はてなキーワード: 平沼とは
なのよ。
https://anond.hatelabo.jp/20241018154926
今の横浜駅の場所も関内駅の場所も水の底。M字ハゲだった頃の舛添要一みたいな地形で、野毛山や戸部の辺りが半島で突き出していて、その隣に二つの湾が剃り込みが入ったみたいにあったのだ。
みなとみらいや高島の辺りは近年の埋め立てで高くなっているが無視して欲しい。
というか、東京湾内の神奈川県は多摩川河口の三角州以外ほぼ全域が、崖がストンと海に落ちる地形だった。これはリアス海岸のような沈降海岸の特徴でもある。
さて、そんな中に山下公園に接した、地下鉄の元町中華街駅~日本大通り駅がある一帯が棒状に少し高くなっていて水に沈んで居ない事に気が付くだろう。更にその根元は外人墓地がある山手の丘の方から生えるようになっている。
これは砂州なんである。南の方から沿岸流が漂砂を持ってきて、湾状になっているので山手の崖海岸を延長するように砂州が伸びて来ていた。天橋立とかサロマ湖と同じだ。
この横浜砂州があるのでその内側はラグーンになっていて貝とかが獲れる。また周囲は崖海岸ばかりで船を係留するのに便利なのは横浜砂州しかない。
さてこの湾はラグーンで全域水深が浅いし、横浜が入口を塞いでいる。この横浜って締切堤防に最適じゃね?
って事で江戸幕府は江戸の商人の吉田さんにここの干拓事業の承認を出す。横浜を延長してガッツリ閉鎖、土砂で埋め立てた。この辺はタウンニュースが書いてるので興味のある人はタウンニュースへ。
https://www.townnews.co.jp/0113/2017/01/01/363616.html
リンク先大まかな地図もあって、「横浜」も見える。横浜の先端付近が馬車道駅の辺りだ。
ペリーの黒船がやってきて幕府に門戸開放を迫ったわけだ。幕府はイヤだったが大砲とデカい動力軍艦で脅かされては何も言えない。
そこで江戸に近すぎると困るので距離が随分と離れて交通も不便だが不便すぎないという場所を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが横浜ってわけ。
今の大桟橋の途中にある「象の鼻」はこの幕府が作った横浜港の防波堤だったものだ。
横浜の名の由縁はこれで終わりだが、横浜駅と横浜村が大きくずれてる説明が必要だ。だからもうちょい書く。
幕府は倒れ明治政府は汐留と横浜の間に鉄道を敷くことになった。
さてここで問題になるのが、野毛山を挟んでもう一方の剃り込みだ。
話は前後するが、高島町駅から浅間神社を結ぶ、県道13号より南側は幕末にすでに干拓されていた。
https://maps.app.goo.gl/nuiDnwfHNRUhaT2cA
平沼さんが3代に亘って工事をやった平沼新田、岡野さんが2代でやった岡野新田などがあり地名として残っている。
すると陸地を通ると神奈川宿(京急神奈川駅付近)→浅間神社→高島町という迂回ルートになってしまう。
そこで、神奈川宿から高島町に掛けて海の中に土手を通してそこに線路を敷くという思い切ったコースにした。
こうして嘗ての寒村だった横浜村には鉄道が来て倉庫街や歓楽街、官庁街、商社街や異人街が出来て異人さんが闊歩するハイカラな街となったのでありました。
さて官製鉄道は神戸まで延長される事になったのだが、ここで厄介なのは横浜駅(現桜木町)の存在だ。横浜駅から延長すると遠回りになるし港南区の丘陵地帯を突っ切る必要が出てトンネル必須になってしまう。
だから本線は神奈川駅から保土谷に直行して、横浜駅は盲腸線扱いにした。でも大事な駅なので通過はできず、一度横浜に行ってから機関車を付け替えて神奈川に戻り、再度機関車付け替えで神戸へ、という運転をしていた。
クソめんどくせえ。
客もめんどくさいが貨物は更に、で運転系統がややこしいので横浜駅に貨物が溜まりまくってしまい、神戸から送った荷物や郵便の汐留着が1ヶ月以上先、とかがザラになってしまった。
これに陸軍はぶちギレ。鉄道省に文句を言ったが改善しない。しかも当時の役人は元武家ばかりなのでメンツに拘り軍といえども罵倒なんてしたらエライことになる。
なので陸軍の持ち出しで保土谷→高島→横浜という線路を敷いて軍の貨物は優先で動かせるようにした。
鉄道省も横浜駅の扱いの厄介さと滞貨には頭が痛かったので、盲腸線方式を辞める事にした。最初の線路の東側に線路を新設し、陸軍が敷いた線路に繋げる。で、その繋げた辺りに横浜駅を移転、元の横浜駅は桜木町と改称した。
しかし見れば判るが港にも繁華街、ビジネス街からも遠くて不便で、かなりの不評だった。
そこで三度目の正直で、どうせ不便なら分岐点の方がいいだろという事で、今の場所に横浜駅を移転したのだった。2代目の駅は基礎だけが残っていて、マンションの公開空地として公開されている。
https://maps.app.goo.gl/ZCBUxiAJ9RwfSxvw5
3代目駅はもう最近まで海の上だったところで、全く何もないとんでもない場所で今で言う秘境駅だったが、今までと違うのは、帝都の震災復興と開発計画が付随していた事だ。
市電が来て新しく開通する東横線、京浜急行と東海道線が立体交差する様に建設されていた。ただ、駅の西側に残っていた水面の埋立地は戦後米軍に摂取されてしまった。
しかし高度経済成長期に摂取解除されると商業ビルが一気に立ち並び、それで横浜=現横浜駅付近と認識されるようになったのであった。
因みに駅西側に残った水面は平沼と呼ばれていた。平沼という地名が近くにあるので誤認されたものだ。元は平沼さん埋め立てしたところが平沼なので間違いなのだが、国が発行する地図にも平沼と書かれていた。
と、こういう経緯。
横向きの砂州の横浜→埋立てで砂州は消滅→横浜開港→鉄道→横浜駅の場所が邪魔→素寒貧な海辺に移転→駅前が米軍接収解除で繁栄→今はそこが横浜という流れ。
「かつては財界が『人件費が高すぎて国際競争に勝てない』キャンペーンをしていた」という意見があり、一応その記憶は自分にもあるけど、そんな言説が本当に強かったのかどうか、あらためて確かめたくてTwitterを検索してみた。
結論から言うと、2010年前後ぐらいまでは割と普通・主流の意見で、一部のネット経済オタクがそれに反論している感じだった。しかし、アベノミクスの名の下にインフレと賃上げの好循環を掲げた第二次安倍政権以降は、明らかに少なくなっている。安倍政権は、なんだかんだまともではあったと思う。
製品の原価を考えた場合、原材料費+人件費+生産に必要なエネルギーなど となります。 原材料費はほぼ世界共通となりますので、人件費と付加価値部分の価格の問題となります。人件費は円で支払われますので、海外から見た場合、割高となり、これが企業の国内生産を苦しめます。(競争力低下)
ちょっと意見が違うな。国際競争力が外的要因で落ちているのに給与が上がり続けたわけで、人件費比率が下がったのは正常化に向かってるということでは。今、この場に具体的な数字を持っていないけど。企業に金を使えとも言ってません
グローバル化の名のもとに、ある意味国境なき価格競争が起きていますからね。海外の安い産品と人件費との競争にさらされ、平均化が進む。これまでは、自由主義が幅を効かせてきましたが、世界の先進国は障壁を設け始めている。
中国の生産拠点の移動には色々なご意見をいただきました。中には海外に求めず国内にとの意見もありましたが、国内では人件費が高く国際競争に負けてしまいますね、残念ですが・。
総務省タスクフォースで。ICT産業、主要16社での売上高販売管理費比率は日本企業は50%。その他地域は30%。人件費は欧州系の二倍、その他地域の六倍。国際競争力向上の壁は高い。
茂木議員「日本で企業再編が進まない」→平沼室長「産業再編の最大の問題点は余剰が発生する人材をどうするか。賃金が下がる。賃金消失を誰が補償するか?新日鉄は自分がやった。国際競争力回復で一番企業に負担が大きいのは余剰人員の賃金負担」
こないだJALの根本問題をBLOGにUPしましたが、 国際的に日本人の賃金が相対的に割高になって航空運賃のコストを圧迫し国際競争力が落ちてゆく構図は、当然にANAにも同じことが言える。
・東条英機
近衛内閣で陸相を務め、東条内閣では首相、陸相、内相を兼任。米国に宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。
陸軍大将。満州国建国、華北分離工作において中心的役割を果たした。
・松井石根
陸軍軍人。東条内閣で陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。
・武藤章
陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。
・広田弘毅
文官。岡田内閣で外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件後首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。
・小磯国昭
陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相に就任し、戦争を継続した。
・荒木貞夫
陸軍大将。犬養、斉藤内閣で陸相を務めた。皇道派の代表格であったため、二・二六事件後予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。
陸軍大将。シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定を中国に要求した。陸軍次官、関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。
・南次郎
陸軍大将。若槻内閣の陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官や朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。
・畑俊六
陸軍大将。阿部・米内内閣で陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣を誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。
・大島浩
陸軍中将。ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。
・鈴木貞一
陸軍中将。近衛・東条内閣で企画院総裁、内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。
・佐藤賢了
陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。
陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社「桜会」を結成、三月事件・十月事件を企画するも失敗。
・平沼騏一郎
山本内閣で法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相に就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。
・木戸幸一
近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。
・賀屋興宣
・星野直樹
満州国国務院総務長官、近衛内閣の企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。
・白鳥敏夫
・東郷茂徳
東条内閣で外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦の責任者とされた。
・重光葵
・永野修身
海軍大将。広田内閣で海相を務め、その後、連合艦隊司令長官、軍令部総長を歴任し、戦時中に元帥に就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。
・松岡洋右
ジュネーブの国連会議に全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。
・大川周明
学者。満州事変、二・二六事件、五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判中梅毒による精神異常のため免訴された。
・本庄繁
陸軍大将。関東軍司令官として満州事変を承認。戦後戦犯に指名されたが自決した。
・石原莞爾
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機と対立したため予備役に編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。
・近衛文麿
第一次内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯に指名されたが、服毒自殺した。
→世襲3世。厚生労働大臣や運輸大臣務めたベテラン。前回は中川正春に敗れる。
・中川正春 立民
→財務大臣、文科大臣、衆議院議長を務めたベテラン。毎回共産のベテラン穀田恵二と戦い、穀田は比例復活。
・堀場さちこ 維新
→MMT論者。消費税廃止、相続税廃止、公務員増加、年金月額20万、反グローバルを主張。
・山井和則 立民
・なかじまひでき 維新
■大阪
3区、5区、16区(公明党区)、10区(辻元)、17区(馬場)以外は自民と維新の接戦
→元法務副大臣、厚生労働委員長。前回は井坂信彦に約1万票差で勝利。
・井坂信彦 立民
・一谷勇一郎 維新
・桜井周 立民
・馬淵澄夫 立民
→世襲。緊急事態宣言下でクラブに行って離党した3人組の一角。菅内閣の文科副大臣を辞任。前回は次点候補に大差で当選している。
→小泉郵政解散で平沼赳夫の刺客となる。前回は保守分裂選挙で平沼次男の正二郎に勝利。元看護協会副会長。
・森本栄民 立民
妻へのDVで警察出動、コロナ渦でダイヤモンドプリンセス号に立ち入ったの岩田健太郎と喧嘩、厚労政務官と不倫疑惑など。
・柚木道義 立民
・垣内雄一 共産
・佐藤公治 立民
→元官房長官。前回は圧勝。林芳正元文部科学相(参院山口選挙区)が鞍替えを目指しているため、保守分裂は不可避。
・坂本史子 立民
→水野真紀の夫。徳島県知事や県議会をFacebookで批判し、自民徳島県連と喧嘩し県。徳島県連は、公認権を持つ党本部に対し、後藤田氏の非公認を求めている。
→前回は小川淳也に勝利。小川は比例復活し、立民へ。映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」で小川の人気上昇中。
「あべぴょん、がんばれ!ばばあ、黙れ!」、タブレットでワニの動画閲覧、デジタル改革担当大臣、「NECには死んでも発注しない」、官僚恐喝など何かと話題。
・広田一 立民
→前回は稲富修二に僅差で勝利。稲富は比例復活し、立民に所属。
百田尚樹の発言「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」に同調、夫婦別姓反対を求める文書を地方議会議長宛てに郵送、丸川珠代アジアンビューティー発言。
対抗馬の稲富修二は、モラハラで妻が子供6人連れて家出中と報じられた。
・稲富修二 立民
昨年から原田と自民党県議の栗原が出馬の意向を示し、公認を争い中。
→元金融担当大臣。前回は次点の城井崇に加えて共産党の田村貴昭も比例復活。
・城井崇 立民
→元佐賀県知事。前回は大串博志に敗れ比例復活。菅義偉内閣総務大臣政務官。あややのファン。
・大串博志 立民
国境なき医師団に参加経験がある消化器外科の専門医。元文部科学副大臣、元厚生労働委員長。
80歳。自民党比例定年73歳に反対している。
・吉川元 立民
野党一本化。
→前回は相手に比例復活を許さず勝利。先週、秘書が運転する車(車検切れ)で当て逃げ事件。武井も同乗していた。公認は不明。
・渡辺創 立民
・外山イツキ 維新
・野間健 立民
野党一本化。
・金城徹 立民
野党一本化
1 斎藤 佑樹 投手 1988/06/06 32歳 11年 176cm 77kg A型 右右 群馬 1,250万円
2 杉谷 拳士 内野手 1991/02/04 30歳 13年 173cm 78kg B型 右両 東京 3,500万円
3 王 柏融 外野手 1993/09/09 27歳 3年 182cm 93kg 不明 右左 台湾 15,000万円
4 谷口 雄也 外野手 1992/06/01 28歳 11年 182cm 90kg B型 右左 三重 1,500万円
5 大田 泰示 外野手 1990/06/09 30歳 13年 188cm 93kg O型 右右 広島 13,000万円
6 中田 翔 内野手 1989/04/22 31歳 14年 184cm 106kg O型 右右 広島 34,000万円
7 西川 遥輝 外野手 1992/04/16 28歳 11年 181cm 79kg A型 右左 和歌山 24,000万円
8 近藤 健介 外野手 1993/08/09 27歳 10年 171cm 85kg O型 右左 千葉 19,500万円
9 中島 卓也 内野手 1991/01/11 30歳 13年 178cm 75kg A型 右左 福岡 8,000万円
10 清水 優心 捕手 1996/05/22 24歳 7年 185cm 89kg A型 右右 山口 2,400万円
12 松本 剛 外野手 1993/08/11 27歳 10年 180cm 82kg AB型 右右 埼玉 2,100万円
13 生田目 翼 投手 1995/02/19 26歳 3年 176cm 88kg A型 右右 茨城 920万円
14 加藤 貴之 投手 1992/06/03 28歳 6年 182cm 90kg AB型 左左 千葉 5,400万円
15 上沢 直之 投手 1994/02/06 27歳 10年 187cm 88kg A型 右右 千葉 8,500万円
17 伊藤 大海 投手 1997/08/31 23歳 1年 176cm 82kg O型 右左 北海道 1,500万円
18 吉田 輝星 投手 2001/01/12 20歳 3年 175cm 85kg AB型 右右 秋田 1,030万円
19 金子 弌大 投手 1983/11/08 37歳 17年 180cm 77kg O型 右左 新潟 3,500万円
20 上原 健太 投手 1994/03/29 26歳 6年 191cm 90kg A型 左左 沖縄 1,700万円
21 清宮 幸太郎 内野手 1999/05/25 21歳 4年 184cm 103kg O型 右左 東京 2,200万円
22 鶴岡 慎也 捕手 1981/04/11 39歳 19年 176cm 78kg A型 右右 鹿児島 3,000万円
23 渡邉 諒 内野手 1995/04/30 25歳 8年 178cm 84kg B型 右右 茨城 5,500万円
24 野村 佑希 内野手 2000/06/26 20歳 3年 187cm 91kg O型 右右 アメリカ 880万円
25 宮西 尚生 投手 1985/06/02 35歳 14年 180cm 80kg O型 左左 兵庫 25,000万円
26 淺間 大基 外野手 1996/06/21 24歳 7年 183cm 82kg B型 右左 東京 1,150万円
27 古川 裕大 捕手 1998/06/19 22歳 1年 182cm 88kg A型 右左 福岡 900万円
28 河野 竜生 投手 1998/05/30 22歳 2年 174cm 84kg O型 左左 徳島 1,750万円
29 井口 和朋 投手 1994/01/07 27歳 6年 175cm 78kg O型 右右 神奈川 2,600万円
30 宇佐見 真吾 捕手 1993/06/04 27歳 6年 181cm 94kg O型 右左 千葉 2,400万円
31 村田 透 投手 1985/05/20 35歳 8年 183cm 83kg O型 右左 大阪 1,600万円
32 谷内 亮太 内野手 1991/02/03 30歳 9年 177cm 82kg B型 右右 石川 1,300万円
33 立野 和明 投手 1998/04/03 22歳 2年 181cm 87kg O型 右右 愛知 1,000万円
34 堀 瑞輝 投手 1998/05/10 22歳 5年 177cm 80kg A型 左左 広島 2,800万円
35 西村 天裕 投手 1993/05/06 27歳 4年 177cm 94kg O型 右右 和歌山 1,900万円
36 バーヘイゲン 投手 1990/10/22 30歳 2年 199cm 106kg 不明 右右 アメリカ 13,000万円
37 柿木 蓮 投手 2000/06/25 20歳 3年 181cm 89kg A型 右右 佐賀 520万円
38 石井 一成 内野手 1994/05/06 26歳 5年 182cm 80kg O型 右左 栃木 1,800万円
39 秋吉 亮 投手 1989/03/21 31歳 8年 183cm 88kg A型 右右 東京 5,000万円
40 福田 俊 投手 1996/12/14 24歳 3年 171cm 73kg A型 左左 北海道 1,250万円
41 B.ロドリゲス 投手 1991/07/06 29歳 4年 196cm 111kg 不明 右右 ドミニカ共和国 3,500万円
43 長谷川 凌汰 投手 1995/11/08 25歳 2年 188cm 97kg A型 右左 福井 520万円
44 アーリン 投手 1990/10/08 30歳 1年 183cm 86kg 不明 左右 アメリカ 8,000万円
45 平沼 翔太 内野手 1997/08/16 23歳 6年 179cm 80kg A型 右左 福井 1,400万円
46 田中 瑛斗 投手 1999/07/13 21歳 4年 184cm 78kg A型 右左 大分 560万円
47 鈴木 健矢 投手 1997/12/11 23歳 2年 176cm 78kg O型 右左 千葉 880万円
48 上野 響平 内野手 2001/04/26 19歳 2年 172cm 73kg A型 右右 大阪 530万円
49 公文 克彦 投手 1992/03/04 29歳 9年 173cm 83kg A型 左左 高知 5,000万円
50 五十幡 亮汰 外野手 1998/11/27 22歳 1年 171cm 67kg B型 右左 埼玉 1,100万円
51 石川 直也 投手 1996/07/11 24歳 7年 192cm 90kg A型 右右 山形 4,500万円
52 池田 隆英 投手 1994/10/01 26歳 5年 181cm 85kg B型 右右 佐賀 650万円
53 R.ロドリゲス 内野手 1992/04/17 28歳 1年 183cm 81kg 不明 右右 ドミニカ共和国 4,000万円
54 玉井 大翔 投手 1992/06/16 28歳 5年 178cm 79kg A型 右右 北海道 5,600万円
55 難波 侑平 内野手 1999/05/06 21歳 4年 178cm 81kg B型 右左 岡山 520万円
56 細川 凌平 内野手 2002/04/25 18歳 1年 174cm 75kg A型 右左 京都 520万円
57 杉浦 稔大 投手 1992/02/25 29歳 8年 190cm 90kg A型 右右 北海道 3,700万円
59 根本 悠楓 投手 2003/03/31 17歳 1年 173cm 78kg O型 左左 北海道 520万円
60 郡 拓也 捕手 1998/04/25 22歳 5年 179cm 86kg B型 右右 東京 550万円
61 今川 優馬 外野手 1997/01/25 24歳 1年 177cm 87kg A型 右右 北海道 840万円
62 望月 大希 投手 1998/02/01 23歳 2年 187cm 88kg O型 右右 千葉 790万円
63 北浦 竜次 投手 2000/01/12 21歳 4年 184cm 96kg AB型 左左 栃木 720万円
64 田宮 裕涼 捕手 2000/06/13 20歳 3年 175cm 82kg A型 右左 千葉 530万円
65 梅林 優貴 捕手 1998/03/14 23歳 2年 173cm 82kg A型 右右 広島 700万円
66 万波 中正 外野手 2000/04/07 20歳 3年 192cm 97kg A型 右右 東京 530万円
67 片岡 奨人 外野手 1997/11/16 23歳 2年 184cm 81kg O型 右左 北海道 700万円
68 石川 亮 捕手 1995/07/20 25歳 8年 181cm 85kg O型 右右 神奈川 1,100万円
70 今井 順之助 内野手 1998/05/25 22歳 5年 176cm 91kg A型 右左 岐阜 510万円
91 髙濱 祐仁 内野手 1996/08/08 24歳 7年 185cm 90kg B型 右右 佐賀 550万円
93 樋口 龍之介 内野手 1994/07/04 26歳 2年 168cm 91kg A型 右右 神奈川 520万円
111 宮田 輝星 外野手 1997/12/02 23歳 2年 177cm 75kg A型 右両 鹿児島 300万円
114 松本 遼大 投手 2002/05/17 18歳 1年 187cm 96kg A型 右右 岩手 260万円
115 齊藤 伸治 投手 1998/06/13 22歳 1年 181cm 83kg B型 右右 千葉 260万円
144 海老原 一佳 外野手 1995/09/13 25歳 3年 189cm 97kg A型 右左 東京 360万円
148 高山 優希 投手 1998/05/17 22歳 5年 181cm 82kg O型 左左 大阪 440万円
払った賽銭高かった、山の空気は清かった…原→高橋→加藤友→山本→清浦→加藤高
若い田んぼは幸せだ、若い犬は最高だ…若槻→田中義一→濱口→若槻→犬養→斎藤実
岡は広く、林が見える。近くに沼もあるからあんべ…岡田→広田→林→近衛→平沼→阿部
米国近くの東の磯の涼しい宮様…米内→近衛→東條→小磯→鈴木貫太郎→東久邇宮稔彦
シダはヨシ!休むのは片足でヨシ!…幣原→吉田→片山→芦田→吉田
隼人の国のサトウキビ、田中に三木あり福なきゃ大変!鈴木君を泣かそうね!…池田→佐藤→田中角栄→三木→福田赳夫→大平→鈴木善幸→中曽根
竹うかぶ、宮の細川、ハタムラに…竹下→宇野→海部→宮澤→細川→羽田→村山
橋のたもとの小さな渕で、森の泉にアッカンベー…橋本→小渕→森→小泉→安倍
ヤスオくん「あっそうだ!鳩に缶を詰めるノダ!あーべちょべちょっすなぁ」…福田康夫→麻生→鳩山由紀夫→菅直人→野田→安倍→菅義偉
大阪桐蔭は負けてると5回ころに相手投手にデッドボール当てる確率が物凄く高い(あからさまな故意)高校だろ
自分は相手に故意死球当てるくせに、自分がやられるのは嫌なのか
http://www.hb-nippon.com/report/1355-hb-nippon-game2015/12862-20150331001
二つ目は2回表、4番・平沼翔太に対して田中が投じた2球目がややすっぽ抜け気味にシュート回転して平沼の右肘付近に向かったこと。
ですね、ですから、その、新しいゴミが、全く新しいゴミがですねぇ、去年の3月11日に新規に発見されて、だからさらに8億円ひきましたというのではなくて、もともと存在していて、それもある程度関係者の中では把握していたものがですね、その、まあいろいろ、籠池さんからとってみればですね、過少に評価がされて、えー、もっと、もっと引けるんじゃないのかと、いうことをまあ、お気づきになられたのが、去年の3月11日だったと、いうこと、ですね、
仰るとおりです、
はい、わかりました、それで、あのー、田村室長にそのことをたぶん話されてると思うんですが、その時に、この、中道組が作ったとされる打ち合わせ記録は、これ現に示しながらですねぇ、例えばその、地下を上回る瑕疵が発生する国有地の貸し出しはできないと、今も何回か言及があったようなことをですねぇ、見せながらお話になったということですか、
えー、仰るとおりですし、あの、この、議員いまお持ちのモノは、えー、田村さんにも渡しております、
あ、渡してるんですか、
あ、そうですか、それともう一つ、まあ、これだけ、まあ、あの、議事録、音声データが出てきましたけれども、籠池理事長が財務省に行ったときにですねぇ、先方はメモをとってましたか、
もちろん訟務係が二人ついておりましたから、とっておりました、
それと最後に、あの、先ほど平沼先生の名前が、出たんですけれども、その、初期の段階だと思うんですが、その平沼先生の果たした役割って言うのは、どういう役割だったんでしょうか
やっぱり平沼先生は、もう、私の、あの、とても尊敬するかたでございましてねぇ、あの、この先生に、推奨していただけましたらね、この学校の、まあいわゆる、なんというんですかねぇ、うーん、存在する以前の、建築をするね、意義が、当然、日本国民にとって、高まってくるだろうと、いうふうな認識をもったわけです、ですから、平沼先生あればこそ、この学校が、まず、開校しようという方向に、私が思ったということに、まちがいないですね、
一点だけですね、あの、定期借地で入っていって、で、買い戻し条件つき、買受条件付き定借で、始まってかつ、あの、売買の契約に変わっても分割払いを認めていただいてますよね、これやっぱりその、籠池さんから見ても、かなり特別なことをしてくれたという感覚は、ありますか、
あのね、それはねぇ、あのー、もともと10年で買取りということでしたから、あのー、10年で分割してもべつに構わんのではないかと、いうふうに私は思ってましたから、あちらのほうに提案しましたら、それはそれでよろしいということになったということです、
このメモのなかにですねぇ、普通は売買でやるんですけれども、その、貸し付けで最初入っていって、やるっていうこと自体が非常に特例ですよという発言が、これ財務省側から出てくるんですけれども、ま、そういう、こう、かなり特例だったという感じで、進んでたわけですか、
あのー、財務省のほうから、なんか、二度三度そういうこと、仰られましたねぇ、あぁ、そうなのかと、いうふうな感じで、あぁ、これはあまりないことなんやな、有り難いことやなと思って、私は受け取っておりました、はい、
あのー、最後に、あの、いま皆さん方は財務局のほうのことばっかり仰ってるんですが、その、財務局はですねぇ、あの、大阪府の私学審議会の答申をうけて、次に国有地審議会に行ってるんですよ、ですから、大阪府の私学審議会が認可妥当にならなかったら、国有地審議会に行かんのです、ということは、大阪府、府庁の人たちは、いわゆる、私が出しました申請書、の、を受け付けたわけですよね、形式的に問題なかったという、その前に、あのー、申請書の前にはですねぇ、えー、計画書というのがあるわけです、計画書というのは六か月前に出すわけですね、で、それをチェックして、で、終わりま、よし、これでいいよと、いうことになると申請書の受付になるわけです、で、もう、申請書の受付になると殆どね、あの、問題なく動いていくということ、なんです、ですから、本来は、もうそのまま、私学審議会、平成にじゅう、えーっとー、6年の、12月に、第一回目の分があって、本来そこで通る予定だったのが平成27年の1月にずれ込んだと、いうことなんです、その後、あのー、財務局の国有地審議会が始まってると、いうことから考えていきますと、やはりあのー、大阪府のほうの、やはりこのー、我々の、えー、事業に対してですねぇ、やはり一生懸命ね、緩和措置をしました、えー、小学校の認可ですから、一生懸命なっておったと、いうことは当然あると思います、そこに関りがありましたのがやはり、当時の、もう今は解党されて雲散霧消になってますけども、もともとありました党、この党を通じての動き、そして、あのー、えっとー、証人のときにも申し上げましたが、あの、当時の府会議長、あ、府会議員であられました畠先生の働きかけ、それによって、二期目にはい、二期目、一期目の時の知事だった、あー、松井一郎さんがですねぇ、まあ、ある程度一生懸命なって、二期目になりましたら、もう、党が雲散霧消してますから、いわれる気持ちが変わることも当然あるんだと、いうふうにおもうんですねぇ、そういうふうな局面で、あのー、どうも、あのー、一生懸命さから最終段階、認可を取り下げさそうさそうとした、動きになってきたと、もう、もっと言えば、いま私たちがいま大阪府大阪市で、いま、あの、大そうな目に遭ってますのは、大阪府と大阪市、これ行政体違うんですが、本来、一緒になって、あのー、補助金調査をしてはいけないもんなんですけども、一緒に、資料交換し持って、地方政府の維新の党ですから、し持って、ま、ま、我々の学園をもう根こそぎ潰してしまおうかと、いうふうな方向でいま、きてるということ皆さん、ご存じ、あまりないでしょ。もう、ですから、国有地のこともすごく重要なんですが、あの、その、私学審議会、これはなんでそのようになっていったのかというところは、あの、もうちょっとやはり、あのー、究明をしていただかないといけないことがあるんだと思います、あのー、当時の、えー、私学審議会の座長の、カジタさんのほうも、あのー、百条委員会だったかな、えーが、あのー、どうしますか云々のときにかなりのプレッシャーがあったんだよという話があったように聞いていますけど、まあまあ、あの、委員会が承知に、で、回答されたときにはべつになにもありあませんでしたというふうに現実は変わってたということはあるんですが、やはり、あのー、やっぱりそこらへんがなんかどうも、あのー、ややこしい話になってて、それで、近畿財務局と大阪府のほうが、こう、なんてんですが、キャッチボールをしてると、いうね、あのー、以前は、あのー、我々の学校作ろうという意味でのキャッチボールをしてたのが、こんどは、あの、なにか、もうそれをやめさそうというキャッチボールをしてるというふうな状況にいまなってるということ、やっぱり、あの、考えていただいてですねぇ、あの、党の皆さん、あの、議員の皆さん方にもやはり、そういう点も、あの、目を、目配り、していただけたらなあというふうに思います、やっぱり、維新の党にも、いろいろ、問題があったんではないかなと、私は思ってるということであります、はい、ありがとうございます、
えーっと、教育後援会は、いろいろなあのー、方をお呼びしましてですねぇ、ま、百万円の場合もありましたら、50万円の場合も当然あります、ですねぇ、あのただ、安倍先生の場合はですねぇ、あのー、なんていうんですか、あのー、国会議員でもあられましたし、そのご婦人でもあられますので、当初の、おー、あいだ2回ほどは、さしていただいておりません、ただ、あのー、3回目、いわゆるあの、名誉校長ご就任いただきましたときはですねぇ、えー、十万円を包んで、えー、お帰りの時に、えー、お菓子の袋のなかに、そっと入れて渡したと、いうことはございます、はい、
それはそのまま受け取られたんですか、
それはあのー、収支報告にものってる、あのー、PTAで収支報告出してますよね、その収支報告のなかにも含まれている金額ですか
それにつきましてはですねぇ、あのー、PTAのほうから出したのではなくて、えー、学園のほうから出しましたから、そのあの報告は載ってると思います、
学園側の決算書に載ってるということですか、
いうことですね、はい、
はい、わかりました、
あのー、だし、あのー、可能な範囲でその、ほかは消して結構ですので、その支出がわかるものもし、可能であれば、あのー、
あのー、ま、8億2千万円程度の値引きが、ま、国のほうで計算したと、いうことなんですけども、で、その後の実際の工事なんですが、ま、出た時は建物の基礎工事は終わっちゃってますんで、ですから実際には建物下部分の、ごみの搬出はなさってないんじゃないかと、それ以外の部分も、そうするとそれほど多くないと思うんですけども、そうすると実際に、このー、実際になされたですね、ごみの搬出にかかった費用というのは、幾らぐらいだったんでしょうか、
えーっとですね、先生ねぇ、そこはねぇ、ちょっと私も、あのー、途中でこの、なんていうんですか、小学校建設事業を取り下げてしまいましたんでね、最終のところのつめが、あの、建築業者ともできておらない段階なんです今、ですから、ちょっと、あの、その、それはちょっと、私がいま、答えられないんで、まことに恐縮なんです、もうしわけない、
えー、すいません、今日は有難うございます。あの、近畿財務局がまあ、数か月、この、えー、撤去費用の交渉されてたということだったんですが、それで、えー、見積を藤原工業さんとか設計事務所さんのものを、近畿財務局のほうに出されて、でその後、ま、神風が吹いたという、先ほどのお話がありました、8億円ほどの、ま、値引きがあったということなんですけども、この、近畿財務局のほうがですね、そのー、埋まってるこの埋設してるゴミがどのくらいかというような調査に来るとすれば当然、あの、籠池さんのところに、この、調査に来たいということで、申し出か何か、そういう問合せがあったと思うんです、そういう、近畿財務局なり航空局なりが調査したような、ことはあったのかどうかということとですね、先ほど船山先生の質問の中で、この謝礼が、という、謝礼をお支払いしたということが、あったんですが、もし、ご記憶が今ございましたら、どのぐらいの講師料をお支払いされたのかということも、もし、じゅうま、、あー、すいません、それは失礼しました、それと、あのー、すいません、あのー、もうひとつですねぇ、あの、安倍昭恵さんのその名誉校長を辞任されたという時にですね、FAXで来たと、ふつう日本の常識からすれば、何か役職を辞任するときは辞表を書いてですねぇ、まあ、せめてお会いしたりとか、そういうものでやると思うんですが、FAXで来たってことにどんなふうに、ご感想を持たれたかっていうことです、その3点、すいません、お願いします、
えーっと、謝礼の件は十万円、ということですね、あのー、その調査の件は、えー、2回ほど、えー、航空局と財務局が一緒に、まいりましたですね、あのー、土質の状況を確認した、
ということです、あのー、それは2回ほど、我々のほうにも行きますということで聞いております、それと、あのー、ご辞任の、FAXですが、もうあのー、議員仰るとおりで、あのー、まあ、俗な言葉で言うと失礼な話やなあと、いうことなんですよねぇ、で、あのー、こちらのほうからも、はいわかりましたというふうな、あのー、回答もしておりませんし、まあ本来、あのー、ほんまものをですねぇ、郵送して頂くとか、いうのが、まあ社会の常識だとは私思っておりますけども、まあそれもなく、またあの、これは後付けなんですが、安倍昭恵夫人はご自身で、辞任したことはご存じなかったんです、ええええ、ええ、ご存じなかったんですねぇ、それは、あの、安倍昭恵夫人付きの、えー、元秘書のかたのほうから、えー、のお母様のほうから、いまどうしたんですか、いま早く昭恵夫人と連絡をとってね、あの、今の状況がどうなのか、どのようにするのかということを、おー、言ってあげないと困っていらっしゃいますよということだったんで、いやもうすでにね、事務所のほうから辞任届け出がまいっておりますと、で、そうすると、びっくりされたと、いうことで、あのー、昭恵夫人も、あの、ご自身の、メールでですねぇ、あの家内とのメールのなかですねぇ、私が辞任したことは知らなかったと、いうことでありましたので、これはあの、当然、あの、事務所、のほうからの、あるいは事務所の上のほうのほうからの、対応であったんだろうというふうに、あのー、私は認識しておりますが、はい、
二度目となりまして恐縮ですが、あのー、何点か、事実確認をさせていただきたいと思います、一点目はあの、先ほど福島議員が質問されたことですが、その、ストライクゾーンの話をされたのは統括官ということでしたが、それはどなたであるのかというのが、あ、それはまえのしつ、あ、わかりました、はい、すいません、ごめんなさい、あのー、えっとー、じゃあ一点目はですねぇ、あの、稲田龍二さんに関することですが、あのー、財務省のかたが稲田事務所に来て、ま、航空局の、国交省も含めてですが、話したということです、もうその時点で顧問ではないということだと思うんですが、またお仕事として依頼されたわけでもないというお話ですが、それではなぜ、わざわざその稲田さんの事務所に、あの、役人のかたが来てですね、お話をされるような状況になったのか、それは、例えば稲田朋美さんの政治力を期待してというようなことなのか、ちょっとよく、その、あの背景がわからないので教えていただきたいというのが一点です、二点目はあのー、加計学園との関係ですが、これは昭恵夫人がきっかけになって、まあ何か、ご連絡を取るようになったという先ほどのご説明だったと思うのですが、そういうことでよろしいのかどうかというのが二点目です、三点目はあの、サステナブルの建築物の補助金についてでございますが、あのー、えー、この、おー、お金がですね、28年の5月にお金がでるということになっていたものが、28年の3月22日に支出をされております、ま、あのー、ちょっと不可思議なこともあるのかなと思うんですが、この間あのー、朝日新聞等で、その評価委員の方に、森友学園側から事前に、まあ何らかの接触があったという記事が出ておりましたけれども、何かそのサステナブルの建築物補助金に関して、えー、やりとりというものがあったのかどうか、この三点でございます、よろしくおねがいします、
えーっと、稲田龍二先生はですねぇ、あのー、なんていうんですかねぇ、あの、昵懇でありましたんで、ですから、まあ、ちょっと相談に乗ってくれませんかということで、申し上げたら、あー、まあ乗らしてもらうと、いうことだったので、連れていかしてもらったと、いうことなんですねぇ、まあそこで、何の解決があったかというと、それはないですが、まああの、そのー、えっと、前にも、なんていうんですかねえ、我々の運営しております、保育所の、関係で、あの、稲田龍二先生ところの、おー、弁護士の先生にね、大阪市の保育課に出向いて頂いて、お話をさしていただいたということも、ありました、はい、えーっと、それと加計学園の関係ですねぇ、あの、えーっと、加計学園の関係、加計学園の関係というのは、えっ、なんでございましたかね
加計学園にいろいろ行ったりされたのは全て昭恵夫人が最初はつないだということで、
あ、仰るとおりですね、仰るとおりです、仰るとおり、はい、で、サステナブルの件、あの、これはですねぇ、あの、議員よくご質問いただいたと思うんですけどねぇ、あの、本来わたしどもは平成28年の4月に開校予定だったんです、ですから、あの、変更申請をたぶん設設計士のほうがしてるんだと思うんですね、しかも、本来この、サステナブルというのは、えー、この年度、8件が申請しておりましてね、でー、私がまあ、思っておりますのは、これってもしかして、私はこの23億なんぼの、あのー、上申しなさいということは言ったこありませんで、これはもう、あの、全て、設計士のほうが、実地設計の段階で、というのは、あのー、藤原建設に決まる前に、もうすでにこれば申請書だしておりますので、設計士しかわからないんですね、ですから、それにともな、あの、基づいて、あの、建設業者が、まあ絵を描いたいう感じなんだと思いますが、えっとー、あのー、というのは、えー、実地設計の段階で、私どもで23億になってるということは、ほかのですね、これ8件の、あの、申請したところも、かなり高い金額で、出してんじゃないかなと、そのように、言われたのかどうかは僕は設計士の方じゃないとわりませんけども、そういうことも、あのー、国交省のほう考えられるんじゃないかなと思ってまして、それはもう、あの、先生がたにお調べいただかないといかん分やなと、いうふうに思っとるわけであります、はい、そゆことでございますので、はい、
ぼつぼつ時間もまいりましたので、えー、しめていきたいと思いますが、今、手を挙げられた皆さんは、一巡したいと思います、
まああのー、一点、あの、お伺いしたいんですけど、安倍昭恵さんが、百万円を寄付するということはね、私総理に行ったんです、べつに、悪いことでもなんでもないじゃないすか総理と、それでね、総理が、昭恵さんが関わってたりとか、自分が関わってれば、議員も辞めると、総理大臣も辞めると、そういうこと言うからダメなんだと、いうふうに私言ったんですが、本人たちは、関わってないという認識で、我々に答弁するわけですよ、でもこれは国民が見ても、どうして関わってるじゃないかと、これはみんなそう思ってるんですよね、だから籠池理事長は、安倍総理が、昭恵さんは関わっているか関わってないかというふうにね、あの、僕はもう嘘言ってると思う、実際、関わってるという認識で良いのかと、で、そういうことであれば、安倍総理は、自分の責任に、責任もって、まあ辞職するというのが適当だと思うかどうか、この一点だけ教えてください、
あのー、当然ですねぇ、この百万円頂いた時に、安倍昭恵婦人のほうは、私にですね、ひとりでさせてすいませんという言葉を頂いてるんですね、ということは、あのー、籠池さんあんただけに任してごめんねと、私たちも今まで何もできなかったけど、あのーここで百万円の寄付をするわねっていうふうな意味だというふうに認識します、ということはですね、あのー、これは、あのー、関わっていただいたと、いうことですので、あのー、総理のほうがですね、あのー、何日のころか国会で言われた、いま先生仰ったようなことですけど、やっぱり、この、事柄には、関りが、非常にあるんだと、いうふうに、私は、認識しております、
じゃあ、言った責任とって辞めるべきですよねぇ、
あー、あー、そういうふうに仰ったんであれば、そうなる、ことになりますね、はい、
あのー、いわゆる場内処分の勧めとですね、財務省による、それからあのー、価格を事前に伝達してた問題、この二つについて伺いたいんですが、あのー、財務省これ一貫して否定してましてね、でー、あのしつこくこれ、確認しろと、言いましたら、えー、本省から近畿財務局に確認をして、で、国会に対して、えー、こういう事実は一切ないという文書を出しました財務省が、で、このやりとりをしたときに、あのー、こちらが、鴻池事務所作成の、例の、陳情処理簿の記録をもとに財務省に正したんですが、こういうものはその、おー、事実を確認するに適当でないものなんで、これに基づいたお尋ねは答弁できないと、財務省こういう姿勢なんですね、それであのー、籠池さんに、お尋ねしたいんですが、今日配布されたこちらの、あの、この田村室長とのやり取りを示した書類の中に、えー、場内処分の勧めに関する、うー、近財と、籠池さん側とのやり取りは詳細に、ここで、出てきます、あのー、5ページ、にのってますね、で、えっと、これは、あのー、まずこれ間違いないと思いますけど、間違いないかどうかということと、それから、これを拝見すると近畿財務局の、えー、マエニシさんかな、から、あー、キアラ設計にに対して、こういう試算が、あったのかなと、これを、このやり取りを見てて思うんですが、そうだったのか、で、籠池さんは、キアラ設計からその事実を聞かされて、この田村さんとお会いになった時に、田村さんに、いや近畿財務局が、あー、キアラにこう言ってるじゃないかと、いうやりとりをここでされてるのか、えー、これを確認させていただきたいという、それからですねぇ、二点目のこの価格の事前伝達というのは、この田村さんとのやり取りの資料の中には、そこに関するやり取りは出てくるかどうか、そこをちょっと教えてください、で、このー、田村室長とのやり取りの文書みてますと、あのー、この、近財のマエニシ氏の役割というのが非常に大きかったように見受けられるんですね、で、この中で、籠池さんご夫妻は、あー、マエニシさんがもう移動しちゃって責任をとらないと、いうことに非常に憤っておられますが、あのー、マエニシ氏をはじめとする、まあ、ミヨシさんとかキダさんという名前が出てきますけれども、そもそも、この近畿財務局に、今回の件の発端となる、大きなミスがあったという認識、をお持ちなのかどうか、えー、そこを教えていただきたいと思います、それと、あのー、
えーっと、それはどの段階ですか、
あの、発端ですね、この問題の発端で、で、近畿財務局とのやり取りで、いろいろ、えー、その、混乱が起きて、で、その相談をしにこの田村室長のところに行かれたのかなと思うんですけれども、えー、そういうことなのかどうかを教えてください、それからもう一点、あのー、これ財務省と委員会でやり取りしてますと、まあ、決定的に、その彼らが持ってる文書、破棄したとか、ないとか言って隠すんですね、で、私は、彼らがその隠す理由というのは、一番大きなのは、この、近畿財務局で場内処分の勧めをしてしまったという、この瑕疵に対するやっぱり、後ろめたさと、もうひとつはこの価格の事前伝達、をしてしまったということに対する後ろめたさ、この二つが一番大きいのかなと思ったのですが、もしそれ以外に、籠池さんからご覧になって、財務省が隠す理由があれば、教えてほしいと思います、それから最後に、えーっと9.9メートルから廃材が出た、以降に、昭恵夫人に、えー、籠池さんのほうから相談の電話などを、されたかどうか、特に、土地を買い取りたいという相談をされたかどうか、えー、以上について、お尋ねしたいと思うのですが、
えーっと、まずですねえ、えー、まあ、近畿財務局の対応のまずさというのがまず、はじめに、あったんだと、これはもう、認識を、あの、初めからしておりますので、ここは大きな、あの、ポイントになるだろうなと思ってます、それと、あのー、価格の、事前伝達、ということは、私たちはしてないんですよ、ええ、あのー、こんだけですよということはしてないです、ただ、我々のほうは、あのー、素直に計算したものだったら、こないなりますけどと、でも、もしかして、これって価格よりも安くなるんじゃない、価格よりもじゃない、価格が、マイナスなんぼになるんじゃないですかというふうな危惧はもったと、いうこと、は、それと、もうひとつ、あのー、これは当然、あの、当時の、担当官は、あの、マエニシさん、だったわけですけども、あのー、このときの、ま、財務省の、おー、対応のしかたを、財務省が、資料を、おー、なくしてしまったとか、いうのはあってはならないことだと思いますが、やはり、あの、先生仰ってるようなことが、あったんではないかなと、は思っております、もう一点なんでしたっけ、
あの、廃材の問題で、9.9メートルから廃材が出た以降に、昭恵夫人に籠池さん側から相談の電話などをされたことがあるかということ、
あ、あのー、すごいことになりましたと、フッフッフ、これは学校できなくなりますと、で、えー、生活ごみ、大変ですと、いうふうなお話はさしていただきましたね、
そこで、土地を買い取りたいんだけどっていう相談はされましたか
あっ、そこはしてないです、はい
いま、お電話されたのは、廃材がですね、地下から出てきたのは3月11日ですよね、昭恵夫人にお電話された日付、いつぐらいか覚えてらっしゃらないですか、
えーっとですねぇ、私が、知らされましたのが、えー、財務省に参りましたのが3月の、えー、火曜日、火曜日なんです、はい、で、その前日は、日曜日、そして土曜日、その前の金曜日、その金曜日、えー、金曜日何日ですかね、その日に私は初めて知ったんです、はい、初めて知ったんですねぇ、ですから、あの、これはえらいことなったというのは、その、あの、日に、えー、金曜日の日、えー、あるいは、その次の土曜日の日、いずれかで、ご連絡を、したことが、あのー、認識しております、はい、
そのとき昭恵夫人は、あの、、どういうことをすると仰ってくれたんですか電話で、
あー、いやいや、それはもう、いや、それは大変ですねと、うん、ゆうことですね、
いや、それは、あのー、私も、そういうとこは求めてませんでしたし、あのー、仰りませんでした、はい
あ、しておりません、しておりません、はい
一点、念のため確認ですが、今日この田村さんとのやり取りの資料出ましたけども、これをもってしても、財務省は、根拠のないものだと抗弁する可能性があります、そこで、ここで記されてる音声データーは必要に応じて、籠池さんが、あの、音声として公開される用意があるかどうかだけ教えてください、
いや、それはー、わたしーの声、家内の声、そして田村さんの声が分かれば、分かるもんでしょうから、それは結構なことじゃないかなと思いますが、はい、
あの、土地のですね、はい、あの買取をした以降に、あの買取りが出来たということについて昭恵夫人に、あの、ご報告お電話などをされてますか、その時の、夫人の対応なども含めて、教えてください、
そりゃもちろんね、あの、買い取りましたと、買取りさしていただきました、有難うございました、まことに恐縮でございました、ということであります、
それはいつごろ、
夫人はなんておっしゃって、
はい、衆議院議員の玉木と申します、あのー、去年の3月15日に、理財局に行かれて田村室長とあ、会われたですねぇ、ひとつの大きな理由は、前の年の、えー、9月4日に、近畿財務局で、関係者が打ち合わせをしたですねぇ、メモを、籠池前理事長、入手されたからだと思うんですね、で、あれは中道組様が、えー、録音に基づいて作成された、資料だというふうに認識をしています、まずそれ正しいのかどうかと、いうことと、もう一つはですねぇ、あの、財務省今までの説明は、その、3月11日にですねぇ、新しいゴミが発見されたので、この8億円の値引きをしていきましたという説明をしてるんですが、ただこの、前の年の9月4日のを見るとですねぇ、すでにゴミは把握をしていてですね、それを計算にいれないと、いう判断をしていて、ずっときていたんだけれども、ただ、その、このメモを読むとですね、実はそういうゴミはすでにあって、ただそれを、いれないで計算して、やろうということが、ま、ある種、籠池さんにとって不当な提案があったと、いうふうに認識をされたので、その、あると認識してたのに計算にいれてないのはおかしいじゃないかと、いう思いもあって、去年の3月に理財局に押し掛けたと、いうことで基本的によろしいのかどうかと、
えー、仰るとおりです
こんばんは俺です。
森友学園への国有地売却問題解明プロジェクトチーム(民進党)が行った、籠池泰典氏のヒアリングを文字起こしました。
なのでミスはあるとおもうです。
二次利用する人はそこんとこよろしくです(自分で確認してください)。
はい、えー、それでは、ただいまより、えー森友学園の、国有地売却問題解明PTを開催していただきたいと思います、
えー、では改めまして皆さんお疲れ様でございます、今井議員と共に共同座長を仰せつかっております参議院の川合でございます。本日のこの会議の趣旨は、既に皆様もご承知のとおり、ここへきて国有地の払い下げの手続きに関わる、近畿財務局の説明資料と、新たな証拠が出てきたということを受けての会議の開催ということでございます、本日は籠池前理事長にも、お越しいただきまして、直接皆様にご説明をいただけるということでございますので、この機会を設定させていただきました、あらためて、確認するまでもないことでございますが、私どもがやらせていただいておりますのは、事実の確認ということでございますので、その視点から、ぜひとも、議論深めていただきたいと思います、限られた時間ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
はい、あのー、お手元に資料が二つあると思いますけれども、ここ最近、近畿財務局からの説明資料という「今後の手続きについて」という、紙が出てまいりまして、それともうひとつ、田村室長との面談の時の、録音というのが出てまいりまして、いま国会でもこれが非常に、注目されておりますので、今日、1時半から、役所のほうとヒアリングをさせていただきたいと思いますが、両側から話を聞く必要があるということだと思いますので、今日はあの、籠池、当時の森友学園理事長に、お越しいただきまして、お話を伺いたいと思いますので、宜しくお願いしたいと思います。
どうも皆さんこんにちは、えー、貴重な時間を設けていただき、まことに有難うございます、あのー、まずもって、えー、皆さん方からのお話をうかがう前にですね、私ちょっと纏めてまいりましたので、えー、そのことを、ちょっと、お話させて頂きたいと思いますが、座らしていただいてよろしゅうございましょうか、はい、失礼します、えー、まずこの、はじめに、えー、この度、思いもかけず、民進党の方々のほうから、瑞穂の國記念小学院建設に伴う、土地取引、ならびに学校設置認可について、説明せよと、要請をお受けしました、私といたしましては、証人喚問でも申し上げました、あー、とおり、自分の反省すべきところは反省し、えー、自分の承知しておりますことは出来るかぎり、率直にお話を申し上げる方針には変わりはありませんので、えー、このご要請に応じ、出来るかぎり、議員の皆様方のご質問に誠実に、お答え致したいと考えております、えー、まず、あの、昭恵夫人との関係につきましては、えー、おそらく、あの、議員の皆様がた、につきましては、本日のご興味はですね、えー、先般明らかに致しました、私と、財務省の田村室長との会談の録音テープで、あろうかというふうに、思っております、えー、まずはあの会談に至るまでの経緯について、申し上げたいというふうに思っております、えー、瑞穂の國記念小学校の建設構想が、具体的に走り出しました直後の、平成24年の10月ごろ、まず真っ先に、この構想についてご相談申し上げたのは、あー、尊敬する安倍晋三首相のご婦人、安倍昭恵先生でございました。当時まだ、安倍晋三先生は、自民党総裁に返り咲かれる前でしたので、えー、安倍先生応援するためにも、ぜひ当園にお越しいただき、ご講演をいただければと思い、えー、安倍先生サイドと接触を図ったところ、おー、安倍昭恵夫人とお会いすることが出来まして、えー、その際、安倍晋三先生のご講演の依頼をすると同時に、えー、小学校建設構想についても、お話申し上げた、いうことでございます。
残念ながら、自民党総裁選挙等の影響で、安倍晋三先生のご講演はかないませんでしたけれども、その後、平成25年の9月に、財務省に対し、安倍晋三記念小学校として土地所得要望書提出すまでにも、おー、安倍昭恵夫人にも、小学校建設プロジェクトのす、進捗については、適時、ご報告を致しておりました。安倍晋三先生が総理に就任されたため、ご講演はかわな、叶わぬ、うー、だろうというふうに思っていましたところ、おー、思いがけずに、えー、安倍昭恵夫人からご講演をいただく運びとなりました。ま、平成26年の3月、講演の最終的なご依頼のため、昭恵夫人と、東京のホテルオークラでお会いすることになりまして、その席で、えー、昭恵夫人から、小学校建設、うー、運動について、えー、お話をし、主人にお伝え、えー、伝えますと、いうことを言っていただき、更には、何かすることはありますかと、までいっていただき、嬉しかったことを記憶しております。この際、昭恵夫人は、安倍事務所の秘書の方と、を帯同されておりましたので、当時の昭恵夫人のスケジュール等に関しましては、安倍事務所のほうに、ほうがお詳しかろうと存じます。また平成26年の4月、塚本幼稚園に昭恵夫人がご講演たまわった、あと、昭恵夫人を豊中の、おー、野田の、小学校建設用地にご案内申し上げました。この際、昭恵夫人が帯同されておられた秘書は、えー、コウタケさんと記憶しております。昭恵夫人には、小学校建設予定地をご視察たまわった際も、当然のことながら、財務省との交渉についてもご説明申し上げた次第でございます。その後、昭恵夫人には適時、財務省との交渉内容について、電話でご報告をしておりました。当時、私は、あの土地を、定期借地、定期契約にて借り受けたいと考えておりましたものですから、その交渉のため、半月に一度は、あー、もうちょっと多かったかわかりませんね、15日、十日間くらいに一度は近畿財務局に出向いておりました。昭恵夫人には、この交渉の都度、交渉の経緯などを報告申し上げて、えー、おった次第であります。また、当時の財務省の担当者、マエニシさんには、当時から私が交渉経緯を昭恵夫人に報告していることを、お伝えしておりましたので、財務省のほうも、このことは当然、認識しているものと思われます。それまで定借契約に難色を示しておりました財務省が、平成26年夏ごろ、えー、突然、定借での契約に前向きになってくれました。なぜ財務省が突然、態度を、おー、変えてくれたのか、私には知る由もありませんが、あの録音データの中で、タムラ室長が言う特例と言うのは、ま、このことを指していたのではないかと、いうふうに考えております。そのの、その後、財務省との賃料に関する値段交渉が始まり、財務省の統括官から、値段にはストライクゾーンがあると、ストライクゾーンは上と下がある、という話があり、高いほうは2,700万、低いほうは2,100万、という、具体的な、金額の提示が、ありましたので、低いほうにしてくれとお願いしたという経緯もございます。この、定期借地にむけた、けいし、えー、契約交渉についても、適時、安倍昭恵夫人にはご報告申し上げて、おりました。平成26年末、きんぶ、近畿財務局がその後の契約書の雛型を一式揃えた文書を提示してくれました。この時私は、この雛型とおり手続きをすすめば、土地取引はスムーズに動くであろうという、ということを感じ安堵いたしました。しかし、翌年、平成27年になりまして、建設予定地でゴミが、大量に発見されるにおよび、このゴミの場内埋め戻しを財務省が、建設業者に指示しているという話を聞くに及んで、土地の値段のことよりも、工期の遅れひいては開校の遅れが心配になり、近畿財務局のイケダさんに頼んで、財務省本省のタムラ室長の直通電話を教えて頂き、アポイントをとって、お会いする運びになりました。あ、失礼、しかしこの翌年というなことは、平成28年でございます。今般、問題となっておる録音データはその様子を録音したものです。この会談の後も、昭恵夫人には、交渉の推移を、適時、ご報告しておりました。昭恵夫人に、名誉校長にご就任いただいたのは、土地取引の交渉がまだ完全に終わる前でしたが、名誉校長就任後は、当然のことながら、業務の一環としてご報告を、続けた、次第で、ございます。結びに変えまして、録音データーの素性については概略以上のとおりであります。冒頭にも申し上げましたように、私は、私の承知しておりますところを包み隠さずお話申し上げる所存であります。証人喚問で、維新の会の、下地先生が仰ったように、大阪府にもたくさんの、梯子をかけていただきました。その御恩に報いるためにも、答えられる限り誠実にお答え申し上げる所存であります。どうぞご遠慮なくご質問いただきたいというふうに思っています。どうぞ、議員各位そして、メディアの皆様も、この問題を有耶無耶にしないように、しっかりと、解明のほど、よろしくお願い申し上げたいと思います。以上でございます。
ありがとうございました。それではあのー、ご質問を、承りたいと
えー、参議院議員の風間と申します。ご説明有難うございました。あのー、2点うかがいたいんですが、今の籠池さんの、おー、ご説明を聞いていますと、結局、総理夫人が、あの、今回の件で果たされた役割というのは、えー、この問題に関するコンサルタント的な役割、を果たされたと、結果として、えー、そういう印象があるんですけれども、えー、籠池さんは、あの、どのように受け止めてらっしゃいますでしょうか。それからもう1点。あの、稲田防衛大臣、に対する、籠池さんご夫妻の個人献金について、えー、お伺いをしたいんですが、あのー、私あの、収支報告、稲田さんの、入手しまして、えー、献金者の氏名を、調べておりましたところ、えー、籠池さんご夫妻を含んで、えー、数多くの、保守系文化人が、えー、献金をされていました。で、その中の何人かに、えー、ヒアリングを、しました。その結果、えー、自分は、あー、当時、稲田さんの、おー、後援会の役員を務めていたと、この役員のもとに、えー、稲田さん側から、えー、献金をして欲しいという、依頼の、手紙が、あー、来たので、それに応じて献金をしたと、こういう回答が得られました。で、お尋ねは、あのー、籠池さんは当時、稲田さんの、おー、後援会の役員、いー、をお勤めになったのかどうかと、この点、2点をお尋ねします。
えー、ではお答え致します。えー、安倍昭恵夫人がコンサルタント的な、えー、立場をさして、して、おられたかどうかと、いうことですけども、あのー、コンサルタントという、ことではなくてですねぇ、あのー、私の、おー、考えておること、ご説明申し上げて、えー、そして、それが、えー、まあ、どのような、状態になってるのかということをお知りいただいて、で、そして、えー、そのことを、おー、通じてですねぇ、えー、色々と、おー、各方面にわたって、えー、対応していただいて、いたのではないかと、いうふうに考えております。えー、稲田先生の、献金のことにつきましてはですねぇ、えー、私はあのー、役員はやっておりませんが、えー、麻生大臣がお越しなったときに、えー、私が麻生大臣の、おー、アテンド役という立場をいただきましてですね、えー、そこにずーっと付き添って、おる役をいただいたということは、あります。それでよろしゅうございましょうか。
2点お伺いいたします。えー、先ほど、おー、昭恵夫人には、ま、適宜、ご報告を、されていたと、おー、いうことでした。あのー、多い時には10日に1ぺんぐらい、その財務、うー、局に行くというお話でしたが、あのー、例のあの、おー、タニサエコさんのFAXの返答、等の場合などは、まあ単なるご報告にとどまらず、ま、お願いということで、具体的に動いていただいたということだと思うんです。そのように、具体的に何か、あのー、動いていただいた、あー、ということは、あー、この、その、先般の、おー、FAXで返答があった例の件以外にもあるのかどうか、これを1点お伺いしたいんです。えー、もう1点はですね、えー、昭恵、えー、夫人が、えー、名誉校長をお辞めになった時の話ですが、えー、ご家族のツイッターだったと思いますが、その退任のときの、そのご連絡が、昭恵夫人ご本人ではなく安倍晋三事務所から、あー、きた、あるいは、そのー、ま、退任させてくれ、ホームページから削除してほしいということが、自民党の国会議員から来たというような、あのー、ことが、ちょっとあったと思うんですが、そこらへんの事実関係をお伺いできますでしょうか。
参議院の白眞勲と申します、今日は有難うございます、えーっとー、今の宮崎さん、との話と同じなんですけど、あのー、この前あのー、予算委員会において、えー、籠池さんから、この、今ここに議事録あるですけども、平成27年10月の、おー、ことです「留守番でしたのでメッセージを残しました。すると後日、内閣総理大臣婦人付きのタニサエコさんというかたがご連絡をいただき、なかなか難しいとのお返事をいただきました」というお答えをされてるんで、あのー、その時、ご証言をされてるんですけども、その、普通、メッセージってそんな長くは、なかなか、残せないんじゃないかと私は思うんですね、ですから、それに対してはたぶんお電話を頂きたいみたいな話が、をされて、それに対してタニさんからお電話、ふつう来たのかなと私は勝手に想像したわけなんですね、それで、それに対して、なお、たぶん籠池さんのほうがご説明されたらちょっとそれじゃなかなか難しい、あのー、話がよく分かりにくいので、えー、ということで、えー、お手紙を、このー、具体的なお手紙を、それはコピーいただ、みましたけど、そういう経緯がここにあったんではないのかなと私は、こう、勝手に推測したんですけども、そのへんをもう少し詳しくお話いただければありがたいというふうに思います。以上です。
えー、順番にお答えいたします。えーっと、10日に1回、安倍、昭恵、夫人のほうに連絡したというんではなくて、私が、近畿財務局に行っておりましたは、えー、10日に1回くらい、えー、でありますと、えー、ですからその、報告を、せないかんなぁと言う時は、適時考えてやっておったと言うことであります。えー、それと、タニさん、のこと、えー、えーっと、タニさんのことですか、えー、タニさんのことですねぇ、はいはいはい、そうですねぇ、えー、当然ですねぇ、えーっと、平成にじゅうー、うー、ろく年、に、の4月に、えー、初めて、学園に、ご講演に、お越しいただきました時に、えー、もう、そのまま、学園の野田町の、えー、小学校建設用地までご案内いたしました。で、そのなかでですね、あのー、これ学園なんですよって、この土地のところで、えー、小学校建設させていただきたいと、それについては今、このような状態で、えー、近畿財務局と対応しておりますがなかなか難しいですと、うん、ということをお話しまして、そうすると、あのー、なにかすることはないですかと、いうことでありました、ですから、えー、その時に具体的に何をと、いうのは、もうこれなかなかー、もう前に進まないんでと、いうことの状況と、早くあのー、これは、えー、工事を、していきたいということでありましたので、それは心の中に留めていただいたと、その後、どのように動いていただいたか、ちょっと私は具体的には触れませんけども、しております。で、その後、えー、それぞれですねぇ、えー、難局に、あの差し掛かりました時は、こういうことがあるんですああいうことがあるんですということは、電話で、えー、対応さしていただいておったと、いうことであります、また、私だけではなくて、やはりあのー、家内のほうからですねぇ、あの女性同士ですから、えー、私はもうたかだか2~3分で終わる話ですが、家内の場合でしたら1時間2時間ほど、携帯電話で話をしておりますので、その中で、いまの状況についてはこうなんです、ああなんです、という話は、あの、必ず入って、おりました、はい、でー、それと、えー、あっ、それは今のでよろしゅございますか、はい、えー、それと、あー、めー、名誉校長を、退かれたとき、えー、平成29年の、おー、2月の23日、えー、これは、安倍事務所、えー、国会の中、国会というか議員事務所、議員会館の中の、えー、国会、えー、議員事務所の中から、発信されました、えー、FAXが、届いておりました、えー、そこに、あのー、私に対しては23日、えー、ちょうど、えー、財務省の、えー、理財局長のほうから、身を隠しといてくださいということでありましたので、えー、身を隠しておりました、23日の、えー、昼過ぎでしたかね、ハツムラさんという、秘書のほうから、連絡がありまして、えー、非常にコワモテの声で、えー、もう降ろせと、えー、いうなことでありました。えー、FAX流してるから、流しとくんで、今日中に、えー、顔写真全て外せと、いうことでございましたので、そのようにしたと、いうことで、ございます、えー、FAXの、番号のほうは、全て私どもの、FAX、うー、機ののなかの、おー、えー、記録器に残っておりますので、これは確かなもんであろうと、いうふうに、思っております、えー、それとタニさん、それはよろしゅございますか、
国会議員のかたが、あの、きてお願いされたというのは、それは、ちがう
あ、えーと国会議員の方は、来られました、えー、それは、えー、2月の21日、えー、国会、えー、なんていうんですかね、あのー、国会の、運営委員か、ていうんですか?えっ?国対、国対、あのー、副委員長で、えー、あられるですね、えー、豊中市選出の、大塚たかし議員が、えー、その前日の、日曜日に、秘書の方と来られたんですが、私ちょっと留守しておりまして、お会いできません、ですから、その次の日に、あの秘書の方が来られましてですねぇ、えー、昨日は、えー、当人と来たんだけどもと、いうことで内容は、いまこのような国会を、おー、騒がしてるので、えー、なんとか、安倍昭恵夫人の、おー、写真を外してほしいと、いう、お願いでしたけども、ちょっとそれはなかなかできにくいですねぇというふうなご回答をして、お帰り頂いたと、いうことでございます。それでよろしいでしょうか、それで、はい、それと、タニさんのことでございますけど、これはですね、えー、安倍昭恵夫人が、えー、まあ外遊されてたんだと思うんですが、そこの、おー、ところにむかって私が電話をさしていただきました、えー、電話さしていただきまして、あの、すぐに、えー、ちょっとこう、急ぎますのでと、いうなことを、まあ、入れておりましたんで、えー、昭恵夫人のほうからきっと、あの、タニさんに連絡がすぐいったんだと思いますが、すぐに、あのー、タニさんのほうから連絡をいただきましてですね、えー、お急ぎのようだから、えー、どういうことなのかお聞きしてほしいと、いうこと、だったわけですねぇ。ですから私は、電話でそのことは、一応お伝えしたんですが、あのー、タニさんのほうから、えー、これはもう大切なことなんで、あの、きちっと文書にして、したためて、出してほしいということでしたので、私のきたない字でしたけども、書きまして、で、えー郵送さしていただいたと、いう経緯でございます、はい、はい、そいでよろしいでしょうか、はい、
えー、衆議院議員の辻元です、えー、昭恵夫人にですねぇ、えー、ご報告をされたり、お願いをした折にですねぇ、えー、昭恵夫人のほうから、例えばですねぇ、じゃあその件は財務省にちょっと聞いたげるわとか、そういうことはなかったかどうか、それから、えー、証人喚問の折にですねぇ、えー、稲田朋美、いー、防衛大臣の、夫の弁護士の方が、の事務所で、えー、近畿財務局等と打ち合わせをしたと、いうご証言をされたんですが、これは1回だけなのか、稲田朋美大臣の、夫の弁護士さんに、どういうお話をそのときに、お願いしてたのか、それから、橋下徹知事、えー、松井知事の前は橋下徹知事だったわけですが、えー、維新等に対してですね、えー、どういうお願い等をして、橋下徹、えー、知事の直接のコミットメントはないのか、で最後に、加計学園という、うー、学校法人があるんですが、この理事長とはお知り合いかどうか、えー、お願いします。
はい、えー、では、あのー、えー、先に、安倍昭恵夫人に私どもがお話さしていただいたときに、じゃあここに、連絡したらいいわねって、えー、いうのは、例えば、あのー、私が加計学園の、、に行きたいんで、ちょっと、あのー、連絡を取って頂きたいと、いうなことでしたらすぐ連絡は、とって、いただくことができたり、でー、まあ、あのー、財務省に云々と、あー、いうことは、えー、具体的にじゃあ連絡しますということは、ありませんでしたけれども、えー、まあ、なんというんですかね、まあ、聞き置いて、そして、それを、まったく、聞いただけで無視をする、うー、というようなことでは、なかったように、えー、感じております、はい、えーっと、それと、えー、稲田龍二先生の事務所には、1回だけ行かしてあーっと、いまご質問の趣旨で言いますと、えー、私どもの顧問弁護士だったころと、は別にしましてですねぇ、最近は、近畿財務局と、そして航空局の職員を伴って、一度、行かして、いただきました。その内容につきましてはですね、えー、先に、えー、有害物資を出しましたときの、おー、こちらのほうが、えー、立替払いしておりました金額について、えー、まだまだ返してくれないので、なんとか、これ、ならないですかね、と、いうふうなご相談をさしていただいたと、いうことで、ございます、えー、それと、えー橋下知事、いー、そして松井知事、のこの時期ですが、んー、まあ、私も、あのー、大阪在住でありますんで、えー、まあけっして、えー、維新系の府会議員の方とか、それとか市会議員のかたとか、また現職の国会議員のかたとか知らないかたは、あの、まあまあ、知っておるかたは多少いらっしゃるわけですけども、えー、この、維新のこのことにつきましてはですねぇ、当時、あのー、維新は、あー、平沼先生の、おー、直轄下に、いたときがありますね、でー、その時に、この我々の、小学校はですね、やはりあのー、平沼先生がですねぇ、あのー、もう素晴らしい学校だからというふうな、添え状も頂いて、私は意気揚々と、あのー、東京に行って帰った、あー、記憶があるわけですけども、やはり、あの、その時期に、えー、平沼先生の、はああいうご実直なかたでございまして、立派な方でございますので、まあどのような経緯で、えー、松井さん、あるいは橋本さんのほうに、口添えをしていただいたのかわかりませんが、えー、あのー、党が同じだったときはですねぇ、やはりあの、ある程度の、事柄については、えー、お声をかけていただいておったんではないかなぁというふうに、思っております、えー、それと、加計学園につきましては、今先ほどもうしあげた、とおりでありますが、あのー、すぐに連絡をとっていただきましてですね、インターナショナルスクール、これは西宮にありますが、これはあのー、すぐに行かしていただきました、そして、えっと、広島にあります小学校、のほうにもですね、えー、連絡をとって頂きましてですね、えー、私の、と事務局のほうが、すぐに行かしていただきまして、むこうの事務局の方と合わしていただいたということでございます、ただ、あのー、仰っていただいております、理事長との面識は、ございません、はい、よろしゅうございましょうか、はい。
えー、あの、有難うございます。参議院の杉尾と申します。えー、1点伺いたいのがですね、いまちょっと、ばーっとあのー、おー、このテープ起こしの、おー、スクリットを見さしていただいたんですけれども、例えば、えー、あのー、二つ目のですねぇ、えー、ホッチキスで閉じられてる例えば7ページのところに「昭恵夫人のほうからも、たしかここも聞いてもらったこ Permalink | 記事への反応(0) | 19:54
パソコンのUAではサーバが応答しないようなのでここに転載する
実際には半角カタカナで「テ゛レテ゛レ」
まだ免許証を見せていません
ウェブフィルタリングソフトが入っていると表示できるのかという問題以前にパソコンでは表示させてないようだ
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http://pc.deredere.jp/kgaiyou.html?seyody=10061&bi=&afcd=&afcd2=
http://www.peeep.us/8f4e238c (いわゆる魚拓)
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