はてなキーワード: 高潮とは
オタクは激怒した。必ず、かのハピエレの意識を変えねばならぬと決意した。
オタクには3Dモデルがわからぬ。オタクはただのオタクである。イベントを走り、推しを愛でて暮らしてきた。けれどもアイドルのダンスに関しては、人一倍敏感であった…
仰々しく書いたが、要するに私はただのオタクである。二次元と三次元を行ったり来たりするタイプのオタクで、二次元で他のソシャゲではFGOとかツイステとかをやりつつ、三次元では地上も地下もk-popもいろいろと見ながらオタクをしている。あんスタのユニットにこの曲歌ってほしい!とかこの曲このキャラに踊ってほしい!とか言いながら妄想するのがめちゃくちゃ楽しい。そんな感じのオタクである。
なのであんスタのMVが公開されたときは正直とても嬉しかった。ストーリーだけでは描写しきれないライブパフォーマンスが見れる!これでもっとステージ妄想が膨らむ!そう思ってワクワクした。
補足だが、私は二次元のライブには一度も行ったことがない。スタライなどあんスタのアイドルたちのライブパフォーマンスが見れるものもあるが、なんとなく映像を見た時に違うな…と思ってしまった。横一列だし移動とかもしないしそこまで踊らないし…もっと踊ると思うじゃん普通…まあ技術的な問題なのかなと思うことにしてたけど。
でも新しく始まるゲームでのMVだから、もう少し良いものになってるかもしれない。私もスタライの映像見たのだいぶ前だし、もしかしたらよくなってるのかもしれない。
とにかく期待していた。で、出たのがこれである。
あんさんぶるスターズ!! Music MV vol.1 「ONLY YOUR STARS!」 https://youtu.be/PdH0BHKK0g8
え、いけるやん?!
正直もう少し踊ってほしいとは思うけど、予想よりは踊ってる。初っ端からこのクオリティはだいぶいい。これはいけるかもしれない。
私はあんスタでは流星隊Pである。流星隊は確かに初心者の一年生が3人いるが、みんなやればできる子だし、千秋も奏汰くんもダンス歌共にレベルは高い方だと思っている(声優さんの歌唱力とかはともかく、特に奏汰くんは五奇人に数えられるほどなので、相当上手いイメージ)。ヒーローショウなどに呼ばれるくらいには運動能力が高い子たちだから、アクロバットなども絡めながら、トンチキ曲を上手くこなしていくようなグループだとイメージしていた。
しかもアルカロイド、クレビ、Edenなど、クオリティの高いMVが次々に配信され、私の期待は最高潮に達していた。そんなに踊らせる気ないのかもしれないという考えを打ち壊すくらい良い。Edenめっちゃ踊るな…さすが……紅月は思ったより踊ってくれなかったけど殺陣頑張ってたし及第点。
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「天下無敵☆メテオレンジャー!」 https://youtu.be/jI-ooGSKNQQ
…………え??
びっくりした、全然踊ってない………
い、いや、顔はいい、顔は良いよ。そんなのズ!の頃から知ってたよ…え……??こんな踊れないの???
流星隊のターゲット年齢層が子供寄りだというのがあるのかもしれないが、でも音楽番組とかでもやるんでしょ?これ。ライブでもやるんでしょ?え…???
ていうかfive☆sters のところで5人で星つくるんじゃないんか…(幻覚)
い、いや、まだ一曲目だし、これが特別なだけかもしれない。別の曲を待ってみよう。
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「アンリミテッド☆パワー!!!!!」 https://youtu.be/EebaqB7tse0
あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV「SUPER NOVA REVOLU5TAR」 https://youtu.be/4SOK8YoAmv0
マジかーー!!!!!
いや、マジか、これマジか……
思ってたよりとかじゃなくて、これ、踊ってなくない??ほんとに。ダンスではない。小節に合わせてポーズ決めてるだけみたいになってる。踊れないなら踊れないなりにフォーメーションとかを工夫するとか、なんかこう、いろいろあるじゃん?
もしかしたら振付師さんがめちゃくちゃ初心者なのかもしれないとかも思ったが、めちゃくちゃ良かったEdenやクレビと同じ人だという。なんだそれ七不思議か???それはつまり流星隊に踊らせる気がないってことなんじゃないか???ハピエレ????てめーは俺を怒らせた。
ここまでただの解釈違いで駄々こねてるオタクみたいな感じ(実際そう)だが、私のイメージしてたパフォーマンスを貼っておく。ダンスMVではないものもあるが、ダンス自体は映っているので許してほしい。
超特急「ikki!!!!!i!!」MUSIC VIDEO https://youtu.be/m9aq-dJggMQ
BOYS AND MEN - 「YAMATO☆Dancing (Dance ver.)」ミュージックビデオ https://youtu.be/Ihq66ZZ8UPk
これを求めてた私が悪いのか…?そうなのかもしれない。そもそも3Dモデルだと無理があるのかもしれないし…その方面は詳しくないから…
というか、その方面の人に聞いてみたいんだが、このレベルのダンスを3Dモデルでやるのは無理なのだろうか?技術的に無理なら仕方ないけど、月数千万〜一億ほど(ズ!!に関しては月数億)稼いでるソシャゲなんだからもう少しクオリティ高いものを求めてもいいと思っている。まあでも、ソシャゲで配信するにあたって搭載できる容量とかも考えなくちゃいけないんだろうし…な…。
いや、だとしてもEdenやクレビくんがあんなにいいパフォーマンスをしてるのに、推しのグループがあれなの、やっぱり納得いかない。あれをできるんだったら流星隊にこれ以上を求めてもいいはず。
そもそもあんスタ世界、ストーリーを読む限り相当厳しい世界のはずなのに、あんなパフォーマンスで生き残れるのか…?みんな相当な覚悟とそれに相応するレベルのパフォーマンスで頑張っているのだと解釈していたのに、それにMVのパフォーマンスが追い付いていない。これに関しては流星隊だけの話ではないし、それが一番不満かもしれない。
あと単純に長年の疑問なのだが、ヘッドセットマイクしながらハンドマイク持ってるのは何故なのだろう?ヘッドセットがあるなら片手をわざわざ封じなくてもいいのでは…?あとわざわざ持たせたハンドマイクのマイクホールドが甘すぎるし、マイクの位置がやけに遠い。あれでは声は届かないし、そんな事するならヘッドセットだけでいい気がする。
ズ!!になると話は違ってくるが、ズ!の世界観に一番近いのは日プだと思うので、ハピエレ公式は日プを見て勉強してきてくれ。今の日本でデビューしようと思うと、初心者だろうと経験者だろうとみんなあれくらいやらなくちゃいけない。というかほとんど初心者だったけど特定の上手い人以外ほとんどボロクソに叩かれてたからな…
そのジャンルはたぶん今が1番盛り上がってるんじゃないかと思う。これからも続いてほしいとは思うけど、たぶん今が最高潮。
他のジャンルから流れ込んできた絵がうまい人も増えて賑わっている。
でも私は変わらずに、1人の絵を描く人だけが特別に好きだ。(神絵師という言葉はなんとなく使いたくないので「人」と書きますがこれも気持ち悪いですね)
イラストや漫画が好きだというのはもちろんだし始まりだけど、その他のちょっとした日常ツイートとか、焼きマロとも思えるメッセージへの返答などに表れる人間性の節々が好きだ。
同じジャンルで同じようなメッセージを貰ってたびたび燃えている人も見ているから余計にいろいろと上手な人だなと思うし、気を付けているのだと思う(個人的には燃やされている人はかわいそうだし、思うこともあるがここでは特に書かない)。
そのジャンルとは別に、私は見知らぬ他人の書いた文章を読むのが好きだ。全然知らない世界に連れて行ってもらえるから。
大人になるにしたがって、周囲には似たような思考をする人間や同じくらいのレベルの人間が集まるようになると思う。自分が手を伸ばして掴める範囲のものしか触ることはできない。
インターネットでは気軽に外の世界を見せてもらうことができる。触ることはできないけど目にいれることはできるのだ。
私は本を人並みに読んできたと思うし、くだらないことを言えば高校時代の国語の成績はとてもよかった。現代文単語帳を読んで、日常ではそう出会わない言葉や表現にも親しんだ方だと思う。
しかし他人の文章を読んでいると知らない言葉や表現がどんどん出てくる。あなたはそれをどこでいつ覚えたの?と知りたくなる。
私の好きな人はツイッターではない場で、他のジャンルについての長文を綴っている。それを読んで好きだと思った。
どうしたらそんな考え方ができるようになるんだろうと思う。気になるからその人の文章やツイッターはしっかりと目を通している。
ここからは最近のトレンドの話から考えたことを書く。少し飛躍しているかもしれないけど自戒をこめている。
神絵師視点からのダイアリーを読んだ感想として、人間を勝手に神にするなというものが少なからずみられた。その通りだと思う。そして考える。
「二次創作できない・しないオタク」は「自分好みの創作をしてくれる人間」を「神」というキャラクターに仕立て上げていないだろうか。
そしてその「神」を創作の題材にしていないだろうか、自分の頭の中の。
「神」はこうあるべきだという自分の解釈があるから中島さんとの仲良さげな様子が解釈違いで許せないんじゃないだろうか。少しジャンルやCPを変えただけで動揺してしまうんじゃないだろうか。
そしてその憤りや悲しみの気持ちを抑えきれずに、自分の脳内創作物を作者として「神」やそのまわりに送り付けているのではないか。
このように考えるのは、私が自分好みの文章を書く人のバックグラウンドを知りたいと思ってしまうからだ。
私はメッセージを送ることはしないけど、その人がインターネット上にアップしているものから何かしらわかると嬉しくなる。
この「知りたい」という感情は行き先や方法を間違えると面倒くさいことになると思う。
情報が多いと二次創作はより具体的になるだろう。情報が少ないとよりぶっ飛んだものになるだろう。
これが対「人間(神絵師)」になるのだから、矢印を向けられた方はたまったものではないだろう。
これはこの同人界隈に限った話ではなくて、日常生活でも生じる話だと思う。
自分が勝手に好感をもっていた人がいたけど、何か些細なことをきっかけに幻滅した。
よくある話だと思う。でも、焼きマロを送ったりしないだろう。送る場所もない。
ツイッターやマロによる手軽さが勘違いや創作を加速させていくのだろうなと思う。
頭の中で何を描こうと勝手だ。しかし人にぶつけてはいけない。マシュマロでも痛い。
ここまでにします。もしも最後まで読んでいただけたなら嬉しいです。ありがとうございます。
大学院での苦しかった日々がおわり、新しい日々が始まろうとしていた矢先のことだった。
精巣腫瘍が見つかったのだ。幸いにも転移はなく、腫瘍部分を含めた精巣を除去すれば問題はない。
その後の病理検査で今後の治療方針が決まるが、生存率は他のガンに比べて高いので安心してほしいと医師に告げられた。
頭の中が真っ白になり、待合室でみたMADの音楽が空回りしていたのを今でも覚えている。
いけいりかこ選手の白血病ですら発症率は10万人に6.3人であるらしい。
これをたまた読んでいる読者が全員男性であると仮定して、10万人読んで初めて1人が罹患するような話である。
しかもこの精巣腫瘍、痛みもないため発見されにくい腫瘍なのである。
好発年齢は20代から30代(働き盛りに発症するのもタチが悪い)。
私はたまたま痛みとしこりがあったことと、学生時代から友人に金玉がデカいということで
いじられていたからこそ早期発見に繋がった珍しいケースであるが、発見が遅れて肺やリンパ節に転移するケースが多いようだ。
20代でガンになるなんて思ってもみなかった。
皆罹患した人はそういうだろう、私もその一人だ。
10月から新しい会社に入社し、バリバリ稼ごうとしていた未来もくすんでしまった。
これからは転移、再発を繰り返すのではないかと明日に怯えつつ、精一杯生きていくしかないのである。
辛い人生になったとしても耐えるしかないのは、いつの世も同じなのだろうか。
私は20歳の時にがんで父を亡くしている。
父も働き盛りの最高潮の時期に罹患し苦しみながら死んでいった。
最後までガンになった患者としての父の気持ちを分かってあげられることはできなかった。
今ガンに罹患し、初めて父が背負っていた未来への緊張、不安感、ストレスを
完全ではないとしても同じように感じれているのではないかと思う。
私は、このような形であるが父と同じ境遇を経て、思いを重ねて合わせることができて非常に嬉しく思う。
こんな駄文を最後まで読んでくれた読者らに感謝を申し上げると共に、
何か金玉にしこり、痛みを感じたらすぐに泌尿器科へ診察してもらうことを強く勧める。
早期発見により生きていける精巣腫瘍患者が一人でも多くなることを切に願う。
正直、こんなに反響があるとは思っていなかった。
最初に「死ぬわけじゃないのか」とコメントがついたときは、これぐらいの反響なのだろうと思っていた。
外出し、帰ってみると予想外の反響があった。質問等もあるのでここで言及しておく。
私は地元の親しい友人と露天風呂に行くのが好きで、何かと理由をつけては友人とお風呂にはいった。
どうも腫瘍がある左の精巣を包む陰嚢は陰嚢水腫らしく、お風呂に入るとテニスボールぐらいに大きくなった。(左:テニスボール、右:ウズラのたまご)
その金玉のデカさに友人たちも、「果実」、「太陽のタマゴ」、「大きすぎて実ってる」などのイジりをしていたのである。決して触っていたわけではない。
左側の精巣を摘出するので種無しにはならないが、今後の治療や残った右側に転移するなどによっては種無しになる可能性が大いにある。
誰もが爆笑問題の田中のように片玉でも子供が作れるわけではないので、安易に例として出すべきではないと思う。
私もその可能性を持つ一人だ。ただ精巣を失い、仕事を干されても人生は続いていく。やるせない世の中である。
多くの人が大病を患えば若くして簡単に死ねると思っている。私はこれは誤りではないかと思う。現にガンになったとしても
簡単に死ねるわけではない。様々な苦しみの段階を経て死んでいく。おそらく発想する人の多くは病気についての理解が乏しいと思う。
さっさと終わっていい人生なんてない。好き勝手して長生きする人生のほうが幸福度も高いと思うのでやりたいことをやってほしい。
ガナニースレは私も当時拝読し爆笑した覚えがある。ちなみにテニスボールほど肥大した陰嚢に性感帯はない。
パートナーは気付かなかったとのこと。
本当に恐ろしいことをいうが、私の場合は自発的な受診がきっかけだった。ここに寄せられた多くの
コメントの中にも精巣腫瘍についてのコメントやブログのURLを貼ってくださっているが、
オモコロのギャラクシーさんが書いている記事は精巣腫瘍になる前に読んでおり、
今回精巣腫瘍と診断されて再び読んだ。
一度読んでいたからこそ、今回の精巣腫瘍のことをある程度前向きに捉えられたのかもしれない。
金玉がデカいと一言で言ってもパターンがある。男性諸君らはお分かりいただけると思うが、
袋の中にうずらのタマゴのようなものがある。これが精巣である。
精巣を包む皮袋(陰嚢)全体を差して金玉がデカいと称している傾向がある。
私の場合はそもそも陰嚢水腫(袋の中に水がたまる)により外見上デカかった。
それを気にして定期的に左陰嚢全体を触っていた時に、内部の精巣にしこりを感じた。
このしこり、うまく表現できないのだが、正常な精巣の弾力をゆでたうずらのタマゴとすると
しこりの弾力は、固めのスーパーボール、昔のマウスボールのようなものである。
また全体がそのような弾力になるのではなく、私の場合は精巣の下半分にしこりが
あるようなパターンであった。
90年代前半は「女子高生ブランド」が最高潮になった時代で、女子高生たちは自分自身の「価値」を知り、世のオヤジたちに提供する存在だった。オヤジたちはその女子高生たちに相応の対価で応え、ギブアンドテイクの関係性が出来上がっていた。
と、オヤジたちは思っていた。
ブルセラ、援助交際、ウリ、テレクラ。これらが週刊誌、ドラマ、マンガで繰り返し描かれることによって、「女子高生はそのように消費してもいい存在」「それによって金を稼ぐことを女子高生も望んでいる」「汚れた女たち」とオヤジたちは本気で思った。だからいきなり女子高生に声をかけて「3万でどう?」と言えたのだ。しかもそれで、けっこう成功した。追加で金がかかることは多かったろうが。
もちろん、そのような「価値の提供」をする女子高生はそんなに多くはなかった。当たり前だ。しかし、爆発的に「そういうイメージ」が浸透した。女子高生は清純かビッチか、どちらかしかいないような錯覚が生まれた。
そして、ウリやエンコーに応えるビッチな女子高生はそのまま性的対象になった。説教しながらセックスする対象になった。
一方、「今時珍しい」清純な女子高生もまた、そのまま性的対象になった。汚れた女どもの中で、この子は違う。そうして癒しのセックスの対象になった。
大分アバウトだが、このようにして「女子高生」というブランドが性の匂いと不可分になっていった。もちろん、それ以前から性的対象のカテゴリではあったが、一般にも決定的に浸透したのはこの時代だろう。
もはや「そういう子もいる」ではなく、「今時の女子高生はみんなやってる」と思われるほどに浸透した。痴漢やオヤジたちだけではなく、世の中の一般的な人々に、そういうイメージが知れ渡ったのだ。
なので、今更かつての女子高生に「あれは本当に嫌だった」と言われても、「持ちつ持たれつだったじゃないか」「お前たちも汚れた女だったじゃないか」という意識はどこかに残っている。だから本気で「すまなかった」という声はオヤジたちからは出てこない。釈然としない気持ちが残るからだ。
「だってお前ら高かったじゃん」と言いたいのだ。
「嫌だったかもしれないけど、その分こっちも懐痛めてたんだしさぁ」
「むしろお前らのほうが得してただろ?」
「俺を振ってオヤジと腰を振りやがったくせに」
そう言いたいわけだ。
もちろん、これは「女子高生を消費してもいい空気」が犯人なので、一部を除いて女子高生たちには責任はない。しかしこの「一部を除いて」と言わないといけないのがネックになる。それで金を稼いだ女子高生が確かに存在したことが問題をややこしくさせる。
オヤジどもが突くのはこの点だ。確かに金を得た女子高生はいたのだ。オヤジたちをあざ笑い、金を持って行った女子高生が存在した。
それがあるから、「本当に嫌だった」を素直に聞き入れられないのだ。
今でいうパパ活とは比較にならないほど広汎に「ヤレるイメージ」がついたのがあの時代だ。一度に動く金額は現代のほうが上だろうが、総額ではあの時代が圧倒的に上だろう。
ちょっと遊んでる風の女子高生には、必ず「ウリをやってる」という噂が立った。"清純"な女子高生が眼鏡をやめてコンタクトにしたりしたら、「オンナになった」とかささやかれた。
山本直樹のマンガ「Blue」の時代だ。そういう空気感だった。
なので、「当時の遊んでる女子高生像」がどうしても頭から離れない。
90年代前半の女子高生は下劣なオヤジとギブアンドテイクの関係だった、と、オヤジたちは思っていたから、女子高生の消費が止まらなかったということは言えるだろう。
ただ電車に乗っているだけで痴漢にあい、服を切り裂かれ、日常の中で脅威にさらされた女子高生たちは大変気の毒な時代だった。
なぜそのような目にあったかと言えば、「世間が女子高生をそのように扱ったから」としか言えないような気がする。
俺自身も、当時付き合っていた彼女がエンコーしていた事実があった。今でいえば脳が破壊されるというやつだ。
そういう経験もあって、正直なところ、心のどこかでかつての女子高生に同情ができない気持ちがある。申し訳ない。
ともあれ、まぁ、「あの時代」はこんなもんだったんじゃねーかなということを書いてみた。
わたしは当時26歳で彼女いない歴イコール年齢の売れない芸人であった。
わたしは性行為というものに強く興味を持ちながらもAV、特に女性の乳房と乳房がもつれ合いながら重なり合う
キャットファイトを観賞しながら
陰部を布団に擦りつける
いわゆる床オナと呼ばれる行為を日に
三回はしながら日々を悶々と過ごしていた。
わたしは、この状況を打開しようと
芸人という身分を明かしてはじめたところ、数多くの女性とマッチングをし
合わせて20人の女性とご飯に行くことができた。しかし、どの女性とも対面後は
焦っていたわたしだったが野宿をしているという女性とマッチングをした。
食べるものにも困っているという。
会い、あわよくば泊まるところがないのを利用しホテルに連れ込めるのではないかと思いついた。わたしはすぐに彼女を上野でのご飯に誘った。
彼女は快諾してくれた。
わたしはアポ当日とある番組のオーディションだったのだが、なんと合格した。
これは凄まじく幸先がよいと思いながら意気揚々と待ち合わせ場所の
彼女と初めて会ったときマスク姿であった。一体どんな美しい顔がその下に
隠れているのだろうと内心わくわくしながら、一緒に行きつけの肉バルへと向かっていった。
席につくと、
正直全くタイプではなかった。
ともかく彼女の話を聞いてみることにした。
シンガーソングライターになるという夢を叶えるため、一万円だけを握りしめ無謀にも上京をしたのだという。
シンガーソングライターで成功するのは難しい。
夏は野草を食して公園で野宿をして過ごし、寒くなるとドンキホーテの女子トイレで一夜を過ごすこともあるという。
そして、現在は同じくマッチングアプリで出会った男性の住所を借りて
バイト先を探しているらしい。
わたしは彼女と歩きながら内心ドキドキしてホテルへ誘う機会を伺っていた。
とりあえず話たいことがあると彼女に打ち明け、人目につかない上野の地下連絡通路に入った。
彼女はびっくりした様子であったが
『これから実は、池袋のロッカーにある私物を取りに行かなきゃならないんですぅぅ。だからすみません。』
手持ち以外の全ての私物を預けており、保管期限超過で明日にも撤去されてしまうのだという。
チャンスを逃すまいと実は童貞であること、そのコンプレックスを彼女に熱く語った。
すると彼女は、
『そんなこと言われたら断れないじゃないですかぁぁ。』
と言葉を口にした。
ついに!ついに!ついに!ついに!
長年待ち望んだ時が来たのだ!!
私は早速彼女をつれ事前に同期芸人に勧められたホテルSWEETSに向かった。
彼女はわりとホテルを使った経験があるらしく、わたしをエスコートしてくれた。そして生まれ初めてホテルの一室に入ることができた。
危うくなり非常に動揺した。
ホテルSWEETSにいるのだ!私は己を奮い立たせ先ほどより語気強めに言葉を放った!!
『お願いします!!挿れさせてください!!』
と怒涛の勢いで土下座をした。
その熱烈な思いに反し彼女は
『やぱり本番はムリですぅぅ。
手とか他なら全然するんで許してくださいぃ。』と彼女も土下座し強固なる意思で挿入を拒否するのであった。
わたしは負けてなるものかと土下座をしさらに懇願したが、彼女も負けじと土下座をして拒否してくる。
なんだこの女!!わたしを最大級の焦りを感じながら土下座を続けた。
しかし向こうも一向に引き下がろうとしない。そんなやり取りを続けている中、
ふと目にした時計をみるとホテルに入ってから1時間近く経過していた。
まずい!このままだとなにもせずに
承諾した。わたしはエッチをしながらなんとか挿入に持ち込もうと作戦を変更したのだ。
『お兄さんイケメンですねぇぇ。』
これから行為をする自分を納得させようと彼女自身で自己暗示をかけているように感じた。
『このキモチ悪い顔みられるの恥ずかしいから暗くしてもいいですか?』
わたしは顔はこの際、
別にどうでもよいため快諾した。
暗がりの中で、
彼女は上半身からその乳房をあらわにした。はじめてみる他人の女性の乳房にわたしはひどく興奮した。
ともはれ、わたしは彼女の乳房を26年分舐めまわした。彼女は声をあげていた。鎖骨あたりを舐めまわそうとしたところ、
『そこは弱いからいやああ』と
しおらしい声をあげていた。
彼女はまたしおらしい声で
『すごい興奮しているのがわかりますうう』と教えてくれた。
皮をかぶってるんですかぁ。』
人によると彼女に教えてあげた。
引き続き抱きつきとナメナメを繰り返していたのだが、彼女から急に、
『もう眠いですうう』と申し出があった。たしかにもう時刻は深夜3時を過ぎていた。そう言われたわたしは確かに自分もオーディションなどで疲れがたまっていたためその申し出を受け入れてしまった。
わたしたちはそのまま眠りについた。
出発した。
挿入はできなかったがいろいろして
本来の目的は果たせなかったがどこか清々しい気持ちで電車に揺られながら私は帰っていった。
後日、彼女とのラインを開いたところUNKNOWNは退出しました。
との表示があった。
バイトの面接に無事合格し夢に向かっていまも東京でがんばっているのか。
なにはともはれ、彼女のぬくもりをもう感じることはできないのだ。
魔なる者を討つため
授かった少女たち。
全身を覆う衣は神聖殻と呼ばれ、
神を信じぬものには
傷一つ付けることができない。
恋塚空乃(16)メゾ・エレミエール
B85:W56:H88
天使エレミアと
魂の波長が一致したことで
芯の強さも併せ持つ。
事で他の天使に選別された
積極性を身に着けてゆく。
2枚目 https://pbs.twimg.com/media/DkohKYoU4AEcThI?format=jpg&name=medium
https://twitter.com/patrietta/status/1029673037786886144
1枚目 https://anond.hatelabo.jp/20180818182012 の続き
3枚目 https://pbs.twimg.com/media/DkohLUpVAAAyCz3?format=jpg&name=medium
・罪行天雌(フォウル=アンジェ)
”人としての部分”を支配され、
擬似的に堕天した代行天使。
装束にも似た衣『堕性核』を身に纏う。
原因であり、相手が男であれば
極上の蜜壺をもって交わい、
女であれば堕天王の現身を
もともと神の陣営であったが故に
神聖殻のかごを無力化して
全ての代行天使の天敵にして
宿敵と呼べる存在。
代行天使たちが授かった”使命”とは、
すなわち彼を倒すことである。
pbs.twimg.com/media/DkohLvkVAAAQTcW?format=jpg&name=medium
者は他の邪行天雌と一線を画す力を有する。
信じがたいほどのデモニウムを含んだ
濃精を獲物の体内や直腸内に排泄する。
また、男根部位に展開された”禍輪”は
淫塚空乃(16)フォウル・エレミエヴィル
B102:W57:H91
彼の手により直接寵愛を受けた一人目の
罪行天雌。
異性だけでなく同性すら魅了する淫魔族
さながらの肉体に作り替えられ、更には
その実力は最高階位の代行天使たちにも
引けを取らないほどに。
見ておらず、正体を隠しながら虎視眈々と
罠に嵌める機会を伺っている。
高校3年の時の文化祭のこととか体育祭のこととか日常のこととか思い出してた。
本当に楽しくて高校3年生が私の人生のピークやって信じて疑わなかったしそれで充分、その思い出を胸にこれからを生きていこうって思ってたけど人生まだそれなりに楽しみはあるし、高3の思い出はどんどん思い出せなくなっていってる。
そんなもんかねえ。人生。
文化祭、クラスで演劇をして、演劇部に所属していたこともあって役をもらったり、新喜劇のオマージュで観客が笑ってくれたり、体育祭、遅くまで居残りして連合旗の色塗りをしたり、公園に行って深夜までダンスの練習したり、6時間目終わってから教室に残って友達とくだらない事でたくさん笑ったり、こう思い返すとやっぱり人生の最高潮やったかなとも思うけど、案外今も悪くない。
大好きなアイドルを見つけてオタ活したりオタクの友達たくさんできたり、現場がなくてもご飯いったり遊んだり、ああ、こう考えると今の私は大好きなアイドルと大好きなアイドルに生かされてるなあって思うよ。
なんの話やっけ。
特定警戒都道府県の指定が解かれた当日の小さな地方都市での出来事。
カウンターに一人陣取るが、背後の座敷席には10名近い20代ぐらいの男女の集団。
すぐ近くにある地域の中核病院の若い医師達だろう。(看護師も多分いる)
病院からかなり近いし、価格もリーズナブルな店なので、このような集団がいるのは普段なら珍しいことではない。
ただ、コロナ患者が多く出ている地域ではなく、その病院自体もコロナ患者は現在入院していないらしいと噂は聞いていても、こんな時にこんな集団で飲みに来るんだなというような違和感は持った。
「○○科の○○先生が~」とか大声で話していて、医者、少なくとも病院関係者であることは間違いない。
客はもう1組いたが、こちらも顔見知りの病院関係者のようで、集団客の周りに対する遠慮はほとんど無いように感じた。
時折学生ノリのようなコールもかかったりして、盛り上がりはさらに最高潮。
こちらも酒が入っている、ただの飲み客。
居酒屋なのだし、ある程度賑やかなのは許容範囲、というかむしろ良いことだと思う。
ただ、間仕切りも無い狭い店。
さすがに他の客への配慮がなさすぎる(作業着姿のオッサン一人客の私は、彼らにとっては眼中にも入ってなかったのかもしれない)なと思っていたところ、さすがに店の人が声をかけた。
「一応今日で特定警戒は解けたけど、営業もあんまり遅くまでできないし、本格的な営業は来週からと思ってるから、もうちょっと押さえてね。」
少し論点はずれてるが、もう店も閉めるし、他のお客さんもいるしもう少し静かにねというニュアンスを込めつつ、あまり飛沫も飛ばさないでねみたいな事も言っていた。
それに対しての一人の医者の答え
酔っ払いの言ったことだし、もちろん本気で言っているなんて微塵も思わないが、あぁ本当に他人に見られているという認識がないんだな、ということはよくわかった。
その後、22時を過ぎた頃、その集団は一部を残して2軒目へと移動していった。
現在コロナに関わっているもいないも関係なく、医療従事者の責任とストレスは大変なものだと思う。
人間だもの、酒を飲んで、仲間と大いに話してストレスを発散するのは全然構わない、むしろ良い。
ただ、どんな場所であろうと、どんな状況であろうと、他人に見られているということは意識しないとなと思った。もちろん、医師や医療従事者に限らずだが。
自戒を込めて。
投げ銭で女の子の人生を壊した増田を読んでイチナナに潜入してみた。
23時頃にログインしたので配信者は多かった。女子8割男子2割ぐらい。配信者のことを「ライバー」と呼ぶらしい。
配信中のライバーを一覧で確認する。リストにはプロフィールのサムネ画像がずらっと並ぶ。
可愛いライバーを選んで配信中のライブを観る。うん、サムネと全然違う。次。次とザッピングしていく。
ログインした時間帯が悪かったのかもしれない。みんなメイクを落として部屋着で配信してるので特別感がない。
いろんなライバーを行ったり来たりしながら写真も動画もめちゃくちゃ可愛い子を見つけた。可愛いと言うより美人。
しっかりメイクして服装も清楚。髪は茶色で巻き髪でキリッとした顔、ぱっちりした目でモデル系の子だった。
はじめましてと挨拶すると美人ライバーが自分の名前を呼んでくれる。「増田さんこんばんはー」
挨拶されて喜んだのもつかの間。次々と新しい視聴者が増える。美人ライバーは新しい視聴者が入室するたびに名前を呼んで挨拶する。
視聴者はあまりコメントをしない。動画を見てるだけ。美人ライバーは自分の話はせず、ただひたすら視聴者の名前を呼んでいく。
視聴者の中にはライバー親衛隊のような人がいてコメント欄に定期的にライバーのプロフィールをポストしている。
名前や属性、いまどんなイベントに参加していて何のプレゼントが欲しいかなどライバー本人が書きにくいことを一般の視聴者に知らせる。
プレゼントというのはイチナナ内で購入できるスタンプのようなアイテムで、視聴者がライバーに好きなだけあげることができる。
アイテムをプレゼントすると配信中の画面中央に表示され、さながらパチンコのような演出が始まる。
自分も試しにコインを買って美人ライバーが欲しがっている240コインのアイテムをプレゼントする。日本円にして80円ぐらいだ。
画面にアイテムが表示されて「増田さんがプレゼントしました(240)」と80円のプレゼントをしたことが画面に表示される。
美人ライバーはそれを見て「嬉しい!増田さんありがとう!」と笑顔で喜んでくれる。
80円でこんなに喜んでくれるのが楽しくなって、ふたつみっつとどんどんプレゼントしていく。すると美人ライバーは驚きながら口に手を当てて
「ヤバーい!ほんと嬉しい!増田さんありがとう!」と大喜びしてくれる。そして親衛隊の人がお礼のコメントをしてくれる。
美人ライバーに何度も名前を呼んでもらえたので自分を覚えてもらったような気がして嬉しくなった。
配信を見始めてどれぐらいたっただろう。画面にこれまで見たことのないド派手なアイテムが表示された。
「○○さんがプレゼントしました(24000)」と表示されている。イチナナでは3コイン1円ぐらいなのでこのド派手なプレゼントは約8000円の高額プレゼントだった。
美人ライバーは声を失うぐらい驚いて画面を凝視していた。そしてアイテムの演出が終わって美人ライバーはとにかく喜んだ。
参加しているイベントのポイントが獲得できてランクが上がるらしい。美人ライバーはトップ10入りを目指していた。
その後もド派手なプレゼントをした視聴者の勢いは止まらず次々とアイテムが投下されていく。
8000円、1000円、1000円、と高額アイテムが絶え間なく表示されて美人ライバーのテンションがどんどん上がる。
それにつられて他の視聴者のテンションも上がり少額ながらアイテムを投下していく。80円、80円、500円。
そのうちアイテムの演出が止まらなくなり花火のように入り乱れて美人ライバーは視聴者の名前を大声で連呼していく。
そしてある視聴者が10万コインの特大花火を打ち上げたところで美人ライバーのテンションは最高潮に達した。
大きな演出が終わり静かな時間が訪れる。心地よい充足感があった。気づけば2時間ほど経過していた。
コメントで寝ることを伝えて応援してると言った。美人ライバーは名前を呼んでお礼を言ってくれた。
本当に最高で最悪だわ、このゲーム。
詳細は他の人がさんざんレビューしてるから、俺は感情的な面を書いてみる。というか書かずにはいられない。
例えるなら、幻の食材で最高の料理を作ったあとに、偉い人がうんこで作ったオブジェを飾りとしてのっけたような感じ。
その食材は幻すぎて、人類はもう二度と手に入れる事ができない、まで言ったら言い過ぎか?でも気分はこれ。
そのうんこをよけて食べようとするんだけど、どうしても取りきれず、どこを食べようがうんこの破片が口に入ってくる、そんな感じ。
実はcrew2の発売時にも無料プレイ期間があって、その時も遊んだんだけど、あの時はゲームはやらずにひたすらドライブしてただけだったので、ダメージは少なかった。
それでもイライラした事は覚えてたけど、それ以上にドライブの体験が良かったので、比較的ダメージは少なかった。
その後買うかどうか迷ったまま現在に至るという感じ。
それで今回のフリープレイでちゃんと見極めようと思ってゲーム部分を遊んでみたら、上記の感想になった。
ここまで読んだ人は「そこまで言うならプレイせずに無視すりゃ良いじゃん」と思うだろう。無料で遊んでて文句を言うな、とかも言われそう。
フォルツァホライゾンとかも持ってるけど、あのぐらいのマップの広さだとすぐに飽きてしまう。
GTA5はマップの広さはマシだけど、車の挙動がクソ過ぎて嫌だし。
そういう意味ではcrew1は最高だった。なんならいまだに遊んでる。
でもさすがに古くてグラがしょぼく感じる。
だからcrew2には期待してたんだけど、こんなデキなわけで、とにかく悲しい。
このゲームのマップを作った人や、建物や乗り物などのモデルを作った人は本当に苦労したと思う。彼らの努力の1%でも、ゲームデザインに向けてくれていたら、こんな状態にはなってないだろう。
このゲームをデザインした奴は本当に猛省して欲しい。というかクビになって欲しい。いやそれでは生ぬるい。会社から損害賠償請求されてて立ち直れないぐらいのダメージを受けていて欲しい。
ゲームデザイン以外でこのゲームにかかわった人全ての努力を台無しにしている。
もしこのデザイナーが批判に耐えかねて鬱病になって自殺してても、同情できないぐらいにはムカついている。普通に給料をもらって普通に働いてて欲しくない。
レース部分をプレイしてる時間は常にこのゲームのデザイナーに対する罵詈雑言で思考が埋まってしまい集中できない。
というか、このゲームのレース部分を遊んでおいて疑問を感じない人ってどうかしてると思う。
そのぐらい酷い。もしかしたらユーザーの事を馬鹿にしてるのか、嫌いなのか、なんらかの悪意のもとに作ったのでは?と邪推したくなるレベル。
なんせ長時間のレースでも、途中でやり直せないからね。序盤でミスったらテンション爆サゲのままゴールまで無駄で退屈な時間を浪費する必要がある。
しかも車の挙動が大味だから、テクニックとか不要。つまり何度も練習する意味が全くない中、何度も周回させられる感じ。
あと例えばジャングルのコースだと、複雑に生い茂った木の配置を覚えるなんて不可能なので、それにひっかかるかどうかなんて運。
そして、こうしたひっかかる系のミスが多発するようなコースが物凄く多くて、イライラは最高潮に達する。
さらに敵車はプレイヤーが速いと速くなるし遅いと遅くなるので、長いレースの序盤や中盤には害悪以外に何の意味もなくて、終盤の運ゲーでうまくいくかどうか、というだけになってしまっている。
(これだけだと序盤でミスってもチャンスはあるように読めるかもしれないが、ひっかかる系のミスは致命的なので敵車が少し遅くなるぐらいでは挽回できない)
この苦行のようなクソゲーをクリアしないと欲しい車や要素がアンロックされない。
そしてこのクソの量が半端ない。クソを作るのにもかなりの労力を使ってるのが察せられ、その想像がまたイライラを煽ってくる。考えたらダメなのだろう。俺には瞑想が必要らしい。
さんざん他の人にも言われてるけど、これなら最初から全ての要素がアンロックされてて、レース部分を全くプレイしなくても好きな車でドライブできた方が数倍良い。
わざわざ苦労してゲームの魅力を台無しにしてるのがもう、もったいなさ過ぎて腹が立つ。
単なるクソゲーならどうでも良いんだよ。惜しいんだよね、本当に。凡人レベルのゲームデザイナーが仕事をしてくれていたら、最高のゲームになってたと思えるぐらいには素材が良い。
あとUIもクソ。イライラしながらゲームを終了しようとすると、終了する方法がわからんの。
普通はポーズボタンでメニューを開けば、終了って項目あるじゃん?
いや、あるんだよ。終了って文字は。Bで終了ってあるの。つまり、メニューが終わってゲームに戻るの。
結局ググったよね。数年前の無料プレイの時もわからずにググったのを思い出したよ。
crew2って検索窓に入れたら「終了方法」ってサジェストされたのは笑えた。みんな初見ではわからないみたいね。
正解はYボタンで謎のメニューを呼び出して、そこから終了を選択する。
Yボタンで呼び出すメニューなんて普通にレースやドライブをしてたら1度もお目にかからないからね。「そういえば終了はあそこにあったな」という状態が起きない。
なぜこのゲームがこんな事になっているのか、誰か解説してくれないかな?
例えばAかBか選べて、どちらも同じ予算で作れるけど、明らかにBはクソって時に、あえてBを選んでるような、そんな感じに思える。悪意なしにそんな事になるとはとても思えない。
この文章自体うんこだと思うけど、このうんこを直接ゲームデザイナーにぶつける為だけにゲームを買ってレビューを投稿したい衝動にかられてる。
本当に最高で最悪だわ、このゲーム。
詳細は他の人がさんざんレビューしてるから、俺は感情的な面を書いてみる。
例えるなら、幻の食材で最高の料理を作ったあとに、偉い人がうんこで作ったオブジェを飾りとしてのっけたような感じ。
その食材は幻すぎて、人類はもう二度と手に入れる事ができない、まで言ったら言い過ぎか?でも気分はこれ。
そのうんこをよけて食べようとするんだけど、どうしても取りきれず、どこを食べようがうんこの破片が口に入ってくる、そんな感じ。
実はcrew2の発売時にも無料プレイ期間があって、その時も遊んだんだけど、あの時はゲームはやらずにひたすらドライブしてただけだったので、ダメージは少なかった。
それでもイライラした事は覚えてたけど、それ以上にドライブの体験が良かったので、比較的ダメージは少なかった。
その後買うかどうか迷ったまま現在に至るという感じ。
それで今回のフリープレイでちゃんと見極めようと思ってゲーム部分を遊んでみたら、上記の感想になった。
ここまで読んだ人は「そこまで言うならプレイせずに無視すりゃ良いじゃん」と思うだろう。無料で遊んでて文句を言うな、とかも言われそう。
フォルツァホライゾンとかも持ってるけど、あのぐらいのマップの広さだとすぐに飽きてしまう。
GTA5はマップの広さはマシだけど、車の挙動がクソ過ぎて嫌だし。
そういう意味ではcrew1は最高だった。なんならいまだに遊んでる。
でもさすがに古くてグラがしょぼく感じる。
だからcrew2には期待してたんだけど、こんなデキなわけで、とにかく悲しい。
このゲームのマップを作った人や、建物や乗り物などのモデルを作った人は本当に苦労したと思う。彼らの努力の1%でも、ゲームデザインに向けてくれていたら、こんな状態にはなってないだろう。
このゲームをデザインした奴は本当に猛省して欲しい。というかクビになって欲しい。いやそれでは生ぬるい。会社から損害賠償請求されてて立ち直れないぐらいのダメージを受けていて欲しい。
ゲームデザイン以外でこのゲームにかかわった人全ての努力を台無しにしている。
もしこのデザイナーが批判に耐えかねて鬱病になって自殺してても、同情できないぐらいにはムカついている。普通に給料をもらって普通に働いてて欲しくない。
レース部分をプレイしてる時間は常にこのゲームのデザイナーに対する罵詈雑言で思考が埋まってしまい集中できない。
というか、このゲームのレース部分を遊んでおいて疑問を感じない人ってどうかしてると思う。
そのぐらい酷い。もしかしたらユーザーの事を馬鹿にしてるのか、嫌いなのか、なんらかの悪意のもとに作ったのでは?と邪推したくなるレベル。
なんせ長時間のレースでも、途中でやり直せないからね。序盤でミスったらテンション爆サゲのままゴールまで無駄で退屈な時間を浪費する必要がある。
しかも車の挙動が大味だから、テクニックとか不要。つまり何度も練習する意味が全くない中、何度も周回させられる感じ。
あと例えばジャングルのコースだと、複雑に生い茂った木の配置を覚えるなんて不可能なので、それにひっかかるかどうかなんて運。
そして、こうしたひっかかる系のミスが多発するようなコースが物凄く多くて、イライラは最高潮に達する。
さらに敵車はプレイヤーが速いと速くなるし遅いと遅くなるので、長いレースの序盤や中盤には害悪以外に何の意味もなくて、終盤の運ゲーでうまくいくかどうか、というだけになってしまっている。
(これだけだと序盤でミスってもチャンスはあるように読めるかもしれないが、ひっかかる系のミスは致命的なので敵車が少し遅くなるぐらいでは挽回できない)
この苦行のようなクソゲーをクリアしないと欲しい車や要素がアンロックされない。
そしてこのクソの量が半端ない。クソを作るのにもかなりの労力を使ってるのが察せられ、その想像がまたイライラを煽ってくる。考えたらダメなのだろう。俺には瞑想が必要らしい。
さんざん他の人にも言われてるけど、これなら最初から全ての要素がアンロックされてて、レース部分を全くプレイしなくても好きな車でドライブできた方が数倍良い。
わざわざ苦労してゲームの魅力を台無しにしてるのがもう、もったいなさ過ぎて腹が立つ。
単なるクソゲーならどうでも良いんだよ。惜しいんだよね、本当に。凡人レベルのゲームデザイナーが仕事をしてくれていたら、最高のゲームになってたと思えるぐらいには素材が良い。
あとUIもクソ。イライラしながらゲームを終了しようとすると、終了する方法がわからんの。
普通はポーズボタンでメニューを開けば、終了って項目あるじゃん?
いや、あるんだよ。終了って文字は。Bで終了ってあるの。つまり、メニューが終わってゲームに戻るの。
結局ググったよね。数年前の無料プレイの時もわからずにググったのを思い出したよ。
crew2って検索窓に入れたら「終了方法」ってサジェストされたのは笑えた。みんな初見ではわからないみたいね。
正解はYボタンで謎のメニューを呼び出して、そこから終了を選択する。
Yボタンで呼び出すメニューなんて普通にレースやドライブをしてたら1度もお目にかからないからね。「そういえば終了はあそこにあったな」という状態が起きない。
なぜこのゲームがこんな事になっているのか、誰か解説してくれないかな?
例えばAかBか選べて、どちらも同じ予算で作れるけど、明らかにBはクソって時に、あえてBを選んでるような、そんな感じに思える。悪意なしにそんな事になるとはとても思えない。
この文章自体うんこだと思うけど、このうんこを直接ゲームデザイナーにぶつける為だけにゲームを買ってレビューを投稿したい衝動にかられてる。
いよいよ子供の学校が始まりそうだ。休校延長の連絡はない。少し焦る。
職場のテレワークなんぞよりも教育現場こそ授業のオンライン化をすすめるべきだ。
ところで休日の朝、妻は昼近くまで寝室にこもる。
朝食など用意して待っていても絶対に口にしない。
私は副鼻腔炎は投薬のおかげで顔面の疼痛はかなりマシな状態になっていた。
洗濯物を取り込み、昨日の疼痛のせいでシンクに放り出されていた食器洗いをした。
妻と寝室で一緒に寝ている子供が起きてくる。
朝ごはんを一緒に作って、遊んであげる。
久方ぶりに両親が喧嘩ばかりしている形見の狭い子供の笑い声を聞いた。
買い物リストをつくっていると一緒に行きたいという。
それならば髪をといて一本にしばってあげた。
不機嫌そうな声でコロナがあるから、公園ならいってもいいが買い物はついていくのをやめろと言われた。
じゃあ、先に公園に連れて行くよ、買い物は車で待っていればいいんじゃないと子供にいうとキックボードやバドミントンセットをもってついてきた。
結局買い物は、車の中で待たず、一緒に買物をした。
終えて帰る途中で、助手席に乗り込んだ末娘がパパとママはもっと仲良くすればいいのにな。とつぶやくように言う。
ママはパパが気に入らないんだから全部パパに来るから大丈夫だよ。と話した。
家の玄関を開けると末娘は腕にしがみついて、もうママは(寝室から)起きてると思うよ。といった。
それでもカチコチだ。怖いんだな。かわいそうに。
リビングに入るとソファーに座ってテレビを見ていた妻は昼食を用意しようとした。
米を炊いていないので、先日買ってきたレトルトでいいかと納戸に向かうと開口一番「米は買ってきたの?米!」
「いや、買ってきてない」というなり、「米びつに米がないの知らないの?なんで買ってこねえの?レトルトなんか非常食で、今食うもんじゃ意味ね―し」といった。
昨晩は疼痛でそこまで気が回らなかった。
米びつをみると、3~4合程度の米があったので夕方に炊きあがるよう予約した。
昼はカレーに買ってきた肉を焼いた。サラダと食パンをつけた。妻の分も作ってご飯だよと呼んでもテレビを向いたままソファーに座ったまま食卓にはつこうとしない。
気に入らないという意味合いの入ったパフォーマンスだ。もうそのまま構わず食べることにした。
食器をすべて洗い終え、出かけることにした。さっき行ったス―パーに米を買いに。
戻ると、子どもたちが近づいていう、ママの機嫌は最高潮に悪いよ。
大丈夫だよ。ぜんぶパパに来るから。勉強を見てあげる。洗濯物も全部たたむ。
トイレに入ると、廊下をスタスタと歩いてくる音がしてトイレの前で停まり、パチっと音がして換気扇のファンが回りだす。
おめえ臭えよということをいいたいのだと思う。ちなみに大をしているわけではない。。
夕方、急に顔を洗い出す。ドアがガチャンとなって不意にでかけた。ママはどこへいったの?こどもが不安がる。さあ、こっちが聞きたい。いったいどこへでかけたのやら。
夕食の直前に戻ってきた。時刻は19時を回っている。
娘が食べたいといったステーキを焼いたが、妻は納豆を冷蔵庫から取り出してボクの出すおかずには一切手を付けないというパフォーマンスをする。
なにかいわれのないような気持ちになってしまう。そのうちこういうのにも慣れるんだろうな。こういう仕打ちに無頓着でいられる自分になりたい。
本日、妻の二言目は「あーフックがない。ゴミ袋をかけるフック捨てたろ。」であった。
なにそれ。フックを捨てるわけないと言うと、そんなことをするのはアンタしかいないと断じる妻。なぜ?
紙の資源ゴミ袋が満杯になっていたのを片付けたのは確かに私。フックはすでになかったので新しいゴミ袋は床に置いた。
通常はフックに掛かっていて変だなと思っていたが、ゴミ袋は片付け当時は床に置いてあるような状態ですでにフックはなかった。
私がフックを捨ててさあ、どんな得がある?と叫ぶ。もちろん心のなかで。
アンタしかそんなことをするやつはいないと言われたが、こどものために喧嘩をするわけにはいかない。
結局、フックは私が捨てたと、彼女の中で決めつけられて終了した。
私はしがない字書きだ。ドマイナーなジャンルで細々と字を書いている。比較的男性向けのジャンルだが女性のファンも多く、イベントがあるとサークル参加する人の割合は女性の方がかなり多いと思う。
そしてありがたいことに小説もそこそこ読んでもらえるようで、本を出せばそれなりに出る。小説本を出す人も少なくない。匿名の記事で時たま見かけるような、「字書きには人権がない」みたいなことを感じたことはあまりない。時々絵師の言葉の端々から「あぁ字書きのことを下に見てやがるな」と思うことは全くないとは言わないが、比較的温かい雰囲気の中で書かせてもらっている。
絵師様に挿絵や表紙を依頼しても嫌な顔をされることはあまりないし、光栄なことにコラボをさせてもらうことも時々ある。
そんな中で、私が感じたことをつらつらと書かせてもらいたい。
これに限る。
コラボをさせてもらう。字書きの私からすれば、自分では逆立ちしたって決して描けない神絵がやってくる。
そりゃもう持てる語彙すべてをフル回転してその感動を伝える。いやだってほら、こんな素晴らしい絵を描いてもらってる。しかも自分のために。
自分の話を元に描いてもらった神絵、もしくはその神絵にこれから自分が話を付ける権利を有している。こんなに嬉しいことはない。
テンションも上がる。絵をほめちぎる。なんなら褒めているという感覚はほぼない。自分の心の奥底から湧いてきたこの感動を言葉にしているだけだ。
そしたら、絵師様もとっても喜んでくれる。嬉しい、こんなに褒めてもらえるなんて、と私の書いた感動の言葉に対して感動したと返事が返ってくる。
「こんな細かいところまで見てくださって本当にありがとうございます!」
「ラフを投げただけですごく褒めてくれるので筆が乗りました!」
「もらえた言葉があまりにも嬉しくて、家族に報告しちゃいました!」
……まじか?そんなに喜んでもらえるの??嬉しいのは私の方なのに??
ちなみにこれは私個人に限った話ではない。
過去に複数の絵師と字書きが集まった企画を行った時も、グループDM内では字書き仲間は私と同じように興奮の極みのような感想を送り、絵師はそれに対してこちらが逆に申し訳なくなるくらい、感想ありがとうの言葉が返ってくる。
ここで私は気付く。
……もしかして、絵師様って普段はそんなに褒められてない……?
こんなに素晴らしい絵を描くのに?
日頃から私たちのタイムラインをあんなに素敵に彩ってくれるのに?
確かに『感想くれ!』っていう叫びを書いたお気持ち漫画やお気持ちイラストを見かける。
確かに私たちも、リプライ欄であのテンションで垂れ流すのはどうかと思うので感動をぐっと閉じ込めてふぁぼりつで済ましてしまうことがある。
コメント欄の半分がびっくりマークと三点リーダーで埋まってしまいそうなので、「可愛い」「素敵」と短い言葉で済ましてしまうことがある。
日頃から交流を持ち、長文リプを送り合っているような関係じゃないと、突然ツイッター上で鼻息荒い感想リプライは送りにくい。字数の制限もある。
そうか、絵師様はこんなに絵がうまくて可愛くて最高の作品を生み出すのに、こちらの思いが届いていない。
Twitterという公の場所で絵を投稿している以上、140字以上の感想を貰えることは極端に少ないし、死ぬ気で出した本でも買ってくれる人はいる、直接自分の本を求めてきてくれる人もいる、戦利品報告の中に自分の本はある、……ただ、そこから個別に感想を貰えるかと言われれば、実際そう多くはないだろう。
絵を描くたび、イベントに出るたび、「褒めてもらいたくて描いたわけじゃない、私は自分が描きたいから描いたの!」……と、そう自分に言い聞かせて、満たされない承認欲求をなんとか誤魔化してきた人だっているだろう。
そこで、だ。
タイトルに戻ろう。
そうすれば、私たち字書きはあなたのために全力で話を考えるし、頂いた絵に対しては、持てる力すべてを使ってその感動を伝える。DMというクローズドな場所の中で、字数の制限もなく、他人の目もない状態で、あなたが私のために描いてくれた絵を全力で絵の良さを伝えていく。私とあなたしかいない場所で、まっすぐ100%あなたへの、あなたの作品への言葉を伝えていく。
「絵にお話とかつけてもらいたいな~」「お話に絵をつけてもらいたいな~」と何の気なしに言ってみて、乗ってきた人と組んでみるのも一つだ。
良いなと思った字書きの作品に対して「勝手に絵を付けさせてもらっちゃいました」と先に描いてしまってもいい(そんなことされたら字書きは大抵興奮と感動のあまり死ぬがすぐに生き返るので軽率に殺してほしい)
誕生日を迎えた字書きのおめでとうリプやフォロワーと絡む系のタグでこっそり伝えてみてもいい。
「この人に褒めてもらいたいな」そう思える人に、軽率にコラボを投げかけてほしい。
もしかしたら、「そんなことして迷惑なんじゃ……」と思う心配性な子猫ちゃん絵師がいるかもしれない。
安心して。字書きの99.999%は絵師のことが大好きだ。自分じゃ描けない『絵』を生み出せる人に対して、敬意を払っていないわけがない。(敬意を払っていない字書きがいる?そんなものは燃やしてしまえ!)
悲しいことだが、絵描きが字書きを下に見ることはあっても、字書きが絵描きを下に見ることはあまりない……と私は思う。
でも、それを逆手に取ってしまえばいい。絵師以上に褒めてもらえないのが字書きの世界、自分の話を好きだと言ってきてくれた人が誰であっても字書きは嬉しい。初対面の人でも。それが絵師さんならな尚更うれしい。簡単に字書きは舞い上がる。
絵師が字書きにコラボを持ちかける(字書きはちゃめちゃに嬉しい)
↓
字書きが一生懸命お話を考え、絵師さんもそれを元に絵を描いてくれる(字書き嬉しい)
↓
絵師さんの絵を字書きが最高潮のテンションで褒める(絵師さん嬉しい)
↓
ほら見て。嬉しいと嬉しいことが重なって、ほかの人まで嬉しくなる。これが世界平和。認められた、自分の作品を喜んで受け入れてくれる人がいる。そんなプラスの感情で創作が進む。
創作って一人の戦いだし、やっぱり辛いことだってある。だからこそ、好きな絵やお話を、嬉しい気持ちで創れることってこれ以上ない幸せだと思うんです。
なのでもう一度言います。
Covid-19で政府の対応が後手後手という指摘があるが、今回の案件はほぼWHOの腐敗と中国の隠ぺいだったため
いずれにせよパンデミックは防げないってことなんだけど、今後発生する様々な問題、たとえば企業の資金繰り等を
勘案すると、今回のコロナの件に災害対策基本法を適用できないかと考える。
災害対策基本法では
内閣府防災のホームページ http://www.bousai.go.jp/shiryou/houritsu/001-1.htmlより
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一 災害 暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害をいう。
今回のコロナウイルスは、自然にあった新しいウイルスが人体に大きな被害を与えたとあって、その他の自然現象に類するのではないかと思っている。
かなり無茶な論法だからできれば改正してくれればいいんだけどね。
災害対策基本法が適用できれば、激甚災害認定で補助金投入をはじめとした国費の投入
トップダウン形式の災害た対策本部の設置が可能になる。また内閣府防災はそれらに必要な
人材を流動的に呼び出せるので、厚生労働省を呼ぶのも容易だし、関連メンバーを一気に集め
地方自治体との連携をリエゾンを駆使して行うことが可能になる。
また、今後の問題等の教訓に今後は防災対策をとることもできる。
東京防災などの書籍にウイルス禍に関する対応方法を書いたり、マスクの代用方法を書くことも可能だ。
また、災害対策基本法における災害緊急事態条項の1を別運用として、不足物資の流通制限を仕掛けることも必要だと思われるが
災害対策基本法を適用できれば色々なことが 特に情報集積や地方自治体との連携が容易になるので
なんとか通してほしいところ。
現在進行形でコロナウイルスの感染拡大防止のため、様々なアーティストのライブや舞台が中止、自粛され、学校でさえしばらく休校となった。そんななか、私が今まで応援していた、所謂推しが出演する舞台もとうとう公演自粛が発表されてしまった。それ自体に怒りが湧くことなんてないし、寧ろよく決断したと思う。私はネットニュースやSNSでしか舞台の知識など知らないが、今回のようなウイルス感染での公演中止には災害時の保険などは適用できないらしいし、そうなると劇場のキャンセル料や売り上げが出るはずだった公演グッズ、果ては出演者のギャラのことを考えると運営の方々の苦労は想像もできない。
それをわかっていても、それでもやはり、受けたショックが大きくて、私は推しのTwitterも、顔すら見るのが辛くなってしまっている。それくらい、今回中止になってしまった舞台を楽しみにしていたのだ。だって、その舞台が私を推しに出会わせてくれたから。
その舞台は今作が二作目で、前回の第一作公演は2年以上前になる。元々はアニメ作品が原作で、所謂2.5次元の舞台だった。私は今のように2.5次元がこんなにも広く認知されていない10年以上前から、それこそ自分が中学生の頃から2.5次元を追いかけていて、今の2.5次元作品ブームもあり、観に行った舞台は数えきれないほどになっている。けれど、何故かそれまでは特定のキャストさんを好きになることはなく、ただひたすら2.5次元作品を楽しむために舞台へと足を運んでいた。そんな時に出会ったのが今回の舞台であり、推しとなるキャストさんだった。原作のアニメも1、2回観た程度だったというのに、舞台初日の最前列を引き当ててしまった私は、公演終了後には円盤を予約していたし、帰りの電車で推しのプロフィールを検索し過去の作品出演歴まで調べていた。そこで以前観劇したことのある舞台に推しが出ていたことを知り、どうしてもっと注目していなかったんだ、と激しく後悔したりもした。それくらい、舞台の上の彼は私にとって輝いて見えたのだ。正直、彼が演じていたキャラクターが元々好きだったわけじゃなかった。なのに、なぜかすごく惹かれたし、舞台上で喋って、歌って踊る彼はそのキャラクターそのもののように感じたのだ。
それからすぐに彼のファンクラブに入り、出演する舞台には可能な限り全て行った。周囲にも推しができたことを話し、職場で「今度舞台を観に行くんです」と話すと「ああ、○○くんが出るの?」と必ず聞かれるようになったほどだった。職場の上司も同僚も先輩も後輩も、彼の顔は知らないが名前だけは全員知っていた。ひと月に一回以上のペースで推しの出演する舞台や映画の舞台挨拶を観に行き、それを9ヶ月続けた時は最早誇りさえ感じた。そこで予定が合わず連続記録は途絶えたが、それでも数ヶ月に何回かのペースで推しの出演する作品は生で観劇していた。勿論、彼が出ない2.5次元作品も変わらず好きで観劇に行っているし、連続記録は現在も更新中だ。
推しに出会ってから、推しを推しと認識してから毎日がすごく楽しかった。ストレスが多く、離職率の高い職場に勤めていたけれど、あと何日頑張れば推しに会えると思えば乗り切ることができた。そんな存在を教えてくれたあの舞台に、あの作品には感謝してもしきれない。
その舞台は、年末になると同じ2.5次元のいくつかの舞台と合同でカウントダウンイベントを開催している。私は大阪在住であるが関東で開催されるそのイベントに毎年通い、推しと共に年越しをすることができていた。数年に渡って開催されているそのイベントに、推しは毎年同じ作品のキャラクターとして出演している。けれど、その作品は第一作が終了して一年経っても二年が経とうとしても、同じイベントに出演している他の作品のように、第二作、第三作が制作されることはなかった。ある年、イベントの物販に並んでいると、後ろに並んでいた二人組の女の子の会話が耳に入ってきた。
「○○と○○(今回イベントに参加する別の舞台)はわかるけど、●●(私の推しの出演する舞台)はわかんないよね」
「歌とかね。コーレスどうする?」
屈辱だった。でも、それでも仕方がないのかな、と思ってしまうほど他の作品との扱いに差を感じていた。それから物販を無事終え、ランダム系のグッズのトレーディングスペースに足を運ぶと、交換の声掛けをされた。
「誰をお探しですか?」
「○○くん(推し)です」
「…誰ですか?」
「……この中にいますか?」
すごく悔しかった。ちなみに、彼女の持っているグッズの中に推しはいなかった。
会場に入ってからも、他の作品の団扇やペンライトを持っているお客さんの方が圧倒的に多かった。そのなかでも必死に声を出したしペンライトを振った。やっぱり推しは素敵だったし、キャストさん全員が楽しそうで、私まで嬉しくなってしまった。そんななかで、その年の秋に新プロジェクトが始動することが発表された。勿論驚いたし、すごく嬉しかった。やっとだ、ずっと待ってた、そんな気持ちだった。近くにいた同じ作品のファンの女の子と抱き合って涙を流して喜んだし、何があっても絶対にチケットを取ってやると胸に誓った。
カウントダウンイベントから数ヶ月後、新プロジェクトはアニメ原作と2.5次元舞台との合同ライブだと発表された。そして、アニメの新作映画の来場者特典に最速抽選申し込み券がついてくると発表され、映画館に通い詰める日々が始まった。結果、10数枚の申し込み券を手に入れた私は無事ライブの昼夜公演全通が決定し、職場には早々にその日程は何があっても休みを取る旨を伝えた。本当に楽しみにしていたし、しばらく数ヶ月後に控えるライブのことばかりを考えて過ごしていた。
けれど、ライブを目前に控えたある日、超大型の台風が接近しているというニュースが入ってきた。進路予想図によると開催場所は直撃、しかも海に近い会場だったためかなりの危険があるということだった。日に日に大きくなっていく台風に、注意喚起をする報道に、私はひたすら進路を逸れてくれと祈るしかなかった。しかし、祈りは届かず前々日の夜に開催中止が発表された。私はその時職場におり、Twitterでその知らせを聞き、その場で号泣してしまった。「ずっと楽しみにしてたもんね」という上司の言葉が一層辛かった。
その後、会場で無観客ライブを実施しその様子を生配信すると発表された。私は一人で家でその配信を見ていたが、オープニングでキャストさんが現れた瞬間、枯れたと思っていた涙が再び溢れてきて止まらなくなった。あんなにも声を上げて泣いたのは初めてだった。観客のいない、恐らくスタッフさんやマネージャーさん達なのであろう少数の歓声が聞こえるライブはそのまま進み、終盤に差し掛かった頃。突然、画面が切り替わり、舞台の最新作の制作決定が発表された。そこで、私はまたしても声を上げて泣いた。嬉しさ半分、どうして私は会場でこの発表を聞いて、ファンの皆で喜ぶことができなかったんだという悔しさ半分だった。
そうしてライブは終了した。翌日は原作アニメのライブだったのだが、そちらの方は無事に開催されたと聞き、またしても少しだけ涙が出た。私が会場に向かい、ライブを楽しむために取った4連休はこうして終わった。二週間ほど後にメールで届いたチケット払い戻しのお知らせを見て、チケットを封筒に入れ、郵便局の窓口で差し出した時は、手の震えが止まらなかった。
それからしばらくして舞台の詳細が発表された。第一作は大阪、東京にて公演があったが、今回は東京公演のみであるということで、私はまたしても東京遠征の計画を立て、どうせなら千秋楽を何としてでも観劇したいと思った。そこで、2/28~千秋楽の3/1までの3日、計5回観劇できるようチケットを押さえた。二年と少しの月日を経て再びあの舞台の新作を見れるんだという喜びは大きく、初日終了後のTwitter上での評判も良かったため、私の期待は最高潮にまで達していた。元々、あまり積極的にアピールできるようなタイプではなかったが、思い入れのある作品だったため、推しに対して初めて手紙を書いたりもした。その数は5枚にも及び、封筒に入りきらずに少し苦労もした。
そして、私が初めて観劇する予定であった日程の二日前。政府からの活動自粛要請により、その日をもって公演を自粛するという発表が公式HPからされた。私はその日少し用事があり、その発表を知ったのは二時間後のことだったのだが、言葉を失くすとはこういうことなのか、と実感するほど何も言うことができなかった。間もなく公式のTwitterからその日のキャストさんの集合写真とコメントが載ったツイートがされ、皆が「素晴らしい舞台でした」「ありがとう」などとリプライを送っている様子を茫然と眺めていた。私のなかではまだ始まってもいなかった舞台が、直前になって終了してしまったという事実は受け入れがたくて、今もまだ、胸の中に引っかかったものが取り切れない。だって、二年も待っていたのだ。一度ならず二度までもこんな思いをするなんて思っていなかったのだ。
誰が悪いわけでもない。それこそ、このまま公演を続けてもしお客さんのみならずキャストさんにまでコロナウイルスの感染患者が出れば、大きな問題になってしまう。きっとキャストさんだって、運営の方だって、去年の台風による開催中止の件もあり、最後まで走り切りたかったことだろうと思う。そんななかで政府の発表から開催自粛を決断するまでの迅速な判断は素晴らしかったと思う。けれど、だからこそ、私はこの気持ちをどこにぶつければ良いのかわからないのだ。誰も悪くないから、私はこの気持ちを昇華できずにいるのだ。
Twitterを眺めていると、舞台のキャストさんのツイートやブログが流れてくる。すごく楽しかった、お客さんと一緒に作り上げた舞台だった。というコメントに、私も参加したかった、参加できるはずだったのに、と思ってしまう。世間が大変ななか、きっとキャストさんや運営の方はもっと色々な面で大変であろうなか、気持ちの切り替えができない自分がすごく嫌になる。
脚本家さんのコメントや、キャストさんたちのツイートには、何度も「また会えますように」という言葉が出てきた。これは私の勝手な考えなのだが、きっと、その可能性は薄いんだろうと思っている。だって、チケットが余っていたのだ。千秋楽公演はさすがに完売していたようだが、それ以外の公演は劇場でリピーターチケットと称して販売を続けていたし、こんなに良い作品だから是非みんなで買おう、なんていうファンのツイートも流れてきていた。ブームもあり沢山の2.5次元作品が上演されるなか、次回作の見込みが高い作品の筆頭に挙げられるのは千秋楽のライブビューイングが実施される作品であることだと私は思っている。しかし、その作品はライブビューイングの実施はなく、動画配信サービスでの生放送を予定していた。それもまた、開催自粛に伴い中止となったのだけれど。となれば、私の中でこの作品はもう二度と観ることができないものになってしまったのだ。
それでも、もし最新作の制作が決定すればそれはすごく嬉しいと思う。けれど、それを素直に観劇できるかと言われればすぐには頷くことができない自分がいる。去年、こんな思いは二度としないだろうと思っていたのに、同じ気持ちを二度味わってしまっているのだ。最新作が出ても、もしかするとまた開催中止になってしまうかもしれない。また同じ思いをしなければならないのかもしれない。そんな考えが真っ先に出てきてしまうのだ。
開催自粛が発表されてから数日が経ち、それでもこんな気持ちを引きずってしまっている今の私にとって、推しはその気持ちを思い出させてしまう引き金になってしまっている。彼がツイートをするたび、彼の顔を見るたびに今回だけでなく去年のことも思い出してしまい、どんどん気持ちが落ち込んでいってしまう。それが悲しくて、辛くて、入っていたファンクラブももしかすると退会してしまうかもしれない。
何度も言うが、今回の件も、去年の件だって誰も悪くないのだ。誰も悪くないからこそ私は辛くて、一人でうじうじしている自分自身がすごく嫌なのだ。
既に予約が開始となっているこの作品の円盤も、私は会場で予約する予定だったため間違いなく購入すると思う。けれど、本編を観るまでにはかなりの時間を要すると思うし、もしかすると観ることができないまま、持っているだけになってしまうかもしれない。それでも良いやと思えるくらい気持ちの切り替えができるように早くなりたいし、ならなければいけないとも思っている。ただ、ここにこうして吐き出した後はしばらく何も考えたくない。色々考えてしまうと、また気持ちが沈んでいってしまうから。
これはどこにでもいる普通のオタクが「金を払って観る悪夢」「SAN値チェッカー」と名高いカルト映画、CATSを観てきた感想文です。
ネタバレが盛大に含まれていますので、その辺りお気を付けて頂けると幸いです。
昨年12月の暮れに海外で一足早く上映が始まり、その評価を読み「絶対に見る」と心に決めて1ヶ月、私はようやく映画館へと足を踏み入れた。
やれポルノだの玉ねぎだのと聞いているので期待は最高潮、何しろ私はホラー映画が大好きで、そしてクソ映画が大好きです。
今日は一人で悪夢を観に来たことを忘れて売店で巨大なポップコーンとジュースを買い、はやる心を抑えながら入場開始を待つ。
上映前に最後に流れた「それでは、夢のある映画の旅をお楽しみください」のアナウンスは、この後の展開が「悪夢」であることを啓示しているかのようでした。
私はオタクの中でも日陰に生きる人間でありますゆえ、正直CATS本編と同じくらい実写オタ恋のCMも滅茶苦茶キツかったんですが、この辺りについては口を閉ざし静かにスクリーンへと目を向けます。
劇場の照明が落ち、暗闇の中映るのは夜空。
猫の映画ですよ〜!という事を示唆するかのごとき可愛らしい雲、ここからどうなるのか期待が高まります。ちなみにここが唯一ここからの110分の中で「これは猫だな」と理解できた部分になります。
さて、開始して1分ほどですがここで早くも私の脳は処理の限界に達してしまいました。
ドラクエIIIの夜のピラミッドのBGMを不協和音にしたようなBGMが流れる中、夜の街を闊歩するのは人間によく似た体躯にうっすらと全身毛のテクスチャを重ねた「何か」。
一瞬、誤ってメイドインアビスのシアターに来てしまったのかなと思いました。人間性の喪失の結果と言われれば納得も出来るのですが、そもそもこれは「人間」では無く「猫」らしいんですね。
BGMの中、四つん這いの合成獣(キメラ)の集団が道路をぐるぐる回る姿はムカデ人間の続編かと錯覚を覚える絵面ですが、その中心で蠢く頭陀袋も嫌な予感しかしないし、案の定悪夢が飛び出すし、今の所パンドラの箱なのですが果たして最後に希望は飛び出してくるのでしょうかね。
そう言えば海外の評判ではやたらと性的な印象がありましたが、ただでさえ限りなく全裸に近い全裸なのに動きがこう猫々しいしやたらと柔軟性をアピールするし妙に動物的な飲食シーンを盛り込んでくるし、観客の無意識の奥底にあるなんらかの性的衝動を呼び起こそうとしてるのかなって感じは分かるんですけど。ですが、残念ながら扉のノックの仕方がシャイニングのジャック・ニコルソンなんですよね。へただなぁ…欲望の解放のさせ方がへた…こんなんじゃ歴戦のケモナーだって裸足で逃げて行きますよ。
さてなんの説明もないままに話は進み、ジャ…ジェ…?なんか分からないけど固有名詞がいっぱい出てくる、完全にルシがファルシでパージ状態。私は原作のCATSを知らないので、知ってたら話の流れが分かるんですかね?知ってたら開幕1分で席を立ちそうですけども。
さて墓場で歌って踊るシーンではふとBloodborneを思い出しましたが、ひょっとしたらこの夜は獣狩りの夜だったのかもしれません。私の啓蒙も爆上がりしていきます。
トイレで歌うシーンは真っ先にトレインスポッティングを思い出しましたし、ひょっとしたらこの映画も薬でぶっトんでる狂人の見た夢かもしれないし、狂ってるのは私だったのかもしれないと思い始めました。
まだ始まって30分も経ってないんですけど。あんな猫やこんな猫の説明を歌っているけど私にとっては全てが邪悪なモンスターにしか見えない。
さて、かく言う私もだんだんと目と心が慣れてきました。
感覚的に言うと「有色はマシ」「服あると相当マシ」「全裸はほんとキツい」「白系マジで無理」、要するにヒロイン枠の生物が一番キツい。黒人の敵とマジシャンが比較的視覚へのダメージが少ない。それだけで若干好きになる、だから頼むから帽子を脱ぐなコートを脱ぐな。あと手先と足先が人間なのがマジで拒否反応を起こす、黒人の手の平が肌色なのでも認知が「?」ってなるのにこの生き物の手足見てると「??????????????????」ってなる。かといって靴だけ履いてるのも異常なんですけど、タップダンスだけ見たら凄い出来なのに他の全てが恐怖。
あと衣類については黒人っぽいキメラが首からbling-blingなおさかなネックレス下げてるのは良いなと思いました(数少ないポジティブな感想)。
この作品、猫だけでなくGの者等も等しくキメラになっているとの話はうっすら聞いていたのですが、正直全裸じゃないし着ぐるみっぽさあるからこっちの方がだいぶマシではあったんですけど、喰い始めた時は流石に驚愕のあまりポップコーン食う手が止まりました。
ネズミとか、子役?っぽく見えたんですけどこれを見たご両親は「可愛い〜💕」「◯◯ちゃんの演技最高〜!」って思うのでしょうか、人生開始してまだ間もないのにこのような罰を受けるのはあまりに酷ではないでしょうか。
あと犬の存在が示唆されているのに画面に映らなかったの、犬はキメラじゃなく犬ですよってことなんですかね?製作陣や太いスポンサーの中に敬虔な犬好きでも居たんでしょうか。なんにせよ、助かった動物が居るのは良いことですね。
個人的に認知的不協和を感じるポイント、デザインや動き以上に「大きさ」があるんですけども。人間の体躯に猫の動き、街並みは人間の大きさの中で人間らしき体躯の生き物が「猫のサイズと言うには高さは合っていても細身すぎて違和感」で「人間とは思えない位小さい」姿で街を這い回り走り回る。人間の脳には大きさや距離感を自動的に調節してピントを合わせる機能があるはずなんですけどそれが全部ぶっ壊れる。
脳の機能に直接影響する映画、感覚にダイレクトに伝えてくるこの作品はいっそ4dxでも上映してほしい。余談ですが私はこれを観ながら「TOHOシネマズ限定のかっぱえびせんポップコーン」を食べていたので、こいつらがゴミ箱から拾ったエビ食うシーンでセルフで臭覚で新感覚の映画体験をしてしまい大変不愉快な思いを致しました。
定期的にあったのですが、このキメラ達が猫の鳴き声で「ミャー」とか「ニャーン」とか鳴くのがかなりキツい。というか主役級は顔がアップになったりすることが多くて「あー、人間の顔と身体した獣のキメラだなぁ」って思えるんだけど、ヒキで後ろに映ってるその他大勢がヤバい。意味不明な物体が四つ足で這い回ってる、フォーカスが手前に当たってるせいでぼんやりとボケた画面の奥で蠢いている人間ではない何か。私が観てたのってひょっとしてサイレントヒルだった?と誤認してしまいそうだし、私は悩める私に胸を張って「違うよ、CATSだよ」って言ってあげられない。
そこそこ話が進んでもストーリーか理解できない。一番歌と踊りが上手い奴が選ばれるオーディションなのは分かるけど、選ばれたら転生って死ぬやつじゃん?あと黒人男性なんでよく分からない魔法使ってるの?確かに猫よりは魔獣って感じだけど、それやるとますます猫の概念から遠ざかるよ。観ていてふと私が思い出したのは「悪魔ネコ」でした、懐かしいですね。
ところでこいつら猫?ってことは乳首6つあるんですよねってふと思って心底ゾッとしたし、この時点で完全に食欲を失っているのでポップコーンは封を閉じられている。
この時点で唯一覚えてる名前がヴィクトリアだけだし、ヴィクトリアったら捨てられた飼い猫割には異様に順応高いな…こうやってこの映画に慣れてきてる自分もひょっとしたら既にヴィクトリアなのかもしれない…と正気を失っていたら家無き捨て猫で「子猫」であることが発覚したのですが、私の中の子猫の概念がグチャグチャのベコベコに狂うのでこの件については早めに酒飲んで忘れようと思いました。
さて、物語の結末、私の刑期の終わり近付いて来ました。
ゲイビの男優かインナー無くしたマリオみたいな格好のキメラが踊ったり、黒人キメラがコートも帽子も脱いだせいで一瞬マジで全裸かと目を疑いましたがそんなことは無く。あとヤク中の流れあったんでやっぱりヤク中の見る夢だったオチも考えたのですが残念ながら物語は大団円へと向かいます。
マジシャンが無茶振りされる流れ観てると「いじめか?」と思いますが天下のハリウッドがそんなことをするわけが無いのです、ちゃんとなんとかなりハッピー的なエンドです。
ここまで観ていて、ストーリーの中の時間が夜から夜明けまでで12時間も経っていないことに恐怖を感じる。映画も2時間足らずだし、体感的には6時間くらい苦しんでるんだけど。
最後の最後に、老いた猫は画面のこちら側ん見据えてこう言います。
これは、ここまでこの映画を観続けた私にとって実質「死刑判決」でした。啓蒙が上がり過ぎて狂ってしまいました、私は人間のつもりだったけれど、実は限りなく画面の中の生き物によく似た「なにか」であると告知されました。
ホラーにある「次はお前だ」的なアレであり、告発やシリアスな社会派にある「他人事ではないぞ」みたいなアレを感じます。あと夜闇に紛れた姿も怖かったけど朝日の下よりは大分マシだったみたいです。朝日の下のキメラ達は、エグいアダルト作品を観た時のような性的興奮よりも先にショックに殴られる感覚がありました。もうこの辺りは感想をメモすることも忘れました。
しかしまぁ終わってみて改めて考えると、歌のクオリティは当然の如く相当高かったです。私はあのビジュアルで日本語でミュージカルやられると「理解できないおぞましいものを無理やり理解させられる」感覚に負けて脳が爆発四散してしまいそうだったので字幕で観ましたが、吹き替えの役者さんが好きな方は吹き替えで観ても良いのではないでしょうか。あの生き物達が好きな人間の声帯で歌い喋っている姿を観て立っていられるのならばですけども。
一言で感想をまとめるなら、「目を瞑って観たらそこそこ満足度の高いミュージカル」だと思います。ただ残念ながら、目を開けると死んでしまうので気を付けてください。神話にありがちな奴ですね。
見るなのタブーだと思えば納得できる作品です、いや無理だできねぇな。
ここまで色々書きましたが、最期まで走った身としては「マジシャンの猫ならギリ抱ける」と思いました。
どうやら私も完全に狂ってしまったみたいです、その内全身の皮膚に薄ら毛が生えてきて服を脱ぎ捨て夜の裏路地に四つ足で走って行くでしょう。まだ日本語を語れる今の内に、これにて文面を終えようと思います。
私は小学校入るぐらいにポケモンをやりはじめ、赤、青、ピカ、金、サファイア、エメラルド、ファイアレッド、ダイヤモンド、プラチナ、ハートゴールド、ソウルシルバー、ブラック、ホワイト、ブラック2、ホワイト2、X、アルファサファイアとポケモンを遷移してきました。
サンムーンを完全にスルーし、ソードシールドで帰ってきました。ゲームフリークがポケモンのリストラを発表したからです。
私が本格的に対戦に入ったのはサファイアからでした。当時は小学校高学年~中学生だったと思います。
私の小学校地区はPARが蔓延っていました。なにかの漫画雑誌に広告が出ていたと思います。一人が買って自慢すれば、当然買う人も出てきます。
私は買ってもらえなかったのですが、友達が買ったものを使わせていただき、確か当時の旅パーティを全員Lv100でステータスも999にしてもらったのを思い出します。過ちでした。
中学校に上がり、ポケモンをやっていた人と話をしている時に自然と対戦しようという流れになりました。
ここで私は改造されたポケモンを使い、対戦をしたのですが、いとも簡単に負けてしまったのです。対戦をしてくれた人は当時では珍しく3値を知り、相性補完や強戦術を知った人だったのです。
私は頭をガツンと殴られたような気分でした。なにせ間違いなく最強のポケモンを使って負けたわけですから。
そこからエメラルドを買って、様々な基礎をその人に教えてもらいながら、ポケモンにのめり込んでいきました。
ダイヤモンド・パールではDSでネット対戦出来ること、技がタイプで物理・特殊じゃなくなったことで対戦相手や戦術がグッと増え更にのめり込み、バトレボも当然書い、
ブラック・ホワイトはランダム対戦も完備しまさにポケモン熱の最高潮でした。
私の思い出のポケモンというのは「リザードン」「ゲンガー」「ギャラドス」です。3体とも赤の旅パからの付き合いで、ファイアレッドでリザードンに再会出来たときには「あ、ピースが揃ったな」と思いました。
この3体はちょうど3値を知りはじめた私の最初の育成ポケモンで何千体と卵から孵らせたのが中学生の時の思い出でもあります。
その3体は今、ポケモンバンクというサービスに眠っています。たかがデータですが、眠っているのです。
その中でもゲンガーを私はX・Yでも呼び起こし、卵を産ませてはまた眠らせました。なぜならそのゲンガーは理想のステータスを持ったゲンガーだからです。
数値を遺伝させる方法が多くなり、私のゲンガーは後続を生むために再び起用されたのです。
アルファサファイアでも、ゲンガーを呼び起こし、卵を産ませては眠らせています。
リザードンとギャラドスは思い出になってくれたのに、ゲンガーはいつまでたっても思い出になってくれないのです。
私の持ってるゲンガー、世代は違えど、すべてがすべてそのゲンガーの子なのです。
「いつこのゲンガーは思い出になってくれますか?」それが多分、今日の剣盾発売日だと思います。
ポケモンバンクと連動するという噂もありますが、断固やめていただきたい。
そもそも、過去のポケモンを連れてこれるという時点で対戦においてはスタートラインが新規顧客と旧来のファンで明確に変わってしまっている。