はてなキーワード: チキン南蛮とは
ワークマンに行って靴でも買おうかと思ったが、風が強く、今にも雨が降りそうだったから、外に出る気力もなく、家でダラダラしていた。別に天気が良くても、日差しが強いから、とか言って毎回、何もしないで終わるけどさ。昼は、少し前に買ってあった、残り一束の素麺を食べた。ケチって、揖保乃糸よりずっと安いのを買ったら、全く美味しくなく、なかなか消費できなかった。しかし、思っていたよりも味は悪くなかった。素麺というより、冷やす水の温度に問題があるのかもしれない。
部屋が薄暗くなってきたので、重い腰を上げ、スーパーに行き、割引されたお惣菜でも買いに行った。イカの唐揚げ、チキン南蛮、カットキャベツを買った。
買ってきたお惣菜を食べながら、アマプラで水のないプールを観る。なぜそんなマイナー映画を選んだのかというと、以前、ペンパルだった、私より一つ下のウクライナ人のお気に入り映画監督の一人が、若松康二だったからである。不思議
観て思ったのは、なんとなく下衆い和製タクシードライバーっぽ…くないか笑。内田裕也って何処となく屈折した、危険な雰囲気を醸し出した人だったんだ。z世代の私は、スニッカーズのcmに出ている、派手な格好をしたおじいというイメージしかなかったなあ。
それに、映画という缶詰に、その国の時代々々の街並みや風俗といった空気感が外に漏れることなく、新鮮なまま閉じこもっているのも魅力の一つ。80年代だと、自分の両親が高校生から大学生(今の私と同じくらい)の時代だから余計に見入ってしまう。父親が、学生のころに通っていた吉野家ってこんな感じだったんだぁ、使っている丼ぶりは変わっていないのかも。駅員さんが切符を切っていたのかぁ。街に手書きの看板が多いなぁ、とかとか。
話が少しずれてしまったけど、前半は、家族がいて定職もついている、何も問題がなさそうなおじさんが内にこもりつもったやりきれなさ、不満、怒り、倦怠感を青を基調とした冷たい画面で表していのかな。後半から、生きる喜びでも掴んだのか、どこか夢の世界にでも入っているような薄ぼんやりとしたピンクを基調とした画面か多くなる。犯罪だけど。それでも、最後までプールに水が満たされることがなかった。
まあ終戦後のうちの祖母は、専業主婦で、夫の勇吉が段々給料がよくなって、旭化成の、第2係長になったんだけど、全然よくならんで、昭和30年代とか40年代だと、東京都の
東京大学がものすげ結果を出して、平均寿命が80歳を突破したので、北団地とかはですね、どえれーもんじゃと思っていたのですが、東京の人は、60年前は、そういうふうに、東京や大阪で
盛り上がっている勢力に任せておけばいいという考えがあって延岡んもんがでちいってもなんもならんじゃろという風潮で特に、60年前は、延岡市には東京の方から色々流れ込んできたと
思いますが、昭和53年以降も変わっていない。ただし、もう戦後の男がだめだから、レストランに任せようというのが圧倒的支配的になってきて、グルッペとか色々あったのですが、世間全体が
どんどんと、警察やらだめじゃ、あんげなもんなんが使い物になるか死ねという世間的怨念がラーメンとかチキン南蛮とかレストランを生んできたわけですが、勇吉も、グンポウのラーメンは、昭和60年頃は
ランセンターで取っていたと思うが、下坂はそういうことは知らんだろう。なんがというか北団地の30年史というのがあるのですが、平成8年~16年は何も記録してないというか記録がないらしい
のですね、あまりに若者が盛り上がっていたからだと思いますが、まあ、祖母が昭和7年に生まれて、もう91歳になるんですが一般的には地域社会で評価はあまりよくなくて、ずっと主婦だったので
60年前はまあつまらんおなごじゃくらいには富美山北団地でいわれたと思うのですが元気は元気だったというか北団地って多分つまらん人しかいないと思うので
延岡市のジャスコは平成9年に出来たんですが、旭サービスが閉業に伴ったか、そこに前はヨークっていうのがあったらしいのだがそれがなくなってジャスコになったんですが、その時に、つぐまさんが、
つぐま自転車店のつぐまさんが本気を出して、マウンテンバイクとかをどっから大量に持っていて、30,40代にはめっちゃ流行ったんですけど5年前につぐま自転車店ってもう閉業してるんですが
自作自演でいたときがあって要するに枯れているんですがそのつぐまさんは、平成9年に出たので、そのときは、こうすけの友人のひさのりとか、MAXとかSPEEDの時代なので、
まあ出たわけですが、ダイエーも5年くらいは出てきたので最高でしたが誰も覚えていない。
男運がないのもあるかもしれないが、付き合うor恋愛として出会う男性に酷い扱いを受けてきた思い出がたくさんあるので、自分にも悪いところがあるんだろうなと思って振り返ってみたら、自分も悪いところたくさんあるやんってなったので、忘備録として記載。
こういう行動をちゃんと改めないとまた、同じことが起こるぞと自分に戒める。
自分の悪いところ
・すぐセックスをする
→断れない。申し訳ないと思って我慢してセックスをする。そうすると、情が湧いてその人に執着してしまう。対して好きじゃないくせに。
・相手に合わせすぎる
→これをしたら嫌われるんじゃないか、とか考えて相手に合わせすぎる。なんか、1つ失敗すると全ての関係が終わる気がしてしまう。そんなことないのにね。
・相手に尽くしすぎる
→付き合ってない男にもチキン南蛮を作る。プレゼントを渡す。私はあなたのためだけを思ったプレゼントなのに、相手から渡されるのは個包装のお菓子2つとか。みんなにあげてるやつ。
(チキン南蛮は美味しくできた)
・既婚者と繋がる
→会社の既婚者とセックスしたりする。これが1番だめだ。悪い運気しか持ち込まない。別にお互い好きとかじゃなくて、ただ飲み会後にセックスしたりしてる。
・どうでも良い人と連絡を続ける
→めんどくさいもういいや、自分はどうせ無理なんだと思って、どうでも良い男に甘えたりする。そして、次の日の朝に「無駄なことしてるなぁ」と思って、その人の連絡先を衝動的に消す。
そういえば最近、驚愕した会社っていうんですか、ウーバーイーツと呼ばれるものが流行っているわけですけど、その内容をみてびっくりしたんですね、まあオリジン弁当に比するほどの
高カロリーなものというんですかとにかく凄い https://ubakatu.com/order-flow/
されよりも凄いのは何かって言うと、進展しているオリジン弁当もそうですが、基本的にキッチンオリジンとかウーバーイーツを食べる人って腐ってて美しさも何もないような層なんですね
私は昭和58年生まれですが若いころからそういうのがあったかどうかでいうと、まずハンバーグとかエビフライとかは既にグルッペにありましたし、平成3年になると、ほかほか弁当も出てきた
ので、平成8年からはマクドナルドやモスバーガーも出たしその影響で東京拘置所の食事とかも凄いことになっているのでね、誰も言わないだけで、私も捕まる前は体重が86キロあったんだけど
黒羽に行って落ちてしまったんで、別に椅子を食おうと思ったわけじゃないですけど、最近って、何が驚愕するかって板橋区ってけっこう、蓮根にオリジン弁当もあるし、至る所に、松屋もすきやも
あるんですけど、今はウーバーイーツの時代なんですが、ウーバーイーツの時代になっても志村署の戸田って昨晩みたいに出てくるじゃないですか、戸田でも地頭でもいいけど、志村署の地頭に
ウーバーイーツを食わせる拷問とかないわけで、板橋区って寒いんですよね。検事の山田朋美とかのクソフェミって美容気にしてるから絶対ウーバーイーツとか食べるわけがないしこう、
今のさいたまや東京っていうか、前野町のメリーガーデンも多分ウーバーイーツを注文してる部屋はあると思いますが、ウーバーイーツを食べている割にはそれ相応の状態になっていないというかね。
元々、エビフライとかハンバーグとかを売っているレストランって昭和30年代からそういう洋食屋として存在してたらしいですが戦後の時期は洋食は人気がなくて、昭和53年からグルッペという
名前に変更して本気を出したんですが、その後にCASAとかに名前が変遷しているのですが延岡市のグルッペ→CASAって完全にオワコンになったんですよね、潰れて更地になっているしそこの前に
あったぱちんこもつぶれたわけです、こないだ。そやから私の幼少時の思い出が全部なくなったんですね。延岡市にはグルッペはなくなったけど、門川の方に行くと、おぐらというレストランはあるわけですが
実は死んでるんですよねあの、洋食屋って。こういうのが最盛期だった15年前は、延岡市は、ぐんぽうというラーメン屋とか、おぐらのチキン南蛮とかは普通に全盛期だったんですが、今とにかく
延岡市でそういうのを味わって来た層っていうのが酷いのでね。