はてなキーワード: 1998年とは
どうすんのこれ...
from:DARTHREIDER 税金 OR 公金 - Twitter検索 / Twitter
税金使って政治主導で国際的にやってるイベントと民間で対策考えてやってるイベントを同列で考える人が1人でも減ることを切に願います!
僕は公的、税金が投入されるような施策に対してチェックするようにしてます。民間のイベント(夏祭りでも帰省でも)が実施できるように環境を整えるのも行政の責任です。その責任をまず果たして欲しい。だから五輪の話をしているのと行政は視聴率ではなく、感染の実態に向き合って欲しいです。
ううむ、まだ国をあげて税金投入してるイベントと民間のイベントを同じだと言ってる人だらけだなぁ。そりゃ統治は楽だわな。
午後9:44 · 2021年8月21日·Twitter for iPhone
https://twitter.com/DARTHREIDER/status/1429061911631462405
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
開催するという意思決定をしてしまうと、損害が大きすぎて民間の一企業としては中止はできない。
そんなプランBなしの大博打を #fujirockfestival の主催者は打ったわけです。
イベントを愛する方々が、馬鹿な決断をしたものだと音楽を愛するひとりとしてガッカリしております。
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
皆さん、ご自身には、お身内には、ごひいき界隈には目が曇る。それにもガッカリしています。
皆さんとは誰でしょうか?僕ですか?
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
出演されコメントを出されている方、補償がないので中止できないと弁護する方皆さんです。
中止できないプランに突き進む恐ろしさを、主催者経営者は考慮すべきです。
今まで積み重ねてきた #フジロック の歴史を台無しにする愚行だとガッカリしています。
それを何故僕に言ってるのでしょうか?
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
『国をあげて税金投入してるイベントと民間のイベントを同じだと言ってる人だらけだなぁ。』
とおっしゃったので。
#フジロック に税金は投入していませんが、撤退プランなく進軍、感染拡大の不利益(金銭も含む)は国民が等しく被る点では、オリンピックの感情優位体質と何ら変わりません。
税金を投入してる、してないで変わるという話ですよ。僕にとっては全く違うんですが、それを同じと考える人がいれば行政は楽だと言ってます。
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
税金を投入すべきところにしていない、最適な再配分は全く行われていない。
酷い状況だと私も思います。
それでも、中止できないイベントを企画・開催すべきではなかった。
ダースさんに絡むつもりはなかったです。ただただ フジロック開催が残念で。
僕は税金を払ってるので五輪開催の有無については話せますよ。そこそこが“本質“で、あとは感情の話です。残念なのは分かりますが僕に言われてもそれこそ残念です…
Moritomo Ayako さざ波の泡粒
@_a_t_d_
せめて税金使う方は
医療に回して欲しい。
始めから
思ってたから
捨てきれない思い。
あ、でも、オリンピックは税金使った民間イベントだからあれか。どっちだ。
↓
国も支援「開催できる道探っていきたい」
新型コロナで影響を受けた公演を支援するため、経済産業省が3日間で9000万円を補助しました。
「国としても事業者や自治体との間に立って、関係者の理解を丁寧に得ながら、公演が開催できる道を探っていきたい。感染が収まっていくことが前提になるが、屋外、屋内、人数などさまざまなパターンごとに、どのような感染対策をすれば安全に開催できるのか、実証実験を重ねながら、データを採っていきたいと考えている」
News Up フジロックから考える コロナ禍の“分断” | 新型コロナウイルス | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210825/k10013223231000.html
ダースレイダー(DARTHREIDER)(本名:和田 礼〔わだ れい〕、1977年4月11日 - )は日本のヒップホップミュージシャン・トラックメーカー。
フランス、パリ生まれ[1]。4歳までをパリ、6〜10歳はロンドンで過ごす[1][2]。父は朝日新聞ヨーロッパ総局長や論説副主幹を歴任した和田俊。祖父は『キューポラのある街』や『戦争と人間』を手掛けた映画プロデューサーの大塚和[3]。
小4の夏休みに帰国し明星学園小学校へ転入[2]。武蔵中学校・高等学校を卒業後[4]、駿台予備校お茶の水校での浪人を経て、東京大学文科II類に進学。同科類の学生の多くは経済学部へ進学するが、数学が得意ではなかったため3年次の進学振り分けでは文学部東洋史学科を選択した。しかし、所属した桜井由躬雄のゼミで求められたオランダ語文献の読解に挫折し大学を中退する[5][1]。
1998年に「MICADELIC」のメンバーとして活動を始め、P-VINE、CUTTING EDGE、ビクターに作品を残す。東大在学中の23歳でアルバムデビュー[6]。2004年にレーベルDa.Me.Recordsを立ち上げ[1]、KEN THE 390、COMA-CHI、TARO SOUL、環ROYなどを輩出。高速回転頭脳とHIPHOPをはじめとする音楽愛に溢れたスタイルでのMCにも定評あり、「DMC」や「B BOY PARK」、3on3から民放の『流派-R』(テレビ東京)・SPACESHOWER TV・NHK・『BAZOOKA!!!』「高校生RAP選手権」(BSスカパー!)など様々なメディアに出演。
2010年6月、クラブでのMCの直前に脳梗塞で倒れ1ヶ月の入院を余儀なくされる。入院中の検査で糖尿病に罹患していることも発覚。合併症により左眼を失明するも、のちに現場復帰[1]。以後、その左眼につけた眼帯(自身が立ち上げた眼帯ブランド「OGK」のもの[7][6]。)がトレードマークとなっている。2014年4月末より、MC漢率いる鎖グループ傘下のレーベルBLACK SWANの代表兼所属MCに就任。
2015年6月頃よりギターレスファンクバンド、「THE BASSONS」の活動を開始[8]。
2017年7月、鎖グループを退社。同年9月『NEWS RAP JAPAN』(AbemaTV)にて共演していたプチ鹿島の勧めによりオフィス北野に入社。
2018年4月末をもってオフィス北野を退社。7月20日から吉田正樹事務所の所属となった[9]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
DeepL訳
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、東京オリンピック開会式のショー・ディレクターを務めるお笑い芸人の小林賢太郎氏が過去に行った反ユダヤ主義的なジョークや、障害者に対するいじめを非難します。
報道によると、小林氏は1998年に、ナチスによる600万人のユダヤ人虐殺をネタにしたコントを披露しました。その際、"Let's play Holocaust "など、悪意に満ちた反ユダヤ的なジョークを飛ばしていました。小林氏は、障害者に対しても不快なジョークを飛ばしたとされています。
「どんな人でも、どんなにクリエイティブな人でも、ナチスの大虐殺の犠牲者をあざ笑う権利はありません。ナチス政権は、障害のあるドイツ人も虐殺しました。この人物が東京オリンピックに関わることは、600万人のユダヤ人の記憶を侮辱し、パラリンピックを残酷に嘲笑することになります」とSWC副学部長兼グローバル・ソーシャル・アクション・ディレクターのラビ・アブラハム・クーパー氏は述べています。
詳細については、malkin@wiesenthal.com のグローバル・コミュニケーション・ディレクターであるミッシェル・アルキンにメールでお問い合わせいただくか、フェイスブックでセンターにご参加いただくか、@simonwiesenthalをフォローしていただければ、最新のニュースをツイッターで直接お届けします。
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、40万人以上の会員を擁するユダヤ系の国際人権団体です。国連、UNESCO、OSCE、欧州評議会、OAS、ラテンアメリカ議会(PARLATINO)の協議資格を有しています。
↓現在
https://www.wiesenthal.com/about/news/swc-condemns-anti-semitic-1.html
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、東京オリンピック開会式のショー・ディレクターを務めるお笑い芸人、小林賢太郎氏が過去に行った反ユダヤ的なジョークを非難します。
日本の報道によると、小林氏は1998年に、ナチスによる600万人のユダヤ人虐殺をコントの台本に使用しました。小林氏は、1998年にナチスによる600万人のユダヤ人虐殺を題材にしたコメディーを演じ、"Let's play Holocaust "などの悪意ある反ユダヤ的なジョークを披露しました。
"どんな人でも、どんなにクリエイティブであっても、ナチスの大虐殺の犠牲者をあざ笑う権利はありません。ナチス政権は、障害を持つドイツ人にもガスを浴びせました。この人物が東京オリンピックに関連することは、600万人のユダヤ人の記憶を侮辱し、パラリンピックを残酷に嘲笑することになります」とSWC副学部長兼グローバル・ソーシャル・アクション・ディレクターのラビ・アブラハム・クーパー氏は述べています。
詳細については、malkin@wiesenthal.com のグローバル・コミュニケーション・ディレクターであるミッシェル・アルキンにメールでお問い合わせいただくか、フェイスブックでセンターにご参加いただくか、@simonwiesenthalをフォローしていただければ、最新のニュースをツイッターで直接お届けします。
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、40万人以上の会員を擁するユダヤ系の国際人権団体です。国連、UNESCO、OSCE、欧州評議会、OAS、ラテンアメリカ議会(PARLATINO)の協議資格を有しています。
そりゃ、コリアンが勉強して理系の領域だと「本来なら約束された利益」を台無しにして、文系領域だと「医療系以外の理系だと善戦した」という非対称性があるからだよ。
思い出してくれ、1998年を。あれだけコリアンが努力したのに、LTCM といったノーベル賞受賞者たちが馬鹿な「ロシア国債はデフォルトしない」という誤認から生じた経済学の失態を、自分たちで背負わずに ASEANとかに背負わすことに成功して、ついでに韓国が IMF に朝鮮半島の戦後の成功をボッシュートされたことは懐かしい。哀れな朝鮮人は、マルキストにも国を分断された上に、資本主義者にも玩具にされたのが 1998年でした。かわいそうに。
そんなときに、日本とかいう「戦争で負けて、国は分断されず、共産主義者の防波堤にもされず、ベトコンとも戦わず、自分たちの血で儲けて、ついでに加工貿易からも撤退でアジア危機の影響は薄く、のほほんとしている、財閥は日本資産に依存して暴利を貪る」国が隣りにあったら、チャレンジしたくなるだろ。あまつさえ「サノバビッチを英雄視することで、補償を求める国」が世界中に、大韓民国という先進国水準の『国家』が生まれたのでした。
「Dr.STONE」といえば科学監修の名目で毎回名前がクレジットされている「くられ」氏ですが、この「くられ」氏も90年代は鬼畜系カルチャーでならした人物です。
しかしこの「くられ」氏はいじめや差別ネタなんてレベルじゃございませんでした。
実際にこの人が作った本で本物の爆弾テロリストを生んでるんですよ。
「くられ」氏が編集長を務めた「危ない28号」という雑誌に爆弾の製造方法を詳細に書き記され、それをテキストに実際に爆弾を作って街中で爆発させた事件がありました。
以下、ここ参考
https://ameblo.jp/7ninblog/entry-11047336229.html
JCO臨界事故に怒りを感じた男が,JCOを爆破しようとして,爆発物を作成,JCO近くの住宅街にそれを放置した事件.
2000.1.6 07:00頃,東海村のJR東海駅から北へ300mほどの住宅街の,踏み切り脇,東海駅東口タクシー乗り場のベンチ前に,赤い液体が入った,清涼飲料水のペットボトルや,金属製と思われる銀色のボンベなどの不審物が,黒いバッグに入れられて放置されているのを,通行人が見つけて茨城県警ひたちなか西署に通報した.
同県警は,爆発物の可能性もあると見て,重装備の機動隊爆発物処理班を派遣.
処理班がバッグをX線で調べたところ,中には塩化ビニール管が2本,鉄パイプが1本入っており,これらはリード線で乾電池などとつながっていた.
また,真鍮管,タイマー,アルミ缶,百円ライターなども見つかった.
鑑定の結果,これが殺傷能力のある爆発物であること,爆発物の一部は,安全装置を解除して,タイマーをセットすれば,すぐに爆発させられる状態だったことが判明した.[1][2]
塩化ビニル管や鉄パイプ、アルミ缶などに、アセトン系の爆薬が詰められ、起爆装置の雷管に鉛筆のキャップを使用。「グロープラグ」と呼ばれる模型の飛行機などのエンジン用点火プラグが装着されていた。[2]
この爆発物は,前年末に発生した,2件の爆弾事件の遺留品などと似ていた.
1件目は1999.12.24,大阪府摂津市のJR東海・新幹線車輌基地「大阪第1車輌所」にて,新幹線から回収したばかりのゴミ袋が爆発.
大阪府警摂津署の調べによれば,爆発物のアルミ缶の中に,有機溶剤をしみ込ませた粉末が詰められていた.
爆発した後の現場には、乾電池4個と充電池、小型のアルミ缶、リード線のついたふたのようなものが落ちていた。[2]
2件目は,その3日後,JR浦和駅のコインロッカーで,その点検中,ロッカー内にあったアルミ製の箱が爆発,管理会社従業員(当時53)が指に1カ月のけがを負った.
埼玉県警浦和署の調べによれば,箱は持ち上げた途端に爆発する仕掛けになっていた.
アルミケースから外にひもが出ており、その先端がロッカーの内壁にテープで固定されていた。
また,発泡スチロール製の球状の不審物は、直径約6センチの半球状のものを2つ重ね合わせて作られていた。
これら2件の事件について,大柴は
「ロッカーの管理がずさんで、警告のために仕掛けた。爆発で死者が出てもいいと思った」[2]
などと供述した.
警察によれば,大柴は同年11月から12月までの間、東京や埼玉などのホテルを泊まり歩きながら、アルミニウム容器に火薬を詰めた上で導火線をつないだ爆発物を製造。
同月20日に,浦和駅西口にあるコインロッカーに仕掛けたという.[2]
「東京駅で新幹線に乗り、小田原駅で下車する際に爆弾を置いた。1時間以内に爆発するようタイマーを仕掛けていた」
と供述した.[3]
大柴が、爆弾づくりのテキストにしたとされる雑誌は,データハウス社(東京都新宿区)発行の雑誌「危ない28号第三巻」(99年3月発行、定価1400円).
特集「危険物!」と題して、爆発原料の入手方法、市販材料や身近な家庭用品を使った爆薬、火薬の作り方などを図解入りで詳細に解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%8428%E5%8F%B7
『危ない28号』(あぶない28ごう)は、データハウスから1998年から1999年まで季刊誌として発刊されたアングラ雑誌である。不定期刊誌『危ない1号』の実質休刊後、インターネット系のアングラ・ライターを中心に編集され、第5号まで発行された。現在(2021年7月)では全5巻ともに絶版となっている。
日本がまだコンピュータやインターネットの黎明期だった1998年、KuRaReを編集長にサブカルチャー、アングラ本として発刊される。ハッキングや兵器、ドラッグなど、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載の雑誌であったため、全国18都道府県で有害図書指定されることとなった[1]。
2000年1月に浦和駅、東海村、大阪で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため[2]、刊行済みだった第5巻を最後に廃刊を余儀なくされた。
こっちはくられ氏の本でガチの爆発物テロが発生し、負傷者も出し、下手をすれば死者もでていたかもしれないんですよ。
そんな人間に集英社の週刊少年ジャンプ編集部は漫画の監修をさせ、毎週のように名前を載せ、特集記事に写真付きで掲載してるんですけど、その事をジャンプ編集部や集英社の人達は理解してるんでしょうか?
こっちは本当の死者が出ている可能性があったんですよ??
くられ氏は「実際に作るとは思わなかった」「真似してもらうために書いたものじゃない」とか言い訳してたみたいですが、「どのご家庭にもあるものでカ~ンタンに爆弾が作れちゃいマス♪」なんて事細かに実用性のある爆弾の製造方法を記しておいてそれは無いんじゃないすかね。
真似してもらいたかったんでしょ?実際に爆弾作ってもらいたかったんでしょ?だから書いたんでしょ?
そんで本当に作ってテロ起こっちゃったから慌てて保身に走ったんでしょ???
つうかさ、くられに限らずこの辺の鬼畜系ライターが心底みっともないのって、鬼畜ブームが去った途端みんな言い訳を始めたところなんだよね
「ある種のジョークでやってました、まさか真に受ける奴が出てくるとは思いもしませんでした」ってさ
根本敬も唐沢俊一も自殺した青山正明も殺害された村崎百郎もみ~んな同じような苦しい言い訳をしていた。
村崎百郎なんて殺された時まわりの連中「まさかこんな恐ろしい事になるとは・・・!」って悲しむフリしてみせてたけどさ、ほとんど自然の摂理のようなもんだろ。キチガイ煽ってキチガイに殺されたってさ
そんで追悼本なんか出したりして、ダッセエの。
話は逸れましたけど、最近の小山田圭吾を発端とする90年代鬼畜ブームを断罪する流れでいうならくられ氏も当事者であり、こっちはいじめ差別どころか死者も出てたかもしれない爆発物テロ事件が実際に起きましたから。
その流れで言えばくられ氏が関与している週刊少年ジャンプ連載漫画「Dr.STONE」は即刻連載中止、絶版回収にするべき
良くてもくられ氏が監修した部分は全面的に削除するべきです。
1993年から1995年にかけて、日本テレビは紅白歌合戦の裏番組企画で野球拳をやった。
これに対しては『なんて低俗な』『女の裸で視聴率稼ぎか』といった抗議が殺到したらしいし、増田もかつてはそう思っていた。
その認識を改めたのは、1997年か1998年に雑誌に掲載されていた企画者インタビューを見てからだ。
もう20年以上前の話なのでうる覚えだが、企画者は次のように語っていた。
・「音楽やスポーツで視聴率を稼ぐのは高尚で野球拳で視聴率を稼ぐのは低俗だというのは根拠があるのか」
・「結局は紅白歌合戦だって、NHKと音楽関係者が自己満足のためにやっているオナニーにすぎない。そこに年末という雰囲気と公共放送の看板を被せて高尚なものに見せかけているだけ」
・「相手が低俗なオナニーなのだから、こちらも『結局はこれと同じなんだよ』と限界まで低俗な番組をぶつけるために野球拳企画をやった。それが民放の人間の気概だったのだがそのことが伝わらなくて残念」
そんなことを語っていて、確かにそれは言えると考えが180度とまではいかないが90度くらいは回転したことを覚えている。
それに比べたら今の日本のテレビはなんと気概の無いことだろう。
オリンピック開催までは感染拡大の懸念を煽っておいて始まったら平気でオリンピックを中継する。そのことに何の疑問も持たない。
『オリンピック開会式の裏番組で内田樹氏、北原みのり氏らを呼んで反オリンピック番組をやる』という直接的な行動でなくとも、『開会式の裏番組で"あんなものは自民党政権とスポーツ関係者のオナニーでしかないのだからこちらもオナニーで対抗する"と野球拳をやる』『野球拳が無理なら故・志村けん氏に敬意を表してうんこ・ちんちん系下品番組をやる』などの気概を見せるテレビ局はなかったのだろうか。
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岸田 奈美
2021/07/22 15:29
※身近な読者さんに聞いてほしいだけなので、気が済んだらマガジンに入れて、そのあと消します。
21:26追記
過去ラーメンズを紹介する記事を読んでくださった読者さん、彼らのファンの方々に届いてほしいと書いた文章でしたが、わたしの説明の至らなさ、思考の未熟さゆえに、どんどん違う捉え方が広がっており、傷つく人を無闇に増やしてしまっているやもしれないので、22時で非公開にします。すみません!
ラーメンズが好きだ。
小林賢太郎氏が好きだ。
父を亡くし、友人を失くし、誰とも笑えない鬱屈とした子どもであったわたしに、笑いという光をくれたのが彼らのコントだった。絶妙にわかりづらく、複雑に絡みあう、壮大な世界観のもとに成り立つそのコントは、誰かと語りたくなる衝動をくれた。天才なんよ。これはわたしの圧なので、異論は認める。
父が「お前の友人はこの箱の向こうにもおる」と残してくれたmacのキーボードを叩き、ラーメンズの、小林賢太郎氏のコントについて語り合うとき、わたしは孤独であったけれども、孤独でよかったと思えた。
その小林賢太氏郎が、東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式のショーディレクターに着任したとき、わたしの頭では「マジか小林賢太郎…」と「マジか小林賢太郎!」が同時に鳴り響いた。
こう、なんか、ものすんごく無責任なオタクとして言うと、彼らのコントはもともと知る人ぞ知る、当時のお笑い界のメインストリームを堂々と外れて宣戦布告しながら飄々と笑い転げるという位置にあったと思うので、一抹の不安があった。しかしその不安をコーナー鋭角でまくってくるのは「オイオイ、これでみんな小林賢太郎の魅力に気づいちまうんじゃねえの〜?まっ、わたしは芸能界引退前に舞台で見たけど〜?」というオタク特有の愚かなドヤりである。
わたしはドヤりドヤりしながら、孫の七五三を見るような迷惑かつ気色悪い心地で、彼が手がける開閉会式を心から楽しみにしていた。ここまでの前置きがすでに早口気味なのはお察しの通りである。とても気色悪い。
実はさっきまでテレビ局での生配信に参加していたので、解任にいたる経緯も、解任された結果も、成り行きを見守ることなくひとまとめにして見知った。
情報の石つぶてに襲われ、小林賢太郎氏の謝罪文の最後「先ほど、組織委員会から、ショーディレクター解任のご連絡をいただきました。ここまで、この式典に関わらせていただけたことに感謝いたします」まで読み終え、涙が出た。
京都に向かう新幹線でなければ嗚咽していた。頼む、車掌さん、止めてくれ。三河安城でこの新幹線を止めてくれ。しかしのぞみ163号は止まってはくれないので、静かに泣きながらこれを書いている。
解任の理由は1998年に彼が演じたコントのなかで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフがあり、肯定する文脈でなくとも、笑いの演出に使われていたからだ。これが人権を著しく侵害しているとされた。
その決定に、わたしは反対しない。
五輪憲章ではあらゆる差別への反対が定められているし、たくさんの人々の命を不当に奪った歴史を、今もなお魂を傷つけられている人々がいる事実は侮辱されてはならない。
なのでこの文章は、オタクのわたしがわたしに宛てた、ただの戒めである。
というかもう、ここ最近、責任をとる人が多すぎてなにがなんだかわからん。責任をとっては去り、責任をとっては潜り、責任をとってはキングギドラに車一台で爆走して挑む。
シンプルすぎる。
シンプルすぎて二度聞きしたくなるようなこの結論にいたるまで、内田樹氏は懇切丁寧に筆を尽くしておられるので、ここではわたしの雑なあらすじで勘弁していただきたいのだが、
要は
「ごめん、で済む話はない」
ということだ。
人が傷つけたり、人が大切にしているものを傷つけた場合、それを元どおりに復元するということは不可能だ。医学がド発達したとして「いったん殺したけど、きれいに元通りにしといたから、これでチャラね」と殺人犯から言われても、きっと誰も許せん。
あってはならないことだけど、学校でいじめにあった子どもが自殺して「一億円の損害賠償を請求した」とニュースで報じられたとしてそれは「一億円払ったら許してやる」というわけではない。相手の一生を台無しにできるくらいの金額を求めて、「わたしはお前らを絶対に許さない」と告げている。
責任をとれという言葉は、「なぜなら、お前には責任をとることはできない」という意味を常に伴っている。めっちゃわかる。
ここまであらすじですけど、このド下手なアレで間違ってないですかね、内田先生。こんなところで引用してごめんなさい。
まさに今。
ここからも内田樹先生がね、答えをくれるんですけど。その答えはどうも、ひとつだけらしくて。
「我々が考えることができるのは、ただひとつ。どうすれば責任をとることを求められるような立場に立たないか」
これは、わたしは知らん、わたしは関係ない、わたしには責任がない、と言い訳をしスタコラサッサするわけではない。そんな言い訳が平気でまかり通ったら、なんか起きたらすぐさま電気は消えるわ、水道は止まるわの大惨事だ。
なんかまずいことが起こったときの責任を他人になすりつける社会と、自分の手が届く範囲のことでみんなが「あ、じゃあ責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会なら、後者の方が「誰かが責任をとらんとあかんようなヤバイこと」が起こりにくい。
「誰の責任だ、誰の責任だ!」と犯人探しをしてる間に、最悪の状況に陥るのを、わたしたちは何度もこの目で見てきた。もちろん、例外はあれど。
責任は、誰もとれない。
誰もとれないから、人に押しつけられるものでもない。だが、最初から自分で引き受けることができる。引き受ける人が多いほど、人間は幸福に、豊かに、安全に生き延びることができる。
だって大切なのは、同じことを未来で二度起こさないためには、どうしたらいいかだから。
さて。
小林賢太郎氏が過去の発言で解任されたのであれば、その責任は、気持ち悪いオタクのわたしにもある。今をもってわたしが引き受ける。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の発言がなされたコントは、わたしも見たことがある。記憶は定かではないが、中学生になったばかりの頃だったと思う。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の意味を深く考えることなく「なんか真面目そうな教育番組のMC役なのに、やばいこと言ってんのがシュールだな」というふわっとした文脈だけで笑った。未熟なわたしは、笑ってしまったのだ。
小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない。
今では、その文脈で笑っていたことが、どれほど罪深く、どれほど愚かなことであったか、わたしはわかる。
それは、中学生の後半で、ホロコーストについて学んだから。中学生の授業の範囲なんて、教科書での字面だけなので、そこまで深く知ることはできない。本格的に背筋が凍るほどの恐怖がわきあがったのは高校生で世界史の授業を受け、終戦のローレライを観て、アンネの日記を読み、作家になって編集者から勧められた「夜と霧」を読んでからである。
教えてくれる人がいて、咎めてくれる人がいて、対話をしてくれる人がいたからだ。
道徳観が歴史の積み重ねであるならば、わたしたちもまた、人生という歴史を積み重ねながら、ここに生きる人としてあるべき姿を学んでいく。大人になればなるほど、聡くなればなるほど、わたしたちは過去の行いを恥じ、己を正すことができる。
小林賢太郎氏は、彼の頭のなかをのぞける自著「僕がコントや演劇のために考えていること」で語る内容をみれば一目瞭然だが、ストイックな創作家である。ストイックすぎて芸能界を引退したようなもんだとわたしは思う。
年々、彼の思考と作品は、目を見張るようなアップデートを重ねていた。
世間でまだ誰も言葉にしていない「時代感」を読み、言葉やパントマイムに落として、笑いに変えるやんごとなき天才であった。近年は特に、誰も傷つけない笑いなんてあるわけがないことを悟りながら、その状態になるべくして茨の道を歩みながら近こうと試行錯誤する、戯曲に取り憑かれた化け物であった。その背中に憧れて、わたしもここへ来た。
そういう男であるからこそ、こんな時が迫るまでに、ファンのわたしたちは話さなければならなかった。
彼に直接言うのは叶わなくても、ラーメンズについて語るたびに、記事を書くたびに、言葉にするチャンスはどこにでもあった。あれはアカンのやと。
今もさ、たぶん「いやあれってそこまでダメかな?」って思うファンもいると思う。わかるよ。わかる。でもね、ダメなんだ。気づかないといけなかったんだよ、わたしたちは。彼をいつか、日本の大舞台に送り出すつもりでいるならば。
20数年前のコントをいまさら、なのではない。20数年間、いままで、なにも言わなかっただけなのだ。
そして小林賢太郎氏は、そういう社会の奥底に埋もれてしまいそうなわたしたちの言葉を、目ざとく掘り出し、両手ですくいとって、なんらかの形で応えてくれる、いい戯曲のためなら見栄も地位も何を犠牲にしても厭わない、そういう男だと、わたしたちは、知っていた。知っていたのに何もしなかった。
むしろ、批判されているコント「できるかな」は、DVDには収録されていない。ラーメンズがあれだけ太っ腹に公開している動画の中にもない。VHS以降、公式の手で誰にも見せないという選択をとっていた小林賢太郎氏は、わたしたちより先に、気づいていたかもしれない。
時代が未熟すぎるがゆえに許してしまった、愚かな笑いというのは、どこにでもある。
だからこそ、今さらなんてなかった。遅すぎることなんてなかった。彼が責任をとれと言われる前に、彼に存分笑わせてもらったわたしたちが、責任をとらなければならなかった。
そうしていれば、明日には、小林賢太郎氏の舞台を、わたしたちは、テレビで、観れたはずなのに。なんでいまわたしは、テレビの前じゃなくて、新幹線で、どこの誰ともわからんサラリーマンが首を65度に曲げなから爆睡している前方座席を見ながら、泣いてるんだ。もうすぐ新幹線はわが京都に着く。
つらい。こんな形で、小林賢太郎氏の名が知れ渡っていくのがつらい。彼のコントを、世界を、観たことがない人も彼のことをボコボコに言うのがつらい。おもしろおかしく揶揄されるのがつらい。
しかし、それもまた、気色悪いわたしの責任なのである。彼らより、彼女らより、先に、先に語りたかった。
誰が作ったかわからんが、至言だと思う。推せるときに推せ。いいから推せ。ともかく推せ。しかし、時代は変わった。怒りや悲しみが容易に世界へ届くようになった。誰かの笑いは、誰かの悲しみになる。
行き過ぎた悲しみに気づいたとき、わたしたちは、立ち止まり、振り返り、それを受け止めなければならない。そして語る。
「その世界を作ってしまったのには、わたしたちにも、責任がある」
推しの世界に魅了され、推しの世界に生きてきたわたしは、いまここで誓う。気色悪いと言われようとも、恩着せがましいと言われようとも、その世界を終わらせないために、人知れず責任をとっていく。
そして、なにかが燃えて、燃えて、燃えて、燃え過ぎた焼け野原で、責任をとりながら両足をつける。そこからなにかを芽吹かせていく。作家という仕事に就いたなら、その責任も伴う。
10年、企業で広報を務めた立場からえらそうに語ると、重役や有名になればなるほど、謝罪文はすぐに出せない。すぐに書くことはできる。でも関わる人が多すぎて、ありとあらゆるチェックが必要になる。「チェックするための事前チェックに回す前の念のためチェック」みたいなバグった概念が普通に存在する。
しかし小林賢太郎氏は、解任の連絡があって、すぐにコメントを自分で出した。前述のとおり、彼と彼の発言をかばう余地はないが、なかなかできることではない。
ついていくぞ、どこまでも。
(当初ここに、オリンピック・パラリンピックについての表記がありましたが、本文の趣旨には関係ないのと、開催についてはいろんな思いで受け止められている方がいるので、削除しました)
https://togetter.com/li/1748462
こちらのコメント欄で指摘されていたので、下記のSWCのコメントをDEEPL翻訳に突っ込んでみた。
https://www.wiesenthal.com/about/news/swc-condemns-anti-semitic-1.html
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、東京オリンピック開会式のショー・ディレクターを務めるお笑い芸人の小林賢太郎氏が過去に行った反ユダヤ主義的なジョークや、障害者に対するいじめを非難します。
報道によると、小林氏は1998年に、ナチスによる600万人のユダヤ人虐殺をネタにしたコントを披露しました。その際、"Let's play Holocaust "など、悪意に満ちた反ユダヤ的なジョークを飛ばしていました。小林氏は、障害者に対しても不快なジョークを飛ばしたとされています。
「どんな人でも、どんなにクリエイティブな人でも、ナチスの大虐殺の犠牲者をあざ笑う権利はありません。ナチス政権は、障害のあるドイツ人も虐殺しました。この人物が東京オリンピックに関連することは、600万人のユダヤ人の記憶を侮辱し、パラリンピックを残酷に嘲笑することになります」とSWC副学部長兼グローバル・ソーシャル・アクション・ディレクターのラビ・アブラハム・クーパー氏は述べています。
びっくりするほど歪曲して伝わっているので、きちんと抗議する必要があるかと。
五輪開会式と、『ルックバック』についてをむりやり結び付けた話です
「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)の副代表のコメントが朝日新聞に出ており、とても驚いた。
東京五輪で開閉会式のディレクターを務める小林賢太郎氏(48)が解任されたことを受け、米国の有力ユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」のエイブラハム・クーパー副代表は22日夜(日本時間23日午後)、朝日新聞の電話取材に応じ、「適切な動きだ」と語った。
問題の動画は、小林氏がお笑い芸人だった1998年に発売されたビデオに収録された。20年以上経って問題視されたことに対し、クーパー氏は「それでも責めて、責任を取らせるべきか。イエスだ」と語る。
その理由については「彼には自分の行いについて自省する時間があった。だが、不適切だったと認める声明はこれまで出てこなかった。3、4カ月前でも『私は若かった、考えが浅かった』と言えばよかった。それこそが彼の問題だ」と説明する。
自分が驚いたのは、同副代表が、2017年、欅坂46の「ナチス風衣装問題」でこのような発言をしていたから。
「ソニーは適切に対応した。すぐに人を(SWCの本部がある)ロサンゼルスに派遣し、私は東京に来た。こういったことも踏まえて、その数か月後にまた東京に来た。我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」
「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」
今回の小林賢太郎氏への声明においても、SWCは決して解任を求めているのではなく、あくまで謝罪と教育が求められているのだと思っていた。
昨今の「キャンセルカルチャー」とは一線を画すものだと思っていた。
この数年で、趨勢が変わったのだろうか。
ここで『ルックバック』の話になる。
ルックバックの犯人像が統合失調症に対する偏見であるという批判、それに対する反応。
そして、不当だと突っぱねるでもなく、謝罪して引き下げるでもなく、
ただ意見として受け入れればいいのでは、そう思っていた。
しかし、このように今「批判・抗議」がただちに辞任や解任、引き下げに直結している現状があるために、
正当であるかどうか強く判断され、単に受け入れることができない、といったことが起きていやしないか。
「何も要求しない、ただ批判であるだけの純粋な批判」があると思う。
これが昨今難しくなっている。
表現規制問題について、「お気持ち」と呼ばれ始めたそれについての話が特にそうだ。
ただちに規制に繋がらない限りは、不快感の表明は当然あるはずのものではないか。
「お気持ち」は、単に「お気持ち」である以上は、完全に正当なものではなかったか。
個人の感情から一足飛びに規制論へ飛ぶからこそ、「それは単なるあなたのお気持ちだ」、という批判ではなかったか。
それが今では、単に何も要求しないものについても、「お気持ち」という言葉が飛び交っているのを見ている。
現状では問題とはされていない、かくれた課題というのは無数にあるのだと思う。
それに光をあてていくには、まず知ってください、認識してください、と主張していくことが必要と思っている。
主張は不当と突っぱねられてしまう。
それまで完全に突っぱねてきたものが、急に変わるのか?
ただ意見として聞いてもらって、少しずつ変わっていくことはもうできないのか?
小山田氏が辞任した際に、「謝っても許されないのなら、みんな謝らないで無視することになる」というような意見が複数あった。
「許さない人がいるのは当然だろう、何言ってるんだ」、最初そう思った。
個人の感情として、許す、許さないがあるのは当然のことと思うから。
「許す」、「許さない」はそのまま「突っぱねるか」、「降りるか」の対立構造に限りなく近づいてしまっている。
自分は「謝っても許されないのなら」を、100%は否定できなくなってしまっている
矢面にたって集中砲火を食らえばいいと思っていた。
「ただ批判を受け入れる」ことは、場合によっては、降ろされるよりも厳しい場面があるのではと思う。
見ろ!!わしのパソコン ハードディスク 4G ペンティアムⅡ搭載!!メモリー512Mのモンスターマシーンだ!!!
こち亀の画像をネットで一度は見たことあるだろうけど、あれ1998年に掲載されたやつなんだけどさ
2005年は一般人が1GB、オタクが2GB、そしてモンスターマシーンとして4GB~8GBのメモリを乗せる時代だったから
7年前の98年はこんなスペックで驚いていたのかwみたいな意味だったが
2022年にまたあの画像が張られたが、逆の感想を抱くようになった
あれからさらに17年もの月日がたっているっていうのにいまだにメモリが8GBだ16GBという事実
まったく進歩していないことに悲しくなってくる
The Simon Wiesenthal Center condemns past anti-Semitic jokes as well as reported bullying of disabled individuals, made by Japanese comedian Kentaro Kobayashi, who is the show director of the opening ceremony of the Tokyo Olympics.
サイモン・ウィーゼンタール・センターは、すでに報じられている障害者に対するイジメに対してと同様に、日本人コメディアン小林賢太郎(東京五輪開会式ディレクター)が過去に行った反ユダヤ的ジョーク発言に対して非難します。
According to Japanese media reports, Kobayashi utilized the mass murder of six million Jews by the Nazis in a script for his comedy act in 1998. In his act, he made malicious and anti-Semitic jokes including “Let’s play Holocaust.” Kobayashi is reported to have made distasteful jokes about disabled individuals.
日本語メディアの報道によれば、小林は、ナチスによる600万人のユダヤ人の大量虐殺を、1998年に彼が行ったコメディ公演の台本の中で用いました。この公演で、彼は"ホロコーストごっこをしよう。"と云う内容を含む、悪意のある反ユダヤ的ジョークを発言しました。小林は、障害者に関する不愉快なジョーク発言を行っていたと報じられています。
“Any person, no matter how creative, does not have the right to mock the victims of the Nazi genocide. The Nazi regime also gassed Germans with disabilities. Any association of this person to the Tokyo Olympics would insult the memory of six million Jews and make a cruel mockery of the Paralympics,” stated SWC Associate Dean and Global Social Action Director, Rabbi Abraham Cooper.
"どのような人間であれ、どんなにクリエイティブな人間であろうと、ナチスによる虐殺の被害者を嘲笑する権利はありません。ナチス政権は、障害を持つドイツ人もガスによって殺害しました。どのような形であれ、この人物が東京五輪に関与することは、600万人のユダヤ人についての記憶に対する侮辱であり、パラリンピックに対して残酷に嘲笑することです。"と、ラビ=エイブラハム・クーパー(SWC Associate Dean and Global Social Action Director)は声明を出しました。
やあ、かつて初心会についての記事を書いた増田だよ。いろいろ本を買い足して読みなおしては新規の古い知識を突っ込んでるよ。新作はまだもうちょっと時間がかかるから待っててね。
息抜きとして今まで読んだ業界本を簡単にレビューしていくよ。当時のことを調べたい人は参考にしてくれるとうれしいな。
ある種のバイブル的存在。スーパーファミコン登場時の任天堂やゲーム業界周りのことを非常に詳細に書いている。任天堂のことを持ち上げつつも当時から流通網の矛盾、ロイヤリティビジネスのおかしさを指摘していて非常にハイレベル。是非読んで欲しい。ただ後日山内社長は「300万台買うからリコーのCPUを安くしてくれ、なんて言ってない」と否定してる。(後年の社長が訊くではリコーの工場の稼働率が非常に悪いことが上げられていた。だから任天堂の無茶振りにリコーが応えたのかな?)
PS1立ち上げに関しての裏事情を綴った本で、流通やソフト会社呼び寄せるにあたってのアプローチが詳細に書かれている。またこの本では「任天堂がふざけた契約違反をしたからソニーが激怒してゲーム機突っ込んできた」説を取っていて、任天堂との会談をまるで見てきたかのように書かれているが、久多良木健氏は別に恨みをベースにやっていなかったんじゃないか、とは丸山茂雄氏の談。それはさておき、最初に任天堂に久多良木氏が接近した話なども載っていて面白い。FM音源(ディスクシステム音源?)と、PCM音源(スーファミ音源)との聞き比べ対決をして久多良木氏は任天堂に音源チップの売り込みにいったんだと。
「セガ・ゲームの王国」が改題された文庫。セガがメガドライブでどんどん任天堂を追いつき追い抜く(米国にて)様を持ち上げたもの。セガの歴史を学びたい人にはうってつけ。ただ今読むと苦笑してしまう持ち上げっぷりなのはご愛嬌。
スーパーファミコン全盛期に書かれたものだが、上の「スーパーファミコン 任天堂の陰謀」などを読んでそのまま書き足した記述があちらこちらにあってげんなり。作者自身で取材した様子はなく、今の時代わざわざ読む価値はないと思う。ちなみに同作者は同時期「ソニーが任天堂に食われる日」「セガにおびえる任天堂」、後年には「ソニー・プレステが消える日」なんて本を出している。一応全部読んだけれど、わざわざ読まなくていいレベルの本。唯一評価できるポイントはソニーがスーパーファミコン一体型CD-ROM機について「スーパーディスク」と銘打ち、ソニーだけの独自規格と広告したのを任天堂が危機感持ったのでは、と指摘したことくらいでは。
PS1立ち上げの話をいろんな人にインタビューして記事にしたもの。CPU、流通、本体機構、サードのサポート、コントローラーのグリップ、値下げ合戦と、セガと任天堂に負けるなという気概でどのようなことをしてきたのか、どう決めてきたのかわかる一級品の資料となっている。PS1発売が12月3日に決まったものの、8月の時点でまだ生産台数が決まっていなかったなど、当時のどたばた状況が伝わってくるインタビューが載っている。あと最初のほうの開発機材でCD-Rに10枚焼いてもまともに読み込みできるのは3枚だけだった、などなど。
タイトルはプレイステーションだが、内容は任天堂、セガ、松下にもバランスよく触れていて、いかにしてソニーが任天堂を打ち倒すべく思案してきたかが書かれている。洗練された流通で、問屋を利用する任天堂よりもきめ細かい制御ができるソニーだから勝利した、という内容なのだが、最終章に「このままいけばこの流通も破綻するのではないか?」という記述があって驚く。革命は起こした時よりも、その後のほうが大事だという至極最もな結論に至ってる良書。
当時のゲーム流通をうまくまとめてある本。セガ、任天堂、ソニーの三社をそれぞれ解説している。特にこれと際だってすぐれたものはないが、初心会流通の任天堂、独自のソニー、バンダイと提携するかもしれないセガの立場をそれぞれかみ砕いている。
8.売られた喧嘩 買ってます 任天堂勝利の青写真(1996年)
とてもアレな題名だが中身は大真面目。「王者任天堂に勝つのはセガでは無理だ。ソニーでしかあり得ない」という視点で、挑戦者ソニーを解説している。よほど念入りに取材をしたようで、初心会幹部へセガが引き抜き工作をした話などが載っていて驚いた。面白い本だから是非みんな読んで欲しい。
9.セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?(1994年)
任天堂山内、セガ中山の社長同士の経営理念や過去を対比させて現状を解説していく本だが、とにかく取材がすごい。任天堂の労働争議の話や、メガドライブ以前のセガのコンシューマ機が問屋から嫌がられていた話(1ケースがでかくて重い!)など、他の本ではでてこない話がバンバンでてくる。わざわざアメリカにいって各地の小売店でゲーム売り場の様子まで確認しにいく取材力は感嘆する。著者の国友隆一氏はゲーム関連の本をこれ一冊しか出していないのだが、残念でならない。是非今のゲーム業界を取材して本を書いて欲しい。そう思える良書。
「セガのドリームキャストは日立製のパワーVR2というCPUを採用している」や「入出力にはUBSホストコントローラー」といった腰砕けになる記述がある。お察しください。
月一しかないけどだいたい毎月出る
100均で買うようなプラ製品の末路はだいたいこの日に処分する
あと俺はプラモデルの趣味があるので不要になったプラゴミや塗料のこびりついた空き瓶やカッターの刃なんかもこの日に出す
一度ゴミの持ち込みに行ったことあるけど山の斜面を整地して地面を掘ってそこに投げ入れるだけだった(細かくはだいぶ違うけど)
とりまここに埋めておくので未来の人類よ、あとはよろしく頼むという処理方法
2021年、令和の世の中、人類はまだゴミの処分に手こずっている
ググるとうちの地方の埋め立てゴミを直接持ち込みに行く場合の搬入先が今年の4月で変更になってるようだ
新しい搬入先がどういうところなのか具体的な情報がネットでは見つけられなかったのでよくわからない
搬入先住所を見る限り少し街中にあるのと中継所という名称なので改めて細かくゴミの仕分けするようになるんだろうか
埋立終了とか施設廃止の情報はないからまだ継続して投棄場として使うんだろうな
その前の投棄場は昭和47年にできて平成10年に埋め立て終了、令和2年に施設廃止、現在は管理のみとのこと
47年生のゴミ処理場は令和の未来人なら処理できると信じて施設を作ったんだろうけどまだ俺たちには処理できねえわ、ごめんね・・・
今敏、内田けんじ はわいもすこ。コメディだと思ってるのあげてく
L ル・アーヴルの靴みがき Le Havre(2011年)
L 希望のかなた Toivon tuolla puolen(2017年)
L 浮き雲 Kauas pilvet karkaavat(1996年)
L 街のあかり Laitakaupungin valot(2006年)
L 地球は女で回ってる Deconstructing Harry(1997年)
L 恋のロンドン狂騒曲 You Will Meet a Tall Dark Stranger (2010年)
ギミック系は、メメントとかシックスセンスとかミストとか他にも有名どころは語り尽くされてるので
誰も触れて無い系だと、デビッド・フィンチャー監督、マイケル・ダグラス主演の『ゲーム』がすこ。小説版も好き
日経225に載ってる程度の大企業で、ネット対策してる。エゴサーチとか不正書込みへのクレーム活動
正直、自分は文系だから、ウェブの知識なんて、素人同然でしかない。
はてなブックマークを見る限り、ウェブ・ITに詳しい人ははてな民にはゴロゴロ転がっていて、自分のウェブ偏差値は「はてな民」の中では50を切ってると思う
自分は単に、1998年から趣味の分野でホームページをやってて、掲示板を運営したり、2011年からツイッターやり始めた程度。「はてな」は2005年からやっていたか。
この程度の、はてな民の中ではウェブ偏差値50に満たない程度の自分なのに、「IT化の遅れた日経225企業」の中では、何故か「ウェブの専門家」「ホワイトハッカー扱い」され、ウェブ偏差値が80越えてるような扱いされてる。
ハッキリ言いますが、はてな民の中でウェブスキル偏差値50程度の人ならば、ちょっとIT化が遅れてる企業にアタックして潜り込めれば、「チヤホヤ」されるぞ?
ITやウェブに詳しい人は、自分のスキルを生かせるのは先進的にIT・AI投資してる企業の筈ということで、そういう企業ばかりリクルート活動してるかもだが、全く逆。
自分程度のウェブスキルの人間が重宝されるというのは、日本の日経225企業でも、「遅れてる企業は、どうしようもなく遅れてる」ということか。
こんな記事開いている時点で多少はブギーポップという作品に興味がある人間だろうが、様式美のために簡単に説明しよう。
「ブギーポップは笑わない」とは、著者 上遠野浩平。電撃文庫から1998年に刊行されたライトノベルで、その後のラノベ界に大きな影響を与えたと言われている作品だ。
2000年にも一度アニメ化されており、2019年に再アニメ化された。
こんな感じでいいだろうか?
さて、私はブギーポップを書いている著者、上遠野浩平先生のファンである増田だ。
この記事はファンから見たブギーポップの再アニメを記したものである。
さて、まず結論を書こう。
これは残念ながら事実だろう。
ネットで調べれば円盤の売り上げが散々だったと言われているし、グッズもアニメイトなんかの店頭でもほとんど置かれなかったし、出ると宣伝されたfigmaは出ないし(受注生産でいいので売ってくださいお願いします)。
アニメがつまらなかった。話が理解できなかった。監督と絵師がもめた。再アニメ化にあたってのキャラデザが良くない。そもそも原作が20年前で現代に合ってない。
さて、こういった評価について、またアニメそのものについてブギーポップ、そして上遠野浩平という作家の本気のファンである私がどう思っているか。
1.アニメについて
つまらない。という意見もわかるが、正確にはストーリーごとにわかりやすさが変わってしまっているという印象を受けた。
2019年のアニメは原作に沿ったストーリーで展開しており、原作では巻で分けられていた以下の内容でがらっとわかりやすさが違う。
正直一番理解が難しいと思う。ここで脱落した人もかなりいると勝手に思っているし、原作の魅力が伝わっているのか不安になった。
笑わないは時系列がかなりシャッフルする作品なのだが、アニメでは「登場キャラの削減」されて登場時系列が整理されており、これが一番問題なのだが「心の声の描写がない」。
私は原作ファンなので、場面を見るだけでその場面の背景や心理描写を思い浮かべて普通に楽しめてしまうのだが、初めてブギーポップを見た人が理解できるか不安になった。
(ただ、一話がまるまる浪漫の騎士として竹田くんとブギーポップの会話にあてられているのはファンとしてはマジでうれしかった。これで口笛吹いてくれたらさらに完璧だったが、そこまでは望むまい)
②vsイマジネーター(4話~9話)
笑わないに比べればかなりわかりやすい。が、初めて見た人がどこまで理解できるかは原作既読組から見ると少し不安になる。
めちゃくちゃよかったし、なんならブギーポップ初めての人にはこれから見せても許されるんじゃないかと思うぐらい。
少女な霧間凪はかわいいし、黒田さんの描写も、モ・マーダーもピジョンも最高なので、笑わないとvsイマジネーターの後にあるのがもはやもったいないと感じる。
④歪曲王(14話~18話)
普通に良かった。
音楽的な描写が多い作品なので、アニメのBGMがいい仕事をしていたし、ゾーラギとの戦闘シーンの動きはアニメでしか味わえないブギーポップだった。
なによりスタートである笑わない編がわかりにくい、というのが何よりも大きい。ファンとしても万人に勧められる作品ではないと思っている。
なので、小説を読めばいいと思うよ。
正直、監督と原作でキャラデザ・イラストレーターを務めている人がもめた話は語りたくないので、詳細はネットで調べてもらうとして、これがアニメ好きと呼ばれるアニメライト層(ここでは原作を知らないがアニメなら何でも見る層を指す)に悪影響を与えた可能性は否定できない。
ただ、再アニメ化にあたっての原作からのキャラデザの変更がよくなかったという話はファンとして否定したい。
そういうことはだな、原作や原作に忠実にキャラが描かれている「ブギーポップファントム」(2000年アニメ)でキャラ同士の判別が完璧にできるようになってから言え!!!
失礼。
ファンにも様々な意見があるのは踏まえたうえで、私はキャラデザに関してはブギーポップが原作通りのマントと帽子をかぶってワイヤー使っているなら、割と後はなんでもいいとか思っている。
なので、再アニメ化のキャラデザは末間博士とか、委員長とか原作に似た見た目で、いいキャラデザもあれば、スプーキーEとかゾーラギとか原作とは違うけどいいデザインもあるのでファンとしては全然ありでした。
(欲を言えばフォルテッシモや、十助をアニメ化するならどんなキャラデザになるのか気になるのでこっそりください)
3.原作について
原作が古いから現代の人には受け入れられないという意見について。
「ブギーポップは笑わない」は1998年に初版が出版された作品だ。
その人気が高かった2000年に一度アニメ化し、2018年の末ごろアニメ化の発表が会った時我々ブギーポップが好きな増田は、驚きを持ってそのニュースを迎えたのだ。作者が10周年記念の時何も無かった電撃文庫がどうした!?再アニメ化だと!?
そこに「今さら!?」という感情が無かったと言えば噓になるだろう。
だが、それは我々が何年、何十年も前に書店や学校で「ブギーポップは笑わない」の小説を手に取り、そこに歴史を感じるから古く感じるんじゃないかと思うのだ。
古い作品の再アニメ化で成功した事例として「おそ松さん」や「ジョジョの奇妙な冒険」があるだろう。原作が古いから受け入れられないという意見には反対だ。
それは1998年代とかそういう話ではなくて、あなたが学生時代に読んだブギーポップを知っているから古く感じるんじゃないかという話だ。
ブギーポップの描く独特の閉塞感があの時代特有のものだと言うのは、あなたの学生時代がその時代だったからじゃないのか。
「現代に通用しない」のは現代のあなたに通用しないだけではないか?
しかし、2021年になった今も通用する作品だと一ファンとして確信している。
そしてもしも、この作品の価値というものが本当に問われることがあるならば、それは例えば、今から20年後の2040年。1998年のブギーポップを知るものがほとんどいなくなった時に問われるのだと思う。
4.まとめ
というか、アニメが失敗したところで原作の良さは損なわれないのに、原作に言及するヤツはマンティコアの食糧として献上してもいいと思うんですがね。
ブギーポップの再アニメ化の成功失敗については再アニメ化した時点で割と成功だと思っている(刊行20周年に二度目のアニメ化がされる作品の一つにブギーポップがあるという時点でファンとしてはとても嬉しい)のですが、アニメの完成度については話毎に差があると思っているし、誰にでも勧められる良アニメとは言えないでしょう。
しかし、2000年のブギーポップファントムが2000年のブギーポップだとするなら、2019年の再アニメ化は2019年のブギーポップだった。
画面は明るくなり、BGMもキャラデザも変わって、スマホを使う。
(これで2040年に奇跡的に再々アニメ化なんてされて、また今までと違う2040年のブギーポップが出たら奇跡的過ぎて、失敗だと言われていた話も成功になりそうですね。歴史というものが後から修正されるように)
ところで、ここまで読んだ人はかなりブギーポップが好きか、頭がおかしいのだと思うのだが、ブギーポップと同じ著者の書いた他の作品もとても面白いので是非勧めたい。
「ぼくらは虚空に夜を視る」
「殺竜事件」「ソウルドロップの幽体研究」
さて、この駄文もそろそろ終わりである。もちろん締めの言葉はファンとしてこうするべきであろう。
(結局、再アニメ化って失敗だったのかよ?)
(まあ、いいじゃん)
テレワーク期間を利用してVHSの整理をしていたら2000年にHNKで放映された俺の中では6本の指に入る傑作「6番目の小夜子」が出てきた。
見てみると、当時俳優デビュー1年目16歳の山田孝之が出ていて「うおっ、えらい正統派美少年やなぁ。これが今のテストステロンドバドバの雄臭い個性派男優になるんか」とびっくりしてしまった。身長は伸びなかった。
山田の二つ年上の俳優の藤原竜也はデビューから蜷川幸雄の寵愛を受けていたからか、同年に出ていたバトルロワイアルでは今の「と゛お゛し゛て゛た゛よ゛お゛お゛お゛!」の原型は完成していた。
山田の一つ上の小栗旬は2年前の1998年にはGTO(ポイズン)に出演しており、いかにも線の細い優等生感ある軟弱そうな少年だったが今では立ってるだけでサマになる雰囲気高身長男優に立派に進化している。
当時の自分は彼らを20年後にこんな目で見るとは思わなかった。人生って不思議なもんだ。
今の若い子が見ている若い俳優が20年後にはどうなっているか、私にはよくわからんがジャニタレばっかりでかわいそうとも思わない。
TOKIOの長瀬智也、NEWSの山久智久は6番目の小夜子の同年というか同クールに池袋ウエストゲートパークIWGPに出演していたが今でもコンスタトに俳優活動を続けている。今では立派な男の色気溢れるいい男優だ。
TENGAは2005年から (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B8%E9%9B%85_(%E4%BC%81%E6%A5%AD))
ギルガメッシュないとは1998年まで (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8)
だから、ギルガメがギルガメッシュないとの意味だとオンエアではなく、録画を見ていないといけない。
ギルガメッシュLIGHTは2012年にやっていた番組なのでオンエア中にTENGAは使える。
ギルガメッシュLIGHTは2013年にDVDボックスが出ている (https://www.bs-tvtokyo.co.jp/gilgamesh/)のでそれを見ながらTENGAを使ったというのが一番可能性がありそう。
ちなみに、マスカットシリーズ (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)だと最近のこととしても話が成り立つ。