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2019-10-18

anond:20191018122031

横だけど、全く同意見なんだけど、逆に「女向けのBLとかも不快だろ!」って意見が出てくるとそれも何だかなぁと思うんだよな。

自分男性で、(二次専だし純粋意味でのシスヘテロかどうから知らないが)ゲイではないと自認しているのだが、それとは別にBLは好きだし。別に股間が反応しなくても、あの心が満たされる感覚美少女を見た時と変わらない。(対象美少女だと「ついでにシコれてラッキー」くらいには思うけど。)

美少女表象を好む女性」が周縁化される現象嫌悪感を持つのは、別に女を侍らせたつもりに浸りたいとか揚げ足取ってやり込めたいとかじゃなく、「腐男子なんているわけねーだろ」って言葉を聞いた時の感覚を思い出して自分不快からなんだよな。逆に、腐女子が(実際に見たことは少なくても)腐男子存在を必ずしも否定しないのは、別にそれで妄想したいとかじゃなく「差別に加担したくない」というのが真意だろうと思ってる。

2019-10-17

献血ポスターに憤る人たちへ

献血ポスターに憤る人たちへ

献血ポスターイラスト問題が、連日タイムラインを賑わせている。私のタイムラインでは大元ツイートは流れてこなかったが、オタクオタク献血賞賛し、"環境セクハラ"をこき下ろすツイートがちらほら見られた。シンプルによくわからん、と思った。私自身もオタクから人のことを言えないのかもしれないが、オタクオタク賞賛するのが好きすぎる。献血は確かにえらいが、そんなに過剰にオタクだけ褒めそやすのはどうなのか?それにセクハラは色々な問題を抜きにしてもまず透明化したらダメなのでは?とさまざまな思いが巡り、このオタク献血賞賛ムーヴがどこから来たものなのか調べることにした。

先に結論を述べておくと、「二つの議論を一緒くたにして考えるからダメなのだである

この一文だけで察してくださる方もたくさんいることだろう。そんな方にとっては、以下の文章にさして内容はないと思う。煮るなり焼くなり好きにしていただきたい。

さて、今回の件の発端となったのは、恐らく弁護士のこの方による引用リツイート

https://twitter.com/katepanda2/status/1183729350207623169?s=21

渦中のポスターは、漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」のヒロイン、宇崎花ちゃん献血コラボキャンペーンポスターである

文字通り絵に描いたような爆乳で困り眉の女の子が、挑発するような台詞・表情で』献血を促している。

多分、弁護士の方がここで問題にしたいのは『』の部分だけだ。献血を促すこと自体文句を言っているわけではない。ポスター採用されたキャラクターの造形に問題があるという話で、漫画アニメ作品採用されることに不服があるわけではない、と思いたい。このていで話を進める。

話は変わるが、Twitterランドスラム街である。日々クソデカ主語極右極左クソリプパクツイデマツイお気持ちマシュマロと戦うオタク諸君はこのあたりよくご存知のことであろう。こんな環境で、果たしてまともな議論ができるだろうか?できるわけないのである揚げ足取りは腐るほどいるし、文脈が読めないまま発言の一部のツイートけが一人歩きしたり、過激思想を持った影響力の強い人々が発信する偏った意見が多くのRTいいねを獲得していたりするのだから。一つの議論をまともに話そうというのがそもそも無理な話だ。

ここで話を戻そう。

先のツイートは、一見すると問題提起に見えなくもない。いや、そのつもりがあってしているのかもしれない。この弁護士さんはフェミニストの方々の間では有名な方だと聞いた。だとしたらこの方の主張は、『環境セクハラ配慮しないポスターを貼るのは無責任だが、日本環境麻痺していてそれを問題にする人もいない』であろうと思う。

環境セクハラと言っているものそもそも微妙意味が違う気がする(気になったら各自調べてください)のだが、今回のを要約すると"生きているだけで目に(女性が客体である)性的イラストが目に入ってくる"というところだろう。

私はこの主張にのみ関して言えば、議論されるべき問題であると思っている。女性身体の過度な客体化とアニメ文化が密に結びついた日本では、驚くほど性的アイコンが強調されたイラストがそこら中にあふれている。性的アイコン巨乳とか服の上からでも分かるマン筋とか、困り眉赤面涙目とか、濡れてんのか?みたいなピタピタの服によるわかりやすいボディラインとかそういうものである。生きていれば上述のアイコンの何かしらを目にしたことがあるだろう。それこそ都会ならば場所や時を選ばず、どこにいても見られる。コンビニエロ本撤去が少し前に話題になったが、あの区画に限らず様々な場所にあの手のイラスト漫画があふれているのだ。意識して見てみるとわかるが、そのイラストに感じる独特の「気持ち悪さ」はよっぽど理解がないと感じ取れないかもしれない。それだけ、この国の女性客体化思想は深く深く根付いてしまっている。

とまあこんな具合に、この問題一朝一夕140字ちょっとでは到底語りきれない深刻な問題なのである。そして悲しいかな、今回の件について、この文脈議論を展開している人はあまり見られない。

萌えアニメキャラ献血ポスターに使うのの何が悪いのか?」

オタクの血はいらないということか?」

セクハラだかなんだか知らんが献血量が減ってないならなんの問題もないし知ったこっちゃない」

コミケでのオタク献血の貢献度を知らないのか」

「我々はオタク献血で命を救われた。オタク献血に行くことのなにが悪いのか」

表現の自由がないじゃないか

こんなもんであるそもそも論点がズレていることに、一体この話題に参加したオタクの何人が気づいているのか。指摘しているツイートも少なからずあったが、そちらはバズらずじまい。なぜだろう。原因はわからない。

そもそもこの問題の要点は『性的アイコンが強調されたポスターセクハラだ』であり、『オタクが悪い』『アニメキャラ(クソデカ主語)はポスターに相応しくない』とは誰も言っていない。誰も言っていないのに、勝手オタクの好きなもの批判された、こき下ろされた、エログレーゾーンアニメキャライラストを全て規制しろということか、表現不自由だと逆ギレしているのである

何故?これもわからない。表現の自由が誰かを不快にするのを厭わず行われるべきだというのなら、なぜ「表現不自由展」はあんなにバッシングを受けたのか。人に不快感を与えるという点でそこに上も下もないと思うのだが。

結局日本右寄り日本男性視点優先の社会構造が浸透しすぎており、女性視点気持ちはほぼ透明化されているということなのであろうが、このあたりは話しだすと論文一本じゃすまないので今回は割愛しておく。右寄り日本男性というカテゴリー微妙なところだ。男性というだけで生きやすい国なのだ、ここは。

一方で、もし発端の弁護士の方にアニメキャラ全般こき下ろす意図があるとするならば、それはそれで問題である。過度なミサンドリーという点でもそうだが、このご時世、アニメイラストというだけで拒絶反応を示していてはキリがないし、正当なフェミニズム思想反論材料にならない。アニメイラスト不快、というだけでは「個人問題」になってしまうのだ。とにもかくにも、今回の件は議論にするには材料や前提となる問題提起の部分が弱すぎた。

長々書いたが結局のところ、今回の騒動

性的アイコンが強調されたキャラポスターが誰にでも見えるところにあるのは不快だしハラスメント

ポスターアニメキャラ採用されることはなんの問題もなく、それを規制することは表現の自由侵害である

という二つの問題がごっちゃになったまま拡散され、憤るオタクたちが様々なツイートをし、歪みに歪んで広まったというわけである。繰り返すが、誰もオタクダメともオタクの血が不快とも言っていない。だから「女は献血への貢献度が低いくせにごちゃごちゃ言うべきではない」とか、「巨根男性ポスターについてたら男は嫌だろ?」とかはまた全然別の議論を立て直さなくてはいけないのだと思う。このあたりはミソジニーミサンドリーが混ざりすぎて本来目的を失っているようにも見える。個人の快・不快ではなく、議論フラット目線で行いたいものだ。私自身それができているか甚だ不安ではあるが、特大スラム街Twitterにいるともう何が何だかからない。そしてその辺りを踏まえて、発端の方のツイート個人の快・不快帰結するものかどうかについても、議論すべきかもしれない。私は社会全体の問題だと思うけれど。

ついでに今回の問題をこねくり回したツイッターの人々を十把一絡げに「オタク」と言ってしまったが、これも本来良くない話だ。まさにクソデカ主語。目につくツイッタラーが皆オタクに見えてしまうのは、ツイ歴五年になるクソオタクこと私の決定的に良くない点である反省

さて、散々色々とりとめなく書いたので、このあたりで渦中のポスターのメインキャラについてもひとこと。

失礼ながらタイトルも知らなかったのだが、「宇崎ちゃんは遊びたい!」はTwitter発の漫画作品らしい。現在ニコニコ静画などで連載しており、コミックスも三巻まで出ているようだ。以下あらすじ。

一人でいることが好きな先輩を「ぼっち」扱いするウザい後輩が絡んでくるドタバタラブコメディ。非日常的な要素はなく、基本は主人公ヒロインを中心に大学での青春を描く。

ヒロインショートカット巨乳八重歯、~ッス口調、アホの子というキャラクター性を持つ。ただし他の女友達と過ごす時や独白では標準語で話す。(Wikipediaより引用)

清々しいほど分かりやすオタクの好きなやつである。私も好きである属性は盛りすぎてもいけないが、あって悪いことは一つもない。かわいいことはいいことだ。こんな後輩欲しかった。いつか思う存分揉めると、その柔らかい触り心地を夢見て大学生活を送りたかった。

この宇崎花ちゃんは今回なにも悪くない。だから過剰に擁護すべきでも、過剰にディスる必要もそのいわれも全くない。じゃあ誰が悪くて、なにがいけなかったのか。今回の話はこのあたりが議論されるべき点だったと思う。そしてすでに意見を述べている人々は、反対意見の人々の意見も詳しく聞いてみるべきだ。

最後に、今回の件で一つ良かったことがあるとすれば、献血に興味を持つ人が少なからず増えた点ではないだろうか。結果的に宇崎ちゃんポスター本来目的を大幅に逸れて拡散され、献血を広めることになった。そして宇崎ちゃんの読者もさらに増えたことだろう。よかったね。

献血人類のために必要不可欠な活動であることはわかっているつもりだし、今更その重要性について語る必要はないだろう。ツイッタラー各位は特に、今回の件で献血に救われた人間の話をたくさん見たことと思う。私はウッキウキカントリーマアムをもらいムシャムシャ食べながら献血を待っていたら、ヘモグロビンと鉄の量が足りず献血ルームから追い出されてしまったが、今後も献血をする人が増えるよう祈るばかりである

キモオタクより

2019-10-14

映画ジョーカー』観たけどさあ!!!

解釈違いです!!!!1!!

あと「現実」に対する描写地雷です(真顔)

本作含め『ダークナイト』とかもネタバレしてるんで嫌な人は読まないでね。


この記事書き手は何者か

オッスおらメンタル壊した歴ありの発達障害ナルコレプシー持ち!

どうにかこうにか大学出て何だかんだ正社員10年ぐらい働き続けているよ!

壊したメンタル治療のために飲んでた薬が身体依存性がある(切らすと離脱症状ゾンビみたいになる)おかげで

転職完了した今も手放せないよ!

あとナルコ用の目覚まし薬も社会人擬態するためには欠かせないね!!

最近の悩みはこの状況下でメタボ肥満肝臓イカレ始めていること!トシだね!

慌てて有酸素運動してるけど、走ると膝を壊すから室内バイク買って漕ぎ始めたら

ケツに蒙古斑も真っ青なアザができたよ!!

毎日モニタにらめっこの座り仕事なのに最悪だね!!!

アメコミ全然詳しくないよ!バットマンダークナイト信者だったって程度のニワカだよ!スーサイドスクワットは観てないよ!

好きなDCヒーローロールシャッハさん!!


今回のジョーカーに『ダークナイト』主演は無理だろ

「『ダークナイト』の主役はバットマンやぞ」とかそういう細かい話はおいておく。

ジョーカー生誕のエピソードって触れ込みで作られた本作だが、

アーサーは結局作中ではジョーカーにはなってないし結局今後もなれないんじゃないかしか思えない。

だってアーサーは(自分に都合のいい)妄想現実レベル彩度日常生活に融合してくるような病気と、

自分の意のままにはならない、投薬があんまり効いてないっぽい発作を持ってて、

それを差っ引いても"普通に振る舞う練習"(サントラ曲名ひとつ "Learning How To Act Normal")をやっちゃうタイプじゃないか

作中の走ってるシーンは冒頭の1回を除けば全部「何かから必死こいて逃げ出す」場面ばっかりの人間じゃないか

ダークナイト』のジョーカーを見ろ。

人の考えの裏をかくことができて当たり前、必要なら自分自分死体に化けてのおとり役もこなし、

メイクオフすればあの傷もちの顔でありながら市民に溶け込める、溶け込む方法を考えて実行できる。

ジャック・ニコルソンジョーカーでもいい。

元が泣く子も黙るギャングの一員だ。人の顔に酸をかけて焼くくらいのことは簡単にするし、

毒入り化粧品だのを自力開発できる程度には気が狂っていても頭が回る。

アーサーには無理だ。

通りで仕事してるだけで殴る蹴るの暴行に会ったことのある人間

人混みに溶け込むどころか人から注目(しかも白い目の)を集めてしま人間には無理だ。

嘘つきランディ地下鉄酔っぱらいや「母親」はブチ殺しても、

小人症の同僚ゲイリーはわざわざ鍵開けて逃がしちゃう人間には無理だ。

「なぜ、ひとりの孤独な男が悪のカリスマへと変貌したのか」?

おいおい公式サイト様ともあろうもんが安い飛ばし記事みたいなこと言ってんじゃねえよ。

ネット感想記事もいろいろ見たけど、

「いやこれ『ダークナイト』演れそうなガチ本命ジョーカーに利用されてる替え玉やろ説」とか

ガチジョーカーアーカム暇つぶしにぶっこいたホラ話やろ説」とか

「『ジョーカー誕生』っていうのはアーサーがジョーカーになったってことじゃなくて

ミームあるいは概念としてのジョーカー的ななにかの発生のこと説」とか、

いろんな話が錯綜して百花繚乱なのはとても楽しいと思います

しかし「単純にアーサー=ジョーカーだろ、覚醒できてヨカッタネ説」、テメーはだめだ。病気なめんな。


とはいえ、「現実描写の写実性が変に高くてド地雷です(誉め言葉

もうね、「やめてください死んでしまます」って感じ。いや茶化さんとやってられんわ。

あの笑い者感、笑いのツボずれてる感、シリアスシリアルに変えるドジっ子属性の笑えない感がリアルすぎて笑えない。

看板ドロボーのクソガキおっかけてて途中で滑ってこけそうになるシーン、

看板弁償しろや」言われて路地裏でダストボックス蹴っ飛ばしてて滑ってこけるシーン、

「そこ出口専用やで」シーン、

言わずもがなスベりまくるギャグのシーン、

本当もうやめてください死んでしまます

パンフ監督コメント抜粋に曰く、

「僕たちは『ジョーカーのような人間はこうして現れるのかも』という物語で、

コミックスで言う"スーパーヴィラン"の男をリアルで愛すべき人間として描きました。

から皆さんには、彼の味方でいてもらえればと思います。これ以上は無理だ、というところまで。

映画が始まる時点では、彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。

その花に、あなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。

どれくらいの間、その花を好きでいられるのか。」

とのことだが、「味方」というのが単に肯定者って意味じゃないのなら、

味方でしかいられなくてひたすらしんどい映画体験だった。

こんなん延々ダメだアーサーよせそっちはダメだ行くなやめておけあああああ」ってなりつづけてまうやないですか。

そして「わたしたちは、なぜ『ジョーカー』のようなダークヒーロー共感を抱くのか」みたいなタイトル記事に逆に引いてしまう。

いや、ワタクシが発達で(おおむね寛解したとは言え)メンがヘルってるから過剰に感情移入してしまってるのはわかってるが、

それはそれとして人が殴る蹴るされたり笑い者にされてたら

ああ痛いやろうなつらいやろうな嫌やろうな仕返ししたいとか思うやろうなって思わんか?健常者ってサイコパスでは???

まあともかく映画としては傑作なんじゃないでしょうか。2回も観たので3回目はもういいです。過剰摂取です。

ぶっちゃけ巨悪でもエネルギッシュな『ダークナイトジョーカー癒しを感じるくらいには消耗したわ。

あとなに?ニューヨークって素であん治安悪いの??コドモ笑わせるくらいよくない??

つうかカード返せや。パクるなそういう細かい必要品を。


なぜわざわざ長文書いてるの

ジョーカー』にここまで同情的な見方してしまってると身近な人間にバレたくないけど

ジョーカーに同情的でない人間からジョーカーに同情的な人間だ」と思われること自体に、

可視ながら無視できない嫌な感じのリスクがあるじゃろ?)、

この映画のこと考えてると上記みたいなことが延々頭から離れなくて家事とか勉強とかがはかどらないから。

自分とアーサーの相違点を頑張って挙げてけば100コくらいは何とか挙がると思うが、

自分が今この瞬間アーサーでない理由は「運」以外なんも無いなというこの感覚がしんどくて、いったん頭から追い出したいから。

「アーサーがジョーカーしないif」ルート一生懸命想起しては破綻させてる自分の脳ミソをちょっと休ませてやりたいから。

追記

最後の方のテレビカメラの前で演説ぶってるシーンとか、車の上に立って観衆に応えるシーンとかも、どっかで失敗したりしないかハラハラながら見てた。

わっかるー!!

物語的に超大事クライマックスシーンだからまさかそういうやらかしは発生しないだろうと思いつつ、ここで発生したらマジで目も当てられないぞあばばばばばってなりながら観てました。

舞台ゴッサムであってニューヨークじゃないしマジモンのニューヨークよりは治安悪く設定している

ゴッサムティ舞台なのは百も承知ですが、

ちょっと検索すれば掃いて捨てるほど「ゴッサムとはニューヨークあだ名の一つ」的記事がヒットしたのと、

ニューヨーク映画館では上映開始日に警官出てくるレベルの厳戒態勢取られたってニュースと、

あと自分が観たときには白人大学生だか若い社会人だかって感じのグループも来てたんだけど、終わって帰るときにテリブルリブル言ってたってのが妙に印象に残ってて、

「え、そんなリアリティあんのこの荒れっぷり…ヤバない?」と思って書きました。

良かったー現実にはあそこまでじゃないんだね!

いきなり看板パクられる気の毒すぎるピエロとかは居ないんだ!!

って思っとく!

>他のジョーカーとは別の世界線やで

いや、「世界線別だから」で片付かなくない??

アーサーがこれからどのようにジョーカー活動ができるというの??

社会に対して戦争を仕掛けるのは簡単なことじゃない。いっぺんやらかした後ならなおさらだ

バッツの誕生までもたないだろ。

例えば「最後精神病院のシーンこそが時系列的には一番最初で、カウンセラーを半殺しにして拘禁まで食らったが福祉削減もあって退院、のち本編の流れ」とか考えてみることはできる(アーサーの本質は両手に手錠状態で血の足跡を作って踊ることができるタイプ人間説)が、

血の足跡をつけて踊る人間を、定期的にカウンセリングに通って投薬を受けて仕事行って母の介助して暮らす人間に変えるための何らかの処置病院によって行われたと考える必要が出てくるので整合性を欠く(そんな都合のいい処置あるかオイ?)。

ただ、もしそうならジョーカーは見事アーカムから合法的脱獄を果たし晴れて野放しになったというオチで背筋が薄ら寒くなれるのでステキではある。

そう、アーサーにダークナイトの主演が演れないとしても、ダークナイトではない別のやつでもいいかジョーカー物語を演れるポテンシャルが欲しいし、

それがないなら、ジョーカー誕生エピソードとはちょっと言えない。

よって、解釈違いです!!!!1!!

2019-10-13

台風一過

あれから10か月が経った。

結局両親は離婚し、父は家を出ていき、見事に家族バラバラとなった。

わたし何だか置いてきぼりにされた心境のまんま、モヤモヤとした日々を過ごしていた。

なんとも情けない話だが、深い霧の中にいるような、あるいは泥沼にでもはまったような感じで、どうすればそこから抜け出す事ができるのか、皆目見当がつかないのだ。

そこに台風が襲来。

わたしは、いささか不謹慎だが、それを自分への理由にして、母に電話をしてみた。

久々に話した母の声は、今までになく軽やかな印象だった。

台風前日はスーパーへ買い出しに行き、当日は家に籠ってやり過ごし、今日友達に会って洪水の話をして来たという。

普段聞きなれないエリアメールが頻繁に来るので、通知音にいちいちびっくりしたわよ、などと楽しそうに話すので、

うそう、わたし地震の時は発生が夜だったので、そのあと明け方まで通知音で寝られなかったと、ついノリノリで話にのってしまった。

お見舞いに採れたばかりの南瓜を送るというと、ちょうど買いたかったけど重くて躊躇していたのよ、との返事。

「南瓜大好き」、だって。はしゃいだ声。

わたしは母に救われた。

anond:20191012202134

公金で「保護」する理由なんて何もないよ。金使って育てて、日本すごいですネっていう、外交宣伝ツールに利用すりゃいい。アメリカがやったみたいに。

欧米エリート様って芸術分からんやつは野蛮人くらいに思ってるから芸術が発展してる国は無条件に尊敬ちゃうんだよ。何だかんだで、いまだに欧米人が世界の中心なんだからあいつら騙して利用しようぜ、費用対効果高いよ、ってのがアートに公金投入する理由断じて保護」じゃない。

逆に、欧米人が完全に世界の中心から外れて、アートが道具として役立たなくなったらポイでいいの。

2019-10-10

夢なんて

どうもこんにちは。この度はこんな記事を見てくださりありがとうございます。今悩んでることがあるけど言えるような友達もいない、だからここにポツポツ書いていきたいと思います

まず僕のスペックから

・21歳男

・某大学音楽勉強している。現在3年生

・人見知りでコミュ障

不安障害

彼女はいない。友達も少ない

不安障害になったのは大学1年生の時。大学とある先輩から嫌がらせを受け、元々自分に自信がなく神経質気味だったのが重なって心身を壊した。今はソラナックスを飲みながら生活している。このことは大学の1人の同期にしか話していません。

大学入学する前は自信に満ち溢れていて、僕は誰よりも楽器が上手いんだと過信していた。が、この有様。ボロくそ言われるし他の先輩とか同期からセンスないとか言われるし、いやお前ら誰目線だよwとか言いながらもしっかり傷付いたりした。いやほんとに誰目線だよ。

それでもさ、2年間はとにかくがむしゃらに頑張ってきたんだ。教授からも褒められることが増えたし、出来るようになったら楽しいし。だけど今僕は3年生。どうしたって「就活」の文字が頭をチラつく。僕も同じ大学の人たちもインターンに行ってる人なんてほぼいない。けどそれは僕の大学特殊からで、他の大学に通う友達はみんなインターンだの就活だのそんな話をしている。どうしたらいいんだろう。

僕は就職をする気がない。これは入学する前からずっと思っていた。音楽で食っていきたいなって。でもフリーランスでなんて難しいよなあと思うから、今やってるバイトを続けながら音楽と両立して頑張りたいなあとか思ったりしてたんだよ。だけど最近になって将来を意識しだしてみると、そんなのは子どもの甘えた夢だなって思っちゃうわけよ。この2年間で僕の楽器技術は間違いなく上がったと思ってるし、コンクール入賞したりした。だけどそれを引っさげて仕事ができるかと問われるとそれは難しいんじゃないかと思う。めちゃくちゃ緊張しいで舞台に立つ前は薬飲まないとやってられないし。あとバイト先もそんな僕を受け入れてくれるのかという心配もある。今は大学生だからいいけどさ、仮にあと5年バイト続けるとするじゃん、自分の子どもと同じくらいの年代の男が「夢を追いかけるため」とか言っていつまでもどこかに就職せずバイトしてたらちょっと心配になるよねパートさん社員さんも。ほらこんなされるかも分からない心配もしちゃって人の目気にしちゃって、馬鹿じゃない?

からといって就活をする気はやっぱり起きないし何だかんだで僕は音楽が好きだし楽器をしている自分が、拍手を貰って心から幸せ気持ちになる自分が何より好きなんだ。

僕にとっての最善は一体何なんだろうか。

2019-10-09

アニメオタク増田グラブルアニメを見ない理由

アニメ二期が始まったグラブルだが、増田は1期の序盤で見るのをやめた。その理由をつらつらと書いて行こうと思う。

1期1話の印象はFF+ラピュタしかなく、既視感満載だったが絵作りがきれいだったのでしばらく見てみるかと思った。

しかし、4話で見るのをやめた。

うろ覚えなうえ見直す気もないか曖昧なまま語るが、3話か4話で悪役である帝国将軍だか何だかが出てくるのだが、

その描き方があまりにも幼稚でがっかりしたのだ。

確か背が小さくてメガネをかけた人相も口も性格も悪い指揮官が部下の兵士をこき使いながらヒロインを探す様子が描かれていたと思うが、

このちびっこ悪党の描かれ方が悪役としてあまりにも底が浅くて、グラブルというコンテンツシナリオ面に一切期待が持てなくなった。

作画や背景が美しいだけにキャラ描写の落差に心底うんざりした。

悪の描き方が浅い作品は善の描き方も浅いであろうと予想できるし、これまで増田が触れてきたコンテンツはおおむねそうだったからだ。

別に勧善懲悪ストーリーでも構わんのだが、悪役の描き方をないがしろにしちゃだめだろ。

そんなわけで増田グラブルアニメは見ない。

しかし、こんな作品が最高のコンテンツとして消費者から大金を巻き上げ続けているのが今の日本の現状である

そう思うと暗澹たる気持ちになる。

2019-10-08

バックル外しやら妊婦に加害やら、実際の発生件数は本当〜〜にごくごく少数なんだろうけど、

やってることの卑劣から広く拡散され多発してるように見えるのが何だかなと。

しかも両方とも被害者女性ということもあってか、

男性からすれば「本当にそんな事する奴居るの?気のせいじゃないの?」と懐疑的だし。

2019-10-06

人はなぜ花火大会に行くのか。

昨日秋の花火大会に行ってきた。特に一緒に行く人なんかいないのだが、写真を撮るのが趣味なので、お金を払って先生付きの撮影会に参加した。これだと団体三脚を立ててカメラを構えているので孤独感を感じなくて済む。

けっこういいお値段の撮影会だったんだが、打ち上げ場所の目の前で、天上で炸裂した花火の屑が落ちてくるぐらいの素晴らしい場所だった。どうも四人掛けで25,000円という有料席だったらしい。道理で参加費が高いわけだ。

それはさておき、現地の最寄り駅に着いたとき、やたらと混雑しているのと、楽しげなカップルや友だち連れが多いのを見て疲れた花火を撮るのも楽しいことは楽しいのだが、私が若い頃夢みていたのはそうやって浴衣とかでお洒落をして彼氏とか友だちとかと楽しく花火を見に行くことだったはずだ。

イルミネーションとかも同様で、三脚カメラを持って撮影会かに行けば、美しいイルミネーション画像カメラにおさめることはできるけど、私が憧れていたのは可愛くお洒落してイルミネーションを楽しみ、ごつい撮影機材など持たずに彼氏や友だちとスマホなどで記念写真を撮るみたいな図だった。

いいオバさんになってしまった今となってはこうやってカメラを介して花火イルミネーションを楽しむしか道がないのだが、これで本当に良いのかと思う。

もっと花火大会って、終わったあとの疲労感が半端なくて、撮影会が終わると誰とも口を聞きたくないぐらいの状態で混雑した電車に乗るので、無理に誰かと行くのが良いとは限らない。

花火大会の帰り道も元気よくおしゃべりし、「ちょっと飲んでから帰ろう」みたいな人を見るとすごい体力だなと感心する。何だか行く道を間違えてしまった気がするけど、もう時計は巻き戻せない。

2019-10-05

僕は就職活動自分名前を間違えられたままお祈りをされた

僕は現在就職活動をしている。今行っている就職活動は、実は5年目を迎えたところだ。

学生時代には何とかして就職活動終え、新卒入社した企業で働いていた。しかし、不慮の事故に遭ってしまい、その時に自主退職に追い込まれ、いわゆる使い捨てにあってしまったのである。僕はたった1年だけしか働かせてもらう機会を与えてもらえなかった。

その企業に未練はないが、僕はその時に一般的社会のレールから外れる選択をしなければならなかった。自主退職をした時には心身ともに物凄く病んでしまっていた。

退職をしてから自分なりに頑張って時間お金をかけて、何とかまた満足に働ける状態にまで心身ともに鍛えて、社会復帰をするための準備を終えてから就職活動を再開した。

だけど、どうしようもない社会的なブランク簡単に埋めることはできず、就職活動は思うように上手くいかなかった。

そうこうしているうちに気が付いたら100社以上にお祈りされてしまっていた。もはや数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど、企業にお祈りをされたのだ。

ここまで僕の就職活動が上手くいかなかった背景には、明確な理由がいくつか存在する。

そのうちの大きなものの1つとして、僕にはアスペルガー症候群という発達障害があるという事実が挙げられる。僕が行っている就職活動は、障害者雇用における就職活動なのだ障害者手帳も取得しているし、障害年金受給している。

障害者雇用における就職活動自力で行うのはとても骨が折れる。というか、自力で行うのはあまりにも無鉄砲といっていいだろう。

時間お金をどれだけかけたとしても、それが必ずしも報われるわけではなく、逆に就職活動のためにかけたエネルギーと比例して、僕の心身は憔悴し続けて幾度となく塞ぎ込んでいった。

最も酷い状態の時には、鬱病による症状が強く出てしまい、ドクターストップがかかってしまった程である

それでも尚、働きたいという気持ちが消えることはなく、一度立ち止まっては休んで、心身ともに鍛えて就職活動を再開するということを、この4年半で3回行った。

これほどまでに社会的に必要とされない時間を過ごしながら、自殺という選択をしなかった自分のことは褒めてあげたいと思う。

また、自力就職活動をするのではなく、就労支援機関にも通うようになり、職業訓練を積み重ね丁寧かつ適切なアドバイスをして頂きながら、職場実習などを伴う就職活動も行った。その時々の自分にできそうなことは、無理のない範囲でやり続けてきたのだ。

そして、今回のタイトルにある話にやっと繋がるのである。これまで僕がやってきた就職活動の中では、全くなかった衝撃的な出来事が今週起こったのだ。

企業からの送られてきた不採用通知にて、僕の名前漢字が間違えられていた。何と同時期のタイミングで2つの企業から全く同じことをされたのだ。

片方はメールでの通知、もう片方は郵送での通知だった。後者はどういうわけか封筒に書かれていた宛名と、中に入っていたパソコン作成したであろう文章での宛名と共に間違われていた。

僕の名前には珍しい漢字が含まれていて、おそらく25人いたら24人は間違えてもおかしくはないと自覚している。だけど、それはいわゆるキラキラネームのようなものではなく、小学生でもかけるレベル漢字であり当て字などでもない。

祈りの通知が届いた時、僕は思った。何で人の名前を間違えられるような奴らに、上から目線でお祈りなんかされなきゃいけないんだろうって。

人の名前を間違えるのが失礼だということは、健常者障害者関係なく誰から見ても世間一般的常識だろう。それを大切な連絡を伴う文章で、何でそんなことができるのか。僕は正直、その出来事が発生したという事実が信じられなかった。

自分名前が間違われやすとはいえ、僕が生まれた時に両親は様々な願いを込めてこの漢字を授けてくれた。僕はこの名前が大好きなのだ。だからこそ、不採用という通知よりも自分名前を間違われたことに深く傷付いた。嫌がらせでもされてるのかとも思った程だ。

逆に僕は、提出した履歴書手書きで丁寧かつ時間をかけて仕上げていた。選考をしてくれるお相手が少しでも見やすくなるようにと、0.35mm・0.5mm・0.7mmのボールペンを、項目によって使い分けていた。サイズの調整もパソコンで下書きを作成し、フォントなども工夫していたのだ。提出する書類に不備がないかをいつでも確認できる意味合いも込め、コピーを残して控えを取っていた。今回の件は、そういった準備を蔑ろにされてしまったと思わざるおえない。

僕の職歴ブランクがあるため就職活動が難しいという話と、僕に発達障害があって就職活動が難しいという話と、障害者雇用における就職活動そもそも難しいという話と、今回の本題である自分名前を間違われた話は、それぞれ論点が違うため全てを一元化して考えるのは難しいだろう。

だけど、これだけは間違いなく断定できる。就職活動というシステムはどう考えてもおかしい。

自分がどんな境遇どんな立場であろうと、何とか足掻き続けて社会に再び出ようと必死になっているのに、自分名前を間違えるような非常識な奴らにも悪い意味適当評価をされては心ないお祈りをされ続けるのだ。

僕はこういったことを平気でできる企業の人事の奴らに、人間のあたたかい血が流れているとはとても思えない。そんな奴らも相手にしなきゃいけない就職活動は、本当にどうしようもないシステムだと思う。

思うがままに色々なことを述べてはみたが、何だかんだで僕はこれから就職活動を続けるのだろう。

いつかどんな形でもいいから、社会の一員として自分が加われるように。

2019-10-01

天気の子感想書きたいかはてななるもの登録した

はてなもすなる増田といふものを私もしてみむとすなり

というか此処にたどり着くまでに1時間かかった UIとはなんぞや

さて遅まきながら天気の子を見に行って感情が高ぶったので吐き出す場所

探し、増田にぶちまけることにした

なぜなら

君の名は。のヒットから天気の子デートムービー化してしまい男同士でいくのに

抵抗があり結果、ヒトリでいくことになり近くに聞いてくれる人がいないためだ

一方的排泄物をまき散らすには増田ほど優れたコンテンツはない

感想としてはまた見たくなる良い映画と言えるだろう

新海作品十八番である映像美と音楽シンクロはもちろん、見せ所とそうでないところで

緩急をつけて物語に入り込ませるテクニックは前作より磨きがかかっている

またところどころで笑わせてきたり監督の癖(へき)がでているところも新海ファンには堪らないだろう

というか、エウレカセブンである

そうアラサーの私にはエウレカセブンしか見えなかった

いい加減大人になれよと諭す小栗旬藤原さんに聞こえてしま不思議

何だかRADWIMPS音楽もIllionがテクノサウンドダンスミュージックにしてしまえば虹になりそう

「オッス!おらレントン・サーストンいっちょ探してみっか」と7つに分かれたエウレカを探す旅にでる

幻の51話をこの映画観終わったら見れるんではないかと思わすそんな映画

・・・かと思いきやラストでその印象は覆る(ここからネタバレあり)

僕たちは大丈夫と言い切る主人公でこの映画は終わる

そのときエウレカは吹き飛び私の頭の中は秒速5センチメートルアカリで埋め尽くされる

ここで説明すると私は高校とき秒速を見て途轍もなく衝撃をうけた私の人生観を変えるほどに

それから歳を経るたびに秒速をみて新たな気づきを得るのが好きな秒速厨である

その秒速厨には大丈夫といえばアカリタカキと別れるときに「タカキ君はこの先も大丈夫だと思うきっと」と言うシーンだ

タカキにはこの大丈夫は重くのしかかる呪い言葉

別れた電車の中でお互い両想いでありながら好きと言う環境に立たされない子供としての無力感

この想いをずっと未来まで忘れないという子供っぽい決意をこの大丈夫に乗せてタカキは成長していく

しか現実非情で半ば強迫観念めいた未来像と摩耗して擦り切れた想いがタカキを孤立させるのだ

くそ!やってくれたな

天気の子これはアカリ大丈夫になれなかったタカキの裏トゥルーエンドやったんや!

瀧の前前前作がタカである君の名は。は表トゥルーエンドでこっちは裏ルートやったんや

世界よりもヒナを選んだ帆高の君の大丈夫になるていうんが正解やったんや

なんでアカリあんなこと言うんやと思ってたけどあれは優しさでもあり、期待やったんや

うぉおおおーーー

そんなんほれてまうやんお互い大事にしてるのわかるやん

なんなん?新海誠アラサー童貞心をこじらせにかかってるん?

高校から拗らせて辛いんですけど

俺も君の名は。観に行った彼女が今の嫁とか言いたいんですけど

二回目の天気の子女の子といきたいんですけど

いい加減このままじゃ人生あかんから誰か諭してほしい

「君も幸せになりなよ」て長澤ボイスでいって諭して

でも昔少し好きやった女やけど親友のものになって、なんならキューピッドてきポジション

感謝されるはずやのに上からそんなこと言われたら現実やと死ぬ

もういややーー来世は東京イケメンにしてくださーい

2019-09-30

仕事に対するモチベーションがない。

今に始まったことではないけど、仕事に対して「頑張ろう」とか「きちんとやって締切に間に合わせよう」という意識が極めて薄い。

幸か不幸か上司は別室にいて、私の仕事の細かい進捗状況をチェックする余裕はない。同室の先輩は業務内容が私と違うし、勤務日数が私より少ないので事務所に私一人という日もけっこうある。

前の職場上司の目の前の席(パソコンの画面が丸見え)でも、勤務時間がずれているのをいいことに何だかんだとサボって仕事関係ないサイトを見たりしていた。

どうもその行動自体システム管理担当にバレていたようだが、「その職場仕事関係なさそうなサイトを見に行っている端末がある」程度の情報だったのか、「仕事関係ないサイトを見るのは止めましょう。履歴を削除しても無駄です」というメールが届いただけで、個人的に注意を受けることはなかった。

やることがそれなりにあっても、人目がないと油断してすぐサボりたくなる。とりあえずやらないとヤバそうな仕事から片付けるが、その仕事の完成度を上げるには、自分で進捗状況をまとめておかないとあとあと面倒なことになる。…と分かっているけどなかなか前に進まない。

時々同業者の集まりがあって、その時に「この仕事について皆さんどうしてますか?」みたいな話になるのでヤバいと気付く。黙ってすっとぼける道もあるが、その集まり勉強会も兼ねているので、恥を忍んで他の人に聞いた方が早いこともある。

みんなそれほど上司監督の行き届かない場所仕事している状況は一緒だ。それなのにきちんと進捗管理をきちんとしながら、仕事クオリティを上げる努力をするモチベーションがどこから出てくるのか知りたい。「給料もらってるんだからそれなりの仕事をするのは当たり前」というのが模範解答なんだろうがそれが出来ない人間もいるんだよ。

今の目標上司の覚えを良くすることでなく、同業者たちに「アイツは仕事の出来ないヤツ」と軽蔑されないことだ。別に出世したいとかエリート部署に行きたいとは思わない。ただ日々の仕事を無事に終わらせて、給料泥棒と呼ばれない程度の結果を出したい。

みんなどうやってモチベーションを維持しているのか不思議で仕方ない。

anond:20190930093713

コンロに……火をつける……? 何が何だかからないけど教えてくれてありがとう

2019-09-28

アルファベット略称とか横文字とか

ニュースにでてくるアルファベット略称

あれ何とかならんもんかといつも思うのだが。

GSOMIA

何だかからない。

General Security of Military Information Agreement

軍事情報に関する包括的保全協定

なのだから

「軍情協定

の方がピンと来て分かりやすいはず。

いっとき騒いでたTPPも、

Trans-Pacific Partnership Agreement

環太平洋パートナーシップ協定なのだ

「環太協」

と呼んだ方がストンと来るやん。

明治時代人達は横文字に対して一生懸命訳語を作ったわけでしょ。

philosophy→哲学、とか。みんなが母語で物を考えられるようにと。

何かそのへんの感覚が今はおざなりになってる気がする。

日常生活もこないだ、

フライパンで魚を焼くにはクッキングペーパーが必要、という記事ネットで読んだので、

マツキヨでそれらしいのを買ったわけ。

そしたら何だか勝手が違うのでよく見たら、

俺が買ったのはキッチンペーパーで別のものでありました。

調理紙」「台所紙」となってればアホな俺でも分かったのに。

あとちょっと違うけど「持続可能な」ってやつ。

これsustainableの訳語でしょ。「長持ち」でええやん。

2019-09-27

手紙趣味にするのは庶民には向いてない

文通年賀状も、収入にも気持ちにも時間にも余裕のあるお金持ちの趣味だと思うようになった。庶民がすることではない。

自分が働いていたときには高いお金写真屋に払い、綺麗に印刷された写真入り年賀状を出していた。

専業主婦になってみると、年賀状をやめると時間お金もかなりの節約になることに気付き、年賀状をやめてしまった。喪中はがきすら出す手間が省けるためお金生活も楽になる。

しかし、手書き文章を郵送することが好きであるため、手紙を書きたくなれば書き、82円切手を貼って送る。レターセットや便箋のような紙モノアイテムはかなり好きである

しかし、切手レターセットや便箋封筒家族じゃない外の他人のために使うためのものであって、服や食品とは違って自分自分家族のための出費ではない。

離れた場所にいる家族手紙を送っている場合や、ときどきあるパターン自分自身に手紙を送っている場合は、自分のため家族のための出費だと思う。

庶民にとっては手紙はやりすぎるとあまり賢い趣味だと思えなくなってしまった。

ペン習字だったり、スポーツだったりの趣味自己投資だけど、手紙自分の財布からお金がでていきっぱなしだし、文通趣味だとどんどん相手からの返信の手紙が増えてきて、その手紙処分をどうするのかという問題も発生する。送られてきた年賀状も結局数年後には捨てることになるため、なんだか送る方も送られる方も馬鹿馬鹿しいのではないかと思えてきた。

たくさんの62円の郵便はがきや62円切手を買って懸賞に応募しまくるのが趣味人間がいるが、これもはがき切手代がもったいない

62円と聞くと何だか安く感じるけれども、懸賞趣味人間はこれを数百枚単位で出費しているから、けっこう高くついている。

郵便局で売っているグリーティング切手シートがとても好きなのだが、620円の買い物を何度もしている、はがき箋や私製はがきを買う費用もかかっている、と思えば庶民にとってはけっこう高い出費である

手紙神様のようなむらかみかずこさんという人物がいる。むらかみかずこさんは「切手代が高い」と言いつつも高い万年筆を買い揃え、たくさんの私製はがきグリーティング切手を貼りまくり投函しまくっている。その姿はとても素敵だが、郵便物への出費が半端ない。むらかみかずこさんのところにはペーパーアイテム販売している業者から宣伝のために便箋やらレターセットやらがたくさん届いている様子。むらかみかずこさんに便箋レターセットを使ってもらえば宣伝効果半端ないだろう。送られた側はむらかみかずこさんが自腹で買ったのか業者からただで送られてきたのかわからないし。

庶民がむらかみかずこさんレベル手紙はがきを送ると郵送料もはがき代もレターセット代もかなりの高い出費になってしまう。

むらかみかずこさんはお金持ちだから大量の郵送物を送って、送られてのやり取りを楽しむことができるのだろう。

やはり、庶民手紙のやり取りは庶民らしく細々とやるべきなのだ。何十枚も年賀状を出したり、定期的に複数相手文通をしたり、はがき懸賞にたくさん応募したりしている場合ではない。

10月から郵送料も消費税アップで値上げするし、多額の郵送料を払って楽しんでいる場合ではない。どうせ多額の出費をするのなら、スポーツ旅行など自分自身や家族にリターンがあるものにしていきたいと専業主婦は思う。

2019-09-26

anond:20190926170616

わかる

色々と不満なこともあるけど何だかんだ毎日淡々と過ごしていて

デモに参加するとかすりゃいいのか?と思いつつ何もしてなくて

一応選挙があれば投票には行くけど無力感が凄い

無力感とか言う資格ないぐらい何もしてないくせにね

2019-09-25

anond:20190925100859

いや~、私の挙げた希望の例は暴力でかなえるものではないでしょう。あくまでも相手好意を得たいとか、一緒に過ごしたいと思ってほしいとかそういう話なんだけど。

暴力を振るわれると怖いからとか私からメールがしつこいからという理由希望を通してもらうのは本意ではない。時々私の希望があまり通らないことに気付いてお情けで通してくれる人もいることはいるのだが、何だかそれも情けない話だなぁと思う。

2019-09-24

anond:20190923233752

ブクマカ、割と接待慣れしてる感じで

いつも日本のそういう文化はクソだとか

JPOPはクソ曲しかない氏ねとか言ってて

とても接待カラオケじゃ歌えねーだろな歌しか知らないイメージだったけど

何だかんだで皆ちゃん社会適応してるんだな…と思った

2019-09-23

ムロに卑弥呼がいた

ムロに大根取りに行くと、普段のすえた匂いではないものを感じた。

奥のちょっと広い空間に稲わらで丁寧に編まれたと覚しい筵があり、そこに片膝を立てて座る女がいた。

義務教育で習った通りの貫頭衣で、部分的に絹があしらわれている。

義務教育で習ったものとは異なり、服は薄汚れシミなども目立つ。

これは宮に籠められ、ほとんど衣服の交換がないことが原因と後で知る。

義務教育で習った銅鏡や珠を装飾として身につける。

女の周りには青白い燐光わずかに散り、時を超えた名残を示す。

筵の手前には幣や火鉢弥生土器!)、鉄器などの祭祀具がある。

何かを焚いており、それがムロのすえた匂いを変えていた。

女は弥生古墳時代日本語を話すものから何が何だかからない。

私もだんだんキレてきて「俺んちのムロは古墳じゃねーんだぞこのタコ助!」と現代語で応酬する。

女は偉そうに食料を要求してくるので、高度経済成長の成果を見せつけてやる。

ペヤングと、家の冷蔵庫にあったスーパー惣菜コロッケ唐揚げ)やごぼうのきんぴらなどとともに、電子レンジて温めた米を持っていく。

やっぱ弥生人には米でしょ! あとでハンバーガーガパオエビチリも食わせてやったが(楽天ペイで)。

ペットボトルお茶と、ドラッグストアで売ってるサンガリアいちごみるく(超うま)もセットだ。

その頃には俺も冷静になって、言葉はわからないけど身分いか漢字わかんないかなーと思って、適当に「卑弥呼」とか「景初三年」とか適当弥生人にトレンド言語を紙に書いて持って行った。

女は驚いて私から紙を奪って、それで書くもの要求した。意地悪して鉛筆渡した。

それで女が卑弥呼だってなんとなくわかったんだけど、あとで詳しく聴いてわかったことには本当は「壱与」らしい。

卑弥呼」は役割で、名前は別。

今は2駅離れたちょっと大きい駅の前で占いして生計立ててるよ。

今でも藁はあるからしめ縄は作れるし、服はシラミもいたので呉服屋にそれっぽいのを設えてもらって、香とか火鉢仏壇屋、亀の甲羅ペットショップで揃えて、勤労の義務について説明したらあとは自分から働きに行ったわ。

ガチっぽいか占い結構人気らしい。

2019-09-21

赤ちゃん誕生のご挨拶

年賀状はがきで「赤ちゃんが生まれました♪」という報告をするというアレ

うちは年賀状をしてないので、郵送物で出産報告するならハガキor封書になる。

実母が「やりなさい!」とうるさい。私側の親戚は直接赤ちゃんに会いにきてくれるだろうから郵送物で赤ちゃん写真を送ったらくどいし

おじおばなんか、自分たちの孫が一番可愛いからの子供なんか正直どうでもいいだろうよ。

母親は周りのみんなが私達に興味津々だと思っているけど親戚とはいえ、それほど仲良しじゃないしそんなに感心ないから!母親にとっては重要おめでたいことかもしれないけど他人にとっては他人事だから

夫側の親戚は遠方に住んでるから挨拶手紙でも出すかな?と考えていたけど普段会わなくて交流もしてない他人から赤ちゃん写真を送られてきても、「ふーん」くらいのリアクションだと思う。子供好き人は少しはテンション上がるかもしれないけど、所詮他人なんだよなぁ。夫側の親戚ほとんど付き合いない…

赤ちゃんが産まれたことは義母が親戚に報告してくれるだろうし

それなら夫側の親戚にわざわざ手紙はがきを送る必要もないか

ネットには夫側の親戚に出産報告はがきを送ったのに返事が何もなかった、無視された、と嘆いていた人がいたけどこういうのは自己満足前提で送るんだっていうことを肝に銘じておかないと。

赤ちゃん写真を送って喜んでくれるのは両親、祖父母まで。あとはきょうだいかな?きょうだいでも仲が良くないと写真を送られても何だかなってなる。

母親写真入りはがきを送れとギャンギャンうるさいんだけど無視するわ。

うちの親は馬鹿なんだ。年賀状自分で作れないくせに子供年賀状を作らせてでも毎年何とかして年賀状を送ろうとするんだわ。

昔みたいに表裏手書き年賀状作ったらどうなの?って思うw年賀状作成方法勉強する気もないくせに年賀状送りたがるなよ。

今年は子供写真入り年賀状を作ろうとするだろうけど、カメラのキタムラとか写真屋に金払って頼むしかないんだろうね。

2019-09-20

今日も女は毒親叩き

フェミ風俗嬢自称毒親持ちが多いの昔からだったんですね

2019-09-18

anond:20190918172515

あと少しで50になるバツイチだけど、あのまま結婚生活続けてたら家事育児住宅ローンに追われ、貴重な正月休みGW義理実家義理親族との付き合いに奪われていたかと思うと現状の方がまし。

寂しくないとは言わないけど、違う環境で育った人と一緒に暮らすのは疲れる。一人暮らしに慣れてしまうと、実の親でもたまに同じ部屋で寝起きすると何だか落ち着かない。ただ、家事育児経験した人の方がいろんなことをてきぱきとこなす技に長けているように見えて、それだけが羨ましい。

70を過ぎた人間死生観

私には70代後半の母親が居て、その母親は兄と同居している。

孫の顔を見せると喜ぶので、たまに7歳になる娘を連れて遊びに行くのだが、

「私、この子が成人になるまで生きてたりしてね。うふふ。」

冗談めかしてそんな事を言う。

それを聞いた義姉が、

「お義母さん、それはちょっと欲張りすぎでしょwww

ツッコミを入れ、兄を含め一同爆笑

え?

笑えるのか?

7歳の娘が成人って、あと13年程。

10年そこらってすげえあっという間だと思うんだけど。

そんな近い将来、自分死ぬ事を想定して、しか冗談めかして言えるって心境にまで達観出来るってどんなだろう?

はいくつもの難病を抱え、正直今生きている事自体奇跡に近い状況ではあるが、さすがに心からその冗談を笑う事は出来なかった。

そしてそれを周りが冗談として笑い飛ばせるって環境当事者意識が薄いせいか全く想像付かない。

私自身は妻の父と同居してるが、死期なんて考えたことも無いし口にしたこともなかったかある意味衝撃だった。

そうなんだよな。人っていつか死ぬんだよな。そしてそれはそう遠くないのかも知れないんだなと考えたら、何だか自分に残された時間もそう長くないのかな。と考える。

2019-09-13

[]野外で合法的全裸になりたかったので、オーストリア混浴してきた

【初めに】

 コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である

【本文】

 服を着るのが苦手だ。できることなら裸で生活したい。

 ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。

 そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分全裸特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。

 目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。

 とはいえ、男女混浴可能場所国内でも限られている。ましてや、近年は混浴マナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしま地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴誕生した時代とは、私たち羞恥心感覚も変わってしまった。

 そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。

 もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂人間ではない。

 私は建築美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムトシーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである

 日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである

 駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄香りがしている。そうしたところは我が国温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。

 ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。

 ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。

 まずは、せっかくなので水着エリア温泉を楽しむ。とはいえ水着エリア温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である

 これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリー温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。

 他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップル夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールほとんど温まらない。日本温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。

 そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イストサウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。

 なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。

 サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである

 サウナ入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。

 二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやり天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。

 ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナ読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。

 しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本温泉露天風呂がメインで、サウナ複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプサウナがあり、存分に楽しめた。

 たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかからなくなってしまうのだが。

 ちなみにこの眼鏡裸眼で転ばないように、日本サウナ用の眼鏡をわざわざ購入したものである

【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである

 そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルサウナの人々に熱風を浴びせるのである

 それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。

 そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞活用無茶苦茶ドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルトカルト」(寒い寒い)などというものから、思わずその場は笑いに包まれた。

 私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。

 その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰から干渉されない時間だけそこにあった。

 それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。

 人間身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたもの普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。

 そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】

 さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。

 その一、スポーツマンタイプものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアローマ彫刻そっくりであるスポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。

 その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。

 その三、老夫婦。なんというか日本混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。

 その四、比較若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。

 ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。

 で、こうして振り返ってみると、比較若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。

 混浴について、猥褻だとか下品だとかい意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂サウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそも風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから勝手判断差し控えるが。

 というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。

 それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉気持ちいいのでどうでもよい。

 そういうわけで、私はオーストリア混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナー一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。

 プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。

 個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。

 もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。

 ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。

 皆様の快適な全裸ライフの参考になれば幸いである。

 最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。

最後に】

 本記事カクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。

【付記】

 ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?

アクセス

 地下鉄U1の終点、Oberlaa駅

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