はてなキーワード: pvとは
▼刻晴無凸Lv90▼
弱くはない。
強くもない。
片手剣/雷属性という超不遇属性を2つ抱えていてもそれなりに戦えてしまうのは彼女のポテンシャルを物語っているだろう。
物理型も雷討ち型も両方試したけどすっげー強いってことはない。
重撃はめっちゃ優秀だしこれから強化されるってこともないし、ずっとこのポジションだと思う。
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▼ディルック1凸Lv90▼
別名・橋上鳩判決下真君。
何をしても雑に強くてどこでも出番があるという便利真君。
螺旋でも使えるしとりあえず出たら育てておくに越したことは無い真君。
特に語ることもない真君。
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▼タルタリヤ完凸Lv90▼
合計20万円也。
金を払っただけあってめちゃくちゃ強い。
当初弱いって評判だったけど、近接で属性攻撃しかできない且つ遠隔持ち時点で人権待ったなしなんだよなあ。
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▼鐘離完凸Lv90▼
13万円也。
モーションが早くてカッコイイ割にちょっと育てたレベル80くらいの奴と同じくらいのダメージ。
まあ旧貴族4セットで天丼落としてバフ+石化させたらひっこむしあんまり関係ないけど。
これから様々な面が強化されるらしいけど、どっちかってーと完凸の性能を調整してほしい。
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▼七七2凸Lv90▼
最強のヒーラー。
攻撃力聖遺物(剣闘士+少女)にしておけば1回5000くらい回復してくれるし、相手に札付けて殴れば大抵のアタッカーは全回復する。
2凸しちゃったし本当は普通にアタッカーとしても運用したいけど、アタッカー枠パンパンなんだごめんよ七七。
よくタルと組んで氷漬けにしてそのまま殴り殺す運用をしている。
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ダメージディーラーとしてでなく、単にバラバラになった敵を集めるだけ。(それに付随する拡散反応)
彼がピックアップされていたサービス開始当初はあまり課金する気がなくて
「とりあえず限定は引いておこう」
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▼ジン無凸Lv80▼
ヒーラーとしては即効性が無い。
「クレー、わかっているな?」
恒常無凸勢の中でもダントツで使い道が無いと思う。
役割を特化させようにもナンバーワンかオンリーワンになれない時点でダメでしょ。
探索ではその中途半端さが割と便利かも。もう1人の風と組んで足も速くなるし。
そう考えると今後も調整は絶望的だし、あえて育成リソースを割く必要はなさそうな感じがする。
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▼モナ1凸Lv5▼
水はタルタリヤがいるし育てなくていっか感。
カワイイし、いつかは育てたいけど使い道がなさそう。
大抵の螺旋タイムアタックにいるので元素爆発自体は優秀で強いのだろう。
ユニ先輩の声好き。
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▼クレー▼
引いてない。
無凸でいいから引いておけばよかったと後悔した。
当時の私はそんなことを知る由もなかったのだ・・・。
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▼アルベド▼
引いてない。引く予定もない。
お試しで使ってめっちゃつえー!とか言ってた勢はあれがただの広告であることをわかっていない。
あんなに敵が密集してたら誰でも強く感じるっつーの。
岩属性自体が他属性とのシナジーが無いので自身のスキルで強制的にシナジーを発生させるという意味では優秀だと思うけど。
使い方によっては強いというちょっとクセのある星5かな?という感想。
私はわかりやすい強さが無いと引きたくないんだ。
宜野座さんの声は好きだけど、アルベドの声はなんかあんまり好きじゃない。
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▼今後▼
の予定。
果たして。
もう亡くなられて丸七年経つので、人々の記憶から薄れつつ‥‥と思っていたら、今年になって、アニメのエンディングに起用されたり、今公開されている映画の主題歌みたいな扱いで代表曲が使われていたりと、令和の若者にもじわじわと水面下で影響を及ぼしているようです。
私が大瀧さんを大好きになったのはつい最近です。大瀧さんをリアルタイムで体験したのは、キムタクと松たか子のドラマ「ラブジェネ」の主題歌だった『幸せな結末』でしたが、この時は特にファンでもなく、でも後追いで『A LONG VACATION』のCDを購入していたくらいには気になっていた存在でした。このドラマで大瀧詠一の主題歌が流れるたびに、「これまさか新曲じゃないよね。昔の曲引っ張ってきたんだよね」「なんてベタな歌詞だろう」「このキスしてる男女が延々映されるPVどうにかならんのか」とかさんざんなことを思っていた記憶があります。当時は別のアーティストに熱狂的になっていたので、そちらと比べて、『幸せな結末』のベタベタな歌詞が、往年の大物ミュージシャン(というイメージ)の時代錯誤的な表象に思えて、残念に感じたものです。
で、それから20年以上が経ち、ご本人は鬼籍に入られ、私は彼の死後にファンになったのだけれど、大瀧さんの特集雑誌を読んでいたら、こんな対談記事がありました。
内田:ご自分の歌詞と松本さんの歌詞だったらどちらが歌いやすいという違いはありますか?
大瀧:それは圧倒的に松本の方が歌いやすいですよ。『幸せな結末』なんか歌えないと思ったもの。「今夜君は僕のもの」なんて死んでも歌いたくなかったんだから(笑)。あれは歌い始めた時にゾッとして、「歌謡曲の人はよくこんな歌詞で歌えるもんだな」と思った。何度やっても歌えなくて、たまたま最後のテイク一回だけ上手くいったけど、「松本にしときゃあよかったなあ」と思ったね(笑)。詞のなかにとっかかりがないのよ。松本の場合はメリハリがあるし、「ここだな」というニヤッとするような聴かせどころがあるから面白いんだけれども、『幸せな結末』はノペッとしたありものの継ぎ接ぎなわけです。しかし、ああいうダサい歌詞の時が一番歌手としての力量が試された。なんとか歌ったけれども、あれを続けるなんていうのは狂気の沙汰だと思ったね(笑)。
すごい言いようです(笑)。自分で作詞したくせに‥と思ったら、一応ラブジェネのスタッフとの共作ということになっています。
つまり何が言いたいかというと、これを読んで自分は嬉しくなったのです。
(誤解のないように言っておきますが、『幸せな結末』は今聴くととてもいい曲で、特にオープニングの重厚感はゾクゾクします。今ではすっかり好きな曲になっています。)
当時の思いの答え合わせが時空を超えてできたことがなんだか嬉しかったので書いてしまいました。
大瀧さんの甘く爽やかな歌声が大好きです。もういないなんて7年経ってもまだ信じられないのです。(涙)
そんな野田に国民最高ー!で(多分)アシストする形になったインディアンスが本戦のネタ以外のMVP。田渕の明るさが素なのが浸透してきて、いつどこで見ても機嫌よく周囲に分け隔てなく接する人の良さが大会を明るくしたと思う。事前PVでハハハと笑った直後に「敗者復活見てろよクソッ」と涙声で建物を出る姿も印象深かった。今回の敗者復活、そしてトップバッターはインディアンスが間違いなく適任だった。
正直この反省会、来年から後回しにしようかなと思ってる。笑い飯や川島、土屋に一人ずつ小藪が振っていく構成なのでディスカッションにはならず広がらない。講評の内容も正直そこまで深くないし。ファイナリストのインタビューも小藪じゃなくてミルクボーイと話してるほうが見たいし、中継のラグもないのに。各組の時間も短すぎて内容薄い。福徳が泣いたり川瀬が死にそうになってた時はめちゃくちゃ面白かったが、今の形式ならもういいや。MVPもなし。
今年はソーシャルディスタンスのためにスタジオなのもあってワイワイ感が少なく、そのぶんガッツリ掘り下げるようなトークが多かったかも。
みんな良かったけど本戦だけでなくその後に漫才の定義いるのかいらんのか問題に巻き込まれてアホの攻撃道具にされた見取り図にお疲れ様の意味でMVPをあげたい。全組漫才ですといち早く宣言したのカッコよかった。
M-1が「4分の中にできるだけ多くのボケを詰め込み終盤に伏線回収とかして盛り上げる漫才」だけを漫才だと定義するような大会だったらここまで人気は出てない。邪道と呼ばれるものを堂々と評価してきたからこそM-1は面白いのだ。そんな妖怪大戦争だった今回のメンツで冷静に戦略を練り淡々とコマを進めたマヂラブが最終的に披露したネタが床を転がり回るっていうカオスなのが最高すぎた。今年は野田脚本による壮大なミュージカルに知らぬ間に全員が巻き込まれてたんだろうな。運命を味方につけるってのは実はこういうことなのかもしれない。本当に凄いものを見せてもらった。
MVPとか偉そうでごめんね。マヂラブおめでとう!
今年もいい大会だった。漫才王が漫才大会で最高の漫才して勝ちました!
ネタの感想は他の人に任せてネタ以外の部分の感想を書きます。最近は平場-1グランプリなんて言葉もあるし平場が注目されてきて嬉しい。
抽選会中継の時間が年々短くなっててボケる隙間がない。今回はとにかく橋本のコメント力がレベル高すぎて参加芸人のほうが食われちゃってた。その中でも無駄に尺を取らず、みんなが待ってるお決まりフレーズできっちり盛り上げたぺこぱが抽選会MVP。
ビッグスモールンですかなんて質問が必要な状況この世にないだろ。
基本的に自分は敗者復活戦に豪華なゲストや派手な演出は不要派で、審査に漏れた奴らが貧民街の娯楽(©さらば森田)で盛り上がってる雰囲気が復活戦の良さだったと思っている。しかし地上波で放映する以上それが無理というなら、せめて力を出し切ってネタできるよう運営は最大限努力する義務がある。やらせる必要がないのに演出のために寒い屋外でやらせてるんだから、音声トラブルや騒音問題は未然に防ぐべき。
今回は全組にきちんとコメント時間取られてて、尺もほぼ平等だったと思う。ワイワイ感は薄れてこじんまりした雰囲気にはなったが、それを超えたカオスを感じさせたランジャタイ国崎が敗者復活戦ネタ以外のMVP。とりあえず国崎に振れば何かしら爆発が起こる状態になってた。それもいかにも用意してきた感のない生き生きとしたボケで見ててワクワクする。いい。
(順不同)
これが一番デカい。ゲーム翻訳、多分プレイしながら訳すわけじゃないので小説とか映画よりもクオリティ低めになることが多くて、インディーゲームみたいなやつだとガチで意味わからんカスみたいな和訳しかないことが多いっぽい(俺はほぼ英語でしかやらんからよくわからないのでつが…w)
Steamのゲームとかに「日本語版が出るのが待たれる」「日本語版が待ち遠しい」とか言ってる奴らを尻目にガンガン英語でやれる喜びっつったらないぜ!
元気がある時とか、英語字幕で映画を見ると普通の字幕で見るよりあきらかに情報量が多い。これ俺には訳せんなあ…と思うジョーク、そもそも訳以前におもしろポイントすらわからないジョーク、とにかくジョークの多いこと!
吹き替えのほうがジョーク拾ってる率が高いので見比べてみると結構おもろい。純粋にここ良いセリフだなと思ったところで日英聞き比べて翻訳の人のセンスに同調したり反発を覚えたりするのも楽しい。
Reddittで海外ドラマとかゲームなんかのチャンネル(?)的なのに入って投稿を眺めてるんだけどこれもなかなか楽しい。グッズを自作する人、ゲーム中の愚痴を投稿する人、新PVにはしゃぐ人…日本とやってることが全然変わらないのがイイ。世界、繋がれるんじゃないか?と錯覚できる。
使えなくていい気がしてきた
【はじめに】
この文章は拡散を目的としているため、注目を集める場所を狙い、こちらで文章を書いています。
内容を大きく変える以外の文言の修正などを行う可能性はあります。
この人は数年前にホームレスの方との交流をネタに炎上して以来、時々チェックしていた。
https://twitter.com/Miyamo_H/status/1325084151142232064
やりたいことをやって失敗して敗北者になって貧乏になって、それゆえに飢えてホームレスになったとしても、それはそれ。
それも一つの生き方。— サンガーノ🔥走る芸術家 (@Miyamo_H) November 7, 2020
やりたいことをやって失敗して敗北者になって貧乏になって、それゆえに飢えてホームレスになったとしても、それはそれ。
あなたと交流のあるホームレスの方は敗北者。PVを稼ぐために彼らを利用したと誤解されても仕方がないのではないか。
そう思い、彼にDMで以下のメッセージを送り反応反応を待ったが、今だ連絡は来ない。
【経過】
「あなたの中でホームレスは敗北者としか受け取れない印象ですが、どの様にお考えでしょうか?」
彼にDMを送信したが、数日待っても返信をもらう事が出来なかった。
もちろんツイートも削除されていない。
同日 10:51
https://twitter.com/Miyamo_H/status/1340112392923934721
本心を打ち明けるのってとても勇気がいる。
だけど、それだけ勇気がいる行為だからこそ価値があるし、意味もあるのだとおもう。— サンガーノ🔥走る芸術家 (@Miyamo_H) December 19, 2020
だけど、それだけ勇気がいる行為だからこそ価値があるし、意味もあるのだとおもう。
このツイートより、既読にもならないが確実にこちらのDMは見ていると考えられる。
ふざけるな。あなたが本心を打ち明ける事と、他者に対する差別発言がどうして許されるのだろうか。
10団体ほど連絡を行ったが、指導を行う活動を行っている団体はなかなかない。
・法テラス
法テラスにから「公益財団法人 東京都人権啓発センター」を紹介してもらう。
現在、書類を作成していて、費用が掛かるのであれば身銭を切る準備はしている。
・勤務先
Uber Eatsは近日中にレイシストと契約を結ぶ企業なのかを質問
普段サンガーノさんはCAMPFIREでファンクラブを作成し、皆様より月5万程の援助を受けている。
自分も他者から援助を受ける側がどうしてこの様な発言を行うのか気になる。
近日中にCAMPFIREにもレイシストを支持する企業団体かを質問します。
【皆様へ】
他にこのレイシストを通報ならびに裁ける団体・機関などがあればお教えください。
自分はいつも友達の間で自虐的にシャレにしているが、生まれた地域は最悪だった。
実家も周りの友達もべらぼうに貧乏どころか間違いない貧困層だし、そのためにいろんな差別を受けた。
家に何もないので辞書しか家になく、そのため漢字だけ強い友達とかそういうエピソードは数えるときりがない。
生存性バイアス?みたいなもので、その環境を知らないとなかなか理解してもらえないが、フランスで問題になってるらしい、文化資本の問題も同様で、生まれながらにして持っている人と、持っていない人との差は人生に大きな影響を与えるし、人間って環境は大きな要素だと実感している。
自分が昔からテレビで観たような、ドラマの中の幸せな家庭は物語なので、都会に出て普通の家庭はテレビとそんなに差が無いを知ったときにに死にたくなった。
このURLからも分かるように、一定数精神疾患をお持ちの方々がいる。
みんな好きでホームレスやっていないし、何度か炊き出しの手伝いをしたことがあるが、結構稼いでいた人とかいるのと、上にも書いたが、人間環境であっという間に大変な事になる。それは自分にももちろん起こりうるし、ホームレスは敗北者じゃない。
ちなみにこれを書いている2020年12月22 7時現在、彼からは何の反応もない。
1.先日もDMしましたが、無視されている様なのでこちらに記載しました。
私が送ったDMを無視し、ツイートも削除されない理由をお教えください。
2.ツイートの
Jennifer Lopez - Papi (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=6XbIuSLaCnk
よきです
新サクラ大戦が発売されてから一年が経った。発売日に買ったゲームのパッケージは、封を切られることなく本棚の中で埃を被っている。
私は15年近くサクラ大戦のファンを続けている。いや、続けて「いた」と言っていいかもしれない。2006年にPSPで発売されたサクラ大戦1&2にドはまりし、ドリキャスとPS2を買って3,4,5をプレイした。一日の受験勉強を終えた後、深夜0時~3時までドリキャスを起動し、3時間だけ睡眠を取って学校と塾へ行き、帰ってからまたサクラをやる。大学受験という過酷な生活の中で、サクラだけが生きがいであった。
ゲームをプレイした自分は次々に派生作品へと手を伸ばしていった。OVAと旧アニメ、活動写真を鑑賞し、小説と漫画を買い漁り、CDを聞いて武道館ライブにも足を運んだ。あらゆる公式作品では飽き足らずに、ネットに転がっている二次小説を片っ端からガラケーで読んだ。サクラにはまって宝塚も鑑賞した。私にとってサクラとは、自分の青春を賭けたコンテンツであったのだ。
サクラに熱を挙げていた私とは裏腹に、サクラ自体にはほとんど進展がなかった。Vの発売以降も定期的なショウは開かれていたものの、公式的な動きはパチンコや他ゲーとのコラボ程度であり、ジャンルを前進させるコンテンツ――本編の続編は止まっていたに等しかった。1年、また1年と歳月が流れるにつれ、私も他のジャンルに手を広げていく。サクラは依然として好きであったが、あくまで懐かしい思い出の中の1つという立ち位置になっていった。
しかし、2018年4月のセガフェスでついにその瞬間が訪れる。
「新サクラ大戦始動」――太正29年の帝都東京を舞台に新しい花組が復活する。Vから13年経ってのナンバリング続編が満を持して発表されたのだ。
あの瞬間の興奮を今でも覚えている。アパートを着の身着のまま飛び出し、家の前の川沿いを下流のほうへ歩いては折り返し上流のほうへ歩いてはまた折り返し、何度も何度もあてどなく歩き続けた。頭の中に溢れて来る激情が身体をじっとさせてくれなかった。
私がサクラ大戦を初めてプレイした時は、すでに当時のシリーズ最終作であったVが発売されていた。私にとってサクラ大戦は出会った瞬間から最終回であり、ずっとナンバリングの続編を望まれながらも、決して叶うことはない幻のゲームであった。
それが、ついに、叶う。サクラの続編を遊べる日が来るなんて、本当に夢だと思った。忘れかけていた青春時代の熱狂と興奮が心をかき乱す。たまらずに開いたTwitterのタイムラインは狂乱の渦に包まれていた。
2019年3月末、セガフェスにてサクラ大戦の続報が発表される。メインキャラクターデザインを久保帯人氏が、ストーリーをイシイジロウ氏が、そして音楽を田中公平氏が手掛ける。檄帝にコーラス等のアレンジを加えたメインテーマは、今までのイメージを踏襲しながらも新しい風を吹き込もうとしている。私の心は歓喜と期待に溢れていた。Twitterでは友人がPVを見て考察を巡らせていた。発売日は2019年12月12日――もう一度あの世界が味わえると思うと自然と気持ちが昂った。
同年の6月から、「帝劇宣伝部通信」というコーナーがセガのyoutubeチャンネルで始まった。公式が新規情報を発売日まで随時公開していく番組である。プレイ動画、キャラクター、世界各地の華撃団の紹介、グッズとメディア展開など、様々な情報が発信されていく。
私はそれらを欠かさずにチェックしていった。しかしながら、一か月、また一か月とカレンダーをめくるにつれ、自分の心の中には言い知れない不安のような影がよぎっていった。
「果たしてセガは、サクラ大戦を未来へと続く作品にできるのだろうか?」
今の時代、美少女たちと触れ合えるゲームはそこらに無料で溢れている。歌う少女も戦う乙女も、20年前とは比べ物にならないほど多くなった。群雄割拠のゲーム業界でサクラというジャンルは生き残ることができるのだろうか?
サクラ大戦は時代とともにあった。当時のアドベンチャーゲーム、ありていに言えばギャルゲーの中で、サクラは独特の地位を占めていた。歌劇とスチームパンクの融合、セガサターンという機種だからこそできた恋愛ゲームの一般向け展開――あの頃のサクラを不動の地位に置いていたものと言えば、新規性と物珍しさによって時代を先取りしたコンテンツ力であったことは疑いない。
しかし、時代は変わった。ゲームは何でもアリになった。アイドル物のゲームが世間一般にまで浸透するとともに、きちんと遊べるゲーム性を核としてギャルゲーさながらの恋愛要素を取り入れる作品はいくつもリリースされている。
サクラ大戦は初代から24年の歳月を経た。その年月は時代性という重りになってサクラ大戦にのしかかっている。
気づけばそう問いかけていた。プレイ映像が公開されていくにしたがって、自分の中の情熱が冷静なものに変わっていくのが分かった。
そして2019年12月12日、私のもとにAmazonからパッケージが届いた。そのときは仕事が忙しく、届いてから3日ほどやる時間が取れなかった。
極力ネタバレは控えていたものの、つい気になってTwitterを覗いてしまった。
そこには、「熱」がなかった。
新作発表、主題歌公開のときに賑わいのあったタイムラインは嘘のように静かであった。ストーリーに言及するどころか、面白さやつまらなさを語る人もいない。ぽつぽつと流れる呟きは、まるで腫物に触るような言葉の数々であった。
好きの反対は嫌いではなく無関心である。本当に面白いコンテンツであれば、人々は誰に先導されるでもなく自然と語り始める。それはネタバレであれ考察であれ妄想であれ、大きな熱となりジャンルを強く後押ししていく。しかし今は、その熱がどこにも見えなかった。栄華を極めたかつてのコンテンツを前にして、友人たちは出来の是非を問うこともなく、ただ当たり障りのないことを呟くばかりであった。
――ああ、そういうことなんだ――
その様子を見た私の心の中に、言い知れないほどの寂しさが襲った。それは悲しみや怒りといったハートを揺れ動かす激情ではなく、まるで亡くなった親友を前にした時のような、涙も出ない喪失感であった。
私はそれを見て、新サクラ大戦を遊ぶことを止めた。プレイしたらそこで終わりになってしまう。20年以上続いたシリーズの行く末を見届けてしまえば、「いつか続編が発売されたらいいなあ」と心を躍らせることもできなくなってしまう。
「ああ、こんなもんだったよなあ」という気持ちで終わらせることが嫌だった。ゲームの面白さに興奮することも出来の悪さに嘆くこともなく、ただただ現状を受け入れて観念することがたまらないぐらい恐ろしく感じた。
こうして私は、サクラ大戦というシリーズを思い出のまま取って置こうと決めた。私にとってサクラ大戦は、続編を望まれながらも決して作られない希望のゲームである。あのころのノスタルジーを終わらせもせず続かせもせず、優しい思い出のままそっとしておこうと心に決意した。
そんな私とは対照的に、漫画、テレビアニメ、舞台と、次々にメディア展開が進められていく。ユーザーとの熱量の違いは目に見えており、ゲームの中古価格がそれを如実に表していた。
そして2020年12月15日、新サクラ大戦から約1年後、ゲームアプリ「サクラ革命」がリリースされた。開発はソシャゲ業界最大手のFGOを手掛けるディライトワークス。リリース初日にも関わらず、タイムラインでは話題にすら挙がっていない。PVを見て考察を巡らせていた友人は、FGOのカルナサンタに熱を上げていた。
もう、誰もいなくなっていた。
そして私はまだ、「新サクラ大戦」をプレイできていない。15年前の思い出にずっと閉じこもり、夢の続きを見ることを拒否しているのだ。
もうすぐで人生に終わりがやってくるかなぁ、という状況でちょっと人生振り返ってみた。
収入は運よく世間の平均以上は貰っていたので、そんなにお金で困ったことは無かった。
趣味と聞かれれば読書と答えた。実際幾人かの著者の本が好きだった。
人と群れるのが好きではなかったので、読書が個人的に最適な趣味でもあった。
読書以外は昔はブログを書いていたこともあったかな。面倒になって突発的に閉鎖したけど、月に100万PVは超えていたのでそこそこ小銭は稼げた。
ブログを介して色々な人にも会ったかな、そういえば。本名ではない人の名刺が結構あったような気がする。さすがに使わないのでだいぶ昔に捨てたけど。
そういえば自分も本名ではなかったな。だからたぶん実際の私の事を知っている人はほぼいないかな、と。
仕事は10回以上は転職したかな。仕事の人間関係より自分の積みたい経験や収入だけを見て動いてきたかな、なんとなく。
体は若いころにたくさん運動をしていたので年を重ねても全く大病を患わず、同年代の人と比べても体力的にはちょっとだけ有利だった。
さて、年をそれなりに重ね、時間的にゆとりが出てきたものの何かやってみたいものが見当たらない。
思えば色々と経験してきたが、そもそもそんなに熱中していたものが見当たらない。好きなものはあるが、深く好きになれるものがない。
これは性格的なものなのかもしれないが、いままで本気で夢中になって遊んだり仕事をしたり恋したりしたことがない。そんなものが見当たらない。
全て今までそこそこ無難にこなしてしまったが故の結果かな、と。
いま何故こんなどうでも良いことを書いているかというと、自分の半生を振り返り、文章を書いてみたら少しは熱中出来るかな、と思ったのだが、
健康で大病を患ったことはなかったのだが、今回はたぶんダメだろう。
人生とは虚無だ。だから何かに熱中して生きている人・楽しんでいる人はぜひその感じで生きて欲しい。
駄文失礼。
8年間ずっと子供部屋おじさんをやっているベテランの子供部屋おじさんがいる。
最近むきだしのバットを持って深夜に徘徊し、コンビニにもむき出しのバットを持って入店した結果、通報されて警察に連行されていた。それをわざわざtogetterでセルフまとめして叩かれていた。叩かれた後のツイートにも反省の色が見られずなかば無敵の人と化している。また最近は本垢と別にサブ垢を作り、サブ垢でつぶやいたことを本垢で褒めたり本垢のつぶやきをサブ垢で引用リツイートするなど、一人脳内お人形ごっこをするようになっている。はた目から見ると完全に精神を病んでいる。
ベテラン子供部屋おじさんは以前はブログをやっておりはてなではちょっと名の知られた存在であると自称していたが今年は3月以降11記事しか更新がない実質更新停止状態になっている。togetterでセルフまとめでマンガ紹介をやっていたがこれも6月以降ほぼ更新なし。たまに更新しても異常者扱いされるだけになっている。最近はエロブログをやっているらしいがほとんどの記事はPV数が50から100程度しかなく反応は皆無。インターネットにしか居場所がない子供部屋おじさんはインターネットでもつながりを絶たれてしまいリアルだけでなくネットでも子供部屋おじさんになってしまった。
だんだんと思考のゆがみが大きくなり、インターネットでも他人とまともにコミュニケーションができなくなりいよいよ末期症状。twitterのTLを見ても1か月近く他者とのリプライのやり取りが全くなく、誰ともつながっていない孤立状態。ひたすら野球実況をしているだけで1か月ほぼ誰ともしゃべっておらず、会話に飢えすぎた結果ついに自分と自分で会話することに。
そんな人間でも第二の低能先生のように他者を罵倒して回る人にならず、自分と自分で会話をすることで自我を維持。承認欲求に飢えていたとはいえ。年がら年中他者を罵倒しついには殺人を犯した低能先生はやはり極悪な人間であり同情の余地は一切ない。
ガイナックス、つまり庵野秀明とかのオタクが宇宙戦艦ヤマト世代だったはず
コミケで女性が森雪とかうる星やつらのラムのコスプレをするようになったのもあの世代の気がする
自分の中でもオタクというのはDAICONフィルムのようなイメージがあった
つまり、エンタープライズ号とか、宇宙の戦士とか、カニみたいな金星人とか、ゴジラやガメラ、ウルトラマン、ダースベイダー、ストームトルーパーとかだった
自分は小学校時代は周囲がジャンプを読む中、ホビージャパンや朝日ソノラマの宇宙船、ファンゴリアを読むのが楽しみだった
そういえば、マイ・ケミカル・ロマンスの「I'm not Okay」のPVはそんな出だしだった気がする
https://www.youtube.com/watch?v=dhZTNgAs4Fc
あー、トラウマが蘇るなあw
あれをチャンスだと宅八郎が考えたのは間違いないと思う
後に暴露されているように、宮崎勤の部屋にあったポルノ雑誌は記者が部屋の奥から探し出して見える位置に置いたものだった
スナッフネタもあるギニーピッグは宮崎勤以外にも多くの人がレンタルビデオで借りるなどして観ていたはずであるが、宮崎勤事件以降同様のケースを聞かない
また、ギニーピッグには多くの比較的知名度のある芸能人や俳優が出演していた
今で言うなら、怪談新耳袋や本当にあった怖い話、世にも奇妙な物語、トリハダなどの類である
そもそも、宮崎勤はそんなにホラーやスプラッターが好きだったわけでもないようだ
テレビでは宮崎勤の部屋にあったウルトラマンの切断技のシーンだけを集めたビデオを取り上げ、ウルトラマンの切断技が猟奇趣味に繋がったと煽り立てた
当時はインターネットなど存在するはずもなく、映像マニアは郵送でVHSのビデオを交換し、ダビングし合っていた
宮崎勤はポルノやウルトラマン、猟奇趣味というより、映像の収集に執着していたようである
つまり、部屋中に敷き詰められたビデオはほとんど観ていなかったとさえ考えられる
全巻そろえることが目的であって、読むことが目的ではないようなものである
ドラマなどの全話収集を目的に執拗にダビングを要求してくるくせに、宮崎からはネタを提供しなかったからである
また、宮崎はコミケに参加していたが、それは当時はワープロもなかったため代行で文字を清書する担当があったからである
ここまで書いてみても、自分の中のオタク像と宮崎勤はあまり被らない
何をオタクと定義するかによるが、鉄道オタクとか広く考えるなら彼は映像収集オタクではあったのだろう
小林よしのりが公開討論を断っているように、宅八郎は売名行為にいつも必死だった気がする
彼はブラウン管の向こうの視聴者が観たいキモいオタクを演じることを考えた
それがマジックハンドや紙袋を持ち、森高千里のフィギュアを持ち歩いては舐め回すオタク像だった
学校では漫画やアニメが趣味というだけでDQNに後ろから蹴られるようなことが起こった
今になって自分以外にも被害者が全国に大勢いるということは、それだけメディアの影響は大きかったのだろう
宇宙戦艦ヤマトやうる星やつらがそういったブームをもたらした一因であることは否定できない
ヤマトやうる星がなければガンダムもイデオンもマクロスもない、エヴァだって今はなかっただろう
ヤマトや高橋留美子作品だって、元々は手塚治虫だったり、その元々は田河水泡ののらくろだったりする
しかし、Aは駄目、とルールを決めるとき、A#やAbはどうなのか?A'はどうなのか?
それから、Aが駄目ならBやCも駄目になるし、Cが駄目ならDもEも駄目になるんだけどいいの?ということはよくあるわけだ
その線引きや人権との兼ね合いはこれからも人類が滅びるまで永遠に議論されるべきテーマなのだろう
逆に言うなら、今すぐ答えが出るようなものでもないし、拙速に求めていいものでもない
これからもエンターテイメント作品等とそれに対する規制は永遠に議論されるべきであり、文系的には文化の研究にもなる話と思われる
マクロスのプロトカルチャーだのデカルチャーだのではないが、思想や宗教が異なる者同士の交流は異文化交流と言えるだろう
個人的に思うに、宅八郎はそういった文化の衝突を売名行為に利用し、議論の余地をぶち壊すことを扇動した人物だった
オタク評論家と称している割に、教条主義が嫌いと誤魔化して、エンターテイメント作品に対する知識も浅く、オタクにしては薄っぺらい印象があった
というか、当の本人も売名のためにオタク評論家を名乗っているだけで、オタク文化自体にはあまり興味がなかったように思える
それより、YMOは単なるインテリであり、ヒカシューやプラスチックスをテクノ歌謡と持ち上げるとかの方にご執心だったようだ
YMOのメンバーの学歴から考えればそう感じてもおかしくない気もする
しかし、宅八郎はそういったコンプレックスよりも、とにかく天邪鬼なことを言って目立ちたい、売名したいが優先している嫌いがある
公開処刑だのストーカーだのオウム擁護だのも、とにかく逆張りで目立ちたい、他人のひんしゅくを買って目立ちたい気が満々だったようにしか思えない
ひどい旦那と離婚して貧乏暮らしをしている中年女性の日記を見た。7年前から毎日更新しているので月間PVを調べてみたら15万PVもあった。ところがそれだけのPVがあるのに月の収入は25000円だという。
この人は広告の選び方を間違えていると思う。15PVあれば月10万は余裕でいける。そのことを教えてやりたいがコメント欄もメールもTwitterもやっていないため連絡が取れない。
偏見かもしれないけど、男性は下品な事を言ってもあまりおかしくないという印象がある。
「孕ませたい」とか「ぶち犯すぞ」とか「素直に射精です」とか、流石にそれはちょっと…と思うような物も多い。
女性は、あまりそういうストレートな言い方は好まない傾向にあると思う。
それは女性に性的な欲求がないという事ともまた違って、何て言うか、そういう表現を好まない人は結構居ると思う。
恋愛物のドラマとか幾らロマンティックに描いても「結局この人達ヤってるだけじゃん」とか言うのは簡単だけども
この二人の交わりは美しくあれ…美しい物であってくれ…と思うじゃないですか、いや別に直球でえろえろでも良いけど…
最近だと男性向けエロの文化に触れて育って女性向けのエロでも男性向けっぽい描写を好む人が増えてると聞いたけど
それでもまだ亜種というか「女性向けで男性向けっぽい描写をやってる」という段階であって、女性向けエロの主流にはなっていないと信じてる。
「子宮が疼く」とか「受精しそう」とか言ってる人を見かけてビックリしました。「え、何言ってるのこの人?」ってなりました。
まああくまでネットのブログ上での話だから厳密には「言ってる」じゃなくて「書いてる」なんだろうけど。
その人は外国の歌手が歌っている曲の歌詞を独自に和訳するのが趣味らしくて、ある歌手について調べてたらそのブログにヒットしました。
まあ曲の雰囲気からして妖しくエロティックな曲だったから歌詞も多分大分エロいんだろうな…とドキドキしながらページを開いたらいきなりの子宮宣言。
えぇ…ってなるよそりゃあ…分かりやすいけど表現があんまりに直球すぎるもんよ…
まあその曲めっちゃエロティックな雰囲気だし言わんとせん事は分かるよ、エロい曲なんだから聴いててエロい気分になるのはファンとして自然だとさえ思う。
PVも薄着だし体を絡ませるようなダンスだしエロいよ、その歌手も顔良し声良しスタイル良しダンスめっちゃ上手い!って人だしエロいし好きだよ。
でもさぁ…もっとこう…表現のしようがあったんじゃないかなあ…ってモヤモヤする…まあこっちは無料でブログを読ませてもらってる身だから何も言えないけど。
女性に慎みを、とか言うと古臭いし抑圧的な感じで好きじゃないけど、あまりに性的な表現にオープンな人を見てもそれはそれで困惑するんだなぁ…と思った。
と思ってふとあるSNSで「子宮が疼く」で検索したらかなりの数の女性が「子宮が疼く」言ってた。何かもう皆性にオープンな感じなんだなと思った。終わり。
PV稼ぎ乙とか便乗タヒねとか嘘松とかもうなんでもいい。疲れた。吐き散らしたかっただけ。
これを書いた私はCOVID-19の病棟医だ。日々増える患者数に目を回し、文字通り命を削っている。こんなご時世になるまではよく遊ぶオタクだった。
COVID-19の猛威は止まることを知らない。
感染者数は増え続けるし、なのに人類は出歩くし、私達は制約をかけられながら暮らしている。
通勤以外の外出禁止。県をまたぐときは事前申告で許可が下りたら行ってよし。家族に移すといけないからシャワーを浴びずには帰れない。そもそも家に帰れない。子供の小遣いに毛が生えたような手当をもらって、最前線に立たされている。
もちろん読んでる。時間が許せば当直室のテレビで背徳感を感じながらリアタイ視聴したりもする。
私の推しの話をしたい。彼の名は夏油傑という。額に縫合糸ついてる方じゃなくて、中身まで本人の方。
かわいそうなほどに生真面目で、なのに人間の醜さを受け止められるほど大人じゃなかった哀れな子。強者の義務だと言い聞かせてきたがある日耐えられずにほの力を醜い弱者に振るって皆殺しにしてしまう。かいつまんで言えばそんな子。詳しいことは単行本の8巻あたりを読んできて。
私の末路に彼を見た。
コロナ禍に話を戻そう。
私の置かれた状況は冒頭に書いたとおりだ。私の命を削って、無責任に不要不急に出歩いてはCOVID-19を拾ってくる人類を救命している。仕事以外のほぼ全てに不可をつけられた私達が、それを謳歌する人類のために力を振るう。そんな滅私奉公が当たり前のようにのさばっている。
あれ、一緒じゃん。
私はあんなにイカれてない。あの日の少年より10歳以上歳食ってるだけのことはあるかも知れない。医療者ぜんぶ仲間みたいなおめでたいおつむもしてないし、まだなんとか醜さを受け止めて立っている。
でも。
病魔を払う私達は、屍になってまで平穏を届けないといけないのか。
幸い私の身の回りではCOVID-19で死んだ医療者はいない。けど時間の問題だと思う。現に世界では犠牲者も少なからず出ているわけで、たまたま見かけてないのは運がいいだけかな。
防御服があったって罹る時は罹る。大量のエアロゾルを浴びながら挿管して人工呼吸器を回すのなんて、ほんとは誰もやりたくない。そもそも訳のわからないものは医師だろうがなんだろうが怖い。
なんで私はこんな目に。やめたいとも思ったし、目の前の患者が、出歩く一般人が、憎いと思ったこともある。無責任な一般市民を見下す私がここにいる。
そういう仕事を選んだのは私だし、新興感染症と戦うのはいつか向き合わないといけないお題目だ。けど。もう疲れた。
出なくていいなら家で過ごしててくれればいいものを。