僕は現在就職活動をしている。今行っている就職活動は、実は5年目を迎えたところだ。
学生時代には何とかして就職活動終え、新卒で入社した企業で働いていた。しかし、不慮の事故に遭ってしまい、その時に自主退職に追い込まれ、いわゆる使い捨てにあってしまったのである。僕はたった1年だけしか働かせてもらう機会を与えてもらえなかった。
その企業に未練はないが、僕はその時に一般的な社会のレールから外れる選択をしなければならなかった。自主退職をした時には心身ともに物凄く病んでしまっていた。
退職をしてからは自分なりに頑張って時間とお金をかけて、何とかまた満足に働ける状態にまで心身ともに鍛えて、社会復帰をするための準備を終えてから就職活動を再開した。
だけど、どうしようもない社会的なブランクを簡単に埋めることはできず、就職活動は思うように上手くいかなかった。
そうこうしているうちに気が付いたら100社以上にお祈りされてしまっていた。もはや数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど、企業にお祈りをされたのだ。
ここまで僕の就職活動が上手くいかなかった背景には、明確な理由がいくつか存在する。
そのうちの大きなものの1つとして、僕にはアスペルガー症候群という発達障害があるという事実が挙げられる。僕が行っている就職活動は、障害者雇用における就職活動なのだ。障害者手帳も取得しているし、障害年金も受給している。
障害者雇用における就職活動を自力で行うのはとても骨が折れる。というか、自力で行うのはあまりにも無鉄砲といっていいだろう。
時間とお金をどれだけかけたとしても、それが必ずしも報われるわけではなく、逆に就職活動のためにかけたエネルギーと比例して、僕の心身は憔悴し続けて幾度となく塞ぎ込んでいった。
最も酷い状態の時には、鬱病による症状が強く出てしまい、ドクターストップがかかってしまった程である。
それでも尚、働きたいという気持ちが消えることはなく、一度立ち止まっては休んで、心身ともに鍛えて就職活動を再開するということを、この4年半で3回行った。
これほどまでに社会的に必要とされない時間を過ごしながら、自殺という選択をしなかった自分のことは褒めてあげたいと思う。
また、自力で就職活動をするのではなく、就労支援機関にも通うようになり、職業訓練を積み重ね丁寧かつ適切なアドバイスをして頂きながら、職場実習などを伴う就職活動も行った。その時々の自分にできそうなことは、無理のない範囲でやり続けてきたのだ。
そして、今回のタイトルにある話にやっと繋がるのである。これまで僕がやってきた就職活動の中では、全くなかった衝撃的な出来事が今週起こったのだ。
企業からの送られてきた不採用通知にて、僕の名前の漢字が間違えられていた。何と同時期のタイミングで2つの企業から全く同じことをされたのだ。
片方はメールでの通知、もう片方は郵送での通知だった。後者はどういうわけか封筒に書かれていた宛名と、中に入っていたパソコンで作成したであろう文章での宛名と共に間違われていた。
僕の名前には珍しい漢字が含まれていて、おそらく25人いたら24人は間違えてもおかしくはないと自覚している。だけど、それはいわゆるキラキラネームのようなものではなく、小学生でもかけるレベルの漢字であり当て字などでもない。
お祈りの通知が届いた時、僕は思った。何で人の名前を間違えられるような奴らに、上から目線でお祈りなんかされなきゃいけないんだろうって。
人の名前を間違えるのが失礼だということは、健常者障害者関係なく誰から見ても世間一般的な常識だろう。それを大切な連絡を伴う文章で、何でそんなことができるのか。僕は正直、その出来事が発生したという事実が信じられなかった。
自分の名前が間違われやすいとはいえ、僕が生まれた時に両親は様々な願いを込めてこの漢字を授けてくれた。僕はこの名前が大好きなのだ。だからこそ、不採用という通知よりも自分の名前を間違われたことに深く傷付いた。嫌がらせでもされてるのかとも思った程だ。
逆に僕は、提出した履歴書を手書きで丁寧かつ時間をかけて仕上げていた。選考をしてくれるお相手が少しでも見やすくなるようにと、0.35mm・0.5mm・0.7mmのボールペンを、項目によって使い分けていた。サイズの調整もパソコンで下書きを作成し、フォントなども工夫していたのだ。提出する書類に不備がないかをいつでも確認できる意味合いも込め、コピーを残して控えを取っていた。今回の件は、そういった準備を蔑ろにされてしまったと思わざるおえない。
僕の職歴にブランクがあるため就職活動が難しいという話と、僕に発達障害があって就職活動が難しいという話と、障害者雇用における就職活動がそもそも難しいという話と、今回の本題である自分の名前を間違われた話は、それぞれ論点が違うため全てを一元化して考えるのは難しいだろう。
だけど、これだけは間違いなく断定できる。就職活動というシステムはどう考えてもおかしい。
自分がどんな境遇どんな立場であろうと、何とか足掻き続けて社会に再び出ようと必死になっているのに、自分の名前を間違えるような非常識な奴らにも悪い意味で適当な評価をされては心ないお祈りをされ続けるのだ。
僕はこういったことを平気でできる企業の人事の奴らに、人間のあたたかい血が流れているとはとても思えない。そんな奴らも相手にしなきゃいけない就職活動は、本当にどうしようもないシステムだと思う。
うるさ
二十歳すぎの学生だったころの自分を見ているようで、心が痛い。 そういう理不尽な就活ゲームを乗り越えて入社できたとしても、さらに社内で理不尽な社会人ゲームが繰り広げられる...