が"常に"行われていたりするなんて、想像もしていなかった自分が馬鹿だった。それとも、自分が敏感すぎるのだろうか。これが「公務員試験の面接」なのかと、酷く落ち込んだ。
最初から話を聞いてくれなかったのは、論文で足きりされていたからなのだろうか。それとも、精神疾患か否かを検査する心理検査(試験官は、"あくまで参考にするだけです"と言いつつ、"嘘をつくと、皆さんに不利になります!"と脅してきた)で悪い結果が出て、不利に働いたからなのか。クレペリン検査で、少しがたつくくらいの、ほぼ直線を描いたからなのか。
身なりやマナーは、きちんと事前に学習したし、きちんと守った。これだけは、胸をはって言いたい。
このほかに、面接会場で、高校のときに私のことをいじめた首謀者グループの2人や、「キチガイ」呼ばわりしてくれた嫌なやつ1人(いずれも指定校推薦で名門大学入学)を見かけたことで、過去のトラウマがよみがえって、ますます嫌な気持ちになり、受験した「公務員試験」自体がトラウマとなった、ということも付け加えておきたい。ちなみに、いじめ首謀者グループのやつの目の前で、面接官にフルネームで名前を呼ばれたときには、四年間身を隠して生きてきた努力が水の泡になったと思い、辛くなった。どうか私の事なんて忘れていて欲しい。まぁ私のことをなめ回すように見てきたから、間違いなく覚えていたと覚えていたと思われる(他の受験生はジロジロ見てこないから)。
これから民間企業を探して就活しようかな、と思うけれど、日本で最も公平・公正に行われる、学歴フィルターもない公務員試験にすら落ちてしまうのだから、見込みなんてないだろうと思う。ESを出せば非通知のイタ電が増えて、それも嫌だから、躊躇する(実際に、選考期間だけ極端に非通知が多い)。内部進学での院進も躊躇する。どの先生も私のことを否定ばかりしてくる。
どこにいっても、私のことを少しでも肯定しようとしてくれる人は居ない。私に関して何も知らない人にも叩かれる。
そういえば、受験した自治体が、試験前に○庁イベントとして「座談会」を開いたので、それに参加した。
私は何もしていないのに、人事課のある方は、私のお礼の言葉を無視したり、私の質問を否定的に受け答えしたりした。ちなみに、私の質問はおかしなものではなかったと、大学の就職支援課の方は言っていた。後から同じ趣旨の質問をした、別の人には、丁寧にニコニコと受け答えをしていた。
この「座談会」のときから、第一志望の自治体の人から、嫌な思いをさせられていたくらいなのだから、よっぽどその自治体に縁が無いのだろう。
というか、その自治体の人になにか恨まれてるのかというくらい、トコトンヤられたな。
どうせ落ちるくらいなら、そしてトラウマになるくらいだったら、受けなきゃ良かった。
論文か適性検査(1日目)で足きりになっているのだったら、2日目の面接をする前から「落とす」と決まっているわけだから、2日目には呼ばないで欲しかった。
換気のない、カーテンの閉まった待合室に20人近く詰め込まれて、色んな人が少し長めにマスクを外したり(お茶を飲んですぐマスクをつけるのではない。マスクを外して、お茶を飲んで、お茶を鞄にしまって、一息ついて、しばらく外して休んで、ようやくマスクを着けて、という感じである。)鼻をすすったりする人がたくさんいるなかで、30分以上待たされて、コロナ感染が怖かった。
緊急事態宣言がでている中で、就活だから、と言って外出する罪悪感があった。
交通費、スーツのクリーニング代、その他もろもろの費用が、もったいなかった。
どうせなら、論文と適性検査を、筆記試験のときにまとめてやってくれた方が経済的だ。
被害者面をしたいわけじゃないが、さすがに今回の第一志望の自治体の公務員試験は、トラウマになった。この経験を通じて得たものといえば、絶望感、疲労感、過去の負の記憶の再燃による心的外傷くらいか。
25年ほど前、大学生だった私は当時住んでいたアパートにやって来たUSENの営業を断れず、2〜3年ほど個人でUSENを契約していた。
インターネット回線のそれではない。専用端末を置いてたくさんのチャンネルから選んで、音楽やらアリバイBGMなどをたれ流すやつだ。飲食店に置いてあるやつだ。
イキった学生だったためUSENで流れるような流行りの音楽とかにはたいして興味もなく、もっぱら聴いていたのは怪談チャンネルだった。
家にいるときはほぼずっと硬軟たくさんの怪談や不思議な物語を聴いていた。夜も寝るときもずっと流してた。最高だった。
そのなかでもお気に入りの作品があり、もう一度聴きたい、のだけどタイトルすらわからないのでどうしようもない状態である。
25年も立つと記憶もおぼろではあるけれども、その物語はこんな感じだ。
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主人公の男は、会社の同僚のおとなしい奥手の清楚系の女性に恋をした。
何度かのアプローチのすえデートにこぎつける。食事などのデートを重ねて、いよいよ肉体関係を望むが、相手は奥手でガードが固く、姉と一緒に住んでいるからと女性宅に入れてもらえない。
ある日、男のところに派手な化粧、格好をした女性があらわれ、これ以上清楚系女性に近づくなと警告される。あなたは何者なのかと聞くと清楚系女性の姉であるという。
男は納得がいかず、後日清楚系女性に事実関係を確かめるとたしかにそうだという。化粧などで印象は違うが二人は似ている。似すぎている。
派手系姉に色々言われるが交際は継続、そのことで姉妹仲が悪くなってると相談されるが、ここで男は疑問に思う。二人は同一人物なのではないか?交際をやめたい女性が化粧、格好を変えているだけなのではないか?と。もしくは二重人格なのでは?と。
姉が留守だという日に、男が女性宅にいよいよ招かれると、姉が使っているという和室には大きな姿見がひとつ置いてあるだけであった。あと猫飼ってる。
なんやかんやあり、後日、清楚系妹が交際を反対している姉と口論になり殺してしまった。そして庭に埋めたという。男が女性の自宅に行くと庭を埋めたあとがある。そして飼っていた猫がいない。
そもそも姉なんていなかったんだ、と男が庭を掘り返すと...
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571 :風と木の名無しさん:2009/03/12(木) 14:02:02 ID:7Q/i14kQO
↓
↓
↓
その流れに一部のホモが便乗して気にくわないレスを腐女子認定するようになる
↓
まともなホモは去り、煽りが好きなホモと煽り耐性が低いホモが残る
↓
↓
↓
腐女子がホモになりきる腐スレと煽りが好きなホモ、腐女子、鬼女と煽り耐性の低いホモ、腐女子、鬼女が罵りあうスレばかりになる
↓
煽り耐性の低い腐女子、鬼女は去り、煽り好きなホモ、腐女子、鬼女と煽り耐性の低いホモばかり残る
また一部の腐女子は我関せずと腐スレに籠りホモなりきりを続ける
↓
煽り好きなホモ、腐女子、鬼女はなりきってからかう楽しさを見つけ同族含め煽るようになる
572 :風と木の名無しさん:2009/03/12(木) 15:13:34 ID:AKdCvjj70
腐女子が悪い
573 :風と木の名無しさん:2009/03/12(木) 16:42:32 ID:FZtxsnrzO
574 :風と木の名無しさん:2009/03/12(木) 18:30:56 ID:AyWbKUKbO
580 :風と木の名無しさん:2009/03/13(金) 14:21:02 ID:tZNFxpRuO
入るから怒られるんだよ
ホントやめて
582 :風と木の名無しさん:2009/03/16(月) 18:14:35 ID:bAL0vkVUO
なりきりって言われてるブログいくつか見てきたけどヤバすぎて吹いたwww
あれでバレないと思ってるのかな?
なりきりも氏んで欲しい
これ以上腐女子の肩身を狭くしないでと言いたい
583 :風と木の名無しさん:2009/03/17(火) 20:31:36 ID:ajhmbrNf0
なんでナリキリにしたがんだろね?
読者のほうもナリキリだとわかってて作者をゲイとして扱ってるくさい・・・。
あんなちゃちい嘘臭いナリキリを身勝手にエンジョイして、そのくせ同性愛を応援してるとか
堂々とぶちあげちゃったりしてるから、そりゃ本物サンが見たら怒るでしょ。
そのへんも想像できない人がなに書いたって、ろくな創作になるわけないw
585 :風と木の名無しさん:2009/03/18(水) 14:43:43 ID:j5tVaO2t0
話題に出すってことは、おまえら結局腐女子が好きなんだろだぜ?」と言う
586 :風と木の名無しさん:2009/03/18(水) 17:14:50 ID:bKZ8+fraO
585
そんくらい考えろよ…
よく「腐女子は自分達のことを擁護しようとすればするほど嫌われる」って言うけどその通りなんだなと思った
ちなみに俺は腐ってても男
女がいくらそうやって小細工しても男から見ればすぐわかるから注意
違和感ありありなんだよ
それとも釣り?
587 :勇者:2009/03/18(水) 17:28:49 ID:qgwHRCem0
BLのいいところはなんですか??
588 :風と木の名無しさん:2009/03/18(水) 18:48:52 ID:Zw7ErAbtO
587
昔は少女マンガも読んでたけど、出てくる女がどうも苦手だから読む気なくす。
↓
BLなら……
って流れ。
589 :風と木の名無しさん:2009/03/22(日) 10:41:58 ID:BPgJvZ4JO
585
590 :風と木の名無しさん:2009/03/22(日) 15:05:21 ID:KdMASYQv0
情報ネタが妙に古かったり、こういうことできるようになってるから、
若い世代の腐女子のネット生活って昔ほど2ちゃん中心じゃなくなってる
のが影響してるぽい。
好みうるさい人だったらブログのコメなんかで話してるほうが楽しいと思うし。
591 :風と木の名無しさん:2009/03/23(月) 16:12:27 ID:yMBM90to0
今度は「みんなオヴァのせい」と来たか
592 :風と木の名無しさん:2009/03/23(月) 18:51:26 ID:44uS9mKW0
594 :風と木の名無しさん:2009/03/24(火) 10:55:36 ID:AxzzNXhB0
ネカマのせい
オヴァのせい
ノマ厨のせい
605 :風と木の名無しさん:2009/03/31(火) 12:18:15 ID:qACYEmJMO
164:通常の名無しさんの3倍 2009/03/31(火) 09:37:47 ID:???[sage]
170:通常の名無しさんの3倍 2009/03/31(火) 10:54:23 ID:???[sage]
164
171:通常の名無しさんの3倍 2009/03/31(火) 12:06:06 ID:???[age]
164
お前ここ初めてか?
力抜けよ
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/shar/1238317218/
606 :風と木の名無しさん:2009/03/31(火) 13:37:10 ID:oRGeA+KS0
その通りすぎるわ
607 :風と木の名無しさん:2009/04/04(土) 16:56:23 ID:ZOMd7sqK0
608 :風と木の名無しさん:2009/04/11(土) 05:42:32 ID:gOtQPwna0
そうとう歳なのに2ちゃんにはまるくらいヒマって時点で人間としてアウトなんじゃ
609 :風と木の名無しさん:2009/04/11(土) 18:33:48 ID:d+ZgZRsK0
デブが多い
メガネ率高い
髪染めたことがない
街ゆく男をキョロキョロ
本を片手にオナ○ー
610 :風と木の名無しさん:2009/04/11(土) 18:52:23 ID:9mV6JltJ0
確かに本屋とかでアニメ雑誌見ながら熱く語り合ってる腐女子グループはキモいよな
611 :風と木の名無しさん:2009/04/11(土) 19:09:30 ID:byLQrHahO
ていうか今の腐女子って自分達が最低の生き物(ちょっと言い方悪いけど他に適当な表現が見つからなかったスマソ)
って自覚が無さ過ぎだよね
これ以上肩身を狭くしないでと言いたい
612 :風と木の名無しさん:2009/04/11(土) 22:28:32 ID:lZqUAj7GO
611
それを男オタに当てはめて見るとあら不思議
ブーメランですよ
613 :風と木の名無しさん:2009/04/11(土) 23:22:45 ID:dKt+NJeV0
腐女子を嫌ってるのは男オタだけじゃない。女オタも嫌ってる
612
男オタも自重してないから腐女子も自重しなくていいとか考えてるの?
その考えはないわ人間として
それに、腐女子はオタクの中でも気持ち悪いと言われる存在なんだからね
614 :風と木の名無しさん:2009/04/12(日) 01:53:02 ID:ICWFLFBYO
612
何ですぐムキになってそういう風に返すの?
だから嫌われるんじゃん
615 :風と木の名無しさん:2009/04/12(日) 09:07:24 ID:UOeMPfaM0
残念ながら
616 :風と木の名無しさん:2009/04/12(日) 09:48:50 ID:+4zfZhVS0
男だろうが女だろうがオタクが嫌われキモがられるのはまぁ当たり前だけど
オタクが嫌われる要素『プラスアルファ』が腐女子には多すぎるんだよな
脳味噌が腐りきって爛れきってるからそういう部分の客観視も出来ないし
615の純然たる事実にすら気が付けない
617 :風と木の名無しさん:2009/04/12(日) 11:53:45 ID:AP6BCE0x0
関係ない場所で腐臭蒔き散らして迷惑かけまくってても空気読めないから気づかない
万が一気づいたとしても
そら嫌われるわ
618 :風と木の名無しさん:2009/04/12(日) 12:35:19 ID:tyBWWdWzO
腐女子とかBLって言葉が一般に知られるようになってから、>>617が言うような図々しい腐女子が増えた気がする。
電車男がブームになってから2chが変わったのと似たものを感じて仕方ない…。
619 :風と木の名無しさん:2009/04/12(日) 12:57:02 ID:YzhaflWL0
620 :風と木の名無しさん:2009/04/13(月) 02:59:35 ID:K24AO6gpO
というかメディアが間違えて取り上げてることも多くて凄く嫌な気分になるな…
621 :風と木の名無しさん:2009/04/13(月) 11:00:58 ID:IaoSyaPc0
622 :風と木の名無しさん:2009/04/13(月) 13:19:24 ID:xwQlu7aw0
本質的に変わらんと思う
623 :風と木の名無しさん:2009/04/13(月) 15:16:27 ID:QE+bbZiQO
あれだけは無いと思う
624 :風と木の名無しさん:2009/04/13(月) 21:42:45 ID:SRS3hL2r0
あれは本当に大笑い
625 :風と木の名無しさん:2009/04/14(火) 09:48:30 ID:gxNJfyuzO
厨二っぽい人のサイトで、二重人格で片方がホモっていうのあるよね。
627 :風と木の名無しさん:2009/04/14(火) 18:06:52 ID:XAByH9gCO
嫌腐厨って単語自体馬鹿にされるからあんま使わないでほしいんだけど
628 :風と木の名無しさん:2009/04/14(火) 20:34:22 ID:mvQTm99g0
629 :風と木の名無しさん:2009/04/15(水) 00:11:45 ID:eMLJHVu30
嫌われて当然なものを嫌いと言っただけで厨扱いならば
嫌ゴキブリ厨なんてのもいるんですかっていう
630 :風と木の名無しさん:2009/04/15(水) 11:04:42 ID:wVk4a+le0
チューチューつければ勝ったも同然
631 :風と木の名無しさん:2009/04/15(水) 14:30:37 ID:6gNUvGq00
626
腐女子を嫌う発言をするのはすべてホモっていう2ちゃん共通理解をつくりましょう。
152 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2009/04/15(水) 00:47:24 ID:x8hmh3rT
この板のスレを見れば
166 :名無しさん@お腹いっぱい。 [↓] :2009/04/15(水) 12:23:55 ID:x8hmh3rT
158
また自分たちは女に興味ないしというアンビバレンツな感情があると思う
632 :風と木の名無しさん:2009/04/15(水) 15:07:05 ID:KDSjx7nQ0
また自分たちは女に興味ないしというアンビバレンツな感情があると思う」
1000%ありえないだろw
633 :風と木の名無しさん:2009/04/15(水) 18:40:29 ID:RbXFwJuhO
631
死んだらいいと思う
634 :風と木の名無しさん:2009/04/15(水) 21:11:44 ID:hm82MmzP0
632
1000%ありえるとおもうw
635 :風と木の名無しさん:2009/04/15(水) 21:29:30 ID:0Y02/gBs0
634
あんたってわざと腐女子とゲイを対立させて面白がってる鬼女でしょ?
636 :風と木の名無しさん:2009/04/15(水) 22:15:09 ID:hm82MmzP0
というのも事実だし
というのも事実だし
ごく自然な発想でしょ
637 :風と木の名無しさん:2009/04/16(木) 03:15:14 ID:w/eBq9WF0
華の奥さんとかどう思う?
638 :風と木の名無しさん:2009/04/16(木) 05:05:19 ID:HOv5Ru+QO
636
本当に頭大丈夫?
俺はゲイでBL漫画も読んだりするからたまに801板くるけどお前本当にありえねーよ
「腐=世界で唯一自分達をエサとして群がり被害を与える害虫中の害虫」
だからね
勘違いしないように
637
639 :風と木の名無しさん:2009/04/16(木) 07:36:27 ID:HOv5Ru+QO
あとゴメン酷いこと書いたけど普通に周りに迷惑かけず趣味としてやってる腐女子は例外だから
636みたいな腐女子に対してね
640 :風と木の名無しさん:2009/04/16(木) 15:08:19 ID:JaNGHmRQ0
原則として、BLを読むと言うゲイはニセモノと思ったほうがいいです。
642 :風と木の名無しさん:2009/04/16(木) 18:10:29 ID:J7Mb3sOe0
638
下にゲイの人はBL読まないって書いてあったけど、そこら辺はどうなんだろう。
私は成コミとかも読んだりするし、BLも少女漫画感覚で読むけど。
濃すぎで驚いたけど、内容的に面白いの多くない?
643 :風と木の名無しさん:2009/04/16(木) 19:11:16 ID:/ebT1WF40
一般的にゲイは腐女子みたいに漫画に入れ込んだり二次萌えしたりはあんまりしない。
本物が買える者はイミテーションを欲しがらないという単純な話。
645 :風と木の名無しさん:2009/04/16(木) 19:32:40 ID:J7Mb3sOe0
おお、たしかに!
やっぱりアナルに憧れつつも実践はちょっとなぁって心理が出てくるんかな。
セックスとオナニーってまた別な気がするんだけど、漫画は使わないのかー。
652 :風と木の名無しさん:2009/04/18(土) 03:40:44 ID:tayLKKDr0
なんか悲しいぞ!
他の板で無駄に自分の趣味に走ったりするのは駄目だし、大いに自重すべき
653 :風と木の名無しさん:2009/04/18(土) 10:46:38 ID:chKBaX+K0
いくら「ファンタジー」と言い逃れても、ゲイは確かに実在するから。
描いたり読んだり騒いでるから嫌われる。
アフリカの人の前で『未開のマヌケなクロンボ土人』的な超失礼なマンガを
平気で描いたり読んだりして喜んでるようなもんだ。