そのジャンルはたぶん今が1番盛り上がってるんじゃないかと思う。これからも続いてほしいとは思うけど、たぶん今が最高潮。
他のジャンルから流れ込んできた絵がうまい人も増えて賑わっている。
でも私は変わらずに、1人の絵を描く人だけが特別に好きだ。(神絵師という言葉はなんとなく使いたくないので「人」と書きますがこれも気持ち悪いですね)
イラストや漫画が好きだというのはもちろんだし始まりだけど、その他のちょっとした日常ツイートとか、焼きマロとも思えるメッセージへの返答などに表れる人間性の節々が好きだ。
同じジャンルで同じようなメッセージを貰ってたびたび燃えている人も見ているから余計にいろいろと上手な人だなと思うし、気を付けているのだと思う(個人的には燃やされている人はかわいそうだし、思うこともあるがここでは特に書かない)。
そのジャンルとは別に、私は見知らぬ他人の書いた文章を読むのが好きだ。全然知らない世界に連れて行ってもらえるから。
大人になるにしたがって、周囲には似たような思考をする人間や同じくらいのレベルの人間が集まるようになると思う。自分が手を伸ばして掴める範囲のものしか触ることはできない。
インターネットでは気軽に外の世界を見せてもらうことができる。触ることはできないけど目にいれることはできるのだ。
私は本を人並みに読んできたと思うし、くだらないことを言えば高校時代の国語の成績はとてもよかった。現代文単語帳を読んで、日常ではそう出会わない言葉や表現にも親しんだ方だと思う。
しかし他人の文章を読んでいると知らない言葉や表現がどんどん出てくる。あなたはそれをどこでいつ覚えたの?と知りたくなる。
私の好きな人はツイッターではない場で、他のジャンルについての長文を綴っている。それを読んで好きだと思った。
どうしたらそんな考え方ができるようになるんだろうと思う。気になるからその人の文章やツイッターはしっかりと目を通している。
ここからは最近のトレンドの話から考えたことを書く。少し飛躍しているかもしれないけど自戒をこめている。
神絵師視点からのダイアリーを読んだ感想として、人間を勝手に神にするなというものが少なからずみられた。その通りだと思う。そして考える。
「二次創作できない・しないオタク」は「自分好みの創作をしてくれる人間」を「神」というキャラクターに仕立て上げていないだろうか。
そしてその「神」を創作の題材にしていないだろうか、自分の頭の中の。
「神」はこうあるべきだという自分の解釈があるから中島さんとの仲良さげな様子が解釈違いで許せないんじゃないだろうか。少しジャンルやCPを変えただけで動揺してしまうんじゃないだろうか。
そしてその憤りや悲しみの気持ちを抑えきれずに、自分の脳内創作物を作者として「神」やそのまわりに送り付けているのではないか。
このように考えるのは、私が自分好みの文章を書く人のバックグラウンドを知りたいと思ってしまうからだ。
私はメッセージを送ることはしないけど、その人がインターネット上にアップしているものから何かしらわかると嬉しくなる。
この「知りたい」という感情は行き先や方法を間違えると面倒くさいことになると思う。
情報が多いと二次創作はより具体的になるだろう。情報が少ないとよりぶっ飛んだものになるだろう。
これが対「人間(神絵師)」になるのだから、矢印を向けられた方はたまったものではないだろう。
これはこの同人界隈に限った話ではなくて、日常生活でも生じる話だと思う。
自分が勝手に好感をもっていた人がいたけど、何か些細なことをきっかけに幻滅した。
よくある話だと思う。でも、焼きマロを送ったりしないだろう。送る場所もない。
ツイッターやマロによる手軽さが勘違いや創作を加速させていくのだろうなと思う。
頭の中で何を描こうと勝手だ。しかし人にぶつけてはいけない。マシュマロでも痛い。
ここまでにします。もしも最後まで読んでいただけたなら嬉しいです。ありがとうございます。
🔥🔥🐉💩
こういうのまとめて漫画にすりゃサンクリやコミケで売れるでしょ 増田でやるよりメリットあると思うけど