はてなキーワード: 2007年とは
氷河期世代を語る流れがあるからそれに乗ってみる。リーマンショック世代を忘れないでくれ。
筆者は女で、2007年大学入学の2011年卒業。国立の旧帝大の文系を卒業してる。彼氏も大学は違うが旧帝大の文系だった。
まず、筆者が1年だった時の4年生、つまり3学年上の2008年卒の先輩方や、2学年上の先輩方はすんなり就職決まってた印象である。高学歴だし、普通にやってれば決まるって感じ。
ところがリーマンショックが起きて、1学年上の2010年卒の人たちから雲行きが怪しくなってきた。学者肌ってタイプでもないのに院進して就活を遅らせる人や、最初から公務員目指してたのではなく民間が受からないから諦めて卒業してから公務員試験目指す人、全く専攻を活かせないパチンコ屋に就職する人が増えてきた。
筆者の年もひどかった。人手不足教員不足が叫ばれる現在では考えられないだろうが、余裕で受かると思ってた公立の教員採用試験落ちたり、優秀な人が決まらなかったり。あえて就職留年する友人も多かった。女性活躍(笑)の空気もまだまだなくて、女は採ってないんだな…と面接に行ってから思わされることも多かった。
真面目な人は病んでいた。そりゃ、真面目に一生懸命勉強してきたのに時代のせいでパイが少なければ病みもするだろう。筆者は真面目なタイプではなかったので、病まずに済んだ。やりたい仕事も将来の夢もなかったので、大した就職活動もせず、内定は無かった。SPI等は高得点だったが、やる気がないのを面接官に見破られていたんだと思う。
彼氏も高学歴好青年なのに就活で苦労し、中小企業とも言えないような小企業に入社を決めた。
筆者は、30ぐらいまでなら働きたくなったら公務員でもなれるだろうし、出生率からすると将来の人手不足は間違いないと踏んで(後出しではなく、本当に既にこの時そう考えていたのだ)、高学歴新卒カードをドブに捨て、長く付き合ってた彼氏との結婚に踏み切った。とりあえず住む場所が決まってからその後のことは考えればいいと思っていた。多くの家族友人知人に反対された。一世一代の大博打であった。
夫が就職した企業は昭和のワンマン企業であった。真正ブラックとまでは言えないが、ほんのりブラックだった。残業代は社長の気分でついたりつかなかったりした。
就職はいつでもできるが、子供は若いうちしか産めないと思ったので、先行きも不透明なままに子供を二人産んでみた。もちろん男性育休なんて取れず、孤独に子育てをした。
2014年、アベノミクスが始まった頃、夫が会社を辞めて大企業に転職した。3年しか経ってないのに、2011年卒業時とは社会の空気が変わっており、ポンポン面接に進んですぐに内定が取れた。狐につままれたような気分だった。
2017年、子育ての辛さに耐えきれず、子育てから逃げるために筆者は就職活動を始めた。両立ができなければ、いざとなれば、無理でした〜とケツまくって逃げれば良い。やってみなければ分からない。一人で家で子育てするより、保育園に預けて働く方が楽かもしれない。その可能性に賭けた。当時は待機児童が多く保育園も圧倒的に足りてなくて、認可外に入れつつ派遣社員として働き始めた。デスクワークだったので、仕事の方が楽だった。読みが当たった。
2018年、認可外で派遣社員なら月によっては保育園代>筆者のお賃金 になるのが馬鹿らしくなって未経験職の正社員に転職した。
今、筆者は仕事も幸せな家庭も子供も手に入れてるが、それはたまたまの結果でしか無い。一歩違えばどんな未来があっただろうか。
最初におかず、次に汁物という具合に1品ずつ順に食べ切るのが「ばっかり食べ」。一方、おかず、ごはん、汁物、牛乳などの飲み物を一口ずつ行ったり来たりするのが「三角食べ」と呼ばれます。
三角食べは1970年代ごろから一部地域の学校で推奨されたといわれます。給食行政に詳しい専門家は「『完食させたい』という学校現場のニーズから出た指導では」と推測します。ちなみに東海地方出身の記者(40代)は小学校で三角食べを指導され、今もその習慣が抜けません。
文部科学省が2007年に発行した「食に関する指導の手引」には、「主食とおかずは交互に食べる」の記載がみられます。では、ばっかり食べは良くないのでしょうか?
「どちらにもメリット、デメリットがある」と話すのは、管理栄養士の成田崇信さん。
三角食べの長所は、並行して食べ進むため、残しても比較的栄養バランスがとれること。また硬さが異なるものを混ぜて食べるとかむ回数が増え、肥満防止に役立ちます。ただ、混ざると味が薄まるため味付けが濃くなりがち。また食材が混ざるのを嫌う子は食事が苦痛になる、という短所も指摘します。
ばっかり食べも、懐石料理のように、一つ一つの食材の味を楽しめる利点はあるものの、嫌いなものや後回しにしたものの食べ残しにつながる欠点も。
近年、学校での三角食べ指導は「行きすぎた管理教育」などと批判され、衰退気味。成田さんも「食べ方に正解や優劣はない。子どもの成長に必要な栄養をとれていれば、どちらも問題ない」と指摘します。「ご飯と一緒に食べておいしい献立もあれば、単品で味わうものもある。決め付けず、料理に合った食べ方を勧めるのも良いと思います」
埼玉の水着写真撮影会中止の件でコミケと幕張メッセの件を引き合いに出すのを見かけたが
エロ同人界に大きな影響を与えた、都産貿と大田区産業プラザPIOで起きた同人イベント規制強化の件が忘れ去られていると感じた。
読売新聞が都産貿で開催されていたある同人イベントAに対して都の施設であるにも関わらず成人向け同人誌ばかりであると糾弾する記事を掲載
影響は大きく、都の外郭団体が管理する都産貿や大田区が管理するPIOではしばらくの間、同人誌の内容規制や同人誌の袋詰めなど規制が行われたらしい。
その後、規制緩和のバーターで成人向の比率が高いイベントで入り口の年齢確認が行われるようになり、
今では当たり前の同人イベントのリストバンドはこの時に広く取り入れられた施策である。
台東館のリニューアル、浜松町館の建て替え、レンタル難易度の上昇の噂、コロナ禍等の多数の要因により
余談だが2008年のコスプレサミットの元コミケスタッフE審査員キャンセル事件との関連性が当時の2chで囁かれており、
特に関与が疑われたのが別件で炎上を繰り返し、EとイベントA関係者から糾弾を受けていたあるコミケ参加者だった。
朝日新聞記者にも疑われコスプレサミット事件で取材記事を書かれるのだが…待てど暮らせど特に何も動きは起きなかった。
…2chでも、次第にこいつの文章力で読売新聞やコスプレサミットが動くわけない、と疑いのムードが晴れていった。真相は闇の中だ。
成人向け同人イベントSがアフターでアダルトアニメのスタッフ(実はロボアニメ監督としても有名)を招いた座談会を開き、そのアニメを上映する企画を行ったが
ガラス張りの大ホールだったため、会場外からも衝立の隙間からエロアニメ映像が見えていたという住人からの通報があったらしく、問題となった。
PIOは同人イベントが外から見えないように衝立配置を徹底指示に加え、何故かアニメ絵のポスターを会場入り口掲示板に掲示することを規制するようにしたらしい。
ただ、問題となった上映エロアニメはエロシーンをすべてカットした特別編集版だったそうなので、
本当に何も知らない住人によるクレームか疑問符が付くが、その点は考慮されなかったようだ。
台東館の例に比べると大きな規制は起きず、Sも数年後にはPIOでの開催を再開しイベントが自然消滅するまで何度か使用されたそうだ。
後年PIOで開催されたコスプレイベントに会場側から圧力があり、それを例のO区議が議会質問で糺してた事を実績として挙げている。
万引きしてまで欲しかったもの。という内容のインタビュー集の企画を思いついたが、絶対無理なのでここに供養。影響を受けた本やレコード、服に食い物などについての話は腐るほど存在するけれども、金のない劣等感や窃盗のスリルの思い出がたっぷり染み込んだものについて大いに語っていただきましょう、という趣旨。
かくいう私はというと、経済的にどん底だった2007年に街のレコード店でPerfumeの最初のアルバムのディスクだけ抜き取ってたまたまポケットに入っちゃったことがありましたね。まさに引力。
新人ちゃん「え!増田さんって、ツイッターやってるんですか?リツイートって知ってるんですか?」
増田「当たり前だろう!むしろリツイートが出来る前から知ってるわ!」
増田「もちろんあるわ!リツイートは2010年に実装されたんだがそれまでは非公式リツイートと呼ばれていてわざわざ元の文章をコピペして冒頭にRTをつけて投稿してたんじゃ、だが元の文章を自動に改変できる上に改変したかどうかは元のツイートまで確認しに行かないといけなく手間でも合ったわけだな、それに配慮する形で公式リツイートというのが出来て今の文化になったわけだな。さらにRTをつけていたときに非公式リツイートなのか引用リツイートなのかがわからないという人が居て、引用リツイートの場合はQuoteでRTじゃなくてQTを頭につけて投稿しよう。というムーヴも一時期あったわけだな、日本だけのムーヴだったしそんなに広まらなかったけども一部のツイッタークライアントはわざわざその機能を実装したりもしてたな。まぁツイッターが始まったのは2006年なんだが、わしがツイッターアカウントを作ったのは2007年じゃ、ということは古参ということになるがなにか聞きたいことはあるかね?」
上岡龍太郎の追悼VTRの中で、2007年に横山ノックのお別れ会で見せた“別れのあいさつ”
上岡龍太郎さん、横山ノックさんへの涙と笑いに包まれた“別れのあいさつ”『Nキャス』で放送【ほぼ全文】 | ORICON NEWS
上岡龍太郎が横山ノックの愛車遍歴をすらすら語る中で、「運転手付きのダッジ・ダート」が気になった。
ダッジ・ダートってアメリカ本国だと大衆ブランドのコンパクトな大衆車なんだけど。
けして運転手付きで乗るような車じゃない。日本車で例えると「運転手付きのカローラ」くらいの違和感。
初代ダートはフルサイズの大型車だけど、アルファ ロメオ・ジュリアスプリントベローチェ(1965年発売)から乗り換えたと上岡龍太郎は言ってるから、1963年式以降のコンパクトな小型車(米国基準では)になってからのダートだろう、多分。
売れっ子芸人になってからの横山ノックがわざわざ中古買うとは思えんし。
1960~70年代頃まではガイシャの高級車と言えばドイツ車よりアメ車だった、ってのは話としては知ってるがダッジ・ダートまで高級車扱いされてたの?
当時でもGMの高級ブランドのキャデラックやフォードの高級ブランドのリンカーンが正規輸入されてたのに、そっち選ばなかった理由がわからん。
当時は安全自動車株式会社がダッジの正規代理店で、同じクライスラーの高級ブランドのインペリアルも輸入してたのに、そっち選ばなかった理由がわからん。
当時、横山ノックは十分売れてたから「ダッジは手が届いたが、キャデラックやリンカーンやインペリアルは無理だった」てわけでもなさそうだし。
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
https://anond.hatelabo.jp/20230530182341
これ昔から思ってた
不動産価格も半年遅れくらいで追従、これで土地転がししてた人らがバタバタ倒れたのは有名なんだけど
大企業はこの負債だけでは即死せず、かといって公表せず、爆弾を抱えたままゾンビのように生き残っていた
だから一般人にとってバブル崩壊はどこか他人事だった、株価が4年前に戻っただけだからね
例えば日本人の給料のピークが1997年だった、新聞の発行部数も1997年がピークだ
だから個人的には元増田の言う「90年代後半は暗かった」というのは分からない
エンタメも元気だった
例えばFF7発売が1997年だし、アムラーが流行ったのもこの頃、ジブリはもののけ姫を出したし、ハリウッドではインデペンデンス・デイやロストワールド、スピード2が出た年だ
北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻した
ただ、この頃からITバブルが始まっていたこともあり、若者や子供にとってはそんな暗い時代ではなかったと思う
ノストラダムスの大予言に夢中だったのは確かだけどそれはベクトルが違う
じゃあいつ頃日本が暗くなったかといえば、2002年頃から徐々にだと思う
ITバブルが崩壊し、金融政策がうまく行かず、バブル崩壊の負債と金融危機の負債が小出しで爆発した関係で低迷したし
回復してきたかと思ったら2005年に会社法が成立し、会社が健全化する中で膿を出しつつ低迷した
ちなみに2005年に合計特殊出生率が最低をマークしている、ここらへんがどん底だと思う
この頃は小泉政権時代だ、まさに聖域なき構造改革で、膿を出して2007年くらいにはようやく回復したんだが
2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災で追い打ちをされた(これがなかったらどうなってたんだろう)
海外でもゴタゴタあり、結果2002年〜2014年あたりの殆どのタイミングで暗い時代が続いた
そして実は2014年以降、つまりアベノミクスのタイミングでは世界的に平穏で少しずつ回復して行っていたわけだが
まあコロナで全部壊されて今に至る
暗い雰囲気、病んだ雰囲気を消費していただけで、今よりはずっと呑気で適当だった印象
ピチカート・ファイヴの曲を時系列に並べると、確かに90年代中頃から暗い曲が出てくるけれど(小西康陽のメンタルの波が影響していたらしい)、やっぱり雰囲気を消費していた感じがして、暗い時代という実感はない
ミニシアターでヌーヴェル・ヴァーグとか日活ロマンポルノとかやってて、エヴァの影響で神代辰巳の青春の蹉跌とか青春の殺人者とか見たけど、60年代から70年代は暗いんだなって思ってた
秋葉原は全盛期へ向かう助走が始まる熱があった頃だろう
元空調機器の開発者です。たしかにメンテナンス考えてないケースは多い。だがその多くは安全上の理由である。
私は元増田のほんと日本の男って家電開発のセンスがないわに同意する点は多い。だが白物家電はジャンルによるが、開発チームの3割程度は女性だ。普通に会議でも女性の意見は求められるし、お客様の要望として上がってくる。メンテナンスフリーじゃないのが男性主体であるという推察は、まったく的外れであるとは指摘したい。
だがまぁ、事実としては。マジでメンテナンス関連の開発優先度は低い。
強いて言うなら、修理部門から「分解しにくい」「パーツが壊れる」などの報告が来たときに改良する程度。
電子レンジに濡れた猫を入れるなんてジョークのような話があるが、科学教養がなくセンスのない馬鹿は世の中には掃いて捨てるほどいて、開発者はどうすれば馬鹿でも安全に使えるかに心血を注ぐ結果、部品に触らせないようにする。
もう10年以上昔だが、某エアコンにおいてメンテナンスを重視するべくファンや熱交換器を交換型アタッチメント式にする企画があったが、一瞬で却下された。最大の理由は「電源をオンのまま交換を行うお客様がいた場合、重大事故につながる」というものだった。
それにお客様の住環境によっては、電源コンセントを抜きにくい配置であったり、物理的にスペースがなくてパーツを外しにくい場合があるだろう。
事故やクレームの可能性は吐きたくなるレベルで無限に存在する。いや開発時に考えすぎて吐いた同僚がいた。
エアコンが顕著だが、2007年の省エネ法など法的な規制が厳しくなっている。
だがいくら技術や素材が進歩したからといって、そう簡単に省エネにできるはずがない。じゃあどうすればいいか。デカくするのだ。
エアコンや冷蔵庫などは熱を交換するという性質上、巨大パーツを動かす事で省電力化に寄与する。小さいコップに注がれたお茶と、大きな鉢に入ったラーメンが同じ温度だとして、小さいコップの方が早く冷めるのと同じ理屈だ。実際に多くの家庭用エアコンは本体・室外機ともに20年前より1.5倍程度デブになっている。
例えば多くの家庭用エアコンは解体者の左側にスペースがないとパーツの取り外し自体が難しい。右側に電気制御基板があるため、左側のフィン軸などを浮かせてパーツを分解するためだ。脚立の上で重たいパーツを抱えた結果、バランスを崩して転倒するのは目に見えている。実際、プロのエアコン修理業者ですら事故を起こした報告を聞いている。
元増田が上げてるすべての家電ジャンルに私は携わったわけではないが、回転駆動するモーターを内蔵する機器、高温になる機器、大電流を必要とする機器は、どうしても安全性を重視せざるをえないのは想像に難くない。回転するモーターがあって高熱で大容量電力が流れる状態で分解・清掃する馬鹿が、マジでこの世には山ほどいるのである。本当に信じがたいが。家電開発をしていると、もしかして人類全員は単細胞じゃないかと思えてしまう。冷や汗がでる危険行動をとる人がいる、いまくる、いすぎるのだ。あまりに多くて本当に気が狂ってしまうよ。
お掃除しやすくした結果、事故が起きては取り返しがつかない。お客様の命と同時にメーカーの信頼も失う。
とはいえ、私自身も元増田の投稿には心情的にかなり同意する点は多い。
ブコメにも指摘はあるが、メンテナンス製を重視して製品ラインナップを展開しているのは三菱電機くらいである。
環境負荷のことを考えても、適切に分解・洗浄ができて、長く使える製品を開発する事はメーカーの責務であると私も思う。だが上述の事由や、歴史的・文化的な企画判断では、メンテナンスの優先度は極めて低い。
全体的に「増田くらい清潔にメンテしておきたいって気持ちを持つ人は極少数」なのは知っといてもらいたいね。
非常にわかりみが深い。だが私はこの認識は少し古い気がしている。
SDGsの広まりが一過性のブームなのか、もっと継続的なものになるかは意見が分かれるだろう。しかし私はお客様の声や販売スタッフなどの話から、メンテナンスに対する需要は2020年頃から高まっているように感じる。若手からの企画報告でも、TikTok・Instagramm・YouTubeでのお掃除系動画の盛り上がりなど、気になるトピックが増えてきた。
メンテナンスを行いたいという感度の高い客層は、10年前・20年前に比べて増えてると私は考えている。生まれた時から多くの家電に触れ、ご友人の評判やネットの商品レビューから使いこなしを意識した、家電教養の高いお客様が増えている事の裏返しだと思う。
大手メーカーで一瞬で却下された企画を形にしたような、バルミューダのデザイン家電がヒットしたように。メンテナンス家電のメーカーXが今後登場する可能性はある。かもしれない。
ところで元増田は海外製品の良さを記しているが、これは歴史的・文化的な側面があるのではないかと思う。
日本は「町の電気屋さん」として、販売とメンテナンスを行う中小企業が多い。平成・令和となった今はビックカメラやケーズデンキなど大手家電量販店はすべての都道府県に存在するが、これは世界でも珍しいどころか、おそらく世界で日本だけの唯一無二の状況である。
お客様がアクセスしやすい家電サポートが身近にあるため、メンテナンス機能の実装優先度が下がると思われる。
一方国土が広いアメリカや、サポートスタッフが少ない途上国なんかだと、そうはいかない。お客様自身でメンテナンスできる機構が必要だったのではないか。
それから、メンテナンスができるとして、どこまでやれば良いのかという話もある。
洗濯機・エアコンが顕著だが、高温多湿な日本の環境は、家電にとって大変なハンディキャップである。
どんなにメンテナンスしてもカビ・ホコリは発生する。これを書くのは心苦しいが家庭用エアコンのお掃除機能は、ハッキリ言って焼け石に水である。
じゃあ完全分解洗浄するのか? そんな事をしても1年後には汚れまみれである。 毎年3万円かけて掃除業者やメーカーでエアコン完全分解洗浄をするくらいなら、全く掃除せず3年目に9万円の新品を購入した方がマシではないか?
メンテナンスのコストを下げるために改良した製品を投入するとは、この部分こそが未知の領域である。いったいどのレベルの製品ならば、お客様の満足と、それに見合うコストが釣り合うのか。誰も分からないだろう。
お客様にメンテナンスされて汚れを認識するくらいなら、奥にゴキブリが挟まってたとしても見えない方が良いという事だ。
aquatofana ガラスの崖(平時に出世するのは男性だが、危機的なときだけ女性に声が掛かり、そういうときしかチャンスを与えられない女性はチャレンジするが当然上手く行かず「女性は仕事できない」事例にされる)現象かな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4736369796585370949/comment/aquatofana
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.techno-edge.net/article/2023/05/12/1280.html
2006年の研究では、法学部の学生はリスクの高い事件を男性の主席弁護士よりも女性の主席弁護士に依頼したがることを示した[7] 。
しかし、他の研究においては、ガラスの崖現象の存在の確認に成功した例はない。
最高経営責任者(CEO)の任命直前の企業業績に関する2007年の研究では、女性経営者が不安定なリーダーの立場に選ばれる可能性は男性よりも低いと示されている[8]。
We find that corporate performance preceding CEO appointments tends to favor females, implying that females (males) are appointed to the CEO position largely at times when the firm is in relatively better (worse) financial health.
Disaggregating the data by appointments in up versus down markets, at high-risk versus low-risk firms, and by calendar time yield similar conclusions.
There appears to be no glass cliff facing female CEOs at US firms.
Are Female Executives Over-represented in Precarious Leadership Positions?
長らく子供向け、それもサイズがトドラーサイズ(100~130cm/どうぶつの森や鬼滅の刃など一部除く)しかなかったのだが、最近大人用のが発売された。
ただ、プリントがトドラーサイズみたいに派手ではなく地味すぎるのが気に入らない。色も黒っぽいのしかないし。
もっと子供用と同じ原色!でかでかとしたキャラプリント!意味のないフリフリ!袖には謎英字!みたいなキッチュなデザインにしてほしい。
自分も光るパジャマには憧れを抱いていたが、それは子供服特有のキッチュなデザインがたまらなくすきだからだ。
自分もキッチュな光るパジャマを着れば「わーい!プリキュア(=戦隊・ライダー)のパジャマだ!かわいい!きもちいい!」と幼女気分になれるだろう。
実際人がいないすきに子供服売り場によって光るパジャマを2秒ぐらい触ってはそういう妄想をすることもある。ただ、目撃されたらその時点で人生終了だ。
ただそういうことを公共の場でするのは問題が大きいので、帰ってインターネットの子供服店でパジャマの画像を探し、それを着ているところを妄想することが多い。
実際それで抜いたことは少なく見積もっても15年で100回ぐらいはあると思う。多分一番最初にそれで抜いたのは中3のころやっていた『ボウケンジャー』で放送されていた「フォトプリパジャマ」のCMだ。
CMに映っている男の子になりきり「今僕は大好きな『ボウケンジャー』のパジャマを着ているんだ!」という設定で抜いた。
パジャマの肌触り、締め付けるゴム、自分の視界から見るボウケンジャーのプリントといったものを思い浮かべてした。ついでに出ていた男の子には興味はない。男の子になりきり「パジャマを着る」という状態に性的欲求を抱くのだ。
自分は2000年代~2010年代序盤の、キッチュなデザインのこども用パジャマが大好きだ。それは自分が性欲猿だった中高生時代に触れたパジャマだからだ。
パジャマ自体には幼稚園の年長から30年近く性的に欲情していた。小学1年のころにはすでに親の子供服カタログを盗んで、部屋の中で一人子供服パジャマの姿を見て「おちんちんが大きくなって気持ちいい」ってお耽美していた。
その後も小学校卒業まではそれらに掲載された写真を見ては勃起して気持ちよさを味わっていた。そして中学の時にはそれをおかずについに精通。
精通するころにはすでに「パジャマを着ている妄想をすると気持ちいい」って境地に達していた。それ以降子供服のパジャマを着ているところを妄想して性欲を発散するマシーンが誕生した。
しかし残酷なことに大人になっても子供服のパジャマ、それも性欲盛んな頃によく目にしたキッチュなデザインのそれにしか興奮できなくなっていた。
一方子供服のパジャマのトレンドは2010年代中盤以降急速に変化し続け、ここ5~6年ぐらいは大人の普段着と変わらないほどの洗練したデザインのものが主流となっている。
大人向け(紳士向け)パジャマでもキッチュなデザインはごくたまにあるが、それは道頓堀の底をさらって砂金を探すのと同じぐらい難しい。結局2010年ごろまで集めたパジャマの写真とかを見て抜くしかないのだ。
そんな自分に唯一残された希望、それが光るパジャマである。光るパジャマも『鬼滅の刃』は『呪術廻戦』のようなジュニアサイズ(130~150cm)のだとデザインの洗練化にあらがえず無味乾燥なデザインになりつつある。
ただ、トドラーサイズのだとまだキッチュなデザインのままだ。願わくばキッチュなデザインのパジャマをゆったりとした形で着たい。
そういう意味で、バンダイさんにはキッチュなデザインの大人用光るパジャマの販売を検討していただきたい。もっというなら2010年代初期ぐらいの「比較的ゆったりとしたデザイン」を希望したい。
じつはどうもある時期(2016年ごろ)を境にゆったりとしたデザインから(同じサイズでも)肌とより密着したデザインに変わっているっぽいのだ。
アメリカでは子供向けパジャマは安全性の観点から肌と密着した形で販売するようにという基準があるが(参照)、それとあわせたのだろうか。
とはいえ自分の好みからは大きく乖離するし、大人向けの話である。再考を促したい。
ついでに不逞の輩がやる「(明らかにサイズの合わない)ぱっつんぱっつんの『光るパジャマ』を着る」というのは邪道ですらなく、パジャマの持ち味を完全に棄損するバカげた真似だ。こんなので気持ちよくなるほど俺は落ちぶれてはいない。
【余談】
自分が高校1年だった2007年12月、当時やっていた『仮面ライダー電王』の光るパジャマのCMのことが突如頭から離れなくなったことがある。
しかもその時は期末テストの最中。ムラムラギンギンではテストどころではない。幸い赤点は回避できたが、あの時のムラムラギンギンしながら頭は焦りまくった状態は今でも忘れられない。
ついでに『仮面ライダー電王』は当時面白さを全く感じなかった。同期の『ゲキレンジャー』『セブンX』『ハニー THE LIVE』はかなり面白かったのに。
【余談2】
だめだおれの糞みたいなchat-GPT力ではこんな糞みたいなものしか生成されない
あなたは2007年からTwitterを使っているヘビーユーザーの小説家です。当時を思い出させるような、「2007年のTwitter」というタイトルの小説を書いてください。
ChatGPT
2007年、インターネットが日常生活に欠かせないものとなりつつある時代。作家である私は、友人から勧められた新しいSNSサービス、ツイッターに興味を持ち始めた。当時はまだ、誰もが知るような存在ではなかったが、私はその独特のコミュニケーション方法に魅了される。文字数制限のある140文字で自分の意見や日常をつぶやくという新しい形式に、初めて触れるのだった。
私は自分の小説や日常についてつぶやき始める。フォロワーも少しずつ増えていく。やがて、同じような趣味や関心を持つ人たちと出会い、友情が芽生える。私はこの新しいコミュニティに夢中になる。ツイッターは私にとってインスピレーションの源となり、次の小説のアイデアを見つける場所でもあった。
第3章: ツイッターの影響
2007年のツイッターは、まだ無邪気で楽しい場所だった。しかし、次第にネット上のトラブルや誹謗中傷が増え始める。私はそれを見て、ツイッターの危険性やネットリテラシーの重要性を痛感する。そんな中、私は自分の小説にツイッターを題材にした作品を書くことを決意する。
私は短編小説「140文字の物語」を執筆する。物語はツイッターを通じて出会った人々の交流を描いている。この作品が大変好評を博し、私はツイッター上でさらに注目されることになる。やがて、私はツイッターを使った小説の新たなジャンルを生み出すことに成功する。
第5章: 今も変わらぬツイッター
数年が経ち、ツイッターはさらに進化を続けている。私もその中で新しいつぶやきや出会いを楽しんでいる。2007年のツイッターは、私にとってかけがえのない思い出であり
続きお願い
ChatGPT
、時代の変化を感じることができる場所でもあった。しかし、私は今でもツイッターを使い続けており、その魅力に取り憑かれている。
第6章: 新たな挑戦
ツイッターが私の人生に多くの影響を与えたことは間違いない。私はツイッターを通じて多くのファンとつながることができ、彼らの声に直接耳を傾けることができる。そんなツイッターの力を借りて、私は新たなプロジェクトに挑戦することを決意する。それは、フォロワーからのアイデアを元にした連載小説の執筆だ。
第7章: フォロワーとともに
私はツイッター上でフォロワーからの小説のアイデアを募集し始める。多くの意見や提案が寄せられ、私はその中からいくつかのアイデアを選び、連載小説の執筆に取りかかる。フォロワーたちと一緒に作品を創り上げるこの新しい試みは、私にとって非常に刺激的であり、創作の喜びを再び感じることができる。
ツイッターは、2007年から大きく進化し続けてきた。しかし、その根底にあるコミュニケーションの楽しさは変わらない。私はこれからもツイッターを使い続け、新しい出会いやインスピレーションを求めていくことだろう。そして、私の作品も、ツイッターとともに時代の変化を映し出すものとなることを願っている。
最近、chatGPTとかStableDiffusionとかAI技術が話題だけど、こういったIT技術が社会に与える影響ってどのくらいなんだろう?
個人的にははてなやネットで騒がれてるほどインパクトはなくて、世の中がちょっと便利になるくらい。
これまでを振り返ると、
Napster、WinMX、WinnyなどのP2P技術が登場し、ブロードバンド環境が整ってきて、音楽や映画は(当然違法だけど)オンラインで簡単に手に入るようになった。
TVニュースで「宇多田ヒカルが新曲を発表」と聞き、Winnyで検索したらものの5分でダウンロードできた時には、これは時代が変わるって興奮したことを覚えてる(怖くなって後からCD購入した)。
1~2年もすればCD/DVDなんかなくなるし、レンタルCD/DVDなんて消え去るだろうって思った。
その後、サブスクサービスは発展したけど、20年以上経った今でも残ってるし、いつCDとかの物理メディアはなくなるんだ?
iPhoneが発売され、スマホやタブレットが急速に普及した。
ガラケーと違ってめちゃくちゃかっこよかったし、これはからは個人が高機能デバイスを持ち歩く時代だ、
そのうちメガネ型どころかコンタクト型とかのウェアラブル端末が登場して、常に情報を取り込みながら生活していくんだって思ってた。
実際はiPhoneはカメラが増えたぐらい、Appleウォッチもまぁ健康管理ができて便利なんじゃねぐらいの印象。
いつになったら俺の目を盗むやつが現れるんだよ?
Bitcoinが話題になり、ブロックチェーン技術による仮想通貨がいろいろ登場してきた。
信用の原理を聞いたときは、これは金本位制から続く国や中央銀行の貨幣による支配構造が一変するぞってドキドキした。
でもその後は、普及というか投機対象になってFXとか好きな人が上がり下がりを騒いでるだけになってしまった。
chatGPTが登場し、AIブームが起きた(逆か、AIブームが起きてchatGPTが登場したのか)。
ふーん、AIブームとか何回目だよ、人工無能と何が違うんだよと思って使ってみたらびっくり、日本語でもめちゃくちゃ自然に話す。
しかも、チューリングテストをクリアするどころか、3.5の時点で自分より頭よさそう(フォークト=カンプフ検査なら見分けられるだろうか)。
ただ、この自然言語処理技術に代表される今回のAI技術ってどこまで社会を変えるんだろう?
パーソナライズされたAIをみんなが使うようになって、ビジネスや教育現場での超優秀な部下・パートナー、教師になる、
寂しい独り者やボケてきたジジババたちの話し相手にはなるんじゃないかと思う(肩にインコを乗せるようになる)。
でも、弁護士、裁判官とかの士業、医者や救急隊員とか命に係わる仕事、果ては政治家を置き換えるようにはならないんだろうか?
MAGIシステムよろしく国会でAIに法案の良否を判断させたり、身体性を獲得したAIが選挙カーで選挙活動して当選、国会や議会に登庁する日は来るんだろうか?