B級ホラー映画マニアだと以前から言っていた亜月は今やホラー漫画家
多数出しているしピッコマでもわりと人気があるらしい
亜月亮と同じ時代に少女漫画を描いていた漫画家たちは消えていき、亜月が画業30周年を迎えられているのはホラーへの転身のおかげかもしれない
でもまたラブコメが見たい
Wピンチは名作
二重人格の女の子が、ありさの時はか弱く儚げで、アリサの時はオラついている
ありさ→猪神くん→アリサ→暁名→ありさ
という人間関係が良かった
]]>嫁の金遣いが荒くて旦那の小遣いゼロ
束縛も激しくて、物を投げつけられたり引っかかれたりの暴力も受けていた
「嫁が怒るから」と仕事終わったらすぐ帰宅、休日も出かけない
友人が同情して飲み代払ってあげて、飲み会や遊びにこっそり参加していた
嫁は結婚前はニコニコキャラだったのに結婚したとたん、仕事をさっさと辞めて
友人付き合いの場に夫婦で来てもひたすら無愛想で、すぐ夫連れて帰ってしまう
その嫁のことがみんな大嫌いで、早く離婚しろと言っていた
が、その人は「俺の大好きな人を悪く言ってほしくない、少し人見知りする子なだけなんだよ」
と嫁をかばっていた
半年くらいで嫁が男作って家を飛び出して離婚
そしたら間男に逃げられて狂言自殺までやらかして迷惑かけまくりだったらしい
友人は「俺の稼ぎが少なかったからなー仕方ないよ」としょげていた
嫁への慰謝料は驚愕の300万
なんでお前が慰謝料払うの?もらう側だろ?と、心底その男の人の良さに呆れたくらいだった
数年後の新年パーティで、例の彼がめっちゃ可愛い女の子と婚約した話が出て
「前の奥さん、気が強かったからねー離婚できて●君良かったよね」と話してたら
そこに偶然奥さん側の友人たちがいて激怒
離婚の真相聞かされた
実際は逆だった
夫(以降●表記にする)が嫁の虐待をしていた
生活費は一切入れず、嫁の貯金を取り上げて散財
嫁は化粧、美容院、スカート着用禁止
携帯も取り上げられ許された人間とのみ、夫の監視下でやりとり
抵抗すると、土下座して謝るまで
トイレに行かせない食事を与えない
●のひっかき傷は、暴力やレイ○の時に奥さんが抵抗した時にできた傷
●がスーパーの買い物まで嫁に付き合うのは「束縛嫁が怒るから」ではなく嫁を監視するため
奥さんが無愛想になったのは他人との会話が禁止されていたから
嫁が結婚後に仕事を辞めたのは子供が欲しい主婦になってほしいとが必死で頼んだからで
辞めたその日に虐待開始だって
親友の結婚式に嫁が出席した時も●が怒鳴りながら乗り込んできて
腕掴んでむりやり連れて帰ってる
(この話は無関係の知人から基地外DV男が暴れた結婚式があったと聞いていた
まさか●の話とは思ってなかったが写メ残ってて確認したら●本人だった)
奥さんが裸足で家を飛び出してタクシーで友人宅に逃げこんで離婚になったけど
奥さんはひたすら怯えてて親や友人は被害届出せ訴えろと説得したけど
「訴えたら殺される、立ち向かう勇気も気力もない」
という遺書を残して自殺未遂
そっとしておくしかなく、泣き寝入り決定で、慰謝料も無しで離婚
ただ、奥さんの独身時代の貯金については
「この使い込みは犯罪で親告罪だから私が警察行く」
と嫁友人がはったりを言ったら相当びびったらしく全額返してきたそうな
その額が300万、親からもらったらしい
元嫁の友人女性たちは
「あの男、嫁ちゃんが浮気したとか鬼嫁だとか言ってんの?信じられない!
嫁ちゃんは未だに精神科通ってて、家から出られなくなってんだよ!」
「睨んだりつばを吐いてきたり車に石を投げてきたりとんでもない屑だよ」
と言われ、その人らの旦那さんも
「彼のヒステリー見たことないの?二重人格なの?」と驚いててずっと「怖い怖い」と言っていた
私は、●の虐待があったと思ってる
結婚式大暴れ画像も見たし結婚後痩せて無表情になった奥さんも見てるしね
でも、一緒にいた●の友人知人の殆どが
「あんな良い奴がそんなことするはずないだろ」
「メンヘラ嫁とその仲間の自作自演だろ、
最低のクソ嫁だよ」と誰も信じなかった
「金ないって言ってたわりは、ロードバイクや時計買ったりしてたよ」
「あいつの元カノみんな束縛が嫌だって喧嘩別れしてたじゃん」
と言い出す人もいたけど大半が無視
それどころか「俺たちが守ってやろうぜ」
「あの糞嫁がやったこともっと広めようぜ」と結託の空気になった
それが一番の衝撃だった
なんか怖くなってその周辺とは疎遠になった
その後、●が再婚して新しい奥さんと超ラブラブでどこ行くにもぴったり手繋いでて
子供も産まれてすっごいイクメンと噂を聞いた
でも、私は手繋いでるのも束縛だろうなあ、とか思っちゃって怖かった
その●は、最近三度目の結婚をして結婚式に呼ばれたのが最近の衝撃
二度目の離婚してたのも知らなかったw
三回目の結婚式には、古くからの友人も親兄弟も出席しなかったそうなので
なんかあったんだろうね
でも何してるのか気になってFacebook見てみたら相変わらず楽しく遊んで暮らしてた
給料少ないはずなのに旅行だの何買っただ遊び歩いてて金もちの女捕まえた匂いプンプンしてた
色々と思いだして吐き出したくなったので
長々と書いてみた。
最初の奥さんに幸あれ
]]>嫁の金遣いが荒くて旦那の小遣いゼロ
束縛も激しくて、物を投げつけられたり引っかかれたりの暴力も受けていた
「嫁が怒るから」と仕事終わったらすぐ帰宅、休日も出かけない
友人が同情して飲み代払ってあげて、飲み会や遊びにこっそり参加していた
嫁は結婚前はニコニコキャラだったのに結婚したとたん、仕事をさっさと辞めて
友人付き合いの場に夫婦で来てもひたすら無愛想で、すぐ夫連れて帰ってしまう
その嫁のことがみんな大嫌いで、早く離婚しろと言っていた
が、その人は「俺の大好きな人を悪く言ってほしくない、少し人見知りする子なだけなんだよ」
と嫁をかばっていた
半年くらいで嫁が男作って家を飛び出して離婚
そしたら間男に逃げられて狂言自殺までやらかして迷惑かけまくりだったらしい
友人は「俺の稼ぎが少なかったからなー仕方ないよ」としょげていた
嫁への慰謝料は驚愕の300万
なんでお前が慰謝料払うの?もらう側だろ?と、心底その男の人の良さに呆れたくらいだった
数年後の新年パーティで、例の彼がめっちゃ可愛い女の子と婚約した話が出て
「前の奥さん、気が強かったからねー離婚できて●君良かったよね」と話してたら
そこに偶然奥さん側の友人たちがいて激怒
離婚の真相聞かされた
実際は逆だった
夫(以降●表記にする)が嫁の虐待をしていた
生活費は一切入れず、嫁の貯金を取り上げて散財
嫁は化粧、美容院、スカート着用禁止
携帯も取り上げられ許された人間とのみ、夫の監視下でやりとり
抵抗すると、土下座して謝るまで
トイレに行かせない食事を与えない
●のひっかき傷は、暴力やレイ○の時に奥さんが抵抗した時にできた傷
●がスーパーの買い物まで嫁に付き合うのは「束縛嫁が怒るから」ではなく嫁を監視するため
奥さんが無愛想になったのは他人との会話が禁止されていたから
嫁が結婚後に仕事を辞めたのは子供が欲しい主婦になってほしいとが必死で頼んだからで
辞めたその日に虐待開始だって
親友の結婚式に嫁が出席した時も●が怒鳴りながら乗り込んできて
腕掴んでむりやり連れて帰ってる
(この話は無関係の知人から基地外DV男が暴れた結婚式があったと聞いていた
まさか●の話とは思ってなかったが写メ残ってて確認したら●本人だった)
奥さんが裸足で家を飛び出してタクシーで友人宅に逃げこんで離婚になったけど
奥さんはひたすら怯えてて親や友人は被害届出せ訴えろと説得したけど
「訴えたら殺される、立ち向かう勇気も気力もない」
という遺書を残して自殺未遂
そっとしておくしかなく、泣き寝入り決定で、慰謝料も無しで離婚
ただ、奥さんの独身時代の貯金については
「この使い込みは犯罪で親告罪だから私が警察行く」
と嫁友人がはったりを言ったら相当びびったらしく全額返してきたそうな
その額が300万、親からもらったらしい
元嫁の友人女性たちは
「あの男、嫁ちゃんが浮気したとか鬼嫁だとか言ってんの?信じられない!
嫁ちゃんは未だに精神科通ってて、家から出られなくなってんだよ!」
「睨んだりつばを吐いてきたり車に石を投げてきたりとんでもない屑だよ」
と言われ、その人らの旦那さんも
「彼のヒステリー見たことないの?二重人格なの?」と驚いててずっと「怖い怖い」と言っていた
私は、●の虐待があったと思ってる
結婚式大暴れ画像も見たし結婚後痩せて無表情になった奥さんも見てるしね
でも、一緒にいた●の友人知人の殆どが
「あんな良い奴がそんなことするはずないだろ」
「メンヘラ嫁とその仲間の自作自演だろ、
最低のクソ嫁だよ」と誰も信じなかった
「金ないって言ってたわりは、ロードバイクや時計買ったりしてたよ」
「あいつの元カノみんな束縛が嫌だって喧嘩別れしてたじゃん」
と言い出す人もいたけど大半が無視
それどころか「俺たちが守ってやろうぜ」
「あの糞嫁がやったこともっと広めようぜ」と結託の空気になった
それが一番の衝撃だった
なんか怖くなってその周辺とは疎遠になった
その後、●が再婚して新しい奥さんと超ラブラブでどこ行くにもぴったり手繋いでて
子供も産まれてすっごいイクメンと噂を聞いた
でも、私は手繋いでるのも束縛だろうなあ、とか思っちゃって怖かった
その●は、最近三度目の結婚をして結婚式に呼ばれたのが最近の衝撃
二度目の離婚してたのも知らなかったw
三回目の結婚式には、古くからの友人も親兄弟も出席しなかったそうなので
なんかあったんだろうね
でも何してるのか気になってFacebook見てみたら相変わらず楽しく遊んで暮らしてた
給料少ないはずなのに旅行だの何買っただ遊び歩いてて金もちの女捕まえた匂いプンプンしてた
色々と思いだして吐き出したくなったので
長々と書いてみた。
最初の奥さんに幸あれ
]]>後半はチクチクじゃなくて直球だな
もうバイトでも仕事は絶対しないって決めたのは彼ら彼女らのおかげです
チクチクはショックだけど現実を知る良い機会になる
]]>エクソシストもそうだけど、あれってサブリミナルというにはハッキリ写しすぎじゃねって思う。ちょっと再生ボタン連打すれば捕まえられるし。なんか写りこんだ?というのも認識出来ないレベルで挟み込んで無意識に刷り込むみたいな話じゃなかったっけ。ファイトクラブの方はまあ作中でも言及されてるし、演出に気付いてもらわないと困るのかもしれんけど。
電話がタイラー・ダーデンと繋がるツールになってたり、廃屋のキッチンで二人が同じ画面に収まらないシーン(タイラーが部屋から出た瞬間にエドワード・ノートンが入ってるとこ。逆かも)を見て、ジョジョのドッピオを鮮烈に思い出した。元ネタはこれなのかもしれないなって思った。メメントとかもまんま取り入れてたし。
前観た時は深く考えず、単にストレス由来かなんかの二重人格なんだなあくらいに思ってた。今回はドッピオとディアボロの関係を踏まえると非常に腹落ちした。エドワード・ノートンのこうありたい自分という願望がもう一人の人格として形を持ったんだなって。
気弱な優男風のエドワード・ノートンに対して、同じ身体を持つはずのブラッド・ピットが容姿といいファッションといい真逆なマチスモを体現してるのも腑に落ちる。ドッピオも体型が本当に変わってたし。
ブランド品での気晴らしに埋没する妥協と、夢をごまかす学生に銃を突きつけて本気で取り組めと脅すような破壊願望。理想的な自己実現(?)や欲求への誠実さと、社会性(敢えて良心とは言いたくない)の二項対立。「愛」は前者のようでも後者のようでもある。
前もネットの受け売りの視点で消費社会がよォ……みたいな見方はしていたけど、もっと肌感覚レベルで一人の人間の葛藤の物語なんだなって思えた。結局爆破はするけど……
]]>「SPI(だっけ?)の性格診断で出た性格と、今話しているあなたの印象はわりと逆だね〜」と言われたけれども
その場で聞いた、SPIの性格(コミュ障みたいな結果だった)は本当にその通りだと思ったし
面接では部長が話しやすい話題ばかり振ってくれたから無理に自分を取り繕って明るく振る舞ったわけでもなかったし
かといって二重人格ってわけでもないし、どっちも嘘偽りない自分なんだよな。
普通はもっと、診断結果と話している印象に一貫性があるのかな。
]]>https://b.hatena.ne.jp/entry/s/maidonanews.jp/article/14984918
その最たるコメントがこれ
これに限らず、客への不満をSNSにぶちまけるサービス業ってどういうつもりでやってるんだろ。こういう微妙なのはもちろん明らかに客が悪い場合でも見させられる側はただただ不快になるだけで宣伝効果マイナスとしか思
(オズワルド伊藤の声で)サービス業は不満を言っちゃダメなんだってサーーーーーーーーーーー!!!!!!
「このような行為はご遠慮ください」ってSNSで拡散してる企業アカウントなんてごまんとあるが、マイナスの宣伝効果を差し引いても経済合理性が勝つからやってるに決まってんだろ。経営してんだから。経営者を馬鹿だと思ってんのか?
あと今時点でトップコメントになってるこれもひどい。目を覆う。
マナーの悪さ度合いでいくと”ごみ放置して帰る客’より”客の食べ終わった皿晒す店主”の方が上だと思うけど
これがトップなのもカラースターついてるのもマジで引くわ。
まず、店主はどんな薬効の薬が入ってたかわからんゴミを置いてくのはやめろと言っている。マナーやエチケットの問題じゃなく、飲食店としての衛生管理上のリスクの問題だ。
劇薬云々という言葉に噛み付いてる人もいるが、どんな薬だろうが自分に処方されてない薬は全部毒だと考えておくのが常識。そういうもんだろ? それが入ってた容器が皿の油に浸ってるんだぞ? あなたは、よくわからない、おくすりの、ようきが、さっきまで、ひたってた、おさらで、ごはんを、たべたいですか?
それだけじゃない。
「マナーの悪さ度合いでいくと客より店主の方が上」
は? だから? これ何を言いたいの? この比較に何の意味があるの? 比較すると店主のほうが悪い、したがって、薬品ゴミを散らかして帰った客は善良な市民。まさか、そう言いたいの? そもそもマナーの問題ではない上、おれは写真を晒した店主に落ち度があったとはこれっぽっちも思っていないのだが、百万歩譲って店主に行き過ぎがあったとしても、「両方悪い」という結論にしかならん気がするんだが。
この「どっちのマナーが悪いでしょう視点」って、一体全体、どんな主張を導くための前振りなの??? コメントのご当人と星つけてる人全員に聞きたいわ。
]]>二重人格
いろいろあるが
それは犯罪を犯す理由にはならない
]]>公共の電波使って民に何が正しいか教えてんのに民に「間違ってる」と言われて謝るな。「こういう理由で正しいので、謝らないです」と説明しろ。
手間省いて謝ってお辞儀の価値を下げてる。ネットが世論形成してんのに負けるな。メディアの公正さで殴れ。
バナナが落ちてたら笑いは少なくとも2パターンある。
1. 滑って転ぶ。人間はあまり転ばないので面白い。
2. 横を素通りする。予想を裏切って面白い。
笑いの源のひとつに「意外性」がある。どっちか一方のネタを擦ってたら「意外性」は薄れるだろ。
TVが笑いに多様性を持たせなかったのが悪い。身内をバナナ滑り派だけで固めたのも悪い。
前章にある通り、ワイドショー観るような層にもシュールな笑いを教えるべきだった。一時の視聴率低下を我慢して。
配信者には両パターン揃ってるんだよ。リモコンにチャンネルボタンが12個しかないTVと違って、ネットには競争があるから。
動物によってはストレスによって体調崩すぞ。だから施設側は反発してんだよ。そこまでして取る笑いか?
「落ちる落ちる…セーフ」でいいじゃん。実害ない池で落ちりゃいいじゃん。
ペンギンより笑いが重要なら蹴り殺せよ。春日が急にペンギン蹴ったら面白いだろ。なんだ池に落ちるって。おもんな。
取材対象にネゴれよ。仕事の基本だろ。落ちちゃまずいよねってなったらバナナ横素通りに切り替えろよ。
もはやネットが世論形成してんのにその態度は防御力が低い。
バラエティ番組でめちゃくちゃやってるのと同じチャンネルで真面目なニュースやっててもいまいち真剣に聴けないんだよね。
線引きしよう。バラエティ番組ではめちゃくちゃなフィクションやって謝らない。ニュースならクソくだらないユーモアを廃して徹底的に公平さや道義的価値を追求する。
アホみたいに盛ってるテロップ・ワイプ全部捨てて「真面目」とか「フィクション」とか表示してくれ。
昼のワイドショーでペンギン蹴り殺して夜の報道で悲しいペンギンの死を報じる
か、
上に「バラエティ番組」ってテロップ出してバナナの横を素通りする
か、だよ。
コンプラに触れなきゃ商売できないって反社じゃねーか。今どきヤクザでも腫れ物には触らずに仕事するぞ。
笑いに多様性を持たせてリスクヘッジしろ
バナナ素通り派を雇え
テレビマンって結局、怒られるのが怖くて空気読んでるだけ。踏み絵みたいにバナナの皮踏んでる背信者。
ダセェし面白くない。俺が言ってるわけじゃない。YouTubeとTwitterが言ってる。
]]>現代?
自分で昔の人物の発言持ち出しといて反論されたら「現代の話してる」て、完全に発狂してるか、健忘症か、二重人格のいずれかだな。
どちらにせよまともな議論が成り立つ人間ではない。
]]>別におまえらのことじゃないのにイライラしだすの図星だからでしょ
無意識で「俺のこといわれてる」とおもいこんでる=本人だと自覚してるってこと
]]>我慢ができないんだ
特に短期的な我慢ができてない
例えば痩せたいのについ食べちゃうとか
お腹痛くなるのに炭水化物多くとっちゃうとか
仕事片付けなきゃってときにアニメ見るとか
昔のセクハラ紛いとか
トレードのポジポジ病とか
はてブ開くとか
散財とか
頭でどんだけ考えても行動が別の回路から実行される
二重人格みたいになってる
それで自己嫌悪になるのはもう昔に卒業したんだけど、結果悪いことが起こるからどうにかしたい
絶食1日すらできないのやばいと思う
疲れてるっていうのもあると思うんだけど
]]>
日本人は(世界から見れば)特殊で異質であるということを、(理解しなくても良いから)忘れないようにしたほうが、経済も文化も回る気がする。
世界に合わせよう(グローバルスタンダード)とするから、この20年間停滞している。
]]>俺はADHDじゃないけど、友達がやばい飲み方してて、二重人格かってくらい人が変わって怖かった
]]>少女革命ウテナってぶっちゃけ超難しいじゃないっすか?
ウテナって実はアンシーで、アンシーって実はウテナらしいじゃないっすか?
マジで意味がわからないんですよ。
だってウテナとアンシーって一緒にもいるし別々にもいるじゃないっすか同じタイミングで。
そもそもウテナとアンシーってどっちが卵でどっちが鶏なのか分からなくないですか?
ウテナだったものがアンシーになったのか、アンシーだったものがウテナになったのかって話ですけど作中に答えどころかヒントがあったかさえ私は分かりませんよ。
でもウテナめっちゃ詳しい人に言わせれば「いやウテナ=アンシーでしょ」なんですよ。
は?
理解不能やろ
つうかそれだとどっちが偽物なんやねんってなりません?
アンシーという嘘なのか失われた可能性なのかも分からんものを卒業してウテナが学園を去ったってことなんすか?
それともウテナという二重人格だか集団幻覚だか分からんものが学園から追放されたってことなんすか?
少なくとも一人の人間が二人になれない以上はどっちかは偽物っすよね?
それとも一人の人間が選べる未来は一つしかないという世界のルールを叩き割ることによって運命に対しての革命が成就したってことなんすか?
は?
自分で言ってても何言ってるのかもう分かんねーよ
んでまあ改めて実質ウテナ言われてる作品見てくとどれも別に「ウテナ=アンシー」じゃないんすよね。
たとえば今一番ウテナ言われてるガンダムだって別にトロフィーワイフはたぬきじゃないしたぬきはガンダムじゃないしガンダムが女の子なわけでもないっすよね?
それともそうなんすか?
だとしてそれは物語の果てに分離をするんすか?
もしそうだったとしてもどうせ一体化して終わると思うんですよね。
分離して初めてそれはウテナなんじゃないっすかね?
あれそもそもウテナって分離してるんじゃなくて一体化したことを示すメタファーとして別れがあるんすか?
は?
分かる人います?
]]>これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
高度成長期に「あの頃」といえば戦争の時代だった。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
永井氏が、内田氏との対話のなかで
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
ともあれアレックス・カーは面白い。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
Dogs and Demons, 2002, A ]]>
ーーあんさんぶるスターズを一言で表すと何? と友人から聞かれたとき、僕の脳裏によぎったのはありもしない立ち食いそば屋での記憶だった。
ありもしないという通り、実際には立ち食いそば屋なんて一度も入ったことがない。すべて妄想であるため、立ち食いそばの実情と大分食い違う点があるだろうことをご留意いただきたい。
そもそもどうして友人があんさんぶるスターズについて僕に聞いてきたかというと、僕があんスタに沼ってるからとか、推しがいるからとか、そういう類の理由ではない。
むしろその逆で、仲間内では「あんスタアンチ」で通っているためである。
僕はことあるごとに「最近のオタクが軟弱なのはあんスタのせい」と口にしている。
友人は、逆にあんスタ沼へ落ちている人と話す機会ができたから、僕のあんスタに対する意見も聞かせて欲しいという塩梅だった。
その質問に対して僕はこう答えた。
一言で表すならあんスタは立ち食いそばだ、と。
僕があんさんぶるスターズを初プレイしたのはリリース当日だった。キャラクターデザインも美麗で見目が好みのキャラもいたため、プレイ前は期待を抱いていたように思う。
けれど実際にサービスが始まり、プレイして感じた違和感。
どいつもキャラが濃い。
奇抜な口調、過剰な趣味、人間味のない受け答え。
まあでも、多キャラものを通ってきた身としてはキャラが尖るのはよくあることだよなと思う。
そのときの僕は、まあ自分向けじゃないよな、程度に収めてプレイを止めた。
ただし、皆さんご存じの通りあんさんぶるスターズの勢いはすごいもので、周囲にあんスタ好きの人は多数いたし、積極的に摂取しなくとも副流煙でストーリーが理解できる程度には定期的に何かしらの情報が流れて来ていた。
また、同居人があんさんぶるスターズのとあるカプに沼ったことで、身近に触れることにもなった(当の同居人は現在あんスタと袂を分けている)。
僕もmusicが始まった際は再びインスコしてALKALOIDにうつつを抜かしたりもした(今でもたまにカプ検索はする)。
けれど人間関係と一緒で、一緒にいる時間が長くなればなるほど嫌いな側面というのは見えてくるもので、嫌な部分が過剰に見えてくると耐えられなくなってくるものだ。
やがてただの一ジャンルから嫌悪の対象へとあんスタを昇格させた僕は、自分があんスタを受け入れられない理由を求めて考察するようになった。
実際に以前よりあんスタに触れてみて、考察してみて分かったことは、濃いのはキャラクターだけではないということだった。
ストーリーは大味で、基本的に繊細さはない。
まずそもそも、改めて考えてみるとどうしてみんなアイドルを目指しているのかが分からないしストーリー上で明かされない。さらに、アイドル活動らしいことをストーリー中でほとんどしていない。
ライブステージが始まったかと思えば、急に時空が歪んだのかと思うくらいステージ上でめちゃくちゃ喋ってる。
女性向けゲームといえばキャラクター同士の人間関係も重視されるかと思うが、その人間関係においてもカレーにケーキを乗っけたみたいな料理が提供される。
あんスタ制作人はどうもカップリングを乱立させるのが好きなようで、いたるところで男同士を絡ませて地雷持ちカプ厨の息の根を止めていく。
新しく形成された二人の関係が精巧に描かれていればまだいいものの、実験を楽しむマッドサイエンティストみたいな気分でシナリオが提供されるため、キャラクターを元あるグループと別ユニットに所属させるなど、ファンを不安にさせることに余念がない。
また、新しく激重感情が交わされる人間関係が構築される場合、基本的に他の人間関係をすべて無視した上で行われるため、一人の人間が人によって仮面を使い分けているというよりは、パラレルワールドや二重人格の様相を呈する。
つまり、あんさんぶるスターズは細かな調味料の調整によってストーリーが作られているのではなく、砂糖と唐辛子と塩を混ぜ合わせて作った味付けの濃いコンテンツ、だと僕は認識している。
けれどその大味のコンテンツが、流行しているのも事実だ。
僕視点から見るとクソみたいなコンテンツだったとしても、見る人によってその価値は変わってくる。
例えば、あんさんぶるスターズを舞台上で演出される戯曲だと解釈する。<br<br>>ストーリーが大味なのも、会話がやたら長いのも、キャラクター設定が繊細でないのも、すべて舞台上から観客に届けるための演出である。
細かな仕草で伝えても見えない観客もいるかもしれないし、細々した心理描写を入れるのは舞台には適さないため必然と会話は多くなる。俳優の藤原竜也は演技が過剰でそれがネットミーム化することもあるが、あの演技は舞台で育ったからに他ならない。
我々は舞台上の彼らのやり取りを鑑賞しているのだ、と考えれば過剰な演出もおかしくはない。
ではどうして戯曲的な大味コンテンツが流行しているかという問題になってくる。
結論から言うと、あんさんぶるスターズは今の時代に適した形態で提供されているからこそ、人の心を捉えているといえる。
今の時代、世の中にアニメやゲームをはじめとしたサブカルチャーコンテンツなんていくらでも溢れていて、一つのコンテンツに多大な時間や集中力、意識を割けないと考えている人は多い。
他にも、ストレス社会と言われる現代、ジャンルに沼っていたとしても私生活の問題で時間が取れないこともある。
そもそも立ち食いそばの味付けが濃い理由は、立ち食いそばは舌の上に食材がのっている時間が短く、一瞬でも満足感を得られるようにするためだ、と記憶している。
あんスタも同様に、味付けが濃いので舌の上にのっている時間が短くても満足感が得られる。
深く味を吟味するには向いていないが、短時間で楽しめるアトラクションではあるといえる。
あんスタは基本的に、一人のキャラクターが他のキャラクターとフラグを建てているときに、他のフラグをすべて忘失する傾向にある。
例えば、真白友也は氷鷹北斗の前にいるとき日々樹渉の存在が消えるし、逆に日々樹渉の前にいるとき氷鷹北斗の存在は消失する。瀬名泉において、月永レオと遊木真をそれぞれ相手にしているときも同様である。
逆に捉えれば、例えば特定のカップリングを追っているだけであれば、他のキャラクターとの関係性を一切履修する必要がないのだ。
その分他のコンテンツに時間をさけるし、キャラ理解を深めるために地雷カプへ突入する必要がない(公式PV爆撃で地雷を踏むことはあるが)。
あんスタくんは公式が常に二次創作してるようなものなので、よく燃える。それゆえに、ファンが二次創作するにあたって公式以上に悪目立ちすることはあまりない。
また、キャラクター性は特に味付けが濃いため、二次創作する上で多少の改変が行われても紛れて悟られづらい。
要するに、公式のキャラクターに見た目や口調が相似していれば全部そのキャラクターっぽくなる、という二次創作における最大の強みを持っている。
極論、つまりあんさんぶるスターズは今の世間に向いたコンテンツではあっても、僕向きではないという話である。
以前、僕は運営会社を同じくするエリオスライジングヒーローズに片足突っ込んでいたこともあるのだけれど、ジャンルを離れた理由は「設定が雑」「運営が信じられない」「キャラが守られていない」だった。
あまり詳細に書くと長くなるので割愛すると、つまり自分が求めている作品には、世界観がしっかりしていて噛めば噛むほど味が出るようなキャラクターやシナリオが必須であると認識している。
カップリング前提で見ているのではなく、そのキャラクターや仲間、背景を知りたいと思うしさまざまな関係性によってその「推し」が形作られていく過程を吟味したいと思う。
自分のオタク志向的に、あんスタは合っていない、と感じた。
ただ、not for meなだけなら、ここまであんスタアンチに近い発言を繰り返すこともなかった。
あんさんぶるスターズは確かに現代に適した形態でコンテンツが提供されているだろう。一瞬舌に乗っただけでアトラクションが楽しめる大味なあんスタというジャンルは、簡単に「オタクしてる」感が味わえる。
ただしそれは同時に、「味音痴」を作り上げる結果になっているのだ、と僕は主張したい。
あんスタは一大ジャンルなわけで、あんスタを通ってきた人は非常に多い。
ただしあんスタに慣れてしまった人にとって、作品やキャラクターを吟味するという行為は推しを推すために必要な行為ではない。濃い味付けに慣れきってしまって、自分から味わいに行くことはしない。味わわなくても楽しめるし、そもそもよく噛んでも良い味がしないという学習をしてしまっている。むしろ、二次創作においてはセルフで醬油やわさびを足して自分好みに都合よく改変しても、元がカレーにケーキを乗っけてるようなものなので違和感を覚えない。
周囲を観測したり、色々なジャンルを渡り歩いていると、明らかに味音痴のオタクが増えてきたと感じる。繊細な味付けが分からないため、その作品やキャラクターに対して食レポができない。二次創作しても、キャラクターの見た目や名前や特徴的な口調だけが一緒の何かになりさがってしまっている。
他ジャンルでキャラ乖離が激しい・キャラ解釈がない人の過去ジャンルを見てあんさんぶるスターズがあったとき、何とも言えない気持ちになる。
そんな周囲の状況を見ていると、僕はどうしても「すべてあんスタのせい」と言いたくなってしまうのだ。
作品の推し方、作品との接し方というのは人それぞれだと思う。こうしろと強制するつもりはない。時代の移り変わりであり、この流れを受け入れるべきなのかもしれない。
ただ、一オタクとして小言を許してもらえるのなら、たまにはその作品をあなたなりに深く味わってみてほしいと思う。
そしてその料理がなにで構成されているのか、自分なりに考察してあなたの解釈を深めて欲しい。他人と同じ解釈にならなくて良い、正解なんてない。人の数だけ解釈があり性癖がある。
大多数のオタクが味音痴にならないで欲しいと、強く願う。
生稲晃子氏「同性婚反対」
この人、二重人格なの?それとも漢字読めないの?
ってひろゆきが書いてるけど、乱暴な言い方をすると、婚姻制度ってお国のために産めよ増やせよ。そのために結婚して子供作る夫婦はいろいろ優遇するよってことになるからなぁ。
結果的に子供が作れなかったという可能性もあるけど、最初から子供作る気もない同性同士のパートナーに対して優遇させるってのはおかしいと思うのよね。
まぁ、子供を育てるって大前提で養子を連れて婚姻を申し込むってのはあってもいいとは思うが。
]]>生稲晃子氏「同性婚反対」
この人、二重人格なの?それとも漢字読めないの?
ってひろゆきが書いてるけど、乱暴な言い方をすると、婚姻制度ってお国のために産めよ増やせよ。そのために結婚して子供作る夫婦はいろいろ優遇するよってことになるからなぁ。
結果的に子供が作れなかったという可能性もあるけど、最初から子供作る気もない同性同士のパートナーに対して優遇させるってのはおかしいと思うのよね。
まぁ、子供を育てるって大前提で養子を連れて婚姻を申し込むってのはあってもいいとは思うが。
]]>最終的にドM人格は消えるんだが、なんか消えた人格が偽物だったようで悲しい。
]]>