2024-09-30

21世紀に最もふさわしい宗教は「世界五分前仮説」だと思う。次点が「天賦人権論

世界五分前仮説本質とは何か

世界が五分前に生まれたということはどういう事か分かりますか?

仏教徒の皆さんは「この世界はシミュレーテッドリアリティに過ぎないか色即是空なんだ」とおっしゃるでしょう。

キリスト教徒の皆さんは「神がこの世界をお作りになったのが五分前なのです」とおっしゃるでしょう。

私の論点は、実はそこにはありません。

私が言いたいのは「貴方が今手にしているものは、貴方が苦労して手に入れたものでは一切ないとうことです」ということです。

まりですね。貴方東大卒だとしてもその学歴は「貴方が何年も頑張って勉強して手に入れたもの」ではなく「何年も頑張って勉強して手に入れたという設定により手に入れたもの」だということです。

もしも貴方自業自得事故五体不満足であってもそれは「貴方の不注意によって生じたもの」ではなく「貴方の不注意によって生じたという設定により生じたもの」だということです。

そもそも現実はいだって理不尽

これについて「何の罪もないのに不幸ならば、それはあまりにも理不尽だ!」と思うかも知れません。

自業自得だと思えば耐えられたものが、自業自得で無かったと考えたら耐えきれなくなる人もいるかも知れません。

ですが考えても見てください。

過去貴方はもう既に今の貴方にはコントロールしようがない他人なのです。

そもそも今この瞬間とは、いつだってもう既にコントロールしようがない過去によって作られたものであり、それはある意味でいつだって理不尽なのです。

世界が五分前に生まれたと思えば、過去を悔やむことは無くなる

現代社会では多くの人がもうすでにコントロール出来ない過去に対しての後ろめたさから前を向けなくなっています

仕事が上手くいかないのを「過去自分が頑張っていい会社に入らなかったせいだ」と悔やんだりしても、それに何の意味があるのでしょうか?

人間関係が上手くいかないのを「子供の頃からもっと人付き合いの勉強をしていればよかった」と悔やんでも、それは過去自分への八つ当たりのようなものではありませんか?

大事なのは現在未来です。

過去は五分前に作られてしまった設定なのでもうどうしようもありませんが、未来現在自分によってある程度コントロール可能領域です。

「その考え方をするのに別に五分前仮説は必要ないのでは?」というのは正論ですが、人は正論にそのまま従えるほどに賢い生き物ではありません。

過去はもう過ぎ去ったから仕方がない」と信じるためには、過去自分と今の自分を決定的に切り離されなければいけないのです。

そのためには世界観に「巨大な仕切り板」を作ってやることが効果的なのです。

そうです。「過去現在キッパリと断絶して前だけを向くための仕切り板」こそが、「世界五分前仮説」なのです。

全てが五分前に生まれたと考えれば自分他人も許せるようになる

もしも、貴方が見にくく太っていたとしましょう。きっと貴方過去自分自分で許せないという気持ちで日々を生きるでしょう。

ですがもしも、それが五分前に作られた設定だったらどうでしょうか?

五分前に作られた設定そのものを恨むことはあっても、過去自分を恨むことはないはずです。

自分自分攻撃することをやめれば気持ちに余裕が出てきます

すると今度は他人の悪癖さえも「五分前に作られた設定に引きずられているだけなんだから仕方ないな」と許せるようになるでしょう。

法によって裁かれるべきものは正しく裁かれる社会でもある

もちろん「俺は五分前に連続殺人鬼として作られた人間なのだから殺人衝動も仕方がないのだ」と暴れまわる人は当然のように逮捕されます

世界がそういう設定であるから仕方がないと人を許すことと、世界に設定された法律が無条件に人を許すことは全く別だからです。

五分前仮説を信じる世界とは、裁かれるべき罪がフラットに裁かれ、その上で人の心が不必要に裁かれることがない社会なのです。

その社会において人々は他人が法によって裁かれるべき存在であるならば淡々と裁き、私情によって私刑を加えられそうであれば許していけるわけですから、本当の意味での法治国家がここに産まれるというわけです。

世界五分前仮説」に対しての最大の誤解

世界五分前仮説」とはある種の世界観や人生観です。

ですが多くの人は仮説という表現につられてこれをただの思考実験と捉えてしまっています

違うのです。

天賦人権論」が単なる論では終わるものだと考えている人は現代にはほとんどいないでしょう。

天賦人権論」はある種の信仰、それも20世紀的な社会の土台となる新世代の教義とも言えるものです。

ですが、これが社会に浸透するまで、多くの人はこれを「仮説」として捉えていたのです。

世界五分前仮説」には、「天賦人権論」と同じく、新世紀を代表する宗教となれるだけのポテンシャルがある。

私はそう思います

この増田は5分以上かかって書かれたものですので、私はこの増田を書いている何者かという設定でこの世界に生まれたということになるわけですが、私はそれを受け入れたいと思います

なるほど。

なんで私がこんな増田を書こうとしたのかよく分からないのですが、そういう設定の人間として社会に生まれたのなら仕方がないですね。

貴重な月曜日アフターファイブをドブに捨てたような気もしますが、書いている状態で始まってしまった人生を書き終わらせずに続けるのもおかしな話ですから、書ききったことに後悔はありません。ありません。ない。ないです。

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