はてなキーワード: リバタリアニズムとは
無思想の対として浮かんでくるのがネトウヨやネトフェミなのか?それはドン引きだわ。
普通はコミュニタリアニズムだとか、リバタリアニズムだとか、リベラリズムだとか、功利主義だとか、老荘思想、儒教思想、禅――そういうのを学者の名前や著書の内容と共に思い出すもんだよ。
それらをみな、自分なりに噛み砕いて、現代の身の回りの環境に合うよう変形させた上で持っているもんだよ。自覚していないし、言葉にしないだけで。
君が思想だと思っているネトウヨやネトフェミなどという集団は、カルト宗教と原理的に同じで、思想の体現ではない。
不満を鬱積させる市民のうち無学な人たちが、思想めいたものにかこつけて一体感と規模の力を得るための寄り集まったものでしかない。
思想哲学のように、政治や経済と繋がってより良い「道」を追求・研究することを主眼にしているわけではない。いわば対案を持たないデモ行進のようなものだ。
もしそういうのを「思想」だと思って、そんなのになるくらいなら無思想の方がいいとなる人がいるとしたら、そうやって特段悪い部分だけ見ることで考えを改めないようにする思考の癖を直すべきだと俺は思う。
当たり前だけど、自由を重視する俺も、構造的弱者が存在するってことは公正な自由競争を行う条件が整ってないってことなんだから弱者救済には賛成だよ。でもそれは自由で公正な社会のための地ならしであって、弱者の救済そのものが目的じゃない。あくまでそれは手段で、最終的な目標は自由な社会の実現(この手段としての弱者救済を否定するリバタリアニズムには明確に反対)。だから弱者側の要求が自由や公正を脅かすのならそれに反対する。
リバタリアニズムは弱者救済を否定していない。公権力による強権的な弱者救済を否定している。
自分の意志で自分の財産を元に弱者を救済することは何も否定していないし、その行為を称賛する人や何なら賛同して寄付する人もいるだろう。
公権力による弱者救済を否定する根拠は、もちろん自己所有権の侵害(自分の意志に反して自分の財産を接収され、自分の意志に反する用途に使用される)だけど、
もう一つ、公権力による弱者救済のための規制や介入は、市場原理に任せるよりも不効率であるということも大きな理由だし、(何をもって「公正」とするかにもよるけど)リバタリアンにとっては不公正でもある。
また、"実際に"弱者の生活を良くするのは、資産を取り上げてばらまくことではなく、技術の革新である。
例えば、事故で障害をおった人々の生活を"実際に"良くするのは、車椅子や義手の機能改善やロボット技術の発展だろう。
公権力による強制的な財産移転は、資産の集積を元にした技術革新とそれによる生活の向上を阻害し、結局は弱者の生活を良くすることにはつながらない。
現代の富裕層と貧困層の格差は原始時代の格差よりも格段に大きいが、現代の貧困層は原始時代の貴族よりも良好な生活環境に有る。
弱者救済について問題とすべきは相対的な格差の解消(=富裕層から貧困層への資産移転)ではなく絶対的なレベルの改善(=技術革新、安価大量生産)ではないだろうか。
上記は無政府資本主義のようなかなりハードなリバタリアニズムの意見で書いたけど、
よりマイルドな古典的自由主義や最小国家主義では、例えば教育補助のための資産移転なども議論されている。
「リベラリズムに従えよ」増田だけど、俺の本意は「自分の主義主張と合わない界隈からは離れれば? 派閥じゃなくて自分の主義主張に忠実になろう?」って話だったんだよね。語り口で誤解させちゃったら申し訳ないけど。
で、もしリベラル増田が本心から“リベラル”やフェミニズムを支持しているならそのまま派閥に所属してればいいと思うんだけど、この返答を読む限りだとやっぱり派閥に属するのやめた方がよくない? とは思うよ。
また、現実の話もある。例えばある女性やフェミニストの方の主張に疑問を感じたり、リベラリズムに反すると思った場合、それを男性の私が指摘したり疑問を言葉にするのは、正直言って、難しい。
この雰囲気をどう伝えれば良いのか分からない、兎に角、難しい。それによって私がセクシストであり、差別主義者だと言われてしまうのでは無いかという恐れが常に有る。
増田が「社会的強者である自分が口を挟むのは差別主義だ」と本心で思っているから口を挟まない……のではなくて、差別主義者だと思われるのは怖いから口を挟まないって話なんだよね? 派閥抜けた方がよくない?
ここでまた、「またカテゴリで考えている」と言われるだろう、でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
内部批判を利敵行為とみなすの率直に言って末期症状だから早めに派閥抜けた方がよくない?
リベラルやフェミニズムに疑問を感じた事を表に出すことは出来ないし、だから、なるべく考えない様にする。納得してなくても、納得してるふりをする、でも、リベラルである事は続ける。
なんで納得できないのに納得してるふりをしなきゃいけないの? そんなことを強いられる派閥なんてさっさと抜けた方がよくない?
別に、増田に“リベラル”な思想を捨てろとは言わんよ。弱者の保護は尊い思想だと思うから増田がそれを掲げるのはけっこうなことだよ。
でも、その思想を抱えたまま、変な派閥的思考を捨てることはできるんじゃない? 同じ思想のやつからネトウヨと罵られようが、うるせえこれが俺の信じる“リベラル”だ、って自分の信じる道を貫き通す道もあるんじゃない?
で、こっから先は、増田の“リベラル”に対する俺からの疑問ね。主義主張の違いだから別に読む必要はないよ。
それに開き直るつもりは無い、「弱者を守る事を優先する」という事は、他の何かと衝突した時、そちらの優先度を下げるという事に成る。それは時には不当な加害になる事も、暴力性を持つ事も、自由の制限に繋がる事も、他者を抑圧する事も傷付ける事も、どれもあり得る。それに、そもそも自分の中の「弱者」の基準が正しい保証は無い。「弱者を守っている」つもりで、別の弱者を気付かずに足蹴にしている事も当然あり得る。
もちろん増田もわかった上で書いてるんだろうけど、強い弱いというのはあくまで相対的なものだからね。たとえば左利きのシスジェンダーの在日同性愛者男性は、左利きと在日と同性愛者という属性では弱者で、シスジェンダーの男性という点では強者だよね。女性差別やトランス差別の問題ではその人は強者側だけど、民族差別やホモフォビアや右利き中心主義の問題では弱者側で、そのときの話題によってポジションが変わってくるわけじゃん。まあ右利きシスジェンダー日本人ヘテロセクシュアル男性である俺みたいなのがいるんだから、当然左利きトランスジェンダー在日レズビアン女性みたいな弱者要素の詰め合わせみたいな人もいるんだろうけど、多くの場合は特定の要素において弱者なのであって全方位に弱者な人なんてそうそういないよね。
だとすると、基準は「弱者の保護」じゃなくて、やっぱり自由と公正に置かれるべきじゃない? どのような属性の持ち主であっても公正に扱われ、それぞれの自由を最大限に謳歌できる社会が目指されるべきじゃない? リベラリズムの信奉者としてはそう思うけど。
リベラルフェミニズムは前者のリベラル(つまり自由を優先する方)と相性が良く、後者のリベラル(弱者を優先する方)はラディカルフェミニズムと相性が良い(相性がと言うより、仲が良い、と言った方が正確かもしれない)
自分は後者が主軸なので、ラディカルフェミニズムと協調する事に成る、そうすると必然的に表現の自由等より、弱者を守る事を優先する事に成り、女性を消費するようなコンテンツを肯定できない→オタクである自分自身と不調をきたす、という事に成る。
でもあいつら弱者の保護とかいいつつトランスジェンダーを差別してるじゃん。
もちろんTERFはあくまでも一部の連中がやってることだからその罪を全体に敷衍するのはよくないんだけどさ、弱者の保護というお題目が自由とかよりも優先されるみたいな話をしてるから「女性は弱者なので保護されるべき! 女性専用スペースに男体持ちは入ってくるな!」みたいな論理に飛びついちゃうんじゃないの?
当たり前だけど、自由を重視する俺も、構造的弱者が存在するってことは公正な自由競争を行う条件が整ってないってことなんだから弱者救済には賛成だよ。でもそれは自由で公正な社会のための地ならしであって、弱者の救済そのものが目的じゃない。あくまでそれは手段で、最終的な目標は自由な社会の実現(この手段としての弱者救済を否定するリバタリアニズムには明確に反対)。だから弱者側の要求が自由や公正を脅かすのならそれに反対する。
自由を優先しない、というのは別にいいんだけど、だったらリベラルって名乗るのやめたらいいんじゃない? リベラリズムは読んで字のごとく自由の実現を重視する主張だよ。自由よりも社会的弱者の救済に重きを置くならソーシャリズムとか名乗れば?
「リベラリズム」は最初はジョン・ロックやアダム・スミスを元にする(消極的な)経済的自由と個人的自由をともに重視する思想だった。
20世紀になり、積極的自由のために市場への公的介入や財の分配を許容する福祉国家的、社会市場主義的な「ニューリベラリズム」が派生し、
次第に優勢になるにつれて名前から"ニュー"が外れて「リベラリズム」と呼ばれるようになった。
その後、「リベラリズム(ニューリベラリズム)」に対して個人の自由や市場原理を再評価し、経済的自由の制限を緩和する方向として「ネオリベラリズム」が派生した。
1930年代〜戦後期に「リベラリズム」という言葉が指すものが今で言う古典的自由主義から社会自由主義へと変化した後で、
1960~70年代に古典的自由主義を基礎とする消極的自由を尊ぶ思想が再興した際に、積極的自由を尊ぶ社会自由主義(現代のリベラリズム)との混同を避けるためにリバタリアニズムと呼ばれるようになった。
つまり、今の言葉で歴史を書くと、リバタリアニズム(古典的自由主義)→リベラリズム(社会自由主義)→ネオリベラリズム(新自由主義)という流れで同じ系統の思想。
(ただし、現状のリバタリアニズムは古典的自由主義に加えて最小国家主義と無政府資本主義の大きく3つの派閥に分けられて、後ろの2つは社会自由主義よりも年代的には新しい)
もっとも、消極的自由を尊ぶ古典的自由主義と積極的自由を尊ぶ社会自由主義は、同じ"自由"という言葉を使っていても思想の根拠が全然違うから、
「リベラリズム」の中で古典的自由主義が社会自由主義に変化したのではなく、
社会自由主義という全く別系統の思想が古典的自由主義から「リベラリズム」という名前を奪ったという認識であれば、
リベラリズム、ネオリベラリズムがリバタリアニズムとは別系統という言い方も出来なくはない。
【参考】
http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/si_neo_liberalism.html
自由主義 https://ja.wikipedia.org/?curid=1889353
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あくまでリベラリズムの派生であるネオリベラリズムと、リバタリアニズムは全然別系統の思想だ
リベラリズムは社会の公正を目的として、そのために自由を利用するのが最適だと判断する思想だ
あくまで目的は公正。ロールズが善に対する正義の優越と言ったのは、元増田の文脈ではgoodに対してlawを優先すると行っている
増田もchaosの方が楽と言っているだけでlawを否定しているわけではないだろ。ちゃんと自由で公正な社会を模索してるし
リバタリアニズムはlawの完全否定だ。ノーランのリバタリアン党では徴税や再配分すら認めてない
これは目的が自由意志の達成に置かれているからだ。自由意志が全うできなければ、いくら個人に快がもたらされても意味はない
もはや信仰の類い。lawが否定できればgoodでなくてもevilであってもいいような思想だ
多分アメリカの建国当初の精神に立ち返りたいのだと思う。アメリカ人以外には恐らく根本的に理解できない。
それは何を目的にしているのかというところを見定めないといつまでもリベラリズムとリバタリアニズムを混同することになる
[追記]
半端な知識でFGO等のアライメントに例えたらやや理解が間違っていた
とにかく主眼としてはリバタリアニズムは出自が全然別の思想なんで
我々ではない(ソーシャル要素を重要視していない)リベラリズムを指し示すために
この指摘から先の、細かな定義の話は、大本の増田のリベラル男性の苦悩の話からテーマが反れてしまうので
このツリー以外のところでいずれ書きたい
それにしても、公教育やら福祉やら税金やらについては何も言及していないのに何で新自由主義やリバタリアニズムを感じ取れるんだろう。俺は教育の機会均等も福祉の充実も累進課税も支持してるんだけど。
ひょっとして改憲とかカジノとかのあたりかな? でも自衛隊を憲法に明記して文面と実態を合わせようというのは別に自由主義に反する考え方だとは思えないし、友達どうしでカネを賭けて麻雀をするという誰にも迷惑をかけていないお遊びが違法とされる現状はリベラル派としては許しがたいけどね(ジャーナリズムの倫理とか公務員の守秘義務とかは別の問題)。
単純賭博罪と常習賭博罪を廃止し、賭博開帳図利罪を改正して無許可の賭博場のみを取り締まるようにした上で、特区では許可されるレートを引き上げるという形にすればスッキリと筋の通った立法になるはずなのに、なぜか人権侵害の悪法である単純賭博罪を温存した上でカジノ特区を作った安倍政権のやり口はクソ。
当然、本来廃止されるべき悪法である単純賭博罪を持ち出して政争の具にしている野党のやり口もクソ。友人どうしでの賭け麻雀が犯罪になるような法律は間違っているので変えるべきなのに、それが犯罪であるという前提の下で賭博行為そのものを叩くのは許しがたい(悪法もまた法なりという話ならまだ理解できるんだけど、マジで賭博を悪事だと思ってるよねあの人ら)。
派閥に従うから疲れるんだよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。自分の思想に、信念に従えよ。
懊悩を掘り下げろよ。性差別主義者や性犯罪者は差別主義者や犯罪者であるがゆえに叩かれるべきだけど、男全体みたいに性別でくくって罪悪感を抱かせるのは違うし、小児性愛者みたいな生まれついてのセクシュアリティに基づいて叩くのは差別だろ。リベラリズムの理念に反するだろ。行動に対する非難はしてもよいが生得的な属性に対する非難は単なる差別だというリベラリズムの根本的な理念を思い出せよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
私は考えない様にする、ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
・・・・そういう事は考えない様にする。
考えろよ。そもそも表現の自由はリベラリズムの根幹だろうが。公共空間では最大限の自由が実現されるべきだという立場を貫いて宇崎ちゃんもあいちトリエンナーレも擁護するのがリベラリズムだろ(批判も表現の自由の一部なので、文句があるなら好きに言えばいいんだけど)。もっと言うと男女の立場は平等であるべきなのだから、もしも女性アイドルの消費が性的消費でケシカランなら男性アイドルの消費もそのように非難されるべきだし、ジャニーズが幅を利かせてるならAKBだって堂々と楽しんでいいんだよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
そんな彼が、最近、シスヘテロ女性やフェミニストによるトランス女性差別を厳しく批判している。
彼の態度は一貫している。私等及びもつかないほどリベラルな価値観をきちんと内面化している彼が何であろうと差別に厳しい態度を取るのは当然だろう、でも、
ふと、考えてしまう。彼もまた、フェミニズムによる男性批判に納得がいっていなくて、トランス女性差別はそんな彼の鬱憤を晴らすのに格好の機会だったんじゃないか?
もしもトランス女性が女性でありトランス男性が男性であることを受け入れるのなら、リベラリズムの観点からはトランス差別に反対する以外の答えは出てこないだろうが。一部の自称リベラル女が差別主義に走ってトランスを排斥しているとしたら、それはその自称リベラル女が間違ってるんだよ。人を見てものごとの善悪を決めるんじゃなくて原理原則に従ってものごとの善し悪しを量れよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
こんな事はツイッターには書けない。こんな考えを持っている事は周囲の人は知らない。迂闊ないいねは絶対にしない様にしているし、懊悩もおくびにも出さない様にしている。完璧にリベラルだと思われているだろう。
お前が周囲からリベラル派だと思われてるかどうかなんてのは心底どうでもいいんだよ。俺は改憲派で、カジノ設置に反対せず(安倍内閣の作ったカジノ法はクソだけど)、フェミニストでもないけど、俺が思うリベラリズムの原則に従っているから自分のことをリベラリストだと思っているよ。たとえ周囲のリベラル派と意見が違ったとしても、もしも周囲がリベラリズムの原則に背いているなら、それはそいつらが本当のリベラル派じゃないだけであって俺がリベラル派であることは揺るがねーよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
リベラリズムはまずもって自律の思想だよ。自由を重んじ、自由をどのように実現させるのかを考えるのがリベラリズムだろ。女性差別の撤廃は自由で公正な社会のための前提条件であって最終目標ではなく、もしも女性側の要求が自由や公正を脅かすのなら両性の平等の観点に立った上でそれに抗うのが真のリベラリズムだろ。リベラル派の言ってることを支持するのがリベラリストなんじゃなくてリベラリズムを信奉する個人の集まりがリベラル派なんだよ。
元増田が党派への帰属を優先して自分の主張を押し殺しているから逆だろと指摘したまでだよ。所属する党派に合わせて自分の主張を選ぶんじゃなくて、自分の主張に合う党派に帰属するべきなのに。
リベラリズムの解釈は色々分かれててリベラリズムの中にもいくつも派閥があるけど、ある解釈を支持するからある派閥の一員だというのが本来の姿であって、ある派閥の一員でありたいからある解釈を支持するなんてのは本末転倒でしょ。まず自分の信念があって、派閥への帰属はその帰結に過ぎないわけで。
各論はああそうね感じはあれど、私は「イズム」も「従う」のも苦手…「イズムに従え」って割と怖い言葉だ/元増田は杭打ってない建物って感じだったけど、この増田はhammer and sickle感がつおい…
外部にあるありがたい教典に従えって言ってるんじゃなくて自分の持っている信念に従えって言ってるだけやで。自分が従うべきリベラリズムは自分の外じゃなくて内側にあるんやで。それ以外の何者にも拝跪しないのがリベラリズムやで。
仮に俺がネオリベや古典的自由主義者だったとして、新自由主義も古典的自由主義も自由主義すなわちリベラリズムの一部である以上、リベラルと名乗っても何もおかしくはないのでは。
いやリバタリアニズムとリベラリズムは区別せんとリベラリストは元よりリバタリアンからも相手にしてもらえんぞ。政治学政治思想学的には両者は全く別物で定着してるし俺定義は通用せんて。
それ、誰に向かって言ってる? 俺をリバタリアン呼ばわりしているブコメに向かって言ってるならいいけど、俺に向かって言ってるのなら、俺は一度も自分をリバタリアンと言ってないし(anond:20200625140552でも書いたけど、公教育の充実や累進課税を支持してるのにリバタリアンなわけないじゃん)、リベラルとリバタリアンをごっちゃにもしていないよね。
表現の自由を絶対最高至高とみなすのって馬鹿自慢だよな。物事は複雑にからみあうのが当然なのに「表現のジユウガー」で解決との脊髄反射こそ思考停止。複雑な問題を考える脳がないと自慢する馬鹿は多いな。
私は、この増田が言ってること全然理解できない。Twitterで散見されるような言説の継ぎ合わせに見える。自分の頭で考えるのが大事だというなら、元増田の方がよっぽど自分の頭で考えてる人だと思う。
So what? 自分の信念に従った結果twitterでよく見かける言説とよく似た意見が出力されてくるなら、それは俺と同じ信念の持ち主が大勢いるってだけの話でしょ(派閥って本来そういうプロセスで生まれるもんだよね。自分と同じ意見の持ち主を寄せ集めて○○派って自称したり呼ばれたりするわけで)。
もっと言えば、他人の意見が自分の信念と合致するならどんどん他人の意見を支持すればいい。俺もネットでしょっちゅう他人の意見を読んで「俺はここまで考えてなかったけど、確かに俺の信念からいえばこの主張は正しいな……この主張を支持する!」みたいな感じで他人の意見に影響されまくってるけど、それで何も問題ない。支持するべき他人の意見を取捨選択しているのは俺の信念で、取り入れた他人の意見は俺の血肉になるのだから。
あと、「理解できない」ってどゆこと? 「言わんとすることを理解はできるが、支持も納得もできない」ということ? それとも本当に理解できない?
総論賛成。で、自由・公正の定義は人によって違うから常に自分のスケールを疑うべき。スケールは本人の欲求を正当化(または当然視)した形や、抑圧感情の変形発露の場合が多々あるし、本人が無自覚なケースも多い。
自分の欲求を正当化してくれる主義主張を奉じるのは普通のことだと思う。俺が自由主義を信奉するのも、誰にも迷惑をかけていない俺の行動を制約されるのはめちゃくちゃ腹が立つからであって、自分の感情が主義主張のベースになってるっていう点では女性差別に憤るフェミの人たちと変わらないわけで。
ただ、そこで欲求に忠実になりすぎて主義主張の普遍性を放棄するのはよくない。これは何派であっても同じ。自分の主義主張と欲求がぶつかったときに「原理原則論からいえばこの欲求は間違ってるな」と言えるかどうかが分かれ目。そこで欲求に忠実なあまり普遍性を投げ捨てると、TERFとか、エロの自由は大事だけどあいちトリエンナーレはけしからんから潰せと主張する一部の残念なオタクみたいな醜悪な存在に成り下がるのだと思う。
これは余談だけど、ガチガチの自由主義者って多分chaoticな性格の人が多くて、lawfulな人との相性は絶望的に悪いと思うんだよね(いや、そういうのは俺だけかもしれないけど)。日常生活で俺みたいなchaoticな人間が衝突することが多いのは圧倒的にlawful goodなので(evilな人はそうそういるもんじゃないけど、lawful goodはそこらじゅうにいるから衝突する頻度が高い)。だから元増田が心の底ではリベラリズムを支持しているのにlawfulな界隈に所属していたら神経が削られるだろうなと思う。
人間に向いてないんじゃなくてlawfulな性格の人に向いてないんだと思うよ。chaoticな性格の持ち主にとってはこれほど快適で生きやすい思想はない。
元増田の「リベラルを演じること」に共感できる点が一つも無い。多分lawful goodな環境での順応を目指してるのだろうけど、肌に合わない環境になぜ執着するのか理解不能
chaoticな人間にとってlawfulの集まりってめちゃくちゃストレスフルだから(逆もまた然りだったりするのかな?)、「この派閥自分には向いてないわ」と思ったらさっさと逃げればいいのにね。
同意(笑)カオス属性じゃない、規範大好きな人達がリベラル名乗ってるのがマジで謎なんだよな。トランス女性やエロポスターに不安と不快を感じる人達の受け皿はちゃんとある(保守主義)のでそっちに行って欲しい
ほんとこれ。lawfulな人が無理してリベラル名乗らなくてもいいのにね。保守主義とかフェミニズムとか共産主義とか別のイズムを名乗ればいいのになぜかリベラリズムを名乗りたがる謎。
それはそれとして宇崎ちゃんポスターはR-18ではない一般漫画の表紙を使ったものであり、「エロポスター」という言い方は誤解を招くので反対(「エロビデオ」「エロゲー」「エロ漫画」といったらちょっぴり性的とかじゃなくてモロにR-18っていう意味になるんだから、「エロポスター」と言ったらR-18のポスターという意味になるだろう。しかし実際にはあのポスターはそうではなかったわけで)。
・国際情勢
日本のGDPは5位かそれ以下まで低下。代わりにインド、シンガポール、タイ、韓国、台湾などが上昇。
GDPのトップ5は中国、アメリカ、インド、ドイツ、日本(or 台湾 or 韓国 or タイ or シンガポール)の順に入れ替わる。
日本の経済力、生産力は少子高齢化により慢性的に低下を続けるが、一方で外国からの投資は積極的に行われる。
鉄道会社や電力会社をはじめとするインフラ関係各社は外国資本となる。JRは「繁華デリーレールウェイ株式会社」に改組される。
中国を中心勢力とするパターナリズム勢力と、アメリカを中心勢力とするリバタリアニズム勢力が新たな冷戦構造を作り上げている。
この二つの勢力は法令や憲法、理念、外交などを共有する緩やかな共同体を形成しているが、日本は2060年現在どちらにも加盟していない。
この時代では「共産主義」「資本主義」「民主主義」「独裁」などの単語が持つニュアンスは後退し、おおむね「パターナリズム」か「リバタリアニズム」にそれぞれ収斂している。
日本はそのなかにあって「パターナリズム・リバタリアン政治」を自称し、両勢力の良いところどりを模索しようとしているが、実態としてはあまりうまくいっていない。
コンタクトレンズ型の情報端末が普及している。神経系と接続して思考インターフェイスで操作することができる。
ここ10年の間に普及が進んだが大脳と直結することから個人のプライバシーが侵害されるとの声が強く、リバタリアニズム勢力下ではアナログ操作型の情報端末を選好する者が少なくない。
しかし広告業界にとっては非常に都合がよいのでコンタクトレンズ型の普及は時間の問題だとアナリストは指摘している。
一方、パターナリズム勢力下では健康情報をはじめとする国民のデータ収集と、それをもとに国民へ「指導」を行う必要性から積極的に用いられている。
特に中国では満五歳児から全国民の常時装着が実質義務付けられており、特に理由のなくこれを外すことはよからぬ嫌疑を生むことになる。
今後20年以内に「国民の安全保障と人生設計の精度を高めるため」に全国民の視界を無差別録画し、収集する機能実装を目標としている。(中国政府発表)
日本ではパターナリズム勢力の支持を受ける推進派とリバタリアニズム勢力の支持を受ける反対派、どちらともつかない日和見、もとい、慎重派の三すくみとなっていて、よく国会論争のタネになっている。
そのほか、電源は必要な電力が低いものはおおむね無線電源が普及しており、自動車や鉄道、バイクなどは電力での駆動が前提で設計されるようになる。電動航空機もだいぶ普及してきている。
発電はどの勢力下でも改良された原子力発電と自然エネルギーの二つが主で、火力発電の全体に占める割合は環境への配慮から大幅に減少傾向にある。核融合発電は目下研究中である。高速増殖炉は先進国に限り実用化されている。
宇宙開発は民間が主体となって行われている。中国は2032年に初の月面有人飛行、2044年に初の火星有人飛行を達成し、アメリカも同年に成功させるがそれ以降、国家規模での目立った計画は特にない。
2060年現在では月面開発が各国民間企業によって進められている。既に定期往復宇宙船と宇宙港もいくつかの国に設置されており、往復120万新元ほどで月面旅行が楽しめる。
ただし行動可能区画はかなり制限されているため観光の自由度は低い。定番のお土産は月の石。
リバタリアニズム勢力下は当然のことながら格差が激しく、最下層の人々の暮らしはその日の食事にも差し支えるほど困窮している。
アメリカの中流階級以上の平均寿命が90.2歳(2058年保健省統計)なのに対し、低所得者層のそれは75歳を下回っている。
国民皆保険制度がいまだ存在しないので中流階級以上であっても重病や大怪我などにより多額の支払いを迫られ、貧困層に転落することが珍しくない。
ただし食事の内容や日々の生活について政府から指導や管理を受けることはなく、マクドナルドやケンタッキーは2060年現在でも健在である。
他方、パターナリズム勢力下では実のところ格差がないわけではないが低所得者層に対する生活保障制度があり、すべての国民は健康的な食事と生活を送ることができる。
ただし睡眠時間、食事の内容をはじめとする生活のほぼすべてにおいて当局の「指導」に従わなければならず、そもそも政府が健康に益しないと判断した飲食店の開業は許されていない。
パターナリズム勢力下の国ではマクドナルドもケンタッキーも存在せず、ラーメン二郎は特定有害飲食物として政府認定を受けている。蘭州ラーメンは政府認定の優良飲食物とされている。
当然、タバコや飲酒も厳格に禁じられており、カフェインの摂取にも一定の制約が加えられている。レギュラーコーヒーは1杯150mlを1日3杯まで。
これらの徹底した管理によりパターナリズム勢力の中心である中国都市部の平均寿命は97.2歳(中国政府発表)にまで伸びている。
・教育
パターナリズム勢力下ではどの学校も学費が無償であり、すべての教育機関は公立または国立である。私塾の開設は特例を除き禁じられている。
すべての国民は各々の学力に応じていつでも学びを得ることができる。高卒程度までが義務教育とされ、卒業試験も課されている。
卒業後は成績にもとづいて大学に進学を推奨(実質強制)されるか、または適性のある職業に就くことになる。無就労かつ無就学で、特定の期間以内にどちらかの準備をはじめていない者は「指導」の対象となる。
他方、リバタリアニズム勢力下ではあらゆる方針の私立学校が無数に存在し、詐欺同然の無意味なものから1000年を越える歴史を持つ由緒正しい学校まで選択肢の広さにはこと欠かさない。
ただしこれらには多額の学費が必要であり、中流階級であっても借金しなければ通えない。特に優れた大学・大学院の研究力はパターナリズム勢力下における最高の国立大学・大学院のそれをしのぐと評されている。
なお、義務教育制度は廃止されているので本人の選択によっては小卒のままでいることも可能だがまず間違いなく職には就けない。
産学連携が盛んで、民間人が教授職に就いたり、民間企業の出資を受けた講義、あるいは教育機関そのものの運営もリバタリアニズム勢力下ではごく当たり前である。
パターナリズム勢力下では99.9%が最低でも高校を卒業し、その中の7割が大学まで進学しているが、リバタリアニズム勢力下では高校卒業までで8割ほど、大学進学はその中の4割程度に留まる。
パターナリズム勢力下において文化芸術は認可制であり、なにが正しい表現かは政府が厳格に定めている。
ただし「時として刺激的な表現物が市民の精神衛生に益する場合もある」との見地から、特定の年齢に達し、必要なリテラシー試験をクリアした市民に限り部分的に「刺激的な表現物」の閲覧が許されている。
とはいえ過度に反社会的であったり、反体制的な表現物が認められる余地は一切ない。「1984年」(ジョージ・オーウェル作)はもちろん発禁である。
対してリバタリアニズム勢力ではあらゆる表現が無制限に認められている。ヘイトスピーチですら可能。国旗を燃やしたり、大統領の写真を切り裂くことも可能。VR空間でバーチャル・ドールとまぐわうのも自由。
パターナリズム勢力下ではインターネットが厳しく検閲されているが、一定の知識がある者はこれらの規制を技術的な工夫でくぐり抜け、リバタリアニズム勢力産のコンテンツを密かに閲覧して楽しんでいる者も少なくない。
1時間ほどでここまで書いたがさすがに飽きてきたので後は任せた。
元のツイの方が余りにアレなので当時の例を出されたのだろうけど。
10年以上前の児ポブロッキングの時、俺は結構調べたし動いたし国際会議の類に何本も顔を出したが、児童ポルノについて「性的虐待なんぞより自由の方が重いのだ、そんなもんは知ったことか!」と言い放つような、"so be it"はついぞなかった。リバタリアニズムの限界がその辺にあるのだと思う。 https://t.co/YbDyO9d05j— 未識魚 /中川譲 @ C98 5/4(月)西M18a (@mishiki) 2020年3月21日
ブロッキング騒動以前の単純所持規制や創作物規制が話題になっていた時ですら、規制に反対していた方こそ児童保護を厚労省管轄にして、保護予算をつけるべきであり、児童ポルノを性的虐待物に名称変更すべき等の具体的な個人法益としての実在児童保護の案を実際言われていたのは当時見ていた人は判っていると思う。
それにあの規制自体余りにも弊害が多くて、効果自体期待できないモノだったからこそ反対されていたのは事実だから。
大体世間的には反対される規制は論理的に間違っている者が多い。
多くの規制問題の場合、ただ表現の自由や言論の自由だけと言う話ではないからね。
寧ろ当時の児童ポルノ禁止法やらと条例の時は逆に反対していた人達の方がどの位ネット規制及びゾーニングや規制の幅を問題ない程度に行い抑えていくべきかと言う話もあった位だしねぇ。
そもそも当時これを無視して規制ばかり進めたのが当時のフェミニストやキリスト系とかの推進派だったし、彼等は社会法益化しようとしていたのは事実。
だからこそ児童ポルノ禁止法はここまで歪な代物になったし、海外において創作物規制をした国こそ実在児童犯罪が今も酷く、この規制自体リソースの分散や悪化を招いたと言われるのも必然だし皮肉だと思う。
法学をかじった者として,法律に興味を持ってくれる人が増えるのは嬉しい。
初めて法律に興味を持った人は,その中でどの法令から学ぶべきか。
答えは,「上三法(うえさんぽう)」だ。
「六法」とは,憲法・民法・刑法・商法(会社法)・刑事訴訟法・民事訴訟法を指す。
また,この六法のうち,憲法・民法・刑法は,まとめて上三法(うえさんぽう)と呼ばれる。
初学者は,この上三法のどれかから勉強するのがとっつきやすいと思う。
それは,各自の興味や相性によって選べばよい。
参考までに,それぞれの印象を書いていこう。
押しも押されもせぬ「最高法規」。
性的なポスターと表現の自由,ヘイトスピーチ,憲法9条,同性婚,夫婦別姓,緊急事態条項…
こうした時事ネタがとっかかりになるので興味を持ちやすいだろう。
デメリットは,条文の文言とはあまり関係ないところで解釈論が展開されるところ。
憲法だけ勉強して「法解釈ってこういうものか」と思うのは,ちょっと誤解を生むかもしれない。
交通事故やご近所トラブルも民法の問題になりえるし,親権や相続も民法の話である。
また,民法(債権法)は,制定以来120年振りの大改正がされており,改正後の民法は,2020年4月1日から効力を生じる。
そういう意味でも注目度が高いといえるだろう。
初学者にとって良いところは,捜査や公判のニュースへの理解が深まるところ。
どんなときに犯罪が成立して,どんなときに成立しないかを学ぶことが出来る。
初学者に厳しいところとして,刑法総論は理論的側面が強く,最初は分りづらいかもしれない。
これもどれしも一長一短がある。
なんといっても分りやすい。
その点,予備校には,初学者がどういうところでつまずきやすいか?どう教えればわかりやすいか?というノウハウが蓄積されており,それが本にも反映されている
より深く学びたければ,その後,試験対策講座シリーズ(シケタイ)に進むのも良い。
予備校本の難点として
・学説の良いところどりをして全体の整合性がとれていない場合がある
などがあるが,初学者は気にしなくてよいと思う
理論的に緻密(人にもよるが)。
参考文献からどんどんほかの本を読み進めていくこともできる。
難点は,難解で読みづらいところ。
最近は読みやすいものも増えたが,それでもやはり予備校本などにはかなわない。
オススメは,以下のとおり。
興味があれば,個別法の解釈論とは違う側面から勉強するのも良い。
・マイケル・サンデル「ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業」
・福井秀夫「ケースからはじめよう 法と経済学 法の隠れた機能を知る」
オススメは以下のとおり。
・弁護士のくず
・家栽の人
今度イブニングで連載が始まる「リーガルエッグ」も期待している。
百聞は一見に如かず。
実際に裁判の傍聴に行ってみるのも良い。
傍聴は誰でもできるし,予約なども必要ない。
ニュースで大きく報道されるような事件は,傍聴希望者がたくさん来て抽選になったりするが,それ以外の普通の事件は,ふらっと行って自由にみられる。
ただし,事件の選び方などちょっとしたコツはあるので,あらかじめ下調べをしていったほうが有意義だろう。
傍聴マニアの人が本を出していたりするので,それで予習するのも良い。
色々と書いてきたが,学校の試験や資格試験を受けるのでなければ,細かい条文や判例を覚えることにあまり意味はないと思う。
法律・法学の考え方全体の根底にある基礎的な考え方や発想(大げさに言うと「リーガル・マインド」)を身に着けることができれば素晴らしいと思う。
私自身も法曹にはなったものの,まだまだ勉強することだらけだ。
一緒に楽しく頑張りましょう。
胸が性的かどうかを思春期以降に知って欲しいっていう性教育をしたいと思う自由も欲しいよー。
自由ってなんだ??
割と本質的な問いだと思うので真面目に答えると、アイザイア・バーリンという哲学者が「消極的自由」と「積極的自由」という概念を提唱している。
詳しくはWikipediaでも読んでほしいけど、要するに
の違いね(cf. anond:20191017201230)。
現代の自由主義では、色々と議論はあるけれど、おおむね消極的自由の方がより重要な自由とされている。
これは増田もそうだろう。「俺が六本木ヒルズに住む自由を実現するために家賃を補助しろ」と言われたら、おかしい、と思うよね。でも、「金持ちの俺が六本木ヒルズに住んで何が悪いんだ? 俺の自由だろ」って言われたら、当然、って思うんじゃないかな。
というのは積極的自由に属する。
その環境を増田が個人の努力あるいは財力に頼って実現する(例:ひきこもる、ゲーテッドコミュニティを作る)のはもちろん自由だ。でも、それをもって他者の消極的自由を制約しようというのなら別の話になる。
積極的自由と消極的自由ならば、基本的に後者の方が重い。よほどの理由がない限り、前者を理由に後者を制約すべきではない。そして、増田が子供にどんな教育をしたいかという話は、「よほどの理由」ではない。
(「よほどの理由」が認められるかどうか争いになっている事例として、たとえば、「感染症にかからず健康に生きていきたい」という積極的自由と、「どんなワクチンを打つか政府に強制されたくない」という消極的自由が対立する局面を考えてみよう)
ところで、
思うだけなら自由ですよ? それは人を殺したいと思おうが誰々くんとセックスしたいと思おうが日本は天皇中心の神の国だと思おうが自由なのと一緒。そこの自由を制約している人はどこにもいないよね。どうぞご自由に思っていてください。
その思いを他者への要求として口に出す(増田に書く)から他人の自由に口を出すなと言われるわけで。
なので、
思春期前の子供に見せたく無い自由は?献血ルームにあるのは別に良いんだけど、公共の場にあるのを見たくない人の多様性はどう思う?
「見せたくない自由」というのも、ご家庭の中でお色気漫画は読ませないラッキースケベアニメは見せないとかそういう話ならどうぞご自由に、お子さんの教育に関しては親御さんに自由裁量があります、という話だけど、他人が自分の敷地に(あるいは借りたスペースに)設置したポスターを取り外させようとするなら、それは他者の消極的自由を侵害してよい理由にはならない、という話になる。
何度も書いているように、積極的自由より消極的自由の方が重いので。
「多様性を見たくない人も多様性に勘定すべきか」というのは難しい議論だけど(「戦う民主主義」を調べてみよう。民主主義を破壊しようと主張する政党を民主的選挙に参加させるべきか?)、そういう多様性も認められるべきだとは思う。他者の消極的自由を損なわないという前提のもとで。
なので、そういう多様性の持ち主がゲーテッドコミュニティ作って暮らす分には、そこにわざわざポスター貼りに行こうとは思いません。ご自由にどうぞ。そういうコミュニティが存在するのも多様性の一貫だとは思うので。アーミッシュのコミュニティとかと同じで。
ところで、私たちが暮らすこの日本はゲーテッドコミュニティではありません。
人を殺す自由はない。人を殺せば刑務所行きになる。他人を誹謗中傷する自由もない。誹謗中傷すれば民事裁判で敗訴し賠償金を科せられる。
既に自由は整えられているのでは……? 現状の日本が無法地帯じゃないのは、ある程度自由が制約されて整えられているからだよね?
私は宇崎ちゃんの胸は揉みたい感じの魅力的なおっぱいに見えるのでやっぱり子供に見せないように気をつけて歩きます!!!自由!!!
はい、それもあなたの自由ですね。宇崎ちゃんのポスターなり看板なりを見かけたら子供の目をふさぐとか、子供に声をかけて注意をそらすとか、見て見て~と逆方向を指差してそちらを見せないようにするとか、そういう自由をどうぞ行使なさってください。誰もそれを邪魔したりなんてしないから。
これはそのとおりで、要望する自由はあるし件のポスターを批判する自由もある。要望を無視したり批判に反論したりする自由もあるというだけの話なので、気にくわないなら文句をつけてりゃいい。今回の増田は「自由」について混乱しているようだったから雑な説明になっちゃって、そこは申し訳ない。ご指摘ありがとう。
消極的自由をより重視するのはどちらかというと英米系で、大陸系だと「政治参加の自由」とか「健康で文化的な生活を追求する自由」とかの積極的自由も重点おいてるんでわ。
いや、積極的自由を重視する人たちも、積極的自由より消極的自由の方が重要という点では一致しているでしょう。意見が分かれるのは、積極的自由はどこまで保障されるべきか、とか、ある行為が消極的自由か積極的自由か、とか、そういう点では。積極的自由の保護自体には私も異論ないですよ。特に社会権は国家がケツを持って下支えしないと自由が掘り崩される。そういう意味で夜警国家やリバタリアニズムは支持できない。
ポスター非難派の言い分はとどのつまり「他者の消極的自由よりも私の積極的自由のほうが優先されるべき(少なくとも対等)」なので、なぜ前者が後者に優越するか、そこにどういった議論があるのか説明しないと無意味
上で色々例を挙げたけど、わかりにくいかな。
じゃあ「山間部の過疎地に政府が十分なインフラを整備していない」と「政府が過疎地の住民を強制移住させる」だったらどうよ。
前者ももちろん問題だけど、どっちがより重い問題? って聞かれたら後者の方がより重大な問題だと答えるのが普通だよね。
言わずもがなのことだけど、前者が積極的自由の侵害で後者が消極的自由の侵害です。消極的自由が積極的自由よりも重要な自由であるのは当然ですね?
(前者は軽んじてよい、と言っているわけではないことに注意。19世紀的な自由主義が消極的自由ばかり重視し積極的自由を軽んじていたことに疑問を呈して積極的自由「も」重視すべきだと主張しているのが現代自由主義です。前者は気にしなくていいよって言ってるのがリバタリアニズム。でもどちらの立場にせよ、消極的自由の方が重いことは否定してないと思うよ)
わかりやすくて納得した。と同時にシートベルトを着用せずに自動車運転して事故即死亡する消極的自由が認められていないのはおかしい、、、のだろうか?とも思った。
レーガン大統領はカリフォルニア州知事時代にそういう理由でバイクのヘルメット義務化法案に拒否権行使してますね。
個人的には、子供には自己の生命・安全を危険にさらす方向での自己決定権を十全に認めるべきではないと思うので、チャイルドシート義務化には賛成。でも大人がシートベルトやヘルメットをつけるもつけないも個人の自由で(だって、究極的にはそれで損をするのは自分じゃん?)、法律で取り締まるのはおかしいと思う。自動車メーカがシートベルトしてないと警報が鳴る車を設計して売りに出すのは商売の自由。
概ね同意だけど、最後のシートベルト義務化の話、日本では車対車の事故で死亡事故だと相手の運転手は過失が多少でもあれば重い罪に問われるので、シートベルトをしない自由を制限する合理的理由があると俺は思うね
相手がシートベルトをつけておらず、それによって生死が左右された場合は情状酌量で減刑すればよいのでは……。
シートベルト義務化については社会的損失を低減する観点から合理性があると思うけどね。『それで損をするのは自分』だけじゃないわけで、治療費、障害、家族の貧困化など・・・結局は社会的負担になるからね。
ここでは合理性の話ではなくて、自由と自己決定権の話をしているので……。
そのへんを表す自由主義の言葉に、「善に対する正義の優越」というのがある。
何が「良いこと」かは人によって違う。倫理観や道徳観(=善)には多様性があって、政府が「お前たちはこの道徳に従え!」なんていうのは押し付けだ。
大切なのは、色々な道徳の持ち主が公平に処遇されること(=正義)だ。他人の自由を侵害しないかぎり、自分の道徳を追求する自由と権利がある。異なる道徳同士のコンフリクトは、公平な制度によって調整される。
だから私は一貫して、最初の増田がどんな性教育を子供に施すのか、については干渉していない。ある人がどんな倫理観を持っていて、それをどんなふうに子供に教えるのかは、虐待とかの形で子供の権利を侵害しない限りにおいて自由なので。
でも、それを口実にして他者の自由を制約しようとするなら反対する。それが自由主義者としての私の一貫した立論。
そういう意味で、自由主義って社会全体にモラルの共有を求める考え方とは水と油なんだよね。大政翼賛会にもスターリニズムにも反対だし、天皇の写真を焼いた! けしからん! も、巨乳を強調したイラストだ! けしからん! も、どっちの表現規制にもNOと言う(正確には、「けしからん!」と思ってもいいし「けしからん!」と批判してもいいけど、それを理由に作品を撤去させたりしてはいけない。右翼やフェミニストが雑誌やブログに「この表現がいかに許しがたいか」みたいな文章を掲載する分にはどうぞご自由に)。
オタクって自由主義者が多いと自分基準で勝手に思ってたんだけど、意外とそうでもないのかな? というのが最近わかってきて、ちょっと驚いてる。周囲のオタク仲間が社会問題でそのへんのおっさんみたいな保守的な認識を示したり、自分に興味がないイシュー(博打とか刺青とかね)だと平気で規制だとか口に出したり(ちなみに、わいせつ物頒布罪と同様に単純賭博罪は廃止すべきだと思ってる。賭博開帳図利罪も「無許可or無届けで賭博の胴元をした罪」とかに変更して民営賭博を合法化するべき)、BL好きの人たちが美少女のイラストをお気持ちで殴ったりしてるのを見てると、オタク界隈でも自由主義の理念は強固なものじゃないんだね……って感じになるので、リベラル派として自由主義はいいぞというのを地道に伝えていきたいですね。
しかし例えばリアルな死体や糞尿の画像をレストラン街の入り口に貼ったら、消極的自由だでは通らないだろう。これはゾーニングの問題で、線引きは色々。そう簡単ではないのでは?
私はヴィーガンじゃないけど、ヴィーガンの人たちが肉フェスの前で動物の屠殺写真を展示するのは表現の自由だと思うよ。
肉フェスのときにこれは不法だ取り締まれって言ってた人たち大勢いたけど、私はそれに与しない。その写真の前で肉料理食べながら自撮りしてヴィーガンを煽るのは対抗言論なので表現の自由。なんでみんな、気に食わない表現に対して表現で対抗するんじゃなくて取り下げさせようとしたがるんだろう。
当たり前でしょう。刺青を入れるのは自由だし刺青を入れて公共空間を歩き回るのも自由。なぜならそこは公共空間なので。刺青を入れた人には公共空間を自由に歩き回る権利があるので。刺青を入れた人が公衆浴場に入れないのはおかしい。自由主義の理念に反している。
刺青を見たくない人は自宅風呂に入る自由とかお庭でビニールプールで遊ぶ自由とかを行使してください。
なんで「他人の自由な行動を見たくない自由」が「他人の行動の自由」を抑圧してまで叶えられるべきだと思っているんだろう。本当に謎。
自由を「権利」に置き換えてもいいよ。「刺青を見ることなく公衆浴場に入る権利」よりも「刺青を理由に入浴を妨げられない権利」の方が重要でしょ。少なくとも前者の人は、公衆浴場に入る権利は奪われてないよね。公衆浴場の光景が自分が望んでいるものではないってだけの話で。でも公共空間に自分が望まないものがあるのなんて当然なんだから、望んでいる光景を見る権利よりも誰かに望まれてないって理由で入浴を拒否されない権利の方が遥かに重要。
刺青も少女像も巨乳ポスターも、「(ある種の人にとっては)見ていて不愉快」程度の害しかない(ナイフで刺すみたいな具体的な加害ではない。ちなみに、私はどれもまったく不愉快とは思わない)。見たくないなら目を背けるなりすればいい。どうしてそんなに自由を制限しようとしたがるんですか?
ネタバレをする自由は当然あるので好きな作品はネタバレ踏まないように注意する派です。基本的にはネタバレ踏むのは自己責任だよね。ネタバレ踏んでチクショウって思ったこと何度もあるけどそれは踏む私が未熟なだけでネタバレ感想書く人のせいじゃない。
もちろんあなたのフォロワーにはネタバレを理由にあなたをリムる自由がある。
100字じゃ説明できないよね。ありがとう増田。原理原則から考えないと、金属バットや愛トレ、今回の胸などで手首がねじ切れちゃう。
ほんとにね。あいちトリエンナーレ問題で一緒に表現の自由のために戦ったはずの人たちからさんざん弾が飛んでくるの、裏切られた感がすごくて絶望的になるよ(公的な施設は抑制的であらねばならない、とか、お前それ愛知芸術文化センターでも同じこと言えんの? っていうね。TPOとかくっそ笑う。じゃあビジネスシーンではカカトの高い靴を履くのがマナーとか言われても文句言うなよと。まあ私はスーツの強制もヒールの強制も間違ってるそんなTPOはクソくらえって主張するけど)。左右の表現規制派からあいトリの天皇アートも日赤の宇崎ちゃんポスターも守り抜いていこうと改めて決意。とりあえず来週にでも久々に献血してくるわ。
極度の貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには、
えっと、偏見や差別を防ぐために、政府や地域社会によって積極的に介入してもらって『差別してもらおう』って話?
文盲でごめん。
極度の貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには、
近代自由主義(モダン・リベラリズム、英: Modern liberalism, Reform liberalism)は、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。レッセフェール(自由放任)を基本原理とする古典的自由主義や自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人の自由で独立した選択を実質的に保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには、政府による制限や介入をなくしたりする(無政府資本主義、リバタリアニズム、新自由主義)のではなく、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。
(中略)
日本語では消極的自由を重視する古典的自由主義とのニュアンスの違いを表すため、また、混同を避けるためにあえて自由主義ではなくリベラリズムと呼ばれることが多い。英語圏ではSocial liberalism(社会自由主義)と表現される。