はてなキーワード: 最前列とは
出会いは某2.5舞台だった。ずっと好きだった作品が2.5次元化され、舞台というものを初めて見に行ったのがその舞台だった。
まだデビューしたてで芝居はお世辞にも上手いとは言えなかったが全力で歌って踊りキラキラした笑顔のAを見て惹かれ、いいなと思いながら何回か通っていた公演中に客降りのハイタッチで満面の笑みでハイタッチをしてくれたAに転がるように落ちた。
初めて贈ったプレゼントが翌日に使われていたのを発見して狂喜乱舞して、その後調子に乗ってちょくちょくタオルやらTシャツやらパーカーやら贈ったけどほぼ全部使ってくれていた。その度に鍵もかけていないツイッターアカウントで大騒ぎしていた。今思うと死にたい。
その数ヶ月後初めての接触イベントで、今じゃ絶対やらないけど自分から名前を名乗ったら「あ〜〜!わかりますよ!いつもいつもありがとう!!プレゼントも色々ありがとう!!」と握った手をぶんぶん振りながら言ってくれた、本当に嬉しそうなAの笑顔に泣きそうになったのを覚えている。
その時上から下まで一瞥されたのも忘れられない。この頃はようやくhoneysを卒業してearthとarchivesとイーハイフンを着こなそうと奮闘している二次オタ上がりのおたくだった。察してほしい。
その後もAはトントン拍子に舞台に出続けていた。Aはどんどん芝居が上手くなっていっていたし、Aの芝居が本当に好きだった。Aは接触する機会がそこそこあったので、その中で完全に顔と名前を認知してくれていた。「いつもありがとう」と言われるたびに天にも昇る心地だった。
毎回ツイッターにリプライもしていたしブログにクソ長いコメントも欠かさなかった。公演ごとに半通すらできるかできないかの金なしおたくだったけど、回数入れなくてもAのことを一番大好きなのは自分だと信じ込んでいた。Aが私の世界の全てだった。ほぼリア恋だったと思う。
我慢できず同厨のツイッター等を見に行って病んでたことも多かったけど、何百枚と溜まっていくプレ着用写メフォルダを見て自信を取り戻していたちょろいおたくだった。
舞台で前列にいれば絶対にカテコで出席確認()をしてくれたし、月1以上で贈っていたプレゼントも8.5割は使用報告写真をあげてくれていた。手紙の内容にこっそり私信もくれていた。プレゼントしたものに関するネタをブログで言ってくれたり、リプライの内容に関する返信を文章に織り交ぜてくれたり。この時は推しのIDでツイッター検索をかけたりそれ以前のブログコメントで私以外に同じこと言っているファンがいないか血眼で探したのを覚えている。必死だった。
手紙の封筒もセンスがないなりに必死で作っていた。ただでさえクソ長い手紙を毎回書いていたので、自分で言うのもなんだが毎回大事に読んでくれているのは接触の時の会話でわかっていたけどせめて少しでも愉快な気持ちになって欲しくて始めた。機会があって本人に直接渡した時すげえ!可愛い!いつもホントにありがとう!って言ってくれたから調子に乗って続けた。
そしてこの頃から某黒い背景の掲示板に頻繁に名前を出されるようになった。
出待ちとか遭遇みたいな迷惑行為は一切してなかったけど公開アカウントでリア恋丸出しお花畑なのがいけなかったんだと思う。何をしても毎回ボロクソに言われた。ツイッターも鍵垢からリツイートされることが多くなった。ありもしないことを捏造されあたかも本当のことのように吹聴された。悪意の塊の掲示板が怖くてたまらなくて、でも何が言われてるのか気になって見てしまった。完全に悪循環だった。会場でもやたら視線を感じたし私を見てヒソヒソ話して笑っているのにも気づいていた。
自分は絶対にAにファンサをもらえると信じていたし、席も最前含め前方が多くてどんな楽しい舞台になるんだろうとワクワクしながら気合を入れてうちわも作った。
公演中、最前列だった日に推しが目の前に来る瞬間があった。すごくテンションが上がって、猛烈にアピールしたのを覚えている。
推しはその時こちらをふと見て真顔で何もせずに去っていった。私はあの時の顔が未だに忘れられない。
雷に打たれたような気分だった。その後の舞台はまともに見られなかったけど推しのことだけは辛うじて見ていた。そうしたら違うおたくに笑顔で手を振っていたのが見えてしまった。地獄だった。
今思うと気分屋のA的にはそんなに深い意味はなかったんだと思う。タイミングが悪かったのかもしれない。友達にも気にしすぎだとさんざん宥められた。それでも掲示板でdisられ続けた奴の自己肯定感を完全に打ち砕くには十分な出来事だった。
その後、降りはしなかったし舞台もイベントも頻度は変わらずに行っていた。封筒も作らないかつ以前ほど頻繁には書かなくなったけど手紙も送ったしリプライやブログコメントも続けていた。でも自分の中で何かが変わってしまっていたのはわかった。この頃から積んで前方席に入るようになった。段々Aの舞台に行く目的が見る<<<見られたいになってしまっていた。
Aの態度が変わり始めたのもその頃からだった。
舞台でどんなに前列に入ってもカテコの時にもはや目すら合わなくなった。Aはカテコで上手から下手まで一人一人の客を見るタイプの人だったんだけど、左右にずらっと目線が動いてるはずなのになぜか一瞬たりとも目が合わない。最前立ち位置0ズレに座ってもだ。接触でもあからさまな塩対応になり、プレゼントも滅多に着なくなった。何万ドブに捨てたかは数えたくない。
最初からそうだったのならそういうスタンスの俳優だったんだなと思うし受け入れられたかもしれない。でも途中からこんな感じになってしまったら、あー嫌われたんだな、と思うしかなかった。私が変わったからそうなったのか、Aが変わったのかは未だにわからない。
この頃はもうファンをやってても何も楽しくなかった。
本当に惰性と意地で通っていた気がする。やっぱり推しはカテコでガン無視だったし、他のおたくには目線を合わせているのも見えてしまっていた。そもそもAはブログを更新しなくなっていたけど、私もブログへのコメントもしなくなった。
もう限界だと思った。
Aの芝居やパフォーマンスは大好きだったけれど、それだけで嫌いという意思を向けられているらしき人を応援し続けるのも、他のおたくから自意識過剰ではないレベルの敵意を向けられ続けるのも私には無理だった。
最後の接触イベントでも頑張って笑顔で話しかけたけどほとんど目すら合わなかった。最後に思ってもいないことを伝えてみたら、やっと顔を上げた。ありがとうって笑顔で言ってくれた。久しぶりに目の前で見た笑顔だった。それがAの前に姿を見せた最後の記憶である。
降りてから数年経ったけど、今Aの前に姿を現したらまだ私のこと覚えてるのかは少し気になる。記憶力はいい人だったから。
嫌なこともたくさんあったし泣いたことも多かったけど、それでもやっぱりそれ以上にAのことは大好きだったし楽しかった。
でも時間が戻るならAのことを応援していた時間と金を違うことに使いたかったと思う。
たまにツイッターとかブログは見に行っているけど、全盛期の1/5ぐらいに減ってしまったコメント数を見て彼が何を思っているのかは知らない。
多分私は若手俳優のおたくに向いていないタイプだと思う。何もかも一人に注ぎ込んで精神的に寄っ掛かりすぎてしまうし多くを求めすぎてしまう。Aに関しても勝手に暴走して自滅したのは私自身だ。
ハチミツ二郎が現役のWWEファンに嫌われすぎてて気の毒になる。
まぁ、年に一度の日本公演には芸能界のコネで最前列に座る→試合中は試合見ないでスマホいじる
自分の出囃子はジョン・シナの入場曲でファンですよアピール→日本公演のフィナーレのシナのマイク中に退場
浅いんだよね~。愛が。
そんなただのデブで面白くもなく事務所の力や年季でヨイショしてもらってるハチミツ二郎が
いかにも『WWE大好きです!!』と言わんばかりに雛壇でニヤニヤ面白いことも言えず座ってるの見るのは苦痛だよな~。
ま、どうせ放送自体、アティテュード時代のロックストンコビンスのはちゃめちゃ中心でPGになってからのWWEはあんまり紹介しないんだろうなー
見る前からわかるっての。
本当にテンション下がるわー。
私はアイドルマスターのアーケード版がリリースされてから、現在のミリオンライブやシンデレラガールズに至るまで、
そして、「プロデューサー」という立場から、画面の向こうで笑顔を振りまく少女たちを、
立派なアイドルに育てるのだという、やや気持ち悪い満足感を持って、この作品群に向き合ってきた。
中学生の頃に初めてアイドルマスターに触れ、小遣いを貯めて家の手伝いをやって、
ディスクを開封し、起動したときの喜びは今でも鮮明に思い出せる。
画面の向こうで何度も倒れ、それでも前に進もうとする天海春香という人間に心惹かれ、
高校生、大学生、そして社会人になっても、アイドルマスターという作品は、
「画面の向こうにいるアイドルの女の子」と共に、夢を共有しながら進んできた。
恐怖を覚えることがあった。
PSVRという次世代ハードを舞台に、新たなアイドルマスターが発表された。
「プレイヤーが観客席からアイドルを応援する」というコンセプトによって、
ゲームが作られていたのだ。
つまり、「私」は「プロデューサー」ではなく、「観客」として、
バンダイナムコは既存のプロデューサーたちに、解雇宣告を突きつけたのである。
最前列でライブが鑑賞できる、自分の好きなところでアイドルを応援できる。
サイリウムを振ることができる。
いつでもアイドルに会える。
あくまで個人的な感覚ではあるが、プロデューサー各位はその解雇宣告を受け止めていた。
もちろん、自分も「私が本当にプロデューサーなんだ」という感覚を持っているわけではない。
プロデューサーという立ち位置の、ロールプレイであることに不満を持っているわけではない。
しかしながら、多くのプロデューサーは「自分がプロデューサーである」ことにアイデンティティを感じ、
それをもって他のアイドル作品との差別化を図ってきたはずだった。
少し前に見かけた議論では、「担当」と呼ぶべきか、「推し」と呼ぶべきかというものがあった。
これこそまさしく「自分がプロデューサーという役割をロールプレイしている」という意識があってこそだと考える。
担当というのはプロデューサーから見た、自分が関わるアイドルのこと。
「担当」という言葉が議論において優勢であったのも、アイドルマスターならではの現象であるとも感じた。
そんなプロデューサー諸氏でさえ、バンダイナムコによって、意識的もしくは無意識的に、
プロデューサーという立場を剥奪されかけていることに気付いていない。
もしくは、受容しようとしているのか。
今後、アイドルマスターという作品がどう変化していくのか、私には想像も出来ない。
そして、それを喜ばしく思っていた自分がいることを否定はしない。
どんなに形が変わっても、自分が「プロデューサー」であり続けられる限り、
アイドルマスターという作品は、アイドルマスターなのだと私は思っている。
シンデレラガールズやミリオンライブ、SideMを否定する論説も出ているが、
プロデューサーがアイドルに関わるという意味で、アイドルマスターなのだ。
いや、私はそうは考えない。
プロデューサーがアイドルにプロデューサーの立場から関わってこそ、アイドルマスターだ。
そうでなくなったアイドルマスターは、アイドルマスターではない。
だからこそ、私は抵抗する。決して受容することはない。
私は絶対にお前らに殺されはしない。
2週間ほど前に人生二回目のライブハウスに行ったら騒音性難聴になりました。
やっとこ聴力が回復したのでどんな感じだったのレポです。
注意喚起あるいは騒音性難聴になった人の参考にでもなれば嬉しいです。
ついでに嬉し恥ずかし増田デビュー。まあ文章上手くないので箇条書きなんですけど
0日目:
・ライブ終了後,音が聞こえにくい状態に加えスピーカーがあった左側の耳で耳鳴りがする状態に(ピーという高音とノイズのようなシャーシャーした音)
・騒音性難聴は知っていた(http://sauce3.hatenablog.com/entry/2015/05/11/082730)ため,やってしまったかと背筋が冷える
・寝たら治ることにわずかに期待し就寝
1日目:
・午後3時ごろ耳鼻科へ。聴力検査の結果、左耳のみ4000Hzの聞こえが悪い
・あっこのグラフ進○ゼミ(上記のリンク先)で見たことある!状態
・騒音性難聴と診断され、アデホス,メチコバール,プレドニンを1週間分処方される
2~4日目:
・大人しく薬を飲む。ステロイド(プレドニン)は飲み忘れダメゼッタイ
・なるべく早く寝る,なるべく安静にする。安静って何だろうと悩む
・相変わらず耳鳴りはするが,徐々に治まってきているようなそうでもないような
5~7日目:
・このあたりから1日の中での耳鳴り/耳鳴り無しの時間が半々くらいになってくる
8日目:
・再度耳鼻科へ。聴力検査の結果,高音域の聞こえは戻るも何故か左耳のみ低音域の聞こえが悪化
9日目~14日目:
・ステロイドが無くなったため気が抜けて10回に1回ぐらい薬を飲み忘れる
・耳鳴りは完全になくなる
15日目:
というわけでした。自分の場合片耳だけ症状が出ましたが,ぐぐってみると両耳とも症状が出るのが一般的なのか?といった感じ。逆に突発性難聴は片耳だけ症状が出ることが多いらしいですね。
騒音性難聴も突発性難聴も,とにかく早期治療をしないと聴力が回復しなくなってしまうそうなので異変を感じたらさっさと病院行きましょう。音楽聞くのが好きなのに音楽を聞いたせいで音楽が聞けない体になるって悲しすぎますし。
同じ音量を聞いても騒音性難聴になる人ならない人がおり,体質でどうしようもないらしいです。
今回は聴力が戻ったので一安心ですが,これからはライブに行くとき耳栓するマンになります!隣の人が耳栓してても怒らないでやってくれよな!!
ついでに心配な人はぜひライブに耳栓もって行ってください。2000円くらいで見た目も目立たない良いやつ買えます。からだだいじに。
もうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだ
何が悲しくて当社に魅力がないことを再確認しなければならないのか
なんかもうどうせ無理なんだろうな、返事来ないならDMオプションとかもったいないなって思っちゃってエントリー増やす気にもならない
なんでこんなにつらいんだ
説明会、最前列で説明受けてにこにこして面接お断りしますってもう何回やったんだ
でも自分なりに反省して今回こそは!って何度も何度も思ってそのたびに来ない
有名じゃないし場所も良くないし思い当たる節がありすぎて何を改善したら良いかもうわからない
心のそこでは誰でもいい、と思っているのがばれているのかもしれない
でも皆そうだよね 学生を選べる会社なんて少数派だよね 無名零細な当社が駄目なんだよね
誰か助けて
もうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだもうやだ
何が悲しくて自分に価値がないことを再確認しなければならないのか
なんかもうどうせ無理なんだろうな、落ちるなら交通費とかもったいないなって思っちゃってエントリー増やす気にもならない
なんでこんなにつらいんだ
説明会、最前列で説明受けてにこにこして面接受けてお祈りってもう何回やったんだ
でも自分なりに反省して今回こそは!って何度も何度も思ってそのたびに落ちた
美人じゃないし頭も良くないし思い当たる節がありすぎて何を改善したら良いかもうわからない
心のそこでは働きたくない、と思っているのがばれているのかもしれない
でも皆そうだよね 働きたい人なんて少数派だよね 世渡り下手な私が駄目人間なんだよね
色々なモノが私を焦らせる つらい 苦しい
誰か助けて
皆さんありがとうございます、一息ついてカイジのアニメを観たらもうちょっとがんばろう!と思えました。
緊張しいなもので面接が苦手なのです。筆記より書類より面接で落ちます。頭が真っ白になるんです。
写メ会の時にぎゅーっと抱きしめてくれるのも、
プレゼントした服やアクセサリーつけた写メを上げてくれるのも、
たまたま空港や駅で会った時に「今日もありがと」って声かけてくれるのも、
twitterのDMで「今日は目の前にいてくれて安心したよ」とか言われるのも
ぜんぶ、んんんんんんんんん〜好きいいいいいいいいいい!ってなる!!!!
釣られたい釣られたい、ステージの上に立つ人に釣られたい。
繋がりたいとか付き合いたいとか思わないけど、釣られたい!!!
こんなにたくさんおいしい思いしてるんだぜ!!!!!
でもそれを周囲のファンの友達に言うと嫉妬されたりはぶられたりするから言えないんだぜ!!!
HAAAAAAAAAAAとぅらいぜ!!!!!
(響け!ユーフォニアムの滝先生の声で)『なんですか、これ。』
8万円。そんな金払ってなんであんなイライラしなきゃいかんの。1日目の夕方時点でイライラ通り越して惨めな気分になった。
兎に角、人を入れすぎ。会場は地下2階、それでいて会場の端から端までの導線が1本しかない。何か起きたらどうすんの。あの人数を適切な時間で混乱も無しに建物の外まで避難するとか無理ゲーだろ。60分のセッションが終わって、ちょっとトイレに寄ってから次のセッションに向かうと、もう行列できてんの。それも最前列を陣取りたい一部の人達がいるって感じじゃなくて、20人、30人ってドアの前に並んでて。人気のあるセッションだけってわけじゃなくて毎度毎度そんな感じ。A、B、Cと隣り合ってる部屋すべてに行列ができてるから通路全体が行列で占拠。しかもその通路に巨大受付カウンターが陣取ってる。朝のピーク超えたら縮小していいはずなのに、なんで?今から並んでも入れない可能性がありま~す。おいおい、可能性ってなんだよ。そうじゃないだろ。会場に何人入れるか事前に確認して入場者数カウントすれば済む話じゃん。並んで待ってやっぱ入れません。何言ってんの。1日目も2日目も始終こんな調子だからセッションが終わりに近づくと、またあの人混みの中を移動して並ぶのかって頭をもたげるんだよ。いったい何のための事前アンケートだったんだろう?
EXPO会場の入口が実質導線の片側1か所しかないから、興味あるなし以前に行くこと自体が面倒。休憩時間に覗いてみるかと思っても、なんであの距離を、それも人混みの中を歩かされるんだ?出展社から金取れさえすれば後は知らんって態度なの?余計なお世話だが出展社からすれば金ドブもいいとこじゃね?
ドリンクとドーナツ配布するのはいいけどさ、飲食スペースが無いんだよ。確か前回まではあったんだけどなんで無くしたの?ドーナツ一気に3個も渡されて、それどこで食えっていうの?片手で持って立ち食いしろって数じゃないよね。電子機器たくさん並んでる展示コーナーを食べ歩きしてよかった?サーフェス並んでるところで何かやりながら食べるの想定してた?2日目なんてセッション会場で食ってるやつ何人もいたぞ。食べカスが椅子とか床に落ちてみっともないから俺はやらなかったけどさ。EXPOから出たところにあった台の上で食べてる人がいたけど、そこも混んでるしさ。(そもそも、飲食スペースじゃないよね。)
そしてアンケート方法。なんで紙?しかも1日目と2日目が別の用紙で、2日目はその紙を受け取るためだけに朝から行列に並ぶことを強いられたんだけど。2日目も受付してくださ~いって入口でスタッフが叫んでるから並んでみたら、紙渡されてバッジに穴あけられただけ。意味がわからない。それこそクラウド使ってアンケートシステムを展開すればいいのに。そっちのほうが安い早いでしょ、アンケート用紙を印刷、配布、回収、データ化までの全体コスト考えたら。イベントは一回きりじゃないから使いまわしもできるしさ。そのくらいならちょっとやってみるかというエンジニア、関係者のなかにひとりもいなかったんだな。
そうそう、行列をカメラで撮影してたけどさ。まさか、まさかとは思うが「こんなに多くの方がいらっしゃいました。大盛況でした。」なんてキャプション付けて社内レポート、ましてや一般に公開するなんてこと無いよな? 参加者からしたら仕方なく並んでるだけだから。円滑な運営ができてないから並んでるわけだから。それこそFace APIで参加者の表情分析すると面白いかもね?
蛇足だが、ツイッター見てたら自腹で参加してるっぽい人がちらほらいたが、あの惨状からどう感じたんだろうな。セッションの内容が良かったから満足って言い聞かせるんかな。セッションの内容自体は個人的には概ね満足だった。ただ、それだけなら動画を見れば十分と思っていて、実際に会場に足を運ぶ以上、申し込みしてから会場を出るまでの体験で評価すべきと考えてる。
イベント運営会社が見ることはないだろうが、アンケート用紙のクソ小さい欄に全部書ききれないから、ここに書き殴っておく。そして次のイベントのときに見返すことにする。
僕は学食でカツ丼を食べていた。30歳も迫る年頃となっては20前後の学生に向けた濃い塩味もそろそろ辛くなってきたが味は9年前に入学したときから変わらなかった。僕は大学院生として大した志もなく、大学に残っている。向かい合ったテーブルの向こう側には、初めてあったときから変わらない片言の日本語で精一杯話を続ける中国人の同僚がいた。
「たしかにそうだね」
とうなずぎ同意を示すために顔を上げた瞬間、僕は無意識に通路を歩く女性の姿を追いかけていた。あらゆる社会的妥協を拒否したように黒く真っ直ぐに伸びる長い髪、これからやって来る夏を拒否せんとするばかりに着こまれた地味な服装、学食の喧騒を拒絶し周囲の一切の若さに無視を決め込んだような無表情。
次の瞬間、私の意識は教壇にたっていた。そのとき、僕はTAというものをやっていた。TAというのは教授の小間使で、授業の出席カードを配ったり小テストを採点したりと雑務をやらされる大学院生のことだ。実験をして、コンピュータシミュレーションをして、TAとして雑用をして、無機質な日々が淡々と過ぎていくのを感じていた。教壇の上に立ちながら小テストの様子を見ていると、一人の少女が目に入った。工学部には女子が少ないが、彼女らほど人間が社会的動物であるこを誇示する実例はないというほど密なグループを形成している。しかし、胸のところまである黒髪を頭の後ろに結んだその少女は女子集団を遠く後ろに見ながら、たった一人最前列に座っていた。来る日も来る日もそうだった。少女を形容するには孤独ということばは似合わない。孤高と表現するよりほかない。
「彼女はいったいどうやってこの大学生活を生き抜いてきたのだろうか?」
「女子社会に背を向け、それでもこの学年まで上がってきたということは誰か助けてくれる男子でもいるんだろうか?」
などと考えを巡らせていたが、無論答えはわかるはずもない。彼女と同じ学科と学年のサークルの後輩に彼女を知っているかと興味本位で聞いてみた。
「あの子はですね、いつ見ても一人なんですよ。」
僕は全くの部外者であり、なんの関係もないのだが少し心配になった。学期が終わるともうその少女を見かけることは無くなり、気にかけることもしなかった。
彼女が右足を、左足を一歩ずつ前に出すたびにあの日と同じ黒髪は左右に揺れ、窓から差し込む初夏の日差しを受け一本一本の艷やかな様子が感じられると思えるほどであった。ただ、彼女の黒髪は胸の位置を超えて太ももに掛かるかと思うほどに伸びていた。彼女はまるでこの世界に誰も人間など居ないかのようにしっかりと目を見据えながら歩いて行った。彼女は大学院生なのだろうか。ひょっとして、過年度生になってしまったのだろうか。一瞬のうちにあらゆる想定が僕の頭の中を駆け巡ったが、次の瞬間その想像の不毛さに嫌気が差した。
「それで、あの実験なんですがね...」
中国人の不自然な日本語で一気に現実に引き戻される。そうだ、いま僕は彼と昼飯を食っていたのだと。
時間は残酷だ。あらゆるものを変えてしまって、同じであることを許さない。さらりと伸びた彼女の髪はそのことを示す動かぬ証拠となった。もう5年も経ってしまったのに、あの日々はもう帰ってこないという単純なことが胸を襲った。
わかる。それは超わかるんだ。1回だけアイドルのライブに行ったことがあるけど本当にキモかった。
ステージで歌うアイドルに反応して欲しくて最前列で派手に叫び踊り狂うオタク、本当に本当にキモくて見てられなかった。
でも、そのアイドルにとっては大事なファンで、彼らオタクの楽しんでる姿を見てアイドルもまた楽しんでいる。
例えばオタクをキモイと言うのだって、「○○ってアイドルのオタクマジキメェwww」って。それをさ、オタクが見て「うわ、俺のこと書いてあるよ・・・」ってなるだけじゃなくてさ
アイドルが見てどういう気持ちになるのかだって考えた方がいいよ。自分のファンが悪く言われているのって自分が悪く言われているのと同じかそれ以上に悲しいと思う。
自分でもその気持ちは察することが出来る。クラスメートに親を貶されたらって考えると、僕はそいつに殴りかかるかもしれない。そいつをボコボコにしてやらないと気が済まない。
そういう気持ちになるんだよ。自分じゃなくて、自分を好いてくれる人を批判するって本当に悲しくなる。自分がいるからその人が悪く言われるなんて耐えられない。
だからオタク批判をするのは大概にする。キモイオタクだって、アイドルにとっては大切なファンだ。
アイドルだけじゃない。アニメだって何だって、コンテンツのオタクを批判するのは、本当に酷いことだよ。
そういうことをここ最近考えていたので書きました。
※だからといってオタクがキモくていいなんて思っていない。オタクの認知欲求は相変わらずキモイ。アイドルオタクは自分がキモイ行動をすると、アイドルを傷つけてしまうことを自覚した方がいい。
開き直ってキモさ全開のオタクは本当に勘弁だし、そいつはもはやファンじゃねえんだよバカ野郎。そのコンテンツが好きなら自分の欲求を満たすだけじゃなくて出来るだけ大事にしろ。愛を持とう。
http://anond.hatelabo.jp/20160311004230
調べてみたが、青二才本人の自己申告では結構頑張ってたみたいだし
酔っ払ってうざ絡みするなどそれなりにリア充っぽく楽しんだってことになってるみたいだけど
この時のオフ会とは違うのか? 青二才毎日チェックしてるわけじゃないからわからんわ。
ああ、そうだよ!苦笑してるよ!!目と鼻の先(最前列)で、甲高い声を上げた男がムダにキレのある動きをされたら、そりゃ「強い」さ。(酔っ払ってうざ絡みしてごめんねww) / “東京ブロガー巡り旅で出会った10人を紹介!!withバー…” https://t.co/XkGpzXESYX— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年3月10日
これは良かった。かなり動くけど面白かった。
ただ、主観視点のときはいいんだけど客観になるとどこ視点の動きなのか迷う。
あと、目の位置が動くので視線が落ち着かない。慣れるまで少しかかった。
それと、背もたれの腰の辺りのマッサージチェアみたいな動きが急に来ると後ろの奴の足が当たったのかと思って驚く。
さらに、前の方の座席が動いてるのが視界の端にちらついて微妙に気が散る。最前列推奨。
とはいえジェットコースターのシーンなんかは特に面白かった。面白かったのだけど・・・
そのジェットコースターのシーン、トンネルに入ると火花が飛び散って格好いいのだけどそこでフラッシュの効果が出る。
邪魔だ。暗い画面の中で火花が散る絵の格好良さがフラッシュで白く飛んだスクリーンじゃ台無しだ。
画面の中で表現されてるものを画面を見づらくしてまでかぶせる必要なくね?
これもそう。画面の中の煙を外に出さなくてもいいだろ。
見づらいのもあるし、シーンが切り替わっても微妙に残ってたりするし。
じわじわ出てきてしばらく残るんじゃなくて一気に出てすっきり消えればいいのに。
あの出方だと霧のシーンだったらアリだけど爆発のシーンには合わない。
可もなく不可もなく。
エンディングでは良かった。風呂場のは笑っとくべきなんだろうたぶん。
これはすごく良かった。特に冬場の映画館は基本的に暑い。なので風がすごく心地良い。屋外感ある。
音はもう少し抑えて欲しい。送風音がわりとうるさい。
背もたれの顔の横辺りから空気がプシュッと出る。砲弾がかすめて飛ぶような場面で多用されてる。
画面の中では多くの場面で砲弾は画面奥からこちらに向かって飛んでくる。
あと単純にプシュッて音が邪魔。
途中でポップコーンの匂いに混じってほんのり何か別の香りがしたような気もするけど分かんねーよ。
俺は華さんじゃねーんだよ。
ダージリン様セット買うなら帰り道で。
4DXの機能ありきで作った映画なら見に行くかもしれないけどそうじゃないなら普通の方がいいや。
絶賛してる人も多いけどこう感じた人もここにいるよってことで。
4DXとは関係ないけどユナイテッドシネマの音響は苦手だと分かった。
普段は近場の別の劇場なので距離があるユナイテッドシネマは数年ぶりに行った。
橋・松「はいどーも〜」
橋「いやー今日もたくさんのお客さんに来ていただいて」
松「はい」
橋「最前列のお客さんなんかもう端から口パク口パク一人飛ばして口パクと」
松「いやいや」
松「よしなさい」
橋「まあ僕らこうして漫才してるわけですが」
松「ええ」
橋「まだまだ支持率が低いんでね」
松「そらまあしゃあないがな」
松「ええですな」
橋「まずはこの僕の隣に立ってる人、最高の相方ですわ」
松「いやいや照れるがな」
松「松?」
松「松?」
橋「ほんで僕の名前は橋に下と書いて」
橋「誰がやねんまだ誰も殺してへんわ」
橋「そのうちね。言うてる場合か。まあホンマ頑張っていかなあかんなー言うてるんですけど」
松「ええ」
橋「まだまだこの国は変えなあかんことが多い」
松「そうですなあ」
橋「たとえば少子化ね」
松「あーこれ深刻やがな」
松「愛人囲ったりね」
橋「多少疲れててもあの手この手で興奮して頑張るべきなんです」
橋「ってワシやないかい! でもまあ子供が増えるだけでもあかんのですわ」
松「教育をせんとね」
橋「これからは知識よりも日本の伝統と文化、まずこれを教えるべきやと」
松「そらええことですわ」
橋「それワシやないかい! まあそんなこんなで大阪も荒みまくって犯罪が多い」
松「これホンマ大変ですわ」
橋「なかでも多いのが詐欺ね」
松「ああ〜けしからん!」
橋「って全部ワシやないかい! きみホンマに僕のこと尊敬してる?」
松「当たり前やがな。一生ついて行きますがな」
橋「ほならええけどやな」
松「その代わり出世の方、頼むで」
橋「まかしとき。まあそのうち国政を牛耳ってやな」
松「うんうん」
橋「僕がキングメーカーになるわけや」
松「そしたら僕を総理大臣にしてや」
橋「お安い御用やがな。ほなちょっと指名の練習でもしよか」
松「ええなええな」
橋「内閣総理大臣」
松「はい!」
橋「松あきら君!」
橋・松「どうも、ありがとうございました〜」
先日、『選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと』という文章を書いた。
予想外の反響を得て、驚くとともに、うれしくも思う。
そもそも記事を書くきっかけとなったサイバーメガネさんも、さっそく内容をフォローするように
『無党派層はコスパが悪くて当てにならない』というエントリを書いてくださった。
なぜ、反響があったかといえば、おそらく、あの頃の自分と同じように選挙の現場を見たことがなく、
「なぜ、反感を買うだけなのに、選挙カーは騒音をまき散らしているのだろう」と疑問に思っていた人が多かったのだろう。
中には、「ああいうばあさんは、もうすぐいなくなるだろう」という趣旨のコメントもあったが、僕はそうは思わない。
そもそも、あれはまだ橋本龍太郎が総理大臣をやっていた頃の話だ。
つまり、かれこれ20年近く前の話なのだが、その後も状況にさほど大きな変化はなかったことは、いくつかのブコメを見るだけでも分かる。
次の20年で変わるかといえば、そうでもないだろう。なぜそう思うかを、書いていこうと思う。
あの頃、「無党派層」という言葉はすでにメディアに登場していた。
(wikiによれば、大阪府知事に横山ノック、東京都知事に青島幸男が当選するという「珍事」が起きた時に注目され、流行語大賞をとったそうである。
その前に「日本新党ブーム」を経て、細川内閣が誕生したころには、まだメディアではメジャーな言葉ではなかったのか)。
無党派層に心情が近かった当時の僕も、「ああいうばあさんみたいなタイプの人は、いずれいなくなるのだろう」と思っていた。
だが、少なくとも20年程度では、いなくならなかった。
思い起こしてみれば、あの当時から、「応援しているのに、なぜウチのほうに選挙カーがこないのか」と苦情をいうのは、必ずしも年寄とは限らなかったのだ。
その渦中に身を投じてみれば分かるが、選挙というのは一種の「お祭り」である。
であれば、選挙カーという「神輿」は、自分の家の近所に来てくれたほうが楽しかろう。
お祭りというのは、参加する者にとっては楽しかろうが、部外者にとっては迷惑で騒々しいだけだ。ハロウィンを見ればわかる。
最近、高知県では、新住民からの「よさこい祭りの練習の騒音がうるさい」という苦情が増えて、祭りの伝統を守りたい人々は対応に苦慮しているらしい。
祭に参加して騒ぎたい人々と、外側にいて「うるさい」と感じる人とは、どうしても対立する。
それは、祭りのルーツがどうとか、そんなこととは、おそらく関係がない。
僕はあの頃、お祭りに参加して盛り上がるのは年寄りのやることだと思っていた。
だが、実際にはそうでもなかった。
古臭い祭りにはそっぽを向いても、なにか面白そうな新しいお祭りあれば、こぞって参加するという人たちが、世の中には相当程度いるのだ。
既成政党による「ドブ板選挙祭り」にはそっぽを向いている若者が、国会議事堂前でSEALDs祭に参加したって、なんの不思議もない。
お祭りといえば、あの選挙事務所でバイトをしていたとき、幹部がにわかに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあった。
総裁とは誰のことなのか、僕はにわかに判じかねたが、それは当時、自民党総裁にして総理大臣でもあった橋本龍太郎のことであった。
事務所の関係者は「総理」でも「首相」でも、ましてや「ハシリュウ」でもなく、「総裁」と呼んでいた。
総裁が応援しに来てくれるということは、つまり、その候補者や選挙区を党本部が重視している証拠なのだが、、
橋本龍太郎という人は日本の歴代総理には珍しく、その端正なルックスで女性人気がきわめて高かった。
慶応大学在学中に第一期東宝ニューフェイスに誘われたこともあるというから、「政治家にしてはイケてる」というレベルではない。
当然、「集客力」も高く、事務所としては、願ってもない応援弁士なのである。
今でいえば、小泉進次郎の人気が、近いものがあるのかもしれない。
当日は、それはもう「お祭り騒ぎ」だった。バイトも支持者も大勢駆り出された。
事務所の幹部は警察官やSPと打ち合わせに余念がなく、事務所の司令塔たる候補者の長女は、誇らしげな顔をしていた。
実際、当時の橋本龍太郎は、「本日、○時に、橋本龍太郎総裁が、応援演説に来られます!!」と呼びかければ、
「エッ、うそ!? マジ? こんなトコにハシモトソーリがくるの? じゃ、ちょっと見ていこうかな」
などと騒ぐほどの人気があった。
「もし、総裁が演説している最中に暴漢が襲いかかって、それをウチの先生が体を張って守って、ケガして運ばれたりしたら、明日の新聞の一面になりますかね?」
「ああ。そうなったら先生は、もう当選確実だな。お前、いっちょやってみるか?」
僕らは、大分親しくなった事務所の下っ端幹部と、そんな軽口をたたいたりした。
定刻になると、ちょうどライブの最前列でファンを押さえるスタッフのように、バイトや運動員が群衆を抑えている前に、黒塗りの車列が到着した。
SPに囲まれながら降り立った橋本龍太郎は、思った以上に背が低かったが、確かに二枚目だった。
「世の中には、選挙になると、消費税率は下げて福祉の水準は上げるなどと、夢のようなことを訴える政党もありますが、
私には、そんな魔法使いのようなお約束をすることはできません」
などと語りかけるイヤミな調子には、好き好きがあっただろうけれど。
当日、街頭には大勢の支持者が動員されていたけれど、それを上回る人々が足を止めた。
それがきっかけで自民党候補者に投票したひともいるのではないだろうか?
だが、なにより、事務所に集う人々は、「総裁が来てくれた」「予想以上に人が集まった」という事実に興奮し、
例のばあさんは、街頭には来ていなかっただろうが、
「自分の支持する先生のために、橋本さんが応援に来てくれた」という事実に喜びを感じ、
ますます「近所の人に、投票してくれるように頼む」という彼女なりの方法で、お祭りを楽しんだことだろう。
「お祭りだなんて、とんでもない。選挙というのは、冷静に過去の実績や提示された政策を比較検討して、適切な候補者に投票すべきだ」
という人もいるだろう。それは、おそらく正論だ。
だが、そういう正論を唱える人たちが、政策とやらにどの程度つうじているのか。
数多ある課題の、すべての軽重を判断して、どれが適切な政策が判断することが、果たして可能なのか。
それに、どんなに「政策」が素晴らしかったとて、口先だけでは何とでもいえる。
政策はもちろんのこと、きちんと有権者に呼びかけ、汗を流している人を選ぶべきではないのか、という話にもなる。
そもそも政策など判断しかねるという大多数の人は、「難しいことは分からないけれど、あの人ならば大丈夫」という人に、判断を託すことになろう。
そして、「あの人=政策を作成、判断し、実行する人」というのは、つまり「権力者」だ。
かつての世の中では、文字通り血で血を洗う抗争をくぐり抜け、数多の屍の上に生き残った者が権力を握ったのだろうが、
そんなことで無闇に人の命が奪われるのはよろしくないということで、選挙というお祭りで権力者を選ぶようになったというのが、つまり民主政治なのだと思う。
「あの、お偉い先生も、私の一票があるから、大きな顔をしていられる」「私の一票のために、頭を下げてくれる」
そのことに喜びを感じられる人が、選挙というお祭りに参加する。
選挙カーを待ちわびる老人(のような人)とは、そういう人たちではないかと思うのだ。
そして、「お祭り」を利用して権力を上りつめようとする人間は、冷めた傍観者たちに参加を促すよりも、
「お祭り気質」な人たちを盛り上げることに注力した方が、効率が良いことを知っている。
時に、「権力者」という個人ではなくて、「戦争法案をつぶす」とか、そういう思想だが理念だか、そんなようなものを「ご神体」にしてお祭りが催されることもあろう。
多分、それがSEALDsだ。
彼らは初期の目的を達することはできなかったが、多分、世の中を意図的に動かそうと思えば、お祭りのような手段を使ってエネルギーを結集することが必要なのだと思う。
そんなこととは関係なしに、僕らから全く見えないどこかで、いつのまにか物事が決まっていく世の中は、多分、今の世より住みにくかろう。
僕はそんな世の中に住みたくないし、世の多くの人が、そう望んでいると思う。
だから僕は、「選挙カーを待ちわびる老人(のような人)」は、そう簡単に消えないと思うのだ。
消えるべきではない、といえるかもしれない。
選挙のやり方は変わっていけば、騒音をまき散らす選挙カーのような方法は使われなくもなるだろう。
選挙ではないけれど、今もネットでは、「炎上」という名のお祭り騒ぎが日夜開催され、それに参加する人もいれば、眉を顰める人もいる。
僕の粗末な頭では具体的に想像できないけれど、仮にネット選挙が今より進化したとしても、
選挙カーの連呼とは違う種類の「騒音」に悩まされ、うっとうしくなる日がくるのだろう。
ところで、僕はハロウィンに仮装して参加したことがない。今後もたぶん、参加することはないだろう。
だが、心の片隅に、あの、屈託なく仮装して楽しんでいる人たちを羨ましく思う気持ちがないかと聞かれると、全くないとは言い切れない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
スーパーの店員さんと言えば、やはり一番のイメージとして出てくるのは女性ではないだろうか。
パートのおばちゃんだったり、女子学生のバイトだったりが「いらっしゃいませ」と笑顔でレジ打ちをしてくれるそんなイメージだ。
しかし私が行くスーパーのレジ打ち店員さんには一年ほど前から男性がいる。最初は夕方に見ていたもんだから高校生か大学生のアルバイトだと思っていた。
けれどある時朝に行ってもその彼はいそいそとレジ打ちをしていた。
なるほど。ここで私の興味は一気に彼へ向かう。見たところハタチそこそこの若い彼だ。そんな彼がパートのおばちゃん達に混じり拙い笑顔で「いらっしゃいませ」と接客してくれる。
その拙さと、見た目の良さが相まって私はそこのスーパーで買い物をした時は一番に彼を探した。彼を探してレジ打ちをしていればたとえ買う物がなくったってジュースの一本だけでも、セルフレジがあるにも関わらずわざわざ並んでわざわざ接客をしてもらった。
見るからに女性慣れをしていなさそうで、見るからに自分に興味のなさそうな彼は、とびきり可愛い顔をしているにも関わらずある時いきなり五分刈りにしてしまう程である。その自分の魅力に気付いていない所も私の興味をそそらせたのだ。
しかし、あくまでお客と店員と言う間柄である。何の知り合いでもない彼のレジにいつも並んでいると、さすがに人に興味がなさそうな彼でも覚えられてしまうだろう。
覚えられてしまっては私の負けだ。あくまで彼に覚えられない範囲のローテーションで行かなければ、不審に思われてしまう。それだけは御免だ。
認識をしてほしい訳ではない。ただ彼の可愛い顔をレジの間だけでも見ていたいのだ。勝手に自己分析した結果これは所謂ファン心理なのではないかと心当たった。好きな芸能人を最前列で見るファン心理とおそらく同じなのだ。ただ、ただ見ていたい。出来る事なら写真に収めてその写真をずっと眺めていたい。そんな心持ちだ。しかし彼は芸能人でもスポーツ選手でもないので、私が写真を撮ってしまえば一発で通報だ。なので脳内のカメラに収めようと何回も何回も彼の顔を見るのだが、ポンコツな私の脳内は綺麗に、完璧に、彼の顔を思い出させてはくれないのだ。
さして興味もない人の顔ならサラサラと思い出すのに、全く使えない。
そしてはた、と気付く。
いつ辞めるかも、いつ異動になるのかも、はたまた出世してレジ打ちを卒業してしまう可能性も全くゼロではないのだ。そうなればもう私は彼のレジに並ぶ事も彼に接客してもらう事も叶わなくなってしまうのだ。
ならばその時が来るまでに声を掛けてみようかな?などと思わないと言えば嘘になってしまう。しかし私が彼に声を掛けるには若さも純情さも純粋さも、ビジュアルも何一つ足りていないのだ。
だから私は彼に接客してもらえなくなる日まで、こっそり彼のレジに並び何食わぬ顔でレジをしてもらい、薄っぺらい笑顔で「ありがとう」と言うことしか出来ないのだ。
ジャニーズJr.っていうのはテレビに出てるジャニーズの後ろでペラペラな割に色やスパンコールやフリンジのきついジャケットと黒いタンクトップを着て踊ってたりするアレで、今まで全くそういうのに興味がなかったのに大学生になってからはじめて本格的に好きになった。山Pはずっと好きだったけど毎月毎月見たいっていう欲求はなかった。テレビでよかった。今はテレビでよくないので、これは異変なんだと思う。
いろいろあって、そのジャニーズJr.にはまってから1年間で100万円使った。これはチケット代だけの金額で、遠くの会場でのコンサートにも行ったから交通費もたくさんかかったしいろいろなプレゼントも渡したけどその費用は別。計算が面倒なのでしません。
100万円という金額が多いのか少ないのかはわからない。都内実家在住、親からはジャニーズのために1円も出してもらってないのでそこそこ頑張ってる方だとは思う。上を見ればいくらでも上はいるし、若手のジャニーズでも舞台の最前列はヤフオクで15万円くらいで転売されてると聞く。そういう良い席を買い集めるために風俗をやっている人もいるし、突き詰めていけばキリがない。
(ちなみにこの記事、ジャニヲタの金銭面のサンプルとしてとても参考になると思いますので興味のある方は是非。 http://jma.hateblo.jp/entry/2013/08/26/120132 )
ジャニーズJr.はすぐ認知してくれる。もちろんひとりひとりにタイプの違いはあるから一概には言えない、全くファンの顔を覚えないし手を振ったりもしないことで有名なJr.もいればその逆もいる。でも恐らくテレビに出てるアイドルよりは遥かに難易度が低いと思う。
匿名ダイアリーに書くのに隠す意味がないから書くけど、帝国劇場や日生劇場やNHKホールには「列」といわれて出待ち文化が未だに根強く残っている。待っている間はあまりしゃべってはいけない(という空気だ)しスマホもいじってはいけない、若い女の子がひとことも発さず有楽町の地下にずらっと列を作っている光景は宗教っぽいなと毎度思う。全然関係ない一般人が「ここで待たないでください」とか怒鳴られてるのを見ると可哀想だなと思う。
出待ち文化はジャニーズ事務所半公認で、ファミリークラブという「ヲタク統括組織」的なものの下っ端がその出待ち少女の大名行列を整理している。未だに存在している事実をジャニヲタはなぜか必死に隠したがって「れ◯」とか「並んでくる」と婉曲的な表現に終始するけど、バカっぽいからやめたほうが良い。
そういう意外とローカルな「アイドルとファンの繋がり」が未だに残っている。自分でも出待ちは80'sアイドルの代名詞だと思っていた。その反面いまは誰でもスマートフォンを持っているからSNS文化に則した発展もなされている。
ジャニヲタのあいだで伝言ゲーム的に広げられていくアングラ匿名掲示板が存在する。海外の無料サーバーに何者かが設置していて、パスワードがついている。パスワードも伝言ゲーム的に広がっていく。
「ヲタ糧」とか「列糧」とかある。ヲタ糧は「ヲタクの話をする糧(=カテゴリの略)」でひたすらジャニヲタが特定個人を誹謗中傷してる。例えば「松本潤担」(担=担当。「推し」と同義)っていうスレッドがあると「今日どこどこの席にいた松本担のツイッターわかる?」とかそういう書き込みが延々なされている。裾野の広い相互監視社会って感じである。「列糧」は出待ちに関する話を延々としてる。今日は◯◯くんの機嫌よかったね、とか。
つまりファミレスとかですればいい女子特有の噂話をジャニヲタはみんな顔を合わせずにアングラ匿名掲示板で行っている。特定個人の誹謗中傷をする掲示板があるという事実だけでも冷静に考えてみるとヤバすぎるし、容易に一般人が首を突っ込んでいいかというと恐らくよくない範囲の話になってしまう。
そして一般的な認知に至るまでのプロセスとしては、出待ちに通ったり、毎月あるジャニーズJr.歌番組の収録に行ったり、舞台に行ったりコンサートに行ったりして認知されていく。
最初は自分にとってそのジャニーズは神にも等しい存在で、多少遠くてもその姿を確認できて踊っているところが見られるだけで「美しい」という感想を抱きながら家に帰れたし、たまに良い席に入ってそのジャニーズが近くに来ようものならもう狂喜乱舞といった感じで、はじめの頃は泣きながら駅のホームで電車を待ったりしていた。うちわに「◯◯くんダブルピースして」とかの文字を書いてダブルピースされようものなら途端にすべての悲しみや苦しみがスッと失くなって足元がふわふわと浮かぶような気分になった。
「リア恋」という言葉がある。リアルに恋してる、の略で恐らく「ガチ恋」等の単語と同義。アイドルを本気で好きになってしまう現象、その状態、そうなっている人のことを指すけれどまさにその単語に当てはまると思う。恋で頭が混乱して、「好きなジャニーズが近くに来る座席を狙ってヤフオクで落札する」という行為がどうしても辞められなくなってしまいものすごく働くことになった。ものすごく働くと疲れるけれど、アイドルのことを考えると全然つらくはない。肉体的な疲労はあるけれど精神的なものはすべてアイドルが癒してくれるので、肉体は横たえておけば良い。
最初から認知されようと思って追いかけていたわけではなくて、「とにかく好きすぎて見に行かないと耐えられない」という衝動から追いかけ始めた。自分は「副産物としての認知」タイプだと思うけれど、もちろん最初から「アイドルに認知されたい」という承認の欲求ありきで追いかける人もいるだろう。それもひとつの形だし、原動力がなんにしろ、どんなにやましいものにしろお金を落とすなら別に良いんじゃないかなと思う。
1年近く「◯◯くんを近くで見たい」以外の感情が無かった。「◯◯くんダブルピースして」の少し特殊なバージョンを長くやり続けていたら、見せなくてもやってくれるようになってそのときに「あ、覚えられてるんだ」と思った。はっきり言ってあまり人気がない方のジャニーズで、同じジャニーズのファンで現場に通っている人はあまりいない。いても毎回、執着的に良い席ばかりでは来ていない。
あっという間にそのファンコミュニティで有名になってしまい、最近では自分が知らない人にも知られているようになった。
近ごろ、なんとなく落ち着き始めた。
毎回、自分が視界に入ると彼は「いつもの」合図をしてくれるし、目も意識的に合わせてくれるようになった。手紙も返事が来て、出待ちにいることも把握されている。(冗談だと思われても良いし、イタい妄想だと思われても良いように匿名で書いてる)
最初そのアイドルを好きになった時の自分は「見たい」という原動力で追いかけていたのに、最近では「見られたい」「いることをわかってほしい」ことがメインになっているように思えてはっとした。副産物が主な目的になってしまっている、という自覚を持って恐くなった。
この前、わざと後ろの方の席をツイッターで譲ってもらって舞台を見た。「わたしは見ているのに、彼からは絶対に見られない」という状況が好きになった最初の頃を思い出させて、ぼんやりと認知ってなんなんだろうと考えた。
本質的に自分がお客様、お金を出しているから優位に立っている。アイドルファンには選択の自由がある。Aが気に入らなかったらBに担降り、ないしは推し変すればよい。でも向こう側に「自分の客」として認識されてしまうとその自由は奪われる。一対一で接客してくれるセレクトショップで「やっぱり良いです」と言いづらいのと同じ心理状況。
もちろん、そんなの気にしなければ良い、と言う一般人はものすごくたくさんいると思うけれど、どんな人でも文字のついたうちわを持って横浜アリーナのセンターに座って景色を見てみればきっと少しは理解してくれる、とまだ私は信じている。
「認知の重圧」というフレーズが気に入っていて最近よく使っている。自意識過剰と言われるかもしれないし、「バカっぽい」と自分を形容することも多いけれど、"俺のファンでいて"、"応援していて"というメッセージを受け取って、そして自分よりも熱烈に強烈に応援しているファンがいない状況を目の当たりにすると、彼の応援を放棄して他のことに眼を向けることができない。
わざと後ろの方の席で見たのは舞台期間の10日目だった。数回目の舞台で、はじめてどういう舞台なのか、どういうストーリーなのか、誰が出ているのかを把握できた。
彼の視界にいるとどうしても彼以外に目線を向けることが憚られる。アイドルは自分たちが思っている以上に目線を気にしている。彼しか見ていないので一切舞台の内容が理解できていなかったし、彼しか見ていないと彼以外のことがどうでもいいから全体像を把握する気にもならない事実を改めて認識して本末転倒さを感じた。
「認知されている」優越感はものすごい。何も持っていなくてもピンポイントで手を振ってもらえること、ある程度遠くの席でも見つけてもらえること、周りのファンから羨望の目で見られること。
でもそれは絶対的な優越感じゃなくて周りのファンとの力関係を前提にした相対的な優越感だから、毎日毎晩不安に苛まれている。わりと本気である日ものすごいマダムが彼のファンになったらどうしようと思っているし、そもそもある日彼にぷいっと気を損ねられて嫌われてしまったら何を生き甲斐にしたら良いのかわからない。
それでも根底にあるのは「好き」という気持ちだから、悩んだりしつつ明日も私はバイトに行くし休憩時間には執拗にチケット流通センターをチェックすると思う。
はっきり言って何も残らない。思い出が消えたら半券しか残らない。でもけっこう本気で、死ぬ間際の走馬灯に横浜アリーナが映ったら良いなと思ってる。
自分たちの学年は、医学部にしては珍しく馬鹿揃い、との評判だった。
とにかく多浪が多く、現役を0と計算しても平均2.x浪というような感じだったと思う。
でも自分はこの浪人組の人たちが大好きだったし、なによりも素敵だったのが、
この学年は上の学年から落ちてきたほとんどの先輩たちを道連れにして、
むろん国試合格率は史上最悪だったがそれが何か悪いか?(翌年ちゃんと頑張って合格していた。東大みたいに国試不合格者が吹き溜まると大変だもんね)
10を超える多浪の人が何が違ったか、というと勉強のスタイルが「孤独」だった事だろうか。
ノートも生真面目にとってらっしゃるから、「貸して見せてください」とお願いしたところが、
字がきれいなだけでまとまっていない、大変な物体だという事に気づいた数人は、これ以後、
「ねえ、○○さん、こちらのノートを読んでみてください。そして先生はこれを重要だと説明してらっしゃると思いますよ」
とアドバイスする側にまわった。
何しろこの人の人格が素晴らしくてなんとかしてお医者さんになって欲しい。
授業はもちろん最前列で聞いておられるわけだけれど、そのノートの内容は起承転のみで終わる小説のようだったから、
何人かでフォローするためにかわりばんこにノートを取った事を思い出す。
人格の素晴らしいその人だけでなく、中で何度も何度も足踏みしていた人々も沢山落ちていらっしゃったけれど、
彼らは年を取っている分記憶力が落ちるわけだから、ピンポイントで「こことここが大切!」と教えなければならない。
自分たちは大した勉強をせずに試験には楽勝で通ってしまっていた。
そして彼らもなんとか一緒に卒業できて本当うれしかった。仲間は大切よね。
(教える側に回っていたのは自分も含めて5-10人ぐらいいたと思う)
基本的な学力があって、入学試験を突破してきてもかなり勉強しまくらないと医学部は厳しいかもしれないけれど、
自分は不思議と全然楽に感じていたのは彼らのおかげだと感謝しています。
むろん今でも尊敬できる素晴らしいお医者さんたちで活躍している。
20何浪の話を聞いたら、医学部の勉強を集団以外でしたことがなかったのを思い出した。
追記:もしも同クラスの人がいたらごめんね。
これは医学部の教育問題について言われているいくつかの問題のうちの一つについて考えている。
ノートが「起承転」と書いたが、これは何を意味するかというと「正しい答えは出せるのだが、時間がかかる人がいる」の比喩だ。
優秀な人には何種類かいるが、医学部には判断力が早い人がかなり多いし重視される。
でも優秀さには時間で測れない物差しがあるはずで、そういう人達がたまたま自分たちの学年に集まった。
ある人々は浪人で、ある人々は留年で。でも現状ではそういう人が受験前にふるい落とされたり学内で孤独に勉強してふるい落とされたりするのではないか。
「医師は成熟した人間が少ない」の答えの一つはそれなのではないか?物事をゆっくり考えない、、、
つねづねもやもやとしていたことが、この間の息子の運動会でハッキリした
彼らはまるでイチモツをぶら下げるかのように、そこに浴びせられる視線に快感を覚えているのだということを
キヤノンユーザーなんかは最たるもので、一目見て目立つ白くてぶっといレンズを何の役に立つのかもわからないようなでかいボディにつけている姿なんぞ、もうそれそのもの以外なんだというのだ
さらに露出狂と共通する点は、それがもつ本来の機能である生み出すという目的を棚に上げてしまっているということだ
でかいイチモツだけが優れた子孫を残すとは限らないように、いい写真がいい機材から生み出されるとは限らないのだ
それにも関わらずデカいナニをぶら下げたヤツらは人にはばかることなく最前列に立ちこれみよがしにレンズをおっ立てている
平均的かそれに劣るような貧相な者達は後列から遠慮深くレンズを構えでは、どこかコソコソとした姿で会場を右往左往していた
そうかと思えば知る人ぞ知る南蛮渡来のカメラをぶら下げたどこかハイソな老人が品よく振る舞いながら孫の活躍を納める姿なんぞも目に入ってくるが、言ってしまえばそれこそ変態の極みとしか思えない
大きさや機能ではなく趣向が大事だという自分の変態プレイを公言しているようなものではないか
ってことはなにか
沈胴式標準ズームレンズをファミリー向けボディにぶら下げた自分はいうなれば仮性包茎みたいなものか
大学中退で職歴無しで世間知らずの私が初めてアルバイトをしてみた話。
・どれくらい世間知らずであるかについて(ここから読みとばし推奨)
小1までは呉に住んでた。近くに住んでた女の子と毎日一緒に学校に行ってたと思う。
小2の時は大阪市に引っ越し。転入生は私以外に2人いて一人は中国から来た女の子で、もう一人はアメリカから来た男の子。
この女の子はおんぶしてもらったりとかしてもらったことがあったけど周りの大阪の子は男女がおかしい!みたいな目をしてたと思うけど当時の私は、なにがおかしいのかなぁって感じていたと思う。
またこの男の子の方は私と一番仲良くなった人であったが、その後中学受験塾の公開テスト総合1位を連発してN中トップ合格している。
彼の存在は小学生の私の中では比較する対象としてすごく存在感のあった存在であったと思う。
小3でも無駄に大阪市内で転校した。当時も少子化が言われる中であったが3番目の小学校は1学年156人いた。
私は中学受験塾に通うようになって、塾で算数は1位で国語はビリをくりかえした。
その小学校からは大阪星光に合格した人が8人いて(うち4人が進学)東大寺に3人が合格してて他は省略。公立の小学校から3人以上が同じ私立の中高一貫に行くのはうちの小学校だけかと思う(すごくどうでもいい話をした)
中学デビューとか無理だよって話にしようかと思ったけど元々中学受験で一緒だった人が大量にいるので関係なかった。
その後いろいろあって、中学で学年ビリで追い出されて高校を受験して兵庫の高校。
兵庫の高校で学年ビリのまま3年で追い出されて、1年間の空白の後に東京の工業大学入ったけどそのまま学年ビリを6年続けてやっと中退した。
大学を卒業して、いい環境で育ったんだねと思われるのだけは嫌だしそんなの耐えられないので、すごくめでたいと思っています。
大学進学率は知識としては100%ではないことくらい知っていますが、自分の周りだけで言えば100%なので、大卒ではないという世界を全く知らない。
親は医師であり、親子関係は死んでいるが経済的な繋がりだけはあって、スーツ等も含め、私は未だに自分で服を買ったことがない。
私が初めてはてなダイアリーを見てたのは同世代の情報オリンピックに出てた麻布の人とかの日記でした。
学歴が全く関係のないアルバイトとは一生無縁の人も世の中には存在するわけで、経済的環境だけで言えばそういう環境にいた。
でも、親ではなくてお手伝いさんとかに育てられる方がまだましだと思う。
親は子どもと全くコミュニケーションできていないのに、親はそう思ってない状態が一番子供を苦しめるのだ。
ずっと親を殺すか殺さないかの状態だった私の中学時代はなんだったのか。
理不尽な扱いを受け、涙まみれにしたチラシの裏紙は何枚生産しただろうか……。
たまたま殺さなかっただけなのに。東大寺の子は親を殺したけど、私はたまたま殺さなかったってだけの未来なのだ。マンションだし。
(読みとばしここまで)
私は親との会話が死んでいると思っているけど、親はそうは思っていないので、そういう。
会話は相手の認識を信用できないと成り立たないのだけど、一切認識が信用できない関係である。認識が違うのがつらい。住んでる世界も言語も違う
私であれば私に投資するのであれば小学生の時から呼吸つらいって体が言ってるので病院につれていくけど、
困ったことに中学生の時に私が殺したいと思ってた親は医者なのだ。面白い。
親がなんでそれで満足できるのか全く理解できないけど、親が満足なのであれば子供としては親の満足に従うように体ができてるというか。
私も小学生に算数教えたいだとかは言ってはいるが、だいたい否定されるので(絶対やりたいわけでもないしそれ以上は言わない)
(また増田に何度か書いたものは親に送ったメールなのだけど、何が言いたいの?って反応しか得られないので信じられない)
(自分が親だったら子供が考えてることを知りたいと思うのだけど、なんで全く興味がないの?信じられない。ただそれだけなのだけど。)
(子供なんて親のおもちゃなんでしょ。大学卒業したらそれで満足だったんでしょ。私がずっと親を殺したいと思ってたことくらい知ってるでしょ?なんで親はまだ生きていられるの?)
よく新聞とかに入ってる求人情報誌から適当に選ぶ。別にどれでもいいよ。どれでもいいでしょ。
・面接
学歴不問であったし、奴隷ロボットのように働きますという振る舞いをすれば落とす理由がないよね。
応募した時間帯は昼~夜であったが、深夜で間違いありませんか、と聞いてきたのでそこだけは否定した(ちゃんと否定できるかを見たかったのだと解釈している)
あとははいはいはいはいって言うだけだった。志望理由も、働く必要があるため、程度にした。そんなにアピールする必要もないであろう。
不採用にした方がお互いにとって幸せだったと思うし、採用は誰も幸せにならないようにも思うけど。
最後に軽いテストがあって、紙に数字がバラバラに印刷されていて、1から順番に○をつけていって制限時間以内にどれだけできるか、で著しく適性のない人を落とす理由にするためのものであると思うが、数字の数はそんなに多くなくて、順番無視して全部○をつけようかなとも思ったりはしたけど、全部○ついてたところで特に誰も幸せにならないのでふつうにやった。
(私から面接官の手元が見えないように机の上についたてがあったので、面接官からも私の手元は見えない)
・研修
業務上横領、郵便法違反等の犯罪をしたら一生後悔しますよとかのビデオを長々と見させられたりする。
4時間やってて4時間後にテストやって丸付け。問題文読めば○つけて下さいか×をつけて下さいってはじめから書いてあるようなやつ。
信書の秘密は退社後もだけど「これひっかかったひといるでしょ」→ひっかかるとかいうレベルじゃないと思うのだけど、なんで手を挙げている人が複数人いたのか全く理解したくない。
自分は最前列に座りながらも寝不足でずっとあくび連発しててあまり後ろ覚えてないけど。
解釈はするもので、テストとかいう問題作成者とのコミュニケーションに慣れているか慣れていないかの環境の違いだと思うけども。
・仕事を通して思ったこと。
まず所属はゆうパック。私個人に関して言えば使ったことがないのだけど、全国にある郵便局で30キロ以下の荷物が集められる。小さな郵便局で集まられたものは大きなところに集めて、そこで100通りくらいに区分して全国に配る。一番大きなハブは新東京郵便局と新大阪郵便局で、全国に飛ばすのは100通りくらいあって、もちろん東京にも大阪にもその地域に配るものもあって。
人間が犯罪を犯すかは確率で、人それぞれ固有の状態にある。その視点で研修は行われる。
防げない人は防げないが、防げる可能性のある人は防ぐのが狙いなのである。
私自身は研修は暇であるわけだが、会社が作り上げてきた儀式の意義は積極的に賛成である。
誤送を防ぐためにいちいちハンコを押している。基本的に目に入る物すべてに対して、それまでの歴史は分かるのである。
ただ私に関して言えばハンコ押すのは時間と体力の無駄使いである。
私は完璧主義者であり、完璧主義者というのはだいたいミスを極端に嫌がり慎重で丁寧にしか作業ができないので。
区分機にかけることができる荷物と区分機にかけられない荷物があったりする。
区分機によって分けられ、専用シュートにたまった荷物の場合、シュートの中で荷物の軽い整理をして、
シュートからロールパレットに美しく積み込む人と別々の二人用意した方が早そう。
というか、人間があって方法論があるわけで、方法論があってから人間があるわけではないアレでして
センスのないであろう人間の集まりの方法論だなぁとは思うのであるが、無駄が多いと言うか
何を効率的だと思うかが人によって違う。
もし自分が分身したとしたらこうやるし、もし自分が奴隷を雇うならこうやるし、というのがそれぞれの人の頭の中にあって。
忙しそうにすることが正義なのではない。無駄で美しくないことはしたくないのだ。
専用シュートからロールパレットに直接荷物を積み込めおじさんもいたけど、どんな種類の荷物が何個来るのかとかわかんないし、ロールパレットに積んでから美しく整理し直す方が美しくないでしょ。美しくない人間嫌い。
そしてこんなの人間のやる仕事じゃないのだ。将来的にロボットがすべてやるであろう。
なんでこんな仕事をわざわざしようと思ったのかそこにいる人たち全員に聞いて回ってやりたい
投げやりになったので後でまたもう一回書きなおそう。
朝通勤で乗り換える駅はいわゆるターミナルではないが、1時間に2本ほど始発電車が出る。
これに乗って行くと会社に行くのにちょうどいい時間に着くし、座れるので、最近では愛用するようになった。
こういう電車っていうのはだいたい同じメンツが集まるようになるんだろう。
見知った顔が増えてきた。
その中で気になった、というか何をしたいのか分からない人がいる。
ホームには始発電車の他に通常運行の電車も4分おき程度に来るので、
そちらに乗りたい人はドア前乗車線に並び、始発に乗りたい人は次発整列に並ぶ。
通常運行が出発して、次にいよいよ始発電車が来るというところになって
次発列の人々はドア前乗車線にごっそり移動する。
何も特別な決まりというわけではなくて、駅のアナウンスでもそうしろと流れているし
次発列にあえて割り込むのはその人以外には見たことがなかったから周知の事なんだと思う。
早い時には始発の10分前には次発列ができ始める。
でもどの時間でも、前の電車が出発するぐらいに並べば必ず座れるし
あえて早めに並ぶのは電車の中で隅の席が欲しい人ぐらい。
でもその人は毎日、次発列の前にスッと割り込んでくる。
次発列に並ばずに、10分ほど前から駅のホームに何もせずに立っている、中年の女性。
杖を持っている。だけど、柱に寄りかかっていたり、いつも空席の残っているホームのベンチに座っていたのではない。
特に次発列に対してなにか言うでもなく、ススっと列の前に立つ。
別に「障害があるからってあまえんな」とか言いたいわけじゃない。
そもそも割り込むまでもなく座れるし、
彼女がいつも一目散に目指すのは優先席だから、他の人は普通席が埋まるまで座らない。
それに何か一声かければ、よほど無理解な人でなければ納得して列に入れるんじゃないだろうか。
要するに全く意味のない行動でヘイトを稼いでいるのが理解不能。
イラッとした感じで、電車がホームに止まってから彼女の前に改めて押し入った。
もちろん彼にしても事実上の最前列だし、押し入るメリットは無いから
横入りされたのに批難の趣向返しというところなんだろう。
でもなんだか、ギスギスした感じがして朝から少し嫌な気分になった。
なんだかやり方次第でもっとお互い優しくできるところを、
どうしてこうなってしまうのか。