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この日だけは生理にならないで欲しいと念じ、部活に励んでカロリーを消費しまくった時に限って、予定でもなかったのに生理になる。それがぼくのあるある事象で、修学旅行でも、ぼくは三日前から生理になった。荷物の半分が生理用品になる。トイレにやたら時間がかかり、ただでさえ移動中に立ち寄るトイレはとても混雑するのに、ぼくはそわそわとして落ち着けない。レイジとは同じ班になったが、レイジは相変わらず女としての煩い事には無関係の人だから、どこへ行っても楽しそうだ。
自由行動の日、レイジはぼくがトイレに行ったきり中々戻って来ない間、もっぱら寺社の境内で鳩とたわむれて時間を潰していた。ぼくが貧血と歩きすぎとでふらふらの状態でトイレを出ると、レイジの周りをうろうろしていた鳩達が一斉に飛び立つ。背の高いセーラー服の少女と鳩という、ミラクルな光景をレイジがつくりだしている。眩しくて目眩がした。観覧した寺社の事なんかろくに覚えていやしないが、その景色だけは今でもよく覚えている。
夜、泊まった宿では大浴場が貸し切りで使えたが、生理の生徒は部屋の内風呂を使ってよいとされていた。ぼくは当然内風呂に入ることになったが、大浴場を使える女子達はひとの気も知らずに一緒に入ろうよと誘って来る。ぼくはうっすらと屈辱を感じつつ断る。相部屋にも何人か内風呂を使う人はいたが、ぼくは「先に入る?」という気遣いを全部断って一番最後に入った。
せっかく広いお風呂に入れるはずが、見たことのないほど狭い風呂で我慢しなければならないのは惨めだが、レイジの裸を見ないで済んだのは良かった。小学5年生で行った臨海学校の風呂を思い出した。あれがぼくが集団で大浴場に入った最後の機会だったが、当時既に同級生には女らしい体型の女子が何人もいて、あれはかなり気まずかった。どこを見ても生々しい女体が視界に入るのが嫌でずっと俯いていたし、落ち着いて湯船に浸かっていられなかった。あの頃は成人女性のような体つきの女子もほとんどは薄手の子供用の肌着を着て、その上に体操着を着ていたのだから、思えば気持ち悪くクレイジーな文化を生きていた。それを許していた大人達の気が知れない。
修学旅行の夜は恋ばなで盛り上がるのは定番だが、同室に奇跡的にオタクばかり集結してしまったので、ぼく達は漫画とアニメの話ばかりをしていた。だがみんなそれぞれ好きなものが違うので、話が全く噛み合わない。なのに何故か会話は成立しているように見えた。
23時を回る頃には話のネタも尽き、昼間の疲れも出てきて、皆口数が減ってきた。ついにここにはいない他人の恋ばなくらいしか話す事がなくなってきた時、レイジがぼくに言った。
「なあ、お前は男同士って、どう思うの?」
誰にも聴こえるような大声でいうから、同室の極めてお喋りな女子が、
と盛り上げてくる。レイジのご指名はぼくだったから、全員が興味津々でぼくの答えを待っている。
「うーん、」
そういえばレイジって「やおい」が好きなんだったなと思いつつ、ぼくは答えた。
「男同士も、ぼくはいいと思う。ただし、美しいのに限る」
皆はぼくの答えにキャーキャーと黄色い声をあげた。ぼくは半ばレイジに当て付けて言った。いつもぼくを驚かせてばかりいるんだから、たまには君もぼくの言うことにびっくりしろと思った。レイジにはぼくの意図が伝わったらしく、
「ああそうかよ、つまんねーな」
といい、さっさと布団を被って寝てしまった。
同室の女子達はカマトトぶっていたが皆「やおい」が大好きだった。学校までエロ同人誌を持って来て回し読みをしている連中(そういう奴らに限って本当はオタクではない)は他の部屋だったにしろ、みんな男同士の禁断の関係性に興味があった。禁断だからこそいいという価値観の共有されているところへぼくが堂々と「いいと思う」と言ったのはかなりウケた。隠すべきとされているものを隠さなくていいと言ってのけるのは、その時はまだ新しすぎる考えだったのだ。
実はレイジは「やおい」の愛好者で、そうとうの数のやおい同人誌を持っているらしかった。一年生の頃、ぼくの家にレイジが遊びに来たことがあるのだが、その時レイジが同人誌を何冊か持って来た。二人で格ゲーで遊ぶのに飽きた頃に、レイジが鞄からそれらを取り出して見せてくれた。それは幽遊白書の同人誌で、レイジが開いて見せてくれたページには、いやにリアルな筆致で描かれた幽助と蔵馬があられもない姿でぼくには理解不能なことを行っていた。ぼくは気持ち悪くて無理だと言った。ついでにいうとぼくの一番好きなキャラクターは軀だから、軀が出てこない時点でかなりがっかりだとも言った。するとレイジは
「まだ子供のお前には早かったな」
と言って本を仕舞い、代わりにもっぱらギャグ漫画ばかり載っている同人誌を出して、ぼくに貸してくれた。たぶん、レイジは「やおい」というものの中でもぼくが「気持ち悪い」と切って捨てた部分こそが好きだったのだと思う。
やおいというもの自体はわりと好きだとぼくは思った。でもぼくはそれを男同士というよりは人と人同士だと思って読んだ。女でなければ無性別。性別が無いというのは人として完璧なのではないかと、あの頃のぼくは思っていた。今となって思えば、そんな考えは母親譲りの潔癖症的な考え方であまり良いとは言えないのかもしれない。
修学旅行から帰った後、ぼくはレイジとは違う高校に進学しようと決めた。レイジは市内にある名門女子高を受けるといっていたので、ぼくは電車で何駅もある遠くの共学を受けることにした。レイジの行きたい女子高はぼくの母親の母校だったから、そこを目指すのは母親の思うつぼにはまったようで嫌だったのもある。
レイジと二人でつるむのは楽しいが、いつまでもそしているとぼくの世界は広がらないのではないかと思った。ぼくは一人で新天地を目指したい。だがそれは大きな間違いだと知ったのはそれから何年も先のことだ。現実には、一人でいるとずっと独りぼっちになりやすい。二人で楽しそうにしていると、それを見て何人もの人が集まってくる。友達が増えれば世界が広がる。独りきりで見える世界は、とても狭苦しくて窮屈だ。
だが、誤った道を選んだおかげでぼくの今の暮らしがあると思えば、それはそれで良かったのかもしれない。
レイジとは別々の高校に進学して以降は二度くらいしか会っていない。いつだったか、一緒にどこか遊びに行こうと約束して待ち合わせたら、レイジはまるでデキる女の休日ファッションみたいなスタイリッシュな服装に薄化粧までして現れた。ぼくはといえば、男ものの服を着れば男の子のようになれると信じた結果、ただの引きこもりみたいなダサい格好をしていた。どっちに合わせても相手が浮くし、そもそもお互いに学チャリで来て一体どこに行けるのかということで、近場の公園のベンチに座り、レイジがわざわざぼくに食べさせようと作ってくれた焼き菓子を食べながら雑談をした。
最後に会ったときはぼくはもう結婚していて、久しぶりに実家に帰省した際にレイジの家に遊びに行った。中学時代にレイジがぼくの家に遊びに来たことは何度かあったが、ぼくがレイジの家に行ったのはそれが最初で最後だ。
レイジの部屋はすっきりと片付いていた。オタクらしいのは座卓の上を立派なデスクトップパソコンとその周辺機器が占拠している事くらいだったが、それだって配線がごみごみと見えないよう置き方が工夫されていた。オタクの部屋というよりは仕事でよくパソコンを使う人の部屋といった感じだ。
「漫画と同人誌をいっぱい持ってるって昔言ってたけど、もう全部捨てたのか?」
ぼくが問うと、レイジは「いや、」と言い立ち上がって部屋の奥の襖を開けた。
「さあ見れ!」
その時ぼくは初めて、筋金入りのオタクは押し入れを改造して大量の蔵書を隠し持つのだと知った。
「だが、お前の読むようなものは何もないけどな」
レイジはお子ちゃまはそんなもんよりもこれでも見てろと言い、パソコンを起動させて秘蔵の面白動画を見せてくれた。ぼくらは中学時代のようにくっついてそれを見て、腹がよじれるほど笑い、床を転がった。
と、レイジは言った。
ぼくはそう言い返した。
「そうかもな」
「でもぼくはもう結婚した。だからけっこう変わったと思う。ところで、レイジはぼくが結婚なんかするなんて変だと思わないの?」
ぼくはレイジに聞いてみた。ぼくの家族、特に母親はぼくの結婚をついに人生に敗北したと言って馬鹿にするし、昔の同級生達からも祝われるよりも先に引かれがちだった。
「変だとは思わねーな。だいたいお前、中学の時だってなんだかんだ好きな男いただろ。案外普通の女子なんだなと思ってたよ俺は。ずっとふらふらしてるより早々に結婚しちゃう方が良かったんだろ、実際」
「確かに……。ぼくはかなりモテないから、夫と結婚しなかったら永遠に独身だという自信がある。けど、ぼくだってぼくなりに頑張って、何人かと付き合ってはみたんだが、まあ色々と、無理だったかもしれない」
「色々っちゃなんだよ」
「言っても引かない?」
「別に引かない。俺は自分に話す事が何もないぶん聴き手に回り易いから、ダチの恋ばなを聞き慣れてるんでね。だから今さら何が飛び出しても驚かないぜ」
「じゃあいうけど、夜のあれがつまらなくて……別に苦手な訳ではないのだが……」
「あはははははははは!」
「笑うな! 何が飛び出しても驚かないって言ったじゃないか」
「いやいや驚きゃあしないって。むしろお前らしくて笑うわ。お前、本当にいつまで経ってもお子ちゃまなー」
「うー、うるさい。でも、否定は出来ない……。ぼくはもっとこう、セックスとは楽しいものかと思ったけど、全然そうならないんだ。しかも十中八九、ぼくのせいで盛り下がっているという、自覚がある」
「なぁ、膝出してみ?」
「膝? はい」
いぶかしみつつもぼくは素直に片膝を立てた。そこへレイジが指をさわさわと這わせた。
「それだからお前はなー。じゃ、今度は俺に真似してやってみ?」
ぼくはレイジの膝を擽った。だがレイジはぞくぞくするどころか擽ったさも感じないと言う。
「まぁまぁ。毎日部活に出て稽古に励んでも全然強くならなかったほど、運動神経のないぶきっちょさんのお前さんがさ、セックスの時だけ上手い事やれるなんて、その方がおかしいだろ? 女だからやれて当然じゃないんだ。才能のないもんはどうしようもない。諦めろ」
「そういうもんかな」
「おー。そういうもんだと俺は思うぜ。でもまあ結婚はしたんだからよかったじゃん。婚姻届出しゃあもう、お前のエロさが足りないなんて理由で簡単に別れる事なんか出来ないんだぞ」
「だといいけど」
「浮気されたら愚痴でもなんでも聴いてやらぁ。そういうの聴かされるのは慣れてるからよ」
「ははは。それより、子供が出来たらちゃんと連絡くれよ。そしたらお祝い包んでやるからさ」
「単に俺がそうしたいだけなの。うちは兄貴も結婚しそうにないし俺はこんなだから、がきんちょにお小遣いくれてやる機会があまりなくてな。ダチの子供にお年玉やると、俺も大人になったなーって思えるし、気分がいいんだ」
そんな事をレイジは言った。
確かに、子供のためにお金を遣うと大人になったという感じがする。一度に三万円は痛いが、それで子供達が喜んでくれたのだから、大した事のない出費に思える。しかしぼくは今やただの大人じゃなくて親だから、子供にしてやらなきゃいけないことは、他にも沢山あるけれど。
次女の誕生日のあと、長女の誕生日があって、その直近の祝日、二人に誕生日プレゼントと服を買ってやるために買い物に出た。トータルで三万円くらいかかった。はぁ。 服を買う...
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