はてなキーワード: 美術館とは
自分は大学生になるまで、「印刷物ではない油絵」を見たことがなかった。
自分は北関東の山里の出身だ。最寄りの駅まで車で30分、まともな蔵書のある図書館は近隣の市まで行かなければなく、一番近い美術館がどこにあるのか未だに知らない。そういう場所で生まれ育った。
両親は芸術にまるで興味がない人だった。
水彩画のような塗りしかできない自分に教師は「もっと絵に絵の具を乗せて」と言った。
今思えば、当時は教科書や本に載っている絵が油絵なのか水彩画なのかさえ気にしたことがなかった。
大学には、それなりの家庭水準で育った人が多かった。周りは皆幼い頃から音楽や美術、文学に慣れ親しんだ人ばかりだった。
そこで初めて油絵を見て、「美術の先生が言っていた油絵とはこういうものだったのか」と実感した。
歴史の教科書の絵も、偉人の肖像画も、油絵だったということを大学生にして初めて知った。
もし地元で生涯を終えていたならば、自分は油絵がどんなものかを知ることはなかっただろう。
様々な芸術を見聞きし知った今、それらに出会わない人生が「自分の人生であったかもしれない」と思うと、ときどき空恐ろしい気持ちになる。
学歴にこだわるような年齢ではなくなった今も、自分は大学へ行って良かったと心の底から思える。
人口15万の市に住んでるけど美術館や文化施設で企画展は定期的に開催されてるし
都市部から少し離れた所では1000年近い歴史がある寺社が並んでて
金は無いが体力と時間はあった時期に、18きっぷで平日に上野に行って西洋美術館を観てきたけど、行列待ちすること無く入館できたけどな
なお、何となくすごかったという感想だけが残り名前と作品を一致させて記憶に留めたものは一点も無かったので、それ以降美術館の類には行っていない
面倒な人はラストまで飛んでね
ホームステイでネパールの子を受け入れてくれと打診がきたがベジタリアンで食事の点で受け入れる自信がなく諦めたことはある。この場合は増田のコミュニティに限った話で一般化するのは危険
流行りのビーガンのようですね。乗せられやすい性格のようです。
民主党支持者かな
自分も放送室であれ?と思い始めてその後かなり年上だと思ってた松ちゃんが自分と同じ世代の女性とできちゃった婚した時明確にダサっと思ったの覚えてる。浜田の「もう五反田で遊べない〜」のコメントもキモかった
もうこんだけモテたら向こうから近づいてくる異性なんて街灯に寄ってくる蛾みたいな存在だよな。この女性の人生がめんどくさそうすぎて若干気の毒になった…
男は蛾みたいな存在、チンコバイター特有の差別意識が見えますね。
自分も芸能界に片足突っ込んでた友人から聞いたがとある芸人が話していた吉本の『飲み会システム』と合致しているらしい。組織的だね
子は産んでよかったと思うしかわいいけど出産育児はマジで軽い気持ちで手出すもんじゃない…増田は子ども云々の前に自分をいたわってあげて
お子さんが居るようです。
子供が洗脳されている、いい加減な手術が行われているというのは適合手術だけでなく性自認にあったケアを丸ごと法的に禁止したいアメリカの保守派やキリスト教右派が作り出したデマ。それが日本に持ちこまれただけ
性自認が曖昧な時期にそう言う情報を与えるとおかしくなると思いますよ。トランス女性の知り合いとか居ますか?
ライブも美術館も小規模だけどあるし、なんといっても人が少ないのが魅力だよね地方は。東京はマジの都心はどこ行っても待つし下手したら並ぶし人あたりして疲れる、と東京生まれ育ちが言ってみる
東京出身のようです。
逆に東京生まれで今地方暮らしだが、車が快適すぎて困ってる。環境に良くないのはわかるが自分だけの空間がドアツードアで続くの最高すぎる。車移動で不健康になったとかもないしただただ便利すぎる…
アメリカに住んでると言うことなのですがアメリカの地方でしょうか
vanillayeti
これは一言言わせてもらうと絶対にない。単に女性が産む機械だった昔がおかしすぎただけで女性が教育も受け仕事もできる今どんな貧困に陥っても女に人権がなかった時の水準にまで戻るとは思えない
息子が通うアメリカの保育園でむしろ友達に見せたいオモチャを持って行くshow & tell というアクティビティが毎週のようにあってカルチャーショックだった
“お前がおかしいおかしいって言われ続けて” これをガスライティングと言う。精神的DV。あと犯罪で言うなら未成年に手出した夫も刑法破ってるやん
メタ認知力はかなり低そうです
vanillayeti
黒人は別に白人や日本人と比べて犯罪率が格段に高いことはないが男性は女性に比べたら犯罪率(特に性犯罪)が格段に高いので、警戒ではあっても差別ではないんだよ。わかるかな?
アフリカ系の割合は14%ぐらいです。欧州系の割合は75%です。手に入るデータが若者限定なんですが犯罪実行者の欧州系の割合は70%、アフリカ系の場合は26%普通に黒人の方が犯罪率がかなり高いです。小学生でもできる分析なのに間違っているのであまり知能は高くなさそうです。IQ換算だと90-95のレンジだと思われます。
vanillayeti
“アメリカで培った理不尽耐性のおかげで耐えた。アメリカの経験は役立つ。” ?アメリカで研究してるけど日本の方が理不尽な体験はずっと多かったけどなあ。まあアメリカで無理なら日本の環境に甘んじるしかないよ
アメリカで研究?!ちょっと驚きました。良くこの知能で研究職になれますね。理系で特化型の知能だとあり得るかもしれませんがそちら方面のブコメは0なので理系ではなさそうです。おそらくフェミニズムか日本語教育関係かと思われます。
vanillayeti
難しいけど女(産む方)が決めるの一択かと。うちも迷うけどもし産んでも5歳くらい年の差つけることは決めてる。それでダメだったらダメってことで
お子さんは一人のようです。
vanillayeti
アメリカで労組入ってるけどLGBTQ、人種的マイノリティ、移民にも当たり前だがめちゃくちゃフレンドリーな組織だよ。ブコメの左翼活動が何を指しているのかわからんが…
やたらとLGBTを推しますね。民主党支持者なのも関係してるのでしょう。
vanillayeti
胃腸のお医者さんが勧めてたシリウムハスク(オオバコ)がいちばん効く。あとキウイも効く。ちなみにそのお医者さんによると便は形状(理想は一本糞)が一番重要で毎日出なくてもそれは便秘じゃないらしい
一本ぐそという単語は普通の女性は使用を避けます。かなり外れ値な性格のようです。
vanillayeti
“ここまで身体を傷つけて、痛みを負いながら、通院に時間を割きながら” ほんとそう。自分は避妊薬飲み続けることさえも女性側だけの負担なことが理不尽に感じて辞めた。女性の負担はデフォルトで透明化されている
筋トレ(リフティング)始めたら体が引き締まって体重とか気にしなくなった。体重制限が仕事のボクサーとかじゃない限りそれでもういいんじゃね?
これはデブが良く使う言い訳ですね。おそらく引き締まってません。アメリカ行くと不摂生でデブるのは良くあります。
自分も今学期怪しい論文三つ見つけたけど全てAI 検知できるいろんなサイトにかけて確かめたりそれも確実ではなかったりかなり労力と時間を割かれて腹立った。日本語だと検知も更に難しくて大変だろうな
やはり研究者のようですね。恐ろしい。
ブコメも写真投稿してた元ツイもカジュアルに外国人差別してて怖。アメリカ(ニューヨーク含む)に人生の半分以上住んでるけどトコジラミなんて遭遇したことねえわw
40際ぐらいなので20年ぐらい居るようですね。
vanillayeti
公式ツイッターは最悪だがバービーの映画自体は娯楽作品かと思いきや家父長制への批判がはからずもオッペンハイマーのアンチテーゼになってて良かった
はぁ?原爆肯定とか終わってますね。人命より虐殺より思想が重要なんですね。
話そらし?
ここ最近の2人に関する報道ってトランス差別を感じるんだよな…(シス)女性への差別は絶対にあるけどそれを盾にしてトランス差別せんでほしいんよな。シス女性の敵はシス男性であってトランス女性ではない
アメリカでは健康に気を使う層はケンタとか行きません。おそらくデブ
黒人やトランスジェンダーは白人やシスジェンダーと比べると犯罪率は高くないので差別になる。男は女よりも格段に犯罪率は高いが、権力をもっているのでジャニー喜多川のように差別の対象になる前に免責されがち
さっき言ったように黒人は普通に高いです。あとトランスも低いとは思えないトランスの手癖の悪さは話題に上がるぐらいなので。トランスに関してはデータはないですが、データでもあるのですか?
vanillayeti
黒人の犯罪率は白人やその他の人種とそれほど変わらんが、男性の犯罪率は女性と比べて格段に高いのでそこを雑に比べられて差別主義者とか言われてもねー
嫌、普通に高いです。研究者ならググれば出るようなことなのに妄想にこだわってなぜ調べないのですか?
他リプでは男と女はわけろと言ってましたよね?その考えだとゲイも当然分けるべきでは?
vanillayeti
vanillayeti
上から目線とのブコメがあるが、女性の方が年収や社会的地位が高いってだけで卑屈になったり劣等感拗らせる男性は確かにいる。昔はハリウッド女優がオスカー取ると必ず離婚すると言われたよね
下方婚がいやなのは女の方です。データにも出てます。おまえが悪いといって殴り付けるDV男の女バージョンですね。
人間の社会生活に関わること全てが明確に数値化できると思ってる人いるよな。これって所謂「理系」の人の一種の思い上がりでは?とすら思う。物事はそんなに単純ではないんだが
これは珍しくまともな意見。理系の人と言ってることからやはり文系でフェミ関係か日本語関係の研究者だと思われます。
男性の方が確かに職務質問を受ける回数は多いが大半の犯罪も男性が犯すので統計に則っているとは言える。しかし外国人の犯罪は日本国籍を持つ者の犯罪率より格段に低い(当たり前だが)
どこの世界で生きてるんだろう。外国人は犯罪率普通に高いです。ちょっとググれば分かるのになぜ調べないのかなぞです。
vanillayeti
vanillayeti 2022/09/25
結婚した理由は家族からのプレッシャーとかいろいろあるだろうしあえて突っ込まないけど子作りだけは頑として拒んだほうが良い…子供への教育上云々の前に経済的自立がしづらくなって結果的に離婚もしづらくなる
女装癖のある旦那をもつ妻へのアドバイス、lgbtは大好きなのに女装には厳しい
今は皆が働かさせられてる状況はどうなのか?
叔母がキャリアウーマンで仕事では旧姓名乗ってたけどカッコいいと思ってた。まあそれも親戚だから知るきっかけがあっただけで学校の友達の親とかだったら知ることもなかっただろう
キャリアウーマンの叔母が居るようです。
vanillayeti 2022/07/29
二年経っているので男の子は五歳
vanillayeti 2022/07/19
宗教(カルト)がダメなんじゃない、宗教が政治と結びつきすぎてるからダメなんやで。問題の本質が何もわかってない。獅子座の人は自民党に入れるのが吉!とかやってんならともかく。
vanillayeti 2022/07/19
思想としては嫁を殴りながら自己正当化する男の女バージョンという感じです。40才ぐらいの太ったおばさんで20年アメリカに居ます。五歳の男の子がおり。子供はワクチン接種済みです。
旦那の話題がでないことからシンママか離婚済みです、ただし彼氏はいます。書き込みを分析する限りだとそこそこデブで性格がヤバイことから長期に男と関係を作るのは難しく恐らくシンママと思われます。
研究者と言うことだがかなりIQが低いので日本語教育かフェミニズム系の仕事をしていると思われます。
存在事態が子供の虐待になるタイプです。本人はこのまま問題なくすごし早めに死ぬでしょう。危険な思想は息子さんに引き継がれ彼が彼女が行った男性差別の報いを受けます。
2018年度社会教育調査統計表(文部科学省)で、長野県内の博物館・美術館の数が345館で日本一であることが発表されました。続いて、2位が北海道で331館、3位が東京都で312館です。美術館数だけで見ると、日本全国の美術館総数の約10%が長野県に集中しています。このことからも、いかに長野県に多くの芸術文化が眠っているかを知ることができます。
地元の美術館に行ったんだけど、絵を見ているとき、夫が「あれ、なんか蹴った」と言った
何も見えなかったけれど、その直前に確かに、<硬いプラスチック片のようなものが蹴られて床の上を滑っていく音>がした
でも、床の上を探しても何も見つからない
変だね、と言ってまた絵を見ていると、今度はわたしがその何かを蹴った
何も見えなかったのに、足に<手のひらぐらいのサイズのプラスチック片のようなものを蹴った感覚>があり、やはり<プラスチックが蹴られて床を滑っていく音>が聞こえた
でも今度も何も見つからない
いったいなんだったんだ
学歴が高いとか、古典に通じてるかとか、社交的に振舞えるかとか、楽器とか書道とか習い事をしてたとか、字がきれいにかけるとか、敬語が使えるかとか、挨拶がしっかりできるかとか、食事のマナーができているかとか、TPOをわきまえた身だしなみをできるとか、いろいろあると思うんだ。
・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間
・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき
・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ
・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している
・22時22分
・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い
・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間
・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!)
・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない)
・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際には動かない)
・波止場に腰掛けたときのコンクリートの冷たさ、フナムシがそのへんをカサカサやっている感じ
・でかい交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなで歩き出す瞬間
・バルセロナのムンジュイック城の中にあったアーチェリー場で、おっさんが矢を射ていたこと
・明らかに風が強い日の朝、起きた瞬間にそれがわかる
・スーパーで買い物してる親子連れのガキンチョが、お気に入りらしい冷凍食品をねだっている声
・地元のゆるキャラの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、コロナ対策のポスター
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押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。
だから押す側はだいぶ神経使う。重いし。
繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。
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例えば、人混みを通らなければならないとき。
介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、
乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。
そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。
大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。
で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。
それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、
そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味だから、受け取り方が違うよ!」と慰めた。
そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。
よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。
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金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、
『身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。
最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。
周囲だって、毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。
でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。
傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。
本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん「申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。
「自分の要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。
つまり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、
「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安、
それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初の言動そのものになってるのかなと思った。
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いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。
だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。
これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。
外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。
でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。
だから多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。
車椅子用トイレが使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。
ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。
いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。
もしかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。
かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレでセックスをするアホもいたりするからな…。
健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。
車椅子の人だって介助者だって別に、自分に関係なければ許せるかもしれない。
そういうありもしない未来・過去がそのたびに去来し空しくなる。
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他の例だと、地方の美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。
外出の選択肢として楽なのはアウトレット。舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。
海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。
エスカレーターも階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。
エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。
一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。
見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。
降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。
実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。
障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。
若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。
とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。
エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。
(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)
施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。
でもまあそれは「平等なサービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。
美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから。
コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。
たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。
本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分はパイプ椅子…なんてこともあった。
クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。
「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。
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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。
自分が車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。
望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分がいるから存分に楽しめなかったりする。そもそも、自分の行動や欲求に付き合わせている。
そういった事実によって生まれた葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。
そういう立場を体験していない自分が、その感情を否定することはできない。
ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。
身内の気持ちは身内にしかわからないから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。
当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。
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社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。
人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離でコミュニケーションをとる。
これは最近のトランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。
自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。
平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。
だからまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、
なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。
色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。
無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。
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そういうわけで(?)
車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。
助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。
舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。
こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。
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おまけ
テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。
「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。
いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。
確かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。
でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルがそもそも高い。そこに行くまでの道程のハードルも高い。
立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。
そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェスを非難してるわけではない。
「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子だから無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。
介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。
こんな無力なこと、ある?
自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。
身内はこの先あの景色を体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。
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県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
俺は、爺さんと親父と2人の車いすを押してきた人間として、映画館の対応で炎上している今の騒動を複雑な気持ちで見ている。
単純な話として、もし自分の働いているところにああいう車いすユーザーが来たら、表面的な対応は別としても内心では腹が立つ。これはもうしょうがない。
クソみたいなクレーマーは多いし、ちょっとこっちが仏心を出すとそこにつけこむクソ客も多い。
とりあえず言ってみて通ればめっけもん、一度通ればそっからはソコを最低ラインとしてさらに言う、対応できなきゃ文句を言う。対応する側としてはクソ客以外の何物でもない。
ただ、そういう対応する側からすると速やかにおかえり願えないかなと思うようなゴリゴリ押してくる車いすユーザーが先陣を切ってくれなければ、変わらなかっただろうな、とも思う自分が居る。
爺さんの時は、俺も車いすを押したが、主に調べたのは親父やおふくろだった。
何を調べたか?外出する際のすべてだ。
移動手段から、途中の休憩所、行く店や行きたがりそうな店、レストランや喫茶店、経路上にある公園のトイレに至るまで全部だ。
そんなん普通にしてれば良いじゃんって思うかもしれないけどそうじゃない。
車いすを押す側としては、車いすユーザーって言うのは、おおむね3つのパターンがある。
爺さんは、2番目の支えられながらなら乗り換えできる、だった。いわゆる介助が入ればベットから車いすへ、車いすから椅子へ行けるってやつだ。
それでも、爺さんのころは相当面倒だった。
今回の件で多少は周知されたようで何よりだが、車いすにとって段差は割と致命的だ。
出張で使うようなキャリーケース、無理したら行けるような段差があると思う。アレが致命的なレベル。
想像してほしいのは、女性だと両手で押して限界って感じの巨大なスーツケースだ。アレに近い。段差即詰んだって感じ。
それでも、先人のおかげで都内ならかなり自由がきいた。事前に連絡しておけばバスもJRも問題ないし、問題がある場合(エレベーターが無いとか乗り換えが面倒とか)でも教えてもらえた。
店もまあまああったし、爺さんが好きな美術品なんかも、まあ結構柔軟に対応してもらえるところは多かった。やはり大手に限られるけど、飛行機もなんとかなった。
とはいえ、気苦労は多かった。昔の人に比べたら事前準備さえすればできることは格段に多いとはいえ、家族としてはやはり一大イベントにならざるを得なかった。
これが、まあ平成後期や令和になってからの親父の時は、相当に楽になった。
例えば行きたい美術館が車いすOKって書いてあったら、特に調べず一発行ってみっかで行って詰むことはほぼ無くなった。
流石にバスやタクシーの時は事前に確認の連絡を入れたが、親父の時は車のトランクに入る折り畳みの車いすを使っていたこともあり、何だったら普通のタクシーでも捕まえれば乗れたりした。
JRなんか事前連絡なしで行っても対応してくれることが多かったように思う。爺さんの時には考えられないスムーズさで対応してもらえた。
チェーン店のレストランなんかだと、よっぽどのことが無い限り車いすでも特に問題無く食事できるようになった。ホテルのレストランだと親父の時に断られた記憶は一度もない。
店からすりゃ面倒が増えたんだろうけど、こっちが事前連絡なしでいきなりいっても対応してくれる場所や店は相当多かった。
親父は最終的には3番の、車いすからはプロに頼まないと(家族であっても)乗り換えできないようになった。
なんかゲーミングチェアーに自転車の小径車タイヤが付いた装甲車みたいなゴツイ車いすに、酸素ボンベと薬を積んで、きつかったらボタン押して薬が自動で入る、みたいな状態でも出かけた。
これは、相当に制限がかかる。移動はほぼ専門の介護タクシーを呼んでなんか自動エレベーターで後ろに積み込まれるみたいな状態でないと難しかった。
それでも、だ。
そんな折り畳み車いすの何倍もでかい状態であっても、結構な場所には行けたし、なんだったらレストランで食事もできた。
まあ流石に予約するときに車いすで結構デカめなんすけど、みたいな話はするが、サイズを伝えて問題になることはほぼなかった。
驚くなかれ、博物館や美術館だと、事前に確認さえとっときゃ普通に行けることもあった(さすがに特別展とかにはいかなかったが、常設展だと普通に行けることが多い。ただ流石にこれは個別調べてくれ)
で、こっからが本題だが。
くだんの映画館の件は、まああり得ないだろう。善意にフル乗っかりした上で、責任取れないんでムリっすって言われて逆ギレしてるようにしか見えない。
ただ、だ。
ああいう、もークソ客きたよめんどくせぇなーと俺が思うようなユーザーがいないと、商業施設なんか一ミリたりともお金出して改善する気が無いのも確かだ。
いま、都内の大手の映画館で、車いす席がないシアターは無いと思う。これは俺からすれば画期的だ。正直な話親父とも何度か映画は観に行った。普通に行けたし苦労もなかった。
(まあ、さすがに初回は調べて問い合わせは入れるし、パンフを買う時に親父にはちょっと待っててもらって俺が並んで買ってくる、みたいなのはあったけど)
そしてたぶんだけど、ああいう(もし俺が対応するとしたら内心思う)しちめんどくさい客がいないと、車いすの客が使えるようなプレミアムシートとかアップグレードシートっては、未来永劫設置されない。
ギリギリまで車いすで移動して、あとは家族が介助してなんとか歩けて椅子に座れるって状態なら、飛行機のビジネスにだって乗れるこのご時世に、映画館のプレミアムシートはやたら階段を昇った先にしかない、とかは普通にある。
(ちなみに、探すと車いすでギリギリまで移動して家族が介助すると座れるプレミアムなシートがある映画館も存在はする。主にゆったりできるって理由で階段で移動しなくて良い場所にたまたま設置されているからだが)
この辺は、車いすユーザーを通常より優遇すると悪さする奴も出てくるんで、多少難しいところはあると思う。
海外なんかだと、車いすユーザー+介助者1名だけは別ルートで入れてくれるけど、それ以外の家族は別に並べ、みたいなところは結構あった。まあこの経験は爺さんの時なんで今は違うかもしれんが。
そういう意味で、爺さんは海外では車いす特権じゃないがプレミアムな体験を親父としてたりした(なんなら家族の俺もその恩恵にあずかることもあった)が、国内では優遇されてやっと普通と同じ、という感じではある。
複雑な気持ちなんでまとめようもないんだが、まあそういうことだ。
労働者としての俺は、ああいう客が来たらほんっと勘弁してほしいと思うし、心底はよ帰ってくれんかなーと思う。
また、将来的に車いすユーザーになる可能性が高いだろう俺は、車いすに余計なヘイトをかってくれるなよ、とも思う。
ただ、わがまま放題で主張しまくりで、いわゆる健常者が出来てるプレミアムな体験を俺にも寄越せ!と叫ぶ先駆者がいてくれないと、変わんねえだろうな、とも思ってる。
まあそういう意味ではね、プレミアムな車いす置き場と介助者シートを作って、倍の値段で予約してくれれば良い体験で映画見れまっせってのは、都内ならたぶん予約途切れないと思うんスよ、どうスか?
くらいが関の山ではあるんだよね。実際、マジでめんどい客がいてくんないと世の中変わんないからなー
俺が今回の件で、自分の目の前に来たら正直クソ客帰れよと思ってしまうのと同じ心が、あんまり叩いてくれるなと強く思うのは、これって尊厳死が消極的安楽死から一歩踏み出す時にすごく怖いからなんだよな。
いるじゃん。医療の補助なしで命が繋がらないならそりゃもう寿命なんだって言うヤツ。アレ嫌いなんだよね。爺さんも親父も医療の補助無しならもっと早くに何もできずに死んでた。
間違いなく爺さんも親父も、五体満足で生きてる人に比べれば、社会のリソースに余分な負荷をかけていってみりゃ娯楽だの余生の楽しみだの、別に本人が望みさえしなきゃかけなくて良い負担を社会に強いてたわけだよ。
でもよ、いやじゃん車いすになったとたんに、趣味だった美術館巡りがさ、常設展のこの区画ならお楽しみいただけますが、車いすの方はこちらの別館はちょっと……みたいな状態はさ。
そういう時にさ、なんだよ健常者様ならプレミアムなシートで映画見られんのに我々車いすのユーザーは端っこで見ろってのか!って激昂する人が一定数いてくれるとさ、声上げてくれる人がいるとさ、助かるわけよ。
繰り返しになるけど、俺ですら目の前に来られたら嫌だよそんな客。でもさ、そういう人がいてくれるからこその、今、とも思うんだよね。複雑な気持ちよ。
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X(旧Twitter)上で、車いすユーザーの問題じゃない、いや障害者問題ですらない、彼女自身の問題だ、みたいなポストを見ちゃって流石にちょっとそれはと思ったんで記録がてら追記しに来た。
まず想像してほしいんだけど、彼女が五体満足で「プレミアムなシートで映画見まーす。イエーイ」みたいな投稿するクソ陽キャだった場合なんだけど、炎上はしないと思うんだよね。
毎回プレミアムで映画鑑賞かよクソが、と、俺は思うかもしれないけど、それぐらいなんだよね。
だからこれはまごうことなき車いすユーザーの問題なわけよ。車いすのクソビッチはプレミアムなシートで映画を見ることが出来ないという問題。車いす専用スペースはあるけどプレミアムじゃない。
ほんで、あんま主張するのが得意じゃない車いすユーザーだった俺の親父とかは、映画がスムーズに見られるだけで感動して、席次(?)に文句を言うようなことは無かったわけよ。実際ありがたかったし。
でもさあ、もしプレミアムなシートでも映画観られますよっていわれたら、そっち選んでたと思うわけよ。やっぱいい席で見て欲しいじゃん。
まあわかるのよ、まったく同じにはならんだろうってことは。俺だって普段は労働者側じゃん。身内にいて苦労した経験があったとしても俺が対応するとしたらゲェって思うわけよ。
でもこれもさ、過去「映画観るのは遊興なんだから、車いすユーザーはそこまで求めるの贅沢じゃね?」みたいなのを乗り越えてきてくれた人がいたからこそ、スムーズに親父は映画を観られたわけよ。
だってさ、不要不急かつ生存に必要なわけじゃないじゃん。代替手段として例えばいまならストリーミングサービスとかもあるわけだし。
でも、車いすユーザーが映画館で映画が見られる。どっかで引かれてたラインが、良い方に移動したわけよ。
で、こっからが重要なんだけどさ、わかるよ、正しいルートで正しい手順を踏んで、ちゃんと段階を踏んで法律とか条令とか、企業の努力に訴えかけたりメリットを訴えるって方法があるのは。
でもさ、ほんとは高校デビューしてアタシもビッチとして青春を謳歌してみたかったなみたいな、世間一般で言うところの常識的な車いすユーザーとかさ、その後ろにけっこうな数いるわけよ。いやすんごい良くなってるのよ世の中。
でも、車いすだっていうだけで、できないことがあるのは事実なのよ。正規の手順で正規のルートで訴えていくことが出来る中学生がいたとして、彼ら彼女らの青春が終わる前にプレミアムなシートで映画を体験できるようになりますか?という。
だから、俺個人としては止めて欲しい、もし自分が同じ立場だったら申し訳ないんですが車いす専用スペースで見てくださいプレミアムなシートは席のご用意が無いんですスミマセンスミマセン上に要望は上げるんで、という感じになると思うのよ。
それをぶっ飛ばして、いやプレミアムシートの下の段に自力でスロープで上がるんで、介助者連れてくるんでええやん、みたいな人が居てくれるとさ、いやーそれはどうなんだろちょっと上のものと相談しますね、みたいになると思うのよ。
それがさ、もしかすると、今回の件で、介助者がいて避難誘導時に介助者が誘導補助をするなら、通路に面したシートに普通に座っても良いですよ、となる可能性だってあるわけじゃん。
その結果、車いすユーザーを含む高校生活を楽しむグループが、横一列で映画館で映画を観ることが出来るかもしれない。そういうのがあると良いな、と思うわけよ。
あと見かけたのでは、リソースが有限だからっていう理屈。俺は嫌いだ。
健常者が普通に出来ることが、障碍者なんだから制限受けてん当然、みたいなの、俺は嫌なのよ。
災害時にリソースが足りないのはわかる。避難所では人工透析が出来ないです、インスリン注射も補給できないです、車いすユーザーは車いすを館内に入れないでください。ある程度制限がかかるのはしょうがない。
でもよう、労働者としての俺がさ、いやだってキミ英語も中国語も喋れないじゃん、リソース有限なのよわかる?英語も喋れないようじゃ家は買えないよ常識的に考えてとか不動産屋から急に言われるのとか嫌だよ。
外部環境に左右されるリソースって単語で、日常生活に制限かけられるのは、やっぱ嫌だよ。
車いすユーザーはあんまありがとうとか言わないよな、ありがとうっていうだけでそんな大変?ってのはなー
生まれ育ちや頻度にもよるから何とも言えないんだけど、五体満足である俺ら側が許容してあげる度量は持ちたい。
俺は一回爺さんに言われてやってみたことがあるんだけど、右足と左足を動かすたびに、心の中でいいから右足と左足にありがとう、助かったよみたいに声をかけてあげるの一週間やってみてくれよ。
あ、いま右足で体重支えてくれてありがとう。階段上ってくれてありがとう。止まれて助かったよ。ドア閉めてくれてありがとう、踏ん張ってくれて助かった、立ち上がってくれてありがとう、靴下はくとき位置移動してくれてありがとう、寝返り打てたよありがとう。
俺は3日でギブアップ。確かにこの頻度や感覚でありがとうを言わないといけないんだぜって言われると、それはしんどい。だからしてもらって当然と無感覚になっちゃう人がいてもしょうがないと思う。
あ、見てて気の毒なくらいありがとう、ごめんなさいねっていう人もいるよ。それはいるって。
あと、俺の書き方に配慮が無かったって話(大意)。それは申し訳ないことをしたと思う。
例えば、そもそも配給会社に言うしかないタイプの障害を持ってる人がいるのも知ってはいたけど書かなかった。
その結果、心無い言葉に触れてしまった人がいたのはほんと申し訳なかった。
視覚に障害がある人が映画を観るときに使う音声ガイドがある映画とか、
聴覚に障害がある人が映画を観るときに使う字幕メガネ貸し出しの映画館とか、
そういうのがある。
映画は何も晴眼者で健聴者であるものだけが楽しむ娯楽じゃない。でもそこが十分にフォローされてるかっていうと、たぶんされてない。
そういう意味で、車いすユーザーはある程度わがままを言っても身の危険を感じることが少ないっていうのは、確かにそうかもしれない。
最後になんだけど、俺はそういうクソ客はクソがと思うし、めんどいと思うし、俺の目の前に来たらやっぱ嫌だと思う。
あと、法律はそうなってないとか、車いすの作りがそうなってないとか、そういう対応にコストがかかるとかも、わかる。
ハイ今はそういう意味じゃないしそうなってないでーす、バーカバーカじゃなくてさ、
じゃあそれは良い方に変わったら良いね、という風に思ってはくれないだろうか。
車いすユーザーもプレミアムシートで楽しめると良いね、ただクソビッチはむかつく、という風に分けて考えてくれないだろうか。
でもたぶん分けて考えるの難しいよなあとも思って、複雑な気持ちは今も変わらない。
全部地元の話やけど、まぁ聞いてくれ。
もう数十年前の話、ワイが生まれる前の話だが、高速道路が通る事になって、まず高速道路の建設に大反対運動が起きていた。しかし、地理的に迂回できるような条件はない場所であったため建設反対は通らず。
しかし、建設が押し切られそうになると、馬鹿共は、今度はインターチェンジ&パーキングエリアの設置に反対した。
今から考えれば、インターチェンジが無けりゃ高速道路なんて迷惑施設でしかないのに、道を通してインターチェンジ反対って馬鹿じゃ無いの?と思うのだが、当時の馬鹿共にはわからなかった模様。
結果、道は通っているがICが無い状況になった。その高速道路の全線の中でも、山岳部などを除いて最もICとICの間が開いている区間ができあがった。また、パーキングエリアもない状態となった。
反対運動で追い出されたICは東側の隣町に、PAは西側の隣町に建設されることになった。
東側の隣町にICができたが、さらにその東側のICと距離がかなり近い状態になった。また、そして元々幹線道路への接続が無い場所であったため、接続のために県道がつくられた。
そして、その県道を利用し、東側の距離の近い近いインターチェンジとの間に4車線の立派な国道のバイパスが建設されることに。そしてその道の周辺に商業エリア、工業エリアが設定され、条件の良さから大手企業の工場や、物流基地などが立地。
また、元々ICが作られた周辺は果樹の農地が広がっていたが、ICの立地を生かして観光農園を大々的に展開し、観光地化に成功。高速道路を通る観光バスが中継地的に楽しめる場所に。農地を供出した農家も上手くいっている。
一方で我が町。企業立地競争はそちらが強力なライバルになり悉く失敗。立地した大手企業の下請け工場みたいなのは多少おこぼれに来る程度。
現在、かつてインターチェンジを作る予定があった所にスマートICを設置してくれ、という請願をやっているが、具体化していない状況。ちなみに西側の町に追い出したPAにはかなり前にスマートICが開設されている。
なんでその時反対したんですか?と聞いたら「そんな風になると思っていなかったから」と答えたジジイ、ばかじゃねーの。お前が死んでもお前らの愚行は語り継いでやるわ。
これは隣の町の話。住宅街から川を挟んで対岸の農地を買い取って、ワーク○ン・カイ○ズホームのベイ○アグループと不動産ディペが一緒になって大規模ショッピングモールを作ろうと言う話が持ち上がった。が、例によって地元商工会が反対の大キャンペーン実施。ちょうど首長選挙の季節だったこともあって首長も反対を表明。もう少し粘るかなと思ったらあっさり撤退を表明して白紙化した。
で、あとからわかった話。
眺めの良い場所に、かつて美術館を建設するという計画があった。とある化学メーカーの社長が個人的に集めたコレクションを元に美術館を建設すると言う計画であった。
民間の企画であったため大きく公表されないまま、順調に話が進んで基礎的な設計図はできあがるところまで行き、そこへのアクセス道路を完成した後に公道として移管したいと言う話が議会に上程されるに至って発覚。当時バブルまっただ中。別荘ブームなどがあって、別荘として開発したい連中が暗躍し何故か反対ムードが起きたため、社長側があっさり撤退。
その後、全く別の土地に美術館は完成。社長は引退するときに自分の持株分を美術館を運営する財団法人に移管しており、その収益でコレクションを買い増しながらその筋では世界屈指の美術館になっている模様。
一方で建設される場所だった予定地はゴミみたいな粗悪な別荘が建ち並んでゴーストタウンとなっている。
なんか知らんけど誰かが何かを始めると、真っ先に反対から入る奴が多すぎるんだよな。土地柄なのかなんなのかわからんけど。で、外の資本による開発計画なんかは、別にこの土地に拘る必要ないわけで。反対されたらあっさり撤退するのは当たり前。
事実確認として。まず第一に、行われたのが内覧会で、当然、招待状をもらった人向けの限定的な式典。
>美術館は公共に開かれた場 とか意味不明な事言っているけど、
勝手に第三者が入ってきて主催者とも美術館とも無関係に自分勝手な事をしてるだけの話ですよね。
そりゃ、警察を呼ばれるのは当たり前。
https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/nmwa-stopgenocide-031124
「展覧会出品作家有志を中心とする市民」によって計画実行されたもので、同館や展覧会主催者にとっては、全くの予想外の出来事であったという
右翼の集団が入ってきて、主催者の諸々の展覧会を邪魔しても右翼の主張を聞きましょうと思ってるの?
そして、それが「表現の自由」だとでも本気で思ってるの?