はてなキーワード: 苦痛とは
そりゃそんな便利なもんがあればそっち食ってもいいよな。別に動物の命や苦痛にプレミア感を感じてるわけじゃねぇし。
ただ現状そんなもんは存在しないし、おいしくて安価な人工肉が出来て代替できるようになってから議論しましょうね。としかならんよな。
上記したようにヴィーガンは動物の権利を擁護する立場であり、おおざっぱに言えばそれは「苦痛を与えてはいけない」という言葉で要約できる。そして現在の科学的な知見でいえば、植物は痛覚を感じていない。だからヴィーガンは植物の権利は擁護しない、というか植物に権利を見出していない。
この考えを突き詰めると↓になるんだよね
知性の高い動物たちは、ふつうの人間ほどには「生」に対して強い利益を持っていないとしても、知性の低い動物たちや、あるいは人間の赤ちゃんや重度な知的障害者よりかは強い利益を「生」に対して持っている。だから、知性の高い動物が死ぬことを知性の低い動物が死ぬことよりも重大な危害であると見なして、どちらかが死ななければいけないときに後者を死なせることは、種差別ではなく合理的な区別だ。逆に、「人間だから」という理由で赤ちゃんや重度な知的障害者たちが死ぬことを知性の高い動物が死ぬことよりも重大な危害であると見積もることは、合理的な区別ではなく種差別である。
他者に苦痛を与えないことを至上とするなら反出生主義に帰結することになると思う
倫理的道徳的であろうとする努力から脱落した人間は置いといて、動物倫理を唱えつつ反出生主義を否定する人がたまにいるのはよう分からん
あれは、反出生主義はヴィーガニズム以上に急進的だから、人々の理解共感を得るために切断処理をしなければいけないという打算によるものなのだろうか
【追記】
コメントで寄せられた種々の意見について反論しようと考えたが、いずれも下記でリンクを張ったサイトを読んで貰う方が早く、正確なのでそうしてください。
だったらこんな記事を書く意味はないじゃないかということになるが、まあサイトの紹介記事として書いたと思えば無意味ではないと思っています。
http://therealarg.blogspot.com/2019/02/VeganFAQ.html
【追記おわり】
ツイッターでヴィーガンがトレンド入りしてて、覗いてみると過激派ヴィーガンのテロ行為が炎上しているという内容だった。
そのニュースを受けて、そういった活動だけではなくヴィーガニズムそのものへの批判が多く為されており、その中にはヴィーガンに必ずと言っていいほど寄せられる批判がいくつか見られた。
というわけで以下でそれに勝手に答えておきたい。
ちなみに、ここで書いてあることを読むより以下のサイトを見てもらう方が良いので、時間があるならそうしてください。
http://therealarg.blogspot.com/2019/02/VeganFAQ.html
これは一見かなりもっともな主張に見えるし気持ちもわかるのだが、「押し付けるな」という反論はズレている。
なぜならヴィーガニズムというのは「動物の権利を侵害するのは止めよう」という倫理規範だからで、「野菜を食べて健康になりましょう」という思想ではないから。
「殺人や差別をしてはいけない」というのは思想という以上に倫理規範である。「お前が差別しないのは自由だけど、俺は自由に差別して生きていく。それに口を出すな。住み分けて生きて行こう」という理屈が通らないのと一緒で、倫理規範は他人にそれに従うことを要請するという性質がある。
だから、ヴィーガンに反論するのであれば、「「動物の権利を侵害しては行けない」という倫理規範は存在しない、成立しない」とか、「そもそも肉食という行為は動物の権利を侵害していない」「そもそも動物に権利なるものは存在しない」という方面で反論しなくてはならない。それなら議論は成立する。
上記に付随して当然出てくる疑問だろう。
だが、結論から行くとこのテーマをここで書き切ることは到底不可能なので、おのおので関心を持った分野の本を読んでくれということになるが、
①権利というものは現状では人間にしか認められていないが、それはなぜなのか。「神が人間にだけ権利を与えた」といった説明も出来るが、論理的ではない
②ひとつには、権利は「苦痛を回避すること」と説明出来る。つまり、理由なく苦痛を与えられてはいけない、という考えは権利の1つの側面である
③大半の動物は痛覚を持ち、苦痛を回避するように振る舞う。よって、不要に苦痛を与えられない権利は動物にもある
だから動物を不要に苦しめるような畜産産業はやめるべき、となるわけですね。
・植物は殺していいの?
これも極めてよく用いられる反論で、「プランツゾウ」という名前までついている。
上記したようにヴィーガンは動物の権利を擁護する立場であり、おおざっぱに言えばそれは「苦痛を与えてはいけない」という言葉で要約できる。そして現在の科学的な知見でいえば、植物は痛覚を感じていない。だからヴィーガンは植物の権利は擁護しない、というか植物に権利を見出していない。
逆に言えば、明確に知性や痛覚を有する植物にたいしては、ヴィーガンは同様に権利を見出し、擁護することになると思うよ。
これを言う人だって、道端の草を踏んづけるのと野良犬を踏んづけるのなら後者の方が抵抗あるんじゃないかな?
・人類は長い歴史を肉を食べて生きてきたので、それが自然だし、文化でもあるのでは?
長い歴史があっても間違っているならやめるべきでは。間違っていないなら根拠を示すべきでは。
一つ考えてほしいこととして、「完全に動物肉と同じ味、同じ値段、同じ栄養素の人工肉」が開発されたとする。あなたはその状況で、あえて実際の動物の肉を選ぶだろうか。
多くの人は「それなら動物を殺さないでこれを食べよう」と判断するんじゃないかな。ピアノの鍵盤とかハンコにあえて象牙を使わないでいいのと同じ理屈。
もちろん、現状でそんな便利なものはないんだから現実的にヴィーガンになるのが難しいのは解る。解るが、ヴィーガニズムに理があることも解ってもらえるんじゃないだろうか?
感謝していれば権利を侵害してもよいということを主張してるわけですが大丈夫ですかね…
「いつも働いてくれてありがとう」と感謝すれば人を奴隷してもよいってことなってしまうのでは?
・ヴィーガンが自分たちの活動をアピールするために牛乳をぶちまけたりしているのは矛盾では
要するに言論でおとなしく反論しても世界は変わってくれないということで、それは全く間違いではないのかも知れないが、個人的にはこうしたパフォーマンスが有益だとは思わない。
ただ、一部の過激派を例にして全体を否定できないことも言うまでもない。
現実的に今すぐヴィーガンになるハードルがかなり高いのは実際のところかなりわかるけど、すくなくとも理屈としてのスジはわかってもらえるんじゃないかな。
これであとは、自分が辞めるまでに締切のある案件をやるのと、修正対応をちょこちょこやるくらい。
上司からはちゃんとした引継ぎマニュアルの作成指示が出てきた。
しかし引継ぎマニュアルつっても、俺のやってる仕事って基本的に
「案内文書をちゃんと読んで、わからない部分は先方に確認して、そのとおりにやれ」
ばっかだから、そこには出てこない注釈を経験則でつけていく感じかなあ。
やっぱりどんなにダラダラ引き延ばそうとしても3週間あれば終わってしまうのではないだろうか。
ひと月丸ごと休めるくらい有休があれば良いけど、そうじゃないので、退職前の休みは土日祝合わせて精々10連休くらいになりそう。
まあ本当にもうやることなくなったら、マジでやること無いので出勤してもパソコン前に座ってるだけになりますがどうしますかって上司に確認するか。
ネットサーフも好き放題やれるわけじゃないし、やることがないってものすごい苦痛だから、極論すれば現場のお手伝いに行っても良いくらいだけど。
しかし欠勤で休んだり退職日があまりにも早まると収入面がアレなので、適度に引き延ばす調整はしなければ。
1社辞退し忘れていたとこがあるので、辞退の連絡もしないと。
面接は残り2件。
本命の内定受諾済だし、マジで破格の条件が出てこない限り志望順位がひっくり返ることは無いけど、
こちらの我儘聞いてくれた日時なので最低限の礼儀として面接に行かせていただく予定。
あと個人的なキャリアアップとして、やっぱり社労士、行政書士、簿記2級は順番に取得すべきだと思った。
その3点持ってれば今後もし何かあっても転職にはあんま困らないだろうし、独立だってできなくはない。
この3点の資格持ってる方、勉強体験談とかあれば教えていただけないでしょうか。
頑張り過ぎず頑張ります。
たくさんの心と目を持つことだよ。生身の人にかぎらず、書籍を通しても多くの人に出会うこと。
ものすごく個人的な考え方を書くけど、人の心は一人分じゃない。今までに触れ合った他人の人格が無秩序に組み合わさって心は成り立っていて、何かに対面したとき、彼らが心の中で喜んだり苦痛に感じたりする。自分なんてものは死ぬまで赤ちゃんのまま成長しないので、幼い心ひとつで世界を見るのは辛い。苦痛が理不尽な苦痛にしか思えないから。だからまずは信じられる誰かを見つけたほうがいい。その人を先生として、先生の目から世界を見て、それから先生の心を構成している人格をたどる。大抵は思想家が中心にいるんじゃないかと思うけど。ともかく自分の中に住んでほしい魂を選ぶ。頭の悪い自分の代わりに物事を見てくれて、いつでも相談できる。先生たちが頭の中で勝手に議論してすらくれる。孤独でさえなければ、何事も怖くないよ。
苦痛を感じなくなりたい
この一、二年で頭がおかしい
車を運転すると15分ぐらい経過すると車を停めて横になりたくなるぐらいダルくなるし頭痛が生じる体温が上昇する
以前は5時間ぶっ続けで運転しても平気な程度であって運転がペーパーで不安というのも無い
仕事の締め切りが守れなくなった
それは取り掛かろうとすると頭痛がする為で横になり休みたくなる
体温上昇に連動しているのかと思っているが運動して呼吸が上がると頭痛がしてくる
運動強度は大学時代サークル活動ではなくガチの運動部での部活動をしており運転強度への耐性を有していた
人の話が分からなくなった
大学院まで進んでおり学習法学習習慣は出来ていたはずが机に座り長時間なにかをするというのが困難になり横になりたくなる
現職が設計職なんだが頭を使う仕事なのに頭がおかしくなっているのでどうしたらいいのか
もう職辞めるしかないのかな
性自認を自己申告するだけで、普通の男が「今日から女」になれてしまう
それが可能だと思うなら男性も女性も、職場で昨日までと同じ服装髪型のまま宣言してみたらいい。
地元の支援学校と小中学生の交流会ってどんな効果を期待してるんだろう
小中学生には、障害があっても同じ年頃の生きた人間ですよ、っていうのを学ばせたいとすると、
障害者児童はただの動物園の珍獣扱いされてることになりそうな気がするけど。
障害者児童側にとっても、健常児が大勢表れる謎のイベントとか社会見学的な感じで捉えられてるのならイーブンか?
高校の修学旅行で、海外の友好都市の学校に行って、現地の高校生とペアになってお互いの言葉もわからないのに校舎を連れ回されたりしたのにもちょっと似てるな…そう考えたら異文化交流?
中学生の時、バスで30分ほどのところにあった支援学校との交流会で障害者児童とペア組まされて、昼食とかゲームとかやらされたのがすごく嫌だった
昔の田舎で、肢体不自由もダウン症も自閉症もいる感じのところだったから、中学生側との相性(主に体格や性格?)を元に割り振られるんだけど、クラスで男女混合でも後ろから5番目の縦横デカ女だったせいもあり自分よりさらに縦横に体格の良い男の子がペアになった。
支援学校側で交流に参加できる程度の障害がある児童に男子がちょっと多かったんだろうけど、他の体格の良い女子は車椅子の女の子がペアだったり、ほぼ寝たきりみたいな子とペアだったりして、ペアになった大男は何も喋らんし、一体どうしろと…?
記憶はもはや曖昧だけど、移動中ずっとすごい力で手を引かれていて、手は痛いし何も喋らんし、
他はそれなりにコミュニケーション取れてたりして笑い声とか話し声とか聞こえるのに、自分は体育館や廊下を手を引かれて歩いたり突っ立ってぼんやりしてるだけ…
中学生側にクソガキももちろんいるから手繋いでるだけで「お似合い〜!」とか囃したてるヤツもいた
まじであの時間なんだったんだろう
富士急で2時間並んで入った廃病院が全然怖くなかった時くらい意味わからんかったし無駄な時間だったと思ってる
二十年近く前だから今はどうなってるんだろう
私は現実主義者なんだと思う。論理的にできそうなことはできるし、できないものはできない。
現実が突きつけてくるのは、未来を描く力。どうやるかわからないけど未来はこうしたい、という妄想。
それを求められるのが本当に苦痛。出来るかどうかわからない不確実な妄想を描くなんて愚の骨頂。
こんなふうに考える自分は、多分にサービスの全責任を負う立場にいてはいけないんだろう。
ほろ酔いでシャワーを浴びていたところ、ちん毛が伸びていたのに気づきはさみで切ろうと考えた。(ちん毛が長すぎるとちんこが短く見えるので自分は時折ちん毛をカットしている)
洗面台にはハサミがなく、こないだ買った眉毛を短くするハサミでが目に付いた。それを使えば程よく短くなるな。とも思ったが、ふとパイパンは臭くならないという言葉を思い出す。
夏の厨房仕事は熱く、全身汗まみれになってしまう。家に帰り、ひとまずソファーで寛ぐといった行動を躊躇ってしまうほどに。
しかも眉毛用ハサミをちん毛に使ってしまうと今後そのはさみは使いにくい。
どうしようかと逡巡していると、ちょうどそろそろ変え時だと思っていた髭剃り用のT字剃刀が目に付いた。
これかー。
決めてしまってからは、早くパイパンの自分が見てみたくなってしまい、自分はT字剃刀と髭剃り用のシェービングクリームを手に急ぎ風呂場へと戻った。
すーすーして、なんとなく恥ずかしい。
さぁ、いよいよ。
と、剃刀を当て、引いていく。
ひげを剃る要領と全く一緒に行った。
ひと振りするとぼちぼち剃れてく。
あくまでぼちぼち
そう、ちん毛は長すぎるので剃刀ではうまいこと切れなかった。
ちんこをすーすーとさせながら剃り進めていく。
VIOでいうIO。
ここはさすがに怖く、初心者には剃り切れなかった。
金玉が切れるという経験はしたことがなく、また絶対にしたくない。
肛門はよく切れているが、自らの手で。となると、それは違う。
というわけでVの部分を重点的に剃っていった。右半分のみ。
剃り終え気づいたが、
ちんこ周辺は思ったより黒かった。
自分が肌が白いので余計そう思うのだろうが、思ったより黒い。
AVを見ていて、真っ白な股間の人がいるが、あれは才能もあるだろうけど、おそらく相当に努力しているのだと思われる。
剃った感想だが、まず思ったのが
剃り残しの黒い点々は別にずぼらだからというわけでは無いと考え直した。
安い風俗でパイパンを売りにしている女の人の股間をよく見たら黒い点々が見えて萎えたという経験をしたことがある。
うわ、剃り残しかよ、、、
何日前に剃った???
こんな思いをしていたのは本当だ。
ひげを剃るときなどは鏡を見ながら肌を引っ張り剃っていく。
目に近い髭を剃るので、もちろん剃りやすい。
しかし!
IOを剃らなかったのは何も怖かったというだけではなく、剃り方がわからなかったということもある!!
仁王立ちで鏡で見える部分だけでも剃りにくいのに、IOは無理!!
飽きてきたのでまとめる。
この文章は胡坐をかきながら打っているが、明らかに右半分が涼しくてびっくりしている!
これは味わい続けたい爽快感!
剃った後に生えてくるのが苦痛という感想も知っているので、続けるかはわからないが、永久脱毛も考えるレベルの爽快感!
一週間後にはたぶん左半分も剃りあげる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220801/k10013746851000.html
「circled 普段、安楽死や反出生主義に好意的な意見が寄せられるハテブで、医療崩壊のダメさを嘆くコメントを見るにつけ、つうか、そんなに命が尊いなら、初めから安楽死や反出生主義を好意的に捉えるなよ?と思うのよな。」
『そんなに命が尊いなら、初めから安楽死や反出生主義を好意的に捉えるなよ』って何…???
『そんなに命が尊いなら、初めから安楽死や反出生主義を否定的に捉えるなよ』の間違いではなくて???
安楽死も反出生主義も、まさに命を尊ぶからこそ生まれる思想なんだが。
命が尊いからこそ初めから生まれて来ないようにしよう、命が尊いから苦痛のない死を許そう、という発想でしょう?
まあ、反出生主義はともかく安楽死に関しては、「安楽死」というネーミングがよくないのかもね。
安楽死を求めている人達はあくまで当人の希望に基づく(年齢や病気や障害の有無に関係の無い)安楽死の実現を求めている訳だが
単に「安楽死」という言葉だけだと意思確認の取れない家畜やペットへの安楽死も含んでしまうので、
もはや他人を値踏みすることそのものに快楽が発生してしまってるんじゃないだろうか
というくらい執拗に粗を探して「この人じゃない」理由を探してるような気がする。
人を見て「でも肌が」「ファッションが」「なんとなく生理的に無理」「ヤリ目だろどうせ」「コミュニケーション能力が」「話題が」「もっと私をたてろ」なんて(対面ではないにしろ)好き勝手言えるコンテンツなんて早々ない。
「自分には合わない」「何か別の目的がありそう」「顔はいいけど……」といった方向に行きがちなのも
他人を値踏みすることそのものを目的としているからのような気がする。
というのを、婚活相手の男性を年収で密かに呼んでいる同級生を見て思う。
いい加減見るのも苦痛なのでパートナーが見つかって欲しい気もするし、終わりなきリセマラをしながら老いていく様を見たいような気もする。