はてなキーワード: 研究室とは
「みんなが僕を嫌う」「なんで僕ばっかり」「もう誰も信じられない」
「僕がみんなを繋いだのに」「あんなに仲が良かったのに誰も味方になってくれない」
というようなことを知り合ってから15年近く何度も何度も定期的に言い続けている友人がいる。
自分の場合は中高生の頃は頻繁に顔を合わせていたので地元の友人として仲良くつるんでいたけど、
基本的に相手からメールや声をかけられなければ、自分からは用事がないと連絡を取らないという自分の性格もあって、
彼が引っ越した大学生以降は自然と一定の距離を保って付き合ってきたので、まだ交友関係が細く続いているのだが、
知っているだけでもどうやら高校のクラスメイト、大学のサークル、バイト先複数、大学院の研究室、そしてネットの趣味の集まりなんかの人たちが、みんな離れていったようだ。
その中には友人を経由して自分とも友達になって、その人は友人とはもう連絡を取らないけど自分とは今もそこそこ連絡を取り合うような人も割といたりする。
彼と関係を断った人たちと話をすると、「女々しすぎてしんどい」「察して欲しい、構って欲しいみたいな欲求が強すぎ」
「考え方が極端な上に押し付けて責めてくる」「付き合えば付き合うほど性格の根っこがどうにもならないほどクソなんだとしか思えなくなってもう無理」みたいな話が出てくる。
20代前半の頃には「お前そのままじゃちょっとヤベェよ?」と心配してみんなで説得を試みたこともあったのだけど、結果的にその趣味のグループは離散した。
観察している限り、どうも彼自身は他人の為と信じて疑わずにお節介を焼きまくって気をつかいまくるタイプのようで、
第一印象としてはとても親切で優しい人という感じになるので、大体人の輪はすぐに作れるみたいだ。
ただ、同時に彼は同じぐらい他人も自分にお節介を焼いたり気をつかったりして欲しいようで、段々と周囲に不満を持ち始める。
そんな中、多少お礼をしたりしてレスポンスをくれた女子がいると、彼はそんなに時間がかからずにその子に惚れる。女の子の見た目はあんまり関係ないみたいだ。
が、相手にその気がなかった場合即座に失恋状態に移行し、心配して気遣ってモード全開のメンヘラ臭を放ち始める。
これが面倒で、少しでもその失恋相手を思い出させるような話ができなくなる。
そういった話が出ると遊びの最中であろうとみんなで出かけている最中であろうと、深いため息をついて沈み始め、テンションがガタ落ちする感じ。
その割に「どうしたの?」と聞いても「いや、別に……」「言いたくない……」「なんでもない……」としか言わない。
例えば「山田さん」に失恋した後は「山田」はもちろん、山の話は当然できなくなるし、
山田さんの好きな場所やモノを思い起こさせてもダメだし、苗字が多いみたいなところから連想するのか佐藤さんの話とかもダメになる。
なんだったら「昨日どこかに出かけて」という関係ない話をすると「ああ、前に山田さんと出かけた○○は楽しかったなあ……」とか急に虚空に言い出してそのまま沈む。
さらに、失恋つながりで過去の失恋経験も引っ張り出してくるようで、中学生の頃の彼女が好きだった食べ物や歌まで地雷になる。
自分はともかく他の周囲の人たちはそんな昔のことなんか知らないから気を付けようがないし、
なんならなんでも失恋状態のことに絡めようとする感じで受け止めるから気にしてたらもう何も言えないので、
いちいち相手にしてられないんだけど、彼から聞き出したところによると、そんな状態の時彼は
「傷つきやすい状態だと伝えているのに配慮してくれない」←連想ゲームの果てに失恋と絡められるから周りとしては回避不能感
「僕が傷ついていても誰も慰めてくれない」←一般レベルでいうところのかなり気をつかった状態(名前出さないとか)にはみんなしてる
「僕は友達が失恋したら絶対僕にできる範囲で何でもして慰めるのにって思う」←別にあまり慰めない。っていうか失恋した知り合いが鬱陶しいという悪口を彼からちょいちょい聞く。
「ものすごくかなしい」←ええー……もう部屋で一人枕濡らしてなよ
みたいな被害感や疎外感を味わってとてもとてもとてーもつらくなっているらしい。
そしてちょいちょい「気遣いが足りないんじゃないか!!!」って感じで周囲に文句とか言っちゃう。
まあ、みんな疲れるし面倒臭くて自然と距離開けて、それを察知してさらに壁を作って解散っていうのがお決まりの流れ。
たまに相手の子が好意を受け入れてくれたりもするのだけれど、まあ大体あまり長続きせずに別れて同じようなルートに突入する。
長続きしない理由が、一緒にいる時間が長くなると、彼が少し気持ちが落ち込んでいるときに何気ない行為や言動から
「以前好きだった人との悲しい思い出(本人はトラウマと言う)を思い出して勝手に傷ついて配慮を求める」から、
女の子が付き合いきれなくなって一緒にいるのがしんどくなる感じでもうどうしようもない。
あと「僕が好きだった人を君にも好きになってもらいたい」みたいな理屈で、
本人は一切悪気なくめっちゃ今カノが会ったこともない前カノとか昔の片思い相手の話とかをしまくるし比べる。正直これもないわーって思う。
けれど彼にはどちらも周囲が自分から距離をとる理由がどうしても納得いかないしわからないらしく、「また裏切られた」だのなんだのブツブツ言う。
そして彼の去った後のコミュニティの残骸には、結構な高確率で割と幸せなカップル(片方は彼が好きだった女子)が生まれるという不思議な感じになる。
そんな彼は、どうも完全に一人でいるとさびしすぎて、すぐに心のお医者様にかかり始めるレベルで堪えられないようで、
割と何をどうやってるのかわからないくらい次から次へと新しいコミュニティを作っては異性を見つけて好きになる傾向がある。
毎回「もう恋愛は疲れた」「2度と彼女は作らない」って言ってるけど、言いながらもう別の女の子と「この子は友達だから」ってメールしてる感じ。
最近、いつの間にか同棲までしていた彼女と別れたようで、Twitterとかで今触ると面倒そうな感じがバリバリと出ているのだけれど、
それがどうも今回は職場でも出ているっぽくて、急激に職場の人たちから距離をとられて、やっぱり理由がわからなくてさらに凹んでいるようだ。
こういう人、世の中にそこそこの頻度でいる気がするんだけど、みんなどうやっていなしているんだろう。
今回の沈みっぷりを見るに、今週末あたりそろそろ彼から連絡がくるような気がするので、
何も考えていない、わけではない。でも、考えたことはだいたいその場にそぐわない気がして、話せない。
「その日の昼に何を食べたいか」「旅先で半日空いた時間をどう過ごすか」などはできる。そういう話ではなく、「将来どんな仕事に就きたいか」「研究室でこの先どのような研究を行いたいか」など、自分の将来に関わることにはっきりと答えを出せない。
思い起こせば元々そういう生き方をしてきたのではないか、と思う。昔から、自分で何かを考えたことがない。
決断こそ自分でしている(させられている)ものの、基本的に親の敷いたレールの上を走っていた気がする。
例えば、「あの習い事格好いいよね」と親に言われ、その気になって習い事を行っていたり。
「お前は理系の方が合ってるんじゃないか」と言われ、調べてみて自分でも向いていると思ったり。
自分で、やりたいと思ったことはなんだろう。自分の意志で決めたことはなんだろう。
そんなものはなかった。結局は、なにも自分で決めていない。誰かが推したものを好きになったり、その気になったりしてやっているだけだった。
私はいったい何をしたいんだ。何を思って生きているんだ。
答えが欲しい。でも、答えがないことは分かっている。
だからこそ、終わりのない地獄が、いつまでも頭の中でぐるぐると渦巻いている。
【2017 7/5 追記】
何が好きなのか、何が嫌いなのか、何をやりたかったのか。
少しずつでも、頭の中の自分と向き合おうと思った。
以下のうち一つでも当てはまるとブラック研究室の可能性が高いので、避けた方が無難です。
・コアタイムが平日および休日の6-23時で、飲み会などで親睦を深めたり外部の人と接触したりすることを禁止されている。
・夜の1時にちゃんと仕事をしているかの確認の電話がかかってきて、翌朝までにこなすべき仕事を指示される。
・お前の研究には価値が無いからと言って、サンプルを目の前で廃棄される。
・5年や10年、飲まず食わずでサイエンスにサティスファイすることを要求される。
・「お前はもう研究をやめろ」と言われた研究員が、その翌日にとても綺麗なデータを出す。
・教授と准教授がお互いに「キチガイ」と罵りあって、取っ組み合いの喧嘩を始める。
・研究員が他の研究員を刺す。翌日にはその研究員は最初から存在しなかったことになっている。
・上記の項目が隠蔽されている。
大学院を中退する人のブログを読んだ。ブログ作者は新しい場所で良い人生が送れると良いと思う。
私は運よく大学院を修了できることになって、数日後に博士の学位を授与される予定である。
件のブログの人に比べたらはるかに温い環境だったので、修了できたのだと思うが、それであっても学位審査はこれまでの人生で一番つらかった。博士の審査とは、ストレス耐性の審査だと感じた。
大学院生とは、この現代日本において、年間54万も払って奴隷労働しに行く種類の人間である。まあこれは分野によって違うが、私は分子生物学分野だったので日々単純労働を長時間続ける毎日を送った。どれだけ長時間実験をしても、良い結果が出るかどうかは運に依る部分が大きい。テーマが良くなかったら、優秀な人でも結果は出せない。テーマの問題で結果が出なくても、責められるのはテーマを設定したボスではなくて、結果を出せない大学院生である。そのテーマが無理だとボスに理解させるために、ネガティブデータを出し続けるような状況になると疲弊が加速する。良い結果が出てれば心が落ち着くかというとそうでもない。いい結果が出たら、次の結果を早急に出すように求められる。結果が出れば出るほどプレッシャーはきつくなる。結果が遅かったり、途中で壁にぶつかったりしたらまた叱責である。自身が大きな業績を上げたような教授はかなりの割合で、某居酒屋チェーン創業者と同じメンタルである。自分が出来たことなのだから、自分の下にいる人も出来ると思っているし、出来なかったら出来ないやつが悪いのである。
研究だけなら、自分が好きでやっていることなので、それでもまだ納得できるかもしれない。しかし、大学教員は「教育の一環」という言葉を使えば、どのような仕事も大学院生に割り振ることができる。私の分野では生き物や共通試薬の維持・管理に始まり、共同研究の実験、大学のイベント(オープンキャンパスなど)、セミナー・シンポジウムの数合わせ、セミナー・シンポジウムの運営手伝いなどである。このうちのイベント・セミナー系は休日に行われることが多い。職員は休日に出勤すれば代休が取れるが、大学院生は「自主的に」参加させていただいている身分なので代休は無いし、もちろん給料も発生しない。時間のかかる実験をやる場合、このような仕事で時間を分断されると、思うように実験が進まない。そしてまた結果が出ていないと叱責される。
そんなに叱るようなボスのところを離れて別のラボに移れば良い、というアドバイスも見かけるが、そう簡単な話ではない。早めに見きれればいいが、博士後期課程の途中でラボを移るのは、それはそれで賭けである。件のブログの人の場合、あと一年という状況だったということなので、そこでラボを移るのは難しいだろう。良い環境に移れば、時間をかければ学位は取れる。だがそれは、奨学金の貸与を打ち切られた上で学費と生活費を払える程度にお金を持っている人に限られる。
研究室にいると精神が疲弊する。研究室のドアをくぐった瞬間、体が重くなるというのは複数のラボの人間から聞いた。私もそういう感覚を覚えるときがある。疲れて家に帰って、ネットで愚痴を書くこともあるだろう。そうしたら、研究の世界はやりがい搾取だとわかっているのだから進学した人の自己責任だの、休みがとれない程度のことで愚痴をいう人は研究者に向いてないからやめろだの言われる。コメント数の少ない記事だと、はてブでも厳しいことを言われていることが多いように感じる。将来の不安について語ったら、それが「ボンボンの甘えにしか見えない理由」などをリストアップされる。作家や芸能人と同じ枠だと主張する人に出会う。
ネットに疲れて実家に帰ったらば、家にやってくる親戚から穀潰しだと思われる。実際、何をやってるか知らない人が見たら、借金までして毎年54万も博打に使ってるだけなので仕方ない。そしてその結果得る博士号は、日本では足の裏の米粒である。これは取っても食えないという意味であるが、それに加えて、周りの人から何も思われないということでもある。私が今年学位をとることなど誰も気にしない。
そして、このような状況で日本は「科学技術創造立国」を目指しているそうである。どこかで日本人研究者が華々しい結果を出したら、政府関係者や多くの国民はそれを褒め称えるだろう。その裏には何人もの大学院生やポスドクの屍が転がってるかもしれないが、そんなところ誰も見てはいない。
「結婚して安定した生活をしたい、子育てをしたい、まともな人生を送りたい」
わかったわかった。そのために年収のあるまともな男と付き合う必要があるのも確かにそのとおりだ。
しかしあんたのプロフィールで選んでくれる同い年〜年上の男って誰だ?
彼らは彼らのステータスで周りにモテているから、候補者から選ぶことができる人間だ。
あんたはその候補者の中で一番になれるのか?そんな悪条件にあんたのタイムリミットまでの時間を投資していいのか?
まず第一の理由として、彼らの生活には女性の供給が圧倒的に足りない。彼らの研究室の男女比は9:1(女は全員変人)で、学部時代のサークル仲間の大半は就職して疎遠になっているはずだ。
あんたがどんな職業年齢外見だとしても、女性でありさえすれば価値がある。
あんたが職場で下からニ番目のブスで、世代別でみた年収偏差値が40の人間でも、彼らにとってあんたとの会話は特別なイベントになるんだ。
次に、彼らの多くは保守的だ。
理系学部卒にも高給取りの職はある(ITメガベンチャーとか)。しかし院生はそういう職を選ばず、保守的な大企業を志望して大学に残っているんだ(研究者を本気で目指している奴は少数派の変人)。
保守的な人間であれば人生に保険をかけようとするし、主流派の生き方を志向する。それは安心して生きるためだ。あんたの希望と合致するんじゃないか?
最後に、彼らは頭が悪くない。
彼らは女性とのつきあいかたを知らないだろうし、妙に上から目線なところもあるかもしれないが、学習することは嫌いじゃないし、一度気づけば物事に対し想像力を働かせることもできる。理不尽な言動も少ないだろう。
彼ら自身異性交友の経験値の低さは劣等感を感じるところだろうから、そこを適宜補ってくれるあなたは院生にとって有難い存在になるはずだ。
まあそんなわけで、1〜2年内にかなり良いところの社員になるだろう彼らと仲良くなる資質は、
しかし世の中の人のほとんどは1-2年のスパンで物事を見れないから院生を見向きもしない。だから彼らは余っている。
http://anond.hatelabo.jp/20160311110122
http://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/2961/1/1.pdf
そもそも、ミュンスターの都市交通政策は、1980 年代に渋滞を緩和させるためにはじまった。
(1) 渋滞の緩和:都心部から車を排除する政策をとって1年で、渋滞がなくなった、ビジネス効率が高まった、等の目覚ましい効果。
(2) 交通死亡事故の激減 :交通死亡事故が激減した(初年度 死亡事例 0 件)交通事故の死亡事故は、自動車がからむから起こるのであり、自動車が通行しなければ事故はあっても死亡には至らない。
道路から自動車という専有面積と重量が大きく高速で動く存在が無くなれば、重大事故原因要素を根本から無くせるため。
(3) 医療費の大幅削減:・ 医療費の大幅削減に成功し平均寿命がのびた。自転車政策が立ち遅れているイギリスでは、環境ではなく医療費削減の目的で自転車政策が始まった
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
自動車から自転車への乗り換えが重大事故を減らすんだよなぁ。善良だよなぁ自転車って。
じゃけん歩行者と自転車を守る為に自動車への規制取り締まり強化をがんがん警察と議員に要請しましょうねえ~
http://news.azwad.com/post/31975473123/1
自転車の数百倍以上他者に対して危険で、公害性も高く、免許制な乗り物である乗り物= 【自動車】 であるが、その実態は
http://homepage2.nifty.com/onami/social/kr-02.htm
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
横断歩道でさえも歩行者自転車の安全が、自動車の交通犯罪暴行行為により侵害されています。
横断歩道、93%の無関心 横断歩行者等妨害等違反の自動車の多くは、速度超過も併せて犯しているという惨状は、取り締まり強化要請の継続で打破しよう。
http://pon-s.tea-nifty.com/blog/2006/08/zebra_crossing.html
無信号の横断歩道で自動車の9割が減速しない: Vitz and Eco life
http://heritage.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/yomiuri-online-.html
87%が違法運転、というクルマ社会の惨状 ( その他社会学 ) - ujiin - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/nmiaitjhuaabghna/8409954.html
停止しないドライバーが3割?いやいや、警察を相手に抜け抜けと交通違反を宣言するドライバーが3割ということ。
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20130329/1364566973
『親に言われ、先生に指導され、行政に従って渡る青信号の危険!』 命と安全を守る、歩車分離信号普及全国連絡会
http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/gyouseki/car4.html
http://blog.goo.ne.jp/utukusiinatu/e/c76fb5968700d77d3b3720ef8efa7950
クルマ社会を問い直す会
学生時代の話。
学生時代に本格的に付き合ってた人がいた。
野暮ったい感じだったけど、磨けば光る系の人で、
せっせと磨いて自分好みにしてたのに、他の学校から入ってた1つ下の後輩にとられてしまって。
同じ学部、研究室だったから、イヤでも毎日顔を合わせるわけで。
まぁ、そんなこんなでなんとかやりつつ卒業したわけだけれども。
卒業直前に、その後輩が私とその付き合った人が毎日一緒にいて、同じ空間にいるのが気にくわないとかなんとかで、
別れて、私の一番仲のよかった友達と付き合い始めた。
その友達も、同じ学部・研究室なんですけどね?私達の経緯を全部見てたんですけどね?相談もいっぱいしたんですけどね?
誰を好きになろうが、付き合おうが。
その辛かった大学生活の時の夢を今も見るんですよ。
今はもういい人と縁あって結婚して、子供までいて、あの頃より確実に幸せなんですよ。
それなのに、たまに夢にでてうなされる。
なんでなんだろ。
4年の春に研究室に配属され、
まあ年明けごろから研究室に行こうとするだけで脇汗と寒気が止まらなかったので、
疑問なのだが
これでは自分が研究に向いていないことに気付いた頃には就活はもう手遅れなのである。
せっかく大学院にも受かったのだが
どこで人生を間違えたのか。
どうすればレールから外れなかったのか。
歌手になりたいなぁ
うちは教授が方針たくさん学外から取ってた。俺は学部は東大の工で修士は新領域に行ったんだけど、新領域ってまあ名前の通り新領域なことをやるのが本義なのね。本郷の○○学部でやっていけなかった先生が流れてくる場所じゃいけないんだよ。それ○○学部でできるじゃん、って研究ばっかりな中で尖った研究してたのは外部から入ってきた人たちだった。研究室内でも議論するときにはとてもいい刺激になった。修士くらいってまだまだディシプリン身につけなきゃいけないレベルなことが多くって、やっぱその意味で粗削りすぎるだろって感じになったことは自分の研究についても反省するところだけど、まあその分学んだことも多かったよ。
まさに君が問題を指摘している「研究テーマだけは壮大ですが、その実質は…」というやつだね。要はバランスだと思ってる。分散が大きい中で、良いバランスや相互作用を出すように配分したら、そういう例が出てきて当然だし、その担い手が「ロンダ」っぽい人に偏るのは必然だね。構造的欠陥ってやつだ。
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ある夜、喫煙所で ―君が言うロンダ組は喫煙率もやったら高いんだよね― ひと悶着あったんだ。あんたみたいな人が、そのままそういう内容を本人たちに向かって口にしたわけよ。結局、みんな適当にスルーしたけど。場を離れた後、学部東大出身の先輩がブチ切れてて。「あんなクソみたいなやつらの言葉に耳貸す必要ないわよ!」ってね。他大出身の後輩の中には、萎縮しちゃった人もいたので、迷惑ーって思ったね。
「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」という理想の実現はそう簡単じゃない。せっかく賢いなら、その「ロンダ」に対する視線の代わりにもう少し建設的なことをお願いしたい。もし、入ってきた人間が、その研究室に関わりのあることで君が学ぶべきところが全くないとしたら、そもそも十分に研究の議論をするような雰囲気を作れていないとかそういうことを疑って改善すべきで、その研究科の入試が極端に杜撰だとか、君が perfect human だとか仮説立てるのはセンスが悪いと思うよ。もちろん雰囲気とか機会とかの問題は教員の問題も大きいのだろうけれど。
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ロンダがしやすいと言われている場所ってのは、教員たちが既存のディシプリンで一次元的に測れる能力以外の部分をなるべく推し量って、政府流行用語つかえば「イノベーティブ」な研究教育を志向して体制組んでるんだよ。それがロンダと揶揄されるのは、その試みが十分に成功していないという問題でもあるんだろうけれど、少なくとも既存のディシプリンに浸かった上にそれに反省がなさそうな君(「学部の継続で修士に進み」というあたりを自信たっぷりに言ってるあたり)が批判しているのを見ると、君みたいな学生を取ったことの方が間違いだと思う。それは君が無能だという意味ではなく、相性の問題で。別にディシプリンしっかり身に着けているに越したことはないけれど、「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」を目指すのに一緒にやっていける学生を取るべきだから。もちろん、冒頭で少し漏らしたように「本郷の○○学部でやっていけなかった先生が流れてくる場所」という側面もあるし、現実はそう単純じゃないけどね。境界めいたことをしてきた大物の先生たちに飲み会でどういう道筋をたどってきたか聞いてみるのも面白いよ、いろんな転換をモノにしてきている先生が多い。
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元増田に批判的な書き方になったけど、学際領域が抱えるあるある問題で、ちょっとその点に関する研究教育の在り方が進歩しなさすぎだよね。もう少し研究室間とかで良い相互作用を起こすための知見とかが共有されるべきだとか、研究科としての改善は必要だと思う。元増田も関係しそうな読者もロンダと言われている人たちへのマウンティングではなく、学際領域での研究教育の問題として捉えなおして考えて欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20160306221417
おそらく、
当方は某宮廷院卒だが、正直理系文系の区別はナンセンスだと感じる。
1でも感情的な人間は多いし、2でもロジカルでない人もよくいる。
3で感情がないような人間もいるし、感情と天秤にかけて意思決定しているやつもいる。
だから理系だから感情がないととか、理系だから合理主義というのは偏見にすぎない。
多くは普通の人とそこまで違いはない。
(研究室生活してれば、まるで中学生の夏休みのような生活をしているのは結構いる)
強いて言えば、ロジカルシンキングができる人間の割合とメガネ率が高いことくらいだ。
たまに勘違いして自分のこと頭いいと思い込んでいるのもいるけど、
多分そういうのが勘違いしてネットで声を荒げているから目立っているだけで、本当にみんな普通。
なので、少数の共感性の低い理系や頑固な理系を見て全体がそうだと思わず、
4年ぶりに書くけど、堀先生や碓井先生や山田先生がいた頃が懐かしいなぁ。
今はHPを見ると退任された方が多く、見覚えのない先生も何人かいました。
今の地理学科はどんな感じですかね。
偏差値が自分がいた頃より10近く下がってるのを見るとやるせない気持ちになります。
ちょうど海津先生が赴任して来られたばかりの時でした。
彼の授業では英文を使った海洋学や地質学が盛んで皆で囲んで訳す作業で、毎回宿題を出されて英文和訳を提出してたっけ。
三木先生や土平先生、山田先生とのフィールディングは実に有意義だった。歴史、城郭、地誌、測量などなど、今の仕事に大いに役立ってる。
もうおられないかもだけど池田碩名誉教授が研究室を勝手に占拠してるって話を彼のゼミ生だったF氏から伺った時は本当に爆笑だった。
池田先生の授業も相当面白かったよ、今となっては良い思い出(評価は可よくて良ばっかりだったけどw)。
堀信行先生の授業は正直最も議論が白熱したのではないかと思う。
当時専攻してた環境地理では、気候学より水文学の話が面白かったよ。ダヴィンチのモナリザの絵から地理的情報を読み取る方法論は今でも為になってる(『水の原風景』は名著)。
僕はあの頃が一番好きだった。いつか奈良大学に色んな事を報告できれば良いなと思う。
志望動機を他人に教えてもらわないとわかんないなら、そもそもなんで院試うけたの?
「自分は研究に向いているのかいないのか」よりもまず、「自分は研究がしたいのかしたくないのか」を問い直したほうがいいんじゃない?
最近はてブで「大学院に進学することの意義」みたいな記事に対するコメントをいくつか読んだのですが、すごくモヤモヤしてます。
最初に見たのはこれだけど
研究に向いてない学生には全力で就職活動をさせたほうがいいと思うよマジで
あとはそれに対する批判的な反応とか
研究者になれるかどうかは研究室選びにかかっている 〜学生のことを考えてくれる研究室選びのすすめ〜 - つなぽんのブログ
自分は研究者に向いていない? 〜研究者に必要な資質とは〜 - つなぽんのブログ
これに先立つ、主に修士向けの人に書かれたっぽいやつとか
理系大学院に進学するメリット・デメリットを実体験を振り返ってお伝えしたい - なぎぶろ
理系大学院に進学するメリット・デメリット記事へのコメント返しと情報の追記を試みる - なぎぶろ
「まだこの世界のだれも知らないことを、自分の手で明らかにしたい」
という欲求です。
というはそうだなーって思って、よくよくみたら最初のブログの人と割と近い認識っぽいのになーって思ったんだけど、それより2つ目のブログの人のいう「研究課題を心から「知りたい」「明らかにしたい」と思って言っていること(略)(私はこれは素質ではなく、指導によって伸びる部分だと思っている。)」とか3つ目のブログの人のいう「研究に対しての関心や探究心を出させるのは教授の仕事でもある」というのがどうにもわかんない。博士号とってアカポスいく人も修士でて就職する人もこういう核心っぽいところで同じような観点になるのは興味深いんだけど
tsunapon氏のほうは2つ目の記事での「研究者に必要だと考える素質は、まだ(略)を自分の手で明らかにしたい」っていうのも「研究課題を心から「知りたい」「明らかにしたい」と思うのも指導によって伸びる」というなら、じゃあ大学院に行くのは誰でもいいのか、あえてこの自分でなくてもいいんじゃない?なのになんで私こそが大学院行くの?ってとこがよくわかんないし、
nagitaka氏も最初の記事で「学部生の場合、(略)自分が研究に向いているか否かなんてわかるはずがない。」とか書いてるけど、2つ目の記事にあるように「研究に対しての関心や探究心を出させるのは教授の仕事でもある」みたいな丸投げ見ると、そもそもそれって研究への向き不向きを考える以前の問題じゃないの?って思ってしまう。
なんというか、最終的に自分の胸によく問いかけて決めるべき重要なところの判断を教授とかにすごく介入されてるっぽいんだけどそれでいいのか?(もちろんはじめから修士でて就職するつもりで入学するなら話はぜんぜん別だけど、だったら研究への向き不向きとか考えずに割り切って就職予備校としての利用に徹すればいいだけだし)
いや、理系医学部以外の最高峰の物理学科なんてロンダ率ひどいぞ。
そもそも内部学生70人くらいに対して院の店員が300から400人位だからな、
ただ、特にその辺の学生は一応入るときは結構本気で研究しようと思って外部から来る子も多いんだよね、実際。
だけどその殆どが入ってすぐにムーリーってなって一気にただのロンダモードに入って就活しかしなくなる。
まあ、可哀想なもんなんだよ、東大に入り込んでちょっと有頂天になって地獄に突き落とされてそこから逃げるようなもんだから。
死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。
大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。
ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県の西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。
テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭な意志を21世紀でも保っている。
死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。
腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。
祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史大辞典』にかぶりついた。
その頃の近江は一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護の六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。
私は大学の研究室の院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室と国文学研究室に行って、室町時代の言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母のアドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてものは時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母は明治4年に死んだ男の死体を蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論で室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。
春休みに近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだ。オリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。
山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから。
ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的に死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代の言語や常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成の研究をしに理学部か農学部へ行きたかった。
洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚の近江出陣の際には公家も近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。
これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ。
精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体の教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。
「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉があなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ。国文学研究室の富田先輩ありがとう。
…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージが五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家の女性が見える。平安時代のオカメで十二単のイメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代の人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生の素体になってくれるよう語りかけよう。
「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しましたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校の非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。
「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなたの時代の言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日はあなたにお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。
「あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなたの精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」
「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動を説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。
「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教が現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女は蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルールで現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。
「私は京都の六角富小路に邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江を根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから、武家奉公人の生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」
彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。
「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家の生活。今まで見知った知識や噂話全てから、ひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで。衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女に21世紀の平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ、彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと身勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。
好奇心とイマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽のマンションにやってきた。
アホ臭。東大の奴らってこういう奴ら多いよなーって印象。
私立医学部出身だけど、東大で威張ってた意識高い系がまったくレベル低いパターンのほうが多い。
つか、東大医学部出身で尊敬できる人とか、一人もいない。俺が言うだけでなくエリートの共通見解だと思うよこれ。東大の教育レベルは低い。
そんなところで指導がダルイとかもう権力にアグラかいてるだけとしか言えない。
普通海外の大学では、教授なんてのは先進的な研究をこれからやろうって人に与えるんだけど、日本の教授制度は頑張ったで賞だから、元増田みたいな奴が偉そうにするんだろうね。
人の才能の鉱脈なんて誰にも分からないよ。分かるわかると賢しらに言うのはたいてい勘違いの意識高い系大二病。
それこそ、「学生時代クズだった奴が、いろんな経験して目覚めて今世界トップクラスの研究者」とかいくらでもいるでしょ。
あるいは空手の経験、あるいは超絶金持ち生まれでパーティー経験、そういう業界で他の誰ももってなかった思想や経験がたまたま研究とマッチして結果出せる。みたいなのいくらでもあるんだから、人格で才能をどうこう判断するなんて不可能。
あと、やる気なかろうが、あろうが、関係無い。結果を出す出さないなんて関係無い。
よく言われるんだけど、賢しらに流行ってる研究だけ追ってテクニックだけで研究結果出す奴多いけどさ。
道の構想作る能力なんて、人間には分からない。ドカタする能力はそりゃ分かるけどな。そういう意味での『エセ研究者』が元増田の言う研究に向いてる人ってことだろ。
実際は統合失調症でマジでそこら徘徊してる廃人みたいなのが10年単位でレベルの違う研究とかよくある。
こういうのを切ってるから、論文製作マシーンの東大脳はクズなんだよ。そんなドカタみたいな研究やって恥ずかしいわ。だったら、研究者じゃなくて、ドカタやってろよ。
山中さんの研究室、最初は数人しかつかなくて、その数人すらスグ消えたんだろ?そういうの、恥ずかしいんだよ。なーにが本質を見てるだよ。世の表面的な流行に乗ってるだけだろ。馬鹿らしい。
今年の卒論・修論が一段落した.そこで思うのあるが,研究室で学生をみていると,学部・修士・博士を問わず,研究(者)に向いているかってのは,かなり簡単に判断できるよな.研究者として就職できるかってなるとまたコネなど色々な要素が関連してくるので一概にいえないのだが,たとえば「こいつにファースト(筆頭)で論文を書かせて査読を通せそうか」あるいはそういう人間に成長しそうかってのはけっこう早い段階で分かる.
論文の元となる調査や実験そのものには失敗がつきものなので,卒論や修論の研究が頑張った割にいいものにならないってのは,運の要素もある.しかしそこはおいといて,「そこそこ意味のある調査結果が得られた場合に,通るんじゃないかと期待を持てる論文を書けるかどうか」は,レポートやプレゼン資料や論文を書き上げる際の態度みたいなもので,かなり判断できるのだ.
その態度というのは,昔から言われている平凡な真実なのでわざわざ言うほどのことでもないんだが,結局のところ研究の目的,つまり「何を明らかにしたいのか」をしっかり考えているかということに尽きる.要は「問い」がしっかりしているかどうかということだ.
の2点な気がする.「問い」が明確に定義されているかどうかってのも大事なのだが,それは結局,先行研究を掘っていく中ではっきりしてくるものだと(少なくとも俺が関わっている分野では)言えるので,上記2点をみていればだいたい学生の資質は分かる.まぁ,見ていればっていうか,自然に見えてくるものなので,特に頑張って見極めようとしているわけでもないんだが.これらは,「目をみれば分かる」というと文学的すぎるがそれに近いものがあって,ちょっとした会話やメールの文面なんかにも如実に現れてくる.
それで最近思ったのは,上記2つの態度は,指導してもあまり変わらないんじゃないかということだ(もちろん人は変わることがあるので,見切りを付けるのが早過ぎるのも問題だが,多くの人がイメージするよりも早い段階で,簡単に見抜けるもんですよということをいいたい).
先行研究で既に明らかにされていることは何で,いま自分が取り組もうとしているテーマは先行研究からの文脈上にどう位置づけられるのかが「気になる」かどうかというのは,かなり「性格」に左右される問題なんじゃないかという実感がある.真面目な学生であれば,調べろと言えば調べるのだが,言われなくても調べるorまだ調べて無いけどこれから調べなきゃという意識を自分で持っている学生と,そうでない学生の間には,大きな壁がある.
また,「問い」が切実であるかどうかというのも,結局は「本当のところどうなのかが気になって仕方がない.だから考える」「人がまだ考えていないことを俺が考えて明らかにしてやりたい」という,ほっといても調査や考察が加速していくような「性格」を持っているかどうかで,ほとんど決まる.
勉強が好きで,「研究者」という存在になることそのものへの願望が強い学生であったり,非常に優秀で要領の良い学生であったりしても,上記2つの「性格」を本当に持ちあわせていない奴はけっこういる.そういう奴には,民間企業や,役所(事務官・技官を問わず)への就職を勧めることにしている.
たとえば,とても「知的」でしっかり教科書などを読んでいて,「研究」という活動に憧れを抱いているんだけど,自分の頭で考えたことが何か素晴らしいものであるとの思い込みが強く,他人の研究を参照する努力を怠ってしまう奴がいる.少し調べると,自分ごときの思いつきなんていかにショボイものであるかとか,すでに30年前から議論されているのだというようなことがすぐにわかるのに,それをやらない.
また,めちゃめちゃ頭がよくて努力を惜しまないのだが,何か本質的なことを「明らかにしたい」という願望を強く持っていない奴がいる.そういう奴は,たとえば大手のコンサル会社などに就職すると,極めて有能なビジネスマンになっていたりするのであるが,研究職には全く向いていないのだ.
たとえば東大の学部から大学院に来た学生は,地方の国立やそこらへんの私大出身の学生よりも優秀なことが多いのであるが,上記1と2を持ちあわせない東大生は,結局のところ研究者としては,それらを持ち合わせる他大出身者にかなわないのだ.東大生や京大生は,不向きな道に勘違いして進んでも,脳のスペックである程度まで押し切ってしまうことも多いのだが,どこかで壁に当たるというか,研究に飽きてしまうようなことも多いように思う.(しかしなんだかんだで,旧帝大出身者のほうが,上記1と2を持ち合わせる学生が多いような印象はある.頭がいいけど研究者として使い物にならない学生は,上位私大に多いかな.)
※注記しておくと,オボ何とかさんみたいなのはそれ以前・以外の問題を色々抱えていそうなので,あまり興味がない.
それで,他の大学や研究室の教官に言いたくなることがよくあるのは,研究者としての見込みの無いやつに,研究者としての自分のやり方みたいなものについてくることを過度に期待するのはやめたほうがいいでしょということだ.学生本人がどんだけ優秀であっても,どんだけ「研究者」にあこがれていても,向いてない奴には全力で「民間就職」へ向けて頑張らせるべきだ.大学や大学院は研究の場であり,研究者としての姿をみせるのが仕事だと思っている教授・准教授は多いのだが,研究に向いてる学生なんてそう多くはないのだから,卒論・修論は適当にすませておいて,就職活動をがんばるようにと早い段階で言ってやったほうがいいのだ.
あと,研究者としての見込みがないことを見極められずに,うちの研究室に学生を送り込んでくる他大の先生方にも困るときがある.まぁこっちは研究室としての学生受け入れの枠はけっこうあるから,最低限の水準をみたしていれば進学はさせるし,途中で化ける奴がいないとは言わないけど,どっちみち民間就職したほうが活躍できる人材には,手前の段階でそのアドバイスをしてやったほうがいいのではないか.
まあ,研究に向いてなくても,修士で2年間研究に取り組んだという経験が,企業に入ってからとても役にたったというような話はよく聞くので,そういうのを無くすべきとまで思っているわけではない.こっちは研究が本職だから,研究に向いてないやつに指導をして,とりあえず学位をとって卒業するためだけの論文の添削をしたりするのもダルいのではあるが,そうやって民間就職組の人生の糧になるようなものを与えてやるのも,大学人としての義務の一つだとは思っている.てか,そういう義務の意識のない,研究の世界に閉じ込もっているような先生に限って,学生の向き不向きの見分けが付かずに「無駄な進学」や「無駄なゼミ出席」を量産してるんじゃないかという気もするが,どうなんだろうね.俺はどっちかというと,「ゼミなんか出なくていいから企業説明会にでも行ってろ,単位や学位をギリギリもらえる程度に仕上げるための指導はちゃんとしてやるからな」ぐらいの意識なのだが.
そういえば学部3年から就職活動をするのが,勉学をおろそかにしているとかいって問題化していたと思うが,それもそんなに大問題なんだろうか.たしかに大学人としては,学生には,たくさんの論文や教科書を読み,データとにらめっこしながらああだこうだ悩むような学生生活を送って欲しいという思いはあるものの,結局のところ研究に向いていない学生にとっては,「そこそこ以上の待遇の会社に就職できるかどうか」のほうが人生上のインパクトがはるかに大きいのだから,もうそっち優先でいいんじゃないのかと思う.
最近進んできたように,企業が一致して就活期間を短縮すれば,同程度に就活を優先していても勉学に割ける時間は多くなるだろうが,「最初にどこに就職するか」はかなり大きく人生を左右すると思うので,就職について考える期間が長いほうがむしろいいという気がしなくもない.
というか,周りでも「就活優先でいいんじゃない?」派の人が多いので,新聞などで早期の就活が問題だと書いてあっても,そもそもそんなの問題化してたっけ?という疑問はあるのだが.
だいたい,研究職についている先生方の中にも,学部自体は遊び呆けていて院に進学する間際でなんとなく勉強し,その後なんとなく大学に残り続けているって人はけっこういるぞ.そしてそういう人が,割と尊敬に値する研究業績を挙げていたりもするのだ.そういう先生方は,本質的に研究に向いていたから宿命のようなものに沿って研究者として生き残っているのであって,「就活より勉学を優先したから生き残っている」というようなことは全くない.「この人が他人の講義に真面目に出席して聴いてる姿なんて想像できない」って人だってけっこういるしな.
浴びても害が無いような薬品やバーナー程度の火しか扱わないとはいえ、男子トイレの入り口に緊急用シャワーが用意されていた。普段使いに転用できるようなシャワーではなくて、一回付けたらタンクが無くなるまで水が出るような本当に緊急用のシャワー。
そうそう事故も起きないので、誰も使うことのないまま数年が過ぎたころ、スイッチ部分に「緊急時以外使用禁止」と書かれた札がぶら下がるようになった。しかし、このシャワーが使われるのは、当人が慌ててたり、周りの人が水をぶっ掛けないと危ないととっさに判断したから緊急用シャワーを使うわけで、その判断を鈍らせるようなものを付けるのは何か違う気がするなぁとたまに見ては思っていた。
世間は受験シーズンもいよいよ終盤。受験生たち、保護者たちも後の大学生活を視野に入れつつあるだろう。
学生寮には試験日になると暇な親や試験後の高校生達が見学にやってくる。
家庭が貧乏だった私ももれなくその1人だったのだが、ぶっちゃけ見学に言っても何処を見れば良いか分からないだろうな、と思う。
せいぜいボロすぎる建物に引いたり、左翼系の落書きにビビったり、意外ときれいだわ〜とか思ったり。
寮が出してるパンフレットなんかは基本的に「寮最高」みたいな情報ばかり載っていたりするが、良い点様々あれど決して最高ではない。月何万も払って下宿に住む価値はそれなりにある。
このエントリーでは、初見では分からないであろう見学するときに調べておくと良い点や、寮の条件などが意味する所を、寮生活4年目のベテラン視点で考えてみたい。
とはいえ、このエントリーに書いてあることは一寮の一寮生の視点でしかないことはあらかじめご了承願いたい。寮によって状況や内部システムは様々なので、この視点がどれだけ他に適応できるものなのかは分からない。
・自治寮
・男女混合、数百人規模、留学生多数
・寮費5000円以下
・4人部屋
以下本題。
これで寮の性格は大きく変わる。
住んでる学生が管理してるのが自治寮で、大学が管理してるのが管理寮。
一般的な寮は管理寮だと思うけど、自治寮が派閥を効かせてる大学もそこそこあるね。ウチもこれです。北海道の恵廸寮なんかはNHKの密着取材を受けたりして露出が多いね。
管理寮については憶測でしかないんだけど、それぞれの特徴はこんな感じかな?
「管理寮」
・さすがに2人部屋が多いんじゃないの?と思ってます。1人部屋もあるところはあると思います
「自治寮」
・たいてい寮費が格安
・1人部屋はあまりない。ウチは4人部屋
・「寮の仕事」がある…当番や委員会、会議出席の義務など。一個一個は大したことないとはいえ、積み重なると結構めんどくさい。
簡単に解説すると
自治寮で「寮の仕事」があるって言うのは、管理寮で「寮母さん」「守衛さん」「大学局員」が請け負っている仕事を、全部学生たちで分担しているということ。例えばトイレが詰まったりしていたら、管理寮だと放っておいたり寮母さんに言えば、後は勝手に直っていたりすると思うけど、自治寮だと寮の中の委員会の人に伝えて業者を呼んでもらったり、学校に連絡して業者を呼ばないといけない。修理も立ち会わないといけない。そんな感じでめんどくさがって放って置かれたり、直るのに時間がかかったり、大学が直すの渋ったりするこおもあるので、自治寮はだんだん汚くなっていく。他にも寮の決め事のために会議に出席しないといけなかったり、仕事を請け負うための委員会に入らないといけなかったりするわけだ。他にも設備を拡充したい時は大学と交渉しないといけないし、大学はお金がかかるのを嫌がるのでなかなか設備は良くならない。というところである。
管理寮は綺麗で設備が整っていて、めんどくさい仕事がないのが魅力。悠々自適に自分の生活を過ごしたい人向け。
自治寮はめんどくさい仕事があったり汚かったりボロかったりする代わりに、ざっくばらんな雰囲気や横のつながり、自由さなんかが売りだろう。
大きな音を出さなければ夜中に共同スペースで楽器弾いててもあんまり怒られないし、学生同士で協力する場面が多いので横のつながりが厚い。お金の使い方も学生たちが話し合って決めるので、コンパや寮祭など楽しいイベントが開けたりする。こっちは学生的な生活にズブズブ浸かりたい人向け。
じゃあ次。
○何人部屋?
2人部屋だと相手が良い人だったり気が会う場合天国だが、合わない人と一緒になったり、喧嘩した時かなり辛いと思う。
3、4人だとそういうリスクは薄まるが、その分うんこな人間に出会う確率も高くなる。うんこな人間結構います。話し合っても、根本的な性格は直らないんですよね。
あとは研究室やバイトで夜遅いなど、生活が異なる人と生活を送ることになるので、人が多いほど部屋の中の生活習慣も雑多になる。寝てる時に多少明るかったり、物音がしたり。
このへんは各人の微妙な好み次第かなと思うけど、人間関係が怖い人は意外と多人数部屋の方がいいかもね。
○水場を見れば寮の美意識は分かる
はっきりいってあまり掃除したくない場所なので、ここを見れば美意識や管理状態が分かると思う。
管理寮は清掃員がいたりするのでまあ綺麗だと思う。汚かったら雇ってる清掃員が悪い。
自治寮だと当番制できっちり定期清掃してれば綺麗だろうし、そういう寮は他のとこも綺麗なんじゃないかな。
ウチは当番がなくて、清掃員も時々しか掃除しないので自主清掃。汚いです。
○立地が良い感じか聞いとけ
主に自炊しない場合の食事の調達場所(定食屋、コンビニなど)や銭湯などの有無なんかを聞いておくと良いかも。寮の設備を補完してくれる場所だね。
寮では、炊事場が共同で且つ部屋から遠かったりすると自炊がめちゃくちゃめんどくさい(6部屋隣の部屋に材料と調味料、調理器具を持ってキッチンを借りに行くような感覚。部屋と炊事場をめちゃくちゃ往復することになる。食器も使ったらすぐ洗わないといけない)ので、クタクタに疲れてる時とかに使えるコンビニや定食屋、弁当屋などが近いと便利だと思う。
シャワーのみだと時々湯船に浸かりたいですね。
居室の人間関係が悪化した、部屋が汚い臭い、夜更かししたい(パソコン、ゲーム、勉強)など、部屋以外の場所に居たいとき居れる場所があるか、ということ。
談話室や食堂とか。夜中でも使えるかとか。こういうのが管理寮にはどれくらいあるかはわからないけど、確認しておくと良いと思う。
○留学生の有無
国が違うと常識や感覚の違いからトラブルになるというのはよくある話。それを含めて寮生活の味わいともとれるが、私はわりと避けたい。
まあでももちろん話せば分かる人もいるし、国際交流もまあまあできるかな。お国の料理を食べれるってのはあんまりないよねー。
管理寮だと4年までというところが多いっぽい。
最初から留年するつもりの人はいないと思うが、いざという時心強いセーフティネットになってくれるので調べておいても良いと思う。
と、あまり包括的でない気がして申し訳ないが、こういうところに着目してみると寮生活の実態が見えてくるんじゃないだろうか。
とはいえ、個人的にはとりあえず一回寮に入っとけと思う。単純に出たくなったら出れば良いし。逆に下宿してから途中で入るのは大変。
これが誰かの役に立てばいいなぁ。
無事に仮免を交付されたので、さっそくその日から路上教習を行うこととなった
なんだったかな
もう忘れちゃったな
ボンネットを開けて、ラジエーターの冷却水、ウォッシャー液、バッテリー液、エンジンオイルの量が適切か、
各々のライトがちゃんと点灯するか、
タイヤの溝がちゃんとあるか、プレート (教習車を示すあれ) がちゃんと付いてるか、
のチェックを行う、みたいなことだったハズ
二度と再び行う機会があるのか分からない
コースと違ってとにかく速度が出せる
とにかく道路の流れに乗らないといけないから、速度を出さないと逆に怒られる
夜中で雨が降っていようが、制限が法定の60なら、本当に60出さないと怒られる
当然ながらそれを超えてはいけないんだから、55くらいを目安に保とうとしてたが、もっと出せと言われる
この裏日本ではとにかく雪だか雨だかが降る
しかも夜に限って雨が降る気がする
一度だけ、こちらが青信号で、交わる道路の向こうで、車が赤信号で止まってるのに、それが交差点に入ってくるような気がして、無意味に停止してしまい、怒られた
(コースだと主要な交差点に信号がなくて、優先道路かどうかだけで決まるので、同じ感覚に錯覚してしまった)
何であれ、止まった?
(教習は本当に楽しいし、教官も基本的に皆優しいのだが、すみませんすみませんを連呼してしまう))
そんなミスをした以外は、なんとか、教官が指示したとおりに走れた
月並みであるだろうが、車線変更のタイミング、右折するタイミングを正しくつかむのは難しい
一度だけ電気自動車を運転した
台数は少ないが電気自動車とベンツを保有しており、一度くらいはそれに当たるような調整が図られているらしい
日産のLEAFという電気自動車には、レバーを入れるアレが、P・R・D の3つしかない
単純だ
最も、2やらL(1) なんて入れたことなったし、これが正しい姿なのだ、と思った
ハンドレバーも、何やらオモチャみたいなチャチなものが付いている
しかし無理に、普通の車に形を似せなくても、合理的に、単なるボタンなりにすれば良いのにとも思った
全ての車がそうあるべきだと思った
(正直、一度形が決まったからといって、車のUIというのがそこまで合理的に思えないし、どんどん新しいのを作れば良いと思う
あれじゃ、ハンドルがどれくらい回した状態なのか見てわからないぞ
馬鹿じゃないのか?
その時の教官がまたえらく、おじいちゃんで、新しい技術に不寛容な人だった
こんな静かだと人が気づかなくて危険だ
あはは、うちの親も、そんなこと言ってました
適当な相槌を打つ
方向転換と縦列駐車
これは第二段階であった
コース内だけどね
クランクと実質的に全く同様で、スピードのろのろでちょっと頭使えば出来る技能なので、
はっきり言って簡単だった
というか、いわゆる、目印教習に近いものをされる
あの長さの縦列駐車、あの都合の良い形をした方向転換しかできないと思う
なんか、深刻な気がしてきた
で、また路上教習の話
教習所が用意してるコースは17で、路上教習ではその中から適当に選んで走る
教習でどうやってどれを選んでるのかがよく分からない
教習所には出口が2つあり (表と裏) 前回はどっちから出た?
じゃあ今回はこっちから出るね
などとだけ言われる
修了検定では、いくつめの信号を右折ね、などとコースを指定されるらしい
教習では、今の内に車線変更しようね、などと指示されるが、車線変更までは検定では言われないらしい
先の右折を見越して真ん中車線に変更すべきポイントがあるが、
じゃないと困るなあ
ストリートビューで今日走ったところを見てみようかななどと思ったが
(免許合宿は本当に暇である. 1時間だったり3時間の隙間がよくあるので、教習所のロビーに貼り付けになる)
相変わらず、右折のタイミングが掴めない
はい今行け!と叫ばれ、コンビニから出てきたよ!と叫ばれるのでどうしていいのかまごつくと、アクセル踏むんだよアクセル!と怒鳴られた
ここまで怒鳴られたのはこの教習所に来て初めてなので驚いたが、
車通りのない細い道に入ってからは楽しく談笑した
(単に和やかなものにするために談笑を始めたのかと思ったが、結構、がっつり話を始め、運転に集中しなくなるようなものにする罠なのかとも疑った)
決まって、私が学生であることに触れられ、情報系であることを言うと、
パソコンというのは全然分からん。できるだけ触りたくないわ、がはは
みたいな話を始める
こういった、世間の、普通の人間と話をするのは、偶にであれば、楽しい
しかしずっとここにいると自分の頭がおかしくなっていくようで、
つまり世間ズレをしていくようで (もちろん、大学が私のとっての正規の世間)、
感覚がどんどんズレていく
早く東京に帰りたい
生物の場合は、博士は比較的取りやすいので取る方がいい。修士では製薬会社の研究職は難しい。統計やコンピューターを使う仕事なら修士で就職でき博士も取れるかもしれないが。
海外に行きたい場合は、教授に頼めばポスドクで海外の知り合いの研究室を紹介してくれるだろう。
大量に使われる薬の多くの特許が切れ、新薬はニッチなもの中心であり、製薬会社の研究職はかなり減っている。それでワクチンなどで稼ぐようになってきているのだと思うが。
いずれにしても20年もすれば世の中が全然変わるのだから細かいことを気にしなくてもい。変化を先導するようなことを目指すべき。そのためには、生物のことしか知らないと難しいが。
前に西之園萌絵が嫌いな人はシリーズをどこまで読んだのか↓というのを書いたとき
http://anond.hatelabo.jp/20160215141400
エゴサして反応を見ていたら時系列が分からない、どれから手をつければいいのか?と言ってる人多かった(流石多作の森博嗣先生)
ただ、気軽に森ミステリィ沼に誘うことを趣味にしている身として、ドラマ、アニメ化が行われている二人からキャラ読みを薦めてみたいと思う。
基本的には「S&Mはどこから読んでもいい by作者」はずなのだが、きっと誰もそんな薦め方しない。
ここでは犀川と萌絵に関わる本を、出来るだけネタバレ無しで時系列説明しながら並べていきたい。
アニメは大体忠実に作ってるので、原作を読みなおすかアニメを見直すかは自己判断。アニメは「四季 夏」が混ざってる他、オリジナル描写も。
この時点で萌絵は大学一年。しかし高校時代にブランクがあるので19歳。犀川は32歳。
そこから発行順。
(とりあえずここまでが、当初予定されてたまでのシリーズ5連作だったらしい。なのでその知識を入れると、「ここまでが面白い」という偏った感想を抱くかも)
・封印再度 を機に微妙に二人の関係が変わっているような気がするので、読み飛ばすにしてもこの巻は読んだほうが良い。
ここから最終巻まで、萌絵はずっと大学4年生。22歳~23歳までの話。
一緒に見たほうが良い、というトリックがあるわけでも無いけれど一部リンクする。
萌絵のパーソナリティの問題としては「夏のレプリカ」は読んだほうが良い。この話のネタバレはググるな。
すべてがFになる の四季とか島田文子さんとか諸々が出てきます。
10作でS&Mシリーズ完結。でも犀川と萌絵の話はまだ終わらない。
この巻は完全にS&Mの続編、「萌絵 秋」なのですが。Vシリーズを読まないとわけのわからないキャラも出てきます。
「あのレゴ」の意味が書いてます。すべてがFになる、有限と微小のパンの残った謎解き。アニメにもなってません。
(四季4作は基本的にS&MシリーズとVシリーズを読んだ人向けのスピンオフ作品)
ちなみに「四季 夏」にも一瞬、犀川先生出てくるよ。Vシリーズ全体のネタバレがガッツリ書かれてるからお気をつけて。
二人の関係に大きな動きがあります。「四季 秋」の途中ぐらいの時系列。
……正確に言うと新作は収録されてませんが、S&MシリーズとVシリーズの番外短編を時系列としてまとめて再録した一冊です。
Vシリーズをなにひとつ読まなくても、S&Mシリーズとして読めます。オチをちゃんと知りたければVシリーズを読むしかない。
さぁここまで来たら、Gシリーズを発行順に読んでください。Gシリーズは1巻完結ではなく連作。
萌絵がD2の27歳、国枝研究室での後輩たちとの話を描いています(萌絵の内面のお話がたくさん出てきます。犀川先生とのラブコメも健在)。
と言いたいんですが、話が進むごとに時間がどんどん飛びまして。萌絵ちゃん別の大学の助手になります。
ここで時系列的にXシリーズが開始。Xシリーズでは助手萌絵が登場。こちらは独立性があるのでどれからでも読めるはず。
XシリーズはVシリーズの流れを汲み、GシリーズはS&Mシリーズといった印象。
そしてGシリーズに戻って
西之園准教授の誕生です。西之園先生!この巻はS&Mシリーズ、Gシリーズの同窓会といった感じ。
しかし犀川と萌絵がガッツリ出てきて、Gシリーズのメインキャラは大学を卒業し……今後どうなるのか。
ちなみにこの巻で島田文子さんが再登場。
どうやら
>あの夏、あの島の研究所にいた島田文子さんが主人公です。5月刊行!
とのこと。時系列はさらに飛びそう。全12巻らしいので、あと3巻ですね。
まぁここまで行くと説明せずとも読んでる人が居ると思うのですが、読み直したいとか、もう追ってない、とか言う人用のまとめでもあるんで。
四季からの百年シリーズからのWシリーズとか(Wシリーズ評判良いっすね!)まだまだ沼は広がってるんで。
みんなでまた森沼につかろう。
(何度か投稿失敗してごめん)