はてなキーワード: 何だかとは
日本のフェミは「女が嫌々結婚しなくても済む世の中」を目指しているように見える
ある意味、アメリカなんかのカップル社会の方が保守的と言えなくもない
アナ雪流行分析として、日本では「王子様に頼らなくても幸せになれる女の話がウケた」扱いで
アメリカだと「レズビアンの女の話がウケた」扱いだった、って辺りが分かりやすい
アメリカは何だかんだで「(相手が男でなくてもいい、ってだけで)結婚するのが当たり前」って所からは脱却出来ないんだなーと思ったよあれ
にわか仕立ての濫造本のひとつ。中途半端な知識と中途半端な調査、それで不足する部分は妄想と願望で補って、何とか一冊にしたと評するしかない。
東大とか、最年少とか、AIとか。そういうもので煽っても、中身がこれではどうにもならない。
いや、寄付講座付きの特任准教授だから、何としても成果なるものが欲しかったのでしょう。でも、これじゃあ、逆効果。一般向けの新書だからと言って、手を抜いて良いわけがない。
検索すると、著者の出身研究室である松尾研の業績一覧では影が薄いようで。Wikipediaの著者の研究に関する部分も編集合戦ぽくなっているし(東大学内と思われるIPから必死に大澤氏を擁護するような編集をするとか、普通に考えてご本人か関係者でしょう)。著者自身が自らを大きく見せるために必死なんだろうと思うと、東大教員なら一部の目立ちたがりを除いて断るであろう著者自身の近影を表紙にするなんて恥ずかしい振る舞いも何だか理解出来るというもの。
そうして数日後、セミナーがまた開かれる時がきた。
「前は話をマトモに聞いていなかったから、今日はちゃんと聞いてみようと思う」
もはや弟は本を返品するかどうかという段階ではなく、なんならサインでも書いてもらおうって勢いだ。
「それにしても、兄貴までセミナーに来るとは思わなかったよ。あんまり良く思ってなかったのに」
「まあ、目につく部分だけで決め打ちするのもどうかと思ってな。実際にちゃんと咀嚼してから批判することにした」
「批判前提かよ」
そうは言ってみたものの、自分がどう立ち回るかは決めかねたままだった。
弟が何を拠り所にして物事を考え、生きていけばいいのかなんて俺が決められることじゃない。
そう頭では理解しつつも、今の弟に対する不安感は漠然と胸に残り続けていた。
しかし、この感覚を公正に言語化できない内は、俺が弟に忠告できることはないに等しい。
この場に来ていない両親も口には出さないが、たぶん似た感じだろう。
弟に何かを言おうとして、結局は何も言わないという仕草を数回ほど見たことがある。
自分の子供が、たまたま遭遇した自己啓発にのめり込んでいるんだ。
それでも理性と親心の狭間で揺れ動き、自分の子供に下手な忠告が言えない、といったところか。
セミナーを確認しに来なかったのも、場合によっては耐えられる自信がなかったからかもしれない。
会場に来てから10分ほど経ったとき、壇上に一人の男が現れた。
「みなさん、こんにちは。はじめましての方は、はじめまして。セイコウです」
あれがあの本の筆者か。
俺のクラスメートにはタイナイっていう意識の高い奴がいるが、それの進化系みたいな物腰だ。
格好は無地の服を着ているだけでシンプルだが、色合いが強くて、しかも上下を揃えているから逆に目立つ。
「今回も様々な話をしていきたいと思いますが、その前にまず思考をクリアにするため、みんなで頭の体操をしましょう」
書いている奴が同じだから当たり前だろうに、なぜか弟はそのことが嬉しそうだ。
「目を瞑って、呼吸を整えましょう。リラックスして、精神統一」
弟含め、会場にいる人間たちは言われたとおりに実行した。
俺は気乗りしなかったが、一人だけ目を開けたままじゃ目立ってしまう。
仕方なく細目にして、こっそり周りを観察することにした。
「さあ、自分自身をイメージして、喋らせてみましょう。そして耳を傾けて」
男の言ってることは、意味が分かるようで、イマイチ分からない。
だが周りの反応を見る限り、そう思っているのは俺だけらしい。
「自分を変えるために必要なのは、まず今の自分を知ることです。そして今の自分が何を求め、何が不満なのか洗い出していきましょう」
自問自答しろって言いたいのだろうか。
「それが自分にとってどれほど負担であるかを、ひとつひとつ数値化してみましょう。それで高いと思ったのならば、それはあなた方にとって必要のないものです」
そんな調子で、男はゆったりとした口調で色々と語っていく。
「お腹が空けば食べ物が必要ですよね。その食べ物は、できれば美味しいもののほうがいいでしょう? そして美味しいものとは、あなたにとって好物でもあるはず」
だが、その内実はシンプルだ。
同業の人たちとの飲み会で、ちょっと好きだった人に同棲してる彼女がいることを知る。
おめーはそういう奴だよな、だから頑張って家に帰ってたんだな、ってすごい毒付きたい。
そして仕事経由で知り合った人だから「あいつは彼女いるのに他の女を抱くクズですよー!」っていろんな人に言いまわって信用落としてやりたい。
やっぱり火の無い所に煙は立たないんだよ。今度仕事で会ったらすげえ詰めてやりたい。
それにしても、だ。私はもうこういう女を卒業したい。誰かに大事にされて生きてみたい。何か価値を差し出さなければ認めてもらえない生活、辛いんだわ。でもさ、相手に何も求めずに受け入れられる人はだいたい既に相手がいるわけなんだな。掛け値なく愛せる人が既にいるから他の人にも優しくできる論理。もうそういう世の中の成り立ち、疲れるよ。私はそういう世界からいつも爪弾きだ。結婚できなくて疲れちゃう人の気持ち、昔はわからなかったけど今はとても分かる。
自分の気持ちに向き合って生きるのはとても辛い。結婚したいっていう自分の気持ち、気付きたくなかった。アクションとれば傷つくばっかりだ。
子供が一緒にアニメ見て!とか言ってくるし、本買ったら読み聞かせしなきゃならないし。
しかも幼児って同じものを何回も何回も見るので親が嫌いなものだとかなり苦痛。
嫌いな本、つまらない本を何十回も読み聞かせさせられるのは最早拷問。
「子供が好きな本を自分が嫌いだからと言って捨てる親」は毒親扱いだろうけど、そうしたい気持ちはよーーくわかる。
だから絵本なんかも「親が子供のころ読んでいて好きだった本(つまり昔からの古典名作)」や「大人が読んでも面白い本」ばかり売れるんだよ。
家電の展示販売でデモ機やサイネージ代わりにタブレットを使うのだけど、奴らは来店するなり真っ先にタブレット触って起動しているアプリ終了させて、ブラウザ立ち上げてYouTube見たがるんだけどアレ何なの?
俺もYouTubeは好きだし、よく見るけど、外出先で見ようとは思わないよ。
まして家族で買い物なり遊びに行ったりしてるのに、何でわざわざYouTube見ようとするわけ?
俺が知らないだけで「外出先でタブレットやスマホのデモ機を見たら、真っ先にアプリを落としてYouTubeを見ましょう」って学校かどこかで子供に教えるようになってんの?
因みにタブレットにはピクトサインなどで注意喚起はするようにしているし、なるべく他のアプリは消してるけど奴らは見ない。絶対触る。
こちらがタブレットの使いこなせていない故の悲劇だと思うだけも、一日に何度も子供にやんわり注意して、親に睨まれるのは何だかなと。
俺のまわりだけだったらすまん。
私は高1の時にいじめを受けた。
クラスメートに大声でしつこく悪口を言われたり、面と向かって「ばい菌」と言われたり、私以外の女子全員で輪を作られてお昼休みを過ごしたこともある。
ストレスから体調不良になって学校に通えなくなり、それから二度の転校と留年を経てやっと高校を卒業。大学に入っても体調不良が続いて、半年遅れで卒業した。
今でも体調不良になることがよくある。
数年前、その経験を知人に話したところ、こう言われた。
「でもその経験があったから、あなたは人の痛みや優しさを知ることが出来たんでしょ? なら、あなたをいじめた人に感謝しなきゃ」
全然違うよね。まったく分かってない。
人の痛みや優しさなんて知らなくてもいい、あんな辛い経験をするくらいなら。
確かに私はいじめを受けて、助けてくれる人の優しさや、辛い経験をした人の痛みが分かるようになった。でもその気付きをもたらしたのは私をいじめた人間ではなくて、いじめ経験から学び取った私自身だ。
いじめた人間に感謝するのではなく、辛い経験を乗り越えて人の優しさや痛みに気付いた自分を褒めてあげたい。
それを知人に言い返したら、ものすごく怒られた。
最近、YouTubeなどで話題になっている某カセットテープ・アナログ専門店に行ってみた。
とりあえず面白そうなカセットが平積みされていて、紹介されていたので、そのアーティストと音源をググりながら、
ネットで試聴していたら、いきなり店長と思わしき人から声かけられた。
自分「いえ、持ってないです」
店長「さっきからスマホでメモってネットで検索しているんですか?」
店長「あのね、そういう事やるならウチに来ないで欲しいんですよ」
店長「店に来て、情報だけ取って帰る、こういうのを情報の万引きというんですよ」
え、そんなのあるのか、と驚きつつ、まあとりあえずさっき聴いて気に入ったカセットを買って帰るか、
店長「無理して買って貰わないでいいんですよ」
自分「いや、そういうわけでなく、ただ気に入ったから買おうとしただけなんですけれど」
店長「そもそもカセットプレイヤー無くてどうやって聴くんですか」
実際その店でカセットプレイヤー買って聴きながら帰ろうと思っていたのだが、
そこに置いてあるものは全てヴィンテージものっぽく2〜3万円ぐらいするのだった。
だからネットにある3〜4000円ぐらいのものを買おうと思ったのだ。
そして店長は2〜3秒ぐらいレジの前にいる自分の存在を無視していたので、
自分「えっと、買えないんですか?」と聞いた。
店長「あのやっていた行為はね、情報の万引きと言ってこの業界では問題視されているんですよ」
店長「そういうの他でもやらない方がいいですよ」
そこでやり取りは終わり、会計をさっさと済ませ、颯爽とその店から出た。
さて、本題に入ろう。このやり取りを経て、少しこの店の事を調べた上で、自分が思ったのは、
1.なぜこの店はオンラインで商品を売っているのにも関わらず、直接店舗に行って、紹介されている音源をネットでチェックして試聴する行為を禁止するのか
2.もし情報の万引きとやらが一般的なオフラインの音源小売店で禁止されているのならば、音源の小売店にわざわざ足を運ぶ意義は何なのか
という事である。
1について:店を出てから調べた所、この店はオンラインでも音源を紹介して売っている事を知った。つまり人々はその音源をネットで検索し、試聴した上で気に入ったら購入する、気に入らなければ購入しない、あるいはその音源の情報だけ得て、音楽ストリーミングサイトで聴く、といった選択肢がある。ユーザーのそうした行為は、店長がどうのこうの言った所で、止められるものではない。つまり、よほど特殊なシステムをサイトを埋め込まない限り、オンラインで音源を売るという行為自体、店長の言う所の情報の万引きを、店長は許容している事になる。なのになぜオフラインではその情報の万引きとやらを注意するのかが、自分には謎である。
2について:オンライン上では1についてで述べたように、ユーザーは試聴してから購入する、または購入せずに音楽ストリーミングサイトで聴くという選択肢がある。では、もしオフライン店舗で情報の万引きとやらを禁止した場合、オフラインの店舗に訪れる理由は何なのだろう、と思う。そこには気になる音源を試聴してから購入するという選択肢は無く、気になる音源があったら買って聴くという福袋を買うような購入方法、あるいは、その情報をメモを使わず頭の中にインプットして、店から出て、ネット検索して試聴して購入の判断をするという極めて不便な選択肢しか取れない。だったらオフライン店舗に行く理由は何なのか?そこがすごくいい雰囲気の店であるのならば、そこに店を運ぶ理由は解らなくはないが、大体の場合は合理的な買い物ができるオンラインの方がメリットは断然大きいのではないか。
3について:もし自分のした行為が情報の万引きに類するものであるならば、自分は他の店でも情報の万引きをしている事になる。家電量販店で気に入った家電をメモし、ネットで検索し、ネットで明らかに安いところであれば、ネットで買う、例えば保証などの点でリアルの店舗で買うメリットが大きかったり、店員さんに案内してくれた感謝の意を示したいと思った時はその場で買う。自分は前者の行為をそれなりの頻度で行う。店長の言うところの「この業界」は「音源小売店業界」なのだろうが、それが問題だというのならば、それは小売店業界全体の問題になるのではないだろうか。
なんかモヤモヤしたので、パッとタブレット端末に書き綴ってしまった。計画では今頃カセットテープとプレイヤーを買って、ルンルンと散歩しながら帰っている予定だったのに、何だかモヤモヤとした半日になってしまったな。
追記:
気晴らしに、通りがかったイングリッシュパブでラグビーのワールドカップの決勝、南アフリカvsイングランドを人混みに紛れながら観た後、
一人でラーメン屋行って、タブレット開いたら、皆さんからの※が沢山来ていて驚いている。
自分にはこういうプライベートな事を喋る友達が一人もいないので、まあどんな米でも聞いてくれる人がいてくれて嬉しい。
せどり行為を疑われたという米が上位にあり、かつ、せどり行為なるものがよく解らないので、
せどり行為をググってみた。つまりは転売のようなものだろうか。
ただそれは考えにくいかなと思う。
なぜなら店舗内で自分がいた場所の内訳は、新譜と思われるコーナー6割、新品と思われるコーナー3割、中古と思われるコーナー1割程度だったからだ。
そしてこれは自分の主観だが自分がまだ中古のコーナーには行かず、
新譜のコーナーにいた段階から、何か店長の視線から怒気のようなものを感じ取っていた。
また確かに※で指摘されているようにあの動画内では、レポーターが試聴機を使って試聴をしていたのを覚えている。
ただ僕はあの試聴機は番組のために特別に用意されていたものだと思っていたし、そもそもカセットテープはCDやデジタル音源と違って痛みやすい。
であるので、カセットテープで試聴するのは悪いから、ネット試聴しようと思い、そうしていたのだ。(そしたら怒られた)
つか、そんなに容易に特定が可能なのか。ちょっとこのエントリーヤバいかな・・・
またカセットテープへの愛が感じられない、せどり行為を見破られた腹いせだ、という※も頂いた。
そもそもせどり行為が何なのかも知らなかったし、そんな事をするつもりもなかった。
そして確かにまだカセットテープへの愛は薄いかもしれない。ただし音楽への愛は強く、今まで多分1500枚ぐらいの音楽アルバムを聴いているし、
デジタルオーディオだが、◯十万のバカデカいスピーカーで音楽を聴き、それを使って防音マンションを借りて製作している。
特に金があるわけでもないのにだ。
音楽さえ愛していなければ、多分自分の仕事に自分の資源をより注ぎ込めて、
社会的地位も今より高かったろうと思うし、より単純で、もしかしたらより幸せな人生を送れたかもしれない、とも思っている。
自分はデジタル音源の勉強をしていたのだが、デジタル音源の事を知れば知るほど、アナログレコードやカセットテープが魅力的に思えた。
というのもデジタル音源の音の波形を拡大してみると、どうしてもその波形はカクカクとして階段状になる。
反対にアナログレコードやカセットテープの波形は峠のカーブのように滑らかだ。その分、音に温もりがあり、柔らかである、と思っている。
アナログのこういう強みを知っているせいか、自分の好きなアーティストはテープを使った音作りをしたりしている。
代表的なものを挙げると、Boards of CanadaのThe Campfire Headphase、Aphex TwinのSelected Ambient Worksなどだ。
(他にももっと良いものがあるのだが、マイナー過ぎて特定が怖いので挙げるのをやめておく)
おまけに、自分が知る限りでは2010年代ぐらいに入ってから、アメリカの音楽オタク達はカセットで音楽を聴いているという。
で、ここ5年ぐらいずっと憧れを持っていて、せめて、カセットテープデビューだけはしておこうと思い、
店を訪れたのだが、まあこんなデビューになってしまい、ちょい残念。
更に追記↓:
けっこうオタク系の趣味は持っているんだが、俺はゲームを一切やらない。
携帯ゲームですら手は出さない。別に自分に禁じているわけじゃなくてやる気にならない。
中学生ぐらいまではちょこちょこやっていたけど今はまぁ絶対ないな。
周りはみんなゲームをやってるんで(オタクかどうか問わず)それを知られるとけっこう不思議がられる。
むしろ俺はみんながなぜゲームに時間をかけられるかが謎だ。それほど魅力があるとは思えない。
これから俺がゲームをやる気にならない理由を書いてみようと思う。
ゲームが好きな人はもしよかったら反論をしてみてくれ。リアルでやるとウザがられるしな。
ちなみに断りが無ければ基本的にコンシューマーのビデオゲームを想定して書く。
(1)値段が高い
それでも6000円~8000円はしてしまう。これは高い。
映画のレンタルなら一本300円だと仮定して、20本は借りられる。
それだけの一人の時間を確保するのがたいへん。
就職面接で「DDRに打ち込んでました」って言ってもまったくプラスにならない。
こんなもんを「やってて当然」みたいな風潮があるのはほんとに残念。
何となくそんな気がしてたけどどう考えてもマウントだよなってふつふつと静かな怒りが沸いてきたから書く。
つい最近、検定試験があって、同じ学校の友人と共に受験した。どちらかというと友人の方が優秀だからそこに羨ましさとかは全然ないのだが、そんな私にこれは絶対マウント取ってんなって出来事があった。
試験受けたらそりゃ自己採点するじゃん。自分的には一回目受けた目も当てられない試験結果から大分伸ばした点数を取って密かに喜んでて、受験してない別の友だちにはこれくらい取れたんだよ~!我ながら頑張ったと思うって報告はしてた。一緒に受けた子には言いづらかったし、私より点数良いの分かってたから聞くこともしなかったのに、ついに今日堂々と自慢めいた報告をされてお、これはもしや噂に聞くマウントかと何だか納得してしまったのだ。
「八割取れたんだけど一回目と十点しか点数違わなかったんだよね~、十点って……笑」
その後前回の試験点数の話をされるわ(過去に何回も聞いた。落ちたことに変わりはない)、受かるかな~(受かるよって言って欲しいんだろうなって言い方。言わないけどな)って言われるわ私の自己採点より上だろって暗に言われてるようでイラッとしてしまった。私は意地でもお前に点数言わねえ。
まあこれ以外にもしょっちゅう私のこと見下すような言い方されてるから、今さらムキになって反論することはしないけどさすがにマウント取りすぎなので私以外に是非マウント取っていってほしい。面倒くせえ。
貴女の期待する落ち込んだ姿を見たいのだろうけど雑草魂たくましいこの私には何ともないので早々に諦めてくれ。
とにかくムカつくし面倒。
子供の頃近所の庭先になっているのをそこの奥さんが取ってくれたのを、怖くて食べられなかった事を思い出して
家に帰って2つ程食べて、種は食べるものなのかと疑問が湧いた(硬かったから吐き出したけど)
家のキッチンの目立つ所に置いておいたら母親も食べてくれたようで
私が種を食べるのかどうするのか分からなかったという話もした
母親が部屋に戻った後、その話を隣の部屋で盗み聞いていた父親が私に話かけてきた
「アケビは種は食べたら駄目」
毒でもあるかのような言い方だったので
「駄目なの?」
と驚いて聞き返すと
「駄目ではないけど、食べる人はいない!」
とまるで怒った風に言ってきた
でもいつの間にか父親より私の方が色んな事に対して深い知識を持っていた
それは幼少期に感じた父親の博識さへの憧れがそうさせた様に思う
私の色んな知識の、興味の元を辿るとその殆どが昔に父親が話してくれた事が発端だったりする
私がこんなふうにインターネットが大好きなのも理由の一つだと思う
だから別に父親よりも知識が多い事に関して私は悲しいとも思わないし、そのために父親を見下したり軽く見るような事は無い
アケビの種の話も、母親との会話の糸口の為にググらずに残しておいた疑問だったし
でも父親はこんな些細な事をまるで「知らないのは大人としておかしい」とでも言いたげな口調で私に言ってくる
なんかここまで書いて、父親はまだ私に子供でいてほしいんだろうなと思った
ただ私と、私の姉は父親にとって無条件に尊敬してくる、優越を感じる為の道具なんだろうなと、
今までも恐らくこれからも
母親も子供をアクセサリー的に見る人間だけど、子供の頃からコミュニケーションは良くとっていたからそれが分かりやすくて、私自身割り切れたし
母親の方も母親の方で最近は私が人間だという事に感付いてきたみたい
それを受け入れられず
今だに博識なスーパーお父さんとして見られたいが為に
アケビの種から芸能ゴシップまでをさも高尚な知識か、知らなければ恥ずかしい一般常識のように
私に説教をするように話してくるのがね
私は悲しい
昔は
ほろ酔になりながら
遅い時間まで私達姉妹に素敵な人生論とか映画のビッグフィッシュに負けずとも劣らない昔話を聴かせてくれたのに
それが私達は好きだったんだけど
今もそんな話できるだろうに
その突っ張った見栄に水を差さないように私達が気を使ってる事がね
そうやってストレスを自ら拵えてお前は一体何になりたいんだ
昔我々姉妹に言って聞かせた人生論や格言めいた言葉の内のどれ程をこれまでお前は実践してきて、実践しているのか
何もせずに適当に諦めて、適当に子供や結婚を諦めた理由に据えて
お前は一体何になるんだ
そのままで何も変わらない気なら
何も行動を起こさなないなら
今すぐ死ねばいい
父親は
高校時代に父親の話が終わったと思って自室に行ったら追いかけて来てベッドに寝転んだ私を足で何度も踏みつけて死ねと言った事は絶対に忘れないし
私が実家に帰ってきてから何度も私の入浴中にお風呂に入ろうとしてきた事も忘れないし
口答え以前に意見を言うのも許されないこの家と
友人が実母に向って「あんた」と言ってるのを、そう言っても怒られない関係性を羨ましく思ったこの悲しさと
でも、何だかんだ言って、この私の部屋の窓からは沢山家が見えるけども
実は普通な家なんて
何の問題も抱えていない絵に書いたような幸せな家なんて一つも無くて
家庭環境を少しでも打ち明けられる、気のおけない数人の仲間の話からも
その数人でさえも
明るく気丈に振る舞う仲間さえも
どこの家族関係も私の家とは違って特殊な風に見えるし、また逆もそうなんだろうし
色んな人がいるけども
何だかんだ生きてればみんな色々あるらしく
普通な人なんて誰もいなくて、普通に見えてもどこか普通じゃなくて
普通ってのは、アニメやドラマに出てくるモブ中のモブみたいな人だけども
そんな人はどこにもいなくて
多分、モブ中のモブでさえもスポットが当たると個性豊かなモブだろうし
故に
親は死ねとは思うけども
絵を描き始めたのは最近らしい
確かに絵はパッと見ると上手いんだ
背景は真っ白
人の絡みがある絵は描けない
ただし塗りは上手い
別にここまでなら何も思わなかった
嫌いになったきっかけは、そのソシャゲのイラストコンテストで優勝したからだ
優勝するとそのソシャゲにその絵が載るのだ(今のところ永遠に)
え??
あの背景もクリスタの配布で埋めつくして、人物はただの立ち絵のあの絵が?
もっと、凄い背景書いて載せてる人いたのに……
ファンの間で人気でプロデューサーに認知されてるからって採用されたようにしか思えない
何だろう……
好きな絵だったのにその人が描く絵が全部嫌いになっちゃった
フォロワーは2年で3倍になった
2000人越え
消費: 860 kcalくらい
例によって信頼しない方がいい数字なので注意。単に減った体重分の脂肪が減ってるとしたらカロリー換算が合わない。
カメラを止めるなは何だかんだ見る機会がなくて、プライムビデオに追加されてたのを今さら見る。まだ途中までしか見てないけどあれだ、三谷幸喜のアレの構造を変えてるのね。なるほどー。続きは次回。
学校で偉い(らしい)人の講演があって最後に質問ないですか?とあったので「夢は何ですか?」って質問した人がいた。
別に質問しなくても良かったんだろうけど、誰も質問なかったら偉い人に迷惑かなって思ったんだろうね。
そしたら「夢なんてないよ」と言い切った上で、「俺が持ってるのは〜〜〜というピジョンなんだ。夢じゃない、ピジョンなんだ〜」と偉い人は自己陶酔に浸りながら長々と10分ほど演説し始めた。
なんで大人って些細なことにつけこんで、否定から入るのか理解できない。
「夢という括りではないけど〜〜〜というピジョンを持っている」という質問者を肯定するような話し方ではいけないのだろうか。
私は昨年4月東京大学理科一類に入学、意気揚々と授業に臨むが……。
Sセメスターでぽつぽつと、Aセメスターでごっそり単位を落としたので自主留年した。
様々な授業に苦しめられる。
ALESSは毎週毎週締め切りギリギリに徹夜して課題を提出していた。当然内容の理解なぞできるはずもなく、リスニング力不足のせいで授業で教員の英語も全く聞き取れず、ただひたすら苦痛の時間が続いていた。
そんな中で二外の勉強に身も入らず最終的に授業に行かなくなってしまった。当然二外は落とした。
力学は未知の数学的処理を既知のものとみなして授業が進行していた。板書も死ぬほど早い、理解するより早く授業が進む。
またも授業に苦しむ。
二外は当然意味不明になって授業に出なくなる。
そしてなにより物理実験がゴミすぎる。ただひたすら実験ノート写経させて何が身につけさせたかったのでしょうね。
そんなこんなでA2ターム始まったあたりから普通に学校に行けなくなってしまい派手に落単。実験担当者にはとてもここには書けないような感情を抱いている。
英語中級が意味不明すぎる。オール英語の授業とか拷問ですか? 普通に教員の英語が聞き取れない。
二外はALESSが無い分まあまあ勉強する余裕ができたので良かった。ALESSはクソ。それはそうと二外にはとてもここには書けないような感情を抱いている。理系で二外やる意味あんのか。
ついでに下クラに落ちたが下クラとの関係性は最悪である。まあ別にどうでもよいんだけど。
何だかんだで英語中級以外はそこそこ楽しく過ごせて、結果的にフル単できた。やっとのことで勉強の楽しさを思い出せたので頑張れそうかなーって。
実験の単位が取れていた分かなり心穏やかに過ごせている。やはり実験が諸悪の根源なので滅ぼさねばならない。
まあまあ今のところ順調にできている。心穏やかに過ごせている。
ALESSと基礎実験は滅ぼさねばならない。
お尻に黒くて獣くさいかたまりをつけて走り回っていたうさぎは、今日も元気に過ごしている。黒くて獣くさいかたまりは、あれ以来見ていない。成長して自分で上手にお尻の掃除ができるようになったのだと思う。
うちのうさぎはトイレの場所がきちんと決まっているタイプで、おしっこは絶対にケージの中のトイレでする。うんちもほとんど、9割方はトイレで、あとはケージの中のトイレ以外の場所でも少し。そして、ケージから一歩出たら、おしっこもうんちも絶対にしたくないらしい。
※なお、この記事では「うんち」とはすべて丸くて黒い、いわゆるうさぎのうんちのことを指す。盲腸糞については触れない。
※うちのうさぎは盲腸糞はすべて食べるので飼い主の目に触れることがそもそもない。
つまり、うちのうさぎはケージから出して遊ばせても外で粗相をすることがない、とても飼いやすいうさぎなのである。
(ただし、病院や帰省など、長時間の外出でもまったく排泄をしないので、その点は気を揉むのだが。)
そんな綺麗好き、あるいは若干潔癖気味のうさぎだが、寝ぼけてうんちがぽろっと出てしまうことがあるようなのだ。ほんのひと粒ふた粒がうさぎが寝ていたじゅうたんの上に落ちていることがある。それも、ぼろぼろに、あるいは真っ二つに割れた状態で。
もちろんうさぎのうんちは丸くて黒い。ぼろぼろの状態で生み出される訳ではない。
これは一体どういうことなのかとよくよく観察してみると、彼は寝ぼけてうんちを生み出してしまったあと、はっと目を覚まして「しまった、出てしまった」とでも言うかのように、生み出したばかりのうんちの匂いをを嗅ぎ、そうしてから口に咥えて食べようとするのである。人間の目には、証拠隠滅を図っているかのように見える。
しかし、当然ながら食用のうんちではない。飲み込むことができずに、崩れたうんちは口の端からぽろぽろとこぼれ落ちる。うさぎはそこで諦めて、別の場所へ移動してまた寝るのである。うちのうさぎは大体寝ている。
いくら愛しいうさぎのうんちであり、ほんのひと粒ふた粒であるとはいえ、床にうんちが落ちているのは人間としてはあまり気持ちの良いものではないので、多くの場合はすぐに片付けてしまう。拾ってポイ、なにも難しいことはない。ところが、たまに割られたうんちのかけらに気づかずにそのままにしてしまうことがあるのだ。
おそらく昨夜うさぎを遊ばせたときに床に生み出されたうんちを、今朝ストッキングを履くときに気づかず踏みつけてそのままストッキングの中に巻き込んでしまったのであろう。午前10時半に職場のトイレに入ったら、左のふくらはぎの外側、ひざから5センチほど下のあたりに真っ二つにちぎれたうんちが入っていた。
最初その黒いものが何だか分からなくてホクロかと思ったが、よく見るとうさぎのうんちだった。ストッキングの中から取り出して手にとってさらによく見ると、牧草の繊維とほんの少しのうさぎの毛でできた、健康そのもののうさぎのうんちだった。
それでなんだか、おかしくて愉快な気分になってしまって、今日は一日いい気分で過ごした。うさぎを飼うことはとてもいいことだ。
私の両親は音大出身で、一応伏せるが父はとある金管楽器を、母はピアノを専攻していた。父の試験曲の伴奏を母が担当したことがきっかけで二人は出会い結婚し、やがて二人の間に産まれたのが私だ。
そういった環境だから小さい頃から家ではよくジャズやクラシックのCDがかかっていたし年末は紅白じゃなくて東急ジルベスターコンサートを観たしよく父や母が出演するライブやコンサートを見に行った。周りの大人はみんな私を可愛がってくれた。
楽器も習わせてもらった。小学校の頃から私は歌もピアノも他の楽器も人並みより出来て、友達はみんなすごいと褒めてくれた。先生もやっぱりお父さんお母さんが楽器できるからあなたもよく出来るねと多分それは純粋な褒め言葉で、私は誇らしく思った。優秀な両親の血が私にも受け継がれているんだ、私にも才能があるんとだ嬉しかった。
中学の時に入った吹奏楽部の顧問が、一度父に楽器を教わったことがありそれ以来父を非常に尊敬していると言った。勿論嬉しかったけど何だか少しモヤモヤした。顧問はよく私を褒めてくれたし吹奏楽コンクールに出場することも顧問が決めた。1年生でコンクールに出られる人数は限られているが、私はその中でも一番最初に、オーディションとかをする前に合奏中全員の前で言われた。その時にはもう私は、それって私の実力?それとも父に対しての忖度?と思うようになっていた。多分受け取り方の問題だと思う。素直に喜べばいいのに、褒められる度に「私が父の娘でなければここまで褒めてくれたりしなかっただろうな」とひねくれた思いを持った。担当した楽器を高校でも続け、この楽器で音大に行きたいと言うと両親は喜んだ。いや、喜んだかどうかは分からないが、少なくとも保育系に進みたいなと高校二年生の頭頃に言った時より嬉しそうな顔をした記憶がある。
学費など諸々考慮した結果、両親が通っていた大学に通うのが一番良いということになり、父が大学の教授に連絡を取ってくれて受験に向けての個人レッスンを受けられることになった。大学に合格し、入学した時には既に先生や先輩達の間では「○○の娘」と知られていた。私の名字が鈴木とか佐藤とかよくいる名前だったら分からなかっただろうけど、都内にはほとんど居ない名字だったからすぐに分かったのだろう。初対面の先輩に挨拶した時も大体「もしかして…」と尋ねられた。両親が在学していた時からいた教授に挨拶すると、大体決まって「楽しみにしてるよ」と言われる。それは果たして「私」に期待してくれているのか、「○○の娘」に期待しているのか分からなかった。廊下ですれ違うと大体「どう最近?親御さん元気?」と聞かれる。これは今でもそう。
それでも二年間、色々なことに絶望しながらも当たり障りのない大学生活を送ってきた。
ところが3年で、父が現在でも個人的にお世話になっているという先生の授業を受けることになった。先生は多分「○○の娘」という肩書きを抜きにして私のことを気にかけてくれたし正しい評価もくれていると思う。
先日その授業で、抜き打ちで試験があった。まだ答案は返ってきていないけれど、自分の点数が本当に悪いということを試験中から自覚している。中学とか高校の数学だったり化学だったりの所謂普通の授業だったらきっと私は笑って流していただろう。けれど今回は震えた。父と先生が話す時絶対言われる。父はよくその先生のことを私に話したし、「先生がお前のこと頑張ってるって褒めてたよ」というのを聞いたから尚更やばい。「お前の娘、知識は全然ないな」と言われるのが目に見えてる。怖い。ああこれが私が全く先生とは関わりがない親の娘だったらここまで戦慄しなかっただろう。いや今回の試験に関しては100%私が良くないのだけれど。「○○の娘」として沢山の先生から期待をかけられていて、気に入られなきゃ、好かれなきゃ、優秀な両親の娘だから私も優秀でいなきゃとずっと考えていた。昔は誇らしかったものが今では足枷に変わりつつある。きっとこれからも「○○の娘」としての周りからの期待は続くだろうし、卒業した後も音楽を続けるのであれば尚更だ。