はてなキーワード: オーケストラとは
水曜までの仕事が間に合わなくて、家だと集中できないのでネカフェのブースにノーパソ持ち込んで作業をしている。
店員さんが不審がってこそこそ話しているのが背後で聞こえるけど、声を殺しても涙が勝手に出てくる。
作業ははかどってたんだけど。
泣いてしまうまでは。
FFが好きで、ニコ動でFFのオーケストラバージョン作業用BGMを聞きながら作業していたらすごくテンションが上がって開放的な明るい気持ちになった。
そのことをFacebookに投稿したら真っ先にコメントをくれたのが、もうかれこれ1年ぐらい好きで好きで、本当に今まで生きてきた中で一番好きになった男で、でもどう考えてもわたしに望みはない、のだけど友達ですらいられなくなるほうがずっとつらいので好きだと言うのはやめておこう、と決めた相手なのだけど、いつもと別に変わらないはずの他愛ないfacebook上でのやり取りが何だかよくわからないんだけどBGMとあいまって起爆剤になってしまったみたいで、作業しながら突然涙があふれてきた。
FFは子どものころからずっと愛着を持っていた趣味(と呼べるほど高尚なものなのかどうかわからないけど)だから、音楽を聞くと文字通り童心に戻れる気がする。
すごく素直な気持ちになる。
気持ちにしているふたとか、常識とか、世間体とか、見栄とか、相手に迷惑かけちゃいけないと思うことで自分を守ろうとする臆病さとかずるさとか、そういうのがいつの間にか全部きれいに取り払われていて、ただ、やつのことが好きで大切でどうしようもない、という気持ちだけが自分の中に残っていた。
やつと飲みに行った帰り道は、いつも世界が輝いて見える。
今まで付き合ってきた彼氏には一人もこういう感情を抱いたことはなかった。
「かけがえのない存在」とは、こういう存在のことを言うのだと思った。
向こうはどうか知らないけれど。
こんなに波長が合って、気兼ねなく何でも話せる相手と今までわたしは出会ったことがなかった。
そうだ、こういうのが恋っていうんだった、と思った。
言えば関係が終わる可能性のほうが高いから言わないでおこう、と思うんだけど、自分で決めたんだけど、友人に話すと口を揃えて「言ったほうがいいと思うよ」と言う。
言わないと、次の恋に進めないよ、と。
それもそうなんだけど。
でも今はこいつのことを失いたくない。
しんどい。
「泣くな、はらちゃん」の人も片思いをしているらしいが(見てないけど)片思いというのはつらい。
胸が張り裂けそう、ってほんとだな、と思った。
生まれて初めてきちんとした「恋」をしている。ような気がする。
つらいんだけど、でも友達ですらいられなくなるぐらいなら、やっぱり言わないほうがいい。うん、そのほうがいい。
ここまで書いて気づいたのだけど、「彼もあなたのことが好きかもしれないじゃん!()」みたいなのは求めていないので、やめてください。
ただ吐き出したかっただけなのです。本当に。
音楽の歴史にはさほど詳しくない素人として、オケの楽器編成はいつも不思議に思う。
オケの音楽様式はリュリがその形を作ったとされていて、大雑把に言ってしまえば、弦楽器が表現の中核で、それで表しきれない部分を管楽器や打楽器が補う。
時代が下るにつれて、管打の存在感は増してきたけど、それでも基本は割と同じ。
だって楽器が高い上に、育成にも非常に時間が掛かる弦楽器奏者を、大人数揃えないといけないから。
ヴァイオリンなんて最たるもので、プロになるなら就学前から習い始めるのが当たり前、楽器のお値段は最安でも新車が買えるレベルという奏者の皆さんが、ベートーヴェン以降の作品だったら最低でも30人は必要。
一方、オケ以外の器楽グループ、特に管楽器メインのビッグバンドとか吹奏楽とかだったら、プロでも始めたのは中学高校の部活動からで、別に最初からプロ目指していたわけじゃない人がほとんどだし、楽器だって管体が貴金属というだけで高価なフルートとかでもヴァイオリンの銘器と比べたら全然安いし、何よりメンバーが30人もいたら「何でもできる、あるいは多すぎ」レベルなのに、オケではヴァイオリンの1st2ndという、たった2つのパートしか揃わない。
これが今の今まで1ジャンルとして確固たる地位を築いていることが驚きだ。
もちろん「表現は効率とは無関係なんだよ低俗なツッコミはやめろクソが」と言われればその通りなんだけど、オケの本場のヨーロッパでも、あんだけ無駄と非効率の塊みたいな音楽が愛されてきたのが「ケタ違いの表現力」の一言では済まされない気がするんだよね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17428910
『攻撃戦だ 공격전이다 (オーケストラ編曲版)』
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<前奏>
赤旗掲げて進撃だ
その姿は先軍の旗幟だ
「攻撃 攻撃 攻撃 前へ」
正日峰の雷のように攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦だ
山岳が立ちはだかっても足踏みではない
大軍が押し寄せても防御ではない
一瞬のためらいもなく立ち向かう
その戦法は必勝不敗だ
「攻撃 攻撃 攻撃 前へ」
正日峰の雷のように攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦だ
(間奏)
目標は強盛
大国の希望の峰だ
偉業の勝利の峰だ
先軍の直線走路を
暴風を吹かせて進む
その足取りは強行軍だ
「攻撃 攻撃 攻撃 前へ」
正日峰の雷のように攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦だ
(間奏)
あゝ あゝ あゝ あゝ
正日峰の雷のように攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦だ
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ホッテントリにこんなのが入ってた。
高学歴ワーキングプア問題・・・東大院卒就職率56%、京大院卒は非常勤講師にゴミ収集バイトを掛持ちしている現実
http://hamusoku.com/archives/7674931.html
「学歴は武器、どころか足かせとなった。名だたる大学院を出ても非正規雇用、あるいは無職となってしまう者たちが続々と生まれている。京都大学大学院で博士号を取得したAさん。30代前半で他の大学の授業を週に2科目担当する非常勤講師だが、同時に毎朝の「ゴミ収集アルバイト」も続けている。生活を維持できないからだ。」
元ネタSAPIOだし、マジレスするのもあれなんだけど、当事者としては「当たり前の話じゃん」というのが感想。
「東大、京大+さらに博士号なんだから、超高学歴じゃん」と人は言う。
けれど、それは大きな誤解だ。日本の企業における高学歴は「受験歴」、院卒で得られるのは「研究歴」なんだから。受験歴っていうのは高校までのお勉強がそつなくこなせることの証明で、研究歴っていうのは問題を発見し、情報を集め、新しい知見を得る能力の証明だ。終身雇用を前提とした日本の企業が求めているのは前者だけ。読み書きソロバンの能力が高ければ、それでよし。あとは入社してから育てるから、というのが日本の企業の採用方針。というか社畜には「問題を発見し、情報を集め、新しい知見を得」たりされちゃ困るのかもしれない。
研究者っていうのはある意味、音楽家なんかに似ている。その分野でしか通用しないスキルをコツコツと磨き続けるという意味で。企業からしたら、大学卒業して何年も音楽活動だけに没頭していた人間を、普通の職種で採用する理由がないのと同じように、大学で研究を続けていた人間を採用する理由もないのである。企業からみたら、そういう人たちは、無駄に年をとっているだけだ。
たとえばヴァイオリニストが、オーケストラでの職を得るまでは、フリーターとして食いつないで行かなければいけないのと同じように、研究者だってごみ収集のバイトをしながらでも食いつないでいくしかない。博士号をとったらすぐ大学の先生になれるかっていうと、そうではなくて「教歴」というものが必要になる。いわゆる「助教」のポストがどんどん経済的な理由で減らされている今、記事にあるみたいに、非常勤を掛け持ちして、バイトしながら「教歴」をつけていくしかない。学振とかの援助をもらえない場合ね。こういう、「博士をとって教歴をつけている途中の人」というのは統計上「無職」になるので、就職率56%というのは決して低い数字ではないと思う。(まあ、理系が押し上げているんだろうけど)
「博士が100人いる村」というのが出ていたけれど、「音大出のヴァイオリニストが100人いる村」でも似たような結果になるんじゃないか。16人がソリストになって、14人はオーケストラに就職、20人はバイオリンの先生…といった具合に。ヴァイオリニストに対する社会の需要は、もちろんないとは言えない。でも医師に対する需要よりはきっと少ない。研究者だっておなじくらい需要の少ないところで、戦わなきゃいけない。
数年間、ワープアして耐え忍んで、その先に大学教授のポストがあればいいけど、運がなければ一生ワープアなので、どこまでしがみつくかは、とても慎重な判断を要するところだ。この0か100かっていう感じはすごいよね。ギャンブルそのものだ。でも、まあそれは研究者に限った話ではなくて、音楽家でも、美術家でも、俳優でも、なんにせよ専門性をもとめられるプロフェッショナルになる場合には似たようなものなんだと思う。
研究者っていうのはそれだけリスキーな商売で、社会からもそんなに必要とされていないんだっていう認識を、学生に持たせることは必要かもしれない。あとから「こんなはずじゃなかった」ってならないように。
そりゃ儲かるよ
ブライダル系の派遣とかが主になる。バブルに比べるととてつもなく
安い単価で派遣。
パーティーとかブライダルの華々しい場だから、それなりに「音楽家」っ
普通の就職活動とかと同じだけど、見た目がすごく重要です。女性は。
だからブライダルの派遣は真面目そうな男の奏者か、結構見た目が可愛い
女の奏者の組み合わせが多いよね
横浜の某大手ブライダルがやっている派遣はもうかる。基本的な古典曲を
ずいぶん昔に流行った「13歳のハローワーク」に書いてある内容で気になったから書いてみる
ハローワークによると日本で指揮者だけを職業にして生活できる人は10人にも満たないそうです。
一般的な収入をいくらと定義するかわからないけど、そこそこ儲かるのでここに書き留めたい。
年収は結構幅があるのだけど大体ここ数年だと650~900万円くらい。貯蓄は1800万円を越えたぐらい。
月額の収入は手取り換算してると35万円~80万円くらいになる。
収入に幅が出てしまうのは、自営業の不安定さだと思う。自分が病気になったり倒れたりしたらそれで
おしましだし。
主な仕事だと
録音、音楽教室、国が絡む事業、舞台関係、ピアノ、アマチュア公演、アマチュア指導、プロ公演の仕事で
成り立ってます。
録音について
劇伴といわれる仕事だったり。まずは歌手とか芸能関係の人のCDのバックミュージックの録音。丸1日くら
いスタジオで録音に携わります。指揮者というより前に立ってアンサンブルをまとめる仕事。必要かと言わ
れれば必要だけど、斜陽産業だと思う。某テーマパークの録音とか、需要自体はまだまだ10年くらいあると
思う。
ギャラは今のところ悪くないけど 月々10万円くらいは何かしら録音がらみの仕事がある。
あとスタジオに呼ばれるミュージシャンは結構固定されてくる。1つの楽器ができる人よりも1人で3つ~4つ
できる人だと、かなりの率で遭遇する。
よく小学校とかにプロの人たちが1時間くらい体育館とかで演奏するやつ。
地方のプロは定期公演だけでなくてこういう地方巡業みたいなのします。これは比較的ギャラ安いので自分
のような定期公演を振れない指揮者に回ってきます。ギャラは限りなく安いけど、うまく気に入られれば大
きめな公演に使ってもらえる。ちなみに若手の仕事なので少し昔より減ってきたかなという感じ
これも月10~15万円くらいの収入で大体移動とか含めて3日とか使うケースがある。いろいろな地方にいける
ので音楽家になってよかったと実感できる・・時もある
国が絡む事業
国から支援金が出て海外に行く仕事。発展途上国とか日本よりクラシック音楽が盛んじゃない地域に教えに
いったり。月々には換算できないけど50万円くらいが1年のどこかのタイミングで入る
舞台関連
短期の仕事、舞台のオーケストラピットに入って歌手に合わせて指揮をしたりミュージカルの指揮とか
名の知れたタレントが主演している舞台は期間も長くて比較的収入が良い。1日の公演数にもよる。
昼夜公演のほうがギャラは高くて、大体2万円~5万円くらい。スポンサーも年々音楽に関わる予算が厳しい
ので1公演1万円というギャラもある。人気タレントの地方巡業はギャラが厚め。
アマチュア公演
クラシック愛好家は細く長く続いているので、若手の指揮者や自分のような中堅の主な長期仕事になる
常任指揮者が1つあれば少なくとも指導料で年間100万円くらいは確保できるのが良い。ただしアマチュアは
平日の夜か土日しか練習できないので、仕事のバランスを取らないと年中仕事することになる。
本番を1つ15万円くらいでやっているので定期公演が3回あれば1つの団体で45~50万円くらい。
素人さんのオーケストラ指導に行く。本番は振らなくても練習を組み立てる指導でのギャラ。これは短発
だけど気に入られれば年間で10~20回は1団体あたり呼ばれる。これも平日夜から土日。1回のギャラは安
プロ公演
これが定期的に入れば一番良いと思う。価格はオケの規模によって違うけど数回のリハーサル含めて結構
費用対効果が高い。50万円~85万円くらいと幅がある。プロのいいところはリハーサル回数が少ないこと。
だけどプレッシャーが痛いね。個性的な社会の縮図。あとチケットノルマも課されるのでこれも重圧
オケから自分への効果は「集客」だからね。指揮者だけで100人から200人の集客できるとそれなりに重宝
はされる(動員数よりもチケット販売数のほう)
これはど単発。録音で人が足らないとき。ピアニストに頼むにもギャラが出せないくらいの時に借りださ
れる。大体半日~1日の拘束で8000円~10000円くらい。人脈つくりと割り切るとやっていける
以上です。
アマチュアの公演を年に3団体くらいと音楽教室、プロの客演の仕事が年に1回から2回と録音があれば十分に
音大でて無職とかいってる人がいるので逆に気になったのでここに書いてみた。年間1000人くらい音大卒が
0票のやつを見たかったついでにまとめた。
15票 | 楽聖少女 |
14票 | エスケヱプ・スピヰド |
13票 | ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン |
8票 | ウィザード&ウォーリアー・ウィズ・マネー |
7票 | VS!! ―正義の味方を倒すには― |
6票 | あなたの街の都市伝鬼! |
4票 | ミニッツ ~一分間の絶対時間~ |
4票 | 楽園島からの脱出 |
3票 | 乙女ゲーの攻略対象になりました…。 |
3票 | 天使の3P! |
2票 | 明日から俺らがやってきた |
2票 | 6 ―ゼクス― |
2票 | バニッシュ・ドロップス! 家出中アイドルをフォローしますか? |
2票 | シュガーシスター 1/2 |
1票 | ようこそ、フェアリーズ・インへ! |
1票 | 勇者には勝てない |
1票 | らぶなどーる! |
1票 | チェンライ・エクスプレス |
1票 | ハレルヤ・ヴァンプ |
0票 | 金は彼女の回りもの |
0票 | 魔王のしもべがあらわれた! |
0票 | オズのダイヤ使い |
0票 | アンダーランド・ドッグス |
0票 | ベッドルームで召し上がれ |
0票 | いるか寮の少女たちは恋できない |
0票 | ちびとも! |
0票 | インテリビレッジの座敷童 |
0票 | デュアル・イレイザー |
0票 | 小悪魔ちゃんとMP0の少年 |
0票 | 筋肉の神マッスル |
0票 | ペルソナ×探偵NAOTO |
0票 | 朝岡ひよりのドキドキカルテ |
0票 | きみのぱんつを守りたい! |
7票 | サイハテの救世主 |
5票 | クロス×レガリア |
4票 | 俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している |
1票 | ベイビー、グッドモーニング |
0票 | 機動戦士ガンダムAGE |
0票 | 未来日記 |
0票 | ストライクウィッチーズ アフリカの魔女 ケイズ・リポート |
0票 | ここから脱出たければ恋しあえっ |
5票 | スカイ・ワールド |
3票 | 消えちゃえばいいのに |
3票 | 対魔導学園35試験小隊 |
1票 | 勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。 |
1票 | 期間限定いもうと。 |
1票 | グロリアスハーツ |
1票 | シークレット・ハニー |
0票 | いもうとコンプレックス! ―IC― |
0票 | 絶対服従カノジョ。 |
0票 | ライジン×ライジン RISING×RYDEEN |
0票 | 鳩子さんとラブコメ |
0票 | 姫狐の召使い |
0票 | 双界のアトモスフィア |
0票 | ルースターズ |
0票 | デーゲンメイデン 台場、両断 |
1票 | 小夜音はあくまで小悪魔です!? |
1票 | デッドエンドラプソディ |
0票 | スクール・デモクラシー! |
0票 | 好敵手オンリーワン |
0票 | この素晴らしく不幸で幸せな世界と僕と! |
0票 | いけめん彼女 ~学校一のイケメンに告白された俺~ |
0票 | まお×にん! |
0票 | 雨乞い部っ! |
0票 | FAIRY TAIL 心に宿るcolor |
0票 | 謎の彼女X 謎の小説版 |
4票 | きゃんでぃっど 乙女とカメラと地獄突き |
3票 | 誰よりも優しいあなたのために |
2票 | 覚えてないけど、キミが好き |
1票 | 死にたくなければ××! 脱ぐのは絶対にイヤ! |
1票 | だから少女はおもいでをたべる |
0票 | まほねーず☆とらいあんぐる |
0票 | 鈍感な僕と鋭い彼女 |
0票 | この家に勇者様もしくは救世主さまはいらっしゃいませんか?! |
0票 | JSが俺を取り合って大変なことになっています |
0票 | 淫魔に狙われた俺のDTが危険なんだが |
0票 | XIII番の魔符詠姫 |
0票 | あくまでも、妹が欲しいんです。 |
0票 | 憧れのあの娘が突然迫ってくるんだが、どうしたらいい? |
0票 | 八丈島と、魔女の夏 |
0票 | 異世界の魔法使いがうちに居候中です!? |
9票 | も女会の不適切な日常 |
8票 | 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金 |
7票 | 黒鋼の魔紋修復士 |
3票 | デキる神になりますん |
2票 | ドレスな僕がやんごとなき方々の家庭教師様な件 |
1票 | キュージュツカ! |
1票 | SUSHI-BU! |
1票 | はなぢ店長じゃ、だめですか? |
1票 | 武装中学生2045 ―夏― |
1票 | バタフライ×ブレイクダウン 君が世界を救うというなら |
0票 | 明智少年のこじつけ |
0票 | アルシャードガイア リプレイ 本当のRPG |
0票 | 連鎖のカルネアデス |
0票 | みぃくんのちくわぶ(+俺) |
0票 | フォトカノ ペンタプリズム・メモリーズ |
0票 | うさぎロボ 謎の妹と俺たちのUFO探索記 |
0票 | 夢見のサクヤ 死の予知はキスで訪れる |
14票 | 森の魔獣に花束を |
6票 | 俺、ツインテールになります。 |
5票 | 飛べない蝶と空の鯱 ~たゆたう島の郵便箱~ |
3票 | ボンクラーズ、ドントクライ |
3票 | 空知らぬ虹の解放区 |
3票 | 人生 |
1票 | 猫にはなれないご職業 |
0票 | 競泳戦隊ミズギーズ |
0票 | こわれた人々 |
8票 | 魔法少女育成計画 |
2票 | しずまれ!俺の左腕 |
1票 | オカルトリック |
1票 | 魔王な使い魔と魔法少女な |
0票 | ソウル・キャリバー 魂を刃にこめて |
0票 | アプローチ、アプローチ そして彼女は救いを言った。 |
0票 | 銀のプロゲーマー |
2票 | 月花の歌姫と魔技の王 |
1票 | ヤツの眼鏡は伊達じゃない |
1票 | 吼える魔竜の捕喰作法 |
0票 | アウトスタンディング ―常識ハズレな奴ら― |
0票 | 私のために創りなさい! |
0票 | シンマと世界と嫁フラグ ~びっくりするほどハーレムです~ |
0票 | タタリ・ブレイカー弑子 |
0票 | 前門の魔女っ子(オタク?)、後門の守護霊さま(やっぱり役立たず) |
0票 | 悪に堕ちたら美少女まみれで大勝利!! |
7票 | 異能バトルは日常系の中で |
2票 | 神曲奏界ポリフォニカ エイフォニック・ソングバード |
0票 | 眠らない魔王とクロノのセカイ |
0票 | ブラパン! |
0票 | うちの居候が世界を掌握している! |
0票 | 反抗期の妹を魔王の力で支配してみた。 |
0票 | アリス×アカデミィ ―彼女のついたウソ― |
0票 | ありす×ユニバース ―キャプテンはJK― |
0票 | 木崎くんと呼ばないで! |
0票 | おまえは私の聖剣です。 |
0票 | 彼女の恋が放してくれない! 俺たちは手錠で繋がっているだけの健全な友達です。 |
0票 | 妹は僕に手を出すなっ! |
1票 | 金星で待っている |
1票 | アウター×トップ |
1票 | ネバー×エンド×ロール ~巡る未来の記憶~ |
0票 | 不思議絵師 蓮十 江戸異聞譚 |
0票 | ソラの星 |
0票 | 源氏 物の怪語り |
0票 | 時間の落とし物 |
0票 | NNOCENT DESPERADO |
0票 | 月だけが、私のしていることを見おろしていた。 |
0票 | 侵略教師星人ユーマ |
0票 | 奇祭狂想曲 |
0票 | シャロン 死者は神を語らない |
0票 | ドラフィル 竜ヶ坂商店街オーケストラの英雄 |
0票 | 円周率殺人事件 |
0票 | 花の佳音 |
0票 | サクラの音がきこえる あるピアニストが遺した、パルティータ第二番ニ短調シャコンヌ |
0票 | 夜明けを知らずに ―天誅組余話― |
0票 | 僕たちはドクターじゃない |
0票 | 鴨川貴族邸宅の茶飯事 恋する乙女、先斗町通二条上ル |
0票 | 還りの会で言ってやる |
9票 | ノーゲーム・ノーライフ ゲーマー兄妹がファンタジー世界を征服するそうです |
3票 | そんな遊びはいけません! ~君がいると風紀が乱れる~ |
1票 | あおはるっ! |
1票 | あの夏で待ってる |
0票 | 俺が彼女に迫られて、妹が怒ってる? |
0票 | 輪廻のラグランジェ |
0票 | アクエリオンEVOL |
0票 | 剣神の継承者 |
1票 | 英国マザーグース物語 |
0票 | 光源氏の花嫁 |
0票 | レドラナール恋物語 |
0票 | 貴公子ラッドの受難 |
0票 | ニートなメイド花嫁 |
2票 | 南極点のピアピア動画 |
2票 | RAIL WARS |
1票 | マージナル・オペレーション |
1票 | 柳生浪句剣 |
1票 | 妹がスーパー戦隊に就職しました |
1票 | ノートより安い恋 |
1票 | 君が衛生兵で歩兵が俺で |
以前、大阪市が公開した文楽問題に関するメール交信記録を読んで一文を記したが、
文楽の問題に関して、Twitterを見ていていくつか誤解があるようなので、書いてみたい。
産経の記事によれば、
橋下市政 揺れる文楽 補助金凍結…地方公演厳しく+(2/2ページ) - MSN産経ニュース
同協会の収入は興行収入が8割、補助金が2割を占め、その内訳は国が8千万円、市が5200万円、府が2070万円(23年度)。
記事中「同協会」とは文楽協会のこと。今すぐ見当たらなかったが、たしか本公演に影響が出る額ではなかったように記憶する。少なくとも文楽の存廃に関わる額ではない。
公開されたメール記録から。池末浩規参与の3月24日付メール。
http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html
③-1.技芸員のマネジメント機能のうち、「都市魅力向上に資する伝統芸能に関する若手技能者の育成支援事業」に対する事業補助を行う。これは当 初金額を××円(試案:2,000万円)とするが、××年度(試案:平成27年度)以降の分については、前年に(府)市の文化・芸術に関する補助についての委員会(名称未定)により決定する。
③-3.経過措置として、✕年間(試案:平成24年度に限って)は、✕✕万円(試案:3,200万円…現状の5,200万円と上記2,000万円 との差額)を新たな公演の試み、協会の機能向上の試みに対して事業補助する。この補助の使途および成果については、事後に報告するものとする。
ただし、同じく池末参与の6月5日付メール中、橋下市長とのやりとり部分。(→は池末参与の返事)
文楽についてはその構造 も、担当者以外は理解していないところもあります。
文楽を守る役割は結局国に あるということがはっきりとしてきました。
→結局文楽の振興については国しかコントロールできない形にしておきながら、大阪府市も金入れろという図式ですね。
そうなると若手育成も国では?
→本来はそういうことになります。
また若手育成について、国 と地方の役割はどうなのでしょうか?
→原則国主体でやるべきという考え方がベースになると思われますが、国が新たなスキームに乗ってくるまでの短期間(3年以内を想定)人材育成につい ては大阪も奨励金を出す考え方もあるかもしれません。
市長とその周辺の意図としては、「文化財保護」よりも「振興(観光資源としての活用)」なのでこういう書きぶりになる。しかし、文楽においても、もちろん「家業」となっている場合もあるが、原則的には歌舞伎と違い、あくまでも実力主義だという側面が全く閑却されている。
文楽は伝統に胡坐をかいている、敷居が高いなどという意見を散見したが、事実は文楽も新作を試み、様々なチャレンジをしてきた。たとえば、子供向けに作曲された新作があげられる。
文楽の入門編として最も手軽だと思われるのは、国立文楽劇場で毎年夏の公演で演じられる演目だ。夏休みのため子供の観客を対象としたものが必ず演目にあがる。今年は「西遊記」がかかっている。
そこで近年演じられてきた演目を振り返ると、「舌切雀」「雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)」「瓜子姫とあまんじゃく」「東海道中膝栗毛」「金太郎の大ぐも退治」「鼠のそうし」「大江山の鬼退治」。。。などなどがあげられる。ただし、必ずしも中身が充実している演目ばかりとは言えない。
こういった子供向けの演目だけでなく、大人向けの演目も様々な試みが繰り返されてきた。
例えば歌舞伎演目のコピーがある。そのなかで、「勧進帳」はもっとも有名な演目の一つだろう。
またあまり知られていないかもしれないが、近松門左衛門の「曽根崎心中」は歌舞伎の影響で戦後に復活した演目だ。その事情は次のサイトにコンパクトにまとめられている。
その人形浄瑠璃にとって難題だらけの「曽根崎心中」の復活上演を、まず試みたのが本家の人形浄瑠璃ではなく、歌舞伎であった。
昭和28年(1953)8月、近松門左衛門生誕300年を記念して宇野信夫が「曽根崎心中」を新しい歌舞伎に脚色し、の新橋演舞場の舞台にかけたのである。徳兵衛を上方歌舞伎の第1人者の2代中村鴈治郎、お初を長男の2代扇雀(のちの3代鴈治郎)というコンビで演じたところ、大評判をとって扇雀ブームまで起こった。
この反響の大きさに驚いたのが、本家の文楽座である。人形劇としての「曽根崎心中」復活上演に意欲を燃やし、現代向きにという松竹の大谷竹次郎会長の意向を入れて、西亭(にしてい)こと三味線弾きの初代野澤松之輔が脚色・作曲を担当、鷲谷樗風(わしたにちょふう)の演出で、昭和30年(1955)四ツ橋文楽座1月公演の舞台にかけたのである。
よく復曲といわれるが、昔通りの演奏曲復元は不可能で、新しい作曲と割り切った方が誤解が少ない。語りを8代竹本綱大夫、三味線を10代竹澤弥七のコンビ、主人公・徳兵衛役の人形は序列7番目だった吉田玉男が遣った。
これらのものは本公演でもしばしばかけられる演目だけれども、より実験的な演目としては、蝶々夫人、ハムレット、テンペスト(「天変斯止嵐后晴」)など。また、市長が再三ふれている三谷幸喜の新作に代表されるようなそれも、しばしば作られる。聖書の福音書物語を文楽で、といった試みまである。
つまり、文楽に携わる人たちは、新しい観客開拓への意欲はあり、チャレンジ精神も問題意識もある人たちなのであって、この点は文楽を知らない人たちによく認識しておいてもらいたいと切に願う。
したがって、ちゃんとした台本さえあれば、たとえば百合文楽でもけいおん!文楽でもなんでもできるはずだ。文楽人形は、女子高生でもイエス・キリストでも、なんにでもなれるのである。
しばしば、歌舞伎や落語と並行して文楽を論じられているのを目にする。しかし、文楽は他の古典芸能と全く違う側面があるので、「伝統芸能」「大衆芸能」という大雑把なくくりで論じられるとやや面食らう。
まず、文楽は音曲として非常に格の高いものだったという歴史的な事情である。これは歌舞伎の竹本葵大夫さんが軽く書いている。
人形芝居で創りだした演目も歌舞伎に流出して、歌舞伎で大当たりを取る。それがために、人形芝居は経営に打撃を受ける。これは対策を講じなければいけない。そんなこんなで、人形芝居の組合で「歌舞伎に出演した太夫・三味線は除名処分にする。歌舞伎の太夫・三味線とは同席しない」などと取り決めます。「われわれは宮中のお召しがあると参内して芸をお目にかける。そして掾号も受領することさえある。歌舞伎などの河原者とは身分が違う」と息巻いたかどうかは知りませんが、これくらいのことは充分おっしゃられたでしょう。
今でこそ、私など文楽の9綱大夫師にご指導いただいたり、ほかにも三味線の方が文楽の方のご指導をいただいたりしておりますが、昔でしたら考えにくい現象でしょう。
もちろん実力の裏付けがあってこそで、
ただいまでも「文楽座出演」と銘打って歌舞伎の演目に文楽座の皆様が演奏で出演なさると、たいがい新聞劇評は「○大夫、△△以下、文楽座の演奏に量感がある…」というようなことが書かれます。ところが、同じ曲を私ども竹本が演奏いたしますと、あまり賛辞を頂戴することがございません。
ということになる。
葵太夫さんも触れておられるが、そもそも人形浄瑠璃は皇室と関係の深いもので、その一つの表れが掾号だろう。名人上手は皇族から掾号を受領することがあり、豊竹山城少掾、人形遣いの吉田難波掾を最後に掾号受領するものはいないが、しかしながら皇室との関係はあったわけで、昭和38年に松竹が興行権を手放し文楽協会が成立したとき、松竹がこれを「献納」と言っているのは故なきことではないのだ。
繰り返すが、このような人形浄瑠璃における格の高さは、実力の裏付けがなければ意味を持たないし、まして現代において補助金の投入を正当化するものには必ずしもならない。
しかし、他の芸能と一括りで論ずることができないという側面の若干は感じてもらえるのではないか。
また、義太夫節の特性について若干ふれておきたい。
義太夫節の構造そのものは簡単で、決まったメロディーのパターンを詞章に合わせて組み合わせて行くだけだ、という説明でいいと思う。したがって、このパターンの組み合わせは無限に広がる。
ところがそう簡単にいかないのは、文楽の古典の場合、演目に合わせて様式が成立しており、義太夫節ではこの様式を「風(ふう)」という。かねて様々な論者により、風を語り分け伝承するのが最大の難物だとされてきた。というのも、非常に微妙・繊細なものだからだ。
以前書いたように、私は国立文楽劇場に通って図書閲覧室にもよくお邪魔をするような人間だったが、さすがに義太夫節を語るところまではやらなかった。だから断定はできないけれども、この様式の問題は最後は幼少時の音楽環境の問題になると思う。と考えたくなるくらいに、微妙な代物であって、これだけ洋楽が氾濫して耳が慣れてしまっている現代日本で、こういうものを継承することが可能かどうか、はなはだ疑問だと言わざるを得ない。
やや話がずれたかもしれないが、たしかに落語や歌舞伎などのように、時代に合わせて姿かたちを変えることで人形浄瑠璃においても生き延びることだけなら可能かもしれない。しかし、文楽の場合、繊細な中身が変わってしまってはもはや文楽ではなく、ただの人形芝居、「文楽のようなもの」が残るだけだろうと強く危惧するものだ。
この点が、私の文楽の将来に対する悲観や「古格を維持している限りは、文楽は補助されるべきだ」と考える所以でもある。
大阪市長やその周辺が模索しているように、観客動員を増やそうとする努力、そのための宣伝や統括的なプロデュース・マネジメントが必要だろうというのは、私もかねがねそう思っていた。まんざらではないと思う。
ただし、それには一定の限界があるだろうとも思う。要因はいくつでもあげられる。
音楽環境がもうまったく変わってしまっている。古典に対する教育がほとんど日本ではなされないのだから理解できなくて当たり前。そもそも、松竹ですら経営が難しくて50年前に放り出したものを今の時代に観客が増えるわけがない。ちゃんと語れる人がもういなくなりそうだ等々。
一定の限界を認めなければ、たとえば市長がいろいろ言っているように古典であっても演出をもっと現代的にしなければならなくなるだろうし、本も変えなければならない。本来、国立劇場国立文楽劇場での公演は一作品全部を舞台にかける「通し」を主として行われるべきだが、観客動員を上げたいのであれば歌舞伎のように「見取り」だけでプログラムを構成し、有名な売れそうな場面だけ舞台にかけておけばよい。しかし、それで本当にいいのか。
つまり、観客動員をどうしても上げたいのであれば、中身にも伝承にも確実に影響が出てくるだろうと思われるのだ。これで本当に「古格」が維持できるんだろうか。
私は、文楽だけでなく、歌舞伎も好きだし(そもそも文楽に触れるきっかけは歌舞伎で知っている演目は文楽ならどうなのかという興味だった)、西洋古典音楽も大好きな人間だ。そうやって比較をすることで両方を消化するのが、誇張して言えばあるいは日本人だけの楽しみだとすら思っている。
そこで西洋音楽と比較した場合、文楽に匹敵するものはワーグナーの楽劇ぐらいしかないのではないかな、と感じている。長大さや感動の深さの点で比肩する物は相当に限られてくると思う。
それだけの値打ちがあるんだということ、それだけの値打ちがあるものに対して、日本のものなのに、その日本人の大多数が興味関心全くゼロだということは、まず言っておきたい。
その上で、しばしば「補助金なしでやっていけない芸能芸術は滅び去るべきだ」という意見が見られる。非常にもっともな意見で、公によって支えられている文化事業は常にこういう問いを問われるべきだと私も思う。
ただ、一方で、ヨーロッパのオペラにしろオーケストラにしろ、「補助金なしでやっていけない」わけだが、「だから滅び去るべきだ」とは言われない。ここは必ずしも論理としてリンクするものではない、ということも、またもっともなのだ。
文楽に匹敵するのはワーグナーくらいしかないのではないかと書いたけれども、ワーグナーには過去の歴史から政治的な問題が色々あり、また採算が取れないからといってドイツ人がワーグナーを「過去のもの」として捨て去るだろうか。欧州においてすら西洋古典音楽のファンはそれほど多くないはずだが、さらにそのなかのごく一部のワグネリアンしかたいした興味関心をもたないからワーグナーの上演は無駄だと批判されるだろうか。そういうことは今のところまずあり得ないと思う。なぜなら、ワーグナーはドイツの宝だからだ。文楽よりはるかにカネがかかるにもかかわらず。
大阪の先人たちは、文楽という芸能に対して文字通り心血を注いできた。一時期を除いて基本的には客が入らない芸能だったので、名人上手ですら「明日のご飯がない」という貧乏話は普通にある。奥さんが小料理屋を営んでいてそれで食わしてもらったりしている。それでもなお、大阪の偉大な先人たちはこの芸能に打ちこみ、奇跡的に現代に伝えてきた。
彼らはお金はなかったかもしれない。貧乏だったかもしれない。その代わりに得られたのは、感動を与える喜びであったり、誇りだった。掾号の問題はまさしくそれで、名誉だけが彼らの糧だったと言っても言い過ぎではない。ワーグナーにも匹敵する芸能であるからこそ、それだけ打ち込む価値があったのだ。
ただ、現代社会では、残念ながらこの芸術の価値に見合うだけの犠牲を技芸員たちに求めるのは、無理になって来ている。(それでも彼らは贅沢な生活をしているわけでは決してない)
現代の大阪人はそういう偉大な先人の子孫だ、そういう偉大な芸術を生んだ共同体の中にすむ一員なんだという矜持、その矜持が文楽に金を払わせるのであって、他に理由は見あたらない。
そして、、、私はこれが最も大事な点だと思うけれども、、、大阪人に持ってもらいたいこの矜持に対して、文楽に携わる人たちはお返しをしなければならない。
それは、新しい観客を獲得する挑戦を一方で続けながらも、文楽の本格を維持すること、継承すること、古格を守ることではないか。それが、文楽座に課せられたミッションであって、それが出来なくなった時、文楽は文楽でなくなり、公金を投入する理由もなくなるだろう。
もちろん、大阪市長やその周辺の人々が考えるように、観客動員を上げて観光資源として活用されるように生き延びる方向もある。しかし、それはもはや「文楽」ではない。
もし「文楽のようなもの」という形でしか生き延びられないのであれば、偉大な先人の名誉のために、大阪人の矜持のために、近い将来、しかるべきタイミングで文楽の死を宣告してもらいたい、最低でも名前だけは変えてもらいたい、無形文化財や世界遺産の認定も返上してもらいたい。私がこのように希望する気持ちやその理由も、これまでつらつらと書いてきたことから感じ取ってもらえるのではないか。
そして同様のことは、なぜ国が補助金を文楽に対して投入するかという理由づけにもなるように思う。大衆に受け入れられない芸能は補助金を打ち切ればいい、この財政難の折から文化事業に投ずる財源はないとよく言われるが、ことはそう単純ではない。
予算全体から見れば、補助金として文楽に投入される額は巨額とは全く言えない。しかも大阪の場合は、対象を悪玉・敵に仕立て上げて財政削減しても、すぐに無駄なプロジェクトに走るのでせっかくの財政削減が全く無意味なことになっている。大阪市長は文楽に対して様々な批判を繰り広げているが、予算と比較した場合にあまりにも不釣り合いな煽りであると言わざるを得ない。
日本の偉大な芸術、しかもまだかろうじて本格が維持されている繊細な芸術に対して矜持を持って維持するに、大阪はもとより、日本の市民社会全体「も」維持しなくて他に誰が維持するというのだろうか。
(追記)
これまで書いてきたように、私自身は文楽の将来にはかなり悲観的であるし、芸の質についても相当程度批判的だ。したがってTwitter を見ていて古典芸能ファンによる「日本の伝統芸能なんだから維持されるのが当たり前」や「とにかく文楽は素晴らしい」に類する議論を見ると鼻白む思いをする。自分の楽しみのために税金の投入を是認しろというのであれば、それはまさに橋下市長の批判通りなのではないかと思う。
したがって、古典芸能ファンの言動にもいささかついていけないものを感じる時があると、これは明記しておきたい。
また、もし何かご意見などあれば、Twitterの私のアカウントに何か書いていただきたいというのは、前回の増田に書いたとおりだ。https://twitter.com/SignorTaki
その2
長すぎて消されたので2つに分けた
16票 | 六花の勇者2 |
6票 | 魔王な使い魔と魔法少女な |
5票 | 魔王な使い魔と魔法少女な2 金色のツインテール |
3票 | くずばこに箒星2 |
2票 | ベン・トー9 おかずたっぷり! 具だくさん! 香り豊かな欧風カレー弁当すぺしゃる305円 |
1票 | 迷い猫オーバーラン! 12 護ってなんていってないんだからね!! |
1票 | ニーナとうさぎと魔法の戦車5 |
1票 | カンピオーネ! XII かりそめの聖夜 |
1票 | とわいすあっぷっ! 5 |
0票 | パパのいうことを聞きなさい! 9 |
0票 | 嘘つき天使は死にました! 2 |
0票 | オーディナリー・ワールド 3F |
0票 | とわいすあっぷっ! 4 |
0票 | ライトノベルの神さま2 |
0票 | アプローチ、アプローチ そして彼女は救いを言った。 |
0票 | オワ・ランデ! えろすとら 小さな想いのアツメ方 |
0票 | 嘘つき天使は死にました! 3 |
0票 | 白翼のリンケージIII |
0票 | 神をしめなわっ! |
0票 | テンプテーション・クラウン4 |
0票 | パパのいうことを聞きなさい! 10 |
0票 | 一緒に革命しませんか? 2 聖女不平等 |
0票 | 銀のプロゲーマー |
0票 | ニーナとうさぎと魔法の戦車6 |
0票 | ある朝、ヒーローの妹ができまして。2 |
3票 | ドラフィル 竜ヶ坂商店街オーケストラの英雄 |
2票 | 侵略教師星人ユーマ |
2票 | ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~ |
2票 | 源氏 物の怪語り |
1票 | INNOCENT DESPERADO |
1票 | 夜明けを知らずに ―天誅組余話― |
0票 | ソラの星 |
0票 | 不思議絵師 蓮十 江戸異聞譚 |
0票 | 時間の落とし物 |
0票 | 桃の侍、金剛のパトリオット3 |
0票 | 月だけが、私のしていることを見おろしていた。 |
0票 | 奇祭狂想曲 |
0票 | シャロン 死者は神を語らない |
0票 | ノーブルチルドレンの断罪 |
0票 | 円周率殺人事件 |
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0票 | 江姫 ~乱国の華~ 下 将軍の御台所 |
0票 | 金星で待っている |
0票 | 僕たちはドクターじゃない |
0票 | アウター×トップ |
0票 | サクラの音がきこえる あるピアニストが遺した、パルティータ第二番ニ短調シャコンヌ |
0票 | ネバー×エンド×ロール ~巡る未来の記憶~ |
0票 | 鴨川貴族邸宅の茶飯事 恋する乙女、先斗町通二条上ル |
0票 | 還りの会で言ってやる |
8票 | も女会の不適切な日常2 |
6票 | 東雲侑子は全ての小説をあいしつづける |
4票 | ドレスな僕がやんごとなき方々の家庭教師様な件 |
3票 | ココロコネクト ユメランダム |
3票 | 黒鋼の魔紋修復士1 |
2票 | わたしと男子と思春期妄想の彼女たち 4 リア充ですが何か? |
2票 | 修羅場な俺と乙女禁猟区3 |
1票 | 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金1 |
1票 | デキる神になりますん |
1票 | “朧月夜” ヒカルが地球にいたころ…… (4) |
1票 | 犬とハサミは使いよう5 |
1票 | デキる神になりますん2 |
1票 | 武装中学生2045 ―夏―2 |
0票 | 明智少年のこじつけ(1) |
0票 | キュージュツカ! (1) |
0票 | SUSHI-BU! 1貫目 |
0票 | B.A.D. 7 繭墨は人形の悲しみをかえりみない |
0票 | 修羅場な俺と乙女禁猟区2 |
0票 | ガブリエラ戦記IV 白兎騎士団の決意 |
0票 | 犬とハサミは使いよう4 |
0票 | 武装中学生2045 ―夏― |
0票 | 連鎖のカルネアデス |
0票 | はなぢ店長じゃ、だめですか? 1 |
0票 | その男、魔法使い“A”2 |
0票 | 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金2 |
0票 | も女会の不適切な日常1 |
0票 | 学校の外階段 |
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0票 | お嬢様が、いけないことをたくらんでいます! 2 |
0票 | キュージュツカ!(2) |
0票 | 明智少年のこじつけ (2) |
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0票 | SUSHI-BU! 2貫目 |
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0票 | 彼女を言い負かすのはたぶん無理4 |
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3票 | 金星特急(6) |
2票 | 魔術士オーフェンはぐれ旅 解放者の戦場 |
2票 | (仮)花嫁のやんごとなき事情 ~離婚できたら一攫千金!~ |
2票 | 鬼舞 見習い陰陽師と災厄の薫香 |
1票 | ROUTER |
1票 | マリア様がみてる フェアウェル ブーケ |
1票 | 柳生浪句剣 |
1票 | ローゼンヒルのばら姫―見習いプリンセスポーリーン |
1票 | 禁書庫の六使徒 |
1票 | まおゆう魔王勇者5 あの丘の向こうに |
1票 | 夢の上 サウガ城の六騎将 |
1票 | 無責任艦長タイラー【スーパー・デラックス版】2 |
1票 | ミニスカ宇宙海賊8 紫紺の戦魔女 |
1票 | ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会 |
1票 | 英国マザーグース物語 新聞広告には罠がある!? |
1票 | 封殺鬼 クダンノ如シ(上) |
1票 | 封殺鬼 クダンノ如シ(中) |
1票 | 天冥の標VI 宿怨 PART 1 |
産前は共働きだった。
今は育休を取得している。育休中は手当が出るので、そこから生活費を出している。
主人との生活費分担割合は5:3で主人の方が多い。
ちなみに家事・育児は私メイン。主人はお風呂掃除と夕飯の片付けをやってくれる。よくやってくれてると思う。
主人と同じ趣味をしている。というかオーケストラ。別々の団体に所属している。
私は夏の演奏会は不参加にした。年明けの春の演奏会への参加は考え中。
主人は夏の演奏会に参加することにした。6〜8月はだいたい月3回程度の練習がある。
趣味をとめるのは生産的じゃないと思ったから、どうぞと伝えた。
けど、ここへきて、彼が練習に参加するのが羨ましい。
完全母乳を選択したのもあって、基本的に子供と3時間以上離れることはできない。
(哺乳瓶は拒否された)
お風呂、寝かしつけを考えると夜のお出かけはできない。
昼は主人の実家も私の実家も預かってくれるけど、ちゃっちゃと帰るようにしてる。
時々辛くなる。
なんで私ばっかり我慢して、主人の生活は全然変わってないの?
子供の相手もしてくれるけど、基本的に主人はやりたいことをやってるように見える。
彼は優しいから、それを見て、夏の演奏会はおりると言ってくれた。
けど、それは、やっぱり違う、間違ってる、と思う。
そうやって二人がネガティブな動作をするのは良くないと直感的に思う。
だけど、彼が練習に行くのは羨ましくて不機嫌になってしまう。
恵まれてるのはわかってる。でもどうにも折り合えない。
みんなどうやって折り合いを付けているんだろう。
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
「父親じゃなく彼氏を見れない女性は結婚できない」に同意だな。まだ親離れできていないんだろうね。
しかし、まぁ
だけど、子供が興味を持つ取っ掛かりとしては悪くない。何のために教育するのかの目的による。
子供の頃にやった習い事程度でも、子供の初歩のレベルなら教えられないかな?
もし教えられないレベルだったとしたら、その人の限界を感じるなあ。
俺の周囲ではプロレベルには到底及ばず、アマといっても下手、でも子供に基礎は教えてる。
もし楽しくなって本格的に学びたいと子供が思ったらそれを本気で習わせればいいんじゃないか。
そもそも習い事をピアノも水泳もバイオリンも語学も全部やらせてじゃあ、全部プロになる人なんですかねえ?
もちろん何でも出来る人はいるけれど、ではオーケストラに入るレベルの楽器演奏で五輪選手の人ってどのくらい?
そういった超人を育てるために習わせてるわけ?
何のために習い事させてるのかな、と本気で考える。
http://anond.hatelabo.jp/20120105011601
の増田に聞きたい。
橋下新市長が、オーケストラへの補助金をカットするのではないか、ということで、
オーケストラ(市内に4つもある)が危機感を強めているらしい。
元々府知事時代にも補助金をカットしており、この文化補助金への姿勢の違いが、
「はてな」では橋下批判派が多いが、2ちゃんねる(&まとめサイト)では圧倒的に橋下支持が多数。
「文楽は兎も角、オーケストラなんて西洋のレプリカしか出来ない、
こんなの国内に1箇所あれば充分」
「こういう団体に大阪市から天下りが横行している。こういうのを徹底的に叩くべき」
そのために目に見えて判りやすいオーケストラをまずターゲットにした」
「オーケストラって、日本ではアッパークラス向けの教養なんだよな。
ローワークラスに支持される文化でなきゃ、税金投入できないよね」
などなど。
これはダブルスタンダードじゃないのか?」という批判がある。
半分もっともな気がするが、半分間違い。
橋下が狙っているのは、イベントや文化の「選択と集中」というコトなんだと思う。
要は、オーケストラに補助金を出しても、東京の二番煎じ三番煎じにしかなれない、
「ナンバーワンにもオンリーワンにもなれない」ということを、橋下は判っているんだろう。
「二番のスポット、三番のスポットを選んで来訪する」ということは、あまり考えづらい。
音楽専門家なら兎も角、一般人ならまずは「一番のスポットをチョイスする」
であれば、努力しても一番スポットになれそうもないオーケストラへの投資は、
言ってみれば「捨て金」になる、ということになる。
あるいは人材獲得競争でも同じ。音楽を目指す人材が、まず志望するのは「一番の交響楽団」であり、
二番手以降の楽団は「一番を落っこちた人間が、仕方なく来る」ということになる。
その点、「お笑い」は、現時点では一番手としてブランド化がなされており、
それをエッジ化、先鋭化することによって、一層の観光流入が期待できる。
イルミネーション・マラソンは、東京や神戸の二番煎じ、の面は否めないが、
まだまだ逆転可能であり、「御堂筋」という舞台装置を最大限に活かせば、
「オンリーワンへの投資のカット」ということになるので、議論が分かれるところ。
橋下氏の判断は「オンリーワンであるが、あまりにもニッチなので、コスパが悪い」という
ことなんだろうが・・・
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/09/post-346.php
フジ子・ヘミングについて冷泉彰彦が書いた文章を「いまさら」見たので,わたしの雑感を書く.
私が聞いた時,彼女の調子が悪かったのかもしれないが,彼女の「音」にはまったく感慨を覚えなかった.個人的に感想としては,演奏が始まる前,調律師が調律していた音の方が,よっぽど「ブリリアント」であった.おまえはなぜヨーロッパのオーケストラを聞くのか,と問われたら,こう答えるだろう.「音が違うから」と.それだけ,日本のオーケストラとヨーロッパのオーケストラでは,音がちがう.ピアノ演奏はあまり聞いたことがないが,少なくとも一人立体的な音を出している人はしっている.アルゼンチン出身の女性が出していた音は,立体的でたいへん美しかった.
たしかに,フジコの演奏を予断なく聴いて感動している人に水を差すようなことはしない.しかし,朝日新聞に出ているような広告をみたり,フジコがそういった過去を持っていることと彼女の演奏を結びつけたりといったことが過剰であると見受けられるためにクラシックファンに批判されているのではないか.
クラシックの音楽を解釈するために,人生観そして世界観に絡めて理解するというのは理解できる.しかし,それは立ち現われている音と「わたしの」人生観,「わたしの」世界観を絡めて解釈する行為であって,演奏者個人の来歴はさほど関係ない.演奏者個人の来歴が関係してくるのは,演奏に対しての価値判断が行われる場所においてであろう.つまり,フジコの演奏を聴いて,「天涯孤独だから」演奏に感動するというのはあまりよろしい態度ではないとわたしは思う.よって,「ブレンデル引退コンサートに巨匠の人生が凝縮されている」とわたしは述べない.「ブレンデルはさすがに引退か」とは思うが,そことは離れた場所で演奏を聴き判断する.そして演奏を判断するためのものとして,「音」「技術」「技巧」というものがあるのである.どんない偉大な経歴であったとしても,その場で聞いてしっくりこなかったのであれば,しっくりこなかった感動したのであれば,感動したと思えばよい.その場所に,「フジコの半生はこんなで」とか「ブレンデルの引退コンサートだから人生が云々」という話は関係ないのである.そういった話を引きはなして,演奏を聴かないがためにフジコファンは「耳がない」と馬鹿にされるのである.(フジコの弟が大声でブラボーと曲毎に叫ぶのも興ざめ)
物語を作って,物語の登場人物をステージにのせ,半生を聴衆に回顧させ,お涙頂戴芸をやっているから,フジコは批判される.それにわたしから言わせてもらうと,最初にフジコなんぞの演奏を聴いてしまった方がかわいそうである(フジコの演奏をすべて私は否定したいのではない,最初に出したアルバムは良いと思う.その後は練習不足がたたってか,年なのかしらないが全然ダメだと思っている).
ピアノの演奏には,お涙頂戴芸以上に素晴らしい芸術がある.それの根幹となっているのが各人が出す音である.フジコは全くそこができていない(というよりも年で,もうまともな音が出ないのではないか.長年鍛錬してきた他の老ピアニストと違って彼女にはブランクがある).その点から,フジコはさっさとお涙頂戴芸をやめるべきだし,フジコの演奏を非難しているのは,頭の固い日本の馬鹿クラシックファンだという発言をするのもやめていただきたい.
あとCDだといくらでもごまかせるので,実演聞いて判断するべき.
わたしのおすすめのピアニストは,ハンガリー出身でいまはイタリアに住んでるおじさんとか,ルーマニア出身で最近日本に演奏に来たのにおなかが痛くなって残念ながら帰ってしまったおじさんとか,アルゼンチン出身で体調不良でコンサートをキャンセルしてしまったおばあさんとか,もっといろいろいるがこの辺で.
まずは、参加できない理由を論ずる前に、
2011年9月現在、ニコニコオーケストラはどういう活動をしているものなのか、
コミュニティー外では知られていないようなので、匿名ではありますが、書きました。
明記されている情報としてのコミュニティー、「ニコニコオーケストラ」については、
下記の様に定義されている
ニコニコオーケストラ(以下ニコオケ)は、ニコニコ動画が好きで、
現状の想定される活動範囲は下記のように記述がある
その他明記されている注意事項としては下記を参照されたい。
みられたくないものであればそれなりの措置が取られるべきものとの認識なので、直リンクを貼っています。)
PDF版:http://www.wanalog.com/nico/01.basicrules.pdf
テキスト版:http://www.wanalog.com/nico/01.basicrules.txt
オフ開催要項
http://www.wanalog.com/nico/02.off.pdf
内部で交流がある(あった)立場から、ニコオケについてまとめてみる
商業行為に結びつくであろう超会議への参加はNGであるという認識が潜在的に存在していると言う事。
これがまず一つ目の問題です。
演奏する楽曲も問題です。元々あるものを演奏するのか?そしてその著作権処理は?
編曲するのか?その編曲は誰がする?
もうひとつとしては、
演奏会を行うに相応しいレベルの演奏が出来るかどうかという問題。
過去行われてきた合奏で、
本番当日に初めて合奏通し練習2回くらい→録音
とやっている状況下で、そこまでのクオリティーを確保できないという見方が大方。
メンバーを固めてスケジュールを調整し、練習をしなくてはならない。
これが団体化することになってしまい、コミュニティーとの立場との乖離が出てしまう。
ゲーマーなら知っておきたいゲーム音楽における10人の名作曲家 - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20110803_game_music_composers/
というわけで、対抗意識を燃やして
「ゲーマーでなくても知っておきたいゲーム音楽も手がけた10人の作曲家 - MASUDAZINE」なるものを書いてみようかな、と。
選ぶ基準は主観です。紹介文は手抜きです。基本的に、ゲーム映像と合わせた動画です。ゲーム音楽の動画と、その下にそれ以外で割と有名であろう音楽の動画を紹介します。順番は思いついた順。海外のゲーム事情は疎いので割愛します。
タイトルの「ゲーマーでなくても~」というのは、あまり関係ないです。
いかがでしたか?
他にも「こいついれろよks」とか感想があればブコメでもトラバでもください。
同じコンセプトにはなりませんが続編があるかもしれません。こうやってまとめると案外自分の為になるので……。
君の考えにケチ付ける前に前提の共有をしておきたい。
何が「吹奏楽絡み」なのか意味が分からないし、意味が分からないから疑問にも思いようがない。もう少し詳細に。
まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点
この本物ぶるというのもやはり意味が分からない。どういう現象を「色物が本物ぶる」のか詳細が欲しい。
そもそも音楽ジャンルをスポーツに比喩することは適切だろうか?
たとえばその比喩が適切であるならば、「フルートオーケストラ」や「弦楽四重奏のための協奏曲(ただし弦抜きオケ)」や「クラリネット四重奏」と「クラリネット五重奏」の違いなどが明確に他のスポーツなどに対応されなければならないはずだ。
簡略化、という主張をするならば、当然弦楽四重奏はオーケストラから簡略化されたものと見做されねばならないし、ピアノとサックスによるソナタもそれに準じなければならないだろう。まさかクラリネット四重奏が四管編成オーケストラの簡略化だ、なんてアホなことは言わないだろうが。
「オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」
っていう辺りの思惑と言っていい。
教育的配慮はあろうが、前者は意味がやはり不明。そんな思惑は聞いたことも体験したこともないが。具体的に誰が明言したの?
簡略化した挙句にジャズとかポップス等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチするためでしょう。おそらく))
19世紀後半からのオーケストラのジャズつまみ食いはそれこそ作曲家から演奏家まで当たり前のようにしてたわけだけど、そういう事情は無視?
でもそこが日本の中心って全体の底が知れると思わない?
そこまで書いてWASBEとかは無視するんだもんね。
「個性<集団」に相当偏ってる。
私は地区~県レベルの中学と県~支部レベルの高校の吹奏楽部に在籍していた人間だけども、そんな基準は聞いたことないなあ。
普門館に上がるとそういうのが加味されるわけ?
地区大会とか県大会の団体は感動が魅せられていないわけでもないでしょ?
そう思ってるなら、よほどひねくれた考えなんだなあ、と思わざるをえない。
「徹底的に個を排除」「演出は過剰に」という方向に走る
二行目はわからなくもないけど一行目と三行目は別に問題ないよね。
というか吹奏楽って編成事態が中音が分厚くて低音が薄くて個性の薄れた管楽器集団じゃない。
もちろんこれは構造上の特徴だから、それを活かすも殺すも作曲家次第なんだけどさ。
まあ北朝鮮のマスゲームみたいだから音楽じゃないっていうのも読んでてアホだなーって思うけど、まあそれはいいよ本筋じゃないし。
前のとこは省略したけどさ、吹奏楽部あがりのプロ管楽器奏者ってザラにいるのよ、わかる?
で、ジャンルの問題として君は吹奏楽とオーケストラとジャズの違いも説明できなそうだし(ここでオーケストラとジャズを比べないあたりがとても恣意的だよね)
で、そもそもスポーツとの比喩が適切であるかどうかも不明瞭だからここの引き合いも同じく不明瞭。
「日本でクラシックを本当にやるなら東京藝術大学を目指すんだろう」と「そういう高校生は吹奏楽やってる暇はないらしい。」がどういう理路でつながったのだろう?
あと、君勘違いしてるけど今音楽が熱いのは藝大じゃなくて東音ね。あなたいつの人よ?データ古くない?
杞憂だから不安がらなくていいよ、めんどくさくなって前提無視してケチつけまくったけど
ああ、あとちゃんとトラバ返してね。少なくとも上の指摘に適切に返せないようじゃ話にならない。
なんで大抵部活っていうと吹奏楽絡みばっかなのか疑問に思わないか?
さも高尚ぶってのさばってるのが自分はホントに気に入らない
まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点
ビーチサッカーやビーチバレー、キックベースやらタッチフットと考えて欲しい
「オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」
っていう辺りの思惑と言っていい。
簡略化した挙句にジャズとかポップス等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチするためでしょう。おそらく))
完全になんか不思議なジャンルと化している。どの観点から見ても中途半端。
全国的に子供に率先してやらせる音楽ジャンルがこういうものってどう思う?
気に入らない点の二つ目は、教育的思想が大きくなりすぎたままガラパゴス化してる点
まずガラパゴス化の説明。
「全日本吹奏楽連盟」とそれが主催する「全日本吹奏楽コンクール」の存在が大きくて
そのコンクールの課題曲とか審査の傾向が全体のトレンドに大きく影響する
っていうとさも当たり前っぽいけど、全日本吹奏楽連盟はいわば野球でいう高野連
全日本吹奏楽コンクールは夏のインターハイとか高校野球とかそういうの。
そりゃもう命かけて賞取りに行くよ。
でもそこが日本の中心って全体の底が知れると思わない?
連盟って根本的にはプロの演奏家じゃなくて学校の先生の集まりなわけで、
やっぱりそこが一番お偉いさんやってるとちょっとずつおかしくなる
そこで教育的思想が大きくなりすぎるっていう話になるわけだけど
「個性<集団」に相当偏ってる。
要は「中高生が協力し合って作った感動」を魅せると高得点取れる。
そういう審査を付きつけられた中高生なりその顧問はどうするかっていうと
「徹底的に個を排除」「演出は過剰に」という方向に走る
根本的に音楽の発展なんか気にしてないから当たり前なんだけどね
審査の切り口が違う大会がいくつか乱立するような状況だったらバランス取れるだろうけど
教育的バイアスで歪んでるとはいえ日本における歴史は結構長いから
高校卒業しても続けられたり、プロとしてやっていく土壌は出来てしまっていて
視野の狭いままその世界に骨を埋めることも可能になってしまっている
日本でクラシックを本当にやるなら東京藝術大学を目指すんだろうけど
そういう高校生は吹奏楽やってる暇はないらしい。そのくらい別物
他の物に触れずに歪んだジャンルに人材が割かれてると思うと悲しい