はてなキーワード: 演目とは
テレビ持ってないけどYouTubeにネタ上がってたので見た。
お笑いはガーリィレコードとさらば青春の光くらいしか見たことない。
面白かった
ステージの温まってなさそうなトップバッターもリズムネタで上手いこと沸かせてて安心して見られた
美川憲一一本勝負という構成のおかげでココの部分が面白かったって伝えづらいのが盤外の欠点だと思いました
まあまあ面白かった
パントマイムとして見るととても良かった
ツッコませるためだけの小ボケ(マイケル・ジャクソンの前後)が蛇足に思えた。ソロでやってほしい
うーん
セクシャルなネタが好みではない。身長差が大きいコンビ見ると視線が気になるという知見を得た
まあうーん
動き回るネタで髪が目にかかってる人が、その髪を除ける仕草に意図が感じられなかったところが構成として気になりました(重箱神細部
面白かった
工夫の凝らしたボケの出来は今回No.1。だけどその分ディティールの甘いボケとの格差が気になっちゃった
同じネタをもっとうまく演じられる他の芸人いそうだなあと余計な考えが脳裏をよぎった
ぼちぼち
友達0人の不気味なボケを笑いに変えるにはツッコミのトーンが暗いのが気持ちよくなれなかった
たいへん面白かった
全編通して面白い分最後のオチが弱いと思った。ワゴンRのカスタマイズでもう2回ほどボケ倒してみてほしい
まあまあ面白かった
面白かった
アドリブ地味た掴みはバッチリ。積み込みのネタも勢いあって良かった。オチもキレイに落ちてて好き
ツッコミに対するボケの反応がリズム走りがちなのが気になったがとにかく笑えた
うーん
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ぼちぼち
1本目のスタイルに最適化した1つの極みを見たあとだとどうしても陰る
ぼちぼち
不気味
やっぱり不気味。気持ちよく笑えない
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そんなの女にだって求められてるだろ。
ただ女の場合は男がホストとかにならないとやりにくい売り方を比較的やりやすいってだけでさ。
高負荷運動
パワハラ耐性(やる側としても)
こういった要素は別に男じゃなくて女がやった場合も便利な労働力として評価される。
別に男らしさではないよね。
単に女は妊娠をすると最後の方の前後半年ほど使い勝手が大幅に低下するから安定供給源として男に劣ると判断されがちだっただけじゃん。
なーんか言ってることがそもそも論として狂ってる気がするんだよな。
無理にキャラ立てようとしてて痛いっつーか。
学生が無理してチャラ男やオタクってカテゴライズに自分から収まろうとしていくような感じか?
人生における役割として「増田 太郎」っていう一品物の役を演じきれる自身がないから、「オタクの集団A~Zの一人」であろうとする感じ?
大枠としての「男」「女」で役を作ってもらって、その役を演じることにしておけば「お前、役間違ってるよ」と言われずに済むって感じなのかねえ。
なーんか陳腐だな。
でも「男らしい」を自称する労働者が演じてるのは「男」でも「女」でもなく「便利な労働力」って名前の役なのよ既にな。
時代が変わったんだよね。
今ここで行われているのは社会主義的資本主義社会っていうテーマの劇でさ、そこでいつまでも「僕の役名は男です」「女です」なんて言ってるやつは舞台袖にさっさと引っ込んだほうがいい間抜けなわけ。
TravisJapanの主演舞台が決まって、しかもそれが3年も続いてて、幸せなことだな、って思っています。本当にその気持ちは、嘘偽りなく、あって。「約束された現場があるありがたさ』、そのことには本当に感謝しています。
けどね、さすがにちょっとだけ、わがままも言いたくなってきました。人って贅沢なので。あと、普段、ジャニーズ舞台に愚痴をいうのは、時間の無駄だと思ってるので、ぼんやり見るように心がけてるのですが、
11/30締め切り案件(*1)があって寝不足なので、暗闇で眠くならないように、でもトイレも行きたくならないように、カフェインのタブレット飲んで行ったら、頭がさえちゃって、考えなくていいことを考えながら、舞台を見てしまった。
ということで、ここから2021年版の愚痴です。読みたくない方、ネタバレ踏みたくない方は、ここから先、読まないでください。
***
虎者に関する愚痴は、もう基本的に「脚本」もうちょっとなんとかならない????です。そこに尽きます。
2019年も、2020年も、そして2021年も、虎者の感想として「お芝居部分はショータイムを見るための、壮絶なじらしプレイ」として認識してました。だって、ショータイムの方が楽しいんだもん。どう考えても。
2021年は、お芝居シーンのラストで、「俺たちの育ての親の朱雀が闇の帝王だったなんて、とんだ災難だったよな。」と七五三掛龍也が言うセリフがあります。その時、客席で思ったのが、「そのとんでも設定の舞台、見せられてるこちらも、とんだ災難だけどね」ってことです。
でも、今日は頭が冴えてたので、これ、演じている方はもっと「とんだ災難」じゃない?ということに気がついてしましました。この、セリフがほとんどなく、うっすい内容の舞台の中で、Travis Japan もImpactors もすごく頑張ってるな、と気づかされる部分があります。(「のえる」と「かいと」以外は舞台中で役名がでてこないので、フルネームで記入します。)
例えば、松田元太は最初に「まだ力が足りない気がする」って言っていた通り、ずっとちょっと周りを警戒してるちょっとビビリな感じを出しているし、中村海人は、自分が「のえる」を置いていった判断をずっと引きずっているのを全面に渡ってだしています。2人とも、ちょっとしたセリフをきっかけにして、なんとかキャラを作ろうとしています。一見、セリフが多く、キャラクターを作りやすく思える「川島如恵留」と「宮近海斗」は、きっかけセリフを言わされすぎてて、実は逆にキャラクター作りづらそうだなぁと思ってみています。そもそも、一回完全に舞台上で死んでから、特に何の説明もなく復活するなんて役、やり易いわけないです。今回、川島如恵留は物語のひずみをすべて受けとめる役になっていますが、それをなるべく自然に見せようとすごく頑張っていると思います。
Impactorsでは、オオワシ(影山拓也)、ハヤブサ(佐藤新)が、もともとキャラクター性を与えられているのに加えて、武器も違うのが強いです。他はみんな、武器が刀だけれど、全幕、逆手で通してる基俊介も、キャラ立ちしてるな、って思います。逆手持ちは自分で決めたのでしょうか。すごい工夫です。せっかくならみんな武器を変えるだけで、バリエーションだせると思う。
そして、カゲロウ(松井リマ)、朱雀(長谷川純)の2人。カゲロウは、前半は虎者の敵のフリをしているが、実際には虎者を味方にしたいと考えていて、朱雀は前半は虎者のボスですが、実際には虎者を使い捨てようとしています。2回目以降の観劇でそれを知って見ると、2人とも、ものすごく密かに持っている本心の芝居をしていて見応えがあります。でも、初見だとその演技の意図がわからない。虎者ーNINJAPANーは、古典演目ではないので、さすがに初見では気がつけない演技を強いる脚本はどうなんだろうと思います。(*2)
クイズ番組で、クイズが「1+1=?」みたいなものだけだったら、どんなに知識のある人でも、ポンコツ回答できそうな人でも面白くならないと思います。舞台において、「脚本」はクイズ番組のクイズと同じ。「ホン」が不在に等しいこの舞台を、必死に面白くするように頑張ってる7人(+7人+1人+1人=16人)、の努力、ほんと凄まじいです。
お芝居の最後に、中村海人が、如恵留に対して、置いていったことを謝り、それに対して松倉海斗が「もういいじゃないか。2度はくどいぞ。」という箇所があります。東京公演では、ここのシーンにおいて、2人がアドリブで遊び始めたのですが、11/21くらいからかな、アドリブはなくなり、元に戻りました。想像ですが、きっと、「ここは、最後のシリアスなシーンとして演るべきでは」と大人からアドバイスがあったのだと思います。
確かに、お芝居全体からしたら、ここはシリアスに演じるべきかもしれない。でも、観客としては楽しみにしてたアドリブでした。だって、もう他に虎者同士の関係性がでる箇所が少ないから。
1人1人のキャラがなく、ということはキャラ同士の関係性もない虚無のお芝居のあとにある、ショータイム。ショータイムになった瞬間、重たい鎖かたびら脱いだ?ってくらい、自由にいきいきと踊り始めるTravis Japan。
2019年に屋良くんが教えてくれた通り、本当にたくさんアイコンタクトを取りながら、楽しそうに踊っていて、だから見ていて、とても楽しいです。虎者の無味乾燥な実体のない「役」を脱いで、本来のTravis Japanになったから、みえる関係性があるんですよね。はぁ全幕、ショータイムやってて欲しい。
***
とまぁ、ここまでツラツラ愚痴を書いてきたのは、単に憂さ晴らしをしたかったわけではなくて。あと、チケット代返せ、とか、もう観に行かないぞ、とかいう話でもなくて。来年以降も虎者があるとしたら、こういう要素ちょっと入れてくれたら嬉しいのにな、的な妄想話がしたかったからです。(*3)
2019年、2020年、2021年と毎年脚本が変わっているのは、しっくりきていない、という考え自体は共有されているのだと思います。私が2021年版で一番気に入っているところは、謎の家族設定がなくなったところ。でもそのせいで、物語が薄味になったのも事実だと思います。(設定なくしたら、足さないと)
舞台見ながら、考えていたのは2つ。(カフェインって怖い。こんなに普段ポンコツでも、頭の中がデュアルコアになる。)
1つは、せっかくTravisJapan と Impactorsが 7人同士なので、1人の人間の中の「善」と「悪」を描くスタイルにして、最後、清濁併せ吞んだ形の「真の虎者」になるタイプ。(Impactorsの名前が影虎軍団ならちょうどいい。)朱雀は父で、カゲロウは(魔法で年をとらない)母で、それぞれ戦っているみたいな感じ。
これだと、どういう悪の心と戦っているかで、ダンスバトルだったっり、殺陣だったり、戦いのバリエーションできそう。(去年のバトン対決のやつ、楽しかった。)
ちょうど7だし、「七つの大罪」とか、ちょうどいい具合にハマりそう。(日本だと、ほんとは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳の方が、ハマりがいいような気もするので、朱雀とカゲロウ巻き込んでもよいかも?)
宮近海斗(赤):炎系の術を使う
川島如恵留(白):風系の術を使う
吉澤閑也(黄):毒術を使う
中村海人(緑):木の葉の技を使う
とか。
いま、適当に書いたので、ほんとはもっと良いのがあると思いますが、まぁそんな感じ。(『伊賀の影丸』読みたくなってきたな笑)
それぞれ、得意な術の情報とかあるだけでも、トランポリンとかトランポリンとかトランポリンとか、映像ももっと作りやすいと思うし、楽しめると思います。俊足の七五三掛!とかキャッチフレーズがあっても楽しいし、松松の分身の術もみたいです。(そろそろ、脳内で「千年メドレー」は踊れる気持ちになってきたので、分身の術も習得したいなと思ってます。)
もうね、ほんと素人の思いつきなんで、別にただ書いて、昇華したかっただけなのですが、できたら来年は、少ないセリフを手がかりになんとか舞台を成立させようと努力しているTravis Japanじゃなくて、
私が、普段、舞台を観に行くのが好きな理由は、「役者さんが自分自身をメディアにして、別の人物を表現するところ」です。器と中身のずれというか、隙間の所が、ゾクゾクします。役名と、実際の名前が一緒のジャニーズの舞台においては、少し変わる部分もあると思うけど、光一さんと「コウイチ」が同一ではないように、やっぱり「役」の仮面というのは存在するのだと思います。来年こそは、重たい鎧ではなく、つけるに足る仮面をつけた舞台がみたいです。
と、ここまで、全て、来年も虎者ーNINJAPANーがある前提で書いてきてますが、そして、今のところ、あると確信していますが、まず、ありますように!!!
*0:あえての〜を仕込んでみました。(言わなくていいことをいうスタイル)
最近流行ってる豚カツの切り身を一つだけ断面が見えるよに上にして盛り付けるのって、
私由来を調べてみたの
そしたらヨーロッパの鎧を装着した騎士が鉄兜の目の保護具の鎧戸を持ち上げてあなたに敵意は無いですよって意味のその仕草が由来らしくて、なるほどねーって思ったわ。
敵意のない豚カツ。
私の行くお店のなんか厨房のただ立って何もしていないかと思っていた人は
実はその餃子店を回している
背中でみんなのことを把握してお客さんの注文も全部背中で聞いていて
全員に的確な指示を与えているのよ。
耳だけで全てを指示できるって何か達人級の職人って感じしない?
私はカウンターで座って
よく人間観察が趣味です!って言う人に限って何も観察してない人っているじゃない、
たまたま厨房のそのベテランの背中で全部聞く店員さんのお姉さんを見ていて観察していたのよ。
次から次に来るオーダーにこれはどこに持って行ったら良いのかとか全部ホールに指示して回しているわけ。
感じるな考えろ!ってブルースリーさんが言いそうなことを地で行ってる感じがして
私は1歩たりとも動くことが出来なかったわ。
でもお箸は動かしていたけどね!
みごとというかあっぱれというか。
本当に見ていて達人級のお師匠さんで
ホールを実際に皿うどんとかを運んでいるお弟子さんたちはとても忙しそうだったわよ。
でね、
またその違う餃子屋さんでも
同じようなお師匠さんがいてホールをめちゃくちゃな勢いで中華鍋をふりながら背中越しで状況を全部把握して
全部に指示しているのよ。
ただちょっと違うところは
バイキングの小峠さんに似ていて何か軽くキレながらいろいろと指示をしてホールを回しているところが
そこに小峠さん風味を加えていっていて、
彼も全部背中で指示しているんだけど
なになに君!休憩行ってーって指示するんだけど
その指示された人は「さっき休憩行きました!」って言うじゃない
これは餃子のお師匠さんが間違って2回休憩に行ってって言ってしまったのか、
それともその餃子屋のお弟子さんがあんまりにベストキッドだったから
もう一回休憩させとくかーって
本当の魂胆は分からないけど、
2回休憩行けたチャンスをものにせず真面目に餃子をお客さんに需要がないのに供給しまくっていたわ。
前半の餃子を食べ終わったら
味に飽きちゃったら味変するのが私流の奥義!
でさ
これお店からです!って
ナシとリンゴを剥いてくれたのを盛られた小皿をサービスで出してくれたわ。
私もただならぬ勢いで餃子を凄い美味しそうに食べていたのがベストキッドだったのかも知れないところがバレてしまったようね。
私はあんまり身がバレる前に会員証を提示してそのお店を後にすることにしたの。
昨日はコンサートホールで公演を見に行ったので、
それ行く前の腹ごしらえって分けだったのよね。
物事には何事にも助走!ってのが大切じゃない。
飲むための食前酒と言うか。
今回ばかりは良い格好をしていたので、
そうはいかないところをその助走で補うってことでもあるし、
調子に乗ってしまうと本編で思いっ切り眠たくなってしまいかねないかも心配なところでもあったわね。
やっぱり焼き加減がその餃子師匠の手加減の差なのか分からないけど
焼き方が違ってまたそれぞれの違いの美味さがあるかのように
鉄板で焼きあがる音の変化が私も分かるようになってきたわ。
コンサートホールで演奏そうされていた演目の曲目は全く何やってるか分からなかったけどね。
うふふ。
お昼忙しくなるかも知れないと思って
シャキシャキとしたフレッシュなレタスが朝の元気を与えてくれるわ。
飽きがこなくていいかもしれないわって思う今年の私のブームかも知れないわ。
人は手抜きと言うでしょうが、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
あるのはどす黒く染まった虚無感。そしてそこに沈んだ6年間。
晴れて大学に合格し、キャンパスライフに夢を咲かせた8年前の春。大学生活を過ごすこととなるサークル選びの時間だ。
高校時代に演劇を少しやっていたこともあり、大学でも演劇を続けていきたいと思っていた。
舞台に上る前の高揚感、あの感覚は一度味わったら忘れられない。
自分の大学の中でも一番大きな演劇サークルの新歓公演では、大学演劇とは思えない規模の舞台に圧倒された。
そしてそこに、アイツは、あの魔物は居た。
取り巻きには優しいが、その支配スタイルは仮想敵を作ることで取り巻きを結束させるタイプのヤツだ。
今まで男子校でのうのうと暮らしていた自分にその危険さを察知する能力はなかった。
役者で男は一人だけ。役柄としてもおそらく30過ぎで、男子校上がりの18歳童貞が生半可な気持ちでインストールできるものではない。
率直に言って下手だったと自分でも思っている。
癪ではあるが能力は認めざるを得ない。
うまく歯車が合えば多くのものを盗めただろう。しかしそうはいかなかった。
最初のすれ違いがどこで起こったかは分からない。自分の記憶はもうターゲットにされたことしか残そうとしていない。
他の役者も取り巻きで話せない。今思うと1人は引いた視点で見ていたが、そのことは3年ほど経つまで気がつけなかった。
同じ学年と話す機会も少ない。そうして、どんどん自分だけで抱えていくことになった。
舞台上で自分の役がアイツの役に怒るシーンがある。公演の中で1つ、アイツへの思いを全力で乗せて怒鳴った。
その回のあと、アイツはそのシーンを良かったよと一言言った。それだけだった。
生身のアイツへの気持ちを載せたモノですら躱された。ああ、コイツはなにもわかってない。本物の魔物だ。
自分は結局、大学生活を通じてサークルで役者に戻ることはなかった。
何があったのかわからないまま精神をズタボロにされた自分は、何が起こったのかを結局解決できないままに大学5年間を過ごすことになった。
鬱というのは初動が大事だ。
それが一人暮らしを始めたばかりの18歳に降り掛かったときに、いったい何ができようか。
大学にも行けず、一日家で布団にくるまって泣くしかできない日々。
完全に負のスパイラルだ。
外に出ようとしても身体から力が抜けて、文字通り崩れ落ちてしまう。それが「日常」だった。
その日常が異常であることに、大学を出るまでついぞ気がつけなかった。
助けてほしいというだけのことに自分自身でも気がつけないまま、他人からも理解されることを拒んでいた。八方塞がりだ。
アイツと出会わなかったら自分の人生がどんなだったかと、気分の重いこんな日には考えてしまう。
確かに自分の自堕落さに依るところもあったろう。すべての原因をアイツ一人に帰せるわけはない。
地獄の中で嫌というほど記憶を反芻するたびに悪魔化されていっただろうことは否定しない。
それでも、その最初の奈落を作ったアイツは、自分の視点の中ではすべての咎を着せられるべき存在なのだ。
それほど深い絶望がそこにはあった。
信号を待つとき、道路からできるだけ離れて待つようにしていた。
ふとした拍子に飛び込まないという確証がなかった。
郊外のショッピングセンターにあるような吹き抜けの通路でも吹き抜け側は避けるようにしていた。
飛び降りないという自信がなかった。
一番死に近かったのは3年前の夏。
当時共同制作していた作品が全く進まず、締め切りまで残り1週間となってもほとんど出せる状態になかった。
おまけに制作の外側でも人間関係をこじらせており本当に限界だった。
延長コードを切断し銅線を剥き出しにする。感情もないままただ機械的に胴体に貼り付ける。
端子ごとにオンオフを切り替えられるタイプのコードなのであとはスイッチを入れたら電流が流れる。
心臓を狙って電極を貼っていたので実行していたらほとんど助からなかっただろう。
最後に好きだった曲を聴いて終わらせるつもりだった。
「芥の部屋は錆色に沈む」、テーマも曲の途切れ方もピッタリだ。
もう2,3曲試したところでようやく正気に戻った。
一呼吸入れたあとに実家に電話を掛ける。そうしてしばらく一人暮らしを離れることとなった。
実家に連れ戻されたとき、父と二人で近所のファミレスに行った。
これからのことを父が話していたように思う。
やがて注文した料理が運ばれてきた。おいしそうなハンバーグだったか。
しかし箸を手にして食べようとしても、気持ちが食事をするのを頑なに拒んだ。
自分にはこれを食べる資格はない。何度も掴んでは離し。うつむいたまま食事を転がすのみ。
いつしか目には涙が浮かんでいた。
家族の理解、そして当時の恋人の支えがとても大きかった。いくら感謝しても足りないほどだ。
こうして自分は大学を去り、少しの休養の後社会に出ることができた。
大学1年目で一生分の不運を使い切ったのかとすら思えてくる。逆にこの幸運がなければ、今頃どうなっていただろうか。
自分はあの時にもう死んだと思っている。
だからこそ、今ここに三回忌として、一つの区切りとして、こんな取り留めもない文を認めているのだ。
6年間の悪夢に、形だけでも終止符を。
ここからは今まで一度も書いたことがない、テメエへの黒い感情だ。
テメエがこの文章を自分ごととして受け止められるような人間でないことは知っている。
自分のこととも気づかず酷いヤツだと怒るか、こんな場所にしか書けない臆病なヤツだと嘲笑うかだろう。
大学院を卒業して高校教師になったそうじゃないか。その指導で何人の信者を作り、何人の屍を生んだか。
杞憂だったらよいが、あいにく自分はテメエのことをそんな綺麗ぶれる人間だとは素粒子一つほども思っちゃいない。
これまでそうして生きてきたように、テメエは幾重もの屍の上に仮初の楽園を作っていくんだろうな。
テメエの名前を聞いただけでヘドが出るのに、やたらと一部にはウケがいいから嫌でも風の噂で流れてくるんだ。
なにせテメエの子だ。大層リッパな、スクールカースト最上位の陽キャに育つことだろうな。
テメエ自体への憎しみは消えないが、テメエにも家族ができたんだろ。
流石に恨みのない人間を悲しませることはしたくない。逃げ切れてよかったな。
何度痛い目を見せてやろうと思ったことか。
ガソリンをぶちまけて喚くテメエを見ながら高笑いしたいと何度望んだことか。
なあ。
頼むよ。
これだけ願ったところで、アイツの記憶は消えない。
アンパンマンはまだ来ない。
ちびゾウくんやカバオくん、そしてでんでん一座の役者達が岩の陰に隠れていた。
これはだいこんやくしゃが指示したことだ。
「絶対に声を出してはダメよ。大丈夫、カレーパンマンもしょくぱんまんもいるから。それにアンパンマンも必ず助けに来るわ」
だいこんやくしゃの言葉を聞いて、子ども達は少し安心したような表情になった。
だいこんやくしゃも大きなダメージを受けて倒れていた。
下手に動くと敵に見つかるので、うっすら目を開けて辺りを見渡した。
(ああ、なんてこと。カレーパンマンもしょくぱんまんもあんな姿に…。今動けるのはアタシだけ…考えるのよ…アタシにできること…)
アンパンマンが助けに来るまで、子ども達はもちろん一座の大事な役者達をなんとしても守らないといけない。
その時だった。
「はーっくしゅん!」
おそらくカバオくんだ。
「グゴゴ…?」
敵がその音に気付き、岩の方に視線を向けた。
(マズいわ!マズいマズい…!)
だいこんやくしゃは痛む体をムリヤリ起こした。
そして、考えるより先に走り出していた。
だいこんやくしゃの声があたりに響いた。
それは日頃の芝居で鍛えた、遠くまでよく通る声だった。
「グゴグガガァァァ!」
敵は雄叫びを上げて向かってきた。
だいこんやくしゃは子ども達の隠れている岩と反対方向に走った。
「ほら、ノロマさん!アタシはこっちよーーーー!」
だいこんやくしゃの挑発は敵を更に怒らせた。
「よ、よせ…その傷じゃ無理だ…」
「やめるんです…だいこんやくしゃさん…あなたがやられてしまう…」
カレーパンマンとしょくぱんまんの声はだいこんやくしゃには届かない。
「ほら!!こっちよ!」
だいこんやくしゃは力の限り走った。
しかし、思うように足が動かない。
敵はどんどん近づいてくる。
(なんのこれしき…芝居では見栄を切っていたけど、今は見栄を張らせてもらうわ!アタシの役者魂、ナメないでよね!)
「だいこんおろしーーー!」
「グワアアア」
少し距離は開いたが、奮起した敵はさらなる勢いで追いかけてきた。
だいこんやくしゃはついに崖っぷちまで辿り着いた。
「グォォォ!!!」
敵は咆哮し、今にも飛びかかってきそうだ。
「フフ、少しは早く動けるのねノロマさん。さあ、どうする?この先は崖。アタシに飛びかかったらどうなるか、おバカなあなたにも分かるでしょ?それとも、アタシと一緒に奈落の底に落ちてみる?」
その言葉に敵は動きを止めた。
だいこんやくしゃは捲し立てた。
「この崖から落ちたら、さすがのあなたでも助からないでしょうね。しかも、その図体の大きさ。アタシの何倍も、いや何十倍も痛いはずよ!」
敵は少し思案しているようだった。
「痛いのはやっぱり嫌なのね!かわいいとこもあるじゃない。さあ、これ以上馬鹿なことはやめて巣に帰りなさ…!?!?」
突然、だいこんやくしゃの体が浮いた。
敵の背中から植物のツルのようなものが伸び、だいこんやくしゃの体に巻きついたかと思うとそのまま空中に持ち上げたのだ。
「なあに、これ?こんなの隠し持ってたのね。面白いじゃない…う…ぐ…」
ギリギリと締め付けられる。
思わず顔が歪む。
敵はニヤニヤしながらだいこんやくしゃを見ている。
「うう……」
敵がグッと力を入れた。
「いやあーーーーー!!」
いっきに締め上げられただいこんやくしゃは耐えられず叫び声を上げた。
「アーンパーーーンチ!!!」
「グォォォァァァ」
突然の衝撃に怯んた敵は、触手を解いた。
触手から放り出されただいこんやくしゃをアンパンマンは素早く捕らえた。
そして、共に辿り着いたアンパンマン号のところまで連れて行った。
「ア…アタシのことはいいから早く行って、アンパンマン。岩陰に…子ども達が隠れてるの…アタシの一座の役者達もいるわ…。敵はまだ気付いてない…早くあいつを倒して、助けて…あげて…」
「なんだって!?子ども達があそこに!?アンパンマン、だいこんやくしゃのことは私とバタコに任せなさい」
「それいけ!アンパンマン!!」
そのあとは、あっという間だった。
アンパンマンは敵に触手があるのを逆手に取り、舞うように飛ぶことで敵自身をグルグル巻きにした。
また、アンパンマン号のおかげでカレーパンマンとしょくぱんまんも復活し、連続トリプル攻撃で瞬く間に敵を倒した。
岩陰で震えていた子ども達も、その勝利を見届け笑顔で駆け出してきた。
全てが元通りになったかに見えた。
「座長!!」
「座長!しっかりして!」
その声に、みんなが集まってきた。
そこには、アンパンマン号にもたれるように座るだいこんやくしゃがいた。
「私はパンのことなら何でもできるのだが、大根のことは残念ながら…」
「さ、さすがアンパンマン。ありがとう。よかった、みんな…助かったみたいね。大円団ってわけね」
「だいこんやくしゃの声のおかげで、みんなの場所が分かったんだよ。それで僕もジャムおじさん達も辿り着けたんだ!」
「そうなのね…毎日欠かさず発声練習をしていた甲斐があったわ…」
「だいこんやくしゃの演技のおかげで、敵が子ども達から遠ざかったんだぜ!あの傷で大したもんだったぜ」
「それに、崖に追い込まれても素晴らしい口上で敵を食い止めました!」
「ふふふ、今まで演じたどれよりも難しい役どころだったわ…。でも、大成功のうちに千秋楽ってところね。……ふう…あらら…私の役者生命もここまでみたい…」
「だいこんやくしゃ!!」
「座長!」
「アンアン!!」
「アタシはパワーもないしヒーローにもなれなかったけど、誇りを持って役者人生を生きてきたわ…。それが何のためになるのか…誰かの役に立つのか…悩んだこともあったけど…こうして大勢の人に見守られて逝けるのなら…私の選んだ道は…間違ってはなかったのね…」
「もう…喋らないで…」
「…そうね。表情で語るのも役者として大事よね…。一世一代の演技を演じ切れて…もう思い残すことは無いわ…。アタシの部屋に未発表の台本がたくさんあるから…演目には困らないはず…。これからもでんでん一座を…よろしく…ね…」
だいこんやくしゃの手がだらりと下がった。
まるで眠っているような穏やかな表情だった。
今日は雨よ。
事務所は私一人このビル自体も1人なのかも知れないけどそれは分からないわ。
いわゆる咳をしてもってやつね。
夏先取りのあとの次の旬の
そう言う時はうんと冷房が効きまくるのよね。
一番面倒くさいのが茹で玉子よね。
あれを剥くのが一番面倒くさいんだけど、
わりと常温めに戻した生玉子をいきなり熱湯にゆっくり入れて作る茹で玉子が安定して大量生産必勝法を確立したいるところで、
これに勝るとも劣らない大量生産の茹で玉子の作り方があれば是非教えて欲しいところよ。
絶好のおでん日和の茹で玉子の具としてクラスチェンジするのよ。
意外ともう大根とか丁寧に
面取りはした方が良いかもしれないけど
下茹でとかしなくてもいきなり鍋にぶち込んでもある程度のおでんとしての大根の役割は果たす名大根役者なの。
当たりもしないハズレもしない、
役者としては致命的だけど、
なんか広い舞台で役者が4人しか出演しない劇ってきっとクセ強劇じゃないかしら?
そう思うのよ。
でもこれだとまるっきりリリーフランキーさんのおでんくんじゃない!
やっぱり上手いこと考えることはもうすでに考えられたものの上になってるのよね。
良いアイデア!って思ったことは大概はもう考えられているって事。
まあ
名シーンのかずかず!
あーでもやっぱり、
一番面倒くさいのは
牛すじの下ごしらえかも知れないわ。
これは流石に下茹でして処理しないとカチカチで硬すぎるし、
かと言って高火力の圧力鍋で下ごしらえすると
上手い下ごしらえ加減が調節できなくて、
つまりは
まるでイッセー尾形さんの一人芝居の毎回やってる日替わりの演目のように
私も日替わりおでんの具をなにか
何が良いかしら?と考えたら
ちくわぶとかも良いし、
あとそう!名脇役を忘れていたわ。
すっかり忘れていたわ。
え?
糸コンニャクを入れないのかって?
うふふ。
鮭おにぎりよ。
梅おにぎりか迷ったけど
迷ったら鮭ってのが私の定番ね。
今日は至って
鮭おにぎり気分ってところかしら。
作り置きが大変助かりまくる
もうがんがん!って感じよ。
ここのところまた雨続きなので
意外と暑くないけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
妄想だぞ
↓
父は?
↓
父はミュージシャンだからなのかなんなのか知らんが 昔からモテてて外に女がいなかったことないよ 今も富豪じゃ無いのに女がいるよ
↓
何系の?楽器は?
↓
↓
↓
↓
ピアニストはボーカルと絡むし夜の店で弾く仕事あるけどギターは弾くのも聞くのも野郎ばっかでもてない印象あるから けっこう絞れてしまうかも
↓
↓
↓
↓
だよな。客すら女少ない。若者よりつかない。
↓
↓
↓
良いわけないじゃん
↓
フュージョンメインて変わり種だなと
↓
↓
ギター何使ってたん?
↓
知らね
2020-08-30(anond:20200830211103)
Apple Music は最近のヒット曲すら勧めてこないぞ
5年経過しても既に聴いているアーティストのアルバム曲とか勧めてくる。埋めるぞ?って思う
仕方ないので定期的に Billboard や音楽サイト回っている
世界的にラップが聴かれているから公式のプレイリストでもラップだけは悪くないけど
おうちではJBLのポータブルスピーカーでフツーに満足できるお耳なので特に困ってないです
↓
経歴からしてもガチテクニックあるというより伴奏者で芸能界とのつながりから 一般人向けの演目やってたか 「なんとかって許可でギター弾いてた増田さんが来店!」つって
↓
そのバンドもオッサン(おじいちゃん)以外は知らんと思うけどな
ただスタジオミュージシャンにならなかったという事は
まぁそういう事なんじゃね?
↓
音楽好きなところ親父が残してくれてよかったな。
ドラクエモンハン・FF・ソウルキャリバー・ロマンシング・サガ・キングダムハーツ・ソニック・クロノ・トリガー・テイルズと続いて、入場するプラカードが漫画の吹き出し。
要するに今回のテーマがサブカル&オタク系だったからやめちゃった彼が選出されたんだろうね。
そしてこのテーマの背後には世界中がオタク化せざるを得なかったコロナがあった。
それが日本の輸出産業のイメージに合致した結果行進がこうなったという。
オタクとコロナと引きこもりやゲームに直接的な関連性はないぞ、とかそういうことじゃない。
カルチャーとして引きこもった期間とそれに類するものと代表性があればいい。
アスリートを演出するダンサーたちはアスリートの孤独を演出した。
(これはNHKのアナウンサーが解説してるので深読みもくそもない)
このセレモニーのテーマはこもった者達がそれぞれの個人の戦いを経て今一つになる、位の感じだろうと思う。
内容は「生前葬」ならぬ「生前追悼番組」といった趣。内容そのままで鶴瓶の死去後1年以内に公開したら多分観客は終始感涙、エンドロールで号泣スタンディングオベーション間違い無しのドキュメンタリー映画。
でも実際には笑福亭鶴瓶は「存命」どころか「現役」バリバリなのである。葬儀の遺影を前に本人が軽快なトークをしていたら参列者は困惑するか苦笑いするしかないわけです。その「寒さ」と「腰の据わらなさ」に、
それでも2時間耐え続けられるのは、もっぱら被写体が鶴瓶だからである他ありません。OFFにハワイでゴルフみたいな芸能人は全然珍しくないですが、ゴルフ場で偶然前の組がオバマ大統領(当時)という人間は
なろうと思っても、どれだけ生前徳を積んだとしてもなれるものではありません。惜しむらくは「俺が死ぬまで世に出したらあかん」シーンは一切入ってない事。なのでこれは「追悼番組の予告編」です。予告編で既に
情熱大陸2時間分よりも満足度が上回ります。何と比べてるのかという話ですが、「家族に乾杯」が全てのロケ番組の面白さを上回っているのと一緒でこれはしょうが無い事なのです。あと細かい事を挙げると
すれば、「らくだ(落語の演目)」の謎を追うパートはそれこそEテレの1時間枠でじっくり観せるべきで、その教養を踏まえて「鶴瓶のらくだ」を見た方がいいと思ってしまいました。本来混ぜて見せない方がいい2つの
「F1マシンはトンネルの天井を走れる」という話を聞いたことがあります。
F1マシンには強力な空力パーツ(前後についてる羽根みたいなのとか)が装着されていて、この空力パーツは自重よりも大きいダウンフォース(車体を地面に押し付ける下向きの力)を発生させることができるらしいです。
もちろん、飛行機がじゅうぶんに加速しないと宙に浮かばないのと同様に、F1マシンの羽根も(飛行機とは正反対の働きだけど)じゅうぶんな速度で風を受けないと自重以上のダウンフォースを発生させることはできません。が、それはともかく、理屈の上ではF1は天井に張り付いて走ることができる。
そこでふと疑問に思ったんですが、空力的に天井に張り付くことが可能だとして、エンジンを始めとした自動車の様々な機構は、上下逆さまになったままでも動くんでしょうか? 重力に依存した仕組みがあった場合、逆さまにしたら正しく動かないのでは、と思うのです。
車体を逆さまに保つ方法や天井にくっつける方法は置いといて、自動車は逆さまでも動くのか考えてみたいと思います。
木下サーカスには、巨大な球形のケージの中を数台のバイクが縦横無尽に走り回るエキサイティングな演目がありますね。オートバイにできるなら自動車も同じことができるかな? と思ったのですが、よく考えたら、サーカスのオートバイはF1の天井走りとは条件がいささか異なることに気づきました。
サーカスのオートバイが球体の中を自由に走り回れるのは、遠心力を利用しているからです。高速で円運動をすることでオートバイを球体の内壁に押し付ける方向の遠心力が働きます。じゅうぶんな角速度を得て遠心力が1Gを超えたとき、オートバイは逆さまになることができます。
サーカスのオートバイにとって遠心力は常に「主観的に下向き」の力で、それはライダーにも車体にも、ねじの一本に至るまですべてに働きます。
どうやらサーカスのオートバイは(技術的にはきわめて高度なことをしているものの)物理的には平らな地面の上を正立して走っているのと同じようですね。私の疑問の参考にはなりません。
自動車の中で重力に依存する機構がないか考えてみます。エンジン関係や駆動系はそのほとんどが回転運動であり、重力はほとんど関係なさそうですが……。
エンジンのピストンは上下運動をしていますが、燃料が爆発する力に比べればピストンの重さはまったく問題にならないくらい小さいし、複数のピストンが対称的に動作しているので、ピストンじたいの質量の影響はどっちみち相殺されてしまいます。
そもそもシリンダーの向きが上下ではないエンジンもたくさんありますね。V型エンジンにはバンク角がありますし、水平対向エンジンはシリンダーが寝ています。そしてなんと(自動車ではありませんが)、飛行機のプロペラエンジンには、クランクシャフトをシリンダーが360度ぐるりと花びらのように取り巻いた星型エンジンがあるくらいです。これはもう上下関係ないですね。
しかし、ウィキペの星型エンジンの項目には興味深い記述がありました。
放射状にシリンダーが配置されるため、時計で言う処の3時と9時(水平)よりも下側に配置されるシリンダーはエンジンオイルが重力で燃焼室に垂れ落ちるオイル下がりが発生しやすくなる。
燃焼室とクランクケースの位置関係から「オイル下がり」と表現しているのでしょうが、クランクケースから燃焼室にオイルが入り込むことは一般に「オイル上がり」と言いますよね。星型エンジンではピストンの番手によって現象の呼び名が変わってしまうのでしょうか。なんだか違和感がありますね。
話がそれましたが、逆さまのエンジンでも星型エンジンの下部ピストンと同じでオイル上がりは起こりやすそうです。
ああ。待て。待てよ。
オイルパンってエンジンの一番下にありますよね。いや、エンジン内の循環はポンプで圧送しているはずなので、まさか重力でオイルパンに集めているわけではないと思いますが、ストレーナはオイルパンの一番底に口が開いていてオイルを吸い取っています。車が逆さまになるとストレーナは空気しか吸い込めなくなりますね。
つまり車が逆さまだとエンジンにオイルが回らなくなる。時々ひっくり返してやらないとエンジンがこげついちゃいますね。ハンバーグか。
ほかにもデフやミッションなどオイルがひたひたに溜まっているところはありますが、こういうところは密封されていて循環せずにいるので、車体がひっくり返っても影響はなさそうな気がします。
燃料にもエンジンオイルとまったく同じことが言えます。燃料ポンプはガソリンタンクの底に口を開けています。車が逆さまになると空気しか吸い込めなくなって、完全にガス欠したのと同じ状態になりますね。潤滑なんかを心配するまでもなく、燃料の供給がなくなってエンジンが止まってしまうほうが先ですね。
と、ここでまたふと疑問が。飛行機の背面飛行は燃料の問題をどう解決しているのでしょう。
調べました。吸入口がタンクの底にあるのは同じなのですが、吸入口を逆止弁のついた小さな小部屋が取り巻いていて、背面飛行したとたんに空気を吸い込むようなことはなく、この小部屋に燃料がある限りは背面飛行できるようです。勉強になった。
タンクの中を小部屋で区切るというアイデアは自動車でも採り入れられているようです。背面走行に耐えるような機構ではないにしても、傾斜路や急カーブで強い横Gがかかっても燃料供給が途切れないような工夫はされているようです。F1なんかは絶えず強烈なGがかかっているので何か特別な工夫がありそうですね(知らない)。
まあ逆さまでは動かないとわかったのでこれ以上考えてもしょうがないのですが、せっかく始めた考察なのでもう少し続けます。
冷却水も、循環にはウォーターポンプを使っているものの、重力に依存した設計が随所にありそうな気がしますね。ラジエーターは、上部のアッパーホースから戻ってきたクーラントがラジエーターコアの中を流れ落ちて行き、底部のロワホースから出ていく、という仕組みの車が多いです。
流れ落ちるのにポンプの負圧だけを使っているのか重力も援用しているのかは私にはわからないのですが、ともあれ、車が逆さまになった途端に冷却経路にエアを噛んでしまいそうです。いただけないですね。
影響なさそうな感じ。
足回りは、F1のように空力だけで天井に張り付くことができるならば通常のサスペンションと同じという気がします。
よく「バネ下荷重は小さいほうがいい」と言われます。背面走行車は小さいを通り越してマイナスという究極のバネ下荷重とも言えますが、足回りの性能に関係してくるのはおそらくバネ下の「慣性質量」だと思うので、やはり正立している車とあまり条件は変わらないですね。
フルードの出入り口がリザーバタンクの底にあるのでエア噛みが心配。
車の構造物は基本的に車体に固定されているので逆さまになってもほとんど問題はないと思います。フロアから吊り下げている排気管は荷重が逆になると何かにガチャガチャ当たりそうな気もしますが。
車内については、一番厄介なのはドライバーですね。通常の三点式シートベルトだと天井に落ちてしまうでしょう。四点式や五点式でもかなりつらいものがあると思います。ジェットコースターのように肩をがっちりホールドする仕組みがないと運転操作ができ文字数
下手だけども文章を書いていく。
ただの救われない男の戯言なので面倒だと思う人は見なくて構わない。
HSPと一緒で傷つきやすかったり敏感でありながらも、平穏を求めずに刺激を求めるとかゆう自爆タイプのかわいそうな人間である。
刺激を求め飛びついては傷ついて疲弊して考えんこんでしまうのが当たり前とかゆう馬鹿な人間。
正直かなり辛い。
これまで刺激的な体験がしたくていろいろなことをしてきた。
ライブをしたくてバンドを組んだりしたのだが、自分の歌が人を魅了できるほど上手くないとわかっているのでメンバーや観客の顔色を気にしては疲弊し自己嫌悪に陥る。
高校の頃漫才の大会に出たが、あまり笑ってもらえず頭が真っ白になりネタを途中でやめ退場。
またも高校の時に、舞台祭といって体育館の舞台でいろんな演目をやる行事の司会のひとりとして出たこともあるが、司会が4人もいたので下手に入り込むとぐちゃぐちゃになりそうだとか、司会の二人の進行がうまかったので必要ないんじゃね?と勘ぐり一言も発せず退場。
その他にも好きゆえに飛びついては下手なところを意識しては自爆して自己嫌悪に陥り鬱っぽくなってやる気が出なくなる日々が多い。
ここまできたら人前に立ったり、誰かを挟んで何かをすることが向いてないのはわかっている。けどそこができなくなるって考えるだけで生きる希望がなくなってしまう。
誰かに称賛されたいわけじゃなくて、本当は自分のしたいことや想像したビジョンを現実化したいだけなんだ。
間っ子であることも要因の一つで空気を読んでしまいがちだし、これに加えてHSPの敏感さを兼ね備えたせいか、何事にも相手の顔を伺ってしまうし、こうした方が周りにとって都合が良いと思える立ち回りが浮かんでしまう。
良い立ち回りが浮かんでもそこに注ぐエネルギーは膨大な上、自発的では無いからやったとしても本当にメンタルを削られる。
ランチをした店の店員さんときさくに話す横で自分も混じったりしないといけないだろうなとか、楽しくいろんなことを話してくれる彼女に向けて自分ももっと話さなきゃいけないんだろうなとか考えていた。
そんな時ふと思う。こんな俺が彼氏で良いと思ってくれているのだろうか?
彼女はすごく綺麗で性格も本当にいい。そこも相まって一緒にいることに懸念がある。
考えすぎだとか、人と比べちゃいけないってのはものすごく理解している。
けどどうしても敏感ゆえにチラついてしまってバイアスが消えてくれない。
今日は楽しい一日だったのに、そんな些細なことでも楽しいことを悲しく捉えてしまうようになってしまっていた。なんだかもう死にたい。
どの落語家も、なんだかんだと講釈たれやがるけど、芝浜、短命、死神、駱駝てな鉄板はやるし
誰のを聞いても話の筋は変わる訳じゃねぇんで、どれか一回聞けば十分てなもんで、似たようなのを何回も聞いたって面白くも何ともねぇ
しかも落語のメインキャストといやぁ、タイトルしか記事を読まないはてなブックマーカーもびっくりの阿呆ばかりと来た日には
まともな人間は、こっぱずかしくて聞いちゃいらんねぇんだよ
千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
この百人一首の意味が分からねぇと言う阿呆に、更に輪をかけた阿呆の爺さんが
千早って花魁が、力士龍田川を振った。妹の神代も振ったけど、そのご神代も落ちぶれた。
龍田川が開業した唐揚げ屋にやってきた神代が、唐揚げ恵んでくれと頼んだけれど
龍田川はふざけんじゃねぇと追い返したところ、川に入って自殺してしまった
「方程式」で歌詞検索して出てきたなかからアニソンの歌詞をいくつかピックアップしてみよう。
どの方程式も当てはまらないこの問は解こうとするたび溶ける まるで魔法にかかったマリオネット
離れたほうがいい 繰り返す呪文のように唱えるほどに落ちてゆくの
「好きだという気持ちを認めたくない」「離れたほうがいいけど近づきたい」といった恋心のジレンマが歌われている。
そもそも「どの方程式も当てはまらない」すなわち「問題の定式化」ができていないのだから元増田の批判には当たらない。
幼き頃の寂しさがまだ絡む方程式 例え明瞭な数式でさえ導けない
この歌は後半では
一人きりじゃないわ 共に行く仲間ができたの
となる。
彼女はセーラー戦士になったことで孤独から抜け出せたのである。
Mathsをうめても解けないTEST
嘘で炎上(もや)してHORRIBLE FEST
社会を変革するために犯罪にも手を染める主人公を描いたアニメ本編を見ればわかるように、
たとえテストの正解が出せなくても「明日を変えてく方程式」を推測でも実行していくことを歌うものである。
元増田の言うとおり近似解を出しているのだから批判には当たらない。
歌詞の後半では「恋はイコールじゃ括れないわ」とも歌っており、「問題の定式化」が不可能であることを示唆している。
Can not? Can not? できないの?
「これから知らない世界に飛び出していく君たちがどんな夢を選んでもきっと叶う」ということを歌っており、受験勉強を描いたアニメ本編に合わせた歌詞となっている。
後半の歌詞では「全てが正解な答えはどこにある? 満点の未来じゃなくてもやりとげるんだ」とも歌われており、
元増田の言うとおり近似解を出そうとしているのだから批判には当たらない。
もうヤ・メ・テ
らしさの押しつけとかヤ・メ・テ
方程式で縛るのはヤ・メ・テ
ここでの「方程式」とは未来の可能性に溢れた若者に対する「こうしたほうがいい」という押し付けの喩えであり、
むしろ「定式化」を拒否して自由に生きていこう、ということが歌われている。
解けない方程式どころか「僕たちにしか解けない」と断言されている。
その他の作品も眺めているとほとんど二つのパターンに当てはまることが見て取れる。
「解けない方程式」として扱われるのは多くこのパターンである。
しかし恋愛における「近似解」となると「彼女とは友達で我慢する」とか「他の似た女性と付き合う」といった話になってしまう。
そうではなく「君じゃなきゃダメ」だから「恋の方程式を解きたい」のであり、近似解ではダメな理由が十分に示されていると言える。
だいたい「きっと解ける=将来は上手くいく」となるか、「方程式なんていらない=自由に生きろ」となることが多い。
以上から「アニソンの歌詞は解けない方程式に固執し、有効な近似解を求めようとしない」とする元増田の批判はまったくの的外れである。
今日はデビューシングルを提げてのミニライブで、約1年ぶりにライブに現地参加した。
おろしたての服を着るのは気持ちいいし、手持ちのものと組み合わせて、イメージカラーに近いコーディネートに仕立てられたのも嬉しい。すごいおしゃれってわけじゃないから。
ネイルも久々にした。
元々上手くなくて、久々だからさらに下手になってるかな…と心配だったけど左手はすごくうまくいったと思う。チケットと一緒に記念写真でも撮っておこうかな。利き手である右手は散々で、親指と人差し指にしか塗れなかったけど。(それ以外の指はあまりにも酷くて全て落とした)
トークコーナーではお便りが読まれて名前呼んでもらえたし、推しの素直さがそのままサービス精神旺盛として現れるところも素敵だった。
そもそも初っ端登場してすぐに泣き出したのも愛しくてたまらなかった。私も秒でもらい泣きした。
ライブパートは声優になる前にとても力を入れてた歌唱力が遺憾なく発揮されて、好きなパートの歌声は聴いてて喉の奥がツンとなる。世界観の詰まっていて小技の効いた曲だから、それに合わせて遊びのある振り付けなのも良くて、指先まで見てて楽しかった。書き出し始めたら止まらなくなりそうなくらい、好きなところがまたたくさん増えてしまった。
それから、私は学生時代に同人音楽やネット発のインディーズレーベルにハマってたことがあるんだけど、作曲者がその界隈出身の人で、それもなんだかときめいた。そしてもちろん、今回書き下ろされた曲自体がものすごく好きだった。インストでも何回も聴いてる。
音楽が好きになれないとハマれない性質だから本当に救われた。推しが解釈違いのプロデュースをされることが一番心にくるから。
そしてなんといっても、ライブの日に食べる寿司の美味しさといったら!
1日で全2公演やるスケジュールでその両方に参加予定だったので、公演と公演の合間に食べた。2公演目の終演後だと遅い時間になってしまうし、ライブ鑑賞もカロリーを使うので公演の間にちょうどよいご飯を食べるのがコロナ前のお決まりだった。
公演の間に食べるちょうどよいご飯、それが寿司。入るのに待ちさえしなければ、注文すればすぐに食べれるし、量のコントロールも容易だ。
提供の早さでいえばラーメンもいいんだけれどもちょっと多いし、食べ終わったらすぐ出なきゃいけないし、ダラダラ食べるもんじゃないし。
その点、寿司は魚と米。アタるような生魚を出すのはそもそも寿司屋ではないので、腹痛の心配はないし、味に外れがあることもそうそうない。ちまちまと食べても罪悪感がない。カロリーも適度に摂取できる。寿司パワーでライブを乗り切れる。
他のライブに参加するオタクが周りの席にいることも少ないし(オタクはファーストフード店やファミレスに入りがち)お一人様は基本的にカウンター席だから落ち着いてたべれるのもポイント高い。
【前提】これは刀ステのほぼ全演目を時にライビュ時に配信時に現場で見た上で基本的に末満さんとはセンスが合わないと思っているオタクによる悪口である
【おことわり】
・嫌なら観るなについて→刀剣乱舞のファンとして「今度こそは」の期待とか一度追いかけ始めたものから退却できないサンクコスト効果とかで引くに引けないんですよ
(1)長い。中だるみする。ちょくちょく挟まれる殺陣のせいで話が分からなくなる。
しょっぱなからアレですがこれは仕方ないと思う。上演時間ありきで脚本作るから。
殺陣については私のアクション適正が低い。アクションを見慣れてない人間って殺陣が始まると
・「とおけんだんしが敵とたたかってるー!がんばえー!」くらいにIQが下がる
・戦闘の背景にある対立構造、誰と誰が何故(何を賭けて)戦っているのか等の情報を認識できなくなる
刀剣乱舞を題材にしている上殺陣を特に売りにしてるステで殺陣を減らすわけにも行かないのも分かるのでこれも仕方ないとは思う。アクション適正上げてから来いってね。
(2)台詞が頭に入って来ない
末満さんの詩情が体質に合わない(完)
これに尽きてしまうとは思うんだけどもう少し悪口を。末満さんって滅茶苦茶台詞量多くないですか?一つ一つの台詞も長いし。青空のような人ってなんやねんいいこと言ったような雰囲気で無理矢理まとめんなて。
筆者は小説でも長い台詞や長いモノローグを嫌うのでマジで合わない。長台詞はここぞの一回くらいしか許されないと思ってる。心情の説明を台詞やモノローグに頼るのならもうそれは物語の形を取る必要はなくて増田で長文語りしとけよって思う。舞台で物語をやるのなら、物語の展開からキャラクターの心情を追えるように手を変え品を変え尽力するのが職人の仕事だと思ってる。
(3)複数ラインの物語を同時並行する割にそれらが交錯しない。一つの物語でやる必要あった?一時間の舞台二個やればよくない?って思う。
①秀頼と一期の「自分は誰であるのか」という物語…秀頼「自分は秀吉の作った天下の上のお飾りに過ぎないのではないか。自分が本当に秀吉の子であるかも定かではない。自分は本当に天下に立っていていいのか」→太閤から秀吉との繋がりを保証された上で「これはわしの戦だ!」・一期「弟がいてようやく成立する兄としての自己像以外に依って立つところがない」→「歴史を守るのが私の使命だ」(一期の物語誤読してるかも。すまぬ)
②弥七や真田信繁の「歴史に抗いたい」物語…しにたくヌェ〜〜ってやつ。序盤家康が「お前の知るわしがわしの全てではない」(物語は語り手の視点や恣意に影響され、ある事柄を完璧に語り尽くすことは不可能)からの諸説の可能性の提示からの決められた物語に納得いかね〜〜俺は後世のお前らの語る歴史のための駒じゃね〜〜俺の闘志を無かったことにすんじゃね〜〜ってやつ
関連性のない複数のストーリーラインが(殺陣や長台詞をガンガン交えて)同時進行するからま〜〜〜〜じで集中力途切れるし作品全体も散漫な印象になる
あと細々したところで家康の戦への欲求とかね。正直家康のあのキャラ付けは加州の見せ場作りと三英傑の物語やりましたってアリバイ作りのためとしか思えない。ちなみに戦への飢えについての話は義伝でもうやってんですよ……再利用かよ……
諸説に逃げて生き延びればそれで良いってなんか随分控え目だけどそれこそミュのみほとせの信康みたいにコソッと逃げればよくない?弥七が言ってた通り諸説の余裕があるならその余裕に自力で滑り込むことは可能では?史実を守る本能に導かれた刀剣男士にナイナイされちゃうの?そっかあ……
「生き残りたいポン!」「諸説に逃げるポン!」「俺らを助けるオリジナル刀剣男士作るポン!」「だから逸話集めのために刀剣男士斬るポン!」「だから派手にドンパチ起こして刀剣男士誘い込むポン!」って論理の飛躍を感じる。
(5)物語の恣意性、物語無き物の物語、無かったことにされた物語についての話はもうやってるんだよなあ……
ミュのむすはじとあおさくでやってるんだよなあ……
今作で特に別解を出したわけでもなく、ただ無かったことにされた物/者たちの憤りにスポットライト当てたところで終わってるし
三日月と山姥切国広と結の目となんやかやを巡る時空SFっぽいやつ
ようわからん(完)
基本、作中の本筋に関わらず、また作中で解決されない謎って作品鑑賞のノイズになると思うんですよ。ステはこの謎と三日月の行く末を全作品を通してのサブストーリーにしていますが。
ちゃんと考察しつつ追ってればワクワクするんだろうけど。いや連載モノなら○○編をやりながら全体としてはワンピース探したり黒ずくめの組織追ったりするのが普通なので別に刀ステが下手打ってるとは言い切れませんが。
ただね〜〜〜〜やけに難解だし時系列スターウォーズ形式だし末満さんは意味深キーワード大好きだしですっきりしなすぎて私にとってはノイズなんすよ。公式で解説本出してくれ。図解してくれ。
そもそも作中での情報開示渋ってファンの考察に委ねるのやめてくれ。本能寺再演で左右逆とかキャス変にも意図があるとかそういうのほんといいんで……そういう場外戦が許されるのはエヴァだけなんですよ……
まあ昨今はインターネットやSNSのお陰で場外戦が盛り上がりやすくなっているから、そういう作り方もアリ寄りのアリなんでしょうが……
ツイッターで考察読んでもいまいちわからんってか読む気も失せるのよ……結の目ってなんなんだよ……
「史実に存在してはいけないもの」を登場させたから物語内で回収しないといけないのは分かる。でも集団自決からの無駄死にって雑じゃね?てか登場させる意味あった?物語ある刀剣を遡行軍が回収したポン!って次作への伏線のためか?
これはどちらかというと過去作、悲伝や慈伝への悪口ですね。維伝以降大分気にならなくなった。登場されるためだけの登場シーンが多いし「このシーンは大般若じゃなくて小夜の方が当人の性格や来歴踏まえて相応しいだろ」(キャラは適当です)みたいなシーンが頻出してた。
今回はまあ……主人公の一期とそれを支え受け止める弟二振り、一期とシンクロしてアイデンティティに悩む秀頼、一期と秀頼に秀吉のことを話してなんかいい感じにする太閤、江戸の終わりに物語を持つ者として江戸を始めた家康に対峙する加州、今回の主人公ではないけどシリーズの主人公である山姥切国広という具合でそれぞれに役割があったかな。宗三は必然性に劣るけど、一振くらい作品中の葛藤から距離を置いて渦中のキャラを諌めたり助けたり話を進めたりするゲリラサポーターキャラがいるのは悪いことじゃない。
(9)加州顔濃ッ
ごめんて
ごめんけどキュートでけだるく飄々とした加州というキャラクターからキュートが抜け落ちてただのハンサムになってんだよな〜〜〜〜いや演技は良かったよ全然加州だった
ただ加州っぽい媚びがなかった。まあ主の前じゃないから当たり前だけど
ただただHandsomeになっていた
「愛されっこないよね」とか言われても「せやな……お前は多分愛する側やな……」って言いたくなるくらいハンサムだった
【よかったところ】
ステアラをよく活用してた。クライマックスの360度の戦闘を次々見せる場面はとても華麗だった。
弥七が健気でかっこよかった
「それは家族を危険にさらしても行かなきゃいけないものなのか」
題名と一行目のとおり、私はとある理由で東京にいかなければなりません。
てか行ってきました。
遠征にいってはいけない理由は、持病持ちの親と介護職で働く家族がいること。たしかに一理ある。
だが一番の理由は「コロナになったら近所にバレるのが怖い」からです。
私の地方はまだ比較的数が少ないので夕方のニュースでどこ住みの何歳代で下手したら職業までさらされる。
田舎の情報網はすごい。ニュースに出た次の日にはどこのだれか特定される。
家族はそれが怖いのだ。そうなったら家に落書きされていたずら電話がきて家族は会社をクビになる。(本当です)
コロナでしんどいとかより社会的に殺されることのほうが怖いから感染のリスクを冒してまで東京に行くのかと聞いてくる。
自己責任だけど家族と同居してたら自己だけでは片づけられないんですね。一人暮らししたい…。
全国各地からお客が来る環境。コロナ禍でもあまり変わらずむしろGOTOのせいで(あえてせいという)客足は増えた気さえします。
「私は北海道から」「大阪から来たの」「九州から来たけど雪すごいね」
客は口々にどこから来たか簡単に教えてくれるがそのたびに自分のソウルジェムは濁っていく。
なぜこの人たちは自由に全国を行き来しているのに私はどこにも行けないのか。
そもそもこの人たちと普段から接している私はもはや東京行ったとか行ってないとか関係なくリスキーなはずだけど
でも私は行きたい。
そのミュージカルがどんなに私の心を救ってくれたかは話せば長くなるので割愛するんですが、
某歌詞の「何のために生まれて~…」のとおり何のために生きているのかわらない。
どーーーしても生で見たい。
親には友人宅で新年会をする。そのまま泊まると言って出ました(新年会はいいんかい)
久しぶりの新幹線、東京駅で食べたお寿司がおいしかった…昼からビールも飲みました。昼間っから外で飲めるって最高です。
会場に向かう電車の中隣を見れば同じ会場に向かうであろうお姉さんのバッグに推しのグッズ。
電車内にどんどん増えるオタク。会場最寄りの駅で降りて前の人についていく感覚。ついていけば会場につくだろうという謎の安心感。
おしゃれしたお姉様方。推しのコーデや持ってるグッズの色。もう最高でした。
これだけで東京に来てよかったと感動すら覚えました。
公演はとにもかくにも最高でした(語彙力)
演者さんの生の歌声。腹の底に響くビブラート。配信じゃわからなかった生じゃないと味わえなかったたくさんの感動がありました。
ずっと泣いてました。こんなに素晴らしいパフォーマンスに自分は拍手しか返せるものがないのが歯がゆい。
公演が終わった後、駅に行く道すがら満足感で免疫力爆上がりで何も怖いものはありませんでした。
やっぱり来てよかった。もし遠征しなかったら一生後悔したと思う。
私の行為はまったくもって褒められたものじゃないとわかってます。反対されてるのを押し切ってまでやったことはいけないことだとは思ってます。
でもどうしても行きたかった。見たかった。リスクを冒してまで見る価値があるのか。答えはもちろんイエスです。
幸い遠征から帰って1週間以上たちましたが家族ともども症状はありません。
このことは墓場まで持ってくつもりです。
また、遠征に行くにあたり自分の健康状態はすこぶる良好でした。
あと今回、遠征に行くにあたりSNSでも私が遠征に行くことは一切誰にも言ってません。
本当は会場で写真撮ったり感想をつぶやいたりしたかったし現地の友人にも会いたかったけど我慢しました。
フォロワーさんが現地で見ますと写真を挙げてるの見ると羨ましかったですが最悪の場合どこからバレるかわからないので。
でもどうしても遠征行ったよと言いたくてここに書きました。王様の耳のように言わないと気が済まなかっただけなので遠征を推奨するわけではありません。
読み直しても自己中でめちゃくちゃ自分勝手でほんとひどい内容だなと思います。
新型コロナウイルス感染症が猛威を奮っているさなかではあるけれど、これまでの人生で屈指の贅沢体験をしたので書いてみます。
まず、宝塚歌劇団雪組トップスター、望海風斗さんをご存知でしょうか。
妻がドはまりしている宝塚のなかでももっとも気に入っているスターのひとりでいま最もチケットがとれないと言われているスターです。その望海風斗さんの退団公演が今年の1月1日(正月!)からはじまっているのですが、退団公演ということもあって、ファンクラブに入会している方でもチケットをとるのに難儀しているそうです。妻もチケットをとろうとさまざまな経路で応募したり模索したなかで唯一、だめもとで応募していた旅行会社の宿泊プランとセットが2席分とれたというところから今回のはなしがはじまります。
うちには0歳児がいるので最初は自分が家で面倒をみて友達と行くのだとばかり思っていたけれどチャイルドルームに預けられるからということで一緒に行くことにしました。自分よりも強く観たいと思っているファンにも取れない人がいると思うと申し訳なさを感じつつも当代随一のスターの舞台を観る最初で最後のチャンスという思いです。
自分は大劇場は観劇するのは初めてですが(観劇する妻に同行してロビーで本を読んで時間をつぶしたことはある)、よくよく聞いてみるとこれがなんとSS席でかつ、セットになっている宿泊というのも帝国ホテル大阪。
帝国ホテルといえば、日本でもっとも格式の高いホテルのひとつ。一度、東京で間に合わせで日比谷の帝国ホテルのロビーにいたときはその異常な空間ぷりその場にいる人間の立ち居振る舞いから階層の違いを実感したのを憶えています
ちなみに、大阪帝国ホテルはまったく別で道頓堀そばのビジネスホテルなのでご注意ください。大阪帝国とは・・・。
そんなこんなで観た雪組公演「fff フォルティッシッシモ」はなかなかよい作品でした。
ストーリーは、音楽家ベートーヴェンは失恋や孤独、失聴に苦しみつつも、なぜ交響曲9番歓喜をつくることができたのか、というもの。そんなに構えずに観に行ったんだけれど、とてもよい人間賛歌でした。ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、これは演劇でしか表現できないだろうという仕掛けがいくつかあっておもしろい。あるシーンでの2人のセリフは、Linuxをつくり世界を変えたリーナス・トーバルズの「それがぼくには楽しかったから」を彷彿とさせました。
シルクロードをテーマとしたレビュー(宝塚では、ストーリーの演目と合わせてストーリーがほぼないレビューと呼ばれるショーが上演されるのが定番なのです)は音楽提供を菅野よう子がつとめなかなか見ごたえ聞きごたえがある。これは、チャイナドレスのシーンがインパクトがあってすごかったのとグレーのサテン地の変わったスーツがかっこよかった。
そしてSS席ということで席が前から一桁列目。めちゃめちゃ近い。出演者をほんと間近にみることができてDVDでは気付けなかった衣擦れ音や舞台後方でのざわめき、スポットライトにゆれるミスト、また月並みだけれど息遣いまでも感じることができました。銀橋(という観客席に一番近い細い舞台)を通る出演者のライトを受けてきらめく装飾の細かさや顔の小ささなど、観劇に際して得る情報量がDVDとは桁違いです。ただ、近すぎるからか音響の問題か、声が逆に聞き取りにくいシーンもありましたが。
あと、近くのSS席の観客が何度か同じタイミングでサッとオペラグラスをとりだしたり、拍手タイミングがわからなかったり、幕間に泣いている方がいらっしゃたりと普通じゃない感がありました。
緊急事態宣言下でどうなるかはわかりませんが本公演については2月8日(月)に楽天TVでLIVE配信があるので興味があればご覧ください。
https://tv.rakuten.co.jp/content/366230/
そんな観劇中、我が子は4時間4千円で預かってもらったチャイルドルームにて機嫌よく過ごしていたとのことで安心。駐車場からも劇場からも近くたいへん便利です。しゅっとピックアップして、桜ノ宮の帝国ホテル大阪へ。
観劇後の夕食については0歳児がいる上に、新型コロナウイルスもあって外には食べに行けないので悩んだのですが、せっかく帝国ホテルに行くということとSS席で気も大きくなっているところ張り込みました。
ホテルには前首相の桜の会で話題になったあの久兵衛があるので握りをテイクアウトして部屋で食べようかと思ったのですが、参照していたネット上のメニューが古く握りの持ち帰りはしていないとのこと、さらに、一つしかない個室があいているとのことでここを予約。個室は最低でも16,500円(サービス料別)の握りのコースからということでしたが子がこれから動き回るようになると行けるお店も相当に限られるだろうことから自分を納得させて決行。
これは最高でした・・・。四畳半ほどの掘り炬燵で子がいても気にせず食べることができました。
特に、見た目も美しいさより、吸いつくようなすみいか、未知の味がした寒ブリ、直球のうに、味がする甘鯛(?)、ほっとするような煮はまぐり、異様な旨さのある大トロの炙り、謎のねっとりとした半生のえび、端正なカツオ、箸休めのダイコン、塩味の穴子もたれの穴子も充実。かっぱ巻きと鉄火巻もよい。
大阪府の要請で21時閉店とのことでややせわしなかったのですが、濃い時間でした。。ビールも日本酒もよい。
うっかり持ち帰りの太巻も頼んでしまってお会計は45000円を越えてしまいました。2人で食べに行ってのぶっちぎりの新記録です(次点は入籍した日に訪れたイタリアンで9000円のコースを頼んだものの妻がワインを飲みまくって3.3万円となった日でしたがこれは3-4時間くらいいたので時間別では圧倒的)。
さらに最後までお店にいたことで板前さんに家族写真も撮っていただけました。
ここの撮影の合図はめちゃめちゃ笑えます。久兵衛経験者の一部しか知らないだろうので心の中にしまっておきます。
そして泊まった帝国ホテル。チェックインして部屋に荷物をおいてすぐ久兵衛にいったのでよくみれなかったけれど、部屋もよいしフロントの方の対応もさりげなく素敵で気持ち良い。
頼んでいたベビーベッドもテレビの前に鎮座されているし布団もしっかりしていてよい。
お風呂も熱くて広くてよかった。妻は買ってきたビールを4缶ほどあけてご機嫌。
自分は泊まるところどこでもよいと思っていたけれど、ハイブランドなホテルはちょっと違う。分不相応感の居心地の悪さはありますが。
ちなみに、ホテルの案内で知ったけれど、ルームサービスでコース料理5,600円、久兵衛のにぎりも7,300円からあるので(それぞれサービス料が+10%)、なにかハレの日にコロナの影響を避けて非日常を過ごすのによいかもしれません。
朝食は11時まで、事前にお願いすれば部屋に運んでもらうことも可能だったけれど、混んでそうな時間をさけて10時半ごろにいきました。ゆっくりできて便利。オムレツが火入れも完璧なうえにケチャップが別添えなのが高得点です。ただ、パンとコーヒーは凡庸な印象。あとあと、すらっとしたカトラリーがよかったので調べると燕市のトーダイさんとのこと。チェックアウトも12時だったのでゆっくり過ごせました。
宝塚と帝国ホテルのセット券は妻のポケットマネーから支出されており、金額は教えてもらえていませんが24時間で異常な額のお金を使ってしまいました。ただ、充実した時間でした。新型コロナウイルス感染症と戦っている医療現場、行政のみなさま、経営や生活に大きな影響を受けている観光や小売りや関係産業の方々には悪いと思いつつの消費です。これが今年の贅沢納めかもしれません。しかし寿司がうまかった・・・。
キュレーターとは,現代美術の文脈において展覧会の企画・運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトルの展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。
今日のクラシックにおける自主企画の演奏会は,多くの場合「プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家が架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートのマネジメントは演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないか。クラシック音楽にも,お客さんと作品をキュレーションで架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。
ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。
目次
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
5.まとめ
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
繰り返しになるが,現状のクラシック系自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目を披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家の独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家は選曲やプログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。
でもね,正直クラシックのコンサートの演目って似たり寄ったりじゃないですか。
コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックのサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去の音楽を再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。
ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり,技術で劣る演奏家の演奏会に行く理由がなくなってしまうのである。
このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽は特に「文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須のレパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベルが結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。
結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーにしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツと東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要な西洋音楽的技術が結構低いんですよ。川谷絵音や東京事変やKing Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスはクラシックに比べて多角的に評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価の観点として強烈に幅を利かせているのである。
「プロの世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。
例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。
このゲームでは,プレイヤーが最初のガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身の活動への俯瞰的視座」とか「個性的な音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初のキャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…
まともなゲームの運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。
…まぁでも現実世界にはゲームの運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである。
そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会のプログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものにデザインできれば,技術でトッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。
「モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会でデザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品の価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。
また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインのキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。
一方,クラシック音楽の演奏会はどうだろうか。そこに「体験のデザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツは演奏(楽曲)のクオリティ,そのほかはあくまで付属品」だと考えているし,むしろ演奏のクオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。
キュレーターは自分で作品を作れない。その代わりに,個別の作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験をデザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイートの意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。
具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説,選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。
とはいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体を仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験をデザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!
…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤー兼キュレーターになれ,もしくは②プレイヤー兼クリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。
クラシックの演奏家って特殊な立場なんですよね。CDやスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽を聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車が自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手が自動運転にとって変わられるように,中途半端な演奏家はオーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器や音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊的イノベーションだと思っている。
だからこそ,演奏家は「他者の作品の再現」以外の価値を作らなければならないのだ。
こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏を聴くより,自宅のスピーカーでトッププロの演奏を聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯の時間に丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCDの中の人の方が上でしょ?…これが一般人の残酷な本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験をデザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。
また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやすく価値を提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者の作品の再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコースピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。
ちなみに,「自分の作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身が作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています。