はてなキーワード: クロスワードパズルとは
クロスワードパズル作る時のネタ出しにChatGPT 3.5がクソだったから4にしようか悩んでたんだけど、4でもクソなんだな
計画入院とかあるけど、突然の入院はかなり多い。そこで「急に家族が入院することになったら用意したいものリスト」を作ったのでここで共有します。
着替え
携帯充電器
洗面具
少額の現金
2本くらい買って荷物に入ってると嬉しい。
人によるけど、のんびり歯磨きしにくいし風呂にも入りにくいのでスッキリするものは嬉しい。
荷物の整理かできる。最近の病院はどこも面会禁止で荷物の受け渡しだけやってると思うので、着替えを持って行ってもらうときなど看護師さんに渡しやすいしっかりした袋があると恥ずかしくないし看護師さんも誰から預かったのかわかりやすい。
病気や怪我で結構ストレス溜まるので好きな本などをたくさん読めるようにしておこう。クロスワードパズル的な雑誌もいいかも。
既婚者は配偶者が急遽入院したときどうすればいいかを日頃から聞いておくといいと思う。例えば化粧品(退院時必要)や生理用品などいざ必要になっても「家のどこにあるの?いつも何を使ってるの?」となる。入院中でコミュニケーションが取りにくい時に双方とても負担になるので「もし具合が悪くなったらどう動くか」を避難訓練のように日頃確認しておくといいかもしれない。
懸賞に半年間応募し続けた結果 https://anond.hatelabo.jp/20170108040330
私も上の増田のように、実家で大量の切手やはがきを手に入れた。どうしても参加したい懸賞に少しはがきを使ってはみたが、懸賞が趣味の人レベルではがきを使うのは時間もはがきも切手ももったいないと思う。自分が心から「これは絶対に欲しいな」と思うものの懸賞に参加することには価値があるが、わざわざクロスワードパズルの雑誌を買ったりとか、懸賞がしたいがために欲しくもないものを買いだめしてしまうとか、そこまで欲しくもないものの懸賞に、はがきや切手を消費したいがために参加するのは無駄なことだと思う。
私は手紙を書くことが好きなので、切手は手紙で消費しようと思う。ゆうパックで使うのもいいと思う。はがきは手数料を払えば切手に交換できる。
家族がときどき切手が必要になるときがあるので、そういうときには私に声をかけてもらう。
私は切手が好きで、昔の切手や現代のグリーティング切手を眺めてニヤニヤすることが楽しい。しかし、切手は金券なのに消費せずに小さな絵画、小さな写真として鑑賞物にしてしまうのは強い抵抗がある。
昭和の時代から切手を収集する切手コレクターが、切手コレクションを遺したまま亡くなりそれを受け継いだ人がヤフオクや古物商に切手を出していることにアホらしさを感じる。あの世に切手を持っていくことができなくて、切手を売却することでしか価値を見いだせない人の手に渡ってしまった。
平成、令和の切手を集めている切手コレクターもいるが、切手をただ持っているだけというのは無駄なことだと思う。
私は切手好きではあるが、根本的には他人に手紙を送ることが好きなので切手はコレクションではなく消耗品として使いたいというこだわりが強い。
金券である切手を使わずにずっと手元に持ち続けるというのは本来の切手が持つ役割に反している。
郵便局としては、自社が発行した金券である切手を使わずに大事に保管してくれる消費者は都合の良い金づるだ。天皇陛下即位記念切手をたくさん発行して、切手収集目的のコレクターに買わせたり、アニメやゲームとコラボしてグッズ収集目的のオタクにはがきや切手を買わせたり、
切手を収集するのも、使用するのも、金券ショップに転売するのも、古物商に売り付けるのも、オークションに出品するのも、個人の勝手だけれども、
私はやっぱり切手は郵送料として使いたい。それが切手の本来の役割なんだし。郵便物が好きだから切手を封筒やはがきに貼ることで消費したい。かわいい切手や綺麗な切手を貼って、1人でほくそ笑みたい。
こんな私だが、実家から平成天皇陛下即位記念切手がシートで出てきたときには、動揺した。これは、もったいなくて使えない、と。切手商に持っていけば額面より高く売れるのではないかと思った。私も見返り美人レベルのむちゃくちゃレアな切手を手に入れたら普通に使うよりは売って現金化したいという俗な考えを持っている。
調べてみると、現代は切手の価値が下がっており、見返り美人や月に雁レベルの昔のレアな切手なら高く売れるが、平成に発行された程度の切手がものすごい価値を持つのはないとのこと。
これを売ったとしても額面より数百円、数十円高く売れるか、もしくは額面通りか。自分で買ったわけではない珍しい記念切手を前にして、葛藤したが、私はやっぱり記念切手も普通に郵送料として消費してしまおうと思った。
切手収集ブームの時代を知っている人、切手が好きな人に送る手紙に記念切手を貼って、「わぁ、珍しい切手を使っているね」とでも思ってもらえれば万々歳だ。まあ、何とも思われなくても別にいい。
今月にまた天皇陛下即位記念切手が発行されるので、切手好きとして欲しいなぁと思ってしまったが、手持ちの在庫の切手がたくさん溢れてるから新しい切手はもう買わない。切手が足りなくなれば、大量のはがきを切手に交換してもらえばいいし。
やっぱり切手は大事に保管しておくのではなく、封筒やはがきにはったり、ゆうパックに使ったりして、郵送料として消費していくのが一番いいなって思う。切手は金券として活躍してもらいたい。
公式グッズ等は正規のルートからでないと入手したくない人間だった自分は「取引」をする人種を散々心の内でバカにしていた
公式サイトの通販もAmazonもアニメイトなどの通販でも売り切れていた場合
楽天に出店してるホビーショップがあれば店舗の実在をサーチして信頼出来る所と判断した場合取り寄せる
トレーディング商品などは限られた出費の中で推しを運良く引き当てたり、
同じジャンルが好きな友人がいたら
他推しの友人が買いに買いまくった中に自分の推しが出たら可能な限り貰っていた
諦めるべき時は潔く諦めて
大抵諦めが早いので、まだ自分で入手出来なかった諦めきれない商品とかはないけど
どうせ他の人が飽きたら待てば地元のらしんばんとかで中古が入手できるだろうし
なので一個人のファンとファン同士でTwitterのDMで欲しいもの同士を交換する「取引」という手段を全力で避けていた
全てが全てそうではないのだろうが
金をぼったくられたり個人情報を利用されたりするのが当然怖いからだ
払い戻しができるなら払い戻ししてほしい
それで個人情報が利用されたりぼったくられてもいくら騙した相手が悪いとはいえ、自業自得だとしか思えない
しかし、そんな自分もとうとう「取引」をしなければいけない物にぶち当たってしまった
著作者当人がいらないから〜と捨てようとした何点もの貴重な物をちゃんと価値のわかる著作者の身内が「さすがにそれ勿体なくない!?」と一時的に引き取って条件付きで欲しい人を募集して探していた
タスケテ…
「住所は楽しくクロスワードパズルにして伝えた方がいいかな…」と兄弟に相談した
何言ってんだこいつみたいな顔と返事だった
クロスワードよりはヒント付きで簡単な暗号の方がいいのだろうか…
トリヒキ…ヤッタコトナイ…ワカラナイ…コワイ……タスケテ……
本当に人間性が腐っていく。
たまに仕事に精を出すことがあってもそれは自分のくだらない自己満足を満たしたいだけだ。
そこには国民の期待に応える気持ちもなければ、関係する民間団体や同僚への配慮もなく、ただ暇つぶしに始めたクロスワードパズルを最後まで解こうとするような純粋な気まぐれでしかない。
どうだっていい。
どうせ2年か3年で無関係になる奴らの事なんて本当にどうでもいい。
全てがどうでもいい。
あるのは
「怒られないようにしたい」「変に有能だと思われたくない」「でも俸給がいい感じに上がるラインは維持したい」「目指すは日々の定時帰宅である」「だがそれは不可能である」「休日とは休めるかも知れない可能性がある日のことである」「休日申請とは、休めるかも知れない可能性と無報酬の労働をする可能性を見極めるギャンブルである」「申請される残業時間は上司が決める数字である。数字ではなく実際の残業時間は個々人の裁量に任されるものであるが上司の意志を仰ぐべきものである」「上司の意志は無言によって仰がれなければならない」「上司の意志とは国民の意志である」「国民の意志とは上司の意志である」「空気を読む必要はない。何故なら空気とは己であるのだから読むという行為は発生し得ない」「とりあえず謝ってしまえばいい」「すぐ謝るべきであり、決して謝らないべきである。これは基本である」「2+2は3であるし5である」「だが協議の結果として4という数字に落ち着くべきである」「2+2が4にならないときは、2は1であり3であり4であると考えればよい」
といった虫けらじみた思考だけだ。
魂が腐ってゆくのがわかる。
腐りすぎた。
もう外の社会に行く気力もない。
学習性の無気力が蔓延しているのが日本社会全体ならば、その無気力の果てにクズに成り果てても仕事を失うことのない公務員を続けた方が得だろう。
死にてえ
私は35の主婦で、平均よりやや下くらいのIQで、平均的に老いていると思う。学生時代はド文系で数学と理科はとことん苦手で、一応最後までネバって勉強はしたがダメで私大に逃げたレベル。
最近、時間ができたのでパートタイムで塾の先生をすることになった。それで、なんとなく数学の青チャートを見ているときに、異変が起こった。なぜかはわからないが、私にはそこに載っている問題が新聞に載っているクロスワードパズル(常識で解けるやつ)のようにおもえた。数学はとてもじゃないが各種定理、定石、その他モロもろなんてあやふやでちっとも頭に入ってなかったくせに、なぜか私はそういったものをすでに完璧に知っていて、本当に惰性でクロスワードパズルをとくように、簡単に問題を解き導くことができた。たまたま易しい問題だったのかと思い、他にも十文くらい、章末問題を中心に見てみたが、やはり簡単に解けた。おかしい。青チャートなんて手が出なかったはずだ。たまたま易しい問題ばかり選んだか、青チャートが編集されてレベルが下がったのか?そう思い、私は塾の本棚から東大の赤本を取り出し見てみた。さすがに青チャートのようにはいかず、やはりなと思いながら、問題文からどういったことが起こっているのかを、こうなっているのか、と確認していくと(確認できていること自体前の私ではありえないことだった)いつの間にか私は時間も忘れて没頭していて、本当に信じられないのだが、運良く解答を導くことができた。
それからいろいろ自分を実験してみて、なぜか数学の能力が桁違いにアップしていることに気づいた。高校数学程度はなぜか生まれる前から知っているような気がするし、大学数学も解説を聴けば理解できる。明らかな異変だ。
夫の趣味に影響されて模型趣味をはじめたとき、空間を捕える作業がからきし苦手だったのに、何故かすごく得意になったなあとは思っていたが、何か夢でも見ているようで怖い。怖くなって脳腫瘍でもできていないかと心配になって診断予約を入れた。18歳当時から今まで頭を打ったことはない。転機といえば出産くらいだ。大げさすぎるのかもしれないが、本当に怯えている
この3つが好きってどんな奴だよ。人物像が浮かんでこないわ。
あと不動産社長とかクロスワードパズルとか、妙に具体的かつ一般的ではない部分はモデルがいるんだろうけど
そのモデルに対する悪意も足りない
旦那が東大卒なんだけど、facebookで歴代彼女らしき女を漁ってみた。無駄に美人が揃っててびっくりする。
けど青◯学院とか日◯女子とか明◯学院とか国◯院とか偏差値は揃って低め。
fbで友達の友達にまで写真全部見せるリテラシーの低さっていうか、自己顕示欲の強さっていうか。
写真もいかにもな感じで海外にスカイツリーに東京ミッドタウンに六本木に由比ヶ浜に自由が丘に、お約束のディズニー。
こりゃ旦那に選ばれないわけだな~と納得した。こういういかにもな頭の弱い美人は若い時しか選ばれない。
男はどんなに遊んでても結局私みたいな同じだけの学力と教養のある人間と結婚する。
そこに顔だけのバカ女が入る余地はないよね。どうせ教養のない不動産社長(自営業)とでも結婚するんだろうな。
実際は1人は立◯卒の多分パナソ◯ックの営業と結婚してるみたいだしあと2人も結婚してるけどfbからは分からなかった。
ちなみに結婚できてないのは1人だけで、この人は間違いなく数年後にしょぼい不動産社長(自営業)と結婚しそうだと思った。どうでもいいけど。
もちろん私の大学(無知な馬鹿に馬鹿にされることで有名)でもバカ大学出身の女と結婚する男はゴロゴロいる。
(その人達も結局のところ、お勉強が出来るだけで、趣味は深夜アニメにワンピースにクロスワードパズルみたいな感じだろう)
自分の専門の実利のなさを誇るくせに、創作分野には意味を求める。ナンセンスを理解できない。
そんな教養がない人同士が結婚するのは何らおかしなところはないし納得。
ちょっと何書いてるのかわからなくなってきたけどとにかく日本人はエリートに見えても教養がない人が多すぎ。
階層が不安定な分、平等にチャンスが与えられてるとも言えるけど。
少し自虐すると、日本人女性がまだまだ学歴も低くて社会進出も進んでない中でエリート男が同ランクを選ぶためにはルックスが障害になるんだろう。
耳障りのいい言葉で言えば「中身」を愛されてるってことになる。
ブス過ぎて生きてるのが辛い。
手術の前後は必ずいなければならないのだが、親がすることできることは限られていて、概ね退屈な時間が続く。持参した本を読み終えて、院内文庫で本を借りることにした。頭は使いたくないが、すぐ読み終わるようなものは困る。村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」があった。好きな小説だが、ここ数年は読んでいなかったので、これを読み始めた。
小児病棟というのは、悲劇が日常になっていることが、感じられないくらい空気に溶け込んでいる場所だ。
付き添いで泊まり込んでいる若い母親が、もう泣きたいよーと笑いながら話す声が聞こえる。子供なんて、普通に生まれたら普通に育つもんだと思ってたら、まさか癌になるとはね。私からは見えないところから、笑い声の合間に鼻をすする音はするが、声は乱れず明るい。
細い足をむき出しにした小さな子を抱っこ紐で抱えたパンクファッションの母親が、エレベーターを待っている。母と話す声で、その子が女の子であること、思ったよりずっと年齢が高いことが分かる。髪は産毛のようにふわふわして、地肌が見えている。
長期入院から退院した少女が、まだ入院中の友人に会いに来ている。馴染みの看護師の噂話や、院内学級の話をひとしきり交わす内に、看護師が検査のため友人を呼びに来る。二人の少女は、またねと言い合って別れる。外から来た少女は冬の服、病棟に戻る少女は素足にサンダルだ。
医師が少年に話している。君の病気は、完治は見込めない。今は寛解と言って、症状を抑えている状態だ。明日で退院だけど、薬とは一生の付き合いになる。少年は静かに聞き入っている。
私の子供は何度か手術を受ければいいだけで、生きるか死ぬかなどというものではない。悲劇にも度合いがある。我が家のそれは、単なる煩わしさであって、悲しみの入る余地はない。しかし、多くの家族があの場所で嘆き悲しみ、それでも懸命に日々を生きている。ある子は完治して去り、ある子は病と共に生き、またある子はそこで命を落とす。
そんな場所で読む「ダンス・ダンス・ダンス」は、信じられないくらい薄っぺらく、陳腐だった。あんなに大好きで共感していた主人公は、鼻持ちならない傲慢なナルシストにしか思えない。
作中に出てくる人物は、並外れて奇妙か、または美しくて服装がファッショナブルでないと、ネガティブ、あるいは評価に値しないような扱いを受ける。
この小説に私が出てきたら、こんな風だろう。
「その母親は化粧気がなく、部屋着も同然の姿をしていた。顔つきは暗く、目に力はなく、何もかもが灰色でそそけだっているように見えた。親しくなりたいタイプの女性ではない。」とかなんとか。「そそけだって」の所には傍点が付く。英訳されたら、この部分だけ全部大文字になる。
村上春樹は何も悪くない。他の作家なら違和感を覚えなかった訳でもなかろう。
ただ、ずっと好きだった作品を久しぶりに読んで、ここまでがっかりしたのがショックなのだ。
示唆に富み、人生の本質を探り当てていると思っていた小説が、陳腐で皮相的としか読めないのが悲しいのだ。
結局最後まで読まずに返却し、その後はクロスワードパズルをして過ごした。子供が起きられるようになってからは、二人でクロスワードパズルを作ったり、絵を描いたりして暇を潰した。
家に帰ると、本棚に数冊の村上春樹の本がある。日常の中で読めば、元のように親しみを感じるかもしれないが、今は手に取る気になれない。
たかが数日の入院に付き添った私でこうなのだ。ずっと付き添っている人達はどうしているのだろうか。どんな本を読むのだろうか。こんなことを気にすること自体が、お気楽な証拠なのだろうか。
編集の仕方で大きく印象が変わる見本のような記事だな。
実際は、
・少女は、おばあちゃんのことを「うっとうしい」と表現する一方で、クロスワードパズル好きで「かわいい」と説明。
・広告ページはとっても屈託のないもので、おばあちゃんのことを良く理解した人が書いたものだった
・われわれはこの競売を停止したけれど、掲載されたページはとても愉快なものだった
ってことらしいよ。
さらに英語記事なんかを見ると、父親は知っていたみたいだし、ひざを悪くしたおばあちゃんを元気づけようとしたジョークだったらしいね。(発想はすげえけど)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2648647/4700646