はてなキーワード: 限定グッズとは
いつからかはわからないけど、だいぶ前から所謂オタ活みたいなのが出来なくなった。
例えば、公式から推しの供給が来たとする。普通のオタクなら喜ぶと思う。
でも自分はそうじゃなくて、供給を目にした瞬間、精神状態が最悪になる。とうとう来てしまった、これを摂取するのがつらいって思ってしまう。いっても推しだから、嬉しいことは嬉しい。けど、しんどさの方が勝ってしまう。
なんだこれ。
オタクになりたての頃は推しの情報があれば飛び付いたし、好きなジャンルの知識を得ることが楽しかった。
公式からの供給だけじゃ足りなくて、二次創作も漁った。pixivはもちろん、そのジャンルの好きな絵描きとか小説書きのTwitterも見ていた。同人イベントにも行ったし、毎日のように推しの考察をしていた。
あの頃は楽しかったな。
今じゃもうpixivも、TwitterのTLさえも見ることができない。考察や感想で溢れかえったTwitterは地獄だ。お気持ちnoteなんてもってのほかだし。
なんでこうなっちゃったんだろう。
オタクで居続けることをやめたらいいんだけど、それが中々難しい。一度オタクになると、どうやって抜け出したらいいのかわからなくなる。たまにオタク卒業しますって人見ると、えっ!?!??そんなんできんの!????!!?!?ってなる。どうやってんの?このままじゃ一生留年だから教えてほしいんだけど。
なんとなく、謎の義務感に駆られてるんだろうなとは思う。
一部のオタクは、いかに貴重な情報を持っているかでステータスを決めてくる。古参は知識をひけらかし、限定グッズを自慢する。一部の話だけどね。
だから自分も、認められる為に相応の知識を持ってなきゃいけないと思い込む。それで焦って、疲れてしまう気がする。
もしかして飽きっぽいのかな。だからオタクになりたての頃だけ楽しかったんかな。
わからん。
今日も明日も、たぶん5年後とかもオタクだと思うけど、ずっとしんどいんだろうな。冷静に考えるときつい。オタクやめたい。
今はもうほとんどTwitter見てないです。見てるのは公式アカウントからの情報ぐらい。
だから多分SNS離れしても意味なくて、ただただ供給が発生することによってしんどくなるんですよ。めんどくさ〜〜〜〜!
現在ソシャゲやってるんですけど、公式アカウントの情報ツイ(イベ予告とかガチャ予告とかね)すら見なくなって、いきなりソシャゲ開いて推し出された時の方がダメージでかいです。心の準備しないとひっくり返っちゃう。
こないだからずっと燃えている推しへの感情が蓋しきれなくなったのでズラーッと垂れ流す。
同一の推しではないけどとにかく推しが炎上する。小さいのからばかでかいのまで様々。流石にもう慣れたわ~と思っていたのに、推しの中でも一番燃えそうにない人が過去最大級のキャンプファイヤーになる。元々炎上しがちだった界隈故に薪を足す人間が増え、最早周りは誰も触れようともしないブラックボックス。
メンヘラ構ってちゃんで友達がいなくなっていたため、愚痴る先も失い毎日毎日違うものに目を逸らして笑ったふりをしている。まぁ同じジャンルだからどうしても目について死ぬんだけど。
アンチスレ巡回が何故か辞められず、「誰かを推すこと」しかアイデンティティーが無いためアンチの言葉に己が殴られる。要は自分を省みてるので良いことなんだろうけどきついもんはきついのでゲロ吐きそうになっている。そんなんだから友達いなくなるんだ反省しろ。
気分転換のカラオケ行ったら推しの歌ってた曲を無意識に歌って落ち込み散らす。この歌のここの歌い方好きだった、これMixしてた、これの音源作ってた………いやなんでカラオケ行った?マジで。悲しくなってタイバニ主題歌歌いまくって元気を出す。
自分のTwitterには推しへの感情が色々散りばめられていて見るだけでダメージが来る。あの時は良かった……前日めちゃくちゃ楽しく見てた……。過去の自分がナイフを持って刺してきている。つらい。あとその夢女子ぶったツイートは普通に痛いから二度とするな。
限定グッズの購入期限が迫っている。まだカートに入れたまま買えていない。もう二度と出ないかもしれない。欲しい。でも今のあの人にお金を出してしまうと全てを許したようになってしまわないか?推しのことは好きだがやったことは本当に最低なのできっちりと何かしらの禊というか、報いは受けて欲しい。許していいことではない。でもだからっていなくなって欲しくはないしまた声を聴きたいしインタビューで語っていた夢を上っ面の言葉だと思いたくない。色々考えて結局最終日に買い逃して終わる気がする。
推しがステージに立つのを見たかった。めちゃくちゃ見たかった。まだ過去形になるかは分からないけど覚悟はしている。だけどもう本当にキッッッッッツイシンッッッッッドイ無理いやだ終わらないでくれ………という弱音が頭の中で暴れてる。どうしてこうなったんだろうと何度も何度も考えている。でも不思議と裏切られたとは思えない。未だに信じている。本当にひどいことをしたのに。そこ以外はきっと素敵な人だなんて思っている花畑出身の自分がいる。
早いとこ首の縄を結んで欲しい。一思いに頼む。どう転ぶにしても分からないのが一番しんどい。苦しい。もっと冷静に物事を考えられる人間になりたかった。子供脳味噌の自分には苦行過ぎる。
流石にTwitterには書きたくなかったからこっちに殴り書きしたので読みにくいとかはご容赦を。推敲する気力もないので………。
お陰様で、なんと当日券が当たり、劇場で観劇することができたんだ。
劇場に入った瞬間からKnightsステージの世界が広がっていて、感動でずっと泣いてしまった。
増田が言うように、あんステは確かにキャラクターを舞台装置としてしか使わないところがあるし、Judge of Knightsもアプリの内容とは違う部分がたくさんあったけど、それでも私にとっては最高の作品だったよ。
2.5次元ミュージカルの魅力って、
私は
「共感」と
「ノスタルジー」と
「発見」
なんだと思う。
役者さんが原作とキャラクターをとても研究してくれていることが、観劇していてすごく伝わってきたんだ。
2次元作品って、基本的には「自分と作品(原作)」だけの「ひとりぼっち」な世界じゃない?
それがね、2.5次元ミュージカルになると、「自分と作品(原作)と舞台化に携わる人々」になる。特に目の前に生身で現れる役者さん達からは、命を燃やしながら紡ぐお芝居を通して原作への誠意がとても伝わってくる。
舞台を通して自分が原作を好きな気持ちを再認識できる「ノスタルジー」、
そして「ひとりぼっち」の時は気付くことができなかった、原作への新たな解釈や「発見」。
それらが2.5次元ミュージカルの魅力であり、それを私はJudge of Knightsで始終体験することができた!
だからずっと感動で泣いてしまったし、私にとっては最高の作品だった。
観に行けるように祈ってくれて、本当にありがとう。
ところで、ここに書くには話題が逸れてしまうけれど、久し振りに元記事を読んで「公式チケット定価を10万円にしてほしかった」って自分の主張に笑ってしまった。
ちょうど先日、ヒプマイ舞台化チケットの定価が1枚1万8千円と高額かつ、原作の人気ぶりに反して舞台のチケットが当選しやすかったことも相まって、チケット当選し過ぎな状態からくる「ヒプステ破産」なんて言葉が話題になってたから。
やっぱり定価が高額になれば「とりあえず買う」問題はかなり解消できるんだね。今回はそれに加えて本人確認もガッチガチだからだろうけども。
帝国劇場(東宝)みたいな、先行を買った人が損するような売り方(公式で定価が値下げされたチケットや、同じ値段以下で限定グッズ付きチケットを、後出しで公式が販売するし、後出しで売られる座席よりも先行販売で売った座席の方が不人気席なことがよくあるの)は絶対にやめてほしいけど、
私は新作発表されたSという某ゲームが好きだった
新作が発表されて、めちゃくちゃモヤモヤしたのでここに書き留めることにした。
Sはハードも変わっているものの、1〜5までナンバリングされている。
OVAだったりドラマCDだったり舞台、Sのグッズが販売されている専門店だったりと、20年前の作品にしては多種多様なジャンル展開がされていたと思う。
私が通ったものとすれば、
ドリームキャストが1〜4
ゲームだけでは語られないOVAで、キャラたちの過去だったり、設定だったりが知れたりして、子どもの頃は本当にその作品に冠するものしか見ていなかったかもしれない。
気付けばずっとやりこんでいた。
誰が一番好きかと聞かれれば、1に出てくる主人公のお姉さん的立ち位置の人だ。
いろいろあって、敵の女になってしまう。所謂、悪堕ちお姉さんなのだが。
その格好がめちゃくちゃエロい。闇堕ちお姉さんが性癖かと聞かれれば、そうかもしれない。
でも、闇堕ちにもちゃんと理由があるし、単純に敵の男が好きだったからなんていう理由だけじゃない。
Sと私の人生はほとんど一緒だったと言っても過言ではないと思う。
グッズ専門店には幼少期によく連れて行ってもらって、マスコットキャラのネコのぬいぐるみも買ってもらった。
閉店した時はめちゃくちゃ泣いた。大人になって一人で跡地に行った時もちょっと泣いた。
グッズ専門店に併設されていたコンセプトカフェのノベルティも今でも持ってる。
劇場版も映画館に連れて行ってもらって、パンフレットや映画館限定グッズも家にある。
サウンドトラックを聞いてある程度のシーンまでも分かるぐらいにはやり込んだと思う。
Sとコラボした桜色のドリームキャストだって動かないけど、ずっと持ってる。
新作とまではいかないけれど、移植版が出て同じハードで遊べるようになればいいな、というのが願いだった。
ちゃんと情報を追ってみると、事実だったので仕事の昼休みに泣いた。
あれだけ待ちわびていた新作だ!!!!!
ソシャゲじゃないといいな、なんて不安もPS4となった瞬間に吹っ飛んだ。
けれど、キャラデザもプロデューサーも全然違う人。唯一同じなのは音楽の人だけ。
本当にSという作品なの?と思ったけど、完全新作なんだし、仕方ない。コンセプトは同じなんだし、何よりSというタイトルを背負ってる以上、やらないという選択肢はなかった。
絵柄の統一性のなさ
え?なんで?どういうことなの?
本当に今までのシリーズを通して遊んだことがある人が作ったものなの?と疑わざるをえなかった。
絵柄の統一性のなさは昨今のソシャゲによくあるような流れだったから、まだ受け入れられた。
でも、前作メインヒロインの闇堕ちの可能性だけは信じたくなかった。
ゲーム、OVA、劇場版と通して見てきたメインヒロインを裏切られたような気持ちだった。
そんな簡単に闇堕ちなんかしないし、父親も闇堕ちした設定だったから、連続で同じようなことする?
あの時、流した涙ってなんだったの?
いろいろなキャラから託されたメインヒロインが闇堕ちの可能性で?しかも中の人も同じで?
そんなのシャア・アズナブルとフル・フロンタルみたいなものだとしても納得いかない。
新キャラageのための要員だったとしたら、意味も薄っぺらい闇堕ちだとしたら…。
ここで一気に不信感が増してきた。
設定も取ってつけたような設定だらけで、前作のこと知ってる?って聞きたくなるようなことばかりだ。
タイトルだけ間借りしてるんじゃないの?
私が待っていた新作ってこれだったんだ。
正直、こんなことなら完全新作なんていらなかったのかもしれない。
人生と一緒に見てきた作品がぶち壊された気分で、正直やる気が出ない。
でも割と周りは好意的な意見だから、こんなこと言えないけど、移植だけで良かったんじゃないのかな。
でも離れることは出来ない。
ナンバリングされている以上、どれだけモヤモヤしても、やってみないことにはなんとも言えない。
分かってはいるけど、闇堕ちの可能性があるメインヒロインを出してきた時点で、この作品に期待は全くなくなってしまったのだ。
それでもまだまだ私はSファンとは言い切れない。
12月に新作が発売される。
正直、メインヒロインの闇堕ちだったとしたら、私はディスクをフリスビー代わりにしてぶん投げるかもしれない。
あるいは新作をなかったことにするかもしれない。
“転売屋”は本当に“悪”なのか?
https://blog.takanori1750.work/entry/2019/03/08/220615
https://blog.takanori1750.work/entry/2019/05/03/195056
下の記事は上の記事とあまり内容は変わらないがこの人はかなり転売をありがたがっているようで全肯定派とすら自称しており、繰り返し同じ内容を書きたいほど強い思いがあるらしい。
増田は転売について全否定でも全肯定でもないが、最近ネットでは思考停止して全否定している人の声がかなり大きくなり、
それらはすべて嫉妬による怨念のようなものが動機としか思えないほどに感情的な意見ばかりで、理性的な意見を見たことがない。
このエントリは転売をする側の意見ではなく、転売に手を出す側の意見だ。
このエントリでは
「そもそも正規の入手方法自体が非常に困難である(場合がある)」
「七面倒な要素はすべてクリアして商品が手にさえできればお金はいくら払ってもいい」
について、答えを出しているように見える。
結論である「そもそも運営の売り方が悪い」には諸手を挙げて賛成する。
「本当に好きなら関係ない、正規の方法で買う人だけが本当に好きな人だ」と声高に主張する人は、じゃあそれが海外限定グッズなどだったら買うために渡航するのだろうか。(もちろん欲しいと思ったうえでの話)
もし海外限定が理由で買わないならば、あなたの"好き"は大したことのない程度だと自分で言うことになるのだが、そもそも他人の"好き"の物差しを勝手に図ってあまつさえそれを押し付ける資格などあるのだろうか。
別に増田が騙されやすい阿呆だの屁理屈だのなんだの言われても全く構わないのだが、それを言う前に先のエントリのような転売全肯定派に対して【理性的に】反論してみてくれないだろうか。
増田がこのエントリに騙されているだけなら目を覚まさせてほしい。特に、転売を躍起になって否定するほど熱量を持った人に。
ちなみに"特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律"が6月から施工されることは既に知っているので重箱の隅をつつかないでほしい。
有名VtuberとかYoutuberとか生主とか、ツイッターでフォロワーが多い人とか、ちらっと「○○いいな」とか「○○欲しい」っていったら囲いorリスナーorフォロワーがくれるよね
こっちは限定グッズとか羨ましく眺めてるだけだけど、人気があると何でも貰えちゃう
嫉妬する気持ちもあるのだが、同時に、欲しいなと思ったものを苦労せず何でも手に入る生活って楽しいのだろうかとも思う
欲しくても手に入らない悔しい気持ちがない、というのはなんだかその物に対する情熱もなくしそうだ
自分はShowRoomでとある人の放送をいつも見ていて、ツイッターもフォローしてみているのだが、その人はそこそこに人気がある。
最初はおどおどと喋る慣れない感じもかわいく、見てる人が1桁のこともあり、いてくれるだけで感謝です、と言っていたのに、今やタワーが建ち並び、たくさんお布施をした人にお礼をし、
お金を落とさず純粋に見ているファンは彼女には既に用がないものになってしまったのだろう
なんだろうな、なんだかとても寂しいし、哀しい
そして、何でも呟けば手に入る生活は、彼女にとって幸せなのだろうか。一時的な物欲は満たされるかもしれないけれど、それは大切な物を失っているのではないかと思ってしまう
勤務先の電話番号とかLINEまでチェックしてきて上司の連絡先を この男誰?消せよ って言ってきた時は本気で馬鹿かこいつって思った。
知らない間にSNS類全部漁られてて(高校時代の投稿まで探られてた)、俺以前に付き合ってた奴らにプレゼント貰った時の投稿全部写真撮ってるからまだ使ってるもの全部捨てろって言われた事もある。
好きなバンドの限定グッズ、服、ゲーセンでとってもらったフィギュア、マンガとかCDですら全部ダメ。とにかく元彼に貰ったものは全部捨てて欲しい! 一個一個チェックして全部わかってるから! って言われた。うざすぎる。
昔の投稿掘ってスクショまで撮るってストーカーじゃないの?彼氏だったら許されんの?気持ち悪すぎた。
一緒に買い物行って、店員に何か相談したり談笑したりしてたら勝手に機嫌悪くなって遮ってくるのもマジで鬱陶しい。お店の人まで"知らない男"にカウントして勝手に嫉妬するって流石にアホすぎでしょ。
あと欲しいもの(40万ぐらいのギター)があってずっと節約してお金貯めてたから出費きついときはデート断ったりしてたんだけど、やっと買えてインスタに載せたら 金欠だって言って俺とのデート断ってきたのにギター買う金はあるんだね って言い出して 俺と趣味どっちが大事なの? とかLINEで説教してきたのも無理すぎた。
あとそのとき片方に全額負担させてデートするの対等じゃなくて嫌いだから奢ってもらってまで行きたくないってはっきり言ったのに 俺がお金出すよって言っても断ったじゃん それって俺のことその程度にしか思ってくれてないからだよね って勝手に解釈してキレたのが本当に謎。話聞いてた?日本語理解出来ないのかな?
ていうか、むしろ何で私の中で趣味より自分の方が優先されて当たり前だと思ってるんだろう?趣味も大事に決まってるし比較すること自体不毛なんですけど。
それと後輩のバンドのライブ行くなってキレられたのも何回思い出してもムカつく。私からしたら大学時代のサークル仲間の方が付き合い長いし、別にジャニーズオタクとかみたいに追っかけで見に行くんじゃなくて、普通に後輩応援したいだけだし。
結局行ったけど、飲み誘われても絶対参加するなとかこれからは必要以上にその後輩と会うなとか束縛してきたり、今後そっち方面の友達に会う時用の門限本気で決めようとしてきたのが本当にうざすぎた。
挙句 バンドマンなんか皆クズな男ばっかり、その後輩だって同じかも知れないじゃん 俺は心配だから厳しくしてるんだよ? だそうです 何様だよばかかよ。何故彼女の友達や後輩を目の前で遠回しにクズ呼ばわり出来るんでしょうね?頭大丈夫?
心底うざいし呆れてたけど付き合う前は普通に面白くていい奴だったし、お互いの為にも別れてもう一回友達としてつきあって行きたい気持ちが最初はまだあったからそのことを伝えて話し合おうと思ったら、そこからがまた地獄。
俺のことその程度にしか見てなかったって事!? とキレられ どうせ俺なんて消えた方がいいとか思ってる? とか誰もそこまで言ってないのにネチネチ病まれ あとから夜中3時過ぎまで延々とLINE送られ 面倒くさいってレベルじゃなかった。
その後も何度か別れ話に持っていこうとしたけど都度、冷静に話し合える状況じゃないぐらい病まれて話にならない。自殺ほのめかされた事すらある。
さっさと別れたいけど もし本当に脅しじゃなくてガチで自殺したらって考えたら別れられなくて本当クソ。最近のニュース観てたらどうせストーカーに発展しても警察は助けてくれないの分かりきってるし。痴話喧嘩のもつれか何かで片付けられて門前払いされそう。間違ってはないけど。
なんでたかが彼氏のことで仕事以上に気遣って理不尽我慢して 仕事の何倍も疲れないといけないんだろう?病みたいのはこっちだよクソが。
早く別れたい。
私はいわゆる腐女子です。私には好きなジャンルがある。そのジャンルで二次創作を行っている。自分で同人誌を作ったことは数えるほどしかないが、そのジャンルのイベントで本を買ったりしている。Twitterでその作品が好きな人と話したりしていた。
そんな私の好きなジャンルで悲しいことに同人誌が転売されるということが起こった。某フリマアプリに売られていた。
私は悲しかった。自分の本が転売されていたわけではなかったが悲しかった。私はイベントも遠方のために参加できなかったので作者さんが通販してくださるもの頼みで、通販のなかったり完売したものはTwitterのその本がいかに素敵だったかというTLの感想をうらやましく眺めていた。
そんな本の数々がフリマアプリで売られていた。転売について気がついたひとが報告して何度か削除され、また出品されるということが3度ほど行われた。
その出品しているアカウントを見てみると、過去にはそのジャンルの同人誌、他ジャンルの同人誌、グッズ、限定グッズのいくつかも売買されていた。
同人誌の出品物のコメントを見てみると「一度だけ読んだ」や「暗部に保管」などそんなことが書かれていた。
それを見て、同じジャンルが本当に好きな人間なんだということは分かった。だからこそ余計に怒りを覚えたし、悲しかった。
転売目当てではなく、本当に本が読みたくて買って、一度読んで満足して、中古屋では高く買い取ってもらえないから原価近くで売れるフリマアプリやオークションで売っている、ということであろう。
そしてそのフリマアプリのアカウントではサークルチケットも売られていた。つまりは、サークル参加する人間だったのだ。
同じジャンルにこのような人間がいるということはひどく恐ろしく、たとえこの先本を出したとしてももしかしたらこの人が買っていくかもしれない。サークルも参加するのかもしれない。
昨今、奥付にオークションやフリマアプリでの転売を禁ずる文面を載せることは当たり前となっている。しかしながら、これに法的な強制力はない。同人活動は性善説に基づくものなのだと実感する。
転売された方々はせめて同人誌専門の中古屋等に売ってくれ、と言うがそれでも本当は自分が一生懸命、命を削って作った作品を簡単に手離してほしくはないだろう。
せめて見えないところで、ということだろう。いくら中古屋に売るからと言って面を向かって「売ってきます」や「処分します」なんて言われたくないだろう。古本屋で自分の本が並んでいるのを想像すると胸が締め付けられそうである。
自分が転売されたわけではない。しかしながら、この一連の騒動で創作意欲を削がれるという気持ちもありありと分かってしまう。自分だったらと想像したくもない。
転売されてない私にも、これほどまでにダメージがあるのだから転売されたひとの気持を想像するとただただ辛い。
転売はやめてほしい。
左翼がオタクを攻撃しだしたのは、左翼以外の手によってオタクが開放されてしまったから。
日本でオタクを攻撃するのは保守、ジジイ的老害価値観であった。要するに「そんな漫画やアニメばっかりいい年して観てると宮崎勤になるぞ」というダメおやじの戯言だった。
それらの主張は、左翼の敵だった。保守に対する革新からするとそいういう価値観は、古いモノ邪魔なモノだった。
でも、ここ10年で状況は激変する。
オタクが一般趣味の一つ、メインカルチャーに数えられてしまうぐらいまで権威を得た。
今や、オタクが主人公のドラマがPM9:00に地上波で放送される。
日本の首相が土管に入ってスーパーマリオのコスプレしながらオリンピックのパフォーマンスをする時代だ。
20代以下には、オタクが保守に迫害されていた時代の記憶などまったくない。
ゲームやアニメを観てると誘拐殺人鬼になるなんて濡れ衣を着せられた記憶が無い。
これらの開放だが、左翼とオタクが戦いの果てに手に入れたものではない。
オタク産業が圧倒的に経済的に強かったから手に入れてしまったものだ。
オタクはメシ代に事欠いてもコミケに行くし、推してるキャラのためなら借金してでも限定グッズを買う。
海外にもオタクがいる。アニメやゲームのTシャツを着ながら日本のテレビに映り観光しながら、外貨を日本に落とす。
アジアの学生が「声優ライブに参加するのが夢で日本を留学先に選んだ」という時代になった。
これらの趣味は不況の日本では、とても魅力的だった。これらの環境の激変は、残念なことにあまり左派的価値観は関係ない。
表現規制反対という縁の下の力持ちであった左翼運動や左派政治家はたくさんいたが、これらの開放という意味では、政治の力はあまり力になっていない。
そうした亀裂がオタクはネトウヨになりやすいという俗説で爆発する。
オタクからしてみたら、「オタクはネトウヨになりやすいなど理不尽なバッシング」だし
左翼からしてみると「オタクは俺たちの手によらず一般に受け入れられた恩知らず」に映った。
そうして左翼の中から、表現規制が始まるのだが、今までの左翼は左翼であんなキモい奴らと思っていたんだろう。
ここ最近、政権を攻撃するときには必ず相手をオタクに支持されているという言説が出てくる。
オタクが与党政権を推しているというのは理論の飛躍なのだが、しかし政権打倒の一環としてのオタク攻撃は多い。
急進的政権批判者は極めて高い確率で、オタクをバッシングする。
左翼のオタクほど、オタク全体を裏切り者の集団として考えるようだ。
https://togetter.com/li/1263172
さて、エヴェンゲリオンの使徒のアイコンを使うと言う時点で、もうすでにオールドなオタクに分類されるだろう。
そういう人物が、オタクを迫害する自由が認められない、と叫んでる。
この捻じくれた愛憎は、一体どこへと向かうのか?
興味は尽きない。
この日記についてのアドバイスや意見は求めてませんのでご了承ください。
また思ったことを綴るだけなので読み難いと思います。ごめんなさい。
社会人になって自分でお金を稼ぎ好きなことに使えるようになってから趣味を通じて知り合った人が何人かいる。
お互いの共通事項は趣味だから職種も年齢も様々で、彼女たちの考え方や感じ方は私と違うものがあって勉強にもなった。
私の知らない世界や感じたことのない感覚で話してくれる彼女たちは新鮮で、とても楽しく過ごしていたように思う。
1年前までは。
ことの発端は一人の結婚だったと思う。
彼女(B子)は長く付き合っていた男性とこのたびめでたく結婚が決まったのだ。もちろん私たちにもその報告と結婚式のお話がきた。私は嬉しくてすぐに「行く」と答えたし、そこにいたメンバー全員も同じ答えだった。お祝いもした。
長い時間かけて準備されたお式と披露宴は素晴らしいもので、私は彼女の学生時代を一つも知らなかったけれど親戚のおばさんかってレベルで涙を流した。とても感動した。
その結婚式から数ヶ月してからだ。いつも仲良くしていたメンバーのうちの1人、A子の話す内容が愚痴が多くなったのは。
愚痴というより妬み僻みが多いのだが、それはお酒を飲みに行った日も、遊びに行った時も続いた。
私は結婚への願望も、誰かと付き合いたいという気持ちも無く(すみません喪女ってやつですね)、安月給でも今の仕事をすることが楽しいと考えている人間のためか、A子は結婚した彼女のことや他の友人の愚痴を言うようになった。
「またすぐに職を変えて、バカみたい」
言い方はもう少しマイルドだったかもしれないし、辛辣だったかもしれない。
気持ちは分かるよって内容もあればただの妬みのものも多かった。聞いてて「それは違うよ」と思うものはそれとなく指摘しては「そっか…」て自分の発言を省みていたところもあった。なによりA子は「自分に余裕がないから焦るし妬んでしまう」と言っていてたから自分の発言も悩んでいた(と思いたい)。
なによりA子はそういう悩みを他の結婚した友人には言えず、結婚願望のない私にしかぶつける先がなかったのかもしれないと私自身が自分の考えに酔いしれて「愚痴くらい聞くよ」と言ってはいつも聞いていた。
たぶんA子は他にも話できる人がいただろうけど当時は私が一番会う頻度が高かったので会っては話を聞いてたし、急に呼び出されても仕事終わりに行っては駅のホームで話を聞いたものだ。
けれど去年の春。
A子と一緒に遊んでいた時に、 A子が別の趣味で知り合った友人とたまたま会った。久しぶりに会ったみたいだったので5分くらい話をした。その時その友人の方は私にも気を使ってくれて話を振ってくれたり、私も分かる話は混じり盛り上がった(と思う)。
友人は行くところがあるから、と言ってA子と別れた。とてもきれいで感じの良い人で、私は「素敵な女性だなぁ」という感想を持っていた。
A子と歩いているとA子が「あの人いくつだと思う?37歳なんだよ」と言ってきてビックリした。37歳⁈いってても26、27くらいだと思った!そのくらい年齢を感じさせない身嗜みと雰囲気で素敵な女性だった。だから思わず「えっ?!見えないね!」と答えたのだが、A子は
「でしょ?37歳なのに彼氏も作らないでふらふら歩いてさ。恥ずかしいよね。しかもこのあと立ち食い蕎麦食べに行くんだって。わたしには絶対無理、恥ずかしいよねえ」
けらけら笑いながら同意を求めてきたのだ。
えっ、どういうこと?突っ込みたいところ多すぎて分からない…。
頭が混乱した私は取り敢えず「私も立ち食いそば好きだよ…」としか言えなかった。
混乱したままランチをしたけれど、その時もA子の愚痴は止まらなかった。いつも通りだな、と聞いていたのだけれど
「(友人が)体調不良で会社休んでて理解できない。社会人なら体調管理しろ」
「というかただの寝坊してたんじゃないの?社会人なら30分前に職場ついてろよ」
「私はどこに出しても恥ずかしくないお嬢さんなのに、どうして私が結婚できないのか」
正直無理だと思った。
A子は確かに仕事を一所懸命にやるし、プライベートもしっかりしている。金銭面はわからないけど自立している。
身嗜みもしっかりしていていつも綺麗だ。なんなら私が少し手を抜いた服装をしたときは嫌そうな顔をしてたくらい服、髪、化粧には気をつけている。
でも、それでも、だ。
3つ目に言われた言葉は我が耳を疑ったし、正直A子の神経を疑った。どこに出しても恥ずかしくない??それは他人が言うことであって自分が言ってはおかしいでしょ。
違和感を覚えていたけど愚痴だし別にいいかとこの日も話を聞いて終わったけど、帰ってから驚いた。
蕁麻疹が出たのだ。
それも尋常じゃないほど出て入院した。呼吸困難までいかなかったけど、異常な蕁麻疹の状態に医者に入院してほしいといわれて1泊した。入院費バカ高い…。
数日して蕁麻疹は収まった。SNSで暇すぎてつぶやいたけど、心配してくれたのは高校時代からの友人だけだった。趣味友達からは一言もなかった。
ここで私はやっと自分の人望の無さに気付いた。遅すぎる話だけどやっと気付けたのだ。良かった。
それからA子と会い愚痴を聞くたびに痒くなる肌と付き合っていたのだけれど、体の不調に目を背けることはできなくて自分の心の余裕が生まれてからまた遊ぼうと思いフェドアウトし始めた。
A子はもともと人づきあいが良かったからたくさんの友人がいた。結婚できないことを、仕事でうまくいかないこと以外は楽しそうにすごしていたように見えた。
私は私で友人と遊んだり食事を楽しんでいたし、それをSNSにあげたりもした。
去年の冬。年末のことだった。
A子を含めた趣味友人と忘年会を約束していたのだがいけなくなってしまいそれを連絡した。申し訳ない、私の代金は払うからみんなで楽しんでほしい。
その時はみんな心配してくれたのだが、A子だけは違った。
A子「じゃあ忘年会前のイベントいけないんですね。わかりました。」
イベントというのはA子が好きな漫画のイベントで、限定グッズがもらえるとのことだった。
もしA子の好きなキャラクターが当たったらあげると話しをしていたのだけれどいけなくなってしまって申し訳ないと謝った。
限定グッズもそのキャラクターが手元にくる可能性を低くしてしまって申し訳なくて、思わずメルカリを覗いた。ちなみにグッズはなかった。
どうしよう、怒らせてしまった。でも仕方がないことだし、どう言えば分ってもらえるだろうか。
そう何度も考えたけれど、ふと冷静になった。
お悔やみの言葉1つも出てこない相手に、なぜこんなに気を使わなければならないのか。
そう、A子からはお悔やみの言葉は出てこなかったし、なんなら行けないことをキレられたくらいだ。なのにどうしてここまでA子に気を使わなければならないのか。
わからないふりをしていたけど私はA子が趣味友人に私の愚痴を漏らされるのが怖かったんだと思う。
だってただ立ち食いそばを食べただけで鼻で笑われるってなぜ???という感じだし、悪いことや不快な思いさせたなら仕方ないけれどここまで気を使って愚痴られるってどういうこと?という感じだった。
「A子はあなたのことを「結婚しない」じゃなくて「できない」のに強がってて醜いって言っていた。でもそばにいるのは年上なのに結婚してない人がいるって安心になるとも言ってた。」
と聞いた(これを本人に言うC子もどうなのか)
やっぱりな、という気持ちが大きく、瞬間どっとした疲れを感じた。
もう無理だ。正直に思った。
偽善者ぶってた自分も気持ち悪いと思った。アラフォーになって何やってんだと情けなくもなった。
この日私はA子の連絡先を全部消したし趣味友人のライングループからも抜けた。
きれいさっぱり、社会人になってからできた友人たちの一部から縁を切ったのだ。
社会人になってからできた友人はかけがえのないものだとわかっていたけれど、自分の偽善者ぶりに辟易してしまった。
ごめんなさい、B子C子。
妬み僻み自分を良くしてくれる友人を鼻で笑うA子。
まさしく私が「公式イベントには行かないが同人イベントには遠征する地方者」だ。
行かない理由は↑に挙げてくれている方がいるが
・日程の発表が遅い(チケット抽選などもあり、参加が確定するのは更に遅い)
の二点が大きい。
遠征に飛行機を使うので、日程の発表が遅いと飛行機に定価で乗ることになる。定価は、くっっっそ高い。
対して同人イベントは半年以上前には日程が確定しているので早割でとれる。価格は3倍以上違ってくる。
つまり公式イベントに一回行くお金で同人イベントには3回行ける。
それでも公式イベントに参加したこともある(交通費だけで9万~かかった)(宿泊費や現地での電車代など含めると10万以上)(祝日開催だったので交通費も宿泊費もバカ高かった)
その中身がすごく薄く、声優に興味がないので声優が登場してきただけでキャ~とか言う周りの空気にもついていけず、イベント限定グッズに3時間並んで売り切れ、と惨憺たる有様だったのでもう参加しないと決めた。
最低でも、漫画なら全巻買うし、アニメなら円盤全巻買うし、ソシャゲなら毎月ゲームソフト一本分以上の金額課金する。
公式イベントに行くことだけが公式にお金を落とすことなわけではない。
今頃知って調べたのであと出しになっちゃうが
あれはやっぱり馬鹿だと思う
単純な話で、
メシについて、何かや誰かを揶揄するメッセージ性なんか乗せて欲しくない
「メシがまずくなる」ってなんでわからなかったんだろう
与党支持者からはうっすら敵意を向けられるようになってるというおまけつき
これから関係ないことの売上にまでボディブローのように効いてくるだろう
逆に野党支持者はそんなことでファミリーマートを買い支えてはくれない
こういうことはだいたいネガティブ面のほうが強いし残る
何故けもフレにしなかった?
あっちも暗雲が立ち込めてるとはいえまだまだホットなコンテンツ
絵の選び方次第ではオシャレな感じのイメージ展開も出来たし
オタクだけに購買層を絞っても期間を絞れば十分買ってくれたはず
更に更に、ネットを使うならば
「たつき監督を応援したい」というようなメッセージでも出せばアツい支持がついただろう
その層からはずっとポジティブなイメージで見て貰えるようになったはずだ
なんで揶揄を選んだのかねえ…
しかもよりにもよってメシに…
少なくとも心が傾きかけていた別ジャンルに完全移行する決心はついた。
ギャグアニメにマジになるのもどうかと思うけど、向こうにとってはボロい商売でしかなかったんだなと改めて気付かされた。
ブラインドパッケージで推しのグッズが入手しにくかったり、イベント限定グッズはオープンしてすぐ売り切れたり、値段の割に大して美味しくもないコラボカフェだったり、こういうファンの気持ち弄ぶような売り方して互いの信頼関係築けていない状態で客いじりされても全く笑えないんだよね。
アニメの制作スタッフ側はこういう状況知らないのだとしても、それなら安易にネタにするなよ、風刺のセンスねえぞとしか思えない。
でも今になって思えば私自身、キャラ愛も作品愛もなかったのかもしれない。しばらく人気作品にハマることがなかったから情報が供給され続ける状態に興奮していただけなのかも。
しばらく視聴は続けるけど、今までみたいに素直に楽しむことはできないんだろうな。
かれこれ20年近く夏冬と連続当選してサークル参加してる身だが、真木よう子のコミケ参戦は別に問題ないと思ってる。
真木よう子の参加は、コミケの理念に照らし合わせると、何の問題もないからだ。
私のようにコミケに長く参加している古参でさえも勘違いしている人がいるのだが、
まず、コミケは、オタのためだけの、非オタは参加を許されない祭典ではない。
そして、今のコミケは、「非営利」の、「アマチュア」に限った場ではないのだ。
2013年に、申込書等、コミケ準備会側の公式文書に書かれている「コミックマーケットの理念」の記述から、「営利を目的としない」などの一連の文言が消えたことを知る人は少ないんじゃないだろうか?
コミケットはアマチュア、営利を目的としない団体(サークル)、個人のための展示即売会です。基本的に法人(会社)あるいはそれに準ずる方の参加はお断りします。
と、なっていた。参考 http://wanda.hatenablog.jp/entry/20100418/1271549068
長らく「営利目的でない」「アマチュアの」イベントであり、「法人」は原則ダメですよー、という理念を掲げていたが、
こうした理念がとっくの昔に形骸化していたのは、コミケにそれほど詳しくない者の目にも明らかであっただろう。
そして、最も新しいC93(今年の年末に行われるコミケ)の申込書に書かれているコミックマーケットの理念には、
と、書かれており、続いて、
とも書かれている。オタじゃないと参加はダメとか、オタク文化系の頒布物じゃないと参加はダメ、とも書かれていない。
このコミケの理念に照らし合わせると、真木よう子の参加希望を、現時点で全否定する理由は無い。
一個人として、事務所を通さず好きに作りたいのなら、本人がコミケを選んだって構わないだろう。
クラウドファンディングで本を作るのだって、別にいいと思うし、これからの時代の同人活動での一手法になりうると思う。
自分の金で作らないなら、参加は絶対に認めないぞ!なんてルールは、どこにも書いてないのだし。
また、「コミケでやる必要がないからコミケ以外でやれ」というのは暴論すぎる。
委託店等の販路が多くある昨今なら、「コミケでやる必要はない活動」となってしまう。
参加目的に「(ファンの)皆様と会いたかった」と言ってる点を持ち出し、参加するなと批判している人がいるが、
同人作家で、「買ってくれる人や~~さん(同人作家)と交流が楽しみ」みたいな呟きをしている人なんて簡単に見つかるし、
混雑しそうだから参加ダメ!なら、そもそも壁サークルや島中の大行列を生んでいるサークルはどうなんだ?となる。
禁止されている徹夜等を含め、そういう混雑を生んでいる大人気サークルは、コミケに参加するべきでなく、大手委託店等で通販のみを行うべきなのだろうか?
私が参加したこの20年近くの間に、オタとオタを取り巻く環境、そしてコミケも大きく変わった。
90年代には、アキバのビルの薄暗いフロアにスチールラックをおいただけ、という裏ビデオ屋のようだった同人委託店が、
同人だけで食っていけるような人も(参加者全体の数からすると割合は少ないが)見受けられるようになった。
つまり、明らかに営利目的・収益目的だなってとこも珍しくはなくなった。
壁サークルのような大手や有名どころは法人成りしてる例も見受けられ、限定グッズを売り出す企業ブースは毎回長蛇の列で大盛況だ。
企業の人間がブレーンとして関わって制作された、商業流通している本に顔負けの同人誌だってある。
コスプレ広場のコスプレイヤーには、芸能事務所に登録しているような子も増え、
芸能界へのステップアップを目指す子もおり、現役グラドルすら来るようになった。
現役プロ漫画家やイラストレーターが参戦する例だって、ずっと前から枚挙に暇がない。
そうしたコミケに参加するプロやアマチュアが、コミケを通して知名度をあげたい、広告宣伝効果を得たいという思いだってごくごく普通のことになっている。
コミケに参加したこと無い人でも、コミケ等大イベント前の怒涛の頒布物広告宣伝ツイートはよく目にするだろう。
好き嫌いはあるだろうが(私自身はこうした一連の変化は苦手だが)、こうして世とともに変わっていったのもコミケの現実だ。
私は今の言葉で言うところの陰キャなので、キラキラした芸能人や、リア充と言うのかパリピというのか、
なんというのかそういうある種の言葉でくくられる人が来て多数派になっていくのは嫌だ。
しかし、それは私の好悪に過ぎず、そうした好悪の感情をもとにある参加希望者を叩き、拒むことは、コミケの理念に間違いなく反している。
極端な話、コミケの理念に反せず、法令と、準備会が定めた運営ルールを守っているならば、
「オタなんて大嫌い」という人が、「オタ大嫌い論」という本を評論・情報ジャンルで頒布するために参加したっていいのだと思う。
コミケの準備会側が、搬入計画に懸念を示したりして参加させないと判断するならまだしも、
私のような一人ひとりのコミケ参加者らが、コミケの理念に反していない者を、
「こいつは参加するべきではない」「コミケに不慣れなこいつは問題を起こすに違いないから来るな」として叩き、
参加を断念させることになったら、ただただ禍根となる。
どうしても、この季節になると思ってしまうことです。
会場限定グッズはその名前の通り、頒布会場でしか手に入ることの出来ないものです。突発的に企画、製作されることも少なくなく、
需要に対して十分な供給が達成させられるのはごく稀で、その多くはイベントのルールを守らない徹夜組、利益を目的とした転売組の方々に流れてしまいます。
この人の作品は書店委託でも買うことが出来るけれど、会場限定グッズだからな行かなきゃ! と思ってイベントに赴いた一般参加者さんが、
何時間も並んだ上で手に入らないというのはとてもとても悲しいことです。(会場限定グッズに限らない話ですが)
「ユーザー」が笑顔になれないのは「クリエイター」としてはどのような気持ちになるものでしょうか。
もしも自分ならば、ルール違反した徹夜組や作品そのものは求めていない転売組の方々の手に自分の作品が渡るのは極力避けたい事態です。
可能な限り一人でも多くの「ユーザ-」に笑顔になってもらいたい、そう考えるからです。
けれどこれは思い違いだろうな、とも思います。
私は今、「需要」「供給」と言った言葉を使い、作品を作る方を「クリエイター」、一般参加者さんのことを「ユーザー」と呼びました。
これは「同人活動」ではなく「企業活動」に傾いた考えではないか、と客観視します。
同人文化はその字のごとく、同じものを好きとする人たちが寄り合って作り上げられた文化です。
そのような関係の中で「需要」「供給」「クリエイター」「ユーザー」という言葉はとても違和感、場違いの印象がある言葉です。
会場限定グッズに限らず、同人活動で作品を提供する側は自費製作である以上、需要だとか供給だとかいったことを考えるのはとても難しいことですし、
むしろ、「同人活動」においてただのノイズにしかなり得ない要素です。これは「企業活動」の場面で考えるべき要素です。
一方で、どんな作者さんでも、買ってくれようとする人を悲しませたがっている人はいないと思います。
どんな作者さんでも、徹夜組や転売組に大多数を手に入れてしまうのは、好ましく感じないと思います。
その観点に立つと、会場限定グッズというのは存在するべきではないのでは、そして徹夜組や転売組を一網打尽にするものでないにせよ、ある程度の効果はあるのでは、と考えてしまいます。
しかしながら、これは作り手の人に対しても、それを求める人に対しても、彼らの思っていることをないがしろにしたひどく失礼な考えなのではないかとも思います。
それでも、私は同人即売会の会場限定グッズが好きではありません。私は誰もが自分の好きを好きに表現できる同人文化が好きです。
そう思ってしまうのです。