はてなキーワード: 家族に乾杯とは
内容は「生前葬」ならぬ「生前追悼番組」といった趣。内容そのままで鶴瓶の死去後1年以内に公開したら多分観客は終始感涙、エンドロールで号泣スタンディングオベーション間違い無しのドキュメンタリー映画。
でも実際には笑福亭鶴瓶は「存命」どころか「現役」バリバリなのである。葬儀の遺影を前に本人が軽快なトークをしていたら参列者は困惑するか苦笑いするしかないわけです。その「寒さ」と「腰の据わらなさ」に、
それでも2時間耐え続けられるのは、もっぱら被写体が鶴瓶だからである他ありません。OFFにハワイでゴルフみたいな芸能人は全然珍しくないですが、ゴルフ場で偶然前の組がオバマ大統領(当時)という人間は
なろうと思っても、どれだけ生前徳を積んだとしてもなれるものではありません。惜しむらくは「俺が死ぬまで世に出したらあかん」シーンは一切入ってない事。なのでこれは「追悼番組の予告編」です。予告編で既に
情熱大陸2時間分よりも満足度が上回ります。何と比べてるのかという話ですが、「家族に乾杯」が全てのロケ番組の面白さを上回っているのと一緒でこれはしょうが無い事なのです。あと細かい事を挙げると
すれば、「らくだ(落語の演目)」の謎を追うパートはそれこそEテレの1時間枠でじっくり観せるべきで、その教養を踏まえて「鶴瓶のらくだ」を見た方がいいと思ってしまいました。本来混ぜて見せない方がいい2つの
ここ数年、テレビの「アポなし旅」系の番組を観るのがめちゃくちゃ苦痛になってしまった
昔はそんな事なかったけど、ある時から「ゲスト自ら撮影交渉!」とか、鉄◯DASHの捨てる食材を貰う企画とか、ついには鶴◯の家族に乾杯すら苦痛で観る事が出来なくなってしまった
素人さん捕まえて案内させるのも苦手だし、空港で外国人に密着をお願いするやつも本当に苦痛
しかし実家の両親(特に父親)がこの手の番組が大好きで、「アポなし旅」「空港で外国人に何しに日本へ?」「モニタ◯ング」「スカッと◯ャパン」という地獄のラインナップをめちゃくちゃ楽しそうに観ているので実家だと心が折れそうになる
アポなし旅で開店準備中とか営業時間終わってから来て「なんでもいいんで何か食べれませんか?」とか言ってるの本当に観るに耐えなくて、どうかヤラセですようにと願ってしまうよ……
食べ歩き、食レポ全般が苦手な訳では全くなくて、普通に美味しいお店回ったり(ウチ◯る?みたいな周る店が決まってる形式)、宮川◯輔の番組みたいな「今日は◯◯農家さんにお邪魔してます!」的な番組は、心穏やかに楽しく観れる
実際のところはあくまで演出で"ガチ"のアポなしじゃない番組が多数なのかなって思う反面、スタッフが事前に連絡を入れているヤラセだとしても「ゲストにアポをとらせてドキドキ」「急に芸能人が来て店員アワアワ」みたいな部分って必要?世の中の人はそこに一定のおもしろさを感じてるの?
ここ数年、テレビの「アポなし旅」系の番組を観るのがめちゃくちゃ苦痛になってしまった
昔はそんな事なかったけど、ある時から「ゲスト自ら撮影交渉!」とか、鉄◯DASHの捨てる食材を貰う企画とか、ついには鶴◯の家族に乾杯すら苦痛で観る事が出来なくなってしまった
素人さん捕まえて案内させるのも苦手だし、空港で外国人に密着をお願いするやつも本当に苦痛
しかし実家の両親(特に父親)がこの手の番組が大好きで、「アポなし」「モニタ◯ング」「空港で外国人に何しに日本へ?」「スカッと◯ャパン」という地獄のラインナップをめちゃくちゃ楽しそうに観ているので実家だと心が折れそうになる
開店準備中とか営業時間終わってから来て「なんでもいいんで何か食べれませんか?」とか言ってるの本当に観るに耐えなくて、どうかヤラセですようにと願ってしまうよ……
食べ歩き、食レポ全般が苦手な訳では全くなくて、普通に美味しいお店回ったり(ウチ◯る?みたいな周る店が決まってる形式)、宮川◯輔の番組みたいな「今日は◯◯農家さんにお邪魔してます!」的な番組は、心穏やかに楽しく観れる
実際のところはあくまで演出でガチのアポなしじゃない番組が多数なのかなって思う反面、実際はスタッフが事前に連絡を入れているヤラセだとしても「ゲストにアポをとらせてドキドキ」「急に芸能人が来て店員アワアワ」みたいな部分って居る?世の中の人はそこに一定のおもしろさを感じてるの?
書き途中の増田が出てきたから投稿するわ。多分10の嫌いなこと、に便乗しようとした投稿で、7つしかないけど。
具体的にはテレビ番組で言うと「鶴瓶の家族に乾杯」、ラジオ番組の「昼のいこい」とかのノリが許せない。
「鶴瓶」では、特にゲストがそうなんだけれど、「今、家族に乾杯で来てます~」と連呼して一般の人が驚いて色々リアクション取るのが番組の主軸になっている。これがクソ。
NHKを有難がる人がいるのはいいんだけれど、NHK自らがそれを主軸に据えて番組作るなよ。自画自賛だし、人々がNHKの威光みたいなのにひれ伏してるように感じる。
昼のいこいもそうで、一般の人々の季節の変化の投稿を厳かに読み上げるだけ。一般の人々の投稿に、我々が厳かさを付与してますよ、みたいな構成が大嫌い。
同時に、大河ドラマが終わった後とかに、アナウンサーとかが出てきて「このあとどんな展開になるんですかねー、楽しみですね」とか振り返るのもかなり不快。自らの番組をブランド化をするような番組は公共放送には不要だし、コンテンツそのもので勝負してほしい。
まとめると、人々が想像する「NHKの権威(みたいなもの)」に腰掛けるような番組、NHKが自らをブランド化するような(価値を再生産するような)番組が嫌い。
一般になつかしい、と言われる高度経済成長前後のドラマが気に食わない。
連続テレビ小説「ひよっこ」とか見ててもそうなんだけれど、昭和の人はあんなふるまいしないじゃん。それに、昭和はあんなんじゃなかったじゃん。
もっとタバコ吸ってたしタンは吐いてたし、道端で立ち小便してたし。暴力も身近で、野犬がいたし、雑草も生えてたし。夏は汗だくだったし、もっと衣服は粗野だった。
一番気になるのは、今よりも男主導の社会だったのを上手くドラマの中で消化できていない作品が多いことだ。そんな時代で女性が活躍するにしても、その活躍の仕方があまりに現代的なのだ。
社会の問題を少しずつ改善して今に至るのに、その昭和の時代を今風の人間関係で描くのが気に食わないというか、時代の表現の限界を感じる。
もちろん、当時のままに社会を描いたドラマを放送しても人気でないだろうし文句言われるし、多分面白くならないはわかってる。
だが、そこにこそ昭和の舞台で現代ドラマを作る際の限界があるように思う。
少しは考えてほしい。足フェチと臭いフェチは異なるってことを。
現今の足フェチと臭いフェチとビデオは、それがあまりに未分化で悄然となる。
私はどっちかというと足フェチに守備範囲があるんだけれど、「蒸れたブーツを……」的な文脈のAVが多すぎる。
論文とか書いててもそーだが、論旨が二つあるんだったら論文を二つに分けるだろ。あるいは章を二つに分けるだろ。それとおんなじだろ! 絶対におかしい。許せん。
臭いフェチは、別に足だけでなくてもいい。腋とか髪とか、良いにおいしそうなところはたくさんあるんだから、それで作ればいい。
でも足は足しかねーだろ。足は手じゃないし腋じゃない。
それとSMっぽくなるのも同じ理由でおかしいと思う。俺は足フェチだっつーの! なにも女性に攻められたいわけじゃない。
例えば、狭い業界にいると、誰誰さんがどうなる、とか噂話が多く飛び交う。馬鹿くせーわ。
人事なんて、正式に決まってから周囲にアナウンスすればいいだろ。組織でも個人でも。
それがよー試験の前後から、誰誰が書類を送付したとか、誰が試験を受けに来ていたとか、誰が受かりそうだとか……馬鹿くせーわ。
そんな人がどうしたのか気になるの? まーわかる。良いポストだったり新しいところだったりしたら、気にはなる。嫉妬とか、羨ましいとか、あるいはあそこの先生のお弟子さんだ、とか、色々あるのはわかる。
だがなぁ、そういうのは心に留めておくのが大人なんじゃないかね。君はサルかね? と思う。
そういう噂が、現場の当事者たちの足を引っ張ったりパフォーマンスを悪くすることが連綿と繰り返されている。
仕事に就くということは、成果を出すために就くわけだ。周りの噂が、その成果をすり減らしている。そんな事例が多すぎる。
文章書いてて、「?」の後に一文字あけるとか、「……」のように三点リーダーを用いるとか、まー細かい謎の誰か決めたルールみたいなのがある。
私はこの細かいルール自体はそれなりに遵守するべきと思う。なぜなら、気にする人がそれなりにいるからだ。
問題は、こんな風な細かいルールばかりがルールだと思っているやつだ。
もっと文章を書く際には決まりごとがあるし、論文でも小説でも訴えたいことを訴えるための手段・テクニック・構成があるだろう。
そして何本も文章を書いて、ルールが馴染むか研鑽を積んでいかないと、文字を書くこと・文章を書くことが自分のモノにならない。
そういう訓練を全く積まずに、誰でもわかる細かなルールだけに固執するというか、そこしか理解できない人が、文章のルールとか語るなよ。
よく、体育や音楽や国語の初等教育を軽んずる人がいる。大人になれば、そりゃあ集団生活や集団での規律みたいなのは充分に備わっていて、小学校での集団運動みたいなのを軽視したくなるのはわかる。
だけれど、子供ってのは身近にいる人なら解るが何もしなければ何に対しても馴致しないのだ。基礎的な身体の動かし方や基礎的な音や基礎的な論理・読み書き。
体罰や強制や人間ピラミッドなんかの時代遅れのやりくちはもちろんあってはならないが、ある程度は集団に馴致させるシステムのメリットを見てもいいのではないか。
家庭教師にそれぞれが初等教育を一任させるシステムがいいとか言い出す人がたまにいるけど、そうじゃないでしょ。
新聞、明らかにメリットあるだろ。あえて煽り気味に書くけど、それが解らないのなら、あるいは、そのメリットがメリット足り得ないと言うなら、それまでだということ。
笑福亭鶴瓶が今年のJFAのCMキャラクターに起用されている。
NHKの家族に乾杯といういかにもNHKらしいかつ鶴瓶フォーマットでもある看板番組を長く続けている。
JRAも郵政もNHKも、かなりお固い組織だと思うのだが、鶴瓶に潜んでいるちんこ出す的パーソナリティとは
どうやって折り合いを付けたんだろう。そこが不思議。
鶴瓶は好きだし、ちんこ出したからなんやっちゅーねんと思うのだが、ちんこキャラを上回るメリットがあるということか。
そういえば、鶴瓶の落語は、あのよろよろとどこに行くか分からん感じのフリートークに似て
どこかふらふらと、でもやはり面白いといった様子だ。