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2017-12-18

生きる糧とは

2017年1月、年が明けて3連休も過ぎた週末、私は宝塚大劇場月組公演を観に来ていた。11からと15時からの公演を両方観る、いわゆる「マチソワ」である。本当は15時公演だけ観るつもりだったが、たまたまB席が空いていたので飛びついたのだった。

演目は、待望の再演と言われていたミュージカルグランドホテル』と、日本初のレビュー『モン・パリ誕生90周年を記念したショー『カルーセル輪舞曲』だった。

大変いい舞台を観たはずなのに、私は不快な思いをしていた。原因は11からの公演で隣に座っていた女性の行動である

その女性は「ただ今より開演いたします」というトップスター・珠城りょうさんによる開演アナウンスが流れたタイミングで着席した。

その後、彼女は上演中も一緒に観劇していた人と話をしていたのだ。開演前にも注意のアナウンスがあるように、上演中の話し声は非常に迷惑ものである出演者の演技をちゃんと観ていたいのに集中力を削がれるのである彼女の話し声のせいで私は観劇に集中できずイライラが募ってしまった。

終演後に劇場から出たところ忘れ物をしたので取りに行くと、その女性に声をかけられた。私は彼女に対して少し声を荒げてしまった。でも、「あなたはもう観劇に来ないでください!」と言わなかっただけ良かったと思った。彼女観劇慣れしていなかったというか、初めての観劇だったかもしれない。そんな人に辛く当たったら「来なければよかった」と思われたらどうしようもないし、私も「そういうお前が観劇に来るな」と言われる。やりようがない思いを抱えたまま15時公演を観ていた。

その後私は地元に帰ってきたわけだが、以前から職場での就労環境人間関係が原因でストレスを抱え込み仕事に出られない状態が続いてしまい、ついに2年間働いてきた会社を辞めてしまった。

私は、専門学校に入って就職活動をしていたが、卒業後も就職先が見つからず、その間アルバイトをしても失敗ばかりだった。このタイミングで「広汎性発達障害」の診断を受けた。

それからは、就労継続支援事業所で2~3年ほど一般就労に向けて作業などに取り組んだ。そこから職場実習をさせてもらったのがきっかけで会社に入ることができた。一応、株式会社と名乗っているが就労継続支援A型施設である。前の事業所と比べて賃金保証されている。一生懸命に働いて遠征費を稼ぐことができた。

ところが、去年から事業を拡大し始めたあたりで異変が起きた。少人数で捌ききれない業務量、他のメンバーミスを訂正する手間、イライラを募らせる上司…。何度か職場に出られないことはあったが、今年に入ってとうとう壊れてしまったのだ。

それからは、もう一回観劇しに宝塚へ行ったりサカナクションツアーに参加したりもできたけど、障害年金から3分の1ほど実家に入れるお金差し引いた分しか使えなくなってしまった。

2017年12月、約半年ぶりに宝塚に来た。雪組・望海風斗さんのトップ披露目公演、ミュージカルひかりふる路』とショー『SUPER VOYAGER!』である宝塚に来るまで、私はすっかり待ちくたびれてしまったし、心が何度か折れていた。

そこで私は隣りに座っていた女性に声をかけられた。彼女は大昔に観劇たことはあるが、宝塚歌劇ファンの方のお誘いで来たという。

私はショーの客席参加演出で使うポンポンを持っていたのだが、それを見て「こういうグッズがあるんですね」と声をかけていただいたのだ。「そうなんです!この公演限定ですけど」と答え、終演後も少し話すことができた。今まで一緒に観劇していた人と話をすることはなかったのだが、この時は「雪組さんありがとう!」と心から思えた。

私はまた来年春に月組を観に行く。それまではまた心が折れてしまうかもしれないし、どんな顔をしたら良いかからないと思うこともあるかもしれないけど、またいろんな舞台を楽しみに生きていきたいと思う。

2017-12-03

リサーにいたアラサー女が思い出を書くよ。

小学校とき結構成績よくってクラスで1番だったんだよね。

でも、親が教育熱心でなく、中高公立で、大学早慶行けそうだったのに女だからって女子大

上に行くなって言われる人生ってストレスで、大学生活は目いっぱい羽を伸ばそうって思って。

そんな感じで大学入学手続きの3月4月。

毎日毎日大学の近くでサークル勧誘男子がたくさんいて。

いちばんイケてた男子のお誘いで新歓コンパ(当時はそんなのがあった)の毎日

最終的に某有名私立大学スポーツイベントサークルに落ち着くことになった。

男子はそこの大学の人ばかりで、女子女子大ばかり。

スポーツイベントは単なるネタで、活動のメインは飲み会。ほぼ毎週。

GW明けの飲み会で3年生の先輩から付き合おうって言われて2人で泊まり旅行に行った。

初めての彼氏。そのころから先輩と付き合う女子がぼちぼち出てきて、6月にはほぼすべての女子彼氏がいた。

そのころ、彼氏過去カノのことを聞いたりしたときにやや違和感があった。

異変が起きたのは夏だった。

夏休みに入って、先輩に振られた。たいした理由もなく喧嘩して、そのままもう付き合えないって。

私にとっては初めての男性だったし、夏は彼と海に行こうとか楽しみにしてたから凄いショック。

でも、夏休みサークル平常運転飲み会だらけ。

飲んで泣いているところで、別の2年生の先輩に慰められて、その日のうちに抱かれ、そのまま流れで付き合う。

ふと周りを見ると、夏休みに先輩から振られる1年生の子が次々に。

私と同じように、傷心の女の子を、別の先輩や同級生が慰めて、流れで付き合っちゃってた。

夏休みが明けて、またその2年生の彼氏に振られた。飲み会で(略)別の2年生の先輩と付き合うことになった。

だいたいみんな1年生の女の子は、そういう感じで付き合っては2~3か月で振られて、別の男子と付き合ってた。

そうやって何人かの男の子と付き合って、心が燃え尽きた女の子からサークルを抜けていく。

男の子と付き合ったこともない子が、大学でたった半年で2~3人の男子と付き合い、振られるのは精神的にきつい。

ちなみに1年生の男の子は、早々に彼女を見つけた男子サークルから抜けてくか、2か月ほどで別の子と付き合うサイクルに入る。

要は、このサークルは、男子計画的に何人かの女子シェアするシステムだった。

女子大の1年生を勧誘し、3年生の男子から優先的に手を付ける。

ずっと付き合う気にならなければその子を2年生→1年生と払い下げるシステム

どこかで男子が気に入って長く付き合う彼女にしたいと思ったらそうなる仕組み。

でも上位の男子から下位の男子に払い下げる際、女子のいろいろなことを話して、

下位の男子がどの女子に行くかドラフトみたいに調整してたらしいので、

まあ、普通感覚を持った男子なら、長く付き合う彼女にしたいとは思わない。

だって、話される内容はほとんど身体の特徴とか寝たときの反応とかだったらしいから。

そんなのを知られてる人を真面目な彼女にする男性は少ない…らしい。

男子のその辺の感覚っていまいち理解しがたいところもあるけど。

私は、3人目に付き合った男子と気が合って、長く付き合うことになったのでそのサークルに居残った。

世渡り上手くて高校まで運動部で、サークルの中でも顔の効く、いわゆるアルファメールですな。

なんだかんだで有名大学の男子と付き合うのは自慢だったし「上に行った」感がある。

その彼氏も1年生のつまみ食いとかしてて、牽制たかったってのもある。

結局その彼氏卒業までに20人近くの子関係があったはず。

私はそれまでの3人だけだったけど。

あ、ウソウソ彼氏浮気の仕返しに一年生をつまみ食いたことはある。3人ほど。

在学中に例の早稲田事件が起きて、彼氏とかは「早稲田のあの連中は合意なしでやるからダメなんだ」

って言ってたけど、本質的には変わらないじゃんって思いながら話を聞いてた。

実際、うちの大学の中では、うちのサークルは「やや危ないところ」って評判あったし。

結局そのサークルは4年生で引退して、就職して、大学時代のことはなかったように真面目に過ごし、仕事一筋。

うまく乗って、周りはエリートちゃんばかりの大企業総合職やってます

それで職場結婚しました。東大卒。クッソ真面目でいい感じの出世系。

と思って会社の同僚の東大卒に聞いたら、こっそり教えてくれました。

あいつが学生時代いたサークルって、ヤリサーなんだよ。

東大にもヤリサーってあったのか。まあいいけど。

2017-11-21

生ハム食べ放題に行ってきた

生ハムが好きだ。生ハム原木の購入を考えるぐらい生ハムが好き。

そしてこの前長年の夢である生ハム食べ放題に行ってきた。

食い過ぎて気持ち悪くなった。

食べ始める前は皿に用意された生ハムをみて

こんな少ししか用意しないで、けち臭いことしないであるだけ全部だせ!俺が全部食っちまうからよ!

強気だった。無限に食べられると思っていた。

しかし、カルディコーヒーなどで売ってる生ハムひとパック分の量を食べたあたりから異変を感じ始めた。

そろそろ、もういいかな?

という感じである

しかし、プライドが許さないし、現実を受け入れられない自分がいた。

これだけの料金を払って(1800円)、カルディコーヒー生ハムひとパック(350円)で満足しそうな自分がいるという現実

それだけは許されない。せめて5回分はいきたい。

しかし、結果として3回分でギブアップ気持ち悪くなってほかの料理に逃げた。

しばらくは生ハムも見たくないという気持ち

ただその一方であの時は調子イマイチだった、次はもっとイケる

という謎の自信に満ち溢れている。

こうやって俺はブクブク太ったのだ

エナジードリンクを飲む子どもたちに起きている「異変

https://news.yahoo.co.jp/feature/815

近年、若者を中心に人気が広がる「エナジードリンク」。

10の子どもが自動販売機コンビニで買える清涼飲料水だが、

よく飲んでいる子どもたちの心身の異変懸念する声が教育現場から上がっている

エロよりもこっちのほうが深刻じゃね?

2017-11-20

大学4年生が経験した恋愛の記録

私には3年半付き合った彼氏がいました。

大学生になってから付き合い始めた初彼氏社会人

アラサーで、多忙職種の人で、仕事が大好きで、多趣味で、友達仕事人間との関係構築も良好で、兄弟実家との関係問題なし。

何より私が勉強したいことや興味のあることを応援してくれる、まさかこれまで彼女がいなかったとは到底考えられないほど素晴らしい人でした。

私はこの人と結婚するつもりでいました。

一人暮らしが長いため生活力があったこと、自分能力を以って稼ぎ続ける人だったこと、友人や家族上司・部下といった人間関係の構築に一切の難がなく人望が厚いこと、貯金ができること、何より私を心から気遣って大切にしてくれる人だったことです。

結婚相手にはこの上なく素晴らしい、最高のひとです。

そんな彼と私にはある共通認識がありました。

自分みたいな非モテなんかが、ここまで異性に気に入ってもらえることなんて今後ありえない」です。

彼はアラサーになるまで仕事一筋、恋愛にも興味がないため、モテの何たるかを一切心得ていません。

デートでも鼻毛は伸び放題、身体微妙にあっていないサイズの服。

でも私にとってそれは、好きな人と一緒に過ごす上では瑣末なことなので、鼻毛カッター買いなよと言ったくらいで別に気にしませんでした。

彼の誠実で実直な人間性を好きになったからです。

それゆえに彼は、彼のままでありつづけながらも離れない私を見て、前述した共通認識を持つようになりました。


一方私は、高校大学時代全然モテませんでした。

もっと言うと、女性として扱われることが少なかったです。

彼氏がいると公言していたり、飲み会では自らを犠牲に笑いをとって盛り上がる側になる他、見た目にもそれほど気をつかわずに生きてきた期間も長いものでした。

またそもそもの人相があんまり良くない上にそれをカバーすることも特にしませんでした。

そんな自分でも彼は私を好きでいてくれたからです。

それゆえに私は「自分なんかにはもう異性に言い寄られることなんかないし、それでいい」と思うようになりました。

まり、「もう今後誰にも言い寄られる可能性がない者同士」という利害関係の一致が、学生社会人カップルを長く続かせる要因になりました。

しかし、もうすぐ4年目にさしかかるところでこの関係は終わりを告げました。

原因は私の浮気です。


きっかけは某SNS

オフ会出会ってから仲良くなった男性がいました。

いい友達になれるかも!と思い、2回目に会って食事をしたときお酒の勢いで家に連れ込まれました。

なぜ断らずに家に入ったか

彼氏多忙でなかなか会えない寂しさをまぎらわせるため

・正直、男性に求められることが嬉しかった

彼氏以外の男を知る経験をしてみたかった

から、です。

寂しさを紛らわせるための浮気、よくありますね。

そこに、自分が信じ込んでいた「自分にはもう異性に好かれる可能性がない」という思い込みを壊してくれる期待が重なります

それに、男性経験が一人の人生でいいのだろうか…?という考えもよぎります

その上お酒の力で気分がいいので尚更判断力は鈍り、結果男の家にほいほいと入って行きました。

こうして私は初めて、彼氏以外の男と唇を重ね、セックスをしてしまいました。

その男は私とそれほど年が変わりませんが、かなりの高学歴かつ稼ぎも相当良く、身長が高く、運動部にいたためガタイもよく、見た目や服装に気をつかえて、人の話を膨らませて聞き役に回ることが非常にうまく、連れて行くと女性が喜ぶお店をたくさん知っていて、またセックスもとても上手でした。

彼氏が持っていないものをたくさん、たくさん持っていました。

ことを終えた後、酔いも覚めてきて、罪悪感に支配されました。

しかし男が持つハイスペックぶりと彼氏スペックを比べたり、「私を好きでいてくれる男がいる喜び」に味をしめるようになったり、これまで経験たことがない性的快感にハマったこともあり、オフ会で知り合った男に入れ込むようになりました。

何度も何度も逢瀬を重ねるようになりました。

何日か経って、彼氏に会った時、自分の中に異変が起きていました。

デートなのにあまりにモサっとした見た目… 行く飲食店も変わり映えのしないところばかり… セックスもあの男の方が全然気持ちいいじゃん… といったこれまで気に留めなかったことばかりが目につくようになりました。

私は彼氏以外の男と交わることで、初めて比較対象というものを得ました。

これによって私は、これまで良しとしていた彼を「無理!!」と感じました。

何より「もう今後誰にも言い寄られる可能性がない者同士」という利害関係崩壊たことが決め手でした。

こうしてもう彼氏として見ることができなくなり、気持ちが離れていきました。

3年半も付き合ってきたのに、あっけない終わりでした。

長かった彼氏との関係を解消し、オフ会で知り合った男にいよいよ本気になった私は徐々に、自分所詮セフレ以上の存在にはなれないことを悟ります

私以外にも同じように、オフ会で知り合ってセフレにしている女が何人もいたことを男本人から伝えられました。

私を好きになってくれたのではなく、ただの暇を繕う玩具として扱っていただけのことに気づきました。

まり経験が浅い私は、こんな人本当にいるんだ…というショックを受けました。

今まで彼氏は私一人を大事に扱ってくれたので、それと同じように、オフ会で知り合った男も私を大事にしてくれるのだと思い込んでいたのです。

私はやっと、彼氏がどれだけ愛情を注いでくれたか気づきました。

自分勝手な都合で、彼氏気持ち裏切りました。

男は私がだんだん本気になり始めたとわかると、連絡を無視するようになりました。

嫌われたんだというショックよりも、自分はもう用済みなんだという屈辱的な扱いに愕然しました。

何より「気持ちが離れたから捨てた」というこの男の行動は、私が彼氏にしたことと同じです。

因果応報、彼をいかに傷つけたかに気付きました。

なんとか彼女に昇格しようとして気を引くのも、気に入られようと努力するのも、全てが虚しく感じました。

こんなことをしても私は結局幸せじゃない。

結果として私は多くを失い、今フリーとして生きています

しかし、その最低と言わんばかりの男からは、いくつかの素晴らしい贈り物をもらいました。

・恋をしたので見た目に気をつかうようになった(事実母親女友達インターン先の女性社員から見た目を褒められることがグッと増えました。美容室で髪の毛を整えたり、自分に合うメイク研究したり、ジムに通い始めたのも、オフ会で知り合った男がきっかけです。)

・「私を気に入ってくれる異性なんかいない、私にはもう次がない」などという後ろ向きな思い込みを捨てさせ、未来希望を持たせたこと(穴扱いとはいえ、頭脳や見た目はハイスペックの選別するレベルにかなったようなので、私はちゃんとすればまだまだイケるんだ!と思うようになりました。これがたとえ盲信だったとしても、後ろ向きなまま生きるよりはきっと健康的です。)

・人はスペックではなく、人間性を何よりも重要視すること。スペックだけに目がくらんで作った人間関係では幸せになれない。

自分もまた、見た目やスペックに加え、最後人間性によって選ばれているということ。

・人から好かれるためには、まず自信を持つこと。その自信を持つために、自分がやるべき仕事をきちんとこなし、よりよい仕事をするための勉強を欠かさず行い、時間厳守挨拶気遣いといった人として当たり前のことを当たり前のようにやる。そうして昨日の自分より頭のいい自分になる努力を重ねていくこと。

フリーになって自分を見つめ直したとき、気づいたのはこれでした。

自分を無理やり切り替えて前向きに生きなおすための思い込みですが、「あの男との出会い自分を次のステージに進めるための必然出会いだったのだ。私はもう二度と同じような過ちをしない。これ以上不必要に人を傷つけずにうまくやっていくための気づきを与えてくれたのだ」と思うことにしました。

そう思いながら、学生の本分である勉強を、心を入れ替えて始めました。

そしてもうしばらく、恋愛はいらないなぁと思いました。

こうして大学生活、終わると思います。読んでくださってありがとうございました。

2017-11-13

なんか急に頭がキレキレになって怖い

私は35の主婦で、平均よりやや下くらいのIQで、平均的に老いていると思う。学生時代はド文系数学理科はとことん苦手で、一応最後までネバって勉強はしたがダメ私大に逃げたレベル

最近時間ができたのでパートタイムで塾の先生をすることになった。それで、なんとなく数学の青チャートを見ているときに、異変が起こった。なぜかはわからないが、私にはそこに載っている問題新聞に載っているクロスワードパズル常識で解けるやつ)のようにおもえた。数学はとてもじゃないが各種定理、定石、その他モロもろなんてあやふやでちっとも頭に入ってなかったくせに、なぜか私はそういったものをすでに完璧に知っていて、本当に惰性でクロスワードパズルをとくように、簡単問題を解き導くことができた。たまたま易しい問題だったのかと思い、他にも十文くらい、章末問題を中心に見てみたが、やはり簡単に解けた。おかしい。青チャートなんて手が出なかったはずだ。たまたま易しい問題ばかり選んだか、青チャート編集されてレベルが下がったのか?そう思い、私は塾の本棚から東大赤本を取り出し見てみた。さすがに青チャートのようにはいかず、やはりなと思いながら、問題からどういったことが起こっているのかを、こうなっているのか、と確認していくと(確認できていること自体前の私ではありえないことだった)いつの間にか私は時間も忘れて没頭していて、本当に信じられないのだが、運良く解答を導くことができた。

それからいろいろ自分実験してみて、なぜか数学能力が桁違いにアップしていることに気づいた。高校数学程度はなぜか生まれる前から知っているような気がするし、大学数学解説を聴けば理解できる。明らかな異変だ。

夫の趣味に影響されて模型趣味をはじめたとき空間を捕える作業からきし苦手だったのに、何故かすごく得意になったなあとは思っていたが、何か夢でも見ているようで怖い。怖くなって脳腫瘍でもできていないか心配になって診断予約を入れた。18歳当時から今まで頭を打ったことはない。転機といえば出産くらいだ。大げさすぎるのかもしれないが、本当に怯えている

2017-11-10

誰も私のことを気にかけてくれない、というつらさ

一年間頑張ってきたサークル活動が、自分にとって失敗に終わろうとしている。

去年、先輩方の事情で、サークル幹部半年前倒しで私たち一年生に替わった。

いきなりのことだったので、慣れない私たち右往左往しながら、実際のところは何もすることができなかった。

そして、しばらくすると新代表のやる気のなさ、不適任さが浮き彫りになった。

このままではバラバラになってしまう。

私はこのサークルが好きだったので、代表から権限の多くを引き継いで、頑張った。

低空飛行ながら、なんとかサークルは持ち直した。

新年度になり、私たちは二年になった。

勧誘を頑張ったおかげか、新入生がたくさん入った。嬉しかった。

新入生は優秀な人が多かった。

私もやる気が出て、頑張った。いろいろなものを一緒に作った。(私のサークルものを作るサークル)

活動は去年より充実していた。

新入生も二年生も楽しそうに見えた。

私もとても楽しかった。

異変が起きたのは夏休み入ってすぐの、合宿の時だった。

合宿初日夕方、二年生の女子の部屋に呼ばれた。彼女達は明らかに怒っていた。何があったのか聞くと、合宿企画係の女の子と、副代表(名ばかり)が、夕方にとんでもない大喧嘩をしたらしい、ということだった。

話を聞くと、合宿の内容について、副代表がいろいろと文句を言い、それで口論になったということだった。話を聞いて、自分には副代表の方に非があるように思った。

しかし、何より不思議だったのは、その喧嘩した2人が、サークル内でとても仲が良く、ムードメーカー的な存在だということだった。とても喧嘩するようには見えなかったので、私は驚いたのを覚えている。

その後、合宿は(表面上は)無事に終わった。

喧嘩真相は、夏休みが明けてから判明した。

私は(そして部員の大半も)知らなかったのだが、二人は付き合っていたのだ。そして、合宿の一月ほど前に別れていたのだった。要するに痴話喧嘩である

そして、その喧嘩きっかけに、サークル下り坂になっていく。

夏休みが明けて以降、それまで熱心に参加してくれていた二年生の女子たちが、あまり来なくなった。

二年男子は人数も少ないし、元々あまり参加していなかったので、結局、まともにサークル活動している二年生は私を含めて数人になってしまった。

二年生の仕事は膨大である

それを少人数でこなすのは容易なことではなかった。今まで他の人に任せていた仕事も私がやることが多くなった。

それでも、なんとか忙しい中で頑張れたのは、私がまだこのサークルが好きだったかである

しかし、やはり疲れるものは疲れるのだ。

特にイベントの前になると、夜遅くまで残らないといけないことが多く、つらかった。授業中に寝てしまうこともあった。体力的にはギリギリ状態だったと思う。

そしてある日、疲れ果てて夜遅くに家に帰ってきて、考え事をしていると、ある事実に気がついて愕然とした。

それは、もうサークルの誰も私のことを気にかけてくれないということだった。

二年生は、あの事件以来、サークル活動距離を置こうとしている人が多い。少なくとも以前の熱心さはなくなってしまった。私は事情を知ってるから、それを非難することはできない。

一年生は、私たち二年生がどれだけ大変な仕事をしているかまだ知らない。

私の周りにはもう、愚痴を言える人も、一緒に大変だと言い合える人もいなかった。

私を気にかけてくれる人はいなかった。私にはサークル活動がつらいものになっていた。

イベントは無事に終わった。皆、表面上は楽しそうだったが、心中はどうだったのだろう。私はとにかく疲れていた。

そしてイベント後、幹部交代の話が出た。

本当はあと半年残っているのだが、早めに交代したほうがいいとの意見が二年生の間で出たのだった。

色々と協議した結果、残りの半年は引き継ぎの期間とすることになった。

私たちサークルは、一年生の話し合いで幹部を決め、上級生はタッチしないのがルールである

二年生で残りたい人は新幹部と共同して働き、辞めたい人はすぐに交代する。そのように決まった。

私は残るつもりだった。まだ、サークルのために頑張らなければならないという気持ちが残っていた。誰も私のことを見ていなくても、サークルのことについて教えていかないといけないだろうという責任感があった。その時までは。

しか最近、またある噂が聞こえてきた、一年生の新幹部の間で、色々と問題が起こっているということだった。

あの人とあの人の仲が悪いとか、誰にでも愛想を振りまくあの人が危なっかしいとか、あの人とあの人が付き合って、あの人が嫉妬しているとか、そういう話である

その話を聞いて、私の気持ちは完全に切れてしまった。

結局同じか、と思った。

このままいけば、またゴタゴタで消耗し、私たちの代と同じようにみんな消えていくに違いない。

正直、もう関わりたくないと思った。

あと半年猶予があるが、私もその猶予を待たずに消えるだろうと思う。

残った人は困るかもしれないが、もう頑張る気力も、責任感も無くなってしまった。

ここで頑張っても、誰も私のことを見ていないだろう。私の頑張りを評価してくれる人はいないだろう。

そもそも代表ですらない、さらにいえば副代表でもない、ほぼヒラの私が、何故あんなに頑張らないといけなかったのか。そして、何故、誰も私のことを気にかけてくれなかったのか。

何がいけなかったのだろうと思う。

何がいけなかったのだろう。

私の一年間の頑張りは、一体なんだったのだろう。

誰か教えてください。

2017-10-25

父親背中にチャックがある

僕の父親背中にもチャックがある。そのチャックは薄汚れたような真鍮のような質感で、ご丁寧にYKKって書いてある。

僕が中学2年生の時に来ていたカーキ色のジャンパーのものが一番似ている。それにもYKKって書いてあった。

異変に気付いたのはある朝の日だった。夜起きた時に飲むために入れておいた水の上に小さな埃のようなものがたくさん浮いていた。

それは紛れもなく、夜の間に何者かが入れたものだと確信した。僕は誰にも悟られぬよう平静を装ってその水を捨てにいった。

幸いその時間はまだ誰も起きておらず、僕は薄ら笑いさえ浮かべながら1階の台所へと向かった。そのような液体を捨てることは僕にとっては造作もないことだった。

ただ一つ、当時の僕にとって予想外だったのは、2階に戻った時父親が起きてきたことだ。お、はやいな。彼はそう言った。

僕はうん、とだけかすかに頷いて自室に戻った。その日から毎日僕は、水を入れては毎朝確認するようになった。

まり浮いてない日もあれば、結構浮いてる日もあった。僕は誰がそれをやっているか、正体を見つけ出すまで負けないと心に誓った。

そいつはなかなか正体を表さなかった。だから僕は毎晩夜は寝たふりをして過ごすようになった。

正体を見つけ出すまでは諦められない。けれども奴らはなかなか姿を現さなかった。誰もいないのに朝になれば埃のような何かが浮いている。

僕は気が狂いそうだった。何者かが、僕の部屋に、姿も表すことなくやってきて、僕の飲むとわかっている水に何かを浮かべていく。

電気をつけておくわけにはいかない。電気をつけていると奴らはやってこないからだ。

僕は毎朝、平静を装ってその水を捨てる。それがルーティーンになった。そいつらのせいで僕は昼間も眠くて仕方がなかったが、

負けるわけにはいかないのでそれでも学校はいっていた。成績は元来よかった方のはずだったが、その頃からか成績も落ちていった。

知ってる。それも奴らの仕業であると気づくのに時間はかからなかった。とうとう奴らは、夜の時間だけでなく昼間も活動するようになったのだ。

お昼ご飯を食べてたときお茶のコップにそれは点々と浮いていた。後日僕は友達にあやまった。そいつが浮かべていると思ったが、どうやらそいつが正体じゃなかったらしい。

せっかく持ってきてくれたお茶に口をつけずごめん、と言ったとき彼がかすかに目を見開いたのを覚えている。多分彼は奴らの正体に気づいていたんだろう。

その頃までには、僕もその尻尾を掴み始めていた。僕もバカじゃyないので、何もただ寝たふりをしていたわけではない。

父親が夜の間にトイレに行くのは、奴らと交信しているからだった。夜の間にトイレに行って、奴らと交信し、僕の水にほこりに見せかけた次元紐を浮かべていた。

僕が飲んでないとも知らず、奴らは毎日無駄な苦労を用心深く重ねていったが、あるとき突然正体を表した。

父親を使って僕を病院に連れて行こうとした。その日、僕は父親が完全にあっち側の奴らになっていると悟り泣いた。

別の日、父親はまた僕を病院に連れて行こうとした。その頃までには僕は色々調べていたので、病院先生なら父親の正体を見抜けるだろうと思って、

作戦に乗るつもりでおとなしく付いていった。思った通り、先生は正体を見抜いた。もう家には戻らないほうがいいと言われて、

僕はその日からしばらく病院で過ごした。父親のことは諦めろと言われた。

病院では、それが浮かべられないようにと、先生は僕にパックに詰まった水をくれた。そのおかげで、僕は飲んだらキャップを閉めておけばいいようになった。

でもそれでも僕もやはり気になるので、時々は水を床に広げて奴らがこないか見張っていた。リノリウムの床が鈍く光を反射していた光景を僕は今でも鮮明に覚えている。美しかった。

それからしばらくして、先生父親が帰ってきたといったので僕は家に戻ることになった。確かに父親は元に戻っていた。

それで、先生が言うには父親じゃなくて僕が一時的にどうかしていたと言った。もちろんそのままそういったわけじゃない。遠回しに言っていたけれど、何を言いたいかは僕にはすぐわかった。

言い返そうかと思ったけど、ことが面倒になっても困るので僕はただ頷き、そうですか、と頷いていた。

父親おかしくなったらまたきなさいと言われたが、先生があっち側の奴らになっていることは明白だったので、うやむやに返事をしてごまかした。

今日まで僕はおとなしく過ごしてきた。何も変わったことはなかった。けれども最近気になることがあった。僕の父親背中にもチャックがある。

いつも服で覆ってうまく隠しているつもりかもしれないが、僕の目には明白だ。ただ、それを知っていることを悟られていは行けないから、どうしようか迷っている。

ニュースにどじったやつが出ていた。方法は正しかったのに、気づかれてはおしまいだ。

僕は気づかれない方法を知っているので、僕は正しくやってやろうと思う。これでその決意ができた。

2017-10-21

anond:20171018031309

追記を読みました。

当方男性同僚からモラルハラスメントを受けた経験がある女性です。

自分場合は加害側の異動(肩書きだけの昇進付)という形で解決しました。

彼の態度が目に余るがだいじょうぶか、と男性上司から声をかけられ軽く愚痴った程度です。

結果、放置しては全体の指揮に関わるということで上記の措置となりました。

他のメンバーにもヒアリングしたら苦情が出ていたそうです。

女性比率は半数くらいのため条件は異なりますが、そういう事例もあります

再発防止策とおっしゃいますが、B氏に事情を聞くなどのはたらきかけはあったのでしょうか。

また、メンター役の交代は検討されたのでしょうか。

(いずれも文中から読み取れなかったため「無い」前提で話を進めます的外れでしたら申し訳ありません)

両者個別に話を聞いてフィードバックする、A氏の相談後も定期的にフォローアップするといったことで、

不測の事態に至る前に彼女異変に気付けた可能性は高いと思います

一方的我慢を強いられる環境に対して所属意識を保つのは困難です。

「加害側の処分は難しい」という意識では同じ結果を招きかねないと危惧します。

ほかのマネージャー上司も同じ認識なのだとしたら、組織としての問題です。

チームのモチベーションに関わる適当研修を見繕えば

再発防止策としての体裁は整えられるかもしれません。

ちなみに、自分の事案の時は私自身が部下に悪影響が与えていたと注意を受けました。

件の上司には、その点も含めて感謝しています

大学生の皆さん!安倍晋三です

俺達は三回目のデートディズニーランドに行く事になった。

ちなみにディズニーランドに閉園までいると彼女の住んでいる地域田舎のため終電を逃すのでその日は俺の自宅に泊まる事になった。

親父は仕事でいないが母親と弟は家にいるかちょっと恥ずかしかった。

最寄り駅に着きチャリ2ケツして俺の家へ行った。

家に着いた時刻は0時を超えていた(ディズニーランドを22時に出たため)

とりあえず疲れてるのでお互い布団でゴロゴロした。

彼女携帯ブログ更新するため1日の記事を書き込んでいたり俺の中学の頃の卒業アルバム浦安鉄筋家族というマンガを見てゲラゲラ笑ってた。

俺は携帯プロ野球試合結果を見たりして休んでた。

しばらくして彼女にを先に風呂へ入れその後俺が風呂を入った。

お互い真夏だし汗をかいていたのでサッパリした。そして疲労から睡魔も襲ってきた。

お菓子を食べながらしばらくは話してたが結局寝る事になった。人生で初めて女性と寝る事に俺は興奮していた。

彼女は「寝顔見られたくないから見ないでよー!」と言ってきた。

俺はわざと寝顔を見ようとし彼女は照れながら抵抗した。

結局しばらく寝ないでじゃれあってた。

しばらくして彼女が手を握ってきた。

童貞である俺は「キスしていい?」とさりげなく聞いた。 次の瞬間彼女は俺にキスをしてきた。

ちなみに初デートの時にキスをしてるからこれはファーストキスではない。でもやはりドキドキはした。

しばらくして俺は異変に気づいた。なんと彼女は舌をいれてきたのだ!

「舌入ってるよ(笑)」俺は頭が真っ白になりこう言った。

彼女は「やだ?」と聞いてきた。とんでもない!!!と思い今度は俺から再びキスをした。勿論自ら舌を入れた。俺は17歳にして人生初のディープキスをした。

お互い夢中で抱き合いながら舌を絡ませてた。

キスだけで30分以上してた。勿論だが所々で無言の休憩を挟みつつね。

抱き合ってたため彼女巨乳オッパイは俺に何度も当たる。

もうこの際言ってやった。「胸が当たってるよ(笑)つうか大きいし(笑)」と。

彼女は「別にいいよ、てか触る?」と言ってきた。

俺は彼女の背後に周りブラジャーの上からオッパイを揉んだ。 この時はフルボッキでチンコが爆発しそうだった、そうシコらなくても射精しそうなくらい。

途中で勝手ブラジャーを取り生でオッパイを触った。乳首もつまみまくった。

そしてついに彼女は喘ぎ声を出し始めたのだ!!!

俺は背後から前に移動してついに彼女オッパイを初めて生で見た。

乳首が薄ピンクではない事にやや萎えたが彼女の喘ぎ声に完全にやられて俺は半分壊れていた。

もうどうにでもなれと吹っ切れて乳首を吸ったり噛んだりもした。彼女の喘ぎ声はさらに大きくなった。

俺はついに彼女ズボン(スウェット)を脱がしてしまった。

パンツの上から股間を触るとあり得ないくらいビショビショに濡れていて驚いた。

この時まであまり信じてはいなかったが女は興奮するとマンコが濡れるのだと改めて知った。

しばらくずっとディープキスをしながらオッパイを揉んだり乳首をつまんだりパンツの上からマンコを触ってた。

もういいだろうと思いパンツを脱がした。彼女も抵抗は全くなかった。

初めて同い年の女のマンコを見て驚いた。幼い顔をしてるがAVで見るのと変わらず普通にマン毛がボーボーに生えてるという事実に。

俺はついにマンコに指を入れる決意をして人差し指をいれてみた。

「温かい・・・・むしろ熱い」真っ先にこう思ったわ。グチャグチャしてて指にキュッと吸い付いてくる、そして温かい

これがマンコなのか・・・と感動した。

その後は指マンをしばらく続けた。

エロ知識を生かして傷つけないようにとなるべく優しく長時間やった。

マンコを舐めてみたくなり初のクンニもやってみたたが口にマン毛が入ったり、しょっぱかったり、

夏だけあって匂いがキツく(尿と汗が混じり発酵したような匂い)萎えたのでほとんど指マンをメインに切り替えた。

俺も相当股間が熱くなった。

彼女に再び密着して熱くなった股間を彼女の尻の割れ目グリグリ擦り付け

彼女に「俺のも舐めてよ」と思わずこう言った。ぶっちゃけかなり恥ずかしい。

彼女笑顔で「いいよ?」と言われ俺はズボンパンツを脱がされた。初めて女性勃起してるチンコを見られたため正直死ぬほど恥ずかしかった。

彼女最初舌を使いチンコの先端を舐めてた。次第にチンコ全体を口にくわえ始めた。

思った以上に口の中も温かく唾液がローションのように気持ち良くフェラに感動した。

想像より何倍も気持ち良い。フェラの「にゅるっ!」て感覚気持ち良すぎて鳥肌がたった(笑)

もう今夜童貞を捨てるしかないと思い俺は彼女を押し倒して生のままチンコマンコにいれた。

彼女は「中には出さないでね(ニッコリ」と言っていた。

俺は念願の初セックスを楽しもうと正常位とバックを何度も吟味した。

ちなみにバックだとケツが覆い被さり穴が見えにくくマンコとアナル位置を間違えそうになってしま彼女から熱い指摘を受けた。

バックだと途中でチンコが抜けたり童貞の俺には難しいため正常位で彼女と抱き着きあいがらキスをしてずっと腰を振ってた。

彼女の喘ぎ声とマンコのグチャグチャ感と温かさ、チンコに吸い付く感覚がとにかく気持ちよくついにムズムズ感が我慢出来なくなり彼女の腹に射精した。

勢いのあまりに精液は若干彼女の顎にまで届いていた(笑)

ティッシュで精液を拭き取り裸のまま抱き合い再びキスをした。

俺が「生だといつ出るか分からいからなんかプレッシャーがかかる、ゴムがあればな?」と言った。

それから話し合い俺達は二回戦に向けて近所のコンビニコンドームを買いに行く事になった。

パッケージが黒くて馬の写真が入ってる三個入りのを買った。

そのまま部屋に戻り二回戦を始めた。二回戦が終わった頃には4時を過ぎていたwwwww

母親も弟もまだ寝てるためこっそりと一階へ行き二人で風呂に入ってイチャイチャした。

一晩にして女の身体を物凄くしった一日だった。

2017-09-10

25歳が初恋を経て無限ループに陥った

25歳非処女彼氏いない歴年齢。

初体験友達と済ませた。

いい年していつまでも処女というのが面倒になったというのが本音だった。

そいつは男友達の中でも一番気が合い、性格的にも相性がいいやつだった。

そいつとの初めてのセックスは中高運動部だった私でもヘトヘトになるようなものだった。

今にして思えばそうでもないんだけど、部活で使わないような筋肉を使ったのがいけなかった。

それから私の中で、セックススポーツという認識になった。それと一緒に、趣味という認識にもなった。

から友達は多かった。

2人で飲んでるうちにそういう流れになることがほとんどだった。

それでいて特定彼氏を作る気にはなれなかった。

だって面倒だし。今まで人を好きになったことがなかったし。情はあるけど、愛情という感情は無かった。

ビッチと言われても仕方ないし、今となっては反省している。

やった男から金を巻き上げよう、みたいなことを考えなかっただけ我ながらマシだと思う。

経験人数が10人上回ったくらいからか。

「結局最初の男が1番マシだな」という結論に至った。

他の男はみんな独善的自分本位セックスを繰り返そうとした。アホは1回やっただけで彼女だと思い込む。お前は部活で対戦した相手全員がライバルなのか。いや、私の感覚が異常なのは知ってるけど。

1年後。私の身体異変が起きた。

来るはずの生理が来ない。いつだ。最初ゴムがなくてそのままヤったその日か。

それとも1週間前のあの日か。

悩んでも結果が出ないと思った私は、家の裏にあるドラッグストア検査薬を買うことにした。

結果は陽性だった。

間違いなくあいつとの子だ。

なんとも言えなかった。

けど、悩むこともそんなになかった。

産むのか?って自問した時「いや産むやろ」って自答した自分がいたのにびっくりした。

その日の夜。やつをよく行く飯屋に呼び出した。

店の前で待っていると、仕事帰りらしいやつが鼻歌を歌いながらやってきた。というかお前トリセツて。来る前に寄った本屋の有線で流れてたらしい。つくづく間のいいやつだ。

席について、開口一番にこう言った。

「ヨネ(仮名)。子供が出来た。私は産みたい」

「……マジ?えっと、増田(私)が産むなら俺も産む」

ヨネは焦ってた。お前は産まないだろって突っ込んだ。ヨネと私は笑いあった。

から、ヨネが出産に賛成したことに気づいて嬉しかった。

増田は俺でいいの?」

チキン南蛮を食べる私にヨネは聞いた。

何が?って私は返した。

「その子産むってことは俺が増田旦那になるってことでしょ。それで増田はいいの?」

そうだ。そういえばそうだ。

私の母もシングルマザーで私を育ててくれた。

1人でもなんとかなる前例を私は知っていた。

子供でいっぱいになって、ヨネと結婚するってことが完全に頭から抜けていた。

「ヨネがいいなら私はいいよ。子供のためだよ」

その時の私はまだヨネのことを子供を一緒に育てる相方くらいにしか考えてなかった。

実際夫婦ってそうなんだろうし。

気づいたら私の中での認識が「私が授かった子」から「私とヨネの間の子」になっていた。

子供はもちろん愛おしかったし、それと一緒にヨネも大切なパートナーとして思えるようになっていた。

最初はヨネのことを好きになるなんて思わなかったし、そもそもその感情を恋と呼ぶことを私は知らなかった。

私はヨネが好きだ。

そのヨネとの子供も好きだ。

の子供を与えてくれたヨネも好きだ。

こんな感じに私は無限ループに陥ってしまった。

そんな今が本当に幸せだし、今ではヨネでよかったなって心の底から思っている。

私は自分感情に自信が無い。

かつての私はヨネのことを気の合う友達しか思っていなかった。

今後も出産が近づくにつれて私の精神にどんな変化があるかわからない。

その日が来た時のために今の自分感情を書き残しておこうと思う。

2017-08-26

ウンコを漏らした

ウンコを漏らした。



よくある

「屁だとおもったら下痢だった」

ってやつだ。



土曜の朝。テレビを見ながらのんびりしていた時屁が出そうだった。

しかしそのとき警戒すべきだった。

昨晩下痢気味だったこと、

ややお腹が張っていたこと。


そして俺は漏らした。

異変に気づいたものの一度出たものは戻らない。

パンツに付着した生暖かいウンコ

俺は急いでトイレに駆け込み残りをひりだしパンツ洗濯機ぶち込みこれを書いている。

俺は独身だ。40も足音が聞こえてきた歳。

一人自宅でウンコを漏らした。

むなしい。


しかし、考えようによっては幸せなのかも知れない。

これが子供がいたらどうなる?

父が突然ウンコを漏らしたのだ。

土曜のさわやかな朝に、ウンコを漏らしたのだ。

父の威厳なぞ雲散霧消

息子や娘から汚物を見るよな目で見られるだろう。

実際に汚物だ。無理もない。

父親とはうっかりウンコを漏らすこともできない。

私は家族を持たない代わりにウンコを漏らしても威厳を失うことがない平穏を手にしている。

私は幸せなのかもしれない。

そう自分を慰めながらこれを書き洗濯が終わるのを待っている。

今、ブザーが鳴った。

2017-08-16

脅し文句現実になった日

4月28日は前職の最終出社日だった。

退職は4末だから、それまで残っている有給を充てて3月後半くらいを最終出社日に設定することだってできただろう。

私は敢えて4月28日に出社した。どうしても見てみたかったものがあったのだ。

それは私の直属の上司が「命をかけてでも守るべき締め切り」を破った時、どう振る舞うのかだ。

私は前年度末に納品するシステムを開発させられていた。

不思議なことに、クライアントの偉い人と上司がしゃべると、私のタスクが1つ増えているのである

「締め切りは命をかけてでも守る。今回の話はクライアントと話して決めたことだから、できないならクライアントに謝ってこい」と言われた。

私は現行の案件が失敗したらクライアントに謝らないといけないのだと即時理解した。

そこからまったくむちゃくちゃな開発案件を進め、数カ月間気が狂うような開発をずっと行った。

その甲斐もあって今年の2月下旬に体に異変が生じ、病院うつ病の診断を受けた。1ヶ月の自宅休養が必要であるとのこと。

3月末納品の物の締め切りを迎えるまでの間、私は自宅で休養していなければならないわけだ。しか作業は私1人にほぼ全部依存しているという。

さて、命をかけてでも守るべき締め切り、破った上司はどのような振る舞いを見せたか

…ともったいぶるほど面白いことは無かった。

4月28日上司オフィスに来ていなかった。どこぞの会社謝罪に回っていたらしい。

部下に強要した謝罪メソッドは、一周まわって自分自身に返ってきてしまったのだ。

まり部下を脅しすぎると、あるタイミングで脅した内容がそのまま自分に返ってくることがある。

少なくとも失うものが何もない人間は、上に書いた捨て身の攻撃をかましてくる。

バカな部下に対しては適当脅迫観念を与えておけばいいと思っておられる上司の皆様、ちゃんとやらないと、部下に言ったことがそのまま自分に返ってきますよ。

2017-08-06

会社ストーカーがいた

もう何年も前に終わった話。

でも、同じことで苦しんでいる人のために書き残しておく。

ストーカー騒動の時に、しっかり対応してくれた会社には感謝している。

から迷惑かけないように、多少フェイクを入れて書く。

個人会社特定するのは無理だろうけど、話の大筋は変わっていない。



会社に勤めていた時、社内にストーカーがいた。

その当時、私は経理系のパート

ストーカーは、他部署派遣だった。


会社は365日営業していた。

部署によっては平日だけのところもあれば、土日祝も営業しているところもあった。

そのため、経理も基本は週7日営業シフト制だった。

ストーカー部署は、繁忙期だけ週7日営業をする。

そして相手部署フリーアドレス採用していた。だから座席毎日自由に変えられた。

そういったこともあって、付け回されているのに気づくのが少し遅れた。


最初は、よく挨拶してくる人だなと思っていた。

経理はたくさんの部署と関わる。

挨拶をする相手も多くて、その時点ではただの丁寧な派遣さんという印象だった。


私が結婚しているという話は、相手も知っていた。

ストーカー本人に、休日は何をしているかと聞かれて「旦那デート」と答えたことがあるから、知らないはずはない。

そして、ストーカー自身も既婚者だった。

これも本人の口から聞いたし、他の人も言っていたから確実な情報だ。


ストーキング気づきはじめたのは、勤めはじめてちょうど1年経った頃。

会社にも慣れて、どの部署が何をしているか、その人がどういう仕事をしているのか。

そういったことが、おおよそ理解できた時期のことだった。


気づいたきっかけは、挨拶を交わす頻度と遭遇回数の多さ。

他の人と比べて、挨拶する回数が多過ぎた。

いくらフリーアドレスと言っても、さすがに変だと思った。

ある日、会って挨拶する回数をカウントしてみたら20回を越えていた。他の人は多くても8回だったから、あきらかにおかしかった。


そして、少しずつ馴れ馴れしくなってきてもいた。

ただ挨拶を交わす相手だったはずが、ある時期から肩を叩いてくるようになった。

軽く叩くだけだったけど、なで方が変というか、どこかねっとりとしていて気持ちが悪かった。

何となくブラ紐の位置確認されている感じがあって、この時点でようやくヤバイ相手だと認識するようになった。


ヤバイと気づいてからストーカー確信するまでは早かった。

いちいち体をさわってくるから、こっちとしても会いたくない。

から相手がいる場所をできるだけ避けるようにしようと思った。

でも、その人はいつも経理席の近くに居座っていた。

経理席は、給料情報の他にも個人情報が山ほど置いてあるから、そこだけパーテーションで区切られていた。

そしてストーカーは、いつもパーテーションの出入り口確認できる場所仕事をしていた。


これは確実に見張られている。

私が経理から出れば、きっとついてくる。


そう思って、その日はお腹が痛いとウソをついて、タイムシート回収の仕事を同僚に頼み、一日外に出ないようにした。

出るのはお昼の時だけ。

ストーカーは、私が一人でいる時しか寄ってこないから、休み時間は同僚と行動を共にした。


異変があったのは、終業時間30分前のこと。

今日はやり過ごせたなと胸をなで下ろし、ちらっと時計を見た時、パーテーションの隙間に黒いものが見えた。

あんなとこに何かあったかな?と見てみたら、それはストーカーの目だった。

私が外に出てこないのに焦れたのか。休みか早退とでも思ったのか。私がいることを確認しにきたらしい。

青いパーテーションの間から見えた目が不気味で、背中鳥肌が立った。


正直なところ、何で私が狙われているのかわからなかった。

経理には、モデルアイドルかという評判のかわいい子がいて。社内の男性は、ほとんどその子狙いだった。

の子が狙われるのなら、きっと誰でも納得するだろう。

けど、30過ぎた既婚者の私が狙われる理由が、この時は全然からなかった。


この日から、しばらく地獄が続いた。

なるべく一人にならないよう。

経理席の外に出ないよう。

用事で出たとしても、基本は駆け足で移動した。

経理は、たくさんの締め日と締め時間があったから、走っていても違和感がない。

でも、ストーカー部署はそこまで忙しくないから、もし走っていたら違和感がある。


相手は走ってまで追いかけてこない。

もし走ってついてきたら、誰かがおかしいと気がついてくれる。

そう信じて、1ヶ月くらい走りながら仕事していた。


自分でも、うまくやり過ごせていたと思う。

でも、精神的な限界が思っていたより早くきた。

毎日毎日、じっと見張られている。

視線を受けているのがこんなに疲れるなんて、思ってもみなかった。

外で同僚と一緒に作業していても、触れるか触れないかという距離を歩いていく。

一緒にトイレに入っていくと、廊下足音が通り過ぎていく。

ストーカー足音は独特で、また来たというのがわかってしまう。

一人でいるところを見つかれば、ものすごい勢いで歩いてくる。

慌てて知り合いに声をかけ、どうにか立ち話に持ち込むと、ゆっくりゆっくり時間をかけて隣を歩いていく。


怖くて、気持ち悪くて。

会社に行くのが嫌になって辞めようかと思い、ついに上司相談した。


はっきり言って相談するのは嫌だった。

30も過ぎたというのに、人間関係のいざこざを処理できないことが恥ずかしかったし、情けなかった。

すごくいい上司だったから、呆れられてしまうんじゃないかと思うと、なかなか言い出せなかったのもある。


でも、上司の反応は想像していたのと真逆だった。

もっと早く言いなさい」と私を叱って、すぐに部署会議をはじめた。

まず仕事の割り振りを変えてくれた。次の日から、私は経理から出なくていいようになった。

いつも誰かが私といるように配慮してくれて、シフトまで変更してくれた。

そして「こういうのは、大ごとにするべき」という方針を立てて、上に掛け合うために経理全体で証拠を集めることになった。


私は「なんとなく見られている」というのは、とても証拠にならないと思っていたけど、上司の考えは違った。

就業中は、経理全員がテキストファイルを起動し、その人の動向を記録していく。そうすれば、必ず異常性が浮き上がってくると言っていた。



次の日から、記録付けがはじまった。


○○:×× 経理席の前を通り過ぎていった。

○○:×× 経理席の前で印刷したファイル確認していた。ちらちらと増田さんの席を見ている。


こんな感じの記録を10人がかりで残していった。

最初、1週間続けるという指示だったけど、2日目で方針が変わった。

十分過ぎるくらい証拠が集まったからだ。

なんとストーカーは、多い時は2分に一回のペースで私の姿を確認しにきていた。


こりゃまずいぞと、上司が私を引き連れて、ストーカー上司とかけ合ってくれた。

10人で残したメモを見た相手上司は、「これは……」と言ったまましばらく黙って、どこかに電話した。

しばらくしてやってきたのは、システム管理部長係長

この人達事情を話して、PC経由でもっと証拠を取れないかと聞いてくれた。

どうやら派遣会社に掛け合うために、動かない証拠が欲しいようだった。


すると、システム管理係長が、試したいソフトがあると言ってきた。

フリーアドレスを利用する人は、ノートPCを使っている。

そして、離席する時はノートPCスリープにするという規則があった。

ストーカーノートPCに、フリーアドレスを利用して、サボっている人がいないか確認するためのソフトを入れたい。

いろいろと難しい説明だったから私には理解できなかったけど、それを入れたら、ストーカーの離席の頻度がわかるという話だった。


ソフトは、その日のうちにインストールされた。

表向きはアンチウイルスソフトテストで、各部署の数人だけランダムに選んだということにして、ストーカーノートPCインストールした。


そこから2週間の間。

ログを残すために、経理席でじっとしていた。

ストーカーがよく覗きにくるパーテーションの隙間は、上司がどこからか持ってきた広報用のポスターで全部潰した。

経理席の席替えをして、入り口から見えないようにもした。

ストーカー上司のはからいもあってお昼時間もずれたし、シフト情報共有もあったから、お互いの出勤日が被らないようになった。



2週間後、システム管理から連絡が来て会議室にいった。

結果は黒。というか真っ黒。

私の休みの日のログだと、1時間のうちに5分も離席していなかった。

ところが私が出勤していると、1時間のうち40分も離席していた。


ストーカー上司は即座に派遣会社担当を呼んで、ストーカーの勤務実態を伝え、月末で切ると通告した。

私に害があってはまずいからと、基本は離席時間の多さからサボりということで呼び出し、もう今月で辞めてくれと言ったらしい。

そうしたらストーカーは「ただの休憩です。最近、友人関係で悩んでいて……。今後は改善するから辞めたくないです」とすがりついてきた。

派遣担当も「必ず改善させる。せめて契約期間まではお願いします」と言ってきた。


それで仕方なく、あくまストーカー上司が気づいたという体で「いつも経理席の近くをうろついているのはなぜだ?」と聞くことにした。

最初は、一向に口を割らなかったけど、じわじわ証拠を出して追い詰めていったら、やっと「増田さんと仲良くなりたかった……」と言い出したらしい。


きっかけはタイムシートを返す時に、少し話したというだけ。

私は、他の人にもするように単に返しただけだったけど、ストーカーにとっては「俺に気があるように笑っていた」ように見えたんだとか。

ストーカー上司が、「お前、嫁さんいるだろう?」と聞くと「会社のことは嫁には関係ない」と。

そして「増田さんならわかってくれる。彼女と話したいから呼んで欲しい。彼女の誤解がとけて仲良くなれば、もう仕事中に離席はしないから、このまま働かせて欲しい」と意味わかんないことを言ったらしい。


それでストーカー上司激怒して「会社仕事する場所であって、不倫をする場所じゃない!」って、その日に派遣切りして終わった。

派遣担当者はもう頭を下げまくって、ストーカー荷物を一緒にまとめて引き取って行ったとか。

いちおう誓約書のようなものも書いてもらったとは聞いたけど、私には見せてはもらえなかった。


ストーカーは社内の付け回しだけで、勤務後は追いかけてきてなかったからこっちの住所バレはしていない。

しばらくは派遣会社内で働かせて監視する。もし、逃げたらこっちにも連絡すると言われて以降、まったく連絡はなく。1年経ってから念のために確認したら、まだそこで働いているということだった。


上司達の対応は、すごく早くて的確だった。

これについては感謝してもしきれない。心からありがたいと思っている。


もし、いまも社内ストーカーに苦しんでいる人がいれば、メモでいいか証拠を残すことと、一人でも多くの味方を作ることを勧めたい。

会社って逃げ場がないから、悩んでいる間に追い詰められていく。

気がついたら、声を上げることが難しくなっていたりするから、早めに動いた方がいいと思う。

勘違いかもしれないから、一緒に確認して欲しい」って言えば、協力してくれる人が出て来る。次から、悩む前にそう言って味方を作れと上司に言われた。

もちろん、頼れる上司ならさっさと相談するのが一番いい。



あれから5年経つけど、ストーカーとは一度も会っていない。

上司達のおかげで、完全に撃退できたと信じている。


ストーカー心理は、いまも謎だ。

同僚がFacebookをやっている人で、ストーカー派遣切りされた日に、なんとなく検索したらアカウント発見し、記事を読んだらしい。

そうしたら、その日の夜に嫁さんと仲良く食事している写真がアップされていた。

私のことをストーカーしている期間も、ずっと嫁と仲良くしている写真がアップされていて、友達からコメントは「相変わらず仲がいいね!」で埋まっていたんだとか。


異常なまでに追いかけてきていた人が、家に帰ると嫁と仲良くしているのが理解できなくて、この話が一番ゾッとした。


たぶん、私とのことは恋愛以外の感情だったのかな。

まさに異常行動だったんだなと、そんな風に思っている。




追記を書きました。

会社ストーカーがいた(追記)

https://anond.hatelabo.jp/20170807191723

2017-08-04

変性性脊髄症(DM)になったコーギーと私の備忘録

うちの犬の様子がおかしくなったのは、3年前の秋、私が高校1年生のときだった。

後ろ脚だけがもつれる。ふらつく。地面に脚を擦って歩く。何か、様子がおかしい。その時点でそれなりに年を取っていたこと(当時12歳)、以前子宮系の病気になって九死に一生を得たこともあって病院先生にもよくそ存在を知られていたこともあり、すぐに動物病院へ連れて行った。

というのも我が家には昔、その子と一緒に飼っていて、小学生の頃に白血病で死んでしまったもう一匹のコーギーがいたのだが、異変に気付いていたのに大丈夫だと高をくくってしまったが為に病院へ行くのが遅れてしまったという過去があったからだった。

最初獣医さんが言ったのは、ヘルニアかもしれない、とのこと。コーギーのような胴長短足犬がヘルニアになりやすいのはよく知られた事実である。実際に、昔読んだ様々なコーギー飼育本のどれもが、ヘルニアという病気について取り上げていた。発症を防ぐために階段上り下りはさせない、だとか、そんなようなことが書かれていたことを覚えている。実際に、レントゲン写真を見せつつ説明もしてくれた。

ただ、それと同時にちらっと言われた、別の病気可能性。現段階では確定できないけれども、もうひとつ「これかもしれない」という病気がある、と、何気なく言われた。後ろ足からどんどん動かなくなっていく病気ヘルニアと違って痛みはないけれども、だからこそ犬自身は気づかず普段通り歩こうとする。今考えると、あれは変性性脊髄症(DM)のことを言っていたのだろう。

とりあえず当面はヘルニアの疑いとして治療を行っていきましょう、という方針になったが、その後の病気の進行は今考えるとまさしくDMのものであった。

まず、自力での散歩ができなくなった。後ろ脚が本格的に動かなくなってきても、犬はそれに気づいていない。だから、後ろ脚を引きずって前脚だけで歩こうとする。ちょうど、お座りの姿勢で移動しているような格好になる。そうなると、お腹のあたりが傷ついてしまうため、介助ベルトを使って後ろ脚を持ち上げて歩かせる必要がある。だけどそれはかなり負担で、かつうちの犬はあまりそのベルトで釣り上げられつつ散歩するのを好んでいなかった。もともと散歩が大好きで走り回るのも大好きな子だったから、なおさらだと思う。

またこのころ、排便がうまくできなくなってきた。後ろ脚でふんばることができないからとのことだった。獣医さん曰く、自力で出せないが為に腸の中に便がたまっており、新しい便に押されるようにして出てくるしかないため、コントロールができなくなっていたらしい。

もともと排泄はすべて散歩ときに済ませトイレシートなどは使わないのが常だったので、仕方がなくおむつを履かせることになった。ここでうっかりしていたのが、犬用おむつコーギー例外的だが、ほとんどの犬にはしっぽがついている。そのためおむつにもしっぽを出す穴が付いているのだが、コーギー場合はそれが仇となった。しっぽがないために、排泄物がその穴から出てきてしまうのだ。結局、赤ちゃん用のおむつの中でもとりわけ大きいサイズのものを着用させる方向に落ち着いた。

また、病気になる前からも誰かが家にいるとき基本的ケージから出してリビングの中を自由に動き回らせていたのだが、病気になり外へ散歩に行けなくなってからほとんどケージを使わなくなっていった。以前のように階段を昇って行ってしま心配もなかったし、そこまで部屋の中を動き回らないだろうと思ってのことだった。だが、そのすぐ後に問題に直面することとなった。

脚を擦って歩くと、おむつが脱げてしまう。これではどんなに今のおむつに優秀なポリマーが入っていても意味がない。そう考えた私たちは、仕方なく犬に服を着せてその服とおむつとをガムテープで結ぶことにした。見栄えも何もないが、仕方がない。

本当はうちの犬は服を着るのが嫌いで、幼いころに着せた時には気づいたら自力で脱いでしまっていたのだが、この時ばかりは何の不満げな様子も見せずにいてくれた。その後タンクトップスタイルの服から介護用の多機能ベストのような服を着せるようになっていったのだが、その時も何もなく受け入れてくれた。人間と同じで、犬も年を取ると丸くなるのかな、なんて考えたりもした。

ともあれ、私たち家族も犬自身も、病気うまいこと付き合いながら、いつも通りの生活を続けていっていた。

そして2年前の初夏、ちょうど私が定期考査を終える頃に、犬が体調を崩して入院した。それと同時に、獣医さんからDMのことを聞かされた。そして、DMにかかっている犬の献体を受け付けている大学がある、ということも聞かされた。現段階ではヘルニアではなくDM可能性が非常に互いが、この病気脊髄病気から生きている間にその検査を行うことはできないため、除外診断的にしかからないこと、また今はまだ治療法どころか詳しいメカニズムさえも明らかにされておらず、病気の進行を見守るしかないということ。だからこそ、もしも亡くなったときには献体に協力してあげてほしい。そう、言われた。

私はその時点から亡骸を献体として提供することをある程度は覚悟していたが、家族の思いはもっと複雑だったらしい。今年の春先にようやく意見が固まったぐらいだったのだ。かくいう私も、それが本当に犬にとっても良いことなのか、最初は迷った。もちろん遠い目で見れば、病気が解明されて多くのDM犬が助けられるようになったほうがいいだろう。

だけど、そんなそろばん勘定ではものごとは片付かない。臓器移植云々で色々な意見が出ているのと同じだ。当人意思を省いた周りの勝手エゴで、犬に嫌な思いをさせてしまわないか? 何度そう考えたか、分からない。

それと同時に、家の中では車いすの話が持ち上がった。自宅から少し離れたところに、犬用の車いすを取り扱っているところがあるらしい。それを聞きつけてほんの少し後の2年前の7月初旬、本当に車いすを作ってもらうことになった。まだ前脚がまったく動かなくなったわけでもないし、車いすを使えば昔のように走り回ることができて犬も喜ぶだろう、という考えだったそうだ。

車いすを使い始めてすぐは慣れておらずたびたび角にぶつけたり私や家族の足を車輪で轢いて行ったりしたこともあったが(笑)、犬は車いすを気に入ってくれたようだった。昔のように散歩ができることを、何よりもうれしそうにしていた。体力が落ち、徐々に前脚にも力が入らなくなってくるまでずっと、その車いすと共に外を歩き回ったことをよく覚えている。

車いすに乗らなくなって少ししてから、悪い癖がついた。目に留まったものを噛んでボロボロにしてしまう癖だった。それまではほとんどそんなことをする子ではなかったが、動けないことへのストレスがたまっていたのだと思う。新聞に始まりプラスチック製のかご、障子、畳まで噛むようになった。少し目を離したすきにやられてしまうのでどうしようもなかった。帰ってきたら新聞バラバラになって床に散乱している、なんてのはしょっちゅうだった。

同じころに、褥瘡が見られるようになった。いわゆる床ずれだ。お腹のあたりを中心に、毛がなくなり、代わりにかさぶたのようなものができていった。とても痛々しく、見ていてもかわいそうだった。せめて早く治るようにと、患部を清潔に保つことを心掛けるしかなかった。

受験勉強で私しか家にいないときは同じ部屋に犬を連れてきて、冷房の効いた部屋にいさせて熱中症を防ぐと共に様子を気にかけつつ勉強する、なんてこともあった。基本的に昼間はずっと寝ているので、そのいびきに少し腹が立ったこともあったが、それもいい思い出だ。

私が高校卒業実家を出たころから、呼吸がおかしくなっていった。この頃には胸ではなくお腹で呼吸をするようになっていて、呼吸自体も荒くなったりすることもよくあった。また、それより前ではあるものの、鳴き声も以前のように太いものではなくて、かすれたような声で鳴くようになっていた。

息を引き取る二日前、お水もご飯も摂らなくなった。大好きなおやつミルクにも興味を示さなくなり、いよいよか、と覚悟した。DM基本的には食欲の低下は見られない。ただし、終末期を除いて。病院で点滴を打ってもらってから少し食べ物を食べたりもしたそうだが、嫌な予感は当たっていた。次の日の昼、呼吸がおかしくなり、そのまま息を引き取った。

学校からそのまま急いで実家へ帰り、亡骸とようやく対面した。寝ているときの様子とまったく変わらない、いつも通りの表情をしていた。そのとき、以前獣医さんが言っていたことを思い出した。DMは、たとえ進行していても犬自身は痛みを感じない。白血病で亡くなってしまったもう一匹のコーギー最期のその瞬間以外はずっと苦しそうだったけれど、この子は苦しまずに逝けた。それだけでもずっと幸せだったのかもしれない、と思った。

翌日の朝にDMコーギー献体を受け入れている大学へと訪れ、病気の経過を伝えるとともに献体として提供した。褥瘡の少ないからだを見た大学動物病院獣医さんに、よく介護されていたんですね、と言われ、自分たちのやってきたことは間違っていなかったんだとようやく一安心した。

そして、ご協力ありがとうございます、と何度も感謝された。大学のほうにはかかりつけの獣医さんに連絡してもらっていたそうなのだが、そのどちらからもすごく感謝されたことをよく覚えている。DMコーギー大学付属動物病院でも何匹か診ているそうなのだが、あまり献体提供することに協力的な飼い主さんはいないらしい。最後最後に、苦しい思いをさせるかもしれない。そんな気持ちは、誰だってあるだろう。

献体提供後、検査をした後にはペット葬儀社で個別火葬してもらい、お骨はこちらに戻ってくるとのことだった。私が実家を出る日の朝、ちょうどお骨が家に届いた。大学を訪れて3日後だったと記憶している。人間葬儀の時のようにしっかりとした骨壺と骨袋に入れられて帰ってきたそれは、他のペットたちの写真と一緒に今も実家に大切に保管されている。

2017-07-29

メンヘラと付き合った結果、警察にお世話になった話

結論から言うと、「あれ?この子少しおかしいな?」と少しでも感じた時点で別れるべきだと思う。 後に残るのは、彼女の構って欲しい時だけ話を聞く人形と化した自分だけだ。

メンヘラちゃん付き合っていて、少しでも異変に気づけて、これで付き合っていけんのかなと感じるのなら、すぐに離れることをオススメします。時間が勿体無いですし、何よりあなた価値が下がります

ということで自分スペック

スペック

22男 学生 一般家庭であると思う

21女 フリーター シングルマザー

フェイクも少し入ってます

携帯で書いたため、おかしくなってるところがあるかも。また、文才ないですが許して。

また、「彼女が重度の境界性人格障害だった」というタイトルブログを書かれている人がいます。かなり参考になります。ぜひメンヘラで悩んでいる方は見てください。

付き合ってる以上、解決策はないのですけども!!

1.馴れ初め

馴れ初めはスマホチャットアプリ。当時自分は、そこにいる女の子に対して適当なことを言って遊ぶクソみたいな生活をしていた。そんな中で見つけたのがその子である自分のおふざけにも全部反応してくれる、こんなにいい「おもちゃはいないと当時は思っていたね。

そんなこんなで会う気もなかったけど会うことに。するとかなり驚いた。今まで写真より可愛い顔をした女の子出会ったことがなかったからだ。それに、かなり自分の好きな顔である

そして、ワンナイトラブからのお付き合いということになった。これが五月のお話

2.交際

交際してすぐ、その子彼氏がいることを知る。というか、それまで知らなかった。成り行きで告白されてとりあえず付き合った相手だということを彼女自分に話してくれた。毎日くるらしいメールに対して、「なんやこいつ、女々しい奴だな」なんて思っていたが、まさか自分が逆の立場になるとは思ってもいなかった。

申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、彼女はこの男と別れたかったらしく、なぜか俺が仲介して別れてもらうことにはなったが…。

にわかったことだが、この男とはちょくちょく連絡を取り合っていたようだけど割愛

5月に付き合い始めて1ヶ月の間に三度ほど別れた。その別れた原因は様々だが、覚えている限りでは

荷物を持ってくれない(前の彼氏は持ってくれたらしい)

・私のことを女と思ってくれてない

・やっぱり私はあなたにふさわしくない

などがあげられる。

別れては付き合い、を繰り返し数ヶ月の月日が流れた。

3.事案 その1

付き合って2ヶ月ほど、大きな事案が発生する。それは、彼女の「妊娠たかもしれない」という言葉から始まった。

もちろん予防してなかった訳ではない。ただ予防していても毎回相手に取られて、それでも続けていた自分が悪いのは明白ではある。

生理についての知識が皆無だった俺はその時に、生理についてアホみたいに調べた。

結果、妊娠してるかどうかも分からず、検査薬を使ってもらうよう促した。

しかし、彼女の答えはノーだ。「私は絶対こんなの使わない」の一点張り

らちがあかないと考えた自分は以前聞いていた相手の親の番号に連絡する。

その様子を見た彼女は、鬼のような形相で「そんなことしたら家に帰れない、あんたのせいでこうなったんだからね!!」と怒っていたのを覚えている。

結果的には、彼女検査薬を受け取らず、歩いて家に帰ったようで、6時くらいに着いたようである

ちなみに自分はかなり迎えに行きたかったが、親に止められ行くことはできなかった。

4. 事案その2

10月くらいだと思う。上記と同じようなことがあったが割愛させていただく。

5. 事案その3

バレンタインデーの前日である

チョコレートを作る材料費用がなかったらしい彼女は、自分に貸してくれるよう頼んできた。もちろん仲良く付き合ってたと思っていた俺はお金を貸したが、そのお金は返ってくることはなかった。

当日には連絡は一切なし。アホみたいに心配して、もしかして死んだのか?と思っていた次の日、「好きな人ができたから別れたい」と連絡が来たと同時にブロックもされていた。最高にロックだと思った。目から汗が出まくってた。

ちなみにその後、朝の6時ごろに電話がかかり、明らかにラブホテレビ音が聞こえる中、「今から遊ばない?」と彼女から連絡があった。傷心して頭がおかしくなった俺はもちろん向かったね。そして何故かまた復縁した。今思うと俺も意味がわからない。

6. 事案その4

電車の中で怒らせてしまい、降りる駅になっても起こしてもらえず、何故か真夜中に真っ暗なトンネルを歩くことになった。トラウマものであるお金も落とし、喉も乾き死を感じたため、ここで初めて警察のお世話になることになる。本当に申し訳ない。

7. ビックイベント

タイトルにもかいてある通りの事件が起きる。経緯としては、俺が相手側の家の中で彼女を怒らせてしまい、「家の中に見知らぬ不審者がいる」と彼女が嘘の通報をしたのである

現行犯逮捕待った無しであると考え俺は外へ逃げた。説明してなんとかなりそうにもないと考えたからだ。また、その日はバイトがあり、事情聴取なんてされた暁には確定的に間に合わないのは明らかである

自分の家に帰り着いたと同時に謎の電話番号から大量の着信があった。そう、ポリスからである留守電には「無視し続けるなら然るべき処置をとる」と今まで生きていた中でベスト3には入るであろう衝撃的な言葉が録音されていた。

相手証言自分証言が全く違い、自分は紐づける決定的な証拠があったため難は逃れたが、もしあの時、証拠が何もなかったらと思うと怖いよね。

その警察署にお世話になったのが二回目ということが身を救ったのかもしれない。

この事件から連絡は来なくなった…といいたいが、実際はきた。それに喜んでる自分いるからもうダメだと思う。

それも「はなせる?」「やっぱりいいや」とラインにて自己完結してまたブロックというような感じ。もちろん相手と連絡できるようなものは全部遮断したつもりだけど抜け道は幾らでもあるんだよね、その気になれば。早く忘れたいのに忘れられない。忘れかけた頃にあいつがまたやって来ると思うと、毎日が楽しく過ごせない。いつになったら元カノを忘れることができるのかなっていう話でした。

2017-07-16

病気で苦しんでる人とかわりたい

死にたい

死にたい

なんで癌は私じゃなくて小林麻央のところにいったんだ

なんで通り魔的殺人犯は私のところにこないんだ

明日目が覚めて、体に異変を感じて病院行ったら、余命半年とかだったらどれほど嬉しいか

ほんとに、病気で苦しんでる人と変わりたい

2017-07-14

明大前異変が起きている

夜の明大前駅前。

ガールズバー女の子たちがずらりと並び、料金と店の名前が書かれたミニ看板を手に持っている。

1店舗につき、だいたい2名の女の子が来ていて、それが4〜5店舗くらい。

渋谷錦糸町だってここまで酷くない。

女の子たちは派手な化粧に露出度高めの服装で、言ってはなんだがまるで立○んぼのようだ。

10年前にあった古本屋は軒並み潰れ、街の風景ガールズバー客引きに取ってかわられてしまった。

この街の住人の1人として、街がこんな風に変わってしまうのは悲しい限りだ。

2017-07-04

自分認識がまるで信用できない

から夢に自分認識を頻繁に狂わされてしまうのだが、似たような仲間はいないだろうか。

何かを読んだり、考えたりしている途中でフッと瞬間的に意識喪失して、気付かぬうちに夢でその続きを追っていることがよくある。

私の場合意識が戻ってもまばたきをしていたかな?くらいの感覚であり、さらに戻った直後は寝起きのせいか

ややぼんやりしているので判断力も低下しているらしく、意識喪失していたこ自体にうまく気付くことができない。

実際に経過している時間も、数秒から長くて数分程度のようだし、下手をすると周囲の人間も私が寝ていたことに気付かない程度の時間だ。

さらに夢による疑似記憶を埋め込まれ状態なので、その間の記憶というもの自分としては明確に思い出せる状態になっている。

大抵は、続きの文章に目を走らせて、整合性が取れずにおや?となってから、今意識が飛んでいたのかなとようやく気付くことになる。

そんな調子なので、いつ自分に疑似記憶差しまれいるかからず、

攻殻機動隊的な感じでいくと、日々記憶認識ランダムハッキングを受けながら生活しているようなもので、大変に危なっかしい。

時折、夢の中で読み終えたと納得して画面を閉じてしまったりすると、

ちょっとした記事小説なら勘違いしていても多少恥をかく程度で何の問題もないのだが、契約書やマニュアルだと高確率で後で困ったことになる。

なるべく気を付けてはいものの、買ってきたばかりのものを組み立てながら

「次はここをひねるらしい!固いかちょっと勢いをつけるのがコツだって!」と自信満々にパーツをへし折ってしまって、

どう見ても正常ではない結果を前に、そんなバカなと慌てて説明書を見たらそんな記載はどこにもなかったとか、そういった考えられない失敗をやらかししまう。

結局自分認識が信用できないので、一人で作業を進めるのはとても怖い。

なるべく説明書を開いたまま何度もチェックしながら作業を進めるとか、

少しでも異変を感じたら2秒前にチェックした項目でも行動する前に再度チェックするとか

自分を信用しないように気を付けてはいものの、作業スペース関係で紙に目を落としてから作業するために視線を上げたら、

もう疑似記憶が刷り込まれ状態になっていることもあるので、なかなか完璧対策というのが見いだせない。

どうやら今ヤラれていたと気付いても、どこからどこまでが疑似記憶なのかも自分では判断がつかないのも大変恐ろしいし、その度にイチから工程を追い直す手戻りが発生する。

さらに、瞬間的な意識喪失だけでなく、普通に寝ていたあとに寝ぼけて強烈な失態を犯すこともある。

起きるなり大慌てで支度をして、小一時間ほど鬼の形相でたこ焼きを焼いていたことがあるが、

その時は外国から久々に遊びに来る来客をたこ焼きで迎える約束をしていたのに忘れていた、もうすぐ来てしまう!

と慌てていたのだが、よく考えたら外国人の知人自体が私にはいなかった。

またこれは家族にも相談出来ていないが、パンデミック戦争や異星人の侵攻など、世紀末な感じの夢を見て、社会崩壊した状況にあると勘違いしてしまい、

「もうダメだ、こうなってしまった以上私が殺すしかない」と寝起きに武器になりそうなものの物色をし始めたことも実は数回ある。

パンデミックの夢を見た時に、家族が助からない病気にかかってしまっていて、

政府の出した命令によれば世帯主責任をもって感染者を殺処分し、その後感染拡大を防ぐため自死しなければならなくなったと思い込んでいた時などは、

幸運にも家に一人の時だったので途中で違和感に気付いて正気に戻ったために実行に移すことはなかったが、正直かなり危なかったと思う。

昼間に瞬間的に寝てしまうということでナルコプレシーなどの何かの病気なんかを疑ったこともあるが、

どうも文章の先を予測出来てしまって脳が一瞬退屈を感じると瞬間的に落ちやすくなる傾向があるようなので、もしかすると私の場合ADHDがあるので、そっち由来のものなのかもしれない。

ADHDの薬で昼間の眠気が無くなったみたいな話も見かけるので試してみたいけれど、主治医はあまり重症だと思っていないようなので投薬はまだ受けられていない。

そういえば、読んでいるときだけでなく、書いているときでも頭の中に続きが思い浮かんでいると途中で寝てしまうことがよくある。

タイピングが極端に遅いということはないと思うのだが、思考速度にタイピングが追いつかない限り、待っている間にダレて寝てしまう感じというか。

実はこの文章を書き上げるのにも、正の字を書いてカウントしていたが、既に14回意識飛ばしている。

2017-06-21

幸せが壊れていく・・・」私を絶望に追いやった更年期障害悪夢

更年期障害なんて他人事だと思っていた。



しかし、50歳の春、私は更年期障害になった。正直、更年期障害なんて大したものではないと思っていた。



でも全く簡単病気ではなかった。



更年期障害は私の人生を大きく変えてしまった。
家族、友人、多くの人を傷つけ、大切なものも多く失った。



でも周囲の粘り強い支え、幸運出会いもあって、何とか克服ができた。今では元の幸福を取り戻すことができたと言える。



更年期障害は心身共に症状が現れる。それゆえに知識がないと混乱をしてしまい、治りが遅くなるばかりか、周囲の人を傷つけ更に自分自身を追い込むことになる。



もっとこうしていれば、苦労しなかったのにな・・・」



そう思うことが沢山ある。

それを今更年期障害に悩んでいる人に伝えたくなった。


興味があれば読んでみてください。

普通幸せ、そこに突然訪れた「ある変化」・・・



私は昔から特に見た目、賢さに恵まれたわけではなかったが、健康だけには自信があった。風邪らしい風邪は引いたことがないし、入院したこと出産ときぐらいだ。



子供を産んだときもあまりにあっさりと産んでしまったので、主治医が若干苦笑いをしていたほどだ。



そんな私は、当然、華やかな人生を歩んできたわけではない。しか女性としての普通幸せは手に入れることができているという満足感はあった。



私にはもったいないくらいの優しい夫、26歳の長女は嫁ぎ、23歳の長男社会人に。子供が自立したのと、夫の定年退職もあと数年に迫っていたので、「老後ものんびり楽しく過ごしていこうね。」と仲良く話し合っていた頃だった。



その変化は突然やってきた。



なんだろう。暑い・・・・



最初異変を感じたのは3月事務パートに行く電車の中だった。



暖かくなってきたとはいえ、その日はさほど暑い日ではなかった。



午前10時、電車の中は通勤ラッシュも終わって混雑はしていなかった。それなのに顔がほてり、汗が止まらなかった。私はそんなに汗っかきではないはずなのに。



「なんだろう・・・」



不思議に思いながらもその場は特に深刻に考えることもなかった。



だが、職場に着いても汗は止まらない。クーラーの効いた室内でみんなが涼しそうにしているのに私だけは暑くて汗がでてしまう



「これは何かがおかしいのではないか?」


一瞬そう思ったのだが、仕事が忙しかったため、その心の声をなんとなく流してしまった。

この判断が私を長い苦しみの追いやったのかなーと今でも後悔している。



続く症状、心まで蝕まれていく



汗の症状はその後も続いた。



特に夜に暑くて目が覚めてしまうことは辛かった。パジャマシーツが汗で濡れて冷たくて目が覚めたこともあった。



汗だけであれば慣れてしまえばどうってことはなかったのだが、1ヶ月経つ頃から別の症状も出るようになった。



朝起きるのが辛く感じるようになった。起き抜けから身体がだるく、軽いめまいもあった。なにより気分が重い。仕事行きたくないな-と思い休んでしまうことも増えてきた。



家事に関しても大好きだった料理もする気がおきず、惣菜を買って帰ってしまうことが増えた。

掃除洗濯苦痛になり週末まで溜め込んでしまう日が続いた。

これまで主婦としてしっかり家事をこなしてきたことには自負があったので、そんな自分が許せず、罪悪感でいっぱいだった。



そんな心身ともに不安定な時期が続く中、

あの事件が起きてしまった。

大事ものが次々に壊れていく・・・



さすがの夫も家事が以前のように行われていないことに気がついたのだろう。



「最近家事あんまりできてないみたいだけど、何かあった??」



心優しい夫は気遣いながらもそう聞いた。



夫は優しく聞いているだけだっただろう、ただ罪悪感に追い込まれていた私は夫に対して怒りを露わにして



「何にもわかってないくせに!私を追い詰めるの!!」



と大きな声をあげてしまった。



私が感情的になることなんて結婚してから一度もなかった。昔から気が長い方で怒ることなんて滅多にない。ただこのときの私は感情までコントロールできなくなっていた。



夫の驚いた顔が今でも忘れられない。



ケンカ一つしない、互いを尊重し、問題は優しさで解決するそんな関係を長年続けてきた。でも、その大切に育んだものに大きなヒビが入ってしまった。そう思った瞬間だった。



すぐにフォローをしなくては。そう思うけど心が追いつかない。
一体わたしはどうなってしまったのか。



唯一の相談相手



「何かおかしいんじゃないか?」



夫はそう言ってくれるけど、私は認めたくない気持ちがあった。



こないだの1件で心に溝ができてしまたこともあるんだろう。



夫は最も信頼できる人ではあるけれど、異性ゆえに相談しにくいこともある。特に心や身体のことは打ち明けるのに抵抗があった。



はいえ、私にも明らかにおかしいという自覚はあった。けどどうしたらいいかからない。追い詰められていた私は遂に親友相談をした。



大学の同期の加奈子だ。大学卒業してからも定期的に会い、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。私の全てを話すことができる唯一の人。それが加奈子だ。



私は加奈子にこれまで起こった全てのことを打ち明けた。



「それって更年期障害じゃないの??」



加奈子の意外な言葉に私は驚いた。



今まで、病気一つしたことが無い私は、正直更年期障害と言われてもピンと来なかったが、加奈子の言う典型的な症状と私のそれを照らしてみると、確かに当てはまることが多い。



実は加奈子も昨年に経験をしたという、加奈子とは3ヶ月に一回は会っているのに全然気が付かなかった。



「私は軽かったというのもあるけど、職場の友人が更年期障害を疑ってくれて、早めに対処できたのが良かったかもね。まさみも早いうちに病院に行ったほうがいいよ。更年期外来ってのがあるから。」



やっと踏み出せた一歩、しか・・・



友人の話というものはすんなり入ってくるもので、すぐに病院を探し、近くの婦人科に足を運んだ。



その医師によると、更年期障害一般的に2から3年続き症状が収まることが多いとのこと。



「これが2,3年も続くのか」



そう思うとこれから人生が暗く重く感じた。



この医師HRTという療法があると提案をくれた。しかし、あまり病院に慣れていない私は、なんだか大掛かりな治療のように感じ少し抵抗感があると伝えた。



それであれば漢方という方法もあるとのことなので、まずは漢方治療から行うことにした。しばらく加味逍遥散喉、半夏厚朴湯、大防風湯、抑肝酸、を服用し様子をみた。



最初の1ヶ月程度でほてりに関してはだいぶ改善してきた。



しかしながら、3ヶ月経過しても、だるさ、めまい、気分の重さに関しては改善がほぼなかった。これでは辛い生活は続くばかり、夫に対しても感情的になってしまうことが多くなったため会話も減ってしまった。



娘、息子への連絡も減ってしまったし、たまにする電話でも以前より感情的で口うるさくなってしまったのか、前ほど家に寄り付かなくなってしまった。



私の世界がどんどん狭くなり、壊れていくような感覚に包まれていった。居てもたってもいられなくなった私はまたも加奈子相談した。



意外な解決策



加奈子は何で治したの?」



以前はなんとなくプライド邪魔して具体的な治療までは聞けなかったが、今度は率直に聞いた。



「私はHRTをやったんだけど、あんまり改善しなかったんだ。軽度だったというのもあって大豆製品を中心に食べる食事療法をやってた。途中からちょっとクオールサプリメントも飲んだよ」



漢方にも改善はみられなかった。HRTはやはり抵抗があったので加奈子と同じ治療選択した。



私は加奈子より症状が重いように感じたので、食事療法を中心に最初からクオールサプリメントも服用した。



溢れ出る希望、なくしたものを取り戻すために



友人同士体質が似ているというのはないだろうが、この選択は私にとって正しかった。



効果はわりとすぐに現れた。約2週間程度でずっと持っていたイライラ感が少しずつ減ってきた。それに伴い感情コントロールができるようになり、夫との会話の回数が増えてきた。



1ヶ月経った頃には身体のだるさが改善してきて、家事に対して前向きになれた。



掃除は軽くではあるが毎日洗濯は週2程度、料理は週に1度くらいしか作れなかったが、簡単ものなら毎日作ろうという気分になってきた。



一度改善兆しが見えると気分は晴れやかになってきた。治療に対してどんどん前向きになって大豆食品を多く取り入れた食事を調べたり、エクオールに関する知識積極的仕入れ、よりよいものを探すようになった。



そして、3ヶ月目には、ほぼ以前の私を取り戻すことができた。



休みがちだった職場の方々も理解をしてくれて、職場にも以前のスケジュールで復帰することができた。



家事も以前のようにしっかりとこなせるようになった。夫も私を気遣って家事を身に着けてくれたので、以前より2人で一緒に家事をやるようになった。



夫との会話も以前のように弾むようになり、信頼関係も戻ってきたように感じた。夫も私が更年期障害であることは理解してくれていたようで、



「症状が収まろうが収まるまいが、ずっと寄り添っていくつもりだったよ」



と言ってくれた時には思わず大泣きをしてしまった。この感情の動きは更年期障害によるものではないと今では確信できる。



結果的に私は友人の進めた食事療法+エクオールサプリメント民間療法で幸い比較的短い期間で更年期障害を乗り越えることができた。



自分の心と身体が思い通りにならない約半年間は本当に苦しかった。



周囲も理解はしてくれるけど、気持ちが離れていっていることはわかる。その孤独感が特に辛かった。どうにもできない自分も本当に歯がゆかった。



あなたに伝えたいこと。



私が今も後悔していて、あなたに伝えたいのは、一つだ。



ほてりを感じる日が続く、気だるさ、気分の重さがなかなか抜けないといった症状を感じたら、すぐに更年期障害かな?と疑い病院に行くべきだということだ。まずは更年期障害であるということを理解してほしい。



もちろん私に効果のあった治療あなたにとってベストだとは思わない。HRT受診したほうがいい場合もあると思うし、漢方が効くこともあると思う。また他にも治療法があると思う。



なので、どんな治療でも良いと思う。開始することで前向きになれるし、意外と周囲の理解も得られる。更年期障害は早い人は30代後半から、誰もが抱えうる問題であって、決して恥ずかしいものではない。



一人で抱え込んで、症状が悪化し、周りに迷惑をかけることが、孤立を招き更年期障害を非常に辛い病に変えてしまう。



病院が嫌だということであれば、気軽にカウンセリングを行ってくれるNPO法人もある。まずは更年期障害であることを疑い一歩を踏み出してみて欲しい。


はいちばん大事家族という存在を失ってしまう寸前まで精神的に追い詰められてしまい、本当に苦しい体験となってしまった。



あなたには同じ思いを絶対にしてほしくない。



この体験談が役に立ってくれることを願っている。


2017-06-09

たぶん、あれが本当の殺気。

http://anond.hatelabo.jp/20170609163945

人生で一度だけ、あれが本当の殺気を感じたんだろうな、という経験がある。

学生の頃、深夜に家に帰ろうとして、人気のない公園内で、ちょっとした坂道を歩いてた。

で、坂道トップが見えた頃、身体異変が起きた。

急に全身に鳥肌が立って、不意に足下を見た瞬間から

金縛りにあったように、顔を上げることができなくなった。

歩き続けてはいるけど。

で、「坂道の向こうから、何かが来る」ってことだけはひしひしと伝わってきた。

顔が上げられないから、見ることはできないけど。

で、「何か」が坂道の向こうから来た。

顔が上げられないから、はっきりとはわからないけど、

若いだってことだけはわかった。

こちらは顔を上げることができないまま、その男に近づいていく。

その男も、歩みを止めずに近づいてくる。

相変わらず、全身の鳥肌は止まらない。顔を上げることがなぜかできない。

ちなみに、当時は剣道二段、大学に入って別の格闘技を始めてた時代

多人数相手ストリートファイトなんかも経験して、

そこそこ修羅場はくぐってると思ってた。

なのに、顔を上げることすらできない。

そして、歩みを止めることもできない。

そして、その男とすれ違った。

何事もなくすれ違って、ほっとした。

が、その男はすれ違った後、3歩歩いたところで歩みを止め、

こちらを振り返った。

見ることもできなかったが、そいつこちらを凝視していたことだけははっきりとわかった。

心底ビビって、そのまま歩き続けた。

で、5~6歩歩いたところで、

男の興味がこちからそれたのか、そいつも歩き始め、去って行った。

その直後、金縛りが解け、顔を上げることができた。

だが、振り返ろうとはつゆほども思わなかった。

もう二十年ぐらい前の出来事だが、未だに忘れることができない。

奴が歩みを止めたとき、振り返ることができたなら、

確実に殺されていたと思う。

2017-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20170510235213

そんな優秀な作業員なら事故対応マニュアルぐらい頭に入れてるだろう

前例がないとは言っても、音や振動異変に気づくだろうし

大事故を引き起こす前に周りに指示出してるんじゃないか

トロッコ走行音ってかなりでかいやろ

2017-04-25

先物含み損が60万を超える

身体異変が出てきた。

手とおなかが痛い。

酒を飲んでも酔いが回らない。

普段なら眠くなる時間なのに眠気がない。

おそらく今週中には100万を超えそうな気がする。

損切りしたほうがいいと思うが、体が動かない。

2017-04-14

Amazon商品を返送したのに音沙汰がない

序章

3月上旬に、約5万円の商品Amazonにて購入。数日後に問題なく到着。

ただ、到着後にその商品不要になる可能性が発覚したため、その商品は未開封のまま一旦放置していた。

3月下旬、結局不要になったためさっそく返品開始。

ゆうパックで送って、念のため「お届け通知はがき相手方に到着したら送り主にはがきで通知してくれるサービス)」も申し込み。

数日後、お届け通知はがき当方に到着。一安心。のはずだった。

異変

そこから1週間経っても、何の音沙汰も無し。若干不安になり始める。

Amazonの注文履歴を見ても、『返品・交換がリクエストされました』の状態のまま、何も変化なし。

気になったので、カスタマーサービスから電話にて問い合わせした。

 

若い男性にすぐ繋がった。つい最近クレジットカード会社に問い合わせたときに全く繋がらず超絶イライラしたので、非常に驚いた。

さっそく返品中の商品の現状について問い合わせたが、「まだこちらで受領確認が取れていない」との回答だった。

おやおや。ゆうパックのお届け通知はがきがお届けを通知してますやん。

そう言うと、「遅くなってすみません」「急いで対応しますね」レベルの話止まり

若干不審に思ってしまったが、「お詫びとしてAmazonポイント、300ポイントつけておきますね」と言われたので、手のひらクルーで全てを受け入れた。

疑惑

返送後から2週間経っても、何の音沙汰無し。さら不安になり始める。

未だにステータスは『返品・交換がリクエストされました』。

これはまずいんじゃないかと思い、再度Amazon電話で問い合わせ。

今度はおばちゃんに繋がった。これもすぐに繋がったので一安心

しかし、「まだこちらで受領確認が取れていない」とのこと。

おやおや。おかしいですねぇ。結構時間経ってますよねえ。返金開始はいつぐらいになるんですかねえ。

そう言うと、「今、返品のリクエストが非常に多く、荷物は届いているのですが返金処理までに至っていない」「私が自分で返品サービス使ったとき10日で終わりました!(嬉」とのこと。

知らんがな(´・ω・`)こっちはもう2週間やぞ(´・ω・`)

しかもまだAmazonポイント振り込まれてないやん(´・ω・`)

 

それが3日前の話。

ネットで探しても、返品に2週間以上掛かった例はあんまり出てこない。

逆に、「カスタマーサービス電話をしたらすぐに対応をしてくれた」系の話が非常に多く、2回も電話したのに一向に状況が変わらない事に不安を覚えまくる。

しかしたらAmazon側で返品商品のロストしたんじゃないの?こちらに何か不手際でもあったの?おじさん怒らないから正直に言って?

今、そんな気持ちです。

まぁ、本当に返品作業の量が膨大になっちゃって、キャパオーバーになってるのかもしれないけども。

実際、自分郵便局で返品するときに、隣の列に並んでたおっさんAmazonの返品だったし。

教訓

Amazonの返品は意外と気楽にできる。

返品のときは、ゆうパックで送れ。

ただ、お届け通知はがきは貰っとけ。確実にAmazonに送ったという何よりの証拠になるし、懸念先が1つ減るのはちょっと楽になる。

Amazonカスタマーサービス電話の繋がりは非常に良い。

ただ、ポイントもらえるのはいつになるんですかね。

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