はてなキーワード: 研究室とは
O大学の哲学出身には結構ぴったり当てはまる(増田も?)。大学自体の校風(真面目で従順で偏差値はある程度あるけど社会であまり評価されていない)にプラスして、社会との接点に欠けているカリキュラム。社会全体がどういう風に動いているのかを考える発想がないということだと思う。個人的には進学者を減らして教員も減らしていいと思う。実際就職に困っているようだし。(哲学自体を否定はしていない、文系のいろいろな分野に間接的に貢献しているから。)ただ文系でも政治学、経済学、法学はもっと社会全体のことを考えているし、学際系やフィールドワークをするところも社会でもまれる。教育学も実践を重視するところが多いから、ある程度社会性のある人が多い。理系もひたすら研究室にこもって先生の推薦で就職するような所だと、社会の変化を理解していなくて、ひたすら先生に従順なだけで個人としての社会性も?な学生、教員がたくさんいるところもある。
同じように、専業主婦じゃもったいないと言われる大学を出ている。
でも、同級生や研究室の後輩をみると、3年ぐらい働いた後に専業主婦、なんて女性はかなりいる。
自分の手で立派に子育てすることを希望する人もいるし、子供は望んでなくて、ただ会社勤めが疲れたっていう人もいる。
反面、妊娠して仕事をつづけているけど、義両親に仕事をやめるよう勧告された友人もいる。
仕事がしたくて結婚後も続けて、子供の産み時がわからなくなった自分もいる。
話題の人も、そういう女性の多い環境が周りにあればよかったね。
あの記事のほかにも、過去の記事をちょこっと拝読させていただきました。
http://kenokabe-techwriting.blogspot.jp/2016/01/qiita-esumiicamloeba8.html
いかんせん、Qiita以降の奴しか知らないので、不慣れなところはレギュラーが極力、バックアップ願います。
8賢枠 (暫定) 2015/10/02
・知の答弁人田中
・(空席)
以上。
「辣腕ギークのキャメル 」と@tikuwa_zeroてーとくより拝命されてたことが暴露されてた。
さすがにバレバレなので、本人の希望でNewbie伊藤 ◆p02ZTYXhPKG5として現在も2chの岡部スレで大活躍中。
AIG(A-Jiro is Guru) は仲間のEijiro Sumii / 住井 英二郎 - 小林・住井研究室だろう。
http://kenokabe-techwriting.blogspot.jp/2016/01/qiita-esumiicamloeba8.html
いかんせん、Qiita以降の奴しか知らないので、不慣れなところはレギュラーが極力、バックアップ願います。
8賢枠 (暫定) 2015/10/02
・知の答弁人田中
・(空席)
以上。
「辣腕ギークのキャメル 」と@tikuwa_zeroてーとくより拝命されてたことが暴露されてた。
さすがにバレバレなので、本人の希望でNewbie伊藤 ◆p02ZTYXhPKG5として現在も2chの岡部スレで大活躍中。
AIG(A-Jiro is Guru) は仲間のEijiro Sumii / 住井 英二郎 - 小林・住井研究室だろう。
昔から特撮ヒーローとか好きだったからか、わりと人のためとか、自己犠牲とか、そういうものがいいものだっていう認識はあった気がする。でもそれが最近もうやってられなくなった。
私は目の前にいる人を思いやろうとか、楽しい時間を過ごそうとか、有意義な時間を過ごそうとか、誰にでも思うタイプだった。飲み会なら積極的に盛り上げるし、仕事なら自分と相手とで最大限の成果が出せるよう努力するし、泣いている人がいたら一緒に泣きさえする。その人のためになると思ったら時間も金も使えるだけ使う。でもそれは自分のしたことが相手のためになって、それで相手が喜んでくれると思ってたからそうしていた。見返りを本当に全く求めていなかったかと言えば嘘になるが、相手のことを優先して考えていたし、それでも独りよがりにならないよう相手との確認は怠らなかったし、相手が感謝の念すら抱かないくらい水面下で事を完了させることもあった。とにかく人のために何かをすることに迷いがなかった。というかそうありたかった。その理由は前述の通りヒーロー的正義感にあこがれていたからで、それがかっこいいと思っていたから。そのナルシズムが気持ち悪いと指摘されたら返す言葉もないけれど、そんな自分へのネガティブなイメージすらどうでもよかった。
でも最近ひどくやりきれなさを感じる。上記の考えがまとまったのは大学に入るあたりなんだけど、それ以来なんだかあんまりいいことが無いのだ。大学で好きになった同期の女性がいたのだが、傍から見れば仲良くやれていたと思う。でもなんだかよくわからない理由でいきなり会うことを拒絶された。こう書くと鈍感なやつみたいだが、思い当たる節は全くない。彼女のことを精一杯考えて、彼女の現在や近い将来がどうやったら楽しくて幸せなものになるかを考えては実行していた。それがあまりに唐突に、一方的な形で拒絶された。意味が分からなかった。
その後母がガンになった。女性特有のガンで、発見が早かったから完治するレベルのものではあった。でも母の中では死につながる病とこれから一生付き合わなければならないことがショックだったのか、いきなり人生への後悔を吐露された。曰く「人生がつまらなかった」と。どうやら、当時の女性としては恵まれた学歴を持ちながら折悪く就職ができず、結婚して専業主婦になったものの何も成し遂げられなかったことを後悔していたらしい。私はそれまで自分の人生がそれなりに楽しいものだと思っていて、それはすべて育ててくれた母のおかげだと思っていた。浪人はしたものの有名な大学にも入り、私は母の作品のひとつとして完成されたような気になっていて、母もそれにいくらか満足してくれていると思っていた。それが母は人生に後悔していたと聞いてショックだった。自分より30年以上長い母の人生をこれから幸福なものにすることができないのではないか、そんなことを考え、つらかった。
そんな折に別の女性と出会う。年上で、でもどこか抜けたところがあって、それでも夢に向かって頑張ろうとしている女性だった。まあ好きになって、これまた彼女を応援しようと色々やった。結果的にすごく彼女は喜んでいて、「今までの人生で一番うれしい」とまで言ってくれた。母の件で落ち込んでいた私にとってすごく励みになったし、彼女も私にある程度の好意はあるものと思っていた。だがいざ付き合ってほしいと告げたところ、「年下は嫌だ」という身も蓋もない理由で断られてしまった。ひょっとすると体よく振られただけなのかもしれない。ただこれまでやってきたことを踏まえて、もう少しちゃんとした振り方をしてくれてもよかったんじゃないのかと思う。
色々うまくいかない、ならば学問だ!とばかりに大学での研究に打ち込もうとした。専攻分野を学ぶのは大好きだったので、できれば修士課程、もっといけるなら海外の大学院にすら行きたいと思っていた。しかし研究テーマに行き詰まり指導教官に相談に行ったところ、教官は私が自分で考えようとしていないと感じたらしく、人格否定の言葉を混ぜつつ説教してきた。以来教官との仲が険悪になり、学問への興味も失せてしまった。彼のことは非常に尊敬していたし、研究室の仲間たちとも、互いの勉強がうまくいくようにと様々なことに気を払ってきた。それなのにたった一度のことで人格を否定されてはたまったものではない。そんな感じで納得のいかないまま就活などしてしまったものだから、これまたノイローゼっぽくなるわで大変だった。
就職してからの一件では、一緒に将来の夢を語り合った同期があっさり退職してしまった。互いの家で夜中まで語り合い、彼とならおもしろい仕事ができるのではないかという期待があった。彼と私の目標は違ったものの、彼の目指す分野について勉強して自分がどうかかわっていけるか考え、伝えてきた。少なくともこちらは励まし合いながら互いを高め合える存在だと思っていた。でも彼と職場の色が合わなかったらしく、あるときあっさり退職してしまった。私には別れの言葉のひとつもなかった。
繰り返しになるが、常に下心ありきで動いてきたわけではない。自分のできることで、相手の幸福につながると思われるものをひたすら選択してきたのだ。だからその結果に関しても不満はないと私の理性は言っている。でも、そろそろ何かあってもいいことがあってもいいんじゃないか。ほら、『嫌われる勇気』でも報われたいとか思わずに相手のためになると思うことをやり続けろって書いてなかったか。自分ではもう、そっくりそのまま生きてるつもりなんだよ。その本を読む前から。それは自分が幸福に生きるためであって、それで誰かが何かをしてくれるわけではないってことは頭ではもちろん理解しているつもりだ。でも、もうそろそろ何かいいことあってもいいんじゃないか。頑張ってきたことがそろそろ報われてもいいんじゃないか。最近疲れているのか、そんなことばかり思う。
あと、特に女性なのだが、私に向かって「君は大丈夫だよ」「きっといいことあるよ」とみんな言うのだ。でもこの頃大丈夫だった時期はないし、いいこともここ数年あった気がしない。女性と付き合えなくてもそれまでに過ごした時間は楽しかったのは間違いはないが、でもそこがゴールじゃないだろう。などと、最近好きになった女性に上記の2つを言われたうえ、結局うまくいかない気がして不安になって長々と書いてしまった。彼女に対してももちろん見返りを期待しているわけではない。でも、そんなスタンスではもうやっていけない気がしている。
地方旧帝大博士卒の地方国立大勤務だけど、博士卒なんて報われない。就職が遅れるし狭き門だし、大学教員だったら給料も低い。博士なんてのは趣味にのめり込んで卒業が遅れたダメ人間とさして変わらない。
博士課程に行きたいとか言ったら指導教員が博士卒の報われなさを教えて止めるもんだと思ってた。俺も止められたし、今となってはそういう学生を止める立場だ。それでも進学したいならどうぞご自由に。今でこそパーマネ准教授やってるけど、ポスドク時代このまま失職したら実家に頭下げて畑耕すしかないなと思ったことも一度や二度じゃない。ただそんな時も、そういう状況になる可能性を予め分かってた上で博士号とってアカデミックに進んだわけだから、不平不満みたいなものはなかった。学会で会う元指導教員は親身に相談に乗ってくれたし、学会幹事などの仕事を振ってくれたので履歴書も少し豊かにもなった。一般企業で出世したかつての同期は「いつでもうちの会社に紹介してやるぞ」と言ってくれた。まあその後、なんとか現任校で職にありつけたわけだが。予想していた未来と比較すると上々だと思う。
最近仕事の関係で東大卒東大勤務の先生とそこの学生によく会うんだけど、あそこはどうも文化が違う。勉強の出来る奴は偉く、博士課程に進む奴もっと偉い選ばれたエリートだ、みたいなことを本気で信じてる。やばい。さすが受験勉強しかしてこなかった奴は視野が狭い。その研究室、狭い分野なのに何人も博士課程に進んでる。専門が似たり寄ったりの博士をこんなに輩出して大学や国立研究所で就職先が見つかるわけがない。当然OBOGには高齢ポスドクや民間就職者がそれなりにいるわけだが、飲み会ではそんな先輩への中傷が始まる。○○先輩はダメだった、俺ならすぐポストを手に入れてやる、みたいに。教員も止めない。むしろ焚き付けてやがる。
ああ、なるほどな。博士課程からポスドクのころ、同じ学会(研究会)でたまに会う男がいた。まあ優秀やつだったと思う。だが分野がちょっとニッチだったこともあって、ポスドク以上の就職先はなかなか見つからなかった。懇親会で俺から「民間就職も考えている」と話題を振ったことがあったが、そいつからは(酔っていたのもあるだろうが)「そんな負け犬みたいな選択肢は考えてない」と切り捨てられた。俺は当時、なんて了見が狭い奴だ、変わった奴もいるものだ、と思ったものだが今なら分かる。彼も東大卒だった。別の研究室だったとは思うが。俺がいま仕事で会う東大の研究室のようなところであったなら、さぞ肩身が狭かったろう。出身研究室を頼るどころか後ろ指を指され、肥大し尽くした自我を抱えて、どれほど苦しんだことか。俺が就職を決めた時も「そんな地方大で研究なんて出来ない」と言われたが、そう言いたくなる気持ちも今なら分かる。
最近、高齢ポスドク問題、博士のセカンドキャリアというような話をネット上で目にする。ただそこで語れるような博士取得者の進路希望の狭さとか、研究業界の閉鎖性みたいなものは、ほとんど東大(と京大?)独自のものなんじゃなかろうか。まあ医師をを除くと日本に存在する博士の大部分が東大卒(と京大卒?)なのかもしれないが。いずれにせよ、不気味な世界もあるもんだ。
軽い気持ちで学部、修士と内部進学してきたハカセさんは、おなじ大学の「研究室」に入院することになる。しかし、そこは自分を含めてドクターコースがわずか5人の学校だった。居室には「センセーに気をつけろ」の置き書きがあり、論文は3年間に1本しか出ないほどのクソ教官の下での、ハカセさん、アイヤーが口癖の中国人留学生リーさん、キムチの苦手な韓国人留学生キムさんら博士課程学生の、日々の研究を描く。
つづく?
ネットでは人をダメにするソファと呼ばれる、体にフィットするソファいうものを所有している。
言ってしまえば、ダメにするといわれるが、私はもとからダメだったようで、それほどそのソファにハマることはなかった。
昭和の映画などで、正座をして書見台に読書をするシーンに憧れる。
私の読書の基本はベッドで寝転んでだ。
寝転んで片手で見れるように、文庫本が好きだ。
電子書籍も、片手で操作できるとないという理由で、タブレットはもっていてもいつもスマホで読んでいる。
片手は便利だ。
読書に限ったことではない。
私の生活の基本はベッドにあると思う。
朝ごはんはブリトーのハムアンドチーズと森永アロエヨーグルトハンディスタイル、グリコカフェオーレと決めている。
なぜならベッドに寝転んだまま流し込めるから。
一応、このチョイスは栄養も考えている。
寝転んだままステーキや焼き魚を食べるのは技術的に難しく、結果的に糖質と脂質中心になってしまう。
アロエヨーグルトハンディスタイルも、これでいてウィダープロテインインよりもたん白質が含まれている。
そんなわけで選んだこの三つ、合わせるとCFPバランスは悪くない。
日本人はカルシウムが不足しやすいというので、朝この三つの乳製品を取るのもちょうどいいかなと思ってる。
野菜がないと言われるが、他の二食は普通だし、日中に一本ペプシスペシャルを飲むので繊維質も補えてるんじゃないかと自分では思ってる。
独身貴族ゆえに、1LDKなどを借りているが、生活空間はベッドで、それ以外の空間は物置と化している。
そんなわけで、体にフィットするソファは私をこれ以上ダメにはしなかった。
常にベッドで寝てる人間を、これ以上ダメにすることは原理的に無理だったのだ。
と聞かれ、「ベッドでゴロゴロしている」と答えると、うらやましいといわれる。
既婚者は妻や子供にたたき起こされるそうだ。
私はそれは違うと思う。
朝からベッドの中でオナニーをして、ベッドの中で着替え、電子レンジに向かった後にベッドに戻って朝ごはんを食べ、ベッドでスマホをいじってネットニュースと読書をして一日を過ごす人間は妻や子供を得られることはない。
小学校、中学校、高校、大学、いつもこたつかベッドで寝転んで、教科書を黙読することでなんとかやり過ごした。
家族の中でも浮いていた。
アトピーゾンビ君ほどではないにしろ、私も人に疎まれる才能があったように思う。
というより、私は放っておかれるほうが好きな人間と思われやすい。
基本寂しがりやなので、本当はみなと一緒に居たいという願望が強いのだが、いつも基本放置される。
「テストの点さえよければいいってわけじゃない!」
と説教された。
ヤンキーぶって反抗するわけでも、口答えしたわけではないのだけど、教師の目にはそう見えていたらしい。
と素直に返事を続けて、それに対してもいつも嫌な顔をされた。
大学の研究室でも先行研究と過去の卒論や過去の実験のノートを読み返して勝手に行えという指導方針を取られたし、就職しても同じように、前任者がない仕事を勝手にやれという指示ばかり与えられた。
私がコミュ障といえばその通りだが、家の中でさえそういう扱いを受けてきた。
私だけ残して、両親と弟たちが外食に行ったり、やはり私だけ残して家族旅行など、なぜか私は置いていかれることが多かった。
私は乳離れがすんなりだったらしい。
ダメと言われたら、もう吸わなくなったそうな。
我ながら、自分っぽいと思った。
両親とも話をしたいが、なにを話していいかわからず、年に一度か二度、帰省するときの時間連絡しか会話がない。
今年のGW、私は11連休なのだが、5日目の今日まで、いつものようにほぼベッドで過ごした。
目的地を決めずに何日かフラフラ知らない街をフラフラして、実家にも顔を出してから、自分のマンションに、というかベッドに帰ろう。
1・インターンは落ちても気にしない。
インターンシップに通ったら
志望業界の知り合いができる
働くということが身近に感じる
☆本気で働きたいと思ってないのに入りたいと思っている人がいる。
スーパーでも、なんでも。
劇的に変わるのはマナー
ーーーーーーー
人事だと気づかず
ーーーーーーー
☆どういった人が社会人にいいか?
報告、連絡、相談
ーーーーーーーー
直す方法はどこにも書いてない 手引きにもない
先輩もしらない。
⇒想定していなかった問題を解決する
(ソリューション)
⇒ひたすら情報収集。
情報を集めたら、分析⇒考えて、仮説を作る(ポジションニング?)
⇒検証に入る。
⇒必ず失敗をする。失敗の連続。
色んな迷惑をかけて失敗。
⇒怒らない。 お疲れ様って言われる。
振動が原因じゃないとわかった
落ち込む。でも失敗して落ち込む
どんどん真実に近づいていく。
本当は治らないかもしれないが、改善になっていく。
みんなで頑張れるひと☆
⇒落ち込んでも粘り強く頑張る。
私は、何をすべきか自分でわかる人。
面接で多い。
アルバイトで怒られた、でも頑張る等。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
よし、俺がこの研究室を盛り上げる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
問題はそこらじゅうにある。
今の自分を変えるために。
まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。
先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。
元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。
大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。
ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービスの利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います。
しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギーク(ナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています。
勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています。
私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームとコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます。
回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログやホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。
私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすいバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。
ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。
私は長年使っているとは言いながらも、所謂「はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。
コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。
これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。
最近、はてなブログやブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。
かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットのサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。
前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません。
私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーをはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。
その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。
はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザーの比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社のインターネット事業担当になったというキャリアです。
はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています。90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。
その頃、ちょうどあるECサイトのコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービスが炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログに商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかいう現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。
今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。
自分語り方面に脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログのアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログ、はてダから始まって、livedoor、goo、Excite、Seesaa、Jugem、FC2、楽天、MSN、ドリコム、ウェブリブログ、ドブログ、Yahoo、ヤプログ、アメなんたら……
でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。
なんだこりゃ、殺風景なサイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。
ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。
純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギークな技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。
人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景な非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。
そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。
今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービスが外来の大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeもWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。
そんな中、日本のドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。
はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端なネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代のヒーローだと思ってたんですよ。
はてなブックマークでソーシャル・ブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookやTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。
だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通りや中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……
何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。
私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思います。ちょっと極端なことを書いたら「フロムダ先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。
はてなブログの目次記法は便利だと思うんですけど、他所のニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。
ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。
つまり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。
もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログにだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。
最近のはてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。
一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。
こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。
だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔な漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。
むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネットの醍醐味であり爽快ですらありました。
……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザー側コミュニティによるチェックと自浄作用が働きます。はてブはうまいことそういう機能を果たしてきたと思うんですよね。
でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーのモラルもありますが、サービスの構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。
海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。
この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドラインが専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。
これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。
別に、ネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブは牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思います。Twitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……
ただそういう人達がごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。
というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。
※最近、ある有名人気ブロガーのブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。
この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手な心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。
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大澤真幸が働いてた大学院にいた頃、社会学界隈、それから社会格差や性・国籍など左翼っぽい学問領域の人間と関わったことがある
あの旧帝国大学の研究者だけではなく、周辺の私学の人とも関わった
そしてしみじみと思った
「ああいう環境なら北条かやみたいな公害が生まれてもおかしくないよなあ」
社会学界隈と、ジェンダーや人権問題、社会格差など左翼っぽい学問領域では、頭が悪いか倫理性の低い人間が闊歩しやすい
もちろん人間的にも頭脳的にもすばらしい方々はいらっしゃるが...
特に左翼っぽい領域、中でも性的な問題もしくは日本特有の差別問題に固執する人文系の研究者には、失礼ながら脳の腐ったような人が多い
北条かや、本名敷田八千代は社会学が専門であり、さらに左翼っぽい学問領域が専門だ
学部時代は在日コリアン差別を扱う研究室に所属し、大学院ではジェンダー研究の世界にどっぷり浸かっていた
彼女の周りには、頭が悪いか倫理性の低い研究者が多かった、そしてそんな研究者を非難する人が少なかった、と考えられる
現在情報系の研究室に所属していて,どの分野に進もうか苦慮している.
なぜ今情報の分野を専攻しているかというと,15歳で情報系に進んだから.
それ以外に理由はない気がする.入るまでプログラミングという言葉も知らなかったし.
これらの分野は恐らく図鑑というものを作りやすい分野だと思う.なぜなら(すでに当たり前だと思っている)事実が多いから.
それぞれのトピックの関連性が繋がっていたとしても,あるトピックを理解するのに,別のトピックを完全に理解していないということが,少なくとも小・中学生が読むような図鑑に求められた記憶がそれほどない.
当時から面倒くさがりで人一倍怠惰であった僕だけれど,そう言った図鑑を読む時間は熱い空白と少々の心地よい疲れがあった.
時間を忘れてというのは言い過ぎでも,暇つぶしに漫画ではなくそ図鑑を選び,隅から隅まで文書を読むことに苦痛を感じたことはなかったし,むしろもっと多くを語ってほしいと思っていた.
何も意識しなくとも,文章の内容が一回読めば理解し,記憶できる.今から思えば,現在では全く味わうことのできない感覚を,小さい頃の僕は知っていた.
一方で,思い返すと15歳から情報学に触れてきて,このような楽しさを感じたことは思い返せば今までで一度もなかったような気がする.
僕が楽しいと感じていたのは,同級生たちと点を競い合うゲームのことかもしれない.
中学生までは,何の苦もなく成績優秀者に名を連ねていたので,そのゲームは好きだった.
入学当初で既に高校数学をマスターするような人もいたし,既にLinuxで自宅のサーバ・ネットワーク環境を構築しインターネットの恩恵を享受している人も居た.
人が知識を習得するときに感じる感覚は人の数ほどあると思っているけども,少なくとも僕は,小さい頃に図鑑を読むような感覚で情報分野に触れることができなかった.
本当にただの一度もないのだ.図鑑を読む時のあの空白と疲労が.
つい先日もプログラミングのアルバイトに応募して,見事に落ちたわけだけれども,何も思わなかった.
オープンソースソフトウェアの公式の「このソフトは〇〇を行う素晴らしいソフトウェアです」の類から始まる英語を読まなくていいのかと思うと,開放感と少しの嬉しさすらあった.
こういうことに気づけた半分は就活のおかげなので,その辺は少しだけ感謝している.
僕の場合は,小さい頃の興味と今の望む生き方が80%くらい一致していると思う.僕は単純な人間だ.
例えば,アルゴリズムのような,「あることを実現するために,いくつも道がある」ような学問は苦手だ.
多分多くの人に誤解されるし,僕自身もよくわかってないけども,植物とか昆虫がどうしてこういう挙動をするのか,というようなことを考えるのは不思議と好きだ.
幼少期,本は好きだけれども,周りと議論ができなかったのが,このような思考をすることになったのに少し関係がある気がする.
親によく言われることだけれども,子供がそのまま大きくなったというのは,僕に関して言えば非常に的を射ている.
さて,タイトルの進路の話だが,本当に途方に暮れている.
現在専攻している分野には,少なくともプライベートをかけてもいいとはつゆほども思っておらず,しかもこのままいけばこの分野の業界に就職してしまう.
奨学金の返済もあるし,親には何かあった時にも経済的に頼るわけにはいかないので,このまま就職してしまうが,3~5年後には学部とはいかなくとも,植物・古生物系の大学院に入り直すという選択肢を考えている.幸い先例というか,その進路をとった人がいるので,話を聞くのも良い.
幾ら能力があっても、社会のルールから逸脱をしてしまうと、不祥事で社会的に復帰することが難しいケースもある。
社会人の場合は、なかなか、決定的な失敗を何回もすると、信用・信頼がなくなるものな。
実生活・実社会でも、似たところがあるが、具体的な事柄は、組織ごとにことなる。
暗黙のルールみたいなのを掴んだり、企業文化が自分になじみやすいかが、仕事を継続する上では大切だな。
確かに、専門性も大切だけど。
大学生のサークルやゼミや研究室と違って、1年ぐらいでハイサヨナラとは、いかないよね。
のニュースをみると大学の研究者側は、いいから金は出せ口は出すな、文系を軽視する日本は滅亡する的な感じに見受けられるのだけど、
例えば、歴史の研究はその地域の観光地化の基礎的な材料となるので観光産業に正の外部性があるので、お金を出すだけの価値があるのですよ、
みたいな説明をすればいいのにと思うのだけど、報じられていないだけで本当はそういう説明をしているの?
科学と技術が歴史的には全然別個のものであるにも関わらず、互いに利用するようになったことで大きな影響力を持つに至ったように、
文系の学問も研究室に閉じこもるのではなくて、経済的な価値を生み出せる良いパートナー探しをするべきじゃないかと思うのだけど。
江添○
キャラクターの名前がプログラミング言語だなけのコマ割りされた絵にどれほどの価値があるというのか。
このままエバンジェリストという肩書きの価値が毀損され続けていって、最終的に「エバンジェリストという呼び方はダサいから皆さんやめましょう」みたいなところまで行ったらちょ○どエバンジェリストを評価できる
みす○
最悪なことにエバンジェリストという単語を某氏を表すために使うことが可能になってしまった
みす○
そういえばエバンジェリストにブロックされてるし、ブロックされてる人たくさんいるっぽいけど大丈夫なのか?
あづ○
nakfi○ a.k.a. nori○
nakfiv a.k.a. noriPさんがはっち○@イカ勢をリツイートしました
M○のエバンジェリストについては全体的にそれほどステータスではないという印象。むしろイメージとしてはマイナス(火に油を注ぐ
そけ○
yado○arielectric
新卒でたった2年でエバンジェリストか、顔が可愛い女性は人生で得するんだね。
顔が落第のブスがC#腐女子と名乗っていたら、果たしてM○は入社させたり、エバンジェリストを名乗らせたのかね?
やぷら○
エバンジェリストっていうか日本人にはよく分からないから"プリンセス"とかどうですか?
matt○
人権尊重され太○
エバンジェリストを名乗るには製品の利点と欠点を正しく説明できる必要があると思うんですけど、例の人があるポイントが利点である欠点である理由をちゃんと説明できる人材かと言われると絶対違うよね
おっさんエバンジェリストは多すぎて、エバンジェリストの価値がない模様
みす○
これはぼくの妄想なんですけど、インターネットで姫活動して影響力もっただけでエバンジェリストになれるんですね…
にん○
件の人がエバンジェリストになっても、リーチ出来るのは若者じゃなくて囲いのおっさんなのではって気が
r.tamur○
ここ最近のM○の素晴らしさを説いて身にはエバンジェリストの件は残念、ただただ残念です。
ちゅー○
ちゅー○さんHaskellの野良エバンジェリストって言われた事があるけど喜んで良いのか良くわからなかった。
エバンジェリストってなんだっけ感は有る
My C○
M○KKに雇われた姫「(M○の宣伝)なんですよ~」Micr○softエバンジェリストより給与の低いエンジニア「なるほど~」
め○
うーん、あのM○のエバンジェリストの件、こけそうな気がするけどなぁ。
これ普通にMicr○softのエバンジェリスト各位の信用にかかわるのでは……
道仂○@Sシャープマーカー使い
ぶっちゃけ M○ のエバンジェリストってほとんど知らない。布教する以前に布教するマンの知名度がないの、全然仕事にならんだろうし、もっとコンテンツ力の高い芸人さんを増やして欲しい。
牛ま○
A○
絵が描けるTwitter芸人で、ある程度プログラミングをしていればエバンジェリストがワンチャンということか
ウカヤ○
こりゃ来年あたりにはyoutuberからM○エバンジェリストが出てきてもおかしくないな
ウカヤ○
M○のエバンジェリストってTwitterで使ってます〜アピールしとけばなれる程度のやつだったのか
少なくともこのルックスと能力でエバンジェリストでしょ、マスコットみたいなもんだし月300時間激詰めとかされることはないでしょ。給料はいいだろうし。
にゃはは○
でもエバンジェリストが宣伝して、じゃぁこういうのはできるんですかって言われた時に、いやわかんないですって返ってくると、それ大丈夫なん、、、って採用見送るとかあるのでは
Kohei YOSHID○
テック企業のエバンジェリストが技術に明るくなくてよいのなら堀北真希を採用してくれ
ぱんた○
わかるか、真摯に技術と向き合わないエンジニアでも女で顔が良ければチンポ騎士団に囲まれてM○KKに入社できるのだ
ミァハちゃ○
こう、M○KKエバンジェリストの話題が出て炎上すれすれの呟きを行うプレイヤーの出現を、
ドロシーさんチ○チン無くないですか(笑
ぼくもM○KKに「あの人よりちんぽ舐めるの上手いですよ!!!!」ってアピールして雇ってもらうか
Taro ○atsuzawa(組長)
M○KKは世界に線を引いたのだ。姫のいる世界とそうでない世界を...
Taro ○atsuzawa(組長)
M○KKは身辺調査したって姫本人が書いてるんだけど、さすがに交友関係とかは特殊な所以外は見つけてもスルーするだろう。それこそ差別とかの対象になる。ただ、それ以上に近づかないようにしようって思わせるチカラが強いことに気づかない、むしろチンポナイトを取り込むという姿勢は評価できる。
文殊○
M○KKもソーシャルブックマークサービス(ちょ○どの彼氏はブックマーク出来ない)を始めよう
なんちゃらようへ○
ちょ○ど氏M○KK入社おめでとうございます!!となりのブスもきっと喜んでると思います!!!!
ちょ██女史がM○KKの姫に成り上がった日に北条かやの没落。対比は文学の基本だよね!
たっくま○
chmod氏M○KKにエヴェンジェリストで入社ですかそうですか。M○エヴェンジェリストの肩書がストップ安しませんかねこれ、要はアイドルの肩書だってことでしょ
♥○
♥
M○KK には姫を雇える余裕があるのか
どらい○
俺もM○KKの人事になって姫の枕営業受けてぇなぁ
弱い○
台湾にならってM○KKも姫を擁するようになった?
た○ゆら ~食行写真~
えっMSKKなんかやらかしたののと思って事情を見たらなるほどこれはw
A○
M○KK本当に最悪。
M○KKのイメージみんな良かったんですか??????信じられないです
cocoonう○
みんなちょ○ど某がM○KKに入ったことを基本的に批判的に見ていて、意外とこの業界でもあのひと嫌われてたんだなあと思いました。ITギョーカイとやらの知能は幼稚園児並みではなかったのですね。
誠○
M○KK、エヴァンジェリストを中途採用するだけの会社というイメージができつつある。
ぷりんた○
M○KKの姫になったことで格が上がったと書きそうになったけど、M○KKの名が落ちた感があるのでそんなこともなくなった
文殊○
M○KK何やってんの
蟹の赤ちゃ○
ちょ○どさんM○KK入社おめでとうございます.ところで痴話喧嘩の末に死に追いやり,その後しれっとFacebookのフレンドから削除していた元カレの南山まさかず君の遺品の『型システム入門』はちゃんと読みましたか? エバンジェリストのみならずエンジニアとしての成功も祈念しております.
unagi○
M○ のやるべきことについて M○KK は梯子を外されてるからああなってるんだと思う。
マ○
起きたらM○KKが最悪の会社になっていた
めびなんと○
M○KKの技術に対する姿勢が可視化されて結果的に良かったのでは
almost 100 % correc○
M○KK が姫チーム作って姫を必要とするイベントにガンガン M○ の宣伝しに行くの本当にディストピアって感じがする
ssig3○
リクルートみたいな会社がちょ○ど使ってゴミを集めるのはまあ理解できるけど、マイク○ソフトがそれやるのはマイク○ソフトの不利益でしかないし本当に M○KK はゴミだめだと分かる
502b○
社会の歯○
M○KKには失望した
きみとぼ○@研究室決まった
@nanTosaka2 まぁ、M○KKとしてはMVPとかにして広報に使いたい所だけど、MVPの審査はM○本社がやってるので、なかなか出来ない、それならもう雇えばいいじゃんって感じですかね
almost 100 % correc○
すごい話だなーとは思うけど、M○KKには関わらないようにしよう
豊○
ちょ○どみたいな姫気質のある人間は外ヅラばかり気にしているから本質的な能力ツリーを疎かにしたまま業種をただのファッションとして利用することばかり考えるし絵を描いても顔以外はドヘタクソのまま成長しないし彼氏を自殺に追い込んでも以後の立ち回りが上手いからのうのうと生きることが出来る。
みす○
まだ南山まさかず氏の元カノのツイート反応あるので一応明言しておくと、世の中おかしいよなっていう風に思うだけであって個人を批判する意味やそれの是非については一切の評価はしてないです。しているように見えたとしたらそれはぼくの妄想の上での評価です
やぷら○
でもまあ南山まさかず氏のことについて触れただけでブロックされたのは事実だよね
伊東瑞○
そういえばちょ○ど姫様は南山まさかずを追い詰めた時の様な式神の使い方を覚えたようですね。式神を使い他人を追い込むことになんの抵抗も無いようで
それがし○
オタサーの姫的ポジションの人が出世した場合のオタクの反応を見ている。>ちょ○ど
しかしまあフォロワー数5000のアルファーとTwitter痴話喧嘩したら絶対に勝てないというのが新しい知見として得られた
当時、大人も子供も、オカマは差別しても良いものだと思っていた。
それ故、おかまであることは恥ずかしい、愚か、欠陥品、劣っているものとして扱われた。
自分でもそう思っていた。そういう価値観を刷り込まれていたとも言えるだろう。
女性への欲情が理解できなかったので、女体を見て興奮するように練習もした。
現実から逃げたいからそう歪むのかと考え、部活も勉強も励み、大学受験でもまあまあの成功を収めた。
モテない男が、性的カースト底辺の立場から逃げたいから、女性になろうとする心理かとも疑った。
駅まで彼女を送り届けた後、申し訳ないと思いつつも唾を何度も吐いた。帰宅してからは何度も手を洗った。
この辺りは能町みね子先生の本に記載されている感覚と似ているかもしれない。
だが、男性が好きとうわけではなく、ゲイになることはおぞましく感じていた。
それよりも、女性でない不当さを呪って生きていたという方が正確だ。
小さい頃から、寝る前は女の子としての生活を妄想し続けてきた。
当然、オカマには定番だが、母親の服や化粧品を隠れて使用し、その度に鏡に映る不細工な男の子に何度も憤りを感じた。
中学に入ると、160cmより背が伸びなかったらニューハーフになろうと思っていた。
超えてしまったときは悲しかったが、一方で虐げられる立場から逃れてほっとした気持ちもあった。
その頃ちょうど、ドラマ金八先生で性同一性障害が取り上げられた。
家族に悟られてはいけないと、興味なさげに振る舞ったが、何度も何度も見た。
女になりたい男の子が出てきたとき、私は正直、気持ち悪いと思った。
ああ、これが世間の反応なのだろう。田舎では家族に迷惑をかけるし、容姿レベルも並以下な自分はやはりなるべきではない。
そう心に誓った。
ある日、研究室で同輩に訊かれた。
「プライベート、何してるの」
私ははっとした。
暇さえあれば、いつも鏡をみていた。
女性的ではないパーツ、見え方、骨格などを何度もチェックしていた。
何千回も見ているので、わかってはいるのだが、ついつい確認してしまう。
鏡の前で6時間くらい過ぎていることもあった。
そこで初めて病的だと気付いたのだ。
なんとかしたかったから精神科にも行き、LGBTの方にも複数会い、ニューハーフとして働いてもみた。
いろんな人がいたし、いろんな経験もできた。
総括して分かったことは、残酷だが容姿が大切であるということだ。
完成されていれば女性として扱われるし、嫌悪感も少なく、自分でもある程度は受け入れられる。
未完成ならばその逆。
この時点で、不細工で大きなパーツを擁した顔である私は、この苦しみから解放されることはないと悟った。
正直、整形手術でそこまで変化はないことは、同僚を見て知っていた。
でも、どうせ死ぬなら。
そうして、私は5度の整形手術を受けた。
想像以上に辛く、ストレスで髪の毛も抜け、体重も6kgほど痩せた。
鏡に映った、お金と時間を失った髪の長いおじさんを見て、「やっぱりね」とつぶやいた。
予防線を張ることができていたという、ちっぽけな自己肯定で、ショックを和らげてみた。
完成品を受け入れた後、これ以上の対抗策が無い絶望と、選ばれなかったという事実に、私は腹をくくるしかないと考えた。
自分にまとわりついたオカマという呪いを解くための唯一の手段。
育ててくれた両親や、支えてくれた友人や兄弟には感謝と申し訳なさでいっぱいだ。が、
私はこれ以上同じ苦しみに縛られ続けるのに疲れてしまったのだ。