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2024-10-09

運命自分で決める


運命自分で決める、私は神様などに委ねない。

全ての結果は私が紡ぎ出す。私の強固な意志が、神にさえ介在できない絶対未来を作り出す。

もう何にも向き合いたくない。

なんでも文章にして日記に書いていたあの頃、自分と向き合う体力があった。今は嫌なことあるとおうそのことを考えたくない、逃げたい。

何で苦しいのか何でそう思うのか何でこんな状況になっているのか、なぜ私は惨めなのか。

それに向き合うのがとにかく苦しくて回避したくてどうでも良いyoutubeを延々と見て時間を浪費している。

カウンセリング意味があるのかよくわからなくなってきた。

大した悩みでもないのに大袈裟ぶって被害者面してるのかな私って。

いや自分が辛かったならそれ以上も以下もないじゃん。

そうかな。自分感情大事にすることがわからない。

親の仲が良くて家族が大好きだった子はすぐ結婚したね。

なにかしら家庭に問題がある人はやっぱり結婚してないや。

さみしい。

やっぱり私ってもうどうでもいいんだな。会いたいとも思われないし、放置してもいい人間

もう捨てられるんだ、もう私のことなんて好きじゃないし新しくいい人ができたのかもしれない。

女の子から電話かかってきてたし。家の外から電話してきたし。なんで?

家に誰かいたの?私と話してることを聞かれたくない誰か。

私以外のものなんてすべて捨ててほしい。全部なくなればいいのに。

一番になれないなら死にたい、結局誰の一番にもなれないじゃない、

だって姉が一番だったお金だっていっぱいかけてもらって学費だって全部出してもらっておばあちゃんお姉ちゃんにはお金出すけど私奨学金ずっと返してる、

バイトだってずっとしてた、定期代だって画材だって全部私。姉はバイトすら許されなかったけど私はお金からなくて自立してて手がかからないですか

気使ってるだけなのに。リクルートスーツだって自分で買ったお前らに相談なんかしない家を出る時も家を決めてから報告した全部全部。

私に何て興味がない。

くだらないサラリーマンをやってるから

そのサラリーマンからコロナ禍に振り込んでもらったお金で食べるごはんおいしかった?思えば直接お礼言われた記憶もない。

ずっと一番になりたい。誰かの一番になりたいのに誰の一番にもなれない

みんな私より大切な何かがある。いっつも。大切とか言ったって私以外のもの捨てないんだから全部嘘、全部嘘

しかも大切とすら言わない建前すらも言われたことない。大切だよともいちばんだよともいわれない、苦しい。私以外のみんなが手に入れてるもの私だけが手に入れられない

ブスだから?私よりブスだけど大切な一人に選ばれてる人いっぱいいる。

ブスとか美醜とかじゃないんだもっと残酷な、私に価値がないってことなんだ。なんでいつもだれの一番にもなれないんだろう。嫌われたくなくて気使ってるから?優しいからもうどうでもいいんか文句言わないからなんも言わないから好き勝手して放置しておいてもどうでもいい人間か。

咳をしても一人コロナにかかっても一人、ずっと一人、一人なら一生一人でいたい

夢を見させないでよ。今度こそ一人じゃなくなるかもと思った。今度こそ一番になれるかと思った、全然そんなことなくて笑える。

こんなに早口自分否定して捨てられる未来勝手想像して勝手に起こって悲しんで泣いて攻撃的になっている私は誰?

こうなった時、いつも自分自分じゃなくなる。怒りと悲しみが抑えられない。やっぱりあなたも違ったんだ、今度こそ違うと思ってたのに。って。勝手に期待してるのは私。

勝手に期待している私はどこの誰、いつも悲しんで抑圧されている私よ出ておいで

苦しい。悲しい。わかるよ。もういいよ。なんでそんなにすぐ捨てられるとか言い出すの。

でも悲しいよさみしいよ、ほんとは人並みに大事にしてもらいたい。でも私には価値がないって思う。祝われる価値もない。何かをプレゼントしてもらう価値もない。高価なものを貰う価値も。でも好意

善意も受け取れない。、まっすぐ受け取れないか気持ちが良くない。

人を不快にさせる。また0か100

休むことも苦手。あんなに言ってて私も休みたいとか言って、結局休めない罪悪感、皆はいいけど私はダメ。私だけなにも許されない。私だけ一生頑張って笑顔で平気なふりして走り続けて泣くときは陰で泣かないとダメ

私はみんなが泣いたとき、私だって泣きたいよと思いながら私は悩みないし健康からさ~!って笑う。家でかえって泣くんだ。誰もいない家で一人で。

でもそれが私なんだ。もういいよ。もう諦めたい。それならそれでいいじゃん。

私は何になりたい?何になりたくてこんなに苦しんでいるの。

から解放されたいの。

何になりたくてカウンセリングに通っているの。でもゴールがわからない。普通の人がわからいか自分不安定さがどこまで家庭環境が起因しているかもわからない。別に平和な家で育った人だって落ち込むしネガティブだってなるし、やっぱり私だけがずっとずっと被害者面しているんじゃないかって思う。普通がわからいから。

私がどれくらい異常で周りがどれくらい普通なのか基準が知りたい、全部教えてほしい。でも普通じゃないといけないの?なんでそんなに普通はとか、周りはとか、自分の悲しみを無視することに必死自分は正常なんじゃないかって思おうと必死

悲しい。顔は笑っていつも心は泣いている。

心ここにあらず。

いつも人に気を使っている。苦しい時こそ平然とする。人に気持ちを悟られてはいけない、苦しいと思われてはいけない、つらいと思われてはいけない、

だってこんなにつらいのに、つらいことがばれて同情されたら怖い。

そんなことでつらがってるの?って私の感情馬鹿にされたらこわい。

笑顔は作らない、平然としていればいい淡々仕事をこなす淡々と。

私がどう思うかなんてどうでもいい。どうでもいいんだ、ほんとに?

感情がばれたら馬鹿にされるから必死で隠してるんだね。馬鹿にしてきたのは父親だったね。殺したいね。むかつくね

あんなに馬鹿にしてきて人の感情っ踏みにじってきたのに、一丁前に親面したり、私に会いたがったりなんてしないでほしい。馬鹿にするな

むかつく。、むかつくむかつくむかつく

今まで思ってきたこと全部言ってやりたい

お前に感情殺された、お前にブスだって言われて今も鏡が気になって仕方がない、人の顔を見て話せない。喜んだらお前が馬鹿にしてきたから人の前で喜べない、素直な気もちや弱音を伝えてみたらしょうもないと言われたからやっぱり人に自分気持ちなんて話すもんじゃないって学んだ。お前が浮気たか根本では人のことなんて信じられない。人は裏切る、人は嘘をつく。人間はみんな裏の顔があって、みんな悪者

信じられない。お前のせいだ。

でもお前は被害者面して死んでいく。大事に育てたのに顔も見せに来ない薄情な娘か。

現実を何も見ない、わからない、わかろうともしない、馬鹿幸せだ。人を傷つけた側の人間はいつも被害者面する。自分のしたことを都合よく忘れて。

いいね、羨ましい。頭空っぽな人は、羨ましい。羨ましくて憎い。

私はお前が嫌いだよ。大嫌い。

大嫌いなのに嫌いになれないから苦しんでいる、むかつく、これを書いているだけではらわた煮えくりかえりそう。嫌いと認めることも、嫌いになれないと認めることも、どちらも苦しい。めちゃくちゃ苦しい。だから考えたくないの。

いつも頭の片隅にあるぼんやりした暗い部分からずっとずっと目を背けている。目を背けるということは意識しているということ。普通に目を向けることができるようになったらそれが解決なのかもしれないけど。

私も10代でうつ病でもすればよかったかな、リストカットでもすればよかったかな。あの時ちゃんと苦しまないでちゃんtp引き受けなかったから今こんなに苦しいの?

私は強い私はメンタル強い私はえらいってそれで自分を奮い立ててきたから悪いの?ちゃん精神病んだ姉がうらやましかった。私はこんなに元気なの何でだろと思ってたけどそこだって人に気使って自分がやむことなんて後回しにしていたかもしれない。私がやんでいる場合じゃないって。

馬鹿な親。くだらない。しょうもない

私ばっかり、私だけ。私だけ仲間外れ。

くだらない。

宗教やってるやつらは馬鹿で節穴で、何もわかっていない。やっぱり表面しか見えない。家族演奏していたら幸せか?その前後車の中で暴言が飛び交っていても。見せたい自分を見せて称賛を浴びて、褒めてもらって理想家族と言われて、それが現実とこんなにちぐはぐでも。普通だったら惨めさが勝つはずだけど一生幻想の中に生きているか幸せなのかそうなのか幸せで羨ましいよ。幸せなのは幻想の中に生きている頭なおかしいお前だけ。お前は人生かけて、宗教しても幸せになれないって私に証明してくれたね、親心

祈っても祈っても祈っても、浮気されて子供に捨てられる人生。それを祈ってたの?それがほしかったの?

ワートリは週刊連載から逃げた癖によく努力を語る気になったな

勘違しないで欲しいけど、褒めてるから

何にでも勝手に悪意を見いだすカスに絡まれたくないか最初にそこをハッキリさせておく。

偉いよワートリの作者は。

だって普通なら恥ずかしくて書けないだろ?

「かーっ、地道で普通努力淡々とせずに背伸びばかりの勘違い雑魚は一生雑魚確定!」とかさ、自分が週刊連載から逃げて月刊のんびりやることを選んだという負い目から普通は書けないと思う。

でもそこで作者の変な自意識のために作品の展開に縛りを入れたらストーリーが歪んじゃうんだよね。

自分の逃げは自分の逃げ、作中の努力論は作中の努力論として分けて書けるのは素晴らしいことだ。

なかなか出来ることではない。

何が凄いってそこに自嘲や自省の匂いを感じさせないこと。

ただ何事もなかったように「無駄背伸びをするな」「地道にやれ」「お前は下駄を履かされてただけだ」「短いスパンで区切ってPDCAを回した奴は成功してる」と書いてみせるのは離れ業とさえ言えるよ。

俺なら無理だな。

自分なりのプライドというか、偉そうに人生訓を解くとき自分なりのルールに縛られて「いやーこれを苦笑いもせずに書くのは人道に反するわ」と自意識過剰なブレーキをかけてしまっただろう。

それがない。

要するにてらいがないんだよな。

体を捨てることが出来るとでも言うのかな。

凄いわ。

やっぱジャンプアニメ化作家ともなると違うな。

anond:20241009090754

そもそも説得される状況なんてなかなかない気がするけどな

淡々説明してどうしますか?やりますか?って聞くぐらいじゃないの

創作か知らんけど事実だとしたらその医者がやばすぎる

anond:20241009022643

2025年人口ピラミッドを観てください。

https://www.ipss.go.jp/site-ad/TopPageData/2025.png

淡々労働人口が減り続けるということは、郵便配達員の確保が困難になるということです。

当分は郵便配達員の確保のために高い給与を設定する必要があり、毎年、郵便料金を上げざるを得ないでしょう。

2024-10-06

夜泣き対応にノイキャンイヤフォンおすすめ

タイトルの通りなんだが、まじでおすすめ。俺はAirPods Pro使ってるけど、別なものでも同じ効果得られると思う。

ギャン泣きが耳を貫通することで発生するイライラ度合いがかなり低減される。これがいい。親の感情子どもに察されてギャン泣きギアが上がるということがない。淡々対応できるので子供が落ち着くのも早い。

80%火力が1時間続くのと60%火力が2時間続くのなら前者の方が結果的ご近所さんにも優しい気がする。

2024-10-05

[]きょう、図書館で悲しくなった

普段はこういうのは日記帳に書くんだけど出先で持ってないのでここに書く。

昨日移動に4時間かけて内定式に出席した私は、まだ土地勘のない場所で今晩の食事の予定までの時間を潰さねばならなかった。

お金もないし充電もないしで図書館に入った。土曜日図書館勉強している人でいっぱいだった。勉強していない人もいっぱいいた。みんな本を読んでいた。

そんなごく普通のことすら自然にできなくなっている自分が恥ずかしく、悲しかった。

この数年、心からかに没頭できない。心から求めるものがない。

以前は知識欲が旺盛な方だった。知識を得ることに純粋な喜びを感じていた。

何かを極めて一番になるタイプでもなかったけれど、本屋に入ると興味のある本を探して手に取り、気づいたら1時間経っていたり家族とはぐれたりしていた。

今もその時の興味の残り火で研究らしきものをしている。来春には研究とは直接関係のない職種に就く。

気づけば趣味にも興味にも義務感を感じるようになっていた。

頭が働かなくなった。数学思考論理的思考ができなくなった。脳のメモリが0になった感覚認知機能全般短期記憶力も長期記憶力も落ちたように思う。

休みの日は何をしているの?」という質問に「美術館行ったりするのが好き。趣味は〜〜で〜〜」と答えるけれど、そう答えるためにそれらの行動をとっているような気がする。

文章を読んでも目が滑って飛ばし飛ばし読むようになってしまった。思考に関する忍耐力が本当になくなってしまった。解けない問題を考えるのが好きだったのに、今はその逆。

ツイッターを見て、リプにぶら下がっているwiki記事を読む。その中のリンクから別の記事に飛ぶ。これにすらどこか「情報を得なければ」という義務感と焦りがつきまとう。美術館で展示を見る。展示につけられた説明飛ばし飛ばし読む。何か感じなければならない。何か得なければならない。自分思考力低下から来る考えだと思われる。

いろんな原因を考えた。

うつ病うつ病ではないにしても何らかの発達障害(元々その気はある)もしくは精神疾患

入ってくる情報量が多すぎて脳が情報処理方法を変えたのかも。

何かで見かけた「脳は使わないと錆びる」という言葉が浮かぶ大学に入って二年ほど、みるみる落ちる思考力と怠惰単位を回収するのに必死自分で考えるということをしなかった。うん、やっぱり主な原因は怠惰ではないかな。

いや、ただ単に早熟子供だっただけかもしれない。天才も、二十歳過ぎれば...というように、大人になるというのはそういうことなのかもしれない。実際、医者を含め誰に話しても「別に普通に見えるけど...」と言われて相談にすらならない。

どんな話も本筋がどうせ理解できないので些細なことにばかり目がいく。少しでも何か情報を得なければ、置いていかれる。

漫画でさえも何も考えずに読むことができなくなった。心から楽しめなくなった。

同期は博士課程に進むらしい。後輩の一人も。

入った図書館で知っている人の博士論文をいくつか開いてみる。自分のいる分野だが中身を読みたいという気持ちが一切湧かない。楽しくない。

以前の自分のまま、勉学を楽しみながら進められていたら、今頃博士課程を考えていただろうか。無邪気に進学する同期や先輩にネガティブ感情が浮かぶ。私には何年かかっても終えることができないだろう。もう知識を得ることにも何かに興味を持つことにも楽しさが見出せないのだから

でも他人にそんな深刻な話題を出しても本気にされないから、これからも何かに興味を持つフリをしながら生きていく。

ここから追記(10/8 21:50)

Twitter自分日記をみかけるとは思わなかった。びっくり。

似たような状況の人が多く、また反応がいくつかに収斂しているので返信してみる。

休めってコメントが多いので先に書いておくと数週間後に5日間何もしない日を設けることにした。ネットを見ない、連絡返さない、自炊して掃除して散歩してぼーっとする。

・休め、情報を入れるな、寝ろ、ぼーっとしろ運動しろ、好きなことだけやれ

みんな優しい、ありがとう

スマホ依存自覚はある。言い訳すると最近全てがスマホに結びついているように思う。

日常の決済だけでなく、大学学食すらQRコード決済になった。家に置いていくことができない。

とはいえやっぱりTwitterインスタTikTok情報中毒になっているので、スマホを置いて散歩する頻度を高めようと思う。

寝てはいます。6時間は死守しないと次の日を虚無にしてしまう体質なので...

あと手を動かす趣味もある。狭い下宿で思うようにできず...というのは言い訳なのでちょっとずつ復活させていきたい。

コロナ後遺症では?

コロナ禍以前からこのような症状があったのでこれが根本的な原因ではなさげ。ただ、コロナ禍に入り塞ぎ込んだことで抑鬱状態になった(次の項目にも関連)。

その後コロナに二度感染し、各回で体力の上限が削られたような気がする。

病院行け

コロナ禍で抑鬱になったとき診療所に行った。これが続くと鬱病だと言われたが大学夏休み期間に入ったこともあり、寝付きの悪さやメンタル状態は多少持ち直した。今は楽しくはないけど鬱ってほどではないなという感じ。ただこれが一生続くと思うと絶望ちゃう

その後も不眠で精神科に行ったりもしたが、不眠以外はあまりにも健康ですね、と言われ終了。「脳にモヤがかかってるようで...」とは伝えたが日常生活が送れているので特に何も対処されなかった。

上の過程発達障害に関しても「グレーかもしれないが診断はつかない程度」と言われている。課題の期限は守れないけど業務連絡や病院の予約、友達との待ち合わせではむしろ早めに動きすぎて気を遣わせてしまうこともある。接客バイトでも優秀な方だった。プログラミングとか、数学とかができなくなった分のリソースがそっちに行ってるだけっぽいけど。頭の中が常にどうでもいいことで満たされていて、情報の整理ができなくなって久しい。コンサータ飲んでみたかったな。

これも診断ついてないけど幼いとき強迫観念がすごかった(儀式行為確認行為数字へのこだわり)のでメンタルが元々そんなに強くはないんだろうなーって感じ。

まり一応心身ともに健康ということになっている。

・俺かと思った

普段いる環境には何歳になっても情熱を失わずやる気で満ち溢れた人が多いので、同じような人がいっぱいいるのがわかって安心した。よくある悩みなんだな。意外とみんなこんなもんなんだな。いや、みんなこんなんで大丈夫なのか。

過去に同じ状態になったけどこうやって回復した/受容した/改善したというコメントはどれも参考になる。歳とってこうなる人も結構いるみたい。

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をという本を挙げている人も多かった。気にはなってたので買ってみる。

・恵まれてるね

相対的には少なかったけどいくつか見かけた。本当にその通りすぎる。能力環境のおかげで今まで好きなことだけやってどうにかなってきた。

好きなことじゃなくても淡々とやるってのも必要だなと改めて思いました。

なんか増田とは思えないくらいみんな優しくて少し泣いた。Twitter引用も、ブコメも温かった。

焦らず時間をかけてみることにします。同じ悩みを抱えてる人のつらさも少しでも減りますように。

(追記)株で元手300万を3億にしたので方法教える(少し努力必要)

※クソ長文

ネカマやって株うまいおっさんから上がる銘柄情報仕入れて儲ける」で300万→2000万達成した増田です。ネカマ手法は今はもう無理。

https://anond.hatelabo.jp/20210926075854

今年のキチガイ上げ相場のおかげもあるが、今から書く方法で3億達成したので共有します。

ちょっとor人によっては結構手間がかかるけど、そのリターンは十分なものになると思う。

【ざっくり言うと】

Twitter(X)でこの3種類の人を見つけ、その人のトレードや買う銘柄を真似する。

複数人集めるとなお良い。

要はイナゴ行為を極めるということ。(イナゴわからん人はググって)

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承認欲求が強く、チヤホヤされたいがゆえに自分が得た情報(プチインサイダー含む)や自分確立した勝てる方法をベラベラ喋るタイプの人

狂人タイプガチうまい

淡々とやってる静かな人

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いわゆるインフルエンサーイナゴをするのは絶対おすすめしない。

質のいいイナゴトレーダーリストを作る(見つける)までが大変だけど、作ってからは楽。もりもり金増える。

【① 承認欲求が強いタイプの人】

勝ったことを自慢している人に多い。負けたことはあまり呟かず、当たった過去の予想ツイートなどをせっせとリツイートしたりして自分すごいアピールに勤しんでいる。

ほとんどは少額トレーダーや嘘つきだけど、探すと「ガチモンの金持ちや上手い人だが承認欲求が強くてみっともないほど自慢してしまう人」がいる。

こういう人はイナゴトレーダーにとってありがたすぎる存在自分が働いている業界インサイダーギリギリ情報とか、自分が長年トレードやってきて得た真理とか、自分一生懸命調べた銘柄についての考察などをすごいー!!って言われたいがゆえにお漏らししまくってくれる。

見つけたらフォローして自然な形でヨイショしたり感謝を伝えたりして承認欲求モンスターを育て上げよう。

(例)社長夫人で、夫のおじさん社長の金を後ろ盾にして株やってる承認欲求整形ババアの買う銘柄真似してその銘柄だけで3000万増えた。

証拠のない後出し((上がった株)実は買ってました!)とか下品自虐風自慢多くて見るたびにイラついてたけど、そのおじさん社長が株上手くて彼の考えや彼の業界事情なども自分承認欲求のために教えてくれてありがたかった。ヨイショに乗りやすい人なのがより良かった。

めちゃくちゃバカにされるような事件起こしてなおSNSにとどまってるとんでもない承認欲求モンスター。ありがたい。

【②狂人タイプガチうまい人】

本当に株がうまくて、実力で勝てていて、現実で満たされている人は金持ちアピールや勝ててるアピールしません。

本物は「うんこおしっこまんこちんこ」「爆損した株やめるわ」(勝ってる)「退場です。今までありがとうございました」(勝ってる)って言ってる。

ふざけてんじゃねえよと思うかもしれないけどガチでそうなのよ。

絡むというよりはツイートを見て学ぼう。

こういうタイプは1人見つかると芋づる式に見つかる。仲間もそんな感じだから性格が悪くて揚げ足取り悪口言うタイプなため①とはとことん合わない。

ふざけたツイートばかりしているが、たまに正気に戻ってトレーダー必要マインド相場の真理、考え方を教えてくれる。

銘柄つぶやくタイプいるから、なぜ今のタイミングで買ったのかを考えるとめちゃくちゃ勉強になる。

承認欲求薄めで勝つことが多い人は「勝ったー!」とツイートしない。稼ぐことが日常から

逆に大損したことつぶやく人の中にガチで上手い人がいる。

大損できる人は大勝ちできる才能と胆力がある人。これは株やってる人にしかからいかもしれないけど。

【③淡々とやってる静かな人】

②とはまた異なるタイプで、「◯◯(銘柄)買い」「SQ◯◯円目標」「これまだまだいくな」など淡々とつぶやいている。本人はおそらく自分備忘録用、少ない仲間内の共有用に使っている。精度が高い上手い人を見つけると大当たり。天才イナゴをすることができる。

こういうタイプガチであまり予想を外さない。予想が外れたとしてもダメージを受けないような取引をしているのでそれも参考になる。

フォロワーが増えすぎると鍵かけたり垢消ししたりするタイプもいるので、フォローするしないは雰囲気で見る。フォローしてよさそうな人はして通知をオンにしリアルタイムイナゴする。

【その他、注意など】

資金管理には注意する

当たり前だけど、いくら買う銘柄タイミングが正解でも

外部要因(日本株全体の下げや業界トラブル)で一時危うい状況になることがある。

常時フルレバはしない。資金管理はしっかりと。

イベントスケジュールアノマリーの把握をするくらいはしよう。

自分情報発信をするアカウントを作る

フォロー専用のアカウント、あまりにもテイカー丸出しなアカウントだと嫌われたり、情報をもらえなかったりする。

ツイート0やリツイートだけではなく、自分トレードや考えていることを書くアカウントを作る。別にうまくなくていい。

ヨイショは①タイプに友好ではあるが、媚び売りすぎてると②タイプバカにされるのでほどほどに。

タイプイナゴをするアカウントと②,③タイプイナゴするアカウントを分けてもいいかも。俺はそうしてる。

①用は一生懸命勉強する健気な若者

②用は同じく狂人っぽく

③用は同じく淡々

をそれぞれ演じてる。

・ヨイショの仕方

「◯◯さんすごいいい🥺◯◯さんみたいになりたい❣️教えてください❣️」とかだめよ。個別株やってる人ってひねくれ者多いから。そういうストレートなのが効く人も稀にいるけど。

はじめはRTしてエアリプで「やっぱこの人凄い…こうなりたいなー」とか「一番参考にしてる」とかがちょうどいい。さらっとヨイショしよう。ある程度親しくなったらガチトーンでベタ褒めが効く

③にはヨイショいらない

②には同じくふざけるだけ

・読解力、共感力をつけよう

それぞれの人の文章のクセ、感情の載せ方を理解するとより精度の高いイナゴができるようになる。

「怖くて買えない」って言ってるけどこのタイミングでこれつぶやくってことはめちゃくちゃ買ってるな、とか。今悩んでるなとか。

この2つの力は普通に株やる時も必要

会社から情報ちゃんと読めるか、人はどう思うのかとかちゃんと考えられるようになると大損を避けられるようになる。

株では勝つことよりもうまく負けることが大切。必ず負ける時はあるので。

------------

一生懸命株の勉強をするより、最低限だけ勉強してあとは抜け道見つけるのが一番手っ取り早く稼げると思う。

では読んでくれた人の爆益を祈ります

(追記)

これ書いたら意味ないじゃんって人もいるだろうけど人間承認欲求って底なしからドヤる人はいなくならないよ

前書いたネカマのやつだって女性からネカマじゃないのに銘柄教えてもらったことない…なぜ…」みたいな意見いっぱいあったけど

それって「○○さんは教えてもらわなくてもうまいですもんね!」待ち、「私は人に頼らずやってる賢い女」アピールでしょ?

私スゴイアピールだけじゃなくて承認欲求を満たすパターンは色々ある

金持ちだって結婚して子供がいたって高級品をたくさん買ったって高いホテルに泊まったって結局寂しい人は寂しいんだよ。それを埋めてあげて情報もらって金稼ぐなんて別に悪い事じゃない。

金があっても心は満たされないからね。もちろん金あって心が満たされている人もたくさんいるけどそういう人は仕事以外でSNSを頻繁に更新したりしません。

2024-10-02

何のために生きているのかわからない

52歳、何のために生きているのかわからない。

人生が楽しくないわけじゃないんだ。

趣味ドライブ景色のいい海山を走れば景色に目を奪われ現地の食事に舌鼓を打つ。

遠出できない日はカフェ読書するのも悪くない。

少し前に始めた料理もいろんなものが作れるようになってきた。

たまに色気が欲しくなれば夜の街で薄着の女性たちを眺め、お酒を飲んでから疑似デートを楽しむ。

遊ぶのは楽しいし、人生絶望とかはしてないけど、何のために生きているのかわからない自分がいる。

それこそ楽しい遊びをするために朝から仕事に行って面白くもない仕事淡々とこなす

xなんかを覗けば、自己成長とか熱意とか意味の解らない言葉つぶやくさな企業経営者(大きいのもたまにいるけど)とそれに感化された若手リーマン

そんなに仕事って自分を追い込んでアスリートみたいなスタイルやらないかんの?

程々の給料しかもらえないんだから、程々でいいじゃないか

仕事の話はもういい。

何のために生きているのかが本日主題だ。

とはいえ、何のためになんて普通人間には無いような気がする。

人間だって所詮生き物だけど、そこらへんにいる犬や猫が「何のために」なんて考えていきてるわけないし、生まれて所定の寿命生きて死んでいくというのが生物の理なのかもしれない。

2024-10-01

なんかこの記事青臭えなと思ってライター確認したら例のスポンジだったのでタブを消した

勘違いしないで欲しいんだが、これは若くしてチヤホヤされているライターのひな鳥に対しての嫉妬では全くないんだ。

ただ何ていうか……ああいう「オタクオタクオタクうわわあさああああああああああ」みたいなのはちょっともう受け付けられなくてね。

若い頃は嫌いじゃなかったんだが、今はもう無理なんだよ。

子供の頃はうどんを食べる時は天かすを山程かけていたのに、今はもう胸焼けが嫌だから天ぷらの衣だって剥がししまうような、そういう体質の変化だ。

話の枕としてオタク的な痛々しさをぶつけてくるような芸風をするライターは多くいるが、そういった人達の多くは途中から段々と冷静になってくる。

飲み会最初カンパーイ!と騒いでいたのに途中から目を座らせて黙々と愚痴り始める中年オヤジのように。

例のスポンジ生物にはそれがないんだな。

ずっと同じテンションオタクオタクしている。

それを若々しさと持て囃す人がいるのは別に悪いことじゃないけど、俺とは相性が悪いんだ。

LIVEでずっと歌っているのがいいという人もいれば、いっそ全部語りでもいいって人がいるように、求めている栄養バランスが違うわけだよ。

俺はね、掴みや山場で脳を焼かれてオタクになるっていう芸をするけど、なんだかんだ中身はやたら淡々としているし妙に造詣が深いタイプオタクが好きなんだ。

あの若造は、眼の前のコンテンツ単品をひたすら徹夜してやり続けるニートの才能みたいなものはあっても、その感想から自分なりのオタク遍歴を匂わせるだけの奥行きはないだろう?

そういう文章を読むならもっといっそ全く手慣れてない素人感想の方が面白い栄養が取れるというものだ。

まあ、あれだ、中途半端に手慣れてしまったんだよな。

初期の地下アイドルが持つような不安定さがなくなったあとの、養殖品の天然芸のようなものだ。

それをこそ愛する人達がいるのは分かるが、私には合わないんだ。

まあ、それだけの話しだよ。

2024-09-30

21世紀に最もふさわしい宗教は「世界五分前仮説」だと思う。次点が「天賦人権論

世界五分前仮説本質とは何か

世界が五分前に生まれたということはどういう事か分かりますか?

仏教徒の皆さんは「この世界はシミュレーテッドリアリティに過ぎないか色即是空なんだ」とおっしゃるでしょう。

キリスト教徒の皆さんは「神がこの世界をお作りになったのが五分前なのです」とおっしゃるでしょう。

私の論点は、実はそこにはありません。

私が言いたいのは「貴方が今手にしているものは、貴方が苦労して手に入れたものでは一切ないとうことです」ということです。

まりですね。貴方東大卒だとしてもその学歴は「貴方が何年も頑張って勉強して手に入れたもの」ではなく「何年も頑張って勉強して手に入れたという設定により手に入れたもの」だということです。

もしも貴方自業自得事故五体不満足であってもそれは「貴方の不注意によって生じたもの」ではなく「貴方の不注意によって生じたという設定により生じたもの」だということです。

そもそも現実はいだって理不尽

これについて「何の罪もないのに不幸ならば、それはあまりにも理不尽だ!」と思うかも知れません。

自業自得だと思えば耐えられたものが、自業自得で無かったと考えたら耐えきれなくなる人もいるかも知れません。

ですが考えても見てください。

過去貴方はもう既に今の貴方にはコントロールしようがない他人なのです。

そもそも今この瞬間とは、いつだってもう既にコントロールしようがない過去によって作られたものであり、それはある意味でいつだって理不尽なのです。

世界が五分前に生まれたと思えば、過去を悔やむことは無くなる

現代社会では多くの人がもうすでにコントロール出来ない過去に対しての後ろめたさから前を向けなくなっています

仕事が上手くいかないのを「過去自分が頑張っていい会社に入らなかったせいだ」と悔やんだりしても、それに何の意味があるのでしょうか?

人間関係が上手くいかないのを「子供の頃からもっと人付き合いの勉強をしていればよかった」と悔やんでも、それは過去自分への八つ当たりのようなものではありませんか?

大事なのは現在未来です。

過去は五分前に作られてしまった設定なのでもうどうしようもありませんが、未来現在自分によってある程度コントロール可能領域です。

「その考え方をするのに別に五分前仮説は必要ないのでは?」というのは正論ですが、人は正論にそのまま従えるほどに賢い生き物ではありません。

過去はもう過ぎ去ったから仕方がない」と信じるためには、過去自分と今の自分を決定的に切り離されなければいけないのです。

そのためには世界観に「巨大な仕切り板」を作ってやることが効果的なのです。

そうです。「過去現在キッパリと断絶して前だけを向くための仕切り板」こそが、「世界五分前仮説」なのです。

全てが五分前に生まれたと考えれば自分他人も許せるようになる

もしも、貴方が見にくく太っていたとしましょう。きっと貴方過去自分自分で許せないという気持ちで日々を生きるでしょう。

ですがもしも、それが五分前に作られた設定だったらどうでしょうか?

五分前に作られた設定そのものを恨むことはあっても、過去自分を恨むことはないはずです。

自分自分攻撃することをやめれば気持ちに余裕が出てきます

すると今度は他人の悪癖さえも「五分前に作られた設定に引きずられているだけなんだから仕方ないな」と許せるようになるでしょう。

法によって裁かれるべきものは正しく裁かれる社会でもある

もちろん「俺は五分前に連続殺人鬼として作られた人間なのだから殺人衝動も仕方がないのだ」と暴れまわる人は当然のように逮捕されます

世界がそういう設定であるから仕方がないと人を許すことと、世界に設定された法律が無条件に人を許すことは全く別だからです。

五分前仮説を信じる世界とは、裁かれるべき罪がフラットに裁かれ、その上で人の心が不必要に裁かれることがない社会なのです。

その社会において人々は他人が法によって裁かれるべき存在であるならば淡々と裁き、私情によって私刑を加えられそうであれば許していけるわけですから、本当の意味での法治国家がここに産まれるというわけです。

世界五分前仮説」に対しての最大の誤解

世界五分前仮説」とはある種の世界観や人生観です。

ですが多くの人は仮説という表現につられてこれをただの思考実験と捉えてしまっています

違うのです。

天賦人権論」が単なる論では終わるものだと考えている人は現代にはほとんどいないでしょう。

天賦人権論」はある種の信仰、それも20世紀的な社会の土台となる新世代の教義とも言えるものです。

ですが、これが社会に浸透するまで、多くの人はこれを「仮説」として捉えていたのです。

世界五分前仮説」には、「天賦人権論」と同じく、新世紀を代表する宗教となれるだけのポテンシャルがある。

私はそう思います

この増田は5分以上かかって書かれたものですので、私はこの増田を書いている何者かという設定でこの世界に生まれたということになるわけですが、私はそれを受け入れたいと思います

なるほど。

なんで私がこんな増田を書こうとしたのかよく分からないのですが、そういう設定の人間として社会に生まれたのなら仕方がないですね。

貴重な月曜日アフターファイブをドブに捨てたような気もしますが、書いている状態で始まってしまった人生を書き終わらせずに続けるのもおかしな話ですから、書ききったことに後悔はありません。ありません。ない。ないです。

借金完済したったwww

総額数百万の借金をようやく完済した。

社会人になりたての時期からアラフォーに至る今まで、約20年にわたる返済人生を歩んで、ようやくここまで来た。
これまでに借りた総額で言えば数百万円ではきかないと思う。借りては返し、返しては借り、を繰り返していた長い時期を考えると、これまでの所得10%を借りていたとしても、総額1,000万円近い金額だったのかもしれない。恐ろしいことだ。



借金問題に詳しい増田読み手ならお察しだろうが、多額の借金を返済できたのは任意整理を行なったかである。数年前に思い立って法律事務所へ赴き、相談を経たのちに任意整理に至った。借入先には忍びないが背に腹はかえられぬ。実行可能な返済計画に従って、利子を除いて淡々と返済を続けた結果、ある程度前倒しで完済することができた。

任意整理によって信用情報に傷がつくのを躊躇していた私に司法書士が放った「客観的に見てあなた家計は終わっています任意整理すべきです」という言葉が強く印象に残っている。


ではなぜそのような借金をするに至ったのか。借金問題に詳しい増田読み手ならばお分かりだろう。


そうです。ただの浪費です。


私はギャンブルもせず、酒も人並み、衣食住も身の丈にあった暮らしをしていると自認している。少しずつではあるが人並みに地位を築き、所得を絶やさず増やしてきた。にも関わらず振り向けば常にそこに借金があった。


新卒入社した会社手取りは約18万円。当時にしても決して低くない金額だった。将来に投資しようとかなり安いアパートにひとり暮らしをして、家賃を除いた生活費が毎月13万円程度あったはずである携帯代1万円、ネット電話代1万円、奨学金返済が1万5千円、光熱費8千円。残りは少なく見積もっても毎月7万円程度は生活費・食費として残るはずだった。今振り返ってみても、余裕のある生活が送れる所得、なんなら貯金をしっかりすべき所得に思える。


所得だけを見て「自分は人並み程度にはお金心配がない生活が送れるはず」「支出傾向から考えても普通生活が送れないわけがない」という思い込みがあったことが、借金生活スタートする土台であったと確信できる。要するに、自分借金とは無縁の生活が送れる、借金などとは無縁の人並みの暮らしができないはずがない、という甘えた考えがあったのだ。


当時の暮らし。毎朝起きてすぐタバコを吸って、朝食は会社デスク菓子パン缶コーヒー、昼食は数百円の弁当、夜もラーメンやら外食やら。一杯ひっかけて帰ることもしばしば。たまに自炊休日映画館やらDVDレンタル、欲しい本や漫画があれば躊躇せず買い、ブックオフ古本を買いあさり、季節が変われば新しい服やスニーカーを新調。出かけたらタバコが吸えるコーヒーショップ一服。誘われれば飲み会にも行くし、彼女には奢るし、休日はどこかで外食をする。


気がつくと、手元にお金は残らなかった。残るわけがなかった。
自分欲望ささやかもので、日々の労働の対価として当然に享受してもよい消費だと思っていた。
これくらいの消費行動・金銭感覚は周りを見渡しても当たり前で、パチンコで数万円負けた、なんて笑う同僚よりも自分はまともなんだと思っていた。
だが当然に現金はすぐになくなり、給料日を心待ちにする日々が続いた。

ある時、ATMキャッシングという項目を見つけ、クレジットカードを入れて1万円を引き出してみた。すると現金が現れた。
返済方法リボ払いという選択肢がある。押すと返済額が毎月定額になった。
当時よく上司や友人がクレジットカードのことを「魔法カード」などと笑っていたが、買い物だけではなく、まさか現金までも引き出せるとは。
給料日までの現金に飢えた自分にとって、まさに魔法であった。


ここから先の展開は予想に難くないだろう。足りない現金を埋めるためにキャッシング預金がなくとも借入金の上限はまだまだある。毎月遅れことなく返し続けていれば問題ないのではないか。だが一向に元本が減らない。まあそんなもんか……。今月も借りては返し、返しては借り……。

若い時の苦労は買ってでもしろ、などと見栄を張って、自分は劣っていないと思い込むために金を使うことは未来への投資

そんな欺瞞自分正当化する。
結局、そんな生活を15年以上送ってきた。


そんな私でも結婚をした。結婚式なんてできず、子どもを作る余裕なんてなかったが幸せだった。この人を幸せにしたいと心から思っていた。

短い結婚生活だが幸せだった。借金はあったけど幸せだった。正しく言うならば、幸せだったけど借金はあった。

借金とは別の問題離婚をしたが、借金は遠因のひとつであった。自分本位の生活を送ってきた仇だ。

夫婦間のストレス言い訳風俗に通いを覚えて浪費する額が一気に増えた。離婚ストレス言い訳女性遊んだ。遊ぶ金はもちろん自転車操業だ。住宅ローンなんて組めやしない。

自分はこれでも極度の貧困よりはマシなほうで、借家もあるし仕事収入もある。地位も得てきたし、借入先も銀行系で闇金ではない。だから自分普通暮らしをしてしかるべき、という勘違いをこの期に及んで続けてきた結果、皮肉にも、自分は明らかに普通ではない生活をしていたのだった。


自分の愚かさを認めるのは、決して難しいことではない。毎月1万円ずつ返済していた時ですら自分は愚かだと自覚はしていた。

難しいのは、その愚かさを改めることだ。

借金借金と思わずに、限度額いっぱいまで余裕があると感じてしまっていた愚かさ、自分普通収入を得ているし闇金にも手を出していない、それゆえ金銭的苦悩とは縁がないという短絡さ、支出を抑えてもどこかで気を緩めて使ってしまう消費依存傾向、こうしたアホ思考マネーリテラシーの低さ、それを改めようとしないバカさ。

それらの問題根本的に見つめ、改めることが早い段階で必要だったはずだ。

自分はアホでどうしようもない、という自己憐憫だけにとどまらず、何がなんでも事態改善する行動、改める意思。それが何より困難なことだった。

もちろん固定費を削ったり、家計簿をつけたり、支出管理したり、食費・交際費節約したりもした。だがそうした行為破綻してからでは遅かった。アンコントロール状態に陥った借金と利息はもはや手がつけられない。燃え広がった火災にコップで水をかけるようなものなのである


世の中は様々な借金に満ちている。闇金消費者金融キャッシングリボ払い住宅ローンに割賦サービス、おまとめローン奨学金

これを読んでいる増田読み手におかれては、借り入れなどとは無縁で、支出収入バランスを保ち、資産形成にも励んでいることだろう。

だが、もしそうでない方がいるのであれば、どうか借金とはうまく付き合っていってほしいと心から願う。

返すために借りるとか、複数社の借入であるとか、イリーガル借金に手を出すなど、引き返せない状況に差し掛かるまえに、信頼できる人、あるいは窓口へ相談してみて欲しい。そして、どうか思いとどまって欲しい。どんなに苦しくても引き返す手段ちゃんとある。私だって完済できたのだ、まずはあきらめないことだ。


借金は、欲望ブーストさせ、思った以上に人生スポイルし、自らの可能性を削っていく。

それが私の愚かしい借金人生を通じて学んだことである

もしこの世に「人生に利する賢い借金」というものがあるのならば、あなた自分が思うよりずっと賢くなければならない。

少なくとも私はそう思う。


今日最後の返済をした。これで完済となります、と電話口でオペレーターが言うのを聞いて、電話を切った。

空に向かって「……やっと終わった」と言った。やっと終わった。何回か口に出した。身体が軽くなった気がして、めまいがした。

人生の半分をともに過ごしてきた借金負債文字通り負ってきたものをようやく手放すことができたのだ。

さあ、これからどうしよう。どんな生活をしよう。

ずっと我慢していた本を買おうかな、ぱりっとしたシャツを仕立てようかな、スマホを新しくしようかな。

もう給料日10万円を借入先へ振り込む必要はないんだ。これからストレスのない、幸せ生活が待っている。


別れた妻が笑う顔が好きだった。

なのに泣かせてしまった。

将来は人並みに結婚式をして子どもを育てるものだと思っていた。

ずっとなりたかった職業があった。せまくても自分の家が欲しかった。心から友達が欲しかった。親孝行をしたかった。

幸せ人生だと胸を張りたかった。


今はただ後悔しかない。

借金なんてしなければ良かった。

これからいくら幸せになれたとしても、得られず失ってしまったものばかりが目にうつる


長かった夏が終わり、秋が始まろうとしている。

さようなら、おれの借金よ、おれの後悔よ。

もう二度と帰ってくるなよ。

2024-09-29

anond:20240928234210

最初の一瞬で勝負ついてる?

そりゃ登場人物一貫性があることを単一機能しかないと誤解してる時点でお前の負けだろ


そもそも何で子供産んだのかも分からない」とかの批判単一機能とやらじゃなくて行動の動機問題なんだよ

仕方なく契約結婚する→でもなぜか子供を作りたくなる→でもなぜか育児は花江に投げる

主人公の寅子の私生活だけに絞っても、こういう矛盾した行動だけが淡々と出てきて、葛藤止揚もない

人間の多面性では説明がつかないようなシナリオの欠陥だと思うけどねえ?


ま、ドラマツルギー文脈においてどんな意義があるのか論理的説明できるなら聞いてやるよ

一貫性単一機能区別も付かずに下品罵倒を繰り返すバカには荷が重いだろうけど

2024-09-28

さユりの死因を公表してほしい

この内容がひとつ当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、

それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、

書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。

彼女訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。

普段物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプ人間なのだけれど、

このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、

仕事大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ち言葉がどんどん頭の中をめぐって、

よくわからない感情で涙が出そうになるし、

私生活特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから

希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。

自分彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。

ただ、家で一人作業している時に流すiTunesプレイリストの数%は彼女の曲であり、

人生彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。

彼女楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情ベースにしたものが多くて、

それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。

もうとうに中年差し掛かった自分にとって、

彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、

突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。

彼女の曲の中で、自分が最も強く印象に残っているのは

記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように

僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた

((「来世で会おう」作詞作曲 さユり))

という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性

彼女にとって自分内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界手段ではなく、

それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、

強烈な自意識のあり様、彼女作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。

そこからひたすら彼女楽曲を聴き漁って以来、

自分プレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率彼女が入るようになった。

(この曲を含め、彼女歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、

 彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様であるように思えてならない)

一度だけライブにも行った。

コロナ禍の中、東京名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町ライブホール彼女を見た。

落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、

どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。

路上ライブ時代楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、

苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC

大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。

まりリアルタイムアーティストの動向を追うこともないタイプなので、

彼女結婚病気活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。

ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、

そんな生活の中で突然彼女訃報を聞くことになった。

好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。

1970年代洋楽もよく聞くので、ルー・リードデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。

ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、

彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。

音楽歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、

もはやそんな時代ではないと思う。

生み出された作品とその作者の人生生活は切り離して考えられるべきであって、

劇的な死に方をすることで、楽曲意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、

なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。

ただ、彼女楽曲がまとう空気価値観は、

自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。

内側に閉じられた世界自意識の中で、

彼女自身感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。

到底受け入れられない。結びつけてはいけない。

彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女楽曲に込めた表現意味は変わらないはずで、

自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、

年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。

彼女言葉歌声音楽で生み出した、暗くもあたたか世界は、私自身の居場所でもありました。

彼女が、向き合うだけで精一杯だといった現実との対峙の中で、

自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、

彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか

彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフひとつひとつが、

彼女が選んでしまたかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、

自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女楽曲を聞くことが出来ずにいます

ここまで来てやっと本題です。

今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。

まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女パートナーを初め、最も近しい人達が、

彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、

そのための時間絶対必要で、「ファンお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、

ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、

彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。

その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断第一尊重したい。

ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女楽曲日常的に触れてきたファンも、

突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情彼女楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています

その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死事故死」だったのかを知ることは、

彼女の死を受け入れるにあたって大きな意味を持ちます

いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。

あるのは、彼女の死が、病死事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り

でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、

自分の中で、彼女楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。

ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、

その家族が捜索活動をつづけてしまうように、

長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、

その理由や結果を知ることは、たとえ残酷結論だとわかっていても、必要過程なのではないでしょうか。

見返すと何やらと淡々理屈を述べてしまいましたが、

今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、

彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。

自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています

その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、

一定社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファン重要事実を知ることも、

私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要手続きなのではないかという事を、

いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています

自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。

乗り越えるのには時間必要かもしれませんが、

いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、

自分人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています

長くなってしまいましたが、

私は、以上の理由からご遺族の方の精神的な負担にならないタイミングであることを前提として、

さユりさんの死因公表を望みます

2024-09-27

石破が「飲みに行っても政策の話ばかりで面白くない」って言われてるのなんか面白

総裁選直前に菅を飲みに誘ったか支援のお願いをするのかと思ったら、そこでも政策を語ってた(ガースーは途中で帰った)とかさ

https://bunshun.jp/denshiban/articles/b9542

卓を囲んだのは、菅義偉首相と前二階派事務総長武田良太総務相だ。石破氏が菅氏に「会いたい」と連絡し、武田氏段取りした会合。2人は当然、総裁選支援要請があると考えていた。ところが、酒杯を重ねても政策論ばかり。下戸の菅氏は約1時間半で切り上げ、会計を済ませると帰路に。そして近しい関係者を前に淡々と言った。

「何もなかったな」――。

2024-09-26

袴田事件の今の担当検察官可哀想

どう頑張っても人事評価は最低ランクが避けられないし、逮捕当時の検察官なんかとっくに退官してるから責任転嫁も出来ない

ただのハズレ職として淡々と、しか検察メンツは潰さないように内部政治に明け暮れるしかない

今1番日本でハズレの任務だと思う

2024-09-25

自殺ポッドの夢を見たことがある

https://www.bbc.com/japanese/articles/cwyl02d1r1mo

 

夢でこういうのに入って死のうとする夢を見たことがある。

夢の中の自殺ポッド繁華街ビルに、

なんていうか漫画喫茶みたいな感じであった。

小さく区切られた自分ブースポッドがあって、

ほんとに漫画喫茶の個室ブースに入るのと同じ感じで、

自分ブースに入り自分ポッドに横たわって自分スイッチを入れる形式

食べたいものの取り寄せができます!って感じで軽食メニューが横にあった。

 

私はこれが人生最期だ、なんて悲壮さはなくて

すごく淡々とした気持ちで、でもこれから死ぬのだという自覚だけはあった。

パスタとかなんかが並ぶ軽食メニューちょっと眺めて、食べたいかも知んないな、でもまあいいか……

みたいな気持ちポッドに入って蓋を閉めて、ぱちんとスイッチを入れた。

夢の中のポッドはなかを水で満たして窒息死させる仕組みらしく、

すぐに背中や髪が濡れていく感触があった。

ぼうっと水が溜まるのを待っていて、途中で何か、やらなきゃいけないことがあったのを思い出した。

それが何だったのかは忘れた。

 

ともかく一度スイッチを切り、濡れた髪と服のままポッドから出た。

個室ブースから出ても周りには誰もいなくて、一度出ちゃったけどもう一度ポッドを使えるんだろうか、とか、

髪がびたびたで気持ち悪いし恥ずかしい、とか思いながら

自殺ポッドの店内をうろうろしていた。

 

周りのことがわからないし誰かに助けを求めることもできなくてぼんやり孤独だった。

でも、その孤独は、わたしにとって割と普段から遭遇しがちなもので、

特別悲しいとかさみしいみたいに感情を揺さぶられることはなかった。

用を済ませたら死ににいかないと、とただ漠然と思いながらうろうろしていた。

2024-09-24

YouTubeTV局のチャンネルがもう見ていられない

編集やら字幕やらナレーターが「こってり」しててもう見てられない。

ナレーションも不自然なしゃべりかたでうるさいし。

いろんなもの無駄にがちゃがちゃ邪魔くさい。

 

もう全部ドキュメンタリーみたいにして「真実」だけを放映してくれ。

淡々と白い字幕だけで放映してほしいんよ。

しょうもない編集の手あかが入ったテレビは終了。

2024-09-23

anond:20240922225545

さて今夜も睡眠に挑戦です。

昨日、タイムアタックとか思いながら、早く寝るぞ〜と息巻いていましたが、あれはよくなかったとイマジナリー主治医しかられました。寝るぞ寝るぞ寝るぞとなっていると、かえって眠れないことがあるから力まないようにと、ものの本やウェブサイトに書かれていました。反省です。淡々とやるのがいいのかもしれません。

22:40抜きました。22:55デエビゴ7.5mg服用です。2315布団に入りました。

マインドフルネス等をおすすめいただきました。マインドフルネスというやつはよく知らないのですが、昔京都のお寺で習った坐禅を数年間続けていたことがあります。半眼で無を思考して、数を数えるやり方です。

坐禅すると、私の場合はかえって眠れませんで、今は寝る前はやっていません。マインドフルネスヴィパッサナー瞑想は眠れるのでしょうか。人によるのでしょうか。そのうち調べます

弱者男性弱者女性マッチングして6年が経った

失われた時間

夜9時、カズキが眠りについた後、家の中には静寂が訪れた。

しかし、その静けさの中で、リビングにはスマホの画面をタップする音が断続的に響いている。

夫はソファに横たわり、スマホ操作している。妻もまた、ダイニングテーブル椅子に座り、同じようにスマホ凝視していた。

彼女視線は画面の中のSNSに釘付けだ。友人たちの投稿コメント、次々と流れる他人生活に触れ、時間を忘れてスクロールし続ける。

そこで彼女現実の不満や孤独一時的に忘れられるのだ。

母親として、妻としての役割を一旦棚に上げ、ただ画面の中で過ぎ去る時間に身を任せる。育児という責任はすでに頭の片隅に追いやられ、彼女虚構世界に浸る。

カズキが泣き声をあげても、彼女は反応が鈍い。夜中に子どもが寝室からさな足音を立ててやってきたときも、彼女スマホの画面から目を離さない。

父親は、ちらりと子どもを見ただけで、何も言わずにまた画面に目を戻す。結局、カズキは二人の間に挟まれ、静かにソファに座って彼らの顔を見上げたが、誰も何も声をかけることはなかった。

家族としての絆はもはや形骸化しており、親子の間には実際の対話交流ほとんど存在しない。

ただ、スマホの明かりに照らされる無言の時間が過ぎていく。それはまるで、彼らが現実から逃げるために自ら作り出した、無感情牢獄のようだった。

弱者マッチングの始まり

数年前、彼らが「マッチング」された日のことを思い出す。

政府主導の新たな社会政策が大々的に発表された時、孤立し、結婚を諦めていた弱者男性と女性が、一度に大量にマッチングされ、結婚を促進されるというプログラムだった。

そこには理想未来が描かれ、少子化対策経済的な安定・社会全体の調和を目指すという美辞麗句が並べられていた。

彼女はその時、仕事に追われ、将来の見通しに不安を抱いていた。

孤独生活の中で、社会の期待や周囲からの無言のプレッシャーに押されるようにして、参加を決めた。

彼もまた、社会的に疎外され、職場での孤立感に耐えきれず、希望が薄れていく中でこのプログラムに乗り込んだ。

彼らが最初出会ったのは、淡々としたマッチングイベントの会場だった。まるで品定めされるように、テーブル越しに数分間だけの会話を交わした。

しかし、そこでのやり取りは極めて表面的なものだった。互いに特別な印象を持つこともなく、ただ社会的な期待に応えるための形式的時間が流れた。

彼女は彼に対して特別な魅力を感じることはなかったが、経済的な安定や社会的な孤立を避けるためには「結婚」が必要だという思いに駆られていた。

彼も同様に自分未来に対する不安孤立から、この結婚が何かの救いになるかもしれないと考えていた。

結婚という名の契約

彼らの結婚は、愛情感情的なつながりを伴わないまま始まった。

結婚式は小規模なものだったが、それでも形式的に行われ、家族や親しい友人たちが集まった。

笑顔を作り、記念写真を撮り、社会的には「成功」と見なされた。しかし、二人の間にはほとんど会話がなく、結婚という大きな決断に対する感情曖昧なままだった。

彼らは新婚生活を始めたもの感情的な絆は深まることなく、時間が経つごとにお互いの存在が重荷になっていった。

子どもが生まれることで何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったが、実際には彼らの関係さらに複雑にするだけだった。

子どもは彼らの生活に新たな責任をもたらしたもののその責任を共有する意識希薄だった。

互いに育児負担押し付け合い、疲れ切った日々の中で、二人とも現実逃避にスマホ世界に没頭するようになっていった。

崩れかけた家族

こうして、建前だけで作られた家族の絆は、日に日に薄れていった。

子どもが何を感じているのか、何を求めているのかに対して、二人は気づこうとしない。

育児という責任あくまで「社会的な役割」であり、愛情を注ぐことはなく、ただ義務感だけが残っていた。

カズキは、そんな家庭の中で日々を過ごしながら、両親の愛情を感じることなく成長していく。

無言の時間と無関心の中で、彼の心の中に小さな孤独の種が静かに芽吹いていた。

孤独クラスルーム

カズキは5歳になり、ついに小さなランドセルを背負って学校に通い始めた。

彼が通う学校は、政府弱者マッチング政策によって生まれ子どもたちが集まる場所でもあった。

同じように、家庭の中で愛情や関心を受けることなく育った子どもたちが大勢まり学校教室には独特の空気が漂っていた。

教室一見すると普通小学校と変わらない。先生が黒板に向かい子どもたちは机に座り、ランドセルを下ろして教科書を開く。

しかし、そこにあるのは静かな孤独空気だった。クラスメートの多くは、家庭での愛情ケアを十分に受けておらず、どこか無感情で無表情。誰も他人積極的に話すことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような雰囲気が漂っている。

カズキもまた、その一人だった。教室の隅に座り、他の子どもたちとあまり目を合わせることなく、無表情で机に向かっている。

先生が何かを質問しても彼はただ小さくうなずくか、返事をすることな視線を落とすだけだった。彼にとって学校もまた家と同じように、感情のない無機質な場所になっていた。

クラスの子どもたち

クラスメートたちも同様に、家庭での愛情を知らず、感情を抑圧されたまま育った子どもたちだった。

友達同士の会話はほとんどなく、遊び時間ですら誰かが楽しそうに笑うことはほとんどない。まるで、大勢の子どもたちがそれぞれの小さな殻に閉じこもっているかのようだ。

授業中、カズキ先生の話をぼんやりと聞いているが、心の中では何かが欠けていることを感じていた。

家では両親から十分な会話や接触を受けていないため、彼にとって他人との交流信頼関係の築き方がわからない。クラスメートもまた、同じように孤独存在であり、互いに心を開くことができないため、自然と静寂が教室支配していた。

休みになっても、誰かと遊ぼうとする子は少ない。カズキは、ランドセルの中に入っているお弁当を一人で静かに食べる。誰も彼に話しかけず、彼もまた、誰かに声をかけることはない。彼の周りでは、他の子どもたちも同じように無言で食事をしている。カズキはその無表情な顔のまま、スプーン一口ずつ弁当を口に運んでいく。

カズキの心の中

家でも学校でも、カズキ孤独を感じているが、それを言葉にすることはできない。

彼の心の中には常に空虚さがあり、何かが足りないという感覚が消えることはない。しかし、彼にはその感情表現する手段がなく、ただそれを胸の奥に押し込めるだけだ。

学校友達を作る方法も知らず家では両親と感情的なつながりがないまま育ったカズキにとって、周囲の世界はどこか冷たく、無意味に感じられることが多い。

クラスメートも同様に自分たちの孤独を抱えており、互いに心を開くことができない。

それは、家庭の中での愛情不足が原因となり、感情表現信頼関係の築き方を学べなかった子どもたちに共通する問題だった。

放課後になると、カズキランドセルを背負って黙って帰り道を歩く。

家に帰っても両親との交流は期待できず、ただまた同じ日々が繰り返されるだけだ。

彼の頭の中には、誰とも交わらない日々が続き、心の中にある小さな孤独の種が、静かに大きく育っていくのだった。

カズキ学校では彼のような子どもたちが多数を占めているため、クラス全体がどこか感情のない機械的集団のように見える。

彼らは互いに関心を持つことなく、先生が指示するままに動き、誰も積極的自分意思表現しようとはしない。

孤独感や無力感が漂う教室では、笑顔や楽しさ、友情といった感情希薄で、日常淡々と過ぎ去る。

成長したカズキ未来

カズキは15歳になり中学卒業して高校に進学するか、あるいは早々に働きに出るかという選択を迫られる年齢に差し掛かっていた。

しかし彼の中には将来に対する明確なビジョン目標ほとんどなく、家族との感情的な疎遠さや学校での無感情な日々が彼の意欲をすっかり失わせていた。

家庭環境も依然として冷え切ったままで、両親から進路についてのアドバイスや励ましがあるわけでもない。

父親は今も不定期な仕事を続け、母親も相変わらずパート仕事を掛け持ちしている。

彼らの生活経済的に安定しておらず毎月ギリギリ生活費でやりくりしている。

家族全体が経済的な困難に直面していることは、カズキにとっても避けられない現実だった。

働くことへの不安

カズキ学校での成績も特に優秀ではなく、勉強に対する興味を持つこともなかった。

周囲の同級生たちも同じように、家庭や社会からサポートほとんど受けることなく育ってきたため、将来について真剣に考える者は少なかった。

クラスほとんどの生徒は、進学よりも早く働いて家計を助けることを選ぶか、非正規仕事に流れていくのが現実だった。

カズキもその例外ではなく社会に出ることに対する不安と無関心が入り混じった状態だった。

彼の家族は彼がすぐに働きに出ることを期待していたが、それは経済的理由からであって、カズキの将来を心配してのことではなかった。

両親は息子がどのような仕事に就くかに関心を示すことはなく、ただ「家計の足しになるならそれで良い」という態度だった。

カズキ自身も、将来の夢や目標がないまま、やがては自分も両親と同じように、不安定な職に就いて日々をやり過ごす未来ぼんやりと受け入れていた。彼の心には「どうせ自分は何も変えられない」という諦めの感情が根強く存在していた。

経済的問題現実

成長したカズキ社会に出たとき、彼が直面する最も大きな問題は、まさに経済的不安定さだった。

彼は学校卒業してすぐに安定した職に就くことができず、非正規雇用やアルバイト転々とする生活が始まった。

日本全体では弱者男性や女性社会の周縁に押しやられ、正規雇用に就くことが難しい状況が続いており、カズキもその波に飲み込まれていた。

カズキ収入は低く生活費を賄うのがやっとで、将来的な貯蓄や投資などは夢のまた夢だった。

家賃光熱費、食費、そして時には両親から経済的支援を求められることもあり、彼の手元にはほとんど何も残らない。

彼の労働は、社会必要とされるが正当に報われることのない単純作業が多く、心身の疲労が募る一方だった。

また、カズキ家族から社会からも十分なサポートを受けることなく育ったため、将来に対する不安経済的問題対処する力を持っていなかった。

彼は、経済的問題だけでなく、感情的な孤独自己肯定感の欠如にも苦しみ続け、ストレスが重なっていく。

社会との断絶と孤立

カズキが直面するもう一つの大きな問題は、社会との断絶感だった。

彼は家庭でも学校でも十分な愛情支援を受けられなかったため、人間関係の構築やコミュニケーションに対して強い抵抗感を抱いていた。

仕事でも職場人間関係にうまく溶け込めず、孤立したまま日々を過ごしていた。

こうした孤立感はカズキにとって大きなストレスとなり、結果として職場でのモチベーションパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていた。

彼は仕事に対する満足感を得られず、ただ生きるために働くという消極的姿勢に陥っていた。

彼のような若者たち社会全体に増え続けており、同じように家庭環境経済的な困難、そして社会的なサポート不足に苦しんでいる。

多くの人々が非正規雇用に追いやられ、低賃金で働くことを余儀なくされ、将来に希望を見出すことができないまま、現実と戦い続けている。

カズキの早期結婚――無感情未来

カズキは、社会との断絶感に押しつぶされながらも、弱者男性と弱者女性マッチング政策によって20代前半でユウコという女性結婚した。

両者とも愛情幸福を求めることなく、ただ社会の仕組みに従い自分たちの未来に対して諦めを抱いていた。

彼らの結婚生活形式的感情的なつながりは希薄で、ただ「結婚している」という事実けが彼らを繋ぎ止めていた。

ユウコカズキと同様に愛情のない家庭で育ち、社会との接点をほとんど持たない女性だった。

彼女もまた孤独を抱えたまま仕事に就き、カズキとともに経済的不安を分かち合うことなくただそれぞれが生きるために必死で働いていた。

カズキ低賃金非正規雇用に押し込まれユウコもまたパートタイムの仕事を掛け持ちする日々。二人の間に交わされる会話は少なく、家の中には沈黙が漂っていた。

カズキの子ども――犯罪の縁で生きる

カズキユウコの間に早くも子どもが生まれ、彼らはその子を「タケル」と名付けた。

しかカズキ自身経験した孤立経済的困難は、さらに厳しい形でタケルに受け継がれることになった。

タケルは幼少期から十分な食事も満足な環境も与えられずに育った。

家には物が溢れ乱雑なままで整理されることはなく、学校では友達を作ることもできなかった。

カズキユウコはどちらも仕事に追われタケルの世話をする時間がなく、彼は放任されるように育っていった。

タケルが中学卒業する頃にはすでに家庭での居場所を見失い、社会からも完全に疎外された存在となっていた。

彼は学校卒業しても就職先が見つからず、社会の隅に追いやられるようにして犯罪スレスレ生活に足を踏み入れていた。

タケルのような若者はこの時代には増え続けており、彼らは生き延びるために小さな詐欺や盗み闇市場での売買に手を染めていたが、それらすらもうまくいかないことが多かった。

犯罪の失敗と絶望

タケルは盗みや詐欺を何度か試みたが、成功することはほとんどなかった。

彼が属する社会底辺は同じような境遇の人々で溢れており、競争は激化していた。

彼が盗もうとした小さな金品はすでに別の誰かに奪われていたり、詐欺を試みる相手もまた騙され慣れていたりするためうまくいかず、むしろ危険さらされることの方が多かった。

ある日、タケルは仲間とともにコンビニ強盗計画したが、あっけなく警察に察知され失敗に終わる。

彼の仲間の一人は逮捕されタケル自身はかろうじて逃れたものの、失敗の連続で心身ともに疲れ果てていた。

彼は犯罪ですら成功しない自分の無力さに絶望し、社会の中で何の価値も持たない存在だと感じていた。

社会に溢れる「タケルたち」

タケルのような若者は、もはや社会の一部を構成する主要な層となっていた。

経済的な困難や家庭崩壊教育の欠如がもたらす無気力若者たち犯罪に手を染め、失敗を重ねながらもその場しのぎで生き延びていた。

街には、そうした「タケルたち」が溢れ、どこに行っても犯罪が起こりそうな張り詰めた空気が漂っているが、実際には成功する犯罪すら少ない。

仕事の機会は減り、低賃金非正規雇用や闇市場での労働を強いられる若者たち

犯罪に走るがすべてがうまくいかず、どんどん貧困の深みにはまり込んでいく。彼らは家庭でも社会でも愛情を受けることなく、常に孤独無力感に苛まれながら、社会底辺で苦しみ続けていた。

タケルはその典型的な一人であり彼もまた未来希望を持てず、犯罪の失敗と絶望の中で、ただ何とかその日を生き延びるだけの生活を続ける。

カズキが直面した孤立感や経済的困難は、さら悪化し、次世代にわたって連鎖的に続いていた。

弱者男性・弱者女性マッチングの再導入

タケルが20代に入った頃、彼が育った社会には新たな「弱者男性・弱者女性マッチング」の仕組みが再び広まっていた。

この制度は表面的には自由意志による選択として進められていたが、実際には経済的不安社会的な孤立に直面する多くの若者にとって、結婚を通じて「安定」を得る以外の選択肢がほとんど残されていなかった。

政府はこのマッチングを「未来への一歩」「パートナーと共に新たな人生を切り開くためのチャンス」として宣伝し、若者たち積極的に参加を促した。

制度のもの強制ではなく形式的には自由参加であったが、現実的には低賃金非正規雇用や Permalink | 記事への反応(1) | 01:21

2024-09-22

NASDAQ100はリスクが高いって言うけど

積立向けじゃね?下がった時に淡々と積立していればいいんだし。

2024-09-18

anond:20240918220129

しかにそんなもんか

我々もおかしいと思っても淡々手続きするしかないもんね

医者も人事も役所事実否定できない以上何もできんわな

2024-09-15

結婚して幸せを感じれる人が羨ましい

結婚して子供を産んで血の繋がりのある家族を持つことに幸せを感じられる人が羨ましい。

ほとんど何も考えず、スキルも身につかない仕事淡々とできる人が羨ましい。

政治に関心をもたず、安心していられる人が羨ましい。

他者いじめても自分正当化できる人が羨ましい。

日々のストレスを幼稚な会話と趣味で紛らわせられる人が羨ましい。

そうなりたくないけど、羨ましい。

anond:20240915122234

簡潔な回答のみをして淡々作業可能なジジババは一人も存在せず、ジジババのときはジジババ対応モードになるから大丈夫

2024-09-13

同僚女にマッサージ強要されている

俺の自宅から職場までは徒歩10分。

毎朝、朝一で会社に行って会議室にあるプロジェクターを使って大画面にロックリールを流して一人でダンスするのが日課になっていた。

ストレス解消にはちょうど良かったんだ。嘘だと思うなら試してほしい。あの解放感は、一度試さないと本当に分からないと思う。

想像してみてほしい。

誰もいない早朝の会議室。軽妙な音楽に乗って一人ノリノリで踊る。

最初ちょっと気恥ずかしかったけど、慣れてくるともう無敵感すらあった。

完璧な朝のルーティンだと俺は信じてた。

あの日までは。

いつものように、テンション高めでダンスしていた俺が、ふと曲の終わりにバッと振り返ると、そこには同僚女がいた。

彼女は笑いもせず、ただ静かに立って俺を見つめていた。

時間が止まったように思えた。いや、確実に俺はその場で固まった。

なんでこんな早くにお前がいるんだよ的なことを言ったと記憶している。

同僚女は何も答えなかった。お互い見つめ合って数秒間が過ぎた。

その瞬間、俺は悟った。もう逃げられないかもしれないなと。

休み前、彼女は俺のデスクに来て「あんたの秘密、知ってるんだけど」そう言って、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。

でも安心して。誰にも言わないから。その代わり、毎日休み、私の肩マッサージね。

は?なんだそれ!?脅迫じゃん!!俺はそう思ったけど、彼女の目がガチすぎて逆らう気力がなかった。

だって、考えてみろよ。会社あんダンスしてたことがみんなにバレたら俺の社会人生命は確実に尽きる。

噂はすぐに広がって、俺はロックリールさんと呼ばれるようになるだろう。

それだけは避けたい。脅迫女を前にして、俺は背汗をびっしょりかきながら頷いた。

俺はその日から毎日彼女の肩を昼休みに揉んでいる。

休みになるとまず駐車場に向かう。同僚女の車へ向かい、鍵は開いていて、中には同僚女が待っており、俺は無言で肩を揉み始める。

女は「ん〜、そこそこ!あ〜、いい感じ!」と、まるでマッサージ店にいるかのようにリラックスしている。俺は無言で肩を揉み続ける。

女はたまに振り返って「あんた、思ったより上手いじゃん。これ、得意なんでしょ?」等という。

女の肩は柔らかい。肩が凝っているようには思えないのだが。

マッサージを終えると俺はデスクに戻って素早く弁当を食べ、深いため息をつく。

休息はない。悲しいし、悔しい。

しかしこの状況を打破する方法が思いつかない。言われるがままにマッサージを続けるしかない。

先日などはマッサージ中「次は、足もマッサージしてもらおうかな?」と俺に聞こえる独り言をつぶやいて来た。

俺は無視して淡々と肩のマッサージを続けた。

同僚女は確かに美人だが、社内の評判で聞くような女でないことを俺は知っている。

乳は小さい癖に態度ばかりがでかく、実に図々しい。

俺は今になって、リックロールでダンスしていたことを後悔しているのかもしれない。

だが大画面にロックリールを流して一人ノリノリで踊るほどの快感を、俺は他に知らないのだ。

創作するなら自分作品を貶したりしてはいけない」という理屈

創作した作品卑下したりするようなことは、それを楽しんだ消費者を傷つける行為であって、あってはならないことだという意見

ものすごくわかる! 正しい! その通り!

からやってしまう。

自傷行為拡張

自分が産み出した作品否定する。褒め言葉否定する。高評価否定する。

何がおかしいか淡々説明する。問題点をあげつらう。感想を踏み躙る。

最低の行為すぎる。自分作品人質他人オナニーの道具にする。

そんなクソくだらない感傷のために遠回しに創作するような自分のことが本当に嫌いで、嫌いで嫌いで嫌いでたまらない。

から、嫌いな自分の産み出したこの何かを楽しむようなやつも一緒に嫌ってもいいんじゃないかなんて思って貶す自分が本当に嫌い。

嫌すぎるしキモすぎる。

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