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2023-07-10

就職が出来ないまま、アラサーになった。

どこに吐き出せばいいのかもわからない自分気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分人生増田に投下したい。

要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。

就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。

ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかたから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。

中学入学したあたりでクラスバラバラになり、小学生の頃のグループ自然消滅してしまった。

誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。

部活にも入らなかった。正確には入れなかった。

聞こえてくる話を聞く限り、中学入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。

特にスポーツ経験もなく、かといって文化的素養もない俺にそのようなものはなかった。

「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。

経験部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。

そこから孤立の日々だった。

友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。

最初入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。

中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。

親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。

みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。

親にねだってPSPモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校PSPカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。

国語先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。

今にして思えば、ポケモンに詳しかたことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。

勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部クラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから勉強理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。

勉強甲斐あって、地元で1番の公立高校合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。

合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEインストールした。

中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。

失敗した。

出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。

3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後メンバーであった。

私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。

同じ塾での繋がりから合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。

結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債高校生になっても苦しめられるのかと思った。

部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。

2ヶ月で辞めた。

私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。

先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベル自分立ち位置があまり乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。

自分けが初心者だという引け目から同級生ともろくに話せずに終わってしまった。

ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。

同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。

幸いだったのは学校自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。

中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。

何も言わないでいてくれた親の気持ち想像すると、胸が苦しくなる。

高校Twitter流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生フォローした。

フォローバックも多少はしてもらえたと思う。

しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。

一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。

一瞬、LINEツムツムが流行たことがあった。

LINEを交換しているもの同士でスコアランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。

その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。

3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なもの選択して口からアウトプットするという一連の行為自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。

その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。

ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。

当たり前だが、次の機会は来なかった。

高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。

大学は通える範囲にある旧帝大合格した。

今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。

講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校予備校基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。

サークル新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。

先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。

新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。

勉強に逃げようと思ったが、逃げる先も見つからなかった。

自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。

テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。

授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。

しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。

ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学ゼミを志望したが、人気ゼミ面接に通るはずもなく落ちた。

結局、不人気な統計学ゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。

自分存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。

そして就活の時期を迎えた。

まず情報弱者だった自分は出だしからつまづいた。

講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。

志望動機経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。

奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。

その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。

同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手企業内定を得て働いるのだろうなと思う。

休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦大学に入ったらしい。

学業しか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。

後日講義室で聞こえてきた「1dayインターン意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。

そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。

就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。

他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。

あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。

ゼミ教授の勧めで留年することにした。

無職で世に放たれるよりは学生身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。

しかし翌年の就活も失敗した。諦めて卒業した。

結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。

卒業の翌年、公務員試験を受けることにした。

勉強だけは出来たのだから学業勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。

予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかたことを覚えている。

筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。

国家だけでなく、地方すらも落ちた。

周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。

いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。

無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。

あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。

どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。

どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。

1年引きこもってもその答えは出せずにいる。

何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。

ここまで育ててくれて、何も言わず無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。

こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれ人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。

せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。

ここまで読んでくれて本当にありがとう

想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。

その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。

増田があって良かったよ。ありがとう

2023-07-04

宗教二世はともかく一世はどうにかならねえのかな

二世はわかるんだよ、親が洗脳されてたらどうにもならねえから

人一倍情の薄い俺ですら、さすがにかわいそうだなと思ってしまいそうになる

しか一世ダメだわ

同情心よりも疑問の方が先に出てきてしま

どうしてあんなんに引っかかるんだろうと、大学の新入生だった頃を思い出すから


当時の俺も地方から出てきて友達も少なく、まさにあの手の勧誘ターゲットど真ん中だったわけだが

そんな俺ですらあの連中だけは「こいつら絶対おかしいよ」って真顔になるレベルだったからな

他の普通サークル全然ノリが違う

新歓シーズンが終わっても彼らは学内に居座っていたが、立っているのは決まっていつも同じ建物の前で、

しかも名乗ってるのもとっくの昔に連中の偽装サークルバレバレ名前

あいつらのボスがどんだけ悪の大魔王なのか知らねえけどさ

末端なんてただの学生で、所詮その程度の雑魚なの


もちろん注意喚起だって当時からあった

「別の学部自治会を名乗ってる連中がいるけどあいつら非公認で、しかもその正体は近所の過激派!」とか無駄に詳しい知識まで、ちゃんと教えてくれたぞ

はっきり言うけどそこまでやって、あん世間の冷たさを教え込むためにわざと失敗でもさせてんのかってレベルのクソ勧誘に引っかかる奴とか、かなりどうしようもないだろ

大学の前に行くべきとこがある

どうしても行かせたけりゃ「サークル自体絶対入んな」って、親御さんが言い含めるしかない


この手のカルトとか新興宗教とかの話題になると「巧妙に勧誘されていきなり人生狂った」って、いかにもショッカーか何かみたいな話にしたがる

かに発信する側はそうした方が恐怖を煽れるだろうし、悪いのは騙す側で、被害者の落ち度を問うこともしたくないのだろう

そういう気持ちはよくわかるのだが、全く間違っている

ありゃ単に「弱った奴がしょーもない手にかかってる」だけだ

変なおっさんメシアに見えるぐらい弱っちゃってんの

そこまで判断鈍っちゃった奴なんか、カルトでも陰謀論でも共産主義でもフェミニズムでも、何使ったって釣り放題だわ

「お前の人生悲惨なのは全部こいつが悪いからだ」と吹き込んでやりゃあい

そういう弱者がそこら辺プラプラしてることの方が問題で、その前にどうにかするのが社会責任ってもんだろ

悪党の手口がすげーんじゃなくて、単にお前の怠慢だよ


注意喚起も、今ならアレの件があって、さらに厳しくなってるはずだ

あの「社会科学ナンタラ研究会」みたいなあっち系偽装サークルまで一緒に叩かれるとヤバいのか、「カルト」だけで切断処理を図っていて、ちょっと笑えるんだけどな

とにかく今更あの手の集団に引っかかる奴とかいたら、もうマジでヤバい

親はてめえのエリートドンぼっち遺伝子教育反省すべきだし

そこまで鈍った奴弱った奴に先に手を差し伸べられなかった社会も、他人事みたいなこと言ってないで、もう少し申し訳ない顔できねえのかと

真面目にそう思う

2023-05-20

自分ニートになるとは思わなかった

小中高での引きこもりいじめ大学生活での留年ギャンブル沼なども全て回避したのに、まさか就活に失敗してニートになるとは思わなかった。

なんかすごい悔しい。

2020年4月を思い出す。新生活希望を膨らませながら、必修落とさないように微積分復習して、線形代数ミクロ経済学の予習して、料理洗濯を身につけたりしてた。一人暮らし始めて一週間後には高校から付き合ってた彼女が泊まりに来てそこで童貞卒業した。4月下旬5月には色々なサークル新歓行って、アルバイトも始めた。その後の生活もあっという間だったけど楽しかったのに。

親はニートを許してくれるだろうか。我が家始めての学士様にバイトしろとかなんでもいいから働けなんて言わないことを祈る。

2023-05-03

anond:20230503124405

大学入って緩いテニサーの新歓出会った見た目がドストライクの子と連絡先交換して、何度かデートした後、お家デートに誘って、そこで キスディープキス→挿入トライ した。

血が出て「また今度にしよ」って言って帰りに付き合おうとなって付き合った。

後日、2, 3回再チャレンジして出来るようになってからサルのようにずっとヤってた。

少ししたら、相手だんだん自分気持ちよさを求めるようになって、こっちの腰をつかんで入れてほしそうな動きをしたり、めちゃくちゃ萌えた。

よく考えたら、いまだと「明確な同意が~」とか言われそうなシチュエーションやな。

2023-04-30

大学軽音サークル新歓ライブ

youtubeでよくみかけるようになったけど、見るとプロスキルってすごいんだなって改めて感じる

2023-04-05

増田に「要注意社員がクソなこと」いってるっぽい書き込みしたら、この国のどこかに存在するギクシャクした会社さら疑心暗鬼でギクシャクしないかなあ

 

たとえば新入社員のフリして

昨日の飲み会オッサン社員がイキリ散らしててウザかった

ってつけとけば

この国で昨日飲み会やった会社は全員当てはまるよな

今週の金曜なんか新歓やるとこおおいはず

2023-03-22

俺も京大生だし没落したか気持ちはわかる。

https://anond.hatelabo.jp/20230321131216

非常に共感性の高い増田だったから俺の話もしようと思う。

まあ、学歴仕事能力関係ないというのはごくごく当たり前の話だ。

ガラス天井』ならぬ『ガラスの床』が高学歴にはある。

俺達は学歴競争というトーナメントにおいて勝ち上がってしまった以上、ある程度の能力があるものと見なされちまうんだな。

メリトクラシー能力主義批判を齧ったことがある人間なら、ポールローゼンバウムとかいオッサンの言説を聞いたことがあると思う)

社会評価主義が間違ってようが何だろうが、職業遂行能力があろうがなかろうが、俺達はレッテルと一緒に社会に放り出されるから世の中はクソだよな。

俺も事実としてコミュ障だった。

京大に入ると何か、サークルの奴らが勧誘ロードを作ってるじゃん。アレがもう嫌だった。

この列にトレーラーか何かが突っ込んできて、全員轢き殺してくれねえかな、って思うタイプ京大生が俺だ。いつか誰かが火炎瓶でも投げ込んでくれることを期待している。

とはいえ、当時の俺は純朴な地方出身若者な一面もあったので、妙な起業サークルに入ってしまった。コミュ障にも関わらず、だ。

俺はサラリーマンとして誰かに頭を下げるのが死ぬほど嫌だったので、とりあえず社長になってみるか、というピュアな心でサークルに参加したのである

そんな純朴な俺だったので、サークルでは三人の友人が出来た。

新歓花見で、

増田君も目が濁ってるね!」

的なことを馴れ馴れしく言って話しかけてきた眼鏡と、その仲間の2人である

オタク的な会話も弾み、一緒に起業しようぜ!と桃園の誓いばりのズッ友宣言をした俺達は、計4人で「良い感じのオタク起業をやろう!」「やろう、やろう」という話になった。

まあ、大体そんなサークルには卒業生資本家が引っ付いてるのは皆様ご存じだと思う。

いい感じのプランをぶち上げ、投資家様たちにプレゼンし、3次審査くらいまで通すと出資、晴れて学生社長になれるってわけだ。

東京三田会起業していた知り合いのゴミがいたので、そいつにみんなで色々と話を聞きつつ、

仲間三人と練り上げたプレゼンで、無事に2000万ほどの融資を受けることに成功した。

『結局のところ、お洒落っぽさが重要だ』という三田会プレゼンメソッド大分役に立った。

まあ、立ち上げ段階になったらめんどくさくなったので、300万ほど掠め取って、俺はその企画からはイチ抜けしたんだが。

その後、そいつらとは連絡を取っていないので、どうなったのかは知らない。

「やはり、他人と何かをするという作業が俺は嫌いだ」ということを再確認できたという意味では意義はあったと思う。

足抜けした理由はもう一つあって、

一緒にやってたら何か出資詐欺かに騙されそうで怖くなった、というのもある。

事実、そのころは東大とかでも出資詐欺流行していて、100人東大生に1000万与えて起業させ、成功した奴から毟るというスキーム漏れ聞こえてきた。ひどい話だ)

京大生って無駄に『俺達は頭が良いから騙されるわけがない』とか考えてそうで、まあ、アレだ。ピュアなんだよな、みんな。俺もだが。

ということで、300万を無償で手に入れた俺だったのだが、あっという間に無くなってしまった。やはりゴミみたいな手段で手に入れた金はゴミ扱いしてしまう、ということなんだろうな。

最後の方は、ユニセフだか何だかに30万くらい、寄付として突っ込んだ記憶がある。(やはり、俺は心の底では優しき善人だからだろう)

まりサークル活動はあまり充実させることができなかった。

ついでに、元々、勉強というものほとんどしたことがないので、大学講義もあまり面白くなかった。

なんだっけか、山籠もりに行って休講にする教授いたじゃん。それくらいかな、記憶に残ってるのは。

京大生一人当たりに確か300万だか400万だかの税金が投入されているらしいが、まあ無意味な金の使い方を国家もするもんだよなあ。

そんな感じだったので、特に何も学ぶことなく、京大卒業した。

それからが大変で、俺は社会の役に立つような仕事をしたいなあ、とふんわり思っていたのだが、

結局、健康器具を売るゴミみたいな仕事に就く羽目になってしまった。

何の成功体験もなく、学び舎で何も経験も積めなかったコミュ障の末路としか言いようがなかった。

あんまり言うと特定されるので言わないが、単価200万~300万くらいの器具を売る仕事だ。

スーパー駐車場とかでテントを張ってたら、そこには俺がいる可能性がある。

ハッキリ言って効果が額面に見合っているかというと、見合っていないと思うし、

社長が幻●舎から本を出すので社長の素晴らしい所を10個皆挙げましょう!』とかやるような会社である。まあ、社会ゴミってやつだな。

あと、ニトリとかで売ってそうな2000円の棚とかを20万くらいでオプションとしてつけたりもする。書いてて辛くなってきた。

何が嫌って、俺はその手の仕事が、意外にも滅茶苦茶向いていたということだ。

先輩曰く『老人受けする幼い顔をしている』とのことだった。良く言えば孫フェイス、悪く言えばチー牛・弱者男性フェイス所謂あいう顔立ちのことだ。

そんなこんなで、売上は年間2億円ほど立ててしまっている。

まり、年間100人弱の御老人をだまくらかしてシノギとしているという計算になる。(俺の給料には還元されないんやけどな)

何が言いたいのか総括する。

弱者男性コミュ障は老人向けの営業が向いてるのかもねって希望寓話であり、

善人が、学歴いかに積んでもコミュ障というだけでこういう詐欺まがいの仕事に就いてしま社会だという絶望的な話でもある。

今日も、仲良くなったお客さんのお爺ちゃん祖母ちゃんからもらった野菜の山、米の塚を消費する日々である

それもこれも全部『ガラスの床』のせいだ。俺はもっと、金になんてならなくていいから、人の役に立つ仕事がしたかった。

日本学業制度はやはり、おかしいと思う。

2023-02-11

ぼっち・ざ・ろっく!を観てなんとなくジャズ研の新歓行って結局入らなかったのを思い出した

またトランペットやろうかな

2023-01-31

回転すし店の苦い思い出

から30年近く前の話。幼稚園児だったおれは近所の回転すし店でいたずらをしてしまった。アンパンマンの絵がついたジュースの空のパックを、親の目を盗んで、レーンに戻した。幼かったとはいえ、回転すしのシステム理解していたはずだし、初めてジュースを頼んだわけでもなかった。だから、当時の動機は、いたずらや好奇心に近いものだったはずだ。正直に言って、どんな気持ちでやったのかは、覚えていない。覚えていないほど軽い気持ちだったんだと思う。しかし、その行為引き起こした結果は忘れがたいものとなった。

翌朝、7時前に呼び鈴が鳴った。家の前にはスーツの男、警察官、それに板前が合わせて20人か、いや、実際にはそんなにいなかったのかもしれないが、とにかく大勢集まっていた。水産庁特別海洋資源監察官通称寿司ポリスだった。おれはその場で尋問を受けて、昨晩ジュースの空のパックをレーンに戻したことを白状しなければならなかった。親が泣くところを見たのは初めてだった。両親が涙を流して、土下座して、寿司ポリスに謝っていた。おれはその時になって大変なことをしてしまったのだと理解し始めた。近所の人たちの目がうちに注がれていた。とてつもなく長い一日だった。

その後すぐ我が家引っ越した。父は会社を辞めなければならなかった。引っ越し先にも悪口を書いた紙が届いた。何度か転居して、それでも年に何通かは届いた。

うちではそれっきり回転すし店の敷居は一度も跨いでいない。しかし、時々寿司を食べる機会はあった。小学1年生の時、学校給食寿司が出て、怖くて泣いてしまたことを覚えている。高学年になってからは食べるようになった。寿司を食べると、今でも必ず体がかゆくなる。多分心理的な影響だろう。それを周りに悟られないよう、黙って飲み込んだ。出された寿司を食べない変なヤツだと思われたくなかったからだ。誰かが、あのことを知っているのではないかという恐怖感は常にあった。大学サークル新歓で先輩がテイクアウトしてくれた寿司も、入社式のあと、工場長がとってくれた出前も、吐き出しそうになりながら飲み込んだ。

最近、回転すし店で若い男の子がいたずらをしたという話題で持ちきりだ。彼はネットおもちゃだ。それ相応のことをしたのだから、仕方がない。永久不滅の寿司荒らし烙印を背負って生きていくことになる。しかし、世が世なら、おれも彼と同じだった。おれの場合、あのことを知っている人はもう周りにはいない。しかし彼の周りの人は、彼がどこに行ったとしても、きっといつか気づいてしまう。もう日本中逃げ場がない。彼のこの後の人生を思うと、不謹慎だが、どうしても同情せずにはいられない。

2022-12-27

セックス承認などされないし救われない

今までセックスした女性リスト

中学時代

部活テニス部)の先輩、委員会の後輩、公文同級生(同じ町内の別の中学

高校時代

彼女中学から同級生)、二番目彼女高校クラス同級生)、三番目彼女高校部活の後輩)

浪人

四番目彼女予備校の同じコース)、現役で進学した高校時代同級生バイト先(居酒屋)の歳上フリーター

大学時代

五番目彼女(同じサークル)、セフレ後に六番目彼女(同じ学部学科)、同じ大学バイト先(カフェチェーン店)の先輩、通ってたジムの受付の女性インターンで知り合った女子大生、授業が数個被った学科の後輩

社会人現在2年目)

大学サークルの後輩、中学時代同級生酔った勢い電話をかけたらそのまま飲むことになった)、現彼女職種は違うが会社の同期)

マッチングアプリはびびってやらなかったし、去年ダウンロードしてみたが設定が面倒臭くて結局やらなかった。風俗大学入ってすぐに新歓で知り合った先輩と行ったピンサロが一回。多いか少ないかは人によるだろうが、計18人とセックスをした上で言わせてもらう。セックス承認なんかされないし自己肯定もされない。性的快感があるだけ。セックスで救われるみたいな話を見る度に馬鹿じゃないかと思う。セックスなんかより、たまに帰省した時の両親との会話や母親手料理の方が余程救われる。

2022-10-11

医学部に入ってから誰にも本音を話せなくなった

 医学部入学してから本音で話せる友人がいなくなった。学内は「実家の太い」同期ばかりで、そいつらに日々話を合わせるのが辛くなってきているところだ。以下長文失礼する。

 僕は都会の国立医学部4年で、今は地元を離れ一人暮らしをしている。卒業した高校は、地方の例年の東大合格者が0-1名の自称進学校だった。とりあえず地元国立を目指し、落ちたらニッコマという生徒が多かった気がする。学年順位がずっと一桁だった僕は、医学部一般枠で合格した。ちなみに僕の家系医者はおらず、両親は地元会社員である

 入学した当初は医学生というブランドに浮かれていた。同時に自分人生は安泰だという喜びも噛み締めていた。入学式後のオリエンテーション開成桜蔭聖光といった有名高校出身の同期と初めて顔を合わせた。僕はSAPIX鉄緑会に頼らず自分の力だけでここまでやってきたという優越感に浸っていた。

 しか入学後の部活新歓で徐々に違和感を感じ始めた。高級そうなバーで先輩方に奢ってもらえることに驚いていたが、それ以上に有名高校出身の同期たちのコミュ力というか馴れ馴れしさに戸惑っていた。どうやら新歓セレクションも兼ねているらしく、僕は人気のある部活には悉く落とされた。入部を許可されたところはチー牛ばかりだった。仕方なく男ばかりの部活に入部することになった。

 とはいえ部活の同期たちは地味だが人の良さそうな奴ばかりだった。僕も陽キャがイキっている部活には馴染そうになかったので、セレクションに落ちたことは特に気にしていなかった。だが部活同期の宅飲みで興ずる、負けたら数千円単位で奢るという罰ゲームは大変苦痛であった。バイトで稼いだ貴重な金がくだらないお遊戯に浪費されていった。当初は部活の同期しか友達がおらず、気乗りしないながらも参加していた。

 そのうち僕はだんだん部活に居づらくなって2年になる前に辞めた。とはいえ2年から解剖学生理学などの様々な実習があり部活以外の同期とも話す機会が増えた。同じ解剖班で東北出身のW君とも仲良くなれた。彼は小中高と地元公立であり、僕とバックグラウンドが似ていて非常に親近感を覚えた。彼は部活には所属しておらず、バイトお金を稼ぎ国内をあちこち旅行をするのが趣味しかった。僕とW君は個人的に飲みや旅行に行くことも度々あった。

 つい最近、W君とCBTに向けてiPadQBを解いている時だった。(ちなみにCBTとは全国一斉の共用試験で、QBとはオンライン問題集のことである。気になる人はググってくれ)CBTの点数は初期研修病院を決定するマッチングに影響するという噂もある。僕はふと気になって、W君に卒業後はどうするのかという話を振った。「どーでもいいんだよねえ。だって俺、実家太い方だし考えてないかな。」と彼は間伸びした声で答えた。詳しく話を聞くと彼は地主の息子で、不労所得があり最悪働かなくても生活できるのだそうだ。僕は少し苛立って、なぜ医学部受験したのかと問い詰めた。W君は、一言だって社会貢献してみたいし、医者ってかっこいいじゃん。」とだけ言った。

 「親ガチャ」というセンシティブワードが頭をもたげた。これまで一緒に飲みに行って馬鹿騒ぎしたり、大変なテスト勉強を共に乗り越えてきたW君とは、僕はそもそも同じ土壌に立っていなかったのである。僕は、気だるそうに何やらiPadに書き込むW君を少し冷めた目で眺めていた。なーんだ、彼も結局こっち側人間じゃなかったのか。日頃から僕が、羨望の眼差しを向けている「カネ」とか「コネ」とかを、彼は水道水みたいに当然のように与えられたものだと思っているみたいだった。

 為せば成る努力は実を結ぶ、と言った陳腐スローガンを掲げてきた地元高校教師たちの姿が頭に浮かんだ。彼らは本気でそんな言葉を信じていたのだろうか。大学受験だってその先の就活だって、結局は「親ガチャ」じゃないのか。僕は、そんな思いをいつかW君と語り合いたいと思っていた。彼ならきっと、この世の中の理不尽さを分かってくれるはず。

 息子が医学部に入ったと近所に吹聴する地元の両親を、僕は悪く言うつもりはない。帰省する度、父は、僕の医学部での学生生活を楽しそうに聞いてくれる。父はずっと医師になりたかったのだそうだ。流行りの「親ガチャ」なんて言葉で両親を責めるようなことはしたくない。

 そんな折でもCBTの受験日は刻々と近づいている。なるべくW君との関係は壊したくはないから、この思いは胸にそっとしまっておく。彼とはまた明日勉強会を開くつもりだ。Twitter文学のようになってしまったが、ここまで読んでいただき感謝申し上げる。

2022-09-30

毎日小説を書いている

私は30代前半の男。公務員の父と専業主婦の母の間に一人っ子として東海地方に生まれた。地方国立大学教育学部の附属小中学校卒業し、旧制中と師範学校を合わせて作った県立高校を経て早稲田に進学した。昔から酷かった下痢上京して悪化。授業中でもサークル新歓でも腹痛と便意に見舞われるようになり、大学に行かなくなった。一人暮らし心配する両親には電話架空大学生活の話をし、それ以外の時間は部屋のトイレにこもった。将来への不安と両親への申し訳なさで余計に下痢悪化し急速にハゲた。授業に出ていないことは一年の前期の終わりにバレ、帰省して3年近く実家で引きこもった。引きこもってるうちに下痢が治り、再び上京心機一転大学に通い始めることにした。

しか最初に出席した必修授業にて、

教授「君、授業中は帽子取ってくれるかな?」

私「あ、えっと、その、はい

ハゲバレ

教授「あっ!えー、はい、それじゃ続けます

周囲「クスクス

教授「えーそれでは、リアクションペーパーを周囲の人と交換して下さい。冒頭で説明したように、今日キーワードが織り込まれいるかボールペンでチェックし、サインを書いて返して下さい」

一年しかいないはずの授業にて学籍番号の「1A〇〇(入学年度)」にて留年バレ

このダブルコンボで私の豆腐メンタルは挫けた。急な便意に襲われ教室を逃げ出した僕はその足で大学を辞める手続きをした。実際にはすぐに受理されることはなく、正式な退学までには思ったより時間がかかった。最後事務所を訪れた帰り、大隈庭園蒸しパンを食べた。天気が良かったのでしばらくのんびりしたかったが、腹痛に襲われ慌てて家財道具のなくなった部屋に帰った。

以来、慣れ親しんだ東海地方の、慣れ親しんだ町の、慣れ親しんだ家の、慣れ親しんだ子供部屋で生産性のない日々を過ごしている。下痢治療に関しては内科面、診療面の両方を試みたが効果はなかった。

そんな私の趣味小説を書くこと。ある日図書館で読んだ「エリアエッセイ」、「幸福王子」、絵本の「みにくいかいぶつといしのうさぎ」に感銘を受けて書き始めた。毎日ストーリーを考え、プロットを組み立て、パソコン文字を打ち込み、プリントアウトして、鉛筆でチェックをつけ、再びパソコンで書き直すという日々を繰り返している。出来上がった原稿は誰にも読ませないしどこにも投稿しない。自分で読んで楽しんだり、笑ったり、泣いたりしている。

私は世間的に見れば生産性のない無価値な生き物だけれど、物語を作ることに出会えて世界で1番幸福存在になることができた。

2022-09-17

父と、飲む。

いつかロバート秋山が成人した日にキャバクラに連れられた話を思い出す。

池袋の夜は華やかはあれど、昭和香りが煙たく漂う古臭い場所だった。

まるで、余市のような。ピートの強さが強調された力強い雰囲気がある。父が過ごした30年前と大して変わらない空気

バーボンが持つ甘さは、そこに一切存在しない。スコッチの煙たい臭い。それが好きな人しか受け入れられない古臭い匂い池袋西口に連れられた私はそんな妄言を考えていた。

新宿歌舞伎町が、かつて持っていた日本一ネオンが薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つの池袋西口なのだろうか。

父とその友人は行きつけの居酒屋に向かう最中に変わらないとの言葉を仕切りに話していた。

この街は変わらないと。

目印的存在であった池袋西口マルイ百貨店が潰れてしまっても、彼らは池袋が変わらないと口にする。

東京芸術劇場を抜けて、すぐの池袋西口公園の外側は永遠と広がる住宅街である

父が過ごしたアパートは、住宅街入口付近にあった。

今では5階建ての立派なマンションに生まれ変わっていたアパート。されど、近所の小学校は当時のままだという。

あぁ、大学回生の頃に、ここの小学校プールによく入っていたなぁ。そう話す父は立派な犯罪者だった。

それでも懐古する父の顔はとても粋だ。俺は新歓の日に池袋で飲んで、仲良くなった奴が今日一緒に飲む友人なんだ。

キザすぎるセリフ真実として話す父は最高にかっこつけで、かっこよく見える。

腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガントムクルーズよりもカッコよく見える。

普段は、そのものになりたいと思えない父も、なんだか憧れた。

父に連れられた居酒屋は、メニューもないような、よくわからない場所だった。

池袋西口から歩いて8分程度。雑居ビルの半地下一階にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。

父と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日不思議説得力を持って聞こえた。

どうしても話したかった話があるという。

息子が成人した時にどうしてしたかった話なんだ。

お前が成人してようやく話す時がやってきた。

それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。

自信を身に宿して、父は満を持すを体現するように話を切り出した。

「俺は友人の父親の話に昔、もの凄く感銘を受けたんだ。

その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。

それを話したいか今日お前をここに連れてきてるんだ。

じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。

から友人は成人した時に、父親銀座キャバクラに連れられてったらしい。

酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?

俺の奥さん美人だろう?そう言われたんだ。

その時に俺は、コイツはなんで人生成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。

友人は自分父親になんてバカらしいと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。

これが人生成功者なんだって。以来、嫁さんは俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」

その言葉には、普段とは違った熱がこもっていて、20年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない父親の姿。

振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないのに。カッコつけられて、かっこいいと思わされた。

そんな私がなぜだか悔しかった。

2022-09-09

性的暴行同志社大学だけに限った問題なのか


同志社大学アメフト部が『無期限活動停止』を発表

https://news.yahoo.co.jp/articles/167538a475d9993892729eac4375467d81508062

※このほかにも多くの記事が出ている。

一応卒業生だ。約10年前に卒業した。当時は体育会に入っていた。アメフトみたいな洒落たやつじゃなくて、もっと古風なやつだ。

さてタイトルだが、そんなはずがないだろう。こういうのは大学生に限った問題じゃない。ほぼ若者に限った問題だ。

若いうちは愚かだ。自分でもわけがからいくらいにテンションが上がって、相当馬鹿なことをやらかししまう。

特に、シモに関してはそうだ。いろいろと欲求不満な年齢なだけに、性的暴行に走る人間もいるだろう。

ところで、私も彼ら犯罪者4人と同じくスポーツ推薦で入学した。少し、当時のことを思い出してみるに……

体育会ほとんどの部において、彼らと同じようなことをする者が最低一人はいた。

・同じ部の新1回生の家に押しかけて長居し、帰る頃に性交渉に及ぶ(行為中の写真を撮って部員に自慢する)

・個室のある居酒屋新歓・追い出し・祝勝その他の飲み会をする際、メンバーによっては性的行為が行われる

 ※2009年京都教育大学事件が懐かしい。当時京都高校生だった自分は汚い物を見るような視線を向けた。今思えば、あの時は純粋だった。幽遊白書の仙水みたいに、この世には正義と悪があるのだと信じていた。

・他大学女子であれば証拠が残りにくいと考えるのか、合コンになると途端に狂暴になる。後先構わず打ちまくるイメージ。店を出た後で「二次会に行こう」と腕や手を掴んで引っ張るのは基本だった。

元になっている価値観が原因だと感じる。

思えば、体育会の後輩は奴隷のように扱われていた。私のところだと、後輩は先輩の投げ込みに何百本でも付き合う必要があった。どれだけ痛くとも。それで、その彼が先輩になる頃には同じことを繰り返すのだ。

そういう鬱憤が溜まると、精神的に一定の域に達していない者は、「条件さえ揃えば誰かを好き放題してもよい」という価値観もつようになる。精神的にレベルの高い者は「こういう文化自分の代で終わりにせねば」と社会未来を考えた意見もつようになる。

自分も、強姦といってしまってもいいのか、そういう事案に巻き込まれたことはある。3回生の時だった。

ニュースの4人と同じく、中京区東京で例えると新宿池袋みたいな感じか。飲み屋街の近くに百貨店などが並んでいる)の個室居酒屋合コンがあったのだが、お持ち帰り交渉成功しかけた柔道部の後輩がいて、彼の住んでいる三条通りのマンションに男3人と女2人が入ることになった。

そいつ普段大人しいのだが、酒が入ると異性に積極的になるタイプだった。ほろ酔いだった私も家にお邪魔させてもらって、三次会を楽しんだ。

日が変わった頃、私がトイレから出てくると、男女1組が【そういうこと】になっていて、残りの2人がそれを見ていた。性行為の一番初めが終わって、上の服を脱がせている場面だった。

私は立っていたから、たまたまその女子が嫌な表情を垣間見せたのを見ていた。どうやって止めたかは覚えてないが、「やめとけ、嫌がってる」とか言ったかな。

それで、後輩の方は急にしおらしくなって「、ごめんね」と女の子に告げた。酒が抜け始めていたのか、それともいったん理性が強くなったのかは分からないが、言うことを聞いてくれた。

でも、もし後輩でなくて4回生とかだったら。私は止めるために声をかけただろうか。かけなかったんじゃないか。今となってはわからないが。

かなり前の増田で、自分と同年代と思しき社会人が日記を上げていた。「俺の通ってる大学に入りたかったんか」と勘ぐった思い出がある。

https://anond.hatelabo.jp/20210301212331

後半の方に、社会に生きる人間としてよくない行為をする大学生簡単に紹介される。こういうのを見ると、冒頭の話に戻るが、性的暴行に限らず、若い人間は愚かなことをするのだというのがしみじみとわかる。

あの4人は氷山の一角に過ぎない。若い人間というのは、京都府内だったら京大だろうと、京都府立医科大学だろうと、同志社だろうと立命館だろうと、それ以外のどんな大学でもそうだし、専門学生でもそうだし、フリーター派遣労働者ニートでもそうだ。彼らは『愚か』という点では全く一緒の存在だ。

ただまあ、あの連中に限らずスポーツ推薦(特にセレクション入試)で入学している場合は、中学高校時代スポーツ世界活躍してきた人ばかりになる。ちょっとばかし全能感に駆られることが多い。それで物騒な行為に及んでしまうのだ。中途半端で、間違った方向の自信が他者蹂躙することになる。

思ったより長文になってしまった。取り留めのない内容ですまない。

2022-09-04

anond:20220904092345

「要領の悪いぼっち」ってだけだろ

横の繋がりがあれば、どこがヤバいかぐらいの情報は出回っていたし

フロントサークルに対する注意喚起だって大学なり自治会なり(まあこっちも民青革マルシメてたりしたんだけどな)が毎年新歓の時期に出してる

ちょっと調べれば連中が名乗っている「カープ」=原理研ということぐらいわかって当たり前

そういうの全部スルーして、ああいうのに引っかかる時点で、まあバカではあるよね

ペーパーテストができるだけのバカ

2022-08-18

とあるsmall_giantの話

 ふと、広大なネットの海に彼の断片が揺蕩っていないことに、一抹の寂しさを覚えたので。

 彼に逢ったのは大学2年の春のこと。九州出身の僕にとって、コートが手放せない北関東の春寒に辟易していた頃であった。

 新歓委に適当に名を連ねた自分は、準備のために何ひとつ手を動かすこともなく、当日ふらりとやってきては三枚目を演じる役目に殉じていた。

 定かではないが、正確にアイデンティファイしたのは、何度目かの食事会のことであったろうと思う。えらく目に残る濃紫のダウンコートに、これまた鮮やかなスカイブルーボトムス、黄緑のリュックという出で立ちで、ママチャリを漕ぐ小柄な姿に、台湾の街なかをゆく人を彷彿したものである

 彼が口を開けばすぐに明晰さに気がついた。女史の多い学類の中で数少ない男子、話を聞いてみると、さらマイナーなところで史学徒志望とあっては、親交を温めるに十二分であった。必然的に同じ授業を受けることになり、同じ時間学生控室に居ることになった。

 半年も経つ頃には、先輩風なぞ吹かせられないほど優秀であることを思い知らされた。彼の謙虚姿勢で分かりにくかっただけで、史学は勿論、政治社会哲学文学芸能に至るまで幅広く人文学素養を蓄えているさまは、正しく博学才穎と評するに値する。

 なるたけ楽をしようという学生対照的に、彼は努力の人でもあった。史学徒らしく先行研究を丁寧に洗い、批判的思考の先に論理的な積み重ねをするといった基本を忠実に守り、そしてその先を直向きに追究していた。

 彼の尊い所は、それらの要素をコメディカルに自嘲し、扮飾していることであった。口癖に「チャップリンのような男になりたい」と言っていたが、恐らくはそのあたりに起因するのだろう。オフの彼は道化であることを心がけていたように思える。

 実際、彼が醸し出す人間的魅力は、接する多くの人々の心を開かせてきたに違いない。それは悲しいかな、告別式に集まった人の数で可視化された。

 院進を悩んでいた頃、自分の無才さとそれを補えない怠惰を刺激され、逃げるように就職した。

少ない給料でも、彼が困ったときに本代くらい捻出できれば、それで十分だと思って。自分は一線で人類の知を切り開く探求者にはなれなくとも、彼らを応援することくらいはできる、そう思っていた。

 遺された人にはありがちな思考過程ではあるが、彼が居なくなった後の世界は何も変わらなかったことが恨めしかった。まるで彼という存在を皆忘れているかのようで。

 自分もそんな世界の一員だった。彼の告別式でも、その後一人で2月の寒空の下をバイクで3時間走ったときも、ひとつぶの涙も出やしなかった。次の日にはケロッと出勤した。

 暫くして事後処理で窶れきった主査先生手紙を書いたとき、初めて涙が溢れた。「彼の分まで生きましょう。彼もきっとそれを望んでいるから」と、宛てたのは先生へだったが、届いたのは自分のところだったのだろう。

 思いきり泣いたことで随分気持ちは楽になったのだが、前よりもずっと、フラットに彼と向き合える自分がいることに気づいた。それは嬉しいことだった。少し遠いところに行ってしまった、くらいに思えて、以前よりずっと身近に彼がいるような気がするからだ。聖書にある「神に近づいた」状態と似たような心持ちなのだろう。

 以来、こうやってことあるごとに彼を思い出すわけだが、そのたびに僕の中の彼が記憶リフレインだけでなく、その先の知新を促す。僕は過去の一時点に比べて、ずっと世界に対して心を開けるようになった。

 彼がやっていた南相馬農村社会史を引き継ぐことはできないが、彼がやろうとしたこと自分にも引き継げる。今、僕が眼の前の人々を愛し、その未来へと思いを馳せることを大切にしているのは、きっと彼がそうだったからだろう。

 彼の不在は世界を変えなかった。だが、彼の存在は僕の視座を変え、そして僕からまた誰か別の人へ伝播する。それが世界を変える頃に、誰も彼の名を知らずとも構わない。よもや小汚い小男から手渡されたバトンだとは世人も思うまい。彼という人間の射程の如何に大きなことか。

 君がいなくなっても地球は回り続けている。コロナで世の中がひっちゃかめっちゃかになって、東京五輪があって、君の好きだった能年玲奈は今も芸能界で頑張っていて、相馬の野馬追祭りは久しぶりに開催された。国会は相変わらずだけど、安倍さんのことは、そっちに行ったから君のほうがよく知っているだろうね。

 どうか、もう少しそこで待っていて欲しい。君の好きな偉人たちがごった返しているだろうから、ヒマはしないだろう。僕はもう少し僕にしかできないことを探してやってみるよ。また会えたときには色んな話をしよう。

 僕の忘れられない愛すべき小さな巨人よ、安らかに眠れ。

追記

コメディカル」は「コミカル」の間違いです。

今後の反省として本文はそのままにしておきます

2022-08-16

急募片思いを長持ちさせる方法

まだ高揚感のあるうちに、記録として残しておこうと思う。

バイト先の男の子のことを好きになってしまった。それからというもの片思いをどうにか長持ちさせる方法はないものかと、毎日考えている。

まず最初に、私はたぶん日本女子大生の中で一番恋愛下手だ。女子大生限定したのはなにも恋愛経験比較できるのが同年代友達しかいないというだけで、べつに限定しなくたって一番になれる自信がある。津々浦々から恋愛下手を名乗り出る老若男女を集めて競わせる大会があったとしたら、金かどうかはさておいて絶対メダルはもらえると思う。

それくらい、人に好意を伝えるのも苦手だし、向けられた好意を素直に受け取るのも苦手なのだ

大学女子大に通っている。

女子大でもインカレサークル入れば彼氏なんてすぐできるよ!という先輩からアドバイスにまんまと心を奪われ入学を決めたが、実際女子大に通いながらインカレ彼氏をゲットできるのはコミュ力と行動力がある一部の子だけで、大人数が苦手で、サークル新歓から帰って疲れて動けないような私には到底無理な話だということに、入学してから気づいた。手遅れである

幸か不幸か、大学での勉強があまりに楽しく、毎日が充実していたため、一年生のうちは恋愛というものから遠く離れた場所悠々自適に過ごすことができていた。

当たり前だが、自分コンプレックスが刺激されない毎日というのは本当に居心地が良いものである自分に自信はないくせに自己愛だけは一人前な私は、女子大という守られた世界で一生この生活を続けたいと、心から願っていた。

本当に願っていた。願っていたのに、やはり私は未熟で、脇が甘かった。

今年の4月、二年生に上がってすぐの頃、バイト先を変えた。それまではバイト仲間が女の子しかいないお弁当屋さんでバイトをしていたが、大学時間割の都合で働き続けることが難しくなり、ローソンで働くことになった。これが大誤算だった。

そもそもコンビニバイトという環境もっと警戒すべきだったと思う。

夕方は基本2人体制、狭い店内、近いレジ!恋に落ちてしまフラグが多い!多すぎる!いとも簡単想像のつくことなのに、働き始めてから、ましてや実際に恋に落ちてしまってから気付くなんて、私は本当にバカだと思う。こんなことになるなら、同じ時期にタウンワークバイト募集をしていた工場で働くべきだった。しかし、工場で働いたとて、素敵な工場長に恋をしてしま可能だって無きにしも非ずな訳で、これに関してはもう、運が悪かったということにしておこう。

ここまで読んでくれた人のために、「最初シフトが被った時はなんとも思ってなかった、しかし、優しくされて意識するようになってしまって,,,」というような、恋に落ちたきっかけのエピソードを書きたいのだが、生憎書けない。なぜかというと、本当に恥ずかしいけれど、初対面の時からガチガチ意識していたかである

初めてシフトが被ったとき彼は他の人の代打で急遽来ていたため、陽気なベトナム人と働くつもりで出勤した私は面食らってしまった。普通にかっこよくて見惚れたし、話すとドキドキした。その後数回ベトナム人代打でやってきた彼と働く日が何度かあり、いつの間にか代打ではなく通常のシフトが被るようになり、気づいたら好きだった。まとめると、陽気なベトナム人シフトを飛んだせいで私は恋に落ちてしまった訳である。最悪だ。

好きだと自覚して間もないころ、むしゃくしゃしてネットで「片思い」と検索してみた。するとびっくり、世の中の片思いに頭を悩ませている人々は、どうやら意中の相手とインスタのDMでやりとりしたり、夜中じゅうLINE通話したりしているようなのだ。もうそれは両想いではないのか!?しかし、そのような内容の文章が「片思い」というタイトルをつけられて悩み相談として投稿されていたため、私は撃沈してしまった。私のこれはもう片思いでもなんでもないのかもしれない。だってインスタも交換してないし、LINEしたことないし、相手について知ってることといえば、同い年ということと、大学名ぐらいである。脈がないにも程があるだろう。

どこが好き?と聞かれるとうまく答えられない。

まり男性と接点のない生活を送ってきたせいで、最初に見たものを親だと思い込むヒナ現象が起こっているのかもしれない。本当に情けない。それでも私は彼とシフトが被る日は、ドライアイから本当はつけると目がシパシパしてしまカラコンを装着し、髪を巻いてポニーテールをし、全力で鉄壁の前髪を作り、念入りに目の下の虚無の更地から涙袋を生み出す。少しでもかわいいと思われたいかである。もう開き直ることにした。

こんな不毛片思いがそう長くは続かないことも分かっているつもりだ。相手にいつ彼女ができるか分からないし、好きだということがバレて距離を置かれてしまうかもしれない。というか、バイトから相手がふらっと辞める可能性もある。それでも、彼に教えてもらった好きな映画タイトルを頭の中で何度も読み上げながら帰るような今の日々が、少しでも続いてほしい。それ以上はもう望まないから、この片思いをどうにか長持ちさせる方法を、今、必死に探している。

2022-07-24

彼女神秘性を取り戻してほしいようなそうでもないような

彼女には、大学サークル新歓一目惚れした

一度勧誘をうけてちょっと気になったサークル歓迎会に顔を出したら、そこに彼女がいた

ひとことも話してないし、なんならマジマジと顔を見たわけでもないんだけど、「メチャクチャ可愛い人おるやんけ!!」と強く思ったのは覚えている

なんというか、強烈に可愛かった

服装なのか顔なのか仕草なのか、なにが琴線に触れたかっていうのは思い出せないんだけど、とにかく、そのとき彼女は俺にとって爆発的な存在感があった

視界に入っただけで、そこんところにエフェクトがかかって、ほかがボヤけるような感じがした

俺は彼女とお近づきになれることを祈ってサークルに入った

1年間、いろいろあって、彼女と付き合うようになり、そのままもう6年くらい経つ

で、さすがに6年も付き合っていると、結構見え方が違ってくるわけですよ

彼女メチャクチャ可愛いと思うんだけど、その可愛さの種類が変わっている

言ってしまえば、「ミステリアス女の子から、「ペットデカい鳥」くらいの変化をしていると言って良い

アレなんすよ

彼女片想いしていた1年間は、たとえば彼女大学キャンパス内をイヤホンをつけて颯爽と歩いているのをみて、「うわーーアレ何聴いてんだろ、絶対俺の知らないメチャクチャセンスいい音楽なんだろうな〜」とか思ってたんだ

付き合ってヒアリングしてみたら、実際に彼女が聴いてたのはアニメドラマCDとかキャラソンとかだった

当時は、彼女Twitterなんかをみて、休日シャレオツな店に出かけたり散歩をしたりしてる、おしゃれ人間だと思ってたんだ

実際の彼女休みの大半を寝て過ごすロングスリーパーで、オタクで、俺よりだいぶマシだけど普通に出不精だった

ニュートラル意味で幻滅したんだよな

幻が滅されたわけですよ

その結果でてきた彼女の本性はホントにすごい好きで、ここまで気が合う人に一目惚れするとは、俺のセンスも捨てたものじゃないわね!と思うくらいなんだ

それはそれとして、あの頃の、ミステリアス神秘的で魅力的で謎多き存在としての彼女ちょっと懐かしいんすよね

でも神秘性を感じるにはもう知りすぎてるんだよな

アレって結局恋そのものプロパティだったんだろうな

あのとき彼女彼女ではなく、恋そのものだったのでしょう

何言ってんの?キショ……

こういうことを彼女に言ったら、ややキモい…って言われそう

あとで言ってみようかな

2022-07-12

anond:20220712120750

新歓の季節になるとそういう「社会ナンタラ研究会」みたいな革マルとかそこら系の偽装サークルに警告が出るんだけど

ところがそれを出してる自治会自体民青シメてたりするわけで、所詮セクトセクトの争いでしかねえんだよな

2022-05-12

anond:20220512144059

ギャグテイストのもなあ、なんか陰キャ非モテが考えたみたいな内容じゃん。

慶應陽キャ新入生がサークル新歓陽キャ女先輩に誘われて抜け出してホテルセックス🏩みたいなさ、そういうモテる人々のエロスを描いたものが少なすぎる。早稲田カップル夏休みバリ島旅行、砂浜のパーティーでで酒も飲んだところでリア充セックスみたいなのとかさ

2022-05-07

Love is all you need

タイトル最後まで書いた後に決めろ、と小学校の作文で教わったような気がする。私は文章を書くと最終的に何が書きたいのかわからなくなってしまうことが多く、予防としてタイトルを先に決めて書くことにしているのだが、こういう増田では徒然なるままに書いてみてもいいかもしれない。

そこそこ勉強して医学部に入った。高校の時は何がしたいのか、何になりたいのかわからなかったが今ではわかる。私は物書きになりたかった。他人文章で認められたかった。しかし私にはその才能がないことはずっと前からわかっていた。

中高では作文コンクールがあった。テーマ提示され、その場で1200字程度の作文を書いて提出する。あんなの遊ぶ時間でしょ〜と斜に構えていて、実のところそれなりに構成を練って作文をしていた。結局6年間で一度も佳作に名前を連ねることすらなかった。

2020年4月、私は大学入学した。多くの大学がそうであるように、医学部でも1年は一般的教養を身につけることが多い。何一つ興味を持った授業はなかった。試験コロナ禍によりレポートになり、人のものを写して単位を得た。

2年になると、興味のない医学の授業しか無くなった。進級にはたびたび訪れる試験をやり過ごさなければいけなくなり、図書館に篭ることが増えた。新入生に向けて他己紹介を書くことになった。友人2人のものを書いたが、同期のうちでは好評だった。嬉しかった。私の文章が初めて人に認められたのだ。しかそれから文章を書く機会も、書こうとすることもなかった。自分文章直視するのが怖かった。評価されるのが怖かった。文才がないのは分かりきっていたのに。

この4月、3年に進級することができた。今度は部活での新歓のために他己紹介を書いた。今回も2人分書いたが前回ほど好評ではなかった。私の文才なんてそんなものかと思い、また興味のない医学の授業を受けている。

人間関係にも苦労した。入学当初はいわゆる大学デビューというものを頑張り、交際相手を作ろうとしたがうまく行かなかった。何度か自殺を考え、首吊りのためのロープを買い、いやいや将来病院いくらでも苦しまずに死ぬための薬が手に入ると自分を騙し騙し生きてきた。

ワンミスで嫌われるという強迫観念に取り憑かれ、徹底して好かれるように立ち回った。その甲斐あって今では学部内での顔は広くなった。この間、人を怒らせてしま電話で謝った。これで挽回できると思ったし、嫌われた時のためのアリバイ作りという打算もあった。その時、怒っているけれど私がそんなことであなたを嫌いになるはずがないと言われた。周囲の人はこういう風に人と関わっているのかと衝撃を受けた。私は常に1人だったのだ。

そういうことがあって心に余裕ができてからは、腹がたつことが増えた。今までは自分がどれだけ気を遣っていようが、相手の振る舞いになんとも思わなかった。しかし急に自分けがつらい思いをしているように感じられ、これまで私を受け入れてくれた相手にも感情的に厳しくものを言ってしまうことが増えた。その度に家に帰って反省し、嫌われたかもしれないと怯えていた。

私の精神はまるで中学生のようだと自嘲しながら、聖書に助けを求めた。こう書いてあった。

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」

なるほどアガペーの対価として善き人間となるのかと思い、2000年前のベストセラーに感心した。残念なことにアガペーを実感できない私は解釈を変えて、周りの人が私を赦してくれたように私は周りを赦そうということにした。こう考えてからは人を傷つけることは減ったと思っている。

そういえば最近になって、気になる人ができた。とても気の利く優しい人で、初恋の人はこういう人だったと思い出した。

ここまでの長い文章を書くのも久しぶりである。私が自分文章を認めるために記した。

このGWに出かけたとき、友人の車内でビートルズの"All you need is love"が流れていた。

「愛こそすべて」いい響きだ。これならこの文章タイトルとして相応しいだろう。

私は自分を、他者を、愛することができるだろうか。まだわからないけれどこれまでよりは前を向いて生きていこう。そう思った連休明けだった。

2022-05-04

上りに窓を開けたら

田んぼを挟んで向かいにある新興住宅地家族BBQ匂いが冷たい風に乗って部屋まで漂ってくる

この季節の夜は国道を走る車の音くらいだから何を言っているかわからんが声も聞こえる

酒に酔った人の笑い声って下品に聞こえるもんだ

BBQの炭と肉の匂いを嗅ぐと大学時代を思い出す

大学近くに住んでいたからこの季節は風に乗って、サークル新歓BBQをする匂い下宿まで届いていた

BBQしてんのか、なんだか幸せそうだなとあの頃も今も同じ感想を抱いていることに気づいた

2022-04-18

所属する大学サークル未成年飲酒をやめさせたい

サークル新歓にまつわる話し合いで表題の話を切り出しました。今後飲み会が増えていく時期ですので、ちょうど良いタイミングだと判断たからです。

詳細は後述しますが、反対意見ばかりで賛同は得られませんでした。

話を切り出した時は自分意見理由について整理できておらず、話し合いがうやむやになってしまったため、私が表題のように考える理由を整理してみたいと思います

序論-昨今の情勢について

この2年間、対面での活動制限され、多くの大学サークルが存続の危機に立たされています特に、対面での課外活動をメインにしているサークルにとっては致命的で、実際に我がサークルと同じ活動をしている他大サークルがつぶれています

幸い、我がサークルコロナ禍の影響を受けながらも新入部員に恵まれ、順調に活動できています。今年度は対面での活動が解禁され、2年ぶりの新歓合宿ができるようになりました。

しかし、コロナ情勢の先行きは依然として見えない状況にあり、予断を許さない状況です。引き継ぎの失敗や新入生不足など、サークル消滅するシナリオは数多く考えられます

本論

さて、私が未成年飲酒をやめさせたい理由は、「法律で禁じられているから」という至極全うな理由に加え、サークルの存続に関わる問題になりかねないと考えているからです。

ここ十数年で未成年飲酒への社会的認知が進んでいます大学サークル飲酒関連のトラブル事件ネットニュースで大きく取り沙汰されることも、今では珍しくありません。さらに、コロナ禍で飲み会への風当たりが強いことも見逃せません。

このような情勢から飲み会がらみのトラブルサークルの存続にかかわるようなリスクとなりえます。何らかのトラブルが起こった場合大学側や学生保護者一般世間事態を重く見ることは想像に難くなく、大学当局から活動停止処分や新入部員の激減などの事態を引き起こす可能性があります

また、新歓で新入生に安心してサークルを楽しんでもらうことを考えたとき未成年飲酒が横行する現場はあまり望ましいものではないと考えます

新歓の時期は、信頼関係が完全にできていない先輩や同期たちに囲まれる状況になります。このような状況下では、たとえ飲酒強要せずとも、「空気を読んで飲んだ方がいいのでは」と感じる人もいるではないでしょうか。

新入生に安心して新歓を楽しんでもらうために、彼ら・彼女らのストレスとなりうる要因はできる限り減らすよう努力するべきであると私は考えます

部員意見

前述の通り、部員意見はおおむね反対ではっきりと賛成してくれる部員はいませんでした。この項では部員の反対意見とそれに対する私の考えを記述します。

強制して飲ませたりせず、飲みたい人だけ飲むよう配慮すればよい

→本論にも書きましたが、たとえ「無理して飲まなくてもいいよ」と新入生に伝えたとしても、新入生が実際に断れるかどうかは別問題だと思います

ほんの数ヵ月前まで高校生だった彼ら、彼女らにとって、大学生という存在は我々が考える以上に大きい存在に感じるでしょう。我々に飲酒強要させる意図はなくとも、立場上新入生が飲酒強要されているように感じてしまうこともあると思います

・50年以上、このやり方で問題もなく存続してきたのだから大丈夫だろう

→近年の未成年飲酒に対する風当たりの強さに加え、コロナ禍という戦後類を見ない出来事最中にあります。今までのなあなあなやり方を今後も続けられる保証はありません。

今後、未成年飲酒に対する風当たりはますます強くなる一方だと思われます。今、飲酒意識改革が求められる時期にあるのではないでしょうか。

資料

未成年飲酒にまつわる罰則規定

飲酒した未成年に対する罰則は無し。未成年酒類販売した場合は50万円以下の罰金に課せられるが、成人の親や監督者が未成年飲酒を見逃した場合科料で済んでしまう。

大学から懲戒処分としては、学校によるものの、停学から退学、訓告など幅が広い。

【近年?の大学サークル内における飲酒トラブル

急性アルコール中毒により部員が亡くなった事例

同志社大舞踏サークル合宿で、男子学生(当時19)が飲み会で一気飲み。後に急性アルコール中毒で死亡。(2016年)

近畿大学学生(当時20)が、テニスサークル飲み会飲酒後に急死(2017年)

専修大学男子学生(当時18)が、サークル仲間との旅行先で飲酒後に死亡(2017年)

サークル公認が取り消された事例

明治大学クライステニスクラブ」(2014年公認取り消し)

慶應義塾大「広告学研究会」(2016年解散を命じられる)

2022-04-13

ホッテントリ気持ち悪すぎるんだが

何これ?異常者の集団?それともみんな新歓花見で飲みに行ってるからキモいレアブクマホッテントリに並んでるの?

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