はてなキーワード: 畜産とは
増田は博士課程進学を薦めているが、おすすめしない。理由は日本では大学という仕組み自体が疲弊しており、社会での役割が年々縮小しているからである。防疫、防災、国防、医療、農林漁業畜産、化学、機械、材料などで核となる組織は維持する必要があるが、各50人態勢の最先端組織を作ったとしてもそこで働けるのは数百人でしかない。欧米アジアの一流大学、研究機関を合算で考えれば行き先は増える。だから博士課程を目指す人は、シンガポールで、ソウルで、ドバイで、上海で、サンフランシスコで、ワシントンで、ロンドンで就職するつもりでいる必要がある。
明治に国を急速に欧米ロシア中国に対抗するため近代化する必要があった際、飲み込みの早い子供たちを留学させ、英才教育を施して、日本全体と地域の発展の核として育てた。それが旧帝大だったと思う。
21世紀の今、大学に社会から求められる知の蓄積と創造活動、情報発信というものはあまりないように思う。それは個々の大学教員の資質とかそういうことではなくて、一人親方個人経営の大学研究室では教授やスタッフの資質がいくら優れていても達成できることに限界があり、大資本を投下して遂行される民間の活動には逆立ちしても追い付けない。(ポスドクの待遇が悪いのはまさに資金のなさを精神論で克服しようとするための歪によっておこることだ。)
民間でできないことがあるじゃないか、ということはあるのだが、防疫、防災、国防といった基幹的なこと以外で民間でできないことというのはそもそも民需がない。社会的要請がないのだ。
トランプが大統領になったら、TPPは随分変わったものになるか、なくなってしまいそうだ。個人的にはTPPには賛成だったので、なくなるのはとても残念だ。
私がTPPに賛成なのは、野菜や肉が安くなるというだけの理由ではない。
いつだったか忘れたが、衆院選のときJAか何かの組織が、TPP断固反対を唱えて自民党に投票するキャンペーンを打っていた。当然自民党は選挙に勝てばアメリカの言いなりでTPP交渉をして締結寸前まで持っていったわけだが、おそらくTPPが発行すればそれらの団体が唱えていたように、日本の農業畜産業は結構な打撃を受けるだろう。もちろん税金漬けにして保護したりなどの対策はするんだろうが、それでも経営が苦しくなって廃業するところなどが出てきてもおかしくない。
TPPに賛成する最も大きな理由は他でもない。これら選挙のときに思考停止で自民党を支持した零細農家畜産家が崩壊していくのを見るのが楽しみだからである。本当に経営が立ちいかなくなったら彼らは誰のせいにするんだろうか?JA?政府、自民党?それとも自分たち?農家の自殺や農村の荒廃などが社会的に問題になりでもすれば、彼ら、そして我々も投票行為や政治についての自分たちの責任を少しは感じられただろうか?
これはもしかしたら農業畜産業の屍を糧に、日本人が政治を問い直す最後のチャンスになるかもしれなかった。もっとも行き着く先はトランプでありヒトラーだったかもしれないが…。
TPPがなくなって本当に残念だ。
http://anond.hatelabo.jp/20160331150720
お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話
人によっては非常に役立つ、と言う話の一方で、批判もあるこの記事。
人の生き死にについては宗教観が付いてくるのでそれをどうこう言うつもりはないけれど、ブコメには「すごいけど、できそうにない」という声が多いみたい。
そこで、おじさんを2人看取ることになった田舎の貧乏農家の長男の俺がどうやって費用を抑えたか書こうと思う。
具体的に書かないと意味が無いので具体的に書く。表ブログの読者の方は誰だかわかるかもしれないけど、できたら黙っていてくれるとうれしい。
親父は8人兄弟で、そのうち3人は田舎にいるが、残りは都会に出て行った。
そのうち1人は早々になくなり、もう一人は癌で死亡、その時点で存命は6人、1人のおじさんは生涯独身を貫き、もう1人のおじさんは子どももいないままに早いうちに奥さんを亡くして、独り身だった。
俺の親父は次男だったが長男が都会に出てしまったので跡継ぎである。ただ長男が継ぐつもりだったので結婚が遅く、自分の歳の割には高齢だ。さらに俺はその長男なので、跡継ぎである。と言うことで、小さい頃から「親戚が困ったら、本家のうちが助けてやるんだぞ」と言われて育った。
育ったが、本家と言っても、昔なら山を守ってそこから得られる富で支える事ができたのだろうが、今となってはただのワーキングプアの貧乏農家であって、お金がない。
それで、あまり会葬者がいない葬儀を出費としては38万円ちょっとで上げた話をする。これには振る舞いや精進落としを含み、真夏でエアコンのない我が家で特に必要になったドライアイス代等も含まれるので、そこを省くとたぶん20万円ぐらいでできる。香典を入れると、収支はプラマイゼロでできた。
上の叔父の時は、叔父から突然「病院からどうしても親類の人に一緒に来てくれと言われた。申し訳ないが、来てくれないか」というのが始まりだった。が、すでに70を超えた親だけをいかせるわけにはいかず、同行、距離にして400キロほど運転して駆けつけると、記憶にあるよりずいぶんとやせた叔父がおり、医師の話を聞くと、やはり癌だった。ステージIII。
叔父はだいたい想像が付いていたようで気丈に振る舞っていたが、こちらは正直、当時22歳だった俺は何のことだかわからない状態だった。
叔父の「今まで1人で暮らしてきたんだから大丈夫」という言葉があったが、ほっとけるわけもなく、とりあえず手術をすることに。手術は後、病理検査が出たのだが、家族だけ医師に呼ばれ話を聞きに行くと、医師曰く、非常に悪性が高く、見えるところは取り切ったはずだが、砂のような癌ですぐに戻ってくる可能性が高いという。本人は癌と闘う気があるので、抗がん剤をやるが聞きづらい可能性もあると言うこと。
みてやりたいという意思はあったが、抗がん剤は周りの支えがカギ、と言うことは一番上の叔母が癌になったことがあったので知っていた。
支える事は、400キロも離れていると難しい。叔父の現在の在所に住み込むような金ははっきり言ってない。畜産はやってないにしても仕事はあまりほっとけるわけではない。
持病を持っていた叔父は保険にも加入できてなかった。蓄えはあったが、まとまった金と言うほとではなかった。
幸いにして発覚したのが農閑期ではあったのだが…そこで親父と医師と相談し、ありのままを告知して、その上で、最後は田舎に帰ってこないか、と言う話をした。
このような形で、叔父は人生のほとんどを過ごしてきた街ではなく、子ども時代を過ごしたとはいえ、あまり縁のある人のいない田舎でなくなった。そのため、会葬者などはおそらく家関係の義理しかかないだろうと想定された。
人生の最後で引っ越しをしてもらうなど蓄えもほとんど使ってしまっており、実は叔父からは通帳一式預かったのだが、ほとんどお金はなかった。
そこで、親と相談して、お世話になっている菩提寺に相談をした。
結果
合計37.5万円。
実際には告知することもなく小さくやったので、あまり人が来ないと思っていたら、叔父と幼い頃一緒だった同窓生などが、どこから知ったのか来てくれたりもした。また、葬儀場が当たり前になっていて、お寺で葬儀を行うことがなくなっていた(お寺はそもそもそんなに大きくないので)のだが、やはり雰囲気が非常に良く、お金がないなりにそれなりにできたと思う。
組合の方々は香典を持ってきてくれたし、また叔父叔母もお金を出してくれたので、当家の出費はほとんど無かった…と言うか、実は少しだがプラスになってしまった。
それはこの後の法事に回す事にした
実は病院で死亡宣告を受けた後、最初に相談したのは葬儀社ではなくお寺だった。地元では葬儀社を手配しても、葬儀社からまずお寺のスケジュールを抑えてくれと依頼されるので、先に葬儀社ではなくお寺に連絡をすることが常識だと言われていた。
今まで全部親がやっていたので、自分がかけるのは初めてだった。このときは借金をする覚悟を決めていて値切るつもりはなかったのだが、そのときに率直に「今からお金を借りに行ってくるが、今日は日曜日なんで」と言う話をしたら、お寺の方からアドバイスをいただいて、こういう形になった。
「最近はお困りの方が非常に多い。実は珍しい話ではない。家族葬という形で小規模にやると後で悔いが残ることや大変なことも多い。なにより、現世との区切りが上手くできない。
これは、仏様にとっても大変だが、後になって自宅にお線香を上げに来る方が絶えず来て困るという事になってしまうので、現世に残された者のためにもこういう形を勧めている」という事だった。
これは、ほぼ同じやり方を下の叔父の時にもやったし、そう言うつもりで注意をしていると、あちこちのお寺でこういう小規模な葬儀をやっている事に気づいた。
余所の土地でもできるかどうかはわからないが、宗教家というのは基本的には(あるいは、建前的には、と言ってもいいかもしれないが)困っている人をほっといたりしないので、相談するべきだと思う。
下の叔父は突然死だった。突然病院のコーディネータという人から電話があって、外出先で倒れて運ばれたが死んだと言う。
叔父も300キロぐらい離れた別の所にいる。が、なさけないこと最初に頭をよぎったのは、300キロも搬送したらどれだけ金がかかるのか、と言うことだった。調べたら下手をすると数十万単位でお金がかかるという。当然だがそんな金はない。
とりあえず親を公共交通機関で送り出しつつ、考えた。
実は元増田と同じようにレンタカーを考えたのだが、レンタカー屋になんとなく効いたところ「そのような用途は断っている」とのこと。他にもあるかと聞いたら「まず遺体の搬送を許しているレンタカーは無いでしょう」と言うことだった。曰く、遺体を直接禁止しているものではなくても、輸送に特別な規制があり許可が必要なものは断るという規定になっている場合がほとんどではないかと。
きっと元増田のように選択肢が多い都会ならばもう少しなんとかなったかもしれないけれど、やむを得ない。ただ、レンタカー屋の担当の方は「ただし、知らない場合にはお断りはしません」と暗に黙認してくれるようなフォローをしてくれてはいたのだが。
そこで、どうしたかというと、自前のトラックで迎えに行った。普段農作業に使っているものだ。まず、お寺に連絡をした後、先にお棺を出してもらって、それを荷台に載せ、動かないように詰め物で色々と詰め込んで、緑色のカバーを掛けて、トラックで迎えに行った。おじさん、すいません。
後から相談したところ、最後の手段として、赤帽的な小規模運送業者を手配するという方法もあると言うことだった。組織としてはリスクがあるので断ることがあるが、個人事業主が多いので、受けてくれる業者もあるらしい。ただその場合でも、荷主が診断書をもって同乗するというイレギュラーな対応になる。
故に頼み込むと専門業者の場合は数十万円かかるのが常識の距離でも、数万円で受けてくれることもあるらしい。ただこの場合は必ず心付けを渡すことを忘れないほうがいいと思う。人間として。
ただ、御布施については、前回余ったという事、それからこちらの叔父は病気療養でお金を使っていたわけでもなく多少はあると思われたので(確かめる時間はなかったが)、多めに出すことにした。
ただし、このとき、叔父が長年暮らしていた家の周辺の人々に何も通知していなかったことが失敗だった。
最終的に叔父の家に片付けに行ったとき、近所の方に声をかけていただき、話をしたら、叔父はきちんと近所づきあいなどもしていたようだった。また、引退して気楽な一人暮らしだ、と言っていたのだが、実は在籍していた会社からちょくちょくアルバイト仕事を受けていたらしく、そちらの方もあった。
その後、暮らしていた街で親しくしていた方や、近所の方、元の会社の部下の方などが遠い距離を墓参りに来てくれたりもした。葬式というのは、故人や親戚のためだけにやるものではなく、むしろ周りの人間と現世と区切りをつけるためにやるものだ、と言うことを実感した。
今回は利用しなかったが、自治体には大抵簡易な葬式のやり方を規格化して、「規格葬儀」あるいは「自治体葬儀」という形で定型化し、安価なパッケージにしてあることがある。それを利用すると言う手がある。
この場合、自治体に相談すれば基本的に利用できる。それが利用できる葬儀社の一覧があるので、そこで申し込みをする。どういった場合でも広く利用でき、規格化されているので交渉も必要が無い。檀家になっている寺院が無い場合、ネットでいきなり検索して怪しげな所を選ぶよりは、これの方がいいのではないかと思う。地域性も加味されているし。
ただし多くの場合
地元では遺体搬送が別で28万円。実際には10万円ぐらいでできるさらに簡易なプランもある場合があるらしかった。地元だと、28万のプランは表に出ていたが、10万円のプランについては一般には示していなくて、基本的に生活困窮者のためで葬儀社はほとんどボランティアになる、と言うことだった。
元増田にはエンゼルケア、と言うのが出てくるが、最後が病院で亡くなったため、病院側のターミナルケアに含まれていたので、追加でお金がかかることはなかった。
増田も自分でやったという事なんだけど、介護保険にはターミナルケア加算制度というのがある。これはいわゆる緩和ケアのことではなくて、患者が亡くなった後の遺体のケアと家族のフォロー一式の作業のこと。
おそらく施設の人に任せても施設はターミナルケア加算を受けられることもあって、追加で高額なお金を払うことなくやってくれたのではないだろうか。
これが死亡後に施す特別な化粧のことだったら話は違うけれど。
以上、何かの参考になれば幸いです。
葬式はすごく地域性が強いはずなので、そのまま適用しようとしないでください。普遍的に言えることは、何事もそうだけど立場的に中立的な発言が可能な人に相談すること。
例えば葬儀社に依頼したら、葬儀社の方は立場上、よほどのことが無い限り「うちは高所得者向けの商売だから辞めた方がいい」とか言えないので…。
僧侶や宗教家の人、自治体の担当者や、病院にはコーディネータとか、コミュニケータという患者や患者の家族のフォローを専門にしている人がいるので、そう言う人にお願いするという方法があります。
お寺との関係が肝かな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/aoi-sora
「ポイントは、お寺との関係だと思う。」ここで討ち死にのはてなー多そうだな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/atoh
ご想像の通り、うちではお金がないのはお金がないなりに、お寺様との関係はつないでいるというのはあるとおもいます。総代会には入っていて、負担金は払っているし、施餓鬼など季節によってある行事には必ず参加しているし、何回忌といったものも、和尚様の言われるようにやっています。
これは大変じゃないかと思われるかもしれないけど、まずそれが一つの宗教観だからというのもあります。
ただそれを置いといて言えることは、実はあんまり費用はかかっていません。これは地域ごとの相場があるけれど、施餓鬼料は5000円で、総代会は年間5000円程度。一年で1万点程度。実は毎年必要になるお金はこの程度です。ただし、これは我が家が腐っても本家なので、実際には施餓鬼、総代会の年間負担金は3000円が普通だそうです。これ以外に法事を行う年や、寺院の大規模改装なんかが必要になると色々とありますが…。
ではそれがずいぶん疎遠になっている場合はどうなのか、と言う場合ですが、お寺には過去帳という者があって全部記録があるので疎遠になっていても相談する価値はあるのではないか、と思います。あるいは、うちには菩提寺がない、わからない、と言うケースですが、こういうときはそもそも葬儀などから遠くなっていると思うので、まずは自分だけでやろうとせず誰かに相談した方がいいのではないかな…。ネットでは情報が出てきにくいけど、人は必ず死にますし、逆縁になっていなければ多くの子どもは親を2人見送るから絶対経験談を話してくれる人がいるはずです。
結局寺に負担かけるのな
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/kvx
もうめんどくさいから適当に書くけど、ちゃんと金払わない屑増やすようなことを次々に書くな。寺に負担かけるのは結局他の檀家に負担かけてることに他ならない。http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/dadabreton
これには言い訳のしようがありません。お寺様には大変感謝しています。でも、無い袖は振れないと言うのが正直な所で…。親とかの分はきちんと積み立ててはいるのですが、突発的な事態には借金するぐらいしか手がありませんでした。
そこで手をさしのべてくれたおっさまには本当に感謝しています。ただ、2回目の時は御布施は始めよりはたくさん払っています。相場よりは安いですが…。
葬儀屋が諸悪の根源なんだろうかな。そっちの言い分も聞きた
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hiruhikoando
葬儀社の方がどう動いてくれたかが書いてなかったので追記をします。
葬儀社の方はこんな最小限の動きでも、きちんと葬祭ディレクターの方が付いてくれました。また葬儀当日は、お手伝いとしてお一人女性の方が付いてくれました。また、料理なども葬儀社から依頼しています。
儲からない仕事で申し訳ない、と葬祭屋さんには言いましたが、少なくとも問題は無いと言ってくださいました。まぁ和尚様に紹介してもらったので、断れないというのも、あるとは思うのですが。でも、費用は全部葬儀社に払っているので、赤字ではないのではないかと…。
個人的な感覚では、非常に公共性が高い仕事ですし、最短2日で葬祭道具から返礼品、料理まで全部そろえる態勢にはお金がかかると思うので、それほど暴利とも思ってはいません。
http://anond.hatelabo.jp/20160403011302
主語を自分にだけおいてください。「私はいらない」だけにして「他人も捨てろ」とか言うのはやめましょう。自分がそうだからといって他人も自分と同じだと決めつけるのはやめていただきたいです。多様な価値観があります。
その上で、
死亡→診断書→死体処理→搬送→保管→火葬→散骨
最短距離として、今回私が取れば一番シンプルに済んだのは、病院から連絡があったとき「引き取れません」と断るという方法があります。すると後は行政の無縁仏の処理のラインにそって公金で処理がされるはず。
正直、自分もそう言う選択肢が頭をよぎらなかった、といえば嘘になります。
「最初の記事では行動しない奴らが多くて、日本の寺、仏教(日本人の精神的な拠り所の1つ)を潰せないな。しょうがねー、もっと簡単なのも紹介しておくか」 「日本人の精神を潰すのは楽しいな、生きがいだぜ!」
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hayato1999a
煽りにマジレスするのもなんなのですが、和尚様がこういう安いやり方で葬儀を提案してくださったのは、宗教を壊すとかではなく、全く逆ではないかなと思いますよ…。
私も、葬儀をきっかけに、その後のお寺の集まりのなかで、掃除とか Permalink | 記事への反応(3) | 18:54
普段増田のトラックバックには反応しないことにしてるんだけど、
勘違いされているままだと残念なんで、はてブ稼ぎをやめて真面目に書いとくよ。
まず、「アニメ業界の場合を妄想してみる」を書いたのは、cider_kondo さんで、
http://anond.hatelabo.jp/20150429120948
こっちの「残念妄想(というか衒学的自己満足文章)に目が点である。」を書いたのもcider_kondo さんで良いのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20150430030805
もし違っていたら、大変申し訳無い。
以下の文章は誤認した文章となり恐らくcider_kondoさんにとって不愉快な文章になると思うので、謝罪しておきます。
id:cider_kondoと明示的に記載するので、大変お手数をおかけいたしますが、不愉快に思われた場合は運営に削除申請をお願いします。
で、
cider_kondo 駄目だこりゃ。「育成コストを負担したのに移籍されたら丸損」(これ業界の人も普通に指摘してる問題点なんだけど)に「金額関係ない」とか意味不明な返しでただの煽りと解釈するほかないな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150430094552
と、書かれているので、http://anond.hatelabo.jp/20150430094552を、http://anond.hatelabo.jp/20150430000956と、同一増田が書いたと思われていると判断して、以下の文章を書いています。
違います。
cider_kondo 何回でも書くが、現在の動画職は事実上のインターンで1年2年あれば普通は原画職に上がり、収入は倍以上増える。110万というのは訓練中の新人を集中的に集計したようなもの。搾取云々でなく新人育成の不備が課題。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1504/30/news078.html
凄いタイムリーにコメントされてたのを発見して、ほぼこれに対する反論と同じ内容が、下記延々と細かく続くだけです。
その1年か2年の訓練中の新人に、年間110万円しか払わないのが反社会的です。(倍でも220万円ですが)
そのたった1〜2年を、企業側が年収300万円程度渡せず、なぜ雇用者側が耐えなければならないのか、事実上の労働者と判断された瞬間に崩壊するよ、という話です。
(実例もある。ほぼ全く同じ構造でその名も「インターン」と呼ばれていた日本の研修医は、新しい臨床研修制度で平均給与が250万程度から350万程度へとアップした。なお、この背後も関西医大の研修医過労死訴訟が絡んでる)
(なお、個人的には「倍でも220万円ですが」の背景にある部分がこの問題の本質で、アニメーターは末端だから顕著に出ているだけだと思っています)
「国内アニメーターを活用している」の日本語の不自由さが謎なのだが、「国内に動画工程を残している」という意味か?
『「原画マンになれそうな見込みのある人間を雇って、相場よりも高い給料を払って動画の勉強をさせる」という選択肢はほぼありえない。零細企業の多い制作会社でそれだけの余裕があるところは少数だし、原画を描けるようになったところで独立・移籍されたら単なる丸損である。』
とあるのだが。
前者がYESです。
後者が「その選択肢はありえない」というのが企業目線であって、労働者目線ではないという指摘です。
「原画マンになれそうな見込みのある人間を雇って、相場よりも高い給料を払って動画の勉強をさせる」という選択肢はほぼありえない。零細企業の多い制作会社でそれだけの余裕があるところは少数だし、原画を描けるようになったところで独立・移籍されたら単なる丸損である。また、「生活できない収入しかもらえないからこそ、死にものぐるいで練習して少しでも早く原画に上がれるように努力する」というのがなくなると、「いつまで経っても上達せずにだらだら過ごしてしまう人間」も出る(実話)。
念の為、言葉を置き換えて整理しますが、以下で間違いないでしょうか。
(以降も同じですが、違う場合は、たぶん誤読しているので、その点を指摘頂ければ、その部分は修正します)
ここでは、「相場よりも高い給料を払って」を、元々の増田やcider_kondoさんの単純化に倣って、年収300万円相当としています。
そういう零細企業は、企業としての体をなしていない、つまり、雇用を生み出すという社会的責任を果たしておらず潰れるべきだ、というのが元々の増田の論旨で、私も原則的には賛成です。
現状そうである、と、そういう企業は適切に給与を払うべきである、は別だと考えます。
この記載から、現状の低賃金労働環境でなければ(つまり、年収150万円以下のアニメーターを前提としなければ)国内動画は不可能だと判断されているかと思います。
そして、以後、国内アニメーターは、「原画マン育成のためだけに雇うor雇わない」という話を展開されていると考えました。
私は、それは認識が違うのではないか、既に海外への動画発注の依存度合いはかなり高いのではないかと反論しました。
その上で、「国内動画は海外動画とは簡単に置き換えられないのに、『海外動画と張り合うにはダンピングしか無い』と騙して働かせていないか」と露悪的に表現しました。
現状のアニメーターと、年収300万円相当のアニメーターとで、独立・移籍に対する、ハードルは同じだと考えます。(むしろ上がる)
「企業側から見て」損である、というお話をされているかと思います。
それは、「損」ではなく「違法労働で得をしている」状態の是正ではないか、という点を話そうとしています。
上記引用部からは直接読み取れませんがたぶん「教育コスト分の損をする」というお話ではないでしょうか。
これは、かなり広範囲に適用できる話かと思いますが「企業が教育コストを負担するべきではない」というお話をされていますでしょうか?
アニメ業界だけ、教育コストを負担しないとする理由はなにかありますでしょうか?
(競業避止義務は、通常「事実上、転職元の企業の資産を使って、転職先の企業を有利にする」と判断される場合のみで、肉体労働者やIT技術者等が前職で一般的な技術を得てから転職しても、制約を受けません)
これに対して「奴隷を扱う人間の物言いであり、日本企業として許されるべきではない考え方だ」とは述べました。
特に反論はないので、この点に関しては、余談だったのであろうと思います。
(社会道徳を無視して、アニメ業界のためにシゴキが許容されるとは、cider_kondoさんも考えておられないと思います)
そして、現状の動画の大半が海外発注&動画職の平均年齢&原画な人たちが動画として働いてた期間を見たら、育成・選別過程と解釈する以外あり得ぬ。
「アニメ業界の場合を妄想してみる」の記載とは若干矛盾があるようにも思いますが、現状の「動画の大半が海外発注」という点は、共通認識があると思います。
また、「育成・選別過程と解釈する以外あり得ぬ」という記載から、「国内発注の動画は、原画マンの育成・選別過程である」と考えておられると思いますが、間違いないでしょうか?
(「現状既に少ない原画マンを増やすべく、国内アニメーターを活用している」は、上記の意味で用いています)
この現状であれば、既に採算を度外視して、「教育課程として」国内動画を発注しているという意味になると思いますが、この点に齟齬が有りますか?
これに関しては、2点、違うのではないかと指摘したいです。
20年前ならいざしらず、今でも国内の方がトータルでコントロールしやすいという根拠は何かあるのか? あるなら具体的に教えて欲しい。
具体例は出せません。例えば、海外の方がトータルでコントロールしやすいとする根拠は明示頂けますか?
公開されたインタビューや、公開情報以外では、こういった情報は各方面に迷惑がかかる為、お互いになにか手持ちの情報があってもココには書けないということにはご同意頂けると思いますが。
(9年前でよければ「MUSASHI GUN道」の木下ゆうき監督が韓国のアニメーターとのコミュニケーションに苦労されたとするインタビューが公表されていたかと思います)
動画枚数ではなく、例えば「明確な指示が無くても作業をしてもらえる」等を指して、無茶と言いました。
この点に、おそらくcider_kondoさんと認識に相違があります。
cider_kondoさんは、上記3点を前提とされていると思いますが、違いますか?
私は、1番には同意します。2番と3番には同意できない、という話をしています。
2番に関して、動画は海外発注できるできる部分と、できない部分があると考えています。
つまり、原画と原画を繋ぐだけではなく「本来は原画にすべきもの」をアニメーターが補っている部分がまだあると考えるからです。
こちらは、例示できます。
日本アニメ(ーター)見本市の第6話「西荻窪駅徒歩20分2LDK敷礼2ヶ月ペット不可」の動きは、原画によるものではなく、アニメーターの力量が出ていると考えています。
恐らく韓国発注でも、原画の枚数を増やし密なコミュニケーションを取れば、同じクオリティーのものは出来ると思います。
ただ、上記でまさにcider_kondoさんが書かれている通り、スケジュール管理しきれない現状で、遠隔地と密なコミュニケーションを取るのは難しいのではないか、との指摘でした。
3番に関して、1番との整合を指摘される前に詳細に書きますが、「教育のため」である点は否定しません。
アニメは「原画マン」が命であり、「原画マンになるにはアニメーターは良い勉強になる」点は、その通りだと思います。
そこで、(あまり品はよくありませんでしたが)スタジオジブリが国内生産に拘っていた、業界内では有名な理由を挙げました。
ただし、「教育の為だけに、採算度外視して国内発注しているのではないか」というのは、同意できません。
それは、2番や「無茶」の理由が大きい為、海外に出せない工程として国内が残されている(良いように使われている)と考えるからです。
と書かれていることから、「教育コストを払い、アニメーターとして年収300万円で雇い、原画マンに育てた後、移籍・独立されれば損をする」と考えておられるのではないかと思います。
もしも「国内動画は、採算度外視して、教育のためだけに発注している」としても、それは甘いのではないか、アニメ業界だけ特別にルール整備をする理由は無いと考えます。
なぜなら、独立や移籍をされて困るのであれば、相応の給与を払いメリットを明示し、社に残ってもらうのが一般企業だからです。
例えば、IKEAやUNIQLOが、アルバイトを限定正社員として雇用形態を変えたのは、囲い込みの為だと考えています。
(余談にはなりますが、狭い業界ですので、露骨なヘッドハンティングはあまり横行しないのではないかとも考えていますが、こちらは単なる想像です)
また、独立されるから給与を払いたくない(実質的に雇っているが、最低賃金以下でしか雇わない)のは、法令違反だと考えます。
ただし、「現状誰も何も言わないのに、自ら率先して始めるインセンティブが低い」というのは同意します。
そして、それ(ある日突然、アニメーターを正規雇用しなければならなくなった時)に備えない企業は、その時に潰れるのではないかと述べました。
「アニメーターは原画マンへの教育課程でしか無いので、教育コストを払えないor払っても損する現状では払えない」は、2つの理由から違うのではないかと反論します。
1番を無視して「国内アニメーターが海外動画勢と戦うには、ダンピングしか無い」とするのは、不誠実であると思います。
また、2番に関しては、(私は同意しませんが)cider_kondoさんの言われる「国内動画は教育課程でしか無い」という前提をおいたとしても、給与を払わない理由にはならないと考えています。
cider_kondoさん自身が述べておられますが、20年前ならいざしらず、現状で海外動画発注に完全置き換えできないのは、理由があると言うのはご同意いただけると思います。
cider_kondoさんは、完全置き換えしないのは教育のためだけだと言われますが、その為だとしても、年収300万円を払わない理由にはならないと思います。企業側がアニメーターを育成して原画マンにした後、移籍・独立されてしまえば教育コスト分損をする為、なにか方策を考える必要があるというのはその通りだと思いますが、「だから、アニメーターは教育コストなので、最低賃金も払わない」という、無給の丁稚奉公を肯定する立場は、現在の日本社会では、許されていないと考えます(単に司法が見逃しているだけ)。
「適正な賃金を払うと、零細企業が潰れてしまう」と言うのは、ブラック企業擁護でよく見る意見ですが、それは間違っていると考えます。
そして、私は教育のためだけではないと思いますし、そうであるならば尚更、適切な賃金が払われるべきだと思います。
その後も酷い。補助金(普通は農業関係より伝統芸能を引き合いに出す文脈の方が多いのだが、それらが国防に関係あるとでも?)とか
「伝統芸能を引き合いに出す文脈の方が多い」根拠を出せますか。
酪農や畜産を参考にしたらいい。本来なら潰れてる業界を関税や補助金で守ってる例なんていくらでもある。補助金漬けになったら駄作しか生まれなくなる気もするけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150429120948
私は、上記のコメントやTwitterのコメントを幾つも貼れますが。
ソフトパワーって知らんのかとか
ジョセフ・ナイが提示した「ハード・パワー」の対義的な概念としての「ソフト・パワー」であれば、簡単には知っています。
★農水省の友人が語るところでは、国内の肉類消費量は、「鶏肉」や「豚肉」は比較的安定してるのに対し、
★私見だが、20年程前は、「贅沢飲食のアイコン」としての牛肉消費があったと思う。
逆に言えば、「あいつに何かおごってやらなきゃ」と言うシーンにおいて、「7割の確率で喜んでもらえそう」だから、
人々は「儀礼的意味合い」も込めて、鶏肉でも豚肉でも魚でもなく、牛肉を消費してたんだと思う。
首都圏で贈答品に三越が、大阪で阪急百が選ばれるのと同じ理屈で、牛肉がご馳走飲食に選ばれた
その結果として「ご馳走飲食プレミアム」のかさ上げ部分が剥げ落ちたのが真因じゃないか?
「冷静に考えたら、おごってやるのに、牛肉じゃなくても、いいよね。魚でも豚肉でもいいよね」
と人々が「目を覚ました」?
★あと、変な話だが、「牛丼デフレ競争」と「100円マック」が「牛肉」の「贅沢アイコン」を徹底的に毀損した影響も大きいと思う。
今の若い人(20代)だと、既に中学生の頃から、牛肉は「安物」だった訳だ。
★そういえば、20年前は焼き肉チェーンとかステーキチェーンが人気だったが、
今は「世界の山ちゃん」とか「鳥貴族」のような焼き鳥チェーンの方が、元気がいいなあ
ブロイラーという「鶏肉の準工場生産化」に成功した鶏肉は、食品内で相対的に安くなっている筈。
何だかんだで畜産技術も進化しているから、牛肉も戦前比較では安くなっていると思う。
技術が進化しにくい魚類が、恐らく食品内で相対的に高くなってる
★日本には、まだまだ戦前の感覚が残っていて、「魚は安い、肉は高い」というイメージが残存してる。牛肉のご馳走消費はその名残。
アメリカでは、肉は庶民が食べるもので、魚は健康志向が食べる高級品扱いされてるらしい
実は、最初に記述した状況が、(2)の反例になっているか疑問に思えてきた。理由は、
(3)「そこに含まれるすべての人間を積極的に全否定する行為」
という表現に、個別的な行為があてはまるか否かを判断することが難しいからだ。
また、そのような行為であるような「自殺」を思い浮かべることも難しい。
なので、(1)、(2)を併せた主張に反例を上げるためには、
「いいかもしれない」って何やねん。何でアドバイスみたいなまとめになってんの?
俺は別に反例なんて要らないんですけど。何故なら俺は自分の意見について、絶対とは思ってないにしろある程度までは正しいこととして通る話をしていると思っているからだ。
反例を挙げるのはそっちなんだから「そのためにこうすればいいと思います」みたいな意見はお門違い。
「そのためにこう」してみるのがいいと思うなら、実際にそうして出来上がったものを出してみろよ。
具体的に
たとえば、「ある人間を部分的に否定する行為」、その積極的な場合とそうでない場合、
の場合分けに従って例を出してみろってんだよ。
ぶっちゃけ莫大な個例を検討するハメになった挙げ句、「結局反例として機能するようなのは見つかりませんでした」ってオチになるのは目に見えてるが、まあお前が自分で「こうするといいかもしれない」と判断したんだからな。骨折り損の草臥れ儲けとしても自業自得、その悪い頭を呪っとけってやつだ。
「円い四角や空間を占めない色彩が概念的に不可能な存在であり、黄金の山が概念的には不可能でなくまた現実には不可能な存在でないが実在が確認されていない」ということが、
「具体的でもなく現実に生じたことでもない事象について、『現実に不可能な状況ではない』と判断できる」ことの根拠としてどう関係あるんだよ。
円い四角や空間を占めない色彩が概念的に不可能だとしたらそれは現実にも不可能だからだし、黄金の山は実在していないにしても十二分に具体的だから現実に可能な存在だと考えられるだけだろうが。
まるで意味の無い例えだ。自分が何を言っているのかわかっていないんじゃないか?
最初の後半に挙げた状況や、その後に示した具体的な状況は、
対象はすべての人間ではないが、かなり大規模な仕方で起こっていた状況らしい。
集約的畜産に反対する人間が挙げた例がどうして自殺を云々する主張に使用できると考えたの?
元の話を見失いすぎだろ。そういう状況が実現し得るか否かはあくまでも「そういう状況で自殺が正当化され得るか」を考えるための材料に具体性を持たせて説得力をつけるために検討することですよ?そこんとこわかってる?
人間より優れたものがより大規模にそのようにしたとして、そこで「自殺」はどのようなかたちになるか、それが「そこに含まれるすべての人間を積極的に全否定する行為」となるか、なるとしてそれは正当化されるかどうかを考えるってのがお前の立場でやるべきことだからね?
あと一応ツッコんでおくが、人間より「優れた」ものは人間より優れた倫理及びその倫理を実現する技術をもっていて然るべきなので(「人間」の範疇の中に集約的畜産に反対する人間が含まれるんだから、それより「優れた」存在は集約的畜産の問題点を論じるのみならず解決できていなくてはならない)、そのようにするのはむしろ不自然でありもっともらしさなど砂一粒もないという主張も成立しちゃうんだからね?
いやめんどくさいから「優れているとは何か」みたいな定義にはタッチしなくていいんだけど。お前どうせ自分に都合のいい「優れたもの」像しか想定しないんだから。
実は、最初に記述した状況が、(2)の反例になっているか疑問に思えてきた。理由は、
(3)「そこに含まれるすべての人間を積極的に全否定する行為」
という表現に、個別的な行為があてはまるか否かを判断することが難しいからだ。
また、そのような行為であるような「自殺」を思い浮かべることも難しい。
なので、(1)、(2)を併せた主張に反例を上げるためには、
(3)を単純なものに分解し、具体例を思い浮かべて、具体例がその単純な表現に当てはまるか否かを考え、
少しづつ複雑な表現にして似たようなことをするといいかもしれない。
たとえば、「ある人間を部分的に否定する行為」、その積極的な場合とそうでない場合、
「ある人間を全否定する行為」、その積極的な場合とそうでない場合、
「そこに含まれるすべての人間を否定する行為」、その積極的な場合とそうでない場合など。
黄金の山は概念的に不可能ではないし現実に不可能な存在ではないが現在のところ発見されていないようだ。
最初の後半に挙げた状況や、その後に示した具体的な状況は、
対象はすべての人間ではないが、かなり大規模な仕方で起こっていた状況らしい。
○朝食
○昼食
ころうどん。
○夕食
炒り卵とソーセージとご飯
○調子
今度は上向いてきた。
ただ、調子があがりすぎて躁になって、セロトニンを無駄に消費するのも嫌なので
じっと我慢する。
○ギアーズ1
なにこれ難しすぎ。
ステージAct1まではなんとかクリアできたけど、一日一Act進めるのすら困難そうだ。
けどこの難しさが程よくたのしい。
とはいえ、こういうグロハードゲーは、先のFable1で少し飽きてるので、今日から腰を据えてやるのは下のこいつだ!
○あつまれピニャータ
簡単に言うと、ガーデンを管理しながら、ピニャータと呼ばれる動物を育てるゲーム。
癒されるわあ、可愛いピニャータと、きゃきゃっうふふしてると乙女になった気でいると。
き、き、ぎえぴー!
ぬいぐるみみたいな見た目だから納得しそうになったけど、これ畜産農業の厳しさを教えるゲーなんですか?
もうやだ、なんで癒されようとしてこんなことになるんだ!
http://news.mynavi.jp/column/catmarriage/001/
他人に対して怒りを覚えるなんて脳が腐ってるんじゃないのか。
猫だよ? 飼う必要ないよね。
こんな感じで犬や猫を好きだの愛しているだの言うくせに、飼ってる奴を見るとモヤモヤする。
胃がもたれちゃう。
なので吐く。
この間、妹が猫を保健所から引き取ってきて育ててる。とかって話を嬉しそうに話してた。
保健所で今にも殺されそうな猫がいるのにペットショップなんかで買えないよ!
って、さも良いことをしたように語っていた。
俺は偉いな! とだけ言った。
でも本当は
良いことしたようなこと言ってるけど
お前がペットショップで猫を飼わなかったせいで
保健所でもペットショップでも変わらねぇよ。どっちみち猫は殺されてんだ。
って思ってた。
売れ残って処分されるのも、保健所で撲殺されるのも、どっちも同じくらい悲惨じゃないか。
そこに何の違いがあるというのか。
どうせならペットショップで自分の好きな容姿の猫を買って子猫~成猫になるまで育てた方がお得じゃねえのか。
結局、犬や猫を飼う人がいるせいで犬や猫は日々不当に殺されているってことだ。
好きだからって理由で飼うの?
自分勝手すぎない?
人間本意すぎない?
己じゃない個の生命を好き勝手に扱って良い権利がお前にはあるの?
ペット全般に言えることだけど、本当に好きだったら飼わなきゃいいのに。
ペットを飼わないと、何か問題あるの? ないよね。
自分が満たされるために少ない命だけを救って、多くの命を見捨てていることに罪悪感は覚えないの?
需要が全く無くなれば、少なくとも不当に命を奪われる犬猫は少なくなるのは分かってるはずだよね。
商売なんだからさ。誰も買わなかったら売れないよね?
そもそも飼育されてなきゃ、捨てられることもないわけだし。
そういった問題が解決するまでペットを飼うのを我慢できないの?
まぁ一生解決しないかもしれないけど、一生ペットを飼わなくたって別に問題ないでしょ。
そこら辺の折り合いをどうつけてれば厚顔無恥に犬猫好きです飼ってますなんて言えるわけ?
じゃあさ、最初から痛覚除いたらOK?てか、脳死とかにして痛覚感じなくすればOK?
ちなみに牛や豚が痛さを感じるのは、それが生命の危機に関係があって、避けるべき、もしくは起こった場合にそれに対処すべき事項だから。
一方、果物なんかは、中に種があって、そもそも食べられて運ばれる、と言うことを前提に作ってる。なので痛覚なんて無駄なものを作らない。
ぎゅうぎゅう詰めにして育てようが放牧して育てようが、最後は「殺す」のね?
牛や豚とキャベツやりんごでは苦痛を感じるか否かに違いがある。
日本の外の方がベジタリアンに対する理解はあるよ。行ったことある国でしか説明できないけど、カナダとかベジタリアン向けの食事が用意されているし、ベジタリアンレストラン(チャイナタウンなら素食って呼び方をする。)も多い。
日本でベジタリアンになるのはコストでも時間的な意味でもすごく難しいことだけれども、NPO法人なんかもあるみたいだしチェックしてみることをオススメする。
畜産については、日本や北米の超工業的で動物に苦痛を与えうるやり方は欧州をはじめとする国々から批判されることも多いと聞いた。実際に北欧の食肉加工場と南米の食肉加工場だと衛生さも動物の飼育から屠殺までの苦痛も(あくまで人間からみた尺度だけど)北欧の映像の方がよい(あるいは軽い)。北米の食肉事情については映画「フード・インク」が詳しくやってくれていると思う。(作られた動機が「息子が肉食べたら食中毒おこして亡くなった」ってことなので、大分プロパガンダ的要素も入ってると思うのでそこは留意しておいたほうがいい。あとは血が出るから苦手な人は見ないほうがいいかも)
そして、日本で捌かれる畜産動物はまだ衛生的な環境で、苦痛もなるべくないように考慮されている方だから、一度お近くの食肉加工場に見学に行かれてみてはどうかなと思う。ちょっと勇気いるけど。
動物の福祉では、これは一説に過ぎないけれど、日本人が好む「霜降り」は実はかなり牛に負担を掛けているということで、動物の健康を考えるならば、日本の穀物牛よりもオセアニア産の牧草牛のほうが良いらしい。
血が苦手な人、動物との初めてのふれあいがペットの人はかなり苦しいけれども、畜産動物はペットとは違うのでどうしても工業的になってしまうのはしょうがないにせよ、パック肉しか目にしない今日だからこそ一度捌かれ方を知りたいと思う。
イルカ漁が悪く、牛や豚の畜産が許されている理由は只単に多数派の合意が得られているからである。
多数派の合意の下、さまざまな(かつ非合理な)規制が行われてきたのは生きているなかで幾度となく経験されていると思うが、
それと全く同じ議論が成立する。
反面、イルカ漁の合理性を考えたとしてもこれほど無意味な風習はない。
海域の生態系の維持を目的とするにしても、この合理性を科学的に証明したものを寡聞にして知らないし、
マグロやウナギで失敗続きの日本の漁業でそもそもイルカの生態系が維持されるのか非常に疑問である。
徒に他人を煽って敵を作るよりも、彼らとどのようにうまく付き合っていくかを考えるべきで、
とりあえず1万くらいのタイトルから選んで内容をざっと見てみた
どうせお堅いのはスルーされるだろうってことで際物中心
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性及性慾の研究,,羽太鋭治 著,前田書店出版部,1920,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1899459
処女性の本態,,正木不如丘 著,至玄社,1929,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189598
夫婦の道,,徳富猪一郎 著,主婦之友社,1928,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178062
若き女性の問題,,三田谷啓 著,同文館,1942,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276740
女性の愛と美,,金子白夢 著,東洋出版社,1924,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1885760
男女淫慾論,初篇 上,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994764
男女淫慾論,初篇 下,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994765
男女淫慾論,二篇 上,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994766
男女淫慾論,二篇 下,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994767
男女淫慾論,続篇,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994768
娼妓解放哀話,,沖野岩三郎 著,中央公論社,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915360
性慾教育の研究,,羽太鋭治 著,大同館書店,1915,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1899280
児童の自殺,,三田谷啓 編,三田谷啓,1916,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980097
貧乏と奴隷,,海野幸徳 著,赤炉閣書房,1931,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178127
フリーメーソン秘密結社に就いて,,四王天延孝 [述],人類愛善会亜細亜本部,1933,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097122
メーデーとフリーメーソンの正体,,四王天延孝 述,愛国義団本部,1937,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100146
創価教育学体系,第1巻,牧口常三郎 著,創価教育学会,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464901
諸官立學校最近拾五年間英語試驗問題答案,上卷(自明治33年至明治38年),英語研究會 編,金刺芳流堂,1914,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184046
諸官立學校最近拾五年間英語試驗問題答案,下卷(自明治44年至大正2年),英語研究會 編,金刺芳流堂,1914,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184073
諸官立學校最近拾五年間英語試驗問題答案,中卷(自明治39年至明治43年),英語研究會 編,金刺芳流堂,1914,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184059
我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか? : 東京帝国大学法学部赤化教授対「しきしまのみち」学術的剖析,第1,三井甲之 著,原理日本社,1929,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178862
臆病のコドモの取扱,,三田谷啓 述,大日本児童協会,1923,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939339
いろは引江戸と東京風俗野史,巻の1,伊藤晴雨 著,城北書院,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186793
いろは引江戸と東京風俗野史,巻の3,伊藤晴雨 著,城北書院,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186798
いろは引江戸と東京風俗野史,巻の4,伊藤晴雨 著,城北書院,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186803
江戸と東京風俗野史 : いろは引,"巻1,5",伊藤晴雨 著,成島乙次,1931,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187071
日本常民文化研究所彙報,第56 (おしらさま図録),日本常民文化研究所 編,日本常民文化研究所,1943,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193998
沖縄風俗図絵,,,東陽堂,1896,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993006
朝鮮風俗資料集説扇・左縄・打毬・匏,,今村鞆 著,朝鮮総督府中枢院,1937,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1256426
支那習俗,,太田陸郎 著,三国書房,1943,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453555
支那女研究香艶録,,井上紅梅 著,支那風俗研究会,1921,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1885902
当世かもし雛形,,安部玉腕子 著,米山堂,1936,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186040
可愛良集,初篇,岡野敬胤 編,岡野敬胤,1883,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768035
禁忌習俗語彙,,柳田国男 著,国学院大学方言研究会,1938,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1821869
芸妓三十六佳撰,初編,雑賀豊太郎 編,鈴木八三郎,1882,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768053
三都花街めぐり,,松川二郎 著,誠文堂,1932,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458091
售媚艶評 : 一名・東京美人かがみ,,小池洋次郎 (玩柳道人) 著,巌々堂,1881,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768082
自作俳調芸娼略伝百人集,,山口近太朗 編,永玉堂[ほか],1883,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768068
夢遊余談吉原新繁昌記,初編,夢遊仙史 著||春夢居士 (国分広志) 編||同窟狢史 評,法木徳兵衛,1882,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768233
吉原細見記,1冊,広瀬源之助 編,広瀬源之助,1895,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768223
よし原,,浅野与吉 編,浅野与吉,1890,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768217
妹の力,,柳田国男 著,創元社,1940,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461605
一目小僧その他,,柳田国男 著,小山書店,1934,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444010
桃太郎の誕生,,柳田国男 編,三省堂,1942,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062590
山の人生,,柳田国男 著,郷土研究社,1926,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1183913
帰還兵の声,,,興亜歴戦者有志会設立準備会,1940,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112736
生兵閑話,,高田義甫 著,勧善舎,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/843076
軍縮読本,,伊藤正徳 著,中央公論社,1934,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232801
赤軍は嘲笑う,,国際情勢研究会 編,太陽閣,1937,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221127
比島作戦,,,読売新聞社,1942,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062822
学鷲 : 陸軍特別操縦見習士官 写真報道,,,朝日新聞社,1944,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457627
防空壕の実際知識,,,東洋経済新報社,1941,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062961
なぜなぜ科學教室 : ポケット知識,,日本放送協會 編纂,日本放送出版協會,1942,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1731429
花鳥写真図鑑,第1輯,岡本東洋 編,平凡社,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241059
白濠洲と有色人種 : 濠洲諸新聞の批評,,イー・ダブルユー・コール 編,警醒社,1903,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832938
大日本植物図彙,第1巻 第1輯?第6輯,伊藤篤太郎 著,大日本植物図彙出版社,1924,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908225
新集全動物図鑑,,日本動物研究学会 編,泰明堂,1934,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234062
日本通俗昆虫図説,第1巻,松村松年 著,春陽堂教育図書出版部,1932,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1191740
野鳥巣箱の懸け方図解,,農林省畜産局 編,日本鳥学会,1933,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1237141
中華民国医師講習録 : 附録・講習会記事,第2回,同仁会 編,同仁会,1931,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1026532
薬草薬木民間療法,,紙硯社編輯部 編,紙硯社,1943,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1046544
生殖器新書 : 一名・既婚未婚男女必読婚姻案内,,ホリック 著||守矢親国 訳,博文館,1897,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833821
正しい性生活,,H.W.ロング 著||性科学研究所 訳,産児制限評論社,1933,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1149919
正しき性の生活,,ロング 著||街頭社編輯部 編,街頭社,1932,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1149914
男女生殖器の研究,,ホリック 著||伊沢徳 訳,求光閣,1906,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833822
医師は結核家族へ何を教示すべきか,,三戸時雄 著,診断と治療社出版部,1931,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024960
皮膚毛髪の生理衛生・偉人の生立,,日本放送協会関東支部 編,日本放送協会関東支部,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098150
阿片及他ノ危険薬品ノ取引ニ関スル暦年一九三二年ニ於ケル日本政府ノ報告,,外務省条約局 編,外務省条約局,1933,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208383
支那ニ於ケル阿片及魔薬品,,外務省通商局 編,外務省通商局,1925,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1849317
中華民国医事衛生の現状 : ライヒマン報告,,国際聯盟事務局保建部 編||同仁会 訳,同仁会,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1872345
戦時国民食,,日本赤十字社 編,大日本出版,1941,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070591
青少年工員の生活管理の理論と実際,,日本産業経済新聞社通信部 編,国民社,1944,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1064612
薩摩藩と富山売薬薩摩組,,富山売薬薩摩組 編,富山売薬薩摩組,1938,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1047130
ブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。
それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、
「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」
というものだった。
で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。
上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分は高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。
『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールドは仕事だと思う。だから、勉強が役に立つ職業の説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。
建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理、化学、工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学、経済学、生物学などほぼすべての研究に統計は必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニア、プログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くものの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許の手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。
ガソリンスタンドの店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学と生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験、コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省や経済産業省など。農薬、食品添加物、産業廃棄物の基準をきめたり色々)、医者、看護師、獣医、畜産家、農家、栄養士、薬剤師、保健師、衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。
海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。
翻訳家、記者、作家、漫画家、企画職、コピーライター、検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律の難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェアの利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。
自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分が理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。
さて、この職業のリストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。
家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものがブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論で効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。
答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。
学力を必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業も一定数存在する。土木作業員、コンビニ店員、居酒屋店員、服屋の店員、料理人、バス,タクシー,トラックの運転手、芸人、音楽家、デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベルの学力があれば学校の勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力が必須でない職業につくのが、学力が必須の仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力が必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力が必須の仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者は多忙だし、貧困な生活を送るポスドクの研究者もいる。社長や政治家より、責任のない立場の人間のほうが気が楽かもしれない。
マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。
簡単だ。ほぼすべての仕事が仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。
そもそも、学校の勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやすい人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明のとき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。
このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間を勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。
勉強が自分でやるより他人にやらせるほうが得なことを踏まえると、自分は勉強しないけど人には「勉強をしろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間が勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命の神秘すら感じる。
自分でやるより他人にやらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。
子どもには勉強をしろと言いつつ、官僚を馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子どもが勉強と尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。
また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間を馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。
人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分が勉強していることに対する疑問も持ちにくい。
誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法やテキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い。
志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理、政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。
勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。
給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術にお金を払うのも大切だ。消費者がキャッチコピーや広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社はキャッチコピーや広告の制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党に寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。
それは自分が勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分が勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間が似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。
「勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強を必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベルの数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものだからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。
勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷機だって、テレビだって、洗濯機だって、パソコンだって、FaceBookだって、スマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。
有名な動画Did you knowによると2010年の需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。
勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。
これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。
正直、学校の勉強の質はさほど高くないと思う。歴史はもっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータス、お前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカ、アフリカ、東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。
それでも、詰め込み教育、ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。
自分は詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率を3.14で計算することは小数の筆算の能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算で計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場の人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合の時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。
学問も進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。
個人的な意見だけど、学校の勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校の勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分は学校の勉強より、プログラミングの勉強してゲームとかつくってた。それは学校の勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系の会社に就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。
ちょっと長くなったのでまとめる。
自分が考えた勉強の意味はこんな感じだ。勉強の意味は考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強の意味は多い方がいい。一人の人が勉強の意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。