2013-01-25

オーケストラ不思議

音楽歴史にはさほど詳しくない素人として、オケ楽器編成はいつも不思議に思う。


オケ音楽様式はリュリがその形を作ったとされていて、大雑把に言ってしまえば、弦楽器表現の中核で、それで表しきれない部分を管楽器打楽器が補う。

時代が下るにつれて、管打の存在感は増してきたけど、それでも基本は割と同じ。


でもこれ、ものすごく効率悪い編成じゃないかって思うのだ。

だって楽器が高い上に、育成にも非常に時間が掛かる弦楽器奏者を、大人数揃えないといけないから。

ヴァイオリンなんて最たるもので、プロになるなら就学前から習い始めるのが当たり前、楽器のお値段は最安でも新車が買えるレベルという奏者の皆さんが、ベートーヴェン以降の作品だったら最低でも30人は必要

一方、オケ以外の器楽グループ特に管楽器メインのビッグバンドとか吹奏楽とかだったら、プロでも始めたのは中学高校の部活動からで、別に最初からプロ目指していたわけじゃない人がほとんどだし、楽器だって管体が貴金属というだけで高価なフルートとかでもヴァイオリンの銘器と比べたら全然安いし、何よりメンバーが30人もいたら「何でもできる、あるいは多すぎ」レベルなのに、オケではヴァイオリンの1st2ndという、たった2つのパートしか揃わない。

なんて高コストというか贅沢な音楽なんだ。

これが今の今まで1ジャンルとして確固たる地位を築いていることが驚きだ。


もちろん「表現効率とは無関係なんだよ低俗ツッコミはやめろクソが」と言われればその通りなんだけど、オケの本場のヨーロッパでも、あんだけ無駄と非効率の塊みたいな音楽が愛されてきたのが「ケタ違いの表現力」の一言では済まされない気がするんだよね。

もしかしてプロ弦楽器奏者が管打楽器よりも大人数で揃うような、古代から文化的土壌があったってこと?

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