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2010-12-06

また明日今日になった

寒気がするぜ・・・・・!!!!!!!!!

ねぇ聞こえてるかな

歌に流されやすいのは仕様です

困ったものです

俺・・生まれてきてもよかったのかな・・・・・・・・

ビバ!!大チャンス!!!!!!!!!!!!

みんなが幸せになれる方向でいこう!!!!!!!!!

収益化!金よこせええええええええええええええ

ヨコセヨ!デパートヨコセヨ!

俺の頭の中をリズムが駆け巡る。

幸せってどういうもの?

いえええええええええええええええええええええい!!

愛されて500周年。

人類生まれて400万年。

何万年と受け継がれてきた

たすきを僕は胸にかけた

やべぇ。ノリノリだわ。

オーケストラ

響けこのメロディー

最高だわ。最高すぎる。

心も身体も満たされていく。

最高の道を、常に探していこう。

なんでい!くっだらねぇ!!

楽しくありたいですよね。

今度っていつ?

ぶっちゃけた話、美味しいですよねー。

超げろまずなんですよねー。

ぐひょひょひょひょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ベリーナイスポリスメン。

ナメック星人撃退するの。

今日もまた、明日もまた。

風の股三郎。

ふっと湧いてくるイマジネーション。

僕は賭けるよ。この今という時間に。

所構わず、僕はでかけるよ。

ところがどっこい・・・嘘じゃありません・・

太枠で書かれた文字。

俺は俺という存在鼓舞する。

理解を越えた理解を求める。

勇気をブッ壊して、人は生きていく。

なめていた口、

ひるんでいた出口、

むしゃむしゃと食う。

置いてけぼりの幽霊

目一杯精一杯の良心

誰も読んでくれないって?

そりゃ悲しいなぁ。とにかく俺のロケットを見てくれよ。

俺のロケットランチャーを見てくれよ。

最近はちょっとセンチメンタルな気分なんだ。

今日は、の間違いだな。

ゆったりと、滑りこむようにぬるっと入ってくる宇宙

一人でいたら、一人でいることに慣れてしまった。

鼻くそをほじりながら、僕らは歩く。

本気でア・イ・シ・テ・ル。

ふざけた変換機能だぜ・・

とにかく今日言葉があまり浮かばない。

イマジネーションが浮かんでこない。困ったものです

なんにもないや。本当に、なんにもないや。

この空虚な気持ちをどう表現しよう。

からっぽなんだ。そうだ、からっぽの音だ・・

何もない冷蔵庫を開いた時のような。

何もなくなってしまった。

ぼくの手の中には、もう何もないよ。

ああ、一つの文章を紡ぎ出すのに時間がかかる。

ぶっ壊すっていっただろ!!

モチベーション高めにもって。

最高級の愛を。愛を。愛を。

I want you.でたらめに作られたこの世界に夢はないのかい

身体中が痒い。

しかして俺って、スーパーサイヤ人なのかもしれない。

スーパーで最高なのかもしれない。

(´ρヾ) ネムネムゥー。眠い。さっき起きたばっかりなのに。

/(^o^)\ナンテコッタイ くっだらねぇって、つまんねぇって、

それすら越えていく有象無象

正方形自分

自我がブッ壊れていく。

俺は俺という存在を理解できなくなる。

さぁ、言葉の端をつかもう。

ぶるあああああああああああああああああああああああああ

ほら、元気を出して。

だからねぇ元気を出して。あなたの笑う顔がみたいから。

俺・・将来はパソコン結婚するんだ・・!!

お前なら俺の感情全部知っているんだろう?

なんてねぇ、くだらないことを撒き散らす。

ボロボロになったキーボードカバー

深い青黒く染まりはしない

空で無数の星が弱く照らすから。

必然なのか偶然なのか。運命はあるのか。

我は延髄突き割る。鼻血ブレイク

うっひゃあああああああああああああああああああああああああ

またテンションあがってきたぜええええええええええええええええええええええ

うっひゃああああああああああああああああああああああああああ

またきたぜこの時間!!!!!!!!

ゴ━━━━(# ゚Д゚)━━━━ルァ!!

意味もなく踊り出す身体。ノリノリ。ヘッドバンキング

意味なんていらねぇんだよ。さぁ、頑張ろう。噴き出そう。

フォロー人数数万人なんて、どうやってそんな領域へいくんだよ。

全く、理解できないぜ。数千人で手一杯ってとこか。

一日30人で一年に一万人ってとこか。今までの苦労、全部へし折り俺は進む。

前に進む。でもちょっと待って前ってどっちだよ??

縦横無尽に僕は進む。エネルギーが尽きぬ限り。

俺が誰なのか、それを探す自分探しの旅。

なんでもいいけどそろそろ終わらせたほうがいいんじゃない

黙ってろ素人!!!!!!まだ走れんだ。まだ文章書けんだ。

ほざいてろ玄人!!!!!!!!!!!!!!!

やっぱりパンチングの勢いですよね。

いものはないっ!!失ったものばかり数えるな!!

そういうわけです

2010-09-20

初音ミクと見せかけの魔法

 海外blog初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。

http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/

=====以下翻訳=====

 初音ミクと見せかけの魔法

 初音ミク歴史は18世紀のヘタリアイタリアに始まる。

 そこにはバルトロメオクリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロックミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語ピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。

 イタリアピアノ発明することによって、日本初音ミク発明するための扉を開いた。

  ***

 俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケット完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京コンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイドコンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。

  ***

 クリストフォリがピアノ発明した頃、J・S・バッハ平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。

 数十年後、ようやくピアノ価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタ女性音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器ピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメシリーズのようにモーツァルトレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルト協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」

 モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。

  ***

 ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサート全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックオーケストラ民族音楽演奏くらいしかないし、それにシンフォニーホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女モーツァルト魔笛アリアを歌っている動画を聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA

  ***

 19世紀欧州で、もしお前がピアノ演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。

 少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。

 かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツゲーム発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアムペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノ文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。

 19世紀末20世紀音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。

 そして、とんでもないことが起きた。

  ***

 ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザープログラムマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?

  ***

 それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。

 ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノ専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。

 さらに悪いことにロックギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。

 だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアピアノ発明したことが日本初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノ21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso

  ***

 もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアCGアーティスト音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧アイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトオペラを、ガーシュウィンミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。

  ***

 ピアノ最後の変革とは、もちろん電子化のことだ。

 真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザーキーボードとMIDIコントローラーワークステーション世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空オーケストラに仕立てることもできる。ピアノピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。

 一つだけ欠けているものがあった。声だ。

 そして、ご存知の通り、日本日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナ創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀スーパースターになるのは当然のことだった。

 中にはボーカロイドというアイデア音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事ソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家編曲家あるいはプロデューサーなりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイド音楽家仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。

 何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。

=====以上翻訳終了=====

 誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。

2010-06-28

好きな音楽を聴いていると憂鬱な気分が消える。

そんなに無闇やたらと騒がしい曲ではないけど、爽やかな曲を聴いていればまとまりのない陰鬱な気分が安定するし、重くシリアスな雰囲気のオーケストラであれば奮い立たされる。

自分マイナスな気分に振り回されていてはたまったものではないし、確かに気晴らしというのは大事だと実感した。

2010-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20100606163318

世間には、オーケストラクラシックみたいに思ってる人が多い。

交響曲協奏曲には新曲もたくさんあるね。

現代音楽風のだけじゃなくて、クラシック風の曲調のも。

映画音楽とかゲーム音楽も新曲みたいなもんじゃないかな。

2009-12-24

楽しいこと

  1. すぐれた美術品に出会う
    1. 美術館大好き
  2. すぐれたマンガアニメに出会う
    1. エヴァ破はよかったね。グレンラガンもいいね
  3. すぐれた音楽に出会う
    1. オーケストラはいいよね。歴史いいよね
  4. すぐれたコードに出会う
    1. 人間が見て美しいコードじゃなくて、機械にとって美しいコードが書いてあると感動する
  5. 美女と出会う
    1. もっふーもっふーもっふー
  6. 美味しいものを食べる
    1. ワインケチれば、高いレストランでもリーズナブル。でも、ワインをけちって美味しいものを食べる意味があるのか?という話はある。

あとなんだろう。

2009-11-29

2009/11/29(日) 21:11:27

NHK総合の勢い: 151res/分 20:00〜21:30 [新]坂の上の雲

NHK教育の勢い: 32res/分 21:00〜22:00 オーケストラの森

日本テレビの勢い: 35res/分 21:00〜21:54 行列のできる法律相談所

TBSテレビの勢い: 541res/分 19:58〜21:25 プロボクシング

フジテレビの勢い: 9res/分 21:00〜21:54 エチカの鏡〜ココロにキクTV〜

テレビ朝日の勢い: 77res/分 21:00〜22:54 日曜洋画劇場メン・イン・ブラック2」

テレビ東京の勢い: 6res/分 20:00〜21:48 第42回日本作詩大賞!

エンターテイメント指向のお抱えビッグバンド

は昔どの放送局も抱えていたが、今はNHKぐらい。

あと演歌テイチクグランドオーケストラね。

言わばエリート中のエリートの生き残りである。

               〜T/H

2009-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20091117212734

視覚を不要とする音楽ってあるのかな。

オペラみたいな総合芸術はわかりやすいけど、

普通オーケストラでも、最前列で見るのは楽しい

イケメンのお兄さんが、必死でチェロを弾いてる姿が好き。

チェロを愛撫しているようで、興奮する。

2009-11-05

オーケストラ

心を落ち着けようと思ってクラシックCDをたくさん聞いたんだけど、クラシックって激しい曲多くない?

全然のんびりなんかできないぞ。

2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090928235516

フーリガンとかいう単語もあるように、外野のお兄ちゃんたちにはマナーの悪い人も大勢いるというのは事実

オーケストラでも見に行ったなら、仰るとおりなのだろうが、

野球でしょ?

どちらが悪いとかそういうこと以前に、そういう物だ。血気盛んなお兄ちゃんたちがいるところに行ったんだと認識して自衛した上で

スポーツの観客には粗野な人もいますからみなさん自衛しましょうと広めていくしかないでしょ?

2009-09-27

コピペ

これを読んで猛烈に共感する自分

猛烈に違和感を感じる自分がいて変な感じ

てか何でこの程度の文章に反応してんのかもわからん

584 名前ノイズc(関西地方)[] 投稿日:2009/09/25(金) 07:34:37.71 ID:F8tDJMxb

と言うかネット消費者が賢くなりすぎて、

もう芸能界芸能人テレビ嫌悪感しかない人多いよ。

しかもそれが10代にまで及んでる気がする。

普通は中1ぐらいから芸能に興味持って、人の親になった頃に社会構造いろいろ学んで

洗脳から卒業していくもんなんだけど、

今はもうネットであっという間に素通り。テレビなんか誰も信用してない。

芸能人が、一時だけスターのように扱われてたけど、

今や人前で恥ずかしいことして木戸銭稼ぐ元の河原乞食扱い。

うちの妹ですら、高校生なのに

音楽なんか違法に落としてまで効かない。

あんな低俗バンドとかアイドルとか芸能人とか興味持ってると思われること自体既に恥ずかしいらしい。

クラシックとか、オーケストラ聞いてる。

GREEEN?とか湘南の風?とかEXILEとか幸田とか綾香とか

ああいうのが聴こえてきた時点で不快そうな顔する。

かく言う俺も、なんか昔は気にもならなかったのに、

君を抱きしめたいだの、夜寝ただの、エロかったり恋愛の歌詞が

ものすごい不快に感じて、音楽番組とか見れなくなった。

年取ったら保守的になるのかな・・・すごい潔癖な自分がいる。

映画もすぐ恋愛とか青春とかで性からめるじゃん。ああいうのが一切受け付けなくなった。

芸能コーナーはじまったらチャンネルかえる。見るのが怖いんだよ・・・。

人の親になる年が近付くと、そうなるのかな・・・俺だけ??

すっごい芸能なり歌が、性に絡んで低俗に感じて鑑賞に耐えられないの。

気が付いたらNHKニュースしか見ない自分がいる。

めざましのチャラチャラした雰囲気が受け付けなくなった。

あとカラオケなんかでその恋愛の歌とか人前で歌うのとか、死んでも無理。

人の聴くのも気持ち悪い。低俗過ぎて無理。あのノリ。

俺だけなのか・・・

2009-09-01

家庭用ゲームソフトの開発コスト考察はもう少し細分化出来ないものか

○○で開発すると高い、××だと安く付く、なんて話は特に最近はよく言われている事なんだけれども、大ざっぱすぎて逆に分からないと思うのは俺だけか?

これからこういう部分に語る人は、たとえば、各タイトル事に以下の要素で分けて考えてはくれまいか。

以上は俺の数少ないゲーム知識からひねり出したものなので、多分もっといろんなセクションとか工程があるんだろう。それらの中には、どのハードウェアでも殆ど差がなかったり、ハードウェアに関係無くジャンルによって激しく上下したりするものもあるはずなんだよね。しかしなかなかそこまで踏み込んで語られている所を見かけないのが残念な所。

たとえばRPGのような世界観が重視されるタイトルの場合、膨大な枚数のコンセプトアートとかがあるよね。ミュージックも、打ち込みと生オーケストラにはかなりの差が出てくるはず。

2009-07-31

ワッハ上方の闇5

ワッハ上方の闇4

http://anond.hatelabo.jp/20090731034431

の続き。

大阪府議会会議録より

http://www.pref.osaka.jp/gikai/discuss/index.html

【 平成15年度会計決算特別委員会-11月18日-07号 】

◆(清水義人君) この文化課の約二十億円という限られた予算枠で事業推進されて、大変いろいろ努力されているというふうに思うわけでございますけども、この平成十五年度の事業費内訳を見ますと、金額の多い順で見ますと、文化振興財団、これはセンチュリー交響楽団への補助金が主でありますけども、約四億九千万円、それから大阪府立上方演芸資料館、これはワッハ上方の運営にかかわるものが約四億五千万円、それから大阪21世紀協会への分担金約四億一千万円、四億以上といったらこの三件でございます。それから大阪フィルハーモニーへの貸付金一億と補助金あわせて約一億六千九百万円、以上この四件でほぼ十五億二千万円になります。これは、二十億の全体のうち七六%を占めておりまして、非常にそういう意味では残りの分で何とかほかの事業を展開しているという状況になっております。

 そこで、文化振興にかかわる予算の四分の三を超えるこれらの事業の実態というのは、一つ一つ丁寧に検証していかなければならないと思うわけでございますけども、時間も限られておりますので、また常任委員会の機会もあるかと思いますので、今回はまずワッハ上方の運営についてお伺いしたいと思います。

 ワッハ上方につきましては、以前より議会委員会等でさまざまに御議論されていることと思いますけども、改めて平成十五年度の事業についてお伺いしていきたいと思います。

 先ほど出しましたように、この平成十五年度のワッハ上方にかかわる運営経費約四億五千万円、そのうちの約六六%に当たるものが--約三億円になるわけですけども--施設の賃貸借料が占めているということでございます。先ほどお話ありましたように、この賃借料については、年々何とか貸し主との相談をして減らしてきていると、こういうことでございます。

 これは平成二十二年度までの賃貸借契約期間があるということでございますが、これは半分過ぎまして、このままの賃借料を続けてこの事業を続けていくかどうか、これについては今後また検討されるということであろうかと思いますけども、当面の経営のあり方につきましては、この賃借料三億円はちょっと置いておきまして、それ以外の部分でこのワッハ上方平成十五年度の決算額、それに伴いますさまざまな施設の稼働状況、そういうことを前年度に比べてどうなったのか、御説明をいただきたいと思います。

◎文化課長(近森正志君) 大阪府立上方演芸資料館、いわゆるワッハ上方平成十五年度の決算額は、歳入が五千四百九万四千円で、前年度に比べ一・九%の増加、賃借料を除きます歳出は一億八千九百七十四万九千円で、前年度に比べ〇・一%増加し、収支差額は一億三千五百六十五万五千円で、前年度に比べ〇・六%減少いたしました。

 次に、十五年度におけるワッハ上方の施設の稼働状況でございますが、ワッハ上方上方演芸の保存と振興を図り、府民上方演芸に親しむ場を提供するという設置目的達成のために、展示室、ホール、レッスンルームなどの施設の利用促進に努めてきたところでありますが、まず展示室の入場者につきましては五万八千百五十三人で、前年度に比べ七・四%増加しております。ホール稼働率は五六・六%で、前年度に比べ一二・二ポイント、レッスンルーム稼働率は五八・五%で、前年度に比べ四・七ポイントそれぞれ増加しております。

 なお、十五年度から新たに夜間のみ府民の利用に供することといたしました四階展示室の上方亭の稼働率は四三・八%でございました。

◆(清水義人君) 今お聞きしますと、建物賃借料を除きまして、管理運営費、これが一億八千九百七十四万九千円と、収入の方が五千四百九万ということで、この使用料収入に比べまして管理の運営費がかなり上回っていると。これは一般財源から多額の持ち出しをしていると、こういう現状でございまして、ここを何とかしなければならない、この収支状況を改善しなければならないということで、今特に展示室に来ていただいているお客さん五万八千百五十三人、前年度に比べて七・四%増加していると、こういうことでございますけども、資料を見せていただきますと、これ平成八年、平成九年、開設当時が入場者数が十万人超えてるわけです。三年目、平成十年からがくんと半分ぐらい、五万人ぐらいに落ち込みまして、そのままだあっと五万から、昨年、平成十五年度で五万八千と、六万までの間を推移していると。

 ところが、これが、平成十二年度にお客さんふやさなあかんということで、入場料を半額に改定されたと。もとどおりになるかというと、余り今のところ変わってないと、微増という現状にあるわけでございます。この収支改善ということにつきましては、これは大変難しい問題があるかと思います。人件費等の歳出を抑制するということと、このホールを使ってもらうお客さんふやさなあかんと、展示室の入場者をふやさなあかんという問題がある。

 今後、その努力をずっと続けていってもらわなあかんわけですけども、この前の監査委員の意見書を拝見いたしますと、賃借料を除いた管理運営費については、施設の収入、お客さん、それからホール使用料、それで賄えるようにすべきだと、こういう御意見が書いてございました。この監査委員の意見を踏まえて、文化課としましてはどのような取り組みをされるおつもりか、お聞かせいただきたいと思います。

◎文化課長(近森正志君) ワッハ上方の収支状況を改善する等の取り組みといたしまして、これまでも効率的な経費執行に努めますことはもとより、展示室入場者数やホール等の稼働率の向上を図りますため、平成十五年度には、上方演芸のみならず文化芸術まで幅広い利用を促進することを目的に、利用料金の細分化、あるいはリピーター割引の導入、四階展示室内の上方亭の夜間貸し出しなどを内容といたします大阪府立上方演芸資料館条例の改正を行ったところでございます。

 また、雅楽、あるいは能、狂言上方舞を初め、落語漫才など上方で培われてきました多くの芸能を一堂に集め上方演芸を幅広く紹介いたします上方芸能まつりinミナミなどの宣伝力、集客力のある事業を実施いたしますとともに、若手芸人落語漫才を生で演じる上方ライブや、現役の芸人講師を務め、体験のできますお笑い体験教室、あるいは多彩なゲストが展示室にまつわる逸話などを解説する上方演芸サロンを実施するなどにより、展示室の魅力向上に努めてきたところでございます。

 今後とも、上方芸能まつりinミナミなどの内容の充実とあわせまして、マスメディアとの連携を深めまして情報発信力を増すことにより、集客力の一層の向上に努め、収入の増を図ってまいりたいと考えております。

 また、指定管理者制度の導入など、施設運営の効果的、効率的な観点からの抜本的な改善方策について検討を進めまして、より府民に親しんでいただける施設になるよう努めてまいりたいと考えております。

◆(清水義人君) 今、さまざまな取り組みの中で、上方芸能まつりinミナミ、ことしの夏もありましたね。ちょうど御案内いただきましたので、私もオープニングの日に地域の方々約四十人ぐらいと一緒に行かせていただきました。済みません、お金払わないただのところに入れていただいて申しわけございませんでしたけども、地域の方々にも、あの施設、またこういう取り組みをしているんだということを知ってもらうために参加させていただきました。参加された方は大変喜んでいらっしゃいました。

 あのメニューを見ますと、ことしの分大変バラエティーに富んだメニュー、それから出演者もある意味メジャーな方々がおられると。ああいうものがチラシとか、それからマスメディアで紹介されることによって、確かに行ってみようという機運は高まってくる。あれをずっと続けられたら言うことないんですけど、なかなかそれができへんのが、特に平日なんかが難しいと聞いております。

 それと、展示室ですけども、これ初めて行ったとき、ああ、いろんなんあんねんなということで、もう一回行きたいなと思うかどうかが問題なんですね、このリピーター。その都度展示の内容が工夫されて、また今度違うものがあるんやというものになれば、また行ってみようか、次また違うのあるかもしれんでというふうになる、そういう魅力づくり、そういう面でもっと工夫していかないと、これは大変だなと。一体これ何人ぐらい来てくれたらこの運営経費、収入で賄えるねんということを一遍計算してみてえなと頼んだけど、まだ。いろんな試算の仕方があるみたいで、一遍ちょっとこれ研究しておいてください。

 というのは、目標をやっぱり持って、例えばこの平成十六年はこうやったと、次、平成十七年に向かうときに、大体お金払ってきてくれはる観客数このぐらいないといけないというある程度目標があると思うんです。料金設定も非常に細かくされているようですから、一概にぱんと出せない分があるかもしれませんけど、私、前の常任委員会でもお話しましたけど、やはりこうした事業というものはきちっとした目標を設定して、そのための取り組みはこうあるべきだというのをきちっと積み上げて検証すべきであるというふうに思っております。

 特に、入場者数がずっと五万人から六万人で推移している中で、これを例えば入場者数の収入でここまでしよう思うたらどれぐらいの数になるのか、ほんまにそれが可能なのかどうかということもきちっと見きわめていただきたいと。営業努力をしっかりした上で、それでもなおかつこれは大変なことだということになれば、この賃借料三億というのが、二億と減らしていただいてますけども、こうした大きな負担を抱えた事業であるだけに、抜本的な見直しに取りかからなくてはならない時期に来ているんではないかなと、こういうことを初めに指摘をさせていただきたいと思います。

 以上でワッハ上方、今回置かせていただきます

【 平成16年  9月 定例会本会議-10月04日-03号 】

◆(漆原周義君) 民主党無所属ネット大阪府議会議員団の漆原周義でございます。

(略)

 第四は、指定管理者制度と公の施設の改革についてです。

 多くの公の施設で平成十八年度導入を検討していますが、その際には事業遂行能力審査をどのように行うのか、事後での評価と取り消しを行うことができるのかなどの課題が解決されなければなりません。一定の指針が導入に当たって示されるべきです。また、この制度導入に際して、政策入札の考え方を取り入れ、事業のノウハウを持っているNPO市民団体の参画を図り、NPO市民との協働の事業を拡大すべきです。

 さらに、ワッハ上方の状況を一刻も早く改善すべきです。収入六千百三十万円に対して家賃二億八千三百八十万円、支出が四億七千百九十五万円という赤字体質であり、三億円近い家賃平成二十二年度末まで契約上払い続けることになっています。

 以上の三点については、早急に対応すべきと考えますが、指定管理者制度の導入については総務部長に、ワッハ上方の運営改善については生活文化部長にそれぞれ伺います。

◎生活文化部長(綛山哲男君) お答え申し上げます。

 まず、上方演芸資料館--ワッハ上方につきましては、より一層の利用促進を図る観点から、平成十五年度に上方演芸のみならず文化、芸術まで幅広い利用を促進するため条例改正を行いますとともに、上方芸能まつりinミナミなど集客力のある事業の実施により、ホール等の稼働率や展示室入場者数の向上に取り組んでまいりました。また、運営費につきましても削減努力を行い、賃貸借料では開設当初と比較いたしまして約二割、五千五百万円余りの縮減を図ってきたところでございます。

 今後は、運営コストのより一層の削減と収入の増加を図りますとともに、貴重な無形の文化である上方演芸を承継し、次代に引き継ぐ全国で唯一の施設として設置目的を最大限達成いたしますとともに、幅広い文化の発信拠点としての機能も果たし得るよう、指定管理者制度の導入など施設運営の抜本的な改善方策について検討してまいりたいと存じます。

【 平成17年 12月 定例会本会議-12月12日-02号 】

◆(東徹君) 自由民主党の東徹でございます。

(略)

 ところで、大阪といえば笑いの文化であるにもかかわらず、ワッハ上方の展示室はいつもがらがらで、閑古鳥が鳴いています。それは、目の前になんば花月があるのに、その客を呼び込む工夫ができていないからではないですか。磨けば光る観光資源を再度プロデュースし、PRすることにより、国内だけではなく世界からも観光客が訪れる方法を考えるべきですが、いかがでしょうか。

【 平成18年2月定例会教育文化常任委員会-03月13日-01号 】

◆(阿部誠行君) 予算をつぎ込めば文化が振興するかというと、必ずしもそうではないとは思います。ただ単にお金の問題だけではないと思いますけども、しかし予算政治の顔とも言いますから、大阪府が文化振興に対してどんなスタンスを持っているかというのは、文化課の予算にもそれはあらわれているというふうに思うんです。

 特に、文化課のその予算の中身を見ますと、ワッハ上方の運営費が四億数千万、文化振興財団、これはセンチュリーですけども、これが四億四千万、21世紀協会の負担金が四億余、それから大阪フィルハーモニー協会への運営補助あるいは貸し付けなどを含めますと一億四千万円というふうに、こうした運営補助だとか、あるいは負担金だとか、こういうのが予算のかなりの部分を占めているわけです。これはこれで必要でないとは言いませんけれども、しかし大阪府が独自に進める文化振興事業というのが、予算的には非常に窮屈な状況になっているように思うんです。

 例えば、本会議の一般質問で指摘がありましたけども、おおさか・元気・シリーズの事業負担、これも四千万ちょっとですけども、これが今回減らされるということもありますし、新進芸術家育成支援、あるいは市町村文化施設活性化支援事業、これも約三千四百万。額にすれば、他のそういう数億円の負担から見れば、大阪府が独自に進めている大事な文化振興事業は予算的には非常に窮屈なんではないかというふうに思うんです。この点についてはどう思われますか。

◎文化・スポーツ振興室副理事兼文化課長北野義幸君) 委員お示しの、確かに文化課のみの予算で約十九億程度の中で、挙げられましたワッハ上方の運営でありますとか、文化振興財団--センチュリーオーケストラですね、その運営費等で大きな額を占めているものが何点かあって、それ以外の独自施策の部分がという御指摘でございますけども、先生の挙げていただきました事業の中でも、やはりずっと継続して同じ団体に助成するということが決していいわけではないと思っております。

 それぞれ予算で増減がございますのは、私どもも一定見直しをさせていただいて、それぞれの趣旨から選択と集中を図らせていただいているということでございまして、一概に文化振興費をシーリングどおりに削っているというわけではないというふうに思っております。

【 平成20年  2月 定例会本会議-03月06日-03号 】

◆(西脇邦雄君) 出資法人の問題に移ります。

 ワッハ上方青少年会館、いろいろ見ていただきまして、我々も思いが同じのところがいっぱいあります。ワッハ上方がなぜあの場所にこだわらないといけないのか。家賃二億円の減額だけでなく、例えば吉本さんに譲渡して周辺との一体運営ができないものか。

【 平成20年7月臨時会教育文化常任委員会-07月14日-01号 】

◆(八重樫善幸君) 次に、府立上方演芸資料館ワッハ上方)について伺います。

 先日我が党の清水議員の一般質問において知事は、笑いの文化は大阪に必要不可欠と答弁されましたが、この笑いを大阪が誇る固有の文化として、その歴史や文化性を具現した施設がワッハ上方であると思っています。この間、ワッハ上方については、知事の公の施設改革でシンボリックな施設として新聞テレビなどで大きく取り上げられ、よくわからないが、確かになくてもいいのではといった不要論が大勢を占めていると思います。事実、代表、一般質問でも、他の施設に比べ取り上げられた回数が少なかった。

 そこで、またもそもそも論で恐縮ですが、この笑いという大阪固有の文化を資料館として整備する際にどのようなコンセプトを持って、どのような経緯で現在の場所に開設されることになったのか、しっかりと原点に返っての説明を求めたいと思います。

◎文化課長三枝泉君) ワッハ上方の設立の経緯及びそのコンセプトについて申し上げます。

 平成元年三月に砂川捨丸氏の御遺族から、師匠愛用の鼓が大阪府に寄贈されたことをきっかけに、上方演芸保存振興事業のあり方を検討することとなりました。平成二年一月に在阪民放各社、NHK新聞社演芸人、学識経験者等で構成する上方演芸保存振興検討委員会を設置いたしました。平成四年三月に上方演芸を残す、楽しむ、そして挑戦するという三つのコンセプトを具体化するための基幹となる上方演芸資料館の設置が提言されました。

 そして、資料館の立地条件としまして、子どもから高齢者まで幅広い人々が気軽に訪れることができる交通の利便性と上方演芸ゆかりの地であることが示されました。

 これを受けて、テナント形式で資料館を設置することとし、複数の不動産業者と難波周辺の数カ所で協議を進めておりましたが、最終的に現地に資料館の立地が決まりました。平成五年に当時の中川知事吉本興行との間で合意し、平成八年十一月に府立上方演芸資料館としてオープンしたところでございます。

◆(八重樫善幸君) ただいまの御答弁の中でも、ワッハ上方はその対象子どもから高齢者までの幅広い層を対象としており、努力されてきていると思います。ともすると、ワッハ上方芸能プロダクション芸人のためにあるかのように誤解されている面がありますが、もっと子どもたちを巻き込んだ取り組みを進めるなど、笑いの力を社会に生かしていく施設として訴えることはできないのか、お聞きしたいと思います。

◎文化課長三枝泉君) 展示室では、今週の木曜日から子どもたちのための特別展を開催する予定でございます。これは、紙芝居クイズを取り入れて、子どもたちに楽しく落語を体験してもらうものでございます。このほか、親子で落語を体験するふぁみり寄席も毎月実施しており、落語の小道具の使い方や小ばなしなどをプロ落語家に教えてもらい、家族間でのコミュニケーションづくりに役立っているところでございます。

 また、地元商店街タイアップして修学旅行生を受け入れ、商店街での商売体験とともに、ワッハ上方において上方演芸に触れてもらう取り組みを進めております。昨年度は、二千五百人以上の修学旅行生が訪れ、全国各地の子どもたちに厚みのある大阪文化をPRしたところでございます。

 一方、ワッハ上方の持つ笑いのノウハウ府民の方々の健康に役立てようと、笑いと健康パック派遣事業を実施しております。これは、病院福祉施設などに笑いの効用についての講師プロ芸人さんなどを派遣し、笑いの持つ力を健康づくりに活用している事業でございます。委員お示しのとおり、こうした事業についてより一層のPRに努める必要があると考えております。

◆(八重樫善幸君) ワッハ上方については、今回のPT案が出されてから、吉本興行からさまざまな提案もありました。一つは、賃借料の半減--現行の二億八千万から一億四千万へ大幅削減する案が出されています。二点目は、この半額値引きを来年度からでも実施できる。これは契約を変更しての提案ですので、破格の提案と言えます。三点目には、イベントの共催と資料館への動員増の具体的な支援を行うとのことです。今のプログラム案では、展示機能とホール機能を分けてしまうことになってしまいますが、この機能は一体的でないと意味がないと思います。生活文化部長に改めて見解をお伺いしたいと思います。

◎生活文化部長(南部英幸君) ワッハ上方についてでございますけど、ワッハ上方が幅広い年齢層に応じまして、大阪文化の一端を紹介してきたということについては事実でございます。施設機能を現地で維持していくということにつきましては、なお多額の費用が必要になるということで、私どもこれまで知事副知事、PTチームともさまざまな議論を行ってまいりました。ただ、展示機能と演芸ライブラリー機能を存続するということで、平成二十二年度末までに府有施設等への移転ということになったものでございます。

◆(八重樫善幸君) また、ワッハ上方存続の議論の中で、今のミナミにあることがどうかという議論があります。しかし、それなら大阪府内でお笑いの文化を発信するのにほかにどこがあるというのでしょうか。キタでも本町でも、間違っても大手前でもないと思います。今の場所にもし大阪府が今の全く同じ規模で四階建ての施設を建設したとしたら、どれぐらいの費用が必要だったのか。推定で百十七億との試算もあります。現在の賃借料は、庶民感覚からすると確かに高いとは思いますが、もし当時起債して建設していれば、府にとってもっと大変な借金として残っていたことでしょう。

 私は東北生まれですが、大阪人にとって最も大阪人たらしめている世界最強の資質、よいことも悪いことも、つらいことも難しいことも、すべて笑いで乗り越えていく、お笑いというすばらしい文化を世界のどこにもないすばらしい資料とともに残し、また誇りを持って子どもたちに引き継いでいく、ワッハ上方という遺産を残していっていただきたいとの願いを込め、改めて知事に質問をさせていただきたいと思います。

【 平成20年7月臨時会教育文化常任委員会-07月16日-02号 】

◆(山本陽子君) 現地存続のための方策府民、そして関係者みんなで探って、さらによく議論をしていこうということを申し上げておきます。

 この問題は、また知事にもお願いしたいと思います。

 最後に、上方演芸資料館ワッハ上方)、センチュリー交響楽団の件について要望いたします。

 ワッハ上方は、二〇一〇年度末までに展示、ライブラリー機能のみに縮小し、府有施設等へ移転するということです。平成七年、当時の中川知事NHK大阪放送局の局長が、そして平成八年には山田知事--ノック知事ですね--と朝日放送柴田社長が取り交わした協定書があります。内容は、第一条に、府が実施する上方演芸保存振興事業に賛同し、制作した放送番組を府が複製することを承諾するとあります。第二条には、大阪市中央区難波千日前に設置する大阪府上方演芸資料館において、営利目的としない上映または再生に限り使用することができるとあります。学芸員を置いて、笑いという上方伝統文化を恒久的に後世に残すため、大事にすべき施設だと思っています。関係者とも十分話し合っていただいて、一方的な移転縮小は見直すことを要望しておきます。

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集 2

http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き

 弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。
しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界
と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。

 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ
と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野
氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを
容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続
けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含レイに
抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。
 ラストアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、
彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの
胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後
戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・

 なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤
独に耐えかねて泣いているんです。
 私はここに最高のユーモアカタルシスを感じました。こんなに見事な
ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント
を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。
自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督
が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ
クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?
無責任な憶測ですけど
 あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世
界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ
でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。


 希望アスカの手,シンジの涙。 
                  そして,『会いたい』という気持ち。
 ラストシーン絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ
んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩
のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶
望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも
しれない。
  ひとつだけ考えられるのは、シンジ物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ
  も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの
  かも知れない。
  でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって
  ないんだな…」と思っちゃったとか。
 寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人
を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない
から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス
トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち
ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)
 嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。
 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。
 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。

 ラストシーンアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな
がらもシンジの頬をなでる。
 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波
レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に
横たわっているアスカレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく
包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、
シンジの頬に触れる行為も。

 しかし、彼女最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ
は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、
さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの
か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま
あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ
しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん
自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母
性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変
わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。

 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意
味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ
ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼
らなりに成長していくのでしょう。
不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた
記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感
覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、
とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
 シンジアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も
愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来
てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手
を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ
の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。
 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと
つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて
も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え
ました。

 One more final:   I need you.
 
 もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ
なたが必要である』でした。
 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。
 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生
きてるんですから。

 愛よりも深く。
 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、
そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト
でした。
シンジ内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの
赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ
い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え
ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」
これらのセリフ作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人
生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ
れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた
「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ
というのが僕の理解です。
 そうすれば、ラストシンジアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で
「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。
現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
 オタク依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタク依存の代表になっ
 てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。

 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアニュータイプを指さす少女)
 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B)

 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ
 ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想エヴァを作り上げて固執する。虚
 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと
 を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無
 論、綾波アスカの一部ファンにも言える。
 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分
 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ
 た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人
 間は嫌悪する現実ファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが
アスカシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、
頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので
集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる
「こ」の自分を認識し他の存在シンジ認識し
「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在
することを知覚認識して噛みしめていると感じました。

いやぁすっかりアスカが主役でしたね。
ここまでアスカ映画になってくれるとは
嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。

      とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、
一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
                                                       <終劇>
       自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。
       DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお
       湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象
       して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の
       と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで
       しょう?
シンジアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する
"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。

そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画アスカシンジを否定したのは
(自分の勝手解釈ですが・・)
「シンジアスカの事を、好きで求めているのではないのを、
アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、
最後に’気持ち悪い’とまで言った」
好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、
シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く
見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。
アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく
ない気が・・・。
 また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ
の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、
これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場
した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの
中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと
私は感じました。

 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた
レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある
ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、
ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた
のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。
あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。
実はその前にシンジアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると
いう一連のシーンがあったのである。
しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし
まっていた。(偽りの復活)
そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を
のばす。
しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を
撫ぜる。
嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。
更にアスカは言う。
「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」

そうあのシーンは「クララが歩いた」パターン感動的なラストシーンなの
である。
しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー
ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。
だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。
(笑)
シンジ監督アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは
また違った見方が出来ますね。
現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督真心アスカが無反応だったら悲惨ですね。
それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
 シンジ・観客、 アスカ監督ではどうでしょうか?

 シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。
     謎もあまり解明されてないし~
     そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」
 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い
  えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識
  の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く
  なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子意見がありました(苦笑)
2:あのセリフみやむーちゃんのアドリブ説
  庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名
3:怪我のために気分が悪い説
  右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです
  (経験者談)
4:2日目説
  ・・・・・・(^^;)・・・・・・
5:観劇してる人へのメッセージ説
  ・・・・・・
 「きもちわるい」。
 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか?
 でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。
 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。
 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。

 だけれど、生きている。
 それでも、生きている。
 生きていなければならない。
 
 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
 エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ
る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ
ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。
 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一
元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平
和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、
人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。
 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側
の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。

 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー
レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成
長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙
示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に
は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや
悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ
ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の
台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで
ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た
くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ
と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、
「アスカ自身が女になった」
「シンジにとってアスカが女になった」
という二つの意味を同時に持っていると思います。
「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、
触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠イメージを出す効果、
それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が
表現されていたように捉えられました。
 最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系神話 洪水で生き残った
兄妹の話(日本のイザナギイザナミの話でもこういう始まりのものもあります)
の方を連想しました。

 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。
私はシンジと一線を引くセリフと取りました。
(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)
この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの
かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。
とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。

気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという
意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。
ラストセリフは、生々しい接触も含めてアスカシンジを受け入れ始める、
という言葉ではないのか、と思うのですが。
少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。
庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。
ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、
おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、
ファンに対して文句を言ったんだと思います。 
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身
をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムエヴァが
禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体
を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。
・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムエヴァなのですね。
自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ
こもって出ることができなかった)シンジアスカだけは結局補完されることなく、
荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカシンジを拒絶するかもしれな
い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな
ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし
ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡
単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ
ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ
で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示
して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、
ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)

  補完中にシンジアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。
彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。
そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。
理解不能ですからね。

  それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。

  「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、
これっぽっちも示されないのに。
根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。
単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。
(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?)

  目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。
そりゃ、あたりまえです。
自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、
現実に厳然と、そこにいるわけですから。
ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。
「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。

  なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、
彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。
苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。
シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で
「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
 アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、
彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで
息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。
 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、
「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。
 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に
通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、
(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです
が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ
ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい
う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し
くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出
て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ
たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと
のアスカセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ
みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)

 TVシリーズを見る限り、アスカシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ
けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと
がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジ腑抜けさに我
慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァパイロットとしての
ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。

 シンジの方は、ミサトさんレイアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、
考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中
で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・
・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため
に現世に戻ったのですから。

 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ
もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と
いうことであれば、先がどうなるかは・・・
 しかし、あのラスト必然とはいえ悲しい物がありましたね。
アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ
り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども
あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。
少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」
というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在
を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。
月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、
もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、
見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、
こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、
エヴァ庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・
そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって
事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言
ではないだろうか。
私はあのラストシーンは
「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、
全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった
シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。

「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい
時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、
とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは
現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。
(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)
まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。
私はいい出来だったと思ってます。
 アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。
敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
 シンジが心象世界ラストシーンアスカを求めて首を締める
シーンはレイプメタファーじゃないかという意見がありました。
確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで
すよね。
そしてラスト台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)
に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世
界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカシンジを好きだ
とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、
目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、
我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で
しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると


  

2009-06-11

陵辱エロゲ規制賛成!そしてすべての陵辱表現を禁止しよう!

いわゆる陵辱エロゲ規制問題で、私はid:mojimoji氏、id:hokusyu氏をはじめとする諸氏の言説、たとえばこれこれこれにいたく感銘を受けた次第であります。

くその通りで、陵辱エロゲ女性性的暴行侮辱することを肯定的に描く表現であり、しかもそれを正当化する術をどこにも持っておらず、擁護派はあろうことか「表現の自由」と強弁してヘイトスピーチ正当化しようとするばかり、全く同情の余地はない、「生きるに値しない表現」です。このような明晰かつ明快な論法にまずは敬意を表したいと思います。

その上で私は、このような糾弾の声、表現の純化と浄化の声をさらに強くすべく、エロゲ以外の分野の規制をも求めて声を上げていくことを提案したいと思うのです。特に、世界的に良識の名の下に女性への暴力を肯定している例を私は知っており、ぜひとも一緒に声を上げていただきたいと思うのです。

問題の演劇作品

私が具体的に糾弾したいのはとある演劇作品です。主人公は典型的レイプ魔で、女性を甘い言葉で誘わしては慰み者にするという、ただそれだけで特徴づけられる人間です。要するに陵辱エロゲと何も変わりません。そして他の登場人物は、その言語道断な主人公に阿諛追従する男、そんな主人公にいくらでもなびく都合のよい女、それに対して何も手出しのできない情けない男と、いかにもこの種のエロゲヲタにとって都合のよい人物像ばかりが並べられているのです。

然るに、この演劇作品日本ばかりか世界全体に流通しており、あろうことか一部では絶賛する声まで挙がっている有様です。北欧のある非モテの文筆家は、これを世界最高の芸術作品とまで評しています。また、フランス進歩的な知識人の間では、この主人公を、権威を打倒し自由を追及する男として肯定的に評価する声さえ挙がったといいます。

どうして良識的な人々がここまで騙されてしまったかは私にも理解に苦しみますが、憶測するに結末として主人公が罰せられることになっているからでしょう。しかしよく見れば主人公以外の登場人物の喜びようは余りにもおざなりであり、このような話の筋は単なるとってつけたような免罪符であることに想像の余地はありません。

この作品言及する声は意外なところにまで及んでおり、ある分野で世界最高の芸術家と評される人物は、話の筋に眉をひそめつつも、作品の質自体には賞賛を惜しんでいません。他にも、多くの分野からこの作品を崇拝する者は後を絶たないのです。

しかもあろうことか、世界最高のミュージシャンとも賞賛される人間がこの演劇音楽を付けてしまったのです。これにより、この作品の評価は時が経つにつれ、上がることはあっても、下がることは全くないという有様です。

みなさん、この反動的な作品規制し、上演禁止に追い込むようにご協力願います!

抗議行動のために必要な情報

なお、作品の題名は「ドン・ジョヴァンニ」で、出典はスペイン伝説ですが、演劇化を試みたのはモリエールという男です。この戯曲アレンジした台本音楽を付けたのはモーツァルトというオーストリア出身の音楽家で、これを賞賛した北欧知識人とはデンマーク出身のキェルケゴールという男、一定の留保を付けつつも作品を賞賛した芸術家ベートーヴェンという名前です。これらの反動文化人作品を抹殺すべく、同志の皆様もぜひご協力願いたいと思うのであります。

野暮とは思うが真面目な補足

表現というものの価値意図と関連づけて測られるものではなく、表現の質として測られるのである。そして、作品から読み取れる作者の意図というものは決して一通りに決まるものではない。たとえば、「ヴェニスの商人」を読んでシェイクスピア反ユダヤ主義者だったかどうかを判断するのは難しい。事実シャイロックというユダヤ商人は、屈折した苦悩を持つ人物として見事に描かれており、反ユダヤ主義糾弾する文脈でも演じることは大いに可能だからだ。ナチス経験したヨーロッパでさえ、「ヴェニスの商人」を禁書にしようなどという馬鹿はどこにもいまい。

こう言うと、「エロゲ芸術性などあるものか」と言われるかもしれない。だが、紛れもないポルノである春画でさえ芸術性を評価する者はいるのだ。また、偉大な芸術作品の多くは、発表当時理解されなかったことも多い。これだけから見ても、法的立場から表現を規制することの愚かしさがわかろうというものだ。原則として、表現はただ表現によってのみ批判されるべきなのである。

なお、ショスタコーヴィッチという旧ソ連作曲家は、スターリンによって作品を「革命的」だとか「反動的」だとかいろいろ評価を変えられ、作曲活動に大きな影響が出たことも付記しておく。笑うべきことに、当時問題になった作品オーケストラだけで演奏される交響曲で、歌などによる言語表現すら一切含まれていなかったのだ。

2009-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20090511161122

普段自分日記コメントに返信はしないんだけど、こういう人と演奏したくないって言われたのがショックだったので!

 

最後の付け足しは、別にバイト掛け持ちでやってる子が満足に練習できていないていいたいわけじゃなくて、それでその人が満足してるならいいし、自分みたいにだらだら不満持ってバイトのせいで弾けないとか言い訳するのは嫌だなと思ったのです。

たとえその人がどんな性格でも、演奏してみると面白いかもしれないよ。そもそも大学オケだって、好きな人も嫌いな人もみんな一緒に演奏するのが良いんだし。

補足で、自分高校から部活楽器始めてろくに習いもしなかったんで、上手くないんですよ。しかもやってる楽器が一番難しいとこだから、本当毎日練習しないと追いつけなくて。

でも無理してるわけでもなくて、自分がもっと練習したいから練習するわけで。きつくないし、伸びしろがある練習は楽しいです。

楽器楽器なんで、だから社会人オケみたいに土日の練習だけでできるとは思えないんですよね。

もっと練習して、就職までに上手くなれれば違うかもしれませんけれど。そのためにも練習したいな。

勉強は一応やってるつもりです...少なくとも、大学を選んだ甲斐はありました。

親に伝えたかと、そのコメントが一番心にきました。恥ずかしくて面とむかってそんなこと言えない…結婚式じゃだめかな。おばあちゃんは帰るといつも泣いちゃうし、自分もつられ泣きして、ああ家が恋しい。

地元就職は、大阪だから大丈夫かなと楽観視してます。公務員になる気はありません。

というのも、自分の分野では公務員志望が多くて、その反発もあったりします。でも企業で働くほうが好きかな。

オケで反応してくれる人が多くて嬉しい。オーケストラ、良いですよね!

社会人オケも楽しそうだけど、大学オケ青春が詰まっていてかけがないものです。本当に。

大学オケの魅力もたっぷり語りたいけれど、それはまた次の日記で。

2009-05-11

大学生

http://anond.hatelabo.jp/20090510053204

不景気煽りをくらって生活が厳しくなった、家族思いの優しいお父さんの記事を読んで

自分奨学金をもらいながら大学に通っている。

実家を出て一人暮らししているので、奨学金の10万は家賃込みで全額生活費。学費だけは親に出してもらってる。

実家大阪だから大学は山ほどあったけど、どうしても勉強したかった分野が国立大では1つしか扱ってなくて、わがままをいって家を出させてもらった。決して裕福だったわけではない。

本来ならバイトして、ちょっとでもお金稼ぎながらまじめに勉強するべきなんだと思う…

けど、今はサークル中心の生活をしてる。他よりだいぶお金のかかるサークルで、とてもじゃないけど苦学生が入れるようなところじゃない。

他の子もみんなバイトしながら勉強と両立させてる。

自分も2年の冬までバイトしていたけど、そのままだとサークル勉強中途半端になってしまうから、辞めてしまった。

今は無収入。ものすごく不安奨学金のおかげで生活するのには困らないけど、とても心もとない。

この不況だから家に何かあったらどうしようと思うし、ちょっとでも親に楽させてあげたいとも思う。

でもそれと同時に、人生で一回しかない大学生活を充実させたいという気持ちもあるんだ。

好きなだけ勉強して、好きなだけ楽器を練習できる。オーケストラやってるんだけど、社会人になると真面目にオーケストラなんて絶対できない。お金がいくらあっても、時間が足りない。満足いくぐらい練習して、合わせて、ひとつの曲を完成させるっていうのは…本当に時間がかかるんだ。2、3回の練習で本番迎えるようなプロでもない限り。

それを、少なくとも執行代の1年くらいはどうしてもしたくて、バイトを辞めてしまった。

奨学金も規定のフルの10万。一種だと無利子なんだけど、10万借りれるのは有利子の二種だけだから利子だけでもかなりの額。

こんな贅沢な生活をしていいのだろうか。無理言って通わせてもらってるのに。好きなことばっかりやってて許されるのか。

って、ずっと思ってた。けど、今の時間って二度と来ないんだよな。

社会人になるとお金ももらえるし自由になるけど、時間がないんだ。就職した先輩もみんな言ってる。

今しかできない音楽を、やっぱりやりたかったんだ。

就職、できれば地元でしたら、節約してお金ためて、奨学金も返して親孝行もするから、今は贅沢しよう。そう決めた。

サークルの経費だけ、出世払いでおねだりして。

やっぱり親不孝ものかな。ごめんね。

  

お金かかるから、ってバイト頑張りながらサークルしてる子もいっぱいいる。

でも、それで練習する時間なくて満足いく演奏できなかったら、本末転倒だと思うんだよね。

お金ないけどやるって決めたなら、やっぱりそれなりに集中して、打ち込んで頑張ったほうが楽しいやりがいがあるし、私はそうしたかった。

奨学金借金だって言うけど、でも今のこの時間が手に入るなら後からいくらでも払う気分になる。

こんな大学生活を送れるのは、幸せだと思うんだ。

2009-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20090408054838

はてブ狙い乙…じゃなくて。

けいおんって、原作ではぜんぜん音楽やりたくなるような展開なかったのに、動きと音楽がつくと違うものだな、とは思った。

漫画としては「放課後ウィンドオーケストラ」あたりが万倍オススメ

つくづく、1万部も売れてなかった漫画を抜擢して原作者金持ちにしちゃう京アニすげー。

「要は、けいおんの原作ツマンネって言いたいんでしょ?」

 その通りです、サーセン

2009-04-04

大人になるとか

なんかこの界隈で色々とあれみたいなんで思うところを書いてみる。

多分取りとめがなくなると思うが、いやなら読まないで次いこ、次、ってことでよろしく。

この前の誕生日で、46歳になった。

イタイ大人なのかもしれないし、大人になれないオトナコドモなのかも知れない。

こんなところに出入りしてROMったりDISったりしているのはオトナのすることじゃないのかもしれない。

これを読む若い人たちには夢も希望もない話に聞こえるかもしれない。

もとい、自分にとって大人になることとは自由になることだった。

親や教師や社会ルールや、自分を縛る何もかもから逃げ出すこと。尾崎豊みたいだなあ。

少なくとも経済的に自立しないと自分の好きなものは手に入らない。好きなところには行くことが出来ない。

好きな人と好きなようにあって好きなだけいちゃいちゃすることも出来ない。

だから、まずある程度経済的に独立した状態、それが自由の基本だ。

そのための手段としての仕事をどうしたか。

安っぽい言い方でほんと申し訳ないんだが、好きなことを仕事にした。

好きなものを作る業界で、自分の得意な分野での仕事に付くことができた。

2回転職してのことだけどね。結果収入も増えた、と思いたいが、日本給与制度には永年勤続に対する退職金というすばらしい制度があるので、

生涯収入としてはどうだったのかはよく分からない。

新卒大企業就職していたら、そのまま一生留まるのがお得なのが日本社会なのだ、とも思う。

これは時代背景やら経済状況やらとのからみで、上手いこと波に乗れたので運がよかったのだと思っている。

こればっかりは人の話はさっぱり参考にならないと思う。巡り合わせ。色々と一期一会

んで、だ。

自由になって何がしたかったのか。

楽がしたかったんだ。好きな時間が欲しかったんだ。おいしいものが好きなだけ我慢せずに食べたかったんだ。

この夢は未だに叶っていないけどね。

その夢と引き換えにして(経済的には)家族を得た。パートナー子どもが二人。

家を手に入れた。借金のかたに取られるかもしれないけど(普通住宅ローンには普通抵当権設定されるのが日本の標準)

はたから見たらごく平凡な、いや平均以上の家庭に見えるだろう、と思う。

そんな自分は大人なのだろうか?

子どもの頃、可能性は無限にあった。何にだってなれた。

けれど可能性はだんだんと減っていき、残ったものを得意なものと決めざるを得なくなる。

協調性もなく、空気も読めず、頭も悪い。

それに気付いて、残った僅かな可能性を握り締めて何とか仕事に繋いできた。

結果、必死で仕事をし、良いことも悪いことも色々あって、

成長なのか、鈍化なのか、

技術を習得したのか、変化に順応したのか、

ともかく仕事は続いている。

子どもを一応大学までは行かせてやりたいと思うから、仕事を放り出して逃げたい時でも頑張って仕事をしている。

仕事そのものは嫌いじゃないが、正直、矛盾だらけでしがらみだらけの会社ライフに嫌気が差して、

一人でどこかへ行ってしまいたいと思いながら、会社帰りに部下とカラオケしたり、コンビニ立ち読みしたりする程度で発散しいる。

こいつは小物だ、雑魚だなあ、と思うけれどもそれが自分だからしょうがないな。これを矮小化というだろうか。

これは大人のやることだろうか?

さっきまで教育テレビアルゼンチン生まれのユダヤ人バレンボイムの指揮するウエストイースタン・ディバン・オーケストラを聴いていた。

ロシア作曲家チャイコフスキーの悲壮を、アラブイスラエルの若い音楽家で構成されたオーケストラ演奏している。

輝く音楽指揮者は早々に(高校生の判断を早々と呼ぶのならだが)諦めた可能性の一つだけれど、音楽は美しい。民族人種を超えて美しい。

なにか、分かり合えなくても共有できるのではないか、永遠に続く錯覚ならそれでも良いではないか、と思わずにいられない。

世界平和を願い続けることをばかげているという人たちもいるけれど、自分はそれを信じたい。

大人になったからそう思うのではないと思う。

そういえば高校生の頃、別マを愛読していた。くらもちふさこは今でも好きだ。最近のだめカンタービレが好きだ。

子どもにつられて読み始めたワンピース大人買いして、今も毎週立ち読みするのも自分だ。コミックス自分が買う。

そういえば小さい時から徒競走がとにかく苦手で、いっつもお前は本気で走っているのか?と訊かれていた。ああ、本気だったとも。

だから走るのが速くなれば女の子にもてると本気で思ってたぞ。今も心のどこかで思っているな。マッチョ信仰だな。

いや、ないものねだりか。大人には足の速さって価値がないな。プロスポーツ世界でもない限り。

昔から、軸がぶれていて、定まらなくて、今もぶれている。コンプレックスの塊だったから、早く大人の男になりたかった。

強く、揺るがない信念を持った大人の男。

今の自分はそんなものとはかけ離れている。

流れてゆく時間の中で、今を生きていくことだけを追いかけてたら、こうなった。とにかく、ここまで生きて来た。

これを流されたというのだろうか。

今まで生きて来て分かったことは、自分の自由は自分で決めて自分でやるしかないということ。

自分のしてきたことを認めること。後悔することもある。でも認める。それは自分であると。

過去何がしかの決心で分岐を選んだ自分を認めること。だからといって他の道を永遠に諦める必要はない。それは夢だから。

可能性が0でない限り、持っていてもかまわない夢だから。

こんな浮ついたことを言いながら多分50になり、還暦を迎え、だらだらと意地汚く行き続け、願わくばあっさりとひっそりと死んで行けると良い。

こんな自分は大人なんだろうか。

だらだら書いてすまなかった。もう終わりにするよ。

まあ、こんなオヤジもそれなりにいるのではないだろうかと思うのだ。

大人になりたい人は自分にとっての大人を決めるといいよ。

死ぬまで追いかけるぐらい遠いことに気が付くのは多分死ぬ時なんだと思うけれどね。

ああ、本当に大人気ないなあ。

2009-03-08

最近若者日本の文化を殺そうとしているのではないか

http://anond.hatelabo.jp/20090305221614

を読んで、高校生の妹に聞いてみたところ、完全に同意していてやばいなーと思った。

音楽はタダでいい。本当に欲しいのだけ買うけど、それもネットで聞いて良かったら買う。

・だから、音楽会社とかいらないと思う。ネットで販売すればいいじゃん。

クラシック音楽なんて聞かないからいらない。

中田ヤスタカが使ってるみたいな機械があればいいからオーケストラとかもいらなくね?


と言っていたので、違うよ!と反論してみたのだが、よくわからない様子。

わかりやすくするためにいろいろ例えを出したのだが、それもだめだった。

バレエ歌舞伎舞台オペラなんかはどうなるのか→別にいらない。

・そうなると美術芸術とか文化的なものがすたれていくよね?→衰退すればいいんじゃない?

と言っていた。

これからを担う若者たちがみんなこういう考えだったらマジで日本終わるなーと思った。

自分たちは何も文化を創り出さないくせに、文化を殺す方向にしか考えがいかず

その理由は、別に見てもしょうがない、という『必要でなければいらない』という発想。

何故文化的なものにお金を払うことに対して積極的ではないのだろう?

不況もあるとは思うが、そんなこといってたら不況ならば文化は廃れて当然なのか、というお話になってしまう。

なんでだろう?

2009-02-08

本題は置いといてブクマコメ

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090207183508

lliorzill "東方音楽クロノトリガーFF6、エスコン5より音楽性で勝るとでも?" 社会人プロ野球選手を戦わせるレベルの能書き

エスコン中西哲一(CHOBIN)は同人ゲーム上がりなので土俵同じ。

FM音源(OPN/OPNA)を使う技術については当時の段階で既に雲泥の差があったけど、楽曲それ自体に関しては別に優劣つけられるもんじゃないな。これは他の人も言ってる通り。

東方をけなす元発言の彼は先入観作品名とかオーケストラアレンジとか)で曲を聴いてる感がバリバリなので、9801時代のゲーム音楽ブラインドで聞かせたらたぶん中西曲であっても高確率で凡庸と言ってくれるだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20090207183508

2009-01-11

乗り越え方

anond:20090111061126

癖になると述べた、いじめられた経験ありの30男より。

娘さんつらいだろうな。修学旅行で「あたし一人にして」って叫ばれるって、思

春期でもあり耐え難いと思う。自分もそうだったから分かるんだけれど、みんな

の前で拒否される瞬間ってパニックになる。自信なくなって自分がどうやって他

の人に対して振舞えば良いか、分からなくなるんだよね。

ただ、いじめは拒食症や痩せたことが原因ではないと思うよ。その前に何か要因

があると思う。BMI12〓13って、160センチでも33キロとか35キロとかでしょ?残

念ながらライトな拒食症じゃない。その前に周囲に感じさせる何かがあったんだ

と思う。その要因を乗り越えるのが必要。

正直いじめに関しては、心配はしてくれても学校先生ってアテにならないこと

が多い。自分尊敬できた先生は居たんだけれど、いじめを解決してくれた先生

は居ない。いじめ解決のためには本人の自信が大切なんだけれど、生徒を平等に

扱わなければいけない、学業の評価もしなければいけないこともあって、立場的

に難しいんだと思う。

それに対してお金の問題もあるだろうけれど、カウンセリングというのは非常に

有効。その際に、親とかも一緒に受けてみたりとか、カウンセリングは特別な行

為じゃない=自分は異常じゃないって、本人に思わせてあげるのも大切。

あと学校以外に習い事とか、学校と全く関係ないコミュニティに関わらせてあげ

るのも良い。俺は別の学校で参加させてもらってたオーケストラとか自分の別の

面を認識するきっかけになってた。親も日常的に意見を挟むのではなく、話を聞

いてあげることで、否定されて負に傾いている彼女の気持ちを正に自立的に戻す

手助けが出来る。

学校逃げるのではなく、周りのサポートがありながら、何とか解決する。100%解

決しなくても、少しでも良くなることによって、先々の生き方が変わってくると

思う。

2009-01-05

イカスミのように真っ黒い液体が自分の中でうろうろしている。

昔所属していた学生オケでトップ争いがあったとき

陰口が渦巻いてる状況に耐えられなくなって誰にも何も言わずオケを辞めた。

それでも、オケで弾くのが楽しい時もあったじゃないかと思って

他のアマオケに入ったけれど

「他人の邪魔にならないよう弾かなきゃ」という意識が先行して

一人で勝手に緊張を感じてフェードアウト

学生オケ時代の知人が立ち上げるオケに立ち上げから関わったら

またオケを好きになれるかもしれないと思ってすごくいろいろ頑張ったけど

他の運営メンバーにうまく仕事振れなくて、フリーライダーを作ってしまい

でも誰にも自分のしんどさを伝えられなくて一人でいろいろ抱え込んで、

第一回演奏会終わった直後に高熱出して寝込んだ。そのオケも辞めた。

楽器を弾くのが全然楽しくなくなったので

バイオリンを試してみたいという友人のところに貸した。

楽器ケース見るのも嫌だった。

どんなに練習しても超えられない壁があって、

自分の体なのに言うこと聞いてくれなくて、もう嫌だと思った。

上手くなりたいのにどうしたらいいのかわかんなくなった。

好きだったはずのものを嫌いになっちゃうのってものすごく悲しい。

学生オケ内の政治力はその人の楽器の腕とニアリーイコールだから

あの時、周りを黙らせるくらい楽器が上手かったら

少しは状況が変わっていたのかなとも思うけれど

そういう訳でもないんだよな。

言いたいことがある時はその場で言わないとだめなんだよな。

去年の秋、システマチック基礎練を教えてくれる先生と出会って

今は少しずつ基礎の練習からもう一度さらってる。

長いこと蓄積してきた体の癖はそう簡単に抜けてくれないけど

構えを変えたら明らかに響きが変わった。

浅田真央自分ジャンプの悪い癖を3週間で修正したってTVでやってたけど

それができるのは本当に本当にすごいことだと思う。

あと、たまたま今の学科内で弦楽四重奏のできるメンツが揃ったので

時々四重奏を合わせてる。

まだまだ上手く弾けないところもあるけれど、気の合う4人で弾くのは楽しい

オーケストラみたいな大規模な組織でなんかするのは向いてなかったみたい。

ほんと学生オケコンマス決めの時は怖かった。

何人かと雑談してて、コンマス候補の子が席を外した瞬間、悪口の大炸裂。

もう( ゜Д゜)ポカーンとしてなにも言えなかった。

さっきまでニコニコ楽しげに雑談してたのに。

あと、自分楽器の腕に対してこだわりすぎてたことに最近気づいた。

音質は悪くないんだけど、基礎がないから音程アーティキュレーションがめちゃくちゃ。

生き急ぐこともないんだよな。

解決すべき課題がきちんと見えてきただけ数年前より格段にラクにはなってる。

今年は楽しく楽器の弾ける年にしたいなあ。

2008-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20081214220203

>俺の場合は音楽だったけどな。「観客側ではなく奏者としてそいつらと合奏したい」が動機となっている奴が沢山いる世界なので、むしろ絵描き世界より明快じゃないかな。

たとえば私が所属するオーケストラアマ)は、そりゃ確かに初心者歓迎として誰でも参加を受け入れます。だけどパートメンバー本心はそうじゃないんです。これ以上増えて欲しくありません。特に巧い人には参加して欲しく無いですし、初心者自分より巧くなることを喜べません。芸術世界で何かしらの活動をしている人間はみんなそういうもんです。たぶんお絵かきをする人も似たようなもんだと思います。基本的に利己的で嫉妬深いです。ただ大人の態度としてそんなそぶりを見せないだけです。本心soloを取られたらはらわた煮えくり返ります。残念ながらこの世界で巧くなる人というのは大体この手のタイプです。

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