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はてなキーワード: アルバム曲とは

2019-07-05

anond:20190705100805

GLAYFAIRY STORY アルバム曲で人気もない歌だと思うけど、娼婦one night loveする話(歌)

2019-06-27

[][]

またまたヒトカラいってきた

6月末までのクーポンだけど事実上今日までに使うのが一番オトクだったか

時間フリードリンクポテトつきで300円!!!

平日昼間は安いな―

まあクーポンなかったら1時間フリードリンクで500円だけど

ポテト結構量あったから急いで食べたかったけど手づかみで食べなきゃだったから熱くて大変だった

でも歌いたかったのは一通り歌えたかなー

今日ちゃんデンモクのりれきを写メってセットリスト記録しといた!

時間も限られてるからバンバン途中停止してとにかく1時間でできるだけたくさん歌うぞ―とがんばった

カラフルデイズ

みなみけ1期ED

なんとなく好きだたこと思い出して入れてみた

AメロなんとかいけてBメロギリギリ結構いけるかもと思ったら、

まさかのサビがだいぶ忘れてた・・・

あとやっぱり地味だったから途中で停止した

空へ・・・

ロミオの青い空op

うーん男が歌うとやっぱりちょっと違う感が・・・

first good bye

ハルヒの歌

サウンドアラウンドっていうドラマCDに入ってる歌

ラスサビ前の間奏が長いのが困るけどサビまで飛ばす機能使えばok

ループ

坂本真綾 ツバサクロニクルed

全部いけると思ったらラストくるくるうんたらーってのが全然わかんなくて停止した

没落貴族のためのてーきゅう

テレビサイズならいけると思ったらかなりテレビと違うパターンですぐ停止した

メニメニマニマニ

2番まで歌ったところで合いの手と掛け声のところ飛ばしてラスサビだけ歌った

恋の爆弾でいと

君望あゆまゆ劇場の歌

あゆ好きなの

この歌も好き

君望といえばランブリングハーツの人が多いんだろうけど

ありがと・・・

君望涼宮茜キャラソン

茜が一番好きなんです

でもやっぱり茜が歌うからいいんであってryってことで2番まで歌って停止

Wonderful Life

酒井ミキオ

プラネテスED

前回のヒトカラで間に合わなくて歌えなかったかリベンジ

うーんやっぱり歌も好きだしもともと男の歌だから違和感なく歌えるのもいいなあ

Drastic my soul

スクライドED

試しに入れてみた

でもテレビサイズで満足して1番までで停止

Reckless fire TV size

スクライドOP

まさかアニメ本編OPがいっしょに流れたからすげー興奮した

サビ直前のてをのばーすうーーーージャンッのところで手を突き上げてぐいっとコブシつくるの気持ちよすぎwww

サビのキーが少し高くて歌うのきつかったから1番だけでちょうどよかった

トモシビ

アニメ東鳩2のED

suara

自分の声質的バラードとかこういうしっとり系のほうが合うし歌も好き

でも2番までで満足して停止

もってけセーラーふく

アニメ本編op流れたかTVサイズで演奏停止した

前回も歌ったけど今回も

うーんカラオケもうずっと行ってないせいでビブラートのきかせかた忘れちゃってるんだよなあ・・・

夢のダンス

aiko

単なるアルバム曲だけど地味に好きな曲なんだよね

なんか休日の昼下がりにゆっくり散歩しながらきく感じの曲

2018-03-10

そのアーティストファンの中で一番人気の曲が知りたい

一般的セールスが高い作品とか、知名度高い作品とかじゃなくて。

ファンの中でめちゃくちゃ人気があるやつ。

カップリング曲だったりアルバム曲だったりするやつ。

一般人には知られてないけどやっぱこれが一番だわ・・・みたいなやつ。


V6代表曲は「WAになって踊ろう」かもしれないけど、ファン的には「Supernova」だろ・・・みたいなやつ。


ジャンルわず

教えて。

1曲に絞れない場合数曲でも可。

2018-01-23

TM NETWORKの曲で、カバーしてほしい曲

小室哲哉引退TMNの終了ライブ東京ドーム2日とも行ったアラフォーにとっては、やはりショックだった。安室ちゃん華原朋美globeもそれなりに聞いていたけど、TMの曲が一番好きです。今でも色褪せない曲がたくさんあると思う。私の好きなTM曲は、STILL LOVE HERとか、SELF CONTROLTIME TO COUNTDOWNなど書ききれないのですが、他のアーティストカバーしてもらったらピッタリ合うんじゃないかな?と思う曲があるので挙げていく。

electric prophet

電気じかけの予言者たち

SEKAI NO OWARI

歌詞世界観が似てるなーと思うから。twincle nightとかも合うと思う。TM ファンってセカオワのことあまりきじゃなさそうだけど、CAROLみたいな創り上げた世界ってセカオワ共通するとこがあるんじゃないかな。

あの夏を忘れない

3代目 J soul brothers

DIVE INTO YOUR BODYとかも合いそう。ノリノリオラオラな皆さんで歌ってほしい。just like paradiseとかもいいのでは。女声にJUJUとか入れてさ。

telephone line

平井堅

裏声が綺麗に響きそう。girl friendいいんじゃないでしょうか。

大地の物語

→思い浮かばないけど、パワーのある暑苦しい男性ボーカリストに歌ってほしい。

A day in the girls life

宇多田ヒカル

これは願望ですが、うまく世界観踏襲しつつ、組曲の一部を超えて、普遍的な曲に昇華してくれそう。

以上、思いつきですが、カバー曲ってシングルカットされた曲がほとんどだけど、TMアルバム曲も良かったぞっていうことで選びました。

あー、寂しいな。

2017-11-29

好きなバンドに冷めかけた

仕方ないんだろうけど、何回同じ曲収録すれば気が済むんだ!ってキレそうになった。

好きな曲だけどもうその曲は持ってるの!3つもあるの!!!

連続CDに同じ曲が収録されてて(10曲中半分以上が既に出した曲だったりとか)

せめてGet Wild方式バージョンが違うとか、別収録したとかならいいんだけど、音源全く一緒。

シングルがまとまってアルバムならいいんだよ、まとめて買えるってメリットがあるから

違うんだ、このバンド、次のアルバム曲が前のアルバム曲で占められてるんだよ!!!

もうこのアルバム商法きついわ…。買うのやめよ…。


って思った頃に全部新曲アルバム出すのかよ!!!!!

買うよ!!!!!好きだから!!!!!


ももCDはいらね…。

DLでない曲だけ買う…。

2017-10-01

全然キャッチーじゃない曲を何度も聴かずにコレいいね!ってなるの?

アルバム聴いて3ヶ月後くらいでコレいいね!ってなる曲を

初聴でコレいいね!ってなる人もいるんかなあ

でもならんからアルバム曲なわけだしなってしまったらそりゃあ失敗じゃんよ

2017-02-20

金払わないなら音楽聴くな。(自己保存用)

先日、友人から耳を疑う言葉が出てきた。

休み、友人とお昼ご飯を食べていた時のこと。彼女スマホの充電は、40%台だったらしく、「やばい!これじゃ持たない!」と。家に帰るまでに40%は持つのでは?と思った私は、「なんで?」と尋ねた。彼女は、「今日塾だから!」と。「塾で使うんだっけ?」と私。そして、「塾で自習するときに、音楽聴くから!!!」という答えが返ってきた。

音楽聴くときって…そんなに充電減るか……?と、疑問が浮かんだ。しかしその疑問はすぐに解決した。なぜなら、彼女は「Music FM」というアプリの愛用者であるからだ。Music FMは、ストリーミング方式音楽無料で聴き放題のアプリである。つまり音楽聴く際に通信が発生し、充電が減るというわけである。ここまで読んで、普通の人は気付くであろうが、彼女音楽聴く際に一銭も払っていないのである。ここが私の主張において重要ポイントなのだ

話を戻して、会話の続きだ。

私は、こう言った。「ミュージックで聴いたら充電の減りもそんなにないし、通信量もかからないよ!」

ここで言うミュージックとは、iPhone最初から入っているあのアプリのことである(私も彼女iPhoneユーザー)。

彼女は、ここでなんと返してくるか。彼女には申し訳ないが、私は彼女を試していた。

彼女の返事は、ある意味予想を裏切らないものであった。

だってお金かけたくないもん!!!!」

聞き間違いだと、思いたかった。

前述の通り、Music FMをはじめとしたストリーミング再生を行う音楽アプリは、無料であるしかし、私が彼女提案した「ミュージック」を使用するとなると、iTunes音楽を購入するか、またはCDを買うなりレンタルするなりしてパソコンに取り込み、iTunesと同期するといった段階を踏まねばならない。友達からCDを借りるといったケースでない限り、ここにはお金必要だ。

くどいようだが、彼女音楽聴くのに一銭も支払っていない。

どういうことか。

音楽作成に携わった人に、利益が一銭もないということだ。

ストリーミング再生を行うアプリを、以前好奇心からダウンロードしてみたことがある。どのくらい曲が充実しているのか、知りたかった。試しに、自分の好きなアーティスト名で、検索をかけた。すると、出るわ出るわ。シングル曲はもちろん、アルバム曲からカップリング曲、中には音源化されていないものまで。そのアーティスト楽曲全てと言っていいくらい、充実していたのだ。私は、そのアーティスト応援しているから、もちろんCDを毎回買っていた。しかし、私が毎回買って聴いているものを、こうやってタダで聴ける人がいるのか。私は、はらわたが煮えくりかえる思いだった。

私は、法律に詳しくないので、この手のアプリ違法性についてはわからない(今後是非勉強していきたいとは思っている)。しかし、お金を払わず音楽が聴けて、製作者側に利益がないということはどう考えてもおかしい。本来なら製作者側にいくべき利益が、いかないのだ。

今回の件は、氷山の一角であると思う。こんなことありふれているに違いない。私は、現在高校二年生であるが、周りの連中ほとんど全員と言っていいほどの音楽聴く手段が、ストリーミング再生を行う無料音楽アプリなのだスマホを持つ若い世代の大多数もそうであろう。

誰も、無料音楽アプリの利用を悪いことだとは微塵も思っていない。

音楽無料で聴けるのが当たり前」

音楽聴くのにお金なんかかけるわけないじゃんw」

そう、彼らは思っているのだ。何の悪気もなく。

何の悪気もなく、皆がこのような考えを持ってしまっていることは、相当”ヤバイ”と思う。

もちろんそれ以前に、無料音楽を聴けてしま環境蔓延っていることが異常なのであるが。

こりゃあ、CDが売れないわけだよ。こんなんで売れるわけないっすよ。だって誰も買わないんだもん。無料で聴けるのが当たり前だから

じゃあ何でこの手のアプリはなくならないの?って話なのだが、私の感覚だと割と定期的にApp Storeから消えている気がする。しかしすぐ類似アプリが登場する。いたちごっこ、か…………。

以前調べたところ、どうやらこの音楽アプリ音源は某近隣国かららしいが、怪しい臭いがプンプンする。簡単にどうにかできる問題ではなさそうだ。

まりこういった文章を書く機会がないので、構成グダグダになってしまった。申し訳ない。

私が伝えたかったことを整理してみる。

・多くの若者無料音楽聴くことを当然とみなしている

無料音楽を聴ける環境が身近に存在する

CDが売れない原因の一つはここにある

いや、こんなん当たり前でしょ。知ってるわ。と思う人もいるかもしれない。しか現実に何の悪気もなしに無料音楽アプリを利用している若者がたくさんいる現実は、放置しておいていいものではない。この状況は絶対に、早急に、変えられるべきである

もし、これを読んではじめて無料音楽アプリの利用が良くないと知ったそこの君。悪いこと言わないから、今すぐ無料音楽アプリを削除しようか。聴きたい音楽があれば、CDを買おう。もしくは、レンタルしよう。某有名レンタル店では、シングル1枚、一泊二日で120円程度でレンタルできるよ!!!!!え?めんどくさい?金かけたくない?ねえちゃんとタイトル見た?

音楽に金をかけたくないなら、聴くな。

聴きたいなら、金をかけろ。

読みたい本があれば、その本を買う。

食べたいお菓子があれば、そのお菓子を買う。

同じことなである

この記事が、無料音楽アプリ利用者の心に少しでも響くことを願っている。

偉大なる元増田様 http://anond.hatelabo.jp/20170219005719(削除済)

googlecache http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:http://anond.hatelabo.jp/20170219005719

魚拓 http://archive.is/rvjMG

2017-01-03

変わってしまった嵐(ペンの指す方向)

キャッシュが残ってる> http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:blIvDuDYfZoJ:chaiy.hatenablog.com/entry/2016/12/27/221556+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

*****

正直、迷った。この記事を公開するべきか、しないべきか。決して読んでいて気持ちのいいものではないし、ただの一個人勝手意見から。でも、心にしまっておくのも限度がある。私の周りでも似たような意見を持つ人が多く見られた。どうせなら言いたいことは全てはき出してから新年を迎えたい。

この記事は「今の嵐は嫌い、昔の嵐は好き」というほぼアンチ化しているファン卒業間近の私が今の嵐について書いたものである。嵐大好き!という方は気分を害される可能性がありますのでご注意下さい。

私はグループ内での信頼や絆、目標価値観、考え、そして思いを知るのがとにかく好きだ。その為、よくテキスト重視で雑誌を買ったりする。

どんなに大きな壁が待ち受けていようとも決して諦めず傷だらけになりながらも頂点を目指す、そんな人間味のあるグループに惹かれる。

また、ライブ演出構成が好きな分拘りも強いし、ここはもっとこうした方がいいんじゃないかと気になる事があればすぐさま友人と語り合うほどだ。メンバーの発した言葉や行動に不快を覚えれば叩く事だってある。それほど性格も口も悪い。

これから綴る文章はそんな私の個人的意見にすぎない。共感を求める訳でもなく、喧嘩を売るつもりもない。どう思うかは自由だ。ただ、近年思っていることをこの場に書き留めておきたい。

私は昔の嵐が好きだ。詳しく言えば10周年前後の2007~2012年。この頃が好きなファンも多いだろう。

1999年デビューした嵐。当時5人中3人が辞めたかったと話している。チケットが売れずに悩んだり、自分がどこに向かっているのか分からなくなったり。これからの嵐について深夜遅くまで語り明かした日もある。嵐という立場自分に大きな葛藤を抱き、悩み、苦しみ、藻掻き続けた5人は「トップになる」というひとつの夢を掲げ這い上がってきた。その小さな努力の積み重ねが形となり、2008年頃、抜群の歌唱力トーク力を兼ね備えた親しみやすグループとして世の中に浸透していった。

そんな嵐のことをメディアは「仲がいい」と表現した。確かに5人の仲の良さは大変微笑ましいもので、歌っている時に目を合わせて笑ったり、ふざけ合ったり悪戯をして楽しんだり。その反面やる時はやる。ファンの為に真剣仕事に取り組むその姿はかっこいいとしかいえなかった。

嵐はアットホーム関係性で見ていて和やかな、穏やかな気持ちになるグループだ。さりげない気遣いや思いやりを持ち、5人でいることへの感謝気持ちを忘れずに仕事をしている。お互いがお互いを必要として「嵐」であることを誇りに思っているのだ。

その純粋な思いは5人のイメージや才能を圧倒的に開花させ、国民アイドルとまで上り詰めた。

ライブが出来る喜びや有り難さを実感しながら作り上げる嵐のコンサートは誰が見ても幸せ空間といえるものだった。一緒に楽しんで一緒に笑顔になる。きめるところはきめ、魅せるところは魅せる。何しろ飽きさせない、つまらないと思わせない。グループとしてうまくバランスがとれていたせいもあり心の底から楽しいと思えたライブができあがっていたのだろう。

しかし、近年の嵐はどうも違う。こればっかりはどうしても挑発的な言い方になってしまうがいくつか例をあげて話したい。

まず一つとして仕事に対してのやる気のなさが取り上げられる。これは特に最近になって目立つようになってきた。リハが始まる直前まであぐらをかき、スタッフに「次○○(曲名)やる?」と聞かれても「やらない」と即答。これは本人達の気分もあるだろうから仕方が無いのかもしれない。

また、一部のメンバーに限るが、収録中にも関わらず寝ていたり、頬杖をついて人の話を聞いていたり。それを他のタレントに注意され頬杖はやめても指をトントンすることから苛立っている様子が伝わった。

二つ目は態度。クランクアップした役者さんに向けて花束を投げて渡したり、ゲストの前でもだらっとした格好で座っている姿が映っている。そんな行動を一部のファン可愛いといっているが私はそうは思わない。少なくとも花束を投げて渡すというのは非常識にも程があると思う。それでも可愛いという人は自分がその渡された役者立場になってみて考えてほしい。

三つ目は失言。「金いらない」「いつになったら飽きるの?」「チケット争奪戦が楽しみ」分かっている。バラエティからふざけて言ってるだろう事も、ウケを狙って言ってるであろう事も。そんなこと分かっている。けど金いらない発言は流石にいらっときた。ファンは夢を買っているのだ。歌って踊って夢を見させてくれるアイドルが好きで、応援したくてお金を払っているというのに。そんなこと言うんだったら仕事なんてしなきゃいい。申し訳ないがそう思った。

また、去年に続き今年もコンサートという場でファンガチ切れ。そんなに言いたいことがあるんだったらいっそのことはっきり言ってほしいものだ。今の嵐はいちいち文句をつけなきゃやってられないのか。

挙げ句の果てには散々今までファンと呼んでいたのをついには客扱いされるようになってしまった。これは四つ目の点として「近年のコンサート」の話にもなるのだが、私たちファンは彼らを明るく照らし、演出の一部になり、一緒にステージを作り上げる。確かにそうだ。だが、私としては一緒に楽しみたい。例として言えば2010年、11年の「Scene~君と僕の見ている風景」や「BeautifulWould」があげられるだろう。会場が国立というせいもあるかもしれないが同じ歩幅で、同じ距離感で、同じ方向を向いていたあの頃は本当に良かった。誰が見ても楽しいと思えるコンサートになっていて彼らと気持ちを共有して見ている景色が同じだった。それが私は嬉しかった。

けれど今、私はあの頃のようには思えない。ペンライト演出が年々パワーアップしていってるのはいいが少々拘りすぎではないか演出に頼りすぎていないか制御ライト制御強制されてる気がしてあまり好ましくない。2014年デジタリアン使用されたファンライトに到ってはただ演出の為だけに作られたようなものだ。だってあれ、光が嵐に向けられてるんだものステージにいる者だけが見れる、つまり映像映えするように、ということなんだろう。だからファンライトファン=ライト)なのかもしれない。

このようなことから、私は嵐がどこを目指しているのか段々分からなくなってきていた。以前よりファンを大切にしていないと感じる人も中にはいるのではないだろうか。

更に近年の嵐について調べあげ、具体例をあげたいと思う。

・どんだけ売り上げ伸ばしたいね

今回のアルバム発売後、事務所から通常版購入特典として「嵐から皆様へ感謝気持ちをご用意させていただきました」というアナウンスがあった。なぜ初回を購入した人には送られず通常なのか。それは売り上げ向上の為なのだ

実を言うと最新のアルバムシングル共に売り上げが落ちている現状である

◆嵐1stアルバム現在Are You Happy?」までの売上数

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/chaiy/20161210/20161210174346.jpg" alt="f:id:chaiy:20161210174346j:image" title="f:id:chaiy:20161210174346j:image">

◆嵐シングル 2015年Sakura」~現在Power of the Paradise」までの売上数

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/chaiy/20161211/20161211201115.jpg" alt="f:id:chaiy:20161211201115j:image" title="f:id:chaiy:20161211201115j:image">

原因としては昨年と今期のメンバーによる熱愛報道ライブの内容、CD・DVDを買う需要制、また年齢が年齢の為、若手グループ担降りしているのが主な理由だと考えられる。先ほど書いた通り、失言の多さややる気の無さが気になって離れた人もいるだろう。

そんなこんなで今事務所は売り上げを伸ばす為に必死になっているのだ。何としてでも今までの売り上げ数に並んでおきたい、そんな概念があるように見える。だから発売から一ヶ月以上たっていても新たな「嵐クローバー」というキャラクター&CMを作り宣伝し続けていたようだ。

更には現在行っているライブのMCにてほぼ全公演でアルバムを買ったか買ってないか、買ってないなら是非お買い求め下さいと、まるでセリフのように呼びかけている。上からの指示で言っているのか本人がただネタとして言っているのか分からないが、何としてでも売りたい、そういう風に捉えられる。

ハワイネタ&一位の内容

11月VS嵐にて「もう一度見たい名場面集」という企画があった。そこに第二位としてハワイで5人だけで語り合った回がランクインした。確かに素晴らしい回だった。15周年を迎えた今の彼らが本音で話し合う、それは私にとっても凄く好きな内容で、当時思っていたことや、もし嵐になっていなかったらなど5人の気持ちを知れて嬉しかった。

だがしかし、もうハワイネタはいいんじゃないだろうか。「辞めたかった」そう打ち明けられた時の2人の顔。気付いていただろうか。とても哀しい目をしていた。あんな顔、もう二度と見たくない。嵐で頑張っていこうと決意した2人にとっては、突然突きつけられた衝撃の言葉に動揺を隠せなかったのであろう。

そして、名場面集第一位メンバー同士のキスシーンだった。何故これが一位なのか投票した人に伺いたい。赤さんが「俺らのファンきも(笑)」と思っていてもおかしくない。いや、思っただろうな、きっと。

ファン<招待客のコンサート

去年のドーム公演にてある女性アイドルグループを招待し、その子達に向かってファンサービスをしていたという目撃情報ファンの間で話題になった。その公演はDVD化され、ファンサービスをする様子も映り込んでいる。これに対してファンは双方に激怒したのであった。

そして先週のドーム公演にはあるメンバーと共演した女優さんが来ていた。勿論そちらも満点のファンサービスを振る舞っていた。

毎回嵐のコンサートは招待客が多いので有名だ。共演者関係者、更にはメンバーが連れてきている人も入っている。招待客にはファンサービスするくせに肝心のファンにはスルー。一部ではビジネスコンサートなんて言われている。共演者を見るよりも、何倍もの倍率の中やっとの思いで当選して、年に一度会えるか会えないかプラチナチケットを手に入れてここまで会いに来たファンを見るべきではないのか。ファンサービスするべきではないのか。誰の為に行っているコンサートなんだろう。

・今更銀テの話

アリーナツアーでも話に上がったそうだが、先日のコンサートにてファンが銀テ取りに夢中になっていると「銀テじゃなくて俺ら見てよ」「取りすぎ」「1個でいいだろ」という発言があった。今更何を言ってるんだ。いちいちつっこむ私も私だが銀テ取るのも取らないのも客の勝手だろう。以前「銀テにロゴ入れ始めたのは全部客に取らせて掃除を短縮している」というのを聞いたことがある。それを取るなと?逆に銀テ発射されても誰一人取らずに嵐を見てたら。想像するとあまりにもシュールすぎる。ファンを見ないくせに俺らを見ろと。もう少しファンとちゃんと向き合って欲しい。

・回りくどいぜ兄さん

何でもかんでも遠回しに説教してくる。

例えば。「どうせネットでばらされるなら先にセットリスト公表しちゃおうか」つまりネタバレすんなよ、と言いたいんだろう。ならそう言ってくれればいい。某グループファンに「楽しみが無くなるのは嫌だからツアーネタバレ禁止」とちゃんと呼びかけている。だからファンは守ってる。何故嫌みっぽく煽ってくる。はっきり言えばいいのでは。

調子乗りすぎ、自慢しすぎ

メンバー特定されてしまうが、やたらと「第39回」と推してくる。正直言ってしつこい。受賞したからっていい気になりすぎじゃないか?前回の受賞者は自慢もせず何度もその話をあげることは無かったのに。

アルバム曲定番シングルコンサート

嵐のコンサートに行ったというと誰もが凄いね!という返事が返ってくる。私の職場では「宝くじ当てるのと同じくらいだよね?!」なんて言ってくる。確かに嵐のコンサートは入手困難な超プラチナチケットといわれる程大人気だ。現在の嵐ファンクラブ人数は200万超え。数字だけ見ると爆発的な人気を誇っているように見えるがこの中には退会した人も含まれている為、実際はどのくらいの人数がいるのか気になる。

肝心のコンサート内容は簡単に言えば「アルバム曲定番曲(感謝カンゲキLove so sweet、Oh yeah辺り)+制御ペンライト=嵐のコンサート」となっている。ただ演出が凄い、それだけ。以前の楽しさはどこに消えたんだろう。いつもと同じ曲、同じ順番、更に説教付き。演出に頼らず、一度素で勝負したらどうだろうか。

・本当に仲が良いのか

例えば2010年君と僕の見ている風景」特典映像の強化合宿。私はこの映像が大好きだ。ロケバス自由に話す5人。寝るところをじゃんけんして決める5人。赤さん一人だけ皆と並んでないのが寂しくて結局一緒に並んで寝ちゃう5人。着地するときに支え合う5人。くだらないことで笑い合う5人。楽しそうにレコーディングする5人。私にとって手放せない大切な1枚だ。

その頃と比べると今は本当に仲が良いのか疑ってしまう。カットという言葉がかかれば真顔、無言。前はこんなんじゃなかった。勿論大人になったせいもあると思うが5人集まることが「仕事化」している気がして。いや、仕事ではあるんだけど。それぞれに壁が出来ている気がする。嵐はお互いに気を使っている、だから揉め事が生まれないなんて言ってたけど果たしてそれでいいのだろうか?気を遣ってると自分気持ち意見が押しつぶされるのでは。本当に思ってること、言いたいことが言えないのでは。こればっかりは私は一般人だし嵐でないのでわからないが。何にせよ、今の嵐でちゃんと話し合った方が良いと思う。このままじゃバラバラになっていく。

説教コンサート、口の悪さ

去年のツアーにて「なんだよ、原点回帰しただろ」「原点回帰意味知ってるか?」等。そして今年はアンコールの声が小さいと怒られ「いつも出てくると思われても」なんて言われ、面白かったから笑ったのに「は?」とキレられる。

今の彼らはアンコールで出てきて当たり前、という風に思っているところがある。それに、しようがしないが、これも客の勝手だろう。アンコールするほどの価値がないと思ったらしない。この間の公演でもWアンコールを用意してたにも関わらずアンコールの声が無かった為、それにて終了となった。どうせ客としか扱ってないのなら、アンコールがどうとか、声が小さいとか、セトリがどうとか文句言わないでほしい。

他にも書きたいことは山ほどある。これでもかというくらい、次から次へと言いたいことが出てくる。

アイドルは人気になればなるほど、提供してくれるものと、こちらが求めているものに誤差が生じてくる。求められている事全部に耳を傾けるのはとても難しい事だ。

それに、嵐は世間に美化されすぎた。「嵐」の○○が好きで、「嵐」の○○だから使われて。正直、名前の頭に「嵐」をつけなきゃ誰なのか分からない。誰もが皆コンサートに行きたがるけど、結局は「嵐のコンサートに行った」「嵐に会った」そういう肩書きが欲しいだけなのでは。

もう疲れた

どうして説教されなきゃいけないんだろう。どうして楽しいはずのコンサートで涙が出るんだろう。哀しくなるんだろう。

どうしてもやもやしたまま帰らなきゃいけないんだろう。

こんな思いをする為にファンになったんじゃない。ただ、あの頃のまま一緒に歩いていきたかったのに。ペンの指す方向に、先陣切って歩いて行くあなたたちについていこうと思えたからついてきたのに。あなたたちが見せてくれる夢を見たくて買ったのに。

どうして。どうしてこんなにつらいんだろう。

苦しい。

変わってほしくなかった。

変わらずにいてほしかった。

ちゃんと愛してほしかった。

何度目か分からないこの気持ち

でも。もう既に心は決まっている。

さよならまであと少し。

2016-04-01

アルバム曲で (intro) , (prelude) , (interlude) , (reprise) , (~remix) いらなすぎ

曲数稼ぎで要らなすぎ

下手したら3曲ぐらいこの手の捨て音源入れてるアーチストいるからな、ストレスマッハで破裂するわ

最後の曲ファイルに無音からのしょーもない音源入れてる (Secret Track) は憤死しそうになる

(Bonus Track) は、曲として成立してるならギリギリ許せる

(Radio Edit) は、入ってるとなんか嬉しい

2015-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20151228123159

初めから一対一だときついかもしれんが、複数人でそのテーマでの催しは結構需要あると思う。

空気読むの禁止自分のうたいたい歌だけうたうカラオケ大会」。

面白そう。行きたい。

思うさまアルバム曲とか歌いたいし、人がマニアックな歌うたうのも面白そう。

2013-09-26

マスダ80年代女性アイドル論~総論

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論

マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論

マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴論


こんにちは。8月後半からはてな匿名ダイアリー80年代女性アイドル論を連投したマスダです。この総論では、最初にお知らせ、そしてコメントに対する返答、最後80年代女性アイドル歴史性の話をします。


お知らせと言っても大した話ではなくて、記事をまとめる意味いからも、ブログを開設しました、という話です。

はなぶさときいちブログ

です。

先日読んだ、

http://anond.hatelabo.jp/20130920220312

こちらの記事に共感します。例に出されていた人がどうだと言うのではなく、政治クラスタの人たちが、相手を叩き潰すのを目的罵倒し合っているのは、なんだかな、といつも感じています。もちろん、それも含めて政治と言うか、そういうものから完全に逃れられるとは私も子供ではないので思っていませんが、今度開設したブログでは、楽しい話を中心に書きたいと思います。

自分で言うのもなんですが、今回のシリーズ割合好評でした。中には政治ジャンルでは私の考えとは絶対に相容れない人たち、私が書いた政治向けの記事では私を魑魅魍魎のように罵倒した人たちも好意的なコメントを残していました。思うに、それが文化の力でしょう。

私たちは他人なのですから、親子や夫婦であっても別の人間なのですから100%考えが一致することはないし、100%違うこともありません。違って当たり前、それが人間ですし、そのことをやっぱり心のうちではわきまえておきたいですね。その、つながれる余地の部分を重視したい、今度のブログでは、そういう話をメインにしたいと思っています。


1.なぜランキング形式にするのか

これに限らず、私は自分の考えの整理のために、ランキングを作ったり、ベスト何々を選ぶ、というようなことをよくします。はてな匿名ダイアリーで言えば、

5大天才漫画家

これも私が書いた記事です。

アイドル論に絡めて言えば、かつて郷ひろみが「歌に順位をつけるのは違うと思うので、ランキング番組には出演しない」と言って、「ザ・ベストテン」「ザ・トップテン」に出演拒否したことがありました。当時私は、そもそも滅多にベストテン入りしなくなってから言い出すのは、ヒット曲が出なくなったのを誤魔化したいのだろう、毛色の違ったことを言ってアーティストぶりたいのだろうと思っていましたが、それは邪推であるかも知れず、歌い手立場としてはそういう意見が出るのも分からなくもありません。それに対して確か黒柳徹子が、確か「ザ・ベストテン」の番組中で、「その週ごとのチャートであって、楽曲のいい悪いを言っているのではありません」と反論をしていましたが、ランキング形式そのものにある種の不遜さ、失礼な要素があるのは確かだと思います。

しかしそれだけに、相当な論理客観性がなければなりません。単に自分が好きだから、嫌いだから、というのではなく、なぜ2位の人が1位でないのか、少なくともご当人にもご納得いただけるような、出来得る限りでの冷徹さを目指さなければなりません。それが私にとっては、ランキング形式を採用する意味です。

2.はてなおっさん向けか

まあ、おっさんホイホイの記事ですからね。そう思うのも無理はありませんが、私世代団塊ジュニア世代)より前の大人と、それ以後の大人ではいろいろと違う部分もあります。私が子供だった時の、アラフォーの大人たちは、漫画も読みませんでしたし、アニメも見ませんでした。歌謡曲だってほとんど聴かなかったのではないでしょうか。大人向けと子供向けにははっきりと境界があり、現在日本メインストリームになったサブカルバブルから私たち世代にかけてが消費者となって育成して来たものです。これは80年代ポップカルチャーが未だに「権威」として残っていることにつながっています。

ガンダム」も「中森明菜」も「ファミコン」も境界のこちら側だったからあちら側では評価もされなかったのです。そういう悔しさを、私たち世代はそれぞれに経験しているはずです。そして今の文化状況は、こちら側が肥大化した世界であるわけです。いや、そうした境界のもの無意味だということを知っている世代です。

はてなおっさん向け、LINEは若者向け、こう言う言い方が奇妙だと思うのは今のおっさんLINEを使うからです。今のおっさんはAKBもモー娘も知っている、そのうえで80年代女性アイドルを評価している、あるいはその限界も知っているのです。今の若者は、クリエイティヴフォーマット自分で作っているわけではありません。単に過去を知らないだけです。

3.斉藤由貴尾崎は同志発言

この発言は私も聞いたんですが、不倫発覚の時か、尾崎が亡くなった時のコメントちょっと記憶が定かではないですね。どちらにしても時期的にはそう離れてはいないんですが。

私は地方出身者ですが訛りがないんです。今では実家に帰っても、方言で話すのはかなり難しい。けれども実家にいた中高生の頃からその傾向がありました。当時はかなり乱読していましたので、話し言葉が書き言葉みたいになってしまうんです。読書家に一般的な傾向化どうかは分かりませんが、斉藤由貴ちょっとそういうのを感じます。同志って、実際に人間が発語しているのを見たのはあの時が最初最後でしたよ。赤旗でも見かけないんじゃないでしょうか。既に相当にフィクショナルな言葉で現実の人間関係を構築した斉藤尾崎、非常に彼ららしいと思います。80年代と言う特に即物的な時代にあって、尾崎はああいう形で決着をつけました。斉藤由貴はフィクショナルな部分を、穏やかに現実に着地させていったように見えます。これは男と女の違いでしょうか。

3.作詞家としての斉藤由貴

浅香唯の『セシル』で知られる作詞家麻生圭子さんは「京都評論家(?)」としても知られ、いけず京都人から「なんでよそから来た人にあれこれ言われんといかんのやろ」とか言われているらしいですが、彼女が作詞家をやめたのはアイドルたちが猫も杓子も作詞をして、ならば作詞家なんていらないじゃんと思ったからと以前、言っていました。作詞日本語の読み書きができるなら誰でもできるわけですよ。一応の形にはなる。ではなぜ作詞家という職業が成り立つのか。作詞家の作品のレベルが圧倒的に優れているからですね。特に楽曲としても文学としても優れているのは阿久悠松本隆の作品だと思います。どれをとりだしても、素人には絶対に書けない、優れた言語感覚が裏打ちされています。

しかし考えてみれば、シンガーソングライターほとんどは作詞も手掛けているわけで、書かせてみれば相当に良い詞を書ける人は意外といるのかも知れません。

斉藤由貴アイドルの手すさびレベルではない詞を書きます。しかも曲に調和するように書かれている。無作為に抜きだしてもどれもはっとする、面白い作品ばかりですね。彼女に文学者としての才能があるのは間違いありませんが、主に後期のアルバム曲で書いているので、一般には知られていないのがもったいないですね。彼女の作詞作品としては『あなた存在』『うしろの正面だあれ』が好きですね。

4.なぜ映画『野菊の墓』の相手役を伏字にしているのか

一般の方だからです。

5.マッチ明菜を騙したのか

例の金屏風会見ですが、本当のところは知りませんが、どういう形であれ釈明会見をすべきであったとは思います。やはり他人の家で自殺未遂をするのは尋常ではありません。百歩譲って自殺を試みるとしても自分の家でやれ、と言われても仕方がないでしょう。あの件に関してはマッチ被害者だと思います。

6.松田聖子歌唱力について

私が聖子を初めて見たのは確か小川宏ショーではなかったかと記憶しています。逆算して考えると私は当時すでに小学生だったのですが、どういうわけかその日、その時間は家にいて、母と一緒に朝のワイドショーを見ていました。デビュー直後、聖子のお母さんが娘のプロモーションのために共演することが多くて、その時もお母さんと一緒にゲスト出演していたと思います。そして『裸足の季節』を歌ったのですが、スタジオ空気が変わったのを感じました。私の母が「この子は大スターになるね」と言ったのを覚えています。ですから聴いてみればたちまち、聖子歌唱が優れているのは誰の眼にも明らかだったのですが、それでもアイドルなので下手扱いされることが多かったのです。なんで淡谷のり子なんかに、むかしはいざ知らずあんなに声量も出ない、表現力もない下手くそ歌い手聖子が下手呼ばわりされないといけないのか、理不尽を感じました。これはパロチンなんて何の効力もないとみんな知っていながら、発見者が東大の偉い先生だったって言うんでずっと使われ続けてきたというのと同じ問題です。当時はサブカル全体がこういう扱いを受けていました。宮崎駿だってまともに大人が論じるような作品とは捉えられていなかったんですから。今はそういうのよりはずっと良い時代ですね。

7.ナンノ代表曲は『話しかけたかった』だろうにjk

その通りでございます。はねた髪っ!!!

私はあの曲を最初に聴いた時、ユーミンの『DESTINY』を思い出したのですが、『DESTINY』は振られた男に万が一、会った時のためにいつでも小奇麗な恰好をしてたのに、実際に再会してしまったその時に限って安いサンダルを履いてた、という話なんですが、『話しかけたかった』は髪がはねていたので話しかけられなかったという話、全然違いますね。


さて、総論として、80年代アイドル特に女性アイドルとはなんぞやという話です。

アイドルと言う言葉が出始めたのは、70年代初頭、1962年フランス映画に『アイドルを探せ』というものがありますから、それ以前からスターの置き換え語としてアイドルと言う語はあったのかも知れません。アイドルとは何ぞやと言えば、それは芸ではなく、存在によってファンの憧憬を集める存在、そのうち、特に歌や演技を表芸にしている人たち、ではないかと思います。

天地真理以後の言葉だろうと思いますが、それ以前からアイドルと言うべき存在はいたわけですが、彼らはスターと呼ばれていました。しかし表芸としては、俳優歌手であるわけで、最初期のアイドルである天地真理小柳ルミ子らは「歌手」がメインであって、アイドル性は付加価値でした。その付加価値肥大化したのがそれ以後の流れです。

ここで男性アイドルに簡単に触れておきますが、男性アイドルはなかなかビジネスとして成立しにくい傾向があります。これは単純に、女性女性アイドル消費者になるけれども男性男性アイドル消費者にはならないからです。この構造は基本的には変わっていません。ジャニーズ事務所市場を寡占することで、規模の利益を上げているだけです。70年代男性アイドルのうち、ビジネスとして成立したのは新御三家フォーリーブスくらいでしょう。80年代には市場を寡占したジャニーズでさえ、ソロ売りは難しくなり、近藤真彦以後、ソロで売ったのはほとんどいません。

アイドルが、存在自体でスター性を獲得するのが特徴だとすれば、本格的にアイドル時代が訪れるのは、石野真子大場久美子榊原郁恵あたりの世代からです。山口百恵桜田淳子ではまだ歌がうますぎます。

そう言えば、以前、NHKの番組で、さだまさしが司会をしていて、歌を作りましょう、みたいな講座があったのですが、あなたが作った歌をプロの歌手が歌いますと言っていて出てきたプロ歌手西村知美だったのでのけぞったことがありました。それ単に、さださんの仲良しで選んでいるだけでしょう、と思いました。西村知美も確かにプロ歌手と言えばプロ歌手ではあるわけです。しかしプロ歌手と言う言葉と彼女の実態は大きくかけ離れています。そういう意味では南野陽子西村知美新田恵利らが出てきて、アイドルが完成したのだと言えます。

80年代アイドルは、芸人として表現者劣化した時期かと言われればある程度はそうです。劣化すること自体に意味があったわけではなく、付加価値のウェイトが強まった結果、歌唱力のウェイトが弱まったのです。そういう中で、トップアイドルたちは、アイドルとして「見せる」方向に特化していきました。


アイドルはなぜいなくなったのか。

いや、今でもいるよ、という声はあるかも知れません。しかし、彼らは明らかに80年代アイドルとは受容のされ方が違います。どう違うのか。

本田美奈子が「私はアーティストです」宣言をした時、松任谷由実が「本田がアーティストなら私は神様だよ」と本田のアイドル性を揶揄して言いました。この時すでに、アーティスト性の方がアイドル性よりも上という認識が両者にあった、ということになります。この話はこれでおしまいではなく、音楽雑誌ライター松任谷のこの発言を批判して、「自分だってアイドル時代があったのだから他人のことをとやかく言える立場か」と書いたところ、松任谷は「私にはアイドル時代なんてないんだからね!」と激怒していました。そりゃそうでしょう。松任谷ソングライターにはなれてもアイドルにはなれません。

おそらくそライター竹内まりやあたりと勘違いしていたのではないかと思います。アイドル不在の70年代末期、いわゆるアーティスト系の女性シンガーアイドルのように遇された時期がありました。竹内まりや桑江知子、それとこぶ平のお姉さんとかです。このことは、エンターテイナーとして実力があることと、アイドル性は決して矛盾しないことを示しています。90年代以降のミュージックシーンは、70年代への回帰アイドル性とエンターテイナー性の両立が生じました。

まり純粋アイドル性が生じたのは80年代のみと言っていいかと思います。AKB48エンターテイナーとしての水準が低いのは、80年代集合アイドルであるおニャン子クラブ模倣しているからです。


英米圏にもニューキッズオンザブロックとかバックスリートボーイズ、ベイベベイベと歌っている子とか、アイドル性の強いタレントはいます。しかエンターテイナーとしての水準が極端に低く、そのため純粋アイドルとして成立しているタレントほとんどいません。現在K-Popでも、アイドル性を訴求しながらも歌唱ダンス、肉体表現おいて、プロの水準に達していて当たり前です。80年代日本おいてのみ、純粋アイドルが成立した、これは特異な現象ではないでしょうか。

もちろん80年代アイドルでもほとんどはエンターテイナーとしての水準が高く、その高度なアーティスト性のために聖子明菜純粋アイドルとは言えないでしょう。しかし彼女たちの付加価値はあくまで当初は付加価値であり、商品としてのコアはアイドル性にありました。「まず歌手であり、次にアイドルであることと「まずアイドルであり、次に歌手であることは似ていながら全然違います。このアイドルという現象がなぜ80年代日本で進んだのか、なぜ90年代初頭に終焉したのかを考えると、私が思うに、70年代末期から80年代にかけて、日本人国民的自信が強まったこと、同時に世界標準への憧れが消えたこと、その結果、日本的な「縮み志向」が進展したこと、バブル崩壊とともにその前提条件がなくなったこと、等々が要因ではないかと推測しています。


では、一応ここまでにしておきます。長々とありがとうございました。

2013-08-25

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子

80年代女性アイドル格付

http://anond.hatelabo.jp/20130821065806

を書いたマスダです。80年代女性アイドルについて語り倒したくなったので、順繰りにそれぞれの女性アイドルについて話してみたいと思います

今日松田聖子について。


松田聖子デビュー曲は「裸足の季節」、そのB面曲は「RAIMBOW~六月生まれ」と言う楽曲です。

どういう事情でこのB面曲が選ばれたのか、ちょっとした謎ですね。デビューシングルと言えば、売出し中のアイドルにとっては名刺みたいなもんじゃないですか。そのB面曲が「六月生まれ」だったら、普通は、ああ、この子は六月生まれなんだなあって思いますからね。でも実際には聖子3月10日生まれ、早生まれなんですね。この早生まれ、ということを初期の聖子は最大限に活用しています

三作目のシングル「風は秋色」はB面曲(扱いは両A面扱いですが)が「EIGHTEEN」で、聖子の初期の代表曲の一つです。

あーここでついでに言っておきますが、聖子シングルのB面はA面よりもむしろ優れた楽曲が多くて、ファンから強く支持されているのもB面曲が多いですね。何といっても「SWEET MEMORIES」が「ガラスの林檎」のB面曲なんですから。主演映画の主題歌だった「花一色」や「夏服のイヴ」がB面だなんて、他の歌手では絶対にありえないですよね。

で、「EIGHTEEN」を歌っている時、彼女は実際に18歳だったのですが、早生まれなので学年で言えば、「19歳」なんですよね。山口百恵は19歳の時には「プレイバックPart2」を歌っていました。そして21歳の時に引退しました。山口百恵脱アイドル路線を進み、既にその前年に嫁に行く娘の母への気持ちを「秋桜」で歌っていたことを踏まえれば、普通はもうアイドル路線から転換するような年齢で、聖子アイドルを開始したということになります

既に高校卒業して、社会人としてアイドルデビューをした松田聖子でしたが、「高校三年生の年齢である18歳」を強調することで、ファン層である中高生との乖離を極力狭めようとした、「EIGHTEEN」という楽曲にはそういう意図が感じられます


聖子高校1年生の時にミスセブンティーンコンテスト歌唱力を認められ、CBSソニーが直ぐにでもデビューさせたいとアプローチをかけます彼女サンミュージック所属でしたが、レコード会社が発掘したアイドルなんです。CBSソニーサンミュージック綱引きをしたら、聖子はあくまでソニータレントです。このことがアメリカ進出の際、亀裂となって生じるのですが、それはまた別の話です。

聖子デビューが遅れたのは、父親を説得するのに2年を費やしたからです。14歳デビューした山口百恵らはさすがにデビューが早い方ですが、アイドル普通は16歳前後デビューます田原俊彦は19歳でのデビューでしたが(学年で言えば実際には20歳でのデビュー)しばらく年齢を詐称していたように、18歳以降でのデビューアイドルとしては年齢が立ちすぎていて、著しく不利です。

いいよいいよで済ます家庭で育っていれば、聖子デビュー石野真子と同期、1978年になっていたはずです。2年デビューが遅れたのは後から見れば実にラッキーだったのですが、おそらくその2年間は聖子人生の中で一番悶々としていた時期だろうと思います


娘が芸能界デビューしたいと聞いて、まずまともな父親なら反対が先に来ると思います。決して内実は美しい世界ではありません。暴力団などに食い物にされている人もいます。横目で見ていて、そんなことに娘が関わって欲しくないとまともな父親ならばそう思うのではないでしょうか。娘が芸能界に入りたいと言って、これで一儲けが出来ると思うなら、いいよいいよと父親は言うでしょう。問題は果たしてそう言う父親がまともな父親かどうかです。

芸能界に入る時に父親に反対されたというアイドルほど、荒波を乗り越えてタフなように見えます。それは最後の砦である家族を信じられるからです。家族を信じられるのは家族がまともだからです。松田聖子にはこの、「父に愛された娘」としてのタフネスがあります。それは中森明菜が結局手に入れられないものでした。


デビューが遅れて良かったのはまず第一に黄金期にあった山口百恵キャンディーズピンクレディーらと競合せずに済んだことがあげられます。本来、ポスト百恵世代は、石野真子榊原郁恵大場久美子らが担う位置にありましたが、彼女らは既に聖子デビューした時には息切れしていました。78年にデビューしていれば聖子もそうなった可能性があります聖子百恵の活動時期は殆どかぶっていなくて、百恵引退直前に聖子挨拶に行った、くらいの関わりです。百恵が不在になって、いなくなったのは百恵だけではなく、めぼしい女性アイドルたちもそうでした。80年組が豊作の年と言われるのは、女性アイドルたちが不在で、80年組がまたたくまにその空間を埋めたからです。

80年組が活発な活動を続けていた81年には、逆に女性アイドルが出てくる余地が無くて、81年組は近藤真彦竹本孝之沖田浩之などの男性アイドルは輩出されましたが、女性アイドルには本当にめぼしい人がいません。伊藤つかさだけですね。

70年代60年代の延長ですが、80年代は新しいステージに入りました。戦争を知らない子供たちどころか石油危機を知らない子供たちが青年期を迎え、先進国日本しか知らない若者が世相をリードするようになりました。

70年代末期には、海外ご当地もの楽曲が数多く出ました。「とんでイスタンブール」とか「サンタモニカの風」とかですね。海外ご当地もの聖子も数多く歌っていますが、日本若者は行こうと思えば気軽にそこへ行けるようになっていたのが70年代と異なっていますハワイグアムではもはや歌の舞台には陳腐になっていて、聖子海外ご当地ものはより遠くへ、穴場へ行く傾向にありました。グアムではなくセイシェル、ロスではなくマイアミカリフォルニアディズニーランドではなくニューヨークコニーアイランド

聖子の歌には、特に初期には憂いのようなものはなく、ふわふわとしたポップな高揚感がありましたが、80年代はそれをファンタジーではなく、普通のことにする時代でした。あの時代日本人はすべて、準超大国であった日本という国家を背負っていたのです。

聖子はその象徴になりましたが、それは78年にデビューしていればたぶん不可能なことでした。


裸足の季節」がスマッシュヒット、「青い珊瑚礁」が大ヒット、続く「風は秋色」という地味な曲が80万枚を売り上げたことから(今の感覚ではたぶん倍の枚数で考えればちょうどいいんじゃないかと思います。だから160万枚)、聖子なら何でも売れることがはっきりとしました。

続く「チェリーブラッサム」は最初のターニングポイントになった楽曲です。続いて「夏の扉」「白いパラソル」と財津和夫作曲を手掛けますが、財津和夫の流れからJ-POP原理主義とも言うべき、「はっぴいえんど」人脈とのつながりが出来て、松田聖子楽曲アイドルの枠を超えて、日本ミュージックシーンでもにわか実験的な色彩を強めていきますアルバム風立ちぬ」はこの時代もっとアグレッシヴアルバムであり、日本音楽史上、聖子楽曲は単に売れている、という以上の意味を越えて特筆すべきものになりました。売れているから何でもできたのです。

チェリーブラッサム」は初期シングルの中では最高傑作との評価も高い楽曲で、人気も高いのですが、歌うのはかなり難易度が高い曲です。聖子はその後も「いちご畑でつかまえて」のようなあり得ないような難しい楽曲をわりふられて、楽々と歌っているばかりか、生放送で披露して作品世界観までしっかりと表現しているのですが、まず普通の歌手には真似できないことです。第一に何でも売れる、第二に何でも楽々と歌える、という二つの条件が揃ったことにより、一種の「聖子解放区」なるものが出現し、日本トップアーティストたちがこれでもかと腕を振るって練りに練った楽曲提供し、ソングライターにとっての桃源郷聖子という媒体を通して出現します

その契機をつくったのが財津和夫であり、「チェリーブラッサム」でした。聖子自身は当初、この楽曲に拒否反応を示し「こんなのを歌っていては駄目だわ、と思った」と述べているのですが、それはアイドル歌謡の枠からあまりにも外れていたからでしょう。

聖子はなりたくてアイドルになっただけに、アイドル的なるものが好きでした。聖子80年代初めに、ふわりとした髪型(いわゆる聖子ちゃんカット)、ロココ趣味ドレスという天地真理スタイルを復活させた人ですが、当時は既に山口百恵後期のスタイリッシュ大人の女性路線を経ていたために、下手したら冗談と受けとられる可能性がありました。そんな恰好をするのはもはや聖子だけだったのです。その後、聖子ブレイクした結果、猫も杓子もエピゴーネンになりましたが、その時にはもう聖子はそうしたスタイルをやめていました。


そして「赤いスイートピー」で作詞・松本隆作曲呉田軽穂松任谷由実)のコンビが実現するのですが…。

松本隆80年代代表する作詞家で、トップアイドルたちのほとんどに詞を提供しています。上位から8位までのアイドルたちで言えば、中森明菜に「愛撫」「Norma Jean」、小泉今日子に「魔女」「水のルージュ」、薬師丸ひろ子に「Woman~"Wの悲劇"より」、中山美穂に「派手!!!」「JINGI~愛してもらいます」、斉藤由貴に「情熱」を提供しています

特に中山美穂については初期にプロデュースも手掛けています

しか松田聖子プロデューサーとしての活動が著名で、松本隆と言えば松田聖子松田聖子と言えば松本隆といってもいいでしょう。「秘密の花園」は元は別の人が作曲していたのですが、松本隆が気に入らなかったので急遽、作曲者松任谷由実に替えています松田聖子プロジェクトおいてはそういう権限を持っていた人です。

松任谷由実アーティストとしての全盛期を、荒井由実時代に求める人は多いのですが、私は松任谷由実になってから7年間、アルバムで言えば「紅雀」から「DA・DI・DA」までがソングライターとしての全盛期だと思いますセールス的にはその数年後に絶頂が来るのですが、セールス的な絶頂が来た頃にはソングライターとしては下降期に入っています。そのソングライターとしての全盛期がまさしく彼女松田聖子プロジェクトに関与した時期で、さすがにどの曲も珠玉の傑作ばかりです。

赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」「Rock'n Rouge」「秘密の花園」「瞳はダイアモンド」「時間の国のアリス」が松任谷由実松田聖子提供したシングルA面曲になります。B面曲/アルバム曲では「制服」「レモネードの夏」「蒼いフォトグラフ」「恋人がサンタクロース」などが有名なところでしょうか。彼女ソングライターとして全盛期だった松任谷由実楽曲を歌うことで、松任谷由実エピゴーネンになる危険を冒しました。ユーミンサウンドのチャンネルひとつ、になってしまう可能性があったのですが、そうはならなかったのは、第一に二三の例外を除き、松任谷由実セルフカバーしていないから、そして、松田聖子が独自の歌唱で、世界観をくっきりと提示したからでしょうか。

これは彼女楽曲カバーしたアーティストの歌を聴き比べればはっきりとしますカバーアーティストたちはプロですからそれぞれに上手いのですが、聴き比べればやはり聖子歌唱が圧倒的に優れているのが分かります。これは単にオリジナルシンガーというだけでなく、楽曲世界観を提示する能力が卓越しているからです。

彼女洋楽日本語版をカバーして歌っていることも多いのですが、それらはオリジナルよりもよほど強い輪郭を持っています

松田聖子は演技は致命的に下手ですが、歌の中にドラマを作り上げる技量は他の追随を許しません。いわゆる歌が上手いと言われる人、例えば美空ひばりは、彼女自身が器楽として優れているのであって、実はその歌は、世界観を味わうというよりは、音楽としての歌を楽しむ、実はより純粋音楽の方向に寄り添っています松田聖子は歌を映像として見せる技量に秀でているのであって、その圧倒さは唯一無二のものです(対照的に中森明菜器楽寄りの歌手です)。


はっぴいえんど」人脈によって松田聖子というアイドル楽曲風景歴史的ものになったのですが、松田聖子自身は本来はそちらの性向ではなかったのでしょう。「花一色」は文芸映画「野菊の墓」の主題歌で、やはり数多くの文芸映画に主演した山口百恵の中期の路線を思わせる楽曲でしたが、しっとり日本の情感を歌い上げています彼女自身はそういう、「大人」の路線にシフトして行きたかったはずですが、松田聖子プロジェクトが圧倒的な成功を収めたために彼女自身、その成功に圧倒されていきます

チェリーブラッサムを歌いたくなかった」

という言葉は実は、「案外、自分のことはわからないものだ」という自己反省の文脈で語られています自分よりも周囲の方が案外分かっているのではないかチェリーブラッサムはそういう教訓を彼女に与え、彼女自身、松田聖子自己模倣していきます

アイドル時代キャリアの後半になるにつれ、子供っぽい、可愛い歌の傾向に拍車がかかるのは、その表れでしょう。「時間の国のアリス」「天使のウィンク」「ボーイの季節」は過剰な少女趣味が行き過ぎていて悪趣味ですらあります

ほとんど自らの巣に絡まる蜘蛛のような、自虐的とも言えるまでに肥大化してゆくアイドルとしての松田聖子の路線に、松田聖子結婚休業をすることでけりをつけるのです。

 
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