燃えてしまった恐竜は、旅先のテーマパークで買ったので、その思いでが詰まっていました。
なので、恐竜が燃やされると同時に、その思い出も消えてしまったような感じです。
どうせなら、父親に一度、当時燃やした理由を聞いてみたいものです。
自分の間違いにはまっっっっっっっっっっっっっっっっったく触れないんだ!!!!
うぉおーーーー興奮する!マジしびれる!
俺だったらその罪悪感に耐えられんもん。
現に君が指摘した俺の矛盾箇所は多少(ほんのわずかだけど)ダメージにはなっていて、こうやって軽く触れざるを得ないんだけど、
君にはその心の葛藤の跡とかが一切ないもん。潔い。
正しいと信じながら堂々と悪をこなしてる人たちの心理って案外こんなもんなのかもな。いや君がそうってわけじゃなくさ。
twitterは最早リアル友達との連絡手段になってるから絶対やめられないなあ。
こちらは「オカルトに振り回されない」なんて一度も言ってないけど
こっちは「お前はオカルトを馬鹿にしている」って書いたんだよ?
振り回されないってどっから出てきたんだ?w
ここで書いてるけど。↓
http://anond.hatelabo.jp/20140119191311
それで↑に対する答えが
http://anond.hatelabo.jp/20140119192753
なんじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20140119135908
http://anond.hatelabo.jp/20110308212302
「深読み思考」と「極度の反省思考」は認知行動療法に通じるものがある。認知行動療法をいい加減に紹介しよう。適当な説明なのでちゃんとした理解はちゃんとしたところでよろしく。
認知のゆがみとは、ささいな失敗で「自分はもう終わりだ」と思ってしまうようなのを直す。
よく考えれば、そんなに悲観することはないんだけど、思考がそこまで進まない、もしくはとても時間がかかる。
その「よく考えれば」のところまで、なるべく早く行き着くようにしようというのが認知行動療法。
なにかのできごとに接したとき、頭の中に浮かぶ考えをなるべく正確にとらえる。「自動思考をとらえる」という。
元記事の「いつもは言葉をかけてくれるのに今日は頷くだけであった」→「もしかしたら嫌われたのかも……」は認知のゆがみの典型例だ。
嫌われたのかもしれないと思って気分が落ち込んでしまうと、ますますマイナス思考へ陥ってしまう。
ふり返ってよく考えれば、そんなことはないと思えるだろう。そのことに気づく訓練をする。
「もしかしたら嫌われたのかも……」→「たまたま声を出しづらい状況だったのだろう」「集中していることがあって、人と話したくなかったのかもしれない」など。
そういう結論にたどりつくようにする。
しばらく続けていれば、「いつもは言葉をかけてくれるのに今日は頷くだけであった。」→「もしかしたら嫌われたのかも……」→「いやいやそんなことはないだろう」の流れがすぐに出てくるようになるだろう。
認知行動療法ってそんな感じです。
本もいろいろ出ているので、興味のある方はぜひ。
http://www.wikihouse.com/cognitive/index.php?%BB%B2%B9%CD%BF%DE%BD%F1
なんなのこのサムネイル?
http://cdn-ak.b.st-hatena.com/entryimage/178216114-1390120458_l.jpg
気取ってってキモい。
若い人がテレビを見ないとか言う論がいつもでるけど、言っている人は40-50代、反応する人も30代くらいとその議論自体が若い人に届いてない。
結局のところ若い人にとってはもう大多数の人がラジオを聞かないように、テレビを見ないことが特に不自然なことではないのかもね。
おー、アスぺ来たこれ
スパムメールってのは大体一日に数十万~数百万通送るわけで、送信拒否の有無なんて全くと言ってもいいほど気にしてないのが実情だぞ
ちなみに三年前に逮捕されたロシアのスパム業者が送っていた一日のスパム送信件数「500億通」
「毎秒」約60万通送ってた計算になる
世の中の訴訟の大半は、強者(家族に弁護士が居たり大企業等でお抱え弁護士が居て弁護士を雇うコストがほとんど掛からない側、またはコストとも思わない資産を持ってる側)
がそうやって相手に無駄なコストを払わせるという攻撃の為にあると思う。
結果こっちは弁護士も雇わずに話し合いをして向こうの請求は全部却下させたけど、対応に対する無駄な時間を払わされたし、心身は十分打撃を受けた。
不眠で困ってたんで行ってきた。
睡眠薬貰ったんだけど飲んだら今日起きたら16時だった(´・ω・`)
起きた後も頭フラフラするし結局18時くらいにまた寝てしまって今起きた。
私の日曜日返してー
土日に飲むのはやめようと決心した。
「認知のゆがみ」って言われるやつね
これって、行き過ぎるとよくないだけで、誰でもこの要素の1つくらいは持っているもんだと思う
へえ、そういう方法があるのか。いいこと聞いた
いまの日本人の多くからすると、某国のカースト差別だとか、某宗教が女性に肌を見せるのを禁じて顔までベールで覆わせるのだとか、不合理でバカバカしいと思うはずだ。
問題は、合理性があるかどうかということであって、つまり、自然道理に合っているかどうかだと思う。だとすれば、社会慣習だからどうこうとかいうものでもないし、おなじように、法令だからだとかモラルだからだとかいうものでもないと思う。自然法則にしたがっているか、道理に即しているかどうかという問題だ。
たとえ一般論としては通用する慣習でも、個別事例には適しているかどうかはこれまた別で、合理性があるかどうかはいちいち考えなければわからないだろうて。ジェンダーだとか年功序列だとかもそうだろう。中には学校で飛び級をさせるべき子どももいるし、だが多くは飛び級は適さないだろう。どのように生まれ育ったかで、どの学校に行くかにしても、どの職業につくかにしても、異なるはずだ(だからもちろん、カースト制だとかの身分による分別は合理性が低い)。生まれ育ちによっては例えば「特別支援学校」(「養護学校」)に行くほうがしあわせなこともある。
そう、しあわせというのは一般論ではわからない。合理的か否かも個別具体的にいちいち考えなければわからないことも多い。例えば形式的平等というやつも、下を底上げするのには都合がいいが、それでは合理的とは言い切れない、みんなしあわせっていうわけがない。
例えば、不登校であるほうがマシであることもある。無理やり学校に通わされたら、なにも悪いことをしていないのに、そもそもなにもしていないのに、イジメられるってこともある(私もそうだった)。
合理的か否かというのは、思考停止している人間にはわからない。いちいち思考するというのはしんどいことで苛酷ではあるが、だからといっても、思考せずに勝手に決めつけるというのは教養のないガキの甘えだと思う。