はてなキーワード: 苦痛とは
毎月股から血が出る人間としては尻を乗っけられる状態じゃないと色々作業が出来ないので洋式一択なんだよなぁ。
「死にたい死にたい言ってる人に限って死なない」ってよく言われるけれど
何を根拠にそう言うんだろうか?
確か神田沙也加さんも生前、死にたい死にたいって言ってなかったっけ?
それに、仮に本当に「死にたい死にたい言ってる人に限って死なない」のだとしても
父と母、それぞれ家にトイレが1つしか無くて苦痛を経験→祖父母による実家リフォームの際にトイレを2つ設置して大満足
うちは珍しく(?)相談するまでもなくトイレは絶対に2つという新築を建ててたよ。
他の親戚、友達の家にいってもそんな間取りないから特殊なんだろうなと思いつつ、うちではこれが当たり前。
うーん、「(特に思春期〜青年期は)不随意に耐え難い性欲が発生するので一定期間ごとに処理しなくてはならない」と「不随意に腹痛が発生するので一定期間痛み止め飲んで寝なきゃならない」のが同じ、というならなんかわかるかな、定期的に自然発生するままならない不都合に都度対処しないとならないという意味で。
中学1年生の頃に自律神経がぶっ壊れて中学はほぼ不登校、高校はド底辺中退からの通信
大学は興味のある映像やCGを学ぶために関東のど田舎(笑)から東京まで片道2時間かけて通っているが、本当に毎日つまらないし苦痛
去年はきちんと通って課題制作していたが、いつからか偏頭痛と不眠が復活
冬休みになんとか立て直し、心機一転頑張るぞと意気込んだものの進級後1か月で「もう辞めてぇ」と撃沈
来年からは就活、再来年は卒業制作が待っているが、みんなおんなじ格好して心にも思っていない茶番を繰り広げる就活なんざまっぴらごめんだし、1年もかけてなんか作るとか絶対無理だしやりたくない
2年前期で履修した科目は17単位、取れる予定なのは2単位つまり1科目
なんかもう駄目だわこれ
過去にまぐれで何人か付き合った女性はいたが半年以上長続きしなかった。かといって女が途絶えたことはない、というわけではなく途絶えまくった。
半年やったけど全く出会えなかった。それぐらいにはブサメンである。
マッチングしたけど詐欺っぽいのが多かった。2人だけ、女性と出会えた。恋人というよりいい友達になった。
Omiai、ゼクシィ縁結びなどはフリーで試した。もちろん何もなかった。ギガと時間の無駄だった。
結婚相談所に入るにはそれなりのお金がいる。だからそれなりに検討した。実際に店舗に足を運んで話を聞いたのは以下の3つ。
安さが魅力ではある。検討した3つの中で一番安い。しかし、アプリ主体でやっていくのでこれまで失敗したマッチングアプリとほぼ同じではと思ったら支社でしか見られない写真検索という謎システムもあったりする。結局はルックス勝負の世界。アドバイザーの仲介なしで申し込むので、申し込みに対する相手からの可否についての回答は早いと思う。あとでわかったが、月6件の紹介と月8件申し込みは実は少ない。なお一番営業が激しい。つい最近までメールが来ていた。
値段は検討した3つの中で真ん中。コンシェルジュコースの月6人紹介、5人申し込み可というのはやっぱり少ない。営業は激しくない。ときどきメールが来ていたが、脈なしと分かったのか早々に来なくなった。
検討した3つの中で一番高い。その分、社員教育もしっかりしているのか、説明と質問の受け答えもしっかりして安心感が持てた。実は最初から本命だった。ほかの婚活サービスとの違いは手厚いサポートと日本一を誇る会員数。必ずカウンセラーと呼ばれるアドバイザーの仲介を経てお見合いを設定してくれる。ほかの相談所とIBJメンバーズの違いは、ほかの相談所はIBJのサービスを使っているので、直営のほうが強気で出られる、ということだった。最初は少しお高めのコースにしようかと思ったが、安めのコースでもいいと思いますよ、と言われたので言われるがままにそうした。それぐらいに余裕を持った営業をしてくれる。1年で8割の会員が入れ替わるらしい。あと、成婚費用が一番高い。裏を返せば成婚費用が企業側の大きなインセンティブになっているといえる。
婚活話はいろいろなところで書き散らされているので、それを参考にしていただいたらおおよそ間違いない。仲人Mさんも結婚物語。のTさんも書いていることはやや誇張されていても間違ってはいない。
IBJメンバーズはコースにもよるが月にだいたい15人から25人前後申し込める。5ちゃんにも書いてあるデータは体感的にも正しくて、俺レベルの男だとスーツを着てちゃんとした写真館で撮った写真を使っていても20人申し込んで1人か2人にOKがもらえる程度だった。大体同世代か少し下に申し込んでいた。20代に申し込むという神風特攻隊みたいなことはしなかった。1人の申し込み枠が大体500円だと考えると真剣に、慎重になる。
9か月でだいたい100人に申し込み、20人くらいから申し込まれた。初回のお見合いまで行った人が40人弱ぐらい。そのうち次のステップである仮交際に行けたのは15人ほどだった。こちらから断ったのは初回のお茶の段階では3人、仮交際では2人。あとの30人ぐらいからはお断りされた。
話が盛り上がらないのは心地よいと感じられるときもあるみたいで、断ったらそういう風に伝えられたこともあった。一方、話が盛り上がらなかったけど「次回もお会いしたいです」といって笑顔で「はい、ぜひ!」と言われた数時間後にお断りが来て、数日後にはその人のステータスが真剣交際になっていたときは正直へこんだ。
場所と時間はカウンセラーに指定される。15分以上連絡なしで遅れたらペナルティ2万円。交通機関が乱れても問答無用で2万円。さすがに遅れたことはなかった。お茶代は男性が出すように言われる。1杯千円ぐらいのコーヒーを飲むので正直大変。お見合いが2件入った日などは午前と午後に千円のコーヒーを飲んで、お昼ご飯はサイゼリヤで食べていた。
お見合いから仮交際に行けるのは5ちゃん情報だと3割程度らしいが、たぶん5割ぐらいの確率で進めたと思う。
IBJのアプリではお見合いから仮交際、真剣交際になっても毎回デートの報告をすることになっている。アプリを介してお断りもできるので気軽さはある。仮交際は3回続けると真剣交際に行くかどうか聞かれる。最高で7回デートした人もいたが、結局フラれた。今の婚約者とは、彼女のほうから3回目のデートで真剣交際を申し込んでくれた。
仮交際中もデート代は全部支払った。ドライブデートは合わない人とは苦痛だが、合う人とは楽しいのでやってみる価値はある。お金はかかるけど。レンタカーにせず、タイムズカーシェアを使った。
仮交際から真剣交際に行けるのは2割程度らしいが、全然いけなかった。ここが女友達が多くても彼女ができない理由に通じるんだと思う。
真剣交際から成婚退会する確率も2割ぐらいらしいが、幸い1人で退会できたのでよくわからない。しかしデート代は全部払った。
デート代を支払うのはカウンセラーのアドバイスに従った。モースの『贈与論』を読むまでもなく、支払われたほうはなんとなく「負担」を感じる。それがちょっとしたプレゼントで返ってきたりして、お互いの関係が深まるきっかけになる。その点、懐は痛むが割り勘よりは可能性はある、と思う。
入会費(20万)、月会費、成婚退会費(20万)と交際費を含めると100万円ぐらいはかかっていると思う。
ドライブデートとかしていたので毎月のカードの明細は交際費だけで10万円近く行っていた。正直きつかった。
祝言を挙げるまでにはいろいろある。ご挨拶、結納・両家顔合わせ、引っ越し、入籍etc…。
「1メートルは一命取る」という標語が、安全衛生の世界にはある。1メートルという高さでも死亡事故につながるというもので、安全に対する意識付けを図るための標語である。そして私は、現実に「1メートルで一命取られてしまった事故」の事案に関わることがあった。
会社は金属部品の塗装加工を行っており、人数も10名未満の小規模なところだった。現場の状況把握のために、測量や写真撮影などを行う必要があったのだが、急に降りだした大粒の雨のなか実況見分を行うのは、正直苦痛でしかなかった。とりあえず、写真だけは撮ってしまいたいと考え、外に出ることにした。
事務室内から外階段に出ようとすると、雨が急に小ぶりになり、事故が起きたという道路前に着いた時には、完全にやんでしまった。普段は、霊とかそういうことには無頓着な私だったが、何か亡くなった方の意思を感じるような、非常に不思議な気持ちになってしまった。
実況見分を開始すると告げて、事故を再現させた。事故そのものは、塗装を終えた約200キロの金属製のフレームのような製品を、フォークリフトで4トントラックの荷台に積み込んだ後、固定する位置をずらすために、荷台の上で数名がかりで荷を回転させながら前方にずらしていたところ、被災者が荷の回転とともに荷台の端から後ろ向きに墜落し、アスファルトの地面に頭を強打したというものだった。荷台から地面までの高さが、ちょうど1メートル。たった1メートルであった。
これまで、何十メートルから落下して死亡したとか、十数メートルの高さから落ちたのになんとか助かったなど、墜落事故を数多く調査してきたが、この高さの死亡事故は初めてだった。
なぜこの高さで死ななければいけなかったか、こんな事故は許せないという気持ちが、心の奥底から湧きあがってくる自分がわかった。雨がぴたりとやんだことで、そういう心理状態になってしまったのかもしれなかったが、とことん事故の原因と責任を追及してあげなければ......という思いを強くした。
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO2843400022032018000000
どんな化粧しても、とてもすごく不細工であることは変わらないし、
どんな服を着ても、微妙に着られてる感がやばくて何を着てもまったく似合わないし、
友人は淡い色の服が似合うととか、スカートにしたらとか、リボンついてるのにしてみたらとか言ってくれるけど、
試しにそれっぽいのをセレクトしてきてみたけど、鏡には無理したクソアホらしい道化が映っただけだった。ゲンナリした。
淡い色も、スカートも、リボンも、可愛かったり美人だったりする女の人にしか許されないアイテムだと思う。
自分にはジーンズに黒Tが一番しっくりくるけど、結婚式披露宴の参列とか、フォーマルな場には流石にそれではいけない。
そういうとき用に、なんとか見繕った濃いめの紺色のワンピースを1着だけ持っているけど、袖を通して鏡を見るたびに背筋に悪寒が走る。布から太い手足が生えてる。キモ。こんな醜い生き物が会場に来てすみませんという気持ちで縮こまって指定された席に座って、なんとかやり過ごした。
服選びとか周りのみんなは楽しそうにしているけどなんでだろう。
ブスにとってこんなに苦痛なことはない。
反出生主義の主張を読むのにハマっている。
どう考えてもそっち側に行くことはないけど、反論が難しいってところに引かれてるんだと思う。
実際彼らは「人にやさしく」を大義名分に日々各方面に暴言を吐きまくっていて、彼らの言うところの「この世には不幸がたくさんある」を自身で実行している。
所謂「過激派」には私と同世代かちょい上の女性が多い気がする。私だって親と上手くいってない時期もあったしつらいこともたくさんあったけど、不幸が0じゃないとダメってどこから世界を眺めてるんだろう?と思う。
現実的な話だと、人が居なけりゃインフラも崩壊していくよね。もちろん機械化自動化が進んで技術も発展するだろうけど、システムを管理するのには人間が必要なんだし歳食って動けなくなれば誰かの助けなしじゃまともに生きていけない。自分らが未来の子孫のために体張って犠牲になるのでいいです?それに巻き込まれる同世代の反出生じゃない方のことも考えてください。そんなに長生きしない?じゃあその苦痛は他人に押し付けるだけなんですね。ほら結局優しくないじゃん。優しいのは自分と、これから生まれさせられる子供にだけじゃん。
そもそもどれだけ叫ぼうが皆が出生をいっせいにやめるなんてありえないんだから、単純に生むな!!は違うよね。優生思想っぽくなるけど反出生の主張を聞いて「やめとくか…」と思う層は恐らくそこそこの家庭環境の人だと思うよ。ヤンキーがそんな主張に触れるわけないし。
反出生主義を叫ぶ方々(特に過激派)、産まなければ解決って思ってるのが片腹痛い。現実と照らし合わせてもう少し違うアプローチをしたほうがいいんじゃない?
ここ数日彼らの主張を読むのが楽しくてTwitterに浸かってたけどそろそろ試験も近いしこれで一旦読むのを止めよう…その区切りとして書きました。みんな人生がんばっていこうね
5年前、ある人を好きになりました。
それで告白したけど、振られました。
それから5年間、ずっとその人のことを好きなままです。
これは病気ですか?
ここ5年間、ずっと会ってないし連絡も取れていません。
会ってもないし好かれてもいない人をずっと思い続けるのは病気でしょうか?
このままその人のことを一生好きなままでいる気がします。
私がこの世を去るまで、その人のことを思い続ける気がします。
でもやめられません。
特に異常はないと言われました。
この5年間どんな人と会っても心が惹かれません。
半分諦めています。
でもいつか必ず振り向いてくれる、そんな気持ちになってしまいます。
ずっと会っていないのに。
でもやっぱり好きなんです。
いつか会える日が来るばず、だからその日までがんばれるって思ってしまうんです。
やっぱりこれって病気でしょうか?
やりたいことはないが、このままだと給料が上がらないので、それはなんとしてでも避けたい。
しかしやりたくもないことで給料もらっても長続きしないし、なにより自分自身が苦痛。
どう転んでも地獄だなぁと思うとつらい。
俺は疲れました。
中産階級の家庭に生まれて、食べ物や着る服に困ったことはありません。受験のための塾代や、その結果通うことになった私学の高い学費も親が全部出してくれました。
両親も祖父母もまともで、どちらかと言えば教養に富んだ人達です。暴力を振るわれたりなんて、1度もありません。ああ、それはちょっと嘘でした。一度だけ、ピアノの練習に飽きてしまいピアノの前で寝そべりながらただをこねる俺の頬を父が引っぱたいたことがあります。でもそれだけです。暴力を肯定するわけではありませんが、家庭内の躾の範疇に収まる話だと思っています。
友人も、友人と言っていいのか分からないけど、俺が一方的に友人と思っている人物も好人物ばかりで、俺みたいなのに声をかけてオンラインゲームやカラオケに誘ってくれます。
多分、俺みたいな生活すら出来なくて苦しんでる人達は沢山いるのでしょう。アフリカの恵まれない子供たちでなくとも、この日本にはきっと俺より苦しんでる人がいます。
ニュースでも見ました。親が宗教にハマっていたり、DVに晒されていたり、奨学金の返済に苦しんでいたり、日々暮らすだけの食い扶持にすら苦労している人がいるそうですね。
すごく可哀想だと思います。なにかしてあげたいけれど、何ができるかよく分かりません。
俺は大学生で、そこまで金を持っていません。ボランティア活動もどうやったらいいか分かりません。コミュニケーション能力が低いので、あまり人と関わるのを避けて生きてました。人を喜ばせたいと思っても、慰めたいと思っても、なんて言えばいいのか分かりません。人と話せはするのですが、自分でもよく分からないタイミングで言葉に詰まってしまうことが多々あります。言葉を紡ぐのは嫌いじゃないんです。日記を書くのは楽しいです。でも瞬発力がないので、テニスのラリーと同じくらい会話が下手くそで、いつしか苦痛になっていました。そんな人間なので、ボランティア活動みたいな崇高なものには手を出さず、バイトで稼いだ金を思い出したように募金するのが精一杯です。
よく分からないけれど、俺がコンビニで募金箱に入れる釣り銭がなにかの役に立っていたらいいなと思います。
俺は疲れました。
将来は何がしたいの?
そう聞かれる度に俺は真綿で首を絞められるような気持ちになります。
俺は何がしたいんですかね。よく分かりません。
趣味は読書と映画鑑賞です。別に読書家でも映画マニアでもありませんが、平均と比べればそれらに多く触れている方だと思います。週に1冊は小説を読みますし、月に数冊漫画を買います。2ヶ月に1度くらいは映画を見るので、元が取れるからとTOHOシネマズの会員です。よく笑い、よく泣く方です。最近ではスパイダーマンNWHで号泣しました。
でも別にそれらを職業にしたいと思いません。物語なんて書けないし、接客も上手く出来ません。
俺が進んだ大学が少し知名度のある大学だからでしょう。運良く俺は中学受験に成功し、そこからエスカレーター式に大学へ進学しました。大学の入学を祝って身内からかかってきた電話の喜色に満ちた声を覚えています。彼らはなんの悪意もなく、ただ俺の未来に期待しています。
幼い頃は弁護士になりたいと言っていました。本当は名探偵や怪盗になりたかったのです。夢水清志郎と怪盗クイーンとシャーロック・ホームズに憧れていましたが、小生意気なガキだった俺は、それらが存在しないことを知っていたので、周囲に喜ばれる職業を触れてまわったのです。
弁護士になるんだろ、と言われていたのは中学生の時までです。それ以降はやりたいことをやりなさいと言われるようになりました。少しずつ将来に疑問を持ち始めた俺を気遣うように、それでも親族は肯定して応援してくれました。
今俺は大学生です。本当に申し訳ないのですが、かなりのクズ野郎です。
虚言癖があります。嘘をつくのは嫌いな方だと、そう思っていました。しかし自分でも無意識のうちに見栄を張るための嘘をついては、その日の夜に自室のベッドの中で後悔します。
先延ばし癖があります。提出の課題は完成度60%で締切二分前提出か、もしくは1週間近く遅れて提出します。テスト前の詰め込み作業すら先に延ばすので、とうとうまともな成績は取れなくなりました。昔は、小学生の頃は、平均点より上どころか満点に近い答案を持ち帰っては「別にこれくらい普通だけど」みたいな顔をする小生意気なガキでした。親も喜んでくれていました。今では成績表が送られてくるたびにずらりと並ぶCやFの文字を見て、遠慮したように「卒業を目標にしようか」と言ってくれる母に本当に申し訳ないです。
約束を守れません。先延ばし癖の亜種だと思います。友達と交わした集合時刻を守れた試しがありません。酷いときには存在を忘れます。申し訳ないのでそういうときは後日飯を奢ったり何かの形で詫びをしますが、そんな人間と縁を切らずにいてくれる友人たちには頭が上がりません。
でも俺はなにかに熱中したり、さんざん苦労して何かを掴み取るということが出来ません。ダイエットや勉強のような、目に見える成果がすぐに現れない事柄に対して、まるで集中力を示せません。唯一小説や映画のような物語の中に入り込んでいるときだけは無類の集中力を発揮できますが、他人が作り上げたコンテンツを消費するときの集中力なんてなんの取り柄にもならないと知っています。
将来の自分が想像できません。資格や専門性のある知識もなく、愛嬌も人徳もありません。
看護師である母のような、人の役に立つ仕事を尊敬していますが、自分にはそんなことは出来ません。
変に理屈っぽく、でもどこか夢想家で、コミュニケーションが不得意な社会不適合のクズが、どうやって生きていけばいいのでしょう。
俺を産んで愛して育ててくれた母に、土下座して詫びたいと思います。俺がこんなにカスなのは俺の責任であって、あなたは何も悪くないんだと言ってやりたいです。
なんのために生きているのかよく分かりません。ひとつなぎの大秘宝の謎や工藤新一と毛利蘭が再び高校生になって幸せに暮らせるのかどうかは気になりますが、別にそのために明日を生きようとは思いません。
友人とやるマインクラフトやAPEXは楽しいですが、別にそのために明日を生きようとは思いません。
小説や映画は好きですが、別にそのために勉強や、ゆくゆくは就くであろう仕事に精を出そうとは思えません。
俺が死ねば誰かの命が助かるのなら、今すぐにでも死にたいです。俺の臓器は多分健康なので、太り気味で多少脂肪がつきすぎているかもしれませんが、俺よりも生きたい人の役に立てるのならあげたいです。他人の役に立ちたいという気持ちもあります。でもそのために自分が骨を折ったり努力するのは嫌です。最低ですね。知ってます。
俺がまだ死んでいないのはひとえに母親のためです。世界で最も俺を愛してくれた母親に、お前の子供は自分の人生を無意味と断じたのだ、などと突きつけたくないのです。愛してくれました。大切にしてくれました。俺がクズすぎて、彼女の愛を生きる理由に変換できなかっただけです。もしも母がいなければ、俺は既に何らかの手段で能動的に自死を試みていたかもしれません。
母親には幸せになってほしいです。でも彼女のたった一人の子供がこんなクズで可哀想です。だから早く死んで楽にしてあげたいけど、自殺するような子供を持たせるわけにもいかないのでまだ死ねません。長生きしてほしいけど、早く死んでほしいと思います。最低ですね。知ってます。
精神衛生に良くないと知っていて、ヤフコメやTwitter、匿名掲示板などを眺めてしまうことがあります。
政治やジェンダーの話は特によく眺めます。建設的な討論をしている人たちに混じって、明らかに知性の劣る人間が(もしくはそれに擬態した悪意ある知性の持ち主が)議論を掻き乱しているのを見て苛立ちます。そんなことしか考えられない脳で、恥ずかしげもなく生きていられるなといっそ感心すら覚えます。そしてそんな考えを持った自分を恥じます。蔑まれるべきは俺の方なのですから。
善く生きようとしました。俺の家は父の影響でややキリスト教が主流なのですが、それとは無関係だと思います。せいぜいが食前のお祈りをするくらいです。献金とかも無いですし、俺はもう日曜に教会にも行っていません。父が目を閉じて食前の祈りを捧げている間に、俺は目を開け足を組んで食後にやるゲームのことを考えます。俺に信仰はありません。俺には神様は必要ないと思ったので、父の信仰を尊重はしますが、天国に行くために善く生きようとは思いません。それでもできる限り理性的に、誠実に生きようとしました。物語の登場人物に憧れたからです。でも俺には出来ませんでした。こんなクズになってしまいました。
疲れました。俺より疲れている人がいるのに、俺がこんなことを言うのは間違っている気がしますが、それでも俺は疲れました。
明日も、また明日も俺は生きるのでしょう。この果てしなく続く鬱屈を抱えて、死ぬに死ねずに息をするだけの日々を送るのでしょう。
もしもこんなポエムじみたクソ文章をここまで読んだ人がいたら、あなたがなんのために生きているのか教えてほしいです。
これから加齢によって生じるオタク趣味…娯楽の消費に関する食指の動かなさから感じた人生の正しいライフステージと、筆者自身が抱えている発達障害との関係性、そして現代の世の中について乱文をしたためていく。
ご覧の通り、主語が大きくやや誇張しているような表現を多く含むが、個人的にかなり深刻な問題なのでわざとオーバーに書いている。ご容赦願いたい。
また、とにかく書きたいことを書いたため本文中の出典に関しては省略している。必要があればタイミングを見て追加するかもしれない。
まずはじめに、私はそろそろアラサーに差し掛かりそうな20代半ばの年代だ。
新卒時にちょうどコロナ禍が始まり、業界に対する打撃で案件が来ずロクな仕事を与えられないまま転職、人間関係の不和でひと月経たずに退職し、しばらくして職業訓練で茶を濁しながら10ヶ月ほどの無職期間を経て、今年4月に障害者枠で総務として勤務を始めた。一応今現在まで仕事はなんとか続いているが、障害者枠なので周りが残業していても基本定時で帰してもらえるし、電話応対もない。
そう、私自身が発達障害者だ。ASD(自閉スペクトラム症)で診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。
ひたすらコミュニケーションが苦手で、変化に適応できなくて、その時関心を持ったものにしか興味が持てず、短期記憶が著しく弱く、どうでもいい長期記憶が異常に強く、反復脳死作業しかできることがなく、言葉や文字そのままでしか解釈できず、自分の世界で全てを判断するような性質がある。そして自分が慣れているもの以外の刺激に対して非常に弱い。
そしてプライベートではイラストや漫画、アニメ、ゲーム、動画など、所謂オタク趣味を謳歌している。毎クールごとに気になったアニメをチェックだけし、流行っているソシャゲや動画配信には手を出し、好きなジャンルの二次創作を逐一チェックし、商業同人問わず漫画を購読し、絵に描いたようなオタクライフを満喫しているわけではない。
実際のところはこんな感じだ。
・その割にツイ廃だと思われたくなくて反応は控えめ
・据え置きゲームも中盤あたりで詰み、最後までクリアできたためしがない
・絵は月一で描くという自分ルールを設けたが、毎回月末になって慌てて描いている
・新しい漫画やアニメ、ソシャゲは刺激されて疲れるのが嫌でWikipediaと公式サイトの文を読んで満足
・4つある自ジャンル(いずれも旬ではない)の情報だけはしっかり追っている。ただしコンテンツそのものよりも運営や民度のことばかり気にしてる
・音楽に対するフットワークは軽いと思っていたが、最近のTikTok文化には全くついていけない。ノリも苦手
・そもそも新しいジャンルにハマる元気がない。ずっと広く追わなきゃならないVtuberは全般的に苦手。
・頭の中では常に一次創作の設定のことを考えていて、そのための資料集めのために生きている。なお創作の本編には手を付けられてない
・特に時間がないわけではないが、とにかく疲れてTL巡回以外何もできない
・盛り上がっているオタクを見ると羨ましい
・そのくせに現実(仕事、結婚、育児、介護など)としっかり向き合っている周囲の人を見ると不安になって焦る
趣味を楽しみたい欲望だけ募らせて「疲れた」を理由に何もせず、同時に現実を見て生きている人たちにも劣等感を抱くという、オタクにも一般人にもなれないモンスターと化してしまった。
これは自分でもまずいと思うが、どうにも意識してコントロールできることでもないようだ。
このように気力不足で何もできず劣等感だけ募らせている私が、普段何ならできているのかを列挙する。
・盛り上がっているオタクの観察
・一応惰性で見ているアニメの実況
・オタクや推し絵師やリアル知人の生存確認(唐突にいろんな人物が頭に浮かび大抵更新が止まっててショックを受ける。発達障害あるあるだと思う)
・自ジャンルのアフィブログの愚痴記事のコメント欄や5ちゃんねるの愚痴スレをひたすら監視(界隈やコンテンツの問題点も踏まえて正しく把握するため)
・Twitterのトレンドから社会問題に関する考察(という名の悲観的な被害妄想)
・数年前の一番楽しかった頃に描いた絵や当時やり取りしていた旧友(今はほとんど疎遠)とのメッセージを見返して心を痛める
・自分の脳内にある情報だけで一次創作の世界観の設定を練りまくる。どう頑張っても中学生の黒歴史ノートレベルのクオリティにしかならない
一通り書いてみたが、本当に精神衛生上良くないものばかりなことに気付かされる。ただ、脳汁が出てやめられないのだ。
こんなことをしている暇があるのなら勉強するなり作品鑑賞をするなりすればいいのに、前述の通り興味関心が向かなかったり趣味にかまけることに罪悪感があったりで何もしない癖にTwitterや5ちゃんやアフィのコメ欄やまとめブログばかり見て心を傷つけている。こうやっていつも言い訳しかしない。
私がこうなったのも、世の中の流れや身の回りの人間の変化も少なからず影響している。
これがかなり大きい。一応私も社会人3年生で、周りの友人もバリバリ働いている。
当時一緒にオタクして楽しんでた友人たちもだ。彼ら彼女らは私以上に見る影もなく、家を会社を往復するだけの虚無な人生(本人談)を歩んでいるそうだ。時間を犠牲に金だけを生み出し、その半分ほどを税金や必要経費で持ってかれているので貯金も満足にできないらしい。
問題なのは仕事に対して楽しんでいるわけでもなく、常に辞めたい辛いなど愚痴を吐きながらなんとか繋ぎ止めている状態なのである。転職を勧めても、もう一度就職活動する方が苦痛だから今のままでいいという派が圧倒的だった。
なんなら社会に出た途端SNSから手を引き、音信不通になった人もたくさんいる。久しぶりに話せたかと思えば、仕事以外は何もできてないとのことである。
会社の手となり足となる人生以外の選択肢を潰したのだろう。きっとそれは正しいことだ。
正直、私から見れば友人らは圧倒的につまらない人間になった。いや、社会がそういう人間を望んでいるのかもしれない。
自分の好きなことのために生きているオタクこそ、社会にとっては癌なのだ。強い自我は社会の歯車を回すにあたっては邪魔なだけだ。
つまり社会に出れば社畜化することの方が求められていて、あたかもそれが正しいことのように錯覚している。
そして、こういう人生の話と切り離せないのが結婚出産だが、私の身の回りに既婚者は2,3人ほどしか確認できていない。みんなとっとと結婚して親を安心させるのかなと思えば社畜街道まっしぐらな方向性を選んだ人の方が多かったようだ。
その既婚者たちも、子どもができれば家庭優先になるのは当たり前である。趣味を謳歌する余裕などない。
ただ、それが正しいのだ。いつまでも好きなことをしてるクソガキであろうとする私が間違っている。そういう人たちを見ると、なおさらそう思う。
たまに話もするが、仲良く絡んでたときとは価値観が打って変わってしまった。いや、私が変わらなすぎるのかもしれない。
私はこのように、世の中に求められている使命をしっかり果たしている人たちの足元にも及ばないのが悔しくて仕方ない。人間不信も相まって生まれてこの方恋愛したことないのに、どこで挽回できようか。
だからオタクみたいなことを続けるのに抵抗が生じてしまうのだ。
身の回りのオタク友人だけじゃない。ネットにいる二次創作絵師やフォロワーも例外ではない。
2020年あたりを境に、Twitterの更新が止まったりアカウントを削除したり、動いてはいるものの低浮上になったりしている作家やフォロワーがたくさん増えてきた。
それは、コロナ前の同人誌即売会で購入した作者の現在を調べて初めて判明する事実だったりする。こういうことを慢性的にやってしまう。
何が何であれ、別れというものには耐えられない。いや、慣れてないだけなのかもしれない。
なんせ一方的に観察してるだけなので、少しでも顔を見せないと生存そのものが心配になってしまう。
理由について推測する。
コロナ禍では巣ごもりが奨励されており、創作は流行るだろうと思っていたが現実は真逆だった。本の印刷という明確な納期がなくなったことによりモチベーションが著しく減退したサークルが多く確認されている。今回控えているC100もサークル数は前回比で減っており、同人需要すら落ちているようだ。
「オンライン推奨なんだからWebオンリーとかコミッションとかが主流になったのでは?」とツッコまれそうだが、私が言いたいのは”ネットに顔すら出さなくなったクリエイターが爆増している”ということである。これは正直巣ごもり関係なく、何らかのタイミングで起きていると思われる。何故コロナのタイミングで、とは思うが人手不足の穴埋めをさせられたり、単純に業務量が上記を逸していたりするのだろう。基本的に観測できる範囲には真面目な人ばかりだ。
私が新卒で入社した会社はコロナで仕事がなくなった業種だが、逆に多忙を極めている業種もある。オタクの本業とは一体何なのか…もし医者やSEといった仕事が主流なら、私はまた(人生スペックに対する)嫉妬に狂ってしまう。みんなちゃんと仕事しているし、会社に殺されてこき使われてるのだ。
そもそも想像力が乏しいので、人間はみんな四六時中SNSを見ていて当たり前だと思っているフシがある。全員がそうとは限らないだろうが。
私みたいに、常にネットから得た知識でこれから起こることに対して悲観的な妄想をしたり、目の前のことをかなぐり捨てて現実逃避しているわけがないのだ。
ネットのオタクからも「現実をちゃんと生きているのに」という劣等感は強く感じる。普通に中の人は人間なのだから。社会を回して当然だ
だが、ここまで仕事に忙殺させてもなお終わらない無茶なタスク振りや、いくら働いてもまともに暮らせない賃金体系にも問題があるのではないのか?
こうなると社会そのものへの愚痴になるのでこのあたりで留めておく。
ここまでつらつらと書いてきたが、私自身も趣味に対して食指が動かなくなったわりにオタク気質だけは残ったままになっている。”キモオタ”から”オタ”を取った”キモ”状態だ。
現にアニメ・マンガ・ゲームとかに触れずとも、Twitterの逐一巡回やアフィなどの監視を惰性でやって時間を浪費している奴をまともと呼ぶわけがないだろう。
何故楽しかったあの頃より熱が冷め、エアプマンになったのか分析していこうと思う。
まぁこれに尽きる。正式に言うと「ネガポジ問わず刺激によって疲れる」のが嫌になった。フィジカルもあるが、メンタルの話だ。
人が一度に受けられる刺激には限度があると思う。これを超えると心身に悪影響を及ぼしかねない。そしてその容量は年齢に反比例している。
仕事は当然神経をすり減らして責任を持って取り組まなければならない。その時点で一日に受けられる刺激量はとっくに超えている。そんな状態じゃコンテンツを摂取することで何らかの感情をかき乱すなんて疲れるだけだというようになり、いつしか避けるようになる。
長い文章が読めなくなるのもこれだ。重く激しい展開を忌み嫌うのもこれだ。
私はアニメやゲームを実況することが生きがいだ。初見の感想を記録し、未来の自分の役に立てたいという気持ちが強い。
ただ、半ばそれが義務や使命と化していて正直かなり疲れている。ASDは自分のタスクを輪に組み込んでしまえば永久的に続けられる性質があるが、それは「何も考えずにできること」限定であり、実況や考察など自分の言葉を紡ぐ行為はかなり消耗する。この文章だって3時間かけて執筆している。
作品に触れているのだから、何らかの感想を残さねばという自分自身に課した強迫観念のようなものが私には存在する。
そんなことを思いながらも、基本的に自分の頭のデータベースに情報を一気に突っ込めなくなり、処理もできなくなっていってる。
旬コンテンツに触れないと置いていかれる観念もこれだ。名前を出してしまうと、「100日後に死ぬワニ」や「モルカー」や「タコピーの原罪」などが一斉に流行りだすと、未履修の人間はツイッターランドにおける非国民であるような気持ちになる。
Twitterのトレンドが特定のコンテンツで一色になっているのも、同調圧力を感じて疲れてしまう。追えてないことに残念な気持ちになるが、追う元気もない。
そんな感じで、うっすらとした気質だけ抜けられないまま、置いていかれないように上澄みだけ啜っているのが今である。
何度も述べている通りである。大人になるとは、社会を回すために責任を持って使命を遂行することである。
その使命を放棄し、自分の好きなことばかりに現を抜かすなど、人間としてあってはならない。そんなことが許されるのは大学生までだ。
人間には、生物として繁殖しなくてはいけない義務がある。日本国憲法においては、教育・労働・納税の義務がある。
つまり、仕事や育児から逃げるのは罪なのだ。その逃げとは、趣味のことである。
普通の人間は社会に出れば「個人」をやめ、「社員」なり「役職」なり、はたまた「親」なりの肩書を持つ。名前なんて呼ばれなくなるだろう。必要なくなるだろう。
オタクは「個人」のままできるが、それは大人になった瞬間捨てなければならない。肩書にふさわしい義務を果たさなくてはならない。
私は、20代も後半に差し掛かるというのにこれらの義務を果たせる予兆がまるでない。仕事も、同年代と比べると誰でもできるようなことしかしてないしはっきり言ってぬるい。
結婚だって、恋愛を嫌がっているのだから当然できるわけがない。人間との共存に本気で虫酸が走る。
そんな奴が適齢期になっても責務から逃げ、いつまでもガキ臭いことをする道理が見当たらない。その結果、打開策が見えず将来を憂いているだけで何もできない生き物になってしまった。
何度も言うが、逃げとは責任の放棄であり罪だ、そしてその逃避こそが趣味なのだ。
こんな経験はないだろうか。「作品よりもスタッフや運営に注目するようになった」と。
コンテンツにゴリゴリに入り込んで感情移入するのは、幼い子のやり方だ。夢女子がそれとも言われるが、傍から見れば虚構と現実の区別がついてないように見える。
それをいい歳こいた大人がやれば、立派な精神異常者だ。作品の世界に入り込むなど、これこそ先程から罪だと言っている現実逃避にほかならないだろう。
そして、ある程度読解力が育ってくれば作中のモチーフや描写、張られた伏線などから「考察」というものをするようになる。この段階でやっと観客になれるのだ。その考察も、ガキの魂胆で行えばただの妄想に成り下がるが。
では、そのようなコンテンツの見方に慣れると作品をどのように見るようになるのか?
答えは「構造批判」である。作品の評価をファンの民度やスタッフの質、運営の対応などで行うようになる。特にお金の話と絡めたがる。
作品同士を「このジャンル、ファンがクソガキしかいない」「なろうテンプレだなこれは」「お涙頂戴ねはいはい」「運営のおっさんはこれが儲かると思ってんだなぁ」と比較や批判するようになる。Twitter民にも心当たりはあるだろう。
こういう考えはコンテンツ研究する立場においては大いにアリだが、普通に楽しむにあたってはノイズになりかねない。なんなら「構造批判」するために作品に触れる(たまに触れてすらいない)ようになり、叩くのが目的になる。
そうすれば、何を見ても昔のような楽しさは感じられないだろう。
現代は情報化社会だ。誰もがクリエイターになれるし、どんなものもスマホひとつで手軽に大量消費できる。
そうなれば必然的にコンテンツで溢れかえる。取捨選択が難しくなる。
これらの流れをくんで、最近ではAIが閲覧傾向を読んで勝手にレコメンドしてくれる。口を開ければ合うものを放り込まれる。そしてなんとなく偏っている。
ただ、なるべく偏らせないで色々見たい人は、とりあえず全部手にとって味見する。その絶対数は一生に捌ききれないほど多い。
増田だから言える事だが、私はヲチスレを巡回してはニヤニヤとROMに耽る程度には性格と趣味が悪い。
読み進めると、どうも見覚えのある顔が貼られている。
思い当たる節はあった。
私自身は、彼女とそこまで親しくはなかったが、パンチの効いた人だった事はよく覚えている。
友人からの伝聞ではあるが、思い出せる中でいちばん印象的なエピソードは、教室で友達と他愛のない話をしているときに急に「ね、いま後ろの男子達……ウチらの事を噂してたよ」「男子ってホント、しょーがないよねぇ」などと小声で囁いてきたという話。
言いにくいけど、それたぶん何かの勘違いじゃないかな……とは誰も言えなかったので、華麗にスルーしたそうだ。
彼女はどうやら異性の一挙手一投足から「この人は自分に好意を持っている」という熱を見つける特殊能力があったようだ。
ただし、彼女が男子から人気があったとか、彼女に彼氏ができたとかいう話は、ついぞ耳にする事がなかった。
容姿についての言及は避けるが、まあ……お察しいただければと思う。
ゆえに傍から見れば、彼女の自己認識は、完全に見当違いか妄想の類か認知の歪みといったところだった。
だが彼女は自信に満ち溢れていた。
そして、そんな自己主張の強い人間がインターネットという文明の利器を手にしたのである。
結果は言わずもがな。
惜しげもなく公開される大量のキメ顔の自撮り。
「私が人から嫌われるのはあまりに魅力的すぎて相手の劣等感を知らぬ間に刺激してしまうせい」「その気がなくてもなぜか男性を虜にしてしまう」といった自画自賛は枚挙にいとまがなく、さらにそこには必ずと言っていいほど『他人をこき下ろす言葉(本人曰くサバサバ毒舌)』がセットとしてついてくる。
私は心優しい人間とは程遠い、人の醜いところを煮凝りにしたみたいな性格をしているので、彼女が笑い者になっていること自体には少しも心を痛めていない。
ヲチスレにたむろしているのは、自分を含め碌でもない人間ばかりだという自覚はいちおう持ち合わせている。
彼女に限らず全てのヲチ対象に言える事だが、いつか自分自身の心と正面から向き合い、己の攻撃性や認知の歪みの根源に気付き、心が真に求めているモノは何なのかを知り、それを手に入れて心身に安寧が訪れればいいね、とも思う。
何様目線かと思われるかもしれないが、別に綺麗事を言いたいのではなくて、物理的に彼女らの周囲にいる人間を気の毒に思うからだ。
彼女への批判や忠告の類が、全て「嫉妬乙」で片付けられては堪らないだろうと思うし、そんな人と毎日顔を合わせ続けなければいけないなんて、ただただ苦痛でしかないだろう。
想像の五倍長くて草
読めんわw
読み進めるとどうも見覚えのある顔が貼られている。
しかし誰でも利用できる簡便性の一方で
あっという間に食い物にされてしまうのだ。
くらいの位置付けだったので
香ばしさを丸出しにする人間がいなかったため
となかなかの衝撃を受けた。
私本人は彼女とそこまで親しくはなかったが
ただパンチの効いた人だった事はよく覚えている。
と一瞬気の毒な気分にもなったが、
という友人らの数はもはや片手では足りないため
起こるべくして起きた事だな……
と最終的には納得してしまった。
それくらい強烈な人物だったのだ。
友人からの伝聞ではあるが
思い出せる中で一番印象的だったエピソードは
「ね、いま後ろの男子達……ウチらの事を噂してたよ」
フゥヤレヤレクスクスと気怠げに小声で呟いてきた
という話。
その『噂』というのは要するに容姿や体型やそういう……
お年頃の男子のするフヮ〜オな話だったそうだが
もしその『後ろの男子達』の耳に入ったならば
おそらく同じ感想を抱いた事だろう。
しかも後ろといっても彼らが話していたのは
そんな下卑た話を大声でするだろうか?
とは誰も言えなかったので華麗にスルーしたそうだ。
彼女はどうやら異性の一挙手一投足に
という熱を見つける特殊能力があったようだ。
グループ内に
と自負しているらしき発言をしていた(要約)
と思ったものだ。
ついぞ耳にする事がなかったし、
まあ……お察しいただければと思う。
ゆえに傍から見ればその
といった所であろうが
そんな事はお構いなしに彼女は自信に満ち溢れていた。
グループ内の友人らにすらやや一線を引かれ
「私って高嶺の花」くらいに思っていたのだろう。
結果は言わずもがな。
と言わんばかりの大量のキメ顔の自撮り。
こんな風に常に自信満々で大胆不敵な彼女だが
詳細は伏せるが、私は確実にまともではないと感じたし
話を聞いた当時(卒業後)はそれなりに胸も痛んだ。
全く悲嘆してはいないようだったので
今はもう立派な大人なわけで。
だが思うところがないわけではない。
私は
事は起こり得るんじゃないかと考えている。
そこだけもう毛が生えてこなかったり
逆に普通より濃い毛が生えてきたりするのと同じように。
本人曰く
らしいが
無理矢理言い聞かせているようにも見えるのだ。
やら
やら
それはもう枚挙にいとまがない。
反対の手で膝を打って唸ってしまった。
容姿が万人受けでなくとも魅力的な人がいる事や
ただ、彼女はそれだけでは終わらなかった。
がセットとしてご一緒についてくる。
そりゃ反発も起こるだろう事が容易に推察された。
お前さぁ……嫉妬とかじゃなくてそういうとこやぞ。
こんな事は教えられずとも自分で気付くべきだ。
履き違えてしまっている事だけはなんとなくわかる。
何もかもに目を瞑って、自分で作り出した
夢の世界の中に閉じ籠っているだけに見えるのだ。
今のままじゃ何度ネット上で転生しようとも
私は心優しい人間とは程遠い
少しも心を痛めていない。
あそこにたむろしているのは自分含め
革靴で丸一日歩き回った後の汗まみれの靴下や
臭くて不愉快だと分かっているのに嗅ぎたくなる、
そして「クッセェェェwww」と仲間内で騒ぐのに似た、
臭ければ臭い程、喜ばれて遊ばれる。
それが嫌なのであれば、言論統制よりもまず
これはあくまでも
『ヲチられるのが嫌なのであれば』
そんな事を思っている人がいるとしたら少数派だろう。
多くは娯楽として消費しているだけだ。
中には言葉が過ぎる者もいたりするが
心が真に求めているモノは何なのかを知り
それを手に入れて心身に安寧が訪れればいいね
とも思う。
何様目線かと思われるかもしれないが、
嫉妬で片付けられては堪らないだろうと思うし、
そんな人と毎日顔を合わせ続けなければいけないなんて
発想や嗜好がなかったため
弗の原石に気付かなかった事を
一瞬もったいなく感じてしまったが、
余程タフでもない限り精神衛生に支障をきたしそうだ
という事に気付き早々に認識を改めた。
燃料を撒きに行く術もない。
超えちゃいけないラインを助走つけてどころか
また、スレッドの内容等々を
彼女の元友人らと共有する気もない。
こんなん内容が内容だけにリアル友人にも言えないし
別に悲しいとかは一切ない。
衝撃と面白さとほんの少しの哀れみと
アレとコレとソレが混ざって混乱してはいる。
https://archive.ph/2022.07.19-044423/https://anond.hatelabo.jp/20220719103756
三連休であったが休み明けのタスクをこなす為に仕事を、というつもりだったが身体が動かない。
逃避行動、モチベーション低下、先延ばし癖、それらが絡み合い仕事の事は絶えず考えているものの身体は動かずタスクは進まず。
そうなると脳がステレスを抱えまくるのか脳が破壊されて頭痛が生じる。
寝不足、浅い睡眠、ストレス、これらは三連休初日に終わらせていれば得なかった事柄であるが、それを悔やみつつも身体は動かない。
俺の脳はもうダメみたいだ。
そして、睡眠不足は体調の悪化を招き、室内にずっと居たにも関わらず熱中症となり頭痛と嘔吐と悪寒で一日過ごした。
そして三連休終わりであるというのにタスクは一切合切進んでいない現状に至ったのだった。
頭痛の中こんな日記を書く時間があるならばさっさとタスクを終わらせろという意見は尤もだと思う。俺もそう思う。
でも俺の身体が逃避を求めている。
それは前職での過労で身体が拒否をしているせいか。復調するまで1年掛かりその間失業保険の申請すら苦痛で動けなかった俺は仕事を行うという行為自体がもうやらなくても良いんじゃねと逃げ腰の体勢を取ってしまう。